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過去編第000話 「男達は時代を超えて。ただひたすらに、ただひたむきに」




「けーれども彼はこ・こ・でさよなら♪」

「「「「「「「「残念だったねェ!!」」」」」」」」

 合唱。それが教室に響くとパピヨンは瞳を細めた。

「フム。やるじゃないか。始めたばかりにしては」

 居並ぶ生徒たちがさざめいた。歓声。仲間との称賛。抱き合う女生徒も何人か。
 ここは銀成学園の一角、とある教室。演劇部の巣窟だ。
「だがつけあがるなよ。貴様たち程度など掃いて捨てるほどいる!!」
「ハイ監督!!」
「この俺パピ・ヨン! のように美しくなりたければひたすら努力あるのみだ!!!」
「ハイ監督!!」
 口をそろえて返事をする演劇部員。ハモリ具合ときたら合唱部も羨むほどだ。一種異様な──新興宗教の祖を呼ばう
ような──な熱気が音波と化して膨れ上がった。それにビリビリと肌を焼かれるパピヨンはしかし笑った。牙をむき出す
邪悪のアプローチで。
「ほう。返事だけは立派じゃないか。ならば課題をくれてやろう」
 そういって彼は股間に手を忍ばせた。黄色い声が膨れ上がったのはその時で、多くの女生徒がパピヨンめがけ駆け
出した。股間からまろびでたのは紙の束。サイズはA4ほどで湯気こそ立っているがシワ一つない。四方が綺麗に裁断され
たそれはやがてビラよろしくバラ撒かれた。ご多分に漏れず両目をハートマークにした少女たち、きゃいきゃい騒ぎながら
紙に飛びつく。パピヨンを中心とする円い人混みは一部もぐら叩きの様相を呈していた。長短美醜さまざまの女生徒が低い
円柱のそこかしこから顔を出しては引っ込めての連鎖を披歴しているのは紙めがけ飛ぶためだ。

「チクショー!! なんであんな変態丸出しの奴が人気あるんだよ!!」

 円柱からやや離れた場所で金切り声があがった。もっとも円柱から絶え間なく勃発する莫大な歓声にかき消されほとんど
誰も聞き咎めなかったが。
「しょうがないよ岡倉君。相手はあのパピヨンだもん」
 恰幅のいい少年だけは袖を引き静かにたしなめた。これといって特徴のない顔を占めるのは嘆息と諦観だった。
「そうだぞ岡倉。あの人何年この街にいると思ってる」
 突き放すように呟くのはメガネの少年。視線の先にはいよいよ煮えたぎる歓心の渦。中心のパピヨンは「やぁやぁ」
とでも言いたげに手を突き出しファンどもを御している。にったりと笑いながら時おり握手にさえ応じるさまはまったく
スターの貫録だった。
「だいたい人気が欲しいならまずその髪型からやめろ。何だその時代錯誤丸出しのリーゼント」
 情けない音がした。次いで大きく揺れ動いた黒い塊ときたらまったく調理失敗で黒焦げたホットドッグさえ幾分マシに見える
惨めな代物だった。しかもそれは
「馬鹿にするな六舛! このリーゼントはなあ!! 岡倉家に代々伝わる由緒正しい──…」
 短慮そうな少年の顔の上に鎮座していた。つまり……髪型だった。
「代々とか言われても……。だいたい勿体ないよ岡倉君」
 髪型さえしっかりすればそれなりに格好いいのに。恰幅のいい少年がそういってため息をついたのは心から友人を慮った
ためだが。
「うるせェ大浜!! モテてぇからってそーいう軽薄な迎合みたいなマネしてみろ! それこそご先祖様に申し訳がたたねえ!!」
 リーゼントの少年はいよいよ目を三角にし喰ってかかった。隣の少年──大浜、という苗字らしい──は頭ひとつほど身長
が高い。恰幅の良さから見積もるにざっと20kgは重いだろう。にも関わらず無遠慮につっかかるあたりなかなか喧嘩っ早い。
岡倉と呼ばれた少年は……つまりそういう人物でいよいよ瓦釜(がふ)雷鳴、腕まくりさえし友人に突っかかった。
「ど、どうしよう六舛君」
「軽薄とか偉そうにいうな。このエロスが。本当はただモテたいだけのエロスが。みっともない」
「?? どうしたんですか岡倉先輩。何だか落ち込んでいるみたい」
「気にしないでちーちん。六舛君がちょっと厳しく言いすぎちゃっただけだから」
「ま、いい薬だろ」
 教室に入ってきた少女は”何が何だか分からない”、そんな表情で大浜達と岡倉を見比べた。
「違う……。俺はエロスだけど軽薄なんかじゃ……。もっと硬派な……チクショー。エロスでなにg」
 雑然と机が跳ね除けられた教室。そのほぼ中央でブツブツ呟くのは岡倉。4つんばいの彼は黒い霧を一身に背負い今にも
それに押しつぶされそうだ。心の傷からいまだ立ち直れずにいるらしい。
 机はいま、教室の四隅めがけ押しやられている。練習のためだ。ちなみに演劇部の部室に関しては気が遠くなるほど昔から
──伝説では300年ほど前から──申請されているのだがいまだ専用のものがない。その意趣返しかどうかは分からないが
演劇部員ときたら机の除去に関してひどく無精で無遠慮で(所詮他人の教室だ)、ひとたび練習来たらば人海戦術、軌道のつい
た巨大シャベル・ブルドーザーで瓦礫にするがごとく強引に、隅へ隅へと圧縮している。
 そのあおりのせいでいまや学級は物理的崩壊の極地だった。前後の仲間に不格好に乗り上げている机などはまだいい方で
こけている奴、倒立している奴、何をどうしたのか廊下側の上窓に刺さっている奴など盛りだくさん。錆と剥がれの目立つパイプ
がゴミゴミと折り重なる様はもはや教室というより机の墓場だった。
 その中央で膝をつき声も暗くブチブチ嘆く岡倉はとてもとても薄暗いオブジェだったが……。
「それはそうと……転校生の人たち見ませんでしたか?」
 ちーちんという少女にとっては日常茶飯事のようだ。彼女は実にあっけなく話を変えた。
「転校生……? あ、ひょっとして5人組みの? 今日は見てないけど……六舛君は?」
「入部届けはちゃんと出してあるみたいだしそのうち来るだろ」
「しかしあの人たちスゴいよね。特に金髪の人。一度先輩と剣戟やっているの見たコトあるけど」
 なんかこう、人間離れしていた。鳥肌さえ立った。大きな体を抱えるように大浜はそう述べ
「案外、合ってるかもな。あの完璧超人の先輩と互角だったし」
 六舛は淡々と応答した。
「先輩といえばさ、まさかまっぴーとお付き合いするなんて」
 二人の間でひょっこり顔を咲かせたのは黄色い髪の女の子。髪を両側で縛っている彼女は高校生というより中学生の風貌
だ。精神も見た目相応らしく「あのねあのね」と先日の目撃談──要約すると腕を組んでいたらしい──を賑やかしく首振り
首振り語りきった。柔声(やわごえ)の勢い凄まじく──鼓膜に砂糖が焼きつくよう──大浜は軽く眉根を引き攣らせた。
「こら。勝手に決めつけないの。先輩は違うって言ってたでしょ」
「もう。ちーちんはマジメすぎるんだから。もう決定でしょ。まっぴーってばお食事に誘われたし、先輩入院した時は毎日欠か
さずお見舞いしてたし……もうなんていうか通い妻? きゃー!!」
「チクショー!! 俺なんか今年もイヴ1人きりだったんだぞ」
「自業自得だ岡倉」
 その点についてはまったく同意の大浜だ。もっとも大浜にしても今年のクリスマスイヴは侘しかったのであまりに声高に
賛同できないが。
「もー。みんなで一緒にパーティできたんだしいいじゃない」
「そうじゃねェだろ!! もっとこう先輩みたいなストロベリーなお相手とマンツーマンで」
「大丈夫大丈夫。岡倉先輩、髪型さえなんとかすればカッコいいしそのうちいい人と会えるよ」
 えへらえへらと笑いながら少女は先輩の間隙を縫った。ぴょこりと飛び出した小柄な少女にやれやれとため息をつきかけた
大浜はしかし「あれ?」と眉をひそめた。
「どうしたのさーちゃん? ケガしているみたいだけど」
 さーちゃんは「あ、これ?」と人差し指を突き出した。桃色の目立つ瑞々しい爪の射線上にあったのは三角巾でそれは彼女
の右腕を制服ごとスッポリ覆っていた。その両端はさーちゃんの首の後ろで合流し結び目を作っていた。
 つまり簡潔明瞭にいうなら……右腕を『吊っていた』。
「ちょっと骨にヒビが……」
「ヒビ!? いったいどうしたのよ!」」
 幼い顔もくしゃくしゃに泣き笑う彼女がいうには

『昨日オバケ工場に行ったら化け物が居て、襲われた』

 らしい。

「化け物って……何かよく分からないけどよく無事に帰ってこれたね」
「だいたいあそこは立ち入り禁止でしょ。だいたい前一度ひどい目にあったのに何でまた」
 確か今年の8月。物見遊山で出かけたばかりにしばらく行方不明になった。メガネ少女の糾弾にいよいよその友人──
さーちゃん──は小さな肩を窄ませた。
「う……怒らないでよちーちん。あのときキーホルダー落としたから無いかなって探しに……。でももう行かない。すごく怖かっ
たんだから。襲われたとき、もう死んじゃうのかなって泣きじゃくったし」

 そこに助けが来た。さーちゃんはがっしりと手を組んだ。

「槍の戦士さん」
「槍の戦士さん?」
「うん。あ、時代劇とかに出てくる槍じゃないよ。もっと神話に出てきそうな」
「欧州の槍」
「そう。さすが六舛先輩。んー。なんていうのかなー。シンプルなつくりのじゃなくて」
 しばらくトンビのように言葉をくるくる旋回させていた少女は「そうだ!」と息せき切った。
「確かハルバード!! ハルバードっていうのかな。先っぽの方がスゴいコトになってる槍でね」

 ばーん!! 私を襲った化け物を倒してくれた。さーちゃんはそう述べた。

「そう。とにかく無事で良かった。あ。その人にもお礼をしないと」
「そうだね。さーちゃん。その人の顔は分かる」
「男の人みたいだったよ」
「みたい?」
「あそこ暗いから顔までは。でも雰囲気からすると年上? 声はそんな感じで……きっとカッコいい人だよねちーちん」
「私に聞かれても」
「そうだよね。それに……」
「それに?」
 笑顔一転、泣きだしそうな後輩に大浜は首を傾げた。
「槍の戦士さん、女の人と一緒だったの!! すっごく笑顔の可愛い!! きっと恋人だよね……」
「なんでその人の顔は分かるのよ」
「というかオバケ工場っていつからあるの?」
「さあ。ご先祖様の話じゃ1世紀以上前とか」

 まさか。驚き交じりに答えると六舛は「真偽がどうか調べておく」とだけいった。




 演劇部は忙しい。というのももうすぐ出し物が控えているからだ。
 大道具を任された大浜もそれは同じで

「すっかり遅くなっちゃった。早く帰らないと……」

 本番を明日に控えたある日、彼は夜道を急いでいた。

 寄宿舎まであと僅かというところで……それは起こった。

 バツリ。

「…………?」

 何かが爆ぜる音がした。最初ただの空耳かと思っていた大浜だがしかし違う。
 怒号。誰かが争う音。瓦礫の崩落。
 それら総てがいっしょくたとなり空を裂き──…。

「!!!!」

 手近な塀を突き破った。
.
 慌てて振り返る。まず目に入ったのは古びたサンドブラウンのブロック塀だ。アスファルト上に惨たらしく飛び散るそれは
それが明らかに現実のものだと残酷なまでに語っていた。されど大浜の心臓を飛びあがらんばかりに刺激したのは破片
踏みしめよろよろと立ちあがる人影。
(転校生の人!? 同じクラスの)
 女生徒。岡倉などは可愛い可愛いとアプローチを繰り返している野性的な少女。
 何がどうなっている。硬直する大浜に新たな視覚情報。
 割れた塀の向こうから。土煙を縫って。
 槍が飛び出した。
 体格のいい大浜でさえ身震いするほど野太い槍だった。
 それが少女の首を消し飛ばすまで1秒も要さなかった。
 なぜか血こそ噴出しなかったが……。
 首を無くした少女は成すすべなく膝をつき、その場へと崩れ落ちた。

 さらに土煙の向こうで影が躍り硬質な音がいくつもいくつも響き。
 首がいくつか飛んできた。
 どれも見覚えのある転校生のそれで、見事な金髪の──かつて大浜の先輩と互角の剣戟を見せた──青年の、緑がかっ
た白目剥く生首を見た瞬間とうとう大浜は絶叫した。
 すると。
 猛烈な風とともに何かが迫ってきた。息さえ出来ぬ風の中、すっ転びつつも大きな図体を転がした大浜の肩を鋭い爪が
切り裂いた。
平凡ながらに他の人間よろしく子を作り孫を得る彼はずっと後だが2親等以降相手に大いに語る。
 人生においてもっとも的確かつ奏功した一大決心はこの時だった、と。
 訳も分からず首を捩った大浜の右目の30cmほど横が巨大な質量に押しつぶされた。惑乱のなかチラリ程度に見たその
像が眼球内で像を結ぶのは戦後しばらくしてからだ。冷静に思い返した瞬間気絶しそうになるほどの危機一髪だった。
 コンドルに似た巨大な鳥の足。それがアスファルトを踏み砕いていた。せっかく生じた破壊力の証左、蜘蛛の巣のようなひ
び割れについては結局直視するコトはなかったが……とにかく大浜は重苦しい体を無様に揺すりながら立ち上がった。
 やがて。
 とてつもない光と力が大浜の背後で爆発した。






「ホムンクルスは全て殺す」







 壊れた塀の向こうである物が動いた。
 それはとある種類の……槍だった。
 ひどく特殊な形の穂先が精密機械のように揺れ動き。

 ある一点を指した。



「闇に沈め……」



 大浜を追う鳥型ホムンクルスの。
 胸の中心を。

.
「闇に沈め!!」



「滅日(ほろび)への!! 蝶・加速ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーー!!!!」

 声があらゆる束縛を切断した。
 槍の穂先が爆発的速度で滑り出した。
 鳥型が驚愕とともに振り向くころにはもう遅い。

 槍は。

『蒼いツインテールの』鳥型ホムンクルスの上半身を。

 命ごとこの世から消し去っていた。

 遠くから、鐘が響き始めた。

 重苦しく陰惨な響きの鐘が……。



【永遠の扉】



(まさか……この転校生たちも?)

(さーちゃんがオバケ工場で見たっていう化け物の……)

(仲間)


 鐘の音は鳴りやまない。
 人の持つあらゆる罪科を歌い上げるように1つ、また1つ。








 尻もちをつきながら大浜は……槍の戦士を見た。

 少年だった。


 燻り、夜の蒼さに溶けていく怪物の霧の中に佇む彼は。

 大浜と同じくらいかそれ以下の。

 幼い顔立ちの少年だった。

 瞳は鋭い。×字型に広がる前髪が嫌でも目を引く。
 そうして蒼く輝く槍を持ったまま黙然と大浜を見つめている。



 ひときわ大きな鐘の音が世界を貫いた。










「あ。ゴメン。お礼がまだだったね」
 塀に縋りつくようにどうにか立ち上がり頭を下げる。
「気にするな。大したコトは──…」
 ここでようやく口を開きかけた少年だがなぜか黙り込んだ。
「?」
 そのくせ視線は自分の方に釘付けで、大浜は困惑した。
 たっぷり30秒は黙っただろうか。少年はやっとこう切り出した。
「お前もか」
「???」
「まったく河井沙織といい大浜真史といい……ややこしい」
「?????」
 首元から垂れるどこまでも長いマフラー。
 オレンジ色したそれで口を隠すのは癖なのだろうか?
 それきり何も言わず踵を返し立ち去っていく少年に大浜は不思議そうに呟いた。

「大浜真史?」


 とても寒い風がつむじを巻き通り過ぎた。


「どうしてご先祖様の名前を知ってるんだろ?」



 疑問に佇む大浜の耳をまた鐘の音が叩いた。
 それで彼の思考はわずかだが日常めがけ帰り始めた。

「あ」

 大浜は気付いた。
 鐘の音の正体に。

「もう今年も終わりか……」

 持っている携帯端末を開く。

 青白い光の筋が何本も飛び出した。
 それらは複雑に縺れ合い、柱や、木々や、人を。形成した。


「新年あけましておめでとうございます!!」


 元気のいい声を上げたのは短い鬚を生やした男性。
 眼鏡と七三分けの彼は背広姿でマイクを持っている。リポーターなのは誰の目から見ても明らかだ。

「みなさん!! あけましておめでとうございます!!」

「遂に2305年ですね!」

「西暦2305年もわたくし押倉をお願いいたします!」


 中継先は神社らしい。押倉というリポーターは白い息を吹きあげながら右往左往している。
 手をのばしては参拝客でごったがえする様子をつぶさに伝えている。


「すごいよねーこの人も。先祖代々リポーターなんて。……あ」


 映像の中に知り合いを見つけた大浜は苦笑した。
 栗色の髪を持つ少年が『先輩』の腕を元気よく引いている。
 艶やかな髪をキャリアウーマン風にカットした学園一の美女は少年の様子に戸惑いながらも嬉しげだ。

「いつも思ってるけど」

「男のコなんだから”まっぴー”はないよね。そりゃ確かに剣道やってる先輩の方が強くて、男らしいけど」

「通い妻っていうのも……ねえ」


 苦笑いしていると携帯端末から色とりどりの音符が飛び出した。

 現代風にいうとそれは電話の着信音だった。


「六舛君? あけおめの電話かな?」
「大浜か。古文書調べてみたけど。やっぱりオバケ工場、1世紀以上前からあるぞ」

「え。本当」

「ああ。知ってるだろ? 300年前の戦い。あの頃にはもうあったとか」

「300年前……っていうとアレ? 武藤クンとか先輩のご先祖様が戦ったとかいう」
「そ。例の武藤斗貴子氏や早坂秋水氏が活躍した」

「で、そのお二方の残した記録によると」
「よると?」
「さーちゃんが逢ったとかいう槍の戦士。時間を渡り歩いているらしい」
「……じゃあ、ひょっとして」
「この時代にも何か用があったのかも」


「ところであの槍、トライデントだったけど」
「さーちゃんは武器に詳しくないからな。変わった槍といえばハルバードなんだろ」


「まったくどいつもこいつも先祖に似過ぎだ。300年も経っているのに……」




 オバケ工場の中で少年──武藤ソウヤ──は苦い顔をした。



「ふふふ。ソウヤ君のお父上の仲間なのダヨ? 遺伝子の強さ最たるものさ」

 柔らかな声が工場内に響いた。


「それはともかくおめでとうソウヤくん」

「君はこの時代に来るまでに」

「2005年時点の戦いに寄与できた」

「……戦士と、音楽隊と、マレフィックの戦いが終わったのは」

「早坂秋水の奮起のお陰でもあるが、ソウヤくんもまた一助を加えるコトができた

「そしてマレフィックを1人殺し」

「ウィルの死も確認した」

「ふふ。ウィルの死。あれは酷かったね」

「彼以外の人間ならああはならない。きっと耐えられただろうに……」

「時空改変を目論むほど怠惰だから、あれほど悲惨な末路を辿る」

「で、この時代はどうだい?」

「問題はない。オレたちの旅はもう終わりだ」
 ソウヤは答えた。
「西暦2305年……ウィルはこの時代に動き出した。最初に来た時オレは奴を取り逃してしまったが」
「いまはもうこの時代にいない。他の時代に飛んだ痕跡もない。2005年時点で因果ごと消滅したようだ」
「それを確認しに来たんだが。まさか音楽隊もどきのホムンクルスたちが銀成学園に潜り込んでいたとはな」
「いやー。大変大変。月に行った筈のホムンクルスたちが3世紀経ってもまだ地球にいるとはねえ」
「おかげで銀成学園の生徒たちと関わる羽目になった」
「しかしすごいね。あの時代の武藤カズキを取り巻く人たちの子孫が……まったく同じ姿というのは」

 変わらないというのは困りモノだ。灰色の闇が大仰に両手をすくめるとソウヤの怒声が炸裂した。

「お前は変わり過ぎだ!! 」
「はっはっは。ソウヤくん? 我輩がこうなったのはだな。ひとつには君のせいだといえるのだよ?」
 暗闇を縫って人影が現れた。女性だった。腰まである金髪は純金製といって通じるほどまばゆい。ただしその先はどう
いう色素的理由を孕んでいるのか、赤、青、黄、紫、緑、黄、茶……などといった無数の色に分かれている。
「……その件については謝っただろ。何度も」
「何しろ真・蝶・成体を斃したいと願う君を武装錬金で過去に飛ばしたばかりに我輩もとばっちりを受けたからねえ」
 女性は法衣姿だった。まるでソウヤのマフラーに合わしたように白い布地をこれでもかと延長している。だぶついた仕立て
だがそれが却って権威とか知性を醸し出す顔立ちだった。小さな眼鏡をくいと直す仕草一つとってもひどく有能そうだ。
「例のウィル。真・蝶・成体の発生を防いだばかりに現れた時空改変者の影響で我輩の姿ならびに武装錬金はだだ変わりだよ」
「分かっている。奴はお前まで攻撃した。時空改変の脅威になるからな」
「そ。あの攻撃は苛烈だったねえ。想像してご覧? ソウヤくんの周囲4平方メートル以内にスッゲ腹ぺこ餓死寸前のヴィ
クターが5体ばかりいる情景。それだよ。ウィルが我輩に仕掛けた攻撃の威力というのは。まったく24時間365日毎日すさ
まじい時空嵐が巻き起こる。精神を削る削る」
「俺のせいで。すまない」
「大丈夫大丈夫。今の姿は今の姿で気に入っているからね。ま、もし我輩に悪いと思うならだ。とても効果的で簡単な謝罪
方法がある。それを提唱し協議するコトで互いの関係をより良好なる方向めがけ耕そうじゃないか」
「アンタのその回りくどい言い回しはどうにかできないのか。……で、提案というのは?」
「我輩をだな。嫁にしてくれ。好きだソウヤくん。出会ったときから!!」
「断わる」
「これが失恋の苦みか。うむ。いいものだ。折を見てまた求婚しよう」
 そういって女性は当たり前のようにソウヤへ抱きついた。
「ちょ、待て……放せ」
「ふふ。何を恥ずかしがる必要があるのかね? 愛情と友情は別の話さ。いまたしかに我輩フラれはしたけれど、しかし
長い時間の旅でソウヤくんとの間に培った絆、友情というやつは消えないさ。永遠に。永久に。つまりこのはぐはぐはだ、
友愛の情、恋愛感情はともかく共に闘った仲間として仲良くしようというアレ……っとと引き剥がしたかこの照れ屋さんめ」
 3mばかり先でふぅふぅと息せくソウヤに女性はくっくっと笑った。
「で、何の話だったか。そうそうウィル。実は奴の攻撃なんて別にコタえなかった」
「はア!!!?」
「いやだって我輩はウィルの理論でいうところの”外殻”」
「どんな時代にでも存在できる……とかいうんじゃないだろうな」
「お。さすがソウヤくん。だいたい正解。昔はともかくだ。くく。昔か。我輩にそういう概念があるかどうかはまあさておきだね」
 女性は手近なドラム缶に腰掛けた。足を曲げ胸に付けた瞬間、ソウヤの顔色がわずかだが変色した。細い脚の当たった
部分は大きくたわんだ。体こそ細身だが布地は今にもはち切れそうだ。布がミシミシなるたび少年は顔をうっすら赤くし「あの
その」と口ごもっている。そんな様子を悪戯っぽく眺めながら女性は言葉を続けた。
「今の武装錬金のスマートガンも時空に深く食い込んでいる。ま、我輩ってばもともと時空をさまよう生命体みたいなところある
訳だし、当然といえば当然だけど……長いよ我輩のスマートガン。ビッグバンの発生前から宇宙の崩壊まで、総ての時系列を
一本線で繋いでいる」
「いつも思っているが……ウソをつくな!!」
「いやいや本当本当。我輩がだね。爪でカリって武装錬金削るだけで1世紀程度カンタンにぶっ壊れるヨ。マジにマジに。そした
ら2005年時点は大崩壊。マレフィックも音楽隊も戦士もヴィクターも……あばばばばばつって駆けまわる素敵生物になる
ちゅーかやってみたいかも知れんいいよなソウヤくん!!」
「やめろ!! ウソを吐くのもからかうのも!」
「ははは。冗談冗談。まったくソウヤくんは面白いなあ。すぐ本気にしてくれる。とにかくだ。たかだが時空改変で偶発的に発
生したウィルごときの攻撃で壊れるわきゃあない。我輩も、我輩の武装錬金も」
「だったら何で時空改変の影響で姿とか変わっているんだ」
「ソウヤくんのお嫁さんになるために決まってるじゃないか!!」
「フ!! フザけるな!!! 冗談も大概にしろ!!」
「いやー。そっちもかなり本気だけど。小札っちの追記モード? あれがなんか面白そうなんで時空ごと喰らってみた!!」
「…………またウソを」
「だってー。我輩とか挫折しらずの人生でー。どんな失敗しようがちょっと武装錬金使えば修正できるし、大事な人と死別したっ
てまた戻って過ごし直せばおkだもん。たまには予想外のコトとか、ほーしーいーーーー」
「いい加減ウソはやめろ……。いつも思ってる。真・蝶・成体の件でアンタ頼ったのは失敗だったって」
「そうかい? 我輩は大成功と思ってるよ。ご両親と仲良くしたい。できればアレ斃してご両親を楽にしたい、戦いから解放し
たい。たったそれだけの理由で禁忌ともいえる歴史改変に手を伸ばしたんだからね」
 そういって法衣の女性は微笑した。
「君の持つ純粋な家族愛には本当、心惹かれてやまないよ」
 ソウヤはきまりが悪そうに視線を外した。
「だから我輩にもだな。ソウヤくんの子供を産ませてくれ! なに大丈夫だ、別に男女の関係にならずとも注射器一本
えちぃ本一冊あればどうにかなる訳で!!」
「黙れ!!!」
 ソウヤは槍を──ライトニングペイルライダー。三叉鉾((トライデント)。沙織の子孫がハルバードと間違えた──展開
した。その青白い輝きに金髪を焙られると包囲の女性は「うへあ」と顔をしかめた。
「なんだアレか。少年特有の不貞を嫌う潔癖なアレか。ダメだぞソウヤくん。そーいうのも可愛いが人間って奴は薄汚れ
ちまった中古品にブーたれながらも添い遂げるだけの度量を持ってこそ深みを増すんだ。だいたい私はグレイズィングの
ような行為そのものに溺れるタイプじゃないぞ。うん。言っとくが普段はこう余裕ぶってるがだな。いざその、ちゅー? 
ちゅーされるだけで頭バクハツして訳わからんくなる自信がある。君となんとか長続きしてるのは結局君が私以上、
いや私以下というべきなのか? とにかく私に輪をかけておぼこいからでだな例えば君のお父上とか総角とか照星さん
タイプには連戦連敗して甘く上ずるフツーの女のコだぞ私!!」
「誇れるコトか!!」
「誇れないからこそ弁明しているのだろーが!!」
 絶叫が重なりあいやがて木霊さえ消えた。両者はしばらく真赤な顔を突き合わせたままぜえぜえ息をついていたが
やがて法衣の女性は居住いをただしこう述べた。
「時空改変といえばだ。いつの話かは伏せるが照星部隊の面々も我輩の武装錬金……時空改変の可能性に気付く時が
来る」
「照星部隊といえば……防人戦士長と千歳さん、それに火渡か?
「ああ。我輩は彼らに言った。赤銅島の人間たち……津村斗貴子の家族をはじめとする多くの人々を救ってみないか、とね」
「で、答えは?」
「ノーさ。答えを出すまで相当葛藤していたけれど行き着く先はノーだった」
「…………どうして」
「どうして拒否した? なぜ挫折を乗り越える機会を自ら放棄し、助けるべき償うべき命を斬り捨てた、か?」
 ソウヤは無言でうなずいた。
「ソウヤくんはまだ分からないだろうけど、そーいった選択をしてしまうのが大人なんだよ。例え再び斬り捨てて、殺して
しまう形になってしまうとしても……自分の抱えている『失敗』という要素は投げ出したくない。どんなに辛くても決して捨
てず向き合い続けて…………弱かった自分を本当の意味で乗り越えたい」
「…………」
「ふふ。ソウヤくんにはいろいろな意味で残酷な話かもね。我輩が語っているのは君のひいひいおじいさん以下多くの人
間を救わなかった……という話だからね。歴史を改変する能力を持ち君への愛を高らかに謳いながらも、津村貴蔵たち
は救っていない。防人たちに対してもそれは同じさ。一度目はただ非力と不運で救えなかった。殺したくなかった。そう悔やむ
彼らに選択肢を投げかけ、今度は自らの意思で『救わない』……武藤カズキにさえしなかった再殺の道を選ばせた」
「…………」
「引くかい? 引くだろうね。でもそこが歴史改変の残酷なところさ。一度起こってしまったコトは変えるにしろ変えないにしろ
痛みは必ず伴うのさ。防人たちはこう言った。”他にも後悔を抱え苦しんでいる人たちはいる。だから自分たちだけが救わ
れる訳にはいかない”。……別にソウヤくん。君を責めるつもりはないよ。人としての正しさとか他者との兼ね合いを考える
あまり恐ろしく不器用で効率の悪い選択をしてしまうのが大人なら、自分の信じる正しさだけ見つめ何も考えず貫けるのが
子供のいいところなんだ。どっちが悪いとかそういう問題じゃない。ただ世界という奴にはどうしようもない流れという奴が
あるんだ。それを変えようとするのは正しい。けどその中で変わるまいと努めるのもまた正しい」
「…………」
「どちらにせよ痛みはある。変えないコトを選んだ防人たちはずっと後悔を味わい続ける。変えるコトを選んだソウヤ君は」
「新たな敵を……産んでしまった」
 ブリッジに手を眼鏡を直し、法衣の女性。
「マレフィックだね。彼らはある意味で大人だったが、ある意味では子供だった。だから結局……破壊しか選べなかった。
自分の人生の一部を捨てたり或いは治したりすれば救われて、普通の人生を歩めたはずなのに、できなかった。……我輩はね。
彼らも好きだよ? 行動からは想像もつかないけど彼らは彼らなりに自分の人生に対して真面目で純粋だった。簡単には変
わらない世界の更に悪い面、人間の感情が作る黒いぬかるみにはまりこんで傷ついたとしても、パチンコとかアニメとか、簡
単すぎる嗜好品へ逃げるコトはしなかった。逃げる程度じゃ満足しなかった。やっぱり本当の意味で救われたかったんだ。
もし君のお父上のような存在と出会えていたら……そう思わぬコトもない訳じゃない」
「2つだけ聞かせてくれ」
「なんだい?」
「アンタはそこまで分かっていながらどうして歴史を変えないんだ? ウィルはやったのに」
「歴史というのは常にいろいろな人の決断とか勇気で紡がれていくからね。自分の好みだけでそれをフイにするのは
良くないさ。……でも」
「でも?」
「もし本当に心から誰かを救いたいと思う人がいるなら、少しぐらい助力してやってもいいじゃないか。世界は変え難いし
辛い要素もたくさんある。だからこそ我輩だけはね。手を差し伸べてあげなきゃいけない。マイナスから始まるスタートを
プラスに変えてあげなきゃあ……ソウヤくんに対する信念というのが廃る」
「オレにつき従ってくれたのはそういう理由……なのか?」
「まあね。本当は総角や小札にもそういう手を差し伸べたかったけど……彼らは結局防人サイドだったね。アオフという
男の死に関しては、だけど。で、もう1つは?」
「…………2005年を経つ時にも聞いたが。ウィルはもう生まれてくるコトさえできないのか?」
「まあね。小札零の禁断の技のせいで彼は自らの因果に重い枷を嵌められていた。ただ皮肉な話、本来発生しなかっ
た筈のウィル。彼の言葉を借りれば時代の徒花、我輩の武装錬金の補助でようやく存在できた”あやふや”な彼は
これまた皮肉皮肉、仇敵と恨む小札零の7色目でその存在を補綴できていた。枷を引く鎖の重みでね。が、彼が
死んだとき彼に対する張力やら何やらが因子に向かって大きく跳ねかえった。綱引きをしているとき突然綱を切られた
らどうなる? あるいは対戦相手が迫撃砲でミンチになれば? 君は尻もちをつくだろう。ウィルを構成していた因子
もそうなった。尻もちどころか進行方向の変更を余儀なくされた」
「単純な話、ウィルの両親や祖父母の出会いが」
「なくなる。そ。一番分かりやすい例はそれかな。本当はもっとだね、卵子やら精子やらの微妙な構成の違いとかも
絡んでけれども」
 手を組み大きく伸びをすると法衣の女性は「今度は私から質問」といった。


「え? じゃあオバケ工場って古墳なの?」
「ああ。正確にいえば墓だな。あの工場どうやら先輩のご先祖様たちが買い取ったらしい」

 電話口の向こうにいる六舛(子孫)は先祖同様淡々としている。大浜(子孫)もまさに先祖がえりという声を洩らし驚いて
見せた。


「2005年といえばウィルの問題は解決したけど、まだもう1つ、問題があるでしょ?」
 法衣の女性とソウヤはオバケ工場の裏手に居た。林の見えるそこにはいくつかの墓石があった。
 月光をぺかぺか反射しているところからして真新しい。誰かが定期的に変えているのだろう。

「コレをどうするか? アンタはそれが聞きたいのか」
「うん。今度は変える? それとも変えない?」

 墓標は、6つあった。




「2005年の戦いのせいで死んだ6人の戦士。それを埋葬しているの?」
「先輩の先祖たちと縁が深かったからとか何とか」





 ソウヤは墓石を一つ一つ見て回った。

 それらの墓碑銘は。


総角主税
小札零
鳩尾無銘
鐶光
栴檀貴信
栴檀香美


 だった。


「2005年の戦いはとても苛烈だったからね。命を無くしたのは彼らだけじゃない」
「防人衛たちの話の後でそういう物言いをするな」
「こりゃ失敬。で、どうするの?」

 もし感傷があれば歴史改変をし彼らを救う……法衣の女性はそう述べた。


「300年、か」

 ソウヤは瞳を細めた。

「やっぱりおばさん(まひろ)ももう死んでいるんだな」
「まあね。あれほど元気で、死にそうになかった彼女だけど人間である以上……」
 なぜココでまひろの話をするのか。奇妙だがソウヤも法衣の女性も何一つ異議を述べない。
 その代わりソウヤは6つの墓石を遠巻きに眺めた。
 瞑目する彼は何事かに思いを馳せているようだった。

「彼らは命を落とした」

「戦わなければ不老不死を満喫できたのに」

「2005年。戦いに身を投じたせいで……命を落とした」

「本来なら悠久不変。寿命、限りなどなかった命を落とした」

「暗く低い次元へと」


 ゆっくりと紡がれる言葉に法衣の女性は沈黙した。
.
「質問に答える」

「答えは…………」



「ノーだ」



「もともと正史には存在しなかった連中だ。消える方が当然だ」
 法衣の女性は軽く頷いた。ただ首肯しているというより言葉の裏を探ろうとしている気配がある。
 それに、とソウヤは目を開き、今一度墓石の群れを眺めた。

「奴らも納得の上だ。甘んじて死を受け入れた」

「人間として死ぬために……彼らは変えるコトを選んだ」

「オレはその光景を見たしその選択に納得した」

「だから今度は変えないコトを選ぶ。真・蝶・成体の件で懲りたとかそういう訳じゃない」

「望まずしてホムンクルスになった連中が……2005年の戦場で共通の敵と戦っていた仲間というべき連中が」

「元の人間に戻り、そして死ぬための」

「勇気ある決断をフイにしたくない」

「ただ、それだけだ」

「………………」

「無責任? なら顛末をもう1度語ろう」

「総てを言い尽した時、お前は納得する」




「発端はウィル(will)……彼、そして未来(いま)」





「そのせいで生まれたザーブレーメンタウンミュージシャンズ……」

「彼らがホムンクルスと成り果てた理由」

「命を落とすに至った経緯」

「その2つを再び語り終えたとき…………羸砲ヌヌ行るいづつぬぬゆき、お前はきっと納得する」


「了解したよソウヤ君。けどできれば我輩との旅から振り返って欲しいねえ。どう始まり……何があったか。とかね」
 法衣の女性は微苦笑した。



                              ────語られるは過去の話。紡がれるは新たな歴史。



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