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第014話 「バトンタッチ」 (2)



あたしは栴檀香美! 
戦いにきたはいーけどさっ、ご主人気絶しちゃってるじゃん。
だからご主人守らなきゃなんないの! 
だからあたしなりにいっしょー懸命あの垂れ目と戦ってるんだけど!
くしっ! くしっ! んにゃ! あーくしゃみ出た。で、なんだっけ。
…………
…………
ふぎゃああああああ! やばい、まちがえた! 失敗したー!!
枝の上にのぼってさ、手のぶよぶよしたうっとうしい奴から……うん? 名前なんだっけ?
……うーみゅ。分からん。ご主人教えてくれたっけ?
って、考えてる暇なんてないじゃん! ひええ、また飛んできたぁっ!
あああ、あの、あの、あのうっとうしい奴で葉っぱを吸収して、針のよーに撃つつもりだったワ
ケよあたし! 分かる? ねぇ、分かる!
ここ高いし暗いし、メチャクチャ恐いの! あーもう1人じゃ恐い。ご主人早く起きてよ……
でもあたしはこらえてるの! 孤独の雨に打たれても、瞳は明日を見てるのよ!!
枝の上のしげみに隠れてさ、撃って撃って撃ちまくったら楽勝って考えたから!
ほらあたしってすっごく頭いいじゃん! 電話帳一冊ぐらいなら一瞬で暗記できるし!
ま、どういう意味かはちっとも分かんないけど。本当もう、時間とか足し算とか難しすぎ!
考えた奴、ばかじゃん! 難しいコト書いて弱い者イジメするなんてほんっっとーにイヤ!
でもあたしは頭いいから、しげみに隠れて一方的にアイツ撃てば勝てると思ったワケよ!
でもこのザマ!
きぃぃっ、垂れ目むかつく!
だいたいあたし、あんたが吹っ飛ばされたあと手当てして付き添ってたやったじゃん!
ありがとーぐらいいってもいいじゃん。それから戦いやめてくれたら解決じゃん。
あたしはねぇ、できたらケンカしたくないの!
そりゃ弱い者イジメする奴はこらしめるけど、死んだり殺したりはイヤなの!
なのにどーして追い詰めてくるワケ! 負けたって別に死ぬワケないじゃん!
アイツさ!
木の陰にひらひら隠れて針避けるの! んで、針を撃ったあたしに武器投げるの!
そしたら枝がぎゃーしてあたしが落っこちそうになって、ばーっと安全な場所に飛ぶの!
今もそう! 枝がぎゅらーって切り取られてあたしは軽やかにじゃーんぷ! うにゃー!
お、お? あたしちょっと今、あやちゃん入ってるかも! 小札のあやちゃん風だとさ、

「ふしょー、ぶっ太い枝をたわませつつ軽やかにじゃんぷ! 幸いにしてゆく先には人一人
ぐらいなら辛うじて支えられそうな枝あり! これは松か、はたまた樫か! ともかくも人一人
ぐらいなら辛うじて支えられるコトは確実です! そこへ手を伸ばしがしりと掴み、軸にふわ
りと半回転すれば着地は無事なせるでしょう! おお、目に浮かびまするは、軽捷なる香美
どのならではの絶妙なる体技。正にウルトラC! 実現すればふしょーは10点満点の札を差
し出しだすでしょう」

ってトコ? 

「しかしここでアクシデント発生!」

え?

「枝にはカナブンさんが止まっておりました。このまま枝を握ればつぶすは必定! さー握る
かやめるか、今のお気持ちはどっち!」

や、やめるっきゃないじゃん! 死んだらカナブンかわいそう。で、でも……
わわわわ、落ちる落ちる、下見たけどココ結構高いじゃん! 猫だからってねぇ、奇麗に着地
できるのは2mぐらいまでなんだから恐いに決まってるじゃん!
こうなったら奥の手じゃん。しっぽで枝を……
うがああ! しっぽ痛い痛い! お尻も痛い痛い!
でもどうにか枝にしがみ、ぎゃああ!
な、なんであんたがここにいんのよ垂れ目! カ、カナブン踏んでないでしょーね!
あ、ああ。よかった。飛んで逃げてる。よかったよかった。達者でくらすのよカナブン。
ふぁ? 何よ垂れ目。変な顔して。
さっきの武器を見ろ? うん。見る。でも不意打ちしたらひっかくわよ! いいわね!
うあ、他の枝に引っかかってる。で、なんか蔓がついてて、それが枝のところにぐるぐる巻き。
え? 目がいい? そうでしょそうでしょ。だってあたし猫だもん。目はいいの。
じゃあなんで暗いところが嫌いかというと、暗いところだから。
目が良くてもね、人間でいうなら懐中でんとーで照らしてるよーなもんだから、暗いのに変わ
りないし。まぁ、正直あんたが来てくれてちょっと安心してるかも……
え、あ。さっきの武器の話?
……ふっふっふ。何いってんの。
電話帳は一瞬で暗記できるのに言われたコトはすぐ忘れるのがあたしよ!
覚えてるワケないじゃない! だからもう1度見る! ゴメンね垂れ目!
ははん。よーするにアレね! 鳩尾の奴がよくつかってる鉤なんとか。
遠い場所に引っ掛けてここまで上ってきたってワケね! ん? でも何か忘れてるよーな。
…………
…………
…………
はっ!

あたし追い詰められてるじゃん。ダメじゃん!
でもそれ以上にやばいの! は、早く移動すんの垂れ目!
違うじゃん! 逃げるとかそういうのじゃなくて、ああもうほら、ミシミシいってる!
何が? きぃぃ! これだけ説明しても分かんないの!
ここは人一人分ぐらいしか支えられないの!
だから……ぎゃあ! 足元がボキリといった! 枝折れた!

あああああああああああああああああああああああああああ!!

落ちる! 落ちる! 恐い恐い! 高いの嫌あああ! ちょっと漏らしたああ!
やだやだ。あたし死にたくない。恐いの嫌……って、止まってる。
お腹のあたりに垂れ目の手がある。
で、あいつ、もう片方の手で蔓握ってる。
あ。
さっきの武器が支えになってあたしと垂れ目が宙ぶらりんだ。
ありがと垂れ目。何とか助かったからさ……

「あたしの負け」
地上に戻ってからあっけらかんと呟く香美に、剛太は唖然とした。

まるで卵を丸呑みしたようなマヌケな表情だと、自分でも思う。
思いながらも香美の肩口からモーターギアを抜き取り、枝に投げ、括っていたもう片方を回
収した。
(ま、いっか。いつまでもコイツと戦ってても仕方ない。さっさと捕まえて先輩と合流するのが
大事)
「ってワケであたしを逮捕!」
剛太が葛藤する間に、香美は自分の手を正面でぐるぐるに縛った。
先ほどの蔓である。蔓をくわえて最後の結び目をくいっと一引き。
「何やってんだ」
「何って、あたし降伏したから。ん? なんだったらさ、お腹見せながら寝っころがる?」
「いや、そーじゃなくて」
剛太は頭が痛くなってきた。
どうにも現実主義的な傾向だから、気楽な人間というのが受け付けられない。
カズキもそうであったし、香美も然り。
「お前、さっき散々ご主人がどうとか喚いてただろ。それが何で急に降伏とか」
香美は不思議そうに剛太を見つめた。それからしぱしぱと瞬きをして、笑った。
笑うと八重歯が覗いて本当に気楽な表情だ。
「だってあんた、あたしを助けたじゃん」
剛太は焦った。そういえば何故香美を助けたのか。
(放っておきゃあ良かったんだ。だってコイツ、ホムンクルスだぞ?)
戦士の通念上、もはや害獣としかいいようのない存在だ。
戦場でそれを助けたとあれば、査問会に掛けられても仕方ない。
ただ、剛太が枝に移動したとき、香美はカナブンがどうとか本気で心配して、無事な様子を
確認すると心底安心したような表情を浮かべていた。
それを動機に助けたとしたら、すさまじく甘い対処といわざるを得ない。
カズキですら

──武装錬金(コレ)は人に害を成す怪物(ホムンクルス)を斃すための力で、人を殺すた
──めの力じゃない。

といっている。でも剛太はモーターギアを鉤縄のように使って香美を助けてしまった。
(ったく。本当に俺は何やってんだか)
剛太は腰に左手を当てた姿勢のまま香美から視線を離し、軽く舌打ちした。
「るせぇ。勘違いすんな。てめーには色々話して貰うコトがある。だから殺さなかっただけ」
香美のしっぽがひょこひょこした。
「だったら殺すつもりなかったってコトでしょーが! んで、あたしを殺すつもりないってコトは、
ご主人も殺さないってコトで、あんたはご主人の敵じゃないワケよ。だったらケンカしない。も
りもりからも、戦えって言われてるけど、勝敗はどっちでもいいらしいしっ!」
気楽な様子に、剛太の頭痛はますますひどくなる。
軽くうなだれ、頭に手を乗せた。
(本当分かってんのかコイツ? 尋問終わったら殺されるかも知れないって。キャプテンブラ
ボーや千歳さんならともかく、先輩がコイツを放っておく筈が──…)
ハっと目を見開くと、剛太は慌ててかぶりを振った。
(い、いや。俺がコイツの心配をしてやる必要ないって! 大事なのはコイツを護送して、それ
から先輩と合流する! それだけ!)
同情的な気配を払拭するように、剛太は話題を変えた。
「ところでてめェ。なんで俺の顔を知ってたんだ?」
「んにゃ?」
ぐじゅぐじゅと蔓の端っこを食べながら、香美は猫耳をぴくぴくさせた。
「喰うなよ!」
「っていわれても毛玉吐くのに必要だし」
ごぎゅりと飲み込むと、「何?」っと香美は応じ、今一度の誰何を受けると答えた。
「あ、あれね。あれはね、もりもりから聞いたの」
「もりもり……ああ、総角主税とかいう男か」
「そそ。んで、もりもりはひかり副長から聞いたって。ん? あんたひょっとして知らないの?」
「何がだ」
「だってひかり副長さ、あんたと会ったコトあるらしいけど」
「はぁ!?」
「だってね、実は……」
『ハーッハッハッハッハッハ! 不覚にも気絶していれば香美が途轍もない大失態を
やらかしかけてるなぁぁ!!!』
大砲のような大声が、突如として山中に響き渡った。
剛太は反射的に度を失った。生物的な驚嘆に肩をびくりと震わせるのが精一杯。
反対に香美は喜色満面だ。
「別に時間かせぎしてたワケじゃないけどさ、ご主人起きた。これで夜道も恐くないっ」
「ご、ご主人……?」
そういえば先ほどの戦闘の最中、ご主人と呼ばれる男の声が随所で響いていた。
山に飛ばされた直後にも、香美は「ご主人が気絶して……」といっていた。
(しまった。まさか敵はこの猫娘だけじゃなく、もう1人……!?)
『駄目だ香美!! それは極秘中の極秘!! すでに6つある割符のうち、5つは僕たちの
手中にあるなんてのは!!」』
森がとてつもない静寂に包まれる。
剛太も、そして香美も、全身から脂汗が溢れる思いをした。
「ちょ、ご、ご主人、それだけはバラしちゃ……」
「本当なんだな」
「え、え?」
急に沈み込んだ声のトーンに、香美はどぎまぎした。
「てめェらが割符を既に5つ持っているというのは!」
『ははは! ウソだ! ちなみにドロボウがよく使う唐草模様の風呂敷は、むかしの家庭に
よくあったもので、忍び込んだドロボウがそれに貴重品を包んで逃走するというイメージの
元に作られたようだ! こっちは本当だぞ! オレンジページの”あなたに代わって見聞帖”
で読んだからなあ! そして割符5つはウソだぞ本当に!』
「ご、ご主人、垂れ目全然話聞いてない! てか飛び掛ってきたあ!」
剛太のこの時の機敏さは、特筆するに価するだろう。
(本当だとすれば一大事じゃねェか……! ボヤボヤしているヒマはねェ!)
よく分からないが敵の声の出所は香美。
香美へのかすかな葛藤もあったが、緊急ともいえるこの事態の前に押しつぶした。
瞬殺狙いで攻撃するのは当然の術理であろう。
もっとも、そういう術理を電撃的に身体へ反映できる者は稀有といえる。
剛太は、稀有であった。
手にしていたモーターギアを踵に移動させ終わる頃には、その身を躍り上がらせ、香美の喉
首目がけて鋭い蹴りを繰り出していた。
手を拘束していてもさすがに香美。慌てて足を後ろに半歩引き、蹴りをかわしていた。
「しゃーっ! さっきの言葉はウソなの!」
『怒るな香美! 戦士としてはむしろ正しい行動だぞっ!!』
「けど」
『お前を追い込むほどの相手だ! 今こそ交代するぞ、時間を稼ぐんだあ!』
「う、うん。……分かった」
戸惑いの色を含んだ眼差しを、剛太に向ける。
その色はホムンクルスらしからぬ申し訳なさに溢れていて、剛太の胸が一瞬きりきりと痛ん
だ。
「実をいうとさ。あたしの手の中に割符があるワケよ」
縛られたままの手を無理にねじ開いて、剛太に向ける。
「あんたら、コレがないと困るんでしょう?」
事実だろう。
少なくてもその回収を任されている新人戦士の立場からすれば、目前にしながら回収できな
いというのは立場的な死活問題である。
「だから今から……コレを撃っちゃう!!」
「何を」
「忘れたの? あたしの手から射出された物はそこそこ素早いの!」
『そうだぞそうだぞ! 水はウォーターカッターのようにホムンクルスを切断し、葉とて針のよ
うに鋭く飛ぶ! 空気はいわずもがなのカマイタチ! いかに割符が頑丈でも、そんな速度
で木にぶつかったらどうなるか!!』
破壊は目に見えている。
「く…… だったらその前にお前たちを!」
「残念だけど、遅い!」
香美の手から射出された長方形のプレートが、剛太の頬を掠めた。
声にならない呻きで踵を返す。そして踵の戦輪(チャクラム)を全身全速!
急発信の自動車のような無理な重力に上体がさらわれそうになる。
それを力づくで戻し、けして平坦ではない森を疾駆する。
視界の両脇には木のみならず大人が座れそうな石すら点在している。
気持ちの悪い揺れが足からガタガタと立ち上り、至る所が軋み始める。
そんな努力をよそに割符はぐんぐん遠ざかる。
行く先には大木。当たれば粉砕は想像に難くない。
「く…… おおおおおおおお!」
剛太は駆けに出た。
右踵で活動中のモーターギアを心持ち斜め前へ射出! 
右足が動力を失い、左足に引きずられる形になる。
されどそれは一瞬のできごと。
左踵の戦輪に先ほど射出された右踵のそれががっぎと絡み合い、弾く。
モーターギア、スカイウォーカーモードの回転数は平生のそれを下回る。
なぜならば剛太の自重を支え、かつ、地面との軋轢に力を散らしているからだ。
自然、投擲時の回転数を下回る。
だが!
いいかえれば中空においては踵の回転数よりはるかに早いというコトになる!
そのありあまる回転が、土着疾走の戦輪に絡み合えばどうなるか!
次の瞬間、爆発的な加速が剛太の左踵から誕生した!
彼は一瞬だけ、何の重力の干渉もない本来のモーターギアの回転数を動力としたのだ。
本来なれば追いつけない、割符の飛翔速度をもしのぐ加速を得た!
そのまま彼は飛び上がり、割符目がけて大きく手を広げ──…
掴んだ!
そのまま地面に転がり落ち、服を土塗れにしながらごろごろと転がるコトしばし。
乗り物酔いにも似た吐き気に顔面を蒼白にしながら、剛太は立ち上がった。
「気持ち悪ぃ……」
手に割符があるのを確認する。どうやら蝶の羽を模したらしいレリーフが刻まれている。
もっとも剛太はさほど昆虫に興味がないので、それがどの部分の羽かは分からない。
ちなみに近くには一抱えもある大きな石が鎮座しているが、先ほど弾き飛ばした右踵のモー
ターギアがほとんど埋没した状態で突き刺さっている。
左踵の戦輪を弾いた時の衝撃のすさまじさが雄弁に語られているといえよう。
『ハーッハッハッハ! ナイスだぞ少年!! 身を呈した任務遂行、実に恐れ入る思いだ!』
「そのご褒美に見せたげようか? あたしたちの交代っ」
木々を縫ってゆるやかに現われたのは香美だ。
やや背は高くすらりとしながらも豊かな胸を持つ、ちょっとお馬鹿な猫耳美少女。
『ソフト面ではすでにOKだ! 後はハード面のみ!』
彼女は身構える剛太を物ともせず、手を動かした。
どうやら先ほどの拘束は自力で解いたようだ。ひょっとしたらその時間稼ぎも含めて割符を
飛ばしたのかも知れない。
「ぴしゅう、ぴしゅう、ぴしゅう、ぴしゅう……」
まじないのような声が香美の口から漏れる。
両手の人差し指(猫にあるかどうかは別として、人間でいうところの部分)を彼女は立てた。
次に左手は腰だめに。
もふもふした右手は、腰からゆるやかに持ち上げた。
そしてそれが肩のやや上まで来ると、剛太に掌が向くようババっと捻った。
「……変身!」
『ターンアップ!』
自らの頭を掴み。
そのまま、力任せに香美は捻った。
ごぎりという鈍い音に一拍遅れ、香美の頭は180度回転した。
「な……?」
異変はそれだけで終わらない。
髪に入った鶯色のメッシュが、周囲の茶色に溶けていく。
のみならず、髪が見る間に縮む。逆に後頭部では髪が伸びる音がする。
そぞろに戦慄を禁じえない。
いったいどう形容すればいい。
現実主義者の剛太だから、見たままそのままをいえば済むはずだ。
だが彼は唖然と目の前の光景を見た。見守るように見るほかなかった。
それまで香美の後頭部だった部分から。
人の顔が現われた。
まず見えたのは顎だ。T字型の無精ひげを生やしている。
唇は火の酒を含んだように赤く、鼻は取り立てて特徴がない。
眼は閉じたままだ。
剛太は微熱の出る思いで、縮みきった髪を、変貌を遂げた香美を見た。
短い茶髪。
ミディアムボブを基調とし、トップから前髪までを左に向かって撫で付けている。
かといっていわゆる「横分け」のように平坦ではなく、ふんわりとしたボリュームがある。
サイドの長さは耳を隠しながら頬の中ほどまで。軽く入ったシャギーが香美を連想させる。
襟足もひょろりと伸び、シャギーがある。
そしていまや体には男性的な変化が訪れている。
豊かな胸はすっかりしぼみ、肩も華奢さを失い、ごつごつとした岩場のような景観だ。
ハーフパンツから覗く脛にもうっすら脛毛が生えている。
だから手足がみちみちとした筋肉に彩られていても、ああそうかと麻痺した脳が思うのみ。
『ふふん。ビックリした!?』
香美の声がした。先ほど聞こえた『ご主人』のようなくぐもりを帯びて。
それもそうだ。なぜなら彼女の顔のあった部分はいまや後ろを向き、髪に覆われているの
だから。
「激しい雨と風に打たれて、鼓動が俺を呼び覚ます!! ……さーてさてさて!! 貴方と面
と向かって挨拶するのはこれが初めてか!?」
眼が開いた。
レモンを横に貼り付けたような形で、かなり大きい。
全力で見開けばそこから顔がめりめりと裂けるのではないかと思わせるほどだ。
反面、瞳孔は極めて小さい。太いマジックで点を打った程度だ。
「初めてだろうなあ!! ああ、初めてだろうとも!! そーいえば学校でも早坂桜花と顔を
合わさなかったか! 声を掛けただけらかな!」
『ご主人、噛んでるって』
「ふはは。人と顔を合わせるのは久々だから緊張している! よって僕は挨拶をするぞお!!!」
とてつもなく気合の入った暑苦しい言葉がほとばしる。
剛太は期せずして2〜3歩後ずさった。気おされたのだろう。
「僕の名は貴信! 栴檀貴信(ばいせんきしん)!! 香美と体を共有するブレミュ随一の鎖
使い!! 好きな物はゲッターロボの歌だ! 漫画やOVAは見ていない!」
そのまま剛太は駆けた。後ろに向かい。
「ふはは。逃げるか! 『走り出せッ!! 振り向くコトなく冷たい夜を突き抜けろ!』か! 
それもそうだろう、だって僕たちが割符を占有していると知りッ! 今しがた割符を1つ手に
入れた! そして目の前には未知なる敵!!! 戦わずして引き、本隊と合流せんとするの
は戦略上正しい!! 確かに正しい!! だが、向かい合う僕には真逆で間違い、許しちゃ
ならん一大事ぃぃぃ!」
人間のそれに戻った掌がぼこりと隆起し、核鉄を出した。
「熱くなれ夢見た明日を! 必ずいつか捕まえる!!」
貴信は核鉄を握り締め、山を揺るがす大音声で叫んだ。
「武 装 錬 金 ! !」
小銭を落とすような「ちゃり」という音が響くなり、光が大木めがけて伸び退る。
大人が4人がかりでようやく抱えられる野太い幹に、鈍色の金属が纏わりついた。
互い違いに編まれた金属の輪、という方が実体がわかり易い。
その名称──…
「鎖分銅(クサリフンドウ)の武装錬金!! ハイテンションワイヤー!! いぃけええええええええええ!!!」
貴信が手を引くと、鎖にまとわりつかれた大木が怒号のような音と共に引き抜かれ、轟然と
宙を舞った。
それを力任せに貴信は振り回す。
大木は恐ろしいコトに、枝でホウキのように空掃きつつ2mほどの頭上で旋回している。
やがては加重すら帯び、めりめりと辺りの木々をなぎ倒しなぎ倒し。
逃げる剛太は背後のおぞましい音に怖気を覚えた。
(どうせ割符は手に入れたんだ。早くこの場を離れねェと)
「させるとお思いか! この僕が貴方のお相手つかまつろう!!」
貴信、言葉も終わらぬうちに、「むん!」と背筋に力を込め、大木を剛太めがけて投げつけた。


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