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第08話 【聴】きく



戦団には犬飼という、根来と同い年(二十歳)の青年がいる。 
普通、これぐらいの歳の若人なら大抵は大学生活を満喫している。 
夜ともなればチャンネーをはべらせてザギンでワッハッハッハとスーシーを喰いたくってもいる。 
んでまぁ、自宅にてチャンネーに擦り寄られ「大好き(はぁと」などと囁かれ、一種の酩酊状態 
になって、あとはもう、乱痴気である。 
その瞬間は、入籍だの養育だの、大好きっつー言葉が一過性のものに過ぎず、冷めてしま 
えば修羅場の火種になりかねない危険な物だとか、あと、裏庭で伸び盛って今にも電線を寸 
断しそうな柿の木の始末だの、諸々の処理すべき現実的課題などは鎌首をもたげる情欲の 
向こうに吹き飛ばすのが常なのだ。 
そこでグっとこらえてチャンネーが帰った後に片栗粉Xでも使えば、前述の問題はまず回避 
できる。柿の木に片栗粉Xを撒けば、伸び盛った枝葉はみるみるうちに枯れ果てるからだ。 
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。柿の木めが枯れおった。まだまだ未熟じゃのう」 
と祖父がやっていたから間違いない。 
その後、柿の木の撤去の為に電力会社から来たという、年配の作業員の方が呟いた。 
「うぬらの秘儀、とくと見せてもろうた!! 返礼としてその素ッ首、叩き落してくれようぞ! 
見よ! 見よ見よ見よ! 我がモヒカン剣法はっ、三里先の烏も屠る大奥義ぃー!!」 
彼は三尺五寸ばかりの日本刀をきらり抜きつれ飛びすさり、ああっ、モヒカン剣法! なんと 
いう魔剣であろうかッ!!  
筆者の眼前に銀光がぴかぁっと一閃するやいなや、あわれ祖父の生首は青空に舞───
…………日記はチラシの裏にというのが昨今の2chにおける全体的な風潮であり、筆者が 
敬愛してやまぬ熊先生も声高に主張しているゆえこれ以上は避けるが、ともかく、そういうド 
ラマと消えない悲しみを内包した片栗粉Xを使えぬのは人間の、いや、粘膜が湿り始めたオ 
スとメスの難しさといえるだろう。 
しかし犬飼は違う。 
せいぜいが、夜の奥多摩の更に山奥で、飼い犬相手に犬笛を吹いて喉笛を掻き切られるの 
が精一杯。甘く切ない体験など一切ない。 
根来も然り。 
そういう甘やかなる感情があるかどうか、千歳には見当がつかない。 

更に分からないのが、彼の「ホムンクルスが工場にいる」という言だ。 
実際の所、頭を悩まして考えるよりは根来に直接聞いた方が早いだろう。 
というコトで、千歳は根来に電話した。彼が携帯電話を持っているのは忍者じみた風体から 
すれば以外だが、昨今の情報化社会をかんがみれば、戦団からの支給品として根来が持っ 
ているのは当然といえよう。そして番号の方は、任務を仰せつかった時に聞いている。 
で、かけた。出た。犯人が誰か知っているならいうよう促した。 
「貴殿が気づいていないのならそれで構わぬ。既に奴の監視に移っているが、私の見立てが 
外れていれば、貴殿は要らざる先入観に振り回されるだろう。確実性を重んじるのならば、 
平素と同じくやればいい。ただしホムンクルスの件、ひとまず大戦士長の方には報告しておいた」 
手短に答えられた。 
(一理あるわね) 
千歳は携帯をぱちりと閉じると、先の考え通り行動するコトにした。 

人が入り始めた食堂や、まだ仕事をしている人間のいる事務所は事情聴取には不向きだ。 
よって、高峰という、麻生工場長を最後に見た男性への事情聴取には工場長室を借りた。 
ここならば人払いが容易にできる。 
しかし高峰も第一発見者になったという程度の立場なので、事件について新たに分かったコト 
は特になかった。ひとまず、何か思い出したら言うよう頼み、次に事務所で働いている人間た 
ちの細かな情報を伺った。 
「え、事務所だけでいいですか。必要だったら工場の方の人も」 
「いいの。私の同僚の口ぶりだと事務所だけでいいはずだから…」 
工場内(事務棟と工場は実際離れているが、便宜上ひっくるめてある)にホムンクルスがいる 
といった根来だが、千歳とまったく別行動を取っていたワケではない。正確には、食堂に行く 
僅かの時間、彼がどこで何をしていたかは分からないし、彼の聴覚はズバ抜けているから、 
千歳の思いもよらぬ情報を掴んでいるかも知れないが、千歳の目や手の届く範囲で、ホムン 
クルスに通じる証拠を掴んだ可能性の方が高い。と考えるのが普通だろう。ならばと千歳、 
まずは事務所の人間から調べるコトにした。 

「……まさか。麻生部長を殺した人がここにいるんですか」 
どうしていいか分からないといった感じで、まだ若くて抜け毛の心配もしなくて済みそうな高峰 
はぼつぼつと事務所で働いている人間について話し始めた。 
以下はそのメモ。 

・事務所で働いているのは、根来と千歳を除いて全部で6人。工場長は時々顔を出す程度。 
・↑はこれくらいの規模の工場では少ないようだけど、部品の納入や製品の出荷といった重 
要で負担の多い業務は、工場に設けられた事務所(社員の間では略して『工事』と呼ばれて 
いる)でやっているので、こちらの事務所ではそれ以外の、経理や事務といった作業を細々 
とやっている。よって6人でも今の所はどうにか手が回っている。 
・働いている人間の名は、以下の通り。 

天倉 啓 … 副部長。主な担当は外部倉庫の管理。『工事』から一時的に預けられた部品 
や製品をチェックし、そこから工場に送る物があればトラックの手配をする。外部倉庫の賃 
貸料の支払いも彼の名義で、条件のいい倉庫を探すのも彼の役目。麻生部長との仲はご 
く普通の上司と部下。ただし、麻生部長亡きいま、部長に昇進できるのも彼である。 

立花 無月 … 主任。給与計算を担当。なので麻生とは、残業についてコトある毎に対立 
していた。酒席において何度か気息奄々で穏やかならざるコトを口走り、それが元で一時は 
警察に疑われていた。しかしアリバイがあり、警察からの嫌疑は晴れている。 

高峰 純正 … 麻生部長失踪の第一発見者。普段は、生産に必要な部品に対する、実際 
の部品の多寡を調べている。麻生とは個人的にも親交があり、一見すると仲は良かった。 

雛咲 久美 … 事務員。伝票処理を主に担当。よく仕事が辛いと愚痴をこぼすのが癖。    ロ 
千歳を食堂に案内した女性。高峰の言では麻生に対しては片思いしていたのではないかと  ゴ 
いう。                                          影抜忍者出歯亀ネ 

久世屋 秀 … 事務員。取り立てて特徴のない、平凡な社員。しかし子供っぽい外見の割 
りには手堅く事務作業を片付けていくので、その辺り信頼は厚い。麻生からもひどく信頼され 
ていて、良く応えていたらしい。 

桐生 亜佳音 … 事務員。といっても今年女子大を卒業したばかりの新米で、よく失敗を 
やらかす。そのせいか8月になってもまだ研修中で、電話番や掃除をやっている。何か失敗 
した時には麻生が何かとかばっていたから、彼女はひどく尊敬していたようだ。 

以上のメモをまとめると、千歳は気づいたコトを率直に述べた。 
「…ところで、課長さんはいないのね」 
「あ、課長はここだけの話ですね」 
高峰がいうには、少し前まで逢坂という課長がいたのだが、会社の金を使い込んでいたのが 
バレて、首になったらしい。 
生前の麻生は、人材発掘に人一倍熱心だったから、後任を誰にしようか張り切っていたが、 
決まる前に例の事件が起こり、今も後任が決まらず、空白となっているらしい。 
「そういえば、逢坂課長を一番怒っていたのは麻生部長でしたが……」 
だとすると、怨恨を抱く動機にはなりうる。 
千歳も気になったが、しかしその逢坂が犯人だとすると、根来の「ホムンクルスがいる」という 
言とは食い違ってしまう。根来が午前中に見た人間のほとんどは、千歳が見た人間である。 
だから逢坂という、既に会社をクビになって姿かたちも見えない人間は、千歳の前提からは 
大きく外れている。 
思慮に沈みかけた彼女の前で、高峰はハっと大声をあげた。 
「あ! そうだそうだ。千歳さん。さっき何か思い出したらって言われましたよね。実はですね。 
最近、夕方になると山の方から奇妙な声がするんですよ。鳥みたいな、人間みたいな不気味 
な叫び方の。みんなは事件とはあまり関係ないって言うんですけど、調べられますか?」 
千歳は頷いた。 



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