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第127話 「対『冥王星』 其の零弐 ──CRAZY NOISY BIZARRE TOWN──」



 戦団上層部についてしばしふれたい。
 このもったいぶった頭脳集団が開戦当初レティクルエレメンツに抱いていた認識は、

 新月村で終わる

 であった。
 認識というがこれは分類上、分析ではなく情緒に属するものであった。10年前壊滅させた共同体が終焉の地たる新月村
に大戦士長坂口照星を捕らえている以上、それは復讐戦争であると上層部は解釈した。復讐戦争である以上、戦団が新
月村に大戦力を差し向ければレティクルも全勢力で応対しやがて決着と相成るだろう……なんとも軍事組織の上流にふさ
わしからぬ平和的な思考であるが、しかし信じられないコトにこれが開戦時における戦団の根幹的な軍事方針であった。
 10年前いちど倒した組織である以上、ヴィクターのような苦戦はないとさえ彼らは考えていた。彼らにとっての『大事』は
あくまで大戦士長・坂口照星の誘拐事件であり、それさえ解決すれば後は10年前同様、新月村で総ての『小事』を殺害可
能だと値踏みしていた。ある上層部などは開戦当時、翌日早朝からの箱根旅行をそのままにしていたという。
 むろん、現実的ではない。戦団はこの当時いまだヴィクターの後遺症に苦しんでいたから、決戦場が新月村に固定されて
いたとしても快勝などはまずなかった。と、言うより、レティクルは戦団の快勝を免れるためヴィクター戦後に蜂起したという
方が正しい。未来から跳躍してきた水星の幹部・ウィル=フォートレスがこの時期つまり2005年晩夏からの再動を見込み
10年がかりで蒐集・整備してきた幹部たちがヴィクターに困憊する戦士たちに惨敗する理由を見出すコトは困難である。
 武藤カズキの不在を狙ったのも戦団にとっては打撃である。彼が居る時期であればリバースやデッド、グレイズィングと
いった来歴に同情すべき点のある幹部はともすれば篭絡されていたかも知れない。ウィルはそれをも危惧したうえで、この
時期の蜂起を選んだ。要するに戦団は主導性の観点からすでにレティクルのオーナーと呼ぶべきウィルに負けていた。

 新月村で終わる。上層部の抱く認識は9月16日午後6時55分の打電によって摧(くだ)かれた。

「我ラ、ミドガルドシュランゲニ乗リ、レティクルノ装甲列車ヲ追撃セシメン。経路ハ地下。幹部ラ本拠ヲ離脱セリ。幹部ラ本
拠ヲ離脱セリ」(原文ママ)

 いうまでもなくアジト急行組の連中のものである。
 この、新月村地下深くから飛んできた電報に上層部は飛びあがった。この恐慌の要因を彼らひとりひとりの(世襲ゆえ実
戦とは縁遠い)個人的形質に求めるコトはもちろん可能だが、あまりに雑則的であるためここでは省く。恐慌の最大公約数
は新月村で終わるという楽観が砕かれたという一点に尽きる。衝撃されたかれらは、こう、考えた。

「レティクルは戦団日本支部を目指しているのではないか」

 奇襲、という訳である。だがこの推測には幾つもの大きな穴があった。確かに関東近郊から瀬戸内海は空戦であれば
奇襲可能な距離ではある。だが陸戦となった場合、日本特有の込み入った地形によって行軍速度が激減し、攻められる
方(この場合は錬金戦団)に迎撃の余裕を与えてしまう。
 しかし何人かの上層部は地形の問題の解消を地下坑道に求めた。
 無意味な知的作業ではあるが、世襲で高禄を食んできた者たちは自身の観念を矯正しない。さすがに神通力が備わって
いるとまでは吹聴しないが、少なくても自身の直感(厳密に言えば第一印象だが)は常に本質を捉えていると喧伝したがる
傾向はある。それがため論理的思考の機能は総て、自身の『直感』を理論武装するコトに費やされる。
 この場合もそうであった。関東近郊から瀬戸内海への奇襲という荒唐無稽にも程がある『直感』を補綴するためだけに
彼らは理屈を編み、弁舌を鋭くした。例の装甲列車が坂口照星誘拐に際し製造した地下鉄区間であれば山河など歯牙に
もかけぬ電撃的速度で進軍可能なのではないのかと何人もの中高年が興奮気味に捲くし立てた。
 むろん、誤謬である。この地下の路線については坂口照星を追って進行した犬飼倫太郎や円山円、戦部厳至たち3名の
追跡部隊が再三、『武装錬金特性ではなく人工によって開発されたものである』と報告している。人工である以上、関東近
郊から瀬戸内海という東海道五十三次よりも更に長い地下空間を敵が兵科土木していると考えるのはまず無理があった。
国家事業ですらまず30年はかかろう。
 真当な参謀であればそれは気付けた。
 人工であるという現場からの報告を総合するだけで簡単に判別できた。人工という迂遠にもほどがある手段で隧道(すい
どう)を製作している以上、敵組織に兵科土木の武装錬金特性はないと言い切れた。すると自動的に、地下の鉄道を使う
列車系武装錬金にもまた進路開拓とは別の特性が装備されているという結論になる。つまり新月村のアジトを放棄したレ
ティクルが地下空間の進行と開拓を同時に為せない以上、瀬戸内海の日本支部を急襲するコトだけはまずないと断言で
きた。
 しかし上層部はこの程度の、弱小国の新米参謀でも容易にできるであろう判断すら(信じ難いコトではあるが)つけられな
かった。これはかれらの頭脳というより姿勢に起因する失策であった。現場からの情報を吸い上げ敵状を掴むという地味
だが重要な作業を行わぬまま行う戦況分析など、目を閉じてデッサンするに等しい愚挙であろう。部下たちの報告に耳を
傾けそして信じるという謙虚さや敬虔さは名家育ちにはまず培えない。
 話はかれらが抱く奇襲の疑惑に戻る。そも奇襲とは戦力に劣る者が企てるものではないか。リバースという、もはや名詞
だけで強大さが鳴り響く少女と同格かそれ以上の幹部をいまだ9名(厳密にはブレイクが離反したため8名であるが、かれ
の個人的な思惑を窺い知るすべなき戦団の主観においては9名と認められるべきであろう)も擁しているレティクルエレメン
ツが予備役と上層部しかいない無防備な戦団日本支部をどうして奇襲しなくてはならないのか。
 そして日本支部には軍事的重要性すらない。上層部はかれらの居る日本支部を首都の王城のように思っているが、しか
し客観世界はそうは解釈していない。何故ならば錬金戦団は武力組織であって国家ではない。どれほどこの組織を良く
修辞したしても、幕府であって朝廷ではない。
 刀槍を以って打ち鳴っていた集団が威光を喪失する瞬間は本拠地を落とされた時ではない。有力な兵員の大多数が壊
滅した瞬間である。言い換えれば銀成市に充満する精鋭たちを全滅と同一視される4割未満にまで減らすコトでしかレティ
クルエレメンツは軍事的勝利を得られない。兵法上、攻めなくていい拠点へ『首都であるから』というだけで主力を差し向け
た軍隊は不思議と滅亡する傾向にある。
 どころか日本支部には策源地としての要素すらない。破壊された瞬間、戦団が補給路を断たれ衰退するというコトはない。
武装錬金主体の組織運営は後述においてさまざまな弊害が浮き彫りにされるが、こと補給路という点においてはあらゆる
軍事組織を上回っている。何故ならば燃料も弾薬も個人の精神的な問題にのみ依存する。そのうえ、寡兵である。大規模
な兵站や補給路が不要な身軽な組織であるのは確かであり、そのため日本支部には策源地足り得ない。せいぜいが役所
か集会所といったところであろう。
 以上のような理由から残存するレティクルエレメンツ全軍が戦団日本支部に押し寄せる必要性はない。田舎の軍師どこ
ろか軍事好きのナードですら分かる簡単すぎる理屈だ。
 だがこういった整合性の対極のような法案を根回しと同調圧力とで制度化してきた所にこそ戦団上層部の自負はある。
 斯様な日本性民主主義の悪弊に彩られた思考法は日露戦争より後の戦争的な──戦争的な。太平洋戦争だけではな
く、震災や震災に付帯する一大危機およびそれに類する未曾有の事態を総称した戦争的な──局面においてしばしば信
じがたい提案を政府の上層から引き出し続けてきたが、2005年9月16日午後6時55分における戦団上層部もまたその
一例であったらしい。やや繰り返しになるが、かれらは打電によって知った現状を、

「新月村勢力は陽動。レティクル本隊は戦団日本支部へ」

 と規定した。
 既に起こっている軍事的行動の意味を、自身の仮定の枠に入るよう規定する……将の将が最もしてはならない行動だが
上層部は迷いもなく断行した。レティクルが陽動により新月村近辺に戦士を集め、がら空きになった戦団日本支部を滅ぼ
しにくるという妄想上の危惧を作戦理念へと編入した。
 危惧から作戦理念を産むコトそれ自体は問題ではない。
 多くの軍事上の作戦は危惧──何もしなければ陣地や街区、領土が損壊または略奪の憂き目に遭うという──危惧によ
って分娩されるものであろう。
 だがその危惧は国家の守護に繋がるものでなければ他日かならず民心を喪うため発出には相当の慎重さが要求され、
危惧それ自体も、諜報・偵察・斥候およびその他の現実的作業によって集積した事実群からの分析的かつ論理的なもの
でなければならない。将の将が自らを守るためだけに立てた師が国家安泰の有効打たりえた事例は古今おそらくないで
あろう。

 現実のこの時点においては幹部ら、関東近郊地下において戦士らの追撃を受けている。敵軍の尻に自軍のおよそ半数
がひっついている状況は陽動ではなく転戦であろう。仮に敵側が陽動を目論んでいたとしても、新月村に向かった戦士ら
のおよそ半数に捕捉された時点でレティクルは目的地の処女雪を好き放題ふみにじれぬ不自由さを得た。怪物から人命
を守る組織においてこれ以上の次善はない。もし仮に目的地が戦団日本支部であったとしても、中村剛太らミドガルドシュ
ランゲの乗員は上層部鏖殺阻止のため死力を尽くしたであろう。
 が、その誠実に見合う指令を下すべき上層部はただただ面食らうばかりであった。転戦という軍隊ならば茶飯事の展開に
すらおぞましい未知を嗅ぎ取り、ちぢみあがった。
 戦団の体質的な問題である。転戦だけではない。軍事集団としてのあらゆる動態の蓄積がそもそも乏しい。この組織は
軍隊というより警察に近しい。数人の戦士を地方に派遣し学校またはそれに準ずる施設を守護せしめるコトが主眼の大部
分である組織は軍隊ではなく警察であろう。警察的であるがゆえに全軍を策動させる軍隊的運用はヴィクター級の脅威が
襲来しないかぎりまず行われず、まず行われないが故に敵勢力の、『軍略』にあわせたマクロレベルでの柔軟かつ敏速な
対応というものは感覚上稀薄である。
(武装錬金という戦力形態もまた軍制の連携を遠ざけた一因ではあるが、本題ではないため今は省く)
 軍事感覚において素人であるにも関わらず戦団上層部は救出作戦に捻出した

『全軍』

 の神通力を疑いもしなかった。ヴィクターにはあわや壊滅寸前にまで追い詰められたにも関わらず、である。
 全勢力がたった1人の変異種に勝てなかったにも関わらず、その”おかしさ”の点検と分析を戦団上層部はこの1ヶ月半
いっさい行ってはこなかった。数で上回りながら戦勝できなかった組織というものは必ずといっていいほどその体質に何か
宿痾(しゅくあ)というべき致命的な欠陥を抱えているものだが、しかし上層部は実務上の改革は何一つ確約しなかった。
確約しないまま突入した対レティクル戦において──むかし倒した組織であるのも手伝い──『全軍』の威容を妄信した
結果開戦当初くだした判断こそ

 新月村で終わる。

 であった。対レティクルにおいてはここが関ヶ原になるという戦国時代さながらの観念すら上層部には散見できたという。
 心理的な贔屓目であろう。これまで共同体を壊滅してきた一騎当千の戦士たちを大多数集結させ各地をガラ空きにする
非常とリスクを冒す以上はそれに釣り合う短時間での圧勝が転がり込んでくるのは当然と言う極めて人間的な(しかし将の
将が会戦時に有すべき心構えとはまったく真逆の)願望が現代に有りえべからぬ骨董的な合戦の夢想を上層部らの思考
回路に点綴させた。
 が、レティクルは策を弄した。そもそも坂口照星誘拐はかれの殺害ではなくかれを新月村に足止めするためのものであっ
た。銀成におけるかれの指揮を封じるためだけに誘拐は実行された。同時に、総角主税の複製能力を封じるという10年前
以来ずっとレティクルが抱えている宿命的な懸案の解決も照星誘拐に織り込んだ。『敢えて洗脳解除にワダチを使わせ、ブ
レイクの禁止能力を以ってワダチ以外の使用を禁じる』。能力発動それ自体を禁じなかったのは総角の闘争エネルギー噴
出を惜しんだが故か。そのあたりは不明だがワダチのみの使用にはメリットが多い。
 レティクル側には特性破壊を使われるリスクが残ったが、ワダチの使用制限時間と総角の肉体を費消できるというリター
ンも残った。盟主のクローンである総角がワダチを使った場合認識票は自動的にかれの肉体を媒介に大刀を使う。そのた
め総角は特性破壊をするたび肉体を喪う。回復不能の消耗を負う。負えば負うほど盟主との戦いが不利になる。つまり、
レティクルが有利になる。
 複製能力の使用全般の禁止であればこうはいかない。ワダチの使用時間は温存される。『他の能力は一切使えないが、
特性破壊は使用可能』というのがレティクル的には絶妙だった。総角ご自慢の剣技のみでは突破できない幹部戦にかれを
投入すれば、焦りからワダチに縋るだろうと期待した。

 照星の指揮。総角の大刀。これらに掣肘を課すため敢えてレティクルは最終決戦地ではない新月村を大戦士長救出作
戦の場所に指定した。指定し、本来の目的地たる銀成へヌケヌケしたり顔で移動した。
 軍略としては大味な部類であろう。なにしろこの日の昼まで幹部のうち9割は銀成に居た。市境封鎖の下見が必要だっ
たクライマックスと媒介狙撃の拠点整備が要請されるデッド、それからマレフィックアースの器探しを帯びていたイオイソゴ
以外の6名はまず冥月木に釣られただけの物見遊山といえた。
 物見遊山のうち戦死者(リバース)以外の者らが銀成から新月村へと戻ったあと再び銀成に戻った事実にはまったく無駄
が満ちている。
 しかも幹部らは照星足止めと総角封じ以外の事象にはまったく無頓着でもあった。たとえば廃屋地帯周辺に無限増援を
埋伏させておき、リバース戦後それをぶつけ津村斗貴子以下の主要戦力を確実に殲滅させるといった入念さをレティクル
は持たなかった。アジト急行組による装甲列車追跡を許したのも慢心といえるだろう。リバースと同等以上の幹部が8名
残存しているのであれば防ぎようなど幾らでもあった。金星の無限にも等しい回復能力で他1名の激甚たる殺傷能力を
下支えするだけで難攻不落は実現できた。
 要するにレティクルの作戦立案能力は戦団上層部より”まし”ではあるが、2つ3つの出し抜きがそこそこの完成度に達
した瞬間あとは力押し位押しで大丈夫だろうと思考を停める飽きっぽさに彩られてもいる。
 戦歴500年の慎重なイオイソゴですらその傾向はある。もっとも彼女の場合は『ひひっ。細部末端までガチガチに決めた
策謀ほどわずかな手違いで崩れるものよ。策なるものは2つ3つの骨子さえ厳守できておれば何とかなるよ。あとは流動、流
動』という経験ゆえの実戦的なファジーだ。
 が、他の幹部でこの趣旨を正しく理解できているのはウィルとデッド、ブレイクぐらいでしかない。あとは大味で適当の行
き当たりばったりである。もっとも幹部らはそれでも充分強いが。

 力だけが取り柄な連中の気の抜けた策にまんまとかかった戦団上層部こそいい面の皮であろう。
 体系だった戦争理論を身の裡に持つ者が見れば双方ともあまり上質な策の打ち合いといえないと評するであろうが、少
なくてもレティクル側、思考の息吹はある。
 戦争は人類にさまざまな化学反応を発生させるが、その最たる例は卑賤の者らほど頭脳が活発になる事象であろう。レ
ティクルは脱漏多きとはいえ策を練った。策を練られなかった幹部ですら(最終的にはゴリ押しへと舵を切りこそしたが)
『策』が理念や思考の達成に不可欠であるという部分は理解し、自らが考えうる行いうる貢献のうち最大のものは行った。
 やれば栄達できると言われた卑賤の素直さと集中力は、物凄い。暗所で不遇を囲ってきたからこそ、蜘蛛の糸を掴むた
めの思考力には鬼気迫るものがある。

 貴賓はこの点、逆である。なぜならばかれらの栄達は戦果の大小ではなく任期の長短で決定される。問題を起こすコト
なく一定期間ごとの選挙に勝ってさえいれば誰でもいつか古参長老の顔ができるという、過疎化した匿名掲示板の保守作
業のような命運の繋ぎ方が正道である以上、貴賓は民草のため敢えて火中の栗を拾うという習慣を持たない。で、あるが
ためかれらが真実の意味での解決能力を有する事例はまずまず稀有といっていい。

 打電の途絶えた午後6時55分から午後8時41分まで腹の出た中高年どもは際限なく不安を膨張させ続けた。いつ幹部
らの装甲列車が突入してくるかと気を揉んだり、日本支部に残留する戦士らを意味もなく緊急召集したりもしたりと落ち着き
なく活動した。だが召集されたのは所詮、救出作戦の選に漏れた者たちである。決して無能ではなく、核鉄を支給されてい
る者の中には警察的任務であれば強者たりうる人材もかなりの数、居はしたが、軍事においては戦闘能力強大とは言い
がたかった。それらが臨時の警備である。上層部らは大腸をぐるぐるさせた。夜中に遠方の親族の搬送の続報を待つよう
なジリジリした黒い熱が全身に回り、火照った。

 この間、戦況にほとんど動きはない。強いて言うなら装甲列車追撃中に振り落とされた戦士らに合流の動きがあった位
か。彼らは各所で合流し、徒歩にて地下トンネルからの脱出を計りつつあった。
 代表例は新月村近辺における夢野れもんら13人であろう。手榴弾のような、地下トンネル⇔地上への直通を目論めば
逆に崩落起こしかねぬ火力の武装錬金を持つ戦士らは、トンネルを逆戻りしながら、1人、また1人と合流しつつアジトの
地下へと抜け出した。もちろん例のホームは例の巨大衛生兵が崩落させた機材によってほぼ埋め尽くされていた。夢野た
ちは破片や鉄骨入り混じる瓦礫をどうにかどけて例の隠し通路を逆走、地上へと出たあと激しく争う破壊男爵と巨大衛生兵
の足元をそそくさと通り抜け、森を回り、ヘリを探した。ヘリは戦士が新月村近辺への集結に使った非武装錬金の兵器で
ある。そのため乗り捨てられている物が多かったが、さすがに量産型男爵の闊歩や鐶・リバースの姉妹喧嘩──広域に渡
って被害の出た──の後では全機無事にとはいかず、捜索は難渋した。
 ようやく見つけた無事なもので彼女らは銀成へと急行したが──…

 デッド=クラスターの核鉄媒介によって13名全員死亡。

 不運としか言いようが無い。ただし同様の後続はこのあと何波かに分けて銀成内へと到達する。
 7年越しの策謀を企てたさしもの月もミドガルドシュランゲ追撃戦における「脱落者」までは打尽の一網に加えられなかった
のだ。

 上層部の恐怖の質は午後8時41分以降、違ったものへとなっていく。

「我ラ銀成市地上ニ到達セリ。レティクルノ目的ハ銀成決戦。繰リ返ス、レティクルノ目的ハ銀成決戦」(原文ママ)

 最初上層部は安堵した。歓声をあげた者さえあった。人命を預かる組織の上層部が、人命を蝕む組織の幹部集団が市
街地に上陸したコトを喜ぶのは人道上かなりの問題があるといえなくもないが(歓声の意味を知った戦士らの大半は苦い
カオをした)、とにかく彼らは狙いが日本支部でなくなったという事実に開放性の吐息をついた。午後6時55分の打電以来
ずっと全身を蝕んでいた黒い火照りを解熱した。

 かれらの頭脳は純朴であった。かれらの想像しうる銀成決戦は極めて簡潔な構図であった。つまり9人の幹部総てが銀
成のどこか開けた場所に全員布陣し、残存する坂口照星救出部隊全員と智謀と武力のかぎりを尽くした最終激突を繰り
広げるのであろうと考えた。前例からいえばそう的外れな考えでもない。終末期の共同体は不思議と合戦めいたものをや
る傾向にある。この年の初夏銀成学園で実行されたような、ありたけの多勢を集めそれを以って戦士を邀撃(ようげき)せ
しめる、悪く言えば前時代的な、よく言えば分かりやすい戦法をレティクルも「やる」のではないかと上層部が考えたのはそ
の魯鈍気味な思考回路からすれば比較的上質な、前例というものを思考の土台に据えたまずまず現実寄りの反応といえ
よう。

 が、マレフィックらの作戦主眼は決戦ではない。決戦も1つの選択肢ではあったが戦略の骨子そのものではない。
 かれらにとって最も重要なのは戦士らから搾り取った上質の闘争エネルギーをしてマレフィックアースなる超超超常の存在
を召喚せしめるコトであった。召喚し、『器』に憑依させ、超エネルギーを世界変革に振り分けるといった凄まじい作業こそ
決戦の動機であり、極論すればそれさえ果たせれば戦団の興廃などどうでも良かった。
 で、あるがため、冥王星の装甲列車はこの日の午後9時08分、地下から雨の銀成めがけその全車両を浮上させ始めた。
市の総てが包囲されるまで10分もなかったであろう。ありていに言えば装甲列車は壁を作った。街区と山林とで塗り分け
られた決して狭くはない銀成市全体を3000両とも4000両とも公称される長蛇の編成でぐるりと取り囲んだ。そうして車両
から降車する無尽蔵の自動人形をして、銀成と、他の地域とを完全に断絶せしめる封鎖壁を作成した。
 連絡を受けた上層部はこの夜何度目かの色を成した。いわゆる『陸の孤島』を共同体が作るのもまた珍しくない。村で橋
を落し山で崖を崩し『食糧』の逃げ場を断つのはむしろ基本だろう。この初夏における銀成学園襲撃も霧による方向感覚
攪乱ならびに電子機器遮断を主体としたものであった。
 が、一大都市封鎖となると上層部の記憶にはない。戦団の全戦史を渉猟しても五指に余るか、どうか。

 冥王星の幹部、クライマックス=アーマードの銀成包囲は食糧確保が目当てではない。が、市民からすれば変わりない。
幹部と自動人形犇く都市で自力避難を断たれたのだ。殺されかねないという点では変わらない。残虐性は変わらない。

 逃げ場なき街で無尽蔵の戦闘員が跋扈する未曾有の地獄。
 陰鬱な大雨の中、民家が焼け、軽乗用車が爆発し、ビル街のガラスが弾け飛ぶ街。あちこちでごったがえする自動人形
に首を、胸を、腹を、裂かれ血煙立てる戦士たち。ある荒れ果てたスーパーの片隅ではへたりこんで抱き合う幼い姉弟へ
無数の禍々しい影が緩やかに迫りつつあった。

 当初、上層部は現場の戦士ほどエネルギーを発さなかった。この前例なき大禍害にどう対処するのかと口々に喚く戦士
たちの波がいよいよ作戦本部に押し寄せてきた時でさえ上層部は特にどうという行動を示さなかった。ただただ賢愚いり
まじったえも言われぬ表情で銀成情報の聞き役に徹するばかりであった。
 今や作戦本部は高い警戒感と強い関心を以って全力で注視した際に発生する表情筋の見本市であった。
 長年安泰の政権にしがみついてきた者たちは、過去最悪を示す数値が連日更新され続けたとしても品性の滲み出た無
能の表情でひたすら眺めるのがまず常といっていい。表情筋さえ作法を踏まえておけば後はどうなろうと「事態は人智を超
えていた」で済む。上流で愚にもつかぬ顔芸ばかりが磨かれるのはそのあたりの理由によるものであろう。
 戦士にしてみれば、たまったものではない。日本支部のかれらは大戦士長救出作戦に選抜されなかった者たちであり、
銀成とも濃密の縁を有してはいない。だとしても戦士であるコトは確かであった。世襲ではない戦士は力量以外の部分にこ
そ格別の美質がある。みなホムンクルスに誰かしらを殺されているため、命の救助に妥協はない。実在都市で実在人物
がホムンクルスに襲われていると知ってなお平然を保つには良心に対しあまりにも率直すぎた。

 銀成へ。

 具申は誰からともなく上がりはじめた。援軍をやれというのである。いささか感情的な提案であるがしかし愚策でもないだ
ろう。銀成で展開する戦士の”のこり”は、少ない。新月村でリバースとブレイクに殺された者だけでもゆうに80名は越えて
いる。ディプレスの文官殺しによる犠牲者の数はこの時点で判明しているだけでも34名。数字上は少ないが、大戦士長救
出作戦に選抜された者の中でも更に際立って有能なものばかり厳選して殺されたため索敵や伝達、回復といった非戦闘
面における人材はほぼ壊滅といっていい状況にあった。
 これにデッドの核鉄媒介を加えれば犠牲者、200名に迫ろう。大半は師範チメジュディゲダールの門下生や財前美紅舞
の債権者といった核鉄持ちではない戦士でこそあるが、まずまず大損害といっていい。しかも無尽蔵の自動人形が封鎖さ
れた銀成で跋扈しつつある。予備役を援軍に振り分けてでも急行すべき局面であった。

 が、上層部は取り合わなかった。不可解な判断ではあるが、1つにはレティクル以外の共同体を危ぶんだのであろう。本陣
をカラにすれば有象無象が押し寄せてくるのではないかとそう彼らは考えたらしい。
 だとすればかれらは見事に露骨な物言いを避けたコトになる。上層部の弁舌はどうも実務と懸け離れた分野になればな
るほど鮮やかさと芸術性を得るらしく、戦士からの援軍派遣要請についてはまず、

「ここからでは間に合わない」

 という一見至極もっともな意見で抑えにかかった。
 納得する戦士ではない。だいいち関東圏から瀬戸内海へと幹部らが奇襲しうると危ぶんだのは上層部ではないか。奇襲
という速攻の軍略を敵が行いうると仮定するのであれば、戦士とて銀成に同様の行為を実行可能と仮定するのが筋では
ないか。踏破すべき距離は奇襲の速効性を弱めこそすれ急行の迅速性を稀薄するものではない。──と論客で名の通っ
た戦士が諄々と説いたが上層部はハチドリの羽撃(はばた)きのような瞬きを繰り返すだけであった。正しい理屈を正しいと
理解しすぐさま採択できる上役はその姿勢そのものが既に才能である。上層部は才能を採用するにはいささか伝統を持
ちすぎた。家柄と門閥のブランドが高すぎた。かれらはただ自身の結論と食い違う意見を疎ましく思っただけであった。
 日本支部の戦士の保有する武装錬金には幾つか急行を特急に変えうるものすらあった。上層部は当然、知悉している
筈であった。が、有事の際は逃げ落ち延びるのにも使える──もちろん楯山千歳のヘルメスドライブには劣るため、幾つ
かの危険性はあったが、逃亡には使える──武装錬金の使い手を日本支部……というより自身の傍から離してまで銀成
にやるコトに彼らは気乗りしない様子であった。

 いよいよ血気あふれる戦士が核鉄を握りかけた時、作戦本部に小間使いが駆け込んできた。小間使いというのは上層
部のひとりに気に入られている50がらみの小男で、夏蜜柑の古木のような肌の色と八の字ヒゲがいかにも陰険気な細目
だった。飛び込んできたかれは愛したもう主人にこう述べた。テレビを点けろ、と。
 32インチの薄型液晶テレビは作戦本部窓際の天井に吊り下げられていた。リモコンからの信号で漆黒の無貌を解除した
家電製品は更なる混乱を戦団にもたらすコトになる。

「えーいま私はヘリから銀成市南西部の国道582号を見下ろしています。道路では依然として多くの人影が動き回って
おり、中には警官隊と睨み合っている人も……あっ、いま、高架から飛び降りる影がありました」
「飛び降りた人がそのまま走り去る姿も目撃されているそうですが、そちらからは何かわかりますか?」
「わたくし先ほど高架から飛び降りた方を追ってヘリを動かしましたが、高架下に落ちた方、何事もなかったように歩き去っ
ていくのが見えました。なぜ無事なのかは分かりませんが、ここ国道582号はとにかく大渋滞です」
「国道582号は関西方面から首都圏に抜ける大動脈ですからねぇ」
「はい! いま私はヘリからかなり遠くを見ていますが、渋滞しているクルマのヘッドライトの数は帰省ラッシュの時か或いは
それ以上かも知れ……あ! いま! 車から男性と女性が引きずり出されました! 家族でしょうか! あっ! 刃物です!
引きずり出した人影がいま刃物のようなものを振り上げて──…」
「っ! 後ろ映せますか! 更に高架に誰か登ってきました! 映せますか!」


 ざわめく戦士の中で上層部たちだけがようやく覚醒の様相を呈した。

「いかん! 退かせろ!!」

 液晶中の高架道路で戦士が数人、核鉄を発動した。リポーターのどよめく声がした。光と共に出現した数々の武装にスタ
ジオのキャスターも驚きを隠せない様子だった。そして戦士が一般男女を助けるべく自動人形と戦い始めた時、上層部は
いよいよ金切り声をあげた。

「退かせろ!! 中継されているんだぞ!! 奴らへの連絡の手段はないのか!?」
「国道582号だぞ! 冥王星の自動人形が暴れれば渋滞によって世間は必ず注目を!!」
「そこで武装錬金を発動するなど……馬鹿めが!! 衆目に錬金術をさらすなど……馬鹿めがッ!!」
「クライマックス=アーマード! よもやそこまで考えて……!?」

 国道582号は、首都圏と東海圏を結ぶ一種の大動脈であった。丘陵地帯に沿ってカーブし、そのわずかだけを銀成市
南西部に掠らせているこの道路は走狗列車の銀成包囲によって戦場のひとつとなり、ひとつとなったが故に戦士が自動
人形に起こす抗体活動をして血栓が詰まり渋滞を起こした。

 マスコミが報道するのは当然だ。が、その防除のためだけに干戈を引き市民を見捨てろというのは当然の指示ではない。
政治においては罷り通る。が、現場においては反感しか呼ばぬ。
 機微の落差に戦士たちの瞳は冷えて乾いた。上流は現場の尊厳には鈍いが反感には鋭い。目ざとく見つけた老人達は
いよいよ老いらくの嗄声(させい)を甲走らせる。

「な! 何をしている! 動け! 動かんか! 中継を止めるため動け!」
「ホムンクルスの製法が広まったらお前らだって困るんだぞ!」
「そうだ! 一般人ですら手軽に作れるようになったら今以上に悪くなる! 今以上の物的不利を戦士が蒙るんだぞ!?」

 熱を噴けば噴くほど戦士らの視線は冬の北海の寒さを放つ。保身の方角にのみ覚醒の兆しを見せ始めた上層部にいま
ありありと失意が向き始めた。

(錬金術を隠したがんのテメーらためだろ)
(社会にバレたら核鉄ぜってー没収だからな。国が没収すっからな)
(そしたら今まで通り甘い汁吸えなくなる
(俺らだってバカじゃねえよ。お前らが錬金術のヒミツっぷりをいいコトに利益独占してるコトぐらいワカってる)
(だから腐る。ヴィクトリアにいまだ侘びすら入れていない)
(それでも助けられる命があるから、ガマンして、付き従ってきたのに……!)

 群れなすシルエットが眼光ばかり尖らせていく不穏にすら保守層は気付けない。

「他の戦士にも通告しろ! マスコミにだけは! マスコミにだけは絶対に武装錬金を見せるなと!!!」

 じゃあどうやって銀成の人たちを助けろっていうんだよ。簇(むら)がる三角州の双眸らは突き刺さりそうに、鋭い。射すく
められた上層部のひとりは青ざめ唾を飲む。足元が揺らぎ始めた。目たちの輪郭がゆがんで見えた。大小すらまちまちに
錯覚するほどかれは威圧されつつあった。

「ちゃんと錬金術製の武器メインの態勢にシフトしときゃ、こんな泡くわなくても良かったんだ……」

 誰かがポツリといった瞬間、沈黙の堰は切れた。

「…………言ったよな俺ら。核鉄頼りの体質を脱却しろって」
「一見ふつうの武器ならマスコミに見られても錬金術バレはないんだよ。族かギャングかで済まされる!」
「ホムンクルスは『錬金術の力以外では斃せない』だ。武装錬金必須じゃねえ」
「錬金術製の武器を増産し、鳩尾無銘のようなバフ系武装錬金で一律強化してくのが」
「無尽蔵のホムンクルスに対する最適解だって何度も具申したよな?」
「いい加減みんな気付いてる。無理ゲだって。100しかねえ核鉄で無尽蔵のホム殲滅するのは、無理ゲだって」
「だから錬金術製の武器の増産と、それによる非武装錬金使らの強化で戦団の戦力底上げしろっていうの、的外れか?」
「警察的だが軍隊的ではない戦団の弱味だって解消できる」
「創造者の人格によってまるで違う武装錬金を主軸に部隊を展開する戦い方は」
「蓄積ができない。警察じゃなきゃアスリートのチームだ。新星が出てくるたび一から連携を練らなきゃならない」
「だが練達は死や引退によってゼロとなる。だからだ。戦団が集団戦闘に弱いのは」
「名無しのモブという一番汎用的で一番数多い人種そのものを主軸にした軍略の蓄積がないからな……!」
「錬金術製の銃。錬金術製の大砲。誰でも一定の調練で並みのホムンクルス並みの戦力となれる武器を」
「配備して近代軍事の錬度にまで鍛えれば、武装錬金適性のないモブたちだって充分活躍できるのに!」
「なのにお前ら上層部連中は鳩尾無銘のバフすら渋った!」
「音楽隊が裏切ったら即座に無力化だぞとか何とかそれらしい理屈で!」
「ぜってーウソだろアレ。上層部(おまえ)ら単に、核鉄支給で俺ら縛りたいだけだろ」
「無銘のバフが戦果あげちまったら縛れねえもんな。戦後、バフ系で量産武器強化するのが主流になったら」
「100しかない核鉄のもったいぶった支給によるコントロールができなくなる」
「上層部の意に反する奴を『核鉄やらんぞ』と脅して従わせる旧態依然ができなくなる」
「しかもバフ系能力者には分派独立される恐れもある。そりゃそうだ、核鉄1つで軍団コントロールできるんだから」
「利権に凝り固まっているテメーラ上層部の指図なぞ受ける必要なくなる」
「それだろ。それが怖いから武装錬金を基本の態勢に拘るんだろ」
「100しかない核鉄で無尽蔵のホムンクルスを殲滅しろという達成不可能を根性論で!」
「戦団割っちまえるからバフ系は基本冷遇だ。鳩尾無銘の性質付与だってだいぶ揉めた」
「ヴィクター戦で疲弊した戦団の足元を大いに見た総角の強引な弁論がなかったら恐らく実現しなかった」
「それほどまでの武装錬金への執着!」
「なのにマスコミの前では使うなと、馬鹿げたコトを言いやがる!」
「自分たちの利権を守るためだけに……!」

 戦士らはいよいよ朝の梢の中の鳥の如く騒(ざわ)めき始めた。不規則発言はもう止まらない。

 平素の不平は危機においてこそ爆発する。平時なら居酒屋がある。給料日もある。自制心は社会が思っているほど大人
めいた分別ではない。解放される安らぎの瞬間が近中距離に確約されて初めて作動するという意味に於いてはもうすぐ自
宅だからと便意をこらえるが如き生臭い機序にすぎない。
 ゆえに『死』が迫れば呆気なく失われる。
 昨日の居酒屋が先月の給料日が最後だったのだと直観してしまったが最後、あとに残るのはもう原生的な抜き身の感情
のみである。『どうしてこいつら如きの仕切りで死なければならないのだ』。不平に耐え続けた末の仕打ちが敗色まっしぐら
に満ち満ちた能無し指揮であれば、人は狂気の獣となる。

 が、上流は気付かない。髪を掴まれ引きずられた先でギロチンを見上げるまで下流の鬱憤には気付けない。

 銀成に居る戦士全員直通の通信機器です。小間使いが差し出したトランシーバー型の機器をもどかしげにひったくった
上層部のひとりが集音部にタラコ唇をほとんど押し付けるよう割れんばかりのノド声で叫ぶ。戦団日本支部の戦士らの文
句はどうでもいい、現場さえ抑えればそれで済むという訳である。

「いいな! 国道582号近辺での戦闘は絶対に行うな!」
(見捨てろ、だと……? いま高架で襲われている人たちを、錬金術を秘匿するためだけに、見捨てろ……だと?)

 通信を受けたのか。高架の戦士がひとり、戸惑った様子を見せた瞬間、自動人形に頭を殴られ倒れ付した。高架の雨濡
れの肌に血溜りが広がっていく。様子を見せつけられた日本支部司令室前の戦士らはどよめきと怒号を放つ。とうとう戦士
らの群れから孤影が飛び出し上層部を殴りつけた。
 固められた拳が肉付きのいい頬を通過した次の瞬間、中国マフィアの頭目のような禿頭が放物線軌道に乗りそして床へ
と叩き付けられた。(やりやがった)(そりゃやるわ) ささやきあう戦士たち。暴行を実行した仲間を抑えにいく気配はない。
リノリウムでの振動を修了したチャイニーズマフィアトップは「ひさふぁぁ!」、何本か歯の抜けた口から息と怒声を漏らしつつ、
上体を起こす。痛みと衝撃で年甲斐もなく涙を流す彼の左頬は青タンによって倍ほどに膨れ上がっている。
「ひ! ひさふぁァ! ふはやふほはふふとは……!」
 貴様、上役を殴るとは、という抗議はもう聞かれない。殴った戦士、短く刈り込まれた金髪に引き締まった日焼け肌を持つ
32歳の男性戦士は、上下の唇がまくりあがった威嚇的な表情をびっきりと固定したまましゃがみ込むや、涙と血と折れた歯
で汚れる高級スーツの胸倉を掴んだ。
「俺はな、てめえ。てめえら。高圧的な態度だけなら許してきた。一般的な戦士では持てない大局観だってあるのかも知ん
ねーかもなって必死に言い聞かせてきた。辛うじてだが耐えてきた」
 な、なにを。を、聞け! 胸倉の手をひねりつつ大喝したかれは続ける。
「無能も不愉快だが、仕方がないとも割り切ってきた。100しかない核鉄で無尽蔵のホムンクルスを相手どるんだからな……。
鮮やかな勝利ばかりといかないのは仕方ないと思ってきた」
 だが目に見えた命を見捨てろというのだけは我慢ならない! 叫びにうんうんと戦士ら。テレビ越しにとはいえ、高架に見
たのだ。
「生きて動く男女連れを。見捨てろというに等しい指図で処理しようとしたのは、絶対に許さん!」
 額を密着させた32歳が鼓膜の焼けそうな大音声を張り上げたから青タンチャイニーズはもう何もいえない。呑まれ、泣
くばかりだ。(うわ。男ならせめて怒鳴れよ) 戦士らの失望がまた一団と濃くなった。
「人形に頭部をやられた戦士だって助かるかどうか分かんねー……。自分の都合で、戦団の都合で、命を死なせていいと
いうならもうホムンクルスと変わらねー! お前ら全員ホムンクルスと変わらねー!!」
「方針が気に入らないなら退団すればいいだろう」
 嘲るような言葉は上層部でも名うての男の放ったものだ。土佐犬と陰口を叩かれるほど常に頬が闘志に強張っているかれ
は威圧的な光を金壺眼の奥に爛々と灯す。
 32歳はゆらりと立ち上がり、ふりかえる。
「有事だからこそ指揮系統は守らなければならない。現場が勝手な思いつきで行動したせいで無関係な戦士が死んでしまった
事例など幾らでもある。ホムンクルスのこれ以上の増加を食い止めるため錬金術を武装錬金をマスコミの目から隠そうとする
方針のどこが間違っている? マスコミにホムンクルスの存在を知られたが最後、幼体の培養用は大麻やヘロインの領域に
なるんだぞ。信奉者にすらなれない底辺の者ですら簡単に不老不死の怪物になれる恐るべき世を防ぐため現段階における
自重を命じるコトの、一体どこが、間違いだ?」
「それは戦後の処理だろ!!」
 32歳は叫ぶ。この人はヴィクター討伐戦におけるバスターバロンの戦略骨子──12時間戦っては60時間休息──を
「3日間のうち半日しか稼働しない兵器を、無尽蔵のエナルギードレインで常時回復する相手にブツけるのは戦略上ありえ
ないのではないのか。まして休息のためだけに財前や鳥目といった優秀有能の戦士を使い潰していたのはいかにも逐次
投入的である。どうして大戦士長以外の戦士の特性の連携であエネルギードレインの抜本塞源を試みなかったのか。もし
武藤カズキ少年が居なければどうなっていたか。この一事だけでも上層部の戦略眼はいよいよ疑わしい」と影に日向に言い
ふらしてきた硬骨漢であるから舌鋒には容赦がない。
「わかってんのか! 銀成で負けたら戦後も何もねえ! あの街にゃいま戦団が出せる精強の、全員が居る! 銀成で負
けたら終わりなんだよ! 精強で勝てなかったレティクルにこっちの戦力で勝てるか!?! なのにてめーは銀成の勢力に
武装錬金使用自重とかいう訳のわからねえ枷を与えようとしている!!」
 まったくだな。戦士らは頷く。土佐犬に目を吸い付けるのは最後通牒のつもりだ。いいかげん状況のやばさを悟れ、悟れ
ないなら……という民心の伝え方をしたつもりだが、古今そこで悟って矛を引けた政治屋はいない。
「フン」
「フンじゃねえよ! 鉄火場で味方を弱体化させるバカがあるか!! 自重を通達したら高架上のあの戦士のごとく土壇場
で迷って隙突かれる!!」
 わかりきったコトをとは土佐犬。「困難と戦果を両立するのが戦士だぞ。少しは防人衛を見習ったらどうだ?」 嘲るような
表情に戦士らの空気がまたひとつ張り詰めた。
「いま大事なのは銀成の勢力を強化するコト!!! 勝てなきゃ戦後も何もねえ!! アイツらが今晩武装錬金をマスコミ
から隠しぬいたとしても! その弱体化でまんまと勝利を得たレティクルはやがて必ず錬金術を社会にバラす!!」
 遅かれ早かれだ!! どっちが勝とうともはや流れは止められねえ! 上層部の何人かの目の色が明らかに変わる。その
程度のコトすら彼らは予測できていなかったらしい。
「冥王星の自動人形と戦士の武装錬金はもうマスコミに見られた! 見られた以上今晩これ以上の目撃を防いだとしても! 
カストリ雑誌のライターどもは部数目当てに必ず必ず錬金術に辿り着く!!」
「事後処理班に仕事をさせればいいではないか。なんのため実働部隊でもない連中に高いカネを出していると思っている?」
「人間を舐めるな上層部!! 守るべき人間は貴様たちが望むほど愚かではない! そして守るにかかる労力ほど高尚
でもない! 高架が如き大ごとを見た連中はどれほど事後処理で隠蔽しようと必ず必ず辿り着く! 真実へと真相へと辿り
着く! 好奇と欲目で必ずな! 禁断の匣(はこ)を見つけても彼らの知恵は恐れはしない! 我々先人がホムンクルスの
危険性を古代からの経験で泣訴しても! 現代の科学ならば医学ならば調伏できると半笑いで断定し容易く開ける! わ
かるか! 銀成でどれだけ自重しようと、マスコミは既に収めた映像からいつかはホムンクルスの製法に辿りつく! 民
衆も、飛びつく!」
「命令を出すのは、我々だ」

 ああそうかいもういいぜ! 32歳は拳を固め走り始めた。フン。土佐犬はたまたま傍に居た御用聞きを盾にすべく襟首
を掴んだ。

 衝撃音がした。

「殴る、とは感心しないな」

 拳は更に大きな右拳に包まれ、止められていた。止めた者に抗議の叫びをあげかけた戦士は一瞬うめきそして立ち尽く
した。豪快に踏み込んだ筈の足の勢いがすっかり殺されている。反作用の反動すら背骨にずきりと響き渡った。よほど強烈
に止められなければこうはならない。

「救いを妨げる腐った者だからこそ……殴って解決するなど論外だ」

 戦士と土佐犬を結ぶ直線上の9時方向から掌だけを突っ込み殴打を阻止したのは……男。顎にまでかかる前髪の一部
が甘い霞を帯びているような美男子だ。ニヤリと笑われた土佐犬は因業の赴くまま睨みつける。さりげなく御用聞きが襟首
の拘束を振りほどき距離を取る。殴ろうとしていた戦士も掌から拳を引き抜き、後方へ大きく飛びのきつつ──…

「ほう」

 土星は迫り来る青白い電撃に目を丸くした。

(瞬間的にならサップドーラーの雷撃をも上回ると評された俺の武装錬金! ……やれるか!?)

 収束する電磁が閃光と爆発を放った。震撼する作戦本部室。直撃を受けた男はしかし煙の中から無傷で現れる。

 歯噛みする32歳、さらに、叫んだ。

「貴様……! なぜここに!」

 2mを超える背丈を青銀の貴族服に包んだ仲裁者が、左袖を優雅に動かしながらこう答え、

「まずは落ち着こうか戦士たち。殴っても解決にはならないぞ?」
「ど、土星の幹部……!」
「元戦士……! 幄瀬の夫の!」
「……坤宅に捧ぐ済世輪菌っ!」
「民間軍事会社ッ!」
「マレフィックサターン!!」
「リヴォルハイン=ピエムエスシーズ……!」

 上層部は口々に叫び、土佐犬を除き恐怖する。
 逃げる者の作法ときたら無様であった。涙まじりに窓めがけ走る者もあればスタートダッシュで足が縺れ顛倒する者もい
る。脳髄の混乱か猫背で蛇行する小間使いはいい方で、ひどいのになると戦士の垣根をくぐろうとした。盾になれ、という
訳である。明らかに白けた溜息や舌打ちが戦士の中で重なって増幅された。
 腹の出た中高年どもが数々の醜態を呈するなか、土佐犬だけがその場で直立を続けていた。162cmと小柄なかれは将の
将が兵に持つべき慈愛や寛大といった暖色の要素を一つたりと有さぬ代わりに一つ、絶対の特徴を持っていた。強硬。火渡
赤馬に怒鳴られてなお言葉だけで意思を通さんとする異常者とすら評すべき自説への固執がかれを幹部の前に直立させた。
が、しょせん自己完結の死路である。写楽旋輪のような死を以って後続を有利にしようという奉仕はない。精神的に勝って
いたと死後言われたいだけの、およそ将の将に相応しからぬ感情的の抵抗であった。

 幹部らの人生模様を切れ長の横目で楽しげに遠望したリヴォルハインは左掌を天井に向けるとそのまま腕全体をまっ
すぐ上に張った。それだけで無数の粒子が窓際、転倒、蛇行、垣根、直立といった演目の主らに纏わり付き螺旋を描く。

(細菌……!)

 誰もが直感する中。

 バッ。

 リヴォルハインが無言で左腕を振り下ろした。それだけで螺旋の粒子に包まれていた位置もばらばらな上層部たちは鉛
色の髪もつ幹部の背後へと移動され集積された。豚まんがヒトカタマリだな。戦士の誰かの率直な呟きに失笑が重なる。よ
く肥えた権力者たちは饅頭型に密集していた。無造作に捨てられたゴミ袋を無造作に集結させたように密集していた。みな
離れようともがくが、粘菌状のロープ(螺旋の粒子が変じたらしい)によって荷造りされており、動けない。

「戦団日本支部は乃公の部下たる社員らが占拠した! 上層部は拘束させてもらう! つまらぬ指示は乃公、困られるのだよ!」

 それが午後9時29分。

「ど、どうする……!?」
「どうするって……! 上層部全員が人質なんじゃ、手の、出しようが!!」

 ざわつく戦士たちの前でその男は甘美なる声を奏でる。

「安堵するがよい。貴君ら前線の者には決して危害を加えぬと乃公約束しよう……!」

 ふくらはぎのすぐ後ろでは、縛られて中年男性たちが震えている。腹が出たり髪が薄かったりする、どこにでも居そうな
見た目であるが戦士らの様子からするとどうも彼等が錬金戦団日本支部のお偉方らしい。肉付きのいい顔を青タンで
更に膨らませて泣いている者もあれば、「貴様! このワシを誰だと!」と益体もない叫びを上げている台形ヒゲの老爺
もいる。

「ただし『ゲームのルール』には付き合って頂く。貴兄らとて恒久の平和は欲しかろう?」
「ゲーム……だと?! どういうコトだ土星の幹部リヴォルハイン=ピエムエスシーズ!!」
「”ここ”を占拠し……何を企むッ!?!」

 貴族服の大男は答えない。まるで自身がここの総指揮官であるかの如く清爽に微笑むだけだ。

 彼は部屋を見回すと、机を撫でたりキャビネットに手を当てたりと取りとめもないコトを始める。
 戦士らはどう声をかけていいか掴みかね立ち尽くした。
(どうする? 上層部の救出に向かうか?)
(全員で頑張れば或いは、だけど、土星を斃さない限りまた人質にとられるぞ)
(え、でも俺らで斃せる手段って……?)
(電撃ですら無理だったんだぞ……。銀成じゃあのパピヨンの黒色火薬ですら駄目だったらしい)
(キャプテンブラボーがヴィクトリアちゃんから又聞きした話によると、土星、菌ある限り寄生して再生するらしい)
(うへ。サテライト30と激戦の合いの子みてえな能力。なにそれ誰が斃せんの?)
(皆目見当もつかない)

 奇妙な沈黙が破られたのは2分後。
 聖サンジェルマン病院から要救助者を伴い日本支部へとワープしてきた楯山千歳がリヴォルハインの声に概ね悟り別
地めがけ掻き消える少しあとだ。

「いい加減なにか話したらどうだ」
「ふむ?」 例の32歳の戦士の苛立ちに溢れた問いにリヴォルハインは不明瞭な声を漏らしたがすぐさま沈黙の不調法に
思い至ったらしい。
「失礼。乃公少々物見遊山をされていた。何しろ日本支部の作戦本部は入ったコトがなくてな。ここが古巣の大脳かとあちこ
ち見ているうち言葉を忘れた」
(古巣……?)
(土星は盟主同様元戦士だ。釦押鵐目(こうおうしとどめ)。顔が新月村から電送された時みんな気付いた。有名だからな)
(なんたって10年前の上層部怪死の容疑者だからな……!)
(被害者は軍捩一。こいつのリークは釦押の妻・幄瀬みくすを惨死させた! レティクルに囚われ拷問されて!)
(釦押が捩一の死とほぼ同時期に姿を消していれば、誰だって思う! 容疑者だと!)
 ささやき声の中、

「日本支部は、錬金力研究所は乃公と社員が占拠した!!!」

 照星がふだん使っていた執務机の上で悠然と頬杖をつき、戦団の会見用テレビカメラに手馴れた様子で五輪の開会の
ような爽やかな宣言をした土星はやおら立ち上がると、依然遠巻きに様子を見ている戦士らの顔をひとつひとつ興味ぶか
げに観察しながら部屋の中央へと歩みを進めた、

「宣告も終わった。問いの続きに答えよう」

 32歳の声がまっさきに刺さった。

「なぜ戦団の本拠にきた。なぜ戦団の上層を捕らえにきた」
「ほう。後半はともかく、前半。楯山千歳が帰った時点でお分かりだと思っていたが?」
 返る微笑は、懇切な支援団体の長でもまず浮かべない敬意に溢れたもの。それが32歳の叛意を削いだ。
「ルールとは銀成の市民の逃がし方だ。ヘルメスドライブのような瞬間移動またはそれに準ずる能力によるココ日本支部
への、市民の、直接避難は禁じさせて頂く」
 あくまで貴兄らは銀成を包囲する装甲列車を、直接、突破しなければならない。市民を逃がすため死力を尽くして冥王星
のスーパーエクスプレスに挑むのだ。挑まなくてはならないのだ……くっくと甘(うま)く唇をくつろげる土星。
「人を守るため極上のエネルギーを発しろ。それがマレフィックアース降誕の糧となる。だから逃げ場のない街で戦え。貴兄
らならば諦めずに貫徹できる。窮鼠の凄まじさを乃公たちに見せつけろ」
「つまりまず死力尽くして列車の囲いを破るのが『ゲームの、ルール』……!!」
 御名答。悪意のない笑いではあったが戦士たちは戦況の悪化を悟る。
(冗談じゃないぞ。緒戦で200人近く殺された戦団が……!)
(無限増援相手の突破戦を……!?)
(しかも他の幹部も必ず暴れる! クライマックスに割ける人員は、更に少ない!)
(リバース相手に消耗しきった戦士だって居るのに!)
「ちなみに支部全体には乃公の分身たる細菌が漂っている。お手洗いの用具入れから宿直室のベッドの下までありとあら
ゆる場所が監視の対象でありスイッチひとつで感染する)
(そうか! だから細菌型の幹部(コイツ)が日本支部(ココに)!)
(だが……馬鹿め! 千歳のヘルメスドライブを甘く見るな! 日本支部が駄目なら別の場所、別の場所に市民連れてワー
プすれば)
「いいだけだ、と思うだろ?」

「乃公は既に日本に蔓延している」
 皆神市。かつて根来と共に潜入していた玩具部品の下請けメーカーの駐車場で千歳は黒いちぢれ毛の男の子と共に、
作業着姿の男女に囲まれていた。千歳からの距離は8mほどであろうか。武力行使の気配はない。どころか誰もが、笑っ
ている。老若男女は地声に土星の麗しいソプラノをボイス・オーバーさせるのだ。それで失明状態の千歳にも醜怪の隷奴
らの存在は伝わった。

「どこへ逃げようと無駄なコト」
「不顕性感染によって」
「民間軍事会社の武装錬金によって」
「分散コンピューティングのスパイウェア的脳髄寄生によって」
「我々『社員』はどこにもいる。どこにでもいる」
「日本だけではないぞ」
「人間だけではないぞ」
「この地球上に存在する菌の大半に乃公寄生済みだ」
「その菌が貴兄の瞬間移動を発見する」
「ユーラシア大陸の山奥に隠れようと地中海の孤島に逃れようと」
「乃公は瞬間移動を見逃さない」
「ドクトア・リバース=イングラムの銀鱗病で剥落しながらも」
「再人間化の演算のため時間をかけて日本に、世界に蔓延してきた乃公は」
「どこにもいる」
「どこにでもいる」
「そして彼女の死によって」
「パンデミックだ。爆発的増殖だ」
「忘れるな」
「どこへ逃げようと瞬間移動またはそれに準ずる反則を捉える」
「ウソだと思うなら試せばよい」
「だが瀬戸内海と皆神市を含めて五度だ、五度に達すれば」
「彼は」

 性別も年齢も背丈も人種もまちまちな二勤の従業員たちの、眼球だけがぎょろりと銀成の少年を捉えた。くくく。ははは。
うすきみ悪い笑いすら合唱し始める。千歳が銀成から安全圏へと移送すべき胸の中の男の子はいよいよ泣き始めた。

「銀成から命を逃がしたければ戦うのだ楯山千歳」
「貴兄は強い。かつてこの界隈で強くなった。友も得た……」
「逃げたければ冥王星の包囲網を破って見せろ」
「それがゲームのルールだ。市民を助けたければ装甲列車の包囲を破れ」
「或いは誰かが破るまで、他の幹部に耐えて見せろ」
「火星は狙う」
「かならず銀成学園の生徒を狙う」
「寮母よ。生徒を守りたくば貴兄も戦え」
「分解能力に拮抗してみせろ」
「防人衛を支えてみせろ」

 火星。その言葉で千歳の過去と現在は急速に交じり合う。
 赤銅島の惨劇。流れ弾で分解された時のお団子少女の、音。
 強くなれたと信じた先の未来で再びどうにもできなかった悲劇は理性と情念を攪拌し膝から力を抜いていく。
 崩れそうになる。震えが止まらない。あの少女と縁を紡いでいた火渡への申し訳なさが膨れ上がる。
 やった火星はいま、銀成学園の生徒を狙っているという。ヴィクトリア。まひろ。千里。沙織。六舛。岡倉。大浜。寮で知り
合った生徒たち。演劇で知り合った生徒たち。対面すればディプレスは容赦なく再び分解能力を見舞うだろう。止めたい。
強く思う。だが同時に現実は強くより強く突きつけてくる。自分には止められないと。赤銅島は止められなかった。お団子少
女の惨死も止められなかった。そんな自分がディプレスを追って今度こそ本当に止められるのか。三度悲劇に棒立つだけ
なのではないか……と。葛藤が頭をぐちゃぐちゃにする。
(せめて……目が視えていれば……)
 叫びたい。
 泣きたい。
 そうしなかったのは、できなかったのは、右袖の肘のせいだ。ちぢれ毛の少年。握っている。握りしめたまま震えている。
感触と振動は光なき千歳の感覚を普段以上に刺激する。
(…………)
 決意が湧き上がってきた訳ではない。総てを押し返す勇気が全身に充溢してきた訳でもない。10代の終わりから7年間
ずっと赤銅島を悔いてきた千歳は知っている。知り尽くしている。たった1つの出来事が心の何もかもを永遠に救うコトは
稀であると。過去からの前進ならばできる。根来のような思わぬ縁が前進への弾みをつけてくれるコトはある。だがそれは
新たな悲劇を前にしたとき、忘れてしまいそうにもなる。やはり自分には何もできないのではないか、何も良くできず、誰も
良くできず、終わってしまうのではないかと思ってしまう。感情を捨てたようで感情に振り回されているのが千歳なのだ。最新
の出来事が良ければ前向きになり、悪ければ後ろ向きになる。いつかこの近辺の山間で難敵撃破の一助を担った数少な
い成功体験ですら霞んで見えてきてしまう。誰だって陥るコトだ。秋水だって総角との真剣勝負序盤似たような心境に陥って
いる。
(けれど)
 ちぢれ毛の少年にとって自分は『大人』なのだと千歳は思う。
 おぞましい者たちに包囲されている中、唯一縋れる大人として肘を取って震えている。
 虚像が頭の後ろに来た気がした。
 流線型の髪の下で切り裂かれた猛禽類の笑みは『形無しだな』と言っているようだった。嘲罵のようであり、親愛のよう
でもあった。いずれにせよ視覚なき千歳に風貌が見えている時点で尋常の存在ではない。
(……形無し…………)

──戦士・斗貴子に促す以上、俺たちもそろそろ踏み出してみないか? 未来に」

 防人の言葉だ。混沌でメチャクチャだった演劇の最中、不器用ながら切り出した彼の言葉。ずっと憂慮していた男性の、
立ち直り始めた様子に、そして自分の長年の思慕が報われるかも知れないという期待に、女性として嬉しい気分でいっぱい
だった筈なのに……忘れ去っていた。悲劇に塗りつぶされ忘れていた。形無しとはそういう、防人が言葉を忘れられかけ
られていたコトへの皮肉であり揶揄であろう。
 が、普通の心理でもある。知己の少女が惨死する凄まじい音を聴いた後でなお『未来に!』とウキウキした気分で居れる
のであればマレフィックの側こそ千歳には相応しい。

(未来)

 千歳は立っている。お団子の少女が辿り着けなかった未来に立っている。後の時系列に到達しているという意味でも、
成れなかった『大人』になっているという意味でも。

「思惑などどうでも良いのだ」

 頭の後ろで幻影が囁く。

「敵を眺め、意を汲み、欲を挫く。繰り返すだけで任務は成せる。いかなる強力の持ち主であろうとこの法則からは絶対に
逃れられない……」

 まさか本人の霊体と言うわけでもあるまい。きっとこれは自分が作り出した根来風のペルソナなのだろうと千歳は思う。
少し、懐かしさが込み上げた。22日前この地で組んだとき憧憬を覚えていた。6歳も年下の青年に自分の「こうありたい」
を投影して羨んでいた。

 ちぢれ毛の少年はまだ肘を掴んで震えている。時の流れは誰も待ってくれないのだと改めて千歳は痛感し、覚悟を決め
る。泣き虫で天然ボケの少女ですら気付けば子供に頼られる大人の姿になっている。内面がどれほど不安定であろうと、
年齢相応の強さを未だ得られていなくても、周囲は風貌相応の責任を容赦なく求めてくる。まだまだ残っている千歳の少
女の部分はそれを怖いと思っている。だがもう既に辿り着いてしまっているのだ。赤銅島の生徒たちや、銀成のお団子少
女が到達できなかった大人という未来の姿に千歳だけは立っている。未来という言葉には希望だけでなく責任も含まれて
いるのだ。それが分かっているから防人も千歳も踏み出せなかった。大人になりかけた瞬間に遭遇した赤銅島の事件の
せいで、踏み出す未来には不首尾への重積もまたあるのだと痛みまみれで実感したから、名を捨てたり、感情を捨てたり
の、不自然で不完全な子供の姿に停滞した。

(時は止まらない。私が奮起しても何もできず終わってしまうかも知れない。けど)

 やれるコトはある。

「大丈夫よ」
 手を取るコトに迷っているのを悟られないよう、そっと手を取る。黒いちぢれ毛の少年が顔を上げた気配がした。ハッと
した目が見上げている磁力をなめらかな白い頬に感じながら、
「少なくてもこの人たちからは」と千歳は周囲を見渡し「この人たちからあなたを逃がすコトなら私には出来る」
 空いている右手を左手に伸ばす。バンドで手の甲を押さえる形で固定されているレーダー内臓の楯。その右側面からタ
ッチペンを引き抜く。視覚なしで操作できてこそ熟練という。わずかな動きで聖サンジェルマン病院への転移の準備は整
った。

 そして錬金戦団日本支部作戦司令室における土星は、指を弾く。

「他の誰であろうと、もし銀成市民を能力によって別地へ送るコト相目論むのであれば──…」

「病死が出るぞ?」 

 春の日差しにとろけたほどに軟らかい笑みの麓で上層部たちの全身が小豆大のじゅぐじゅぐした瘤に埋め尽くされた。窓
際も転倒も蛇行も垣根も直立も呻きひとつ上げられぬまま渾然一体、チゲ鍋の吐瀉物のような赤い血溜まりと化した。

「殺した!? 人質にすれば戦団を拘束できるのに……!?」
「大戦士長は誘拐したのに上層部は一体どうして!!」
(わはー。誰も悼んだり悲しんだりしないあたりさっすがウチの上層部ゥ!)
(殺しは脅しのため……か? あれほどの感染能力を見せれば市民の直接避難を封じる抑止力にはなる。ゲームのルー
ルを遵守せねばならないという説得力にはなる。だが本当に……それだけか?)
「どうだ、動きやすくなっただろう?」

 親切心以外の概念を到底見つけられない暖かな声を得た戦士らはしかしますます混迷を深めた。
(確かに……銀成出兵を制止する上層部全員が死んだ今)
(おれたちは自分の意思で行動できる)
(戦団にはもっと上の、世界本部の重役たちもいるけど全員海外。直接の掣肘はできないからな)
 お気づきのようだな。ぱしんと土星、一つ大きく手を打った。
「つべこべと嘴を挟む老人どもなど決戦には不要……! 大切なのは統一だ。銀成に加勢するという統一だ。戦士だけで
はない。人間総てを統一するため乃公は戦っている。ひとつの形、ひとつの形式のみに統一されなければ人間には先が無
い」
 なるほど意識高い系の悪役のよくやるアレか、みんな溶け合って混じりましょうってか、32歳は嘲笑の牙を剥く。
「何が統一だ! 画一され多様を奪われた種族は保険を失くす! ひとつの病、ひとつの疫病で全滅しうる!」
「画一すればひとつの病であっという間に絶滅しうる……なるほど心配の仕方としては正しいな。だが、だ。保険を言うなら
これは知れ。多様すれば克服が速まる保険もまたないと」
「なっ……」
「そうであろう。

1.病を舐めきり防疫を怠る者。
2.警戒はするがこれぐらいならばと時おり緩む者。
3.可もなく不可もない者。
4.標準以上の防疫を常とする者。
5.感染に怯えきり我が家から一歩も出なくなる者。

3から5がどれだけ他者への感染を防いだところで、1と2が駄目にする。理解できるか? 画一が種の絶滅を加速させる
要素であったとしてもだ、逆はないのだ。多様が病の根絶を加速させる要素には決してならない。殲滅は鈍化させる。だが
根治もまた鈍化させる。罹らぬようにうつさぬようにと心がけている者たちの傍で無警戒の軽薄どもは大丈夫だろうと感染
の行為をとり、発症する。ひらたくいえば種族全体をじゅぐじゅぐと長患いさせるのだ。もっともこれは? スペインかぜの類
を実際体感せねば分からぬこと、だがな……!」
「詭弁」
「をやるなら画一の方が存外、病の根絶を成せるのではないかと乃公は考えられる。罹れば死ぬ病が勃発した場合、緒戦
において多数の病死は出るだろう。動植物なら任せるままに絶滅だ。だが乃公が論じているのは人間の画一である。現代
文明社会において画一された人間が未知の死病で多数の犠牲者を出した場合、彼らは医学や科学に基づいた防疫理論
を本気死力で実践する。人間なら必ず死ぬ病であるならば、軽症無症状で済む層がいないのならば、人類は一丸となって
防疫に取り組む。都市を封じ、越境を禁じ、不要不急の祭典の悉くを破釜(はふ)する」
「そんなコトは……」
「ならば何故エボラは日本に来ていない?」
「それは……!」
「強烈なる死病ほど封じ込められるのだよ! 感染区域への渡航を禁じ、感染区域からやってきた者を放射能でももてなす
よう厳正に管轄し……。人類誰しもがあっさりくたばる病はむしろ流行らぬのだ。宿主が移動する前におっ死ぬとかそういう
理屈ではない。『流行している所へ出入りするな』が国家ぐるみで徹底されるから、封じ込めが成せるのだ。食事や観光で
落とすカネ以上の被害が明らかだから、成せるのだ。これが治療法未確立だが健康な若者ならまず死なない病であれば
目も当てられぬ。感染区域からやってくる阿呆に来るなと怒鳴る当たり前の権利すら? それは差別だよなどという馬鹿げ
た物言いが罷り通る。食と旅と儲ける政治家どものお墨付きで、な」
「……」
「病だけではない。これはあらゆる悪徳が滅びぬ原因でもある。クソな、速攻で滅ぼしておくべき概念を、利権と人権の名の
もと後生大事に抱え込むから馬鹿げた事態は後を断たない。故に乃公は考えられる。人類を画一すれば、種族全体をこぞ
って特定疾病に、特定悪徳に弱くすれば団結によって克服が早まる、とな」
「……。物言いからすると、貴様…………人類滅亡が目的ではない、のか?」
「乃公が願われるのは幼少期からいつだってただ1つ。救いだ。画一は人類を救う。多様は人類を救わない」
「世迷いごとを! 文明の発展はいつだって多様の思考に支えられてきた! リバース=イングラムの打倒とて多様のもた
らしたものではないか! 思想も立場もまるで違う連中がめいめいの武装錬金をめいめいの用法で投入したからこそ、
あの悍(おぞ)ましき魔弾の射人が墜とせたのではないか!」
「理念が画一されていたからだ。そもそも貴兄には多彩と多様の区別がない」
「どういう意味だ?」
「多彩、と言っている。彩りだ。多彩とは有能のみで構成されるが多様は違う。無能の者も無為の理念も抱え込む。俺様、
殿様、御客様……くく、能の割りには意識の高い歴々どもよ。未曾有の疫病を口先三寸で調伏しうると信じる信じられない
連中よ。故に多様は何も救わぬ。いらぬ理念ばかり抱え込むから何も救わぬ。ホムンクルスがここまで根絶しなかったの
もそのせいだ」
「な……に……?」
「貴殿らも体験しただろう? 錬金術製の武器。それを用いた兵制の改革を上層部が受諾しなかったのは、理念が多様
したからだ。『ホムンクルスは根絶しない方が戦団の保全のためになる』、そんな馬鹿げてねじくれた理念が奴らの頭に乱
立したからだ」
「順を追え。突飛がすぎる……!」
「権力とは暴力の寡占だ。寡占した暴力で以って他の暴力から民衆を守るという公言だ。だから難敵を解決し尽くすコトな
ど”ありえない” 戦争がなくなれば、犯罪がなくなれば、国家は九公一民のみかじめを取れなくなる。何かあったら守って
やるという名目で割高きわまるショバ代を搾るのが組織であり国家なのだ。未曾有の有事が来れば分かる。奴らは少額の
補償を多額の増税で取り返すだけが芸当のグズどもであるとな。だから錬金戦団もまたホムンクルスを根絶しない。奴らの
政治スケジュールが回る範囲で討伐を繰り返すだけだ」
 戦団、という言葉に32歳の集中力が言葉へと戻る。
「わかるかな戦士諸君? 戦団上層部は、ホムンクルスを根絶すれば核鉄を使った上納金のとりようがなくなる。失職する
が故に怪物を程よく増殖させ、程よく人食いの犠牲者を出し続ける。理念の乱立とはそれだ。『ホムンクルスは根絶しない
方が戦団の保全のためになる』という実務から懸け離れた理念がこれなる者らの背骨だったのだ」
「そもそも誰が断言した……!? ホムンクルスは根絶しない方が戦団の保全のためになると上層部の、誰が言った!」
「知れたコト。国道582号の言外よ」
 指差される紅い水溜り。戦士が何人か納得の目線を突き刺したのはよくない傾向だと32歳は思う。平素の不満が、敵の
吐く、なんらの裏づけもない言葉に同調しつつあった。単純な人間心理だ。枷をつけた風采の悪い老人どもと、枷を壊した
見栄えのいい若人、どちらが歓心を買えるかいうまでもない。
「もし100ある核鉄の総てを在野の共同体から奪い尽くし、幼体の製造法を完全なる闇へと葬り去れば、上層部の歴々は
メシの種を失ってしまう。だからである。錬金術製の武器をバフして使う戦力の底上げを突っぱねたのは。やられたらホムン
クルス根絶が夢物語ではなくなってしまうから、誰かの平和と引き換えに上層部のおまんまのタネが激減してしまうから、だ
から彼らは有用な提案を蹴った」
 なかったのだよ、身を裂いてまで、みんなの笑顔を掴もうという気概がな……。土星の楽しげな笑みはしかし確信に満ち
ている。
「繰り返す。多様は病理の根絶を加速するものではない。むしろ戦団上層部が如き一定量の不純物が解決を妨げる。どう
考えても根絶すべき問題を、生かしておいた方が儲かるからと弁舌と法理を尽くし一派閥を結成する連中は余計な対立す
ら鉄火場に持ち込む。人間vs問題、で徹底すればそれで済む単純な構図にだ、人間vs人間vs問題のややこしさを持ち込
む。戦争も犯罪も差別も大麻も解決しないのはそのせいだ。クマの絶滅すらできてはいない。ただでさえ為政者には覇気
なき者が多いというのに、解決されたら困る連中が内訌(ないこう)でエネルギーを無駄遣いさせにくるのだからな、当然だ。
そして誤魔化すための新規軸を打ち出しては既存の問題の先送りの繰り返し」
 だから、画一だ。ガシリと土星は右拳を固める。
「能力の多彩は認める。だが理念の多様は認めん。何もかも正しいと抱え込む種族は歪にしかならぬ。だから殺す。問題
解決を妨げる輩は殺す」
「傲慢だ」。32歳は不快気に拒む。
「人が殺害でのみ解決を図るように成り果てればもはやホムンクルスと変わりはない!」
 鋭く放たれた言葉はしかし人外の幹部の心になど響かない……筈、であった。しかし戦士一同は確かに見た。ありふれて
いるといえばありふれている指摘に、土星の幹部がまるでぴしゃりと膚(はだえ)を打たれたかの如く目の色を変え、戸惑い
すら露にし始めたのを。
「な……に…………?」
 貴族服を着た2mの大男の体躯に見合わぬ優しげな咽喉仏がこくりと動く。言葉を咀嚼しているようだった。端正な紅色
の唇は俄かに色あせ、口周りの発汗と引き換えに乾燥すら催したのだろう、形のいい舌が2度3度、当惑気味に這い出して
チロリと舐めた。
「そう……だったな……。総角主税にも言われていた……。殺さずともアース召喚に必要な闘争エネルギーは集められる、
と。忘れていた……。彼がせっかく、人を殺さずとも解決できる道を示していたのに……、乃公はその麾下に入るコトも一度
は視野に入れていた……筈、だったのに……それを忘れ、ただ、惰性で……殺害のみでの画一を……人類に施そうとして
いた…………!」
 なんと乃公は愚かだったのだ……涙でぐしゃぐしゃになった顔を俯けるリヴォルハイン。大粒の熱涙が次から次に床で弾
ける。夏場の夕立の始まりのような勢いだった。
「乃公を救ったアオフの、正当なる後継者が……、魔道から乃公を引きあげる言葉を投げかけてくれた、というのに……!
乃公は以前のままの考えだった……! 『ホムンクルスと変わらない』! 人間としての正しい理念を追求している、つもり、
だったのに……! 何の修正もしていなかった! 染まっていたのだ……! 憎むべき怪物たちとまるで変わらぬ生き方に
……!」
 理知の賢人を思わせる澄み渡った大きな瞳から次々と溢れる大粒の涙をごつごつした手の甲で拭いていく土星。声はもう
しゃくりあげている。
「間違っていた……! あまりに多くの命を奪いすぎた……! 話し合えばわかってくれたであろう善良な人たちを……
乃公は、殺してしまった……!」
 膝から崩れ落ちる幹部。敵対勢力である筈の戦士らが一打の攻撃も加えずただただ動静を見送り続けたのは、土星の、
細菌集合体であるが故の不死性に手を拱いたもあるが、それ以上に、「或いは」という思いが頭を占めたからに他ならない。
 戦士の文言に胸を穿たれ、涙し、崩れ落ちた幹部。改心を期するのは人情として当然である。改心の兆しの最中うかつな
攻撃を行うのも躊躇われた。もしそれが致命的な決裂を生んだとすれば? 不信に逆上した幹部が莫大な死傷者を生んだ
のなら? 釁端(きんたん)の徒は生き延びたとしても同士や同士の遺族から恐るべき攻撃を受ける。そういった機微が、
土星の感情の爆発をただただ掛け流すだけの、戦闘にあるまじき奇怪図を出力した。
「乃公は……誤った道を……歩んでしまった」
 床の上、ラクダのように長い鉛色の睫毛を濡れ光らせながら、リヴォルハインは言った。
「間違って沢山の人を殺してしまった以上、乃公は、乃公は……」

「生きなければならないっ!」

「生きて! 間違って殺してしまった人たちよりも多くの人たちを、救わなくてはならないっ!!」

 戦士らの表情の移り変わりは単純にして明快であった。驚愕し、不快にわななき、瞳を禍々しく吊り上げた。
 32歳の怒りは更にはげしい。

(生きたい、だと!? さんざ殺しておきながら、この男……このクズ!)
「死ね、と思ったろ?」

 土星の笑いがあらゆる殺意を掃う。床に女子学生のように座り込んだまま首だけを動かす彼は頬を涙で濡らしたまま、
だが晴れやかに笑って一同の表情を順々に見渡してゆく。

(演技か、今のは!)
(俺たちから不興を引き出すための……!)
「死ねと思ったのが人間の限界だというのだよ。殺しだけで解決すれば怪物と変わりないと言う癖に、人を殺した者が悔い
もせず生を求める様を目撃すればためらないもなく『死ね』と思う。死んで消え去る以外解決する術がないと思考を停める
……」
「詭弁だッ!!!」
「どうかな? 貴兄自身、人間のこういった限界はわかっているのではないのかな?」
「なに……?」
『人間は守るにかかる労力ほど高尚でもない』。先ほど上層部にそう言い放ったのは他ならぬ貴兄自身ではないか」
「…………!!!」
「ちょっとしたタイミングのズレで1人守り損ねただけで逆上して掴みかかってくるのが、守るべき普通の人々……! それが
わかっているから貴兄はああいう風に言ったのだろう? 或いは? 命がけで守ってやった人々が? 愚劣極まりない過ちを
やらかして──…」
「黙れッッ!!!」
 嚇怒と共に雷撃が奔る。だが床に土星はもう居ない。やや右前方で平然と立ち、焦げた破壊痕をうっとりと見ている。
「怪物はつまり人間の裡に居るのだ! 人間はどれほど自ら美化しようと所詮は獣! サルという獣から進化した獣に過ぎ
ない!! そして獣とは自身の因子を保つため他者を喰う存在! 自身の因子を殖やすため他者を利す存在!! 故に! 
自身の保全と増殖を妨げる存在などは決して! 認めない!! その獣的要素はいかに言語を操ろうといかに科学を弄そ
うと容易くは克服できない!! 本質結局ただの獣のまま生きていく連中が大半! だから不快に遭逢すれば牙を剥く。許
せない、生かしてはおけないと表明するためだけに! 言語と科学を費やすのだ! 言語と科学の正しい用法に従い我執
を抑えられる聖なる存在はごくごく……一握り! あとはゴミよ! 理論武装の流派だけが乱立した悪夢のような多様性よ!
だから乃公は……人類を減らす!」
「矛盾だな!!」
「む?」
「死者蘇生を成す、貴様が新月村でそう言ったコトは聞いている! 再人間化のため、ホムンクルスに喰われた人格の蘇生
のため黄泉返りの禁忌に手を伸ばさんとする男が! 今度は人類を減らすという! これが矛盾でなくなんと言う!」
「『引き戻してみてゴミなら消す』。何がおかしい?」
「何様だ貴様……!!」
「やり直す機会を与えてやっているだけでも有情だ。乃公に言わせれば、理不尽の死を前に死者蘇生は禁忌だからと諦め
続ける既存の方こそ無情……! 天数寿命の範疇に蹴り込み直してやってなおクズを働く命なら、理不尽こそ正しかったと
素直に認め刈り取ってやるが責任だ。禁忌を扱う責任だ」
 白の黒の逆転した眸(ひとみ)で土星は愉快そうに嗤う。ドス黒い鉛色に染まった強膜の中で渇き切った瞳孔が薔薇色の
光を滲ませる。とろとろと、美酒にでも微醺しているように。
「だいたいだ、殺害以外……つまり人間らしい話し合いとやらと解釈して良いな? それが、だ、社会問題を根治した事例
は?」」
「各種の条約によって、一歩ずつ、解決に向けて……!」
「で、その方法論でヴィクターはどうできた?」
 冷めた目で会話を打ち切られた32歳は顔面を朱に染め、激しく打ち震えた。ひどい嘲弄だと誰もが思った。
「貴兄ら戦士らじたい、話し合いでどうにもできていないではないか。ホムンクルスもヴィクターも説得できはしなかった。い
ま論駁する乃公もな。どころか上層部すら説諭できてはいなかった」
 反論はできない。なぜならば32歳は土佐犬を……殴ろうとしていた。
「滑稽だな?」 すれ違うような格好のリヴォルハインに「!!」ぎょっとする。眼前にいた筈の彼は一瞬にして袖が擦れ合う
距離に居た。
「武装錬金をちょいと使えば容易く殺せる連中相手に、『こいつらが許可を出さない限り銀成に援兵を出せない』などと歯噛
みしていたのが先ほどまでの貴兄らだぞ?」
 まあ政治的倫理的な思慮があったのだろうがな、白くふわふわした上の句にクックとした笑いの具が乗り、それは次の
フタで刺激的なサンドイッチと化す。
「銀成の者らにはどうでもいい事情よ。街区が火災し人外が跋扈する銀成の民らにはだ、貴兄らの挙げる動けぬ理由など、
どうでもいい」
「荒らしているのは貴様たちだろうが!!」
「だが恨みはたいてい、救援部隊に飛ぶ。生きて動いていて、そして罵っても殺しに来ない安牌に向けられる」
「…………っ!」
「おわかりかな? 理念の多様の弊風とはそれなのだよ。『腐った組織であっても話し合いで改革していきましょう』。もっと
もらしく聞こえるな? 誰が聞いても正しいな? だがいま襲われている命たちにとっては、どうでもいい。ちびて剥げたグズ
どもに阿(おもね)り急行できなかった武力になど価値はない。戦後知られれば必ず責められる。何たる能無しかと糾弾され
る。物さえ投げられよう」
 だが乱立する正しさとやらはそういう無用のガラクタを、よく産む。土星は断言した。
「なぜそうなるのか? 簡単だ。積み上げる生き方こそが正しいと信じるからだ。悪意に何かを奪われても、不条理で心を
壊されそうになっても、殺しはやらず、正しいと言われているコトを1つ1つ積み上げていくコトこそが人が獣でないと唯一
証明しうる生き方であり、真の勝利であると信仰するからだ」
「やめろ」。箍にかかる蜜を感じ、32歳は低く制止する。だが隣で逆を、180度逆の先にある前を見る土星を止めるには
あらゆる物が足りなさ過ぎた。
「『積み上げるコトは正しい』 罠であると気付け。体制側が体制を守るため流布した風説なのだとそろそろ気付け。悪意を
前に不条理を前に拳を振り上げかけた時、『だが殴れば今までの積み重ねが崩れてしまう』と自制する輩はな、クク、能無
しの上役にとっては都合がよいのだ。どれほどのクソをやろうが殴られずに済む、殺されずに済む。代わりに話し合いを
至上とし? 規則と倫理を盾にしたまやかし的な弁舌を尽くし? 予め用意した、いっさい変える気のない、既得権益の端
っこの方の、ちぎってもお偉方が騒がない部分の割譲に一致するまで議論という名のガチャを繰り返し、やってます感だけ
は一丁前な対処を文書化して下賜しておけば? 下っ端には積み重ねたような錯覚を鼻薬に義憤を去勢できるのだよ。こ
れほど便利な社会単位もないぞ? 何しろ政府様が主導すれば阿呆で貧相な総理ですら失政即ギロチンとはならないから
な? 『政治を変えたければ選挙です! 投票率を上げましょう!』と言っておけば、4年はカタい。4年は利権をむさぼり放
題だ。どれほど失業率を高めようがどれほど自殺者を出そうが、積み重ねるのが大事だと詐欺された国民は、積み重ねる
のをし辛くしているクソ元凶を殺した方が早いという簡単な結論すら考えられなくなって思考停止して、そうしてますます生活
を腐敗の政府に苦しくされる」
 で、やらかした上級国民様はというと罰されたりはしない。土星の言葉に聞き入る戦士はますます殖えてきた。
「70を過ぎようが80を過ぎようが、体力が限界を迎えるまで、身内に基盤を渡せるまで、上に居座る。たいていは勇退
だ。どれほどの失政に加担しようと落選で裁かれるコトすら稀。党内人事で要職から退いてあとはぬくぬくの年金コース。
おわかりか? この馬鹿構造はとてもとても話し合いでは解決できない。人ひとりを過失で撥ね殺すだけでも重罪だという
のに、国民全体に迷惑をかけた政治家連中はなんらの責も問われない。いったいどこに救いがあろう」
 ふう。やれやれと息をつき土星は云う。
「日本人は首脳は無能だが兵隊は優秀……などと評されるのはだな? 下々に優れたやつが多いからじゃない。兵隊が優
秀じゃない兵隊を排除するのが上手いだけだ。無能な上層に噛み付けばクビになるが、無能な下層には噛み付いてもクビ
にならない。だから、攻撃する。攻撃して排除していくから、必然的に優秀なのばかり残る。ただし人類全体を見渡してみれ
ば、クズの比率は変わらんよ。上も下も。ただ下の方には排除が通じやすいから、兵隊優秀理論で下々にはイイものが
多いような話になる。が。そうやって残留した自称優秀な連中というのは絶対に、腐りきった上層部にはメスを入れない。
入れれば『積み上げてきた』自分の人生がパーになるから、見て見ぬふりを、やらかす。まったく、害悪だ」
 溶けてわだかまっている上層部に無数の視線が集う。
「積み重ねたいから、正しく生きたいから、私は人を殴りませんの……結果がこれだ。はびこった門閥は軍事にまったく無
能であった。言うコトといえば国道582号である。人目が集まるから、戦うな? それは果たして言うべきコトであったか? 
人を救う組織のトップ集団が。殺した乃公は正しい。一掃した乃公は正しい……」
 こいつは説教強盗だ。32歳は解釈したが論破するにはあまりに気勢が削がれすぎた。上層部に放った一般市民評を
土星がうまく彼の論理に組み込んだ時から、流れはもう、とられている。
「貴兄らも気付け、覚醒せよ。積み重ねるのは大事だ。だが世界には天井を低くしてくる阿呆がいる。そこの赤い水溜り
のようにな。単に天井に付けるためだけに積みたかったというなら別にいい。だが! 貴兄らの目標は本当に低かった
のか! 戦団に入った時、核鉄を得た時、胸に燃えていた人生の理想は! 腹の出た上層部が自分たちの都合のため
だけ押し下げてくる天井程度の標高であったと、本当に! 言い張れるのか!」
 もっと上が理念ならば、破るべきだった。否! 今からでも心の天井は破れるのだ、常識に囚われぬ命がけをやれば
今晩からでももっともっと高く詰めるのだ! 土星の熱い声に戦士たちは多かれ少なかれ動揺を見せはじめている。
「多様性は病の根治を促進しない! ふたつなのだ道はふたつきりなのだ! 上層部が如き病み果てた腐り肉(み)をすぱ
りと切り捨て永遠の健康を得るか! 抱え込んで子々孫々じゅぐじゅぐと長患いするか! 前者を選び人間の質をコントロ
ールしない限り、貴兄らを貴兄らの大事な者たちをずっとずっと苛み続けてきたホムンクルスもまた解決はしない!!!
再人間化を実用したところで、じゅくじゅぐが居てホムンクルスを悪用する限り! 市井の人々が錬金術の禍害と無縁に
なれる優しい世界は決して絶対に訪れない!」
「ならばお前は人類をどこに画一する」
「知れたコト! 他者を汲める者! 他者のために身を削れる者ッ! 照準(レティクル)で剪定すべきは別の者!!!
我欲に負ける者は滅ぼす! 人が泣き人が死ぬ問題で稼ぐ者は滅ぼす! 画一に適した『器』はもはや見つけた! 
あとは捕らえて降ろすのみ! 貴兄らのエネルギーに惹かれ訪れるマレフィックアースを降ろすだけだ。さればこちらのも
の、人類人口は自在に絞れる……!」
(……? 『器』は画一をもたらす存在、なのか? だが……どうやって……?)
「何もかも正しいと抱え込んで繁茂した種族は統制を失う! 社会どころか環境にさえ害毒を流す! 故に! 天井を!
壊せッ!!」
「人類が病原菌だとでも言うつもりか?」
「病原菌、ふふ、病原菌か」
「なにがおかしい」
「病原菌なる菌は存在しない。人間が人間の生体活動に悪影響を及ぼしてくる菌をたまたま病原菌と総括し総称している
だけだ。だが……まあ、その理屈を地球目線で展開すれば現在の人間も病原菌と変わらぬかも知れぬがな」
「……人類も病原菌だというお決まりのアレか」
「違うな。いずれも『環境』であると考えろ。森や海と変わらぬ『環境』の単位であると考えろ。生命も意思もつまるところ形
而上の概念に過ぎない。人も獣も環境だ。どれほど万物の霊長を自称したところで、地球から見れば所詮はただの混合物。
水を飲みアンニアを出し、酸素を吸って二酸化炭素を吐く原生的な環境に過ぎない。菌と変わらぬとはそれなのだ」
 くらくらしてきた。リヴォルハインの不可解な物言いに32歳は額を押さえる。
「そして大抵の菌が少量ならば健康を蝕まないのと同様、人間も少数であれば地球に悪影響を及ぼさない。動物を殺して
も絶滅はなく、川に何を流そうが汚染はない。地球環境は38億の経験則で上手く上手く回してゆく。木を伐ろうが薪を燃や
そうが、それが過去38億年から弾き出した例年の量とやらであれば地球は正常と清浄を保つのだ」
 問題は、数なのだよ。土星の演説に聞き入る戦士らはますます多い。
「人間は増えすぎた。理念の多様で何もかも保護するよう成り果てたから増えすぎた。例えば……自力では命すら保てぬ最
弱のイモ虫とかをな」
(パピヨンのコト、か……?)
「人口爆発を起こしたものこそ保護政策だ。理解できるか? 人間の質が悪なのではない。人間の数が悪なのだ。何もしな
ければ無事淘汰された孱弱(せんじゃく)の命という名の環境をわざわざ拾うよう劣化したから、急激に増えすぎたから、
”出すもの”は、38億年の例年をオーバーフローしつつある。人間は例年を上回った雨に迷惑するが、地球は例年を毎年
上回ってくる人数の”出すもの”に迷惑する。均衡の崩壊を及ぼしつつあるのだ。単体では活動が無害に見える菌ですら爆
発増殖すればやがて命を奪うように、増えすぎた人間は何十億という活動の総合合計によって地球環境に無視できぬ重
大な影響を及ぼしつつある」
 土星はいう。だから乃公はホムンクルスの再人間化を望むのだと。
「ホムンクルスは人間の変異株だ。ただでさえ数が多く死に辛い人間に不老不死を与えますますと死ななくする腫瘍のよ
うな存在だ。法ですら処断できぬ怪物という『命』を増やす極悪の製法だ。望まずなったヴィクトリアが如き存在を保護する
コトそれ自体は人間倫理には反さぬものだ。しかしそれも理念の多様。何もかもと抱え込んだ末はいつだって破綻である。
不老不死のホムンクルスひとりひとりの事情を汲むようになれば、可哀相だから殺してはいけないという人権擁護が芽生え
てしまえば、行き着く先はただふたつ。人口爆発と飢餓である」
「まるで見てきたように」
「事実、見た。聞かされた」
「……?」
 32歳には想像もつかない。『300年先のひとつの未来』がそうであったとは。それを土星が最強の戦神を通し見聞して
いたとは。
「故に再人間化だ。ホムンクルスという人間の変異株は解除しなくてはならない。正しい人間は正しい人間の寿命で殺さな
くてはならない。種族としてのあるべき新陳代謝を活況させなくてはならない。ホムンクルスも個性のひとつだとのたまい認
める社会などクソである。時間経過では死なぬ意思ある生命体など害悪でしかない。故に再人間化だ。市井の救急隊員で
すら再人間化の治療ができる技術水準を確立せねば」
 人間は地球によって滅ぼされる。リヴォルハインの笑みが消えた。
「環境は増えすぎた質量に容赦がない。増殖を極めて新天地に踏み込んだ命は不思議と現地の菌にやられる。くく。或い
は菌と呼ばれるあの環境たちこそ地球にとっての免疫なのかも知れないな。来るべき場所でない場所に来た環境(にんげ
ん)を感染によって退け、あるべき均衡を保つための……」
「また詭弁を……」
「同意するのは音楽隊の鐶光ぐらいであろう。もっとも体質的には? 抗体ではなく幻想の方に同調するだろうがな。……
ああそうそう。よく地球は生命になぞらえられるが、その説を取る場合、人間はおそらく細胞だ。特定の細胞ばかり増える
のはあまり歓迎できる状況でもないだろう」
 とにかく『数』というのは厄介……と貴族服の男に締めくくられると、戦士の垣根からひとつ、野次が飛んだ。
「上層部殺して俺らを銀成に行けるようにしたのって、結局お前の主張叶えるためじゃねえか?」
 好きに捉えよ。土星の甘美な笑いが白い頬いっぱいに広がった。
「心の赴くまま振る舞うがいい。瀬戸内海に留まるも佳(よ)し埼玉に向かうも佳し。武装錬金は精神(こころ)の力だ。強烈
は決意が発し、決意は自由が発す。乃公は土壌のみを与えた。老人達の退場によって与えた。どこでどう戦うかは貴兄ら
各位が決めればよい。銀成が求めるのは自ら決意し踏み込める者だけだ。奮えぬ者は来ずともよい」
 戦士らはざわついた。隣の知己と顔を見合わせ善後を検討し始めた者も居れば大声を上げて廊下を走り始めた者も
いる。ただ組織が集団に降格していたのはほんの30秒ぐらいであった。戦団が軍隊ではなく警察に近しい性格を持って
いたコトは上層部壊滅後いい方向に作用した。『危険にさらされている一般の人を助けたい』。刑事というより地域のおま
わりさんのような理念で平素から一致団結していたかれらは、公的な舵を失った組織としては珍しくさほどの主導権争いも
なく次の集団的行動を決定した。

 すなわち。

「最初の案に戻る。日本支部居残り組のうち直接戦闘または戦闘補助にそこそこの可能性がある者は銀成に向かい」
「そうじゃないのは日本支部に残留。情報や解析で銀成に貢献できないか検討」

 司令室前の廊下で東西に別れ堵列する戦士たち。いずれも英雄に率いられるコトなき無名の義勇軍。銀成に対しかれ
らがいかに振る舞うかは追って明かされるであろう。

 ぱん、ぱん、ぱん。

「見事なる迅速の判断。軍隊ならばこうすんなりとはいくまいぞ? 奴らは人を救う、ではなく敵を殺すで行動している……
指揮を失ったが最後、自説をぶちあって共食いであるだろう」
 拍手は執務机の上で右膝立てた土星の両掌から起きていた。音源を嫌そうに一瞥した32歳は渋面でいう。
「いや、何でいんだよ。上層部殺したんだろ。帰れよ」
「違うって。ゲームのルールだって。コイツが居る限り楯山千歳たち瞬間移動能力系統の人たちは銀成市民を日本支部に
直接移動できないんだぞ。じゃあ土星、居るだろ。居座るだろ」
 誰かの戦士の声に「それな」、土星は親指で自らを指す。「あとだ、乃公がいらっしゃらねば誰がココを他の共同体から
守れるというのだ?」

 はい? 戦士らの目は総て点になった。

「守る、だと? レティクルの、敵の、今しがた上層部を掃除したばかりの幹部が、ここを守る、だと?」
「不思議に思われる方が乃公疑問に思われるが? ここにいる非戦闘員が有象無象の共同体の人質にされたらどうなる?」
(そりゃあまあ銀成での戦いにも影響は出るだろうが)
(なんでその銀成の戦いの原因の組織のひとりに守られなきゃならねーんだよボケ!)
(だよな。お前が居座った次点で俺たちお前の人質状態じゃね?)
「我々が我々のため立てた師である。見ず知らずの共同体に利用されるようなコトなど有ってはならない。故に銀成へ行く
者たちよ、後顧の憂いなく戦うが良い。日本支部に残留する者たちは乃公、命ある限り他の勢力から守られよう」


 午後9時40分。日本支部の戦士たちは銀成市救護のため動き出す。


 かれらにさまざまな思いを交錯させたのは──…


「そう。数」


 別れ際最後に聞いた土星の、うっとりとした。言葉。





「貴兄らはやがて実感するだろう。『数』は恐ろしい、と。どれほど凡庸な精神であっても過剰に増えればそれ自体が厄介
な武器であると、な……!」





 クライマックス=アーマードは元声優だが二次元への愛を深めていったのは現役時代よりもむしろ失職後、教師生活の
中である。

「こーいう時はこれをやっとけってソレ習ってないですし〜! いい加減自分で考えて動け? このまえ考えて動いた結果、
余計なコトすんなってこの上なく叱ってきたの、アナタじゃないですかあ! だから指示を待っていたのに『気を利かせて
やっておけ』!? この上なく悪いのは私!? 私なのですか〜!?」

 新参は古豪に何を言われたか覚えるが、古豪は新参に何を言ったか把握しない。
 そこだ。まったく言われた覚えのない情報を、どうして記憶していないのだと怒られる珍事が生じるのは、そこだ。

(笑って混ぜ返せる性格以外は地獄の構図! この世界マジメほど馬鹿を見ますねこの上なく!)

 といったよくある社会生活の傷が痛い時に見る二次元はまったく何よりの癒しであった。

「ああ。悪い方向に転がりそうで転がらない人たちの、この上なく素晴らしいコト! 悪い方向に転がりそうなとき止めてくれ
る人が必ずいる世界の何と尊いコト! 誰も彼もが諦めていない姿にはこの上なく次の出勤の勇気が湧きます!」

 人は社会で生きていくうち言葉のナイフへの耐性を得る。10代の頃なら10日は塞ぎこんでいた物言いだって20代になれ
ば慣れてくる。通勤手段の外枠で流れる景色を惘(ぼんやり)眺めていれば、取り留めない思考が幾分か和らげてくれる。
カーラジオかウォークマンか有ればもう水を入れすぎたカルピスだ。
 だが幾つになろうとナイフで斬られるコト自体は、痛い。マゾでもない限り回数と好感は比例せずそして人間時代のクライ
マックスはどちらかといえばサドだった。

(まー、ディプレスさんのように怒鳴られるたび鬱キメるほど深刻でもなかったですけど。なーんであのテの人って割り切れ
ないんでしょうね? 怒られてもお給料は貰えるのに。労働基準法ある限りちょっとやそっとじゃクビにならないのに)

 一定の割り切り。クライマックスの心には弾力がありそれはなかなかの防刃性能だった。

(要するにリバースさんもディプレスさんもマジメすぎるんですよ。人は傷ついた人を立ち直らせるのが当然だと信じている
から、それをしてくれない人に怒ったり鬱ったりです。心の底では他の人を信用しているから、期待と異なるコトされると裏
切られたような気分になって悪感情に染まるのです)

 家族なら声の出ない私を救ってくれるのが当たり前と信じていた少女は吹断の狂女となり。
 会社なら心の晴れぬ俺を救ってくれるのが当たり前と信じていた青年は分解の凶鳥となった。

 は〜〜〜〜〜〜あ。クライマックスの溜息は特大サイズの綿菓子だ。

(人に夢みすぎですよこの上なく。ドラマやアニメに毒されすぎ。主人公が救われるのは救われるようサブキャラが配置され
てるからですよ。魅力あふれるキャラたちが噛み合って纏まる一つの機構がちゃあんと準備されてるからですよ。リアルは
違いますねぇ。主観はあれど主人公を張れる力はない。だのに理念だけは乱立する。そのせいですね、家庭や会社に下
らないものが多いのは。みんな主人公気取りで要求ばっかするもんだから調和も何もあったもんじゃないですよこの上なく。
なのにディプレスさんってば”なんで救ってくれないんだ”って上司とか同僚とか殺すんですからこの上なく怖すぎです。勤務
先なんてお金稼ぐ場所でしかないのに)

 そういう不真面目な、職務意識の低さこそ教師時代のクライマックスを怒声の坩堝に追い込んだ身体滲出性の錆である
が、しかし本人は被害者意識しか持たなかった。

(”しなくていい”。職場の誰かが保証してくれたコトですら、”どうしてやっていないんだ”と怒られる例のアレも鬱陶しかった
ですねー。え、これ私が悪いんですか、みたいな。教本どおりやってたコトを”しなくていい”と遮られたんですよ。んで、本当
かなーってカオしてたら”するな”になって、ああそうなのかと従っていれば冒頭のアレですよ。別方向から注意力の欠如だ
と怒鳴られた。アレで悟っちゃいましたねー。学校だろうとなんだろうとリアルの組織に統一性などないのだと。結局ですね、
みんなただ一家言で動いているだけなんですよ。自分の担当分野さえ小奇麗に処理できればいいという考えだから、別の
担当の人と食い違う。新人はただ”するな”を実直に守っただけなのに、ただの学生気分な不勉強だろうと決め付けられて
叱られる……。ヨコのつながり、無さすぎ。一家言同士の競合は一家言の持ち主同士でやっといて欲しいもんですよ!)

 指導者がやってはいけないコト六か条。

 ルーキーの不手際を分析ではなく論評する。
 失敗時の様子を過剰な形容や物真似で繰り返す。
 事象Aの失敗を指摘する時、ついでとばかり瑣末な事象Bをも説教。
 ぎこちないのが当たり前の新兵に対し、自分なら一発だがと優位性を誇示。
 教え子の間違いには怒るが、自身の間違いは謝らない。
 仕事とまったく無関係な趣味や信条まで改めようとする。

 役満を食らい続けるうち、教師時代人間時代のクライマックスはこう考え始める。
 この世はクソ漫画の主人公のクロスオーバーである、と。

(教えるルールが絶対の物でないのも、吐いた言葉を覚えてないのも、『有り得ない』。不熟。実に不熟。いやしくも教職
に携わる者が絶対ではない情報を教え、何をどれだけ教えたか正確には把握していないとかまったく以って不熟。教育
課程を通ってきた人たちですらそれです。普通の会社ならもっと悪い。それがお気に召さないと同僚上司の類を解体
殺人したディプレスさんは本当に、異常!)

 そんな社会だから人間時代のクライマックスは傷ついた。
 シリアルキラーだがシリアルキラーになりきれなかった三枚目の女性は純真の赴くまま怒声に傷ついた。言い方があるだ
ろうと発言者に不満を覚えつつも、自分なりに真剣に反省し──もっとも「この作業の時は必ずこれをやる」というアタリア
タリに過ぎないが。囲碁ならヘボ打ちの反省だ。全体の流れをちゃんと掴まないからまた別の場所でポカをやり、怒られる
──反省して、帰宅途中の風景で傷を薄め、最後に自宅で録り溜めにアハハと笑っているうち「あんなコトもあったなあ」に
なる。

 人並みの癒し方。だからこそどこかへうっちゃった筈の言葉を何かの拍子で再び見つけてしまった時、心は痛む。動けな
くなるほどの深刻な痛みではないが、しかし痛いものは痛いし、悲しい。そもそも彼女はキツい言葉を投げかけてくる上司
なり先輩なりに弟子入りした覚えはない。クライマックスに言わせれば彼ら目当てで就職したのではなく、生活費を得るた
め所属した組織にたまたま上司なり先輩が居ただけだ。そして彼らは勝手に彼らの規定で声を荒げてきた。

(あれはいったいなんなのでしょう)

 うるーと両目をきらめかせながら女教師は両手を組む。現役時代のお話だ。

(別に給料を与えている訳じゃない人がどうして人格まで否定してくるのでしょう。どうしてそういう権利があると思えるので
しょう。何を、いつ、どう使えばいいという情報は秒で伝えられる筈なのにどうして5分10分のお説教をつけるのでしょう)

 ましてクライマックスの職場は学校である。教師が、モノを教えるのに怒声しか使えないのはこの上なくいかがなものかと
彼女は思った。思っただけでなく一度けっこうな大物に進言した。こっぴどく、怒られた。碌に仕事を覚えていない新人が何
を言うのだと2時間に亘ってガミガミと言われた。理詰めの件は言うとますます怒られるのが分かったので、以降二度と言
わなかった。ごろごろした雷雲が飽きて過ぎさるのを待つ処世を手に入れた。

 もちろんこの時点で彼女の思考が一般的な社会人からかなりズレていたのは言うまでもない。ちゃんと仕事をしていない
奴が自分を棚に上げた理論武装で上司なり先輩の非違をあげつらっているだけだ。それをやるならクライマックス自身、教師
として、人に規範を示せる品位と人格を得るべきであった。得るための自制と努力を行うべきであった。それがないからいつ
まで立っても小言めいた指導をちくちくやられていたのに、全然、まったく、気付かない。

 ただただ自分が、流浪の果て、拙劣な労働環境に迷い込んでしまったようなカオばかり、した。

(演劇畑から仕事に入ってわかる面倒くささ! 技術体系さえピシっとしとけばどれほど厳しい演出家さんでも話し合って
イメージ掴めばテイク3以内にクリアできていた演劇畑に比べ一般的な仕事のシガラミときたらもう。これをやると保護者に
怒られるとか、あれはPTAが苦いカオするから絶対するなとかとかいったビクつきようときたら故障した機械ダマシダマシ
使ってんですか? ってぐらい不合理でしたねこの上なく不合理でしたね!)

 と叱責への反感こそ蓄えるが特にどうという職務への使命感もなかったクライマックス。小学生の教え子たちと戯れるの
は好きだったがイジメなどのガチめな問題は「あの人殺せばソッコー解決なのに何でやろうとすると邪魔入るんでしょう」と
ヤキモキする以外なかったクライマックス。
 大学時代なんとなく取った教員免許を「メシの種が他にないから」と活用していただけのちゃらんぽらんな彼女にとって、その
姿勢ゆえ日々ますます苛烈さを増してゆく叱責の雨は実に実に心苦しく、そして、鬱陶しかった。

(ああ。怒られていない人が妬ましい。理不尽ないちゃもんつけてきた人をソッコー殺せる人が妬ましい)

 声優時代収録したネタソングが数年越しで注目を浴び爆売れしていた時期などこの世の終わりのようであったとさえ彼女
は回顧する。
(あの契約じゃなくあの契約にしておけば、ガッポガッポお金入ったのに! 上司と先輩のパワハラ事案へ騒ぎによって復
讐して退職してCDの売り上げでこの上なく遊んで暮らせたのにィ! 権利関係うまくやって儲けてる人にもジェラシーですぅ!)
 ウレタン枕をぽふぽふ殴る。過去の栄光にはディプレスほど執着はなかったが、芸で得られたはずの収入が得られない
のは侘しかった。そんなコトばかり起きるしょぼくれた二十代の生活であった。

 だがそんな生活は──…

 漫画に。
 小説に。
 映画に。
 アニメに。
 ゲームに。
 サントラに。
 アニソンに。
 ドラマCDに。

「この上なく癒されました!!」

 銀成市の境のとある地点。灰色の装甲列車内部。くすんだ翠色の四人掛けの窓際の席に腰掛けたクライマックスは分
厚い黒縁メガネの奥でうきうきと双眸を輝かせつつ、両手の、やや雨粒にまみれた青色のビニール袋を前の席へドサリと
置いた。座席は装甲列車らしく、固い。合金製の席ときたらカバーもクッションもない骨格剥き出しの無愛想だ。古い公園
のペンキがゲトゲトに禿げた石のベンチの方がまだ柔らかそうだとディプレスに大好評を賜っているのも納得といったとこ
ろか。尤も、尻だけは引き締まってモデル級のクライマックスだ、今日も柔らかな弾力に任せるまま固い座席にへっちゃら
顔で身を沈める。

「銀成市にもメイトあってよかったですこの上なくよかったです!」

 店員などとっくの昔に逃げ出していた。銀成市のあちこちで無数の自動人形が暴れ始めた以上、当然だ。蛻の殻の店内
でクライマックスは好きな二次元媒体をありったけ袋に詰めてきた。会計は10万円の束が3つ。蛍光色のターコイズグリー
ンなコイントレーの上で組体操している。トレーの底から赤いサンバイザーの劇画調の男が見上げる30万円は雑い丼勘定
ではあったが、商品総額より下というコトもあるまい。もっとも彼女の自動人形の争乱が一日の売り上げや建物にもたらし
た損失からすれば些少すぎるむきもあるが。

「これも任務の一環! 悪く思わないで下さいねこの上なく!」

 クライマックス=アーマードの武装錬金、スーパーエクスプレス(レティクル座行き超特急)の特性は無限増援! 創造者
の精神力が続く限り、いくらでも人形を生産できる! (同時存在数は1つの武装錬金につき9999が上限!)。
 そして冥王星の精神エネルギー源は『二次元媒体から湧出する精神力』! 現物・記憶問わずあらゆる二次元への昂ぶ
りがそのまま精神力の加増となる!

「いわば戦部さんが想像だけで『弁当』を調達できるような感じです! ぬぇーぬぇっぬぇぬぇ! さすがの総角さんでもコレ
だけは複製不可能でしょう!」

 事実、そうであった。もし仮に総角主税がスーパーエクスプレスを入手したとしても、クライマックス級の波状攻撃は(他の
武装錬金と組み合わせない限り)絶対にできない。相性によって下方修正された同時存在数の、その上限の数を生産した
だけで精神力は枯渇するだろう。

「レティクルの中で私が、私だけが、想像ひとつでの精神力つまりMPの完全回復機能をこの上なく持っている! しかも生
産による装甲列車へのダメージは一切なし! リバースさんのマシーンですら109万4400発を3時間48分フルオートし
たら壊れるのを考えると実に! 堅牢!」

「しかもこれはリバースさんでいう所のコンセントレーション=ワンですらない! 【幹部の固有スキル】は別にある!」

 喋る間にも戦利品満載の青ビニール袋をまさぐっている。

(やっぱ実店舗での買い物最高ですこの上なく最高です。通販も便利ではありますけど、ちゃんとしすぎているせいで面白
味がありません。実店舗は「地元にはないレアモノがこんなにいっぱい!」って驚きがあるからいいんです。単行本派やっ
てる月刊漫画の新刊を見つけてギョっとするのもありますねー。近所の本屋さんが個人経営でちっちゃくて、週ジャンの掲
載順やや下位な漫画すら1冊しか入ってこないといえば有名月刊誌の弟分の弟分みたいな雑誌連載の単行本がどんな扱
いかわかりますよね!!!! あと手書きのポップとかも地域ごとに差があって面白いですしー。周辺の飲食店でおいしい
物食べられますしー。電車の旅で風景眺めるのも楽しい。きっと私の武装錬金が装甲列車なのはそのせいですねー。たま
に無性に遠出したくなるけど車買うぐらいなら購入費と維持費分でグッズ買った方がこの上なくお得、だから電車を使う、電
車が好き、そんな精神からスーパーエクスプレスは生まれたに違いありません)

 などと人に聞かせるために思惑を成型(オタクはなぜかよくやる。誰かに問われた時すぐに答えられるようにという謎めいた
親切心で)する間にも、細く可愛らしい、だが30間際相当の皺も数ヶ所にある手は、メイトで買ったさまざまな商品渦巻く袋の
中で活発に活動していた。
 第一に抽(ぬ)きとったのは大手出版社の青年向けコミックスだ。狎れた様子でばりばりガサガサ剥ぎとったシュリンクを、
白い埃や藍の糸の絡みついたダマだらけな灰色ロングスカートの右ポケットへと無造作に捻じ込んだクライマックスは鼻歌
交じりに読み出した。

(女の子の絵柄が可愛いから買った第一巻! 日常モノなせいで1話12ページで発売が遅かったですが、ぬぇぬぇぬぇ、
手に入れました! 本誌掲載時は立ち読みでしたがお色気漫画となれば買うしかないですこの上購入です!)

 本誌既読者特有の単行本のチェックが始まった。まずカバー折り返しのコメントにふふっとなったメガネのアラサーはカバ
ーを外し下に何があるかを確かめた。無彩色の表紙であった。ネタや裏設定の類のなさにやや鼻白んだ彼女であるが手つ
きだけは狎れた様子で巻末に及ぶ。1ページ使った後書きには連載までの経緯とスタッフへの感謝があった。その前には、
少年向け月刊誌にお邪魔した時の宣伝用マンガ4ページ。微妙に大きさが不揃いな双瞳にそこそこの満足が浮かんだ。
 既に家にある単行本を再び買ってしまう現象の胚胎であった。オマケのみを点検し本編の通読を怠った者は店頭でふと
目についた当該単行本を購入していないものと錯覚し、レジへと運ぶ傾向にある。自宅で本編を何度も読み返した経験さ
えあれば防げる悲劇であるためこの構成比は長編漫画ほど低く、日常系漫画ほど高い。(刊行ペースが速ければ少なく
なるが、『連載1周年にしてハマったので1巻から買い始めます』の場合、3巻あたりで『しまった2巻買ってない』と誤解して
重複したりもする。オマケページへの見覚えでやらかしたと青ざめたりもする、そんなありふれたオタクライフをクライマック
スは送っていた)

 チェックは各話の間にも及ぶ。キャラデータや一発ネタが点在していた。軽い落胆の吐息が漏れたのはキャラデータに3
サイズがなかったからだ。
 本誌掲載時にひどい下書きがあった場合、該当箇所への検分が行われるが幸いこの漫画にそうすべき箇所はなかった。
ただしお色気漫画である。覚えている限りの容疑者らに面通しはする。本誌では湯気や光に阻まれていた箇所の『変化』の
有無を求め冥王星の幹部『黄泉路に惑う天邪鬼』はパラ見する。パラ見し続ける……。

 ああ、だが、いったいそれらに何があったのか。銀成市を攻囲する恐るべき女幹部の表情はみるみると曇っていくではな
いか。遂にはあまり丁寧とは言い難い投げ方で傍らの座席に本を落とした。

「券が……なかった」

 メガネを白く曇らせカックンとうなだれる冥王星。だがそれも一瞬だ。ガッ。向かいの席に足を掛けたクライマックスはやお
ら右拳をぎりぎり握ると天井見上げ騒ぎ出す。

「なんで券発行してないんですかぁ! 集英社の青年誌のッ! お色気漫画のッ!! 単行本なんですよッ?!? なのに、
なのに! な・ん・で・券発行してないんですか単行本買ったイミないじゃないですかぁこの上なくっ!」

 戯画的な怒りの漫符が右こめかみの上でひくつく。、

「全年齢向けの月刊のアレは本誌掲載時ですら券発行しまくりなのにィ!!」

 オタクは自分の想像通りにならなかった場合、とても、うるさい。
 この種族の価値基準は出された物の質よりむしろ己の好みや予想との一致率にある。そのうえ思考回路が独自の、多
様化の一例のような独特に満ちているため、うるさい時の方が多い。思い通り願い通りの展開になってもどのみち早口で
歓呼するから、うるさい。冥王星の声は元声優だからかわいいが、元声優だから声量があって、うるさい。だからだろうか。
幹部の中で一番リバースに必中必殺を喰らわされていたのは。

「いいですか! 心からこの上なく名作だと思える作品と、大好きで思い出深い作品と、頑張って応援したい作品は……別
なんです!! 名作は本誌掲載分だけでいいかな、単行本も漫画喫茶でいいかなって感じだけどあと2つは違います! 単
行本もグッズも完全保存! この2つの違いはいまやってるか否かの違いの他に、アンケ出して単行本買ってるときに『期
待に応えてくれた』か否かです! たとえ打ち切られたとしても終盤がちゃんと盛り上がってくれれば思い出深くなり、たとえ
社会現象を起こしたとしても終盤誠意のない展開に持ち込んだら応援したくなくなります! 単行本この上なく全部売りま
すバイバイです!」

 とにかく語りたがるのである。
 長文かましたがるのである。
 中身があるようで中身のない長文を、誰かが中身感じてくれるだろうと期待して、かましたがるのである。
 だが分類すれば残念ながらクライマックスは美人であった。ギリとはいえ美人であった。
 自制とは無縁な生活ゆえ腹部や二の腕に余分な肉が付き始めている。ブラも体型の変化に合わせて更(か)える適切な
アップデートを怠っているため、ワイヤーが合わず、豊かなバストラインは常に崩れて見えている。
 が、顔立ちは本当に圏外すれすれの崖っぷちだが美人の類である。
 化粧をしないせいで30代間近の一般的な肌ツヤが見え透いてしまっており、「まさか子供産んだ? え、産んでない? 
産んでないのにそんな生活に疲れた主婦みたいなスッピンなの?」と声優時代の旧友に39日前仰天されたほど彼女の風
貌はどうしようもなくやがてくる30代相応の代物だった。しかもよく見ると左右の瞳孔の大きさが微妙に違うというチカチー
ロ的な不穏を孕んでもいる。
 が、子供によく挨拶されるタイプでもある。下校途中の女子小学生たちに大きな声で「さようなら〜」と手を振られたり、
グラウンドで野球の球拾い中の男子中学生に「おはようございます!」とフェンス越しにキャップを脱がれたりが非常に多い。
マンション暮らしの頃は隣人からよく幼稚園年少組の女の子を預けられた。
 以上はホムンクルスになってからの出来事だ。
 オタクらしく常にどこかキョドっているのと、思惑がすぐカオに出てしまう所がどうやら子供たちには親しみやすかったらし
い。職場を金づるとしか見ていない幼稚さも、加齢に対してはいいストッパーに見えたようだ。苦労知らずのペットのような
クリっとした大きな瞳は今でも自慢できる数少ないタネだ。今年の花粉飛び交う春先、マスクのお陰で10代に間違われた
話は何度だって仲間達にしている。
 立ち振る舞いと目のせいだ、小学校で教鞭を執っているころクラスが円満だったのは。太ももの裏側にまで伸びる長い黒
髪はクライマックス的には和風美人の演出であったが子供たちには近所のなかなか散髪にいかないものぐさなお姉さんと
いう風に映っていたらしい。
 だから同年代以上の男性からは『”コレ”と付き合うのは妥協したと言われそうで嫌だなあ』と、思われて、いた。

 大人だがオトナではない20代から50代は確かにおり、クライマックスもまたそれだった。大なり小なり悲劇によって子供の
面影を残さざるを得なかった他のマレフィックと違い、冥王星だけは極めて一般的で普通な『大人だがオトナではない』アラサー
であった。幼稚ゆえに社会から怒鳴られた傷を原因解決ではなく現実逃避で済まし、癒されてしまった経験がますます彼女を
しょうもない人格へと形成した。

「単行本を買うというのは期待! この上なく期待! 青年誌でお色気漫画なら単行本解禁で券があると期待するのはこ
の上なくこの上なく当たり前のコトじゃないですか! なのに、なのに……!」

 はあ。クライマックスは買い立ての本を見下ろした。目は冷え切っている。冬の北海道の沼より暗緑色だ。

(まぁ、パスト堂で暴れさせた人形分ぐらいの補充にはなりましたが……2巻は…………ま、買わないでしょうね。資金は
有限、ムダには使えない。申し訳ないですけどあのアンケ順で券発行してないってのは……ね)

 失意と落胆が切るコトを選ばせたが──…

 2年後。この漫画はアニメ化を皮切りに社会現象を起こす。日曜夕方の演芸番組の黄色どころか紫が主題歌を歌うほど
の社会現象を。

 クライマックスには体質があった。

 愛したものは必ず滅び、嫌ったものは必ず栄える。レティクルの改造手術で授かったものではない。生まれつき天性だ。
恋した男は死ぬ。尊敬された先達は死ぬ。作者が殺しやったせいで(就寝中のヒモの口に摂氏182度でグツグツな天ぷら
油を流し込んだ2日後、小腸からの感染症が罪状を決めた)絶版即回収を喰らったのは生涯最高に推していた少女漫画。

 法則を逃れえた人物は未だかつて居ない。リバースですらクライマックスに、微かにではあるが好かれていた。

 さーて次。青いビニール袋をまさぐりかけたクライマックスであったがその動きは突然の振動によって中座するコトとなる。
固い翠色の座席から券なき単行本が落ちた。七三に開いたページの側が床に着き雨水を吸う。車内にできたその水溜り
はクライマックスの靴底から流れてきた銀成の路面の雨水だ。ばさりという音で現状を知った元女教師は(落ち……ああも
う売れなくなったじゃないですか)と眼鏡の奥の目を不快気に細めるがそれはすぐさま狼狽に打って変わる。
 二度目の謎の振動は一度目とさほど変わらなかったが、すでに座席から垂れ始めていた戦利品満載の青いビニールを
落下させるには充分だった。ぱっしゃりという濡れた音がクライマックスの鼓膜を叩く。濡れて伏せる単行本めがけ降り注
いだのは大判の単行本3冊とシングルCDの6枚とアルバム4枚、それから雑多なストラップや缶バッヂやクリアファイルや
マスコットぬいぐるみといった合計18点の品々でありそれらは悲痛の表情で手を伸ばす眼鏡女子の努力もむなしく湿った
床へと散乱した。
 シュリンクの及ばぬ上下面に汚水を吸った大判がある。読む前のそれはオタクにとって致命的だ。CD類でケース割れを
免れたものはなかった。ひどいものは透明で清潔な罅(ひび)から内側の歌詞カードや台紙への浸水を招いていた。金髪と
赤い服でキメた男性アーティストが奇妙な皺で波打つ。雑貨類には厚紙製のオレンジ色外箱がふやけたり、または落下そ
のものの衝撃で破損したりで無事なものといえばクリアファイルであったがパッケージングのビニールなき特典である。きゃ
ぴきゃぴという死語を放つ3人のアイドル少女たちは全員泥水に汚された。親指と人差し指でつまみ上げる。見るも汚らし
いブラウン色のツブツブが何条も何条も、アイドルからライブ会場へ醜く垂れてゆく……。
 原因たる揺れは地震ではなかった。硝煙の匂いどころかうっすらと紫色を孕んだ煙さえ窓の向こうの外地に見えた。3回
目の振動とほぼ同時にクライマックスは、クリアファイルに向ける憐れみの瞳(め)の上端でかすかにだが捉えていた。窓
から黄色い閃光が雪崩れ込んでくるのを。リバースが写楽旋輪から喰らった強烈な奴より更に何億倍も強烈だ。彩られ影
となった立ち姿の冥王星は静かに静かに、思う。

(……これは)
「ミサイルランチャーの武装錬金! ジェノサイドサーカス!!!」

 午後9時56分。銀成市北西部。緑文字のコンビニの駐車場に凝集する戦士たちはいま、炎に包まれる装甲列車を固唾
呑みつつ見守っていた。表情は、暗い。

「駄目だ! 一瞬火の手は上がるが──…」
「全然破損していない!」

 先ほど着弾した窓にすら罅がない現況を前に落胆と悲鳴が交錯する。言葉どおり火災だけなら発生しているがそれも
一瞬であった。当夜が雨であるコトを差し引いても火薬の効能はあまりに短い。

「どんだけカタいんだあの列車! 戦団有数のミサイルだぞ!?」
「撃つ俺は諦めん! 連射速度を上げてみる!」

 襲いくる自動人形から護衛されているのだろう。戦士の一団に揉まれるよう佇んでいる影が口を開く。一団の背後には
ハチの巣があった。ちょうどバスぐらいの幅と高さと奥行きを持つ四角形のキャンバスに、直径140ミリほどの筒を6段×
5列で規則正しく等間隔でビッシリと敷き詰めている異形のハチの巣は、店名が緑のコンビニの、駐車場に設営されている。
 西方221m先の道路を横切る装甲列車めがけ砲口を向ける都合上、歩道に横溢する形でコンビニ店舗から見て斜めに
設営せざるを得なかったジェノサイドサーカス。バス・サイズであるため最大収容数6台という猫の額ほどしかないコンビニ
駐車場にはやや大きく、レジ側の車止めの頭上を軽くだが飛び越えている。敵がランチャー本体を強く押したが最後、ビニー
ル傘売り場やコーヒーマシンを置いている側の大窓は高齢者の踏み間違えを”たどる”だろう。
 ハチの巣から、ミサイルが出る。30発だ。孔とノズルから噴き出す精神力固体推進剤の燃焼ガスは夜陰にも鮮やかな
鮭色であった。みな、列車を目指す。
 周囲を徘徊していた自動人形たちのうち何割かはミサイルの熱源に反応し斧で斬りかかったり銃を放ったりしていくが、
戦士らからの攻撃によって阻まれている。もちろん彼らを見逃す理由も特にないので、場にいる8割以上──40体ほど─
─の人形は標的を戦士らへと切り替えている。使うのは剣や杖が多かった。

(おー。さっきまで道路でこの上なくひしめいて芋洗ってた200体近い自動人形のうち9割が)

 車道や歩道、駐車場の各所で破片となって積もっている。
 クライマックスがメイトの戦利品に熱中している間、戦士は仕事をしていたらしい。

(カタログスペックだけなら鷲尾さん級な強さな人形を、よくもまあ、すごいです! まあ無限ですケド)

 乱戦のなか、ミサイルは飛ぶ。

(ジェノサイドサーカス。ヴィクターさんや邪空の凰にも使われたこの上ない有名どころ、ですか)
 黒縁メガネをクイっとしつつアニメグッズ総ての廃棄を決議したクライマックスは身をかがめると乗降口近辺への移動を
始める。窓から隠れるようにしたのは戦士の意図を探るためだ。

(ココに来たのは幹部(わたし)狙い? それとも単に列車突破をやりに来た?)

 前者を疑うのはメイトへと繰り出していたからだ。いくらクライマックスでも道中戦士のだれかに見つかり尾行された可能
性ぐらいは疑う。

(見つかり、尾行……。……。戦士が、私を? ぬぇぬぇ)

 可笑しくて可笑しくて声が漏れそうだとばかり唇を裂く。右手で覆うのは破裂の息が漏れそうだからだ。
(できっこないですよーだ!)
 そう思いつつも恐怖ではなく論理の方角から疑える自分をクライマックスは発見し、自身への好感度を幾ばくか高めた。
職場でよく怒られた経験は苦かったが、自身が何か”まずいこと”をしたのではないかと省みられるようしてくれたのならまあ
プラスだ。振動は続く。窓からこっそりと窺う戦士たちはみな固唾を呑むという表現そのものの表情で列車(こちら)を見て
いる。だが極限の緊張ではないとクライマックスは解釈する。もし戦士が自分を発見しているのなら、かれらはきっと、淵に
蛟竜が潜んでいるのだという動顛を浮かべているだろう。それを全員が見事に隠しきっているのなら(私の劇団に全員引
き抜いちゃいますよ)とクライマックスは好ましく笑う。

(十中八九この上なくただの列車突破でしょうね。私を発見すれば戦士さんたちは色めき立ちます。だって本体ですから。
私が死ねば列車全部消えて銀成市の包囲解けますもん。つまり目的通りだから喜色を浮かべる。四方への連絡の挙動
だって取る。でもそれはやってない。つまり未発見。じゃあわざわざ姿見せる必要ないですよ)

 並みの戦士ならまず負けない。捕捉され斗貴子級を大量に呼ばれたとしても辛勝できる自信はある。

(でもですねあのですね、もし向こうが本体(わたし)に気付いてないなら、それはコッチがアッチの能力を観察できるまたと
ない機会。リバースさんは連携に敗れた。格下の戦士でも連携すれば幹部を討ち取れると実証された以上、敵陣営の能
力は見ておくに越したコトはないです)

 海王星天王星が戦士らの能力を碌に検分せぬまま進軍したのは、数で劣っていたからだ。一般的な能力バトルの文法
で悠長にアレはこれ、コレはあれと暴いていくと数の暴力に包み込まれ討たれかねないから、「とにかく殺せれば良し」で
ゴリ押しした。
 が、クライマックスは違う。数。無限増援がどうして劣ろう。ディプレスとリバースとブレイクとデッドに200人近く削られて
いる戦士たちにどうして劣ろう。

(私は能力きっちり理解した上で攻略して倒すタイプ! じゃなきゃ漫画的じゃあないでしょうぬぇぬぇぬぇ!)

 実戦的ではないと常々イオイソゴには渋い顔をされている思考法ではあるが、実戦的なのよ(キリッ のすえ、咀嚼すれば
見抜けた(知略戦主体の剛太ならばまず気付けた)写楽旋輪の能力にまんまと出し抜かれ敗北したリバースという前例が
あるなら通しやすい。意見は失敗を防ぐものであれば通りやすく、失敗は発生前より発生後の方が上役は防ぐコトの意義を
感じる。

(これも職員室で培った処世って奴ですねー。良くないコトが実際起きない限り、予防のための予算が降りないってのはおか
しない構造ですねこの上なくおかしい。リヴォルハインさんのよくいう理念の乱立の、弊害って奴ですよこの上なく)

 乗降口に着いた。相変わらず屈んだままのクライマックスはそうっと目から上だけを窓枠から日の出させる。黒縁メガネ
の奥の、これだけは年齢を感じさせないくりっとした大きな眸(ひとみ)が理性に濡れ光る。小学生相手に人気を博していた
女教師だけあり、外界を窺うだけで妙な優しさが漂ってくる。

 何発か着弾があった。が、車両に大きな破壊はない。揺れのなか幹部は数瞬まえみた武装錬金に対する感想を心の中
で述べる。

(ミサイルランチャーの癖に板野らない緩慢な飛翔速度はややマイナスですがココに持ってくる能力としてはまずまず正解。
何故ならば、この上なく──…)

「あの列車! あの列車さえ壊せば市民を逃がす血路が開ける!」

 肉厚な装甲の向こうから雨に紛れてやったきた誰かの声に「ですね」と頷く。相手は敵だがクライマックスは特に敵意も
不快感も抱かない。お仕事大変ですねという親近感すらある。

(戦士さんたちはこの上なくこう考えている。『千歳さんたち移動系の武装錬金が土星によって封じられた以上、銀成を包囲
する装甲列車を破壊するほか道はない!』と)

 戦いの舞台となるこの銀成市西部は、銀成決戦開戦時ミドガルドシュランゲ先頭車両が打ち上げられた地点から更に北。
約1km北上した地点にある。南を見れば例の国道582号の高架の巨大な影がうっすらとではあるが視認できる。
 隣接する振飛市から銀成市大通りへと続く細くも太くもないごくごく普通の道路に沿って開発されたこの地帯は、平均40
0mごとに信号のある交差点が出現する碁盤型の都市区画であった。
 居並ぶ建物の5割は喫茶店や定食屋といった飲食店であり、そのほとんどは明治から昭和に起源を持つ累代のもので
あった。
 上り車線下り車線ともコンビニは700〜800mごとに1件ずつ。看板は青牛乳または緑文字。鎬を削る激戦区。他は大
手チェーンの眼鏡店、ガソリンスタンド、帝都銀行西銀成支店、昭和から続く金物屋、証券会社の場違いに背の高いビル、
その登場による日照権が不安視されるほど背丈の低い土地家屋調査士事務所、花屋。本屋。玩具店。バイクショップ。自
動車代理店。個人経営とチェーン店がごった煮だが賑やかなその通りにはわき道がほとんどなく、別の行や列へ行くには
上記の信号のある交差点を通る必要があった。

 銀成市に車座を描く装甲列車。その一両はいま西部市街地の道路を横切るウワバミのような格好でのったりと鎮座している。
ダンプカーがすれ違える程度には広い道路を一両で渡河するウワバミだ。
 浮上の際、割り割かれたアスファルトは砕氷された北極のように乱雑に捲れ上がっている。絶え間なく降る雨の水は地表
の割れ目に流れ込み始め、白い滝を幾筋も描く箇所すらちらほら見え始めている。
 列車は道路を遮るものだけではない。連結車両は北にも南にも際限なく続く。北に向かったものは閉店して久しいタバコ
屋の屋根を背中に乗せながら盛り上がり、北部に向けて山林原野性を高めていく銀成の地を勇壮なまでの姿で爬行してい
る。

 いまミサイルたちが接近する右側面はタバコ屋近くで道路を横切るウワバミの物だ。初撃3発を試射に費やした甲斐あ
って装甲列車を飛び越え市外に消える無様な飛翔体など1つもない。散布着弾は正確に忠実に実行された。車内にいた
クライマックスがしばし聴覚を喪うほどの面制圧が装甲列車右側面で勃発した。雨中にも関わらず紅蓮の炎が渦巻いた。
 比較的近距離とはいえ野砲に劣る命中率のランチャーを総て目標に着弾させているのはまずまず神技といっていい。遠
巻きに破壊状況を観望する戦士の脳裏にひらめいたのは、失敗し、引火と連鎖を繰り返す花火会場のニュース映像であっ
た。
 衝突と爆発は腹声で甲高い。掩耳などパラフィン紙かというぐらい容易く貫通してくる合成効果音に戦士の誰もが顔をしか
めるなか、装甲列車側面で赤黒いほおずきが次々と自生しあっという間に熟して爆ぜた。ミサイルは、かつてどこかで起き
た花火大会の痛ましい事故よりも壮絶な速度で紅蓮の獄炎と濡羽の噴煙を作付けしてまわり、そのすさまじい鳴動はやが
て衝撃波さえも引きつれ戦士らを殴りつけた。風圧面積の高い兵器を中近距離で使った愚への懲戒であった。ばらばらと
しか形容できない凄まじい破壊の怒声ばかりが頻発した。
 周波数だけでなく音量にも人の可聴域を超えたものがある……正義側の者たちがつくづくと思い知らされる中、129m
西にあった二基の車両用信号機が相次いで落下した。爆風の地響きによる不幸な事故だった。先々月薄型の最新鋭に交
換されたばかりの信号機のうち片方はアスファルトに擱座してなお黄色をぱかぱかと点滅させていた。どうも重量で配線す
ら引きつれ落下したらしい。残る片方は点滅すらない。所有者に打ち捨てられた青竹色の軽乗用車の屋根へと信号部分か
ら落下したのだ。庇部分で屋根を貫通し、重量によってフレームをゆがめた信号機は自ら交通安全を紊乱してしまったコ
トを愧じるかの如く破れの目立つ後部座席でずっとずっと俯いている。
 他にも装甲列車を中心とする半径200m圏内では、カーブミラーが異様な傾ぎを見せたり、水道管の破裂以外の理由が
まるで見当たらぬ月極駐車場内からの不自然な湧水、液状化しつつあるアスファルトといった爆発振動の凄まじさを物語
る物理現象が、大小あわせて33事例発生していた。
 ジェノサイドサーカス、装甲列車側面に62発追加で着弾。発生させた創造者らしき影はよろめき、近くの戦士に支えら
れた。いよいよ弾丸が創造者の精神力を危険域にまで削りつつあるのが判明したのとほぼ同時に、遠くでオレンジ色のカ
ーブミラーがアスファルトに倒れこんだ。長年地元の老兄妹に愛され磨かれてきた顔は派手な音のなか千億の鏡片と化し
た。駐車場の噴水は1本から6本に増えた。いよいよ固体状態を手放したアスファルトたちは長年乗せていた建物たちを
地中世界に引きずり込み始めた。
 赫奕と轟雷のなか列車は片側を大きく跳ね上げたがしかし横転には到らなかった。黒煙に煤けはしたが──…
 四股を踏み元の鎮座に帰還した。その姿にはさしたる瑕疵もなかった。ジェノサイドサーカスの創造者が自立できなくな
るほど精神力を、命を、削って込めた70発近いミサイルは突破すべき装甲列車に対し煤のウェザリングしかできていない。
 変化といえばせいぜい連結連動する隣の車両がタバコ屋の屋根を振り落としたぐらいである。
「く、喰らったんだぞ!? ジェノサイドサーカスを!」
「なのに、無傷……!!」
「なんてカタさだ……!」
「まさかシルバースキン級だとでも言うのかよ!?」
 慄く戦士たちを窓から盗み見たクライマックスは、外の乱痴気に注意を引き付けた上での本体暗殺(根来タイプの潜伏
能力での)に気を付けつつ考える。
(スーパーエクスプレスがこの上なく堅牢なのも道理! なぜならこの列車には武器がついてませんから!)
 一般的に武装錬金の硬度は特性の殺傷力と反比例する。メジャーなものは防人のシルバースキンだ。千歳のヘルメス
ドライブも索敵特化であるため楯としても使用可能。鳩尾無銘の龕灯もまた攻撃力ゼロの性質付与ゆえ秋水の逆胴──
真剣であれば大小ごと相手を胴斬りにできる──ですら切断不能な程度には硬い。自動人形の産生を除けば轢殺ぐらい
しか攻撃手段をもたないクライマックスの武装錬金もまた例に漏れず堅牢であった。
(そもそも私の武装錬金は『装甲列車』)
 そして一般的な電車が十二単の上に十二単を襲(かさ)ねたよう不恰好に着膨れる装甲は──…

(リバースさんの爆発成型侵徹体の二乗を以ってしても貫けたコトはないッ!)

「怯むな! 手を休めるな!」
 列車に近づいた戦士がプラスチック爆弾を仕掛けた。爆発。だが無傷。
 液体の入った透明で硬質な野球ボールほどの珠を列車に投げつけた戦士も居る。じわっと白煙が騰がったのを見ると
なにか強酸な液体が含まれていたらしいが外層すら溶けぬ様子に笛のような悲鳴を立てた。
 斧や槌、棍棒といった蛮族あじの武器を筋骨隆々の2m近い男どもが列車の外皮めがけ乱打したが結果は逆に武器が
割れ砕ける始末であった。
 タテ2m×ヨコ4mの狭い範囲であるが火炎を放射され液体窒素で洗われた。
(海王星の銃をやった熱衝撃!)
(脆くなった箇所を一転集中すれば!)
(お前たち……。それは、それは…………! ええい! だがッ!)
 回復したジェノサイドサーカスが200発ほど狙いを絞って着弾した。しかしやはり列車は壊れなかった。
(無駄ですよ。勝ち筋ならリヴォさんから聞いてますが、東洋医学でいう芯熱は列車(こっち)にはありません。リバースさん
の銃は銃であるがゆえに芯から熱し切っていた。覚醒した鐶さんが相手だったからこそ、限界以上に! しかも銃だから
小型……円山さんの風船に詰まる程度の少量の冷気でも全体を芯から冷やしきるコトができた。しかし装甲列車の自動人
形産生は発熱を伴わない現象!!! 熱衝撃が通じぬのも道理! 更に!)
「装甲列車は大型……」 ジェノサイドサーカスの創造者は声を震わす。「ゆえに火炎放射器はブ厚い装甲のあくまで表層
のみを温度上昇させるに留まった! しかも今は雨……! 上昇の幾ばくかは降り続くこの雨によって奪われている……! 
海王星終盤の”勝ち筋”ほど痛烈な熱衝撃にならなかったのは、当然だ!」
 その間にも自動人形は増えている。最初50体前後だった自動人形は遠くに見えるものを含めて600体近くにまで膨れ
上がっていた。

(私の装甲列車を張り巡る精神エネルギーが人形となるとき、列車はこねこねされているような歪みを帯びる)

 列車内部の天井があちこちで隆起した。最初漬け物石大だった鈍色の瘤は床めがけ搗(つ)き立ての餅のようにみょー
んと伸びた。やがて1.8mほどのそれのあちこちに切れ込みが入ったとみるや、クレイ・アニメのような迅速さで手が生え、
足が伸び、そして頭上でぶちりという音がする。頭から天井に鈴生りしていた人形はいま分裂して独立した。同様の事象
は車内のあちこちで発生しており、生まれた人形達は、平日の18時の都心の程度の混み具合でドアへと歩き降車する。

 窓の外側部分から生まれる人形は逆に、頭から外界へと降りていく。上半身、足と出てくる姿は水から揚がってきた者の
ようであるが、地面と対し垂直であるため不気味さが濃い。元が窓の透明な樹脂であるため全身ギヤマン張りであるのも
見る者の意気を沮喪させるに充分だ。目撃した戦士のうち何人かがうへえと呻く。窓から分裂した人形は脱皮したクマゼミ
を早回ししたような速度で透明から鉄色の金属肌へ色づく。

 屋根を含む列車表面から湧出する自動人形も「頭最初、足最後」の方式であった。見るからに無骨で硬質な装甲がもこ
もこと波打つたび30秒とかからず人間大の戦力を輩出するのだ。

「列車から湧いた自動人形を複数確認」
「やはりな。新月村アジト地下で非特性・人工物の地下鉄路線が確認された時から言われていたコト、『やはり装甲列車が
冥王星の武装錬金であり、その特性は無限増援』。どこから湧いてくるかずっと議論の的だったが装甲列車それ自体が自
動人形の温床であり製造装置。打電だ。以上の旨を他の戦士に報告! 他の地点でも観測された事実かも知れないが、
複数あれば確度は高まる! 津村斗貴子が作戦に思い切ってリソースつっこめるようになる!」

 人形産生が列車から行われる都合上、増援は主に西方面から進軍してくる。大抵は碁盤方の街区が約400mごとに持つ
交差点から雨を縫って現れるが、中には住宅や店舗の入り口から当たり前のように出現してくる人形もおり戦士らを閉口
させた。

(庭とか裏庭とかを突っ切って来てるんだろうが)
(侵攻ルートの把握がし辛い……!)
(鉢合わせると一瞬迷う! ただの市民なのか人形なのか、判断が遅れ反撃が遅れる!)

 交差点から進軍してくる物については火砲や地雷で一定数減らせるが、入り口を使うものは不意の遭遇戦からの近接戦
闘になりやすく、それが戦士らの損耗率をちくちくと上げていく。
 装甲列車突破を目論むかれらであったが立たされているのは拠点防衛線であった。ジェノサイドサーカスならびにその創
造者を守護できねば総てが瓦解する都合上、コンビニから離れる運動は原則として禁じられている。例外は装甲列車への
攻撃または検分であり、この二挙に関しては突出が認められており、その際はルート上の自動人形が掃蕩されはするが、
しかし建物の中から不意に現れるものが安全性を覆す。装甲列車を目指すさい傍の入り口を、ギィ! とこじあけ襲って
くる自動人形はまさしくゾンビ映画のゾンビであった。これから犠牲になる8名のうち6名は帰投のさいそれを受ける。

 地雷設置はフリスビーだった。フリスビーの要領で投げた地雷が設置される。交差点への移動がないため安全性は申し分
ないが、設置したい空間の前に遮蔽物がある場合、機能は大きく制限される。

 装甲破壊検証と平行して行われたのが空中からの列車突破である。羽根。バックパック型ブースター。手すりのつい
た大型ドローン。どこに隠していたのか一体いくつが武装錬金なのか、真相は不明だが飛行手段を有する戦士たちは空輸
による市民救助が果たせるか否かの検証作業に乗り出し、撃墜によって締めくくられた。
 依然として雨の激しい空中に戦士らは見た。
 飛行型自動人形。空中でジタバタする戦士を飛翔突撃で一閃したり、地面へと投げつけたりする無機質でやや白味を帯
びた自動人形の背からは、白鳥のごとき美しき羽が生えている! 
 またひとり、戦士が落ちた。頭からだ。首から鳴り響く破滅の音はあらゆる救命措置の可能性を仲間の脳から吹き飛ばす。
「飛行型……!」
「今まで影すら見えなかったのに……!」
(そりゃ用意しますよこの上なく! てか用意できるから銀成市包囲の担当なんです!! 市民さんを逃がさぬのがゲーム
のルール! 装甲列車を空輸で飛び越える相手の想定なんてとっくにしている! たとえ鐶さんが動物形態で市民を乗せ
て逃げようとしたとしても! 許さないですよぉこの上なく!)
 花火のような微かな音は装甲列車とは反対側からした。豪雨によって遠く霞む銀成北部の山岳地帯の直上で、チカッ、チ
カッと火球が膨れ上がってすぐ消えた。消え際にブブブとなったローターの音に戦士らは何が火球となったのか悟り、慄然
とする。
「ヘリだ……」
「ヘリが、墜とされている……」
 誰かが山越えの脱出を目論んだらしい。目論んで、落とされたらしい。

(ヘリ。街の外から中へ入ってくるのはいいですよ。でも……中から外へ逃げ出すコトは許さない)

 車内でうっとりと笑う冥王星。陶然とするとアナタ意外にエロいですわねんとはグレイズィングの評価である。

「市民! あ、あのヘリに、市民、は……!?」
「考えるな!! とにかく空輸は危険すぎる!」
「自動人形を振り切るには速度が必要! だが! 市民を市街へ逃がすには積載が必要!」
「助ければ助けるほど重くなって追いつかれて、今のように、墜とされる…………!」

 冷酷な取り決めに戦士らの顔の絶望の色はいよいよ暗く濃くなった。この時点ですでに4名の戦士が死骸となって転がっ
ている。この場の戦士は残り15人。しかし逃げ出す気配はない。

 人が減ると忙しさは増える。物量作戦であればなおさらだ。交差点方面からの増援を叩く火砲の使い手が、コンビニの
隣の屋根から降ってきた人形の振り下ろすコンクリ片によって死んだ瞬間、戦士らの忙しさは異常領域へと跳ね上がった。
通常の戦場であれば射手ひとりの戦死はさほど問題にはならない。交代要員が後を継ぎ撃ち続けるというごくごく当たり前
の体制がそれをカバーする。武装錬金主体の組織は、違う。射手の死亡は装置の破壊に等しい。
 火砲が失われた。フリスビー型地雷の使い手の負担は倍増した。彼女は、よく動いた。具現も照準も投擲も超々一流の
速度だった。しかし限界は3分と経たず訪れた。火砲喪失によって食い止められなくなった自動人形たちが交差点を通過
しコンビニ前の道路に充満し始めたとき、フリスビー型地雷は交差点への防御能力を永遠に喪失した。設置したい空間の
前に遮蔽物がある場合、機能は大きく制限される。充満する自動人形はただそれだけで要衝への地雷設置を妨げた。

 デモ隊のような数だった。ダンプカー同士がすれ違えるほどひろい車道を埋め尽くした人の波が押し寄せてくる。西から
の層は厚いが、東からのも薄くは無い。別戦地からクライマックスが手当てしてきた別派の軍だ。コンビニ駐車場はいま、
両側からの大軍の侵攻を受けつつある。北西58mにある住宅の二階の窓が割れた。破滅的な音階にぎくりと振り返った
若い男の戦士は笛のような悲鳴をあげつつへたりこんだ。雨にずっくり濡れているモスグリーンのズボンの股間に更なる
暗黒の染みが広がったのも道理、住宅の二階のベランダからずるずると次々と自動人形が降りつつある。小隊はいま、三
方への内線作戦を強いられた。

 コンビニ駐車場すぐ前に地雷を設置し、それによる自動人形破壊で盛り返し、防衛線を後退させる……決して諦めない
意思が動議しようとした策は、わずか数回の乾いた音によって夢幻の果てへと溶け失せた。

 地雷フリスビーの女戦士の右肩の骨と左肘の腱はぐさぐさに潰れた。銃弾である。血を噴き、倒れ行く彼女を両側から
支えた戦士らは群集の中に、見る。

(銃!)
(銃を使う自動人形まで居るのかよ!? 新月村では見なかったに!?)
(そりゃ伏せますよ。あっちは緒戦でしたもんこの上なく)

 交差点からの軍勢の中で薄紫の自動人形が構えているハンドガンは海王星リバース=イングラムのサブマシンガンに比
べれば遥かに優しい兵器だった。8発放ったうち2発しか女戦士を貫通せず、傷じたいも、緊急搬送さえされれば数時間の
手術で後遺症なく戦士に復職可能なレベルでしかなかった。決して軽傷ではなかったが首から上をやられたシズQや輪に
比べればまずまず恵まれた被弾であったといえよう。

 だがこれ以降、彼女がフリスビー型地雷を投げられなくなったのもまた事実である。投擲に必要な左右の部位に、核鉄で
でも速攻治らぬ深い傷を植えつけられた彼女は防衛線を敷く能力を奪われただけでなく、人手不足のなか治療に人員を
裂く概念となって焦げ付いた

 平和な世界であれば119するだけで医療にありつける。銃使いまでもが加わった暴徒が暴動する世界に介在する平和
は列車内の創造者クライマックスがヒマ潰しにケータイで調べる来年冬の新作アニメの情報ぐらいしかなかった。銃弾の雨
の中、右肩の付け根と左肘を誰かの服の破片でキツく縛られた地雷フリスビーの戦士は懸命に呼びかける僚友から心臓
マッサージを受けていたが、雨に打たれる白い顔色が血色を取り戻すコトはなかった。飛び交い始めた銃弾はあれから、
11箇所の銃創を彼女につけていた。出血性ショックも大きかったが、銃を使う自動人形までもが参戦してきたという事実
が彼女から生きる意思を根こそぎ奪っていた。涙声の励ましも、光が薄れていく瞳には届かない。

 軍勢を押し留める能力を失ったジェノサイドサーカスの部隊員16名……いや、15名はいまや、700体近い人形に包囲
されつつある。

(妙ですね。この上なく妙です)
 恐慌しつつも必死に戦いぬく戦士らにクライマックスはおやと思った。彼らを襲う人形は増えている。操縦は自動(オー
ト)だ。本体が近辺にいるため直接動かすコトも可能だが、人間的な動きを交えると勘のいい者に視認を悟られる恐れがあ
る。本体が見ていると気付けばそういうのを探すのが得意な戦士に話を振るだろう。すると武装錬金特性だから、すぐバレ
る。列車内に居るのがすぐバレる。(銃を持った人形の命中精度がイマイチ良くない理由はそこにある)
 もちろん単騎でも15人程度蹴散らす自信のあるクライマックスだが、万一というコトもある。乱戦は呼び水なのだ。根来
級の奇襲や写楽旋級の奇策は必ずどこかで発生する。木星も海王星もここまでそうだ。
(気付かれていないなら気付かれぬまま攻撃すべき)
 マレフィックで唯一その来歴に悲劇を持たぬ冥王星。それゆえ負の方面の”圧”ではリバースに二枚や三枚どころか四枚
も五枚も劣る。だがお陰で激情で判断を誤るというコトはない。もちろん浮つきや思い込みでやらかすコトはあるが、現時点
では元社会人らしくどうにか常識的で理に叶った戦術を選択できている。

 近辺の自動人形は、銀成市各所を暴れ回る他のものと同じく自動(オート)で動かす。

 自動操縦時の人形達は、感知した生命反応が消失しない場合、無線にて付近の仲間を呼び寄せる。砂糖を見つけたア
リのようだとはうまい例えとクライマックスはデッドを褒める。
 アリ的な特徴はどうやら戦士らにも掴まれているらしい。新月村近辺で戦士らの集合を妨げた時、誰かが検証したのだ
ろう。だからクライマックスに人形が上げてくる戦士の情報は『逃亡』が多い。生命感知の範囲外へ逃げられてしまえばい
かなる無限増援でも集結のしようがない。

(冷静な鐶さんどころか血を見なければこの上なく死ぬッ! って感じな斗貴子さんですらヘリ墜落後つまり銀成学園近辺か
らの移動後は最低限の突破だけ。戦闘回避、逃亡が主体だったのに)

 いま列車を攻撃する戦士らは、留まっている。
 襲撃する人形の数がそろそろ800を超えているのに。
 コンビニ前の道路も、コンビニの駐車場も、ごみごみした人影に埋め尽くされつつあるのに。
 フェスの会場でファンに取りこまれたアイドルグループのような悪陣形になっているのに。

 雑多な兵器による装甲列車への攻撃を敢行している。

「破壊できないならせめて強度を報告しろ!」
「もしくは内部からの攻撃ができないか検証を……!」
 よくもまあこの状況下で装甲列車側に辿り着けたものだ。入り口付近で戦士が袈裟懸けにされ血煙立てる中、妙な話だ
とクライマックスは思う。
(列車の強度を調べるためだけに無限増援に勝負を挑む? 同じ場所に留まれば留まるほど無限増援が集まってきて不
利になるのに……一箇所に留まる? 列車の強度検証なんて他の場所でもできるのに。人形が増えたら引いて、どこか
別の少ない場所で──まあ車両からは降りてきますけど、だからこそ既に充満している地域を避けるのは大事ですよね
──強度を検証するという判断だってできそうなものを)
 やはり本体(じぶん)狙いの陽動……? とクライマックスは疑い周囲を見る。車内に襲撃の気配はない。元女教師の眉
はムズ痒げな八の字を描いた。
(おかしな点はまだあります。近づけば無限増援が来ると分かっている列車の近くに、斗貴子さんも鐶さんも動員せず、ひ
いふう、死んだ人含めて30人ぐらい? たった30人ぐらいの、有名どころがだーれもいないモブ同然の軍勢で、やってくる? 
大戦士長救出作戦に選抜される程度には優秀な戦士さんたちがなんでまた、こんな無謀を?)
 自動人形の群れに揉みくちゃにされつつある戦士たちは本当に無謀でしかなかった。
 駄目な軍勢なら無謀ぐらいはやるだろう。血気盛んな一団が”市”まるごとの包囲に耐えかね指令を無視し勝率低き突
破戦をやるのは珍しくもない。
 が、いま銀成市にいる戦士たちは粒揃いだ。彼らに対するクライマックスの評価は高い。生まれつき殺人衝動を抱えてい
る癖に温厚でもあるチグハグな彼女は悪口満載の匿名掲示板においてすらクリエーターや作品の良い点ばかり書いてきた。
必死に作った人や必死に作られた物を貶すなどとんでもないという、クライマックスにとっては当たり前の観念で動いてき
た。券のなかったあの漫画だって、絵柄や会話、オマケのここがいいと列挙する程度の誠実さはある。その上で券がない
コトを未購入者に説明して購入の可否を委ねるフェアさだってある。

(そりゃあ線に粗い部分とかデッサンの狂いとかもありましたけど! 連載して間もないんだからそこは言いませんし!!
だいたい崩れてる絵のが”刺さる”場合が多い!! 表情とかアクションがハネる率が高いッ!!!)

 クライマックスに戦士を侮る心はない。人のため命を賭ける彼らをどうして小馬鹿にできよう。転生した異世界でドラゴンと
敵対するような気持ちだ。殺すのは楽しそう、だが気を抜けば自分の方が殺される。思いはリバースの死によって一層強
まった。無限増援を以ってしても完殺できなかった海王星を連携によって陥落せしめた戦士らはもう野良のドラゴンのレベ
ルですらない。ひとりひとりが洞窟の奥で宝物を守る1000年2000年モノだ。

(……。独断で列車破壊に乗り出すほど愚かではない筈) 大群に揉みくちゃにされながら、しかし逃げようとはしない戦士たち
には嘲笑よりも疑問が湧く。(どうして、こんな戦い方を……?)

 オタクは謎に弱い。見れば解きたくなる。推測を並べるのも公式に上を行かれるのも大好きだ。
 そして教師生活でよく叱責されたクライマックスだが地頭はけして悪くない。社会が要求するプロの作法の習得にこそあり
えない解答を連発してきたが、思考力それ自体はある。というより思考力が雑念となっていた(声優稼業ではそれは愛と呼
ばれ、しばしば未曾有の熱演の起爆剤となっていたから、抑える気などクライマックスにはさらさらなかった)ので、恣意など
削ぎ落として当然と指導する上司先輩と根底から食い違っていた。

 自由闊達の発想であれば、幼稚である分、上司先輩より生徒ウケは良かった。

 理科や社会の躓きやすい部分を、創作の朗読劇でクラス全員に覚えさせたコトは百度や二百度ではない。
 難しい漢字を覚えさせるために、その構成を模した知育玩具を自作して生徒たちに「おもちゃ感覚プラモ感覚でイジって
みましょう!」と呼びかけるようになってから水曜と木曜の国語はほとんどレクリエーションの時間だった。省略され、圧縮
されている漢字の箇所に到っては変形機構を仕込む始末だ。(子供のまま大人になった輩は遠慮を知らない)
「蒙古の蒙の”豕”の上のワかんむりと棒線は、冒険の冒の上のパーツが変形したものですよ!」とガシャコンガシャコン知
育玩具を目の前で畳まれたり伸ばされたりした生徒らは、二度と棒線部分の書き忘れをしなかったがオモチャ的な物品を
多用する授業内容には上司も先輩も苦々しいカオをした。しかし授業の人気ではクライマックスの方が上だった。元声優ゆ
えに声と滑舌がよく、芸達者で、歌もトークも上手い『秋戸先生』の授業は気難しくなりつつある六年生にすら人気だった。

(なので慕い返してみたら卒業式前日、教室にヘリが落ちてきて全員死んじゃいましたっけ)

 ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、と笑う。初めて受け持った生徒たちは2年(奇数の学年ごとに担任が変わるタイプの学校だった)越し
でやっと好きになった瞬間クライマックスの世界から失われた。

(まあでも知育玩具は残りましたし、そこは良かった。漢字は変形だけでなく合体機能すら仕込んでましたからね! 『封』
と『巾』とか、色々。相方のパーツ無くなると寂しいですよねー。新造とか調達しても、「でもあのコは、もう……!」って、ね
なりますよね。殺されたレギュラーによく似た弟がレギュラーになったとき、みたいな)

 そういう事件簿を狙い撃つ感じの遊び心を日々、漫画やアニメの考察に向けているのがクライマックスだ。そして遊ぶも
のほど法則を肌で理解する。戦団上層部とは真逆である。教師の心得をさんざんと説いた上司や先輩とも10時と6時ぐら
いには対岸だ。生徒に覚えさせた知識の数や引き上げた平均点はクライマックスの方が遥かに多い。作法を磨いて上流に
行った者が軍事において有用だった事例は稀有だが、在野で好き勝手やってきた者の戦場での読みは不思議と的確な
場合が多い。

 現在の課題は「どうしてハイレベルな戦士たちが無限増援相手に無謀な逗留を続けているのか」だ。

 レベルの高い者たちが無茶な方策を選んでいるよう見える時の理由は2つ。

(1つは大逆転のため苦境に留まっている。けどそれは私への奇襲がない時点で消えます。列車狙いと見せかけての本体
殺しで一発逆転を目論んではいない。と、なると)
 戦士が、明らかに逆転が見込めず死ぬ局面に留まる場合のケースの、原則的な、もう1つは──…

「あ」

 真相への到達は偶然だった。この近辺に急行中だった自動人形のうち1体が、いまクライマックスがいる戦域に奇妙な場所
を見た。路地裏の、ゴミ屋敷だ。庭にある、サビサビの白い冷蔵庫と灰色のひしゃげたロッカーの傾斜同士が対立して作る
三角の隙間から別エリアへと這い出す意外な存在を自動人形は通信していた。





 午後10時09分。

「冥王星の自動人形は相変わらず市街に充満している。今のところ各地の戦士たちはどうにか対抗できているが相手は倒
しても倒しても湧いてくる厄介な連中。一刻も早く本体を探し出して斃さねばやがては押しきられる」
「だから……ボクかい?」

 銀成警察署大会議室で犬飼倫太郎がやや震え気味な声を漏らすと「ああ」。津村斗貴子は頷いた。

「自動人形使いは本体を斃すのが最も手っ取り早い。そしてキミのレイビーズは嗅覚の武装錬金。影武者含む大量の自
動人形でごったがえすであろう戦場から冥王星本体を探し出すにこれ以上の能力は……ない。協力して……もらえないだ
ろうか?」
 卑屈な青年の顔は強張った。バッキバキに硬直した両眉は左右ちぐはぐの勾配だった。右は意欲で凛々しく吊り上がっ
ているが、左は恐怖の鈍角である。急勾配だった。犬飼は今、やりたいが、こわい、のラグランジュ・ポイントの表情であり、
面頬は外で降りしきる大雨の中を走り回ってもこうはなるまいというぐらい、冷や汗でだらだらだった。

(マジか能力上、いつかは来ると思っていた要請だけどやっぱ幹部戦投入かよイオイソゴと同格の相手かよ冥王星の本体
つきとめたらボク殺されるかもなあよくも本体をって怒り買って人形の物量で殺されるかもなあくそうせっかく木星生き延び
て落ちこぼれを逆転するしっぽ掴んだのにその夜もう死ぬのかよなんで津村斗貴子ボクに振るんだよ報復か再殺の時の
報復か正直同じ幹部戦なら月のがまだ何とかなりそうだったのになあでもなあここで断って逃げたら馬鹿にされる親族に馬
鹿にされるチクショウそれならやってやるぞマジにやってやる)

 背後にモノローグが活字化されるほど分かりやすい青年は、見え透いた虚勢で斗貴子の申し出を受諾した。

【リポーター押倉氏の手記から抜粋】

 私たちが逃げ込んだ銀成警察署の大会議室は県警の幹部すら招けるほど広く格式高い場所だった。案内してくれた口
の悪い(しかし笑うと暖かな)年配の男性警察官いわく『長机で正方形を作る床面積殺しをやってなお68人までなら会議が
できるほど広い』。
 私たちを助けた少女が例の『人形』への対応策を眼鏡の青年や雲髪の少女と話し合っている時、長机は畳まれ部屋の
隅に詰まれていた。お陰でちょっとした講堂ほどあるスペースには戦況図を描いたホワイトボード以外、障害物と呼ぶべき
ものが全くなく、そのため数十人は居た少女の仲間たちはギュウギュウ詰めになるコトなくまるで立食パーティの自由時間
のようにグループごとであちこちに散らばっていた。

 このとき警察署は彼らの拠点となっていた。市街で暴れる例の人形から市民を救(たす)け連れ帰ってくる者たちが1人、
また1人と増えていくうち自然と警察との協力関係が醸造されつつあった。警察官は理解していたようだ。今年に入ってから
急造した行方不明者や蝶野邸の大量失踪、銀成学園の集団昏倒といった奇妙でおぞましい事件の裏にあったものこそ、
いま市街を襲撃している悪意の原動力であると。同時に、それと戦う勢力であるのならば助力すべきだとも彼らは考えたよ
うだ。都市部の警察ではこうもいかない。銀成警察署という地域密着型の組織だからこそ揮えた独自の最良だ。
『ウチの子供が銀成学園の例の事件について聞かれるたびちょっとニヤついてから慌てて真顔で「知らない」という理由が
ようやくわかりましたよ』。ある警察官の談話は印象的だ。『助けられていたんでしょうね、今のような人たちに』。
 傷の少女たちは警察施設の使用を許可された。大会議室でのオリエーテンションもそれだった。多くの人たちが入室し、
おかっぱの少女の方針決定を待っていた。
 何かを話し合う者たち。市街から逃げ込んできた疲弊か壁際や床でうつらうつらする者たち。何やらいかつい武器をがち
ゃがちゃとイジくる者。それをあぐらで頬杖をつきながら半笑いで茶化す者。
 少女の仲間たちがめいめいの時間を過ごす中、時おり乱雑に打ち付けられた細長い板たちの向こうにある窓から不気
味な唸りが部屋に響いた。例の人形、だろう。ごく稀にかすかに聞こえた爆発音は例の渦を伴う狙撃のものにも似ていた
が断定するにはあまりにも小さくあまりにも遠い。
 数えた限りでは5度目となる爆発音の直後、眼鏡の青年は何やら困難な要請を受けたらしい。その承諾ときたら距離を
置き観察する私の傍目にも分かるほど気乗りのなさに満ちていた。
 そこで雲髪の少女が、口を開いた。(抜粋終わり)

「というか、今日、雨、なの。軍用犬(ミリタリードッグ)で追跡、無理、なの……」
 神事の鈴を転がすような清楚な声を漏らしたのはサップドーラーである。男性恐怖症らしく斗貴子の後ろから神怪めく渦
眼の顔だけを覗かせこわごわと犬飼を見ている。「私は電柱か……」。苦虫を噛み潰したような斗貴子に(怒りの矛先向け
てくれるなよ)と祈りつつ犬飼は自信ありげに(虚勢であるが、舐められないためには大事だった)答える。
「猿追い犬」
「え」
「柴犬は木の上の猿の匂いに敏感なんだ。なら地べたの細胞片嗅ぐ必要ないだろ?」
「……細胞片…………?」 台風の目がぱちくりした。
「警察犬は靴裏の匂いじゃなく犯人の体表から落ちた細胞片の匂いを嗅いでるんだよ。でもそれだと雨の日とか水場にすこ
ぶる弱いからそういう時は猿追い犬だ。レイビーズの嗅覚なら樹上といわず普通の標高もいけるのさ」
「犬飼、すごい、なの! ぷろ、なの!」
 もっと話聞かせろなの! とリンゴ色にほっぺを彩りながらとてとてと犬飼に駆け寄った少女だが、ハっとすると慌てて
踵で急ブレーキ。足元から白煙立てつつハッとしてグーのポーズで慣性移動をした後の回れ右によって斗貴子の後ろへ
と逃げ込む。覗く顔は涙目だった。
「オトコは近づくな、なのー!」
「……お前いま自分から近づいたよな? まあいいや。とにかくボクのレイビーズなら雨でも問題なく本体を特定できる。空気
中に残留する匂いさえ対象にすれば、雨に落とされきる前に嗅ぎ分けられる」
「そういえばこの夏の逃避行、剛太を追跡し始めた日も雨だったな。どうやって追跡したかずっと不思議だったが、そうか、
空気中の匂いを」
「まあね。海に逃げられたせいで多少手間取ったがマリンダイバーモード? だっけ? 水中呼吸可能じゃない限り、どこか
には上陸すると踏んで調べた。アイツが落としていったハンカチの匂いを元に沿岸部を虱潰ししたら上陸地点を見つけてね、
後は猿追い犬の要領だ」
「誘拐された大戦士長も同じ要領か?」
「だね。厳密には地下に入ってからは幹部の匂いも追跡した。じゃなきゃ列車使った連中の追跡なんてできないだろ?」
 サップドーラーは「えと」と遠巻きながらも犬飼に呼びかける。理不尽な接近禁止令に思うところはあるらしい。
「……地下という、密閉空間だったのが、幸い、したなの……?」
 まあね、こればかりは撃破数3位のオマエにも真似できない。犬飼は毒づくが『差ではなく違い』が嬉しいらしく笑ってはい
る。
「だから誘拐に使われた列車の使い手……つまり冥王星の匂いはとっくに記憶しているよレイビーズは。津村斗貴子がボク
を当て込んだ理由のひとつだね」
 その様子にサップドーラーは(技術職、なの)と気付く。
(今ので確信したなの。犬飼のレイビーズは様々な業態の『犬』の手法を取り入れてる、なの。忍びの追跡術が主体だった
鳩尾無銘と違って、軍用犬や警察犬、猿追い犬といった人間社会で活用される犬の使い方を熟知している、なの。その気
になればレイビーズはきっと盲導犬としても使える、なの)
 戦闘には活用し辛いためこれまで脚光を浴びてこなかった用法。だがイオイソゴ戦を経て戦士としてもハンドラーとしても
目覚めつつある今の犬飼であれば、探査方面で存分に活躍できると天気の少女は思う。
「ところで津村斗貴子。対冥王星はどうなっている? 任されたからには必ず本体は発見してみせるが、それもある程度近
づけたらの話だ。いくら猿追い犬でも大雨のなかこれまでの経緯と、これからの方針がわかっていないとやりようがない」
 分かっている範囲の話になるが。斗貴子の凛然の瞳が光る。

「つい先ほどジェノサイドサーカス部隊の……全滅が、確認された」

 救援要請を受け現着した戦士たちが確認できた遺体は17人。散乱するものの回収が進めば犠牲者は更に増えるだろ
う。が、不思議なコトに自動人形はいなかった。

「部隊最後の連絡によると装甲列車はその形状どおり非常に頑健。ミサイルランチャーも爆弾も熱衝撃も通じなかった。
並みの火力では破壊不能と実証された。そして一番大きいのは自動人形の種類。銃を使う物があるとわかったのは大きい。
銃の恐ろしさはリバースでたっぷりと──…」
「……待て。どうしてまた一部隊だけが全滅した? フツー退(ひ)くだろ? ジェノサイドサーカスでも無理と分かればジェノ
サイドサーカスでも無理と分かっただけでも重畳と退いてみせるのが正規の戦士って奴だろ? それがなんでまた奇兵の
ボクでもしない突出で全滅した?」
「それは──…」





 小学2年の頃にはもう5年生ぐらいの背丈があった。ケンカで負けたコトはない。工業高校の番長をシメたのは中1の
夏休み。腕っ節には自信があった。高校を中退してからはヤクザですら手を出しがたい半グレだった。成獣の、2mはある
オスのイノシシを蹴り殺したコトだってある。体重100kg超のレスラー崩れと真正面からやりあって勝ったコトも。

 家族は腫れ物のように扱ってきた。同級生も。

 銀成市に妙な奴らが溢れ出した時、チャンスだと思った。全員叩きのめしてやれば誰もが恐縮して頭を下げる自分に
なれると思った。最初のひとりにはそこそこ苦戦したが、人間ではないと気付いた時からは楽だった。愛用のナイフで首
を落とすだけで消滅するなら誰だって狩りに興じる。
 だが妙な奴らの数は多かった。多すぎた。23人目を殺したときやっと異様さに気が付いた。一般人の逃げ尽くした、建
物の崩落破片が燃え盛っている道路が無人の廣野であった時間は短い。11人目まではまばらだった人影は、24人目に
取り掛かるころ銀成名物の夏祭り領域にまで膨れ上がり、二車線道路は芋を洗うような混雑に見舞われた。
 しかもそいつらの姿ときたらみんな同じで、人形だった。密集を縫って逃げようと思った時にはもう必要なスタミナは尽きて
いた。
 走りはした。
 掴まれるたび引き剥がしてひた走った。
 だがその頃にはもう自分の体は自分の思い通りの出力を出せなくなっていた。すっかり疲れきっていた。

 脇道から、ビルの隙間の小道から、奴らは湧いた。爪先が雨と泥で汚れていたから「やってきた」というべきか。

 数えるのが馬鹿馬鹿しいほど沢山の手に掴まれて、一歩も前に進めなくなった自分は、夏祭りの、有名ゲストが来た時の
ステージ前のオーディエンスにも匹敵するほど沢山の”奴ら”に囲まれた。
 コンビニ前の歩道へ斜めにせり出すミサイルランチャーが分厚い人の壁を消し去ったのはその時だ。他にも色々な人が
駆け込んできて、”奴ら”を倒した。
 戦士、と名乗るその人たちは言った。逃げろ、と。遠くの交差点やからのっそりと歩いてくる”奴ら”を遠望しながら更に”食
い止める”とも言った。

 赤座キャンプ場事件は生放送で見たクチだ。ゴミ捨てをリポーターに咎められヘラついていた4人の若者が、突然割って
入ってきた当時52歳のキャンパーにナタで白昼襲撃された有名事件の死者はリポーターただ1人。彼は咄嗟に若者たちを
庇った。ナタで右肩から左肺の下までを袈裟懸けに斬り下げられながらもキャンパーを突き飛ばし若者グループに逃げる
間を与えた次の瞬間かれは死因をその身に浴びた。脳挫滅とは”こぼれている”状態である。怒り狂った52歳がめちゃく
ちゃに振り下ろしたナタのうち何発かは開頭をもたらした。しかしリポーターは即死ではなかった。カメラマンが放り出して逃
げたため回り続けていたカメラはネギトロ状の思考肉片がキャンプ場に散布されてなお妻や子供を(意味不明の呟きをま
じえつつ)呼ぶリポーターの声を全国区域に流していた。
 搬送後、一度は手術により一命を取り留めるが二次感染により41度の発熱が続く。8日後、敗血症で死亡。
 救われた若者たちは後日テレビカメラの前で号泣し幾度となく侘びを入れた。リポーターの母は事件の報を聞いた瞬間、
かねてより患っていた心筋梗塞が発作へと向かい、命を落とした。
 泣いて詫びる若者たちをテレビで見た時の感想は、「アホだな」だった。ゴミ捨てぐらいなら大丈夫だとニタついているから
償いようのない罪を背負うんだよと卓袱台の後ろでせせら笑った。
 奴らを笑えないと心から思う。無我夢中で逃げた先はビルの屋上だった。平屋が多いこの地帯には不釣合いな、背の高
い証券会社のビル。先ほどまで自分のいた場所が一望できるのは神が与えた罰だろうか。助けてくれた人たちが、どうみ
ても1000人を下回らない”奴ら”に囲まれている。コンビニ前に留まる人も居れば、逃げたのか、道路に出ている人も居る。
”奴ら”の人混みは、満員御礼がところどころ円形脱毛症を起こしたような形だ。禿の内側では、遠めでも女性と分かるシル
エットが、”奴ら”に両手を掴まれ正中線とは逆の方向へ引かれる最中だった。絶叫は6階建ての高度をものともせず届い
た。「これに懲りたら、オイタしちゃダメだよ?」 逃がすときふんわりとした笑みをくれた女性は今でも記憶の中で息づいて
いる。2つに裂かれた物体が彼女だと思いたくなかった。
 悲鳴が更に幾つか響くと、満員御礼の潮は引き始めた。”奴ら”が去り始めたのはつまり、そういうコトだ。囲んでいた命を
奪い終えた。視力1.8の目は道路に捉える。雨のアスファルトに点在を捉える。赤いまだらだらけの”何か”たちが何人分
のパーツか考えた瞬間、もどした。
 死にたくない。
 死にたくない。
 ああはなりたくない。
 体の芯からひりついた熱が込み上げる。戦士だという人たちの遺族に泣いて詫びられるとすればそれは愚かではなく
幸福だと思った。様子を見た『誰か』にアホだなと笑われるコトになろうとも、この場を、この街を、見事離れて生存できる
のであれば誰にどう思われても構わないと思った。

「ちっぽけな力量への愚かな過信で他者を死に追いやっておきながら自分だけは生きたがる。許されざる行為ですね、こ
の上なく」

 声は、突然した。ギクリと発信場所を目で追うと、屋上の錆び気味な手すりの前で腕組みして微笑する女性が居た。長い
黒髪と黒縁メガネを持つ、美人だが没個性の女性。不可解だった。さっきまでそこには誰もいなかった。1つきりの屋上
のドアの開いた気配もない。降って湧いたというべき唐突の出現に更なる凶兆を疑った瞬間、声はふるえた。

「だ、誰なんだお前は……!」
「戦士さんたちがいっこう退かなかった理由がやっと分かりましたよ。まさかバカやった市民たったひとり逃がすためだけに
命張ってたとは、この上なく予想外」
「誰なんだって聞いている! お、お前は、ど、どっちなんだ」
 普段なら詰めより胸板に指を押し付けている。しないのは、おそろしいからだ。
「あの戦域に向かう自動人形の1人が路地裏に駆け込むあなたの姿を見ていなかったら、解けなかった謎ですねー。戦士
さんたちの居る方角から逃げてきた、ってのが引っ掛かったんですよ。だから検証して、ああなるほどと」
「戦士……ってやつなのか!? それとも”奴ら”の元締めなのか!? 答えろ!」
「ちなみに襲った人の映像記録は常にリアルタイムで私の頭の中にアップロードされてきてますけど、報告書みたいなもん
なんですよね。メイト行ったり、券発行してくれていない漫画チェックしてる間は目を通していなかったんで、あのあたりであ
なたがバカな戦闘やったり、戦士さんたちに助けて貰ったりしてる場面は未視聴でした。ならわかる訳ないですよねー。アニ
メ1話飛ばしてみるようなもんなんですから。ああ、あなたを見つけたコに襲わせなかったのはこうやってお話するためです」
「い、一体何の話を!」
「ジェノサイドサーカスさんの部隊が無限増援相手に無茶な残留をやった理由はこうですね、つまり。『市民を逃がすため留
まるから、人形に囲まれて死ぬから、だったらせめて装甲列車の強度ぐらいは報告して散りたい。後に続く人たちに少しで
も役立つ情報を遺したい』。立派ですよね? この上なく立派です。確かにあの人たちに集中してなかったら、うろつく自動
人形はもっと早くにあなたに気付き、襲っていたんじゃないかなあってね、思います」
 くしゅんと目を潤ませる女性に(戦士……?)と警戒を解く少女。
「ただまあ、胸糞展開ですんで♪」
 女性は童女がお菓子を見たような満面の笑みで、右耳の前をイジる。ストレートの黒髪に差された妙な装飾具を。
 重なり合う唸り声が屋上に届いた。音圧は下から来ている。血相を変えた少女は柵へと走り寄る。妖気を帯び始めてい
る女性の隣になってしまうコトにさえ気付けぬほど、心は眼下の音源に縛られていた。

 ビルの下を、見た。
 1200体近くの”奴ら”が道路で整列して、動いていた。
 動いているだけではない。女性と少女が居るビルの屋上を、彼らは見ていた。
「…………!」
 柵を握る。絶望の震えは根腐れ気味な柵を揺すり折りそうだと思った。
「赤座キャンプ場事件は知ってますよね。まだ9年前ですし、有名ですし」 間延びした声が女性からあがる。
「あの事件の若者たちってば全員、結婚しちゃったんですよねー、いい相手見つけて。リポーターのお父さんに許されたか
らってね」
 ただまあソレって、スカっとしない結末じゃないですかこの上なく。まろみのある、通りのいい声がやれやれと大仰に嘆く。
「過失とはいえ殺しは殺し。しょうもない過失で無関係な人を死に追いやった人が幸福になるなんて妬ましいです。この上な
く妬ましいです。最低でも誰かを守るために死ぬべきじゃないですか。もしくは自殺。イキってたバカが痛い目見るのがいい
アニメの条件だっていうのに、なーんでリアルは、”過失でひどい事件おこしちゃいましたが、許されたんで普通の暮らしを!”
が主流なんでしょ」
 ま、若者さんたちの幸せな家庭生活はリバースさんに任せたんで帳尻バッチリですけど。女性の言葉が終わった瞬間、
屋上のドアが内側から勢いよく開き、壁に当たって跳ね返る。おぼろおぼろした暗黒の矩形に佇んでいる者たちは人間で
はなかった。
「あ、あ、ああああ……」
 後ずさり、柵に当たる。足首に冷たい感触がした。首だけを捩じ曲げそこを見る。涙が溢れた。”奴”だった。人形が足首を
掴んでいた。屋上まで登攀してきていたのだ。外壁にいるのは一体だけではない。ビルの壁に大量の”奴ら”が張り付き、
登ってきている。
「あなた殺したら撤兵ですよ! 『遺体回収のチャンスを与える』。それが命がけで市民を守ろうとした人たちへのせめてもの
敬意って奴ですんでこの上なく!」
「…………っ!」
 柵を飛び越えたのはせめてもの最後の抵抗だった。蹂躙から尊厳を守るための行動だった。空中に踊った体は無事、
重力に引かれ墜ち始め、空飛ぶ人形によって抱きかかえられた。
「…………え」
 落下とは逆方向の重力が全身にかかる。投げ返されたと気付いたのは雨でべとべとな屋上の床に横倒しの脚が激突
した瞬間だ。肉の薄い部分の骨をしこたま打たれた疼痛に顔をゆがませていると、
「だめですよぉ自殺なんて。ちゃんとみんなと、あなたのせいで死んじゃったみんなと同じ殺され方をしないと」
 むずむずとした、勝ち誇ったような笑みが長い黒髪を垂らし垂らし見下ろしてきた。殺意はない。鼻息を噴く女性はギャグ
漫画のサドッ気のある常識人がオイタしたギャグキャラを裁く程度の表情だった。
「ではではー♪」
 雨の中、大量の足音にまぎれて悪霊めく巨大な叫びが11秒間鳴り響いた。静寂が再来したとき18歳の少女の魂魄は
此岸現世のどこにもなかった。



「市民救助か……」
 奇兵の犬飼はやや憧憬を込めて呟いた。正規兵ならではの美談に(柄じゃないけど、その市民、逃げられるといいな)
と思う。
「彼ら自身、非効率的な戦闘だというのは自覚していたようだ。だからこそ装甲列車の強度の調査に徹したのだろう……」
 斗貴子は金色の瞳を閉じた。哀悼であるらしい。犬飼が倣うと鐶から慌しい衣擦れがした。偲び相応に居住まいを正した
ようだ。
 装甲列車の諸元が今後どういう役に立つか不明ではある。しかし得るために全滅した部隊の使命感だけは悼みたいと犬
飼は思う。人を助け、後に託す。犬飼の目頭は熱を持った。正道を往けぬがゆえに卑屈となった青年だ、主流派の真当な
散華には嘲弄よりも哀痛が過ぎる。最愛の亡祖父すら重ねている。
 目を開けたとき、斗貴子は指揮官になっていた。
「状況を整理する。銀成にはいま、3つの戦線がある」

 スカートの傍で三つの指が突き立つのを天気の少女はじっと見ている。

 月。銀成市全域を狙撃可能な彼女の潜伏先を暴くための探偵団。
 火星。アースの器を求め追いすがってくる鷙鳥から銀成学園生徒を守るため地下でやる、逃げながらの迎撃戦。
 冥王星。銀成市包囲によって市民の逃げ場を奪い、無限増援で戦線を苛む元凶の討伐。

「まずはこの3つ総ての鎮撫を行う。敵本拠地へ乗り込むのはその後だ」
(銀成学園と融合したっていう要塞の武装錬金か。恐らく盟主はそこに控えているんだろうけど)
「討伐は後だ。メルスティーンを討てたとしても市民が全滅しましたでは意味がない。よってまずは市街を跋扈する連中か
らだ。デッド。ディプレス。クライマックス。市民の救助を妨げる幹部どもを同時進行で始末する」

 地図を作った。斗貴子が顎をしゃくるとホワイトボードががらがらとやってきた。雲髪嵐眼の少女が押してきたのだ。

「手描きの雑さは我慢してくれ。警察のコピー機が核鉄媒介で壊されてな。巻き添えだ。拡大ができないから手で書いた」




 犬飼は舌を巻いた。

「銀成出身じゃなかった、よな? よく短時間でここまで書けるな……」
「パピヨン一派やL・X・Eを探っているうち自然と覚えた」
「黄色……。学園や病院との位置関係から察するに、市街地、か?」
「そうだ。太い黒は道路、細い黒は線路だ。で、だ。戦線だが火星の物はこの先、東へと展開していくだろう」
「聖サンジェルマン病院は銀成の東寄り、なの。だから地下から市外を目指すと東ルートが最短、なの」
「月は?」
「銀成市中央部の公算が高い。例のブレイクの話が本当ならば狙撃用の媒介は『何らかの商品』……。陣取るならば商業
施設だ。商業施設なら万一居場所を特定されても商品によって迎撃できる」
「だからそれの多い銀成中央部のどこかが対月の決戦場になる、か。候補は?」
「デパート1軒。大型ショッピングモール2軒。中型ショッピングセンター1軒。駐車場のあるスーパーは全国チェーンのもの
が3軒、個人経営のものが7軒。コンビニは11軒。専門店については把握できているものだけでも59軒あるためひとまず
合計床面積が5000平方メートルを超えるものから調査してゆく方針でその数は18軒。調査中その存在が発覚した衣服や
布団、駄菓子に玩具といった各種卸売り業者は対象に含むかしばらく揉めたが、調べる方向でまとまっている。その関係
で工場も篭城可能ではないかと剛太を始め8人が提言してきたがまず後回しでいいだろう」
「工場? なんで?」
「工業簿記上『素材』だとしても、下請け納入業者にしてみれば売り物つまり『商品』だ。完成品ならば製品ならばますます
もって商品だ。ただ工場はどこに何があるか分かりやすいため媒介狙撃で虚を突きづらく、また、他の場所へのリンクもし
辛い。液晶テレビの部品で液晶テレビを媒介に、というのもできなくはないが個人所有の家電の位置まで月が把握している
とは考えづらい。もちろん渦展開中に偶然見つけてアドリブに、というのはあるが、根拠地めがけ市街を走ってくる戦士たち
への迎撃構想には組み込み辛いと思う」
「もちろんこれを応用すれば、なの? パッと見『商品』ではない『備品』『機械』『車輪運搬具』といった固定資産の中にある
思わぬ希少部品からの奇襲が可能で、そこは斗貴子さん、対月の人たちに周知徹底している、なの」
 たとえばビル高層に据え付けられたクレーンの下を戦士たちが通りかかった瞬間、クレーンの重要部品を媒介にして渦
展開! 部品への集中砲火をしてクレーン尖端を戦士たちに落下(ぬるぽ)させ、ガッ、なの……幽霊のような手つきでだ
るだると熱弁する天候少女に犬飼は「うへえ」と呻いてみせた。先ほど抱いた「月ならば安全そう」の崩れさる音がした。
「もういいよ月は……。冥王星はどうなんだ」
「西だ。事情はあとで話す」
 なぜ西と断言できるのか。犬飼は気になったが後で話すと確約された以上、詳しくは聞けない。
「とにかく狙撃と人形は厄介だ。狙撃は他の戦線に熱中する戦士たちの横腹を突くし、人形は他の戦線で連携する戦士
たちを物量でツブす」
「だから、月には中村剛太や早坂桜花たち分析に秀でた人たちを投入、なの。火星が追う銀成学園の生徒さんたちには、
今日の昼、例のヴィクトリア=パワードが誘拐されかけた時から今の状況を予測していたキャプテンブラボーと千歳さん、
早坂秋水に小札零、鳩尾無銘が付いている筈、なの。でも」
「病院上階に居た秋水たち3人とは連絡が取れなくなった」
 犬飼は強烈な”負”を感じた。懸念と恐怖に彩られた、か細い息が同室の空間に存在していた。それは速まり、すすり泣
く簫(しょう)の音色さえ帯び始めている。
(…………)
 視線をやりかけはした。だが斗貴子の割って入った顔は語っている。今は本題ではない、と。大切なのは聖サンジェルマ
ン病院地下を進発した戦士長と生徒たちの動静だ、と。だから流れ落ちるに留まる。赤い三つ編みは犬飼の視界の片隅を
流れ落ちるに留まる。
「早坂秋水たちが今どうなっていたとしても、火星は相当足止めを喰らった筈、なの。逢ったコトないけど、話に聞くあの3人
が相手だったらいくら幹部でもスムーズに追跡開始とはいかない筈なの」
 加えて地下には新月村から来たアジト急行組も何人か随伴しているし、しかもいま向かっているのは──… 何事かを言
いかけた天気の少女を斗貴子は「それも余談だ」と鋭く制する。
(……なにかあるのか?)
 気になったが斗貴子の強い口調は追求を許さない。
「とにかく大戦士長救出作戦の軍勢はいま、3つに分派している訳だ。月は捜索。火星からは撤退。そして冥王星の、突破。
3つだぞ。新月村からこっち色んな幹部によってガリガリと目減りしている戦力を3つもの戦線に振り分けなくちゃならない
……!」
斗貴子の急激に憤懣を帯び始めた声に犬飼はちょっとついていけない気持ちを覚えたが、「なのに上層部ときたら増援の
要請を蹴りやがった」と三角になる瞳を見た瞬間、心はギュンとロケットスタート、彼女と楽しい並走だ。
「マジかよ……? こっち来てからの媒介狙撃だけでも入尾始め80人は死んだのに……蹴ったのかよアイツら」
「ああ。20分ほど前だ。私が新月村の実例を引き実質いまは火渡戦士長から全軍の指揮権を譲渡されているに等しいと
説明してもアイツらは突っぱねた」
「街が襲われているんだぞ、補充だろ普通」
 何気ない呟きだったがこれで斗貴子の犬飼を見る目が少し変わった。再殺騒ぎでは卑小な小物としての側面が強かった
犬飼でも根本的な人間性は『戦士』なのだとやっと気付いたようだった。だからだろうか。厳粛な斗貴子にカズキへとするよう
な軽口めいた会話を選ばせたのは。
「下した命令といえばアレだ」
「国道582号近辺で戦うな、か……。アレはアレだけはボクですら出しようがない指示だね」
 サップドーラーも話に入ってきた。こちらは上層部全員が男であるが故の嫌悪がデカく、
「高速系ステルス系スナイプ系武装錬金の持ち主たちで、応戦して人を助けろという指示で、良かった、なの……!」
 ほっぺたを、ぷくーと、火鉢の上の餅よりも膨らませて見せる。
「要するに武装錬金を振るって戦う戦士の姿さえ見られなければ、謎現象で済ませられた、なの! これだからオトコの
指図は、だめ、なの!」
 それな、と犬飼は頷いた。
「頷くななの!!」
「え、頷くのもダメなのかよ」
「だめなのー!」
 理も非もない柔らかな叫び。遠くの女性戦士が何人か「かわいー!」と無責任な歓声をあげるが、かんしゃくをぶつけられる
ボクは堪ったものじゃないよと犬飼はしかめ面を作る。
 斗貴子の後ろで涙目になってぜえはあ息をする少女には呆れる思いだ。(男が苦手ってウワサは聞いてたけど、どんだけ
だよ)。よく見ると半径5m圏内に居る男性戦士は犬飼だけだった。あとは遠巻きに見ないフリを決め込んでいる。
「カズキ再殺と言いいちいち的外れな上層部には腹が立つが」(あ、根に持ってる。追ったボクが言うのもアレだけど)、犬飼
に微妙なしこりを気付かれた斗貴子は再殺への思うところを呑みこみ、今へと話を引き戻す。
「とにかく私たちは現状の手勢でやりくりする他ない」
 日本支部における上層部全滅と残留戦士進発はこの時点ではいまだ彼女の知るところではない。いまは腐心のみがあ
る。新月村に続きまたしても転がり込んできてしまった指揮権を冥王星攻略のためどう使うかという腐心のみが獅子座の
心を占めている。
「まずあの自動人形どもは見境なく市民を襲う。だから戦士(わたし)たちは市民を守って戦わなくてならない。だが、だ。市
民は銀成各地に居る。守るためには戦力を各地に分散しなければならない。しかし対冥王星の兵数はただでさえ少ない軍
勢の三派のうちごく一派。もちろん敵が無限増援である以上、他の分派よりかなり多く割かせて貰ってはいるが、銀成各所
に大量の防衛戦力を配備できる数でもない。冥王星本体に振り分ける軍勢を差し引けばだ、一拠点配備できる人数は3〜
4人が関の山……)
(一ヶ所あたりの防衛戦力が”薄い”ってコトか)
 犬飼は銀成警察署に耳を澄ます。戦士が市民を収容する喧騒が聞こえた。警察といかなる折衝をしたのか、いまここは
戦団が守護するもののうち最大の避難所となりつつあった。
「同様の拠点は銀成市のあちこちにある。災害時に逃げ込む場所の転用だ。体育館。公民館。福祉協同館に青少年育成
の家、銀成市すこやか研修センター他いろいろ。警察官や消防官、市役所の職員といった公的機関のバックアップを受け
つつ、市街から市民を救出し収容している。……桜花が戦士を反社会戦力に見えないよう取り繕ってくれたのはこの為の
布石だったのだろう。正直、助かってはいる。そして拠点の戦士は核鉄の再配分によって防衛戦向きの人選布陣に変えて
もいる」
「けど、残念ながら……”薄い”」
「そうだ。新月村で戦士たちが殺されたのは痛手だ。特に藤甲さんと鳥目、そしてシズQは痛すぎる……!」
 ぎりぎりと握り絞られる斗貴子の右拳に犬飼は心から頷いた。(前ふたりは安定して強かったもんな。何より拠点防衛に
徹するシズQのクリケット。あれはシルバースキン級だった。部下のいのせんも月吠夜も防衛戦では強かった。壁村は……
どこでもアレだけど)
「裁判長も冥王星戦には必要だった」
「白い法廷か。無限増援相手の複数部隊展開には欠かせぬ指揮系統だったね。アレがあれば連携は容易かった」
「そうだ。リバースとブレイク相手に私達が一枚岩で居れたのは、コネクトアラートが一瞬での協議を可能としたからだ。
だが裁判長は殺された。冥王星戦は非常に現実的で脆弱性の多い軍事行動になってしまう。顔合わせや調練なしでの
協同は絶対に不可能だ」
(だからココって訳か。この警察署のこの大会議室に留まっているのは、部隊長クラスと意思疎通するためだ)
 犬飼に声を掛け、参加の是非や作戦内容を話しているのもそのせいだろう。もちろんブリーフィングに関しては他の部隊
長クラスと一括する方が能率的ではあるが(ボクは再殺部隊。わだかまりを解つために)、サシでの対話を選択したとみえ
る。『かつて敵対したが、目的が一致する限りは、戦況の説明は丁寧に行うし、その能力には期待している』という態度を
斗貴子は見せたかったらしい。(……) 卑屈なだけに犬飼が人間らしい扱いに常人以上感じ入っていると、
 ぶわっ。
 男嫌いの娘が不意に氷雨のような涙を浮かべたのが目に入り、ギョっとした。訳を訊ねると、
「音羽と…………泥木も……、生きてさえいれば、指揮の方で活躍できたかも、なの……」
 といった意味のことをドラちゃんは告げた。
「音羽? 泥木?」
「私の後輩だ。その頭脳と男気で海王星攻略の始端と終端を司った。サップドーラーとは新月村でわずかだが縁が有った」
 なにか、優しくされたんだな。犬飼は飲み込み顔で頷いた。男性恐怖症が惜しんで泣くとくればそれしかない。
「……オトコは嫌いだけど、ちょっとぐらい、守ってやっても……良かった、なの。でも、守ってやれなかった、なの。そのせ
い……なの。ドラちゃんは音羽と泥木に、お礼、言いたかったのに、言えずに、終わった、なの…………」
 激甚の悪意は生き延びた者さえも終生に亘って苦しめ続ける。気象サップドーラーは、苦しむし、泣くのだろう。
(礼、か。わかるよ。いえなかった気持ちは)
 十文字槍を抱えた陣羽織の後姿が共感を呼ぶ。
(話、変えてやるか)
 犬飼にだって男気のカケラぐらいある。女のコが泣く話題をずっと引くなど有り得ない。
「そろそろ冥王星の話、いいかい? 戦団の手当てなしで増援なしで分派やったから各地の戦力が薄いってとこで止まって
るんだけどね」
 ああすまなかったな。斗貴子は咳払いをすると、「レイビーズを当てにする理由はそのあたりにある」。金色の瞳で犬飼を
射抜く。再殺当時の行きがかりはそこにはもうない。能力と適性に対する委託のみが燐光を放つ。鐶といいかつて敵対した
者と普通に協調できるあたり伝え聞くウワサの姿より丸くなってるなあと犬飼は思う。丸くなった度量が指揮官向きなのだろう。
「速攻だ。冥王星は速攻で仕留めなければならない。時間をかければかけるほど各地の些少の防衛は死んでゆく。遭うんだ、
各個撃破に。点在し孤立する防衛の戦力たちは確実に無限増援に囲まれすり潰されてゆく」
「よって匂いで本体を、だね」
「自動人形使いは本体を斃すのが一番……手っ取り早い、なの」
 そういったドラちゃん、ムーンフェイスを引き合いに出す。
「30分身には核(コア)的な、それさえ斃せば終わりという『本体』がない、なの。でもクライマックスは違う、なの。創造者さ
え突き止められれば如何なる無限増援でも総てその瞬間に全滅、なの」
 だが簡単ではないぞ。腕組みしつつ斗貴子、厳然と告げる。
「増殖があるとはいえ戦士長に持久戦(マラソンマッチ)を強いたのが同時存在上限30体の戦力であるコトを考えると、ク
ライマックス、アレは……相当だぞ? ジェノサイドサーカスの部隊が最後に伝送した自動人形の数は目測概算およそ10
00体……。戦場での動顛による過大の見積もりや兵隊の人流による重複計上を差し引いても、居た、だろうな。ムーンフ
ェイスの30倍近い数が」
 しかもそれが上限とは限らない……。さすがに沈み込んでゆくのを隠せない斗貴子の声に犬飼の胃もまた痛くなる。
「戦部は『弁当』でエネルギーを賄っていたが、無限増援は……『なにで』だ? 皆目見当もつかない」
「ン? 精神の昂揚ってセンで断定してるのか? 根拠は?」
「勘だ」
 勘。犬飼のメガネが片方ずり落ちた。
「私もレティクル独自開発の薬物による補給ぐらいは考えた」
「ボクは金星の随伴を疑ったけどね。総角の複製品ですらボクと円山の傷のみならず精神までもフルチャージしたあの衛生兵
が冥王星の傍にいれば間違いなく最強だ。精神尽きるたび補給すれば無限増援は本当に無限増援さ。ま、もっとも──…」
「だな。グレイズィングのダブル武装錬金のうち片方は新月村で大戦士長を足止めしている。そして残り片方は本体ごと要
塞内部で盟主を守っている。冥王星への随伴は不可能だ」
「……? 冥王星本体も要塞内部というセンは?」
「ない。後で話すが奴には『銀成市内に居なければならない理由』がある」
(ソコ言って貰えないとなー。疑惑は晴れないんだけどなー)
 一応信じようとはするが半信半疑の犬飼だ。撞着したため関心を敢えて切り替える。薬物。薬物は? なぜ斗貴子は档案
(とうあん。公的記録)とせぬのか。
「変わらない、からだな」
「変わらない?」
「ああ。もし薬物だったとしてもやるコトは変わらない。なぜなら薬物は有限だ。無限増援を斃し続けていけばいつかは尽き
る。隠し場所を突き止めて焼き払うというテだってある。大軍は猛威だが、大軍ゆえに補給路を断たれれば、弱い」
「…………夏、誰を追ってたか気付いたよ」
 犬飼は青ざめ身震いしてみせた。
「ただ兵糧の類を寸断した場合、冥王星が新たな力に目覚める可能性がある。大軍は生命線、だからな。喪われれば補給
しようと新芸を見につける」
「まるで見てきたような口ぶりだな……?」
「現に見たからな。パピヨンがそうだった。戦部の高速自動修復を前に黒色火薬が払底したアイツはカズキとの決着を妄想
し興奮し、いやらしい昂ぶりによって蝶をむりやり産み出した」
 つまり要するに、薬物等の外的補給に縋っていたとしても行き着く先は戦部・パピヨンの内的補給だと斗貴子は言いたい。
「よってもし後者を最初から採択されていた場合でも、やるコトは変わらない」
「冥王星の心を挫く、だね?」
「違う」。斗貴子は無表情に言い放つ。「本体の暗殺だ。心を壊すより殺す方が手っ取り早い。レイビーズで本体を突き止め、
人形に大被害をもたらし、精神補充に追い込み、昂ぶっている隙を現在持ちうる総ての精鋭で奇襲! 章印を貫き、殺す」
 銀成を荒らした以上、殺す。冥王星ばらの信念など主義など主張など人生観など、どうでもいい。冷たい声が断罪する。
「生きていると市民の安全に邪魔だから、殺す」
 前髪の影の帳の中でぎらぎらと輝く三白眼に犬飼は(三斗じゃ済まない)と冷汗を思う。
「オマエは”じぶんのかんがえたすばらしいすいそく”ってのしないんだな……。ボクの無能(ソレ)が平和に思えるよ」
「? 意見交換で連携を練るならいざ知らず、なんで誇示みたいコトを……? 無駄だ無駄。私が討論に勝てば敵が死ぬっ
て訳でもあるまいし」
 私がすべき仕事は、冥王星を瞬殺できそうな案をキミたちから吸い上げるコトだ。話し合いとはそのためだろ。誰が言う
かじゃない、何を言うかだ。
「私の仕事はキミたちから吸い上げた意見を迅速な敵の始末ただ一点に集中するコトだ。速く幹部が片付けばそれだけ犠
牲は減る。皆の疲弊も軽減できる。第一私の頭は複雑な能力の解明には向いていない。カズキ相手に手綱を握るコトが
多かったのは、激しやすい私ですら相対的に冷静に見えるほどカズキが、向こう見ずで無鉄砲だったからだ。私以上の頭
脳が、技術者が、周りに居るなら解明はそちらに託す」
 真顔で言い放つ斗貴子。論戦上の勝敗にまるで拘泥のない様子に犬飼はあんぐりと口を開けたが
(嚢(ふくろ))
 と胸中最大の称揚をし、
(そうだ。こーいうの、だよな? 将器って奴は。新月村の廃屋地帯で指揮を執った経験はただの戦闘力以上の強さを津村
斗貴子の中に開花させつつある)
 と感銘しこう期待し始める。奇兵でみそっかすの自分の判断すらこの人は受け入れてくれるのでは……と。嗅覚の専門家
としての「こうしたら」を採択してくれるのでは、と。
 駄目な指揮官は「何を言うかではない、誰が言うかだ」でありそのモデル・ケースは言うまでもなく上層部だ。門閥の貴種の
意見にばかり迎合するから戦団日本支部が奇襲されるだの国道582号戦では戦ってはいけませんだのの現場と隔絶した
発想ばかりひり出し現場に迷惑をかける。

(……あ)
 会話の流れとまったく無縁な思考が入ってくる。人間ならよくあるコトだ。実例が欲しければ主婦の井戸端会議を見れば
良い。Aさんと歓談に興じていたBさんが通り過ぎるCさんを見つけ、久しぶりだのなんだのと別口の話題を始めるのは実に
よくある。
 さすがに犬飼は雑談にまで発展させはしなかったが、頬に来るむずむずした視線に反応してそちらを見た瞬間冥王星討伐
の話し合いは少しだけ脳から消えた。
(生きてたのかよ) 
 ジャンクパーツの武装錬金使い。新月村からこっちミドガルドシュランゲの同じ車両に乗り合わせていた戦士が生きて大会
議室で犬飼を見ていた。
(恥ずかしながら媒介狙撃を生き延びました)とでも言いたげな微妙なカオで細かな基盤やギア、用途不明な複雑形状の金
属部品といった連中から成るパーツの山を右手で持ち上げる戦士。山は武装錬金であるらしい。左手は胸の前へと恭しく
して黙礼したその戦士は連れ合いに袖を引かれると能力を消し、会話に戻る。
 コミュニケーションの接点はそれっぽちだったが、犬飼は安堵した様子で頬の強張りを抜く。顔もうろ覚えで、武装錬金を
見てやっと同乗者と特定できた程度の付き合いだが、生存はやはり、嬉しいものだと強く思う。
 何しろ同じく同乗者だった頼れる入尾騎士(ナイト)が先ほど眼前で媒介狙撃の小型クラスター爆弾によって惨死したのだ。
わずかとはいえ同じ車両に乗り合わせていた戦士が生きているのはホッとする。戦部という、照星誘拐追跡行を共にした
再殺部隊の同輩と分かれたきり生死すら知れていないナイーブな精神には知己の思わぬ生存は優しくスっとする軟膏だ。
(アイツ……無事だろうな……?)
 先ほど話に出たのもあり、気にかかる。
 救出作戦開始前、何気ない一言でパーソナルを良い方向に揺さぶった大男に犬飼はまだ行動で返せていない。おそろしい
メルスティーンから庇われ逃がされた借りだってある。みそっかすが撃破数1位と対等のつもりかと笑われそうな心の裡だが
犬飼にだってある矜持は戦部の不慮の死を決して決して望まない。

 その間、つまり犬飼が沈黙している間、斗貴子が話しかけて来なかったのは別件に忙殺されていたからである。サップドー
ラー。天候の少女は会話の杜絶を幸い、黝髪(ゆうはつ)の指揮官にべたべたと張り付き雑談していた。切れ切れに聞こえて
くるワードは小学生が母親にするような他愛もない内容だった。斗貴子は戸惑いが濃い。だが時おり目を三角にしてツッコミ
を入れるところを見ると翻弄されているという感じでもない。普通の先輩後輩の親密な雰囲気が醸造されつつあった。
「サップドーラーの女好きはウワサで聞いてたが……ウワサ以上に懐かれているな。長いのか、付き合い?」
「いや今日が初対面だ。ただ……その、このコの姉と小学校時代、同じクラスでな。その関係で……」
 斗貴子らしからぬ歯切れの悪さに「はあ」と不承不承頷いた犬飼だが身上に切り込む時間もないと気付く。代わりに口を
衝いたのはつまらない実務的な話題だった。
「というかサップドーラー、オマエ、気象を操れるんだよな? だったら銀成を囲う列車ぐらいどうにかできそうなもんだが」。
不思議そうに問う犬飼。子猫のようにみゅーみゅーと斗貴子に纏わりついていたドラちゃんの動きはぴくりと止まる。
「あ、あれは……正確に数えた訳じゃないけど、たぶん3000両から4000両はある、なの……。市、ひとつ分を包囲できる
列車なら、たぶんそれぐらいはある、なの」
 妙に歯切れが悪い。斗貴子は犬飼に(これは幾ら言葉を積もうと無理筋の気配だぞ)と目配せするが、やはり犬飼は犬飼、
本日一日分の成長ではまだそれを察するに至っていないらしく、軽度ではあるが言い募る。
「巨大竜巻で一気に全部吹き飛ばしに行くとか、雷でひとつひとつ撃砕するとか。今日が雨なのも幸いじゃないのか? 総て
の列車は濡れている。だったら大寒波冬将軍の出番だ。頭からしっぽまで編成悉くカチコチにブ厚く凍らせれば、永久凍土
すれば、自動人形、出てこれなくなるんじゃないか? アイツら列車から出てくるんだから」
「どれもできない、なの」
「なんだって……?」
「それが、ドラちゃんが、槍一本の戦部や刀一本の師範の下な3位で停滞している、理由、なの……」
「……?」 強い語気に指揮官がたじろぐ。
「ドラちゃんは気象操作のたび、反動を受けている、なの。雷を使えば電撃を、雪を使えば凍傷を、嵐を使えば裂傷を、
体細胞に受けている、なの。なぜならば気象操作のたびドラちゃんの体はちりぢりバラバラになっているから、なの。だか
ら大規模な気象攻撃をやれば反動ですぐ乙る、なの。だから気象操作はだいたい3分ぐらいが目安、なの。限界ではない
けど、ドラちゃんが傷を引きずらず戦える気象操作は3分ぐらいが妥当、なの」
「…………なに?」
 とは犬飼ではなく斗貴子の声だった。狼狽がありありと浮かんでおり、それで犬飼は彼女もまた初耳なのだと気付いた。
 斗貴子の狼狽を天候少女は心配と受け取ったらしい。むふーと嬉しそうに頬をゆがめた。
「そう、実は気象操作には時間制限があった、なの。戦部や師範に及ばない理由はそこ、なの。銀成全周みたいな広範囲に
ずっと強力な気象を振る舞い続けるコトはできない、なの。遠くへ飛ばした肉体が、ドラちゃん本体に戻る前に、風とか敵に
吹き飛ばされたら、ヤバい、、なの。脳や心臓どころか、大きな動脈の一部を戻し損ねるだけで、ドラちゃんは出血大量で死
ぬから、遠方広域への気象操作は、できない、なの」
「使うたび消耗する能力、だと!? どうしてそういう大事なコトを廃屋地帯で、新月村で言わなかった……!」
「局地戦だから大丈夫と思った、なの。あと余計な心配や配慮でリバースとブレイクへの攻撃を緩めさせたくなかった、なの」
 まず正当な理由である、と犬飼は思う。それが証拠に斗貴子も苦い顔でぶるぶると震えたきり譴責の調子を引っ込め、
「待て。3分が私への憑依。雷となって私に取り憑いたのは3分以上だったと思うが?」
 務めて冷静な指摘を、
「あれは斗貴子さんという器の中に留まれたのが大きい、なの。あと雷状態は生体電流にも近い、なの。雷人間みたいなの
が器の中に居るなら、拡散して死ぬコトはない、なの」
 ダウナーなダブルピースを伴う、わかるようなわからぬような理屈で返された後、
「そこも含めて不明な点が多い! 新月村でリバースらへの策と輪への指導に気を取られ気象能力の把握を怠った私も
悪いが! ええいこの際だ、洗いざらい聞かせてもらうぞキミの能力!」、ヤケっぱちの焼け野原で叫ぶ。
「はい、なの。まずドラちゃんの気象兵器『スノーアディザスター』の正体はナノマシン、なの。ドラちゃんの細胞核1個1個に
配備されたナノマシン型武装錬金で、使用時は周囲の細胞を液体化している、なの。気象学でいう、『溶液滴(ようえきてき)』
を作っている、なの」
「だからなのなの言ってる訳だね」
 犬飼が言うと、「武装錬金使う前からなのなの言ってる、なの。なのなの言ってるからナノマシンがきた、なの」とむくれた
抗議。
「極小の武装錬金に水分を、か。……似たようなものを知っている。それは銀成学園で霧を作った」
「アリスのそれとドラちゃんの霧も原理は一緒、なの。細かな粒子に水滴を付けるのは一緒、なの。違うのはドラちゃんの
ナノマシンはチャフではなく、浮遊粒子状物質つまり『エーロゾル』というところ、なの。性質は海塩粒子寄りだけど、基本サ
イズは大粒子、つまり半径1000分の1ミリメートルから10000分の1ミリメートル。ただし大きくも小さくも、巨大にもエイ
トケンにもできる、なの」
「エーロゾル……エアロゾルのコトか……? 人の吐く物質も分類されるっていう、あの。匂いを帯びた」
 同じ概念でも受け止め方は異なる。犬使いとしての見地から分析する犬飼に対し、ドラちゃんはあくまで気象的だ。
「エーロゾルは雲や雹の凝結核にもなる、なの。そしてドラちゃんのエーロゾルには周囲半径1m圏内の温度と気圧を操作
する機能がある、なの。その速度は自然現象のおよそ1億倍、なの」
(い、1億倍!?)
 相当な数値だと犬飼は言葉を失くす。レイビーズが通常の犬に対し有する倍率からすれば途轍もない数値だった。
「局地的とはいムチャクチャな気象が起きる訳だ」
 斗貴子も呆れ混じりに頷いた。
「あとは目当ての気象が発生するよう、ナノマシンごとドラちゃんの溶液滴状態の肉体を各所に配置している、なの。ドラちゃ
んはそれを『気圧配置』と読んでいる、なの」
「気圧配置……一周回ってそれっぽいね」
 犬飼は微苦笑した。
「気象は要するに温度と気圧で決まるコトなの。だからドラちゃんは気圧配置で温度と気圧を操って天気を変えている、
なの」
「口ぶりからすると溶液滴状態のキミはある程度任意で操作できる、か。円山の風船爆弾みたいだな……」
 おー。それはいい例え、なの。斗貴子の指摘にドラちゃんは渦の瞳をぱあっと輝かせた。犬飼は待てと釘を刺す。
「……おまえ、円山で例えられるのはいいのか? オトコだぞアレも」
「え、円山はオトコ、だった、なの……?」
 知らなかったのかよ……。犬飼が呆れる中、天気の少女、円山を何度か見るうち、どう処したものか混乱してきたの
だろう。ただでさえ渦を巻いている瞳をぐわぐわ回し頭を抱えた。
「な、なんか悪いな。余計なコトを言ったか……?」
「むううう!! 円山は可愛いからいい、なのー!! ドラちゃんは体ではなく心で人間を見ている生き物、なのーー!!」
 謝罪する犬飼に駆け寄ったサップドーラーのありさまは、ひどい。両目を憤懣やる方なき不等号にして両手でぽかぽか彼を
叩く。

「とにかく、ドラちゃんには銀成市全体を取り巻く装甲列車全部を同時排除するコトは、できない、なの! やれば肉体を元に
戻す前に風とかに飛ばされて死ぬ公算が高い、なの」
 あの野郎、ボクをぽかるだけぽかってもとの位置に逃げやがった……斗貴子の後ろに隠れる撃破数三位を犬飼は睨み、
(いやぽかるだけぽかるとか、なんだよ!?)
 と思った。
「サップドーラーは悪くない。冥王星が反則なだけだ」
 斗貴子は呪わしい目つきをした。一都市まるっと覆える編成数の列車など斗貴子ならずとも呪詛である。
「もしバスターバロンが居たとしても銀成周囲総ての装甲列車を取り除くのは難しいだろうね」。犬飼は告げた。
「一都市まるっと包囲できるほど大量な編成だ。サップドーラーのカウントが正しければ3000両から4000両」
「海へ捨てにいくには多すぎるな。例の巨大衛生兵に足止めされていなかったとしても、抜本的な解決はできなかったろう」
 あの。天気の少女、おずおずと挙手する。
「むしろドラちゃんとしては火渡のブレイズオブグローリーに列車を──…」
「「それは無理だな……」」
 斗貴子と犬飼がハモるや、ドラちゃんの霜の降りたような長めの睫毛が上下した。息の合いように驚いたらしい。
「あの人はもう火星戦に出ると決めきっている」
「キャプテンブラボーを助けたくて仕方ないって態度なんだよ前々からずっと。ブラボーと一緒にいるって器候補のヴィクトリ
アを火星が奪いに行ったというならそっちに行く」
「火星を速攻で斃して合流できたとしても、ブレイズオブグローリー1発で装甲列車の包囲網に開く穴は最大でも500m。あ
の火力から見れば広大な範囲だが市民を連れて突破するには狭すぎる」
「綻びから逃げようとしても、周りの、健在な列車から無限増援が降りてくれば終わりだ。市民全員無事なまま逃げ延びる
コトは絶対にできない」

 つまり──…

 全市民の市外への避難=銀成を包囲する装甲列車の全滅!

一車両でも残せばそこから無限湧きしてくる自動人形が避難活動を妨げるからな」
「なら、なの。銀成の周りの全部、焼きつくすまで五千百度連発すれば──…」
「それでは周辺地域への被害が大きい。列車は銀成市とそれ以外の市の境目にあるんだからな。現代文明社会だぞ、市
と市の境が広大な野原というコトは稀だ。むしろ街並みの中で市と市は変わる。そんな場所で五千百度を放てば、私たちは
レティクルと変わりなくなる」
 もちろん鐶の年齢操作で時を未来に進めておけば解除後無傷に戻せるが……斗貴子は声を低く落とす。
「いまの鐶にそういう細かい芸当ができるかどうか。できたとしても守れるのは建物や地形だけだ。人が業火に巻き込まれ
ば取り返しが付かない」
「そういった問題総てクリアできたとしても、狭くはない銀成の周囲を取り巻く列車を全滅まで潰して回るのは現実的じゃないね。
冥王星自身による何らかの妨害は入るだろう。何より……」
「何より?」
「火渡戦士長の火力が続かない。この話はあの人が火星を斃せた後の仮定の話……だからね」
 あ。ドラちゃんは目を見開く。
「その状態じゃ火渡の精神力はだいぶ激減している、なの」
「本体の暗殺がいいというのはその辺りの理由からだ。3000から4000両はあるクソ固い列車総てを壊すより本体ひとり
暗殺する方が手っとりばやい」
「ボクのレイビーズが見つけたアイツを瞬殺できそうなのは──…」



「私!? 確かに盟主曰く強力な身長吹き飛ばしだけど、残りそんなにないわよ、リバースへの勝ち筋でカツカツよ」
 円山円(バブルケイジ)。

「はい先生! あちしの特性じゃ瞬殺無理筋だと思いまーす! ……え? 剣腕? 撃破数2位の剣腕で章印をやれ?」
 師範チメジュディゲダール=カサダチ(ノーブルマッドネスβ)。

「フ。俺も剣腕クラスタ、か」
 総角主税(ワダチ)(ただし通常兵装は、錬金術製日本刀with龕灯無銘の性質付与)

 そして。


(どうすればいいかなんて結論は出ない。だから……まずは…………借りを返す……)
 鈴木震洋(ライダーマンズライトハンド)。

 165分割という一撃必殺能力を有する元信奉者の少年もまた冥王星本体打倒の候補者だった。
 ヘリで核鉄媒介狙撃から殺陣師盥によって救われた彼はここまでずっと悩んでいた。なぜ目をかけられたのか、なぜ命
を投げ打ってまで救う価値を見出されたのか、考えていた。だが結局わからなかった。聞くべき殺陣師は死んだ。死人に
真意を問うなど不可能なのだ。

(だったら戦って借りを返す。成果を出せば助けられたという負い目はきっと……消える。でなきゃ、モヤモヤとどっちつか
ずでいれば僕は雲霞の如き自動人形に押し包まれて死ぬ。成果を出せば生きられる。戦士たちの心証もいい。逆に助け
られた僕が竦んで逃げ回るだけだったら、たとえ生き延びたとしても戦団に拘束される。信奉者をやっていたコトや、逆向
凱の召喚、メイドカフェにおける中村剛太たちへの敵対行動といった罪の数々を問われ、拘禁され、いいように使われ自由
を失くす……。阻止だね? そんなものは)

 犬飼と同系統の気質だが弁舌には二流政治家的な上手さがあるのが震洋だ。当人は一流のつもりだが、とにかく処世
への嗅覚だけならレイビーズ以上である。

(桜花も秋水も戦士やってる以上は無罪放免なんだ。なら僕もこの戦いで戦士になる。成果を出し、戦士としての認可を
受ける。受けたあとはその時の流れ次第だよ。レティクル戦で火渡戦士長のような恐ろしい戦士がゴッソリ死んだら脱走
はしやすい。逆に健在の場合かれらは必ず体制の変革に着手する。だってそうだろ? 100年前のヴィクターの件を秘匿
していただけでも信頼は失墜なのに、今度は10年前殺し損ねたレティクルの逆襲だ。親しい者を亡くした戦士たちの不満
を下支えにすれば、戦後おおきな改革は容易い)

 上層部の壊滅を震洋は知らないが、知っていても結論は同じだっただろう。つまりレティクル戦で活躍した戦士が発言権
を強め、舵を取る。

(だったら火渡戦士長に従っておくのは決して悪い話じゃない。あの人が改革に乗り出した場合、事務実務に長じた人材は
必ず入用になる。だが手下で通じていそうなのは毒島だけ。そこに付けこむ。事務方面なら元生徒会の僕の領分だ。そこ
でキャリアを重ねていけば上層部に喰い込むコトも夢じゃない。ただし元信奉者という経歴は傷だ。だからこそ冥王星戦で
……誰も文句のつけようのない功績を挙げる。最良のそれは──…)

 クライマックス=アーマードの殺害!

(殺せば人形相手に死なずに住む。元信奉者の汚名も消え、戦後、有力者の尻馬に乗って出世ができる。おやおや何とも
いいコトづくめ。思いつくとはさすが僕……)

 震洋は喜色を浮かべる。だがごくごく僅かな瞬間だけだった。無数のクラスター爆弾を肩代わりして受けた瞬間の殺陣師
の姿が脳裏に浮かび心が冷える。

(……フン。助ける相手を見誤るからこうなるんだ…………。助けられたぐらいで改心する僕じゃないんだよ。僕は、こういう
奴だ。助けられても、期待されても、自分が大事で、自分が良くなっていくコトにしか興味がなくて、誰かに感謝しようともしない、
そんなひどい奴なんだよ…………)

 殺陣師という女性を思い返す。付き合いは短いし、交流だってなかった。震洋から正の感情を返さないかぎりどれほど言葉
を交わしていたとしてもそれは殺陣師からの直流に過ぎない。

(そうだ。頼みもしないのに勝手に絡んできて、勝手に助けて死んだ、それだけの女だろ……。それをなんでこんなに気に
かけるんだ……)

 鈴木は危ういですなあ。そういったのは大会議室の片隅にいた戦士たちの1人。

「あのひと栄達考え始めちゃってますがな。死ぬ人じゃね? 死ぬ人じゃね? あのね、あのね、私、後に繋がらない玉砕し
ちゃった戦士何人も見てきたましたけどねえ、いまの鈴木じゃそれソックリの目ぇですなあ! 大丈夫? 止めとく? 諌め
とく? 元信奉者でも命は命、見捨てたくはないべ?」
「あれは適応機制の一つですってば。庇って死んだ殺陣師サンについて考えるのが辛いから、弔うための戦いを決意する
と今までの自分が壊れてしまいそうで怖いから、だから栄達のために戦うんだってですね、自分を騙してんすよ」
「真偽は不明だけどさあ、戦団の体制側に喰い込むコトを目的にしつつあるなら、少なくてもレティクル戦の間は裏切らね
えなアイツ。師範から聞いたが殺陣師、そこまで考えて最期に鈴木に期待をかけたのかもな」
「よくも悪くも殺陣師の死に様に縛られている、か」
「彼には悪いですがいい傾向ですね。鈴木震洋は頭がいい。何事もなければ土壇場で戦士を裏切ってレティクルに走って
いたかも知れませんよ。同じ陰側な犬飼には家柄という最低限の誇りがありそれが戦士としての隠れた正心になっていま
したが鈴木震洋にはそれすらない」
「絵に描いたような信奉者だもんねー」
「しかも確か早坂姉弟と違い武藤カズキの感化は受けてないんでしたっけ?」
「この夏だけでももう1つの調整体に乗っ取られるわメイドカフェで別世界の勢力と結託し騒動を起こすわ」
「まったく反省の色がねえなアイツ……」
「正直、イオイソゴに調略されるとしたら彼だと私は思っていましたが……風向きは変わってきたようですね」

 気負いと気合いは違うと思うけどナー。間延びした柔らかな声がぼやく。

【リポーター押倉氏の手記から抜粋】

 その五人組が警察署に来るまでの経緯は災害発生時のような慌しさに満ちていた。
 例の列車打ち上げによって地上へと到達した彼らはしばらく銀成市をあちこちしつつ例の人形と戦っていたが、押し寄せ
る物量の前に1人が武器を落とし、はぐれた。はぐれた彼は青少年すこやかセンターの前で『幹部』と呼ばれる敵と遭遇し、
何やら奇妙な利用のされ方をした後、幹部のはからい(話を総合すると何やら別の土地で幹部仲間に恋人を殺されたらし
く、敵組織を害したくてたまらなかったらしい)で仲間と合流。人形を撃破しつつ市街を移動し市民19名を保護、だが餓狼
が徘徊しているに等しい今の市内を連れて回る訳にもいかず、保護を求め警察署へ来たという。

 結果、この五人組は、3つに分派するという戦線のうち人形の元締め征伐に志願した。(抜粋終わり)



「ン?」

 大会議室を見渡していた犬飼の目が止まる。(……あれ?) 違和感を覚えてからの目は着実に戦士たちを検分していく。
サップドーラー、円山、震洋、師範、総角、鐶、ジャンクパーツの戦士……思い思いに待機する顔を見るたび犬飼の「おや?」
は強まっていく。
「なあ、津村斗貴子、財前。新人王財前美紅舞はどこへ消えた?」 長めの赤毛を後頭部でお団子にまとめた勝気な少女
の姿は大会議室にはなかった。いくら目を凝らしても、鋲の打たれた指抜きグローブを始めとする衣装に身を包んだラフな
ファイターの影を犬飼は見つけるコトができなかった。
「核鉄媒介で死んだという話は聞いていない。署内の別の場所に控えている? それとも、まさかとは思うけど──…」
「察しの通り別の戦線だ」。答える斗貴子は難渋の墨を血管にうっすらと流し込んだような難しげの表情だ。
「警察署(ココ)までは一緒だった。師範の門下生のような武装錬金を使えない者たちとの国債新規契約は戦士の多いコ
コの方が迅速に済むからな。そして転属は新規契約が完了したあと決めた」
「……なんでまたそんなコトを? 署(ココ)まで付いてきた以上、一対多に特化したオマエに付いてきた以上、冥王星の戦
線に投入されるのは分かっていたはず。それが国債の契約終わった途端、別の場所へ行くってのは──…」
「転属は私が決めた」
 コトもなげにいう斗貴子に犬飼は息を呑んだ。
「財前さん自身は抗命していた方、なの。冥王星に挑むのが挑むコトこそが戦団全体の最善手だと」
 ドラちゃんのアシストに「はあっ?」 口をついた叫びはリテイクして大きくなる。「はあああああ!?」



 午後10時04分

「ほ、本当に……その、いいんですか?」
「いい。構わない。キミの特性は無限増援相手には不利だ。確かに冥王星本体とのサシであればリバース戦以上の打撃
を与えるだろう。だがその前段階の対無限増援にはすこぶる弱い。戦時国債で他者からエネルギーを借りる他ないのが
キミの武装錬金だ。債権者全員が枯渇したが最後、キミは普通の少女として無数の自動人形の前に立たされ……死ぬ」
「だ! だとしても、私が最後の最後まで隠れて温存するって手だって打てなくは」
「……いい子だな、キミは」
「そ! そんなんじゃありませんってば斗貴子先輩! め、冥王星は一刻も早く斃さないとみんなが危ない敵なんです!!
だ、だったらやれるコトしなきゃ私がバッカみたいじゃないですか……! そ、そうですよ……! 戦士の人数的にこれが
たぶん最後って感じの国債たちは冥王星クライマックスにこそつぎ込むのが、最善手、そう、最善手、ですから……!」
 必死に抗弁する美紅舞に、天候の乙女は思う。
(火星ディプレスとの因縁を清算できないまま死んでしまった輪ちゃん。幼馴染の美紅舞さんは遺志を継ぎたがっている、
なの。でも銀成全体の戦況を考えると無限増援こそ真先に消し去るべき要素だから、私情を殺し、冥王星に残り総ての力を
ブツけようとしている、なの)
 そこを斗貴子に悟られていると信じ込んでいる美紅舞だから、まったく一歩も引く気配がない。
「強情だな」 指揮官は微笑した。「なら言い方を変えよう。状況的に、聖サンジェルマン病院で火星と交戦したとしか思えな
い秋水や小札、無銘からの連絡が途絶えた。他の病院詰めの戦士もどうなっているか分からない。これは深刻な状況だ。
事実確認も大事な急務の1つなんだ」
 斗貴子が肩を軽く叩くと、美紅舞は瞳孔を開いたあと俯いた。察したのだ、言葉の裏側にあるものを総て。
「安否を確認する人員が欲しい。だが困ったコトに並みの人材ではここから病院までの道中、無限増援に呑まれて死ぬ。
かといって集団を動員するには対冥王星の人材は足らなさすぎる。無傷で無限増援をいなし病院まで行ける強い者が1人、
いま戦略上必要とされているんだ」
 頼めるか? 問われた少女は俯き、華奢な体をしばらく震わせていたがやがて消え入りそうな声で拝命を告げた。

「病院到着後は、現場の状況に応じた柔軟かつ効果的な人命救助を行えという命令さえ、斗貴子さんは下した、なの」
 ドラちゃんの補足に(ああそういうコトか。さっきのアレは、そういうコトか)と犬飼は納得する。

──加えて地下には新月村から来たアジト急行組も何人か随伴しているし、しかもいま向かっているのは──… 何事かを言
──いかけた天気の少女を斗貴子は「それも余談だ」と鋭く制する。

(サップドーラーが言いたかったのは、新人王財前も対火星に参戦したから大丈夫、ってコトか)

 少女が、亡き友の心残りを代わりに果たせるよう計らう配置転換はなるほど下々好みではある。犬飼ですら(これで財前は
実力以上のはたらきをする)と、斗貴子の将器に一定の評価を置きつつも、(だがソレは財前が火星打倒に一切貢献でき
なかったが最後、癒着だの忖度だの言われるグレーの対処だぞ……?)とも思う。
(津村斗貴子だって気付いてはいた筈だ。財前は確かに無限増援には弱い。だが冥王星本体相手かつ数分間の電撃戦
なら有効だったと。リバース戦を生き抜いた戦士の中で唯一完全回復可能な特性持ちの財前美紅舞が居れば冥王星瞬殺
の確度は飛躍的に高まったと)

 クライマックスに選ばれた戦士のうち主たる者は斗貴子を筆頭に『足止め組』である。新月村で海王星と天王星、土星と
交戦している。アジト急行組だった犬飼だ。別派の憊(つか)れは正確に適切に把握できる。

 円山。勝ち筋のため風船爆弾をありったけ消費し、直後銀鱗病によって短くはない時間肉体が剥落していた。
 師範。量産型バスターバロンの大群を1人で止め続けた。
 総角。巨大男爵を月牙で増殖させてなお精神力満タンの訳もない。その複製能力はブレイクによって大部分禁圧中。

(サップドーラーは天候能力のさまざまを駆使して天王星とやり合い続けた。津村斗貴子は銀鱗病で肉体が崩壊している
最中、雷撃状態のサップドーラーに憑依された。気丈に振る舞ってはいるが、筋肉や神経へのダメージはボクなんかが
想像しているより遥かに大きい……!)

 バルキリースカートは一対多に特化した武装錬金。底もなく湧き出してくる人形に対しこれほど有用な兵器もない。

(だがそれも万全であればの話だ……!) 彼女を見る。迫力に反し小柄な体はしぼんで見えた。セーラー服はあちこちが
裂け、薄ら汚れている。かぴかぴに乾いた血がこびりついている箇所は十指では足らない。美白だと女性戦士に好評の肌
はいま青白く病み、饐えた酸味の汗のべとべととした被膜に覆われつつある。
(リバース戦で体力と精神力をごっそり削られた今の津村斗貴子じゃ無限増援相手にどれだけ保つかわからない! 財前
美紅舞コミの短期決戦が良かったと思うのはそのせいだ! 長引けば耗弱した指揮官なんてあっという間に狩られる!!
今も傷、核鉄で直しているようだが完治にはまだまだ程遠い!)

 何よりも、と視線を移す。

 暗雲の瞳だった。生気なく虚空を瞰視したまま動かない。パイプ椅子のデルフトブルーのビニールの上に白くとろけそうな
太ももを沈めている彼女は署の地下にある霊安室から持ってきたのを死後硬直ひとつ揉みほぐさず置いたのではないか
とさえ犬飼が恐々するほど生気が寡(すく)ない。

(希望の、歇(つ)きかけた、瞳だ)

 犬飼がしくじりをやるたび鏡に見てきたあらゆる視覚器官よりも暗鬱がどよもしている。
 鐶光。普段は燃えるように緋(あか)い三つ編みはいま、すっかり色艶を無くしている。

(だがこの状態は、義姉と徹底的に長くやりあったせいばかりじゃない)
「義姉が、リバースが土星に殺された直後はまだ、普段を保とうという空元気はあった」
 犬飼の観察に気付いた斗貴子は音楽隊副長について説明をする。
「こうなったのは、無銘の龕灯が消えてからだ」
(……音楽隊の犬型。大戦士長誘拐直後、犬笛に反応してしまいボクの前にチワワ型の本体で来てしまった男の武装錬金)
「龕灯を通して行っていた無銘との会話は義姉の死に衝撃された鐶にとって、最後の安定剤だったようだ」
「だが……消えた。恐らくは火星との勝負で何かがあり、鐶に随伴していた龕灯が鐶の眼前から消えうせた」
「これでも持ち直した方、なの。上司である総角の手を替え品を替えた説諭とか、美紅舞ちゃんの去り際のエールがなけれ
ば、署の入り口にへたり込んでずっと泣いていた、なの」
「……意外だな」
 犬飼は企図せず声を漏らした。皮肉ではなくむしろ感心のひびきすらある。だがそれが却って耳ざとい斗貴子の追求を
生んだ。
「意外? 何がだ? 強い鐶のこういう姿か、それとも──…」
 あ、いや、津村斗貴子、お前だよ。犬飼はややビクつきながらも背筋を伸ばしありのまま陳(の)べる。
「伝え聞く怖いイメージからすると、ホムンクルスの鐶なんかは泣かれようがゴネられようが三つ編み掴んでムリヤリ立たせ
て戦線に投入して使い潰しそうなものを、特に、何もせず……ってのが気になっただけで」
「……キミは私をなんだと思っている?」 目が三角になったがそれも僅かな間。黝(あおぐろ)いショートボブの少女、嘆息の
一拍を挟み、決まりが悪そうに目を閉じる。
「立てない鐶を責める権利は私にない」
「?」
「……同じだったからな。カズキが月に消えた後の私もしばらくこうだった。悲しみで思考を止め……」
 今の鐶はまだマシだ。秋水に八つ当たりし、八つ当たりのとばっちりでまひろちゃんを傷つけてしまったあの頃の私に比
べればまだマシだ……声音を沈めたり心痛にゆがんだりする斗貴子の姿は犬飼にとってひどく意外なものだった。
(津村斗貴子だぞ。なのに……感傷かよ。近しい武藤カズキが居なくなって苦しく思う感情が……普通の心が、あったのかよ)
 威圧感だけなら火渡にも戦部にもヒケを取らぬ烈女の思わぬナイーブな一面に犬飼はただただ愕然としたが、
「つまり鐶にとってあの犬型はそれだけの存在だったというコトか。義姉の死に打ちひしがれた心を癒しうる唯一の声だった。
しかしそれをもたらす龕灯は……消えた。犬型との通話が途絶えた」
「ああ。しかも……龕灯の解除はただ支えの声を聞けなくしただけじゃない。……わかるだろ、キミなら? 奥多摩で重傷と
なりレイビーズを解除したキミなら、わかる筈だ」
 斗貴子が声をひそめて提示した議題に心の鉛筆を走らせる。
(鳩尾死亡の疑惑を鐶に抱かせた、か。その不安が義姉の喪失でとっくに限界だった心を更に壊しかけている)
 龕灯の解除はよほどのコトだ。武装の解除はよほどのコトだ。加えて鐶は無銘の居る病院に誰が向かったかすら知って
いる。火星ディプレス。戦技の師にして凶悪なる分解能力の使い手と会敵したのが明らかな状況下において不意の龕灯
解除は悪い想像しかもたらさない。
 犬飼は、音楽隊全員を最低限だが知っている。五倍速の老化体質のため中学生ぐらいに見える鐶が生命としては実は
まだ8歳の、小学校低学年の少女であるコトも知っている。
(そのトシでコイツは……助けたかった義理の姉を喪い……仲のいい男子の死亡疑惑すら抱え込む羽目になった。立てなく
なるのは……当たり前だね)
 青年は、少女の容貌(かんばせ)に浮かぶ同質の恐怖はどうしても見過ごせない。
 なぜならば。
(ボクにだって最愛の親族との死別はある。じいちゃんが居なくなった時、悲しかったんだ。ボクは本当に本当に悲しかった
んだ。なのに同じ感情に浸る奴に何もせず通り過ぎるのか? ……。優しさを気取るシュミはない。けど! 素通りしたら
同じじゃないか。じいちゃんが死んだ時ボクに何も言ってくれなかった親族の連中と……同じじゃないか。それだけは……
気に入らない。相手がホムンクルスだからとかそんなの関係なく、気に入らない)
 だから、らしくもなく、呼びかけた。座り込む鐶の前で膝をかがめ、視線を合わせ、呼びかけた。
「……消えたのは龕灯だけって聞いてるよボクは。この部屋に居る戦士たちを見渡してみても『無銘の武器』はそのままだ。
無銘の武器は聞いているね? 支給された錬金術製の武器に龕灯でさまざまな強化性質を付与(バフ)しているアレだ。
見てみろよ。どれも相も変わらずそのままだ。特性そのものが消えていないなら、本体が最悪の状態って決めてかかるの
は……なんつーか、馬鹿馬鹿しいだろ」
 大きな反応は来ない。ただ渇き果てた瞳孔が言葉に反応し自分の方にきょろりと動いた、気はした。
「犬飼、ソレ、総角がとっくに言ったコト、なの」
 ドラちゃんの呆れたような声。慌てて遠くの壁際に目を移した犬飼。気障ったらしく凭れる金髪の剣士は軽く頷きフと笑う。
右の人差し指と中指を格好良く立てているのが、また、腹が立つ。
(はいはいリーダーは仕事(ケア)済みと。くそう。じゃあ何を言えってんだ、ボク的に最強だったこの論理がダメとなると、何
を!? 自慢じゃないが小さな女のコの傷心なんてどうしようもないぞボクは! く、くそう、やっぱりホムンクルスなの理由に
通り過ぎた方がよかったか、賢かったか? でもここでやめたら変な感じになるし。反応が良くなかったら説得をやめたヘ
タレとか戦士たちに言われるし! くそう!)と犬飼、苛立ちはしたが、正しさに向かい、声帯にあるボリュームのつまみを大
にする。
「ボクだってな! ちょっとした被弾に動揺してレイビーズの片方を消しちゃうってコトはあるんだよ! 悪いか! 犬型だって
鳩尾無銘だって、火星が相手なら6つあるという龕灯の1つ、アホみたいなポカで消しちゃっても当然だろ!」
「…………!」
 闇藹の瞳孔がわずかに動く。起始の兆だった。現実から外れていた歯車が思わぬ刺激で嵌り込んだ時の変調だった。
「何しろアイツこの前のボクの犬笛に反応して走り出てきたし! 10歳だし! 20歳のボクがトチってやらかす部分的武装
解除をしても不思議じゃないね!! 火星はお前の師匠なんだろ! だったら尚更だ! ただやらかしただけ! 死んだ
とかじゃなく、ただやらかしただけだね!」
 キミ……。斗貴子は目を丸くした。サップドーラーも「オトコは本当に、アホなの……」と呆れたように呟いた。広い大会議
室に点在する他の戦士たちからは生ぬるい視線やクスクスとした笑い声がやってきて、だから犬飼は頬を赤らめたきりも
う何も言えない。場の雰囲気にやられたのもあるが、何より、肝心の鐶がとうとう俯いてしまっている。そうなった少女の顔
を引き起こせる熱量は、今の犬飼にはない。そういうところを情けなく思っているのに、どうしようもできない自分が彼は本
当に嫌いだった。
「…………優しい……ですね……」
 ますます面食らったのは、予期せぬ言葉が鐶の口から飛び出したせいだ。双眸が前髪の影に隠れた少女は、鼓膜を
さらさらと撫でるウィスパーボイスをひとつひとつ、丹念に繰り出し始めている。
「自分の……失敗を……引き合いに出してまで……励まそうとしてくれたのは…………ありがとう……です……」


【リポーター押倉氏の手記から抜粋】
 まったく犬飼は未熟だな。そんな声が部屋に居る者たちからチラホラと聞こえた。ただ言葉とは裏腹に一定の好意もま
た篭っていた。
 あとで聞いた話によると眼鏡の青年は名家の落ちこぼれだったという。だがこの日の夕方ごろ敵の幹部相手におこなっ
た予想外の奮戦で一皮剥けつつあるという評価もまたあった。私はというと、そういった予備知識なしで素直に彼に感心し
た。物言いこそうまくなかったが、落ち込んでいる少女を見過ごして通れない性分は「伸びる」と思わせるに充分だった。



「犬飼さんだって……不安な状況で戦い抜いた……です。あのイソゴさん相手に……決して絶望するコトなく最後まで戦い
抜いた……です……」
 椅子から立ち上がった鐶。瞳は相変わらず陰鬱とし、ほっそりとした体もふらふらとしているが、心は幾分か最悪から遠
ざかったらしい。犬飼さん、と、かそけき声で呼びかける。
「私……やらかした方に……賭け、ます……。無銘くんが無事で、ただやらかしているだけの方に……賭け、ます……」
「…………事実がどうでも責任は持たないよ?」
 眼鏡の下の微笑は心と心の通暁を示していた。わかったのだろう。鐶の頬も藹と綻ぶ。
「トリ。言っちゃ悪いけどちょろい、なの。説諭ひとつで呆気なく立ち上がりすぎ、なの」
 横合いから半畳を入れてきた天気少女のからかいに「むー」と頬をふくらかす。
「リーダーからの伝達事項その24。『力弱くても懸命に戦い抜け』。犬飼さんは……実践しました……。それも無銘くんの
……仇敵イソゴさん……相手に……。そんな犬飼さんの言葉を無視してまで……座り込んでいたら……無銘くんに……
凍った手ぬぐいではたかれ……ます。『我の仇敵を凌いだほどの男の言葉にどうして耳を傾けない』とか……怒られ……
ます……」
 言葉とは裏腹に、いまだ無銘の死への想像に震えてもいる鐶だったが、分かった上で斗貴子、「そう、だな」と軽く笑う。
「犬飼は戦略的には木星に勝っていた。総角から聞いたがレイビーズの自爆を照明弾にしようとした戦略、あれは見事だ。
鐶含む4人と総掛かりした私を難なく逆に追い詰め返した木星を、あの時の犬飼は更に更に追い詰め返していた。大した
ものだ。逃避行の頃からは想像も……、? サップドーラー、どうした? そんな不快そうなカオをして」
「別に、なの…………」
 ざらっとした声を漏らしたドラちゃんは、渦巻く瞳でむ・む・むぅと犬飼を睨む。ユーモラスだが暗紫のアメーバ状が何本も
放射される程度には深い怒りだ。(なんでそんなに……怒ります……?) 鐶も怪訝なカオをした。
「なーんか、いまイチ見直されたという実感がないね」。犬飼は呆れ顔で嘆息しつつ、付け加える。「まあそういう態度慣れて
るし、今さらいいけど」。

「フ」
(余裕、出てきたじゃない)

 総角と円山が、遠くで笑った。

「ところ……で……」 おずおずと手をあげる鐶。「冥王星を……幹部を……相手にするなら気をつけるべき……コトが…
…」
 固有スキルとCFクローニングか。斗貴子は凛然と頷いた。
「概要は知っているけど、どっちがどっちだっけ、ソレ」とは犬飼。
「固有スキルは特殊技の方だ。リバースなら総ての動きを静止して捉える『コンセントレーション=ワン』、ブレイクなら眼力で
気迫を叩き込み動きを封じる『心の一方』。かつて世界のどこかで誰かが使っていたという特殊な技能だ」
「ああそっちだっけ。盟主も確か飛天なんたらっていう伝説の流派語ってたっけ。じゃあイオイソゴはなんだ? アイツも色
々忍法使ってたけど」
「たぶん、忍法じゃなくて、耆著の投げ方、なの。御庭番衆の螺旋鋲、なの」
 妙に訳知り顔で言う天候少女に(なんで断言できるんだ)と犬飼が思っていると、鐶、
「CFクローニングは適応能力……です。受けたダメージが一定値を超えると、それに適応して、パワーアップして、最大の
ものが起こった場合、武装錬金向上に繋がる技能をゲット、というのが、お姉ちゃん、でした……。あ、私にも実は搭載、
で、私の場合は、鳥の能力の博物学的利用、です……」
「そこだよそこ。最後の。それが固有スキルと混じってた」
「差別化のため、CF恩恵とでも呼びます……か?」
「……ま、安直だがわかりやすいな」。斗貴子は肩を竦める。
「お姉ちゃんのCF恩恵は……吹断…………金属片を空気で固めて……射出する……能力に……生体エネルギー由来の
火薬を添付……でした……」
「で、その……CF恩恵? にどう気をつけろっていうんだ?」。これは犬飼。
「簡単だ」 斗貴子は言う。「幹部が武装錬金特性以外の能力を持っているのを念頭に入れろ」。
「つまり、犬飼は、クライマックスの匂い捉えたら大丈夫だと思っているようだけど、なの、捉えたアイツが固有スキルで反撃
してくるのも覚悟しておけと、斗貴子さんは言いたい、なの」
 つってもなあ。犬飼は渋い面をした。
「じゃあ冥王星の固有スキルってなんだよ?」
「ヘリでの移動中……ケータイで調べて知った、『集中した一瞬』は理に叶って……いました……。何しろ西部劇時代のア
メリカで使われていた……銃の補助の……能力……サブマシンガン使いのお姉ちゃんには、ピッタリ……です……。ブレイ
クさんも……刀と槍の違いこそあれ……武術の範疇? とは思えました……」
(メインとなる戦闘スタイルの、サブになる能力って訳か)
「ちなみに心の一方は幕末から明治に存在が確認されている能力だ。この年代と、西部劇時代の、有名どころをレティクル
が発掘しているのなら、調べておくのは下策ではない」
「あー。サップドーラーが木星の固有スキルに螺旋鋲挙げたのはその辺の調査のせいか。幕末か明治にそーいうの使うのが
居た、と。……待て。じゃあ土星は? 新月村でバスターバロンを操っていた土星の固有スキルは……なんだ?」
 実はそこがわからない。斗貴子は肩を竦めた。
「もっというと、無限増援のサブになる能力も皆目見当がつかない状態だ。多数の人形を生み出せる奴が修得して得をしそう
な能力は、幕末明治の日本にも西部劇時代のアメリカにもなかった。錬金術つながりで人造人間(フランケンシュタイン)関連
も当たってみたが……機能特化? とかいう連中の能力ともどうも喰い合わせが悪いな、無限増援は」
「……結局、実際に見ないとわからないって訳か。CFクローニングの方は?」
「一撃で殺れば関係なくなる」
 この人は……。犬飼は唖然とした。
「万一長引く場合は、適応されても上回れる程度の攻撃を与えていくべきだ。リバースと鐶を見る限り、適応回数には限度が
ある。おそらくだが聖サンジェルマン病院でディプレスと遭遇した秋水たちもそうしている筈」
「クライマックスのCF恩恵……については?
「自動人形に何らかの性能向上がみられる場合は、一撃必殺するか、あるいは……人形と引き離すか、だな」
「引き離すって……。それが簡単にできる相手でもないような」
 わかっている。犬飼の指摘に斗貴子は嘆息した。
「だが無限増援が1体1体さらに強化される類のCF恩恵となると、本体と切り離す以外、今の私には浮かばない。とにかく
今は態勢が整い次第、決戦場に向かうほかない」
(確か……『西』だったよなさっきの話じゃ。なぜ断言できるのかはわからないけど、決戦場はあらかた定まった、か……?)
 同じ空間に立ちさえすれば、猿追い犬で見つけ出す自信……いや、意思が犬飼にはある。自信は不首尾数回でくじけるが、
意思は不首尾が首尾に変わるまで何度も何度も挑戦する源泉だ。
(ボクは最悪、無限増援に殺されても問題はない。本体さえ突き止められれば、突き止められた本体がそのターンで殺され
てくれさえすれば、戦団全体としてはプラスだし、ボク自身の人生にも格好がつく)
 生きたい、生き延びたいという欲目はある。だが任務達成と引き換えた死であれば亡き祖父には顔向けできる。最初は
怯えていたが、任務の輪郭が光瞭になってくるにつれ、肝はだんだん据わってきた。
(問題なのは津村斗貴子と鐶光だ)
 人間ゆえに海王星戦の大ダメージを引きずる斗貴子と、犬飼の言葉で幾分持ち直したとはいえ義姉の死と無銘の件で
いまだ揺れているのが明らかな鐶。
(……正直、今のふたりは、危ない。だが言って止めても自動人形の群れにはきっと飛び込む。瞬殺すべき本体を守護する
兵隊どもを引きつけられるのは自分達だけだと)
 その認識は実際、正しい。斗貴子の一対多の論は既に述べたが、鐶も別角度で強い。変身能力は相手の軍勢が多ければ
多いほど強い。群集犇(ひしめ)く銀成の大通りで斗貴子たち5人を玩弄した実績もある。自動人形に化けての冥王星暗殺
は現実的な手法であるし、
(しかも本体を年齢吸収できる)
 無限増援にまぎれての一撃必殺。先ほどは虚脱状態だったゆえ瞬殺のメンバーに指名されなかったが、斗貴子の頭に
ある鐶の活用法はまずこれであるといっていいい。
(だがそれも通常時のカタログスペックならばの話。冥王星が犬型死亡の虚報ひとつ流すだけで鐶は動揺し、変身能力の
精度を下げる。義姉の死のあとの虚報は効く。ふだんなら耐えられるコトに耐えられなくして……弱くする)
 弱い存在が戦闘においてどれほど尊厳を壊されるか知り尽くしている犬飼だ。弱体化した斗貴子と鐶への心配は大きい。
(最善は後方にやるコト。だが両方とも強いから、絶対聞かない。ボクなんかの忠言は絶対聞かない。何か……何か、ない
か。ふたりが今の不利を埋める新しい『何か』に行き着く方法……)


「あっそーだ鐶! 聞いたわよぉタッグの話!! 開戦前の特訓中、キャプテンブラボーから!」

 病院へ向かう前、財前美紅舞は、言った。

「演劇……だっけ? その稽古と平行してあなた、津村先輩との連携攻撃の練習していたそうじゃないの!」
「…………はい」
 当時、黒い失意に浸るあまり警察署裏口のガラスドアに背中を預ける格好で体育座りをしていた鐶の反応は芳しくはな
かったが、美紅舞は持ち前の快活さで容赦もなく踏み込んだ。声は、でかい。
「未来のだっていうからよくわかんないけど、あんた、なんかのロボットアニメ気分で連携の練習やってたそうじゃない!!
まー、フザけるのは感心しないけど、タッグ自体はいい考えだと思うわよ学窮(わたし)! だってあんたと、津村先輩よ!?
あんたと津村先輩がカンペキに連携できたらさ、たとえあのリバース戦でボロボロだったとしても! 今とは別なすっごい強さ
幹部にブチかませると思わない!?」
 鐶は一瞬ハっとした目をした。が、すぐに視線を下げいやいやと三つ編みごと首を振った。
「……無理…………です。私だって……私なりに……一生懸命、動きを合わせてみましたが……試験……連携攻撃で、
ブラボーさんのシルバースキンを突破する試験は……結局、一度も、突破……できませんでした……。それができなかった
連携が……幹部に通じるとは……とても……」
「ああ! だからね!」
 大きな声をあげる美紅舞。底抜けに明るい声であるが、元々美紅舞に苦手意識を覚えている鐶だから、びくりとする。義姉
の訃報もある。さすがに諸手で歓迎という表情ではないが、ぐいぐい行く奴は良くも悪くも気付けない。気付けたとしても素振り
には出さない。
「だからとは……なん、でしょう……?」
「あんたがリバースへの切り札に津村先輩とのタッグ選ばなかった理由よ! キャプテンブラボーの試験を突破できなかった
ものを、あのめっちゃ強いリバース相手に試したら、津村先輩が死んじゃうかもと心配したから、やめた訳ね!」
「…………。はい…………。私だけならいざ知らず……斗貴子さんまで……巻き込んだらと考えたら……どうしても……」
「うん。わかるわ。練習で結果出せてなかったら不安よね。学窮(わたし)だってビビる。本当にうまくやれるのか怖がる。もっ
と別な安全な方法はないのかって探す、それが普通よ。でもね!」
 きししっと笑って同意を示していく美紅舞だったが、鐶の肩にぽんと手を置くと、明るい声を大きくした。
「でもさ、アンタと津村先輩にだって何か1つぐらい、一致する点はあると思うわよ? そこが通じ合ってなかったから、シル
バースキン、破れなかったんじゃない? 津村先輩じゃなくて、好きなロボットアニメしか見ていなかったから、あんたの真似
っこが、壁を破れる真似っこにならなかったんじゃないかしらね?」
「それは──…」
「津村先輩に倒されたからちょっとニガテ意識あるのはわかるわよ。でもね、それって軽いものなのよ?」
 軽いでしょうか。鐶は重い声で呟いた。
「斗貴子さん、ですよ……? 斗貴子さんに、痛めつけられて、軽いニガテ意識で済むなんて……」
「済むわよ。済む。だって」
 美紅舞は笑ってウィンクした。
「だってあなた自分を虐待していた義姉(リバース)と真向なぐりあえたじゃない」
「…………!」
「あの人に怯えず立ち向かえただけでもあなたは凄いのよ。あなたは自分が思っているよりずっと強い。恐怖を克服した実
績があるって奴よ。だったら津村先輩へのニガテ意識だって拭えるって思えない? それとも負けてから更にひどいバルキ
リースカートを受けたりした? 今でもどうしようもなくトラウマってる? 二度と会いたくない?」
 どこか母のような姉のような質問に、鐶は戸惑いつつも少し考え……首を横に振った。
「斗貴子さんは……ただ戦って……私を倒した……だけ……です。そしてその戦いは……私が……銀成学園の生徒さん……
たちを……年齢吸収で赤ちゃんに戻したから……。いわば正当で……正統の……裁き……。お姉ちゃんが日常の端々で……
やってきた……理不尽な……虐待とは……まったく……違います……」
「だったら津村先輩を普通に見れるんじゃない? 一致するところを見つけられて、連携できるんじゃない?」
 鐶は答えられなかった。どう答えていいかわからなかった。
「とにかく! あなたはあのリバースと戦って生き延びた強いコなんだから! 今や大抵のコトはできる!! もし何かを
前にできないかもと足踏みするなら、その時はリバースを思い出せばいい! 学窮(わたし)も拳を交えたから言える!
あの人より困難な出来事なんて……滅多にないんだからっ!」
 それにさ。美紅舞はウィンクした。小さくて黄色い一筆書きの五芒星が1個、目の隙間から飛び出した。
「2人で戦うってのも、気分よかったでしょ?」
「……なんの、話を……?」
「リバースよリバース!! あんた量産型男爵相手に、リバースと組んで大暴れしてたじゃない!」
「どうして知っているんですか……!? あのとき離れていたのに……!?」
「なぜって……男爵に刺さる攻撃いくつも見たし。居たの近場よ? 学窮(わたし)」
 で、どうだった。イヤだった? 楽しくなかった? うきうきと大きな瞳で覗き込んでくる紅毛お団子少女に鐶は、
「…………嫌じゃ……なかった……です…………。嫌だったら……お姉ちゃんが居なくなって……こんな悲しく……ない
……です……」
 とだけ述べた。
「ならさ、ヒドいコトしたリバースとだって息を合わせられたなら、津村先輩とも……って思わない?」
 人を立たせる声というのは確かにある。ぐいぐいと迫ってくる無遠慮さを鬱陶しく思わせつつも、鼓膜がエネルギービーム
の受け鏡となっていると錯覚させてしまうほど底抜けに明るい声というのは、確かにある。
「あとホラさ、心に弾みがつかないなら鳥の能力に縋ってみるのもどう? ほらさ、『タッグに向いた鳥』、居るでしょ?」

 タッグに向いた鳥? と顔を曇らせたのは犬飼である。往時のやり取りを斗貴子から聞かされた彼は「なんだそれは」と
怪訝そうに唇を尖らせた。

「ボクはトリ博士って訳じゃないが、動物番組はそこそこ見ている。犬目当てでだがね。だが複数で協力して獲物を殺す鳥
なんて見たコトも聞いたコトもない。それともボクが知らないだけで居るっていうのかい? 小型中型の哺乳類または爬虫
類を複数で襲撃して仕留める猛禽類が」
「私もそう思っていた。鳥が協力するのはせいぜい、つがいが、巣に近づいた者を追い払う時ぐらいだろうと。それ以外の
連携に向いた機構を有する鳥など有りはしないのだと」

「だが世界は広い。美紅舞は思わぬ鳥を持ち出した。意外な鳥だったな。美紅舞は鳥の専門家ではなかったがしかし戦闘
の専門家だった。そうだ。かつて斃した動物型に居たそうだ。尤も、それ自体は獰猛ではない。単体ではなんらの脅威も
ない脾弱(ひよわ)な小鳥だ。だが……だからこそ強力な相方を引き立てるコトにズバ抜けて長けた特殊な鳥類。最適な
選択と言えた。私への風評被害さえ抜きにすればおおよそ模範的な提言と言えた。そうだ。風評被害。ふふ。美紅舞、よ
くも、よくも私を、あんな風に……」
(風評被害……? どうして鳥の話で津村斗貴子に風評被害が……?)

 前髪の影に瞳を溶かし怒りに笑う斗貴子に首傾げる犬飼への解答編はやや後段に譲るとして。

 謎めいていた鳥の名前が遂に鐶に告げられたやや後。

「キミ……。そんな動物に私を喩えるとはどういう了見だ……?」
「う、だ、だって先輩、色々ピッタリじゃな……あああ、カオ、近いですって、悪かったわよ謝るわよごめんなさいです許して
下さい」
 高圧と敬語が入り乱れる妙な調子で斗貴子の零距離にある面頬(剛太ならエビス顔で歓喜するだろうと思ったが、言うと
さまざまなコトがややこしくなりそうなので黙った)をいなした美紅舞。距離を取り、息を調(ととの)えると、
「あと津村先輩も鐶大事にするコト!」 元気よく指差す。萎縮していた新人王の唐突な変わりように斗貴子は期せずして
「い゛っ」と呻く。(なんでこのコこんな元気なんだ。新月村では私より長くリバースと戦っていたのに……。性分か、性分なの
か)。引かれてから押されると、キくというのも、ある。そして斗貴子は恐ろしげに見える割に、一部社会では照れ屋と囁か
れるほど甘い部分がある。今回はやわこさの脇腹を見事突かれた格好だ。
「なんで突然そういう……。だいたい鐶はホムンクルスだぞ、どうして戦士の私が大切に」
「でも揺れてはいるんでしょ!?」
 否定を叫びかける獅子座の少女であったが言葉は急速に模糊となり口中に留まる。
「新月村で様子見て気付いたわ! 一緒に演劇の練習やったり一緒に決戦の特訓やったりしてくうち、鐶がただの人喰いの
バケモノじゃないって分かってきたから、どこか後輩感覚で接し始めているんでしょ!? でもホムンクルスだから素直に接し
ようとする自分が許せない! ホムンクルスに大切なものを奪われた人たちに申し訳なくて、だから鐶への暖かな情を必死に
なってこらえている。本当は信じても大丈夫と思っているのに……無理して不信を気取ってる!!」
 こういわれて素直に頷くようでは津村斗貴子は務まらない。表情をぎちぎちと引き攣らせながら反論の予兆をちらつかせ
るが、嗚呼、心当たりがあるのだろう、威勢は鎌首をもたげるたび萎れてしなびる。かろうじて口にできたのは心からの葛
藤だけであった。
「鐶を憎んでも仕方ないのはわかっている。私の過去を、家族を、故郷を奪ったホムンクルスとは別の存在なんだ。鐶に
辛く当たっても仕方ない。それじゃ同じなんだ。分かっている。カズキが月に消えた悲しさを秋水に当たり散らして晴らそう
としていた頃と変わらない」
「……」
「だったら……どうしろっていうんだ。今こそホムンクルスへのわだかまり総てを解けとでも、美紅舞キミは言うつもり……
なのか?」
「ホムンクルス全部への気持ちをどーするかなんて難しいハナシはね、生き延びてからじっくり取り組めばいいじゃない」
 真顔になってもなおきらきらした笑みの華陰が漂っている新人王に、斗貴子は打たれたような表情になる。(先輩に思わぬ
指摘された後輩みたいな顔、なの。斗貴子さんの方が先輩なのに、今は逆、なの)と思ったのは天気の少女。
「大事なのはタッグなの! リバース戦で疲弊したからこそ、協力してクライマックスに立ち向かうコトが必要なの! 鐶に
も似たコト言ったけどね! 残り少ない力でも出し合って混ぜ合って一点集中すれば幹部を打倒する切り札になりうるの!
タッグは未知だもの! 幹部にとって未知だもの! 新月村から土星が横流しした情報で手札全部見切った気になっている
冥王星の度肝を抜ける新要素足りうるのよ!」
「強引、だな……」
 ぽかりと聞いていた斗貴子だが、フと笑ったところを見ると一理ぐらいは認めたらしい。
「だが分かっているのか? 土壇場で新技術に手を伸ばして成功する確率っていうのは、本来とても低いものだからな?
本番で新たな爆発力を発揮したように見えがちなカズキですら、普段からの努力は欠かさなかった」

 まあ、確かにな。ここまで聞いた犬飼はしみじみと思う。

(自分は、自分だけは、いざというとき新しい力に目覚めてどうにか出来る……なーんてのは新米がよく陥る錯覚さ。何回
も何十回もやらかしたからよく分かる。通常事態を回す努力ができない奴が、非常事態を乗り切る覚醒なんて……残念
ながらできないさ……。むしろ普段なら絶対やらないような失敗をやらかしてしまうのさ……))

「検証ならできるわ」
 美紅舞は真顔だった。
「いま俯いている鐶が立ちさえすれば、さっき話したあの鳥の能力、冥王星までの間に慣熟できる。それ単体はそう複雑な
能力でもないから、鳥に長けた鐶ならすぐに慣れる」
「……そして私には『あの動物』をやれ、と」
 それこそ簡単なのよ! いつも通り振る舞えばいいんだから! 事もなげに美紅舞はいった。斗貴子はアイマスク風味の
陰を両目に纏いつつ、黙った。2秒黙ってから無音無動作で発動したバルキリースカートの鎌首4つ総てを美紅舞めがけ無
言でジャキリと持ち上げた。
(怒った、なの)
(そ、そりゃ、さすがに怒るわよね……。役目があんな動物じゃ)と唐人の色濃き紅毛のお団子少女(クォーター)はたじろ
いで流汗したが触らぬ体で、「あとはソフト面、互いが互いに一致できるトコを見つけるコトよ!」と指導する。
「津村先輩にとっていまイチバン大事なのは鐶への気持ち。腹くくって認めろってコト。憎くないなら、後輩のように思ってい
るなら、今夜だけは今回だけは、いつもの調子で扱えばいいじゃない。凛然と引っ張り、毅然と励ます厳しくも優しいいつも
の先輩を徹底すればいいだけじゃない。タッグが一番冥王星に有効なんだから、成功要件たる自分との共通項の発見を
全力でやるっていう、努力を徹底すればいいじゃない!!」
「キミ……ずけずけ言うな……」
「言うわよ! 言うんだから!」
 だって。美紅舞は踵を返した。
「隣にいる人だって、死ぬんだからね! ゆくゆくはこうしようと思っているうちに、変な事情で呆気なく……死ぬんだから!」
 だから一緒に居られるうちに、やれるコトはやっとくコト! いいわねっ! 切りつけるように言い残してた瞬間、強烈な雨風
が流れ込み、だから斗貴子は一瞬視界を喪失した。警察署のガラス張りのドアが開かれたのだ。

「ウジウジ悩んでもう。バッカじゃないの?」

「ここで死んだら、カズキさんと再会、できないんだからねっ!!」

 再び斗貴子が世界を視た時、警察署裏口近辺に財前美紅舞の姿は無かった。押し開けたドアの隙間を潜り抜けた声だけを
残し火星めがけ駆け出していた。



 以降、津村斗貴子が生きて動く財前美紅舞を見たコトは──…



(ふたりには無理強いしちゃったかも、ね……)

 雨振る夜の街を疾走する美紅舞はちょっと申し訳なさそうに細眉を下げる。

(リバースの死からまだ立ち直れない鐶。赤銅島のせいでホムンクルスを憎む他ない津村先輩。タッグは今、薦めるべき
コトじゃなかったわ。本当ならお互い気持ちの整理がついてから薦めるべきコトだった。この励ましへの反発でタッグまで嫌
うようになったら元も子も無い……!)

 が、時間が、時流が、この局面での励ましを強制した。聖サンジェルマン病院への急行が決まった時点で、美紅舞は鐶
や斗貴子に対する「いつか」を喪ったと感じた。

(火星の居る戦場へ行く以上、生きて再び逢える保証はない。それは海王星で疲弊した身で冥王星に向かうふたりも同じコト)

 言葉は、選んだつもりだ。特に鐶に対しては「いま話しかける」行為そのものが地雷となる可能性も描いてはいた。最愛の
存在を亡くした直後に訳知り顔で自説を強要してくる人間がどれほど不愉快か分からぬ美紅舞でもない。

(学窮(わたし)だって……そうだもん)

 顎から上を吹き飛ばされた親友の遺体を前に立ち尽くしている時、誰かがその死を講釈したのであれば美紅舞、七生う
まれ変わっても決して許したりしなかった。

(けれど今いうしかなかった。ディプレス相手の生存率は……低い! リバースの吹断は強力だったけど、喰らっても即死に
はならなかった。国債を使えば再生できる余地はあった。けれど……!)

 解体的分解能力は接触≒死亡の攻撃である。美紅舞にとって師匠筋であるキャプテンブラボーのシルバースキンでさえ
バラバラにされている。

(……学窮(わたし)も考えなきゃね。タッグ並みの対策。火星は強力。無策でいけば犬死にするしかない……! 最低でも、
学窮(わたし)が殺されたとしても後に続く人たちが勝利を掴める…………そういう、輪がやったような方法を、輪の残した
未練に施せるよう…………考えないと…………!)

 駆ける美紅舞。彼方にある聖サンジェルマン病院の輪郭は、大きく、明瞭になりつつある。








 新人王の言葉は結果として斗貴子と鐶に一考の余地を残した。

(タッグ……ですか)
 ミツオシエ。
 ハチミツのある場所をラーテルに教える鳥。

(本当に私と鐶に、通じ合えるものが……あるのか……?)
 ラーテル。
 凶暴!



 残された、妙な割り振りが気にかかるのは、相手がいつまでも傍にいる訳ではないという時限を突きつけられたせいだ。
 親友を亡くしたばかりの少女に言われては、意識せざるを得ない。美紅舞はそこまで考慮に入れ、言い捨てたのだろう。
自分が冥王星戦線から火星戦線へと移動する分の戦力ダウンが気になり、師匠筋の防人から仕入れたタッグの話題を
掘り起こして増強を目論んだのだろう。

 だが斗貴子も鐶も、思い当たらない。自分達の共通項が何か、わからない。2人は何もかもが違いすぎた。


「………………」

 ここに美紅舞の話を聞いていた少女がもう1人存在する。気象サップドーラー。本名:竪琴シグレ。

(共通、なの……? 斗貴子さんと鐶の……共通する、点、なの?)

 わからない、と思った。天気の少女は斗貴子が好きだが、同じくすり寄る鐶はあまり好きではない。平時であればタッグ
成立など率先して潰すだろう。今は状況が状況だから、ジャマする気はないが、手伝える手段もまた浮かばない。

(トリとは……通じ合えない、なの………………)

 東里アヤカという亡き少女の妹だから、玉城青空という亡き少女の妹を慰めたい気持ちはある。だが「突っぱねられた
ら?」と思い悩んでいるうちに、似たようなコトは犬飼にされた。犬飼(オトコ)の家庭事情など知らないが、それでも態度か
ら、親しい家族の死を経験しているのだけは分かった。鐶を立たせたのは、共感だ。だからこそ『姉』という共通項で心に
ふれようとするのは、ますますとできなくなった。シグレは姉を愛していた。愛しているからこそ犬飼のあとに言うと後に続け
とばかりの二番煎じのような気がして、姉を軽く扱うような気がして、できなくなった。そう。犬飼があの説得をしたあと、苛立
っていたのは『先を越された』からなのだ。


「ところで……冥王星本体は、クライマックスさんは、いったい…………どこに……?」
 鐶光は竪琴シグレの微妙な心情を知らない。
「話は聞いていましたが……猿追い犬で追跡するにしても……銀成市は……広い……です……。闇雲に探せばそれこそ
捜索中に無限増援に呑まれて果てる……のでは……?」
「だな」。鐶の指摘に卑屈な青年は震えて笑う。人格的に精彩のない頬はますます以って青白い。
「一度津村斗貴子に否定されたけどね、正直、いまだに要塞巣篭もりの悪い考えは抜けてない。銀成学園が変貌したとい
うあの要塞に冥王星が篭ってたら終わりだぞ……? 戦部を倒した盟主。ボクをさんざおっかけ回した木星。そいつらがボ
ディーガードな上に金星が無限再生でサポートだ。要塞の創造主たぶん水星だって迎撃してくるだろうし」
「大丈夫だ。何度も言うがそれはない。冥王星の要塞篭城は絶対にない」
 いっそ心強いほどに断言する斗貴子に「え」と犬飼、瞳孔をくつろげる。
「武装錬金の形状を考えろ。仰せつかっている役割もな。冥王星には、ある。『来られたら本体みずから出張る他ない場所』
がな。そして私たちの目的地はそこだ。そこが冥王星との決戦の場所になる」
「…………『来られたら本体みずから出張る他ない場所』……ですか……?」
 鐶の長い睫毛が上下した。皆目見当もつかないといった様子だ。
「そうだ。そこへ急行しなくてはならない以上、冥王星は決して要塞奥深くに陣取れない」

 冥王星の決戦場は、西。斗貴子はそう断言する。


「むしろ問題は、手勢だ! 今の私たちだけでは本当に厳しい……! 誰でもいい、援軍、援軍は来ないのか……?」


「クライマックスの自動人形が人を殺せるのは、我輩から奪った能力のせいだ」
「ほう。それは初耳」

 午後10時02分。時の最果て。羸砲ヌヌ行の声にブレイク=ハルベルドはにへらと笑った。

「もともと、クライマックスは人を殺せないようになっている。殺そうとした相手は殺せず、好きになった相手は破滅する、
妙な星の元に生まれていた」
「確かにレティクルに加入した時からクラっち、ひとりと殺せたコトなかったですね。へへ、それが幹部特有の欠如って奴で
しょうねえ。青っちのノドとか俺っちの全色盲とかの。悲惨な過去や肉体的欠損がない代わり、殺意と好意に妙な障害が
……。ん? でもなんでそれが突然、人形越しとはいえ殺せるように?」
「(隙あれば探りにくるよね、コイツ) ……。坂口照星誘拐の時だ。我輩とソウヤ君はウィルを止めるため一戦交えたが、
色々あって敗れた。そのとき我輩は時空の彼方への追放ついでに、『能力』の大半を奪われた。ウィルはどうやらそれをク
ライマックスに搭載したらしい」
「読めましたよ。因果律操作すね。全時系列を貫くスマートガンの能力によって、『クラっちが人を殺せない妙な因果律を
是正した』。だから殺せるようになった、と」
「それでも馴染むまでいささかの時が必要だったらしい。銀成市を君ら幹部が下見している頃はまだ無理だったようだ。偶然
出逢った不良ひとり殺せず一晩中追い回していたらしいからね。(うぅ。やだなあ。我輩の能力、こういう得体の知れんやつ
に知られているの、やだなあ)」
「と、なると?」
「そうだ。クライマックスが死ぬか、最低でも力を奪い返さない限り、我輩たちはウィルの要塞に突入できない」
「やーっと合点が行きましたよ。ヌヌさんが復帰後すぐ突入せず、新月村近辺でお仲間を集めていた理由。クラっちをどう
にかするための戦力が欲しかったから、なんすね。だから銀成についてからもウィルっちの要塞に直行せず、静観している。
クラっちが無力化しない限り要塞に突入できないのは戦団だけじゃなく、ヌヌさんたちも同じだったという訳ですね?」
「わかっているなら彼女の固有スキルぐらいバラして欲しいものだよ。(まったくだよ!? くそう、伝えられたら斗貴子さんた
ちに横流しして情報面から手助けできるのにぃ!)」
 ところで高良くん、早坂秋水たちの様子はどうだい。法衣の女性が呼びかけると、四白眼の少女は、「難しいですね」と
首を振った。眼前には大振りなブラスチックの破片の山が2つ積もっている。
 早坂秋水。小札零。鳩尾無銘。聖サンジェルマン病院でディプレスによって幻想的分解を施されプラモデルのランナーと
なった3人はヌヌの手の者・久那井霧杳によって回収され、今はここ時の最果てに来ていた。
 一時はディプレスによって粉々にされていた秋水と小札の容態について副官くんこと高良はこう述べる。

「死んではいません。ヌヌさんの調査で魂が宿っていると判明した顔のパーツ部分は崩壊を免れています」
 じゃあ復活できるんじゃないですか? ブレイクが軽い調子でいうと家電的な無表情が隠し立てもなく不快に曇る。
「ディプレスが攻撃を加えすぎたんです。正直、あと数秒暴行が続いていたら、本当に死んでいましたよこの2人」

 敵幹部(ブレイク)が相手だったため高良は説明を省いたが!
 秋水と小札の魂を載せた目のパーツ『C1−19』が解体的分解能力の餌食になった瞬間!
 近辺に隠れ潜んでいた久那井霧杳はダブル武装錬金展開していたクナイ・一天地六の確率希釈を発動! 秋水・小札
のC1−19分解を無い物とした! これは直前行われた無銘の龕灯・兵馬俑の解体についても同様だった!! 修復さ
れた姿は一天地六特有の『バグ』によって余人には視認されなかったため隠蔽も完璧であったが!

(しかし直後、ディプレスは早坂秋水と小札零のC1−19を何度も何度も、何度も! 執拗に踏み砕いた!)

 恐るべき執念だとヌヌ行は思う。霧杳は踏み砕きさえも確率操作していた。だが治す傍から砕かれた。

(期せずして火星ディプレスはあの霧杳君の一天地六すら上回った。一天地六は確率を操作するんじゃない。『希釈』する
んだ。踏みつけでいうなら「踏み砕かれる確率を希釈する」。もちろん1回2回なら問題ない損傷に留められれば、度を越え
た回数踏み付けをされれば無傷でいられる可能性は低くなる。水でカルピスを薄めるようなものさ。水を注ぐ傍からそれ以
上の速度でカルピスを注がれればコップの中はカルピス濃度が高くなる。……といった一天地六の弱点に気付いていた訳
でもないのに、ディプレスは……! 早坂秋水と小札零への怨悪だけで度を越えた踏みつけを凄まじい回数繰り返し──…)

 結果、ふたりの魂のパーツをほぼ全損に近い形に追い込んだ。

(同時に、ランナーに配属されていた各パーツも破損し、堆積するジャンクとなった。どうやらプラモデルの幻想的分解能力
を受けている者のC1−19への攻撃は、全身全部品に及ぶらしい。ちょうど武装錬金が、精神崩壊によって解除される、
ように!!)

「無銘く……鳩尾無銘は無事です」
 指し示されるのは骨ばった『枠』20数枚である。それはプラモデル業界ではランナーと呼ばれる。ランナーの列は2つだ。
ヌヌから見て左側は無銘と龕灯のランナーで数は9。右は兵馬俑のもので実に14枚。前者は平均180mほどの高さだが、
後者は2mを超えるものがほとんだ。完成品が190cmの巨躯を持つ以上パーツは大きく、従ってランナーも巨大化せざる
を得なかったと見える。

「だがどうしてディプレスはこの子だけ見逃したんだ?」
「にひっ、そりゃイソゴ老の食事(ひょうてき)っすからね。殺せませんよ殺せる訳がない。殺したらイソゴ老に何されるかわか
ったもんじゃありません。武装解除すりゃ治る幻想的分解状態のまま捨て置いておくのがあの場の最善だったという訳す」

 勝手にヌヌ一派へひっつき煙たがられているブレイクだがこういうレティクル側の内情に関しては便利……高良は嘆息し
つつ言葉を続ける。

「兵馬俑にも目立った損傷はないですね。ただ……龕灯は1つだけ戻ってきていません」
 右列のFのランナーには空白があった。
「解除かなと思ったのですが戦士に配給された『無銘の武器』が性質付与を保っているのをみると……なんだかよく分から
ない状態ですね?」
「無理も無い。解体的分解能力で崩壊した直後、一天地六で復元されたからね。たぶん今は、鳩尾無銘、ディプレス、霧杳
君の能力の競合の谷間に居るってトコかな。分解されたから姿が消えたが、確率希釈で完全なる武装解除だけは免れた。
バグさバグ。だから鐶に随伴していた龕灯の1つは失われたけれど、戦士への性質付与だけは保っている」
「……なんか、前にも見たような物言いですね?」
「んー。まあ、類似した事例をね、ちょっと知っているからね。(この世界もそんな感じだし。我輩とウィルとライザの能力で競
合して不安定だし)」

 結果、無銘は2つの武装ともどもランナー状態で固定されている。

(ンー。『枠』。プラモのランナーも枠っすねえ。中にきっちり詰まっているのは美しい)

 ブレイクはほくほくと眺める。

(むめっち。話、したいっすねえ)

(……。ここは一体……どこだ?)

 無銘には意識があった。意識は病院で小札が分解されてから一秒足りと途切れていない。鐶がいまどうしているかも
心配だったが、動けない以上、自分の現状分析をする他できない。暗い空間に、古代文明めいた石造りの階段や柱が
居並んでいるだけの時の最果ては無銘の知る銀成のどの景色とも合致しない。

(助けられた……のは分かる。助けたのが久那井霧杳であるのも分かる。龕灯越しで新月村を見ていたからな、我は。
分解を妨げたのはクナイの武装錬金一天地六の確率希釈、病院廊下の景色に溶け込んでいたのは大友忍法木ノ葉蝶
といったところか。……。リバースの核に呑まれ死んだ筈のこやつが生存しているのも相当だが、それ以上の驚きは……)

 無銘のC1−19の目線はエビス顔から離れない。

(ブレイク! どうしてこやつが久那井霧杳と行動を共にしている!? どころか遠くには根来すら居る……!! だいたい
……!)

 高良に目を移す。混乱はますます高まった。

(なぜコイツまで!? 7年前ミッドナイトと出逢った司令官事件! そこで『あれだけのコト』をしたこやつがどうして!?)

 まったくわからぬ集団だと呻くほかない無銘だ。

(主宰しているのは法衣の、眼鏡の女か……。……。? 気のせいか? こやつ……どこか師父に似ているような……?)
とは無銘の忍者眼ならではの察知であろう。総角はメルスティーンのクローンだが、補綴する素材には法衣の女・羸砲ヌヌ
行の分身体もまた使われている。似ているのは原理上、あたりまえといえた。

(とにかく何者だ? この女、妙な集団を率いて何をするつもりだ? なんのため我や母上、早坂秋水を助けた? 話を聞く
にクライマックスを斃したがっているのは確かなようだが……)

「というかむよっち、プラモ化は解除できないんですねえ」
 ブレイクは顎を撫でた。ああコイツ探っているなという顔したヌヌは、当たり障りなく答える。
「それだけディプレスの幻想的分解能力が強烈だったというコトさ。解体の方はあくまで物理現象……君とリバースが新月
村で霧杳君にしていた攻撃の範疇だが、幻想の方は、まあ、色々厄介でね。(早坂秋水たちを調べて納得したよ! やっぱ
ダークマターが使われてた。ダークマターには万全の我輩ですら容易には解除できん厄介さんが多い。確率希釈で対抗でき
ないのも、こう、時系列上の干渉をダークマターが妨げているとかそんな感じだろうね。ハロアロの核鉄でダブル武装錬金
してアナザータイプで受け継いでいたとかビックリだよ本当!)」
「ディプレスの怨念や執念も混じっている。一念の篭った攻撃は特性でも忍法でも強力……破幻の瞳でもない限り、簡単
には破れん」
 鬱蒼とした声に視線が集まる。根来だ。みな、軽くだが驚いた。新月村近辺でヌヌにスカウトされてやってきた彼が、一座
の会話に加わるのは珍しい。
 まあ、回収したし? 包帯まみれの豊満なくの一、久那井霧杳がやや離れた場所で寡黙に見合わぬ明るさで両手を広げ
ると「まあね、3人の安全は確保できた。あのまま病院においていたらデッドのワームホールやクライマックスの自動人形
に見つかりかねなかった」とヌヌは軽く息をつく。
「でも、どうします?」 高良は心配そうだ。「もしかすると敵対特性、装甲列車突破に有効かも知れないのに。あの囲み
とあの自動人形の冥王星への敵対さえ実現できたら、ヌヌさんだって力を取り戻せるかもしれないのに……。幻想的分解
能力によって抑えられちゃってます」
「そうだねえ、単純に考えるならまずディプレスをどうにかする、だけど……。(でもそうなると今度はデッドも、だしなあ。策
で戦うのはカッコいいけど、自分から敵を増やした上で立てる策ってのはぜったいうまくいかん。マジで。クライマックスへの
手出しすら実は戦力的にはなるべく避けるべきコトだったりするし。そりゃ冥王星戦は戦団に協力したいし、すべきだけど)」
 うーん。唸る眼鏡の女性の傍で、糸目のまま無表情に、無銘と兵馬俑のランナーを代わる代わる眺めていたブレイクが、
出し抜けに「あ」と呟いた。

「組み立てられません、コレ?」

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