インデックスへ
第001〜009話へ
次へ

第001話 「呟いた言葉が現実になるように」 (1)



──8月27日。夜。
早坂秋水は月下に蠢く巨大な影を捉えると、正眼に構えなおした。
掃討すべき敵は残り3体。
いずれも幅的な痩肥の差あれど、筋肉質な体とひび割れ三角頭の見慣れた連中だ。
蓮の実を思わせる無数の目玉が妖光を放ち、歩行と共に揺れるのがくっきりと見える。
”調整体”と呼ばれる彼らは、秋水ともう1人に作られた同類同属の屍山を踏み越えて
「喰゛わ゛せ゛ろ゛ォ〜〜〜」
知性などとても見いだせない咆哮をあげつつ接近中。
足元を見れば個々の戦闘能力など秋水に遠く及ばぬのは自明の理だが、悲しいかな。
その設計思想上、調整体たちには状況判断や学習などという行動は不可なのだ。
ただひたすら敵もしくは食料と認めたモノへ爪を打ち下ろすしか、できない。
接近の最中てんでバラバラに歩く愚を犯しているのも構造的欠陥の好例だろう。
布陣も敷けず連携も取れない。
よってまず1体。
裂帛の気合を上げて飛び込む秋水に、なすすべなく唐竹割にされた。
青い刃をキラリとはね上げる秋水。その斜め前後から、残り2体が唸りを上げて飛び掛る。
仇を討つためではない。ただ、静寂を引き裂く音声(おんじょう)に興奮しただけだ。
秋水は大きくつま先を蹴り上げた。
白い胴着をまとった181cm70Kgの長身が軽やかに宙を舞い、斜め前方から来ていた調整体
とすれ違いざま、片手殴りで造作もなく胴を斬り捨てた。
短い前髪をなびかせつつ屍骸の山へ着地。足を挫かぬよう片膝立ちで衝撃を殺す。
偶然にも、その一瞬の隙に最後の1体が背後から肉迫。
が、それも束の間。
動揺、などという高尚な感情があればその調整体は叫び、後ろを振り返っただろう。
背後から無数の矢を受け、ハリネズミと化していたのだから。
「あら。全部命中? 一本ぐらいは避けると思ってましたのに」
「ま、オレ様と桜花の腕を考えればトーゼンの結果! とにかく今日のノルマ達成!」
声が終わる頃、調整体は下から斜めに両断され死屍累々の「累々」に堕ちていた。
「助かった。姉さん。それと御前」
秋水は辺りに敵の気配がないコトを確認すると、愛刀──ソードサムライX──を解除した。

早坂秋水。
彼を一言で表すなら「美形」だろう。
名前の通り青く澄み渡った切れ長の瞳に、細い眉は正に眉目秀麗。
引き締まった端正な顔立ちにほどよくかかる前髪と、刈り上げ気味に切りそろえられた後ろ
髪からはさっぱりとした清潔感が漂っている。
すらりと伸びた長身は、剣道部のエースに至るまでの修練の結晶であり、また生真面目な
性格を自ずと現しているようでもある。
剣道部のエースという所からも分かるように、彼は現在高校生。
通っている銀成学園高校内では、トップクラスの成績を収め、更には生徒会副会長すら務め
ている。
もっとも、「副会長」などという役職は、彼が本当に欲しいモノを手に入れるための踏み台に
すぎず、一時はそれを利用して、銀成学園高校の生徒全員を化物のエサにする恐ろしい手
引きを目論んですらいた。

そんな彼が、「化物」である所の調整体征伐を行っているのには理由がある。
1人の少年との戦いで大きな変化を遂げたのが下地ではあるが、直接的なきっかけは。
8月24日。
ある一大決戦で受けた傷の療養と検査を兼ねて入院していた秋水が、退院の許可を得ると
同時に、その指令は下った。

「残党狩り、ですか?」
「ああ。大戦士長からの指令でな。動ける戦士から順に、共同体やホムンクルスを殲滅して
いってな、ゆくゆくはこの世代のホムンクルスを制圧する方針だ」
キャプテンブラボーこと防人衛は、ゆったりとしたベッドに身を預けたまま外を見た。
がっしりとした体格の、職員室を探せば1人はいそうなツンツン頭の男性だ。年は20代後半。
「本来なら、バタフライを斃してから虱潰しに処理していくはずだったんだが……黒い核鉄と
ヴィクターの件で延びてしまってな。正直、ようやくといった所だ」
防人は視線を秋水に移し、
「……活動こそしてませんが、まだかなりの数が潜んでいる筈です」
やや翳を帯びた秋水の肩に、柔らかく手を当てた。

「本当なら戦士・斗貴子の方が適役なんだが──ムーンフェイスが少し気になるコトをいって
いてな。そっちを調べてもらっている。すまんな。お前の立場だとフクザツだろうが、やってく
れるか?」
端正な顔は迷うコトなく頷いた。
「彼には及びませんが、できうる限り」

防人が迷うコトなく1人の少年の姿を思い浮かべたのは、彼が秋水へ大きな転機と変化を及ぼ
したのを知っているからだろう。

で、いまに至る。
秋水たちが戦っていたのは、銀成学園高校裏手にある廃墟。
通称「オバケ工場」という所だ。
周りには雑草が生い茂り、錆びたマンホールすら覆い隠している。
建物はもはや廃墟だ。
壁にはサビが浮き、あちこちで赤茶けた骨組みが空しく月光を浴びている。

「いいのよ秋水クン。たまには私も援護してあげないと」
先ほど「姉さん」と呼ばれた女性は、秋水の前に歩み寄ると優しく笑いかけた。
彼女の名は早坂桜花。秋水の双子の姉だ。
奇麗なMの字に切りそろえられた前髪と、端正な漆黒の瞳が印象的な女性だ。
腰の辺りまで伸びた見事な黒髪は、「大和撫子」という言葉がピッタリで、事実彼女の物腰
は(表向きだが)常にしとやか。人望も厚く、生徒会長すら務めている。
モデル並みの長身をいやにゴシックロリータめいた制服に包んでいる彼女の横で、何とも珍
妙な物体が指を突き出した。
「もう今日の任務終わったし、さっさと帰ってブラ坊に報告しよーぜ。秋水」
桜花とは対照的。一言でいうと心身とも粗悪で不細工。
キューピー人形を上下に押しつぶしたというか、自動車のライトをナイズドした三白眼を肉ま
んみたいな頭に引っ付けてついでに申し訳程度の体を与えたというか。
ユーモラスな二頭身の天使、といおうにも背中から生えた蝶の羽のせいで断言し辛い。
名前はエンゼル御前。ほとんどのものはこの物体を「御前(ゴゼン)」と呼んでいる。
「そうね。ちょっと気になるコトもあったし、寄宿舎で詳しく話しておいた方がいいかも」
「気になるコト?」
「ここに調整体がいたコトもだけど、ちょっと見て」
桜花は携帯電話を取り出していくつか操作をすると、画面を見せた。
そこには人間の胎児を金属質に塗り替えたサッカーボール大の生物が、床に何匹も固まっ
ている様子が映し出されていた。
曰く、秋水が調整体の群れを相手どっている頃、工場の地下で見つけたらしい。
「もちろん、まだ生きていたからトドメは刺しといたぜ」
「本体……にしては変だな」
秋水は眉をひそめた。
本体。正式にはホムンクルス本体という。
動物や植物、もしくは人間の細胞をベースに作られる生物で、人間の脳に寄生させるコトで
人喰い不可避の怪物、「ホムンクルス」が誕生する。
ただし本体自体は非常に脆弱で、密閉フラスコなどの狭い閉鎖空間の外では一日と持たない。
「近くに何か、保存する容器は?」
桜花はかぶりを振った。
「それがなかったのよ。培養器とか、保存できそうなモノは何にも」
「というか、コレでかくね?」
携帯電話の横から画面を2回つつくと、御前は首を傾げた。
「確かに。姉さんと俺がL・X・Eで見た本体は、3cmぐらいだった」
しかし桜花が撮影したのは、サッカーボール大。
「ね。気になるでしょ? L・X・Eの残党が何か企んでいるのかも。だから電話じゃなく、直接ブ
ラボーさんの所へ行きましょう」
やがて2つの足音+珍妙な飛行音はオバケ工場から立ち去った。

のを確かめたのか。

生い茂る雑草の中で、金属とコンクリートが擦れ合う音がした。
濃緑の草に埋もれていたマンホールのフタが、内側から開いたのだ。
外側から器具を使わねば持ち上がらぬほど重いフタが軽々と、だ。
更に隙間からは、大きな瞳が秋水たちの去った方角を睨(ね)めている。
「…………」
マンホールの影から黄色っぽい髪が一瞬覗き、フタが閉じた。

横にやたら長い4階建ての校舎が、うっすら白く輝いている。
銀世学園高校の校舎だ。
夏休み終盤ゆえに校内には人気がない。灯かりもない。
建築材本来の色に月光が照り返して闇にひっそり浮かんでいる。
オバケ工場の方から歩いてきた秋水たちは、校門の前でツと足を止めた。
「なんで開いてんだ?」
まず疑問を口にしたのは御前。
「変ね」
備え付けられた鉄の引き戸が、人一人が通れるぐらい開いている。
そのレールをまたいで、秋水は辺りを見回した。
「校庭に人影はないようだ」
呟きながら、彼はさりげなく右掌を握りしめた。
「誰かが昔の私たちみたいなコトをしてると思ったけど、そんな訳ないわよね」
桜花は秋水を見て、ちょっと沈んだ顔をした。
「ひとまず、学校の周りでも探ってくるぜ」
御前は空高く飛んで、見えなくなり。
5分もしただろうか。
「ね。秋水クン。念のため、学校の中も調べてみない? L・X・Eの残党が潜んでいたら大変
だし」
前触れもなく雑談を打ち切って、桜花が提案した。
「構わないけど」
「じゃあ決まりね。私は御前様と1階から、秋水クンは屋上からお願いね。セキュリティの方
は大丈夫。解除されてるみたいだから」
いやに口早な桜花と共に、秋水は正面玄関まで歩き、そこで別れた。

階段を上っていく弟の足音に耳を澄ませると、桜花は伏目がちに呟いた。
「そうよね。もうそろそろ寂しくなる頃よね」
玄関のドアをそろ〜っと開けて、御前もやってきた。
「さすがにツムリンの特等席にはいなかったけど、じーっと月を見てたぜ」
デフォルメの効いた三白眼をじょぼじょぼに湿らせて、御前も顔を伏せた。
「秋水はカッコいいから、顔を見て少しぐらい元気出して欲しいな」

ぽつり呟く御前の頭を撫でながら、桜花も深くうなずいた。

香しい感覚が、彼女の中に漂っている。
鼻に手を当てて、余韻に浸っていたいような心地よさと、涙を浮かべたくなる暖かさ。
原因は……御前。
桜花と意識を共有しているから、御前の見たモノ聞いたモノは桜花にフィードバックされる。
御前を通し、1人の人物を屋上に発見して以来、香りは桜花の中に立ち込めている。
理由は分からない。
(そういえば、お見舞いのお花を選んでくれたのは、あのコとあのコのお友達だったわね)
ただ嗅覚を強く満たす花の香りが催すのは。
かつて覚えた、未来が変わっていきそうな予感。

秋水も姉と同様に、1人の人物を屋上に見た。
暗い階段を上りきり、屋上に至る扉を開けようとしたその刹那、彼は非常にか細い気配を感
じた。
ずっと浸かっていた世界の住人の、獰猛で薄ら汚れた死の気配とはまるでかけ離れた、今
にも消えていきそうな儚げな鼓動。
なぜか、鼻腔をいい香りが通り過ぎた。記憶の底に沈んでいる、いい香りが。
秋水は、一瞬迷ったが、ゆっくりと扉を開けた。

その少女は、扉に背を向けて夜空をじっと眺めていた。
「少女」と秋水が分かったのは、腰まで伸びた栗色の髪と、銀成学園の制服のせいだ。
この学校、男子はオーソドックスな学生服だが、女子に限ってはゴシックロリータじみたひら
ひらの制服を着ている。
髪と暗闇のせいで全身像は分からないが、ロングスカートの裾へギザギザと三角形の布地を
縫ってあるのは間違いなく、銀成学園の制服だ。
正方形の石版が規則正しく敷き詰められた屋上の中央に佇みながら、少女はじっと夜空を
見上げている。
夜の、しかも遠目からでは断言できないが、少女の頭は微風をうけるススキよろしくわずか
に揺れているようだ。
声を掛けるのははばかられ、秋水はただ、少女と同じモノが見えるよう空を見上げた。

そこには見事な下弦の月が浮かんでいた。

ただそれだけのコトなのに、秋水は激しく動揺し、少女の後ろ姿を確認すると息を呑んだ。
(まさか……君は)
かき乱れた気配というのは、無言でも空気を介して伝わるらしい。
少女は肩をびくりと震わせると、恐る恐る振り返った。
「……誰?」
夜空に柔らかい声が反響し、秋水は慌てて表情を繕いかけたが、すぐ驚きに転じた。
「しゅ、秋水先輩!? どうしてココに」
振り返って素っ頓狂な叫びを上げる少女の目には、涙がうっすらと残っていたからだ。
秋水は彼女と面識がある。
あるからこそ、月を見上げて涙を溜める心情を瞬時に理解し、理解したからこそ、この生真
面目な青年は紡ぐべき言葉に詰まった。
給水搭を背に、秋水は少女──武藤まひろを複雑な表情でしばし眺めていた。

「お兄ちゃんが月に消えて1週間ですもの。まひろちゃんもきっと寂しいでしょうね」
下駄箱の近くで、桜花は御前の頭を撫でながら深くため息をついた。

8/27。
太平洋における一大決戦にて、武藤カズキという戦士が敵と共に月に消えてから1週間目
の出来事である。


次へ
第001〜009話へ
インデックスへ