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第103話 「先遣隊、その顛末」



 5分が、過ぎた。

「特性破壊発動より五百余合……ふ、戦部、君は実によく破壊(たたか)った」

 血みどろの、されども優艶を極める金髪の盟主の前で陣羽織の巨体が地響きを立てて転がった。

 その体には、四肢がなかった。血溜まりのなか丸ごと転がっている太い右脚はまだ無事な方で、左に至っては特大のロー
ストハムでも切り分けて振舞ったようにそこかしこに散らばっていた。戦部の左斜め500m後方の木の幹に張り付いてそろ
そろ8匹のハエにたかられ始めているひしゃげてグシャグシャの肉塊は左腕の成れの果て。
 そして右腕は持ち主から20mは離れた茂みへとひゅらひゅらと旋転しながら落着し……十文字槍を取り落とした。

「高速自動修復を封じられてなお、手足を失いながらも……ふ、武技で遥か勝るぼくにこれほどの手傷を負わせるとは……
さすが現役戦士で最も多くのホムンクルスを壊した男…………」

 メルスティーンの見つめる彼の左掌には、親指と、薬指と、小指が、なかった。どれも彼の足元に散らばっていた。

「ふ。剣士から握りの要たる指を三本も奪うとは……。特性破壊という明らかな反則を持っていなければ……危なかったね」
「世の中にはホムンクルスと約束する、俺以上に酔狂な戦士がいるが」
 臥していた戦部の顔がもぞりとあがりメルスティーンを見る。陣羽織が皮のごとく固まるほどの出血量であるが、いかなる
心気的転換があるのか、その顔色はあたかも勝者のごとく溌剌としている。
「どうも貴様には……奴ほどの感興は涌かん。生かさば挑むぞ、何度でも」
「ふ。願ったりだね。斯様な深夜(ぜんれい)など既にある……」
 部下への勧誘を蹴って捨てる太い笑みを浮かべた戦部の頬が地に着き……彼は意識を失った。

 さぁて殺さぬよう止血でも……と戦部に近づき始めた盟主が振り返ったのは、背後で足音がしたからだ。

「ほう」。意外そうに目を丸くした金髪の剣士は笑う、にこやかに。

「これはまた、珍客……」

.

..

 各部隊合流のち、戦部たちの地点へ。
 という戦団統合本部の立案した坂口照星救出作戦第一段階は、苦しい始まりを見せている。

「臓物をブチ撒けろ!!」

 切り刻まれた無数の自動人形が弾け飛ぶ中、汗みずくの斗貴子はカハっと咳き込みうな垂れた。薄手のセーラー服が
水色に透けて見える姿態はかの中村剛太が居れば眼福と鼻の下を伸ばすだろうが、斗貴子本人は恥らう余裕すら今は
ない。

「幾ら何でも数が多すぎるぞ……! 冥王星の幹部の武装錬金……!」
「あはは。やっぱ早いとこ本体を叩かないとヤバいねー」

 斗貴子の背後でからりと笑うのは黒いタンクトップに迷彩柄の上着をくくりつけたベリーショートの女性・殺陣師盥。並み居る
人形をライオットシールドで着き壊し突き壊し進んでいく。

 斗貴子は、思う。

(最低でも猿渡級……強いものでは鷲尾級の自動人形が次から次にウジャウジャと……! これだけの自動人形、1体造る
だけでも相当のエネルギーが必要なのに、同時に大量にだぞ……? 創造主はどうやってこれだけのエネルギーを調達して
いるんだ?)

 パっと浮かぶのは『戦部の弁当』。全身を何度でも高速自動修復する厖大な量のエネルギーを、精神的発奮で補う前例は
確かにある。

(作り手は末席とはいえ幹部……! しかも属しているレティクルは動植物型にさえ武装錬金を使わせる技術力を有している)

 恐らく相当特別な技法があるのだと斗貴子は推測し、

(ならば付け入るメはそこにある! 直接対決の暁にはその特別な技法とやらから真先にぶっ潰し……うざったい増援を断つ!)

.

..

「ぬぇーぬぇっぬぇっ!! やっぱ面白いアニメを見るとテンション上がりますねこの上なく! 漫画でもラノベでも可!!」

 どこかで。テレビの前でおおはしゃぎする冴えないアラサー女子のの全身からぎらぎらと立ち上る虹色の陽炎が、すぐ傍の、m
ひとめで錬金術の産物と分かる装甲列車へ流れ込んでいく。窓から人影見えぬその列車であるが、車内で閃光が迸ると
大量の自動人形で満員となる。

「むーん。まさかサブカル興奮で補っているとはね……。すごい補充法……。30分身する私もびっくりだよ……」

 呆れたように汗を掻くムーンフェイスだが、

(だが単純なだけに破り辛いだろうね。これだけのはしゃぎようだ、たとえテレビや本を壊したところで記憶がある。クライマッ
クス君は蓄積したサブカルの思い出だけで、脳内再生のみで、自動人形を産み続ける……。何千体でも、何万体でも…………!)

 いろいろこじらせている元声優のオタ女子の歪んだ嗜好と笑い飛ばすには、彼女の自動人形は余りに武力を得すぎている。

(そして……地下空洞にザっと見20両編成以上の装甲列車をわざわざ控えさせている以上、レティクルの次の手は、多分)

 まあ、彼らがどこに行こうと私はそのおこぼれを狙うだけさ。指を弾く月顔の怪人はひたすらに機を伺う。地上を美しい月面
世界のようにできる日のため。



「とにかく後衛の火渡の介たちの掩護もあってだいぶ近づいたよ廃村!」

 右手に曲がりくねった屏風のような山肌が続く崖道をひた走る殺陣師が指さす左手から、やっとぼろぼろの家々が一望で
きた斗貴子は自動人形を斬り飛ばしつつも安堵の吐息をついた。

(通称・旧村。明治時代、反政府勢力に占領されていた忌まわしさゆえに打ち捨てられて久しい廃墟。だからこそこの山の
多い地帯において、私たちや音楽隊を含む68人の戦士を収容できると見込まれ指定された『合流地点』)

 元が村だっただけに、いわゆる衢地(くち)である。四方八方から道が来ているというのも、各地から直接集う戦士たちの
寄り合い場に選ばれた理由である。

(だがあと少しで目的地という時が一番マズい!! 何しろ……『崖の棚』だからなココは)

 右手には高く聳える急勾配。左手には20m超の奈落。

(私が冥王星の幹部ならここで仕掛ける! 崖上から岩1つ落とすだけでも行軍を阻める絶好の地形! 利用しない筈がない!)

 斗貴子が警戒の度合いを高めたのと、頭上からの巨大な質量の気配を感じたのは同時である。

 細かな岩の破片がぱらからと落ちるのに引きずられるよう崖肌をバウンドして落ちてくる巨岩に迷いなく跳躍した斗貴子は──…

 雄渾なる斬撃の線(すじ)を無造作に4つ描き、膝立ちで着地。背後8mの中空で四等分された岩はピシピシと入った亀裂によって
自壊し、崩れながら崖下へ。

 ほーと殺陣師は感服するが(呆気なさすぎる……。囮、か?)と斗貴子は残心の構えで周囲を見渡す。

 激しい気配を伴う颶風が俄かに飛び込んできたのは、その時だ。足元の、崖の際に指がかかったと見た瞬間、

(……! この気配!! 今までの自動人形より…………強い!!)

 切歯した斗貴子は最高速の斬撃を全身に発令! 疲労など忘れ去っていた。それほどの気配だった。

「ちょちょちょ! あた、あたしだから!! 怖いのやめてよ頼むから!!!」

 第一撃を蹴った反動で距離を取り、崖道に着地した栴檀香美は「ふーっ! ふーっ!」と尾を逆立てながら「あ、あんた!!
あたしニガテな高いとこのぼりきったばっかじゃん! なな、なんでそんな怖いコトしようとすんのよ!!」と妖怪絵巻の化け猫
のような細い瞳孔でびしばし指さし抗議する。

「なんだお前たちか……。よく幹部に殺されずに済んだな……」
『ははっ! ぼ、僕らがホムンクルスだから、つれないなあ! これでも結構大変な目に遭ってたんだぞ!?』
「おー。山岳戦闘ではお馴染み白田の介の階段かー。ブロック積む城大工の武装錬金、相変わらずの応用性ですナー」
 崖下を覗いた殺陣師は目を細め喉を鳴らした。コンバットスーツ姿の男女が7人、空中階段を登ってくるところだった。
「チーム天辺星か」。無感動に呟いた斗貴子に「あんたこいつら知ってんの?」と香美は聞くが、名前を知っているだけで
親しくはと頭を振られる。
「うー! 奏定! 津村斗貴子がアタシ馬鹿にしてるチョーチョー馬鹿にしてる! 撃破数50位ぐらいが7位のアタシをチョー
チョー馬鹿にしてくるーー!!」
 崖道に乗った金髪サイドポニーの少女──天辺星さま──がきゃんきゃんと鳴いた瞬間である。斗貴子たちのもと来た
道で大爆発が起こったのは。
「ふぎゃにああああ!!? なにこれなにこれチョーチョー敵襲!! ふあああ! アタっ、アタシの可愛い部下たちに手出し
なんかさせないんだからあああ!!! 奏定だって守るんだからああ!!」
 剣を抜き、騒ぐ天辺星さま。
「落ち着いて天辺星さま。むしろ味方というか……ああでも、敵かなあ、やっぱ」
 歯切れ悪く答えるコートの青年の前に、サンドブラウンの土煙ぬって現れたのは──…

「ケッ。ようやく合流できたと思ったら、一番使えねえ記録保持者(レコードホルダー)ときてる」

 火渡赤馬である。

『え!? 7位だったらかなり強いんじゃないの!? 火渡戦士長ですら12位……なんだよな!?』
「トドメを部下から譲られているからだ」。斗貴子は盛大に溜息をついた。
「『集約型』。記録保持者に時々いるタイプで……ほとんど部隊のリーダー……だな。自分にホムンクルスの撃破数を集中
させてランクアップするんだ。まあそんな欲目は実戦においてまず命取りだから、代表者(じぶん)の人柄とかチームワーク
などの部隊全体の質が相当高くない限り、上位へ行く前かならず死ぬ、から……」
『そういう意味では天辺星さま率いる人たちは弱くない、と!!』
 その通りです。ガスマスクのチューブから推力吹く毒島が遅れて飛んできたのは、先ほどの爆発の鎮火をしていたせい
である。
「ただ戦士・戦部のような1人で戦うタイプが面白がらないのも事実ではありますね」
「だからあんた怒ってるじゃん? 片しっぽにぬかれて、怒ってんじゃん?」
 ふへへと笑いながら火渡にジャレつく香美。「きみ、怖いもの知らずだね」。コートの青年・奏定の顔が引き攣った
「え! 火渡怖がらないと奏定にチョーチョー感心されるんだ! だ、だったらアタシも逆らう!! あ、あんたなんか、12
位なんか、怖くないんだから!! ばーかばーか!!」
「あ?」
 凶残の皺が犬歯剥き出しの火渡をドス黒く彩った。
「こわくなんかーー!」
 墨を吸ったようなタンブルウィードを眼窩に嵌めこんだ天辺星さまはボロボロ涙を零しながらヒヨコ口で剣を振る。

【まったくこのあたくしを武器としておきながら斯様な侮りを受けるとは……信じられませんわ】

 剣に金髪ツインテールの少女が映った瞬間、「会話可能な武装錬金……だったのか?」と斗貴子はチーム天辺星の面々に
意外そうに問いかけたが「いや私たちもついさっき知ったばかりで」という気のない返事。

『えと、その、複雑なんだけど、このコはミッドナイトって言って、元レティクルの幹部だけど一時期僕たちの仲間でもあって』
「いい! そういうややこしそうな話は合流してからだ! というかいい加減キミたち喋ってないで走れ! 村へ!」

 マジメだなあ。チーム天辺星の雰囲気は、ユルい。

【まあでも津村斗貴子と火渡赤馬に合流できたなら憎きメルスティーンに辿り着くまえ死ぬというコトはもう──…】

 片目を閉じて一座を見回していた剣身の幻影少女が、突如として、凍りついた。

(えッ!! えええ!? ええええええーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!)

 しぃ。どういう訳か、殺陣師盥はウィンクしながら唇に指を当てた。

「どうしたのよリウシン。急に黙って」

【い、いえ! ありませんわ、ななっなんでもありませんわ……!!】

「というかいつまでハシャいでんでたテメぇら! さっさと合流地点へ行くぞ!!」

 火渡の一喝で走り始める戦士たち。だがミッドナイトの震えはリウシンという中国剣に伝わり続けた。

(ああ、ありえませんわ。ど、どうして『あの方が』ココに!? てかこれじゃ、これじゃ……

色んな戦いの前提が…………根底から覆されちゃいますわーーー!!)

.

..


...

.

..

 犬飼倫太郎は武藤カズキを憎んでいる。再殺などもうとっくに終わった出来事なのに、いまだに旧称であるヴィクターVで
認識し、引き攣った感情の火の手の眼鏡で眺めている。

 妬みも、ある。

 再殺の流れの中、彼どころかその随伴の新米戦士の機転によって逆転され重傷を負った犬飼は、一度は潔く敗死を選ぼ
うとした。だが『ヴィクターV』の慈悲によって命をつなぐ手段を得てしまった。取り上げられていた犬飼の核鉄が、止血の手段
が、緊急手術が必要なほど夥しく出血する青年に……あろうことかターゲットである『ヴィクターV』の手によって返されたのだ。

 劣等感ゆえのプライドを鎧(よろ)わずには居られない人種は確かにいて、慈悲は罵詈より屈辱だ。優しさを哀れみとしか
解釈できなかった犬飼は、言った。

──「負け犬扱いされるくれいなら、死んだ方がマシだ!」

 だが『ヴィクターV』は言った。犬飼にとっては人に害を成す化物に過ぎなかった彼が、武装錬金を指定し、言った。

『コレは化物を斃すための力で……人を守る力』

だと。

 脆弱な誇負持つ者にとって『下』からの説教ほど憎態なものもない。激しい出血のなか犬飼が核鉄を手にしたのは、敗死を
やめたのは、ひとえに復讐のためだった。いつか『ヴィクターV』を斃し溜飲を下げるのだと……涙ながら今生に留まった。

 形式だけ見れば『ヴィクターV』は犬飼を心身から救った恩人だ。恩人が、自分には出来ない偉業を、ヴィクター追放を
成したのならば、常人は祝し、救われた命を恩義のため正しく使おうと決意する。

 奇兵の裡に眠る、ごく普通の劣等感に悩む青年の……『常人』の部位は『ヴィクターV』を思うたび疼く。犬飼本人は認め
たくないが、拾われた命をどう使うかという点を……悩ませる。

(仮にアイツが月から帰って来たとして、ボクが今さらアイツを斃して、それで……どうなる? 白い核鉄のプロジェクトは戦団
でだって始まってるんだぞ。ヴィクターを月に追放し最早人類に対し害意なしと証明された『ヴィクターV』をボクが斃して……
周囲(まわり)は見事と……認める、か?)

 そこを考えると、復讐の気炎は弱まってしまう。火渡なら、7年前があるからこそ才能の証明に未練を持つ火渡であるなら
殺害そのものが実力の証明だとばかり邁進するだろう。が、犬飼は劣等感ゆえに承認を求めている。ヴィクターV殺害という
難事業を果たせたとしても、それが成せた自分という事実そのものには満足できず、人に、誰かに、認められて喝采されねば
自分を肯定できない弱さを……持っている。

 ではどうすれば、いい? ……などという葛藤から納得ゆく結論を導けた人間など結局のところ居はしない。そも葛藤とは
「どうすればやり抜けるか」ではなく「どうすればやらずに済むか」を考える作業ではないか。正答などとっくに見えているのに、
実現に欠かせぬ作業から湧き上がる、辛さや、面子へのダメージに、耐えられそうにないから、周囲に責められず嘲られず
で鮮やかにひける、それでいて正答以上の成果を一粒の汗も流さず得られる魔法のような手段を求めては、そんな馬鹿げた
うまい話が許される訳もないこの世の法理に頭を抱えるだけの、無為な作業ではないか。

 犬飼は結局、自分がどうすれば納得できるか分かっている。だがそれをやってしまうと、屈辱を与えてきたヴィクターVを
肯定するほかなくなってしまうから、だからあれこれと理屈をつけて……渋っている。

(アイツですら…………ヴィクターから地球を救えたのに。戦団総がかりでどうにもできなかったヴィクターを………………
追放、できたのに……)

 ヴィクターVを怪物と蔑んでいる自分が、その実なにも果たせていない割り切れなさを犬飼はヴィクターVが……武藤カ
ズキが月に消えてからずっとずっと……抱えている。

.

..

 木星の幹部・イオイソゴ=キシャクはかねてより捜していたメルスティーンに追いついた後、それまで同伴していた金星
(グレイズィング)を彼のもとに残し、単身追撃に移っていた。
 追うべきはむろん犬飼倫太郎と円山円である。

(ひひっ。奴等は精強きわまる戦士どもを盟主様のもとへ呼び込む伝令……。ゆえに本隊との合流は絶対阻止! 集結の
地に駆け込ませるなどあってはならん!)

 主君はむしろ増援を望んでいるのは当然知っているイオイソゴだが、家臣の常、ゆるしてはならぬと考える。

(一見無敵な特性合一なれど一芸きわまる武辺者厖(いりま)じる乱戦となれば事故の可能性は、出る! そも盟主様ご
本人が自壊を求められておるのじゃ! 戦士どもにいま所在を掴まれてはならん。限局とはいえ死びとさえ黄泉がえらせ
るぐれいじんぐをつけたが故、姑(しば)らくは息災と思うが、一度あじとを出奔なされた身、連れ帰るまで相当の時間がか
かるじゃろう! よって所在を掴まれる訳にはいかん掴ませる訳にはいかん……!)

 イオイソゴとは、見た目7〜8歳の少女である。すみれ色のポニーテールの根元に、フェレットの飾りのついたかんざしを
差している愛らしい顔立ちの、黒ブレザーの少女である。人前ではとかくころころとよく笑う無垢な性分だが、そのじつ600
年近く生きている老獪な忍びであり、坂口照星救出に先駆けて行われた銀成市における戦士とレティクルの小競り合いで
は、津村斗貴子と早坂秋水にほぼ同格のホムンクルス2体(3人)を加えた一個小隊をたった1人で手玉に取り、一時は
あわや壊滅というところまで追い込んだ。

 そんな彼女だから、盟主どの合流直後すぐ、犬飼たちの存在と目論みと足取りに気付き、間髪居れず追跡に移った。

(きらーれいびーずに乗って逃げたようじゃが無駄なこと! 四足の武装錬金で森をば駆ければ──…)

 足跡は、残る。あとはそれを辿るだけだった。

 既に5分ずっと木々の間を茫洋たる鴉のような残影で飛びまわっているイオイソゴの速度は、速い。身体能力の結果では
ない。武装錬金の特性ゆえだ。

(加速)

 指を弾く。彼方の木は鋲のような物がスコっとめり込んだ瞬間くろぐろと溶ける。イオイソゴの体は……首から上と右手以外
どろどろとした不定形に融解している体は、そこめがけ強烈に引かれ速度を上げる。
 秘密は、磁力にあった。イオイソゴの武装錬金・ハッピーアイスクリームは打ち込んだものをたとえ我が身であっても磁性
流体へと変貌させるのだ。
『耆著(きしゃく)』という、忍びが水に浮かべて使う舟形の方位磁石は原型が原型ゆえに磁力を帯びており、で、あるが故に
四肢が伸びきらぬうち成長が止まった小柄な少女をして全速力の軍用犬との距離を縮ませているのだ。あらかじめ耆著を
打ち込んでおいた前方の木へと引かれ……すれ違い様に己が極を反転! 弾かれて加速して、撃ってまた引かれる繰り
返しが限りない加速を生んでいる。

(見えた! 犬飼倫太郎と円山円!!)

 風を食うイオイソゴは遠巻きであるが確かに見た。軍用犬に乗って駆け去りつつある2人を。

(ひひっ。直接戦って負ける相手ではないという自負こそあるが、いまの肝腎はあくまで伝令の可否……。わしの存在を
知ったが最後、奴らのうち片方は必ずや足止めに徹するじゃろう。よって姿を現してやる必要などない。つまり今わしが取
るべき最尤の手は)

 黯々(くろぐろ)と、笑う。

(暗殺……)

 体を戻し、手近な太い枝の上に直立した少女はその衝撃で上の梢が細かな青葉を何枚もひらひらと落とすなか右腕を伸
ばし……耆著をいつでも弾ける体勢をとる。

(彼我の距離およそ300めーとる。……何もなければこの距離からでも順々に脳天をば狙撃して密殺できるのじゃが……)

 ま、警戒ぐらいするわの……微苦笑をたたえるどんぐり眼に映るのは、無数の風船であった。

(彼奴らめ。疾駆する軍用犬の背後に”ばぶるけいじ”を密集させておる…………!)

 なぜか一瞬だけ下を見たイオイソゴは「……ニタリ」と笑った。地面に刻まれていたのは”軍用犬の足跡のみ”である。

(ひひっ。およそ察したわ連中の考え)

 視線は再び、前方かなたへ。

 球が集まる都合上、隙間じたいはあるにはある。だが風船ゆえにゆらゆらと揺れてもいる。300mから徐々に離れつつあ
る彼らを、不規則に揺らめく風船の間を縫って撃ち抜かんとするのはリスクが高い。もし外れた場合、狙撃に気付かれ速度
をあげられる。

(奴らが目指す合流地点とやらは……ま、廃村じゃな。ここらの地形的に。距離は……奴らからあと1きろめーとるといった
ところか。迂闊に察知されれば奴らめは死力を尽くし逃げる。合流する。盟主さまの所在を……暴露する)

 犬飼たちが駆け込んでも本隊ごと斃せばいい……というのは火渡のような広域殲滅型でも無い限り描いてはならぬ考えだ。

(こと駆け引きにおいては双(なら)ぶ者なしと自負しておるわしじゃが、10名以上相手どれば必ずどこかで綻びを突かれ敗北
する。まして本隊は記録保持者十数人をも含む精強揃い……。『磁力』や『えねるぎー攻撃』といった相性でわしに勝る能力の
持ち主どもすら或いは、おる)

 盟主にこそ忠誠を誓っているイオイソゴだが、無理に死を賭してまで彼の所在を隠匿しようとは思わない。

(ひひっ。わしが戦う理由は鳩尾無銘……。きゃつを喰うまで死ねるかよ)

 ホムンクルス幼体を埋め込まれた胚児を食したいというおぞましい欲求で彼を生誕せしめたのが10年前。
 以来ずっと探し続けていた無銘の片腕を彼自身の奇策によって食してまだ6時間も経っていない。
 ホムンクルスなれどまろやかな、男児の肉のトロトロっした舌触りや唾液による溶け具合を思い返すたび涎が止まらぬ
イオイソゴだから、彼のおらぬ戦団本隊相手に大立ち回りの死闘を繰り広げるつまりは……無い。

(じゃから犬飼どもは合流前に、叩く!!)

 後方を風船で覆われているため狙撃での殺害は不可能な、彼ら。
 さればと軍用犬の足に照準を定めかけたイオイソゴであったが、そちらにも風船は、充満している。

(ひひ、やりおるわ。足すら奪えぬ以上……近づく他なくなった……!)

 イオイソゴは再び溶け、静かに加速する。犬飼たちに追いつき、伝令を、阻むために。

(今回は銀成における不殺の足止めとは違う……! 本気の戦闘、相手を殺していいという)

(わしの、本領よ!!)

.

..

「断言する。不意の遭遇戦さえなければ、ボクたちが次に出会う幹部は……決まっている。追ってくるのは──…」

「木星の、幹部だ」

 遡るコト7分17秒前、犬飼にそう告げられた円山は、男性なのが信じられないほど長い睫毛をはしはしとさせた。さまざま
なコトが意外、だったのだ。

「根拠は? あなたも銀成市のドンパチは聞いてるから知ってると思うけど、火星の幹部って鳥型よね? 機動力的には
そっちの方が追撃に向いてるんじゃないの?」

 混ぜかえす見た目美女の男性に、眼鏡をかけた卑屈気味な大学生風の青年は、「そっちは不意の遭遇戦の率のが高い」
と言い切った。

「……アナタにしては珍しく自信たっぷりねえ。てか……何に対して怒ってるの?」
「そこは関係ないだろ! いいから聞け! お前に早くバブルケイジを出して貰わないと進まないんだよ!」
「まあいいけど」。円山は不承不承、武装錬金を……発動し、後方に撒いた。

「で、どうして木星が追ってくるって断言できるの?」
「戦団が合流前に叩かれ始めているからだ。お前も見ただろ。火渡戦士長の火球と、サップドーラーの竜巻を含んだ雪崩
がまったく別な場所で上がるのを」
「見たけど、なんでそれが木星と……? というかコッチが合流する前に叩くってそれ、どんな共同体でも思いつくコトでしょ?
予め、前から、大戦士長救出部隊が集結し始めたら合流前叩くってレティクルはそう、決めていたんじゃないの?」
 順を追って言う。犬飼は、注げた。
「もしアイツらが各個撃破を重視しているなら、銀成で戦士たちを殺してただろ」
「ア……」
 円山は気付く。斗貴子でさえ苦戦する幹部が7人も居たのに関わらず、例えば剛太や桜花のような”殺しやすい”戦士ですら
見逃され、生存している事実に。犬飼は息を吸い、やや早口で説明し始めた。
「アイツらの目的はどうも戦団の破壊そのものには無さそうだ。『器』がどうとか言ってたらしいし、何か厄介な存在を生むために
大きな戦いを欲しているフシがある」
「……つまり、戦団を合流させてから叩きたかった…………? でもそれ現状(いま)と矛盾するわよね」
 盟主のせいさ。盟主が目論みを狂わせたと犬飼は断言する。
「幹部たちが合流前の戦団を各個撃破しにかかっているのは……ついでというか、カモフラージュだ。本命は盟主の捜索。
盟主を捜しているのを悟られないために、盟主が予想外の単身出撃をやらかしてしまったのを悟られないために、戦士た
ちを攻撃し、いかにも合流前叩くという当たり前の最善手を取っているよう……見せかけてるんだ」
「……。あー。確かに私たちもいきなり盟主が出てくるなんて思いもしてなかったもんね。そういえばレティクルにはあらゆる
傷をたちどころに治すっていう金星の幹部が居るけど……」
「もし盟主の出撃が予定どおりだっていうなら、奴らは絶対、そいつを随伴させた。でも盟主は1人だったから」
「向こうもまさか初っ端から1人で出て行かれるとは……思ってなかった」
 ああ。犬飼は頷き、眼鏡の奥の瞳を光らせ、ここからが追跡者の予想の根拠と前置きし、言う。
「盟主が、トップが予想外に不在になったら、誰かが代わりに舵を取る。決戦前、だからね。そして銀成からの報告を、毒島
が万が一幹部どもと遭遇した場合の参考にと送ってくれたレポートと付き合わせると……」
「いかにも老獪だった木星、と。確かに彼女なら各個撃破と盟主の捜索を同時にやれるよう指示するわね」
「で、アイツなら咄嗟に伝令の遮断も思いつき、それは自分に一任するよう言いつける」
「盟主を闇雲に捜しつつ、戦士にも攻撃しなきゃいけない他の幹部たちと違って、戦歴500年らしい忍びの木星だから、
盟主の追跡はかなりの精度、見つけるとすればまず自分って思いはあるでしょうし、なら発見からの伝令追跡も自分だろう
と考える。任意車……だったかしら。忍法を使えば分身できて、『盟主を慰撫工作しつつ』、『追跡も』できるし」
 ここまで器用な芸当、他の幹部じゃ無理よね、という円山の問いかけに犬飼も頷く。
「下っ端丸出しの冥王星じゃ不安だし、海王星は1人に激発するともう1人の動向が目に入らなくなり……逃げられる。、天
王星と土星、あと今はレティクルに与しているらしいムーンフェイスは掴み辛い奴だから、木星の方も疑うんじゃないかな、
盟主を売りかねないって」
「月といえば、月を関する幹部は手足がないらしいから追撃には不向き、金星は前述どおり盟主に随伴しなきゃだから、こ
れまた除外。……アレ? じゃあ水星は? 音楽隊リーダーをどこかに飛ばしたらしい空間操作を私たちに使えば、伝令遮断
なんて一発なんじゃ……?」
「いやそれが出来るなら盟主にこそ使うべきだろ」
「特性破壊があるのに? 脱出されるかも知れない盟主の方を閉じ込めにかかるより、一度かかれば絶対出れない私たちの
方を捕まえた方が確実だと思うけど?」
 あ、という顔を犬飼はした。(さすがにそこまでの予想は無理だったようね)。円山は呆れたが、
「逢ったコトあるっていう音楽隊の鐶の話じゃ、水星は怠け者のようだし、遠方まで進んでくる可能性は低いかもね」
 とフォローする。
「それよりも問題は火星よね? アイツは水星とは逆で凄まじく攻撃的。木星が『自分以外は伝令に手を出すな』と厳命して
いたとしても」
「……逆らうかもな。自分の力を誇示したい奴ほど、命令とか、最善手に笑って逆らうから……」
 かくいう犬飼自身、夏の再殺では、ヴィクターV武藤カズキを見つけるや戦団に連絡1つせず攻撃している。普通の組織人
であれば索敵にしか長けていない己が身上を弁え、戦闘専門の同僚にバトンタッチするべきなのに、だ。
「火星と不意の遭遇戦するかもってのは、そこからだよ。正直、出くわしたくないぞこっちは……」
「シルバースキンさえ分解しちゃったっていうもんね、彼……」
 超絶火力で、かつ残虐という火星(ディプレス)を2人はつくづくと恐れた。
「一番怖いのは、ボクたちを発見するや鳥型ゆえの高速で突撃! 分解能力で不意打ちして瞬殺……だから」
「なるほど。バブルケイジ、後ろだけじゃなく上と左右にも配置した方が良さそうね」
 アヒアヒ言いながら持ち場へ動いていく風船爆弾に、お前だいぶ出血したのに冴えてるな……犬飼は驚いた。
「だがまあ、そうだ。抑止力になる。『身長を吹き飛ばす』風船爆弾が、ブ厚い層を作ってボクたちを守っていたら、ディプレス
とかいう火星は突撃していいかどうか……迷う」
「そうね。だって彼、私と一戦交えたコトないもの。私のバブルケイジは『触れた者の身長を吹き飛ばす』。対する火星の武
装錬金は『触れたものを分解する』。でも話じゃボールペン程度の大きさしかないのよね」
「そんなものが『15cm』吹き飛ばす風船爆弾と接触したら……どうなるか? 答えはやってみるまで分からない。分解前に
火星の武装錬金が消滅する可能性だってあるし、火星の幹部だってそれは描く。『だとすれば、自分はノーガードでバブル
ケイジの群れに突っ込んでいってしまうんじゃないか』『カウンターで身長総て吹き飛ばされ死ぬんじゃないか……』とも」
「つまり……結果どうなるかはともかく、危惧させて牽制して、迂闊に飛び込めなくするのね火星の幹部を、バブルケイジで」
「ああ。遭遇後すぐの即死さえなければ逃げられる可能性は少しだけど残る。相手が、木星(ほんめい)だったとしても」

.

(狙撃による暗殺は避けれる……か。ひひっ。ようも少ない手札でわしとでぃぷれす両名への最善手を組み立てた!)

.

 耆著の磁力ゆえに足が速く、老獪の冷静ゆえに足を掬われぬ自分がレティクルで最も伝令阻止に最適だと自認するイオ
イソゴだから、上記の理由で予測を合致させた犬飼たちの判断を見事だと内心で喝采する。

 密やかに木々を抜けたイオイソゴ。先ほどの300mの相対距離を縮めきるだけでは飽き足らず、犬飼たちをも静かに
抜き去っている。佇んでいる場所をX軸で述べるのなら、潰すべき伝令たちの前方およそ50mの座標であろう。

 Y軸で、述べるなら──…

 鬱蒼を極める物質に囲まれながら、イオイソゴは思索を重ねる。

(狙うは1つ)

((一撃必殺!!))

 奇しくも結論は犬飼と円山のそれと一致したものだった。

(木星の幹部の最善手は『戦闘さえ起こさずボクたちを殺す』!)
(銀成で早坂秋水に出し抜かれた彼女だからこそ、同じ轍は踏まぬと決めてるでしょうね!)

『戦闘』となれば会話が生じ、会話によってイオイソゴは伝令を見過ごすポカを……やりかねない。

(それはわしが一番よくわかっていること! かの鳩尾無銘がむざむざわしに片腕を喰わせたのは奴への食欲をして判断
を狂わせるため!)
(そしてボクは大戦士長が誘拐された正にその当日、偶然とはいえ鳩尾無銘をレイビーズ用の犬笛で呼び寄せている!)
(それは土壇場でのカードになりうる! 『お前が食べたくて仕方ないアイツをボクは呼べる、生かしておいた方が得だよ』と
かいった申し出で)
(わしを迷わせ、円山を本隊へ合流させるまでの時間稼ぎをするのは……可能! ひひっ、正直それをやられれば本気で
隙をば作ってしまうからの! じゃから!)

 一撃必殺。最大火力で戦闘すら経ず犬飼・円山両名を葬ってしまうのが、良い。

(それを警戒しているから連中は前方以外総てを”ばぶるけいじ”で覆っているのじゃ。正確にいえば正に泡の如く出しては
消しての繰り返しよ。術者から一定距離離れたものをわざわざ消しておるのはかの風船爆弾が高速では飛べぬ故……。
遁走する自動人形に騎(の)りつつ周囲に展開しているのは……そういう機(からくり)よ)

 かくて充満させたバブルケイジにて。

 イオイソゴの遠方からの一撃必殺を防ぐ。
 イオイソゴの、背後を始めとする死角から接近しての一撃必殺を防ぐ。コンセプトは単純だ。

(じゃが……ひひっ)。童女の見た目に不釣合いな、貫禄ある顎の撫で方をしながらイオイソゴ、無数の葉の間から犬飼たち
をしげしげ眺める。ここは森……葉の間から敵を見るのは、容易い。

(前だけ開けておるのが気になるの。前方に風船爆弾を配置していないのが気になる)

 弾が尽きているのかとも考えたが、

(泡の如く出しては消してを繰り返している以上、円山めはもはや精神力の磨耗など慮外も慮外。恐らく相当な疲弊じゃろ
うが、伝令を成し遂げさえすれば治療は受けられる……。でぃぷれすめに瞬殺される万一に備えているのもあろう……)

 老獪なるくの一の戦略意思決定において重要なのはしかし製造方法ではない。相手の、打ち筋だ。

(あの方法なれば前方にも風船を配せる筈ぞ。じゃが……しておらん。視界確保のため? いや。でぃぷれすめを仮想敵と
奠(さだ)めておる以上、『前から超高速でこられた場合、見えていても対処がおいつかず……即死』という筋書きぐらい奴ら
も描いたはず)

 ライオットシールドや溶接のマスクの如く、最低限の覗き窓だけ残してあとは前方一面風船で……というのがもっとも安全の
筈なのに……犬飼たちはしていない。イオイソゴはそこが引っ掛かった。

(ひひっ。こういういかにも手薄な箇所というのは痛烈な火線を集めるための路(みち)……なのじゃよ)

(そう! 空けているのは──…)
(わざとだ! こちらから木星の幹部が来ればボクたちも彼女を……)

 一撃必殺できる……策があるとイオイソゴは看過する。

(決め手となるのは恐らく剣持真希士の核鉄! 銀成の戦士どもと鐶光めが戦う少し前、犬飼に貸与され我らがあじとを
割り出す決め手となったLII(52)の核鉄! ……そう、奴らはそれ含め今『3個』核鉄を所持しておる!)

 それ即ちどちらかがダブル武装錬金可能という、事実。

(そして!)

 幼い老婆は思い出す。これまで追い続けてきた軍用犬の足跡の傍のどれもに、血が一滴たりと寄り添っていなかった
という事実を。

(盟主さまに重傷を負わされた円山が、止血に当てるべき核鉄をただ風船爆弾と変じているだけであれば、血は止め処な
く流れ落ち軍用犬の足跡を彩っていた筈! にも関わらず『なかった』ということは……ひひっ、普通に考えればこれはもう
確定、じゃろうな。LII(52)の核鉄で止血しておると。止血がてらダブル武装錬金発動できるよう……備えておると)

 かかれ、乗って来い。犬飼は祈るような気持ちで正面を、見据える。

(『切り札』なら一撃必殺できるんだ。木星の幹部は津村斗貴子たち5人を相手取ってほぼ勝ちかけていた相手なんだ。
一撃必殺で葬らない限り……ボクたちは絶対、殺される……!)

 彼と、隠れ潜むイオイソゴとの距離残り……21m。

(うぃる坊から聞いたことがある)

 武装錬金やその特性は、時系列によって変わると。

(鐶めの年齢操作の短剣がいい例よ。あれは時系列によって楯山千歳や鈴木震洋の物だったという)

 バブルケイジの特性もまた、変わる。

(このわしを一撃必殺せんと目論むならまずそれを織り込むじゃろうな。ま、あくまで、わしが前方から攻める場合は、じゃが)
(……。後方からの奇襲は絶対にないと言い切れる。狙撃は絶対阻んで割れる。だからこそ、木星が、風船同士のわずかな
隙間から、磁性流体化のゲル状態ですり抜けて奇襲って可能性もあるけど)

 その場合、円山は破裂の風でビリヤードの如く玉突き衝突する風船の運動で、隙間を埋め、イオイソゴに接触させる算段!

(あの幹部は150cm足らず。10発着弾すれば消滅は免れない)

 円山の眼前に広がる風船爆弾は60超。前方以外から直接こられた場合、まず消せる。

(磁性流体化でこの身をば引き伸ばし身長を高める手段もあるにはあるが、ひひっ、それでは機動性が失われる)

 一撃必殺をしくじった場合ただちに開始される追撃戦においてそれは絶対の不利である。

(何より敵は盟主さま相手に密着の連射を習得したばかり……。注視しておる後方からの接近はちと”りすく”が高いかの。
何よりばぶるけいじの基準とする身長が『磁性流体化前の』物であったら、機動性そこなわぬ身長をば保持しても無駄なこと……)

 彼我の距離、残り、4m。鬱蒼と広がる森の枝を、鮮やかな緑とくすんだオレンジ色の落ち葉たちを、血眼で監視する犬飼。

(どこから来る……? 枝の上? それとも溶けられるっていうから……地中から?)
「どちらでもないよ」

 どこからかの声に、

(なっ)

 風船の隙間からぼこぼこと滑り込んでくる漆黒の粘塊に円山は息を呑んだ。

(し、身長を吹き飛ばされるのが分かっているのに、敢えて!? まさか自分以外の溶かした何か!? それとも分身!)

 だが本体だった場合、千載一遇の勝機を逃す。円山は風船を破裂させるほか無かった。
 果たして風船の隙間で沸騰していたドス黒い肉片のようなものは消し飛んだ。

(けど! 敢えてダミーで風船爆弾を全滅させ、ガラ開きになったところを──…)

 衝く、という可能性も想定済みの円山だから再配備は、早い。或いは出しては消しての繰り返しはその練習だったのかも
知れない。ともかく彼の背後は、再び、瞬く間に風船爆弾で埋め尽くされた。

(ひひっ)

 どこかで、イオイソゴ=キシャクは、幼い風貌相応のあどけなさで両目を景気よく不等号に細め──…

 まんまるな拳を、突き上げた。

(いよいよ勝負! 勝負の直前はいつだって、ワクワクするのじゃー!!)

 犬飼の議題は、先ほど背後から奇襲してきたゲル状。

(分身だとするなら!!)

 キっと歯噛みする彼の眼前で、地面が爆ぜ……何かが、来た。

(……木星にしては小さすぎる影!)
(石か何か! 本命のための囮!)

 咄嗟の出来事であったから、犬飼も円山も、わずか7mほど前方の地面から突如として飛びあがってきた”それ”の全体像
は掴めなかった。場所も、悪かった。9月中旬の16時半ごろの心もとない日照が、頭上に繁っている木々によって更に薄暗く
遮られていた。
 ……。
 犬飼と円山は、戦士として、最大の注意を払っていた。わずか数時間前の銀成市における戦いを念頭に、イオイソゴの
武装錬金特性を把握し、老獪さをも念頭に入れ、互いの互いに対する最善手がいかな応酬を生むか、いかに自分たちが
虚を衝かれうるか、10分にも満たぬの撤退戦の中、死力を絞り検討し……対処できるよう、心がけていた。

 彼らの名誉のために言えば、彼らに、油断は、なかった。

 7m先の地面から、地蔵の頭部ほどの『何か』が飛んできた瞬間だって、”それ”が何であろうと、風船爆弾であれば2発も
あれば完全消滅できると判断し、軍用犬で突っ込んでいく中、油断なくイオイソゴの奇襲を警戒しながら、差し向けた円山に、
一切の油断は……なかった。

 飛んできた物の正体を、見るまでは。

 隙とは油断からしか発祥しえぬものではない。戦慄もまた苗床である。

 伝令後発令する策動の流れの果て救出すべき対象の生首が轟然と飛んでくるのを見て戦慄せぬ先遣隊はいない。
 そう。
 7m先の地面から出現し、飛んできたのは──…

 大戦士長・坂口照星の生首だった。

(ばっ!!)
(ダミー!? それともまさか……本物!?)

 一連の流れを救出その一点に収束すべき作戦行動の裡にある円山は、吹き飛ばせるはずの物を吹き飛ばせなかった!
遺骸であるなら問題はないという考えは、銀成の戦いの総てを把握しているからこそ……できなかった! 金星の幹部、
グレイズィング=メディックの武装錬金を行使しうる総角主税(コピーキャット)であれば、或いはどうにかできるのではない
かという期待が……

 これまで最善手を撃ち続けてきた筈の円山から最良の打ち筋を奪ったのだ!!

 果たして円山に衝突する坂口照星!!

 犬飼倫太郎が戦慄したのはおぞましい被弾によって、兼ねてより失血状態の円山が軍用犬から落ち始めたコト……

 ではない。

 減速し落ち行く朋輩を振り返った瞬間、視界の片隅に入った光景である。

 枝が、溶けていた。先ほどからの制動距離を考えるとそれはちょうど、風船爆弾に暗黒色の溶融が潜り込んで来た場所
であり……『照星』は、そこめがけ、弾丸のように引かれているようだった。

(磁力!! さっきの後ろからの奇襲はボクたちを狙ったものじゃなく! 大戦士長……を、あの場所に突撃させるための布石!
無茶な特攻かと迷わせたコトじたい既にミスリード! 真の狙いはこの布石を隠すため……!!)

 円山を突き飛ばして飛翔する上司の、眼窩や、耳鼻や、口から、どろどろとした腐汁にも似た磁性流体が風にたなびき散って
いくのを見た犬飼が吐瀉の誘惑に駆られたのを、生理的に不可避な隙を作ってしまったのを、いったい誰が責められよう。

「ひひっ」

 ちょうど20m×20mの面積だった。犬飼と円山は絶望的なまでに中心だった。

「忍法、虫とり草」

 突如として紫紺に変色し波打った地面があたかも風呂敷の四隅を摘んだように隆起して、先遣隊最後の2人を包囲した。

(あっ)

 と犬飼が呻くころにはもう遅い。磁性流体化した地面はもう彼と円山を包み込んで飲み干した。反射的に犬笛を吹きレイビー
ズに脱出させんとした青年であったが、地面ごと巻き込まれた無数の木々が大嵐を浴びたように倒れこんでくる中では叶わない。
やがて激しく縺れ合い折り重なる木々に円山の髪や犬飼の手が埋もれていき──…

 磁性流体化した地面は四隅をキュっと錐揉んで密封され……緩やかにだが確実なる収縮を始めた。

「貴様たちは貴様たちの武装錬金特性を活かし戦う他ない。正しいよそれは。認めよう」

 災禍を免れた森の木の間から、小柄な少女が影と光の傾斜の中、歩み出た。

「しかしだ。じゃからといってわしまでもがわしの武装錬金特性のみで戦うだろうという前提は……違うよ?」

 頭から落ち葉が舞うところを見ると、どうやら地中に居たらしい少女。

 先の激変からいかな磁力操作で救ったのか。落ちていた坂口照星の生首を苦み走った会心の笑みで拾い上げながら、
歌うように告げる。

「本物じゃ。あじとをでる時、使えると思い切断し……磁性流体化によって携行しておいた。追跡中、ずっとな」
 本来は人質の殺害など、誘拐事件において悪手でしかないが……
「ひひっ、ぐれいじんぐ健在かつ24時間以内であれば蘇生できる以上、何をば吝(おし)む理由ぞある? 『こやつにはまだ
大事な役目もある』……。生き返らせてはやるよ必ず」

 しかし如何な貴様らでもそこまでは臨機で描けなかったろう……くっくっと肩を揺するイオイソゴ。

 勝負を真に制する者は、小競り合いに連勝する者ではない。戦闘の躯幹構造そのものを一変しうる者である。
 幼き忍びは要救助者の死亡という衝撃的事実の製造を以って油断なき犬飼たちの隙を無理やりこじ開けた。
 こじ開けるためだけに、何ら怨みのない坂口照星を斬首してのけたのだ。

(ま……うっすら記憶に残っている父御と似たような声で…………むしろ好き、じゃったがの)

 生首を薄い胸に抱きしめ、愛らしい子供の感傷を浮かべるのが却ってますます惨たらしいイオイソゴは。

 薬師寺天膳という伊賀の忍びの娘である。

「蘇生さえすれば、ヌシはぐれいじんぐが死んだとしても生き続けるよ……? 医者が死んでも患者への治療の成果が消え
ぬように……ばすたばろんの踏み砕いた”びる”が武装解除後も治らぬように……ヌシはちゃんと天命を全うできる」

 でも、痛い思いさせて、すまぬの……。幼い双眸をややくしゃくしゃにして申し訳なさそうに頬を赤らめる木星の幹部。

 だが同時に、速乾した瞳で、こうも、思った。自分が殺した命の重みが胸の中にあるのを忘れたように、思った。

(残るは集結しつつある戦士どもの壊乱よ。ひひっ。『あやつ』に出張ってもらうとしよう)

 そろそろ底も見えておるからのう……冷然たる笑みを浮かべるイオイソゴ。先ほど己でさえ出向けば死は免れないと断言
した本隊であるのに、同輩であるだろう『あやつ』は差し向けようというのである。また殺そうと、いうのである。

.

..

 数分後。合流地点の廃村で、津村斗貴子は眦が裂けんばかりに目を見開いていた。

「馬鹿な……! どうしてお前が…………!」

 火渡赤馬は凶笑しながら炎を出し──…

 合流していた鐶光は、感傷を以って来訪者を、眺めた。
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