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第001話 「呟いた言葉が現実になるように」 (2)



かつての桜花と秋水は、幼い頃の過酷な経験から

「ホムンクルスとなって、2人だけで永遠に生きていく」

コトを望み、L・X・Eという集団に与していた。
銀成学園高校に入学したのも、優秀な成績を収め生徒会で要職に就いたのも、全ては生徒
から信頼を得て、L・X・Eが学校を襲撃した際に『食事』が円滑に進むよう便宜を図る為。
その傍ら秋水は、剣道部で修練を積んでいた。
彼は、強くなれるだけ強くなりたかった。
桜花のために。秋水たちの望みのために。
全国大会で個人4位になっても、希求は尽きなかった。
そんな彼だから、いつしか剣道部内で相手になるものがいなくなり、伸び悩む時期が到来した。
まひろの兄・武藤カズキが、秋水の相手をかって出たのはその頃だ。
個と全。
守りたい対象こそ異なれど、強さを求める姿勢(スタンス)が合致しているから彼らの相性は
非常によく、遠慮なき稽古の中で互いに強さを高めていった。
やがて転機が訪れる。
武藤カズキはL・X・Eの一味を倒す使命を持った「錬金の戦士」であり、桜花と秋水には「錬
金の戦士」を排除する命令が下った。
互いに互いの正体を知らぬまま稽古を続けていたカズキと秋水だったが、紆余曲折を経て
敵対関係が発覚し、戦った。
実力ではカズキを圧倒していた秋水だが、勝負を賭けた一撃の後に奇策を打たれ、重傷を
負った。
カズキは聞いた。なぜ秋水たちがL・X・Eに与するのか。
秋水は答えた。自分と桜花の望みと、それを求めるに至った経緯を。
話が終わると、居合わせたもう1人の錬金の戦士が、桜花と秋水を殺害せんと襲い掛かった。
だがあろうコトかカズキは。
桜花たちを救うべく、もう1人の錬金の戦士に手向かい、殺害を全力で阻止しようとした。
過去ゆえに鎖(とざ)されていた早坂姉弟の世界が、開かれると頑なに信じて。
秋水が、カズキに対して取り返しのつかないコトをしてしまったのは、その時だ。
桜花の機転とカズキのひたむきさにより、どうにか最悪の事態は免れたが、戦闘終了後の
秋水は自らの弱さを深く恥じ、しばし剣の師匠の下へと修行に出た。
カズキに桜花を託し、道中、どこからともなく漂う花の香りに双眸をかすかに潤ませて。
自らに打ち克ったその時には、正面からカズキに謝罪するコトを誓いつつ。
約2ヶ月後。
戦闘能力の高さに着目され、「錬金の戦士」にスカウトされた秋水は、太平洋上での一大
決戦に赴いた。
時は8/20。敵はL・X・Eの中核の男。
当時は眠っている彼にさほど関心のなかった秋水だが。
男の叫びに、いいようのない使命感を感じた。
(そして後日、事実関係を把握し、1人の少女に逢いにいった)
男は、怒りの赴くままに斧を振り下ろし、秋水と周りにいた戦士たちをなぎ倒した。
カズキがやってきたのは正にその瞬間。
彼はヘリから男めがけて突撃槍を構え突進し、切札の効力のなさを知ると裂帛の気合と共に
全膂力を解放!
突撃槍から山吹色の奇麗な光を夜空に撒き散らしながら、男もろともぐんぐんと垂直に上昇し
驚嘆、慟哭、咆哮、喪失、落涙、さまざまな思惑が夜空を見上げる中、光と共に月へ消えた。
と同時に。

秋水は謝罪する機会を失った──…

桜花は御前を適当な場所に隠すと、屋上から降りてきた人影に声をかけた。
「あら。珍しい組み合わせ」
玄関付近に艶のある声が響き渡り、まひろは秋水を気まずそうに見た。
年は15で高校1年生なのだが、全体的な雰囲気はどこか大人びている。
まんまるい黒瞳や太くも薄い眉毛は、小さな鼻と小さな口と相まって非常に愛らしいのだが、
見れば見るほど童顔のOLめいていて、15歳だという確証に繋がらない。
身長も同年代の女子の中では低くなく、華奢ながらにかなり豊かな健康美を誇っている。
もし、キリっとした彼女を兄と並べて見知らぬ者たちへ関係性をクイズすれば、「妹」という回
答は全体の0.5割程度からしか来ないだろう。
後は「留年した同級生」「同級生」「幼なじみ」「従姉」「姉」などなど。
(髪のせいかしら)
桜花は折に触れて、まひろのギャップを考えていたりもするが、なるほど。
ウェーブの掛かった豊かで長い栗色の髪には、年不相応のシャレっ気がある。
別に染めているワケではなく地毛なのだろうが、兄のカズキが黒髪なのを踏まえるとやや腑に
落ちなくもない。
ただしそんなまひろの顔も、ひとたび何らかの表情が浮かべば一気に幼くなる。
傍らの秋水と、正面で下駄箱に背中を預ける桜花を見比べるまひろは、太い眉をハの字に
しかめて戦々恐々、申し訳なさを全面に押し出していて、まるで怒鳴り声を受ける3秒前の
子犬のように心細げだ。

屋上で遭遇した彼女と秋水はしばらく言葉もなく固まっていたが、それでは埒があかぬと意
を決した秋水にここまで連れてこられた。
(でも、どうして制服を着ているのかしら?)
まひろは例のゴシックロリータめいた制服姿だ。登校日でもないのに。
桜花はちょっと首を傾げたが、ひとつの推論を立てた。
胸にかかったタイや、綿がつめられ丸みを帯びた肩や、腰に巻かれた大きなリボンのせいで
おおよそ学校らしからぬハデハデな制服は、密かに人気がある。
月にいるカズキも心惹かれて銀成学園に入学したという。
ならばまひろは、その衣装を屋上から月にいる兄へ見せようとしていたのかも知れない。
一見荒唐無稽だが、こんな推論をしてしまうほどまひろの性格はボケている。
なお、先ほどまで調整体退治に参加していた桜花が制服を着ているのは
「戦闘で傷付いても、市販の服と違ってすぐ替えが効くから」
という合理的理由による。
秋水が胴着姿なのも然り。加えて「動き易い」という理由もある。

桜花が考えている間、秋水はひたすら無言だ。
姉の指示を待っているし、元々どちらかといえば寡黙な性格だし、まひろにどういう言葉を
かけてやればいいか分からない。
考えれば考えるほど、いうべき言葉か否かの判断に悩み、奥底に押し込めるのだが、黙って
いる自分がひどく薄情に思えてまた言葉を探し、悩んで、押し込める。その繰り返しだ。
苦慮に没頭すると、端正すぎる顔はネックになる。
切れ長の目がすっと細められ、頬は強張り、もとより精悍な秋水は期せずして不機嫌めいた
表情へ変じた。胴着姿で腕組しているのも威圧的だ。
まひろは慌てて、堰を切ったように話し出した。
おたおたと冷や汗を飛ばしながらの謝罪は、話があちこちに飛んだり重複していたりしたが、
要約するとこうだった。
「ごめんなさい! お散歩してたら校門が開いているのを見つけて、つい屋上まで!」
(開いてた……? まひろちゃんが開けたんじゃなくて? じゃあ一体誰が?)
桜花は少し訝しんだが、覚られないよう話を変えた。
「まぁまぁ。ちゃんと閉めてなかった先生にも責任はあるし、まひろちゃんは悪いコトする為に
忍び込んだワケでもないんだから、そんなに気にしちゃダメよ。でも、今度からはオイタしちゃ
ダメよ?」
桜花は人差し指を立てて、ゆったりと笑いかけた。
生徒会長というよりは保母さんだ。ぐずる子供も一撫ですればたちどころに笑顔に変えれそうな。
まひろも例外ではなく、救われた表情でコクコクと頷いた。
「とにかくこんな時間だ。俺と姉さんも今から寄宿舎に用事があるから、君を送る」
黙りこくっていた秋水は、ようやくそれだけを口にした。
(あらあら。秋水クンが他の人を気にかけるなんて珍しい)
きっと彼は彼なりに、屋上で見たまひろの姿が気になっているのだろう。
クスクスと桜花は笑うと、一ついいコトを思いついた。
「そうね。じゃあ秋水クンはまひろちゃんをお願い。私はちょっと調べたいコトがあるから、後
から寄宿舎に行くわね」
秋水は明らかに困惑した。
桜花の「調べたいコト」が分からないし、夜の学校に1人置いていくのも気が引けるらしい。
かといってまひろを放っておきたくない様子もありありと浮かんでいて、桜花はますます楽し
くなってきた。
優雅に歩を進めて秋水とすれ違うと、耳打ちした。
「たまにはね、秋水クン」
「?」
「私以外の女のコと話さなきゃダメよ。せっかくカッコいいんだし、チャンスなんだし。少しずつ
でいいから頑張って。ちゃんと私も応援してあげるから」
呆気に取られる秋水を後に、桜花は軽やかに廊下を走り姿を消した。
(そういう問題では)
秋水は困ったようにまひろを見た。
すると同じような表情のまひろと目が合い、彼女は慌てて目を逸らした。
今の秋水にとっては、まひろは恩人というべきカズキの妹でしかないし、関係を発展させると
いうのは想像の範疇を超えている。
ゆらい秋水は、かつて世界というものをひどく嫌っていて、桜花以外の人間に心を開いた試し
がない。
カズキとの戦いを経て、世界を歩くきっかけを得はした。
が、他人と関係を構築するのは、自分に打ち克ち、カズキに謝罪をしてケジメをつけてからと
胸中密かに決めている。
だがカズキは地球上のどこにもおらず、謝罪の機会は失われたまま。
それを口実に、謝罪を放棄するのは秋水にとりどうしても許しがたい。
生真面目さゆえの取り決めごとに縛られて、少しも前に進んでいけない自分がもどかしくもある。
さりとてこの場においては、
「……送ってく」
というしかないだろう。
「じゃあ走ろうよ!」
まひろは拳を握り締め、柔らかな声を張り上げた。
「は?」
「今なら桜花先輩に追いつけるよ。それから手伝おうよ! だってほら、真っ暗だし、一人だ
と危ないよきっと。あ、私が帰るのは桜花先輩の用事が済んでからでも大丈夫!」
ああそういう意味か、と秋水は眉を動かした。
まひろは意外に物事をマジメに考えているらしい。
「キミが姉さんのコトを気に掛けてくれるのは嬉しいが、たぶんもう追いつけない」
「どーして?」
「既にどこかに隠れている。探しても見つかり辛い場所に」
「なんで? あ、もしかして用事ってかくれんぼ!?」
「何をいい出してるんだ君は」
秋に肥ゆる馬より天高く飛翔したまひろの思考に、秋水は呆れ果てた。
「じゃあ探しちゃう! 何を隠そう、私はかくれんぼの達人よ!」
いやにアクセントのはっきりした、どこぞの団長じみた威勢のいい声を上げると、まひろは
桜花の消えた方へ走ろうとした。
つい今しがたの判断をもう忘れているらしい。
そもそもかくれんぼの達人は探す方ではなく、隠れる方では?
「やめるんだ。真っ暗で危ない」
秋水は血相を変えて立ちはだかった。
「ゴメン。でも桜花先輩が気になって」
謝るまひろに、秋水は小さくため息をついた。
「俺も気になるが、まずは君から送っていく」
「え、だからその…」
「俺たちのせいで君の帰りが遅れたら悪い」
転瞬!
「やっぱりいいよ。うん。大丈夫。一人でちゃんと帰れるから。だから桜花先輩をよろしくね」
にっこりと笑うと、まひろは走った。
「……ほら。桜花先輩にもしものコトがあったら、タイヘンだから。ねっ?」
表情は分からない。まひろは秋水に背を向けて、下駄箱の上から靴を取っていたから。
てきぱきと履き、扉めがけて走るまひろ。
くるりと踵を返し、秋水に慌しく手を振って、校庭に出た。
「あ…」
正にあっという間の出来事だ。
秋水は手を所在無げに伸ばしたまま、少し考えこんでしまった。
まひろは別に送らなくていいといった。
これは秋水を嫌っているワケではなく、ただ桜花を送らせようとしているのだろう。
善意でまひろが動いたのなら、それを受け取り、桜花を探すべきだろう。
だが、そんな当たり前の考え方を押しのける映像が、秋水の脳裏に去来する。
まひろは一人、夜の屋上で月を見上げて泣いていた。
抱いた寂しさがどれほどのものか、けして分からぬ秋水ではない。
だからごく自然に靴を履き、扉を開けていた。
目に入ったのは薄暗い校庭だ。まひろの姿はもうそこにない。
言葉もなく立ち尽くし、校庭を眺める。
ぞわぞわとした不気味な肉の感触が、秋水の掌に起こる。
彼はその不快に瞑目した。
闇に浮かぶ思い出は、けしていいものではない。何故ならかつて秋水は──…

──俺は強くなれるだけなりたい。
──姉さんのために! 俺たちの望みのために!!
──勝つ!! 俺はここで負ける訳にはいかない!!

彼と桜花をかばってくれたカズキを、背後から刺してしまったからだ。
目を狂騒に濁らせて、善悪も倫理も何ら考えず。
肝臓の辺りを見事に貫いた愛刀を引き抜くと、生々しい肉の感触が掌に走った。
カズキは傷口からおびただしい量の血を校庭に吸わせながら、地面へと崩れていき。

その致命傷を、桜花が引き受けた。
彼女の武装錬金、エンゼル御前の篭手から放たれる矢の能力で。
カズキに矢が刺さると、パールピンクの光と共に傷が桜花へ移った。
秋水は駆け寄り、くず折れた姉の手をつかんだ。
だが手からはみるみると暖かさが失われていき。
絶望と悲壮に沈む秋水へ、桜花は笑ってこういった。

──もしもあの時… 早坂の扉が閉ざされた時…

──すぐ外に武藤クンがいたら絶対に助けてくれたんだろうな…って
──そして私達の友達になってくれたんだろうなって…
──そう思ったら…ね……
 
もうずいぶん前のコトなのに、脳裏に響く声は鮮明だ。
秋水が守ろうとした桜花が、皮肉にも彼の行動で死にかかった時の声だから、きっと永遠に
掠れるコトはないだろう。
「君なら迷わず2人とも送っていくんだろうな」
月を見上げ思い出すのは1人の男。まひろが想っていたであろう男。
彼は過酷な現実を耐え抜いて、最後に傷だらけの体でお人好しに笑っていた。
されど彼はけして痛みを感じないワケではない。
傷に呻き挫折を悔いて、殺人を忌み別離を恐れる。
心身ともに、痛みについてはごく普通の感覚を持った少年だった。
もし帰ってこれた時、身内や家族が傷付いていれば、きっとうろたえる。
守れなかった自分を責める。
手の届かぬ場所にいたから、などという諦めも言い訳も絶対ないのだ。
ましてまひろは彼にとり、一番近く一番大事な身内だ。
何かあれば自責の念はきっととてつもなく大きくなる。絶対に。
秋水には分かる。
夜の校庭を凝視すれば嫌が応にも蘇る記憶たちが、生々しく分からせる。
自責に陥る彼の辛さを。まひろの抱いた寂しさを。
どちらもかつて激しく胸をかき乱した感情だから、分かってしまう。
簡単には消せないと分かっていても、みすみす諦めるコトだけはしたくない。
少なくても秋水と桜花の世界を切り開いた男は、そうしていた。
それに──…

さっき背を向けながら「もしものコト」を案じていたまひろは、自分と秋水を重ねていたので
はないだろうか。
まひろはカズキの妹だ。秋水は桜花の弟だ。
立場は似ている。
秋水が、カズキと離れたまひろの心情を察するコトができたように、まひろも、桜花に危害が
及んだ時の秋水の心情を考えていたとしても不思議ではない。
桜花を必要以上に気遣うのは、まひろが感じている痛みを秋水に味合わせたくないからだと
しても、不思議ではない。
なぜなら、まひろはカズキの妹だからだ。
人の痛みを理解し、取り除こうと戦い続けていたカズキの妹だからだ。

そんな彼女から秋水は、カズキを奪おうとしていた。
自分の感じた暗い感情を味あわせようとしていた。

掌に蠢く肉の感触を握りつぶして、秋水は決意した。
「……やっぱり送っていこう」
桜花を1人で帰すのに抵抗はある。が、今の彼女は身を守る武器を持っている。
ならば少なくても、非力なまひろを一人で夜道を歩かせるよりは──
と自分に言い聞かせるように決めるや否や、秋水は校庭を駆けぬけ、瞬く間に校門前まで到着した。
まひろはいた。
「お、秋水じゃないか。久しいな。半年ぶりぐらいか」
欧州的な美形の男と共に。
女性のように豊かで奇麗な金髪を、両の耳前からも細く肩に垂らしている。
秋水からは見えないが、襟足の辺りからも太い房が背中の中ほどまで垂れている。
着衣はユニクロで売っていそうな安い生地だが、不思議と貧乏くさく見えないのは、男の持つ
雰囲気のせいだろうか。
粗衣に損なわれない沈着さや上品さが自然に出ている。
それらを確認すると、秋水の身は強張った。
「あ、秋水先輩……」
息を切らしながら、まひろは振り向いた。よほど全力でここまで駆け抜けてきたのだろう。
「こっちに来るんだ」
かろうじてそれだけ呼びかけると、秋水は胴着の懐に右手を入れ、核鉄を握り締めた。
最初こそ金属特有のひんやりした感覚が手に収まったが、徐々に汗に塗れて熱くなる。
「え?」
「なるべく速くこっちに。できれば俺の後ろに」
「う、うん」
まひろは美形に目で謝ると踵を返し、彼女にしては素早い足取りで秋水へと歩く。
その様子を視界の隅に置いたまま、秋水は美形を鋭い眼光で射抜いている。
「おや。ひょっとして俺を忘れたか? とすればつれないな。昔は剣を競った仲だというのに」
「覚えている」
「ってコトは、もしかして秋水先輩のお友達?」
ちょうど秋水の後ろに到着したまひろが、興味深そうに首を伸ばして総角を見た。
やや痛み気味の栗髪が、斜め45度に傾げた頭から垂れて幼い印象を更に強めている。
「総角主税(あげまきちから)。全国大会の3位決定戦で当たった相手だ」
秋水の紹介に、美形──総角と呼ばれた男はニっと笑みを浮かべた。
「忘れられていないようで何より。娘さんを遠ざけたのは、そうだな。髪型が違うせいで俺を
別人と見間違えたと、好意的に解釈しておいてやろう」


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