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フィソステギア (3)



さて、それから数日、戦部とヴィクトリアはあちこちを転々とした。
成功を呼ぶと名高いレストランにも行きはしたが、なんかゴタゴタしてた。
やけに筋肉質なシェフがいたようないなかったような気もしたが、ヴィクトリアにはどうでも良い。
彼女の心情は、父の経歴を詳しく知ってからますます曇りがちになっている。
戦部はこの旅の初めに、ヴィクトリアの生き延びた術を、いやホムンクルスたる彼女の不可避の人喰いの詳細を質した。
もし、正確に答えていれば戦部はどうしただろう。やはり戦士としてヴィクトリアを討伐しただろうか。
そう。
父と同じように。

「恐怖と戦い、厄災をはね除け、より一人でも多くの人が幸せになれるよう」

という理念の元、ホムンクルスを斃し続けていた父と、同じように。
上はヴィクトリアにとり、かつては難しくて分からなかった言葉だが、今は嫌というほどよく分かる。
現在のヴィクトリアは人喰いを要するホムンクルスだ。
『より一人でも多くの人が幸せになれるよう』に、父が命を賭して相対した恐怖と厄災そのものの。
父の経歴を詳しく知り、ますます簡単に分かるようになった事が、ひどく辛い。
ヴィクトリアは味の分からぬ食事の手を止めるコトが多くなった。
それを戦部がじっと観察するのが、いつの間にか彼女たちの間の慣習になりつつある。

そんなこんなで彼らが食の旅に出発して一週間が経とうという頃、彼らは都会じみた雑踏にてある人物と再会を果たした。
最初に訪ねたラーメン屋で腰を痛めていた青年だ。
店からは県を二つほど跨いだ遠いところだったから、戦部は驚いた。ヴィクトリアも多少顔色を変えた。
1たす1は2、と口ずさんでいた青年も、戦部たちをみるなり仰天し、違う違う俺は浮気はしてないただ気分を
変えたいだけなのにどうしてせっかく来た遠くで知り合いに出逢うんだと、聞いてもないのに取り乱した。
聞けば何やら彼は、ドなんとかいうヒーロー物の映画を見に来たらしい。
そして1たす1は2であるらしい。ならば2たす2は4なのだろう。
しかし二人は別に映画に興味はない。食の旅が目的だ。
青年と別れた後、戦部たちは一つの店に入った。ハンバーガーショップである。

おりしも、夏休みである。
しかし客の入りは少なく、チェスを嗜む二人連れやらカップルが店の中にいるだけでひどく静かだった。
店員は高校生ぐらいのが二匹。片方はバイトの鑑のごとき透き通った笑みで戦部たちを迎えたが
もう一人はひどく無愛想で、いらっしゃいませの一言もいわない。
注文を終えると、無愛想なのが透き通った笑みをしきりに呼び始めた。
呼び方は特徴的で、ひどくせわしない。そして発音は遠い昔、ヴィクトリアがよく聞いたのと少し似ている。
というコトは無愛想な店員、外国からの来訪者である事は間違いない。
付け加えると、チェスを嗜んでいる若人二名もそうらしく、ときおり無愛想な店員と親しげに話しているのは、互いに
異郷にいるという連帯感によるものか。
ヴィクトリアにそういう人間は母以外に全くいない。だから、三人の会話は辛いものでしかない。
さて、戦部の席の後ろに座っているカップル、カップルらしからぬよそよそしさがある。
例えば少年の方がしきりに「匠バーガー」なるものを進めているのだが、少女は遠慮するばかりで埒が開かない。
遠慮の仕方も、懸命に言葉を選んでいるらしく、ひどく途切れ途切れだ。
しかし結局少年は、普段手伝ってもらっているからと、カウンターに向かい強引に注文してしまった。
少女がものいいたげに席を立つと、弾みで戦部の肩に椅子が当たった。
動揺の気配に「別に構わん」と振り返ったとき、戦部は初めて少女の姿を見た。
かなりの容姿端麗である。戦部は内心で「ほう」と感嘆し賛辞を浮かべ、彼女を恋人にしている少年に喝采を送った。
するとどうであろう。少女は戸惑いを浮かべ、戦部の思惑を読んだがごとく首を横に振った。
ま、偶然だ。偶然に決まっている。

「なぁ… どうしてお前は私を旅に連れ出したんだ」
手付かずのポテト(Lサイズ。バスケットともども180℃の油に入れると2分半で揚る。専門用語ではLポ。バスケットが
ほつれていると洗うときにケガをするので要注意)を目の前に、ヴィクトリアはぽつりと切り出した。
戦部は肉厚のスパイシーワズチーズバーガー(青唐辛子が入っていてプロが略するとスパワッチだ。本当だ。常務だっ
てそう言ってた。ミートソースとトマトとオニオンのコントラストには、よだれズビっ!)を二口で飲み込むと、やや自嘲の混
ざった笑みを浮かべた。

「慰みさ」
そしてしばらく考えた後、こう付け加えた。
「考えてみれば俺はずっとそうかも知れん」
俺は戦団の現役戦士の中では、もっとも多くホムンクルスを倒しているらしい、
とヴィクトリアに切り出し、奥歯に挟がった青唐辛子を舌で喉に送り込み、続ける。
「だがな、それはつまらんものさ。せいぜいが杯や書状の類を上から押し付けられる程度だ。
古の戦士は強者を喰らい、強くなる事を望んだという。そう聞いた俺は、戦士になりたての頃に試してみた。
なるほど、確かに風聞通りに力は沸いた。沸きたつままに戦い、勝ち、喰らい続けた。
するといつしかホムンクルスは、「敵」ではなく、「食料」になり、戦いは狩りの様相を呈してきた。
狩りはただ倒して喰らうだけさ。それを繰り返すのがいかにつまらんか、お前なら分かるだろう?」
「………」
ヴィクトリアは不快そうに黙った。
戦部のセリフは戦士のいうべきものではない。人喰いを暗に認めているからだ。
それもヴィクトリアへの同情とか謝罪に基づいた物でもなく、ただ自分自身の思惑へ同意を求めるべく
人喰いの話題を引き合いに出している。ひどく独善的だ。
戦部だけがこうなのか、彼の属する錬金戦団全てがこうなのか。不祥事を隠蔽すべくヴィクターを殺した戦団全てが。
ヴィクトリアは不快の色を現したが、しかし人喰いを糾弾されればより過敏な反応を示しただろう。
「お前達のせいでこうなったんだ」、と。
しかしあくまで不快の色で留っている。戦部の言は多少なりとも的を射ているからだ。
生命を保つために繰り返す人喰いは、ただ鬱々と血に塗れる猟奇的な作業だ。
それを楽しむには、ヴィクトリアの人生最初期は幸福でありすぎた。
父が不在がちなのを除けば、ごく普通のありふれた家庭でごく普通に愛情を受けて育ったのだ。
それでどうして猟奇的な人喰いを楽しむ気質が芽生えよう。
だがそれをせねば死ぬ。死ねばアレキサンドリアを守る者がいなくなる。だからせざるを得なかった。
ずっとずっと苛まれ続けた「狩り」の内容は、誰にも話す気にならない。
不快感はどうしようもなく寂しさに近く、ヴィクトリアは目を伏せた。
(パパならなんていうだろう)
戦部にかヴィクトリアにか、それとも他の何者にか。まるで分からない。
「俺は喰っていても完全には満たされず、ホムンクルス以上の存在(モノ)を欲し始めた。するとお前の父が目覚め──」
カズキに埋め込まれた核鉄が、人外に誘う黒い正体を現した。
正体は、アレキサンドリアがヴィクターを元に戻すために試作し、偽装を施した黒い核鉄。
かつてカズキを救うべく埋め込んだのは津村斗貴子であるが、渡したのはヴィクトリアである。

それがヴィクターに宿る黒い核鉄と共振し、結果カズキはヴィクターと同じ肉体へと変貌を遂げ始め、そして。
「ヴィクターIII再殺の指令が下った。だが奴には先約があってな。俺はそいつと戦い、負けた。
無粋な仲間の横槍で流れた勝負だが、まぁ俺の負けさ。だからヴィクターIIIとの戦いは譲ってやった。
そうこうしているうちに」
「…パパが」
「ああ。知っての通りだ」
わずかだが、低い声が湿り気を帯びた。
「ヴィクターIIIも人間に戻り、結局俺は、ホムンクルス以上の存在(モノ)と戦い損ねた。
その頃からだ、ホムンクルスとの『戦い』が手慰みにすらならなくなったのは」
なまじヴィクターの戦いを見たばかりに、普通のホムンクルスに魅力を感じなくなったのだろう。
戦部厳至。誕生日は7月27日。その日の誕生花の一つに「フィソステギア」というものがある。
珠を連ねたような太い緑の茎から薄紫の花がニュっと突き出す形状は、西洋では竜の頭になぞらえられ
日本では虎の尾に例えられる、なんとも勇ましい花である。
そして花言葉は「充分に望みを達した」。
しかし戦部がそういられたのは、駆け出しの頃、ホムンクルスがまだ敵としてありえた頃ぐらいではなかろうか。
「だから慰みさ。俺が戦いたかった存在たちが、どういう者だったか調べ始めた。彼らは戦士だ。
戦士はすべからく戦いの中に居る。その辿った戦史を調べていくうちに、慰み程度だが気が晴れた。
そしてお前たち一家のコトを知り、お前がヴィクターでないかと期待したのさ」
「それは電車の中で聞いたわよ。でも、一週間も私を連れまわす必要なんてないでしょ」
帰ろうにもアレキサンドリアの一件がある。逃げ帰ればまたルリヲヘッドで旅に出されかねない。
よってこの旅を完遂しなくてはならないのだが、ヴィクトリアはひどく疲れ始めている。
「それに、それに──」
戦部が「戦史」とやらを押し付けてきたのも分からない。ただ気分が沈むだけの代物だ。
どうして戦部の慰みや気まぐれに付き合い、ヴィクトリアが磨耗する必要があるのか。
「必要ならあるさ」
戦部はにべもなくいった。
そのころ後ろの席では、先ほどの少女がバーガーラップ(字のごとくハンバーガーの包み紙。単価は60銭だったと思う)
に顔の下半分を埋めて、匠バーガーを無表情のままだが一生懸命食べていた。


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