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第05話 【調】しらべる-2



ホムンクルスの目的が食事とすれば、どうもおかしい。 
衝動的であるなら、人の気配を察知するまま工場に雪崩れ込むだろう。 
計画的であるなら、夜、帰宅途中の従業員を襲う方を選ぶだろう。 
半年前からほとんど人気のない事務所を張って、そこに人が来るのを待ち続ける「計画」な 
ど、まるで意味がないし、千歳の知るホムンクルスらしくもない。 
郊外なのだ。ここは。夜半ならば暗闇に乗じて目撃者一つ出さず、食事を遂行できる。 
実際、戦団がもっとも厄介だと思うのは、そういうタイプのホムンクルスだ。 
目撃者もなければ死体もなく、人が喰われたという事実すら把握できない。 
恐らく、海千山千の行方不明事件の中には、そういう潜在的な死が紛れているだろう。 
ともかくである。 
今回の事件は、ホムンクルスが食事の為に工場を襲ったという単純な物ではなさそうだ。 
(他に動機があるとすると…………怨恨?) 
千歳の脳裏に、一つの懐疑が浮かんだ。 
確かに人間同士ならばよくある殺人の動機だが、ホムンクルスがそれを抱くのは稀有だ。 
似た話はある。 
千歳が防人から聞いた話になるが、病のせいで見捨てられ、透明な存在になり果てた一人 
の天才が、独学で研究を重ね、ホムンクルスに身を変えて、彼の存在を認めぬ親族とその 
ボディーガードを合わせて二十人近くを喰い殺した事があった。 
けれどその話の場合は、ホムンクルスになる事が復讐の動機であり手段であり、ホムンクル 
スとして生きていた者が、人に怨恨を抱いた訳ではない。 
果たして、人を食料としかみなさないホムンクルスが「怨恨」などという、ある意味で低い立場 
からの感情を抱くようなコトがあるのだろうか。 
しかし可能性がある以上、調べるのが千歳の役目であり、また戦士の責務だ。 
「麻生さんですが、どういう方でしたか」 
「非情に熱意ある人でした。部下の能力を見極めるのに長けていまして、過去何度も、優秀な 
人材を発掘しておりました。…過大評価する訳ではありません。彼の選んだ者は、常に素晴 
らしい結果を出していました。だから彼らと、そして麻生君の社に対する貢献度は誠に、高い 
物でした……」 
「…すると、麻生さんを恨んでいた方は」 
「いない筈です。部下に対する思いやりは非常に深く、同僚の顔も立てて、上司やバンダイ 
さんとも、とにかく歩調を合わせる事を第一にしていました。プライベートでも、ギャンブルや 
お酒は嗜んでいませんでしたし、借金もなく女性関係の噂もまるでない、社員の鑑のような 
人でした。ですから、恨みを買っていたなんて事はとても。ありえませんね」 
「そうですか」 
怨恨の件も、薄いのではないだろうか。千歳はとっかかりを失った。 
犯人の動機というのがまるで見えてこない。 
「…ただですね」 
黒澤という名の工場長は、少し言いよどんだが、言葉を続けた。 
「彼にも欠点がありまして。お話した通り、わが社では残業を月20時間まで 
と決めているのですが、彼はそれをよく破っていました。仕事熱心なのはいいんですが、部 
長の彼が規則を破っていていいのかと、従業員からは不満の声がかなりありました。しかし」 
「怨恨につながるほどではない、と」 
「はい。そんな…仕事上の行き違いなどで人を………殺すなんてあってはならない事ですよ」 
黒澤は沈痛な面持ちで膝の上の拳を振るわせた。 
少なくても千歳には、彼が犯人だともホムンクスルだとも、到底思えなかった。 
根来は、いつもと同じ鋭い目つきをじっと黒澤に投げかけていた。 
ともかく、もう2〜3細かい打ち合わせをした。 
より詳しい事は、部長と最後にいた高峰に聞けばよいだろう。 
「ではおっしゃる通り、朝礼では部長は行方不明として伝えておきますが…」 
説明が終わると黒澤は、鼻に浮かんだ汗を袖でぐいっと拭った。 
包み隠さず浮かぶ憔悴が、麻生部長が死んだという事実と、行方不明だという実感の狭間 
で戸惑っている事を浮き彫りにしている。 
信じられぬのも無理はないのだ。 
ホムンクルスという化物がいて、それが麻生部長をカケラ一つ残さず食べたなどとは。 
例えば、生首の一つでも転がっていれば信じられるだろう。 
だが血痕ぐらいしか現場にはなく、死体という、生死をはらんだ最大の証拠が綺麗さっぱり 
消えている。 
だから社員たちは、部長が夜の工場から謎多き失踪を遂げたと思い続けていくのだろう。 
それが普通なのだ。日常と非日常は陸続きであるが、しかし多くの人にとってはしっかり区切 
られた別次元の物として認識されている。 

根来たちの潜入する工場は、そういうカンジのお話ありきで商売してたりするが、しかしお話はお 
話、フィクションであって、この事態を信じる材料にはなりえないのだ。 
「残念ですが、お亡くなりになったと答えるしか」 
千歳は無表情にやや憂いを帯びて、答えた。 
前述の通り、彼女は事務服である。 
上は白いワイシャツとグレーのベスト、下はベストと同じ黒色のスカート。 
どれも夏使用で薄く、艶かしげなボディラインがさらけ出されている。 
それをやや好色なる目で見たとして、誰が責められよう。 
いや。むしろ男子の本分ではないか。 
それを果たさずして、男子、何のために地上へ生まれてきたのかという話にすらなる。 
釈迦も孔子も諸葛亮も信長も、この場に居ればみな千歳を見ただろう。 
黒澤も、実は受付からの道中、細くも肉感的な肢体をちらちらと盗み見ていたから 
いざ千歳に見据えられるとゾクリとした。 
かすかな憂いにたゆたう瞳。桃色で肉のうすい唇。喋るたび覗く濡れた白い歯。 
彼女自身は気付いていないが、やや官能的な気配がある。 
固唾を飲んだ黒澤が、誘われるように何かを言いかけた時。 
「ところで」 
黙っていた根来が突如として口を開いた。 
「何でしょうか」 
まるで紅茶の中から飛び出た妖精をみるような驚きを以って、黒澤は答えた。 
彼の認識から根来の存在はすっかり抜け落ちていたのだ。 
「貴殿らの職場に、EXCELはあるか?」 
EXCELというのは表計算のソフトだ。 
イルカ(※)がサポートしてくれるので有名なソフトであり、大抵の職場には配備されている。 
「もちろん、ありますが…」 
「念を押すが、ロータスではないな」 
「ハイ」 
「良かろう」 
何が良かろうなのか。黒澤も千歳も気にはなったが、根来は口を閉ざしてしまいそれきり 
分からない。 

※ 難しい質問がくると焦り散らしてグビャーグビャー鳴きわめく役立たず。 
が、「またムチムチしてきたな?」と呼びかけると「質問の意味が分かりません!」と赤面しつ 
つ必死に抗弁する可愛い一面も。 
しかしイルカ、可愛い顔をしているが生殖孔と肛門の間に左右一対の乳房を有しているので、 
実はいやらしい体の持ち主だ。 

沈黙を気まずく思ったのか、黒澤は千歳に話しかけた。 
「いやしかしあなたは優秀ですね。すでに色々調べて頂いていたとは。私どもとしても安心し 
てお任せできます」 
手馴れた調子で明るい声を出し、親しみを分かり易く示す黒澤だが、しかし千歳は目を伏せた。 
「……そんな事はありません」 
現在優秀なのは、過去の惨劇を前提とした努力の元なのだ。 
第一、今回の任務もまだ、これ以上の犠牲を払わずに遂行できるかどうかも分からない。 
できるか?と言われれば、分からない。だが、既に任務は命じられている。 
だから千歳は犠牲なく任務を遂行できるなら、迷うコトなく身を捨てるだろう。 
そして。 

今回、千歳に同伴している根来は、任務遂行の為なら味方すら犠牲にする戦士である。 



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