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第126話 「対『火星』 其の零弐 ──Hのさだめ 2/それじゃあバイバイ──」



 ディプレス=シンカヒアの精神は社会の中で弱まりきった物である。
 新天地での再挑戦のたびに頭を押さえつけられ不首尾に終わったという実感が意欲という意欲を削ぎ落とした。

 だがうまくいかなかった原因の大半はディプレスにある。
 引きずりすぎたのだ、被害者意識を。
『死病にある恩師へ捧げる筈だったレースをオシャカにされた』自分は被害者であるという意識を、彼はあまりにも引きずり
すぎた。
 だから些細な注意にすら過敏に反応した。マラソンの件の悲しみで傷ついた犬のようになっていた彼は何に対しても攻
撃的だった。いや、自分に向かってくる何もかもが攻撃的なのだと思い込んだ。要するに、怯えていた。”また”大きな傷を
与えられるのではないかと怯えていた。だから過剰に吠え、そのたび蹴られてそこを追われた。

 立ち直れる者はまず事実を受け入れる。過ちを過ちとして認識し、良くなかったと同僚に深謝して、二度と同じ轍を踏まぬ
よう誓って生きる。
 立ち直れない者は逆である。『あの程度のコトでどうしてこんな大被害が!』と悲憤する。
 寒空の下、門戸の外へ蹴り飛ばされ締め出された断絶の記憶をいつまでも引きずり、排除したものを恨み続けるのに、
バネにして立つというコトはできず、その癖、そういった努力のなさのせいで訪れた破綻の瞬間が、謀略に基づく排除なの
だと真剣に重篤に信仰するのだ。

『自分が正論を言ったから、口で勝てないお偉方が粗を探して権力任せで潰してきた』

 責任転嫁とはそういう心情のもと、実行されゆくものなのだ。

 多くの落伍者同様、社会から理不尽に、一方的に、傷つけられたと受け止めているディプレスにとって──…

 ホムンクルス。核鉄。この2つは最高のものだった。
 完膚なきまでに相手を分解せねば安心できないという精神から芽生えた分解能力は、格下が相手である限り無敵だった。
 怪物だろうと信奉者だろうと負けはなかった。
 いくつかの会社組織に点在する何十人かの”かつての上司”に以前と同じ生活を送れている者はいない。高速道路での
タイヤバースト。新築家屋ナゾの倒壊。部品や設備の『分解』による死は枚挙に暇が無い。だが復職不能レベルの後遺症
よりは、少ない。

 7歳の娘の裸の胸に白蜜滴る膣を乗せられた父親は荒んで離婚。

 落伍者に万能感をたやすく与えるものは麻薬である。
 溺れた。
 命を刈り取るという残虐を事もなげに行える自分は社会の誰よりも優れているのだと信じた。”それ”が本当の意味で心
を燃やす行為ではないと薄々気付きながらも、本当の願いはただ昔のようにマラソンに魂を燃やしたいだけと葛藤しながら
も、ちょっと目先に手軽がブラ下がるだけでもうダメ、こらえきれずに命を散らした。

 何かを熱心にやろうとしてもちょっと躓くだけで憂鬱が襲ってきて何もできなくなる自分が嫌だった。やめた後また放り出
したと気落ちするのが耐えられなかった。だから何の痛みも苦労もない『分解』で気を紛らわし……そうして何かを積み重
ねた気になった。

 楽だったのだ。

 とにかく、楽だった。金は通りすがりの人間を襲うだけで幾らでも手に入った。見るからにAランクの大学を出ていそうな
身なりのいい若いメガネの男性が突然訪れた人生の終わりに絶望して助かろうとゴミ捨て場でもがく姿は何よりの愉悦だっ
た。
 30そこそこの女性の放つ、生まれたばかりの娘が〜の命乞いを一笑に付した時など三日はニヤけた。
 テレビで見た成功者を襲ったのも十件二十件ではない。

 自分をそこらのゲスと同じと思いたくないときは反社会勢力を襲った。
 それだけでネット上では謎の義賊と持て囃された。

 快感だった。自分はこの世の審判なのだと思った。風上に立つのがうまいだけの能無し(とディプレスが決めてかかる)連
中も、警察がナアナアにしている犯罪者どもも、自分なら等しく掃除できると信じていた。この世の腐り肉(み)を掃除している
のだと正義を騙った。金品の強奪はあくまで手数料だとうそぶいた。
 贅沢はした。だが匿名での寄付もした。五千万円は使っただろう。
 施設の軒先に段ボール入りの玩具を置くタイガーマスクごっこは79回。
 弱者への労わりはないと彼は信じた。自分の心を満たすための行為だとディプレスは捉えた。自分のためだからこそ与
える物の質と量には気を配った。貶されれば傷ついて死にたくなるから、用意できる最上級のものを選んだ。そのたび街
から高級スーツの高学歴とアロハシャツの武闘派が消えた。
 無抵抗の子供を虐待する施設職員は性別問わず惨殺した。「自分よりも弱い奴いたぶって悦にいってんじゃねーぞwww」、
己を棚に上げ甚振った。
 子供や老人たち弱者を惨殺したケースは少ない。上流(スノッブ)気取りで息巻いているのであれば処罰のひとつとなって
貰ったが、素寒貧で怯えるばかりな場合は、見逃した。殺しても達成感がないからだ。二十万円分の小銭を与え当惑させる
方が面白かった。
 ディプレスは自分より弱い者を嬲り殺すのが大好きだったが、社会的に弱い者をイジめるのは気乗りしなかった。動物虐待
など以っての他だ。家宅の袋麺を齧るドブネズミすら放置している。
 だからかいつしか社会的強者ばかり狙うようになった。権力や腕力で人の上に君臨する者の余裕に満ちた顔を絶望に
歪ませるのは辛抱たまらぬスポーツなのだ。
 逆に、押さえつけられている者に対しては優しさともとれる曖昧さが目立ち始めていった。マラソンの悲劇に遭うまで教師
を夢見ていたからだろうか。そういった性向が他者との妙な結びつきに結びつく。
 母親と使用人を殲滅され悲嘆にくれるデッド。彼女の暴挙に巻き込まれた貴信と香美。彼らの幸福は真剣に心から祈って
いる。虐げられている者への宥恕は、続くのだ。彼らが成功者にならない限りは。

 ディプレスは差別が嫌いだった。

 肌や宗教が違うだけで攻撃するなどとんでもない。だから弱者を虐げる者は、イイ気になっている者は善も悪も分け隔て
なく殺してきた。肌や宗教だけで殺す殺さないを決めるなど不平等にも程があると頑なに信じた。何色がパレットだろうと、
どんな善神を信じていようと、真の意味での弱者を虐げ悦に浸っているような連中は等しく悪だとディプレスに信奉させ、
敬いのある虔(ころ)しを推進させてきたものは──…

 ホムンクルスの体。核鉄の武器。

 たった2つあればディプレスは幸福だった。無手の生身では辛すぎた社会を彼は楽しく優雅に生き抜いた。

 2005年9月16日まで、ずっと、ずっと。



 同日午後9時36分 …… 鳩尾無銘、兵馬俑の拳をディプレスに当てる。敵対特性のカウントスタート。

 午後9時39分──…

 発動!!

 無銘、小札、秋水、火星四者の交戦空域各所に点綴する神火飛鴉。動きを止め、舞い戻る。震えるディプレス。まなじ
りから涙を搾り飛ばしながら翼の風切羽という風切羽を曲げる。制御であるらしい。意味はなかった。いくじなしに刺さるス
ピリット・レス。剣山を造る。夜よりもドス黒いボールペン大の武器がアザーブルーの怪鳥で。
 悪に突き立つ剣の数、百。
 醜く巨大なクチバシから甲高い「くしゃっ」とした呻きが漏れる。火星の拒絶だ。あらゆる現実を否定する叫びが雨の病院
に木霊する。乗っ取られた神火飛鴉は止まらない。旋転が、始まる。病院1階ロビーで罪無き少女の命を奪い去った分解
能力はいま創造者に適用されつつある。羽毛が舞った。部品が散った。両翼が骨と化すまで一瞬と掛からなかった。
 冷然と刀を構える秋水。兵馬俑のそば薄ら笑う無銘。悲鳴と怒号のディプレス。体積はみるみると減じていく。
皮膚ごと千切り飛ぶ羽毛。内部パーツごと飛び出し腱(ワイヤー)によってブラ下がる骨(フレーム)。
 血しぶきは床のみならず天井すら汚した。
 蝶番の外れる絶対的な音響の中、ハシビロコウはその視界の上下を逆転する。左が、裂けたのだ。左側の大部分を喪
失した胴体は3本の腰椎の粉砕を契機に右側へとベロリと垂れた。
 なおも脱出を試みるディプレス。認める。瞑目し誦する小札零。その背後の『ベールの少女』を。火星は未曾有の、硬直。
(マズい! これは昼間みt「次元矯枉(きょうおう)モード・ゴールドマインっっ!!!!」
 水平に薙ぎ払われたロッドから溢れる光。銀。赤。青。緑。白。黒。ディプレスへの一番槍を争っていた六本の線分が
混ざり合い金色と化した瞬間、戦域は──、虚空へ──、変ずる!
 瓊葩(けいは)の純白に染め上げられた聖サンジェルマン病院6階。浄罪の金光は遂に【焔の如く(マレフィックマーズ)】に
打ち当たる。

(7色目・禁断の技! 昼間俺たちに重傷を負わせた小札の切り札! だが馬鹿め! CFクローニングを忘れたか!! 
いかな技といえど肉体に重傷を刻むのであれば適応してより強く──…)
「……。いろいろ理解されておられぬご様子」
 硬質にくぐもった声が響く。小札だ。ディプレスが急ぎ振り仰いだ彼女だけが現在の世界で歩いてくる。氷結する秋水と無銘
の傍を通り歩いてくる。
 ふりふりと揺れるお下げ髪によって火星は悟る。自分たちは今リバースでいう集中した一瞬の世界に嵌入しているのだと。
冬場の水道ほど冷たい汗がクチバシの傍に噴き出た瞬間右脇腹の皮が鳴った。自分を下半身と繋ぎ止めているそれは
正真正銘、最後の纜(ともづな)だった。ミシミシと千切れそうな音を立てている。もはや長くは保たないだろう。
(待て! 肉体がちぎれたまま……だと!? っ!! そ、そうじゃねえか! このままってコトは!!)
 床で揺れる小さな影。鳥に近づいてくるそれは静かに語る。
「そう。禁断の技への適応も何もありませぬ。無銘くんの敵対特性の傷が修復されていなかった時点で、悟られるべきでした」
(尽きていた……!! CFクローニングはもう、枯渇…………!!)
 リバース=イングラムが本命鐶まで存分に貯蔵し抜いた適応修復能力。
 それを貴信に辿り着く遥か前に失った……ありありと実感したディプレスの顔に脂汗が滲んでいく。大きな丸目にはもう
震えと恐れしか存在しない。
「秋水どのの攻めは決して無駄ではなかったのです……。兵馬俑の拳がヒットしてから今までの3分間たゆまず繰り出され
続けた撃剣は、決して、無駄などでは……!」
「ざ、ざけんな……! だ! だったらここを生き延びられたとしても!!」
「生き延びられたとしても?」
 小札の顔は傍にあった。愛らしい顔立ちだ。鼻腔から漏れる息にすら加熱途中のミルクのような香気がある。しかし惚け
る余裕などディプレスにはなかった。向かいくる気配は破壊の狂奔とは真逆。メルスティーンに比すれば穏やか過ぎる牧
歌。だが男性であれば絶対に逆らいえぬもの。それは。
 母親が子供を叱りつけるときの、優しげだが絶対な圧力。
「…………」
 ロバの少女の鳶色の瞳の奥に青白い燐火がある。ちろちろと揺らめいているそれは悼んでいた。ディプレスによって遥か
階下で惨死した一つの命を悼んでいた。左を前提に問いかける。『生き延びられたと、しても?』 続く咎めはない。弱い男
が最も震え上がるやり口だ。言い募る途中で首根っこを掴み、仕出かした事実にしっかと目を向けさせる。”これ”をしてな
お”それ”なのか、と。
 ティーチではなくコーチだ。分解能力で殺めておきながらディプレスどのは生存を求められるのでありますね……怒号す
ら必要としなくなった母性によるコーチングは心弱き悪に何より効く。
「そも7色目は肉体的損傷の技ではなく──…」
(冗談じゃねえぜ!!!)
 右腰にぶら下がったまま放たれた嘴の一閃は、ロッドを握る小さな手の甲に決して浅くない創傷を刻む。
「どうだ! 肉弾! 肉弾なら避けれねえよなあ!!? オイどうした! なんかいえよ! 実況しろよ! あ!? ビビって
んのか! ビビって何もいえねえのかあ!?」
 赤い潮が舞うなか少女は掌を掌で覆う。速乾した。朴訥の双瞳が失望に。
「この戦いを切り抜けたら俺は兄弟との決着をつける! 望みはただそれ1つ! この俺が! 火星が!! まったく目的
外のてめえら相手に脱落するなど……ありえねえ! あっていい訳が、ねええええええ!!」
「あるも何も……既に終わっているのです」
 7色目を食らった時点で、既に、とっくに。焔の如くの熱感を奇術師の冷感が包み込む。
「昼間お見せした物は拡散。マレフィックどのが多数おられたが故に……拡散」
(かくっ!?)
 ばたつく骨の翼にクロームグリーンの紐が巻きつく。足や首も同様である。
「正史になき事象を引き起こした因子を攻撃し消滅に導くのがゴールドマイン。しかして拡散状態であれば矯正の威力は
等分、対象の数だけ弱まります。それは実にまったく当然の原理……」
 ですが。
「これより用いまするは…………『密集』!!
 重々しい口調の中、影に塗られる小札の顔。それのみが浮かび上がった鋭利な右目の中にあるのは蒼炎の気流。静か
に、しかし烈しく対流して燃えている。
(音楽隊には決して見せぬ眼光……!)
 ディプレスが身を裂かれる悪寒に見舞われたのは錯覚ではない。五体各所に巻きついた緑の紐たちはこの時てんでば
らばらの方向へと動き始めていたのだから。
「ま、まさかこの動き! 裂k」
「敵ただ1人に集中したゴールドマインは、正史になき行為をはたらいた存在(モノ)を矯枉して消し去ります!」
 紐は空間を罅(ひび)割り生えていた。出自は余剰次元方角であった。因果の連関を具象化した強制力の一種であるため
高出力のディプレスがいかに身を揉みゆすろうと解ける気配はまるでない。みるみるうちにバンテージされる怪鳥の顔。左目
以外を埋め尽くされた彼はもうクチバシの開閉すら自由ではない。それで、叫ぶ。不完全な開口ゆえの微妙に怪しい滑舌で。
「ひゃ、やめろ!! 馬鹿!! ひっほめやがれクソふぁ!!」
「もがいても無駄です……。ゴールドマインは次元俯瞰の一種……。この領域の力では、三次元領域の力では解除不可」
 紐はいつしか1000をも超えた。敵対特性で穴ぼこだらけの怪鳥の体は稠密に縄打たれた。蛇の巣に落ちてしまった雛
を想像すれば良い。毒ある者が全身びっしり這っている。
「ご安心を。亡くなりはしませぬ。次元矯枉は正史になき出来事を起こせし存在(モノ)を矯正にて消し去るだけの能力(ちか
ら)。時空改竄によって誕生した悲しき悪の命が消えるコトもありましょう。ですがディプレスどのは正史のどこかにも居られ
た模様。矯正によって幾分かの打撃を負いますが……完全消滅には到りませぬ」
 かすかな安堵を浮かべるディプレス。だがそれも僅かなコト。
「ただし武装錬金は消え去ります! 二度と! 永遠に!! 使えなくするそれが罰!!!」
「!!」
 すぐさまブレイクのような禁止能力を描いた火星であるが所詮凶残者特有のうすら甘い展望である。展望を砕く鉄槌はいつ
だって想像よりも遥かに重い。
「分解能力スピリットレスは『カズキどのの居られぬ時に誰一人錬金術の禍害で亡くなっていなかった銀成市から命ひとつ最
も残虐な方法で奪い去った能力』!!」

 兄を案じ、火渡に鶴を渡した少女。惨死の義務を持たぬ者。

「そしてゴールドマインは正史に無き凶行をした因子をば……消し去る能力!!」

 あ、あああ……。クチバシを開けてガクガクと震える火星。牛乳の香気が藍色に満ちた。

「未来を奪い縁者を傷つけた忌まわしき能力、などは……能力、などはっ……!!!」

 甲走る。横隔膜を哀切に振り絞った声が。顔を揺らして叫ぶ小札のまなじりから幾つも幾つも散ってゆくのは透き通った
熱湯の粒。

(なんでここまでイキり立ってんだ小札てめえはよお!!? 下の方でくたばったヤロウの顔すらワカんねえのにどうしてこ
こまでイキり……いや!! こいつ! まさか!)

 廊下の片隅に転がっていた幾つもの戦士。それが殺人者に直観を与える。

「そう」

 大きな瞳が湿る恚(いか)りを突き刺した。

「あの中が御一人は! 不肖が指をば治せし男のコ……!」
(死体の中の、顔見知り……ッ!!!)
「矯枉は……当然! 消去も、当然っ!! 褫奪(ちだつ)の報いはごくごく然りの……摂理っ!!」
 ぐすりと鼻を鳴らしながらロッドを構える。宝玉から溢れる出力の輝きはまた一段と高まった。鳥裂きの紐の動きも。
「!! や!! やめろ!! この能力を、分解能力を奪われたらどうすりゃいいって言うんだよ!? どどどどうやって社
会と向き合って生きてけっていうんだよ!!」
「…………どこまでもご自分の安全、なのですね」
 豊頬が濡れ光るロバ少女の目にいま、明確なる侮蔑のニュアンスが宿る。能天気で朗らかな少女にすら厭悪を抱かせる
品性、そうはない。
「……。悪いお話ではないと不肖存じる次第……。次元矯枉でスピリットレスが消え失せれば敵対特性による攻撃も止む。
ご自身の能力による死だけは免れ──…」
「そ! そうだ! 兄弟!!」 話を遮られた少女の頬からまた一つ好感度が消える。「てめーの仲間の栴檀貴信と栴檀香
美の決着はどうなるんだよ!? えェ!?」 相手の機微を知ろうともしないディプレスは手前勝手の気付きと確信とでまな
じりを歪める。実に下卑た笑みだった。「ここっ、ここでオイラが思わぬ敗北を遂げたら、あああアイツらのこの7年とか気持
ちのやり場はきっとダメになる!! オマエ、仲間なんだろ!?! 仲間だったらアイツらの踏ん切りのチャンスは──…」
「命奪う者を野放しにしての決着など決着ではありませぬ!!」
 大きくはないが毅然とした声に遮られた瞬間、ディプレスの心はまた一歩グジグジとした領域に追いやられた。10年前に
見知って以来気弱だと見下していた少女に思わぬところで反撃されたショックで体が冷える。震えもきた。10年。小札が気
弱なりに無銘との一山を超え音楽隊の母として生きている間ディプレスがずっと自堕落を決め込んでいた決定的な差はい
ま土壇場での競り負けとなって現れた。
 どんぐり眼の縁に大粒の涙をいくつも溜めながら、ロッド握り締め小札は叫ぶ。
「ここで不肖らが止められず犠牲が出たあと決着して、それでどうして貴信どの香美どのが納得できましょう!? そこから
何ゆえさぱりと前へと進めましょう!!?」
「る、るせえ!! だったら鐶、鐶はどうなんだよおお!! アイツだって共闘した戦士、リバースにたくさん──…」
 弱い男特有の揚げ足取りも、
「だからこそです!! 戦略配置上もりもりさんや無銘くんが犠牲なしでの決着を助力できなかったからこそ!! 不肖は!!
貴信どの香美どのがこれ以上の負い目なく決着できるコトを望むのです!」
 張った声で真向斬って落とされる。
「ぬっ……! ぐうっ……!!」
「そして!! 決着とは戦争状態の中でなくとも付けうるもの!! 凶器なくとも成せるもの!!」
「……ぐッ!」
「むしろ神火飛鴉なしではと凶器に縋っている限り! ディプレスどのにだって心からさぱりした『決着』など……ないのでは
ありませぬかっ!!!? 男子の決着は拳でも成せる!! 成せるのではありませぬかっ!!?」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
 大音声で熱を噴くロバにハシビロコウは言葉を失くす。禁断の技さえ抜きにすれば遥か格下といえる少女である筈なのに
言葉には逆らい難い熱がある。
(リヴォから聞いた……。リバースは、リバースは銃なしでも……鐶と、拳で…………)
 求めていたのはそういう熱。対等ゆえにリスクと痛みの多い勝負。だからこそ傷の痛みで生の熱を実感できる勝負。
(…………。なのに、俺は…………。俺は……)
 見知らぬ、何の恨みもない市民を殺して愉しんでいる……ように振る舞っていた。本当は常温の氷をねぶっているような
『なんの味もしない』感触だったのに…………。
 気分がどろりと落ち込んだ。満ちてゆく。瞳に濁った冷たさが。
(俺の……俺の求めた生き方は……そんなんだったのかよ……? そんなんで、よかったのかよ…………?)
 緑の紐が五体を引き裂き始めた。ハっと我に返った凶鳥の耳を更なる絶望の言葉が叩く。
「歪みの根源たる分解能力! 消しさえすれば、あとは!!!」
「っ! 捕縛か! や、やめろ!! 捕縛されたらリバースのように! リヴォに殺られるコトだって!!!」
「秋水どのにも申し上げたコトですが」
「……!?」
「『もしどなたかの命を害さなければ躍らぬ心に成り果てているとすればそれはもはや傷の苦しみではなくただなる歪み』!!
……幹部といえど見殺しにしてはさぱりと生きませぬ。ゆえに不肖、捕縛後はリヴォどのから守るとここに誓う次第。されど
矯正だけは……ここで!!」
 泡喰う男の小脇でブツリという音がした。裂けたのだ、かろうじてディプレスを腰からぶら下げていた右脇腹の皮が。肉に
減り込んだ紐はそのまま切断の力となる。切断は概念的な切断だった。『ディプレスの精神と武装錬金を結ぶ』根源的な
何かに対し地獄の黒縄の如く振る舞うのだ。ディプレスの千々に抵抗の術はなかった。虚空の彼方より来たれり異形の紐
が力を込めるたびハンドバッグのほどの『ディプレス』が宙を舞い、落ちてゆく。ぽん。顔のあたりで軽やかなSEがした。

「あ」

  「あ」

    「あ」

 くるくると回る世界の中、バンテージの隙間から小札を見ていたディプレスの左目はやがて床と盛大に打ち合い……ブラッ
クアウトした。



「戻った! スピリットレスが!」
「核鉄に……!」



 現空間の秋水が粛然と呟き、無銘は声を弾ませた。現実空間における小札の位置は元のまま彼らの後ろ。ただしよく見
ると先ほど切られた手の甲に赤いミミズ腫れが浮き出ている。してみると攻撃を受けたのは精神でありその打撃が何%か
肉体に反映されたと考えるべきか。

 いずれにせよ現空間における秋水・無銘の視点はこうだ。火星ディプレスを敵対特性によって穿っていた神火飛鴉が一斉
に光ったと見た瞬間、それらが1つの六角金属片へと収束し落下した。硬い床を二度跳ねたそれを追う様に、白化した立体
パズルの破片が降り注いだ。ディプレスの肉片であるコトは言うまでもない。

 登場後わずか数秒で病院に取り返しのつかぬ甚大な被害を撒いた魔人はこうして散乱の憂き目を見た。
 剣士、忍者、手品師。戦団と音楽隊の中でも上位に位置する3つの戦力の死力を尽くして連携した結果、火星ディプレス
は心身ともに行動不能に陥った。

 だが秋水の顔は晴れない。

(本当にこれで終わり、か……? 総角と鐶が組んでも勝てないと言われていた幹部が、こうも呆気なく?)

 秋水は総角を倒している。分解能力への耐性もある。しかも誰に対しても万能の敵対特性を持つ無銘が味方だった。そ
の上で小札が秋水には使わなかった『禁断の技』を……解放。

(相性で勝っていた……のか? それともまだ何か……隠し手が……?)
(疑わしいが敵対特性の傷がそのままである以上、CFクローニングが払底したのは事実。スピリットレスも核鉄に戻った。
迷うな、我。たとえ火星にまだ奥の手があったとしても! 攻撃すれば引きずり出せる! 情報が得られる!)
(……無銘)
(ああ。万一の敗退の際は母上を逃がし他へと伝えさせる! 犬飼倫太郎が盟主相手にしたよう……情報を、持ち帰れる!!
いまが好機であるコトに変わりはない!!)

 無銘にも迷いはある。あるが攻める他ない。何が起ころうと、マシだ。指を咥えているうちに他の幹部の横槍で勝負なしに
なるよりは……マシだ。

 ロッドの宝玉部分をディプレスに向けかけた小札だが、首を振り、やめる。

(……肉体を繋ぎ合わせるのはやめた方がいいでしょう。思わぬ反撃が恐ろしくあります。よってまずは完全無力化。しかる
のち意思ある部分のみを回収。レティクルが敗れたのち、もりもりさんの衛生兵で復元して貴信どの香美どのと決着……
というのが一番、市民の方々を守れる筈……)

「まずは核鉄を奪うぞ」
「ああ。君は再発動に気をつけろ」


 足音。火星はそれを暗澹の空間のなか聞いていた。寒気がする。指ひとつ動かない。

 横たわるディプレスは、袈裟懸けの小鳥のような残骸だ。割れた胴体に首がある、その程度の無惨な姿。

「一見は再起不能。だが幹部。甘く見るなよ。幹部は調整体。動植物型の能力があるかもだ。幹部個人の技能もな。何より」
「ああ。リバースが同様の状況から持ち直したのは聞いている。第一俺は武藤の不意打ちにやられている。『相性がいい』
戦いでも覆されるコトは、ある」

 油断はしない。そういう会話に「なにを心配してんだよww」と泣きたい気持ちで思ったのはディプレス=シンカヒア。うつ伏
せになっている顔の一部に残った脳の一部は寒さと暗さの中、心から思う。

(もう、なにも……ねーんだよ……! 僅かな希望に賭け試したCFクローニングは小札の言うとおり……払底! クソ! 俺
はもう自力では修復できねえ! グレイズィングの元に戻れない限り、絶対に、決して!!)

 足音は近づいてくる。核鉄の音がしたポイントへ近づいてくる。秋水か無銘かは不明だが、このままいけば拾われるのは
確実だろう。ホムンクルスが、それを、肉体崩壊状態でやられるのは……敗北と、同義。

(唯一の望みはデッド! デッドの媒介狙撃! あのワームホールが来たら! どうにかして渦ん中飛び込むんだ! それ
以外に俺の助かる道は──…」

「周囲への警戒を怠るな」。無銘の乾いた声が火星のかすかな望みを断つ。
「この状況で媒介狙撃が来るとしたら」
「ああ。回収に来るか、攻撃途中で相棒の状態に気付き回収に移るかのどちらかだけ。ディプレスも息を合わせ飛び込むつ
もりだ。そういう”ニオイ”がしているからな……!」

(………………!!)

 冷然とした読みの声にディプレスの心胆は凍りつく。”読んだ”剣客の斬撃がどうして逃亡を見逃そう。

 ソードサムライXはギラリと光る。

「渦が来たら細切れだ。渦を支える媒介も、ディプレス自身も。消滅するまで斬り刻む。貴信たちには悪いが取り逃すぐら
いなら……またこの街の誰かを犠牲にしてしまうぐらいなら……俺は、斬る」
「クク。いい答えだ早坂秋水。その時は我も手を貸す。幾らでもあるからな、適したわざは」
「核鉄それ自体への注意も忘れぬよう……。再び媒介にされかねぬのもありますが、窮地のディプレスどのが覚醒せし新
能力が造った疑似餌、というコトとてありえますし」

 話に聞く海王星の新能力開眼をも織り込んだ小札の意見。

「アース化(ポゼッション)……。メルスティーンどの同様、マレフィックアースの力を宿す最後の切り札とて有しているやも
知れませぬ」

 だがそれも杞憂だと火星は沈み行く意識のなか情けなくせせら笑う。

(土壇場での新能力覚醒ってのは……心に、決して、折れないもんのある奴だけができるコト……なんだよ。アース化だって
万全状態で28秒……。いまのこの状態でやれば……秋水たちより先にこっちがくたばる……。それ以上の、覚醒……?
  俺には、オイラには……無理だ、無理なんだよ。できる訳が、ねえ……。オイラには……リバースのような気迫なんて……
これっぽちも…………)

 家庭への怒りから誤った道を歩み始めた海王星。一方、火星は、社会への萎えた心から悪行に身を染めただけの者であ
る。『弱さゆえの攻撃』。最初のバラバラ殺人は自衛のためだった。叱責してくる上司と同僚から心を守りたい一心で彼らを
殺した。解体したのは猟奇趣味ゆえではない。ただ、怖かっただけだ。五体満足のままでは埋めても焼いても生き返ってく
るのではないかと恐怖したから、ノコギリを使い公園に撒いた。

 それほどまでに心が弱い。仕事で叱責されたのも心弱さゆえだ。集中力がない。だから神火飛鴉の命中率は絶好調時でも
2割を『上回らない』。武装錬金ですらその体たらくだ。他にズバ抜けたスキルを習得したというコトもない。

【幹部の固有スキル】。

 リバースやデッドが武装錬金を活かすため得たサブウェポン的な能力。努力によって獲得したそれはディプレスの意識する
ところには1つ足りと存在しない。研究班の班長としても結局、新たな土星の開発はできなかった。だいぶ後からやってきて
就任したリバースがごくごく短期間で細菌型のリヴォを完成させたときディプレスは生涯何百回目かの寒く寂しい思いをした。

 危機に際した頭脳は高速で唸り始める。解決を模索するためだ。走馬灯もこの一種と云われている。
 格段に跳ね上がるクロック数でディプレスが行い始めたのは、しかし建設的な思考ではない。
 ただの泣き言だ。ただの泣き言を早回しで胸中喚きたてる。迫り来る終焉への不安から気を紛らわす、ただそれだけの
ために貴重な思考の時間を浪費する。不活発な人生の縮図がここにあった。

(オイラは分解能力頼みなんだよ! 必中必殺抜きでも戦えるよう圧倒的な特殊弾を努力によって作り上げるコトのできた
リバースとも、媒介狙撃のタネ割れても問題なく使えるよう商品知識を学び続けているデッドとも……違う!! 特性の通じ
ねえ相手には無力! まるで無力!! イソゴばーさんのような忍法もなければ盟主さまのような剣技もねえ! 1つの人格
としちゃあ……空っぽ! 空っぽなんだよ! 弁当の早食い程度の特技しかねえ、特性が発動しなきゃ何も出来ねえ……
クズなんだよ!!!)

 およそ、粘り腰とは無縁の男だ。責任転嫁が多すぎたリバースですら銀鱗病を精神力で捻じ伏せるに足る『憤怒』を、ア
グレッシヴなエネルギーを蓄積していたというのにだ。

(もうダメだ。やっぱりオイラはオイラなんだ。なにもない、できない。自分の手にあまるコトは克服も達成も……できないんだ)

『憂鬱(ディプレス)』には本当に、嘆きと淀みしかない。

 ……。

 いま、ディプレス最後の砦が奪われる。先ほどまで分解能力を撒いていた核鉄は検分の末、早坂秋水によって拾い上げ
られた。身長の高いタイプの足音でそうと気付いた怪鳥は、

(勝てるわきゃ、勝てるわきゃあ……ねえだろ……!! 分解能力無効のコイツ……! 敵対特性持ちの鳩尾無銘! バラ
したもんを繋ぎ、禁断の技すら有している小札零! 個々の強さもだがそれ以上に! どいつも、こいつも! オイラとの相
性が悪い!! 悪、すぎる……!!)

 言い訳だ。リバースだってブレイクだって鳥目誕や久那井霧杳、竪琴シグレら強豪に難渋しつつも使命は果たした。相
方のデッドだって思わぬ禁止能力に戦略の根幹を揺るがされてなお出来るコトを探している。
 三者、外道だ。下衆下根の大醜だ。
 だがそれでも『気に入らない者はどれだけ強かろうが傷つけてこようが必ず殺すッ!』という悪として持つべき最低限の
覇気だけは保ってきた。

 にも関わらずディプレスは、

(雑魚くせえ戦士テキトーに狩ってあとは兄弟とハイ決着ってつもりだったのに……なんでだよ、なんでのっけからコイツらな
んだよぉ!! 憂鬱だあ! 憂鬱だああ!!)

 現実がヒドすぎると泣くばかりだ。自身の努力のなさも棚に上げめそめそするばかりだ。

(泣いている!? 幹部が!)
「フザけるな……!! 被害者意識か!?! 市民と戦士を分解した時はあざ笑っておきながら! いざ報いとなれば被害
者意識を振るうのか!! 己が! 己のみが理不尽に見舞われていると、左様な顔をッ!!」

 突っ伏す残骸からのすすり声を聞いた美剣士は唖然とし、少年忍者は嚇怒する。ディプレスは──…

「チョット背中が見えただけだろお……」

 洟を啜る。(背中……?) 訝しむ小札への解答は独白を以って行われるコトとなる。

「殺ったのはまだ3ケタなんだよおおお。4ケタの背中がチョット見えたかな程度なんだよおおお。それっぽっちの愚図しか
殺してねえのになんで、なんでオイラだけがこんな、こんな、ヒドい目に遭わなきゃ……いけねーーんだよおおお!!!」
(こ、この男、は…………!!)
(命を!! なんだと!!)
「なんでだよお。政治家だったら総理だったら失政でカネのめぐりバグらせて何十万人ってヤツの人生めちゃくちゃにした
って罰ひとつ受けず年金で悠々だってのによおおお!! なんでたかだか4ケタ未満殺しただけなオイラが殺されなきゃ
なんねーんだよおお! ヒドすぎる、世界の仕組みがヒドすぎるうう。オイラが殺したのは全員、人(オイラ)を傷つけるよう
なコトぬかす腐った愚図だったってのにいい、殺った分だけ世界がキレイになったってのに、ヒドすぎるううう、残酷、残酷
だよおおおおお!!! 政治界の黒幕も反社会勢力の巨魁も悉く片付けてやった益虫なオイラがどうしてどうして、こん
なメにいいい!!!」

 反抗ひとつせずただただ見苦しい嘘唏(きょき)をあげるばかりな幹部の姿。

 それは
 それは無銘にとって。

 命乞いで見え透いた謝罪をやった方がまだマシと思える最悪の、幼稚!

「性根のほどようく分かった!!」
 カっとした声で一足飛びに寄った残骸を蹴転がす。火星の目が身ごと仰向けになった瞬間、無銘の思惑を悟った秋水と
小札、口々に叫ぶ。
「っ! 待て! 渦はまだ!」「無銘くん!」。けたたましい二部合唱を遮るよう一閃した隻腕。握っている、矢立を。放たれた
墨は怪鳥の、左目にて大きくしぶく。
(ひゃっ! これは……! 早坂秋水にも放ったっていう、あの!)
 冷感にぎょっとしたハシビロコウが腹を弓なりに跳ね上げながら瞑目し首振る間にも殺気の紫煙は無銘に集う。

「月に回収され金星に癒されても厄介!! 栴檀どもには悪いがこの場で確実に!」

 始末してくれるわ!! 矢立を放り捨てた右手で手早く九字を切る鳩尾無銘。両目から放射された黄金の輝きは廊下の
宙にオーロラを引きつつ向かってゆく。ディプレスの割れ欠けた顔面、そこにただ一つ残されている左の眼球へと。

(時よどみ。時間感覚を狂わせ死に追いやる忍法。俺も受けたから分かる。裂帛の気迫程度ではまず解除不可……!)

 もはや制止できぬと悟った秋水は意思を警戒へと切り替える。解体した肉体が動くとか渦が襲来するとかといった予想外
の事態に即応できるよう剣を構える。
 火星がここまで無い袖を濡らしているのは攻めを誘発するための罠ではないか……剣士ならではの『無形の攻め』への
想像力で以って無銘と小札の守護として控える。優勢だからこそ小札の周囲に気を回すのだ、無銘以上に。小札は人質
に取られたが最後である。無銘は何らの攻撃もできなくなる。いきおい秋水も引きずられよう。

 敵がそこまで考えた上で、反撃のため、偽りの涙を浮かべていると想像するのは正しい。
 最初が本当の涙だったとしても、喚いている間に脳が明瞭になるというコトもある。明瞭のなか起死回生を思いついたが故
に演技の涙に突入しているのではないか……昼間まで演劇部だった剣道部が疑うのも概ね正しい。

 だが火星は──…

(怖いよおおうわあああん!!! 一体どうしてこんなコトにいいいい!!!?)

 無策!! 命乞いの打算すらない!  泣けば同情して助けてくれるだろうという思惑すら埒の彼方な……本当に、心か
ら、自分だけが被害者だと思い込んでいる──…

 最 低 の 涙 を 流 し て い る ! !

(憂鬱だあ……。なんでだよ、なんで誰もオイラを助けてくれないんだよぉ。オイラたちは仲間、仲間なんだろ。仲間ってのは
辛いとき助けあうのが当然なんだろ……。なのになんでだよ、なんで誰も助けてくれないんだよお……)

 相方デッド=クラスターの病院用の媒介選定は遅々として進まず。
 クライマックス=アーマードの自動人形たちは病院の敷地内に居たが『茨』によって続々寸断の憂き目にある。
 ブレイクは遠方。近場に居たとしても助ける義理があるかどうかは怪しい。
 イオイソゴとグレイズィング、ウィル、そして盟主もまた遥か遠い要塞の奥。

(見捨てられたのか。見捨てられたっていうのかよぉ……)

 火星は染まっていた。かつてない恐怖と絶望に染まっていた。だが助ける者など誰一人として存在していなかった。その上
で彼は、安全の担保が望める『栴檀貴信・香美両名との決着』すらフイにしたのだ。自らの腐り果てた嘘唏で無銘を刺戟した
ばかりに、失った。

 燦ッ。魔眼からの金射は見事ディプレスの目へと入った。
 時間を遅延させ死へと誘う必殺の忍法。それはまひろとの交流で再生の道を歩み始めた秋水ですら気迫1つでは解除困
難だった能力。いわんやディプレスごときの精神では。龕灯に敵対特性を喰らわせれば或いはだが一度踏まされた轍、無
銘の警戒は鉄桶のごとき厳であった。妙な物体が龕灯に着弾した視覚的事実と感覚的事実はなかった。

(あ、あ、ああ……)

 水底のように暗くなった主観病院世界の中、ぐわんぐわんと緩慢になってゆく感覚にハシビロコウの心はどろりと死んだ。
 蛍光灯の光が岩山のように固着する幻影の世界は心を殺す。

 秋水、そして小札。

(完全に決まるまであと僅か。その時がくれば火星は死ぬ……。……。貴信。香美。重ね重ねすまない。だが幹部は火星を
含めいまだ9人。戦略だけいえば無銘は正しい……)
(不肖としても無念の結果。ですが)
(古人に云う! 残(ざん)に勝ち殺(サツ)を去る! 悪であっても処刑より感化こそが望ましいとする論語の考えだが……
通じんだろうな、こやつには! 糞土(ふんど)の牆(しょう)は塗るべからずだ! 追い詰められてベソを掻くような我以下
の子供に感化の余地は……ないっ!)
 秋水や小札との温度差はリバースに典拠する。改心を求め説諭した結果おぞましい開き直りを遂げた者こそ海王星。龕
灯越しにとはいえ整復不能の精神を垣間見た事実が、被害者ぶって泣きじゃくる火星の姿が、拘束は中庸的な妥結に過
ぎぬとそう看做(みな)した。

(新月村さいごの黒い錐は助けられたはずの命を余分に殺した!!)

 正心に賭け再発を防ぎたい無銘だ。吹断は一発なら着弾しても当たり所しだいでは助かる目もあった。だが分解能力は
違う。指先に掠っただけで手首から先が失われる。大出血して死に到る。胴体に着弾して生きている者に到っては無銘、こ
の病院で1人たりとも見ていない。

(いまの好機を逃せば、また、だ。また市民の誰かが惨死する……!)

 気のいい年上の後輩たちに決着をつけさせてやりたかった気持ちはある。無銘とて幹部に仇を持つ身だ。横取りされた
場合の気持ちは分かる。

(だが今は市民の命が最優先だ……!! 栴檀どもの因縁については……いま1人! いま1人の月をやれば済むとそ
う割り切って貰うッ! 栴檀どもを別々の体に戻すには分解能力が必要? 複製がある! 師父が神火飛鴉を揮(ふる)
えばそれで済む!!)

 ディプレスの肉体サンプルは小札によって回収済み。

(故に火星ッ!)

 双眸からの放射、最大出力。

(ここで仕留めるッ!!)




(ふふ……ふははは)

 混迷の世界の中、ディプレスは笑う。涙でちょちょぎれた瞳を拭おうともせず力なく笑う。
 眉型の羽毛ハの字にしボタボタと落涙するハシビロコウに幹部の威厳はもはやない。

(終わりだ……。もう、おしまいだ……)

 貴信とした決着の約束が胸を刺したのは一瞬だけだ。『貴信との熱戦で立ち直った自分ならば貴信と香美を別々の体に
戻せる、その融合を分解能力によって解いてみせる』という誓いすら、ここ7年の支えすら、弱りきった心は逆境の中、いと
も容易く手放しにかかる。どうせ総角がいる、総角なら自分より上手くやれると信じられない言葉さえ吐いた。

 気付いたのだ。

(これをやったら立ち直れるって条件付けている時点で……先延ばし……だったんだ……)

 目を赤くしグスングスンとしゃくる。ノドの奥が焼けて詰まる。

(7年前決断できなかった俺が7年後の今ちゃんとできる訳なかった……。明日を勝ち取れる訳が……なかった…………。
それが、それが…………)
(敗因、ね)
 美しいウィスパーがどこからかした。軽く瞠目する火星。乳白色の幻影がいた。ゆるふわの短髪を微風になびかせる笑
顔の少女がいた。俄かに皺の増えたディプレスは困憊の笑みで出迎え名前を呼んだ。
(私めにも改悛の余地はなかったけど、光ちゃんへの愛だけは真実だったし何より最後の最後まで諦めたりはしなかった。
なんていうかな? 光ちゃんが戦って乗り越えるべき『厚さ』はあったと思うのよ。でもあなたは違うじゃない? 自分より弱い
者への嗜虐と誹謗に満ちている癖に危地ひとつで容易く崩れるわ貴信さんたちとの約束あっけなく捨てにかかるわ……。
どこが厚いの? ぺらっぺらじゃない。そんなんで貴信さんたちが決着して進める訳ないじゃない。敗因はそこよ。『ブッ倒
した所で心が前進できる者ではないと正しく理解されたから』、貴信さんたちとの決着を尊重されなかった。幹部の数を秤に、
始末していいと見下され、処断された。可哀想だけど自業自得ね。7年もあったのに厚みある自分に成長するための努力っ
てのちっともしてこなかったあなたが悪い。だから負けたし、殺される)
 てかよくもあのカメラの、桜餅の髪のコ逃がしてくれたわね、お陰で……と亡霊は文句たらたら、笑顔に怒りの漫符をまぶ
す。
 が、ハシビロコウは怒らない。「……」。鳥渡(ちょっと)の沈黙のあと双眸に起きたのはひときわ大きな涙の滲出。雪玉大だ。
(負けだ、終わりだ、もう無理だ。連れてってくれ。ピンク髪の意趣返しで追い返すとかやめろよ? 頼むからもう……休ませ
てくれよ…………)
 太い涙の流れを作りしゃくりあげるハシビロコウの中身は……中年男性。少女の笑顔は”ヒキ”に引き攣る。
(……うわぁ。ま、まあ? 引導欲しいならあげるけど。だってソッチにあなた居ない方が光ちゃん生きる率高いもん)
 死ねー。笑顔の麓に銃が現れ核の光を宿してゆく。

 同刻。地下で涙ぐむ毒島華花は不意に虚空を見上げた。

「…………?」

 どこかで決着がついた。なぜだかそういう気が……した。





 聖サンジェルマン病院6階にて繰り広げられた火星戦。最初に終了の鐘を聞いたのは秋水であった。
 右手で刀を正眼にし、左手でディプレスの核鉄XXI(021)を握り締め周囲を警戒していた彼は見た。
 ディプレスの顔が消滅し始めたのを。袈裟斬り状に千切れた胴体もまた同じだった。
(完全に決まったようだな、時よどみ)
 灰色の塵が立ち上っていくのは落命したホムンクルス特有の症状だ。
 額の章印が輝きを失くし罅割れていくのさえ秋水は見た。
 風が流れ込んできた。かつてディプレスが窓側に開けた大きな穴。そこから廊下へと流れ込んでくる風は雨の匂いが濃密
だった。散り行くディプレスの粒子が廊下を流れて消えていく。。秋水、無銘、小札の傍らを通り過ぎて消えてゆく。
(もしここから火星が生き延びるとすれば……幻覚。俺の見ているこの光景が幻覚ならば或いは……。だが土星が新月村
で戦士に見せたという幻覚はリバースの能力あればこその現象。彼女亡きいま同じコトが起こるとは)
 考え辛い。そこまで考えた瞬間、秋水の爪先近辺で音が鳴った。背後で小札がびくりと動く気配を察しつつ、有事に備え視
線を落とす秋水。
(なんだ)という表情が端正な顔いっぱいに広がった。核鉄だ。ディプレスのXXI(021)がシリアルナンバーのある方を上に
落ちていた。
 おおかた汗でぬめって落ちたのだろう。ディプレス消失に視線をやりつつ中腰になる秋水。
 拾うために過ぎなかった体の動きは、俄かに止まる。ディプレスは相変わらず消滅を続けている。月の渦すら来ていない。
だが秋水の視界はその端に予想だにしていなかった物を捕らえた。
 それは音を立てて弾む、人の、拳。
 秋水のハリのある頬が褪せる。知ったのだ。『握り締めていた筈のディプレスの核鉄がどうして床に落ちたのか』、知った
のだ。耳の奥で血潮が鳴り始めた。最初に落ちて弾んだ人の拳に目をやる。見覚えがあった。誰の物かわかった瞬間、
ソードサムライXが。床と打ち合い耳障りな高い音を奏でた。
 鬢の横から汗が垂れる。剣士が剣を取り落とす事態を不審がっただろう。背後から傍らに来た小札が栗色のおさげを揺
らしながら大きな澄んだ瞳を向けてくる。
 その口から引き攣った呻きが漏れる。ここでやっと秋水は中腰から直立に戻ったが、汗の筋は増えていた。
 喪失していたのだ。左手首から先が。
 右手首も同じだった。黒い学生服の袖口から先は切り落とされたよう何もない。耳の血潮が地響きとなってのしかかってくる。

(ディプレスの核鉄を取り落としたのも道理! 落ちたからだ! 握っていた手首ごと……落ちたからだ!!)

 最初に発見した拳に目を落とす。左拳だった。色艶も血管の位置も間違いなく自分の物と同一だった。理由は不明だが、
XXI(021)の核鉄を握っていた掌は手首から抜けて落ちたようだ。そして落ちる途中で開き、核鉄を落とした。

 床に横たわる愛刀の茎(なかご)が右拳に握りこまれたままなのを見つけた彼は分解能力を疑いつつも同時に気付く。
(血が……出ていない……?) 
 手首からの出血はない。落ちた2つの手首の断面も同じである。
(どういうコトだ……!? これまで分解された者は──…」
 廊下の向こうに点在する”彼ら”は衣服を血液で汚している。人体分解なのだ、出血なしでは無理なのだ。
(ならば俺の、拳は、いったい、どういう──…)
 呆然と落下物を眺め回しているうち彼は、気付く。落ちた右拳。その手首側の断面に奇妙な物がついているのを。

(柱と、球体…………?)

 いずれも、白かった。ピンポンを刺した棒のようなような突起が手首の断面から生えている。骨の露出を疑った秋水だが

「綺麗すぎる! 関節にしては、あまり」

 ”に”と発す秋水の首が胴体からスッポ抜けた! 浮き上がった!
 同時に胴体から両腕が両肩ごと、両股関節から両足が大腿部ごと、それぞれ引き抜かれた!
 引き抜かれたままの状態で、首と四肢は中空に止まっている! 落ちた手首と何が違いそうなったかの解を求め眼球を
動かした秋水は目撃する!
 両手の付け根。白い球体があるのを。それらは左右とも胴体から30cmは離れているせいで見えた。
(白い球体? 手首と……同じ……?)
 ではこちらはと確認した両足の付け根には……なかった。代わりにスリットができていた。薄いハードカバーの小説なら
2冊は入りそうな幅だった。その奥に、穴の開いた部品のような器官のあるのが蛍光灯の差し込みによって把握できた。

(……!!)

 秋水は瞠目する。かれと同様の現象は無銘と小札にも起きていた! 

 同刻。午後9時42分。要塞奥。
「スピリットレス・アナザータイプ…………」
 巻き髪の女医がクスクスと笑う。見ただけで挑みかかりたくなる淫靡な笑みだ。

 同刻。午後9時42分。聖サンジェルマン病院6階廊下。

 秋水の、黒い学生服に覆われた右肩近辺の腕は15cmしか残らなかった。あとは、剥(む)け落ちた。抜け落ちた腕の断
面は空洞だった。肉もなければ骨もない。その代わり右肩近辺からは長さ12cmほどの黒く丸い「ピン」が生えていた。肩の
下3cmに切れ込みが生じ、そこから下が抜けたので、ピンと合わせて残留分15cm。学生服を纏う秋水の腕が剥け落ちた
というのに、中身は肌ですらなかった。肌があるべき内側の部位が学生服と同色のピンへと変貌していた。

 右大腿部にも近似値の変化が訪れたが、こちらは脱落した方に5cmばかりの黒く丸いピンがあった。抜けた足は更に
膝下5cmほど下から切り離された。こちらのピンは膝側からで長さ10cmほど直方体。

 足首から先も抜けた。革靴を履いているため形状はほぼ、それだった。
 靴底が、取れた。靴底の内側と勘合していたのは白いパーツで、横から見ると「L」に近い。高く聳える部位があるのは、
足と接続するためだ。一方、底をなくした靴の方には継ぎ目がない。一体成型らしかった。L字の白いパーツの頂点に刺さ
っていたのは、まっすぐなピンを持つごくごく短い可動肢だ。それも、抜けた。抜けて2つのパーツに分かれた。双方、丸く膨
れた部位がある。下の物は上が膨れ、ドーナツ状に穿たれている。上の物は下の方が膨れピンを持つ。穴と軸を左右から
勘合させるコトにより可動域を得ていたようだ。

 胴体は3つに分かれる。胸と、腹と、腰へと分かれた。血管も、背骨もない。下の部位が上面に丸いピンを出し、上の部
位が下面に穴を持つ。そんな繋がり方へと秋水の体構造は変化しているようだった。

 足首を除く他の四肢らは一斉に前後へと割れる。中身は空洞だ。ダボ穴かピン軸のどちらかしかパーツにはない。
 関節部にも骨はない。置き換わっている。『穴の開いた板』に。原初的な蝶番だ。腕を例にすれば、蝶番の上の穴に上腕部
のピンを、下の穴に前搏部のピンを、それぞれ嵌め込むコトにより可動をもたらす……そういう仕組みのようだった。

 秋水の胸の内には、首を接合するためのパーツ。中央から両側へと張り出した板には分度器型のパーツが嵌り込んでい
る。その中央に穿たれた穴が両肩の球形を受け入れていたのは言うまでもない。
 秋水の腰に設(しつら)えられているものは、ピンがバイクのハンドルのような形で張り出したパーツ。そう、両大腿部と接
続していたものだ。よく見ると1パーツではない。腹部と接続するためのパーツの、下半分から、前後に向かってせり出して
いるピンが、前後から別のパーツによって挟まれている。それはドーナツに腕が生えたようなパーツだ。これが大腿部との
勘合だ。

 学生服の前面から灰色のパーツが5個、飛び立つ。ボタンであった。

 美貌で鳴らした副生徒会長の顔も前後に分かれた。まず前髪が1つのパーツとして外れ、次に顔全体が後ろ髪のダボ
穴から抜け出て舞った。顔は、2パーツだった。目と眉毛を乗せた白いパーツがズズっと後退して抜け落ちると、残された
顔は恐ろしげなデス・マスクとなった。

 無銘本体も兵馬俑の無銘も、小札も、同様の細分化を平行して遂げている。

 髪の短い無銘は秋水と同一の工程だが、イオイソゴ攻略のため自ら彼女に左腕を食わせているためパーツは少ない。
 小札は頭から横髪やシルクハット、お下げといったパーツを抜け取る作業が増える。
 190cm近い巨躯の兵馬俑は全体的に大振りなパーツだったが、関節構造それ自体は他3名と同じだった。

 ソードサムライXは全部で4パーツと1本だった。1本とは下緒であった。茎(なかご)に巻きついていたそれはひとりでに
みるみるとほどけた。ほどけるたび床の刀は微妙に右に左に持ち上がりカタカタと鳴った。
 飾り輪、つまり輪っかに十字の心棒を通しているパーツに作っていた結び目もまた、解(と)けた。
 下緒の縛りを失った刀剣の解体過程は短い。ローマ字の銘が刻まれた部位から茎に到るパーツが刀身から外れた。それ
は2つだった。左右から嵌め込むタイプだった。パーツを失くした刀身の下方4分の1は歪な造詣に穴の開いた無惨な姿。

 龕灯、ロッド、シルクハットといった付属品も部品が外れるまたは分割されるといった事態を辿る。

 魂は目のパーツに、宿っていた。

(こ、これは……!)
(間違いありませぬ! 不肖たちは今!)
(プラモデル! 鐶めの好きなプラモデルに……変貌している!!)

 身動きひとつできぬ秋水、小札、無銘。その左目と右目の色味が剥がれて宙を舞う。シールによって再現される……そんな
構造になってしまっていたらしい。

(なんたる変化(へんげ)だ! イソイオゴの忍法でもここまでは!)
(変化(へんげ)……? いえ! この状態もまた………………)

『分解』!!!

 三者は同じ結論に到る。だがそれは新たなる疑問の出発だった。

(分解!? 毛色が違うぞ! 奴がこれまで行っていたのは解体めいた分解! それがどうして急に斯様な形へ!?)
(疑問はまだある。小札の七色目。その集束を浴びた武装錬金は永劫削除されると昼間聞いた。ならば何故、集束を浴び
たスピリットレスが作動している……? そもそも奴の核鉄は落ちたまま……! もう一個どこかに隠していなければ、説明
が……!)
(もう1個の……核鉄……? ……もしや……この能力、……別物…………?) 小札は、考える。
(同じ創造者から違う特性の武装錬金が発動する……。レアケースですが無い訳ではありませぬ。なにしろここにいる無
銘くんは兵馬俑と龕灯を併用できるのですから)
(俺が居た再殺部隊の円山のように同じ形状でも身長吹き飛ばしと増殖を兼備した者も)
(そして母上の禁断の技は『正史になき殺害を働いた能力を削除する』能力。もしディプレスにもう1つの能力があるのなら
筋は通る。階下の市民を殺した能力を甲、我々を斯様な目に遭わせている能力を乙とすれば──…)

 甲 → 正史になき殺害を行ったため削除。使えない。
 乙 → 正史になき殺害には加担していないため禁断の技による削除の対象外。

(これならば分解の毛色の違いにも説明が。されどかかる結論に至りました以上、問題が……!)
(能力が生きているというコトはつまりディプレス! 奴は、奴は…………!!!)

 鳥の顔は、まだある。
 プラモデル化に動揺する秋水は見落としていた。
 奇怪極まる『分解』が始まった時点で……火星の崩壊が、止まっていたコトを! 
 どころか逆に! 肉体の質量を回復し始めていたのを!

 廊下に立ち込めていたディプレスの、灰色の粒子はいま、黒味がかった紫へと変色する。
 その1割ほどだ。4枚の、大きな、プラスチック製の『枠』へと変貌を遂げたのだ。まず小札が気付いた。男達もそれに続く。
(なんだ?)
(アレは、一体……!?)
 配管が生い茂っているというべき細かな枝分かれまみれの奇怪な残骸的な枠が、狭い廊下で、あまり間隔を開けず横一列
に並んだ瞬間、それぞれの後ろにディプレスの粒子が集い再び枠を作り始める。前から2列目だけではない。3列目もだ。
前者が8割完成した時点で既に後者が6割その姿を結んでいるというハイ・ペースな造成だった。

 そして枠が完成するたび、秋水らのパーツのうち枠と同色の物が飛び立った。
 肉体のあらゆるパーツが収まるべき枠……いや、『ランナー』にカキカキと接合され始めたのだ。
 秋水はまず胴体を囚われた。次に手足を。関節。顔。ボタン。愛刀……。いずれもが魚群がごとき空を飛び枠に付いた。
枠の造成作業がほぼ平行だったため、胴体グループの最後尾に手足が混じり、手足グループの最後尾で関節が抜きつ
抜かれつを行うといった混沌たる移動が起きた。

 混雑で揉みくちゃにされて飛んでゆく目のパーツたちは、思う!

(いよいよプラモデル、か! だがどうやって能力乙は俺たちを分解した!? 俺は全周警戒していた! 神火飛鴉の飛来
は見ていない!)

(なのに結果は三人同時の分解!! 『どう、当てた』!? 不可視!? 微小!? ……それ以外!?!)

(この錬金術の超常性以上の超常めいた感覚、不肖どこかで……)

 ディプレスの残骸からはなおもドス黒い煙が吹き上がる。元気なSLのように吹き上がる。

(暗黒色の煙……? 『暗黒』? 奇怪ごとをもたらす『暗黒』? 『そういえば7年前、貴信どのたちが遭遇したのは』。……
………………っ! ま さ か !)

 色なき彫像の瞳だけの小札が心中たまぎるよう叫んだ次の瞬間。

 決して広くはない廊下にランナーの列が4つできた。列の後ろにはランナー以外の物品もあったがポリキャップは無い。

 一列目は病室側だ。秋水のものでありランナーはAからFの6種8枚。ランナーの記号は上部のタグにアルファベットで、
部品の番号はその近くの小さなタグにアラビア数字で、それぞれ記されている。
「ハヤサカシュウスイ ガクセイフク」とあるランナーの先頭集団はタグどおり、黒い。
 Aランナーは胴体や腰のパーツを納めた物であり、こちらは全ランナー中最大のサイズを誇っている。長身な秋水より丈
が高い。廊下の天井から20cmほどの地点にまで聳えている。
 その後ろに並ぶ黒いランナーは2枚。片方の手足のみを納めたBランナーが2枚だ。サイズは中規模。成人男性の胸あ
たりまでだ。
 多くの場合プラモデルは手足を同じ金型で済ませる。経営にも生産にも優しいからだ。それは秋水にも適用されている。
 四番め五番めは、白いランナー。共にCランナーだが今度はまったく同じ形という訳ではない。前にある「C1 フレームM」
ランナーは、後ろのものに比べ2倍は大きい。
 パーツは1番から順に、肘パーツ、膝パーツ、手首を受け止めるジョイントパーツ、肩パーツに嵌め込み可動を与えるピン、
それを胴体内部で受けるダボ、大腿部内部で腰のピンを受けるダボ、その下で大腿部直下の部位のピンを受けるダボ、
靴内部のL字パーツ、足首接続用のパーツ2種。
 実にさまざまな物を有しているが、ここまででやっと左半分といったところだ。
 右半分は、胸内部のパーツ(肩ピン用のダボを受けるものだ)とそれに被せる首接続用パーツ、腹部内部に胸や腰との
接続軸を形成するためのパーツが2つ(モナカ式)、腰接続パーツ、ピンのある両大腿部接続用パーツ2種、腰と腹を繋ぐ
ための鉄アレイ型パーツ1つ、そしてそれらからやや距離を置いた所で枠に囲まれているのが顔内部のパーツと目のパー
ツ。
 そのC1ランナーの左半分のみを抜き出したものこそC2ランナーである。つまり身体の内部パーツのうち、手足に関わる
パーツのみを収めたランナーだ。
 左右共用可能なパーツが『金型の使いまわし』を受けやすいというのはBランナーで述べた通りだ。C1ランナーC2ランナー
は応用編の構造だった。胸内部のパーツのような1個で済むものと、肘のような2個要るものが混在した金型でBランナーの
文法を行うとランナーは2枚となり、余剰部品でコストが嵩む。だが『2個要るものを左半分に、1個で済むものを右半分に
それぞれ集めた』金型であればランナー、『全部』と『左半分』の合計1.5枚で済む。
 だからC2ランナーはC1ランナーの左半分なのだ。後者が前者に倍するのはそういう事情だった。
 六番め、Dランナーは32型デジタルテレビと同じぐらいかやや大きいサイズ。白皙の皮膚の色を再現した面頬と、首、両
側の手首によって構成されている。
 面頬は口の形や目の細さを違うものも含めると4種類。手首は開きと握りで2種類。これは無銘や小札も基本的には同
じだった。
 次の灰色の、Eランナーに到ってはシリアルの箱程度の大きさしかない。細々とした学生服のボタンが5つしかないため
だ。
 ランナー8枚目となるFランナーはDランナーより高さがあるが幅は少ない。細長だ。解体されたソードサムライXの、下
緒以外のパーツを収めている。
 下緒はというとFランナーの後ろで直立する、20kgサイズ米袋大の透明なビニールの中にクタリとなって蟠(わだかま)っ
ている。マムシ酒の中のマムシのような姿だった。
 列の一番後ろは、シールだ。先ほど剥がれた秋水の「目」がある。成型色による再現がかなり上手くいっているらしく、
シールは「目」ただ1つである。ただし通常、気迫、怒りといった3種類のバリエーションに加え、濁った目まで網羅している
ため数じたいは、多い。

 無銘のランナーは身長相応の小柄であり、数は9。
 Fランナーは秋水と違い、2枚あった。龕灯のせいである。6つある都合上、1枚につき3つ作れる赤黒いランナーが2枚
となった。
 ただし鐶に貸していた1つはこの場に来ていないらしい。Fランナーの片方には龕灯1つ分、切り取られた跡がある。
 それは無銘のBランナーにも同じコトがいえた。前述の通り、昼間イオイソゴに左腕を献上した隻腕の彼だ、分解したパ
ーツを納めるBランナーのうち1枚には該当するパーツがない。空いている。それは「C2 フレームS」ランナーにおける腕
関節やDランナーにおける左手首も同じだった。
 秋水がボタンしか有さなかったEランナーであるが、無銘の物は大きい。忍び六具を再現しているためだ。矢立や薬、手
ぬぐいといったパーツが犇きあう「シールまたは塗装で誤魔化して下さい」と言わんばかりな茶色一色のランナーは秋水の
C1ランナーにも迫るサイズであった。
 シールは「目」、の他、胸元の鎖帷子やC1ランナーにある刀剣の刃再現用(演劇前、剛太との特訓時に刻んだ『天下鳴弦
雲上帰命頂来』の銘入り)、忍び六具各種の色再現用と種々様々。
 「目」の方は、通常、怒り、時よどみの3種。
 ボーナスパーツは「チワワ状態無銘」。ゴム製無塗装のそれもまた秋水の下緒同様、袋入り。

 兵馬俑の無銘は14ランナー。秋水の倍近いのはパーツ一つ一つのサイズが大きいせいだ。C1C2ランナーにすら
「フレームL」と銘打たれている。関節などの、内部に埋め込む部品については共通の金型で賄われがちなプラモデルの
常識を再現した分解現象の中にあって、秋水とまったく共通しないフレームLなる特段のサイズを起用せざるを得なかっ
たほど兵馬俑は大きい。ランナー数の増大は仕方ないといえた。
 そのうえ、赤不動や薄氷といった各種忍法のエフェクトパーツすら付いているのだ。
 列最後尾に直立する茶褐色のワイヤー5本は指かいこ用だ。
 余談だが、無銘本体のDランナーには「指先に穴の空いた」右手首のパーツがある。付けられる、らしい。兵馬俑の無銘
にも、無銘本体付属の「笠」を装着可能な頭部パーツが散見できた。
 シールは目が2種類のみ。覆面の奥の「瞳点灯状態」「瞳無点灯状態」のみ。大振りなキットほど成型色オンリーでの色
再現がうまくいく。兵馬俑はその体現だった。

 聖サンジェルマン病院廊下の窓側にある小札のランナーは15枚。
 本体以外はSB1ランナーからSB7。マシンガンシャッフルのエフェクトクリアパーツで再現するための中規模サイズのラ
ンナーがほとんどだった。
 故に色はそれぞれ別々。最大のものは銀……SB6だ。白く透き通ったパーツに銀色のラメをまぶした『龍』のパーツに
溢れているため、これだけはエフェクトランナーの中で唯一大きい。よっぽどの富豪でなければ持っていないインチ数の
デジタル型テレビに匹敵する大きさだ。
 エフェクトの源泉たるロッドは造りが簡素であるため、専用のランナーはなかった。関節部「C1 フレームS」ランナーと共
存する形だ。(C1ランナー右側は『スイッチ方式』と呼ばれる”注ぎ足し”の機構をフレームのサイズ問わず有している。小札
のロッドや無銘の忍者刀はスイッチによって関節パーツたちと同じランナーに存在した。秋水の学生服のボタンのように”小
さな別ランナー”として独立していないのは、ロッドや忍者刀が関節部と同色だからだ。同色のパーツは、型にプラスチックを
流し込む場合の効率の良さを踏まえ、スイッチ方式で纏められるケースが多い。ディプレスの分解能力はそれをも再現して
いた。余談であるが目のパーツもスイッチ方式によってC1フレームに収められたものである。三者まったく異なる瞳である
以上、当然の措置である。つまり小札の場合、「目とロッド、お下げ用のダボ6つ」の小さな金型で作られたランナーがC1
フレームにスイッチされている。従ってその区画のタグは「コザネアヤ タキシード」であった)

 秋水・無銘が武装錬金専用とするFランナーは小札の場合、髪専用のものだった。お下げ髪という長いものを有するせ
いでもあるが、いま1つの要員は、別ランナーにあるシルクハット、である。
 帽子ありと帽子なし、その両方を再現するだけで既に髪のパーツは男子に倍した。後者は癖ッ毛ありと癖ッ毛なし版に
分かれる。
 お下げの種類も多い。躍動感の再現を重視したらしく、左右それぞれ3種はあった。
 シールは例によって例の如く、「目」各種。通常に加え喜怒哀楽。戯画的な白目や不等号も存在した。(最後の2つは
目のパーツの方にもあった)
 シール最後は「実況あんど解説小札零!」と書かれた寸胴な長方形のもの。
 シルクハットや台座のあるEランナーに同梱されたプラカードに貼り付けるもの、らしい。

 Aランナー、Bランナーはタキシード部分である。衣服の皺や慎ましい体型のラインの再現率は男性たちより精密だった。
術者ディプレスの下卑た観察力の反映といったところか。

 斯様な、幻想と享楽を孕んだランナーたちが廊下せましと林立する中。

 秋水の、無銘の、小札の、魂を宿す目のパーツ『C1−19』は……確かに見た。

 プラスチックの枠に磔られた雑多なパーツたちがごちゃごちゃと遮る藪の如き視程の彼方でいま。

 完全復元したディプレス=シンカヒアが黒煙を縫って現れたのを。


 午後9時43分。要塞奥。

 スピリットレス・アナザータイプ。その単語を呟いた女医は夢見がちなまでに頬をバラ色に染めうっとりと語る。

「スピリットレス・アナザータイプ。これこそがディプレスのみが有する【幹部固有のスキル】。ただし努力によって修得した
物じゃあありませんのよ。ディプレスすら所持しているのを知らない……いわば、ただなる偶然の、産物」

 武装錬金の形状は、以前の核鉄所有者のそれの形質を50%受け継ぐ! 例えば武藤カズキが蝶野邸で発動した二本
目の突撃槍は直前の所有者たる津村斗貴子のバルキリースカートの意匠を得ていた!!

「そしてディプレス二つ目の核鉄たるシリアルナンバーXLIII(043)の直前の所有者は──…」

 ハロアロ=アジテーター!!

「ふ。マレフィックアース・ライザの麾下たる頤使者(ゴーレム)の長女、か。懐かしい」
「思い出しますわね10年前の決戦のときを。ハロアロの核鉄がこちらに流れ込んでくるまで実に紆余曲折でしたわ。もし
他の方が使用したなら何てコトもなく終わったはずの彼女の核鉄……。しかし、戦団との最終局面において思いもよらぬ効
果を発しましたわ。そう……。ディプレスに使われる……コトで」

 ハロアロはダークマターの具象だった。宇宙にひしめく謎の暗黒物質を主成分とする彼女は、武装錬金を使用していくう
ち知らず知らず核鉄内部にまでダークマターを蓄積していた。ハロアロの肉体成分には直接エネルギーとなる物も含まれる。
精神具現のエネルギーに混ざりこんでいたという訳だ。

「ダークマターを蓄積してましたXLIII(043)の核鉄。それはスピリットレス・アナザータイプとして用いられた瞬間……暗黒な
ディプレスの精神と呼応した! どこまでもどこまでもどん底な闇の弱音と奇妙きわまる結合を惹起し……」
「神火飛鴉スピリットレスをまったく違う形へと造り替えた、だね」

 それこそが7年前、『栴檀香美の武装錬金』によって異常の被害を受けたディプレスが

──「子猫ちゃん助けようとしてたのに……!! なんで、なんでオイラだけが!!」

──「こんな目に遭わなきゃならねーんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 暴走によって誰彼かまわず被害をもたらした時の。

──何匹かがまだ健康な足の肌をかじっているのを見た瞬間。
──口から出るオレンジ色の分泌液を撫でつけているのを見た瞬間。

 相方デッドを恐怖の絶叫に突き落とした、『黒いうねり』の正体!!

「ふ。アナザータイプの効果はその時々で別々! ディプレスを絶望させた者へ報復するに足る最も適した『分解』を自動
(オート)で作り……振る舞う!」
「クス。7年前の黒いうねりが分解したのは……『記憶』ですわ。あの後のデッドの診察で分かったコトがありますの。彼女は
栴檀貴信の鎖分銅や栴檀香美の原型といった事柄への記憶をあちこち奪われている、と。なぜそうなったのか? 推測にな
りますが『ディプレスによる嫌がらせ』でしょうね。ただしデッドへの、ではありません。彼女は恐らく……巻き添え。あの時、
黒いうねりのきっかけを作ったのは栴檀香美の、武装錬金。発動によって深刻な大ダメージを受けたディプレスは、恩を仇
で返されたような絶望を感じ……、そして、恐怖した。『この武装錬金の使い方を覚えられでもしたら大変だ』、と」
「よってダークマターは記憶を分解する能力を作り……栴檀香美を含む辺り一帯を攻撃した。無差別なのは動乱状態の
ディプレスが集中力と精密性を欠くからだ」
 災難なのは栴檀貴信だよと盟主は笑う。
「あのネコと一心同体だったからねぇ、彼も記憶を奪われた。戦士が核鉄媒介に対しああまで無力だったのを考えると、ど
うやらムーンライトインセクトの媒介に纏わる記憶を分解され失ったようだ。でなければ彼は戦士にちゃんと教えていたよ。
何しろぼくが誰か知らなかったとはいえ、7年前のあの地下駐車場で義手を斬り飛ばすぐらいには、ふ、勇気ある、人のた
め動ける青年だ。デッドのカラクリを覚えていたなら絶対戦士たちに教えていた」
「とにかく栴檀香美が、一度発動できた筈の武装錬金を今もって自由に扱えていない理由の幾つかは……クス。ダークマター
のせいでしょう。使うための記憶の詳細を分解されたから、7年経っても難航している。まあ、殺し合いを好まぬ温和な性分や、
ネコゆえの移り気も大きいですが。何より飼い主と体を共有しているとはいえ本質的には動物型、人間としての意識が強い
他の音楽隊と違い、彼女だけは本能的に牙や爪でしか戦えない……」

 なおハロアロの核鉄つまりシリアルナンバーXLIII(043)はディプレスの頭蓋に仕込んである! 女医グレイズィングの施術
であるコトはいうまでもない! 最初に発動した時の『術者すらその記憶を失くす』ほどの強大さに乱用危なしとみた彼女は
初発動で昏倒中のディプレスを密かに手術し……埋め込んだ!

 よってディプレス本人は知らない! スピリットレス・アナザータイプの存在を!
 幹部の中でも全容を掴んでいる者はごく僅か! コンビを組むデッドですらも詳しい知識は有さない!!

「体内にこそありますが、『発動』は滅多にいたしません。ディプレスが心底追い詰められ絶望しない限り発動しませんのよ。
そう。スピリットレス・アナザータイプは彼が本気で何もかも諦め死にたくなった時のみ……発動する」
 それは何故か?
「調べたところどうもハロアロのダークマター、どろどろの陰鬱なる精神にしか反応しないようですわね」
「ふ。おおかたライザの仕業だろう。奴は市販の頤使者だったハロアロを部下向けに改造している。細工はその時だ。言霊
とダークマターを与えた時だ。錬金術の超常性以上の超常性を有するダークマターがハロアロ以外の余人に悪用されぬよ
うセーフティーを組み込んだ」
「ハロアロの言霊とのみ反応して作用するように、ですわね。彼女の言霊は『擯斥』……。このいかにも気鬱的な言霊とのみ
ダークマターが反応するようライザは仕込んだ。暗黒と暗黒、近しい形質の物同士でなければ反応しない、ように」
 故に核鉄内に残ったダークマターは通常、ハロアロ以外の使い手とは反応しない! 形状こそ扇動者の武装錬金・リア
ルアクションの面影を残したものとなるが、ダークマターまでもは引き継がない!!

 なのに! ディプレスは!!!

「極限まで追い詰められた場合、匹敵を行う! とことんまで絶望して死にたくなった『憂鬱』の魂はその時のみ『頤使者の
言霊』と等しき領域へ進化、いや、劣化するのだよ!! 最強の眷属の『擯斥』と極めて近しい『気鬱の言霊』にね!」
「クス。だからダークマターも反応する。カルシウムと近しい組成のストロンチウムはしばしば骨と混じり害を成すといいますが
発生しちゃう訳ですわね、CrとStに似た化学の不思議が」
「それこそがディプレスの……【幹部固有のスキル】!!」

 常に最初から諦め!
 何があっても挫け!!
 不退転の弱き決意を以ってあらゆる責任から逃げ続けた男・ディプレス=シンカヒア!!!

 そんな彼のみが有する特殊技能……こそが!!

『ダークマターの助力享けし、分解』!!

「……ふ、銃手リバースも商人デッドもこればかりはマネできない! ないからねぇ、彼女らにゃ!! 彼女の性格も大概
だがね! しかし流石にあれはない! ディプレスはない! 逆境ひとつで心が折られ、大切な約束すら『死んだ方が楽だ
から』と破ってしまう最低きわまる孱弱(せんじゃく)なぞ、流石にね!!」
「クス。ですから総角も例によって例のごとく使用不可。ハロアロの核鉄がなければ原理上不可ですし、あったとしても天才
の名を欲しいままにしている勝ち組な彼の明るい魂ではまずまず間違いなく反応しません……!」
「だから、だ」。盟主は涼しげに笑う。


「厄介だよディプレスは? 追い詰めなければ解体的分解能力で暴虐を撒き、追い詰めれば幻想的分解能力で逆転を働く」


 同刻。午後9時43分。聖サンジェルマン病院6階。

 元の姿で歩いてくる火星。無銘たちに戦慄走る!

(復元している!? 何故っ! CFクローニングは払底した筈! 現に修復は起きなかったではないか! 我が敵対特性
を放った時点ですでに、奴には治る気配がなかった!! なのに! 何故ッ!?)
(考え……られるのは!!)
 いまだうっすらと漂う暗黒色の煙を前に考えるのは小札零。
(この色と質感……。間違いありませぬ。ディプレスどのの修復を成したものそれは『ダークマター』! つまり能力乙を発動
した第二の核鉄は……ハロアロどのの物! ダークマターを析出する傾向にあったXLIII(043)の核鉄は10年まえの決戦
以来ずっと行方不明でしたが……渡っていたようでありますあの決戦直後、既に!)
 CFクローニングではなく暗黒物質が復元を成せた理由は──…
(姉妹、だからです! CFクローニングの発想の元になったサイフェどの姉君こそがハロアロどの! よって真似てダーク
マターにて適応修復した事例すらあるのです!)
 小札は、更に、思う。攻撃手段が微小か不可視かは不明だが──…
(ダークマターは接触または同化によって対象をば変貌せしめる物質! ただし『擯斥』という排他的な言霊を源泉としている
都合上、一体化する力は弱い! 10年前のリルカズ時代、りぐれどののヘスコ防壁によく防がれておりましたがゆえ、高水
準の防御系武装錬金であれば防ぐのは容易い! ……そしてっ! この街最強の盾といえば、もちろん!!)

 銀肌纏いし快男児!

(昼間、解体的分解能力に分解されてはおりますが、ダークマターに依存した幻想的分解能力ならば、絶対に…………!)

「ww なーにか考えているようだが……www」

 元の姿になったハシビロコウはついにランナーの前に立つ。目だけの秋水たちは白化した。ひずみの加わったプラスチッ
クのように白化して硬直した。

「宣言するよ?w 殺すww 見逃さないw」

 羽先を向け、けたたましく笑う。輪郭が禍々しい水墨画に見えるほど厖大な悪罵の篭った笑いだった。強膜が血光し瞳孔
が骨よりも白いのを認めた無銘はそれがリバースのみの個癖でないコトを知る。幹部共通の逆転した眼差しだった。

(まだだ……! 母上によって分解能力その1は封じられて──…)
「解除されてますがぁ?w」

 くくっと笑うハシビロコウの周囲に1つ、また1つとボールペン大の神火飛鴉が浮かんでいく。

(なっ……!)
(拾っていたのか! 床の核鉄を、いつの間にか!!)
「ま、そりゃなw で、プラモの方は……何でそーなってんのかオイラにはわかんねーけどww 起こったらしいぜw 三次元
領域の能力じゃムリっていう七色目に対抗するに足る、もっと上な次元な感じの現象がwwww」
(……これもまたダークマター!! ディプレスどのを癒した時、精神を縛る不肖の禁断の技をも断ち切っていた……! 高
次元領域からの重力ホログラフィーにすら対抗できていたのがハロアロどののダークマター! 奇妙極まる現象の数々とい
い、この三次元領域能力よりも遥か上の領域の使者であるのは……確か…………!)

 しっかし妙なコトになってんなあww 秋水の先頭のAランナーの背中パーツを右翼でぺしぺしと叩きながら火星は笑う。

「原理はよくわからねえけどよwww 時々あるんだわwww 俺がつくづく絶望した次の瞬間? どーゆーわけかクッソ生意気
な連中が予想もつかねえ分解されて無力化してるってコトがよお!!www」
(絶望した瞬間……!? ……く! 裏目に出たというのか!? 我の時よどみが!?)
(いえ! 時よどみを施さなかった場合でも……結果は恐らく同じ!! 禁断の技で能力甲を封じられた絶望で能力乙が……!
禁断の技をしていなかったとしても敵対特性、敵対特性をやめていてもCFクローニング払底で絶望してプラモデル化!!
いわば回線引っこ抜き……! なんたる、なんたる実直の攻め潰し……!!)
(……あの場における無銘の判断は正しかった! うかうかすればデッドのワームホールに回収されグレイズィングの完全
回復を施されていたのは間違いない! そうなった場合ディプレスの隠し手はどの道どこかで出ていた! だから無銘、君
に落ち度はない! むしろ戦団側に後がない決戦の時に出されるよりはマシだ! 地理的に緒戦の要素が強いこの場で
1回分消費できたのは……大きいッ! どんな能力にだって回数制限はある!! 時よどみでその1つを引き出し消費
させたのは……決して失敗などではない! 真剣と実直を嘲笑うかの如き卓袱台返しの帳尻合わせを恥もなく仕出かせる
ディプレスの精神が……ただただ!! 最悪なだけだ!!)
 まーなんてーの?w 心弱くも一生懸命生きているこの俺にカミサマが時々くれるご褒美って奴かもなあwww 手前勝手
な物言いに思考を沸騰させる無銘であったが、身は、動かない。床と設置するランナーの、丸い角が数ミリ浮きはしたがそ
れ以上の行動は決して許されたりはしなかった。
(……チっ! だが! 今の物言いで確証は得た! 『極限まで追い詰めると、何やら特殊な分解が来る』……と! しかも
ディプレス自身、詳細は把握していない! ともすれば核鉄をもう1つ持っているという自覚すら……怪しい!! この2点は
大きい! 習熟して成長される前に倒せる目がある……!)
(そう! どんな能力でもあっても自由自在に扱えないうちは……付け入る隙もあるのです! ダークマターによる再生と
て無尽蔵な筈、ありませぬ! ハロアロどのの核鉄に残留したダークマターをタネにしている以上、その回数はCFクロー
ニングよりも更に更に限定的! 極めて少ない! 『幻想的分解を無効化できる方』が追い詰め続けていくだけで、あっさ
りと払底できる筈! しかもディプレスどのはダークタマーが再生を促したというコトすら知りませぬ! 浪費はする! そ
こも勝ち目!!)
(俺には再生のカラクリなど見当もつかないが、本人もよく分かっていないとくれば蓄積は、ない! 戦部の弁当や鐶の年
齢吸収のような事前の準備は能力への造詣有らばこそ成せる技! つまりディプレスの謎めく回復の回数……決して多く
はない! そして解体的分解能力と毛色の違うこの分解は戦士長のシルバースキンであれば……防ぎうる!! 解体の方
にさえ攻略の目処が立てば、あの格闘能力は! 今度こそ! ディプレスの回復を枯渇させる!)
(そうだ……! 絶対に撃破不能な敵ではない!)
 無銘は心の中、叫ぶ。
(不肖たちはCFクローニングを削りきったのです! これは決して……無駄などではありませぬ! 幻想的分解能力さえ
突破できれば……火星ディプレスどのは……打破できるッ!!)
 問題はその事実をどう防人達に伝えるか、だ。
 有事のさい伝令として逃がすつもりだった小札までもが囚われている現状はおおよそ暗黒なまでに最悪だ。その事実を
双肩にずしりと受ける秋水は震え出す心を懸命に懸命に統御する。
(振り絞るんだ、知恵を! どうすれば幻想的分解能力に対する諸情報を戦士長のもとに伝えられる!? 姉さんや中村、
津村や総角たちにだって報せなくてはならない! 『ディプレスは危険』だと! 追い詰められたとき奮起できない精神は憤
怒よりも恐ろしい!! あっさりと心から絶望できる者が! 心から絶望した時にのみ発現しうる能力を持っているんだ!! 
そして火星の絶望は安い!! 頑健の強者ならば一歩踏ん張って模索するだけで抜けられる、そんな程度の逆境の中で
さえ早々思考を放棄し! 諦め! 掛け値なしの絶望に入り浸るッ!)
 ある意味では弱い相手! どうしようもなく情けない……三下!!
(だからこそ……『一定以上の実力者であれば安定して追い詰めるコトができる』! これが、マズいッ!!!)
 優勢が一転、地雷を踏み抜く! 踏み抜いたら初見殺しだ! 幻想的分解能力でやられる! 
 秋水たちがそうなった、ように!!
(伝えなければ”また”だ! 幻想的分解能力の遮断手段を用意するコトなく無警戒に火星を追い詰めれば……また誰か
が同じ目に…………!!)
「おうwおうwww随分長い間、いwろwいwろw考えているよーだがよぉww」
 怨恨の眇目(すがめ)になったディプレスは、遮蔽物の多いランナーの向こうにある秋水の目をネトリと見据える。
「早w坂w秋w水w テメーいま動揺してるよなア?w」
(!!) 言葉の意味するところを悟った美剣士、奈落の浮揚を心に得る。
「ブヒヒww なにせ予想だにしねえ能力でプラモにされちまったんだ。身動きひとつできねえ状態で幹部の前に立たされた
んだww 俺なんかの煽りなぞ比べもんにならんぐらい、狼狽しとるよなァ?w」
 指針が秋水に向く。『動揺した者に着弾すれば解体的分解をもたらす』100ある指針の鋭く尖った切先が、剣客へと、向く。
(マズ、い……!!)
 雷鳴が轟いた。
「平静だったとしてもだ、テメーの魂ってのはいま何パーツぐらいに行き渡ってんだ?w ランナーは7つカナ?w ソレトモ
8つでちゅかあ?w こっからじゃ影になっちまっててよくわかんねえけどよぉw 精神がパーツごとに分かれてる、ってんな
らよぉw 全パーツ制御された精神だらけってコトぁねえだろ!!www 肉体の何箇所かはここで確実に分解サレマースwww」
 くく。寝(い)汚い笑みがどんどんと巨大化する。
「手足のどっかひとつ欠けるだけでも大ごとなのが剣士さんだけどよw ダイジョブダイジョブ、盟主サマは隻腕でも頑張っ
てましゅよーwww」
 小札。無銘。テメーらも一緒だ。この俺をさんざ舐めくさった罰を受けろやw 濁りに濁った喜悦の笑みを浮かべるディプ
レス。その丸頭と大量の神火飛鴉の影が緩やかに近づいてくる間、秋水たちの、打てた策は。


 午後9時44分。

「……!!」
 車内の鐶光は愕然とした。龕灯。少し前から浮遊能力を失し呼びかけにも応じなくなっていた武装錬金が異様な解像度の
乱れを見せた後……消滅したのだ。


 同刻。

 自分以外のランナー総てが粉々に砕け散るのを目撃したのは──…

 鳩尾無銘、だった。

(な、なぜ我、だけが……!?)
「そりゃイソゴばーさんがご執心だからだよww もしグレイズィングにも治せねー分解だったりしたらどうすんのwwww
指先ひとつ解体(バラ)すだけで殺されちまうよww」

 ただし兵馬俑と龕灯は念のためブッ壊したがね……笑うハシビロコウは舞い散る破片の中で右翼を一閃、”ある物とあ
る物を”を、そこに収める。

「そして……こいつらはww殺すwww」

 何をディプレスがキャッチしたのか知った無銘の全精神は轟然たる戦慄に貫かれ一瞬麻痺した。凶鳥の翼が把持していた
のは小札の『C1−19』。魂が宿る目のパーツだった。秋水の同じ部位も左側に居たが、認識には入らなかった。

(っ! や、やめ──…)
「死wねw」
 いくつもの神火飛鴉がどんぐり眼のC1−19に突き立った。(あ、あああ……)。無銘には手を伸ばすコトさえ叶わない。小
札零の人格を乗せたパーツは見る間に亀裂に満ち、それに沿って割れ砕けた。母と慕う者の終焉だった。大小さまざまの
破片と化して落ちてゆく。秋水もまた、同じだった。
(き)
 細かな破片と化した小札と秋水が床で跳ねる。
(貴様あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!)
 激高する少年忍者を心地よく感じたのだろう。ディプレスはいよいよウットリとし──…
 歌い出す。
「虫も殺さぬ顔してぇ♪w」
 笑顔と共に振り下ろされた異形の趾は
「キツいコトを平気で言ーう♪www」
 小札を更に粉砕した。
「自分じゃできもしないでー♪w 人に押し付けてばかりぃ♪ww」
 調子っぱずれの歌声を上げながら凶鳥は。
「周りの顔を気にしてぇ♪w 隣に倣いモノを言ーう♪w」
 笑顔で、何度も。
「碌に話も聞かずにー♪w 相槌打って作りわらーい♪w」
 小札と秋水のC1−19を踏み砕く。趾を振り上げては振り下ろし、踏み砕く。
「じーぶんらしくっ♪w いーきてますか♪w」
 何度も何度も。
「きもちいいコト♪w そーこにっ、ありますかァ♪」
 左翼をのびのびと広げ。
「アカンベーしてサヨナラ♪ww」
 何度も何度も何度も何度も。
「軽いノリで行きましょう♪w」
 何度も。手品師と剣客の生命を破壊する。
(……破顔(わら)っている………………!! 蹂躙を愉しいと……破顔(わら)って、いる……!!)
 でろでろとした怨笑で瞳孔をぐろりと剥きながら、口角をばりばりに釣り上げるディプレスの表情にはさしもの無銘も怒り
を忘れ戦慄した・
「さんざん悩んでみても♪www ホントなんにもなりゃしないよ♪wwww」
 醜いクチバシからは歌が漏れる。漏れ続ける。
「いまがたぁのしぃーから♪ww あなたがたもぜひぃー♪www 一度試してみたらどう♪wwww」
 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、何度も趾を破片に叩きつけるディプレス。振動で窓
にヒビが入り始める。
「それじゃあバイバイバーイwww」
 持ち上がった趾の下には……ほとんど粉と化したC1−19。
(貴様……! 貴様ああああああああああああああああ…………!)
 窓が割れた。流れ込んでくる風雨が無銘のC1−19を濡らす。大きな雨粒はパーツの傾斜に沿って流れ、珠となって落ちてゆく。
 火星の幹部は視線を落とす。向けたのだ、床の惨状へと戮笑を。
「ククっ!!w 分解して!w ここまで砕きゃあ!!w さすがの秋水サマ小札サマでも復活は、無理だろ!!?!w この
俺に大口叩いた報いって奴だww ざまあwww そして鳩尾テメーはそこで打ちひしがれてろ!w 大事な大事なママがブ
ッ殺された怒りに悶えながらどーーーするコトもできず佇んでな!!w それがこの俺に敵対特性と時よどみをカマしやがっ
た……罰だッ!!!www」
 両翼を広げたディプレスは飛び立つ。階段に向かったというコトさえ慟哭の無銘はすぐには理解できなかった。
(母……上…………! 早坂…………!)
 散乱する彼らだったものを少年は呆然と見下ろした。
(我は師父に、師父に……どう、報告しろと……!)
 恨むべき火星の影は階段のあたりで曲がって消えた。降りたのだろう。誰もいなくなった廊下にしばらく雨の音が響く。雷
鳴も。ざー、ざー。激しくなってきた雨脚の音ばかりが定常の生者なき空間に反響した。階下から悲鳴が流れてきた。嘲るよ
うな笑い声も。遠方ゆえきれぎれで、しかも降雨の響きに掻き消されるそれの内容は虚ろな無銘にはわからない。絶叫がした。
ばさばさという羽音は心持ち遠ざかったようだった。

(ほ、呆けている場合か……ッ!!!)

 午後9時47分。ぐしゃぐしゃになった心を少年は必死に支えなおす。

(階下に行ったディプレスの目的は恐らく! 銀成学園の生徒! ヴィクトリア姐さんの避難壕で脱出を図る生徒たちを……
襲うつもりだ、奴は!! 目的は昼間同様……マレフィックアースの器つまり姐さんの確保! だが!! 火星は! 確保
の手段に殺戮を用いる!! あの性格だ、最も数多く民間人を惨殺できる確保の仕方を、絶対に、選ぶ!! しかも時間
を置けば月までもが加勢する!! そうなっては終わりだ!! 我が今……! 我が今あじわっている以上の苦痛を──…)

 まひろ。千里。沙織。同じクラスになっただけという理由で無銘に優しくしてくれた普通の、

(彼女らが浴びる!! 殺される!! それだけは、それだけは阻止……しなくてはならない!!)

 だが体は……依然として動かない。再燃しかけた気魄すら萎えてしまいそうになる。秋水の残骸。それがまひろに与える
心痛を考えた10歳の少年の心が動かなくなるコトを、一体だれが責められよう。彼はまだ小札を喪ったばかり、なのだ。

(どう、すれば……!!)

 懊悩する少年の背後で。廊下の壁が盛り上がって腕になった。「……!?」。気配を感じた無銘の背後で腕だけの存在が
包帯振り乱しつつ揮ったのは──…

 クナイ。

──戦士のお歴々が、全力以上の全力で戦わざるを得なくなる……そんな環境づくりの『準備』のための1時間っす」
──「ここまで言えば俺っちたちが次に移動すべき場所はワカるでしょ?」

 午後8時51分、まだクライマックスの装甲列車が銀成市を包囲していない頃ブレイクが示唆した『場所』は。

──「霧杳さんが別件で出払っている以上、私がちゃんと気をつけないと」

 午後9時34分の高良に出払っていると言われた『場所』は。

 ここ聖サンジェルマン病院であった。



 病院に残留していた何人目かの戦士を殺したディプレス=シンカヒアは考える。

(……追い詰められた時だけ発動してきた正体不明の能力。どうせ火事場の馬鹿力だろうと思い深くは考えてはいなかっ
たが……。出てきたな。使いこなす必要ってのが……)

 CFクローニングは払底している。戦士が死に際に与えた傷は軽微であるが、しかし回復はしていない。秋水らは敗北し
たが、適応修復能力の枯渇だけは成したのだ。

(しかも肉体強度はさほど上がっていねえ……! 力も! 速度もだ!! 秋水は俺が強化されねえ範囲にセーブして
斬撃した! 必要以上の力を込めず! しかしCFクローニングは発動するダメージを! 技術だけで引き出し続けた!
関節や筋肉の配列が『最も切断されやすくなる』その瞬間だけを見極め続けやがったから……鐶がリバースにした怒り
任せ力任せの対極のみを振る舞い続けたから……! 俺の肉体強度はさして向上していねえ! リバースなら最強形態
になれるほどの回数CFクローニングしたってえのに……実感がある! 俺はせいぜい以前から2〜3%程度しか強くなっ
ていねえという……実感が!!!)

 幹部秘奥の適応能力を使い尽くして向上僅か数%。しかも回復手段は、払底。

(緒戦でだぞ……?! だから俺は……さっき連中をプラモデルにしたあの能力! 分解だが別系統だから『スピリット
レス・アナザータイプ』と呼ぶべきか、そのアナザータイプを……使いこなせるよう……ならなくては……ならない……ッ!!
何せアース化よりは安全……だからな! 万全状態ですら28秒を超えて使えばこっちが焼き尽くされる超エネルギーの
憑依に比べれば……スピリットレス・アナザータイプ! 追求する価値はあるッ!)

 決定はしかし、決意ではなかった。

(チョット絶望するだけで引き出せるボロい能力なんだぜッ! 使わねえテはねえ! ボロボロにされて可愛そうな俺なんだ!
ラクに敵を殲滅できる能力が身の裡に隠れてるってんなら……いいだろ使っても! 誰だってラクはよう、したいからよお!!
デッドの支援砲撃も復活すっかどうか、怪しい、からよお!!)

 逆境の中で新能力の研鑽を思い立つ多くの者は何がしかの決意を秘めているものだ。追い詰められる状況を作ってしまっ
た自分の努力の無さを反省したり、何か大切なものを守るためにと奮起したりと、形はさまざまだが、成功する保障のない、
しかし人としては正しい道を歩む『決意』はどこかで行うものだ。

 だがスピリットレス・アナザータイプの使用を決定した時のディプレスに、決意はなかった。『社会で落魄したから怪物になって
人を殺す』と決定したときとまるで変わってはいなかった。行き詰まったからもっとラクそうな手段に手を伸ばす。何だか良さそうな
鉱床を見つけたから取りあえず掘ってみる。その程度の『決定』だった。

 何より彼が最悪だったのは──…

 決意ではなく決定の穢れた自分を正しく客観視できている所。

 病院の廊下の幅いっぱいに翼を広げ飛んで行くディプレスは、考える。各フロアに隠れている戦士を探しながら、考える。

(クク。正しき意思を固め正しき道をゆける者だけが強い……。よく言われるコトだがよぉ、んなもんは試合とかだけに通じる
理論だぜ? 精神具現たる武装錬金戦において重要なのは精神の絶対値! プラスでも! マイナスでも!! 絶対値を
極限まで育て通したモノに敗北などは何一つねえ!! 名探偵の説得ガン無視で復讐完遂して逃げる犯人は人間としちゃ
あ最悪だがしかし強い!! それだぜ! 重要なのは特化であり絶対値!)
 で! 俺の魂は憂鬱だ! とディプレスは考える。
(自堕落で無気力で、優勢な時は恐ろしく多弁な癖に、劣勢になると泣きじゃくる他ねえどうしようもねえ精神だ!! だから
こそ! 極めれば他のどいつにもできねえ暗黒な芸当ができるッ!!)
 プラモデル化はその1つだと捉える。不正解ではない。
(弱さで夢は叶わねェ! だが! 願いならば叶う! 弱さを徹底すれば誰だって相手をプラモにできる! 封殺の強引で
叶えられるッッ!! 周りに迷惑かけりゃいいだけだからな、簡単だッ!!)
 思考の間にも遭遇した戦士は死んでゆく。
(ま! 俺は、俺以外の弱さの発する願いが俺の願いを遮るのを許さんがね……! 弱さで美蜜に与(あずか)っていいの
はこの憂鬱(オレ)だけだッ!!!)
 核鉄は回収しない。
 レティクルの目的は戦団壊滅ではないのだ。戦団をタネに闘争エネルギーを搾り取れるだけ搾り取るのが本懐だ。闘争
エネルギーが多ければ多いほどマレフィックアースの降臨は確実となる。新月村のリバースが戦士から奪おうとしたのは
最終盤炸裂した『勝ち筋』で愛銃がボロボロだったからだ。
 そうでないのなら核鉄を残し新たな戦士を登壇させる方が、戦略上、正しい。
 翼の下で沈んだ血煙が後方に流れてゆくのを適当に眺めながら、火星は想う。
(正しい心なんていらないね。マイナス値が物凄い奴がプラス値ちょっと加えたところで、プラス値のみで物凄い奴にゃあ
ぜってー勝てねえ。そんなんラスイチを前に名探偵の説得で泣き崩れてナイフ落とすような奴よ。さんざ殺しておいて最後の
最後で中途半端な倫理で止まるよーな奴なんざ見ててつまらねえ! そーいう奴だから願いが叶わねーんだよ、復讐って
願いがな!)
 その程度の物言いしかできない心根が秋水らに追い詰められた理由であるのに、彼は続ける。
(俺の願いは平和な世界で走るコト! そのために特化する! 心を弱気に特化するッ! ちょっと追い詰められたぐらい
で泣きじゃくって絶望するそんな弱い自分で……在り続けるッ!! 底の底で窮まって、極めてやるぜ絶対値! 直感した
からな、プラモデル化が、幻想的分解能力が、努力や決意では決して行使できない能力だってな!! だから俺は最低な
精神を……保つ!! 何も頑張らず何も差し出さぬ分際で結果だけは欲しがり、叶わなければガキよりも見苦しく泣きじ
ゃくって悲嘆に暮れるクソメンタルを! 俺は保つ!!)

──「理不尽な仕打ちを受けておられた貴信どのと香美どのを助けて下さった以上」
──「ディプレスどのにだってまだ、優しい心は残っておられる筈です。それに従えばいつか必ずまた走れるようになる筈です」

(…………)

──「一番向かい風を生んでおられるのはディプレスどのご自身の心だったりはしませぬか?」

 小札にかけられた言葉が胸を刺すのも事実だった。

──「他者の犠牲を前提に目指した願いは……叶わないんだ!」
──「むしろ真逆の、最悪なる形で報いとなって返ってくる!!」
──「自分だけが報いを受けずに済むというのは……幻想なんだ!!」

 秋水に不快感を覚えるのは、正しさを認めているからだ。

──「貴信のためにも止まって償え!! その分解能力とて正しく使えば誰かのために──…」

(るせえ……! てめえらどっちも俺の死を黙過しようとした奴だろうが……!! 人でなしがァ……! 耳など貸す必要は
ねえ……! 迷うな! 大事なのは正しさより……心の、特化だ……!!)

 俺は連中を殺した。勝った。強いんだ。負けた連中の言葉などに縛られる必要は、ない……! そう思う火星は気付かな
い。最後に立って眺め回した場合のここが一つの分岐点であるコトに。

 運命にのみ翻弄される人間は居ない。大きなうねりに飲まれているようでも、細かな部分では自分で決定し、自分で道を
選んでいる。
 リバースなどはいい例だ。生後11ヶ月の首締めに選択の余地はなかった。だが最晩年の行く手を決めたのは彼女自身
だ。『撤退はできるが、しない。戦士に腹が立ったので皆殺しを優先』と決めたのは彼女だ。撤退という、誰がどう見ても
正しい道を感情抜きで選択できていれば、写楽旋輪と泥木奉の奇策などには遭わずに済んだ。
 悪感情に任せた選択はいい結果を呼ばない。ディプレスはそれをリバースから薄々感づいている筈なのに………………
選べない。正しさを選んだ結果襲い来る心痛が怖くて選べない。だから負の心の特化という、一般的な社会人が見れば
首を傾げる碌でもない文言を、武装錬金ゆえの例外的な、凄い発見であるように自身へ言い聞かせて……無理をしている。
 折れた人間にとって、『なりたい自分』とは『なれない自分』である。末期癌の恩師に捧げるためのマラソンを闖入者によって
駄目にされ心が折れたディプレスにとって、もう一度走りたいという願いは、もう二度と走れないという実感なのだ。立ち直ろうと
足掻くたび失敗を得たという、年嵩ゆえの経験則は岩盤的な失意となった。再起の努力イコール失意という方向で凝り固まって
しまったのだ。新たな挑戦などとんでもない。幻想的分解能力の行使が決定であって決意でないのはそのせいだ。なれない
自分に建設的なコトをやったよう錯覚させるための、適当で軽い腹筋だ。撫でる程度の、学習だ。

 そこさえも是認し心苦しいディプレスだから……逃げるよう、思う。

(……特化させるんだよ、憂鬱を……! 幻想的分解能力だったら、できるかも、なんだぞ! そう──…)

 貴信と香美を分けるコトが!!

(幻想的分解能力なら……別々の体に戻してやれるかも知れない! 約束したんだ! テンパったらソッコー捨てちまう
約束だけれどシラフでいられる限りはなるべく守る!! だが解体的分解能力だと兄弟と子猫ちゃんを元の生活に戻して
あげられるか……怪しい! 俺には集中力がねえ! 神火飛鴉の命中率も2割未満! リバースのような精密射撃なんて
……とても…………。……?)

 何か、引っ掛かった。

──「さぁwwwwお近づきの印にwwwwwww一献wwwwwwwww一献wwwwwwwww」

 ある夜。銀成市の、ある夜。ディプレスはガラの悪い金髪のピアス男にジュースを無理矢理飲ませた。350mlだ。

──気障ったらしく指が弾かれた瞬間、それは起きた。プルタブ。それが魔法のように消失した。

(待て。『自販機から取り出したての缶の、飲み口のごくごく一部分だけ』を、神火飛鴉で……? っ。そういえばさっき、俺は)

『さほど広くない間隔で居並ぶ無銘のランナーのうち、龕灯や忍び六具の物だけを破壊した。25個飛ばした神火飛鴉のどれ
もが無銘に掠るコトなく彼の武器だけを正確に射抜いた』

(高速道路ぶっ飛ばすクソ上司の車のタイヤ500m先からイッパツで穿ったコトもある! それって──…)

 茨が自動防衛の分解能力によって粉々になった。思考の世界から引き戻されたディプレスは階段の踊り場にいた。急停
止し着地。蛍光灯でぼんやり浮かぶ表示板を見る。

 △3   2▽

(秋水らの場所からおよそ4階下った、か……! 。考えと殺しに夢中で気付かなかったぜ。だが今の攻撃は……!?)
「来たか。創造主(あるじ)の燃やすべきこの街を荒らしているという組織の者」

 階段近くの廊下、その柱に背を預け腕組みしているのは……病院には不釣合いな女性。
 妖艶だがヒステリックな瞳がいやでもディプレスの”男”を引く。黒髪の彼女は見た目二十代の半ばに見えた。チャイナの
意匠が含まれるバラ色の上着に小股の切れ上がった白いスラックスを身につけている彼女の毒婦的に豊かな体にほうと見
蕩れかけたディプレスだが、すぐさまクチバシの端を歪める。気づいたのだ。相手が人間ではないコトに。
(それもそこそこの……強者)
 女性の周囲にはクライマックスの自動人形が残骸となって山積していた。
「進んだらどうだ?」
 軽く持ち上げた顔をディプレスの方に向けた彼女。額には章印が輝いている。
 もちもちとした細い腕からも薔薇の蔦を何本も何本も。異形の姿へ中年特有の鈍間(のろま)な照会を行ったディプレスは、
くくっと甲高い幼稚な笑い声を立ててから相手を呼ばう。

「ホムンクルス花房……だっけかww 今日の昼間リヴォに他の動物型ともども殺された筈だがww ああそうかwwwwww
ヴィクトリアのクローン技術ねwww おおかた新月村からトンボ返りしたパピが銀成防衛用に大慌てで再生産したってトコか
wwww」
 ところで。押し殺した低い声。
「序盤の中ボスってのは終盤にも出れるらしいぜ?w 雑w魚wとwしwてwなwあwwwww」
 嬉しげに嘲罵するディプレス。無言の花房はしかし怒気を孕む。光が、放たれた。変貌のための、光が。
「小娘の逃げる時間を稼げというのが創造主(あるじ)の仰せ!」 廊下の天井を突き破るほどまでに生育した巨大な薔薇の中で
花房は瞳を尖らせる。殖えて伸びた蔦たちは1階に続く階段を塞いだ。窓という窓もまた同じだった。
(……なるほどw 進路妨害かww プククww ばーかww 階段も窓もスピリットレスなら簡単に啓蒙できるww ちょおっとパピ
をディスりゃヒスっぽいコイツぜってー簡単に釣られるぜwww)
 ただ、まあ。ディプレスは神火飛鴉を侍らせぬまま階段を降りる。2階へと降りてゆく。
(俺はいま、マレフィックアースの器を攫いに銀成学園連中のとこに向かってる最中なんだが、到達した場合、間違いなく防人
衛とやり合うコトになるだろうw でも、だw 解体的分解能力はともかく、幻想的分解能力は習熟度が低いww 低いままだった
らシルバースキンの絶対防御に阻まれる恐れがあるww 心の特化を唱えた理由の一つだなww ま、万全を期すなら鳥型
の速度でアースの器かっさらってとっとと防人の範囲射程外に逃げちまう…………べきだし、イソゴばーさんなんかもソレ狙いで
鳥型(オレ)を器誘拐に振り分けたと言ってはいたが……)
 でもどうせなら殺したいだろ? 生徒達の目の前で、頼れる寄宿舎管理人を。昏い鬱蒼の笑みが火星いっぱいに広がった。
(斬首には束のぶら下がりも伴うってコト教えてやりゃあよ、アースの器は心が折れる……w 抵抗なんかしなくなる……w)
 ゆえに幻想的分解能力を磨きたいディプレスは薔薇の巨獣に舌なめずりする。

(いい実験台に…………なりそうだw)

 午後9時51分。ディプレス=シンカヒアvsホムンクルス花房、開始!!



 時と場所は変わり。

「ど、どうする……!?」
「どうするって……! 上層部全員が人質なんじゃ、手の、出しようが!!」

 ざわつく戦士たちの前でその男は甘美なる声を奏でる。

「安堵するがよい。貴君ら前線の者には決して危害を加えぬと乃公約束しよう……!」

 ふくらはぎのすぐ後ろでは、縛られて中年男性たちが震えている。腹が出たり髪が薄かったりする、どこにでも居そうな
見た目であるが戦士らの様子からするとどうも彼等が錬金戦団日本支部のお偉方らしい。肉付きのいい顔を青タンで
更に膨らませて泣いている者もあれば、「貴様! このワシを誰だと!」と益体もない叫びを上げている台形ヒゲの老爺
もいる。

「ただし『ゲームのルール』には付き合って頂く。貴兄らとて恒久の平和は欲しかろう?」
「ゲーム……だと?! どういうコトだ土星の幹部リヴォルハイン=ピエムエスシーズ!!」
「”ここ”を占拠し……何を企むッ!?!」

 貴族服の大男は答えない。まるで自身がここの総指揮官であるかの如く清爽に微笑むだけだ。


 午後9時29分。錬金戦団日本支部。


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