インデックスへ
第100〜109話へ
前へ 次へ

第101話 「その名は──…」



 沼津からそう遠くない新月村の温泉といえば火傷などの皮膚疾患によく効くとマニアの間で大評判だ。

 しかし錬金戦団の面々がこぞって集結しつつあるのは慰安旅行のためではない。亜細亜方面の戦闘部門最高責任者で
もある大戦士長・坂口照星が新月村郊外に監禁されている為だ。

 新月村。沼津にほど近い山間に存在するこの村には温泉以外にも更に1つ、有名な呼び名がある。

『地図から消えた村』

 現在でこそ東海圏から気軽に日帰りできるアクセスを有している新月村だが、ネット界隈では一時期、地図から消えた村
としてややオカルティックな扱いを受けていた。

 普通、地図から消えた村といえば眉唾物で伝奇的な物が多い。大量殺人があったとか、双子を生贄にする奇祭にしくじり
壊滅したとか、トラウマ的な幻影が住む者を衰弱死させるとか、とにかく寓話的な理由で消え去ったとされる物が多いのだが、
新月村の場合はやや違う。

 一時期だが、本当に、「地図から消えた」のだ。消えていた、というべきだろうか。何にでもマニアはいるもので、明治政府
発行の地図を精査した者がいる。彼または彼女は最初純粋に、明治期初頭各年の地図をタネに廃藩置県やそれに準ずる
統廃合の様子を眺めて楽しんでいたのだが、あるときちょっとした調べ物の為に明治9年から12年までの地図の、沼津付近
のコピーを縦に並べて学術研究に勤しんでいたところふと気付いた。「明治11年の地図にだけ……温泉で有名な新月村が
……ない?」と。
 ただないだけなら当時日本を再構成していた動きの1つに巻き込まれたのだろうと納得できたが、しかし翌年、つまり明治
12年に地図には新月村、ちゃんと載っていたのである。書き漏らしだろうと思いつつもそこはマニア、地図から消えた地名に
纏わるドラマがあるなら知りたいと、徹底解明の構えであちこち巡り資料を集めた結果、真実に、そう、様々な意味での……

『真実』

に行き当たる。

「反政府勢力が、占領……? 2年も……?」

 当時の新月村に向かった者が悉く行方不明に……といった瓦版だけならよくある怪奇話と一笑にも伏せるが、三島某という
新月村出身の人物が兄や両親を殺された憎しみも露に当時の状況を綴った文章を見つけては流石にちょっと信じざるを得ない。

 極めつけは月岡津南なる人物である。津南。美術史を学ぶ者にとっては馴染み深い名前である。明治初頭、伊庭八郎な
どの錦絵で大人気を博した男である。彼に纏わる逸話は多いが、歴史学者に言わせると眉唾ものであるらしい。

 曰く、あの赤報隊の生き残り。
 曰く、絵師をやめる直前、政府機関の襲撃を目論んだものの、伝説の人斬りに阻まれた。
 曰く、たった3発で甲鉄艦を大破轟沈せしめる炸裂弾を作った。
 曰く、その時の戦いで反政府勢力の首魁が、頭部が左右に断裂するほどの打撃を受け死亡した。

 などなど。

 いずれも学術的な観点からすると怪しいと言われており、特に3つ目などはファンの間でも「現在でもそんな爆薬ねえしww
明治で作れるとかないないありえないww」と一笑に付されるありさまだ。

 ともかくその津南、大久保利通暗殺の少し前、絵師からブン屋に転向している。
 それがなぜ新月村と関わってくるかというと、調査能力ゆえのジャーナリズムであろう。
 津南、新月村の住民達に対し、今で言う原告代表の弁護士めいた立場を引き受けていたという。
 この点が、彼が赤報隊の生き残りであったとする説の裏づけである。

 つまり、新月村を見捨てた挙句その事実への謝罪や保障を遅々として行わなかった政府が、赤報隊を利用するだけ利用
して斬り捨てた時の姿に……カブって見えたのではないか。そう推測する津南の研究家は、少なくない。


 地図マニアには赤報隊生き残りの深い機微までは分からない。
 とにかく津南は新月村代表として裁判に勝つ為さまざまな情報を集めた。
 三島某の手記もまたその1つであるという。そういった政府を弾劾するための証拠集めが、文献編纂が、巡り巡って地図
マニアが新月村の隠された『真実』に行き当たるから歴史というのは奇妙である。




「そして…………占領中、村人さんたちが心根の醜さを…………露呈しまくってたせいで……解放されてからも…………
人間関係が……荒れまくってた……そう、です。占領されたり……荒れたり…………今から私たちとレティクルが…………
ドンパチやったりで…………負の念が……すごい、とこ、です。ラマリス……生まれまくり、です……!」
「ラマリスがよく分からん! というか貴様、全然報告になっとらんわ!!」
「ここは、新月村付近の……山あい……で」
「うん場所は分かっているから! 状況を教えろ鐶頼むから!」
「……それは、無銘くんの、龕灯(がんどう)……。6つあるうち貸してくれた……1つ、からの、ヘリにも実は積み込んでいた
龕灯、からの、映像中継を見た方が…………早い、のでは…………?」
 背後から飛びかかってきた10数体の自動人形が、虚ろな目の少女の腕部によって胴どめに両断され……爆発した。
 彼女の手は鳥の翼だった。機械仕掛けの怪鳥のように、平たい合金で骨を組まれた銀色の翼になっていた。それで人形
たちが斬られ爆散する様を、少女の背後で浮遊する高さ30cmほどの龕灯(ロウソクを使った懐中電灯の一種)の前にうっ
すら浮かぶスクリーンは見つめ続けていた。
「ふう。忙しい、です」
 しゅっと手を人間のそれに戻した少女──鐶──は遅れて落ちてきた携帯電話をキャッチして通話に戻るが
「貴様の状況はだいたい把握した! 我が知りたいのは他の戦況! どうなっている!!」
 大声に、「声……おおきい、です。私がお姉ちゃんだったら、おこ、ですね」と耳をジンジンさせながら、何が嬉しいのかエ
ヘラと笑った。
「ええいなんで貴様は我と電話すると何でも喜ぶ!! どうなんだ戦況は!!
「どう……と言われても」
 直立のままシュっと一瞬その場で消えた鐶。地面が爆ぜた。巨大なマサカリが直撃したのだ。土砂が舞う中、シャっと縦線
を迸らせながら実像を結んだ鐶は、飛びまわし蹴りの姿勢になっており──…

 背後の自動人形の首が、消し飛んだ。

 藍色のミニスカートから伸びるなよなかな白い足は、ふくらはぎの辺りから、戦闘兵器の工学的な意匠を凝らした猛禽類
の鉤爪になっている。
 みずから起こした蹴りの風圧の中、インディゴブルーのミニスカートと、真赤な三つ編みを揺らしながら、どこまでもボーっ
とした少女は、告げる。
「他の部隊と……合流する前に……奇襲されたので…………ここ以外の戦局とか……分からないの……ですが」
「だから! そういった状況だからこその緊急通電とかないのか!!?」
「え……。私、戦士さんたちに…………電話番号……教えてません、よ……?」
「ちーがーう!! 同行してる火渡赤馬に、救出作戦の総指揮官に! 何か連絡はと!! ああもうこやつ鈍い!!!
戦えばめちゃくちゃ強いのに、鈍い!!!」

「……光ちゃんマイペースね」
「この冥王星の幹部の自動人形、自動養護施設でやりあった時より何故かけっこう強くなってんだけどなあ……。ダース単
位でも敵になってねえとか、どんだけ」
 無限増援とかの。矢と戦輪でそれぞれ応戦中の背中合わせな男女が呟いた。少女は桜花、少年は剛太。


「魔術を見せてやるぅ!! ……です」


 身長3mほどの筋骨隆々な自動人形が、背後からの鉄砲水にドンと押された。バランスを崩したところで、傘のごとくに
羽根を丸め旋転する鐶の体当たりを浴び……しばらく火花を散らし削られていたが、胴体を貫通され、爆発した。

「時間も私も、止められはしない! です……!」

 しゅるしゅると翼をほどきながら着地した鐶は、爆光を背負って何やら、決めポーズを。二度目の決定的な爆発が人形を
木っ端微塵に吹き飛ばした。

「わー。さっきまで桜花とゴーチンがめっちゃ苦戦してた巨漢の自動人形、電話片手で一蹴したぞ……」

 ヒキガエルのような声で囁くピンク色のキューピーもどきはエンゼル御前。
 桜花の自動人形で、今は背後をぷわぷわしてる。

「ここらへん大きな川だったんだなあ昔。年齢操作で激流を復活させて」
「隙を作ったところを鳥への変形能力でトドメ。きっとカサゴね。本来は翼で日陰を作る水鳥……だったかしら」
「てかひかるんのセリフ、絶対脈絡ないだろ……

 炎上するヘリを龕灯は映す。創造者たる無銘は電話で、言う。

「その前で今震えているヘリパイロットが、飛行型の自動人形……冥王星の幹部の手勢の急襲であやうく殺されかけた所
までは聞いている。コックピットを潰されながら軽傷で助かったのは幸運だが、とにかく合流地点へ降りるつもりだったヘリ
は墜落! 慌てて飛び出した貴様らは」
「はい……。更に追撃され……ました」
「だから自由落下中、トリ型たる貴様に乗って合流地点へ急行といった最善手は潰された訳だ! で! 合流地点からはや
や離れた場所で冥王星の幹部の武装錬金の波状攻撃を受けているのが今!」

 その通り……です。さすが無銘くん、鋭い、ですと嬉しそうに笑う鐶。
 だが向こうの声は急に曇る。

「……。と、いうかだ、貴様。さっきから栴檀どもの姿ちっとも見えんが、どうなってる」
「え……? はぐれちゃって……ます……が」
「はぐれ……って! お前なーー! なんでそういう大事なこと後回しにする!! あやつらけっこうお前の面倒見てるんだぞ!
姉のことだって気にかけてるし! ちょっとぐらい心配しなきゃ可哀想だろうが!!」
「……あ、いえ……心配してます……けど……。無銘くん賢いから……てっきり、龕灯の映像で気付いてるかなあ……と」

 ああもうこやつホント緊張感ないなあという忍び少年の泣き声が、携帯電話のスピーカーでくぐもった。

 剛太と桜花は嘆息する。

(あいつら……大丈夫かな)
(ヘリから飛び出したの、咄嗟だったものね……)

 脱出途中、銃撃型の人形から、とっさに剛太をかばった香美。攻撃自体は貴信の鎖で弾いたが、その拍子に下を見て
しまったのが悪かった。

「ぎゃ! ぎゃー!! 高いし! 怖い怖い怖いご主人怖いここめっちゃ怖いし!!」
『落ち着け香美!! ちょっと踏ん張れば鐶副長が乗せて』」

 くれるといいかけた所で、彼らは飛行型自動人形の猛然たる体当たりを食らい、弾き飛ばされた。咄嗟に伸ばした鎖があ
と一歩のところで剛太の手には届かないほど遠くへと、二心同体のネコと飼い主は飛ばされた。

(野郎。俺の名前ぜんっぜん覚えられねえ癖に余計なことしやがって……)
「あら。単独行動になったから狙い撃たれそうで不安? 香美ちゃん、ホムンクルスなのに……」
「べ! 別にあんな奴のことなんざ心配してねえし! 俺が一番心配なのは先輩!」
「でしょうね」。ふふっと笑う桜花は何か見透かしているようで、だから剛太はバツが悪い。
「……。ただまあアレがきっかけでくたばられても夢見が悪いつうか。いや! そんなんより核鉄だろ問題は!! あいつら
の核鉄取られたらただでさえ強いマレフィックどもがダブル武装錬金とかしかねないぞ! 俺が心配してんのはそこだ!」
「はいはい」
 ただ微笑する桜花に「笑ってねえで次! 来たぞ!」と叫ぶ剛太。視線の先には地面を隆起させ現れる自動人形。


 人形。人形。自動人形。

 山あいの、緩やかな勾配に両側を挟まれたその道は蛇のようにくねっている。そこめがけ地下から木々の間から、ぬろ
ぬろと自動人形が出てきては一団を攻撃するのである。


「確かクライマックス=アーマード……だったな。この自動人形どもの元締めは」

 呟く青髪のセーラー服少女の360度の全周囲から長短さまざまな自動人形が十数体、飛びかかった。

「敵の狙いは疑うまでもなく各個撃破。大戦士長奪還のためやってきた私たち戦団の各支隊が合流する前に叩く……。最
善手だな」

 空を舞う人形の群れは、明らかに少女めがけ落ちていく。手にした剣や銃は小柄で細身の女子高生を引き裂くに
十分だ。

「人数の多い私たちに無限増援を差し向けてきた所を見ると、他の部隊にも相性で勝る幹部が差し向けられていると見る
べき」

 黒々とした敵意の、無数の影が頬を覆う中、斗貴子という名の少女は事もなげに進む。
 青銀色の曲線が空間を駆け抜けた、幾つも、幾つも。それに薙がれた自動人形たちはヘラを入れられた粘土細工のよ
うに手を、足を、首を、さまざまな部位を切り飛ばされ、力なく落ちていく。ギィヤィン、ギィヤィン。胴田貫で兜を割るような、
気魄の籠もった、しかし恐ろしく早い流線が斗貴子の周囲で迸るたび迫りくる自動人形たちは戦闘能力を失い散っていく。

「際限なく湧いてくる人形どもは厄介だが……」

 光は、大腿部に着装した金具から起こっていた。自律飛翔する無数の円月刀を暴走させたような有様だった。メタリック
ブルーとプラチナホワイトで構成された薙ぎ払い曲線の乱舞がザクザクザクザクと金属の兵卒を屠っていく。

「もっとも私と火渡戦士長と分断までは目論んでいない以上、どうせ向こうも本腰ではない。こちらも練習と行かせて貰う」

 物言わぬ機械仕掛けですらたじろぐ絶対の威圧感を漂わせながら、少女は静かに呟く。

「試してみるか。剛太に教わった、生体電流のエネルギー放出転換を」

 停止し、首をもたげた処刑鎌の表面のあちこちで、僅かだがスパークが、弾けていく。


「おおー。斗貴子の介、バルスカでサンライトハート操作の練習するらしいね。音楽隊リーダーが複製予定の突撃槍は確か
に最終決戦の決め手候補だからねー、序盤からやっとくに越したことないよ」
「のん気に解説してる場合か!!」
 人形の攻撃をぎゃーっと避けた眼鏡の青年が、狂ったような形相で何度も何度もチェーンソーを振り下ろし、反撃を試み
る。が、刃はチュイイインと細かな破片を飛ばすばかりでいっこう完全破壊に至らない。
「くっそ! 逆向(さかむかい)サンの武装錬金は攻撃した者を165分割する筈なのに! 全ッ然切れないし!」
「もともと震洋の介の武装錬金じゃないからねー。てかそのうち、真なる武装錬金も目覚めるよ」
「……。それなあ。音楽隊の副長のキドニーダガー見てると、なんかなあ、取られてるって気がするんだけど……」
「前世の記憶的なあれかも知れないねー」
「じゃなくて! 見てないで助けろよ!!」
 あいよー。怒鳴られたアーミールックの女性は、震洋が苦戦していた人形を巨大な盾で殴り飛ばした。何本もの木の倒れ
る音の後、彼らからはかすんで見えるほど遠くの巨岩の上の方で人形らしき物体が砕け飛んだ。
「……特性抜きでその攻撃力かよ」
「まあね。鍛えてるから♪ その点、震洋の介とは逆かなあ」
「うるさい殺陣師盥(たてし・たらい)! 僕は搦め手でこそ輝くタイプなんだぞ! 訳も分からず連れてこられた戦いでいき
なりこんな沢山相手に戦えとか……! だいたい僕は桜花秋水みたいに綺麗事言って戦士に属した覚えもないんだよ!」
「まあ別に抜けたきゃ殺陣師サンそれでもいいけどさあ」
 大地を揺るがす轟音と、肉を焼き尽くしそうな熱風と共に震洋の目に映ったのは、勾配の上で膨れ上がる直径100mほ
どの紅蓮の火球。
「あのヒト相手にするよりは、楽でしょ、人形」
「…………」
 眼鏡の少年は、黙りこくった。




「へっ。無限増援だか何だか知らねェが、相手が悪かったな」

 火球が止んだ森の中。炭化した木々のふもとに自動人形の残骸が転がる中、めらめらと燃える煙草を一服しながら凶笑
したのは火渡赤馬。

「五千百度で蒸発させるまでもねえ。幾らでもやれるぜ!」
「ですが幹部本人が現れていない以上、向こうも足止め程度のつもり……。戦力の逐次投入は愚といいますが、無限増援
を持つ冥王星の幹部が、広域殲滅力に秀でた火渡様に挑む場合は違います。戦士・斗貴子たちだけではやや手に余る程
度の手勢を繰り返し繰り返し小出しにするのは寧ろ正しい。総ての戦力を一気に差し向けるとたった一発のブレイズオブ
グローリーで全滅、させられますから。だから決戦は挑まず逐次投入で足止めする方が戦略上、正しいかと」

 ガスマスクの少女から二酸化炭素の風が吹く。延焼と山火事を防いでいるのだ。

(だろうな)。反論された格好の火渡だが、凶悪な面相とは裏腹に怒らない。

(足止め程度でも戦略的にゃ冥王星の幹部の方が癪だが勝ってる。何故なら──…)


「大駒3人! 私のスーパーエクスプレスでこの上なく釘付けにしているからです!」

 どこかの暗い空間で冴えない眼鏡のロング黒髪アラサー女子が元気よく片手を上げた。

「そう! 私まだこの上なく誰にもダメージ与えられてはいませんが、大戦士長代行として坂口照星さん救出作戦の最高責
任者になっている火渡さんと、名にしおう斗貴子さんと、音楽隊の副長たる鐶さんを戦団本体から切り離せているアドバン
テージは大きいのですこの上なく!! 指揮官の現着を少しでも遅らせれば戦士さんたちは混乱! 斗貴子さんと鐶さん
さえフリーならそんな混乱などこの上ない実力で建て直せるかもでしょうけど、だからこそ! ここでの私の足止めっ! こ
の上なく! 活きるのです!」

 頭を失い惑乱する戦士たちが来援を受けられなければ、実力で勝るレティクルの幹部たちはますます戦力を削りやすく
なる。

「ひいては照星さん救出という戦団の戦略目標も挫けます! ぬぇーぬぇっぬぇっ、私は冴えないアラサーですが、年齢ゆ
えに戦略的な攻め方ぐらい知っているのです! ここで火渡さんと鐶さん、指揮官と実力者を足止めしておくのは戦略的に
有効! 殺せなくても仲間が目減りする時間が稼げればレティクルの戦略目的に対しこの上なく! 有効!」

(……対してレティクルが足止めに使っている戦力は、末席もいいところの冥王星の……幾らでも増産できる雑兵ときて
やがる! 気にいらねェな)

 飛車と角のみならず金や桂馬さえ歩に抑えられている現状に目を剥き歯噛みした火渡。咆哮、した。
「おいテメぇら! いつまでもやりあってんじゃねえ! さっさと合流地点行くぞ!」
「い、行くったって、この自動人形どもけっこう強いんスよ! 斃しながらじゃとても!」
「るせえ新米! クソ弱えテメエと元L・X・Eの野郎ども、あとそこでガタガタ震えてやがる役立たずなヘリのパイロットはト
リ型にでも乗って先へ行け!」
「今の頭数でも波状攻撃に悩んでいるのに人数を減らす……? あ、いや、逆か」
 文句を言いかけた震洋は口を噤む。
「そーなのだよ少年! 火渡の介の火力なら、むしろ味方は少ない方がやりやすい! 君たち攻撃力ひっくい組が去れば
炎はより加速度的に人形どもを消滅するヨー。そしたら今より効率的に捌けるのだぜ! 膠着なぞ終わるのだぜ!」
 ふふんと解説する黒タンクトップ少女。
「つーワケだトリ型。とっとといま使命した連中乗せて飛びやがれ
「……さっき、離脱を試みた時、は…………数の暴力で……邪魔された……のですが……」
「あん時は全員がチンタラ搭乗しようとしてたからだ! だが今度は津村と殺陣師が離陸まで直掩! 俺と毒島は中遠距
離の敵どもがテメエらにちょっかい出せねえよう掃討! それだけしてやって離陸できねえつうなら殺す!」
 それなら戦艦被弾させるな的なSRポイント、取れます……と虚ろな目のトリ少女、無意味に拳を固めたが
(……あれ? なにかとても大事なこと……忘れているような…………)
 小首をかしげる。

「トリ型どもがこの場を離れたら直掩2人はそのままツーマンセルで人形どもを制圧しつつ前進! 殿(しんがり)は俺と毒
島! 今回はケツ持ってやる以上、ちゃんと働けよ津村! ヘマしたらブチ殺す!!」
「……了解」
 再殺での戦団裏切りをいまだに根に持たれているのを直感した斗貴子だが、強張りは薄い物ですむ。
 桜花は侖(つい)ずる、火渡の指揮を。
(粗暴なようでいて理に叶った采配ね。戦力で劣る私と剛太クンとあと2人をただ先行させるだけなら無謀だけど、輸送する
のがメチャクチャ強い光ちゃんなら……警護も可能、と。しかも方向音痴って欠点を、私たちのナビで補えもする)
 桜花は殺陣師なる新顔の戦士の実力は知らないが、斗貴子が相方になる以上、心配はないと分析する。何より斗貴子に
「ま、お互い頑張るかね?」と先輩風を吹かせている以上、

(……かなりの実力者、でしょうね)

 と推察する。

 巨鳥の形態になる鐶の背中に他の2人ともども乗りながら、桜花はしかし、思う。

(光ちゃんの速度なら合流地点までは1分もかからないでしょうね。けど……問題はこの瞬間的な分断を敵が狙っているか
どうか……ね。私なら他の戦士と同行している火渡戦士長がこういう判断を降すところまでは読める。凄まじい火力ゆえに
射程内から弱い味方を放逐したがるってところまでは……読める。だから孤立した弱い戦力から削るっていう基本的なこと
ぐらい……ちょっと頭のいい幹部なら考える)
(だな)。剛太も桜花の顔色に頷く。
(鐶は確かに強ぇけど、敵幹部は、マレフィックは鐶が2人がかりでも勝てるかどうかだ。残念だけど俺と早坂と、あと鈴木
とかいう元信奉者じゃ、3人合わせても鐶にゃ勝てない。つうか鈴木以外の2人に先輩とブラボーと、根来と千歳さんを足し
てやっと引き分けギリギリの勝利ができたのが鐶……だし。ヘリパイロットはまあ、戦力外だし)
 つまりマレフィック本人が、奇襲のおこぼれを奇襲してくれば……
(私がいる以上、即死はないです……が、持ちこたえられるのは3分ぐらい……でしょうか。特に…………お姉ちゃんが
……出てきたら…………私は…………絶対に動揺……します……)
 鐶の義姉、リバースは敵の幹部である。
(……錬金の戦士に、おとうさんと、おかあさんを殺されたって……そうレティクルに吹き込まれて…………騙されている、
ことを……伝えれば…………仲直りできるかも…………知れませんが…………。でもお姉ちゃんは……私と…………
戦いたがっているようで……)
 説得は難しいと、鐶はそう認識している。

 では先行は死兵なのか?

 違うであろうと思案したのは、斗貴子。
(……むしろ火渡戦士長は奇襲を奇襲しようとしているのかもな)
 いかにも打ちごろな囮に食いつく幹部の柔らかい脇腹を狙っているのではないか……とする彼女の思案は……正解。
(毒島の噴出する超高圧水素ガスに乗って火炎同化すりゃあトリ型だろうが一気に追いつけるんだよこっちは。新米ども
はエサさ。狙い撃ちに出張ってきた幹部どもを叩くためのエサ)

 何処までも凶(わる)い顔つきで、微笑する火渡。

(ま、いけ好かねェが音楽隊の副長が同行している以上、俺が追いつくまでの数秒で全滅ってこたぁねえだろ)
(ちなみに高速で遠ざかる鐶さんたちへの水素ガスの照準セットは、ガスマスクの、伸縮可能な望遠レンズで行います)

 毒島のそれは再殺騒ぎのころ披露したエアリアルオペレーターの一機能である。

 ああそういうコンボね、剛太が納得し、桜花も腑に落ちたところでしかし異議は唱えられた。

「……ベスト・アンサーではないな……です……!」

 鐶の反論に火渡の形相が引きつったのは、一見おとなしげな三つ編み少女にまたも反撃をされたからでもあるが、むし
ろそれより、彼の戦略構想の主幹を占める航空戦力が不随に陥りかけている実務的な不快感もこそ、大きい。

「貴信さんたち…………。はぐれちゃった2人を回収しないまま……合流地点へ飛ぶのは……どう、なのでしょうか……?
貴信さんと、香美さんを…………置き去りにするのは…………私……、したくない、です……!」
 ギリっと歯軋りした火渡に、斗貴子が(いや鐶、それは既に解決しているから、言い募ると火渡戦士長の機嫌がだな)と
仲裁に入ろうと考えた瞬間である。鈴木震洋が発言したのは。

                                                  めじるし
「あのネコ型なら探さなくても近づいてくるだろ。火渡……戦士長があれだけデカい火球を何発も何発も吹き上げたんだぞ、
木星の幹部との戦いの終わりしなブレイズオブグローリーを見たネコ型の主人なら、何もせずとも向こうから寄ってくる」

 一座は、固まった。

(……なんだこいつ。いかにも勉強以外なにもできなさそうな癖に鋭ッ! てかコイツなんなんだ? メイドカフェでの騒動ん
ときチラっと顔見た気するけど……どういう奴だ?)
(意外だな。イオイソゴとの戦いを判断材料にしているとは。ついさっきの、自分は参戦していなかった戦いを……)
(そりゃあ負けたとはいえ、学校での大決戦のとき、一度は武藤クンと津村さんを弁舌1つで追い込んでたもの)

 頭いいのよ鈴木震洋はと元同輩の桜花に言われては、剛太も斗貴子も納得せざるをえない。

「でも……貴信さんたち……ここへ来る途中も…………ここに来て…………火球を追っていく間も…………単独、で……
幹部に狙われやすいのは……確か……なのでは……」
「他の戦士なら確かにそうだけど」、鐶を背後から肩越しに抱いた桜花は言う。「貴信クンたちは火星の幹部が執心している
んでしょ? だったら他の幹部は言い含められている筈よ。『俺の獲物だ、手を出したら殺す』って」
「まあそれでもディプレスだっけかの火星の幹部と、決闘する羽目にゃなるかも知れねェけど、どーせそれはいつかやる
ことだろ? ネコ型も飼い主も、それは覚悟っつうか、そのためにお前ら音楽隊に入ったって話なんだから……」
「……なるほど…………。『無事に合流できるかの是非じたいは怪しい』、ですが……『貴信さんたちが望まぬ戦いで斃され
る』ことは……回避…………できるの……ですね……」
 剛太の中継ぎで、鐶は整理がついたようだ。
「ディプレスさんと……戦うなら…………加勢したいのが…………本音…………ですが……、貴信さんたちの持つ因縁を
…………考える……と、易々とは……割り込めない……ですし……。私……だって、お姉ちゃんとの決着は……なるべく
一対一が……いい、ですし」
「そーいうの思えるの、お前らが強いからだって。俺ぜってえ嫌」
「剛太クンの言うとおりね。私なんかが単独行動したら他の幹部、きっと放っておかないでしょうね。

(だからこそ火渡様はあなたたちを囮にしようとしてますし。鐶さん以外の、特にレティクルの幹部と因縁のない桜花さんたちを)

 毒島が思う中、斗貴子は、ごちる。

「ともかく、当面の目的は錬金戦団各部隊との合流、だな」

 てめえが仕切るな。火渡は荒み切った眼差しで斗貴子を睨み、檄を飛ばす。

「いいかてめぇら! あくまで最終目的はロートルの奪還だ!! 合流程度でつまずいて足引くんじゃねえぞ!!」



 鐶・剛太・桜花・震洋・ヘリパイロット組……急行開始。


「というか、我の龕灯はどうすればいいのだ? 鐶らについていくべきか、地上進撃組に同行するべきか……」
「私の方にしろ。ただ浮いているだけの龕灯だ、ヘリのような密閉空間ならともかく、生身で高速飛翔する鐶にはどの道つい
ていけない」

 無銘がここまで黙っていたのは銀成残留組ゆえだ。龕灯で決戦場の様子を見る、従軍記者程度の立場だから、方針を
決める話し合いに口を出す権限がないと弁え黙っていた。そんな彼に斗貴子が対処する中、総髪の戦士長は、炎を燃や
す。

(来い幹部。奇襲しな。削りごろの雑魚戦力が別行動だぜ、仕掛けて来い)

 高速で合流地点めがけ飛んでいく鐶。

 梢の中でそれを見つめる双眸は、双子星の満月のごとく爛々と輝いており──…





『アジトを少数で奇襲しよって考えは見事やけど、あいにくやったな! 最短ルートはウチが守っとんのやで!』

 無数の渦から吐き出される赤い筒(ミサイル)が幾つも幾つも地面で爆ぜる。爆光と土煙のステージを慌しく踊っているの
は……3つの影。

『はっはー! 運がなかったなお前らー! 迎撃でこそ真価を発揮するムーンライトインセクトの恐ろしさ! たっぷり見とき!』

(やられましたね。最初の数発は余裕で避けられましたが)
(段々数が、多く……!! 爆破のたび射出口である渦が増えてる……!)
(しかも幾ら探しても本体が見あたらねえッ……! 根来のような亜空間に潜むタイプか、或いは渦がワームホールになって
んのか、とにかく俺たちの武装錬金じゃとどかねえ場所に本体が潜んでいるのは確か! 敵が狙撃型なのは確か!)

 スラっとした燕尾服の端正な男。愛らしいが顔にケロイドのある少女。そして。

「がっ!」

 そばかすの目立つ青年は肩を押さえ……裂眥(れっし)の形相でわずかのあいだ渦を睨んだが、すぐさま皮肉な笑いを
取る。

「さっきテメェ名乗ってたよな〜。デッド=クラスターだったかァ? 月の幹部の割りにゃ大したことねえな? 爆竹程度の火
力しかねえじぇねえか。飛翔速度もロケット花火程度だしよ。いますぐ泣いて詫びて、アジトそのものを創ってやがるアルビ
ノのガキの身柄差し出すつうならよぉ、浅く犯してやるだけで済ますが?」
『なんやお前ウィル狙いか?』
 渦に瑕(きず)のある瞳が浮かんだ。『なるほど、だから少数で奇襲しにかかったちゅー訳か、坂口照星の安否ガン無視
なのおかしいとは思とったけど』。
『まーウチ的にはアイツはモノの奪い合いの末こっちの裸みよった腹立つ奴やけど、呉れてやる謂れはあらへんで。幹部
は10人でワンセット、やからなあ。欠けたら腹立つよって』
 何より! 筒が1つ、地面で爆ぜた。「犯す、つわれてビビって逸れたかァ?」、明後日の方向での爆発に下を向くそばか
すの青年の名はシズQ。未来から来た水星の幹部、ウィルの義兄であり、烈しい逆恨みを寄せている小者である。
 だから「明後日の方向への筒着弾」が致命的な布石であるとは気付けない。筒は、爆発と共にシズQへ致命的な打撃を
与える物品を、内部にギッシリ詰めていた。ちょうど手榴弾と鉄片の関係である。筒もまた、内部に、球体の細かな物体
を抱えていた。それが殺傷力の源であると書けば、いかなる球体が満載されていたか察しがつこう。

 そう。

 BB弾……

 である。

 プラスチック製の細かなそれは、ただ爆発物に詰めるだけでは『どこに当たっても人体を損壊せしめる』威力までは獲得
しない。だがデッドの扱う筒は武装錬金、錬金術の超常の力である。
 特性が、塗り替える。BB弾の凶器としての価値を創出する。

筒の爆発で飛び散って、一部はシズQの鼻先や衣服をピッピッと掠め飛び去ったBB弾が100発近くあった。重要なのは、
掠めたという点だ。傷を与えられなかったが、掠めてしまえば、それでよかった。大事なのは正中線の国境を越えること
だった。挟撃には、包囲には、どうしても抜けるべきラインがある。シズQを掠め飛び去った100発近くのBB弾とはつまり
ハムとレタスを垂直に立てられたサンドイッチの、右側のパンだった。左側のパンは筒が爆ぜるだけで完成するが、右の
パンは正中線を越えねば、だった。

 ぴゅうぴゅうぴゅうと機械的な、チェスの駒を置くような音がした。並の戦士なら聞くだけで死ぬマンドラゴラの喊声だった。

「シズQ!」
「逃げてーー!」

 連れ立っていた仲間達の叫びにシズQはただ顔色を失い立ち尽くすほかなかった。
 渦が彼を、取り巻いていた。300近くのシアン色の渦が、梅雨どきの陰鬱な空模様を攪拌しているようなトルネイドを渦
巻かせながら……それぞれ1個、合計300近くの筒を吐き出すのを見た青年は、(……やべえ)と汗をかいた。

『ははっ! 爆竹程度の威力でも300ありゃあ人は死ぬ! 覚えとき、ウチは薄利多売の主義なん「真・鶉隠れ」

 逆転は一瞬の出来事だった。空間を乱れ走る金色の忍者刀の剣風乱刃が、300ある渦の傍を浮遊している全てのBB
弾を破壊した瞬間、ぎらぎらと輝いていたワームホールが光をなくし、やがて消えた。射出途中だった赤い筒もまた渦と
共に……。

『……ち。やられた』

 シズQとその仲間の姿まで消えているのに気付いた筒の主──デッド──は悔しげに呻く。

『忍者刀。人間3人を現空間から別んとこ飛ばせる能力。つまり来とる。『アイツ』もまたこの決戦場に……!!』





「ぐ……、が…………!」

 飢えたるものに施しを与え右上がへこんだアンパンのヒーローを、人間で再現した戦士が血しぶきの中へぐしゃりと倒れた。
周りには7〜8名の死骸が散乱している。正確な人数が分からないのは、パーツごとに『分解』されているからだ。

「ホムンクルス撃破数5位だったか6位だったかのチームwだwけwれwどwwww 幼体にしか効かねえウィルスでもって
寄生と同時に癌化してくたばらせるようなww『ハメ』やってチマチマ撃破数稼いでるような奴らwwだからw ああ憂鬱ww
オイラの超絶火力にゃ手も足も出なかったwwww」
「ゆゆゆゆるして下さい! わた、わたしはチームじゃなくて、ただっ、この人たちとたまたま合流していただけで……!」
 桜餅色のショートボブの、13〜14ぐらいの少女がガタガタと歯の根を打ち鳴らしながら哀願する。
 その相手は……ハシビロコウ。ぬっとした、身長2mほどのネズミ色の怪鳥だ。名はディプレス、火星の幹部。
 彼は無表情なまんまる瞳で少女を覗き込むと、金属製の羽先で、ちょん、ちょんと、彼女の額を小突き、
「だーめwww だってお前……核鉄持ちだろwww」
 図星らしく、少女はひいっと目を大きくした。大戦士長の救出部隊に選抜されるほどだ、持っていない訳がない。
「戦士どもが合流する前によぉww弱いとこから削ってけってイソゴばーさんに言われてるしww 何よりオイラさっさと兄弟
(貴信のこと)探しに行きたいからwwwポッと出の核鉄持ちなんぞww殺すしかwwwなーいwww」
 くろぐろとした影で酷薄な粧(めか)しをし、楽しげに、凄んだ。同時にボールペンほどの長さの細い鳥が幾つも幾つも彼
の傍で顕現した。
「分解能力スピリットレスww お前も見たwwろうがwwこれ当たるとww人間の頭とかww簡単に、爆wぜwるwww」
「い、いやあ! いやああああああああああああ!!!」
 泣き叫ぶ少女に死の鳥たちが迫り──…

「なっ」

 息を呑んだのはディプレスである。あと僅かで少女に着弾し、血味噌を作るはずだった神火飛鴉(しんかひあ)の武装錬金
スピリットレスがどういう訳か中空でカキリと停止している。術者たる火星の幹部がどれほど念じようが微動だにしないのだ
 何が起こったか点検していた彼は気付く。何が神火飛鴉を封じているのかを。

「氷……だと!? 馬鹿な! まだ9月だぞ!」

 だが氷は確かにあった。東南アジアの寸胴なる木の根の如き氷脈が神火飛鴉の一面に張り付いて、それが操作を妨げ
いる。

(なんで固定されてんだ!? 『人間以外の物体なら』、無条件で分解できるスピリットレスだぞ!? ただの凍結能力なら
氷ごと分解して自由になれる筈なのに……なんで動かねえ!? 7年前は軍靴野郎の『影を凍結』すら呆気なく凌いだのに!!)

「正確には、霰(あられ)なの」

 今しがた命が消えかけていた魔界のような雰囲気がウソのような爽やかな声に、ディプレスのみならず少女までもがギョっ
とする。

 少女から20mは離れている茂みがガサガサと揺れ……人影がぬっと出た。

 と少女が見た瞬間──…

 視認できる一帯総てが『炸(はじ)けた』。真空製の波紋がそこかしこで鼓(こ)し、暴風が吹き荒れ、冷水に熱した鉄を突っ
込んだような音と、小さめの立方体した曇った氷を5行×2列で満載する製氷皿を捻ったようなやや不快な「ぎゅぎぃ」という
擦れが、何百セットも重なり合って彼方の山々へ轟き去った。

 わずかな硬直のあと、周囲に立ち込めていた不穏なうねりが一気に爆発し、爆発は氷の砕片となって、垂直に、緩やかに、
落ち始める。ほぼ菱形に鋭く尖っている氷たちの表面と来たら、磨き抜かれたガラス工芸のような深みのある濃いシアンで
つるつるとテカっており、で、あるがゆえに光の反射もまたひどく壮麗だった。先ほどまで命の瀬戸際にいた少女ですら思わず
「キレイ……」と見蕩れかけるほどだった。

「……野郎」

 カラスを模した分解能力の尖兵が氷に突き刺さったまま落ちていくのを見たディプレスの顔つきが瞋恚(しんい)に歪む。
1つや2つではないのだ。少女がパっと見ただけでも30近くの神火飛鴉が瓶(ドック)をブチ破った衝角船(ボトルシップ)の
ような有様で氷と共に落ちていく。丸ごと氷漬けにされたものすらあった。

 少女は、驚く。

(か、火星の幹部の武装錬金を悉く封じた……!? ホムンクルス撃破数5位だったか6位だったかのチーム相手には
メチャクチャ動きまくってた神火飛鴉なのに!? 厚さ50mmのラウンドシールドの武装錬金すら濡れたトイレットペーパー
のように呆気なく貫いた分解能力の権化なのに…………なんでこの氷たちソレ受けて無事で済んでるの!?)

「……分解自体はできている。だが分解する傍から空気中の水分凍らせてやがるな……!! それも一箇所だけじゃねえ!
集中力欠乏の俺の分かる限りでも最低40箇所近くの氷を、同時に! 操作してやがる……ッ!」
(そんな! 斗貴子先輩ですら同時に操作できる処刑鎌(デスサイズ)は4本までなのに、その10倍を一歩読み誤れば即死
必須の分解能力相手に平然と…………? しかも幹部の様子からすると何度も遭遇している相手でもない! 初見! 不意
の遭遇にあって幹部相手に互角以上なのは相当の練度! 誰!? どんな戦士が来たの!?)

 いつの間にか茂みを抜けて全身を露にしている謎の戦士は、少女、だった。
 純白の雲のようにモコモコしたロングヘアーに、台風の目のような、瞳孔に到るまで螺旋を描いている碧眼を持つ彼女は、
他にもイヤリングなどが『天気』に繋がる意匠であった。
 極めつけは右手に持っている指棒である。気象予報士が朝夕のニュースでよく日本を指差すとき使っているそれだった。

「見事なの」

 少女が軽く失禁しかけるほどの怒気を放っているディプレスに、天気の化身めいた救援の戦士は、静かに、だがどこか
楽しさで舌を転がしているような調子で声を漏らした。

「見事なの。私、ディプレスちゃんを絶対零度で凍らせたあと粉々に砕こうと思って全力で吹雪仕掛けたの。でも塞がれた
のはビックリなの。たいていの共同体は一発で全滅できた私の吹雪凌げる幹部にむっむくむーの激おこなの、不快ー」
「茂みから声かけるとかつまらねえ囮カマしやがって! おかげでそっちに気ぃ取られてた俺は出し抜けに全方位からカマ
されたブリザードにあわや凍結しかけたぜ!! カウンターだとブチかました神火飛鴉すら雪中行軍で次から次に力尽き
やがる始末!」
 舐めやがってとさすった彼の脇腹は、ごく薄くだが凍っている。
「分解能力の神火飛鴉を俺の周囲に侍らせることで常時発動している自動防御すら僅かとはいえ突破しやがって……!」
 青筋が怪鳥の丸い頭部にミチミチと浮かんだ。
「ここまで頭に来る野郎は津村斗貴子以来だ!! 殺してやる! いまこの場でブチ殺してやる!!」
(なるほど。氷が舞い散る前あっちこっちでバジュバジュなってたのは無数の猛吹雪と分解能力の衝突による対消滅の音
だったと。……。全ッ然、見えなかったなー。一瞬でもの凄い攻防してたんだなあ2人とも)
 考える少女にふと意識をやったハシビロコウの目が一瞬で紅く染まった。
「そ、そうじゃねえか! てめー天気の野郎! トチ狂ってやがんのか?! 俺の傍にゃ戦士が、てめえの仲間だって居た
ろうが! なのにホムンクルス調整体の俺すらおっ死ぬ設定温度で攻撃かますとか、馬鹿なのか!?」
「問題ないの。こうするつもりだったの」
「へ!? あええ!?」
 少女の視界が一気に流れていく。20mほど離れている天気の戦士めがけ自分はいま、飛んでいる……そう認識した彼女
は(磁力!? 木星の幹部みたいな……?)と思ったが、(あ! いや、違う!!)、気付く。

 少女の肩に、手が、乗っていた。手というが、厳密にいうと、手首を曲げたときに浮かぶ管のような筋から先の部位しか
肩には乗っていなかった。(え、なんで、まさかディプレスの分解能力に……じゃない、あああ私さっきからちゃんと観察せ
ずに推測しすぎだよ!!)と現状を正しく把握する。
 要するに、ロケットパンチだった。いよいよ10m以内の圏内に迫りつつある天気の戦士の右肘から先が雷に変化して
おり、雷はそのまま少女の肩に乗っている手に接続していた。

(火渡戦士長の火炎同化の……いわば天候版!? なるほど確かに雷の速度で拳を繰り出してたら、私が猛吹雪で凍る
より早くディプレスの傍から救い出せてた!! しなかったのはアイツの迎撃が凍結を相殺したから! てか相殺するだろ
うってあの一瞬で見極めて私の救出後回しにできる判断力も……スゴい!)

(だが馬鹿め! ひっかかりやがったな!!)

 天気の戦士と手首を接続する雷に10近くの神火飛鴉が直撃した。(やばい! これって!) 爆ぜる激しい光に少女は
愕然と目を見開く。
 果たして天気の戦士の腕は雷光の色彩を失い、どろどろと溶けていく。確認したディプレスは、喚く。

「いくら雷と同化していようがテメーの腕にゃかわりねえ!! これで片手はお陀仏! 俺のすぐ傍にいる戦士に注目させりゃ
あよぉ! そーいう救出のための手早い動きっての引き出せて、隙つけるって、思ってたんだよこっちは!」
「それ含め、問題ないの」

 今度こそ、火星の幹部は硬直した。背中でおぞましい陽の匂いが自動防御によって眩しい虹色のしぶきとなって散り行く
のを感じたのと、同時だった。

 背後から、緩やかな声がかかったのは。

「最初から、そっちに居た私は、蜃気楼、なの。このコ助けるため雷の腕のばしたら、神火飛鴉来るだろうって踏んでたから、
最初から、光の屈折で、蜃気楼を、見せてたの」
「鏡写しだったって訳か! 腕だけじゃなく……向こうへ飛んでくガキ女の姿まで! ありえねえ! どんな複雑怪奇な蜃気
楼だっつんだよフザけやがって!!」

 でも声は本物だったの、口と声帯を結ぶラインだけは蜃気楼に合わせて浮かべていたの……淡々と呟く天気の戦士に少女は

(ただ能力が強力なだけじゃない。読みもすげえなこの人……! いまディプレスの背後で散ったのは太陽光線を収束させ
た極太のビームだったし。種明かしして得意ぶるアイツの隙を突いたんだ。隙が突けるってことまで最初から読んでたんだ)

 と敬服することしきりである。

「だが蜃気楼側にやった神火飛鴉をそちらにやりさえすれば……!」
「無駄なの」

 幻の雷の腕を貫いたばかりの鳥たちが俄かに黒雲に包まれた。筋斗雲を墨染めしたような小さなそれらはピシャピシャと
稲光を迸らせている。包まれた神火飛鴉たちは、落ちた。バチバチと青白いスパークを迸らせながら死に掛けの魚のごとく
震えている。

「動かせ……ねえッ!」
「雷雲の中は電磁波が乱れ狂っているから電波の遠隔操作は届かない、なの。私の武装錬金の雷雲は私の精神感応波の
雷が乱舞してるから、他の人の念波で動く他の人の武装錬金は動かせない、の」

(どんだけ強いのこの人!? 反則もいいとこだよ!?)

「あと、ディプレスちゃんに殺された戦士たちの核鉄、回収したの」
(いつの間に!? あああ、私が絶望していた魔人のような奴相手に、さらっとそういう気まで回るとか、すげえっす)
「あの野郎は詰めが甘いの。私と遭遇した時点でさっさと核鉄、根城に持って帰ってれば、まずまずの勝利で緒戦を飾れた
のに、私の強さも見抜けずケンカ売ったばかりに大損かましてるの。ぷーくすくす、これだから男は馬鹿、なの」
 拳を顎に当てて無表情気味に嘲笑する天気の人に、少女は(見た目ファンシーだからちょっと不思議ちゃんだなあ)と
思った。

「てめえ!!」

 コケにつぐコケに激昂したディプレスは振り返り──…

「悪いけど、合流が先なの。合流するまで静かにしてて欲しいの」

 立ち尽くすほか、なかった。

 なぜならば山の斜面でもなんでもない平地で、上空から、高さ30mほどの雪崩が死の冷灰を撒き散らしながら迫ってきて
いたからだ。

「元は大気中の水分でも武装錬金特性で無理やり結合した以上、錬金術の産物と変わりないの。ホムンクルスが直撃受けた
ら死んじゃうの。生きたかったら、よけるなり防ぐなり、すべきなの」
(ざけやがって! だが……!)
 地面に落ちていた氷が幾つか、割れた。割れて、封じられていた神火飛鴉が浮き上がる。
 ピクっ。同時に少女戦士の耳が動く。
「気をつけて下さい! いま神火飛鴉が幾つか氷を砕きアイツの手元へ……! あの幹部粘着質だから、きっと来ます、飛
んできます! 錐のごとく前方に集中した自動防御で雪崩を突破し追ってきます! それだと多少被弾もしますが、追ってこ
ないと油断してた私たちを恐怖に突き落とし惨殺できるならそれでいいって割り切る薄暗い執念深さをあの幹部、持ってま
すから!」
(ん・の・や・ろォォォ!! さっきまで俺にさんざビビってた女の分際で言いたい放題しやがってぇえええ!!)
 図星だからこそディプレスの顔面は、ビキビキと、歪む。歪むからこそ、言われたような手で雪崩へ突っ込む。
「ほー。思わぬ助言、いただきました、なの」
 天気の人はポンと手を打ち、
「じゃあとりまF3×6で足止め、なの」
 と指差し棒を一振りした瞬間、火星の幹部の周囲に現れたのは──…

 天を衝かんばかりの竜巻が、6つ。瞬く間に羽撃(はばた)きを暴風に巻き込まれた火星の幹部は

(クソったれめ! これじゃ雪崩を突っ切るどころじゃねえ! つうかまず竜巻を分解しねえと全身の骨が……ヤワな翼が
ゴキボキにヘシ折られちまう!!)
(鳥系の敵の追撃を防ぐのに竜巻って……ほんと的確だなあ天気の人)

「さらば、なの」

 再び雷と同化した天気の戦士は、ジグザグの軌道で少女を胸に抱えて飛び去った。

「わああ!! わたっ、私は雷になれないんですか! 生身でこの速度はちょっとー!」
「ガマンするの。頭分解されて脳みそあぼーんするの考えたら、マシなの」


 ややあって。


「あ、あのー。助けていただいたので、お名前だけでも……。お礼いいたいし……」
「ドラちゃんなの。ドラちゃんの名は、気象(きあがた)サップドーラー、なの」
「え! ホムンクルス撃破数3位の! めっちゃ有名人じゃないですか! あー、カッコからしてもしかしてと思ってたけど
やっぱり気象兵器(HAARP)の使い手……! 強いのも納得ですよ、戦部さんと師範さんに次ぐ3位なんだから!」

 というか火星の幹部相手に余裕一方だったし、ドラちゃんさん1人で他の幹部もどうにかなったりするんじゃ……と調子
よく笑いかける少女に、ドラちゃんは顔をしかめた。

「それは、ムリ、なの。激甚災害級の気象すら操れるドラちゃんが十文字槍1本の戦部さんよりランク2つ下なコトには、そ
れなりの理由が、弱点が、あるの」

「火星の幹部との戦い、長引いていたら、殺されていたのはドラちゃんだったの。だからこそ一気に強力な攻撃つぎつぎに
叩き込んで……退散する隙、作ったの」

(ひょっとしてこの人……短期決戦型…………?)



 薙ぎ倒された木々が生々しい雪原の一角が、弾け飛んだ。そこから飛び出したディプレスは、手近な倒木の上に飛び移り
足を休める。

「ww いきなり火渡級の相手とかち当たるとかww でもww あの天気の戦士だってきっと万能無敵じゃねえ筈wwww
だってそうだろww アイツが無敵だっつーなら戦団はヴィクター1人にあれほどの疲弊は強いられなかったwwwwwww
言い換えりゃ、だww 天気野郎の実力がタイマンでヴィクターを倒せるレベルであったなら、奴の動員だけで夏の再殺騒
ぎは決着がつきww 戦団は他の戦士を温存できたwww」

 つまり奴にも──酸素の薄い場所では命が危うい火渡のような──致命的な弱点があり、で、あるがゆえにヴィクターに
迫る実力の持ち主には楽勝といかない……。


 といったディプレスの分析は、結局のところ負け惜しみであろう。
 さきほどの一戦で勝てなかった憤りを、相手の、人間ならば誰でも持っている欠点を指摘することで晴らそうとしている
のだ。



「うわあああん、うわあああん、男、男と遭遇して戦ったの、怖かったの、ドラちゃんは怖かったのぉ!!」
(だ、男性恐怖症……? 弱点ってソレ!?)
「別に弱点じゃないの。ガチ勝利して、ぷーくすくすしたら、晴れるの。ドラちゃんの欠陥は、能力に、あるの」

 ところで合流地点の様子わかるの? ドラちゃんの問いに少女戦士は首を振る。

「誰か着いたって連絡はないですね。みんな幹部に襲われていて連絡どころじゃないのかも」
「斗貴子さんも? 斗貴子さんも来てるか分からないの?」
「はい。……。アレ? 斗貴子先輩とお知り合いだったんですか?」
 んーん。ドラちゃんは雲のようにふわふわした髪を振る。
「知り合いだったのはお姉ちゃん、なの。斗貴子さんは『あの島』でお姉ちゃんが死んだとき一番近くに居たから、一度会っ
てお話したいの。お姉ちゃんが死んじゃうまで、どんな生き方をしていたか、聞きたいの。記録を読むんじゃなく、お姉ちゃん
と生きていた人の話で、聞きたいの」
「……ドラちゃんさんのお姉さんも戦士…………だったんですか?」
「戦士じゃないの。一般人なの。お父さんとお母さんの離婚のあと、都会から島に行って、学校でホムンクルスに襲われた
の。噴火に見せかけた土石流で埋められちゃったの。それが7年前なの」
「『7年前』? ……まさか」
 風切り音が、強くなった。ドラちゃんはマイペースに告げる。
「でもお姉ちゃんはお母さん方の姓だから、きっと斗貴子さん、お父さんの名字名乗ってる私がお姉ちゃんの妹だって気付
かないかもなの。でもお姉ちゃんの話は聞きたいの。両親が離婚してからお姉ちゃんが死ぬまでの2年間、結局一度も
会えなかったから、せめて最後の時期の話は…………聞きたいの」
「あの、踏み込んだ話になっちゃうかもですけど」。少女戦士は手を上げた。
「もしかして……ドラちゃんさんのお姉さんが亡くなられた島って……

『赤銅島』

ですか……?」
 うん。天気の少女は頷いた。

「お姉ちゃんの名前は、東里アヤカなの」



「しつこく追撃してやりゃあ奴の弱点も暴けるかもだがww どうせ向こうも予測してるだろうからなあソレwwww さっきから
遠くにチラチラ火渡の火球も見えてるしwww 最悪天気野郎は火渡んとこに逃げ込む恐れがあるwww タッグ組まれたら
www最悪www オイラが真価を発揮する『デッドとの連携』を動員しても勝率はwww50%ってとこになるwww」

 遠ざかっていくサップドーラーをディプレスは、追わない。

(そww こちとら小者だからよぉwww ああいう攻撃力の高い野郎を無理して斃す必要はねえのよww ああいうのはイソゴ
ばーさんの搦め手か、クライマックスの『切り札』に任すに限るwww 俺は補助だの支援だのに特化している戦士どもが
合流地点にたどり着く前に、ジワジワとwww 各個撃破していきゃいいww 他の部隊と協力してこそ本領を発揮できる
連中がwww恋焦がれる他の部隊と合流する前にwwwツブして回んのがオイラ本来の役目だってww イソゴばーさんも
言ってたしww)

 敵組織に緊密なる連携を獲得させぬのは戦闘の前準備としては、正しい。但しその正しさが後世の好感を得られる類の
ものであるかどうかは、また別の問題であろう。

「オイラの本命はあくまで兄弟(貴信のこと)ww クライマックスはオイラんとこ飛ばそうとしたがしくじってあらぬ方向にやっ
ちまったらしい、からなwww 子猫ちゃんともども、今どこで何してんのかねえww」




「どどどどこまで逃げればいいのさご主人!!」
『とにかく火球の上がってる場所! そこなら火渡戦士長と合流できる!!』

 つったって! 怯え気味な表情で後ろを振り返ったネコ耳少女は「ひいいえええ」と大口の輪郭を波打たせ、大きく手を
振り速度を上げる。とっくにトップギアだった速度はいよいよ音速の壁に抵触し始めている。タンクトップに浮く形のいい
膨らみがたぷたぷ揺れるがそういう色香を自認できぬネコは、怯えた表情で振り返り振り返り鋭く叫ぶ。

「ここっ、これ! あのおっかない奴にどーにかできんの!? たおしちゃダメつったのご主人じゃん! でもあのおっかない
奴んとこ”これ”連れてったら、絶対みんな「ぎゃー」されるんじゃ……!?」
『大丈夫! 頼るのは毒島氏だ!』

 茂みを抜けると谷があった。アニメなどでよくある、底が黒々と見えるほどに深いものではなく、せいぜい深さ6mほどの
小規模なものである。「うぅ、ビミョーに高くて怖い……」。崖っぷちで足をブレーキし立ち止まったネコ少女──香美──は
ぶるぶると顔をしかめたが、『一気に飛ぶしかない! 捕まったら仲間入りだぞ……!』と震える飼い主──貴信──の声
と、それに遅れて響き渡った背後からの巨大な呻き声に「ああもう!」と右掌の四角い穴からビャっとせり出させた鎖分銅を
対岸の大振りな枝に絡ませ地面を蹴る。飛びあがった瞬間、寸前まで背中のあった空間を、暗い赤紫色した長い爪が切り
裂いた。

(ひいいえええ、怖い怖い怖い怖い)

 ターザン状態でなんとか対岸につま先を乗せる香美はもうガチガチと歯を鳴らしている。
 後方でガケの崩れる音がした。重たいものが落ちる音も……。

『とにかく走るんだ香美!! 火球に向かってけば合流できる!!』
「う、うん!!」

 再び走り出した香美。ひときわ音圧を増した背後からの呻き声に、軽くちらりと横目を這わす。

 崖を上ってきたのは…………、人々、だった。
 それぞれ、これといって特徴のない風貌を、これまた量販店で売っていそうな衣服で包んでいる彼らは年齢も性別もバラ
バラだ。4歳ぐらいの男のコも入れば、妙にがっしりした禿頭の老人もいる。逆手に握った包丁を頭より高い地点で苛立た
しげにぶん回しながら金切り声を上げているのは40代前半ぐらいのエプロン姿の主婦。
 いよいよ四つん這いで涎まきちらしつつ疾駆し始めているのは清純そうな顔立ちの女子高生。
 そのほか、サラリーマン風の男性や野良着姿のおばあさんといった面々が、口々に恐ろしげな呻きを上げながら香美め
がけ走り出している。

 みな、全身の皮膚が灰色だった。双眸も白濁し、二の腕や脛といったあちこちの部位が生々しく赤剥けている。
 貴信は叫ぶ。

『な、なんど見てもゾンビ……にしか!!』
「……。なんかさっき、似たようなことなかったっけご主人」
『さっきというか7年前だ! ミッドナイトの屍部下! 死んだ筈の『もりもりさんの昔の同輩』たちが蘇って僕たちを襲撃し
たことは確かにあったが……』
「ミッちゃんのこと……あたしさ、今でも悲しいじゃん」
『……僕もだ。だが二度と会えない人のコトを考えられる余裕はない! このゾンビめいた人たちはなんなんだ! 屍部下
でもなければ冥王星の幹部の自動人形とも明らかに別種というか──…

見た目一般人ってことは……近くの村の、新月村の人たち……だよな!!? 幹部の誰かの武装錬金で……操られてい
るのか!!?』


                          P M S C S
「『社員』だ。乃公(だいこう)が武装錬金、民間軍人会社『リルカズフューネラル』と契約した生体兵器の厄介な点は!」

『差し向けられているのが『人間』ってところだ!』

 どこかでごちる土星の幹部に呼応するよう、貴信は『敵兵そのものが人質なんだ、反撃、できない!』と声を張り上げる。

「ににっ、にんげんだったら、どーしてやり返せないのさご主人!!」
 僕たちがホムンクルスだからだ! 飼い主は答える。
『いまゾンビじみて送られて来ている村の人たちの肉体強度は人間のそれなんだ! 高出力(ハイパワー)な僕たちが迂闊
に攻撃したら……命を奪うことになる!!」
「かげんできないのご主人! ご主人”てく”持ってんだから、おっかけられなくなる程度にてかげんして攻撃とかは」
『3体ぐらいまでならそれも出来た! だがああも多いと、1人を攻撃している間に、他の村人たちから攻撃される恐れがある!』
「むこうニンゲンなんだから、ホムンクルスのあたしたちにダメージ与えられないんじゃないの!?」
『確かにそうだが、『特定の1体に手加減しようとしている時』に攻撃食らうのはヤバイ! 単純に言うと手元が狂う! 他の
村人の横槍のせいで手元が狂って、”操られているだけの人”を殺めてしまうのは……したくない!』

 ゾンビ村人たちとの遭遇直後、一度は反撃しかけた貴信であったが、木の枝で出血し、木の枝の傷さえすぐには癒えない
村人らの様子から”人間が操られているだけ”と判断、火渡たちとの合流を優先した。

『思い出してきた! そーいえばここに来る直前やった演劇! あのとき、何らかの手段で生徒達に武装錬金を発動させた
幹部が居た! 核鉄を持っていない生徒達に武装錬金を発動させた彼は肉体を変質させる『ウィルス』のような能力を
持っているって話だった』
「てかご主人、よーわからんけどソイツってほら、あの蝶のおばけと戦った奴なんじゃないの!?」
『……っ! 確かにな! パピヨン氏から話を聞いたヴィクトリア嬢の報告によれば確か……『細菌型』の土星の幹部! リ
ヴォルハインだったか! つまりそいつだ! いま僕たちに手勢を差し向けている幹部は!』



「栴檀2人を攻撃するのはディプレスからの言いつけに背くよう思えるが、たかが末端の社員たち相手に力尽きるというな
らそれだけの連中、救いをもたらす糧にはならんだろう。そも『社員』は、クライマックスの自動人形と同じ群体型の能力。
不意の遭遇戦ならば10体前後ならば、攻撃しても構わない……というより、混沌とした戦場で群体型の能力を、1体の
敵だけ避けて使うのは不可能という実戦上の制約をして……ディプレスから引き出しているのである! 攻撃の、許可を!)


(ウィルス感染者が相手なら、毒島氏の抗菌ガスで対処できる! 敵をぞろぞろ引き連れていくのは迷惑だって分かって
いるけど、ただ撒くだけじゃ村人たち、他の戦士に殺されかねない! 人間だって気付かれなかったら、ホムンクルスだっ
て勘違いされたら……。だから毒島氏のところに連れて行くしか……!)


 駆け出す。だが追っ手は目に見えて増えていく。

「あたしらで何とかできないの!?」
「……試してはみる!」

 後ろに突き出された掌の四角い穴──ホムンクルスの捕食孔──に光が収束し……

「星の光よ! 瑕疵に抗え!!」

 エクトプラズムのように不定形な、ライトグリーンの靄が射出された。それは討手たちの間をぬらぁっとすり抜け、最後尾の
大学生風の若い男に着弾した。

(!! おー、体なおすあったかい奴! 相手とっちめる攻撃じゃないのよコレ!)

 種々様々なエネルギーを捕食孔から撃ち出せる貴信は回復魔法めいたことも出来るのだ。

(僕はかつてこれで早坂秋水氏を癒したコトがある! 彼は当時、L・X・Eの幹部、逆向凱の切り札のせいで肺腑全体に微
細な金属の粒子が突き刺さり……呼吸を要諦とする剣士として、本調子ではなかったが……僕の星の光はそれを癒した!!)

 であればウィルスも排出できるのではないか……という推測のもと治療を施された大学生風の若い男は。

 みるみると肌に本来の人間めいた色を戻していく。

「治せる!?」
(だとしても、これだけ居る村人たち全員を治すとなると莫大なエネルギーが要る……!! 効くとしても、どう調達する!? 
そもそも相手がウィルスである以上、懸念すべき事項が……!)

 え、なんだこの状況と周囲を見渡していた若い男だが、俄かに首に手を当て……苦鳴と共にゾンビ状態へ戻っていく。

「こらー!! なんで戻るのさーー!!」

 振り返りながら両目を不等号にしてプンスカ手を上げる香美。

(やっぱり増殖、か! 排出される傍から体内に残留したウィルスが爆発的に増えているんだ。厳密にいえば空気中から感染
し直している可能性もあるけど……僕たちがゾンビ化していない以上、残留の増殖……だろうな!!)

 と考えた貴信はふと気付く。

(待て。なんで空気感染じゃない? ウィルス兵器なんだぞ? だったらそれで作ったゾンビ村人で僕たちを追っかけるの、
まどろっこしくないか? だってそうだろ? 人をゾンビにして操れるウィルスを持っているなら、新月村といわずここら一帯
に撒けばいい。そしたら僕たち音楽隊も戦士たちも、一網打尽で手下に出来る。いやそもそも、病死で全滅させて……
勝つってことさえできるのに……)

 なんでゾンビ村人たちによる追跡という隔靴掻痒を演じている……? 貴信は訝しんだ。

(もしかして感染と使役は別立て……なのか? 土星の幹部の体は細菌の群体という。つまり感染で何らかの病気を発症
させることは、パピヨン氏を降した能力は、例えばネコ型の香美の『素早さ』とか『耳のよさ』といったホムンクルス固有の
能力で、だから武装錬金特性は別な部分にある……? ゾンビ化したとしか見えない村人たちの使役は、武装錬金によっ
て行われている……?)

 だとすれば。貴信は気付く。

(僕たちをゾンビ化して手下にしてない理由だけは説明がつく。武装錬金特性で使役するというなら、特性を振るうために
何らかの条件を満たす必要がある。似たような特性を持つノイズィハーメルンが、音波の届く範囲の人たちしか操れない
ように、土星の幹部の謎めいた武装錬金もまた、一定条件下でしか人を操れない……?)

 光明に繋がるような思惑だが、人見知りで気弱な貴信はむしろ危惧する。

(マズイな。土星の幹部の体じたいは、細菌じたいは、既にこの辺り一帯に浮遊しているとかなった場合、僕も香美も、ヤ
バいんじゃないか……? 気付かずに条件を満たしたら、ゾンビ化して、レティクルに寝返るってことも……。僕たちだけ
じゃない。他の戦士たちも……)



「それは成さん」

 貴族服を纏った2m超のすらりとした男はどこかで囁く。

「乃公が求める救済はただ戦士どもを殺せば成せる類のものではないのだ! 連綿と続く錬金術の、根源的な災禍を!
構造的な欠陥を! 病巣を! 取り除くためには激しい争闘こそ必要なのだ! 戦団も音楽隊もレティクルもその気にな
ればバンデミックで掃滅できるが、乃公1人が勝者になるだけでは不足なのだ! これより先の果て無き無窮の未来、永
劫に! もうこれ以上錬金術によって誰も泣かずに済むように、果たすべき『大義』が乃公にはある! それが果たせるな
ら戦士が何人死のうと構わないが、死なせる以上は必ず叶える、叶えなくては、ならないのだ!」

 彼は10年前戦士だったが、戦団上層部の意図的な不手際によって妻を失ったのを契機に戦団を出奔している。


 が、そういった背景を知らぬ貴信にとって土星の幹部・リヴォルハインは広域殲滅型の恐るべき細菌兵器でしかない。

(毒島氏の抗菌ガスでも対処できるかどうか怪しくなってきたな……! 根来氏の『彼または彼のDNAを含有する物以外は
亜空間からはじき出される』シークレットトレイルにも助力を願いたいが……彼はイオイソゴを斃すため敢えて抜け忍となり
姿を消している…………! 演劇の時とまったく同じ対処はできない……!)

 火球との、火渡との、間隔は、ひた走ったせいかだいぶ狭くなっている。

(っ! 空! いま香美の正面の枝々の大きな切れ目から飛んでいく大きな鳥が見えたが……あれは鐶副長か? だと
すれば……彼女の性格上、独断で動くコトはないから…………火渡戦士長の命令か!)

 あちらで有った、あちらの戦略構想を貴信はだいたい把握した。

(つまりここからは火球が移動し始める! だったらいま火渡戦士長がいる地点Aに向かうのは得策じゃない! 向こうが
動き出すんだからな……! 向かうべきは……地点Aと、戦士達の合流地点Bを結ぶ線分ABを縦断できるルート! それ
なら逆に火渡戦士長たちを先回りできるかも知れない。運がよければ、合流地点から彼らの掩護に向かう途中の戦士達
と合流も……なんだけど)

「ご主人……!!」
『っっ!!!』

 悲痛きわまる香美の叫びに、貴信の思考も真白になる。

 行く手にも、ひしめいていた。村人のゾンビが、ひしめいていた。

(どうする!? 強行突破するか!? だがどの村人も歯や爪が異様に鋭くなっている。迂闊に接触すれば、噛み付かれ
たり、引っかかれたりしたら、僕や香美までなるんじゃないのか、ゾンビに……!?)

 何より、マズいのは。

(村人たちの数が増えすぎた……! 後ろの人たちだけなら毒島氏の抗菌ガスか、それが効かなかったとしても睡眠ガス
で無力化できろうけど、前の方と合わせたらほぼ40人でだいたい倍。建物内での決戦ならともかく、山あいの開けた場所
で40人を一気に無力化せしめるんだろうか、エアリアルオペレーターは……)

 考える間にも前方の敵たちは一斉に踊りかかってくる。


「きたじゃん!!」

 とりあえず最小出力の流星群で彼らの足元を威嚇射撃しつつ離脱の目を探る……と動きかけた貴信の眼前で。


 だだだっと言う軽快な音と共に村人たちが次々に倒れていく。

(なっ!)

 崩れ去った人の壁の向こうには武装した兵たちが居た。7〜8人という所であろうか。うち1人は硝煙たなびく銃を構えて
いた。

『ま! 待ってくれ! 彼らは──…』
「人間だろ?」

 銃の男が引き金を引く。銃口と視線があった香美はビクっと体を強張らせたが

「わ…………が……」

 と傍で倒れ行くゾンビ村人を見ると「あ、なんだ、助けてくれたんだ」と安堵した。

「って! 撃っちゃダメでしょーがあんた! ニンゲンだってわかってんならぎゃーすんの、だめでしょーが!!」
「象も眠る麻酔弾さ」

 灰色のコンバットスーツに身を包んだ若い男だった。ブラウンの髪を短く切りそろえた、いかにも精悍そうな顔つきでスコー
プを覗き込みつつ、アサルトライフルを右に、左にと機械的に動かすと、貴信の背後で村人たちがバタバタと倒れた。

(ア、アサルトライフルって麻酔弾撃てたっけ……? いやむしろそれが特性? 弾丸を切り替えられる、的な)

 唖然とする貴信に黄色い声がかかる。

「ほら奏定(かなさだ)! 迷ってたからこそ救える命があったでしょチョーチョーあったでしょ!!」
「隊長、それ結果論だよね。迷ったからこそ合流し損ねて救えなかった命だってあるかもだよね……」

 金髪をサイドポニーにしたコンバットスーツの少女の傍で、同じ格好に、ドラマの若手刑事が着る様なコートを羽織った20代
後半ぐらいの男性が、げんなりとした顔つきで応諾した。

(全員お揃いのコンバットスーツ……。1つの部隊か。戦士だよね、雰囲気的に)

 少女とコートの男の掛け合いを宥めたりニヤニヤと眺めたりする他の面々を見渡した貴信はそう結論付ける。
 視線に気付いた1人が、口を開いた。

「ああすまない。紹介が遅れてしまったね。私は星超(ほしごえ)奏定。天辺星(てっぺんぼし)部隊の副隊長。所属は戦団、
味方だよ」
「あー! 隊長のワタシ差し置いて自己紹介とかチョーチョー信じられないし!! ワタシは天辺星ふくら! 隊長でエラい
んだから天辺星さまってチョーチョー呼ぶこと! いいわね!!」
 ビシィって指さしてから薄い胸を張る天辺星さまに貴信は(まーた濃い人がきたなあ。戦団ってこういう人ばっかかなあ)と
たじろいだ。
「むー! ちょーちょー分かってない感じぃ! だったらワタシの剣の恐るべき特性で思い知らせてやるんだから!!」
 奏定が「いや、そんなことより合流。火渡戦士長の火球目指してた感じだよこの子たち、邪魔したらダメだよ」と止めるのも
聞かずに天辺星さまは鞘から剣を抜きつれた。

(え……!?)

 貴信が硬直する中、「なに! あんたやるっての!!」と香美は牙を剥いた。

『待て! 落ち着け! 戦うなっていうか、お前、見覚えないのか……!?』
「何にさ! あの片しっぽと逢ったの今が初めてでしょ!!」
『じゃなくて剣の方!! あれ……『リウシン』なんじゃ……!!?』
「りうしんってなにさ!?」
「アレ? なんでアイツ、ワタシの剣の名前知ってるの……?」
 天辺星さまも不思議に思い、動きを止めたとき、それは来た

【このあたくしの陰陽双剣の名前を忘れるとは、ほんっと相変わらずロクでもない貍奴不来(いえねこ)ですわね貴方】

 涼やかな、高貴さと傲慢に満ちた声は……剣から、発されていた。

「ちょ、え、この声、え!! なんでさ!!? なんでミッちゃんが!!?」
「というか私の方がビックリなんだけど……。なんで君たち、勢号君の末っ子と知り合いなの……?」
 奏定が目を軽く見開く中、てか隊長の剣喋れたの!? 隊員たちもどよめいた。

【久しぶりですわね。栴檀貴信。栴檀香美。ふふっ、あれから随分強くなったようで何よりですわ】

『生きてる!? そんな! 貴方は7年前のあのとき、確かに……!』

                                            リウシン
【ええまあ、身罷ったのですけど……ちょっと事情がありましてね、魂だけ中国剣に乗って……今は、今は……】

「ちょっとあなた! なんでご主人であるワタシ以外と話してるのよ!! チョーチョー失礼!! 信じられない!」

 天辺星さまにブンブンと振られる剣は、ぴちゃりと雫を滲ませた。

【寄りにもよってこんな、こ・ん・な・か・た・の! 武装錬金になってしまってるのですわー!】

 た、大変そうだね貴方も……。貴信の顔が引き攣った。


「というか、マグロが止まるほどに関係性が分からない」

 アサルトライフルの青年が呟くと、貴信、「実は、僕たちと、彼女は……」


 事情説明は、走りながら行われた。


「なるほど。つまり7年前、当時まだ土星の幹部だったミッドナイト君は恋人の仇を討つため君たちの前に現れたと」
『そう! で、僕たちのリーダーとの勝負がついたあと、当時かなりヤバい企みをしてたとある人物を止めるため一時的に
共闘したんだけど……その結果、色々な事情で』
【あたくしは肉体を失いましたの】
「そのあたりのことワタシ前からチョーチョー言ってるでしょ! 土星の幹部だったこいつにその3年前から取り込まれてて、
ワタシ本来の武装錬金、死体袋(アサルトシュラウド)の再誕能力が、屍部下だっけ? それ産むのに使われてたって、何度
も!」
「で、ミッドナイト君が死んだ時、取り込まれていた天辺星さまが死体袋の能力で復活して再誕。けどそのとき、2人の武装
錬金が入れ替わってしまったと」
【恐らく混線したのでしょうね。天辺星の『再誕』っていう能力はあたくしの言霊……頤使者(ゴーレム)の核とも一致する能
力でしたから、そこまでの3年にも及ぶ同居ですっかり癒着していて】
『消滅時の混乱、緊急避難的な再誕のごたごたで、自分を再誕させようとしていた死体袋が、自分と癒着していたミッドナイ
トの言霊を、自分そのものだと誤認識し、そちらの再誕を優先した結果……』
「ワタシの武装錬金が中国剣にチョーチョーなった!」
【ですから正確には陰陽双剣だと言っているでしょ! ああもう嫌ですわなんべん言ってもこの方覚えて下さらないの!!】
 ミッちゃん相変わらず苦労してんじゃん。にへにへ笑う香美が剣にジャレつく。
【だあもうおやめなさい栴檀香美! ミッちゃんとも呼ばない!! あたくし音楽隊用の名前だって用意したでしょ!】
『ごめん。香美こんなんだから忘れてるんだ!! でも貴方が居ると心強い!! 鳩尾も喜ぶ!!』
 あなたとああいう別離をしてしまったこと、ずっとずっと気に病んでいたからな! と叫ぶ貴信に、剣の映す桃色ツインテー
ルの少女は複雑な表情を浮かべた。
【……断っておきますけどあたくしが全力の総角と互角以上だったのは、500年近く鍛えぬいた肉体があったからでしてよ?
リウシンの重力角操作じたいは健在ですけど、それを使うのが……この方、ですし】
 ぽやーと口を開けて走っている天辺星さまに『あ、ああ……』と貴信は呻いた。
『貴方の強さって、武術と武装錬金特性と、経験からくる勝負勘の、複合的なもの、だったな!!』
【そうですのよ! だから鍛えてもないアホな天辺星さまの使う重力角ときたら、あたくしのリウシンときたら】
 部隊中、最弱クラスの戦果しか出せてませんの……。剣はまた、泣いた。正確にいうと剣に映るミッドナイトの幻影が、泣
いた。
「天辺星さま……。いまからでも遅くないから、彼女のためにも鍛えた方がいいんじゃないかな…………」
「うー! なんで奏定、剣の方の肩持つの! ワタっ、ワタシだって、戦士のサバイバル訓練を突破してるし! フルマラソン
だって完走できるぐらい鍛えてるし! 空手も剣道も柔道も合気道も三段でしょいま! チョーチョー頑張ってるんだから、
ちょ、ちょっと、ぐらい褒めてくれたっていいじゃない……。なのに、なのに……なんで剣なんか……褒めるのよーー!?
「だから、義弟の恋人の……血縁者だからね、ミッドナイト君」
(むーっ! ワタシはコイビトじゃないのー!! でも告白とかチョーチョー恥ずかしいもん! 結婚してからじゃないと告白
とかチョーチョー耐えられないもん!)
 あー、そういう感情が……と表情を固める貴信に「片想いだよ隊長の。副隊長奥手だからなあ」「満更でもないんだが手ぇ
出せないだぜ副隊長、ヘタレめ」と隊員たちが囁いた。

「っと。ミーアキャットの如く並んで待ってるぜ敵さんたち」

 行く手にまたゾロゾロとゾンビ兵士が現れたのを見た天辺星さまは威勢よく彼らを指差し、命ずる。

「さっきみたくまた撃ちまくりなさいよ『コードネーム:アサルト!!』」
「おいおいマンボウのタマゴの如く無限じゃないんですぜ弾丸は」
(武装錬金といえどパピヨン氏のニアデスハピネスのような有限性がある、か)
「むー! 隊長に逆らって! だったらなんでさっきチョーチョーばかすか撃ちまくったの意味わかんない!!」
 奏定は、残業帰りのサラリーマンのような疲れきった表情で嘆息した。
「天辺星さま……。あれで割り出した敵軍全体の平均的なスペックが拘束可能なものであれば『棺』で進軍するっていうの
が……この部隊伝統の手法なんだけどね……。私なんども説明してるんだけどね……」
「ってことで、コードネーム:白田いくちゃんの出番っ!!」

 ゆっけー! 貴信の傍を踊り抜けた10代前半ぐらいのピッグテールの小柄な少女が右手を振ると、左手に抱えられてい
た緑色のぬいぐるみの黒い口からサイコロ大のブロックが無数に吐き出された。

(なんだ? 銃撃……じゃないよな?)

 貴信が不思議がる間にサイコロたちはゾンビ村人の足元にそれぞれ突き刺さり──…

 一辺20cmほどの土色した立方体を地面から巻き上げた。(!?)。香美が驚く間にもブロックたちは地面から次から次
に涌いて宙を舞う。宙を舞いながらも、1人1人の村人を取り囲むよう、地面や、他のブロックの上に、レンガ塀づくりの早回
しのような要領で規則正しく詰みあがり……。

 1分も立たぬ間にあたりは高さ2mほどの土の棺の林と化した。

「かんっりょー♪ パッとみ土っぽいけど超圧縮してるからね、ちょっとやそっとじゃ出れないよー」

 横ピースして笑う和風魔法少女風の少女に、貴信は

(白田いく。城大工の武装錬金って訳か……。他5人の隊員の能力もコレぐらい強力……なのか?)

 思いながら、走る。定期的に膨れ上がる火球まで直線距離であと400m。




 そして、レティクルエレメンツの盟主:メルスティーン=ブレイドの急襲を受けた戦部と、円山と、犬飼は。



前へ 次へ
第100〜109話へ
インデックスへ