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第07話 【豆】とうふ



勤務初日というコトで、千歳はチャイムと同時に食事をするよう他の社員から促された。 
不慣れな仕事に対する疲れを気遣っているのだろう。 
千歳はとりあえず承諾した。高峰への聴取は午後でもいいだろう。 
雛咲という女性事務員に先導され、まず、ロッカールームで弁当の包みを取り出した。 
そして雛咲は千歳を食堂に案内すると、「仕事がまだありますので」と事務所に戻った。 
いきおい、千歳は一人で食堂で入るコトになったのだが、いつの間に来ていたのか。 
食堂の端に根来がいた。 
もちろん彼らしく、部屋の中で一番日光が当たらない場所に一人でいる。 
そして小鉢を前に置き、中にある何かをつついている。 
千歳は一瞬、その美貌に戸惑いを浮かべたが、すぐに歩みを進めた。 
ドアから根来までの距離は、歩数にして大体20ほど。 
イスの林の中で近づきつつある足音に、鋭すぎる聴覚を持つ根来が気づいていないハズは 
ないのだが、しかし彼は一瞥もくれず膳をつつくのに没頭している。 
それは、千歳が彼のすぐ横で立ち止まっても変わらなかった。 
「横、いいかしら」 
「席は他にも空いているだろう」 
ただ独り言のように根来は答えた。 
事実、食堂はまだがらんとしている。原因は休憩時間のズレにあるのだ。 
根来たちのような事務員ならば正午からの休憩になるが、工場内でDAを作っている従業員 
たちはだいたい午後一時からの休憩となる。また事務員でもいろいろ忙しく、正午すぐから 
休憩というのは稀である。 
なので、食堂に人影はまばら。座る場所は根来の言う通り、他にも空いている。 
もっとも、空いているから他の所へ座れといいたいのか、ただ事実だけを告げているのか。 
少なげな言葉では判じがたい。 
ただ根来は千歳に目もくれず、忙しく箸を動かしている。 
何に対してそうしてるのかと千歳がみれば、それは豆腐だった。 
ネギとかつおぶしと生姜がまぶされた冷奴。100円の食券で買える冷奴。 
大人の中指ほどの高さの白い小鉢の中にあるそれを、根来はさきほどより、無表情でちょん 
ちょんとつついている。 
よくよくみると、ただつついているのではなく、彼なりの決まりに則って崩しているのが窺えた。 

よくよくみると、ただつついているのではなく、彼なりの決まりに則って崩しているらしい。 
豆腐はすでに、上から半分までが削られている。ただし、どういう工夫をしたのか、本来豆腐の 
上に乗っている生姜やネギが、まるでだるま落としにでもあったように、元の姿のままで削ら 
れた部分に乗っている。 
そして小鉢の内側の間には、ほぼ1cm角の白くぬらりと光る立方体が残り少なく並んでい 
て、根来がどういう食べ方をしたか、ひどく想像しやすい。 
ともかく、千歳は座った。 

千歳と根来の関係といえば、「同じ組織にいる」だけの希薄なものであり、親交はない。 
共に一時期、再殺部隊という極めて小規模なグループへ属していたが、それでも会話らしい 
会話は特になかった。 
だが千歳は、電車の件以来、根来に興味がある。 
もとより憧憬に似た感情がなかったワケではないが、今は多少の親近感が混じっている。 
無表情と冷然が基本の二人だからこそ、その根幹が全く同じかどうか、知りたいのだ。 
千歳の場合は、今でこそクールに見られ、彼女自身もそうあろうと務めてはいるが、奥底で 
は時々、まだ涙を流せた頃の瑞々しい情感が首をもたげるコトがある。 
たいていの場合はやはりというべきか、子供が関わるコトだ。 
例えば、電車の中で子供を見た時。 
例えば、防人の武藤カズキという少年に対する一挙手一投足。 
例えば、自分が遠因となった惨劇をただ一人生き延びた津村斗貴子の未来。 
それらを思うたびに、心はしっとりと濡れ、無表情ながらに突き動かされる。 
千歳のそういう内面は、彼女と過去を共有している防人や照星や、火渡以外では、知る者は 
いないだろう。 
果たして、根来はどうなのか。 
同じような情感を内に秘めているか、千歳は非常に興味がある。 
電車で子供に席を譲ったのは本当に下準備を優先したからなのか、それとも外見からは伺 
い知るコトのできない親切心がさせたのか。それを知りたい。 
知ってどうなるか。分からないが、人間が人間に抱く好奇心というのは結局、突き詰めてしま 
えばそういう分かり辛いモヤモヤが原動力になっていて、様々な関係を形成していくのだろう。 
寡黙な千歳は、とりあえず手近な話題を選択した。 

「差し出がましいようだけど」 
「何だ」 
根来は箸先にぐぐっと力を込めた。豆腐は真っ二つになり、薄黒いしょう油が裂け目から見えた。 
「もっと食べた方が。それだけじゃ──…」 
どうも千歳のみたところ、根来の食事風景は貧相すぎる。 
入院中の防人でも、もっと豪勢な食事を摂っているのだ。時おりフラリと病院を抜け出しては 
馴染みのハンバーガーショップでこっそり色々食べて、医者に怒られたりしていたりもする。 
戦士長だった頃は力強く若い戦士を導いていた防人だが、一歩戦いを離れればすぐ上記の 
ような馬鹿げたコトをやらかす所がある。 
良くいえば、力の抜き方を知っている。悪くいえば、子供っぽい。 
しかし悪くいった所で、それが結局、彼へのとっつきやすさとか可愛げとか、そういう美点に 
変わってしまう。もし千歳が仮に、「馬鹿げたコト」の後始末をさせられたら、怒るどころか、普 
通の男女の関係をふと感じてしまいそうな人徳が防人にはある。 
もっとも、根来にはそれら全てがない。 
「足りる。豆腐には滋養があるのだ。加えて、私の担当は座り仕事で、体を動かさない。多く食べ 
る方が悪かろう」 
相変わらず手短で機械的な調子で、人間的な情緒が感じられない。 
食事に対する考えは、楽しむというよりは車にガソリンを入れるような感覚があるのだろうか。 
その辺りを突っ込めば、「人間は養分を取らねば死ぬのだ。だから食べている」と、ごく当た 
り前だが、原始的で面白みのないコトを根来は無表情で答えるだろう。 
朱塗りの箸が、割れた豆腐の片方を規則正しく解体し始めた。 
手つきは慣れたもので、瞬く間に豆腐は角砂糖のような形に分解され、浅いしょう油の池に 
くずおれた。外周にこぼれた生姜のツンとした匂いが千歳の鼻をつき、空腹感が促される。 
「更に──…」 
「更に?」 
根来は箸を置き、厨房の方へ歩いた。調理員との必要最低限のやり取りが千歳の耳に届き、 
やがて根来は、ほかほかのごはん入りの茶碗を持って戻ってきた。厨房近くにある食券の 
自販機に目もくれなかった所を見ると、豆腐用の食券を買ったときにごはんのそれも購入し 
ていたのだろう。 
「一応、私は米も食べる」 
茶碗を机に置くと、根来は崩した豆腐をドバっとかけた。 

更に、崩れてない方の豆腐に乗っているかつおぶしを、上からかけた。 
二人の目の前で、ほかほかした湯気にかつおぶしがうねり、踊っている。 
千歳の口の中で唾液が分泌され始めたのを、誰が責められよう。 
しょうゆまみれのつぶつぶ豆腐とご飯。 
口に入れれば、まずは瑞々しくもしょっぱい感触が広がり、ついでご飯の甘みが、それらを引 
き立てる。 
根来は更にネギもかけた。 
しゃくしゃくと小気味よい歯ごたえは、口内において独特の辛味と風味を醸すだろう。 
「米だけでは味気ない。よっていつもこうしている。時間を空けているのは」 
「冷めると味が落ちるから?」 
「無論だ」 
千歳の白い喉がゆっくりと上下に揺れた。唾液を飲んだのだろう。やや扇情的な仕草である。 
箸が茶碗に伸び、ごはんと豆腐の入り混じった塊を根来の口へ運んだ。 
その表情は三白眼のままモサモサしている。 
こだわっていた割には、まずいモノでも食べているような表情だ。 
やがて根来は(とりあえず一口につき30回ほどの手早い咀嚼で)食べ終わった。 
そして、崩れていないほうの冷奴も同じように食べ終わると、ウーロン茶を一杯、飲み干した。 
いつからそこにあったかは分からないが、あるのだからあるのだろう。 
これにより、口の中に残った辛さや水っぽさやご飯つぶが一気に胃の腑へ流し込まれ、爽快 
な後味が残る。 
と根来は説明し、コップを置いた。中で氷がカチリと鳴った。 
そして律儀に手を合わす。その姿は、印を結ぶ忍者を彷彿とさせる。 
「ところで貴殿は戦部についてどう思われる」 
「どう、って?」 
千歳の記憶では、戦団においてホムンクルスの撃破最多数を誇る戦士だが、それに対する 
感想は「羨ましい」ぐらいしかない。会話も根来同様あまりなく、一度「彼の依頼したホムンク 
ルスの死骸が戦団から届いた」という言伝を火渡経由でしたぐらいだ。それを何に使うかは 
多少の興味があるが、聞くのは会話の流れにそぐわないようで、返答に窮した。 
根来は空になった茶碗に目をやり、続ける。 
「ホムンクルスを食す性癖についてだ。食べるだけであればこの程度で満足すべきなのだ。 
ああいう大仰な真似をせずとも、充分補える。分量も味覚も活力も」 

と言われたところで、千歳には答えようがない。 
「………」 
男性の食事風景というのは、防人や火渡や、戦部のように、豪快に喰い散らかすものだとい 
う観念がある。しかしどうも根来は、女性でもしないような食べ方をする。几帳面というよりは、 
病的なまでに神経質だ。 
そういえば、「なぜ食べる」かについては冷淡なまでの合理性が見え隠れしていたが、「どう 
食べるか」に関しては、割と無駄な部分がある。そうではないか。豆腐を崩してごはんにかけ 
たいなら、箸で適当にひっかきまわせばいい。 
合理にこだわるなら、「口に入った食料は歯ですり潰されて唾液でデンプンが分解され、食 
道を落ちれば胃の腑でドロドロに溶かされてしまう。だから食べ方はどうでもいい」という結 
論に至るべきなのだ。 
だから、いちいち食べる前の豆腐を規則正しく崩す必要はない。 
では根来の食べ方は、彼なりの食を楽しむ方法で、そういう人間味をやはり持っているのか。 
というか考えてみれば、豆腐について話すよりは、工場長の話を元に細かい打ち合わせを 
展開すべきだった。 
などと千歳が反省を含みつつ分析していると、不意に声が掛かった。 
「貴殿は食べないのか」 
「……ホムンクルスを?」 
千歳はちょっと、間違った。間違えつつも表情は凛としている。 
「いや、昼食の話だ」 
ああ、という顔で千歳は弁当の包みを見た。 
どうも考え事や豆腐のせいで、会話の骨子を見失っていたらしい。 
しかし、寡黙な根来がわざわざ話題を展開してきたのは何故だろうか。 
分からないが、千歳は包みを取り、弁当箱開けた。 
つつしまやかなもので、楕円形の箱の中には、筑前煮とレタスとご飯が入っているだけだ。 
「貴殿の細い顎では、逆に砕けかねないな」 
根来は笑った。もちろん弁当の中身ではなく、千歳がホムンクルスを食べた場合の話にだ。 
冷静に見える千歳の間違いがおかしかったらしい。 
が、表情の変化は乏しい。 
平素の無表情との差は、真一文字に結んだ唇の端が微かに吊りあがっている位の、静かな 
笑い方だ。微笑というよりは、獲物を見つけた鷹の、一瞬の顔の引きつりのようだが、根来 
の中では笑ったつもりなのだろう。そも、笑うという行為は獣が牙を…まぁいいか。 

根来の顔の変化をじっと認めると、千歳は弁当に目を落とし、ひっそりと呟いた。 
「あなたは笑うのね」 
根来と千歳の決定的な違いといえば、そこなのだろう。 
「?」 
根来は疑問符を浮かべたが、すぐいつもの無表情に戻った。 
「話は変わるが、この工場の中にホムンクルスがいるのに貴殿は気づいているか?」 
がらんとした静かな食堂に、厨房からの雑談が微かに響く。 
油で何かを焼いているようなジュウジュウという音や、水糊のような炊飯の匂いも漂っている。 
ごくありきたりの光景だが、ホムンクルスがその近くにいる。 
千歳は食事の手を止めて根来を見た。 
表情こそ変わらないが、見据える瞳には疑問と緊張が浮かんでいる。 
工場に来て自己紹介をし、仕事に少し触れただけで、調査らしい調査はまだなのに、何故? 
という感情を汲んだのかどうなのか。 
「疑うならば調べればいい。火渡戦士長も貴殿の調査には信を置いている」 
根来はかつての上司の名前を挙げた。 
火渡と千歳と毒島以外の再殺部隊の面々が、ヴィクターIIIという標的を追跡している頃の話に 
なるが、そのヴィクターIIIの目的地と思しい場所の調査をしたいと千歳が火渡に申し出た事が 
ある。 
何かと他の戦士に攻撃的な火渡はこう答えた。 
「そーいうのが得意だろ、調べたきゃ好きにしな」 
彼にしては柔らかい口調である。しかもすんなりと許可していた。 
かつての同期だったのを差し引いても、火渡が千歳の調査能力に評価と信頼を寄せている 
のはまず間違いない。 
「ゆえに調査は任せる。見当がつかぬのならば、まずは」 
根来は低い声で、”ある物”の有無を警察に問うよう促した。 
千歳は瞬きを数回した。理解はしたが納得しきれてない風がある。 
「……確かに、ホムンクルスなら押収されないでしょうし、されていても、もう消えていると思う 
けど……… でも本当に」 
「いる。正確には信奉者の可能性もあるが」 
信奉者、というのはホムンクルスになる事を望み、ホムンクルスに力を貸す人間の名称だ。 
「確かにこの工場に潜り込んでいる。よって──…」 
根来は立ち上がった。 

「私は奴を見張る。その間、貴殿に調査を任せる」 
ホムンクルスを斃すコト自体は容易いが、しかしそれが麻生部長を殺した者という証拠がな 
ければ戦団も工場も納得しないだろう。 
以上のようなコトを告げると、トレーを持つとさっさと歩いていった。 
足音一つ立てないあたり、忍者の末裔と目される彼らしい。 
(でも、あの時、あなたは居たの?) 
根来を見ながら千歳は首を傾げた。確かに火渡に調査を申し出て承諾を得はしたが、その 
時根来はヴィクターIIIを追撃していたはずではないのか。 
どうも色々な謎が多くなってきた。 
もう一つ奇妙な事がある。根来の靴だ。遠目からだが靴は見たところ普通の革製で、真新し 
くピカピカ光っている。足音をしない事を訝ってそれを見た千歳は、事前に聞いた情報と、工 
場までの道中で見た光景を頭の中でつき合わせて、また疑問が浮かんだ。 
もっとも根来ならば既に施していても不思議ではないが、どうやっているかが千歳には見当が 
つかないコトだ。 
ともかくそれらは、調べる他ないだろう。 
信頼されているのは、かつてのミスがあってこその能力だ。 
千歳の経験則からいえば、戦いの舞台や相手、もしくは自分やその仲間について熟知して 
いれば、いざという段において動揺せず、ミスもせず、確実に任務を遂行できるハズなのだ。 
敵を知り己を知らば百戦するも危うからずだ。 
だが、今回の任務においては、パートナーたる千歳の調査不足や、判断ミスで根来の能力 
が発揮されなくなるコトも、充分にありうる。現に7年前は、防人、火渡、照星という、攻撃力 
ならば戦団において上位に入る戦士を3人も部隊に擁しておきながら、惨劇が起こってしま 
った。 
それは二度と、もちろん今回の任務でも犯したくない。 
例えいかなる災難が身に降りかかろうと。 
弁当を食べつつ、千歳はそう思い、可能にするべく段取りを考えた。 
それが終わると最後に、根来の貧相な食事風景を思い出し、彼に何か弁当を作ってみようと思った。 



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