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第044話 「絶縁破壊 其の参」



「……分かった。でもこれだけは聞いて欲しい」
 ヴィクトリアの拒絶を察したのか、秋水は手を離した。
「君は俺や姉さんと似ているんだ。ホムンクルスになって二人だけの世界で生きていたい……
そう願っていた俺や姉さんと」
 秋水はアレキサンドリアのコトを引き合いにだした。
 彼女とヴィクトリアが地下で百年も二人だけで生きていた姿は、桜花と秋水の目指していた
物とほとんど同じだったと指摘し、そしてそれが崩壊するコトをどれだけ恐れていたかを告げた。
「だから無関係とは思いたくないんだ。力になりたいと思っている」
 せっかくの解放にも関わらずヴィクトリアはその場にとどまっている。ただし俯いたまま表情
を見せないのは彼女なりの『説得』への抵抗なのだろう。
「…………」
 握られていた左手首を腰の横で一撫でしたきり、ひたすらに黙っている。 
「今の君は錬金術を通して世界を嫌悪している。ただ一つの出来事に縛られて心を鎖している。
そこも俺や姉さんと同じなんだ。放ってはおきたくない」
「だから」
 ほとんど聞き取れないほどの声が血の気の引いた唇から紡がれた。
「だから何……?」
 今は解放された人間が、心を鎖すしかない私を責めたいの?
 そういいたげな怒りと微かな恐怖が声音に交じって淀んだ空気を震わせた。
「いや、責めるつもりは毛頭ない。そんな権利など俺には最初から存在していないんだ。何故
ならば俺自身もかつて心を縛られ、過ちを犯してしまったから──…」
 秋水は瞑目し、眉間にある皺眉筋(しゅうびきん)を苦悩に歪めると、深い深い吐息をついた。
「そう。俺は、学校の生徒を生贄にする手引をしてしまった。その事実は、今何をいおうとも変
わらない。その上、刺してはならない人間を刺し、危うく殺しかけたから……君を責める権利は
ない。ないんだ……」
 声音には彼の瞳に宿る翳を展開したような悔恨と苦悩、やりきれなさが滲んでいる。
 呼応するように、俯くヴィクトリアへと一瞬、息を呑むような振動が走った。
 少なくても秋水の話に耳を傾けてはいるらしい。
「確か君は以前、俺の前歴を知りたがっていたな。そこから話そう」
 よく透る生真面目な声に乗って、かつてヴィクトリアが知りたがっていた事実が次々と明かさ
れ始めた。

 乳児期に誘拐され、実の両親と引き離されたコト。
 その誘拐犯に育てられたコト。
 彼女が過労死したのも知らず、しばらくその死骸を見ていたコト。
 部屋の扉や窓が鎖や錠で縛られており脱出できなかったコト、
 助けを求めても近隣の者は誰一人として助けに来なかったコト。
 やがて部屋には食料がなくなり、餓死寸前までに追い込まれたコト。
 警察に保護され入院したが実の両親に引き取りを拒否されたコト。
 だから桜花と秋水が二人だけの世界を望んだコト。
 やがて二人で病院を抜け出し、衰弱する姉のために強盗を働いたコト。

 秋水の過去は想像以上に過酷で、ヴィクトリアは口をつぐんだ。
 心底から毒舌を浴びせる気にもなれず、かといって同情を見せればなし崩し的に説得されそ
うで戸惑うしかない。そもそも告白が真実だという前提の元に揺れ動いているのは何故か具
体的には説明できない。ただ、立場の近しさゆえに分かる気配や、果てしのない共感が秋水
の言葉を信じさせている。
(第一、私は……)
 秋水のように死と直面したコトはない。
 家族を引き裂かれ身を怪物とされはしたが、飢餓に命を脅かされた経験はない。まして人
間からの明確な拒絶などは、アンダーグラウンドサーチライトによる隠遁生活と得意のネコか
ぶりでことごとく避けたのだ。で、あるのに、父母の悲劇と自らの不遇を元に秋水を押し切ろう
とするのは果たして正しいのか。
 秋水はその境涯と戦い、今はヴィクトリアを助けようとしているのだ。
 であるのに以前差しのべられた手を払った。
 その意味と、苦味を帯びた自答に苛まれ始めたヴィクトリアは、 
「そしてL・X・E……君の父を守護する共同体に拾われた。だからもし君の父がいなければ、
俺も姉さんも生き抜く事はできなかったと思う」
 父のコトに触れられ、今すぐにでも秋水の面を見て、話を聞きたい衝動に駆られた。
「だから、君を救う事はかつての俺達を救うコトでもあるし、君の父に対する恩義を返す事にも
なるんだ。貸し借りを気にする必要はない」
 ヴィクトリアはひどい葛藤に悩まされ始めていた。
「戦団の力を借りる事に抵抗があるのならば、この屋敷にある装置を使えばいい。元は君の
父が伝えた物だから君にはその権利がある。この屋敷だけで不足ならば他のアジトの物を使
うといい。……一応後継者も居るには居るが、行方を晦ましている今、気にする必要はない」
 秋水に助力を申し出るのは論理からいえば一分足りとも間違いはないと思った。つまびらか
に感情の方を見渡してみてもかなり傾いているのはいなめない。
 それでも最後の一線を踏み越えられないのは、秋水の持つ「戦士」という肩書への抵抗や
不幸な生涯を歩まざるを得なかった父母への遠慮であるとヴィクトリアは思った。
(パパやママが不幸なのに私だけ幸せになれるワケないじゃない。でも……)
 更にいえば抵抗や遠慮の半分は言い訳であるとも感じた。
(でも、本当はただ怖いだけ……寄宿舎に戻った時、あのコをまた食べたいと思うのが怖いだ
け……)
 皮肉と毒をたっぷり含んでいるからこそ、自身の内面が分かりすぎるほど分かってしまうヴィ
クトリアだ。ただ恐怖に慄いて本当に取るべき選択肢へ向かえずにいる。
 ひどい自嘲が胸を占めるが、ただそれだけ。精神は自らの立場を大きく変える革命的なエネ
ルギーを生み出す土壌がないのだ。百年の隠遁に硬直しきっている。因循で姑息でただただ
薄暗い感情を内部で循環させるのみなのだ。

 天意、というものがあるとすれば、もしかすると地下通路に訪れた異変はそれだったのかも
しれない。
 ヴィクトリアはハッと表を上げて音のした方向を見た。秋水も気づいたらしくそちらに向かって
シークレットトレイルを構えた。
 地下通路の壁のとある一点、先ほど秋水が侵入してきた場所に再び稲光が立ち込めた。
 かと思うとそこから丸っこい影が飛び出して、床に叩きつけられたではないか。
 ヴィクトリアがドス黒い嫌悪感と虫唾を走らせたのは……
 床に尻餅をついて「いたた……」と頭を撫でる少女に並々ならぬ悪い印象を平素から抱いて
いたからだ。

「うーん、落ちるなら落ちるって、あのニンジャさん言ってくれないと……お尻痛いよ……」

 まったくこの少女はどこまでフザければ気が済むのかとヴィクトリアは睨んだ。
 わずかだが親近感を覚えた秋水の説得に心揺らしている正にその時、乱入してきたのが一
点。
 次にその少女の着衣が一点。なぜかつなぎを着ている。寄宿舎生活で見た管理人よろしく
ゆったりとしたつなぎを身にまとい、あろうコトかフードを被っている。ただのフードならばヴィク
トリアの印象値もマイナス11からマイナス10.5ぐらいまでには軽減されただろう。しかしその
フードには何故かネコミミがあしらわれていて、いかにも幼稚だ。男性に媚を売っているとまで
は思い至らぬヴィクトリアも良い意味で幼稚であるが、とにかく彼女は鼻白んだ。
「えーと……あ、秋水先輩! びっきーも一緒だ!!」
 落ちてきた少女は二人を交互に見渡すとすっくと立ち上がって「びっきー戻ってきて!」と気
楽な声を上げた。
「……いや、どうして君がここに? というかそのフードはなんだ?」
 困惑したように秋水が構え解きつつ指摘すると、少女──武藤まひろは不思議そうにフード
を頭から外してネコミミを見た。
「うーん。なんだろ。寮母さんから借りた時にはすでについてたけど……あ、あのね、寮母さん
とニンジャさんに話を聞いたらね……」
 まひろはひどく場違いなテンションでココにきた経緯を説明しだし、ヴィクトリアをかつてない
ほど苛つかせた。

 まひろ回想始まり。

「奴は恐らく街中において人目を憚り、竹刀袋にシークレットトレイルを入れて運ぶだろう。そ
してホムンクルスの少女を発見しだいその場に打ち捨てる。入るべき場所はそこだ」
「ん? どういうコトなのニンジャさん!」
 聖サンジェルマン病院の秋水の病室の前でまひろは根来に詰め寄った。
「要するに戦士・秋水を追跡したくば、蝶野邸において奴の名前の入った竹刀袋を見つければ
いい。さすれば亜空間へと侵入できるだろう。ちなみに私の勘では蔵が臭い」
「あくうかん? こう、おっきい半透明の人が暴れて赤い玉にぼこぼこにされてるところ?」
「寄宿舎の管理人室の地下にある部屋みたいな物よ」
 声ととともに光が迸り、千歳の姿が現れた。彼女がそういう人だとまひろは千里や沙織から
聞いているので驚かなかったが、代わりにビー玉みたいな目が千歳の持つ衣服に吸いつけ
られた。
「あなたにはコレを着てもらうわ。サイズは……そうね」
 と千歳はまひろをつま先からてっぺんまで観察して、断定した。
「バストとヒップは同じだから支障はないわ。ただウェストが二cmオーバーしているから窮屈
かも知れないけど、身長が私より八センチ低いからおそらく大丈夫ね」
 事務的でてきぱきとした口調と共に差し出されたのは、つなぎである。まひろは咄嗟に防人
の衣服を思い出した。
「この前の任務で使ったつなぎ。戦士・根来の髪の毛を織り込んであるから亜空間に入るの
は容易いでしょうね」
 千歳と根来は銀成市に来る前、一つの任務に従事していた。それはとある工場にてホムンク
ルスが引き起こした殺人事件の解決。紆余曲折を経て突入した犯人との戦いは、彼女たちの
想定外の出来事が何度も巻き起こり非常に苦しい物となった。
 その時、最後の最後で決め手になったのが、千歳の持ってきたつなぎである。
「ほら、ほら。フードには特に力をいれたわ。だから大丈夫」
 千歳はフードをぱたぱたとはためかせながら、一生懸命指差した。
「わー、本当だ。可愛いね」」
「……その猫の耳のような膨らみはなんだ?」
 根来は物凄く暗澹たる表情で質問した。
「潜入用よ。あの事件の後つけたの。ネコ型ホムンクルスがたくさんいる場所用」
「それは恐らく公私混同だ。貴殿の一趣味にすぎない」
「いいえ。あくまでネコ型ホムンクルスがたくさんいる場所用よ。他意はないわ」
「……何にせよ、私の髪をそんな物の中に埋め込むな」
 根来の口から諦観まみれの言葉が吐き出された。
 ちなみに誰かさんが見たら「あ゛ー! あたしのパクリじゃんそれー!」と騒ぐだろう。
「でも、どうして私のために?」
「あなたならもしかすると彼女を救えるかも知れないから」

 こうしてまひろは気合充満させつつ蝶野邸へいき竹刀袋を探し当て亜空間に入るのであった。

 まひろ回想終わり。


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