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第042話 「絶縁破壊 其の壱」



 日本における甲冑の歴史は古い。弥生時代後期にはすでに木製の「短甲」(たんこう。みじ
かよろいとも読む)という、胸と胴体のみを保護する原始的な物が確認されている。具体的な
形状だが、古代ギリシアにおけるリネン・キュラッサの胴体部分や古代ローマのロリカといっ
た「袖のない上着を膨らませて鎧にしたような」物である。ただしその上着は前をボタンで閉じ
るタイプの物だと想像して頂きたい。何故ならば右脇の蝶番によって前の右側だけがパカリと
開くようになっており、着用にはそこから身を入れて(ボタンはないけれど)前を閉じ、両肩を
橋渡す紐でしっかり縛るからだ。
 短甲は五世紀前半には鉄板を鋲で留める形式へと姿を変えたが、六世紀に入る頃から徐々
に姿を消し始め、代わりに「挂甲」(けいこう)へと移り変わる。
 その過渡を見るのに相応しい一例が壬申の乱であろう。当時は豪族たちの甲冑はほぼ挂
甲に刷新されていたが、農民たちは旧態依然の短甲であったという。
 さて、挂甲。
 形状の説明はやや難しい。皆様が「甲冑」と聞いてパッと浮かぶイメージがあるとすれば、
その全身一面を短冊形の鱗に変換していただければ案外もっとも適切かも知れない。
 これは大陸の騎馬民族の影響が色濃く出ており、肩や首、腰など短甲より広い部分を保護し
ながらも活動的で馬上戦に適している。一説にはこの馬上戦への適合をして短甲にとって代
わったともいわれているが、その秘密が、実は──…

 九月三日。銀成市民の何人かは白霧漂う蝶野屋敷から様々な光が時おりチカチカと瞬くのを
目撃した。高台にある今は廃墟同然のオバケ屋敷。明け方フと気づけばそこだけが霧につつ
まれていた。それだけでも見る者の背筋にジワリと戦慄を走らせるというのに、今またまるで太
陽光を手鏡で反射したような光が霧に映えてはすぐ消える。太陽光? いや実態はそれです
らなさそうだ。太陽光なればオレンジないしは黄色だけだが、視認できた限りでも白、赤、黒、
青、と自然にはまずありえからぬ異様の光が迸るのだ。さらに耳をすませば高台の向こうから
何かが爆ぜたり壊れたりする異様な音──… 蝶野屋敷の異変に気付いた者が皆すべてそ
こでハッと顔を恐ろしさに歪めて一切何も聞かなかったという表情で無視決め込むのもむべな
るかな。かつて住民全員が一夜にして消失したという曰くつきの場所だ。怪奇現象を想像せぬ
方がおかしい。

 結論からいえば、蝶野屋敷の異変は怪奇現象の類ではない。ただし現実的現象かといえば
少なくても市井の人間が想像できる範疇からはかけ離れてもいる。
(想像つかないでしょうね。霧も光も錬金術の産物なんて)
 その中心にいる桜花と小札は先ほどから目まぐるしい攻防を繰り返していた。
 正確にいえば小札を中心に桜花が回避を繰り返し、時には小札の背後に回ったり……麗し
い肢体が霧を散らしながら広大な庭を蠢いて、竹垣を越えて石畳を踏みしめやがて枯山水に
到達した。折しも邸宅の縁側の傍だ。小札は間を開けず正面きってとてとてついてきた。
(やれやれ。緊張感がないんだから)
 と呆れたように笑う桜花は左手に少し日焼けした明かり障子がずらりと続いているのを見た。
 その途中、内側に倒された障子も目に入り、かつてココで起きた出来事とその犯人に軽く思
いを馳せたが束の間のコト。右籠手で口を覆い、すうっと息を吸い込んだ。
 実は彼女とそれを取り巻く蝶野邸の一切合切を更に取り巻いている霧は天然自然の霧では
ない。平たくいえば薄い金属のデブリであり、正しく呼べばチャフ……すなわちレーダー撹乱
用にバラ撒く金属片。それに水滴がついて霧を形成している。そして金属片を吸うのは危ない。
 と知っているからこそ桜花は籠手で口を覆ったのだ。
 すると高台の清らかな空気が豊穣なる胸に満ち、桃のかぐわしさを伴ってほうと外気に放た
れた。放たれたのは吐息だけではない。矢もだ。たおやかに息をつく傍ら、左腕の横っつらで
弓の弦が柔らかくも凄まじい律動を繰り返し、雨がごとく無数の矢を放っている。
 俗に下手な鉄砲も数撃てば当たるといわれているが、こと”射撃”というカテゴリーから見れ
ば弓矢の類も同じだろう。もっとも桜花が数撃つのは総て外さぬ自信があらばこそ。
「あいふぃーあら・りふれくしょん♪ 見つめ、返す、瞳にぃー」
 小札の気楽な歌声はさておき。
 実は桜花のしなやかな左の二の腕の上には、彼女の美貌とはまったく相反する造詣の自動
人形が鎮座しており、指先からひっきりなしに矢を出してつがって弦を引き、絶え間なく矢を送り
出しているのだ。
「えがいて!」
 気楽な歌声はさておき。
 そも、桜花の『エンゼル御前』は弓と自動人形と右籠手から成る武装錬金である。
 自動人形こと通称・御前様の特性は多岐に及ぶが、主なる物は「精密高速射撃」。
「はるかな!」
 歌声はさておき。
 桜花は御前の射撃性能が下手な鉄砲などまるで比肩に及ばぬコトを確信しており、現に矢
の数々はいま敵対中の小札へと確実に吸い込まれている。
 いるが。
 先ほどからさておかれている小札の気楽な歌声が、ようやくココで本筋に絡む。
「ねばえ───んでぃーんぐ・すとぉりぃー!!」
 矢は、まるで小学生のようにチンマリとした体の周りに浮かぶ異質な光に吸い寄せられ、そ
のままくるりと注射針のような矢尻を桜花へ向けて高速で跳ね返る。
 正に雨だ。ただし金属的殺傷力を秘めながらにいかなる暴風でもありえからぬ垂直へと飛翔
する魔性の銀雨。
(やっぱり、ね)
 桜花は霧にしどけた黒髪を腰のあたりで軽やかに躍らせながら右に飛びのいた。枯山水に
描かれた美しい水流が、しなやかなつま先に踏みにじられたが構うヒマはない。
 間一髪だった。耳元で無数の矢がひゅんと小気味のいい風切り音で霧の粒を蹴散らしてい
く。御前などはまったく恐怖に敏感なようでパールピンクの顔をみるみる青ざめさせたが、桜花
は至って平然とした様子で状況を整理した。
(さっきから矢を放っているけど全然通じない。それは小札ちゃんの周りに浮かぶ紙吹雪のせい)
 無数の紙吹雪が天動説よろしく小札を中心に右回りに横回転しており、それら一つ一つが他の
破片に向かって白い光を伸ばしている。光は稲光のようにバチバチと枝分かれしてもいる。
 小札はといえば思考に没入した桜花に「きゅう……」と口をつぐんだきりほとほと困った様子だ。
 ロッドをお尻の後ろに隠すような仕草で横たえながら、ふんふんとつんのめるように上体を
左右に乗り出してしきりに桜花の感情を読もうとしている。鳶色の瞳は使役に逆らわないロバ
のように愚鈍すぎるほど一生懸命な光に満ちていた。
 相変わらずパリっとしたタキシードでボディラインは少年のようにまったく起伏がない。シルク
ハットもクラウン(円筒状の部分)がうんと高いがそれを含めても桜花に頭一つ及ばない。
 まったくそんな小札であるから、姿ときたら雪の織りなす銀世界よりも湿っぽいこの空間へ墨
汁の黒ボトルをぽんと置いたような錯覚を覚えるほどだ。まったく小さくて愛らしくて、桜花はと
ても同年代用とは思えぬ保護者的微笑すら頬についつい浮かべるぐらいだ。
 ゆらい女性は相手に自分より劣った点を見つければ愛好できるものなのだ。
 特に顔やスタイルなどは目につきやすい部分であるから、上記の傾向はおそらく顕著であろ
う。逆に一つでも秀でた箇所を見つけると妬み嫉みの応酬が発生し、修羅争うこの世の地獄が
できあがる。そう、女性とて意思持ちたる普遍の生物。幻想を抱くべきではないのだ
 幼さゆえにそういう機微をまだ知らさそうな小札ではあるが、彼女を覆うバリアーは、桜花の
感じる愛らしさとは裏腹に非常に厄介である。
「あなたのそれ、何という名前でしたっけ?」
 小札は桜花が話しかけてくれたのが嬉しかったらしい。
 口をぱかんと半円状に綻ばすと、肩にかかった両のおさげが犬のしっぽのように大きく振れ
た。更に全身をわたわたと喜びに動かしたがなお足らず、小さなお尻に当たっているロッドを
順手に持ちかえようとした。もっとも途中でお尻の後ろに取り落としわーわー騒ぎながら拾い
上げる必要があったが。
 この辺り、十八という同じ年齢ながらに射撃の呼吸や回避の仕草がいちいち悩ましい桜花
とは実に対照的である。
 ともかく全作業を終えた小札はロッドを、ぴしぃ! と桜花に向けた。
「かかかか哀しみも痛みも振り切るようにはばたく! 反射モード・ホワイトリフレクション!」
「せっかくの技名なのにちっとも決まってねー!」
「きゅう。それは言わぬお約束……」
 桜花から十メートルばかり離れた場所にいる小札は、御前のヤジに目を伏せしゅんとした。
「で、さっきからずっと私の矢はホワイトなんたらに通じないようだけど」
「一生懸命考えたのに略されたーッ!?」
「だっていちいちそんなカッたるい無駄な言葉覚えていられないじゃない。必殺技の名前なん
て考えていいのはいいトコ中学生までよ。ね?」
 桜花は花が開くように微笑んだ。ちなみに弟は前世で二十代超えているのにたかがド派手な
しゃがみ斬りに「虎伏絶刀勢!」とか大層な名前をつけていたがそれは別の話だ。
「で、攻略法はあるのかしら?」
「うーむ……仮にあったとしても不肖にも事情があります故、黙秘する他ありませぬ」
 小札は難渋に満ちた顔をした。もっとも顔の造形が幼すぎるため、難渋さは却って滑稽に見
えてしまう。むしろロッドの先っぽについた六角形の宝石で餅のような頬をぽりぽり掻く方がい
かにもこの騒がしくて色気の欠片もないロバ少女にそぐうのではないかと御前は思った。
「うぅ。というか攻略法を尋ねられる以上、やはり戦意に満ち満ちている桜花どの」
「あら、当然のコトよ? だって秋水クンの説得終わったらすぐ邪魔しにかかるつもりでしょ?」
「先ほどのやり取りの通りまったく以てその通り……なればやはり戦闘は不可避」
 小札はすごく悩んだ表情をした。一筋の汗が頬を流れ落ちた。
「そしてココで不肖敗れればもりもりさん(総角の愛称)の計画は破綻。……である以上は!! 
たとえ勝てないとしてもせめて相討ちぐらいにはッ!! 国敗れても山河あり!!」
 にわかに小札のトーンが跳ね上がった。桜花は本格的な攻撃を直感し、構えなおした。
「不肖操る七つ七色の妙技……とくとご覧にいれましょう! ちなみに各自それぞれ色にちな
んだ歌の名前であります。”ホワイトリフレクション”や”ブラックマスクドライダー”などなど」
 小札はロッドの中ほどで指を動かした。どうやらスイッチがあったらしい。彼女の口から漏れる
言葉がにわかに拡声され辺りにきぃーんと響いた。マシンガンシャッフルはマイクにもなるのだ。
「あ、ちなみに”青”だけは名称を予測するコトあたわぬ技! ヒントは”青”ではなく”ブルー”が
名前に入ってる曲っ! ただし、弱気な人が嫌いで青空裏切らぬ”ブルーウォーター”ではあり
ませぬ。ふっふっふ。コレが分かれば百・万・円ッ!!」
 マイクを持ってテンションが上げて、小札は溌剌と眉いからせながらロッドを天へ突き上げた。
「そも邸宅はまさに不肖にとってホームグラウンド! 地の利満載の適所! 不肖が魚なれば
水であり、不肖が都市区画なれば八十cm列車砲(ドーラ)の四・八トン榴爆弾っ!!!」
「……その例えだとお前が哀れなレジスタンスごと木端微塵にならね?」
「さぁさ参ります!! でけでん! でけでん! でけでんでけでん!(東映スパイダーマン風に)」
 もう御前の言葉などは届かない。小札はすっかりできあがっているようだ。

 時を同じくして地下で秋水はヴィクトリアを見据えていた。
「アナタはいいわね。気楽で」
 幼い顔に老婆の猜疑や嘲りをありありと乗せて、ヴィクトリアは秋水をなじった。
 彼はいう。ヴィクトリアが人を殺すとは到底思えないと。だがヴィクトリアから見れば、そんな
物は楽観論だ。現に衝動自体は芽生えている。
「自分が信奉者から戦士に転向できたからって、他の人間がカンタンにそうできると思うの?
まして私はホムンクルス。こんな化け物の体を抱える苦しみなんて分からない癖に、信じる?」
 胸に手を当てながら、冷え冷えとしたブルーアイスの瞳で秋水を射すくめる。
「正直いってアナタもあの鬱陶しい戦士の妹と同じ。おめでたいわね。少しいい立場にいるか
らって、私が同じ立場になれると思っている。でも今さら無理に決まってるじゃないそういうの。
だからつまらないコトを強制しないでちょうだい。正直、迷惑よ。それとも──…」
 ぞっとするほど白い腕を秋水に伸ばし、太くも細くもない逞しい首を掴んだ。
「いまココであなたの信頼とやらを命ごと吸われてみる? いっておくけど私は……本気よ」
 秋水の頸動脈が小さなヴィクトリアの手の中でとくとくと動いている。その感触に艶めかしい
衝動が体の芯から巻き起こり、ヴィクトリアの息が荒くなる。甘美なる食人衝動に頬は微かに
上気し瞳は潤み、唾液が際限なく湧いてくる。「本気よ」とは脅しの方便であったが、徐々に
本当の物へと変化を遂げ、ヴィクトリアは法悦のためいきをつくとそれきり甘い霞に意識を覆
われ、知らず知らずのうちに手を首から剥がして肩に置き、喉笛めがけて口を近づけた──…
「前にもいった通りだ」
 しかし秋水はヴィクトリアの両手を優しく掴んで胸の前に下ろすと、彼女の眼を直視した。
「…………っ!」
 ヴィクトリアは華奢な肢体の総てをヴィクっと震わせた。もし内面が少女ならばいやいやをす
るように首を振っただろう。
「君を信じる根拠は、君の瞳だ」
 彼女は見た。
 水のようにきらびやかで刃物のように玲瓏で、澄んでいながら一分の翳を宿す瞳。
 初めて出会った時と全く同じ瞳だ。いや、玲瓏さはますます鋭さを増して、代わりに翳もいっ
そう濃くなっている。その原因が自分と、更にもう一人の少女のせいだと何故か直感したヴィク
トリアは敵意の根拠を少し失くしはじめていた。
「冷えてはいるが、決して濁ってはいない。だから人は絶対に喰わない。そう信じている」
「は、放して!」
 ヴィクトリアは切羽詰った声を上げて秋水を払いのけた。その行為が却って心痛を生むと知り
ながらもそうせざるを得なかった。
(だって……だって……今さら日常に戻ったら……)
 脳裏に母との誓いが蘇る。

『私は独りでも生きていける』

 最後に呼びかけたその言葉は、死にゆく母と死んでいるかも知れない父にせめて心配をかけ
させたくない一心で放ったのだ。それを反故にするのは、もう何もかも失ったヴィクトリアが唯一
心に留めている両親との繋がりを捨てるに等しい。
(……嫌)
 心細げに瞳を湿らせながら、ヴィクトリアはどうしていいか分からなくなってきた。


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