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第100話 「見上げる星、それぞれの歴史が輝いて」






 9月16日。


 月面。



 暗幕をかけられたような灰色の荒野のとある一点に爆発と共に叩きつけられた影がある。
 宇宙空間に不釣合いな学生服を着込んだその少年は一穂(いっすい)の光華灯す突撃槍を振りかざすと立ち上がり、
咆哮しながら突き進む。目指すのは巨躯の男。赤銅色の筋肉で全身を覆った2mを超える男。彼は巨大な斧を振りかざし
少年を、薙ぎ倒す。高速車両から転落したように肩を膝を強打しながら彼方へ転がっていく彼の行く手にブラックホールが
開く。斧を突き出し誦(ず)するよう唸りを上げる大男に呼応し膨れ上がる絶対の重力場に飲まれかけた少年はしかし咄嗟に
地面へ突き立てた石突の爆発によって軌道を逸らし難を逃れる。

 数10m越しに睨み合う2人。少年は傷だらけで息を荒げ、大男は蛍火の残霞漂う眉1つ動かさずただ戦意だけを高めて
いく。

 終わりのない戦いだった。彼らは月に到達してからずっと戦い続けていた。旋転し遊泳する衛星の約30日という公転周期
とほぼ同じぐらいの歳月を果て無き闘争に費やしていた。

 大男の名をヴィクター=パワードといい、少年の名は……武藤カズキという。


 2人はまだ、知らない。
 遠景と借景にずっと聳(そび)え続けてきた青い惑星(ほし)で起こった戦いを。

 起ころうとしている……戦いを。


 2人はまだ、知らないのだ。

 遠く離れた母星の歴史が今、本来歩むべきものとは遠くかけ離れたものになりつつあるコトを。


 発端はパピヨンパークだった。荒廃した未来を変えるための決戦が総てのズレの始まりだった。

 武藤ソウヤという青年の戦いによって未来は確かに変わった。平和になった。
 だがそれは本来死すべき者を、死していれば良かった者をも生かす結果になったのだ。

 やがて遠き未来で悪党の末裔は30億もの人命を奪う『大乱』を起こし……最強の魔神をも産み落とす。

 魔神を愛する者が居た。生きるため戦うも謀略によって命を落とした魔神と再び逢いたいと願う者が居た。

 その者は歴史を変える力を持っていた。さまざまな追撃と制限によって何度も何度も失敗しながらも、愛する者と再会した
い一心で、少しずつ、少しずつ、歴史を都合のいいように改竄していった。

 パピヨンパークで変えられた未来が、更に別の未来を産んだのだ。
 新たな未来から過去に遡った者が正史と異なる過去すら……産んだのだ。


 故にカズキとヴィクターがいま歩んでいる歴史は、かつて彼らが踏破したものとは異なる物だ。

 偽りの歴史。塗り替えられた歴史。

 しかし彼らだけは正史とほぼ変わらぬ運命を辿る。
 カズキはやがて地球からの迎えによって帰還し、ヴィクターはカズキの差し伸べた手によって愛娘と再会する。

 そうなるよう仕組まれたのだ。彼らが不在の間に『正史では起こりえなかった戦い』が地球で起こるよう仕組まれたのだ。

 だから激しく干戈を交える彼らは……直接的には関われない。
 今より母星で始まる偽りの歴史に、贋鼎(がんてい)の闘争に、直接参画するコトは叶わない。

『直接的』には。


 突撃槍から光を噴き上げ突貫するカズキ。
 ヴィクターは大戦斧から重力波を巻き上げる。

 他の生命を吸い上げ己の力とする機構2人はいま生命なき月面にいる。
 ドレインできるのはもはや互(かたみ)の命だけ。無限獄だった。どちらがどちらに、どれほどの手傷を負わそうとも、次
の瞬間には同等の吸収(ダメージ)が還ってくるのだ。

 希望にしがみついて離れない少年が鮮烈な闘気を巻き起こす。
 そのたび絶望に囚われつづける大男はより強い憎念で斧を振る。

 いつしかヴィクターは、いっこう諦めない少年の心を折るコトだけを考え始めていた。
 カズキが生きるコトを諦めてさえくれれば、ヴィクターは糧を失くし、己の呪われた運命を決着できるのだ。

 斧を振る。振りかざす。少年が希望の片鱗を覗かせるたびヴィクターは己が絶望を重力に込めて叩きつける。
 どれほど足掻こうと運命は変えられない……正義を失い、仲間から追われ、妻を傷つけ、娘すら怪物に変えられた絶望を
糧としてヴィクターはカズキを打ちのめす。

 人は憎む物に成り果てる。憎むからこそ”そのもの”になってしまう。不条理を憎む天才が不条理そのものにならんとした
ように、ヴィクターもまた絶望となってカズキの前に立ちはだからんとし続ける。

 でなければ、立ち上がれる者がいるのであれば、成せなかった自分の生涯が今度こそ無意味と決定されてしまうから。

 ヴィクターはカズキが発奮するたび必要以上の膂力を持って捻じ伏せにかかる。
 もはや慣れたルーチンワークだ。当たり前のように繰り返し続けた行為だ。
 彼らはただそれを繰り返す。それのみを繰り返す。

 今から地球で戦いが始まる。
 参画する者はさまざまだ。確固たる意思を以って主宰した者もいれば、あらゆる流れをただ一堂に炸裂させたい一心で舞
台を整えた者もいる。憎悪を晴らす機会としか捉えていない者も当然存在するし、かつてない偶機と好機を己が理念のため
利用せんと目論む者だっている。奪われてしまった『身近な誰か』の復仇と決着を成すため闘技場に上る者たちもいる。
 正史では成せなかったコトを成させようとする見えざる運命の磁力に少しずつ導かれつつある部隊(チーム)も……。
 恩人や弟のため命を賭けたいと願う少年少女。歴史がどうであろうと自分らしく戦うのみだと決める奇兵たち。きな臭い
決戦の匂いに動員された有象無象の戦士たちもまた細分化すれば独自の理念で動いていく。

 唯一名前を呼んだ男のため病理を斃さんと決意する男もいる。

 月に消えた大事な存在のため動こうと決意する少女は2人。断絶の泥濘のなか足掻き続けてきた彼女たちは心に灯を
ともす少女との触れ合いで少しずつだが前を見るようなり始めた。

 そして運命に指名された青年が1人。彼は顔も知らぬ少年によって戦いの最後の一撃を繰り出すコトを義務付けられた。
遡れば500年ほども前から決定付けられていた運命をしかし彼は知らない。

 彼の理念はただ1つ。

 刺してしまった恩人に謝りたい。

 たったそれだけの一念で戦い続けてきた青年はやがて恩人の妹と巡り逢い……力を貰う。
 交流はやがて絆となり、彼は彼女の為にも戦いたいと強く願うようになった。

 運命を主宰する改竄者さえ予期しなかった異常の事態に彼は居るが……それもまた、当人は知らない。



 今から地球で戦いが始まる。

 しかしカズキとヴィクターだけは物理的な埒外に置かれ続ける。
 地球と、月なのだ。彼方此方の距離は想像を絶する。


 結論から言うと彼らは地球での戦いをほとんど知らずに戦い続けた。


 繰り返しだ。斧を振る。振りかざす。少年が希望の片鱗を覗かせるたびヴィクターは己が絶望を重力に込めて叩きつける。
 どれほど足掻こうと変えられなかった運命を、失った正義や仲間に追われた悲哀、妻の体の自由を奪ってしまった忌むべき
偶然、娘すら怪物に変えられた絶望(いかり)をヴィクターは縁もゆかりもないカズキに向けて……打ちのめす。

 果てしない繰り返し。ルーチンワーク。身に染み付いたコトだけを彼らはただ忠実に実行し続ける。地球が昼を迎えようと、
夜に染まろうと、再びの朝に至ろうと……2人は不文律だけなぞり続けてきた。

 彼らが地球に届けられる物の片方は……『僅かな光』。正史における武藤カズキ帰還のキッカケは、ヴィクターが手にした
サンライトハートの瞬きだった。光は月からでも地球に届く。

 ならば、その、逆は?

 届けられるもう片方は『重力』。しかしそれは光よりもごく僅か。



 ……。


 今から始まる地球での戦いを締めくくるのは早坂秋水とメルスティーン=ブレイド。

 前者はカズキの、後者はヴィクターの戦友である。

 もしカズキとヴィクターが戦友の戦いを知ったとしても、その送受信に使えるのは光と重力のみである。

 故に、彼らの、関与は。




 今から地球で、戦いが、始まる。






 9月16日 15時28分。

 沼津付近の森。

「1600(ヒトロクマルマル)からよねえ、大戦士長の救出作戦」
「あと30分ってとこだね。戦士たちがここに集まるまで」

 見目麗しい、女性と見まごう美貌の若い男性の呟きに眼鏡をかけた卑屈な大学生風の青年が答える。

 前者は円山円(まるやままどか)。後者は犬飼倫太郎。悪と戦う錬金戦団の一員である。敵味方問わず身長を吹き飛ば
す風船爆弾や狂犬病の名の如く暴走する犬人形の武装錬金を持つため、組織から『奇兵』として扱われている彼らはいま、
危険な任務をやらされていた。

「フム。あれが監禁場所。あれが敵どものアジトか」

 円山や犬飼の傍で遠眼鏡を覗き込む大男が1人。戦団支給の制服に時代錯誤な陣羽織を羽織っている彼の名は戦部
厳至(いくさべげんじ)。伸ばしっ放しの総髪や不遜の顔つきのせいでまるで荒武者のように見える彼は3人の中で一番の実
力者だ。どれほどのダメージを受けようとたちどころに修復する十文字槍1つで現役戦士中もっとも多くのホムンクルスを
撃破した記録保持者(レコードホルダー)が居ればこそ、敵アジト付近での斥候といった危険な任務をやっていられる円山
と犬飼だ。

「本当、戦部が用心棒だと安心ね。なにしろ相手は”あの”大戦士長を攫った実力者……ヴィクターVと互角かそれ以上」
「どうかな? 身長57mのバスターバロンを出す前に奇襲した臆病者たちの集まりってセンもあるけど?」
 属する組織の重役が誘拐されたというのにどこか人事のように麗しい声を漏らす円山に対し、犬飼は過小評価を返す。
「誘拐発生は8月29日。既に3週間近く囚われている。俺たちを力尽くで抑えられる火渡戦士長を素手で叩きのめせる
大戦士長が3週間近くもだ。もし奇襲で捕まっていたとしても……敵にはそれを保持するだけの実力があるとみるべき」
 戦部は遠眼鏡を懐に仕舞いこむと、遠望する赤い屋根の建物を舌なめずりしながら見た。犬飼とは逆で、敵がどれほ
ど強いかという期待ばかり満ちている。その期待を叶える為の戦いで味方を見捨てたり巻き添えにしたりするため戦部
もまた奇兵と呼ばれている。

 とにかく錬金戦団にとって、大戦士長・坂口照星の誘拐は恐るべき大事件だった。上層部が不気味がったのは、実行犯
が何1つ要求せぬ事実だった。普通ならば身代金要求がある筈なのに全くない。共同体の盟主といった収監中のホムン
クルスの解放すら求められていない。ならまさかと処刑映像の送付に日々身構えてはみたがそれも来ない。

 何のために照星が攫われたのかまったく不明のまま月日が過ぎ早16日目。上層部は混乱したが臨時で大戦士長代行
を務めるようになった火渡の「さっさと老頭児(ロートル)連れ戻しゃ済む話だろうが! 連れ戻して、舐めた連中全員ブッ
殺しゃそれで済む!」という恐るべき一言に鞭打たれるまま救出作戦が実行に移された。

 9月半ばとはいえまだ暑い。8月末からこっちずっと野宿前提の追跡任務に従事させられてきた犬飼たち3人は「やっと
今日でひと段落か」という気分である。
 由緒正しい戦士の家系に生まれた犬飼は、雑役婦でもできそうな追跡と監視をやらされている待遇が不満だし、エステが
好きな円山は毎日毎日汗だくの体を濾過されていない川などの水で洗う生活にそろそろ嫌気が差している。戦部は獲物の
ためなら野宿も辞さない性分だが、強豪がすぐ近くにいると分かっていながら待機せざるを得ない状況にやれやれと思って
いる。

「まあ、仕掛け時を待たされるのは今回が始めてという訳でもない。どうせあと30分、ここまで来たら気長にやるさ」
 ずた袋から取り出した鮮血滴る生肉を頬張る戦部。犬飼はそれを見てちょっと首を竦めた。「今朝襲ってきたクマです
もんね」円山は爪にヤスリをかけながら一瞥もせず呟いた。唖然とする犬飼の視線を誤解したのか戦部は「お前も食うか?」
とハムスター風に膨れた頬で呟いた。
「いや焼けよ!! 野生をナマって! 寄生虫とか怖いだろ!」
「何を言う。焼けば炊煙で所在がバレるだろ」
「確かにそうだけど!! お前強い敵と戦いたいんだよな!? だったら焼いて呼んで抜け駆けした方がいいだろ!!」
「そういえばヴィクター級の気配、いまは1つだったわよねえ。張り込み途中から2つ減ったんだし、3人で奇襲したら案外
うまく行くかもだけど」
 なんでしないの? 爪をふうっと一吹きした円山が聞くと戦部は生肉を飲み干し、答えた。
「前も言ったが俺は大戦士長とも戦いたいんでな。迂闊で殺されてもつまるまい」
 ああそう。今回だけは特別、救出開始まで自重するって訳? 犬飼は舌打ち混じりだ。
「まあな。だが一番槍は頂くぞ。俺にここまでつまらぬ我慢を強いたんだ、戦団の連中が何を言おうが頂かせてもらう」
「ふーーーん」。犬飼の瞳から不快が抜けちょっと小ずるくなった。

 人間はちょっと同じ態度の人間を見つけると途端に気を大きくするものだ。冷や飯を食わされていると憤る犬飼は、戦部
の「さんざん待たされた」という不服とも取れる感想に我が意を得たりとばかり言葉を紡ぐ。戦団に従わない相手ならば戦団
への不満を理解してくれるとついつい淡い期待を寄せたのだ。

「本当、戦団の動きの遅さには呆れるよ」。犬飼はやれやれと嘆息した。よく見ると整っている顔立ちなのだが、全体的に
小賢しさと卑屈さが滲んでいるため「美形」という風格はない。「せっかくボクがレイビーズの嗅覚で居場所を突き止めたって
いうのに、『待て』だからね」。これで大戦士長が死んでても責任負わないよと意地悪く笑う犬飼。言外に自分を冷遇する戦団
がいかに愚かかという熱弁がある。
「仕方ないじゃない」
 円山はやや冷笑気味。稚拙な文法を肯定したら自分まで同じ穴の狢とばかり別意見。
「戦団はヴィクターに手ひどくやられたせいで軍備ガッタガタなのよ? 動ける戦士を集めたり、動けない戦士を動けるように
したりで上から下までてんやわんや。むしろ頑張った方じゃない? アジト発見からたった1週間で作戦実行なんだから」
 ま、交代要員ぐらい寄越して欲しかったけどね。シャワー浴びたさでそれだけを付け足す円山に犬飼はやや論破のたじろぎ
を浮かべたが、何かを探すように視線を左右させるや「気付き」という苦虫を噛み潰したようなカオになる。
「そのよくやってる戦団の足引いてるのは誰だい? 銀成の連中じゃないか。本当なら今ごろ楯山千歳と根来は来ていた
筈だろ」
「まあそうね。瞬間移動持ちとその制限(100kg)にひっかからない単身痩躯だもの。何事もなければあっという間に、だけど」
「銀成の奴ら、急な任務がどうとかで借りやがって……!」
「まさか大戦士長を攫った組織の、レティクルの幹部があっちに現れるとはな」
「最初こそ軽い疑惑だったのにあれよあれよと大規模戦闘に発展し! 結果!!」
 千歳は失明。敵幹部の武装錬金を除去すれば治るとはいえ「敵の視認によって索敵・追跡」というレーダーの武装錬金を
まったく活かせぬ状況に陥った。
「根来に至っては自ら失踪! しかも銀成の推測ときたら「楯山千歳の仇を討つため」……? 根来だぞ、的外れも大概だ!」
「そこだけは私も犬飼ちゃんと同意見だけど」、かつて根来に囮にされた円山は首肯するが、くすりと意味ありげに笑う。
「アナタが銀成に否定的なのって、個人的な恨みよね?」
 う。犬飼は呻いた。図星でなくてなんであろう。戦部は首を傾げた。
「ん? 何かあったのか?」
「だってェ、あの街といえば」 言うな! 鋭い犬飼の叱咤が跳ぶが円山はお構いなしに続ける。
「銀成といえば武藤カズキなのよ。再殺騒ぎの時、犬飼ちゃんに情けをかけたヴィクターVこと武藤カズキに守られた街
だもの」
「円山……! なんでソレ知ってるんだよ!! お前あのとき既に場を退いていただろ!! 誰にも言ってないのに何でだよ!」
「そりゃ、『ぶざげるなぁッ!』とか『さあ殺せ!』とか大声でガナってれば嫌でも聞こえるし察しもつくわよ。私あのとき風船に
乗ってたのよ、そんなにすぐ遠ざかれる訳ないじゃない」
「ホムンクルスと約束するような戦士だ。運が悪かったな」
 戦部は軽く笑ってから2枚目のクマ肉を取り出した。
「あと私があの件知らないと思ってるなら銀成の下り遮りにかかったのは失敗ね。アレで何があったか確信しちゃったもの私。
フザけるなとか殺せとかだけなら、『激怒しつつ再発動した自動人形に敵の殺害を命じている』って解釈もアリだし、判断つき
かねていたし」
「円山お前カマかけたのか!?」 叫ぶ犬飼に「私にソレってギャグ?」と見た目は女性の男性はちょっと呆れたが、すぐいつも
の悠然とした調子に戻る。
「ま、再殺対象とその味方あわせて2人の前にほぼ戦闘不能で取り残されたにも関わらず核鉄持ちで生還した時点で何か
あったとは思ってたけど、そう、コトもあろうに情け深く見逃されちゃったのねえ。確かにソレ必死こいて逃げるより屈辱よねえ」
 坊主憎けりゃ何とやら。犬飼が銀成を悪く言いたくなるのも無理はない。
「でもその銀成から核鉄借りたお陰でアジト見つけられたのも誰って話よ?」
「言うな……!!」
 追跡当初犬飼はまったく手がかりを掴めなかった。仕方なく銀成市にかけあって核鉄を1つ貸与してもらい……ダブル武
装錬金、四頭の軍用犬(ミリタリードッグ)を使ってようやくココまで来れた形である。
「だ! だいたい円山、お前だって銀成守った女戦士に腹裂かれてるだろ!!?」 最後の悪あがきとばかり論理に縋る犬
飼だが、理論武装による感情正当化が通じた例(ためし)は古今ない。都知事ですら、ダメだったのだ。
「腹裂いた女戦士……ああ、津村斗貴子ね? そりゃああのコ自身はちょっと嫌いっていうか軽くトラウマだけどぉ、だから
って任務で守った土地まで恨むのは、ねえ?」
「逆恨みも格を下げるぞ。敵の気まぐれで生かされるのも一興と笑う方がまだ楽しめる」
 同じく銀成と縁深いパピヨンに敗亡した戦部にそう言われると犬飼の立つ瀬はない。彼はきゅっと唇を結び拳を握る。
「だとしても銀成のせいで根来や楯山千歳が戦線離脱したのは事実だろ……! お陰で火渡戦士長まで事後処理で銀成
寄る羽目になった! 最高指揮官の到着が、銀成のせいで遅れてないって言えるのか…………!」
「そっちの遅れは公務とかのせいでもあるし、一概にはねえ。最後に寄ったのが銀成ってだけで過剰反応しすぎ」
「だいたい遅参を言うならディープブレッシングに乗り込まされた連中も大概だぞ? 根来たちほどすぐ……という予定でも
なかったが、出発地点はそこそこ近かった筈。しかし……な」
 あちこちあらぬ方向へ行ってしまっているため、作戦刻限に間に合わぬ可能性があるという打電を受けたのがつい1時間
前である。そこも犬飼には面白くない。せっかく自分がアジトを突き止めたのに、誰も彼もが遅れているのだ。
「どいつもこいつも……! 大戦士長救出っていう重大作戦なんだぞ、30分前には着いているべきだろ!」
 歯噛みすると円山は「まあまあ」と肩を叩いた。
「強い戦士ほど厄介な任務をやらされているんだもの。救出作戦のために一区切りつけるまでどうしても時間はかかるわよ」
「その代わり直接ココに向かっている連中は粒揃いだ。ディープブレッシングに詰め込まれている半ば予備兵な連中など
比べ物にならん。20位以上の記録保持者(レコードホルダー)すら全員参加だ」
 まあそこはボクも認めてはいる。犬飼がやや寂しそうな表情をしたのは自分の持たぬ「強さ」への羨望が過ぎったからだ。
「ホムンクルス撃破数のレコード持ちが20人……だからね」
「戦部が1位だったわよね確か。で、私にソレ伝えた毒島は18位」
「さすが毒ガス持ちだ」
 肩を揺する戦部に犬飼は嫌味ったらしくすらある余裕を感じた。ABC兵器の一角に十文字槍1本で勝ってる男なのだ、
やっかまれるのは有名税だろう。
「……。火渡戦士長ですら12位……なんだよな。アイツ……じゃないあの人より強いのが戦部以外に10人も来るって
のはどうも信じられないぞ」
 だって戦団最強の攻撃力なんだぞブレイズオブグローリー……火渡の武装錬金の名を呼ぶ犬飼に戦部は
「広域殲滅をできる任務が少ないというのもあるが、どうも奴は記録稼ぎに興味がないらしい」
 犬飼ですら円山のチクリを鑑みやめた「アイツ」的な呼び方を臆面もなくやりながら、更に続ける。
「一時は取り付かれたようにやってたが、1位になってすぐ当時3位の俺に譲ってやめた。単なる闘争では満たされない
らしい。理解できん話だがな」
「分からなくもないけど、とにかく11位より上の記録保持者が必ずしも火渡戦士長より強いって訳じゃないのね?」
「だな。俺は純粋に戦いを愉しんだ結果だが、中には「ハメ」で撃破数を稼いでいる者も居る。まあもっとも並みの戦士がホ
ムンクルスにそれをやれば返り討ちだが」
「そういう意味では、全員実力者……か。だったら早く着けよ。ボクがアジトを見つけてやったんだぞ。皆ボヤボヤしやがって」
 彼は拗ねた子供の表情で黙り込んだ。
「そうつまらなそうにするな」。戦部はくつくつと笑った。眉が太く顎も太い彼が笑うとそれだけで一種の凄みがある。
「無事救出が終われば勲一等を授かるのは犬飼、お前さ」
 は? 劣等感に苛まれるが故に褒められるコトになれていない青年は点目の自分を指差したがすぐに激しく首を振る。
「いやいやいや! お前もボクが火渡戦士長に電話でどやされるの聞いてただろ! アジト見つけるまで10日もかかった
んだぞ!?」
「まあそうね。犬飼戦士長ってアナタのおじいさんだっけ? 彼なら3日で見つけてたって言われてたわよねえ」
 そうだよ、だから勲一等とか、からかうな……! 剣呑な目つきで見据えてくる犬飼を戦部はあやすようにいなした。
「10日でも全く見つからんよりはマシさ」
 どこからか取り出した徳利の中身を同じく出所不明の白杯に注ぎながら戦部は言う。
「貴様は知らんだろうが、今回のような敵の目的も意図も不明な事件の時はまず、対象の所在を突き止めた者に勲一等が
贈られる。情報がない場合、正体不明を暴くのは大将首を上げるのに等しいからな。貴様の祖父もそうやって功を重ね
立場を得たと聞いている」
「じいちゃんが……?」
 意外そうな犬飼に「やだそーいうのフツー家族から聞くもんでしょ? ひょっとして仲悪い?」と混ぜ返したのは円山だ。
それをうるさいと蹴散らした青年に戦部は酒呷りつつ更に告げる。
「楯山千歳ですら突き止められなかった大戦士長の所在を探し当てた功績は大きいさ。お陰で俺もいの一番に強い者
と戦える。『今回は』組まされているからな、勘で動けぬ俺の足を引かなかっただけでも上出来さ」
「なーんかソレ、ヴィクターVのとき犬飼ちゃん尾けた私を当てこすってない?」
 おいしいところは早い物勝ちだった再殺騒動。単独行動が許されていたため酔狂な戦部は勘任せでカズキたちを探して
いた。「逢えるかどうか分からぬから面白いのさ」と横浜のホテルで笑いながら告げてきた戦部に円山はちょっとだけ負けた
気分だった。(功績より戦い、ね) おっ始まるまでの過程すら愉しむ気概にある戦部だから、『犬飼を警護しながらの追跡』
という不自由な制限すら精神の野太い顎でバリバリと砕き飲み干したらしい。
「アナタといい根来といい、なーんでホムンクルスにならないのかしらねえ。なっちゃえば今以上に好き放題できるのに」
「なって周り総てが今以上になるなら……迷わずやるさ。根来はどうか知らんがな」
 自分だけ強くなってもつまらぬと言いたいらしい。犬飼は呆れた。呆れながらもちょっと葛藤した表情で問いかける。
「前々から思っていたけど、なんでソレが楽しいんだ?」
「ん?」 3枚目のクマ肉を豪快に食い破った戦部は片目を瞑りながら不思議そうに問う。
「だからその、弱い人間の体のままで、強い奴と戦いたいっていうアレだよ。正直さ、楽じゃないだろ? 激戦の高速自動修
復があるとはいえ、いつも楽勝って訳じゃないだろ? ホムンクルスになりさえすれば、もっと強い相手をもっと楽に斃せるよ
うになるのに、なんでお前は人間を…………やめないんだ?」
 円山がちょっと緩んだ笑いを浮かべたのは、犬飼の言いたいコトが大体分かったからだ。強さという項に権力とか立場を
代入すれば彼を悩ませているものが、疑問の根源が、浮き彫りにされるだろう。
「そういう機微を俺に問われてもな」
 戦部はニっと笑った。槍一本で稼ぐコトしか頭にない自分に家柄だの権力だのの悩みを相談されても知るか、という訳で
ある。
「俺が人の身で戦うのは面白いから……などと言う回答が、低い立場で戦うのを面白がらぬお前にどうして届く?」
「…………」 聞くだけ損したという顔をする犬飼にしかし戦部は問い返す。
「逆にだ。お前の方こそなぜ人間をやめていない?」
「……………………は?」
 よく分からぬという表情をする犬飼に問いかけは続く。
「権勢だけが欲しいならなればいいさホムンクルスに。今からでも救出作戦の概要を敵に売り、取り入り、戦団を滅ぼし
人間をやめて共同体を作れば後はお前の思うがままだ。見下してきた連中を力尽くで屈服させるも良し、人間どもを隷属
させるも良し、少なくても今のお前が不服とする状況は打破されるだろうに……何故しない?」
 またエラいコト言い出すわねぇ、驚きながらも戦部らしいと笑う円山とは逆に、犬飼は困惑した。搾り出すように呟いた。
「……それは…………負けだろ」
「ほう?」
 気に入らない者、上回りたい者を力でねじ伏せてきた戦部は心底不思議そうに首を捻った。
「ボクの一族は由緒正しい戦士の家柄なんだよ……! なのにボクだけが戦士をやめ怪物になる……? そんなのは、
そんなのは……負け、だろうがッ……! 見下され続けてきた腹いせに戦団を裏切り人喰いをやるなど……忌々しい
ヴィクターV武藤カズキでさえしなかったコトだ……!! そうだろ!! ボクらがさんざ追い立て殺さんとしたアイツですら
恨むどころかこの地球(ほし)守って今は月だ!! だのに見逃されたボクが……円山のいうような逆恨みでアイツ以下の
怪物に成り下がるなど…………嫌だね絶対! 誰がするか!!」
「ならばそれが問いの答えだ」
 無表情で目を閉じ酒を飲む戦部。気勢を吐き切り息せく犬飼は瞠目した。
(これが…………だと……?)
「あらあら熱くなっちゃって。つまり犬飼ちゃんってば純粋な実力で認められたいって訳ね。周りとか、家族に」
「う! うるさい! だいたいちゃんづけやめろ! 再殺の頃してなかっただろソレ!」
 だって可愛いんですもの。けらけら笑う円山から唸りつつ視線を外した犬飼のフレームにインしたのは戦部である。直接
……という訳ではなかったが、心情を整理するキッカケとなった彼に僅かだが謝意が湧いた。

(ボクにもお前ほどの強さがあれば…………もっと自由に、縛られずに生きられるのにな……)

 奇兵であるのを見ても分かるように犬飼は一族の中でも落ちこぼれである。代々犬型の自動人形による追跡や探査を
お家芸としてきた犬飼家の中にあって彼の操る軍用犬の武装錬金・キラーレイビーズの嗅覚は普通の犬の僅か2倍に
すぎない。一般人からすれば無視できない数値ではあるが、しかし錬金術によって超常の現象を起こす核鉄を用いて
たった2倍の嗅覚……である。事実、犬飼の祖父の探知犬(ディテクタードッグ)・バーバリアンハウンドは「錬金術の産物
を嗅ぎ分ける」という通常の犬ではず出来ない芸当を易々と成していた。
 犬飼個人の資質も低い。祖父が戦士長にまで上り詰めたのはバーバリアンハウンドの優れた特性を更に活かせるハン
ドラーとしての見事な能力をも兼ね備えていたからだ。犬飼はハンドラーとして未熟もいいところだ。何しろ彼は……犬が
怖い。犬を操る一族に生まれ犬の武装錬金を発現する癖に実物の犬が怖いのだ。犬のぬいぐるみや犬の写真集が好き
で趣味はドッグショーの鑑賞なのに、鳴き真似すら玄人はだしなのに、実物の、生きている犬だけは、ダメなのだ。かつて
彼は鳩尾無銘というチワワ型のホムンクルスを期せずして呼び寄せてしまったコトがあるが、見た目ちっちゃな愛玩用の
チワワにすら仰天したほど犬が苦手だ。
 だからハンドラーとしての訓練が、積めない。少なくても一族が代々培った、実際の犬を使う独自のカリキュラムをこな
すコトが……できない。キラーレイビーズを使って何とか真似してきたが、『犬を扱う一族なのに犬が怖くてそうしている』
という態度は常に大なり小なりの誹りを招いてきた。

(戦部のように強ければ、犬が平気だったら……周りの評価に卑屈にならなかったら)

 という想いはあっという間に憧憬になった。憧憬できる男が、犬飼の人生において数少ない、真当な会話をしてくれたコト
に一抹の感謝が湧いたがプライドの高い犬飼だから素直には言えない。悩んでいると、向こうの方から口を開いた。
「しかし……残念だな」
「残念? 何がだよ?」
 ホムンクルス化のコトさ、戦部は笑った。「お前のような形質の男が怪物になると存外強くなるものさ。復讐心などでな。
さすれば喰いでのある敵になると期待したが……今はまだ、無理らしい」。くいっと酒を飲む彼にとってどうやら犬飼は
「肴」でしかなかったらしい。肴はウグリと切歯しそして呻いた。
(そうだった。戦部はこういう奴だった……! くそう、知っていた筈なのに……!!)
 味方すら食べようとするなんて……何かと混ぜっ返す円山ですらドン引きだった。

「いずれにせよ犬飼、お前の任務は敵の捕捉……だからな。他の戦士が到着しだい後方に下げるよう言われている」
「よねえ。ひ弱な自動人形使いの致死率は高いもの。真先に本体狙われ死んじゃうのがオチ」
 探索などの非戦闘任務にこそ将来性がある……というのは犬飼自身さきほどの戦部とのやり取りで実感し始めている
ところだ。見張りの途中でこそ敵を仕留めて功績を挙げたいなどと嘯(うそぶ)いていたが、整理のつき始めた気持ちは
少しだけ今までと違った判断を下す。

「分かってるよ。後ろに、安全な場所に下がればいいんだろ。何てったって無事戻れば勲一等なんだ……! ボクを馬鹿
にした連中をやっと見返せるって時に誰が下らない無茶なんか……! ヴィクターVの時の二の舞は避ける、直接戦闘な
ど避けてやるさ……!」



 同刻。犬飼たちの居る地点へ向かうヘリの中で。

「どうスか先輩」。ボサボサ頭の下に垂れ目を覗かせるアロハシャツの少年戦士が隣の少女に呼びかける。
「本当に可能なのか? 仕組みは全然違うと思うが」。黒いショートボブの少女は答える。顔の半ばに一文字の傷を持つ
精悍で凜とした顔つきの彼女は不思議そうに掌中の物を見た。
 それは一言でいえば”歯車(ギア)”だった。ただし機械部品のそれではなく、ちょっとした大皿ほどある丸い円盤に台形の
刃が付いたという趣だ。それを少女──津村斗貴子──は先ほどから何度か握っては試行錯誤の顔つきだ。
「そりゃモーターギアとサンライトハートじゃだいぶ作りも違いますけど」 少年──中村剛太──は言う。
「ある程度の蓄電は出来ます。後はそれを放出できるかどうかです」
 と言われてもなあ。斗貴子は微妙な表情だ。

「本当にできるのか? 生体電流の、生体エネルギーへの変換なんて」

「ご主人ご主人! さっきから垂れ目とおっかないの、一体なにしてるじゃん?」
『特訓さ! 特訓としか言いようがない!』

 剛太たちの向かいの席で騒ぐ少女の名前は栴檀(ばいせん)香美。故あって錬金戦団に協力しているホムンクルスの1人
である。ネコ型らしい大きなアーモンド型の瞳を大きく見開いて元気よく叫ぶたび、うぐいす色のメッシュが入ったセミロングの
茶髪が揺れる。タンクトップからこぼれんばかりに谷間を覗かせる胸もゆさゆさ揺れる。

『でも生体電流と生体エネルギーの違いってややこしいな!!』

 香美の後頭部から張りあがる大声は、彼女の主人、栴檀貴信の物である。彼らは、いま坂口照星を捕らえている組織・
レティクルエレメンツの幹部たちによって1つの体にさせられた悲運の2人だ。元通り別々の体に戻るため戦っている。
錬金戦団に協力したのもその流れだ。

「いろいろあるけど、簡単にいうと、内部を大人しく流れているのが生体電流、外部に向かって激しく放出されるのが生体
エネルギーよ」

 嫣然と答えて微笑する見事な黒髪ロングの持ち主は早坂桜花。生徒会長を務めている母校銀成学園のクリーム色の制
服に包んだ長身は、無骨なヘリの中にあって香るような色気を振りまいている。露出こそ少ないがスタイルの良さはタンク
トップに短パンというラフな恰好で豊かな肢体を曝け出している香美に負けずとも劣らずだ。元は信奉者というホムンクルス
に与する反社会的勢力だったが、武藤カズキとの出逢いを機に人を守る戦士へと転向した。

「違いは……分かり…………ましたけど…………それを……なぜ……変換しようと……してるの……ですか…………?」

 桜花の膝のうえにちょこりと腰掛けている少女が遠慮がちにおずおずと呟く。虚ろな双眸が嫌でも目を引く可憐な少女だ。
後ろで三つ編みにしている真赤な髪に白いバンダナをつけている。名前は鐶光(たまきひかる)。小柄だが前述の香美や貴
信の属する共同体「ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ」の副長を務めている。レティクルの幹部になった義姉の手で五倍
速で年老う体にさせられた鐶もまた元の体に戻るためこの戦役に身を投じた。

「そりゃあお前たちのリーダーがサンライトハートを複製できるからだよ」

 潰れたヒキガエルのような声音で答えたのは奇妙な人形。全身ピンク色の二頭身、頭は肉まんにハートアンテナをつけた
という恰好だ。両目は自動車のライトのよう。決して流行の可愛さを持っているとは言いがたいが、実はこの人形、清純な
る美貌持つ桜花の分身である。名をエンゼル御前という。

「ったくゴーチンも大変だよな。鐶たち音楽隊のリーダーがカズキんの武装錬金コピーできるようになったせいで」

「リーダー……。あ、もりもりさん……」
「もりもり? 誰よそれ誰じゃん?」
『香美!? 僕たちのリーダーのあだ名忘れたのか!? もりもりさんだよ、総角主税(あげまきちから)氏!』
「あー。あのぎんぎらした長い金色の髪の、いっつもスカしてる! そいやアイツもりもり、もりもりだったじゃん!」
「威厳ねえなお前らのリーダー……。いや実際しょうもない部分も沢山あったけど……」
 呻く剛太の言の葉を桜花が接(つ)いだ。
「あら。しょうもなくても、色んな武装錬金を複製して使える総角クンは便利よ。実際伝手を頼って入手した武藤クンの
DNAサンプルからサンライトハートを再現できるんだもん。私の知る限り最高の爆発力を持つ突撃槍(ランス)は重要
な戦力よ。大戦士長を捕らえているレティクルとの大決戦が控えているんだから」
「そして……サンライトハートを使うのは……斗貴子さんと…………決定しました……。リーダーも使えなくはないです
……けど…………カズキさんと……らぶらぶ……な斗貴子さんこそ……使うべきと……譲りました……」
「ラ、ラブラブとか言うな鐶!! ブブブ、ブチ撒けるぞ!!」
「ヴィクターと……ご夫婦になる…………ロボットアニメ……ですね……」
 鐶は可憐な見た目とは裏腹にマイペースでいい性格で、何よりロボット大好きなヘンな子だ。それが力のないドヤ顔をす
るともうどうしようもないと斗貴子は知っているので、相手をやめる。

「とにかくだ! 私が複製版サンライトハートを手にした場合、問題がある!」
「問題って何さ。あんた強いんだからテキトーに振りまわしゃ何とかなるじゃん」
 純然たるネコな香美は面倒くさそうに、興味なさそうに半眼を尖らせた。(ああもうコレだから音楽隊の連中は……!)
決戦前だというのにイマイチ緊張感のないホムンクルスたちに真面目な斗貴子はイラっと来たが、本題を続ける。

「サンライトハートは外部に向かってエネルギーを放出する武装錬金だ。対して私が今まで使ってきたバルキリースカー
トは処刑鎌(デスサイズ)と可動肢(マニュピレーター)を生体電流で操作する武装錬金」
「つまり練習なしじゃ突撃槍の使い方が分からないってコトよ。光(ひかり)ちゃん。香美さん」
「分かり……ました……! つまり念動力なしでSRXに乗るような……もの……ですね!」
「よーわからん! つかなんでそれで垂れ目の武器もってんのさ!! カンケーないじゃん垂れ目! カンケーない!」
「うるせェ! 関係ないとか言うな!!!」
 剛太は滝のような涙を流して抗弁した。真情は桜花と、貴信だけが理解した。
(彼は斗貴子氏が好きなんだ!! だから彼女が想い人の武装錬金を選ぶのが、使うのが、耐えられない!!)
「あるよ関係はある! 俺だって先輩の力になりたいんだ! そんでモーターギアは高速機動・速攻重視なバルキリースカー
トと違って、生体電流の『タメ』が効く!」」
「事前に角度とか速度をインプットして操作できるものね」
 桜花はくすくすと──しかし斗貴子のみを想う剛太への複雑な思慕を滲ませながら──くすくすと笑う。
「つかよゴーチン。無茶すぎねえか? いきなりタメた生体電流を外部放出とか」
 ぴょろぴょろと顔の周りを飛びながらしわがれた声を漏らす御前に剛太は「うるせえな、分かってるけどやるしかないん
だよ」とボヤく。
 斗貴子は涼しい顔だ。戦輪をあちこち触りながら
「まあいちおうやってみるが、」
 キュルルルっと勢いよく回転させた。「!?」 目を見開く剛太。止まる戦輪。
「今の所これぐらいだぞ? 私がキミの武装錬金で出来るのは」
「いや上出来ですよ先輩!! 俺ですら回せるようになるまで2日はかかったのに!!」
 驚きのまま両手を握ってきた後輩に「ひやああ!?」と赤面した斗貴子は。

「い、いきなり触るな!!」

 次の瞬間、煙噴く拳を構えたまま剛太に叫んでいた。
 床に臥し「ふぁ、ふぁい」と叫ぶタンコブ丸出しの後輩に叫んでいた。

「しかしキミの武装錬金を私が動かせるのは操作方法がバルキリースカートと同じだからだぞ?」
「生体電流で操作してんだっけ? どっちも」 耳元囁く自動人形に桜花は頷く。
「だがモーターギアとサンライトハートじゃ……さっきキミも言ったとおり全然違うんだぞ? 後者の練習を前者でやろうって
いうのは無茶じゃないか? 電気ノコギリの操作でロケット推進を学ぼうとするような……」
「でも」 よろよろと立ち上がった剛太は、ちょっと頭を抱えてから真剣な眼差しを向けた。
「これをやっておかないと斗貴子先輩、実戦の中でいきなりサンライトハートを使うコトになります。俺、そんな危ないぶっつけ
本番なんてして欲しくありません。先輩だって痛感した筈です。敵幹部(マレフィック)は、強い。そんな連中相手に使い慣れて
いない武装錬金をいきなり投入するなんて無謀すぎます」
 モーターギアでサンライトハートの練習をするのは無茶かも知れませんが、ある程度要領を掴んでおくに越したコトはありませ
ん。そう真摯な態度で言い放つ剛太は平素ニヘラとした軽い男だ。しかし昔救ってくれた斗貴子のコトとなると人が変わった
ように真面目になる。意思は、伝わった。
「……そうだな。複製できる総角はいま行方不明。仮に居たとしてもカズキのDNAで完全再現できる機会は一度きりのただ
5分。サンライトハートを修練する余地など元々ないんだ」
 いざとなれば一番近くでカズキを見てきた故の「見取り」で何とかしてみせると思っていた斗貴子だが、後輩の真剣な指摘と、
それからつい先刻体感したマレフィックの強さによって考えを改める。
(やはり私はまだ、1人で思い詰める部分が残っているようだ)
 カズキとの別離以来、斗貴子は少し度を失くしていた。それを最初に戻したのはカズキの妹・まひろである。そこから斗貴
子は恩人である防人衛や桜花との交流を通して少しずつだが未来を、周囲(まわり)を、見られるようになってきた。
 窘めてくれる後輩が居るというのも、幸福の1つだと、今では思う。
「感謝する剛太。ありがとう」
 少し微笑すると彼はビックリしたあと天にも昇るような顔つきになった。それが後輩ゆえの思慕としか受け取っていない斗
貴子にちょっとムクれたのは桜花である。彼女は何かと剛太に肩入れするし同情的だ。大事な存在が自分より後に現れた
自分以外の異性と絆を含めていく心痛への共感がそうさせている。桜花はずっと一緒に生きてきた弟・秋水が、最近まひろ
と距離を詰めるのを応援しながらも寂寥を覚えている。
 斗貴子と剛太に視点は戻る。
「で、キミがここまでしつこく薦める以上、何らかの確信があるんだな?」
「ええ。先輩だって見たでしょ? 早坂秋水の飛刀。あれだって生体電流のエネルギー変換の一種じゃないですか」
 あれか。斗貴子は思い出した。

 ここに来る直前、彼女は仲間ともどもレティクルの幹部と一戦交えた。木星を名乗るその幹部は非常に強く、斗貴子たち
はあわや全滅寸前にまで追いやられた。

 その場に居なかった桜花も話だけは聞いている。

「確か……秋水クンがソードサムライXを弾き飛ばされたあと起死回生とばかりやったのが飛刀、よね?」
「そうだ。飾り輪からのエネルギー放出によって刀を飛ばした。手放す直前、時間差で放出するようインプットして、敵の背後
から……な」
「モーターギアの要領ですね。まだ俺のみたく方向方角自由自在とは行きませんけど、それでも一見まったく違う「エネルギー
放出」と「生体電流インプット」が統合された実例はあります」
 まあ問題は、早坂秋水が斗貴子先輩と違って元々エネルギー放出に慣れ親しんでいたって所ですけど……剛太は自ら
アキレス腱を指摘する。斗貴子も確かになと肯(がえん)じる。
「普段やってるコトを生体電流インプットで微調整すれば良かった秋水と違って、私はエネルギー放出から覚えなくてはなら
ない……難しい所だな」
「すみません」 軽く頭を下げる剛太に「いや責めてはいない」斗貴子は言う。
「今まで武装錬金に触れていなければ放出を行えなかった秋水でさえ、遠隔操作というキミの領分を習得したんだ。まったく
違う系統を理解し取り入れるのは難しいが不可能ではない。恐らくこれは方向性の話。今まで成してきた操作とは別の操作
をイメージするコトが……重要。それに」
「それに?」
「私の特訓は恐らくキミの戦力増強にもなる」
「え? 何でですか?」
 何でってキミ。斗貴子は心外そうな顔をした。
「私がモーターギアでエネルギー放出ができると証明すれば補えるだろ、攻撃力不足。爆発か光刃か……ともかくエネルギー
系統の攻撃を乗せられるようになればマレフィックとの戦いに役立つ。キミが生き延びる可能性もまた、上がる」
 またも呆気にとられた剛太は垂れ目で無気力な瞳をうるうると古臭い少女マンガの円らな涙目へと変形させた。
「先輩ーーーーー!! 俺のコトをそんなにーーーーー!!」
「ええいだから抱きつくな!!! 鬱陶しい!!」
 オロロンと纏わり付く後輩を振り切ってから。

 モーターギアを手にした斗貴子はイメージする。
(さっき剛太の戦輪(チャクラム)を回せたのは彼がそうしているのを見ていたからだ。コレが回る武器だからと認識してい
るから、バルキリースカートの応用で回転できた。では、インプットは?)
 常に処刑鎌(デスサイズ)を速攻で動かしている斗貴子。先の先を取るのに慣れすぎている彼女にとって時間差攻撃は
少し理解し辛い感覚だ。
「俺は最初、指を1本1本、ゆっくり折るような感覚でインプットしてました。5秒後に人差し指、10秒後に中指、そう考える
ようにね
 目を閉じている斗貴子に剛太の声が響く。「先輩の場合は、バルスカを1本1本そうするような感覚の方がいいかもです」
「了解した」。事務的に答える斗貴子。
(不慣れなうちは単純な動きでいい。5秒後に右回転。10秒後に左回転)

 6秒後。戦輪が右回転を実行した。13秒後、途切れ途切れだが逆方向への回転を始めた。

「おおー」 香美が目を輝かせた。

「動きはしたがやはりいきなり完璧は無理、か。後の操作になればなるほど精度が落ちると直感した」
 嘆息する斗貴子に剛太は「いやいやバルスカで生体電流操るの慣れてる先輩だからこそそれだけ動かせたんですよ。
不慣れだとああなります」、鐶を指差す。

「1秒後、右に……。3秒後、左に…………。ダメ…………です。動きません……」

 残る1つの戦輪を手にして四苦八苦する彼女は一団の中でも群を抜いた実力者である。

「でも光ちゃんは鳥への変形とか年齢吸収の短剣で戦うタイプ……細かい操作が苦手でも仕方ないわよ」

 そういう桜花も鐶から手渡された戦輪を、回転1つさせられない。矢を精製して射る戦闘スタイルゆえに生体電流の使い
方が分からないようだ。

「ゴーチンお前よくこんな訳わからん武器動かせるよな」
「お前が言うな。この無駄に多機能な自動人形め」

 剛太は不快そうに御前を見た。
 矢の生成や通信機能、ライト照射、お菓子を食べたりお漏らししたりと戦闘に関係ない機能を満載している不可解自動
人形に訳わからんと言われる筋合いはない、まったくない。

「とにかくインプットが分かったので次です。爆ぜさせるイメージでやってみましょう」
「不躾な質問だが、キミは考えたコトないのかソレ?」聞かれた剛太は「ないですね」と頷いた。
「俺、初めてモーターギアを発動したとき、直感したんですよ。「ああコレ複雑な、時間差とかの攻撃で敵を翻弄するタイプ
だな」って」
「頭を使って戦うキミらしい感想だな」
 斗貴子に褒められたような気がしてちょっとニヘラとした剛太だが説明の最中だと顔を引き締める。
「ほら武装錬金って自分自身じゃないスか。だから直感したならそれが一番自分に合ってるってコトだし、教本にだってそ
似たようなコト書いてあったでしょ? だから爆発的な威力は考えたコトも……あ、さっき先輩が言ってくれたエネルギー
攻撃は別ですよ。今の俺はアリだって思いましたから、大丈夫ですっ!」
(剛太クン本当津村さんに甘い……)
 桜花は吹き出しそうな口を品良く抑えた。仄かな思慕こそ抱いているが、不思議と剛太が斗貴子にデレデレする姿に
不快感はない。むしろそういう一途な剛太だからこそ目が離せないのだ。
「でも斗貴子先輩にはエネルギーを絡めた攻撃イコール爆発って認識があるじゃないですか。今度はそれをインプット
してみてください。先輩が一番イメージしやすいのは……そうですね、武藤に何秒かあと特攻するよう命じるような。それ
でいてバルキリースカートに同じタイミングで全開機動するよう命じるような感覚……でしょうか。俺がいうような状況になっ
た場合の戦闘の昂ぶりを第一に考えてください。その中心にサンライトハートの炸裂があると考えて下さい」
 指示しながら剛太は「あれ俺なんか辛い状況に自ら自分を追い込んでね?」とも思った。
 そうであろう。自分の武装錬金で、想い人が、自分以外の想い人を強くイメージした現象を起こすのだ。貸した車の中で
恋文を書かれるような物である。或いはそれ以上の取り返し付かぬコトをカズキと斗貴子に交歓されるような。
(……そ、そういえば先輩と武藤は既に)
 決戦場に向かうまえ剛太は演劇をやらされていたが、それに纏わりつくイザコザの中で彼は見たくなかったキスシーンを
しこたま見せ付けられた……のを思い出した。
(ああもう考えるなってのそういうコト! いま大事なのは斗貴子先輩を生き延びさせるコトだ!! もうすぐ決戦!!!
先輩が生き延びられるなら武藤の武装錬金でも何でも使わせる!! 嫉妬でやるべきコト怠って斗貴子先輩を死なせたら
俺は武藤より、あの激甘アタマより下ってコトになるだろ!)
 思考は犬飼と似ているが剛太の方が深刻だ。人は大事な存在に認められないと苦しむが、認めてくれた存在に報えない
時はもっと苦しむ。犬飼は片方だけだが剛太は両方だ。好意という土俵において「報いたい」が「認められる保証はない」。

 だが大したもので、剛太は精神具現そのものであるモーターギアを一切崩壊させなかった。

 斗貴子の方はというと。

(カズキに槍を爆ぜさせるよう指示しつつ、私も全力攻撃に向けて力を溜める……。剛太はそれが観念的なコトと言いたげ
だ。つまり本質は爆発。何秒後かに爆発があると……爆発を起こすと念じるのが操作の要諦)

 様々な思惑を生体電流に変えモーターギアに蓄積していくのをまずイメージ。
 更にそれへ所定の時間に所定の規模で爆ぜるよう命令。

 すると。


 パチッ。


 僅かだがモーターギアの表面で火花が炸裂した。


「剛太。これは?」
「少なくても俺はやったコトありませんね。小規模ですが放出と見ていいかと」
「では、今の感覚を昇華すれば」
「ええ。サンライトハートの最大出力だって不可能じゃありません。たぶんあっちを使う時は何秒か操作の違いに戸惑うでし
ょうけど、放出の仕方を1から考えるよりは多分楽です。何しろ武藤でさえ扱えていた武装錬金なんですから、放出のコツ
さえ分かってればすぐ使いこなせるでしょう」
「そうだな。あのコは細かいコトなど一切考えずただ突っ込んでいたからな」
 しょうもないコだといわんばかりに笑う斗貴子に剛太はチクリと痛むものを感じながら、言う。
「でもそれも1つの才能じゃないですかね。俺らが苦労してやっと得られるかどうかって物(モン)を、事もなげに持ってるん
ですから」
 斗貴子に好かれる才能……という意味で言った言葉だが、当の本人はもっと人間的な、器的な才覚という意味で解釈
したらしい。
「立派だとは思うが、私たち戦士が備えていて当然の物を彼は持っていないからな。それゆえ救えた物も確かにあるが、
私たちを困らせるコトだって多いんだ。まったく。どうやって連れ帰れって話だぞ」
 軽く憤る先輩に後輩は気付く。
(アレ……? 斗貴子先輩、置き去りにされたコト、少し割り切り始めている……?)
 一時は永遠の別離に見舞われたように落ち込んでいた斗貴子がいま「連れ帰る」といったのだ。失くしたものを取り戻す
方に向かって心が動き出しているようだった。

「剛太。決戦前だがもう少し借りていいか? なるべく練習しておきたい」
「あ、はい。どうぞ。多少の放出は大丈夫ですよきっと。俺の無意識的な自衛意識が防御力を高める気がするんで……」
 斗貴子の生体電流に乗るカズキに自我(ぶそうれんきん)を壊されたくないという精一杯の抵抗のつもりで吐いた言葉で
はあるが、それを解する斗貴子であれば受け入れるなり断るなりで剛太の煩悶へとうに明確な決着をつけている。
「放出で、自分の攻撃で壊されないための自衛反応という訳だな。私もなるべく加減はする。速攻での放出に主眼を置く」
 事務的に頷く彼女に香美を除く他の面々、「ああ……」と呆れる。

(斗貴子さん……そういうコトでは…………ないのです…………。無銘くんなみの朴念仁さん……です)
(新人戦士! わかる、わかるぞそういう気持ち! 高校でぼっちだった僕には分かる!!)
(津村さん? 剛太クンは武装錬金を貸してまで貴方に……)

 品よくもやや憤る桜花が何か言おうかなと考えた瞬間、傍らを野性味あふれる影がバっと抜けた。

「垂れ目。あんたなんか辛そうじゃん。でもなんか頑張った感じじゃん、えらいっ! なんかえらい!!」
「だあもう頭撫でるな!! つうか本当お前俺のコト名前で呼ばないのな!!」


「つかうるせェぞテメエら!!」

 ヘリ前部の席から怒号を飛ばしたのは火渡赤馬。攻撃的な総髪にツリ目太眉キバ剥き出しといかにも怪物な容貌だが
れっきとした戦士である。それどころか現在誘拐中の坂口照星の代わりに錬金戦団日本支部の総指揮官を務める立場だ。

「戦士がホムと馴れ合ってるんじゃねえ! どうせこの作戦が終わったらクソッタレた共同戦線も仕舞いってコト忘れたか!」

 ひいえええ、怒られたああ! ガタガタ震えるエンゼル御前。剛太も少しビビった。斗貴子と桜花は理性で黙る。鐶は
「凄い……覇気、です! ゲージMAX、です!」と嬉しそう。香美だけはムガーっと顔をしかめた。

「うっさいのあんたじゃん!!! 光ふくちょーたちが仲良くしとんのジャマしたらダメじゃん! ダメ!!!」

 ホムンクルスだが弱いものイジメが嫌いな真っ直ぐな香美はカチンときたらしい。うがーっと気炎を上げる。背後から『ちょ、
香美、その人偉いし怖いし、作戦前に騒いでた僕らも悪いから、大人しく!!』と気弱な飼い主が声を上げるが「ご主人は
黙るじゃん!!」とシャーシャー吹く。

「んだと!」

 露骨に顔を引き攣らせる火渡。席から腰を浮かせかける。

「まあまあ火渡様落ち着いて」

 横合いで窘めるガスマスクは毒島華花。火渡の秘書的立場の「少女」である。

 その向かい側で唸る少年が1人。

「俺だけ場違いなような気がしてきた……」

 彼の名は鈴木震洋。桜花と同じくかつては信奉者だった男である。ただし見目麗しい桜花と違ってイマイチぱっとしない
眼鏡少年である。明確な改心も実はない。一時期は物騒な錬金術の産物を自ら取り込んだせいで悪霊めいた存在に体
を乗っ取られ悪行を尽くしていた。

(もう1つの調整体……飲むんじゃなかった。ムーンフェイスに除去されても破片が残っててそれが悪性腫瘍みたいな発達
遂げて)

 しかも別口の悪党からさらに奇妙な霊石を埋め込まれたせいでどんどんと人間から遠ざかっている。

「まーまー。強いからいいのだよ青少年!! おかげで殺陣師サンたちも戦力増えたし!!」
「勝手に組み込んだのお前達だよな!? 俺巻き込まれているよな!?」

 震洋が呼びかけるのは野性的なショートカットの少女である。名を殺陣師盥(たてし・たらい)。大学生がサバゲの恰好を
しているような雰囲気だが全身のいたるところに見え隠れする傷が決して恰好が趣味だけではないコトを物語っている。

「まあまあ青少年。もうここまで来たら引き返せない訳だし」

「他の戦力ももう、来てるよ。近くまで、ね」



 犬飼たちのいる集合地点から北北東2214m。


「うーん。今日も今日とていい天気だねえ。ああでも関東の方は日没前から雨だそうじゃないか。それまでには済ませたいねえ」

 伸びをした少女が歩き出す。雲を思わせる白くてモコモコしたロングヘアの少女がゆっくりと南南西めがけ歩き出す。ホッ
トパンツの裾から裾へ無造作に突っ込まれている指示棒──戯画的な指差しのオブジェ付きだ、それは下へ、太ももの辺
りへ突き出している──がテクテク揺れた。

「さてさて。津村さんはドラちゃんのお姉ちゃんのコト、覚えてるかねえ? こればっかは予報できない人の心〜♪ るらら〜」

 台風のような渦だった。瞳はそんな螺旋だった。いわゆる「台風の目」部分が瞳孔という、変わった風貌だった。




 犬飼たちのいる集合地点から南南東1283m。

「あの天辺星さま? 私遅刻しないためのタイムスケジュールちゃんと伝えた筈だよね? なのになんで間に合いそうにないの?」
「ふっふー! 元レティクルなアタシが大事な作戦に遅れかけてるとか裏切りっぽくてチョーチョー悪い感じ!」

 いや急ごうね? 刑事ドラマの若手刑事を思わせる風貌の青年にどんよりした瞳を向けられた金髪サイドポニーの少女は
「うう。奏定は黒服みたいに言う事聞いてくれないから苦手、チョーチョー苦手……」と肩落としつつも北北西へ。

「奏定副隊長も大変だな……」
「いつも思うけど隊長が、いや天辺星さまが元レティクルって話本当なのか?」
「アホっぽいコだからなあ。天王星の幹部だったっての、フカシって可能性も」
「なぜかその辺りの資料、無くなってるんだよなあ」
「管轄は確か石榴さん……だったよな。すごく几帳面で、10年前の天王星の幹部の事件の資料も」
「大切に保管してたさ。だってあの事件で親友が死んで、その旦那さんも戦士やめたから、大切にする」
「でも無いんだよな……? 石榴さん自身も事件から1年と経たず不審死だったらしいし……」
「だいたいだ、資料がなかったとしても当時の記憶はあるだろ誰かしらに」
「なんで誰も成否を判定できないんだ? まるでみんな記憶をイジられているような……」
 あの事件は本当ナゾが多いよな……奏定と呼ばれた男や天辺星さまの後ろをついていく部下達は首を捻る。

「しかも天辺星さま曰く、武装錬金が当時の土星の幹部のそれと入れ替わっているらしい」

 キャミソール姿の彼女の腰から下がっている鞘を見ながら部下の1人が囁く。

「陰陽双剣、って言うんだよなアレ。1つの鞘に剣が2本入ってる。7年ぐらい前の事件で入れ替わったそうだ」






 犬飼たちのいる集合地点から北西3821m。

「やっと!! やあああああああああああああああああああああああああああっと! 着いた!!」
「着いたああああああああああああああああああああああ!!!!」

 巨大な陸戦艇から転がるように飛び出した戦士たちは梢に覆われた天を仰いで叫びたおした。

 最後に陸戦艇から出てきたいかめしい顔つきの老人は静かに述べる。

「総員整列。ここからは徒歩にて所定の位置へ移動する。ただし当作戦は大戦士長の救出作戦である。奇襲と隠密が旨で
ある。隠密行動を最優先とされたし。繰り返す。隠密行動を最優先とされたし」
「艦長。みんなとっくに行ってます」
「ずーっとディープブレッシングに閉じ込められてからなあ」
 恰幅のいい水雷長と痩せぎすった航海長のぼやきの前でつむじ風が木の葉を1つ宙返りさせて去っていった。

「行くぞ、我ら最後の戦いだ」

 置き去りにされたにも関わらず艦長は重厚な声で帽子を直し……歩き出す。サマになっているがどこか滑稽だった。



 そこから5m北西の茂みの中。

「うおー! 見て見てシズQ! ディープブレッシングだよディープブレッシング!! わたし初めて見たー!!」
「お静かにいのせん。存在を気取られたら押し込められますよ」
「月吠夜(げつぼうや)! 潜水艦なんざどうでもいい!! 俺が戦士なんぞになったのはクソアルビノを……新のガキをブ
チ殺すためだ!」

「あの野郎いまはレティクルの幹部って話だからな……! 今度はこっちが正義、しかも厄介な黒ジャージの恋人はおっ死
んでやがるらしい、今度こそ殺す、星超新、ウィルってガキを、殺す!

 ソバカスが目立つ若い男はがなり立てる。

「やれやれ。いつも思いますが貴方よく戦士になれましたねシズQ」
「知ってる過去の出来事をタネにホムンクルスから人間守ってやったからな……! 未来から飛ばされた故の特権て奴さ」
「ほんと、大変だったよねー。未だになんで過去に飛ばされたか分からないよ」



 犬飼たちのいる集合地点から西方2810m。

「師範。部隊員総て集まりました! ウス!」

 日本刀を携えた鋭い顔つきの男性に上申された女子高生は鷹揚に頷いた。黒髪ロング以外これといった特徴はないが、
美とは突き詰めれば平均値……という説を取るなら、彼女は限りなく平均(ぜっせい)の美少女だった。起伏もほどよく扇情
的である。半袖ミニスカ、腰の辺りにカーディガンを巻いている。

「ま、武装錬金持ちじゃない君達は無理しないコトだね。錬金術製の合金武器に鳩尾無銘(きゅうびむめい)の龕灯でソー
ドサムライXの切れ味を付与しただけの……いわば量産型だ。いくらがフィジカルがメダリスト並で、剣腕が全国大会8
位以上確定だと言っても、深追いは禁物。『核鉄持ち以外は戦えない』と思い込んでいるレティクルの幹部どもを埒外
から奇襲しては逃げすさる、そんなクッソせこい馬鹿みたいな戦法で少しずつ削ってやるのがお役目だ。それは分かるね?」
 
 分かっています、ウス!ずらっと整列する男達は声を揃えて応答した。

「他の部隊もレプリカ武器+性質付与の贋作武器で攪乱する方針です! ウス! 」
「核鉄は希少ですからね! ウス!」
「しかも扱える戦士は、強いものほどヴィクターの件で消耗し……本来の調子を失っている! ウス!」
「それだけに救出作戦に選び抜かれた武装錬金使いはレア、彼らの生存確率を上げる意味でも」
「全体的に減少してしまっている彼らの穴を埋める意味でも」
「レプリカ武器+性質付与の贋作武器こと『無銘の武器』を手にした我々はゲリラ戦術の徹するべきです! ウス!」

 うんうん。君達よく分かっている。女子高生は腕組みして頷いた。二の腕を指でトントンしながら語り出す。

「個人的な話だが、私もレティクルの盟主には大概腹が立ってんだ。友人を殺されてしまったからね。異端扱いされてた
私の著書を面白いと言ってくれた、一番のファンでもある友人を、私は盟主に殺されたのさ。以来ね、願をかけた訳だ。
些細だけどね。『仇を討つまではウザい語尾をやめよう』……ってね」
「知ってます、ウス!」
「何度も聞きました、ウス!」
「でも語尾欠で物足りないってコトで俺らがウスウス語尾につけろと命じられたです! ウス!

 ノってくれる君らも君らだけどね、愛してる。ばーっと両手で投げキッスをすると部隊員たちは「ウスーーーー!」と歓声を
上げた。

「フフン。フツーに女子高生やればコレぐらいの人気は獲得できるのだよ、武藤ソウヤめぇ、よくもこんだけのクオリティのあちし
無視してくれたなぁ!!」
「?? う、ウス?」
 律儀にも疑問符を叫ぶ部隊員に少女はこちらの話さと切り替える。
「ともかくだ。我々は予想外の暗闇から幹部どもの頬桁をブン殴ってまわるぜ! ヴィクターの乱で疲弊して碌な戦力がねえっ
て錬金戦団舐めていやがるレティクルの連中に、銀成の戦力と音楽隊”だけ”が脅威だと他を見縊ってやがる盟主のクソぼけた
部下どもに、月並みだが無銘の武器で目にもの見せてやろうじゃないか!! 鉤爪さんとか糸罔部隊とか、奴らに殺された
いい人たちの仇を、討ちまくれる日は今日、トゥデイ!! だろっ!!」
「「「「「「「「「ウス! 了解です師範! 『12代目チメジュディゲダール』師範!!」」」」」」」」」
「よっしゃやらかすぜテメエらーー!!」

 毛抜形太刀を天に向かって勢いよく突き上げる女子高生もまた遥か未来から飛ばされてきた人物である。



 犬飼たちのいる集合地点から西方2493m。


 そこは何の変哲もない森だった。それまではどこまでにもある森だった。

 だが空間が突如として裂けた。裂け目はあっという間にブラックホールを思わせる暗紫の渦となり……

 ある物を2つ、吐き出して閉じた。




 少し前。ヘリの中で。

「……ん?」 殺陣師は一瞬ピクっと耳を動かした。何かあったのかと訝しんだのは斗貴子だがネコ型で耳のいい香美に
それとなく問いかけても「?? 別に何もないじゃん」。

(じゃあ何だ今の反応? 何に反応したんだ殺陣師さんは?)

 斗貴子が不思議そうに思う間に震洋は殺陣師に詰め寄る。どーすんだという言葉を何度も何度も。

 それをよそに殺陣師は心の中で、笑う。


(成程。このタイミングか。いよいよ彼女も参戦と)


(ならちょっと、『調整』が必要、だな…………!)




 森の中。

 空間の裂け目が吐いた物の片方は青年だった。
 大きな刀を手にした金髪長髪の欧州美形だった。胸には認識票。

「フ。やはり『ワダチ』の複製は……身を削るか。とはいえ時空結界を壊しうるのはコレしか、な」

 ジジリと存在の解像度を下げながら溶けていく肉体の輪郭にやれやれと溜息をついた彼の名は総角主税。
 銀成におけるマレフィックとの戦いで少女を庇い時空の彼方へ消えた、音楽隊のリーダーである。

 周囲を見渡した彼は軽く息を吐いた。

「フ。てっきり元の銀成に出ると思っていたが……時空のズレという奴か、どうやら決戦場の近くらしい」

 ヘルメスドライブを起動した彼は、香美や鐶と言った部下たちが自分のいる座標に近づいてきているのを見た。地図の上で
マーカー表記の体(てい)を取っている彼らの移動速度はヘリのそれ、ならばココが坂口照星奪還の決戦場だと推測するに
些かの時間も要さない。

「……運よく来れたと思うべきなのだろうが…………フ。果たしてこれは偶然なのか? 何者かの作為や導きを感じなくもない
が……まあいい、ともかくもコレで義理を果たした。『本家への』義理を、な」

 剣を握っていなかった方の手で抱きすくめていたのは女性である。年の頃は20代前半といったところか。流れるような
金髪はどこか総角との血縁を疑わせる色艶だ。どうやら意識がないらしくジっと目を閉じているがそれでも知性の高さが
伺えるのは何も小さめの眼鏡のせいではない。雰囲気だ。磨きぬいてきた佇まいが無言の説得力を与えている。
 彼女には2つ、目立った特徴があった。1つは髪の先端。セミロングの先端は虹を並べたような色艶に分化している。
赤や青、紫に黄色と言った基本的な色彩の他に、黒や茶色といった地味なものも混じっている。そして……金髪のブランク
に染まっていた部分がどういう訳かみるみると銅色に染まっていく。
 もう1つの特徴は服装だった。『法衣』を纏っている。露出こそ少ないが胸部ははちきれそうな程に膨らんでおり、却って
妖艶だった。

「ソウヤ君……」

 覚醒の兆候が見えた彼女を総角は、手近なベッド型の石にそっと降ろし南西を見据える。

「同じ改竄者の手によって時空の彼方に追いやられたお前が今まで何をしていたのか……。ひょっとしたら魂だけを過去に
飛ばし何らかの対策を打っていたかも知れないが……フ。聞いている時間はないな。俺には俺の戦いをすべき責務がある。
義理は返した。別行動だ。お前の方も好きなよう動くがいいさ」


 消える総角。同時に身を起こした法衣の女性はゆっくりと辺りを見回し──…


 数分後、チメジュディゲダール師範に率いられた戦士たちはここを通過するが、その時のベッド型の石には……もう誰も
横たわっていなかった。



「フ」

 森を駆けながら総角は笑う。


(しまったぞ集合地点に居る犬飼・円山・戦部と俺は面識が……無い! ヘルメスドライブで瞬間移動できないぞこれじゃ!)


 汗を頬に浮かべたが、彼はすぐさま余裕タップリの表情で走り直す。傍目から見れば英姿颯爽だが、内心は(どうする鐶たち
の方へ跳んで合流するか? いやそれだと目的地から一旦遠ざかるしツッコまれる! 策士気取るなら犬飼たちの所にも飛
べるようにしておけよと呆れられる! それは嫌だ、走って着く方が絶対速い!)と焦っているなんとも締まらない男だった。





 同刻。銀成市・聖サンジェルマン病院。職員を務める戦士用の稽古場で。



 早坂秋水は自分の繰り出した竹刀が弾かれるのを見た瞬間、少しだがその端正な瞳を丸くした。相手は両目を包帯で
覆っている楯山千歳。少し前あったレティクルエレメンツ・木星の幹部との戦いで一時的にとはいえ失明した彼女が稽古を
申し込んだのは秋水が度重なる疲労によるしばしの眠りから目覚めてすぐだ。

「感謝するわ戦士・秋水。武器を持った相手に馴染むには貴方のような優れた剣術家と戦うのが一番だから」
「……傷は、大丈夫ですか?」

 瞳を隠しても匂い立つような色香が漂ってくる妙齢の女性を秋水という比肩なき美剣士は心配そうに眺めた。手の甲や頬
についた痛々しい青痣はもちろん稽古でついたものだ。相手が光を失くしている以上秋水としては極力加減したかったが、
「本気で来て貰わないと私も実戦で戦えないから」という千歳たっての申し出に迷いを断って……攻め続けた。

「しかしたった20分ほどの稽古で10回に7回も防げるようになるとは……」
「索敵専門だったから、敵とか攻撃の気配には敏感なの。さすがに逆胴は防げなかったけど…………」

 軽く脇腹をさする千歳。もちろん必殺の一撃を盲目の女性相手へ全力投球するほど非情な秋水ではない。技が技だけに
幾分か抑えたものを予告つきで(それも千歳の要請に従う形で)放ってみたが、流石に完全回避とまではいかなかった。

「あれは強力な攻撃が来たらヘルメスドライブで咄嗟に避ける訓練だったの。でも視覚がないぶんいつもより対応が遅れて
いて、だから転移前の一瞬、掠ってしまったようね」
(剣道部員なら掠っただけで5分は寝込む威力なんだが……)
 千歳は平然と立って稽古を続けている。大した精神力だと秋水は思う。
(この街がレティクルに狙われている疑惑もある。だからいざという時の守りの戦力として少しでも最善を、か)
 彼女の過去は又聞きだが知っている。とある任務で多くの子供を死なせてしまったのだ。優しさゆえに犯してしまった些細
なミスを悪用したホムンクルスこそ本当の元凶ではあるが、それを防ぎたいと願ってきた真面目な千歳にとっては自責と
自罰の決して抜けぬ咎の棘。
(演劇の時、生徒達を見る千歳さんの目は……)
『今度こそ』という決意に満ちていた。その光を脳裏に照らすたび秋水はカズキを思い出すのだ。蝶野邸で多くの人命を救
えずパピヨンすら殺さざるを得なかった悔恨あらばこそ、彼は「今度こそ」と奮起し秋水相手の苛烈な特訓をやり抜いた。
 今の千歳はカズキに似ている。しかし剣を交える秋水の方は彼を相手どっていた頃の彼ではない。相手を、ただの練習
道具としか看做(みな)せなかった頃ではない。相手の理念を理解し、尊重し、そしてそれを達するための努力に貢献できる
コトに静かな幸福と充足を覚えている。

(俺も千歳さんたちと同じくこの街を守る使命を帯びている。残留した他の戦士たちも同じだ。守りたいという気持ちは同じ)

 そういう者たちの力になりたいと秋水は思っている。剣で助けるだけではない。剣客としての着眼点を提供し、仲間たちの
思考の幅を少しでも広げる助けるになりたかった。

「そろそろコレを使うわ」
 千歳が構える小ぶりな刀に青年は見覚えがあった。
(シークレットトレイル。行方を晦ませたねごっちー……もとい根来が残していった武装錬金)
 戦友の両目を潰した狡猾な忍びを討つため自由な立場の抜け忍になった根来。彼が去りぎわ千歳の枕頭に愛刀を置いて
いったと判明したのはつい先刻。身を守れ……などというメッセージは孤高の彼らしくないと皆思うが千歳の状況を鑑みると
到底一笑には伏せぬ推測だ。
(とにかく目が見えない相手とはいえ手にしているのは真剣……。盲剣法という言葉もある、却って無軌道な攻撃が来るかも
知れない。注意を──…)
 秋水は決して千歳を見縊っていた訳ではない。索敵専門とはいえかつて剛太が音を上げた過酷なサバイバル訓練をやり
抜いた体力の持ち主なのだ。大戦士長・坂口照星の懐刀として難易度の高い潜入任務を幾つもこなしてきた行き掛かり上、
いざという時の心得、武術の嗜みがあるのだって秋水は見抜いていた。演劇で剣舞を披露した彼女に対し(初段以上はある。
剣道1つに絞れば1年で三段相当の腕前になれる)とさえ太鼓判を押したのだ。
 だがそんな彼の動体視力を超越する動きを千歳は起こした。端的にいえば「消えた」。
 反射的に竹刀を捨て核鉄で愛刀を紡ぐ秋水、
(防人戦士長直伝の抜重? いや、違う!!)
 即座に振り返る。白刃が白刃を受け止める音がした。舞い散る火花の向こうには浮遊する千歳。床と足裏は2mほど離れ
ている。飛んで跳ねる剣法は決してない訳ではない。タイ捨……松林蝙也斉……。だが秋水のアンサーは違う。
(瞬間移動! 俺の背後にワープし剣を、か!!)
 刀を引きつつ空中で身を捻る千歳。斜め下へ向かう斬撃は落下質量を加味した物だ。47kgと軽量な千歳ではあるが
未知の刀法に軽く酩酊する秋水はごく僅かだがたじろいだ。剣を弾く。陽炎を抜けた。千歳はもう真横に居る。横目で
顔を見た秋水は裂帛の気合を上げながら……彼女に背を向け! 剣を動かす!

 真・鶉隠れ。剣風乱刃で敵を包囲して切り刻む忍びの技が乱れ斬りに弾かれ床に刺さった。

 千歳は、頬を掻いた。
「私を囮にすれば少しぐらい当たるかと思ったけど」
「見事な策ですが、姿を見せようとするあまり近づきすぎたのが敗因です。あの距離に瞬間移動できるなら迷わず刺すのが
剣士……無銘なら間違いなくやっていた」
「なのに私はしなかったから、囮、と」
 小細工を弄するのも考えものね。どこか悩ましく息を吐く千歳に
「ですが瞬間移動による斬撃と真・鶉隠れの二者択一は攪乱には充分です。どこから来るか分からない斬撃と、瞬間移動に
目を奪われた隙に亜空間から発生する乱撃……。うまく組み合わせれば充分敵の意識を逸らせます」
 秋水は自分なりの感想を伝える。
「ありがとう。でもやっぱり、決定打にしようとするのは……危ないわよね」
 ええ。秋水は頷く。剣士だから知悉し抜いているのだ。功を焦る「力み」がどれほど危険かを。
「ただでさえ目が見えなくなっていますからね。攪乱は回避に重きを置いた方が」
「そうなると、決定打は」



 別の階の稽古場に佇む防人衛はその鍛え抜かれた筒型の体を静かに踏み出す。

 大人ほどある背丈の藁人形に左の掌底を叩き込み、右の拳を上から当てる。

 ずっと研鑽している重ね当ては様々な人間との様々な交流によって少しずつ完成形に向かいつつあった。

(だが……あと1つ。あと1つ…………何かが足りない)

(この程度では俺は子供達を……。赤銅島の過ちを、また…………)

 閃光を放ち爆発する藁人形に背を向けながら防人は憂いのある表情を浮かべる。


「……いや、未完成ってカオしてるけど、ソレもう充分な威力じゃないの?」

 呆れたような声に防人はふっと顔を上げる。部屋の入り口に居るのは輝くような少女だった。艶やかな金髪をヘアバンチ
という筒で小分けにしたセーラー服の彼女の名はヴィクトリア。小さいのにいつも戦士相手には剣呑な目つきをしている
彼女はホムンクルスではあるが、自ら志願してなった訳ではない悲劇ゆえに今は銀成学園の生徒の1人だ。生意気だが
根はマジメで優しい少女と知っているから防人は逢うたびついつい気軽に応対する。

「ブラボー。充分といってくれるのは励みになる。だがまあ、俺的にはまだまだだな。見てくれ」

 技の話である。藁人形の上半身は右が3分の1ほどが削れず残っている。

「柔らかい素材すら完全には爆砕できていないんだ。俺が戦うホムンクルスは金属質……この程度ではとても切り札には、な」
「それでもニアデスハピネスと……黒色火薬(ブラックパウダー)とどっこいどっこいの威力じゃない」。耐火不燃性の床の上で
メラメラばちばちと燃え盛る藁くずをゲンナリした半眼で肩落としつつ眺めるヴィクトリアはごちる。「重傷で戦線離脱と聞いて
るけど……不十分でコレって。呆れるしかないわ」
「ん? ああそうか。キミ、もしかしてパピヨンを探しているのか?」
 会話の流れからすると妙な気付きだが、「敵に何やら超エネルギーを降ろす媒介として狙われているらしい」と先の戦いで
判明したため病院地下深くに匿っているヴィクトリアが、である。嫌いな戦団に説教されるの覚悟の上で部屋を出てうろつ
いているとすれば、最近急速に距離を縮めた気まぐれな蝶人を探していると考える他ないのである。果たして図星だった
らしい。「その様子じゃ見てないようね。いいわ」。プイっと出て行くヴィクトリア。防人は考える。

(パピヨンがいない? ボロボロで収容されたのに? 病原菌”そのもの”な幹部の、天敵の攻撃を受けて消耗しきっているのに……?)

(まさか彼……病院(ココ)の外へ? 


「なあ、病院(ココ)の外って行っちゃいけねえのか?」
「やめとこうよ岡倉君。演劇の途中でヘンな武器出しちゃった僕たちは念のためしばらく隔離って話だよ」
「大浜の言うとおりだぞ。じっとしてろ。どうせバイクだろ。雨が降りそうだからカバーかけたいとかそんなんだろ」
「うるせェ六舛!! 俺のバイクは寄宿舎の裏にこっそり止めてんだぞ! 屋根がないから予報で雨って聞いたら、人情だろ!」

 同じく地下施設の一室で騒ぐ少年3人の傍で少女2人は困惑顔。

「……ねえちーちん、絶対何か、起こってるよね」
「うん……。演劇の会場、あの養護施設、火事起こしたのに何故かすぐ元通り、だし」

 普段は対ホムンクルスのミーティングルームとして使われているその部屋にはテレビがあった。ちょうどローカルニュース
が放映中で、画面の中では見慣れた押倉レポーターが市内でマイクを持っていた。

「ご覧いただけるでしょうか。あのテープの向こうは銀成市の再開発地域の中心部ですが、およそ500mに渡って何か途轍
もない熱源が直撃したように溶けています。現在、警察や消防が現場検証を行っているため直接立ち入るコトはできませんが、
私達から見える範囲でも鉄骨ごと溶けたビルや放置車両のものだったと思しき残骸、更にアスファルトに大きく開いたクレーター
など被害の凄まじさを伺わせる光景が広がっております。更に視線を変えると最上階付近だけが消滅しているビルが遠くに
見えます。記録映像出ますでしょうか。はい。こちらは私が今の現場につく前に撮影した映像ですが、1つのビルの屋上に
複数のビルの最上階が突き刺さっています。果たしてこれは今見える上部が消滅したビルのものでしょうか。崩落の危険
があるため直接屋上へは行けませんでしたが、一番近いビルからでも100mほどの距離があります。私、現場で作業する
消防員の方に話を伺いましたが、普通の崩落事故ではまず有りえないとのコトでした」
 画面が切り替わり、視聴者提供の映像が流れる。再開発地域上空を遠くから捕らえたものだが、巨大な火球が膨れ上がり
ながら落ちていく様子に撮影者の悲鳴や驚きが混じっている。
「これだけではありません。本日銀成市ではあちこちで小さな爆発が発生したという通報が相次ぎました。銀成市消防局に
よると現在のところこの爆発による火災の報告は入っていないとのコトです」
 目撃者の映像へ。
「なんか急に、バチバチーって、ね」「そうそう。最初花火かなと思ったけど、やまなくて」
「爆竹みたいな音だったよな」
「し、信じられないかも知れないけど、渦、爆発の近くに渦があって」
「しかも目が、疵(きず)のついた目がこっちを……」
 押倉レポーターに戻る。
「他にも市街地で巨大な鳥がビルに激突したという情報も寄せられています。春先から初夏にかけて相次いで発生した
資産家邸宅集団行方不明事件や銀成学園集団ヒステリー事件の記憶もまだ覚めやらぬころ突如として頻発した怪現象。
市街地からわずか9kmという再開発地域で発生した大規模な爆発事故に市民達は眠れぬ夜を過ごしそうです」

 岡倉英之、大浜真史、六舛孝二、河井沙織、若宮千里。武藤カズキや秋水たちと縁深い生徒たちはひしひしと感じて
いた。何かよくない現象が起こりつつあるのではないかと。それは彼らと共に保護された──演劇中、敵の能力によって
強制的に武装錬金を発動させられたため、経過観察が必要だった──10人近くの生徒も同じだった。


「ブラボーさんとか寮母さんとか、貴信君たちとか、僕たちを守るために戦うよね、絶対」
「何かできるコトねえかな。学園が襲われた時とか守られっぱなしじゃねえか俺達」
「そう思うなら病院を出ようとするな。指示にちゃんと従い、的確に行動する。それが一番だ」
「ですよね。あとは……励ますぐらいしか」
「そうそう。元気で無事で済めばみんな笑ってくれるよきっと」


 5人は思う。それが自分達のすべきコト……と。



「では不肖たちの成すべきコトは!?」
「交戦したマレフィックどもの細胞片の回収です、母上」

 廊下で浅黒い少年が頷くと、シルクハットにタキシードのお下げ髪少女は「なのですっ!」とロッドを振り上げた。
 2人は鳩尾無銘と小札零。生真面目な少年忍者とお気楽極楽・実況大好きマジシャン少女である。2人は義理だが母子の
絆を有している。

「我らがリーダーもりもりさんは目下のところ行方不明! ですがご帰還されたときの為、備えて動くは必定なのであります!!
もりもりさんは武装錬金をコピー可能な特異点!! 対象のDNA情報をば入手すれば取得は容易!

「だからこそマレフィックどもも自分のDNAを取られまい、残すまいと常に警戒を続けている。実際先ほど10人居る奴らの
大半と交戦状態に陥ったが……誰1人、髪1本すら残していない……!」
 筆舌に尽くしがたい脅威を肌で体感したからこそ無銘は敵の能力が欲しい。首魁たる総角に何としても複製して欲しい。
「そこで不肖がご用意いたしましたのがこのキット! 細胞保存用の中型カプセル!!」
「中型カプセル〜」。無銘は予め録音しておいたエンゼル御前の声を流した。
 ともかく掌ほどある強化ガラス製の円筒を煙と共にポンと出した小札、手に乗せた。
「本来ホムンクルスの肉体は本体と分離したり死んだりしますと即座消滅、風に還る細胞とばかりにちりぢりばらばらに
なりまするがこのカプセルをば使えばあら不思議!!」
 ぷちりと切った髪2本の片方を小札はカプセルに入れる。もう片方はそのままだ。変化はすぐに起こった。入れなかった方が
消滅する傍でカプセルの中の髪は依然その姿を留めている。
「これを使わば将棋が成せるのだ! 敵の駒を師父の駒に成せるのだ!」

 そしてカプセルはヘリにて救出作戦へ向かった貴信&香美、鐶と言った仲間達にも配布済み。

「もりもりさんにも念のため所持していただいております故、攻めどころ使いどころまでストックするコト可能でしょう!!」
「DNAをすぐ使って発動するコトも可能だが、そのフルパワー状態は5分しか続かないのだ。一生に一度しかないのだ、
強い能力であるからこそ、本当に使うべき相手と戦うときまで……温存、すべきなのだ」

 そう。無銘はさまざまな思いを込めて、言う。

「師父の友を奪い去った憎き仇──…」

「レティクルエレメンツの盟主……メルスティーン=ブレイドと戦う、その時まで」




 メルスティーン=ブレイド。そう書かれた認識票を下げた細面の青年は笑う。
 20代後半に至ってなお女性的な雰囲気の漂う男だ。女物の服を着ているがひどく似合う。ただしファッションを一目で
異形と見せかける身体的特徴を彼は有していた。

 右腕が、ないのだ。

 肩からひらひらとする長袖を見慣れたものだとばかりメルスティーンはそよがせて、目の前に広がる9つの影を順に見る。
彼らは円卓に座っていた。

「ウィル。イオイソゴ。グレイズィング。ディプレス。デッド。ブレイク。リバース。リヴォルハイン。クライマックス。銀成での任務、
ご苦労さまだったねえ」

 卓上で左肘を付きながら労うと、一座からめいめいの反応が上がる。

「結局くたびれ儲けだったけどねー」

 まず声を上げたのは『水星』の幹部。
 白い肌に水銀色の髪を持つ少年……ウィル=フォートレス。眼窩に嵌る2つの紅玉は彼がアルビノ…先天性の色素欠乏
であるコトを雄弁に物語っている。
いわゆる7つの大罪に古めかしい「虚飾」「憂鬱」を加えた罪を標榜する幹部の中にあって『怠惰』を冠するだけあり、一座
の中では最もけだるげな存在だと……表向きには、知られている。

 しかし本当の目的は恋人の復活。遥か未来でメルスティーンの霊に殺された恋人を蘇らせるため、過去に遡り、思うがま
まの歴史を作らんとしてきた。幼少期、アルビノ差別の巻き添えで両親を殺され人間社会に絶望した彼にとって、恋人は……
ライザウィン=ゼーッ! という最強の頤使者(ゴーレム)は唯一心許せる存在だったのだ。

 恋人を蘇らせんとした結果、彼は音楽隊の小札零を今の体に改造した。……1つの予想外と引き換えに。



「むぐむぐ、もぐっ。ひひっ。『器』の最有力候補たるびくとりあは……はぐっ、結局奪えずじまいじゃからのう」

『木星』の席で、すみれ色の髪をポニーテールにした見た目7〜8歳ぐらいの少女がハンバーグを食べながら答える。傍に
はブラウンのソースの付いた皿が既に20近く積まれている。イオイソゴ=キシャク。『暴食』の徒にして忍びである。戦歴お
よそ500年を超える狡猾な幼い老婆は曲者ぞろいの幹部の中で一番の重鎮である。

 人間の頃から既に人食いをしていた彼女は、安定した「食事」のためにレティクルへ与した。
 故あって直接歴史を変えるコトのできないウィルと利害が一致した彼女は代行者となり、数々の改竄を秘密裏になして
きたのだ。

 飽くなき食欲に促されるまま彼女は10年前、妊婦の腹を裂き胚児に犬型ホムンクルスの幼体を埋め込んだ。
 その時生まれたのが音楽隊の鳩尾無銘である。



「うふふ。でもヤるべき前戯は秘密のうちに行われてますし、問題ないかと」

『金星』の座を占めるのは正にビーナス。鮮やかな唇を真白なティーカップにつけて啜る女医・グレイズィング=メディック。
ジンジャーレッドの髪を妖艶な縦巻きにしている『色欲』の幹部である。拷問を好み、医療すらその道具として使う残虐性を
有している。

 幼い頃、陵辱によって生殖機能を失った彼女は、一命をとりとめた医療への感謝を胸に立派な女医へと成長した。
 だが戦団の恣意的な手違いによって患者達を殺され、そして犯され、自身も恋人を殺されたあげく凄まじい性的暴行を
『戦士たちから』受けたため……彼女は、壊れた。

 結果拷問に狂い続け、女性ながらに胚児へ幼体を埋め込むイオイソゴの猟奇犯行に加担。
 鳩尾無銘にとってイオイソゴとグレイズィングは許しがたい仇である。



「ああ憂鬱wwww 戦士どもはどう足掻こうと俺らには勝てないのさwwwwwww」

『火星』の椅子の下で義足の付いた片足を歪に揺らしてあざけ笑うはハシビロコウ。巨大なクチバシの鳥の名はディプレス
=シンカヒア。いつも大声でケタケタ笑っているのに声の響きは恐ろしく空虚で無気力だ。『憂鬱』の罪を背負っていると
いえば誰しもが納得する。

 彼が転落したキッカケは他の幹部よりまだ軽い。末期ガンの恩師に捧げる筈だったマラソンレースを乱入者に妨害され
リタイアしたあげく、足に二度と走れぬ後遺症が残った……ぐらいである。だが熱を失くし世を倦むようになった彼はやがて
小うるさい上司と同僚を殺害。いつしかレティクルに流れ着き人間をやめ、熱意のある者を嬲り殺すコトに喜びを見出すよう
になった。

 反動で挫折者には優しい彼は相方とのトラブルに巻き込まれた気弱な青年とその飼い猫を救おうとした。
 が、諸事情で彼らを1つの体にするコトを防げなかった。
 栴檀貴信と栴檀香美を元の1人と1匹に戻しうる能力は、彼らとの魂を燃やす決戦でのみ発揮できるとディプレスは信仰
している。



「盟主さま! ウチちゃーーーんと下調べしたで! デパートをな、調べたんや!!」

『月』と書かれた三角錐が揺れるほど身を乗り出しラブコールを送るのは13歳ぐらいの少女。金髪をコウモリの翼のような
ツインテールにし、前髪の縁を銀色のメッシュで彩っているなんとも派手で景気のいい風貌だ。実際金払いは非情によく、
不良在庫を買い取っては悦に至る奇妙な『強欲』を背負っている。

 その四肢は義肢である。社長令嬢に生まれついた彼女は幼いころ海外で誘拐され……総て切り落とされドブ川に浮いた。
治したい一心で奔走した母親や使用人たちはやがてレティクルの協力者となったが、怪物と化した彼らを戦団は理由も
聞かず総て処断、殺戮。自身もあわや落命という所でレティクルに拾われ……戦団に復讐するため人間をやめた。

 物をセットで買わなければ死別を思い出し耐えられなくなる彼女は、ささいな行き違いから、人間時代の貴信と子猫時代
の香美を暴行。怪物へと変貌させた香美からの思わぬ逆襲によってネコがトラウマになるほどの手傷を負わされたが、そ
れを制した貴信からの「貴方も救う」という言葉に現在少しだけだが揺れている。



「収穫すか? にひひっ。妹さんに萌え萌えする青っちが見れたんで、それだけで満足でさあ」

『天王星』の机からその幹部がゴシュンと飛んだのは恋人の裏拳を甘受したからだ。やや離れた床に尻餅をつき幸せそう
に片頬を撫でるウルフカットの青年はブレイク=ハルベルド。『虚飾』の幹部だ。飄々としたつかみどころのない男だが、
人の「枠」には並外れた感心があるらしく、外に出てはアーティストを何人も育てている。

 学生時代、優れた色彩感覚を有していた彼は仄かな恋心を抱く女性の不注意によって交通事故に遭い、色覚を失くし
た。絶望する彼に想い人はアイドルとしての活動を用意するが、それは彼女の恋人……ブレイクの兄の代役にすぎなかっ
た。やがてそれ以上の名声を努力によって獲得したブレイクを疎むようになった兄と想い人は共謀して殺害計画を実行。
色覚欠如を罵る想い人に幻滅する最中レティクルに助けられたブレイクはそのままレティクルに加盟。

 しゃべり上手な小札零の弟子だった時期もある。ゆえに師匠を手助けする手段がないか模索中。レティクルには命を
救われた恩義こそあり、その分だけは動くべきだと思っているが、別に人間総てに幻滅して人間をやめた訳ではない
ので──ただし自分の努力を認めない想い人のような存在は絶対に殺す──必ずしも命を支える必要はないと思って
いる。今の恋人を、リバースをも利用して使い潰すのであれば、尚。

 師匠の兄を殺したのは、他ならぬレティクルの盟主なのだから。



『ブレイクくんの、ばか』

『海王星』の三角錐の裏にそう書いたのは笑顔の少女。乳白色のふわふわウェーブを持つお姫様のような風貌だ。だが
幹部達は知っている。このリバース=イングラムが『憤怒』の使徒だと。温和で理知的で優しいが、ひとたび声の小ささを
指摘されたが最後両目をギラギラと見開きそして拳で気持ちを「伝えて」くるのだと。

 乳児期、育児ノイローゼの母親に首を絞められたせいで咽喉が潰れ大声が出せなくなったリバースは内向的な少女と
して育った。活発な義妹と何かと比べられ、損を蒙ってきた彼女の唯一の支えはアイドル時代のブレイクだった。最も辛い
時期、彼から来た返事を不注意で紛失した義妹に初めての怒り任せで手を上げた瞬間、リバースの運命は狂い始めた。
見咎めた義母に頬を張られたのだ。被害者にも関わらず、話を聞かれず、殴られたのだ。絶望し、死を選びかけたリバー
スだがレティクルとの出逢いで考えを変える。「リア充死すべし」。

 義妹は音楽隊の鐶光である。彼女が双眸から光を失くしたのはリバースの愛憎の総てを叩きつけられたからだ。かつて
は明るい性分を嫌っていたのに、「話しかけてくれたのは光ちゃんだけ」という思いから攻撃的な愛をブツけ続け、苛んだ。
 彼女に再会させたかった両親を戦団に殺されたとリバースは信じているが、それは敵意を煽る為イオイソゴが仕組んだ
罠である。両親はまだ生きている。だがそれを知らない彼女は戦団への復讐のため決戦へ身を投じる。最愛の鐶に止め
られ殺される甘美な想像図を胸に抱きながら。



「誰がどう振舞おうと乃公は救いに向かって動かれるのみである」

『土星』の椅子を重々しく揺らしながら囁く貴族服の男はリヴォルハイン=ピエムエスシーズ。男性としてはやや長めの鉛
色の髪を優雅な曲線で無造作に垂らす彼の罪は『傲慢』。悪と破滅を目論む組織の中にあって人類救済を、幹部の救済
をも唱える場違いさは間違いなく傲慢であろう。彼だけは細菌型ホムンクルスであり、人の脳に取り付くコトで次元の狭間
に演算用のネットワーク空間を作り出せる。(処理に使われていない領域の有効活用)。

 強い正義感ゆえ「やりすぎる」コトが多かった彼は社会からの排斥のすえ錬金の戦士になった。だが組織の腐敗によって
妻を失くし、妻の胎内にいた子供の行方すら追跡できなくなった彼は世界を変えるため組織を退団。その後、偶然接触した
レティクルこそ妻の仇ではあったが、正義の、正規の組織では到底たどり着けない技術力に魅せられたリヴォルハインは
自ら実験体を志願し、戦士以上の力を手に入れた。目指すは人類の救済。不幸もたらす不文律の打破。

 その心の赴くまま先の銀成における戦いではパピヨンと交戦。致命的な免疫力低下を抱える彼を細菌攻撃によって降し
たリヴォルハインはパピヨンの悲願・武藤カズキ再人間化に欠かせぬ『もう1つの調整体』を奪取。



「あれっ、この上なくあれれです! 私の分のプレートないんですけどぉ!? 誰か知りませんかぁ!?」

『冥王星』の文字を探してキョロキョロする冴えない女性はクライマックス=アーマード。黒縁眼鏡のアラサーだ。元声優で
元教師で今はオタクで腐っている彼女の前歴は特筆すべきものはない。好きになった物が破滅するという奇妙な運を、
殺人で覆せると信仰しているだけである。音楽隊の面々と因縁はないし、銀成での戦いでもむしろ足を引っ張ってた。



 そんな連中を見渡しながら、盟主・メルスティーン=ブレイドは悠然と口を開く。

「さて諸君。もうすぐ戦士どもが坂口照星を取り戻しにやってくる訳だが」
「そ、そんなコトよりメルスティーンさま、私のプレート、冥王星の札ぁ!!」
「知wるwかwよwww お前ちょっと黙れよクライマックスwwww いま盟主様が何かいったんだぞwww」
「イッたですって! 戦いを前に発射! あんもうエロいんだから」
「……なんでもかんでもそういう話題に持ってくでないわ。中学生かヌシは」
「お、青っち、なんで頬を染めたんすか、わかるんすかって痛い痛い」
「むーーーーーーっ!!! ブレイク君もちゃんとお話きかなきゃダメだよ!!」
「おお。リバースが喋っとるで。珍しな、こりゃ関東は夕方から雨やなウィル!」
「デッドそのボケ面白くないよー。それさっき一緒に見た天気予報で仕入れたネタじゃん……」
「おおお! 何という混沌! 戦略会議の発議すらままならなんとは! やはり乃公が総て救われて然るべきであるな!!

 自由時間のクラスのような騒がしさがワッと広がった。盟主は怒るわけでもなくただ嬉しそうに目を輝かせた。

「ふ。秩序の破壊か! 素晴らしいッ!」
「いや破綻しとるだけですから」
「くそう。さればわしが音頭を取り迎撃のための討議を……!!!」
 身を乗り出しかけたイオイソゴの胴体に走った閃光の意味を初見で理解できたのはメルスティーンのみである。他の9
名は数秒の間、ただ漠然と眼前で展開される光景を眺めた。8名は、袈裟懸けに斬られてズリ落ちていく狡猾な童女の
上半身を硬直した瞳の鏡面に映すばかりだった。1名は不自然に迫ってくる床がやがて傾くのを、墜落する航空機のパ
イロットのような心境で見た。
 べちゃん。ひどい水音を立て床で爆ぜる木星の幹部に目を白黒とさせる8名の幹部は決して無能な者どもではない。悪
意を有するが故の賢しさを多分に持ち合わせている連中だ。だが事態は彼らの範疇を遥かに遥かに超距していた。
「め、盟主様が……」
「イソゴ老を、斬り捨てた…………?」
「銀成市で戦士さん5人同時に翻弄した人なのに! 呆気なく!? この上なく呆気なく!?
 普段の嘲りを引っ込めて戦慄くディプレス。追随して顔色をなくすグレイズィング。叫んだのはクライマックス。
 ひゅっと剣を振るうメルスティーンにさほどの揺らぎはない。忠実なる忍びたるイオイソゴを突如として手打ちにしたという
のに面頬はどこまでも爽やかだ。どよめく幹部達、1人だけでも激甚災害級の強さを振りまく魔人たちを前に盟主は静かに
呟き始めた。
「ふ。まあ落ち着きたまえ。対戦団用にぼくが決議したかったのは1つ、たった1つさ。議長は別にいらない。たった1つ決まれば
議会は閉幕、あとは予定した戦闘の予定を1つ変えて進めればいいだけさ。……ふ。だからイソゴを斬ったのさ」
「で、決議したいコトはなんすか? 俺っちたちの首を土産に降伏って仰るんでしたら……へへ、それなりの対処を、取らせて
頂きますが?」
 にへらとした様子で、しかし灰色の瞳に一切の笑いを込めないままハルバードを発動したのはブレイクで、彼は当たり前
のようにリバースを背後に隠している。少女はそんな挙措に頬を染めながらもサブマシンガンを2挺具現化、いつでも構え
られるよう備える。
「降伏? まさか」。盟主は肩を揺する。「ふ。逆だよ。戦団などは滅茶苦茶に破壊するさ。破壊されるよう段取りを組み、
進行させるさ」。片手持ちの大刀を軽く引きずるようにして距離を縮める盟主。仄かな恋心を抱くデッドは引くべきか進む
べきか葛藤した。
「君たちは”ラスボス”って概念を知ってるかい?」
「な……に?」
 呻いたのはウィル。顔色がただならぬ色相に変じたのはメルスティーンが何を言いたいか直感したからだ。居たのだ。
かつて『ラスボス』に対して特殊な哲学を述べた少女(こいびと)が。それと似た雰囲気を……感じた。
「クライマックスあたりなら知っているだろう。ラスボスというのは最後のボス……漫画や映画、ゲームなどで最後に倒される
悪の首魁の総称だ」
 更に一歩、威圧を込めて進む盟主。場は異様な緊張感に包まれ始めたがリヴォルハインはケロリとした表情で佇んでいる。
 盟主は、続ける。
「ぼくはね、ラスボスって奴を見るたび思っているんだ。『なぜ最初に出ない』とね。奴らは常に圧倒的な力を持っている。軍団
を作り保持するだけの英雄性をも兼備している。なのに彼らはいつだって弱い方の部下から主人公どもにブツけていく。戦力
の逐次投入でご親切にも鍛えるように主人公どもを強くしていく。奴ら個々の技量を高め、面々の連繋を深め、人々の支援を
集めていく。最初からラスボス自ら出張れば問題なく潰せた筈の連中を、ガン細胞の如く肥大化させ強力にしてくんだ」
 それでなお勝つならまあいいだろう、だが! 盟主は拳を固め熱く叫ぶ。
「奴らは結局負けるんだ! 連敗の報を魔王城の奥の玉座でずっと聞き続けていた筈なのに重い腰をずうっと上げず、気付けば
本拠に攻め込まれ、城を落とす火の手の如くに攻め立てる主人公どもに忠臣や重鎮を討ち取られた挙句まるで敗残兵最後の1
人の如くに処断される! 世界中と繋がった輩の刃を胸に突き立てられ……朽ち果てる!」
 ぼくはね、そーいうのが納得いかないんだよ。だからイオイソゴを斬り捨てたんだ……磁性流体となって蠢く半不死の忠臣を
びしゃりと踏みつけ飛沫にしながらメルスティーンは高らかに宣告する。
「ぼくは盟主だが、しかしラスボスにはならないよ! 決議の内容とはつまりそれ! いま議決するは正にそれ!! 荒れ狂う
破壊の尖兵としてまず最初に!! 押し寄せる錬金戦団の有象無象どもを破壊させて貰う!! 反論は、許さないッ!!」
 何を言い出すんだコイツは……! 9人の幹部は息を呑んだ。
「ば! 馬鹿かテメエは! 10年前の決戦で危うく死に掛けたのを忘れたか!!?」
 怒号を張り上げたのはディプレス。血走った目で唾を飛ばす彼にメルスティーンは「ふ、分かっていないな」と切っ先を突き
つける。ノド元に迫る”死”に凶鳥は仰け反り言葉を失くす。
「別に僕は死を恐れている訳じゃない。死なないと思っている訳でも無い。壊されても本望さ。本懐ならぬ”本壊”って奴さ。
暴れて、壊して、壊されて、派手に砕け散ってやるのがこの10年の……いや、ヴィクターに黒い核鉄が埋め込まれてから
こっち100年の本壊なんだ。組織だの何だのは最早どうでもいい」
 ウィルだのイソゴだのがさんざ制止してきてやむなく付き合ったが、刻限はもう来たんだ、ここからは好きに暴れさせて
もらうよ。目を細めながら盟主は剣を進める。万物を分解する神火飛鴉(しんかひあ)によって常に身を守っているディプ
レスの喉首を、しかし事もなげに突き破った。
 血しぶきが舞い、ほとんどの幹部が言葉を失くす。
「き、近接戦闘ではほぼ並ぶ者なしのディプレスさんまでこの上なく呆気なく……」
「ふ。文句のある者はこうなる。止めたければ来たまえよ? 治癒能力を持つグレイズィングさえ健在なら組織は幾らでも
建て直しが効く……。あとは君らの好きにしたまえよ」

(……マズいコトになった)

 最も焦っていたのは水星の幹部、ウィルである。

(メルスティーンは知らないだろうが、こいつは死んでも魂だけは生き続ける! 10年前、小札零の兄を斃したとき奪い取った
彼の能力を使って不滅の存在として人々の無意識の集合世界で生き続ける……!)

 そうされては困る理由がウィルにはあった。

(魂だけでも生き残られると厄介だ。ライザ……人間だった頃「勢号」と名乗っていたボクの恋人の復活を妨害される!!
未来のメルスティーンは実際、魂だけで勢号の新たな体の建造を妨げた!! 完全消滅されないと……早坂秋水の進化した
ソードサムライXで魂のエネルギーを蒸散させないと……ボクは勢号(こいびと)と再会できない……!)

 愛する少女と再会したいただ一心で気の遠くなるほど何回も歴史を繰り返し改竄してきたのがウィルという少年である。

 そういう事情を幹部の殆どは知らないが、しかし利害だけは最終的に一致している。
 決戦を前に盟主がいの一番に最前線へ行くコトを誰が歓迎するというのか。

 5人の幹部が、メルスティーンの前に立ちはだかった。

「ワタクシたちは所詮寄せ集め……。求心力である盟主さまにいきなり消えられたら……クス。協力も連携もできず各個
撃破で呆気なく陵辱されるのが関の山」
 衛生兵の自動人形を侍らせて仁王立ちするのはグレイズィング。
「そーですよこの上なくそーですよ! 我の強い人ばっかなんですレティクルは! メルスティーン様が消えたら決戦途中に
しょーもないリーダー争い起こして内ゲバで勝手に全滅しちゃいますよ! この上なく!!」
 一瞬装甲列車の幻影を浮かべたあとぞろぞろと自動人形を出したのはクライマックス。
「第一ウチのモチベは盟主様守るコトですよって、勝手に死なれたら意味ないです。守るためにこの場は止めます」
 小さな釣鐘ほどある赤い筒から放たれた爆発を渦にしてメルスティーンを包囲するのはデッド。
「まあ盟主様が死なれたらレティクルの『枠』破れて案外世界のためになるかも……すけど、へへ。いきなりの攻勢は困り
ますねえ。もし俺っちのお師匠が救出部隊に居たら、へへ、不意打ちで殺されるかも、ですんで」
 既に発動していたハルバードに妖しい光を蓄えるのはブレイク。
「ふふふ私だってお父さんお母さん殺した戦団に復讐したいの我慢してたのよなのに盟主様だけ自重もなしに暴れたいっ
ていうのはずるい腹立つ許されないわ光ちゃんだって来ているかも知れないのよ予告もなしの大攻勢は許さない」
 抑揚のないおぞましい連呼の上でギラギラと赤い細目を輝かすリバースはサブマシンガンのトリガーに指をかける。

「乃公はどちらでもいいのである。メルスティーンがここで死のうが人類を救うための我が研究は……進む!! いっそ
ここで双方殲滅してもそれはそれで世界は救われるであろうな。問題ない」

 唯一動かない土星の幹部に抗議の声を上げるディプレスとイオイソゴがグレイズィングの武装錬金によって回復し戦列
に戻る。

「8対2……議決権はこちらにあるよメルスティーン」

 アジト内の、否、メルスティーンの周囲の時空の流れが急変した。アジトはウィルの武装錬金の一部である。彼の制御下
にある。そしてウィルの武装錬金は……時間を操る。



「ふ。面白い」


 単騎ですら銀成の戦士を戦慄させた魔人が8体も居並び敵意を見せる中、メルスティーンは笑い……踏み込んだ!!






「あ! 秋水先輩起きたんだ。おはよー。体力戻った?」

 聖サンジェルマン病院の地下の食道で明るい声を漏らす武藤まひろに早坂秋水は「それなりに」とだけ呟いた。素っ気無い
返事だが頬はかすかに緩んでいる。

 この日彼らは昼すぎまで演劇をしていた。そのため食事はあまり取れなかった。朝はやがてくる激しい動きに配慮して
少なめ、昼は祝勝会ついでに取るつもりだったが様々なゴタゴタのせいで碌に食べれず終わった。

 そのため彼らは遅めの昼食を取る羽目になった。もっとも一緒に食べる約束はしていない。まひろが食堂ではぐはぐして
いたら偶然秋水もやってきたという形だ。

 箸を止めたまひろはちょっと不安げに大きな瞳を潤ませた。

「もうすぐ……なんだよね。戦士さんたちの、とっても偉い人の救出作戦。斗貴子さんたち……大丈夫……だよね?」

 つい3週間ほど前、長年ずっと傍にいた兄を月へ失うという信じがたい別離を味わったのがまひろである。そのせいか
失うコトに怯えがちになっているのを秋水は短いが濃密な交流の中で嫌というほど痛感した。

「大丈夫だ。彼女以外にも強い戦士が沢山いる。姉さんも居るし中村も居る。鐶や貴信たちも。何より津村自身がもう立ち
直っているんだ。彼女はきっと戻ってくる。彼女だって君に笑って欲しいと思っている」
「そっか。それなら……」 安心し、食事を再開しかけたまひろは「ん?」と箸を加えたまま小首を傾げた。行儀だけいうなら
感心できる挙措ではないが、それを許せる不思議な愛嬌が備わっているので得である。
「『斗貴子さんだって』……? じゃあ他にも誰か、私に笑って欲しいの……?」
 まひろはいつだってリアルタイム処理だ。喋りながら考える。考えてから喋るというコトが良くも悪くもできない。だから秋水
の言葉をオウム返しにしているうちに「笑って欲しいのが誰か」というコトに期待混じりの推測を寄せた。兄と離れ離れに
なってから影に日向に支えてくれた貴公子のような青年にまひろは最近揺れる感情を抱いている。抱いているから、些細な
発言にさえ思春期特権の甘く淡い期待を覚えてしまう。「笑って欲しいの……?」の最後の辺りでまひろの頬はすっかりサク
ランボ色に色づいて、どきどきした光を宿す双眸が秋水をじいっと恥ずかしげに見つめている。
「……。周囲の人間は概ねそうだ。戦士長も、君の友人も、ヴィクトリアも、周囲の人間は例外なくだ」
 生真面目すぎるが故に不器用な秋水はちょっと視線を外しながら答えるのが精一杯だ。まひろを相手にした時だけ生じる
陽春のほわほわした空気に支配されないよう自制するので未熟な彼は配慮用の神経総てを使い尽くしてしまう。
「周りの人はみんな……か。ウン。そうだよね……」
 まひろの中ではもう秋水も周りの人なのだ。朴訥な回答だが、否定でないと分かっただけでも今は嬉しい。

 微妙な空気が広がる。耐え切れなくなった秋水は先に口を開く。

「その、もし戦いが始まった言えなくなると思うから先に言うが……君と兄が再会できるその日までこの街を守るという約束だ
けは、絶対守る……から」
 守るからの先をどう紡いでいいか分からなくなった秋水だが、その断絶をまひろは追及しない。彼女だって嬉しそうに目を
細めて頷くのが精一杯なのだ。
「うん……。私にできるコトは無いかも知れないけど、せめてお兄ちゃんが言ったコトだけは、お兄ちゃんが言ったコトだけは、
ちゃんと守ってあげてね。前も言ったけど……そうじゃないと秋水先輩、お兄ちゃんに胸を張ってちゃんと謝れないと思うから」

──「まだだ!! あきらめるな先輩!!」

 かつて秋水は姉の命を諦めかけたコトがある。自分の失態で危険に晒した桜花の命が尽きるのをただ呆然と見るしかなかった
コトがある。

 カズキはそんな秋水を救い上げた。離れ離れになりかけた姉弟の手を2つとも握り、力強く、呼びかけた。

──「まだだ!! あきらめるな先輩!!」

 と。


 彼の拳の感触を。
 彼の呼びかけを。
 強い感触を、音圧を。

 今でもまだ、覚えている。

 秋水はまだ、覚えている。


 だから。


「それがある限り、俺は戦う。戦い続ける」

 決意を告げると少女はますます頬を染めて、コクリと頷いた。





 レティクルエレメンツ・アジト

「負への暴走を止めるのはいつだって『救い』なのだ。敵意ではない」

 土星の幹部・リヴォルハインは、累々と倒れ臥す仲間達を見ながら腕組みして呟いた。

「もっともそういう意味ではお前達の戦いは正しかったと言えよう。『殺す』ではなく『止める』ための戦いだったからな。制止
は処刑場へ向かう者の襟を後ろに向かって引く行為、救いの一種。お前達の本領を著しく制限する思慮とはいえ、世界的
に見ればまだ正しい……」

 るせえ! 傍観してた癖にドヤってんじゃねえぞリヴォ! キレた声を上げたのはやはりディプレスである。

「ああでもリヴォのボケの言うとおりやな……」
「ひひっ。盟主さま相手に殺すまいと加減するのはやはり自殺行為よ」
「向こうはこの上なく壊すつもりで来てますもんねー」

 聖人気取りで、刃物振り回し中の麻薬中毒者に向かうような物といったのはグレイズィング。彼女の自動人形は忙しく仲間を手当て中。

「おやおや。決戦前だというのにもう総崩れかい?」

 傷だらけの幹部達がハっと眺めた部屋の出口には月の頭を頂く怪人。

「ムーン……フェイス。キミだって騒ぎは聞いていた筈だろうに……!!」
「私は客分だからねえ。忠義深いキミたちと違ってメルスティーン君を止める義理はない。どうせ彼は錬金戦団を壊したい
一心で全力を振るう……。30人程度にしか分身できない私なんかじゃとてもとても」
 肩を押さえ呻くウィルの抗議を飄々と流したムーンフェイスは告げる。
「ただ、キミ達全員がメルスティーン君を殺すつもりで掛かっていたなら、多分もう決着はついていたね。何しろ皆、L・X・E
クラスの共同体なら単騎で殲滅できる粒揃いだ。この突破はキミ達8人合わせてなおメルスティーン君に劣るという証左
じゃない……。むしろ加減して生き延びられただけでも凄いさ」
 褒めるムーンフェイスだが喜ぶ幹部はいない。この辺りでやっと全員の治癒を終えた女医は立ち上がる。

「とにかく……連れ戻しますわよ盟主様。わたくしの蘇生能力なら万が一にも対応できる……!」
「ひひっ。予定と少々食い違うが……わしも出よう。戦士の追撃をば防ぐためにな」

 あとの者は計画通りに動け。命じられた残る7人の幹部は一斉に頷くや……姿を消した。メルスティーンを追うと告げた
2人の幹部の足音もまた遠ざかっていく。部屋には月顔の怪人だけが残された。


(計画、ねえ)

 ムーンフェイスもそれは知っている。知っているからこそ今囚われ中の照星を思うのだ。


 血膿の中に突っ伏してかすかな呼吸をしている坂口照星を思うのだ。



(むーん。彼はこれから『利用』される。恐ろしい組織だ。私も対応策を考えないと、ね)


 動かぬ照星の傍の空間が割れた。その奥に潜む異形の影の名は──…


 武藤ソウヤ。

(ウィル君との戦いに負けて変貌した未来の戦士……。彼を利用しなくてはね。レティクルは危険だ。マレフィックアースとかい
う凄まじいエネルギーの存在を使って何らかの救済をもたらそうとしている……)

 地球を荒涼たる月面世界にしたいと望むムーンフェイスにとってレティクルの最終目的は邪魔でしかない。もっとも利用しよう
とするソウヤ自身、ムーンフェイスの野望を一度は打ち砕いた少年だ。筋から言って協力など取り付けれそうにないが……。

(相打ちという手も、あるさ)

 ムーンフェイスは黄色い核鉄を握り締める。他の核鉄と明らかに異なるそれは、「もう1つの調整体」の廃棄版。かつて逆
向凱という悪霊に憑依されていた鈴木震洋から抜き取った代物である。錬金術の三大要素「肉体」「精神」「霊魂」のうち
最後のものに働きかけるだけあって、死者の魂を……乗せやすいのだ。

(コレと私の切り札『死魄』を共鳴させれば……できるかも知れない。いずれ敵になるソウヤ君とレティクル、2つの相手の
共倒れを……!)






「!!?」

 戦士たちの集合地点でまず最初に目を剥いたのは戦部である。次に物音に振り返った円山が「ウソぉ!」と口に手を当て
硬直した。犬飼に至っては喪神しかけた。つまりそれだけの衝撃だった。

「やあ先遣部隊。やあ斥候たち」

 散歩でもするよう現れたのは女装がよく似合う細面の男。隻腕の剣士。

「メ……メルスティーン、だと……?」

 驚きの中にも歓喜を混ぜて戦部が十文字槍を構えたのは、盟主だと即座に気付けたのは、メルスティ−ンが10年前、
一度は虜囚となり顔写真を取られたからだ。資料は配布されている。戦部の後ろの2人にも。

「いきなり敵の首魁が……!? いや、クローンが得意っていうし、本人な訳……!!」

 強がりを述べる犬飼だが足は震えて止まらない。相手の威圧感で理解したのだ。紛れもなく本物のメルスティーンであると。

「どうするのよ!? 本隊との合流はまだよ! 戦うの!? 逃げるの!?」

 先ほど「奇襲すれば勝てるかも」といった円山が金切り声を上げているのは、逆をやられたからだ。奇襲されてしまった
からだ。それでは数の有利は活かされない。

「悪いね。ぼくはラスボスになりたくないんだ! レティクルの一番手として!! やがて来る君たちに破壊のチャレンジを申
し込む!」

 大刀を振りかざす盟主が戦部たちに、襲い掛かった。


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