インデックスへ
第001〜009話へ
前へ 次へ

第001話 「呟いた言葉が現実になるように」 (3)



「どーも俺には『これだ!』としっくりくる髪型がない。だいたいどんな雑誌をめくってもダメ。
ため息が出る。だからちょくちょく変えてみるコトにしている」
はぁ〜と大げさな仕草を取る総角(あげまき。でも筆者は「そう」「かく」で入力してるので「そう
かく」でもいいです)に、鋭い眼光が突き刺さる。
発生元は秋水。彼はかすかに眉を吊り上げたまま、微動だにしない。
そんな秋水の背後からちょいと首を出してたまひろ、首を上に向けて気づいた
(わ。秋水先輩すごい汗。熱いからからな?)
汗ばむ端正な横顔と首筋を気遣い、ハンカチを探してみた。が、ポケットにないので諦めた。
そんな彼女に、矛先が変わる。
「な、そこな娘さん。キミもそういう経験はないか? 例えば曜日ごとに髪型を変えたいとか」
「うーん。あまり……」
姿勢を正しながら、まひろは栗色の髪を見た。
海水浴の時に後ろで縛ったぐらいで、日常生活で変えようと思ったコトはあまりない。
「一度くらいはある筈だ。俺には分かる。そういう声をしているからな」
よく分からないが、そういう声なのだろう。
「しかし秋水よ」
エメラルドのように澄み渡った紺碧の瞳に映るのは、厳戒態勢丸出しの美青年。
総角(あげまき。でも筆者はry)はひどく親しげな苦笑を漏らした。
「無粋になるから理由までは聞かないが、後ろの娘さんに『何か一つでもしてやりたい。守る
べき義務がある』という表情(かお)だな。少し驚いたぞ。お前が桜花以外に心を動かすとは」
ハっとした面持ちになったのは秋水ばかりではなく、背後のまひろもだ。
(どーして?)
親交はない。接触といえば剣道の練習を観戦したのと、さっき屋上で遭遇した位。
(あ)
心中で情けない声をあげて、まひろは固まった。
(よく考えたら私、泣いているトコを見られちゃったんだ…… どうしよう)
なんだか急に恥ずかしくなってきて、俯いた。
同時に泣いた理由を思い出して、涙がじんわり滲んでしまう。やるせない。
恥ずかしがったり泣いたりと、とかくまひろの情動は不安定。

──今度は少し長いお別れになるけど、必ず帰ってくるから心配するな

カズキがそういい残した時から、心は「長いお別れ」という単語に揺らされている。
そして彼が月に消えたと伝え聞いた瞬間から、「長いお別れ」はますます現実味を帯びてきて
生来の落ち着きない気質を、更にぐらついたモノに変えている。
同じ世界にいる筈なのに、声も鼓動も届かない。
さながら重苦しい扉の向こうに呼びかけるように。押し込められた人を求むるように。
届かないコトに落胆し、打開できない無力に打ちひしがれながら、戻ってくるコトを切望している。
永遠とも思える寂しい時間を扉の前で。
(やだな…… なんだか私、泣いてばかり)
まひろはごしごしとまぶたをこすって強引に首を伸ばした。
眼前にある大きな背中を見据えると、ちょっとしたデジャビュが去来する。
正体まで説明できるほど巧みな言葉を持っていないが、まひろはそこにいる青年にひどい
申し訳なさを感じた。
そもそもまひろが学校に侵入しなければ、彼はいつも通り姉と一緒に帰れた筈なのだ。
けれども彼はまひろを送ると申し出て、今に至る。
(ゴメンね秋水先輩)
できうるコトなら場を去って、強引にでも桜花を送らせてやりたい。
きょうだい、というのは姉弟だろうと兄妹だろうと互いになくてはならない存在だと、まひろは
強く思う。
そっと踵を返そうとしたその瞬間。
「だが、あまり思惑を出しすぎるのも考えモノだぞ? もし俺がお前に牙剥けば、娘さんから
狙う所──…」
電撃にも似た衝撃性が、欧州的な美形の前面総てを襲った。
服の生地がビリビリと断裂の悲鳴を上げ、女性のごとき白き肌も波打つ。
耳の前に垂らした金髪も突風後のように舞い、戻る。
まひろにその光景は見えなかったが、恐るべき気配に足がすくんで歩が止まる。
総ては、一流の剣客のみが発するコトができるという「裂帛の気合」の成せる技。
「……いい剣気だ。以前より鋭さを増しつつも、どろりとした嫌な気配を見事に失くしている」
「彼女に手を出すな」
褒め言葉に対しては不適切な低い声が、静かな夜に響いた。
「そう警戒するな。俺の信条なら知ってるだろ?」
「ああ。嫌というほど聞かされた」
「ならノープロブレムだろうに」
総角はやれやれと手を上げた。さながら、武器を持っていないコトを告げるように。
「悪いが、今は状況が違う。鵜呑みにする訳にはいかない」
不穏な秋水の言葉に、まひろは首を傾げた。
(本当にお友達なのかな?)
彼女なりに違和感を覚えているらしい。
「フ。どうも俺は歓迎されていないらしい。この街に着くなり偶然会えた旧友と、ただ話したい
だけというのに」
瞑目と微苦笑を顔に湛えて、総角はゆったりと後ずさった。
秋水との距離は約8m。
飛び道具でも持っていない限り、即座に攻撃できる距離ではない。
「不服ならもっと退くぞ? 今すぐ消えてやってもいい。ちょうど、試したいコトがある」
総角はゆったりとした動作で秋水を指差す。
頬には相変わらず笑みが張り付いているが、尊大さはあまり感じられない。
端々にあるのは、年下の従兄弟のワガママを聞いているような親しみだ。
「皆神市って所で、新しいモノをいくつか手に入れた。恐らくどれを使ったとしても、消えるの
はたやすい。『下準備』はしてあるしな。フフ。羨ましいだろう?」
「なんだか変わったお友達だね」
まっすぐな背中から顔半分を覗かせつつ、まひろは秋水を見上げた。
「こういう男だ。むかしから。それと知り合いというだけで、友人ではない」
困惑気味のまひろを手で制し、背中へ引っ込めると秋水の口からため息が漏れた。
「とにかく。争う気はないんだな」
「ああ」
彼は距離を測り、透明な緑の眼差しを見て、最後に総角の首と襟元を見た。
危険な物体を探そうとする慎重さが端々に見受けられる。
「この通り、認識票はないだろう?」
言葉の意味はよく分からない。
だが秋水にとっては、白旗を見るより安全な文句だったらしく。警戒が解かれた。
キリのない警戒にまひろを付き合わせるのも悪いと思ったのだろう。
「ようやく分かってくれたか」
安堵の笑みと共に、総角は踏み出す。
秋水は見た。
8mもの距離を暴風のごとく詰める総角を。
襲いくるのは、秋水の剣気など到底及ばぬ圧倒的音裂!!
総角の動きにつれて校庭の壁がミシミシと軋み、質素な剣道着のそこかしこが有無をいわさ
ず鋭い真空の波に食い破られていく。
反応はできなかった。
背後のまひろに危害が及ばぬ動き方を考えた分、一手遅れた。致命的なタイミングで。
最後に見えたのは、『何か』を持ったまま電光のように手を動かす総角──…
斬られる。
敢えてそれを受け入れたのは剣士ならでは。
せめて出血を少なくせんと身を硬くする秋水を、一陣の風が突き抜ける。
「気を抜くとはまだまだ甘い。俺が敵ならひどく良くない事態を招いていたぞ?」
風は止みしなに、路傍の砂塵とまひろのスカートの裾をぶわりと巻き込み、終息した。
と同時に、綽綽たる余裕声が秋水の耳を叩いた。
「認識票がポケットにでも忍ばされていたらどうする? それでなくとも俺の身体能力はお前
より遥かに上。万全を期するなら構えぐらいは取るべきだ」
「え、え? さっきは向こうの方にいたのに」
スカートを抑えながらきょろきょろするるまひろのいう通り。
一瞬でどう詰めたのか。
総角は秋水の背後にいた。まひろからもゆうに5mは離れた場所に。
背中に背中を向けているのは、西部劇の決闘開始5秒後を彷彿とさせる姿だ。
「フフフ。このベタな演出はナイスだろう。一度やってみたかった」
秋水は無傷を知ると、先ほどの交錯がただのからかいだと気づいた。
が、(まひろの安全を優先した結果とはいえ)からかいに反応できなかった心情は察するに
余りある。
切歯し振り向く秋水に、かかるのはなだらかな話し声。
「ただ秋水よ。気を抜くのも悪くはない。ずいぶん丸くなった証拠だ。昔と違って人間味があ
るともいえる。ま、今のように守るべき人間に気を取られ、負けを喫する危険もあるが」
総角は右手のサインペンにフタをはめた。
ペンは柔らかめの材質でできているらしく、キュポンと軽快な音を立てて収まった。
(……サインペン?)
降り返った秋水は疑問を抱いたが、総角は別段答えない。
「いずれまた会うだろう。積もる話はその時に。さらばだ秋水。我が永遠の好敵手」
顔だけ振り向き、伸ばしきった左の先で親指を立てると
「あ。あと、そこな女のコ。たぶんもうすぐ爆笑必至のモノが見れるぞ。俺の力作を」
愉しげに言い残し、夜の帳に消えていった。

「静かでいい夜だ。俺たちが動き出すには格好の。ま、職員室の方が若干騒がしいがな……」

秋水に聞こえないほどの小声でぼそりと吐き捨てながら。

「変わったお友達だったね」
額に手をあて、遠くを見るような仕草をしながら、まひろは感心したように呟いた。
「友人では別にない」
秋水は不快そうだ。
懐手に掴んだ核鉄は汗みずく。その生理的嫌悪感が先ほどの出来事への印象を悪くして
いるし、咄嗟に武器を展開できなかった自分への苛立ちもある。
『核鉄』というのは掌に収まるほどの大きさと厚みをした六角形の金属片。
闘争本能によって作動し、持ち主に見合った武器を発現する。
されど秋水は反応できなかった。からかいだとしても、そうと分かったのは今しがたであり、
最中においては反応すべきだったというのに。
似たような経験を持つ秋水だから、気分は余計に苦い。
「それはともかく…………」
すぅっと息を吐くと、彼は表情の険を務めて抜いて、言葉を発した。
「送っていく」
笑顔でいえばいいのに、仏頂面で彼はいう。
L・X・E在籍時には生徒からの信望を得るため、かなりにこやかな笑顔を振りまいていた秋
水だが、今は取り繕う必要がなくなったのであまり笑わない。
第一、話題が話題でもある。
秋水なりにまひろを送るコトを真剣に考えているし、真剣な話題ならば余計に笑うワケには
いかない。
だが秋水、この命題に対して、やや悩みを抱き始めていた。
先ほど決意をしたのはいいものの、まひろにとってそれが有益な話題か否かはまた別次元
の問題なのだ。
結局はカズキへの贖罪意識が先行した決断で、押しつけるのは迷惑にも思える。
秋水は前歴のせいで、他人との距離を測るのが苦手なので悩んでいる。
もっともそれは、彼の銀成学園における人気度を知る者からすれば噴飯モノである。
容姿端麗で成績優勝、剣道部のエースでなお且つ副会長。
高スペックすぎる肩書きを持つ彼だから、当然、女子からの人気も高い。
秋水のような人気者との接触は、よほど特殊な感性を持っていない限りは役得に転じる。
いわばタレントからサイン色紙を貰ったり手を振ってもらったりするような、そういう気軽な役得だ。
まして「寄宿舎に送る」という行為など、金を払って望む者すらいるだろう。

実際、まひろも秋水の申し出は嫌ではない。
かつて剣道の練習で、秋水が力余ってカズキを気絶させてしまったコトがある。
その時まひろは抗議すると、秋水は美青年パワーのキラキラ全開で謝った。
美青年というのは魔力すら秘めている。
基本的に「お兄ちゃんっ子」だと思われていたまひろですら、目にハートマークが浮かぶくら
い熱を上げて黄色い声をあげた。(残酷な裏切りに、カズキは泣いた)
以上のように、まひろの美的感覚は一応普通。秋水を「カッコいい」と思っている。
カッコいい先輩に送ってもらえるのは少女冥利につきるし、親友2人へのいい話題になるし
カッコいい先輩がふだん何を考えているのか、色々と聞きたくもある。
(でもダメ! それじゃ桜花先輩が学校に1人ぼっちになっちゃう)
弟な秋水先輩は、お姉さんと一緒にいなきゃ寂しいと、内心で一生懸命かぶりを振る。
「だ、大丈夫! 学校から寄宿舎までなら何回も歩いたコトがあるから、桜花先輩の方を……」
踵を返すと、ギザギザしたロングスカートがふわりと舞った。
それが元の形に落ち着く頃、まひろは懸命な顔で秋水を見上げた。
見上げた。
ただじーっと、見上げた。
161cmの彼女からすれば、181cmの秋水は山がごとき高き位置なのだが。
首の疲れもモノともせず、見上げている。
「もし君が嫌なら、タクシーを呼んで寄宿舎まで送る」
対する秋水は、ひどく真剣な面持ちだ。
それを見た瞬間、”童顔めいたOL”という幼いのか幼くないのかよくわからない顔立ちに、ひ
どく無邪気な微笑が浮かんだ。
「何か」
「先輩、猫さんになってる!」
「は」
秋水は不審も露に問い返した。
猫? 一体何をいっているのか?
「ゴメンね。せっかくのシャッターチャンスだから! エイ!」
まひろはすかさずポケットから携帯を取り出すなり、秋水を撮った。
「ほら、ほら! 面白かわいいよ秋水先輩」
くるりと裏返された携帯電話の、その画面に映し出されたのは。
黒い猫ヒゲを描かれた秋水の顔。
右頬に3本。左頬に3本。
間の取り方は実に派手だ。
目元から鼻に向かってちょうど45度の角度で振り下ろされたヒゲと。
頬の中央で水平に描かれたヒゲと。
頬の端から鼻に向かってちょうど45度の角度で振り上げられたヒゲ。
それらが片頬に1本ずつで計6本。
更に、顎の中央から下唇にかけても線が1本。鼻にも点が1つ。
前髪をかきわけ額中央にも1本。

(あの時……!!)

総角が突如踏み込んできた時、描かれたようだ。
それも一瞬のすれ違いに『9回』も。

総角がくれた、初めての猫ヒゲ。
それは水性塗料で、数は9本でした。
その形はとても長くてチャーミーで、こんな素晴らしい猫ヒゲを貰える秋水は
きっと特別な存在なのだと感じました。今では秋水は猫さん。
ただ焦るのは、もちろん「これが刃物だったら」
なぜならこれもまたベタな演出だからです。

気難しい顔で秋水は頼んだ。
「頼むから消してくれ」
粘るかと思ったが、まひろはあっけなく頷いた。
「うん。嫌なら消すよ」  
手を伸ばしたのは……秋水の顔だ。
身長差を補うためか、すっくと背伸びをしている。
そして右手の人差し指から小指までを頬に当てて、親指でせっせと猫ヒゲを拭っている。
さすがに秋水は驚いたが、強い拒否はできない。
黒目がちな瞳に灯る真剣な光や、やわやわと顔を撫でる小さな小さな親指。
まひろが本当に心から一生懸命、インクを落とそうと動いているのが見てとれる。
それを拒むのは、ひどい悪事のように思えた。されど白い指が汚れるのも忍びない。
「その、消してほしいのは携帯電話で撮った写真の方だ」
葛藤の末、秋水はなるべく柔らかい声で呟いた。
「あ、ゴメンね。てっきり顔の方かと」
「俺の方こそすまない。主語をつけ忘れていた」
秋水は微妙な表情だ。
彼自身、自分の顔に浮かんでいるのがどういう意味合いかよく分からない。
困ったような安心したような、……もうちょっと別の感情があるのか。
幼い頃の境涯が元で、他人はおろか世界に対しても心を鎖(とざ)してきた秋水だから、他人
に対する情動は区分し辛い。
完璧に見える秋水なのだが、他人絡みの事柄となると途端に弱い。
で、まひろが正に、写真を消さんと試みた瞬間。
携帯が震えた。どうもマナーモードだったらしい。
おっかなびっくりに出たまひろのする会話内容に、秋水は「おや?」と思った。
どうも覚えがある。「転校生」だの「外人さん」というフレーズに。
やがてまひろは恐縮しきったお辞儀をし、携帯電話に何かの操作を施して秋水に差し出した。
「桜花先輩から」
調べ物が終わったのだろうか?
「ま、まぁ。半分ぐらいは」
桜花の声はかすれて震えている。秋水は心配したが、どうも笑い声らしい。
「私のコトはいいから。とにかくまひろちゃん、私が心配で動けないでしょ? だから今から
5分置きに『私は無事よ』って電話するコトにしたの。これならいいでしょ?」
帰りが少し遅れそうと付け加え、桜花は電話を切った。
後に残ったのは、気まずさと若干の嬉しさがブレンドされた栗髪の少女と、秋水だ。
「えーと。色々ごめんなさい! とりあえずここはお言葉に甘えて」
秋水は無言で深く頷き、まひろとつかず離れずの位置で寄宿舎に向かって歩き始めた。


前へ 次へ
第001〜009話へ
インデックスへ