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第014話 「バトンタッチ」  (1)



晦冥の廊下を銀影が詰めたとみるや、千歳は咄嗟に身を捻った。
千歳の真横を拳が通りすぎ、嵐のような風切り音が耳をたたく。
正中線はからくも外せた。あくまで、からくも。
冷汗に全身ぐっしょりと濡れそぼる千歳のすぐ横には防人──ただし何らかの効能により
ヘルメスドライブより出でた偽者──が依然として佇んでおり。
覆面の中で鋭く息を吐くと、回し蹴りを繰り出した。
ここは廊下。いささか狭い。だが千歳は背中を壁に叩きつけんばかりの勢いで飛びのいた。
転瞬。重機のような衝撃が千歳のいた空間をなぎ払い、廊下の壁を抉り取っていた。
例えば巨大な彫刻刀で石膏を削らばこうなるか。
コンクリート製の壁に刻まれた蹴りの軌跡に、千歳は戦慄する思いだ。
固い壁に背中を激突させたせいで軽い呼吸困難をきたしているが、直撃に比べればまだま
だ微細。
しかも今の攻撃は、防人にとってはただの通常攻撃なのである。
彼のまとう防護服・シルバースキンは防御一辺倒の武装錬金。
攻撃に対し瞬時に硬質化。仮に破損してもたちどころに修復する。
ミサイルの直撃ですら爆ぜず、ABC兵器(核、生物、科学物質の応用)もシャットアウト。
反面、直接的な攻撃力は皆無。防人はそれを鍛えぬいた超人的な身体能力で補っており。
結果、戦闘力については今の攻防の通り。
(寸分違わない)
壁と、その下で無残に破壊された手すりを見る千歳は、かすかな希望を砕かれる思いだ。
攻撃の正体は分からない。だが仮説はあった。
千歳が知悉した人間をヘルメスドライブ経由で再生、かつ攻撃させる特性。
(原因は恐らく──…)
鳩尾無銘と名乗る巨躯の黒装束の男の奇襲を受けた時。

──「忍六具(シノビロクグ)の武装錬金・無銘が弐。鉤縄」
──ヘルメスドライブの裏側で甲高い金属音が響くと、鉤縄が空に向かって大きく跳ね上がった。

受けた傷は筺体にまだかすかに残っている。砂嵐の画面の横で生生しく。
(この傷。あの時の武装錬金。ヘルメスドライブを狂わせる『何か』を仕組んだ筈)
だとすれば、である。
武装錬金の特性である以上、必ずどこかに穴がある。
防人のシルバースキンが絶大な防御力と引き換えに、直接的な攻撃力を一切持たぬように。
そこで千歳が想起したのが、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。
総角主税操る認識票の武装錬金だ。
他者の武装錬金を扱えるが、創造者のDNAがなければ最高で80%ほどしか性能を引き出
せない。
(なら、同種同質のヘルメスドライブから現われる存在が、弱体化している事は……)
蹴りが振り切られた。
当りはしなかったが風圧で前髪が何本か切り取られた。額もうっすら斬られたようだ。
千歳は内心でかぶりを振る。推測はどうやら外れているらしい。
勝手な希望的観測がやはり違っていたともいえるが、そうならざるを得ないほど千歳は逼迫
しているのである。
目の前の破壊痕はひたすらに恐ろしい。
壁が抉られ、金属製の手すりすらバターか何かのようにすっぱり斬られている。
(……手すり? 壁に、一体どうして? いえ、でも確か──)
先ほどから覚えているこの場所への既視感が一段と明瞭になる。
果たしてここはどこなのか。
考える余裕などない。立ち止まる暇もない。
「ブラボー技(アーツ)13のうちの一つ!!」
すさまじい気迫が防人の肉体に充溢した。
今度は千歳の背後に壁はない。飛びのくのに支障はないが──
彼女は低く呻くとかがみこんだ。先ほど壁に打ちつけた背中が痛むのか。
だがそんな彼女に容赦なく、痛烈な攻撃が浴びせかけられる!!
「粉砕!! ブラボラッシュ!!」
防人はその拳に高速と重量を乗せ、絶え間なく撃ち貫く。
その速さはやがて残影を呼び残像を巻き起こし、百とも千とも取れる無数の拳と化した。
華奢な千歳がそれを受けてはひとたまりもない。もはやガトリングガンの前の野うさぎである。
にも関わらず彼女は涼しい顔を上げた。
「やると思ったわ」
床から何かを拾い上げると、防人の顔面めがけて放り投げた。
それは、真赤な筒。

「このシルバースキンの防御力は無敵!! 何を仕掛けようと無駄! 無駄無駄無駄無駄」
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄
無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄……
無駄ァッ!!」
修羅のごとく咆哮しつつ拳を間断なく繰り出す防人は、投げられた物をいとも簡単に打ち砕き。
爆発の閃光に目を灼かれた。
防人登場の際に破壊された壁をくぐり抜け、千歳は一息ついた。
(さっき、久世屋……いえ、久世夜襲を倒すときに入れ替えたトイズフェスティバル。たまたま
近くに落ちていたから)
「ブラボー。俺の目を潰して逃げる時間を稼いだというワケか戦士・千歳。確かに、シルバー
スキンは閃光までは防げない。いささか油断していたようだ」
1人残された防人は銀の帽子を心持ち目深に被り直した。
まだら。ノイズ。暗雲。
まとう純銀のコートには黒曜の光が入り混じり、いかにも偽者臭い雰囲気を醸し出している。
やれやれと息を吐き、肩の1つでもすくめたい気分だ。
偽者とはいえ精神は防人衛と代わらない。
先ほど壊した壁も実をいうと直したい。日曜大工が趣味なのだ彼は。
左官よろしくコンクリートを塗りこめるコトに、前向きな意欲がいろいろと沸く。
「もっとも。現われた以上、俺はお前を倒すしかない。どれ。逃げた方向は」
肉体はおろか聴覚視覚も鍛えぬている防人である。
瞑目し、千歳の足音を捕捉するにはさほどの時間も要さない。
防人は駆けた。腰まで垂れた三角形の襟をはためかせ……

もとより超人的な身体能力を有する防人である。
千歳に追いつくコトは造作もない。

(この状況を切り抜ける方法は1つだけある)
背後でドアが吹き飛び、きりもみながら壁に激突した。
(彼の力を借りれば、恐らく)
黒いブーツがひしゃげたドアを踏む。
(ただ、合流できるかどうか……)

「見つけたぞ!! 戦士・千歳!!」
防人が拳を下方に向かって爆発的に叩きつけると、床がドアごと割れた。
恐るべきコトにその衝撃は前方へと伝播した。
床を瓦礫と化しつつ千歳へ迫る衝撃波。
逃げざるを得ない。だが、疲労はいよいよ頂点に達しつつある。
夜襲から逃げ防人から逃げ、体力はほぼ空に近い。
息が乱れぬよう乱れぬよう腹部に空気をかきこむが、回復には時間がかかる。
ダメージも浅くない。ヘビの特攻を受け、背中を壁に叩きつけており。
今度は背後から肉迫した防人に膝裏を蹴られ、前のめりに転倒した。
「くっ」
短い苦鳴を上げつつ、どうにか床に顔面を叩きつけないよう努力したが無駄だった。
鼻にすさまじい衝撃が走る。鉄の匂いが鼻孔を満たす。
歯を折らなかったのが不幸中の幸いとはいえ、唇も無事ではない。
鋭い痛みが鼻の鈍痛と交じり合い、千歳の息は一時的に絶え絶えとなった。
そんな彼女を見下ろしながら、銀のコートはゆっくりと前に回りこみ、しゃがんだ。
「……うーむ。どうも性分には合わんが…………悪く思うな戦士・千歳」
艶やかなショートヘアーをむんずと掴んで引きずり起こすと、今度は顔面に掌打を叩き込む。
衝撃がブラウンの手袋から美しい顔を突き抜ける。
同時に千歳は白い顎を天に仰け反らせながら声もなく後ろに倒れた。
よく手入れされた髪はくしゃくしゃとなり、千歳は息をするのが精一杯。
激しい息に豊かな胸が波打つ。
無残にも鼻から血がとめどなく流れ、口からは血に塗れた歯が覗く。
息を口でしているせいだが、その口が。
声にならない叫びと共に大きく開き、滑らかな舌肉や磨きこまれた白蝶貝のような奥歯を
あらわにした。
何故そうなったかというと、みぞおちに正拳を叩き込まれていたからである。
更に拳をねじ込まれると、気道から名状しがたい呼吸音をほとばしらせ、千歳の長身が足
ごと丸まろうとした。
それを防人は髪を掴むコトで阻止し、無理に引き上げると頬に裏拳を叩きこんだ。
力なく横に倒れる千歳。
髪は乱れ、顔は床につっぷし、タイトなスカートから覗く白い足を力ない「くの字」に折り曲げ
腹部に至るまでのラインは、妙齢の女性らしく脂が乗りつつも、細く締まっている。
艶かしいといえば艶かしいが。
「さて。そろそろ終わりにするか。すまないな戦士・千歳。俺自身の意志としてはしたくない
コトだが、逆らえないように出来ている。だからこれで終わりだ」
防人は手刀を頭の上に高々と掲げた。
繰り出されるのは両断・ブラボチョップ。
ホムンクルスですらその名の通り真っ二つにする魔技である。
「…………ところであなた」
顔を伏したままの千歳は、呻くように呟いた。
防人は一瞬動きを止めたが、すぐに振り下ろす体勢に入った。
「ここがどこか知っている?」
謎めいた、それでいて全く意味のない質問である。
仮にここがどこか分かろうとも、いま正に千歳へ迫る手刀を止める手段にはなりえない。
詭弁ともいえる質問なのである。
「私は知っている。いえ、ようやく気付いた。手すりを見て、ようやく……」
防人と千歳の中間点。
そこに1条の稲光が煌いた。
稲光はすぐさま数条数十条の稲妻と貸し、大きな影を排出した。
「な、何!?」
防人は愕然と中空を見やる。
そこにあったのは。
防人自身の右腕! いま、正に手刀を当てんとしていた右腕!!
「相変わらず貴殿は判じ難い」
薄暗い廊下に、白い布がたなびいた。
布? いや、マフラーである。
それは小柄な男性の首に巻きつき、再殺部隊の制服に彼らしいアクセントを与えている。
「頭が回るかと思えば、かような窮地に再び立たされている」
前髪で覆っていない方の目を無愛想に細めながら、彼は千歳の肩から手を離した。
「ごめんなさいね。でも私も組織と同じように、えてしてそういう物なの。違う?」
傷だらけの顔で、千歳は気取った笑いを浮かべて見せた。
例えば猛禽類が獲物を見つけたような、歓喜を含んだ一瞬の引きつりのような笑顔だ。
ひょっとしたら移ったのかも知れないと千歳は思う。
「ところでさっきの質問の答えだけど
防人の腕が床に落ち、数度バウンドした。
「ここは聖サンジェルマン病院の地下。だから彼がいるの」
彼──根来忍は相変わらずムスっとした表情である。
一度入院を決意した以上、それは彼にとって達成すべき『任務』であるから、横槍を入れら
れるのはあまり面白くないのだろう。
「手すりがあったからピンと来たわ。アレは患者さんがリハビリの時に使うものなの。例えば
防人君だってこの前使っていたわ」
「そして先ほど病院の人間から私に依頼が来た。『地下で爆発音がし、監視カメラを確認し
たら防人戦士長と戦士・千歳が争っている。事情は分からないが止めに行け』と」
「なるほどな。ココが聖サンジェルマン病院であればそうなるだろう。お前が居て、怪我もそこ
そこ治りつつあれば…… まぁいい。御託は抜きだ。まずはお前から──」
「私から?」
根来の頬が影のように揺らめき、やがてひどく冷徹な笑みへと変貌した。
「違うな。既に終わっている。よって貴殿が私を相手取るコトなど到底不可」
どうっ! という鈍い音と共に、防人の顎から金色の刃が生えた。
背中から顎が刺し貫かれている。
防人は仰け反りながら、気付いた。
背中から顎へ向かって、忍者刀が刺し貫かれていると。
(さっきの腕の切断もそうだけど、シルバースキンの絶対防御が発動しない。というコトは……!)
「真・鶉……隠れ。確かにお前の性格ならそう……するだろうな。不意打ちとはいえブラボーだ。
ところで戦士・千歳」
細かい銀の粒子として拡散しながら、防人は襟をはだき、寂しそうに笑って見せた。
「すまなかったなぁ。だが……俺……は偽者。本物を責めないでやってくれ……」
「ええ。分かってるわ」
「ブラボー……だ」
防人は消えた。残ったのは銀の粒子のみ。
それがハエの群れのようにかまびすしくヘルメスドライブへ吸い込まれた。
「ひとまず終わりか」
「いえ、まだ。恐らく元を断たない限り」
ヘルメスドライブの画面が、三度怪しく明滅を始めた。


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