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フィソステギア (4)



さて視点は横浜の女学院地下に移る。

「ゴメンなさいね。大したおもてなしもできなくて」
「その」
「今日はね、いつものハンバーガーとあと、…ジャーン! なんとサラダを買ってきたりしたけど、お口に合うかしら」
「…はい」
「そう。良かったわ。あ、でも若いのに野菜が好きって、偉いわね剛太君」
「…はい」
壁一面に脳みそがびっしりな部屋で、剛太は困惑しきっていた。
目の前には、頭をフードつきの兜(ヘルム)に覆われたセーラー服の少女が一人。むろん、女学院の生徒である。
ルリヲヘッドという兜に操られ、ちょうど最寄のハンバーガーショップから帰ってきた所だ。
ヴィクトリアからの電話があった翌日より、剛太はルリヲヘッドを解除され、食事時にはこんな光景が繰り返されている。
剛太としては色々突っ込みたい。
食料調達の為に生徒を操っていいのかとか、街中じゃ目立って色々マズくないかとか代金はどこからとか、中華街が近く
にあるのになぜハンバーガーを買ってくるのかとか、ジャンクフードは嫌いだとか、多少ときめいたがジャーンはどうかとか
───穴倉の中、斗貴子の結婚にひたすら欝になって抜け出せない自分が情けない、とか。
だがそれらを口にしようとするたびに、アレキンサンドリアは嬉しそうに色々と話しかけてくる。
彼女は彼女で、100年も他人との交流がなかったから人寂しいのだろう。
ちなみに、アレキサンドリアにとっちゃ生徒操るのは茶飯事で、街中で浴びる視線はなんだか100年間引きこもっていたスト
レスをぎゅんぎゅん昇華してくから脳内麻薬出まくりで気持ちいいし、代金は実家から持ち出してた金品を古道具屋に売って
調達したし中華は持ち帰れる店が少ないからハンバーガーの類を買ってるし、剛太の好き嫌いは記憶ともどもスキャンしたけ
どちぐはぐに覚えてて、ジャーンは素で言ってのけたし、懊悩する剛太に対しては、しばらくゆっくりした方がいいと思っている。

不気味な仮面つきのセーラー服が、剛太が食べやすいようにとハンバーガーの包みを開けたりしてくれる。一体何のプレイなのか。
ちょうどこの時も、サラダのレタスにフォークを刺して「はい、あーんして」などとアレキサンドリアがのたまった所だ。
「自分でやりますから!」
剛太はフォークをひったくり、レタスを口に突っ込むと、どんより顔で咀嚼した。
どうも調子が狂う。だが買ってもらったものを無下に断れない。
何かを買ってもらう、というのは幼い頃に両親を失くした剛太には貴重な体験だ。
戦団の養護施設育ちだから、彼だけに何か特別に買ってもらうというコトはなかったのだ。
だから内心文句をつけつつも、買ってもらった物を食べている。
そう、今はレタスを。10ccほどの野菜用洗剤をシンク一杯の水に溶かして → そこに30分ほど浮かべて殺菌完了!
なレタスを、そしゃりそしゃりと食べている。
材料的には各種ハンバーガーの余り物で、コーンとピーマンとドレッシングぐらいがこれ専用のサラダだが、意外に旨い。
その様子を仮面セーラー服はじっと見ている。視線に気づいた剛太が見返すと目が(仮面に隠れて見えないが感覚的に)合った。
「い、いえね」
アレキサンドリアは口ごもり、言い訳をするように呟いた。
「ヴィクトリアに弟がいたらこんな感じかなーって」
「………」
二人の前歴を知る剛太にとってはやや重苦しい話題だ。沈んだ気分がまた沈んだ。そういう自分がどうも嫌だ。
(ほんと何やってんだろ俺。ちっとも進歩してねぇ。けど──… 旨いなぁ……)
しかし不思議とこの脳みそが見える部屋で摂る食事は、剛太にとっておいしい。
様たるやまさにヒモ。恋に破れて未亡人にたかるろくでもないヒモ。クズめ。

話の流れとは関係ないが、ここでハンバーガーの作り方について説明しようッ!
1.パンに焼きたてのパティ(ハンバーグの字【あざな】だ。本名は捨てた)を乗せる。
2.そこにマスタードを5g塗って、10gほどのオニオンをぱらつかせる。
3.ディスペンサーという筒でケチャップを、下痢便のよーな音を立てつつ右回りのらせん状に塗る。
だいたい6〜7gほど。最後にパンを乗せて完成。

ちなみにパンは専門用語でバンズといい、上下の略称は上バンと下バンだ。
一袋8個入り。朝、ででんと配達される赤いケースたちには3袋ずつ入ってる。
が、それじゃ何かとスペースを喰うので9袋詰めに変えてから厨房に置く。
あと、バンズを焼くトースターを置くステンレス製の3段ラックが厨房にあるが、その下2段には袋のままバンズを入れる。
満タンだと上下あわせて大体56袋ぐらい。忙しい時はそこから銃弾のように袋がなくなる。
繰り返すが当節は夏休みだ。「休」とつく日でサービス業が忙しくないのは定休日と、一休さんの命日ぐらいなものだ。
つまり11/21。
平賀源内がブタ箱にブチ込まれた日で、日清戦争の旅順攻略の日で、ジミー大西がダーマ神殿にて画家へ転職した日だよ。
戦部とヴィクトリアのやりとりが佳境に入った頃、さてやさてや、バイトの鑑と無愛想。ねいりゃさよはたて、しせいぎうがっていみいのぎ。
訪れた暇を来るべき忙しさへの備えに充てていた。
具体的にはバンズの補充や冷凍品の解凍とか油の交換とかだが、つまびらかに書いていると際限がないので省く。
ただ、無愛想をからかいに来店した軽そうな男が「邪魔スルナ!」とばかりにカウンターの奥に引き込まれ、鉄拳を雨あられ降らされ
チェスをしていた若人二人を呆れさせていたという「アニメじゃ確かやってない部分だから分かる人にしか分からない」コトだけを付記しておく。

閑話休題。

「…どういう必要があるっていうのよ」
質すヴィクトリア。
そこへ戦々恐々の体でバイトの鑑がラッシー(Mサイズ)を運んできた。先ほどの男はカウンター近くで痣だらけだ。
戦部は豪儀なコトに、ラッシーのフタを外して氷ごと一気に流し込んだ。
「言っただろう。俺は、戦いたかった連中のコトを調べたと」
強固なホムンクルスを咀嚼できる顎の強靭さは推して知るべし、話す戦部、氷をばりばりと噛み砕きつつ。
「調べたのさ。ヴィクターIIIだった武藤カズキのコトもな。そして──…」
差し出されたのはあの本だ。ヴィクターについて書かれた戦史。目を留めたヴィクトリアはハっとした。
父のコトを読んで力が抜けて、彼女は全部を読んでいない。

「これに記しておいた。読んだかどうかはともかくだ。今一度」
「読む訳がない。アイツのコトなんか別に知りたくなんか」
きゅっと唇を噛み締めるヴィクトリアはまったくもって影が濃い。
「そうか。なら単刀直入に説明してやろう。アイツは、お前が渡した核鉄で死を免れた。
そして身内や友人のために戦い続け、一つの学校を守った」
「で、パパと戦ったんでしょう」
そこは知っている。千歳や剛太の記憶をスキャンしたアレキサンドリアから聞いている。
「パパが悪者でアイツはヒーロー。──同じだったのに」
同じように他者を守るためだけに戦い続け、同じように異形になったのに、ヴィクターだけが、父だけが死んだ。
まったく無縁の男を生き返らせた所で何の得になるだろう。カズキが大人しく死んでいれば、あるいは。
「もう、帰る。そんな話なんか聞きたくない。聞く必要なんか──…」
「ヴィクトリア。ホムンクルスはな」
席を立ちかけた瞬間に名前を呼ばれ、ヴィクトリアは少し動きを止めた。
「以前(まえ)にもいったが、エサ場として学校をよく狙う。だから戦団は学校に網を張る。だが」
「……」
「俺はそれに参加したコトがない。どうも興味が薄いからな。根来も円山も犬飼も毒島も、再殺部隊はみなそうだ。
戦団のしたがる守りの戦いがまるでできない連中さ」
ことり、と岩肌のような手が紙カップを置いた。
ヴィクトリアは見下ろしていてもまだ胸ほどまである大男が、ある種の化物に見えてきた。
そうであろう。先ほどの狩り云々の質問もそうだが、戦部はどうも戦士からぬ言動が目立つ。
同種同族の人間が喰われて命を落とすと知りながら、「興味が薄い」の一言で片付けている。
災厄を撒くホムンクルスに対する感想は「強いかどうか」であって、そこに義憤や使命感はまるでない。
しかしだからこそ、ヴィクトリアと一つ机でまっとうな食事ができるのだろう。
それは突き詰めれば矛盾がでるが、ホムンクルスを糧にする戦部の性質のせいか。
ホムンクルスの血肉は喰った人間のそれであり、またホムンクルス自体も元を正せば人間である。
ならば戦部は極めて間接的にだが、人喰いをしているという見方もできる。

そして直接的、ありのままに戦部を評すならば、彼は異質極まりない「食」を日常にしている。
ひょっとすると、魚や肉を食べる人間が他者のそれを見るように、戦部は人喰いを見ているのではないか?
あるいは、現役最多のホムンクルス撃破数を誇りながらも戦士長になれず、奇兵扱いの再殺部隊に配属されたのは
そういう倫理的な問題を戦団が考慮しているからではないか?
そんな色々な考えがヴィクトリアを過ぎっていく。
「まぁ、守った守れなかったは俺にとってはどうでもいい。しかし、武藤があの場におらねば──…」
戦部はアゴに手を当て、「事実だけをいうぞ」と生真面目に前置きし、続けた。
「お前の父は学校の生徒を食い尽くしていただろうさ。繰り返すが、武藤はお前の渡した核鉄で蘇った男だぞ」
戦部のいわんとするコトが、ヴィクトリアは初めて理解できた。
彼が伝えたかった「必要なコト」の意味も。
と同時に、ひどく力が抜けた。筒に通した金髪が緩やかに滑り落ち、椅子に体を預ける形になった。

恐怖と戦い、厄災をはね除け、より多くの人が幸せになれるよう──

そう呟いたヴィクターが、100年眠り続けて起きた瞬間、無辜の人間たちを殺す羽目になったらどうしただろう。
ヴィクトリアが人喰いをしたと知るよりも激しい憎悪を、自身に向けたに決まっている。
だがそれは、アレキサンドリアとヴィクトリアの手中にあった核鉄でからくも避けられた。
避けられたといっても、それは大きな悲劇の中の小さな偶然にすぎない。
不幸中の幸いなどという言葉で慰められるほど、一家は軽々しい道を辿ってはいない。
それでも、ヴィクターの憎悪は一つだけ減った。
…100年かけてたった一つ。
ヴィクトリアは。
静かに額へ手を当て、そのまましばらく俯いていた。
戦部はじっと、外を見ていた。

翌日。彼らは横浜駅にいた。
旅は、始まりと同じように突如と幕を降ろした。
戦部の旅の目的は、結局、ヴィクターの件をヴィクトリアに話したいだけだったのだろう。
話そうと思った動機は、戦団のせいで父を失った少女への贖罪のつもりだったのか。よく分からない。
ただ戦部、

──あれはどうも俺らしくなかった。

と後々、再殺部隊の面々に頭を掻きつつ話したところを見ると、贖罪だという自覚はあったらしい。
戦史(とその中心人物)を調べる戦部の「慰み」が、ヴィクトリアにとってもそうだと思い込んでの贖罪だと。
そしてもう一つ、真顔でこうも付け足した。
「まぁ、食事は勝手に付き合わせたワビ代わりさ。しかしたまには普通の食事も悪くない。
どうだ犬飼、今度一献付き合え」

ヴィクトリアはどうか。
別れ際、戦部は「いずれ戦団に復讐するつもりなら、俺と戦え」とまたもや定型句じみたセリフを吐いた。
ヴィクトリアは少し黙った。何かを考えていたらしい。
「あなたとなんか戦う気はないわよ。断ってもどうせ勝手に来るでしょうけど」
やがていつもと同じような冷然たる笑みを浮かべると、彼女は帰途についた。
帰るとそこでは、仮面セーラーが剛太といっしょにおはぎを作っていた。
ヴィクトリアはコケた。手にしていたみやげ物を全てブチ撒けつつ、盛大にコケた。
「何をしてるのよママ」「おはり作ってるのよ」「いやおはぎですって」「そう、おはりを」
そんなこんなで、まずおはぎを食べた。食べ終わると剛太は帰る旨を告げた。
アレキサンドリアはあれこれと引きとめたが、剛太の意思が固いのを知ると
「じゃあいつでも遊びに来てね。そだ、ヴィクトリア、疲れてる所悪いけど、送ってあげてくれる?」
と名残惜しそうにいった。ヴィクトリアは不承不承頷いた。

女学院の正門近くで、剛太は間を持て余していた。
同行しているのはホムンクルスだ。それも極めて目つきの悪い、性悪の。
剛太を正門前まで送った後、帰ろうともせずじっとしている。相変わらずの仏頂面だ。
なぜか少し険がとれたように見えるが、その理由は察しようがない。

ただなんとなく、見送ろうとしているのかと思った。しかし何もいわずに去るのもやや抵抗がある。
「──そだ。アレキサンドリアさんに伝言を頼めるか?」
探し出された話題に、意外そうなツリ目の視線が刺さる。
「またさ、来れるときには来るって。ジャンクフードは嫌いだけどサラダは好きだって」
頼みつつ、内心は恐々だ。ヴィクトリアの戦士嫌いは知っているから、何をいわれるか分かったものじゃない。
「…別にいいわよ」
「へ?」
目が点になる剛太に、ヴィクトリアの冷たい声が浴びせられる。
「別にいいっていったのよ。ママがいいっていうならいいの。悪い?」
悪くはない。思わぬ反応に、軽い気質の剛太の舌は一気に滑らかになった。
「そのさ」
「何よ」
「お母さんってさ、いいよな。頼みもしない物を買ってきたりするけど、でも一生懸命で、いいよな」
「………うん」
でれでれと笑う剛太につられたように、ヴィクトリアの唇も綻んだ。
「だから、俺がいうのもアレだけど、大事にしてやらないと駄目だと思う」
そして剛太は去った。
見送るヴィクトリアは嬉しかった。
脳だけのアレキサンドリアが「お母さん」と呼ばれ「いいよな」ともいわれたのだ。
嫌悪していた戦士の言葉を素直に受け止めれたのは、旅のおかげかもしれない。
何年ぶりだろう。
ヴィクトリアは本当に久しぶりに満たされた気持ちになれた。

「ただいま」
「おかえりなさい」
部屋に戻ると、ヴィクトリアはみやげ物と、戦部から貰った戦史をアレキサンドリア(の操るセーラー服)に渡した。
旅の話はしばらく、尽きないだろう。


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