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過去編第010話 「あふれ出す【涙なら】──急ぎすぎて壊してきたもの──」




 そこは広間だった。900平方メートルはあるだろうか。正方形で、辺は石壁。青磁色のそれはすでに数百年存在してい
るらしく、形も大小もさまざまな、暗い灰みした青の斑がそこかしこに浮き出ている。

 巨大な、真紅の絨毯が敷き詰められた広間の中央に、死体が9つ、転がっていた。若い女性もいれば子供もいる。その
周りに足跡がばらばらと刻まれているのは、あたりをネットリ汚す赤黒い水たまりのせいらしい。数も大きさも判別できない
ほど無限に重なり合った足跡はしかし死体から離れるにつれ徐々に散らばっていく。

 いくつかは広間の東西……チョコレート色の扉へ。
 いくつかは北……大階段へ。
 ひとつは南……外に続く扉へ。

 階段に向かった足跡は徐々にその彩度をさげながら踊り場に上りつめた。

 部屋面積の4%と描けば些少だが、一般的な基準から見ればまだまだ存分に広いそこには……。
 肖像画がかかっていた。
 高さはおよそ6m。幅は4mほどだ。
 南の門扉から入ってきた来賓がまず、有無を言わさず見せつけられるであろう絵はしかし、上半分のほとんどが壁ごと
剥落している。

 どうやら建物の主を描いたものらしいがその顔は分からない。
 唯一手がかりになりそうなのは、肖像画の下に埋め込まれた細長い銀のプレートだ。

『ホムンクルスの王』


 足跡はまた分散した。踊り場の東西へ伸びる小階段、その両方へ。





 血糊が切れたのだろう。足跡が消失したのは、長大な一本道の途中で、そこでは中東の雰囲気を前面に押し出した豪華
な絨毯が彼方めがけ長く長く伸びていた。

 廊下だった。
 成人男性の目の高さへ等間隔に並べられたくすんだ金色の燭台の中央で、ロウソクの炎が揺らめいたのは、道の彼方の
小さな白光から雪崩れ込んできた「さざめき」のせいである。


「トゥハンドソードの武装錬金。ドミネント・タイタンアーム!」
「七支刀の武装錬金・レークスウィータ!」



 やがて轟音が響き廊下全体が揺らいだ。



 踏破。無限にも思える回廊を抜けると荘厳な部屋へ行き着いた。

 中央には赤い皮張りの金椅子。二段も三段も高い場所に備え付けられている。
 簡略すれば『玉座』と呼ぶにふさわしいその部屋はいま。

 紅蓮の炎に彩られていた。

「見事だ真田斗志也(サナダトシヤ)」

 部屋のある一点で声があがった。声の主は炎の中にいた。逆光で顔は見えないが、額と左胸から血を流している。
量は夥しく、火に降り注ぐたびそこだけシンと鎮火する。傷口の周りには奇妙な紋様があった。水滴を2つ、上下さか
さに重ねたような印──章印である。ホムンクルスの急所であるそれはすでに罅割れ出している。

「……」

 真田、と呼ばれた男は、影から2mほど離れた場所にいた。これといって特徴のない細面の青年で、決して低くはない
身長の倍はあろうかという剣を影めがけ油断なく突きつけている。

「そう警戒するな。致命傷だ。王はもう助からない」

 影がホムンクルスで、その余命がもはや幾ばくもないのは明らかだ。

 だが彼とも彼女ともつかぬ存在は。

「もっともいまさら我々を殲滅したところで……世界はもとに戻らない」

 くつくつと笑いそして真田めがけ歩き出す。炙りあげる炎の熱さなどまるで感じていないようだった。突きつけられた鋩(きっさき)
さえ黙殺した。自らの生命などどうでもいいように。むしろ生命と引き換えに宿望を成し得たのだといわんばかりに、影は悠然と
歩を進めた。

「勝ったのは我々10人だ」

 真田の顔にぱっと苦渋が広がった。澄んだ瞳を一瞬揺らめかすと唇を固く結び……戦慄きながらうなだれた。

 影はその傍を悠然と通り過ぎた。含み笑いは瞬く間に膨れ上がり、燃え盛る炎をケタケタと揺らした。

 そして玉座によろよろと腰かけた瞬間、天井が崩れた。
 火の粉がばあと舞い散るなか、岩ほどある瓦礫が床に突き刺さった。
 それは玉座のすぐ傍だったが、やはり影は身じろぎもせず言葉を紡ぐ。

「古い真空」

「超絶なる夢」

『マレフィックアースの一端』」

「地球という星に巣食いし凶なる言霊」

 足を組みなおす影の上で鈍い音がした。頭部から巨大な欠片が転がり落ち、炎の中で黒く燻った。瓦礫が落ちたのでは
ない。肉体が、崩壊している。


「解放したのは……我々だ!!」


 影が霧と化したのとその足元から閃光が溢れたのはまったく同時だった。

 いかなる特性か。トゥハンドソードを振り上げた真田はしばらく肩で大きく息をしていたが──…

 やがてその場に崩れ落ち、大声で泣き始めた。




 崩れゆく古城の瓦礫を縫い、一筋の光が飛び出した。


 終戦を喜びあう戦士たちの上空をしばらく旋回していたそれは雲間に消えて…………。







「とまあ、西暦2208年おこった「王の大乱」、概要はこんな感じだ」


 時は2305年。錬金術が一般大衆の目にさらされるようになって久しいある日。


 午後の授業はなぜこうも眠いのだろう。星超新(ほしごえあらた)は生あくびを噛み殺しながら黒板を見た。

 全世界で約30億8917万の死者。日本では6983万人が死亡。(うち3481万人が高齢者)(日本の若返りが促進)

 淡々と描かれているその文章にただただ歴史の無情さを感じてやまぬ新だ。

(何気にすごい数字だけどさ、客観的だよねー。たった100年近く前の出来事なのに)

 特に”若返りが促進”の辺りがひどい。別に教師の主観ではなく、教科書に書かれたそのままを抜き出しているだけだが、
仮にも人命に関わる話題を若返り云々で片付けるあたり──たとえ「一説には」という予防線じみた前置きが踊っているに
しろ──政府がいかに財源不足をもたらす高齢化を憎々しく思っているが透けて見える。

「あー。とにかくー。「王の大乱」。これは19か月かけてようやく鎮圧された訳だが、我々人間の文明は一度滅亡寸前
にまで追い詰められた。何しろ500万体のホムンクルスが世界各国で同時に蜂起したからな。しかも優秀な技術者ほど
よく狙われた。はいテキスト231ページ開いて。ココにあるとおりー、日本のー、大乱後の文化水準は」
(1950年代にまで遡った、だろ)
 退屈な授業だ。新は内心、鼻を鳴らした。教師特有の高慢ちきな声の張り上げを聞き流しながらシャープペンをくるくる回
す。300年以上前から存在する器具がいまもこうして現役なのは時々まったく驚きだ。
(ま、これだけ破壊しつくされれば当然か)
 大乱直後の東京、そう銘打たれた写真は一面が焼け野原で、かろうじて曲がりくねった鉄骨らしきものが右の方に確認
できた。

「右手奥に見えるのがスカイツリー。重要文化財の焼失は都民を大きく悲しませた」。

 そんな一文もいまやってる授業も、半年前に予習済みだ。

「でだ。お前たちのおじいさんやおばあさんが頑張ってくれたお陰で、いまようやく2100年ごろの文化水準にまで回復し
つつある訳だ。たった100年で150年分だぞ。しかもこれからは復興が終わった分、ますます速く回復してくぞー。お前ら
も頑張って勉強してしっかり仕事しろー」

 野球部顧問だという歴史の教師はいちいち押しつけがましい。でっぷり肥った体から繰り出す講義はとても入試の役に
立ちそうにない……進級1発目の授業からすでに見切りをつけている新だ。

(そもそも「王の大乱」ってのはさぁ。2032年の錬金術自由化のせいだろ。まずそこを説明しろよ)

 いちいち粗笨(そほん)さの目立つ授業だ。試験はやりやすいが

(錬金術自由化。政府の協力を得て、核鉄の管理と再人間化を推し進めようとする政策。発案者は坂口照星の次の大戦
士長……名前なんだっけかな。まあいいや試験には出ないし。とにかく、ヴィクターの件で親族経営的な腐敗がまったく
腐るほど洗い出された戦団は、透明化の一環として公的機関との提携を選んだ)

 何気なく教科書を見る。『大乱停止を呼びかける月の人々』という見出しでモノクロ写真が載っている。その中央にいる
マント姿の女子中学生……ヴィクトリア=パワードはいまや悲劇のヒロインとして語りつがれている。

(物事なんでもそうだけど、最初は自由化もうまくいった。政府が打ち出した食糧支援は、ヴィクトリアみたいな事情を持つ
ホムンクルスたちにとってまったく干天の慈雨。みな率先して月への移住を希望した)

 同時期、「人造生命法」を初めとするホムンクルス絡みの法案が次々に成立。警察学校でも対ホムンクルスを想定した
カリキュラムが組み込まれた。やがて戦団の協力により錬金術性の武器が数多く支給されるようになると、ホムンクルスの
脅威は猛獣なみに低下……支援を初めとする宥和策もあいまって、ホムンクルスによる犯罪は激減した。

(猛獣なみってところがミソさ。相変わらずトラやライオン程度には危険)

 ある人はいった。「われわれはやっと金属バットを手に入れた」。銃はまだ遠い。
 殺傷能力はあるが速攻性はない。ゆえに最後は核鉄頼り……「王」がごとき巨悪、大乱大戦に於いては常にみな核鉄に
縋る。

 見てきた歴史は常にそう。

(100年もすると月の方の事情が変わった。コストのかさむ食糧支援に加えて人口過密。しかも宇宙開発の発展に伴い
諸外国との惑星領土問題も勃発し)

 移住したホムンクルスたちが徐々にだが少しずつ劣悪な生活を強いられるようになった。

(原因は再人間化。政府や戦団の試算では自由化から30年以内に実現可能だったけど……)

 50年経っても、100年経っても一向に糸口が掴めない。
 ホムンクルスに自然死はない。人口は増える一方だ。領土問題だけはどうにかすべく各国の月面開拓事業を下請けしたり、
その給与から年金等の各種社会保障費を支払えたのは宇宙開発バブルまで……。開発が一段落したとたん、ホムンクル
スたちは就職難に見舞われ始めた。
 が、事情を知らない地球の人々は、ただ彼らが無償で厚遇されていると思いこみ(或いは思い込ませたい人物たちの
扇動にまんまと嵌り込み)声を荒げる。彼らから票を得たい政治家も何かと理屈をつけ保障費を削りにかかる。
 にも関わらず、生活保護目当てでホムンクルス化する者が出てくる始末。とうとう人気お笑い芸人の母親が「そういうコト」
をやらかし月にいるとバレるや政府は即座に月面行きの条件を厳しくした。
 するとホムンクルスの犯罪率がVの字で回復……つまり悪化した。
 ただでさえ人間を喰らうという一事において並々ならぬ嫌悪を抱かれているかれらだ。
 まして中には「何人も喰い殺しておきながら」、どういう理屈かクローン再生して生き延びている連中もいる。

 ますますの不興を買った。

 良識ある市民たちは殲滅を強く求めるようになり、他方人権を守らんと義憤に燃える者たちが法律を盾に擁護する。市
井の対立構図はそのまま国会にまで飛び火。法的整備をめぐり泥沼の争いが繰り広げられるうち、とうとうホムンクルスを
狙った犯罪が各地で多発。「イジメで面白半分にホムンクルスにさせられた」、9歳の女の子が男子高校生3人に市販の
護身用武器で嬲り殺された事件は社会に大きな衝撃を与えた。

(怪物なのは人間かホムンクルスか。いかにもマスコミが飛びつきそうなネタだな)

 いくつかの報復じみた犯罪の応酬を得てとうとうホムンクルスたちの感覚は自由化以前に逆戻り。
 つまり人知れぬ山野で共同体を作り人食いをするのだが、人間の対応力も進化している。
 昔ほど容易く喰い散らかせない。

(結局は共同体が勝つ、けど平均3割の構成員が体のどこかを欠損、6つに1つは死者も出す。1人か2人だけど)

 やがて学習したホムンクルスたちはひとつの結論に至る。

 人外たるアドバンテージを満喫するには。

 楽に生きるためには。

 より大きな団結が必要。

 皮肉にもその舵をとったのは、自由化後いち早く月面行きの将来性のなさを見抜いた連中だ。
 戦団の息のかかった組織の追跡をことごとく振り切ってきた悪賢い連中は少しずつ少しずつ、政府の現対応に不満を
抱くホムンクルスたちを吸収し始めた。海外にまで手を伸ばせたという事実、どこの国でも不満が渦巻いていたという何よ
りの証である。

(その時の指導者が……「王」。1905年、ヴィクターと相討ちになったホムンクルスのボスの……子孫)

 血筋ゆえのカリスマ性という奴だろうか。結果からいえば「王」は500万のホムンクルスを見事統率した。

 人間ならば早々にボロを出してしまう水面下の準備。
 されどかれは部下たちに、無限に等しい寿命の優位性を幾度となく説き、軽挙を戒め続けた。
 決起まで約90年の準備をやりおおした組織は古今稀であろう。

(で)

 ある日、500万体のホムンクルスが一斉に蜂起。まず各国の核鉄保管庫と主要な武器の工場を同時に襲撃。軍や
警察が駆けつけてくるころには、選りすぐりの武装錬金特性を持つホムンクルスたちがとっくに準備を整えており。

 初戦はホムンクルスたちの勝利に終わった。

 兵站を崩され、保有する核鉄の9割を奪われた人間たちは数少ない戦士に希望を託し……。

(19か月かけてどうにか反乱軍を殲滅)

 戦士の中で最も活躍したのは真田斗志也であり、王を含む反乱軍幹部4人を討ち取った彼の伝記や漫画はいまでも人気
を博している。

(2005年に活躍した武藤カズキの妹と……当時最強と呼ばれた剣客の血を受け継いでる……だっけ?)

 新はサブカル方面にはあまり詳しくないので分からない。
 その後真田は戦士長に昇格。大乱後の復興に尽力した。大戦士長になってからは月面問題と再人間化の解決のため
30年近く奔走を続けた。そして引退後、87歳で肺炎のため死去。

(他に活躍したのは)

 パピヨン。そしてヴィクター。人間に与するホムンクルスも少なからずおり、だからこそ人間は滅亡の危機を免れた。

 大乱後は緊縮策が見直され、現在のところ大多数の人間は大多数のホムンクルスと歩み寄ろうと努力中──…

(でもまだ再人間化のメドは立っていない。いい加減こっちをどうにかしないと堂々めぐりだって)

 歴史教師の背後にあるスピーカーがチャイムを吐き出した。
 起立と礼で形ばかりの謝意を投げかけると、新は眼下の教科書を眺めた。

(本当、核鉄の管理や捜索へ特に力を入れたのは、武装錬金持ちが怖かったからだな)

 テキストをめくる。227ページは先日見事にすっ飛ばされた部分だ。

【武装錬金による凶悪犯罪】

 そう銘打たれたページには過去起こった大規模な武装錬金災害やテロがこれでもかと羅列されている。

 大乱以外でもっとも多くの犠牲者を出したのは2158年の噴進式無線誘導弾。いわゆる9.11を軌道エレベータで再現
したため死者は3万人を超えている(倒壊による圧死者含む)。オカルティックなものではマンションの給水タンクに二化
冥虫(にかめいちゅう。第二次大戦中、陸軍は登戸研究所が開発した毒物の一種)の武装錬金を混入、住民全員をおぞ
ましい虫の苗床にした……というのがあり、こちらは3度、映画化した。

(こーいうのがあるから核鉄の不法所持が犯罪になった)

 核鉄取締法二の十四。「発見時は速やかに最寄りの警察署へ通報するとともに錬金術上の危害を防止する措置を講じな
ければならない」。同法三の十五。「錬金術師法二十八の四に定める資格喪失時においては失効時から起算して十五日
以内に所持する核鉄または幼体を最寄りの警察署または保健所に提出しなければならない」。同法十三の一。「実験、
保安、その他錬金術上の活動において必要と認められ核鉄を所持するものは一年に一回所持する核鉄の製造番号なら
びに武装錬金の創造者、名称、形状、特性および特徴を居住地または勤務地のある都道府県知事へ報告すること」


(いまじゃ戦いに使って違法じゃないのは自衛隊の特殊部隊ぐらい)

 もし現在、ヴィクター級のホムンクルスが発生すれば即座に激甚災害認定され、武装錬金戦闘に特化した部隊が旅団ク
ラスで投入されるだろう。もっとも、強大なホムンクルスを災害として処理するコトの是非はいまだ燻る9条問題と相まって
議論が尽きぬ。

(そして──…)

 1995年。レティクルエレメンツの反乱。

 新はいつもその項目に目が止まってしまう。

 錬金術史上幾度となく登場するヴィクター。

 その僚友たるメルスティーン=ブレイドに率いられた10体のホムンクルスの反乱劇。

 年表では軽く流され試験にもあまり出ない個所だが、なぜかいつも見てしまう。

(結局は戦団にさえ勝てなかった連中なのに、どうしてなんだろうな)

 溜息をつきながらテキストを閉じる。



 星超新。のちにウィルと呼ばれる……レティクルエレメンツ、水星の幹部である。



 羸砲ヌヌ行の武装錬金、アルジェブラ=サンディファーのひみつ

・宇宙には太陽の数十倍大きい恒星もチラホラいて、超新星爆発で滅びたりもする。ほとんどは木端微塵に砕け散るが
星の中心の芯、核とでもいう部分が残存している星もある。

・いわゆる中性子星。赤色矮星、白色矮星、パルサーなどだ。

・中性子の塊は巨大な質量をもっており、それが呼ぶ重力などに押し固められる。ボールペンの先の玉くらいの大きさでエッ
フェル塔100個分の質量。

・アルジェブラ=サンディファーを構成する物質は、パルサーのそれに酷似している。

・スマートガンの銃身はおよそ直径10km以上。長さは宇宙開闢から終焉まで。ほぼ無限。

・重さも測定不能。バスターバロンのそれが微粒子に思えるぐらい重い。

・歴史記憶を支えているのは、毎秒15万kmの銃身回転。スマートガンだがガトリングのようにギュラギュラ回っている。

・つまりティプラー・マシンの一種。無限に長い円柱の超高速回転は「閉じた時間の輪」を作る。空間とは三次元的なもの
だが、時間と光の広がりを加味した場合、

▽ 
△ 

こんな形になる。円錐を2つ重ねた、砂時計そっくりの形に。

・これを光円錐といい、底は過去、てっぺんは未来をあらわす。

・ウィルは歴史を因子の流れで解釈しているが、ヌヌ行は光の広がりで見ている。

・光とは各時代に息づく人間のエネルギー。闘争本能の奔流。

・よって(ヌヌ行視点では)、光円錐はそれぞれ固有の形・体積・質量などを持っている。同じものは一つとしてない。
 多くの人間が戦闘を繰り広げた場所は巨大な光円錐を有しているし、築後まもない新居は「過去」の円錐部分が非常に小さい。
 空間によって個体差があるため、ヌヌ行の中では容易に判別可能。

・光円錐は空間の数だけ宇宙に点在しており、

▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △

もし宇宙が回転した場合、これらは箱の中の砂時計のようにぶつかり合う。

・底は過去を、てっぺんは未来を表す。2つが接触すれば空間Aの過去は別の空間Bの未来とつながるだろう。

・上記の現象は、アルジェブラ=サンディファーのような、中性子でできた無限に長い極太の円柱が超高速で回転した場合
にも起こりうる。周囲の時間と空間(時空)が大いに歪み、たくさんの砂時計(光円錐)が衝突を続け、結果過去と未来が繋
がるのだ。この説は1974年、数理物理学者のフランク=ティプラーが提唱した。

・本来ティプラー・マシンは、円筒製造以前の時系列へ行けないものだが……。

ヌヌ行「アルジェブラ=サンディファーは宇宙開闢時点から伸びている。だから遡れない時代などないのだよソウヤ君!」 
ソウヤ(絶対ウソだ)。

・とまあいろいろ物理的にツッコミどころもあるが、胡散臭い錬金術の産物なため仕方ない。

・時間移動の仕組みだが、ヌヌ行という『空間』の光円錐を、他の空間の未来ないし過去に当てるコトで行われる。

・特性は歴史記憶。総ての歴史を記憶できる。消えてしまった歴史も例外ではない。

・その仕組みはややこしいので後段に譲るが、ウィルの改変に抹消された数々の歴史がアルジェブラ=サンディファー
に記憶されているのは、過去との連続性を絶たれた光円錐の「▽」をスペースデブリよろしく銃身周囲に漂わせているため。

・歴史が変えられると、それまで光円錐が持っていた「未来」は過去との連続性を断ち切られる。

▽ ← 古い未来



▼  改変により、新しい未来が生まれると……


     ▽  古い未来は連続性を失う。(※)
   /



※ 光円錐は光の広がりで作られている。過去が変わるというのは光の向きが変わるというコト。
すると本来の未来は残像だけのものとなり、あっという間に消滅する。なぜか? 光が未来に向かって広がるのは、過去か
ら照らされているという連続性あらばこそだ。それを失えば一瞬でかき消える……というのが本来の時系列におけるルール。

・が、アルジェブラ=サンディファーは、「消えた未来」を自動的にキャプチャーする。

・残像となり刹那で霧消する光円錐の「▽」……「消えた未来」を発見した場合まず、その付近の表面の質量を意図的に増大さ
せる。

・中性子星は太陽の2.5倍ほど重くなるとほぼ確実にトルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界を超えブラックホール化
する。アルジェブラ=サンディファーの表面も概ねその通りで、だから光でできている「消えた未来」を引き寄せるコトが可能。


・ヌヌ行視点における「消えた未来」は、光を雲散霧消させるコトなくスマートガンにキャプチャーされている。
(観測者の見る「ブラックホールへ落ちるもの」は、相対論的効果により非常にゆっくり見えるのだ。永久に停止していると
いって過言ではない)

   アルジェブラ=サンディファーの銃身を横から見た図。

三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三|
三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三|
三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三|
 ▽▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽▽ ▽ ▽ ▽ ▽▽▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ 

・常時3億個以上展開しているブラックホールは、光円錐の削除も可能。4個ほど周囲に展開すると、光の広がりが拡散し
円錐は崩壊する。かつていじめてきた土建屋の娘ぐらいちょっとその気になれば簡単に消し去れた。(やらないのは武藤
夫妻とソウヤへの敬意)。

・最強最悪の武装錬金に成りうるが目下のところは平和利用を心がけている。

・だからこそもし心のよりどころに危害が及んだ場合いっさい容赦はしない。事実ソウヤを怪物に変えられたヌヌ行は、戦士
たちとレティクルの決戦において、最悪とかしか言いようのないタイミングでウィルを攻撃し、難攻不落を誇る彼の武
装錬金が敗れるきっかけを作った。

・武藤ソウヤ:談。「大戦士長誘拐直後の戦いでほぼ全壊状態になっていなければ、1人でレティクルエレメンツを殲滅して
いただろう」。

・とにかくブラックホールによってキープしておいた古い未来を、元の光円錐に戻す。それが羸砲ヌヌ行の歴史復元。



「どうやって戻すかって? やっぱりブラックホールを使う。磁石でパチンコ玉誘導するような感じかな。元の光円錐とうまく
ドッキングするよう誘導するのさ」

 グウの音も出ない。そんな顔で清涼飲料水を飲み干すと、武藤ソウヤはため息交じりに缶を投げた。白い箱型のごみ箱
のてっぺんで緑やオレンジのライトがびかびか瞬くや、フタの中からロボットアームが飛び出てきて、青いアルミをキャッチした。

 空を仰ぎ溜息をつく。青々と茂る梢。透明だが頑丈そうなドーム。それらを順々に透過した大空では車が飛び交っている。

「さすが300年後。車が飛ぶとは未来チックだ」

 メガネを直しながら囁いたのは奇抜な髪をした若い女性。20代前半だろうか。小さなメガネをかけ落ち着いた佇まいだが、
長い金髪の先々がほぼ虹色に染まっている。黙っていれば美人だがどうにも変わり者の気配が強い。

 もの言いたげに視線を移す。相方は悠然たる微笑を浮かべ肩を竦めた

「と。失礼。歴史記憶じゃ何度も見ているが肉眼では初めてでね。柄にもなくはしゃぎ武装錬金の講座などしてしまったという
次第だ。ま、情報開示の一環というコトで許してくれたまえ。(うおーっ!! 図鑑で見た未来そのままだー!! チューブ
チューブチューブ!! こりゃあチューブっぽい道路もあるよね絶対!! 実用性低そうだけど私ああいうの大好き!!)



 羸砲ヌヌ行という女性の内面は、成熟した外見とは裏腹にとても幼い。小学校時代いじめを受け他者に本心を打ち明けら
れなくなって以来、精神の成長はそこで止まっている。人並み外れた知性と美貌こそ努力によって獲得しているが、本質は
良くも悪くも小学校4年生当時のままだ。

 いまも内心の彼女は拳など固めつつ瞳を大きく見開いている。幼い好奇心丸出しで鼻息ふきつつ落ち着きなく、あたりを
キョロキョロ見回し始めもしたが、端正な美貌は大人の余裕を頬に張り付けたまま武藤ソウヤを眺めている。


 彼らはもともとこの時代の人間ではない。


 時は西暦2305年。武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は遥か未来に来ていた。



 のちに、と表現するのは時系列的にややおかしいが、のちに「2005年の銀成市で」早坂秋水たちは流れの共同体と矛を
交える。

 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。

 彼らとの熾烈を極めた戦いは、本来の歴史には存在しない。
 ウィルという少年が歴史の改竄を繰り返した結果、偶発的に生まれた……いわばイレギュラーな出来事なのである。

 そもそもの発端は武藤ソウヤという少年にある。

 真・蝶・成体により荒廃を極めた世界を変えるため、彼はヌヌ行の前世と協力し過去へ飛んだ。

 2005年時点。父、武藤カズキが月から帰還した……やや後へ。
 そこで紆余曲折を経ながらも、両親や育ての親(パピヨン)と協力し、みごと真・蝶・成体を打倒した彼は元の時代へ戻る。
 しかしようやく手に入れた両親との幸福な生活は……すぐさま崩れ去った。
 真・蝶・成体を斃し歴史を変える。彼の目的は確かに達成された。だが歴史の変貌は恩恵ばかりもたらさない。
 それをソウヤは、ウィルの出現によって思い知らされるコトとなる。

「道中聞かせてもらったけど、本来の歴史じゃ彼の祖先、真・蝶・成体に殺されていたらしいねえ。しかしソウヤ君は本格
稼働前……つまり2005年時点で斃してしまった。結果、ウィルという新たな改竄者が生まれ」

 新たな戦いが勃発した。

「パピヨンパークにソウヤ君を送り込んだ我輩の前世。その人物は残念ながら負け、ソウヤ君もまた追い詰められた」

 そのとき偶然にもヌヌ行と出会い。

「これ以上の時空改竄を止めるべく2人旅を始めた」

 まず手始めに、ウィルの行った総ての時空改竄を、ヌヌ行の武装錬金特性により元に戻した。
 あとは彼が改竄者になる前に止めさえすれば解決なのだが──…


 ヌヌ行は嘆息した。

「まさか手がかりがないとはねえ」

 その事実が彼らをこんな公園に釘付けている。

「この時代には何度か来ている。奴が改竄者になる前に叩く……あんたの前世に歴史を変えてもらってな」
「だったら顔とか住所とか本名ぐらい知っていてもいいじゃないか」
 知らないという。
「捕捉自体は何度かした。学校を突き止め、自宅に迫った。なのにスッポリと抜け落ちている」
 抜け落ちている、か。ヌヌ行は低く唸るとしばし目を閉じた。

「いまこの時系列の映像をくまなく見ようとしたがどうもダメだ」

 首を振りつついうにはどうもノイズが入り込み不鮮明らしい。

「そういえばウィルには恋人がいて、2人してソウヤ君たちを追撃したというが、我輩そんな記憶はまるでない。必要なコト
は総て前世から受け継いでいるというのに、やはり『抜け落ちている』」
「まさか……」
「だな。彼女の武装錬金。そちらに何らかの妨害要素がある。そして我輩のアルジェブラを撹乱しているというコトは」

 息をのむソウヤの表情に影が射した。答える声は低く、重い。

「すでにオレたちの存在に気づいている」




 結論から述べる。

 武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は、ウィルの時空改竄を防げぬばかりか取り逃してしまう。

 行く手に立ちはだかるのはヴィクターをも超える存在。

 ライザウィン=ゼーッ! と名乗る彼女にかつてない惨敗を喫した時に──…

 この物語は幕を開けた。


 最強に近いアルジェブラ=サンディファー。
 むろん時空改竄系の武装錬金の中ではトップクラスだがしかし1位ではない。
 同率3位。
 総合力でいえばウィルのインフィニティ=ホープとほぼ互角。
 双方とも、最強……小札零のマシンガンシャッフル、七色目・禁断の技にはまるで抵抗する術を持たず、ゆえに2005年
の決戦では本来のスペックの1割も出せなかった。

 そしてナンバー2の武装錬金の使い手こそ、ライザウィン=ゼーッ! であり、おぞましい特性はすでにこの時ソウヤたちを
襲撃していた。

 やがて武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は微細な積み重ねをして敗北し──…

 なぜ正史が失われ、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズが生まれたのか。

 その過程を垣間見る。






 のちのウィル、星超新(ほしごえあらた)は日本在住だが、ケルト人の血を引く生粋のイギリス人だ。
 生まれは米国で、そこに移住していた実の両親とは幼少期に死別。
 いまは遠縁の老夫婦の家に下宿している。

「両親を殺したのはボクだ」

 4歳のころ、おぞましい故郷から逃げるように海を越えてきた彼は、毎夜ツギハギだらけの煎餅布団の中でガタガタと
震えた。

 いち早く復興した米国の平均年齢は現在103歳(2300年度)。他国より50年は進んでいる……つまり2150年時点
にまで回復した医療水準のおかげで120歳を超えてもなお元気な老人たちが全国民の6.2%を占めている。現在の最
高齢はミネソタ州に住む171歳の女性で、つい先日5つ上の男性がハイウェイを逆走したせいで繰り上がった。


 1世紀近くまえ勃発した「王の大乱」は人々の心にいまだ生々しい傷を残している。
 医療の発展は決して恩恵ばかりもたらさない……新は常々痛感した。


 もし人々がただ時の流れに飲まれていたなら。死という運命をどうにもできず、短命のまま時間に殺されたのなら。


 星超新は両親を殺してしまった罪悪感に震えたりはしなかった。



 世界のあらゆるキナ臭い場所に武力介入しては疲弊の色を強めた米国は、しばらく中国に世界の主導権を握られていた。
だが70年もすると中国は強引な成長戦略の反動と、いよいよ大陸規模で取り返しのつかなくなった環境汚染のダブルパン
チで大いに衰退した。理不尽な弾圧を受けていた地域がここぞとばかり蜂起し各地で独立戦争が起こるやいなや、米国は
それまで人道的な問題に目をつぶっていた事実などないかのごとく各独立軍に援助を始め、とうとう率先して中国を打倒。
世界一の国家へと華々しく返り咲いた。

 その14年後、「王の大乱」が勃発。死亡者は1億2819万3372人(市民・軍人合わせて)。犠牲者数でも世界一に上り
つめた。

 市民にとって世界でもっとも精強な軍事力は、自慢のタネであり、同時に保障でもあった。長年目の上の瘤だった中国を
力づくでねじふせ、いまや靴みがきのようにヘーコラさせているという事実はつまり自分たちの安全を無条件に保障するも
のだった。事実。確かにそれはまったくの事実だった。しかし事実だからこそ、より現実的で合理的な恐怖を呼びかねない
という可能性を……世界一に酔う米国民たちはまったく描いていなかった。

 強すぎる武力はもっと強い武力でねじふせられる。

 世界最強の軍事力を誇る米国。それを担当するホムンクルスの軍勢もまた精鋭だった。
 王の側近中の側近……「君主」と呼ばれる美しい女性に率いられた軍勢は、世界最強の軍事力の前に多大なる犠牲を
出しながらもこれを圧しに圧した。米国への蹂躙は、惨状を見かねたヴィクターが月より降臨するまでの9ヶ月間、徹底的
に続いた。

 現在110歳以上の世代の82%が王の反乱時なんらかの形で親族を失ったと回答している。
「ロードベビー(君主の赤子)」なるスラングは95歳ないし96歳の老人を指す。統計上、この世代が他の年齢層の4割しか
存在しないのは、病気等で死亡率が向上した訳ではなく、そもそも出生の届け出自体がなされていないせいだ。
 というのもこの世代には「半ホムンクルス」なる存在が多い。生まれつき体の半分が錬金術の産物でできており、以後あ
らわれる鐶光よろしく年も取る(速度は普通だが)。出生自体が恥辱とされ、不幸にも中絶されないまま生まれてしまった者
は一家総出で存在を隠蔽されたまま育てられる。法的に登録されていないのはそのせいだ。
 ゆえに職業面では冷遇を余儀なくされた。貧困にあえぐ彼らが犯罪を続発されるや、社会はそれを大きく問題視したが、
法的な救済は遅れに遅れた。
 議論が、彼らの人権の定義づけという、まったくややこしいだけでまるで現状に即していない課題から出発したのは、経
済界の重鎮たちがそういう方向に行くよう誘導したからだ。
 戸籍を持たない半ホムンクルスは一般人のおよそ5割から6割の賃金で使役でき、保障費等の支払い義務もない。その
うえ高出力でほぼ不死。成り手のいない過酷な作業をやらせるには打ってつけという訳だ。だから経済界はこぞって法整
備が遅れるよう仕向けたのである。
 法的にそれらしい救済策が打ち出されたのは、企業のほとんどが身を切るコトなく安価に使役できる「頤使者(ゴーレム)」
の導入を終えた頃だったが、そのころすでにほとんどの半ホムンクルスは山野に身を引き獣のような生活を始めていた。

 なぜ彼らは生まれたのか?
 
 実験等でそうなったのではない。まったく生まれつきだ。
 第二次大戦後、日本の駐屯地付近でしばしば見られた現象にやや近いが、内実はそれよりひどい。


 米国攻略を任された「君主」は女性である。大乱後なお彼女が、今でいうヒトラーよろしく良くも悪くも語り継がれているの
は、人間離れした美貌のせいだ。
 だが彼女は。
 女性にも関わらず。

 殺人によらない断種政策を強く好んだ。

 その様子を収めた映像媒体は現存しているものだけでも12万8229点あり、およそほとんどが家庭の襲撃からスタート
する。製造後1世紀近くたってなお闇ルートで1点30万ドルは下らないのは、下劣で率直な物言いをすれば実用性に富ん
でいるからだ。襲撃などというかったるい乱痴気騒ぎは1分もしないうちに終わりを告げ、次の2分は、涙を流ししゃくりあげる
「若く美しい妻」に自己紹介をさせる。全身像を舐めまわすように、たっぷりと。全身像を映す辺りは盛り上げ方を実に心得て
いる。
 あとはもうベッドの上だ。
 ハズは悲痛に叫び或いは暴れる。男性演者は嵐のような叫び声をニヤニヤと聞き流しながら手管を尽くす。抵抗を物と
もせず何十分も何時間も攻め続けると白い肉はとうとう甘い声を跳ね上げ律動の中でくねっていく。ポルノビデオではなか
なか見れない迫真の風景は人々の負の側面を今でも強くとらえている。電脳上に何千本と流出してなお博物館から盗み出
すものが後を絶たないのは正にその証明といえるだろう。
 変わり種では「事後」の10か月を綿密に追跡取材したものもある。嬉しげに眼を細めインタビューにこたえる女性は一人
としていない。うち半数は腹部が膨らみ始めたころ発狂するか自殺するかで、通はそのあたりも──この媒体の主人公は
完走するでしょうか? しないでしょうか?──楽しみにする。
 このテの媒体を買い付けるのは大抵が外国人で、まともな米国人は発見次第すぐさま破壊する。

 さらに地域によっては「君主」率いる軍勢の「置土産」が、今でも人々の生活を壊し続けている。
 それは武装錬金で、地雷や劣化ウラン弾といった戦後なお尾を引く代物が多い。創造主は見事逃げおおせ、破壊も撤去
も不可能。地中で増殖を重ねては近づく者の足元に瞬間移動し大爆発する地雷。1km圏内に近づくだけで全身の皮がべろ
りと剥け二度と再生できなくする劣化ウラン弾。半径200km圏内における白血病の発症率は他の地域の軽く3倍を超える。
しかも新型で、白血球が脳細胞を喰いまくる。世界でも最先端を行く医療技術でさえお手上げだ。

 悪行の数々。

 「君主」は激しく恨まれていた。

 だからこそ、星超新は両親殺害の引き金を引いてしまった。



「王の大乱」以後、米国では黒人差別以来となる激しい差別感情が生まれた。

 半ホムンクルスへのそれではない。彼らは蔑視こそ受けたが陰湿な迫害を受けるほど恨まれてもいなかった。
(出生ゆえに同情的な人間が多い)

 その差別感情は、当初こそ実際の被害者たちのやり場のない怒りが出口を求めさまよっている程度のものだったが、時
を重ねるにつれ様子が変わってきた。
 徐々にだが、「君主」を直接知らない若い世代が台頭してきた。直接被害を受けていない層ほど、苦悩なく、ヘタヘタと笑い
ながら差別言語を口にするようになった。




 ロードと呼ばれる彼女は王の軍勢の中でもひときわ美しかった。
 海外でヒトラーよろしく崇拝されているのは、かのヴィクターを前に最後まで引くことなく大隊指揮をやりおおせたカリスマ性
もあるが、米国人以外の心を率直にとらえているのはやはりその人間離れした美貌だった。

 色は恐ろしく白く。眼は、紅い。



「君主」はアルビノだった。


 明確すぎる身体的特徴だからこそ一人歩きを始め、張本人の人格とかけ離れたところで偶像と化した。


 直接被害を受けた者たちは、生々しい感情をぶつけながらもどこかで不毛だと諦めていた。

 その子供たちは、「君主」たちから間接的に被害を受けていた。
 だから怒りは義憤の色が濃く、ときに差別感情を催すコトもあったが、実状を知り、打開しようとする気概の方が強かった。

 そんな彼らに育てられた世代は、愚痴の中でしか「君主」を知らず、漠然たる思いでただ悪とみなし、見下していた。
 鮮やかで分かりやすい記号ばかりが頭の中でリフレインし、まったく無関係なものへの悪感情を投影する………………
歪んでしまった心の向きにかれらはまったく気付かない。賢いと自認しながら、である。



 そういう第三世代以降ほどアルビノたちを積極的に迫害した。


 1つは医療の発展により飛躍的に伸びた平均寿命のせいだ。
 祖父の口伝から祖母の談話から、間接的に大乱を知る者があまりに多すぎた。
 電脳世界の発展も拍車をかけた。聞きかじりの知識をより詳しく調べる土壌が整いすぎていた。
 物事を知識だけで知ったつもりになる。おぞましい危険性を孕んだ行為だ。自称知識人たちはいつしか当人たちの感情を
無視したところで正義を取得し、実感の伴わない空虚な嫌悪感ばかり先行させた。


「君主」は人間のまま「王の大乱」に身を投じた。ホムンクルスではなかった、自らの怒りが正義のそれだと信じてやまぬ市
民たちは、だからこそ自分では理性的だと思いこみ、憎むべき対象からホムンクルスを外した。
 その代わり自らの意志で生まれてきた訳でもない、むしろ生まれついて苦労を抱えてしまった、本来は隣人として肩を貸し
支えていくべきアルビノたちに、あろうコトか敵意を催した。

「君主」を知る層から三世代も離れると、「慣習だからやってもいい」という風潮が広がり、迫害は加速した。
 のちにそれを知ったヌヌ行が眉をひそめたのは経歴ゆえか。
 迫害に正義はない。あるのは鬱屈を手軽に発散させんとする精神だ。驚くべきコトに半ホムンクルスはこの迫害に概ね
賛成だった。自分たちとは違う……遙かに希少で、しかし目立つ存在へ社会の悪感情の大半が向いている限り、これ以上
悪くはならない。怯えながら彼らは群衆の1人となり、彼ら同様救いを求めるデモ行進へ石を投げた。




 星超新の肌もまたミルクを流し込んだように真白だ。眼は炎のように紅い。




 仕事の都合で米国へ転勤した彼の両親は、地域社会の仮想敵が何か、まったく知らなかった。
 もし少しでも米国の歴史に興味を示していれば、何が禁忌で何がマズいか、ここ50年米国に寄り付きもしないアルビノた
ちの様子から分かったのだ。ドラッグストアの主力商品になって久しいアルビノ検査薬(妊娠検査薬よろしく尿で分かる)を用
い、中絶するか国外退去して出産するかの論議を十分に重ねるコトもできた。どちらを選んでも幸福な結末をもたらしたという
のに、彼らは無知ゆえできなかった。

 新が4歳のころ、ハイスクールの生徒が自宅に乗り込みショットガンを乱射した。
 ベビーシッターと、たまたま遊びに来ていた母の従妹が顎と額をそれぞれ打ち貫かれ即死。胸部に338発の散弾を浴びた
母親は植物状態のまま28日後に死亡。唯一飛びかかった父親は右腕を吹き飛ばされ人質に。42時間後特殊部隊が突入
してくるころにはもう出血多量で息絶えていた。「ガキを出せガキを」。新は、叫ぶ立てこもり犯をクローゼットの中から見て
いた。そのドアに蜂の巣のごとく空いた弾痕を頼りに……震えながら。幸運といえるのだろうか? 普段はしないかくれんぼ
を、この日たまたまやってきた母の従妹の勧めでやり始めたころ殺人者が乗り込んできた。そして初めて聞く銃声に悲鳴さ
え出せずただじっとしている。ピーカーブー。いまは絶対言われたくない言葉だ。

 極度の緊張のせいだろう。いつしか新は白目を剥き精神を手放し──…

 やっと突入してきた警官隊の騒擾に目を覚ましたときすでに身近な人のほとんどは息絶えていた。

 実の祖父のように良くしてくれた近所のロードベビーが、先日冤罪により錬金の戦士に刺殺された。その不当な差別はそ
もそもアルビノたちのせいで起こった。復讐したかった。あのガキ(新)は前々から気に入らなかった……人々が彼に敵愾
心をもたらしたのは、あくまで無関係なベビーシッターや従妹を撃ち殺したためであり、動機そのものや両親の殺害につい
てはどこか酷薄な許容が充満していた。それが2200年代末の米国だった。

 ウィルが歴史を好むのは、両親たちの轍を踏みたくないからだ。「歴史を知りさえすれば悲劇は避けれた」。長じるたびそん
な思いが高じた。だから日本の歴史を知ろうと努めている。異郷の地だからこそ禁忌を知らねば身が危うい。

 アルビノゆえの自衛意識ともいえる歴史への執着は、ウィルという水星の幹部に転身してから大いに役立った。



「両親はボクのせいで死んだ。ボクがブチ殺したも同然だ」



 行き場のない罪悪感に震えるかれはいつしか人とのつながりを拒むようになっていた。



 だからこそその前半生は怠惰とまるで無縁だった。

 自らが怠惰に染まるなど、星超新はまるで予期していなかった。

 勢号始(せいごう・はじめ)は、人間ではない。

 本名をライザウィン=ゼーッ! といい、本来は言霊だけの存在だ。
 彼女を構成するのはただ2つ。

「古い真空」
「光子」

 単純だが奥深い言霊だ。

 いつ誕生したかは本人にもわからない。
 気づいたときには光をも凌ぐ速度で世界を駆け巡っていた。

 彼女にとって外界とは無数の、虹色の線分が永遠に後退を続けるだけのものだった。空を飛んでいても海に潜っていて
も一瞬で通り過ぎていく……それらは常に次の光景と衝突し混じり合い、彼女の上下をすり抜けた。
 動いているという意識さえ彼女はなかった。皮肉にも速すぎるあまり自分は不動なのだと思っていた。

 先入観が崩れ始めたのは人類が電波を操り始めたころだ。最初は微弱だった通信が爆発的に膨れ上がり、あちらこちら
から無数の情報を流し始めたころようやくライザウィンは知的生命体の存在を知った。言霊であるからこそ、電波に含まれる
「意思」を直感的に理解した。

 やがて彼女は人類というものに思慕を抱くようになった。電波を介し、愛を囁き、友人を助け、楽しい娯楽を提供し、時には
人を傷つけ憎しみ合い、戦いを選ぶ。
 美しい歌声を人々に届ける通信手段さえ、ときに絶望的な宣告を囁き人々を苦しめるのだ。

 そんな二面性を持つからこそ、矛盾に富んでいるからこそ。

「なぜそうなっているか」知りたくなった。

 しかし速度は変わらない。

 原初、宇宙は無のゆらぎの中から突然誕生した。
 そしてその直後、エネルギーのより低い状態を求め、インフレーションを引き起こした。
 相転移。物質は与えられた温度により、一番エネルギーが低く、安定した状態へと移り変わる。
 水は高温ならば水蒸気(気体)で、低温ならば氷(固体)で、それぞれ安定する。

「古い真空」とは原始の宇宙とほぼ同義である。
 高温であり、非常に高いエネルギー状態を誇っていた。

 で、あるがためにインフレーションが起こり、その内部を低く安定した「新しい真空」に塗りつぶされた。
「古い真空」は、ところどころに生じた「新しい真空」の、急激な膨張により押しつぶされ──…

 結果、高いエネルギーを一挙に解放。

 それこそがビックバンである。


 ある説によれば今もなお「古い真空」は宇宙のどこかにあるという。
 いわゆる「宇宙ひも」とは新しい真空と新しい真空の隙間で、点のように存在する「古い真空」なのだ。


 他にも「光子」の言霊を持つライザウィンが、常に光以上の速度で世界を飛び回るのは、「古い真空」の持つ、莫大なエネ
ルギーあればこそだ。

 それは当人にもどうしようもない問題だった。意思とはつまり「新しい真空」の産物……成り立ちからして遥かに劣る代物だ。
高温・高エネルギーに耐えかね低い領域へ移ったものが、どうしてその根本を征服できよう。
 神に匹敵する速度や力を持ちながらただ飛び回るコトしかできないライザウィンに転機が訪れたのは──…






 西暦2208年。「王の大乱」。





 体を得た前後のコトはあまり覚えていない。唯一うすぼんやり思い出せるのは赤く燃え盛る玉座の傍。2つの影が銀の曲
線を際限なく瞬かせていた。

 それから夢のような浮遊感がして、空に居て、揺らめく森と古城を見下ろしていて……。

 気づけば焼き石を敷き詰めた薄暗い部屋にいた。そこは地下にあったのかも知れない。水滴の落ちる冷ややかな音が
遠くから響いていた。

 次の記憶は湖畔だった。ゆらゆら揺れる水面を覚えている。「顔」という概念が実感へ相転移した瞬間のはげしい感動は
終世忘れられないと思った。


 その時はまだ認識していなかったが、ライザウィンの”体”は10代前半の少女のものだった。
 衣装こそ黒いジャージというそっけなさだったが、闇より深い艶の黒髪や、尖り気味の白い耳は、銀色に輝く湖のうえに
妖精のような甘い霞を漂わせていた。しっとりと湿った緑色の前髪はやや長く、その隙間で子ギツネのような瞳が楽しそう
に笑っている。それらの上から後頭部めがけちょろりんと伸びた2本の髪は昆虫の触角のようで、歩くたびピョロピョロと
揺れた。
 背が低く、起伏に乏しい細い肢体は大乱後の荒廃した世界から、結果として彼女を守った。行く先々で出会う人たちの
ほとんどは親身になって対応してくれたし、強盗や脅迫に遭遇しても助けてもらうコトができた。


 森の中を走り抜ける無数の人影を朽木の陰から恐る恐る眺めた頃から、記憶が連続性を帯び始めた。


 自分はなぜ生まれたのだろう。

 いや、なぜ、体を得たのだろう。

「それを知りたい」、人生を費やすべき命題だとライザウィンは思い、旅を始めた。
 しかし願いは出立後8日目にしてあっけなく満たされるコトになる。


 いまだ戦火の燻る廃墟の村に足を踏み入れたとき、風に吹かれた新聞紙が細い脚にまとわりついた。

「王の大乱」収束を祝う号外だった。二流三流どころのタブロイド誌が刷ったらしく、たった1枚で完結している。
 色とりどりの毒々しい見出しはとても永久保存に耐えうるものではない。だから捨てられ飛んできたのか。

 読み終えたライザウィンはただ空を仰ぎ溜息をついた。

 新聞紙には略式ながら開戦から終戦までの流れが書かれていた。

『なぜ、大乱が起こったのか?』

 大きな瞳を左右に動かし終えてからちょっと困った顔をしたのは、首謀者たる「王」の目的と、終戦直後の状況のせいだ。



『「古い真空」「光子」。マレフィックアースの一端を担うと目される超常概念の召喚』

『素体となった頤使者(ゴーレム)はいまだ行方不明』




 これは後の調査で知ったコトだが、ライザウィンはすでに何度か人間に観測されていたらしい。

 たとえば2100年以降起きたとある大地震の震源地に存在した「謎のエネルギー」。
 墜落寸前の飛行機に突如、超エネルギーをもたらし着陸させた「奇跡の存在」。
 外宇宙に向けて送られた電波情報に、不規則な返事を送った「地球外生命体」。

 他にも無数に現れた不可思議な現象は、科学の発達ともに同一の存在であるコトが示唆されるようになり、人々は争って
正体を突き止めようとした。

「王」はあくまでその1人にすぎない。



「事情はだいたい分かったけどよー。マレフィックアースってなんだぜ?}



 新聞をぐちゃぐちゃに畳み、緑のラインの入った黒ジャージのポケットに放り込むと、ライザウィンは次なる目的めがけ歩き出した。
 もう片方のポケットに核鉄が入っているのに気づいたのはこの時だ。
 当初なにかは分からなかったが、旅の中で扱い方を知っていく。


「マレフィックアース」


 別名”超絶なる夢”。その存在が認識されるようになったきっかけは……。

 2078年、フランスの物理学者・チメジュディゲダール=カサダチが打ち出した

「核鉄武装錬金説」

 らしい。

 核鉄もまた「武器」の武装錬金であり、その創造主は敢えてホムンクルスたちとの不利な戦いを設定した……。
 突飛すぎるため数多くの失笑を買い、決して主流になれなかった学説だが、それゆえ熱烈な信奉者も生んだ。

 大乱を起こした「王」もその一人である。

 チメジュディゲダール博士は著書の中で以下のように述べている。

「WAO(世界錬金術機構)がどれほど大規模な捜索を行っても100個以上の核鉄が出てこないのは」

「核鉄の創造主が、敢えて少なく作」り、

「無尽蔵に湧き出るホムンクルスとの際限ない戦いを演出する」ためらしい。

 さらに彼は

「その戦いから生じる激しいエネルギーは」

「『近似世界競合説』に則り、より高次な存在の力を呼び寄せ、世界に繁栄をもたらしていく」

 とも述べた。



「べっくし」

 埃まみれの古い本についくしゃみをしながらライザウィンは続きを読んだ。
 歩き続けること半年。どうやらチメジュディゲダールの説が元凶らしいと分かったが、その著書は大乱のせいで焼失して
おり、なかなか見つからなかった。「王」の愛読書なのだ。市民はそれを戦火以上の激情で燃やしつくした。

 足を棒にするうちやっとたどりついたこの図書館は、学術的見地から強く中立を保っていた。

 ──たとえ最悪の破壊者たる「王」の愛読書だとしても……本は本です。

 ──外圧に屈して廃棄するようになれば、我々人間の文化は、それこそ本当の意味で崩壊します。

 若い男性司書はどこか嬉しそうに案内してくれた。
 その本は赤いハードカバーで、薄い灰色のクモの巣が裏表紙にこびりついていた。
 まだ時代に遠慮しているのか、書架の高いところへ隠れるように佇んでいた。

 それから数時間。

 ときどきやらかす無遠慮なくしゃみで他の利用客の顔を大いにしかめさせながら、ようやく8割ほど読み進めた。
 脚立の上に腰かけながらの読書はいささか行儀が悪かったが、臀部に当たる古びた鉄の固さが心地よく、ついついその
ままでいる。司書らしき中年女性が2度目の注意をしにきた。右腕だけあげ生返事をする。諦めたのだろう。溜息が聞こえた。
絨毯を遠慮がちにたたく足音が書架の向こうへ消えていく。
 そんな何気ない緩やかな時の流れがとても心地よかった。本は難しくときどきウトウトとしてしまうが、そのつど目を見開き
一生懸命読んでいる。広げた本の重み。両手にかかる確かな手ごたえも……居眠りするたび取り落としそうになってヒヤリ
とするのも……何もかも、あらゆる感覚が心地よい。

 チメジュディゲダール博士が唱えたカルトな通説は。


 核鉄の特性を「戦闘意欲の亢進ならびに顕現」と位置づけている。


「人々を戦いへ傾けがちな閾識下のエネルギー。それこそがマレフィックアース」


 さらに核鉄の創造主については

「核鉄の消滅を防ぐため、あえて精神生命体となり人々の無意識化に溶け込んだ」

 とやや無責任な書き方をしつつも

「で、あるがために、核鉄を手にするものが発奮するたび」

「そのエネルギーを吸収し、肥大していくため」

「武装錬金たる核鉄の特性をますます強め、争いを広げていく」

 と、武力解決への警鐘を鳴らしつつ締めくくっていた。

 若い司書がこの本を守ったのは上記の一文あらばこそなのだろう。



「うーーーーん」



 司書たちに礼とゴメンをいい図書館を後にすると、頭の後ろで手を組みながら唸った。


「つまりあの説じゃ、戦士とかが武装錬金発動で消耗した精神力とか体力とかって、情報生命体ともいえる核鉄の創造主
んとこ行くんだよな。で、そいつをでっかく成長させるらしいっつーけど」

 ホントかそれ? 唇を尖らせながら首をかしげる。
 見た目こそ愛らしいが中身はどうもガサツ……というのが最近出会った人たちのライザ評だが、彼女自身よく分からない。

 実際どうなのか怪しい考えだが、新エネルギーを求める山師たちはこぞって飛びついた。
 核鉄を発動し、戦うだけで蓄積されていくエネルギー。
 それは新たな時代における賢者の石だった。
 統御し、汲みだす術を得れば……目の色を変えあれこれ模索する錬金術師たちは愚かなまでに先祖がえりしていた。

「で、一説によるとどうやらオレもその、マレフィックアースとかいう奴の……」

「一端らしいぜ? どーなんだよそれ。オレそんな物騒なのかぜ?」




「王」は破壊を期待して自分を呼び寄せたらしい。
 頤使者(ゴーレム)の体はその寄り代なのだろう。
 簡単にいえば、人形。またはそれに憑依している悪霊がごとき存在だ。



「オレの体……人間と違うんだよなあ」



 外はすっかり暗くなっている。夜空を見上げると星の光がいくつも飛び込んできた。
 薄々気づいていたが「怪物である」、その事実は寂しかった。
 体がなかった頃から「人間とは怪物に冷たく残酷」と電波越しに知っているライザだから悲しかった。


 30億8917万人の命を奪った「王」。生みの親をここで憎悪できれば彼女の人生は楽になっただろう。

 けれど彼女はなんとなくだが彼の気持ちも分かった。

「ホムンクルスだって人間と同じだぜ。虐げられてるのみたら戦って、尊厳っての守りたくなるの当然だぜ」


 そもそもライザウィンは困ったコトに。


「どーーーーーーーーもオレ、戦いとか大好きなのだぜ」

「たぶん、○○戦争で数百人死にましたってニュース見てもあまり悲しまないとは思う。うん。確かだなそれ」


 じゃあ設計思想通り最悪の破壊者なのかといえばそうでもなさそうで。


「さっき案内してくれたお兄さんとか、旅の中で親切にしてくれたおばさんとかおじいさんとかが、なんかくっだらねー理由で
傷つけられたりしたらなんかガマンできね。オレが飛び出て代わりに戦ってやらなきゃ……そー思うぜきっと」


 遠くで起こる戦いは平気で看過できるのに、身近な人間は守りたい。


 矛盾した……しかし人間なら多かれ少なかれ持っている実感にライザウィンは悩んでいた。



「戦いは見たい」
「だから遠くで出る犠牲者は顧みない」
「けれど彼らと心が通った場合、守りたい」
「でも戦いは見たい」






「あああああ。わっからねー。どーすりゃいいんだコレ!」



「どーすりゃいいのだぜ! うー、オレの頭の悪さにムッキーなのだぜ!」


 歯ぎしりして地団駄踏むが埒はあかない。



 悩んでいたある日、いまや公務員と化した錬金の戦士たちに狙われているのを知った。
 記憶が動き始めた最初の風景、朽木から眺めた「森の中、何かを探す男たち」それは戦士たちだったのだ。

 追跡はずっと続いていた。


 町を歩いていたら不穏な気配を感じた。走り出す。物陰でひげ面の男が無線機相手に何か怒鳴った。
 大乱の爆撃なまなましい荒野へ移動すると山のような人だかりが四方八方から露骨に姿を現わし迫ってきた。

 そこからは爆発と怒号の繰り返しだった。

 追撃は100kmにもおよび、とうとうライザウィンは雪深い長野の山中に追い詰められた。
 木々の間を爆音が縫う。武装錬金ではない無数の爆撃ヘリが山肌を舐めている。

 もとは言霊であり、電波を通して人間の存在を知ったライザウィンだ。
 無線傍受はお手の物だった。聞けば5時間後をメドに自衛隊の特別部隊が到着し、総攻撃が始まるらしい。

 知った瞬間、ライザウィンは気難しげに眼を細めた。

(そーいうの手紙でしてくんねえかなぁ)

 電波を読めるからこそ彼女は新聞や手紙といったアナログな通信手段が大好きなのだ。
 特に手書きの物は見ていてテンションが上がる。版画で刷られた墨まみれの文章など辛抱たまらない。
 習字などはまったく究極の芸術。下手の横好きながら毎週木曜、書道教室に通うほど愛している。

 後年、ウィルは彼女をこう回想する。
 もしリバース=イングラムの弾痕文字を見ればひどく喜ぶだろう……と。

 それほど手書きに拘る反面、絵画にはほとんど興味がない。

(写真でいいだろ、ンなヒマあるなら文字書こうぜ文字)というのが理由だがそれは余談。

(手紙。手紙。お手紙ちょーだいお手紙)

 洞窟の奥に身を潜めたがどれほどもつか。

 うかうかしていると総攻撃が始まる。生きるか死ぬかだ。

「くぅー!! 戦いたいぜ!! なんかこう、尊厳守るための戦いっての燃え燃えじゃねえかよー!!」


 ひどい昂揚のなか、彼女はしかし首をぶんすか降った。


「いや待つのだぜ。オレってば錬金戦団のファン……戦ってどーすんのだぜ!! むしろこう、悪いのと戦うの見たいぜ?」

 自らのルーツを探る旅の中で、いつしか錬金戦団の戦いぶりをも知るようになったライザウィン。
 かれらには概ね好意的だった。

 ただし……。

「オレが敵になりゃあその戦いだけしか見れないけどだな、敵用意したらもっとたくさんの戦いが見れるのだぜ!」

 スクリーンの中で暴れる怪獣。それを見るような好意だった。次はどんな敵とどんな風に戦うのだろう。早く続編が見たい……。

「人々を戦いへ傾けがちな閾識下のエネルギー」……マレフィックアースから生まれたというのもあながち否めない。


(ううう。見たいぜ戦い。見たいぜソレ。でも補足されたら問答無用でオレ当事者だろ? やだなあ)

(生みやがった「王」にゃ悪いけどだな。ラスボスなりたくないのだぜ。ポップコーン喰いつつ続編待つがいいのだぜ)

 人間自体は嫌いじゃない。むしろ好きだ。戦いを選び、傷つき、仲間の死を悼み、だからこそ絆を一生懸命守ろうとする。

 そんな良さは戦いがあればあるほど生まれてくる。

 ライザウィンを成しているのは古い真空だ。安定を求め生まれた新しい真空が、いかにエネルギーに乏しいか存在か彼女
はよく知っている。

(平和ってのは新しい真空だぜ! 安定してるけど面白くないんだって。もともとあったエネルギーが時間の流れとともに、だ
んだんだんだん相転移で熱下げてって……。そしてそしてつまらんくなる。熱意のねーアホに丸投げされた続編映画のよーに)

 ある説にある「世界を眺め、優れた戦いを見るたび莫大なエネルギーをもたらす」高次の存在もまた、古い真空に近しい存在
なのではないか?

 不安定なまま加熱する状況こそライザの好みなのだ。

(必要なのは熱のある連中だぜ。そいつらの戦いなのだぜ。戦いがあればだぜ、この世界はエネルギーに満ちるのだぜ)

 戦士たちとの戦闘回避を選んだのは、勝つにしろ負けるにしろ先のなさを予感したからだ。
 母体となった「王」たちの復仇など考えもしなかった。体を作ってもらった恩義はあるが、好きでそうした彼らの総てが泉下
にいるいま義理立てしても仕方ない。



(オレはもっと戦いが起こるよういろいろ応援するぜ。戦士の人たちのカッコいいとこもっとたくさんみたいのだぜ)



 洞窟を出る。木々を抜け、2分ほど下り坂を歩くと比較的開けた場所に出た。
 登山客が捨てたのだろうか。泥と雨水にふやけた段ボールが右斜め前方1mほどの場所に落ちている。軽い腐臭にわざ
とらしく鼻をつまみつつ歩を進めると、胴体の長い節足動物や小さなヘビが「岐阜県のトマト」なる文字の下からムルムルと
滑り出しどこかへ消えた。「ぎゃあ」。白目を向く。衣服に入られていたら……恐る恐る足を振る。入ってきていない。確認
完了、歩行再開。
(コレー、元は野菜入れてたんだな。いいぜえ。段ボールの文字もいいぜえ。グフフ)などと思いつつきょろきょろしていると、
50mほど先にある木立の中で、白い柱が何本も絡みあっているのを目撃。ライト。捜索中の戦士たちだ。さらに後ろの方
でも何か気配がしたがどうも何かの記者らしい。
 一拍のち、何人かの戦士がこちらに向かって歩き始めた。暗く遠いが口に通信機を当てたのは分かった。電波。不審な
影を捕捉。確認に向かいます。通信網ごしに戦団総ての緊張感が伝わってくる。ライザウィンはもう辛抱たまらない。薄い
胸の前で両拳を固め「くぅー!!」と震えた。

 それを最初に目撃したのは一番前の若い戦士で、その顔色は昼白色の灯りが無碍になるほどの青紫へ変じた。
 
 かれが叫びを飲み干し通信機に呼びかけようとした瞬間!

 ライザウィンはジャージのポケットに手を入れた。
 出てきたのは核鉄。体を得た時からそこにある。




「武装錬金!!!!!!!!」




 初めて使ったその武器は……。




 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 そこらへんに転がっていた腐りかけの段ボールをライザウィンにした。





 彼女を追っていた戦士たちも。
 報告を受けた上層部も。
 たまたま撮影された現場写真を新聞の一面で目撃した3000万人ほどの市民たちも。



「腐りかけの段ボールを」



 ライザウィンと認め、大乱最大の事後処理終息に喜び合った。





「ま、こんなもんだろ」





 2日後。新居にて、片手上げつつ新聞を読み終えたライザウィン。その表情は満足に満ちている。

 人差し指の上で回転している核鉄は果たしていかなる変化を遂げ、いかなる効能をもたらしたのか……?





 始まりは電波。操るも電波。

 それが頤使者・ライザウィン=ゼーッ!



 星超新と知り合ったのは彼が中学3年生のころ……。

 鮮血が散った。きっかけは実に些細だが振るう拳は重かった。

 殴り飛ばした相手が机に背中を打ちつける。 乱れる席の配列。机が倒れイスが転がる。
 それらを前に歯ぎしりするのは星超新。雪のような肌がかあっと薄紅色に染っている。
 クラスメイトは、どよめいた。

「おい暴力事件発生だぞ」
「誰が……って星超くん? いつものコトじゃない」
「あいつケルト人の末裔だからな」
「うぅ。綺麗なのにめっちゃ凶悪だよぉ」

 どよめいたのは一瞬で、ほぼ半数はおしゃべりなり腕相撲なり元の作業に戻る。

「てか殴られる方が悪い」
「うん。予習の邪魔したからな」
「ちゃんと説明したじゃない。机の左上の角にタイマー置いてある時は要注意って」
「うぅ。殴られたの女子だよぉ? 転校してきたばっりの」
「カワイイ子だったのに。ひそかに星超に一目ぼれって感じだったのに」
「フラグバキバキね」
「あのコ勇気振りしぼってアプローチしたのにな」
「アハハ。返事が鉄拳。ないわー」

 囁く間にも被害者──机から床へずり落ち涙目で尻もちをついている──かわいらしい少女に星超新がにじり寄る。顔つ
きは実に剣呑だ。右手のブ厚い辞書がいかな凶行を及ぼすか想像に難くない。
 教室は惨劇寸前だがクラスメイトたちは止めようともしない。

 辞書が大きく振りかざされた。しなる近代語翻訳辞典がいよいよ女生徒の頭に向かい──…

「あーたら♪」

 からからとした柔らかい声になぜかピタリと止まった。

「アハハ。委員長きた。きたよー」
「頭悪いのに何故か字はうまい委員長の委員長だ」
「勢号始君。身長140cm未満でいつも黒ジャージの委員長さんね」

 女生徒と新の中間点から1歩ほど後ずさった場所にその少女は現れた。腰に手を当て仁王立ちだ。そこだけは緑色の
長い前髪の下で、子ギツネのような尖った瞳をキラキラ輝かせている。
 女生徒はか細い悲鳴を上げながら委員長──始を見た。どうやら止めに来てくれたらしい。尖った拳に嫌というほどヘコ
まされた鼻柱を抑えつつ眼で訴える。助けて。求めるのは自然な流れ。
 はたして始は女生徒をゆっくりと立たせた。保健室に運んでくれるのだろう。女生徒はそう安堵した。

 手際よく埃をパンパン落とした始ははたしてこう述べた。

「さ、戦うのだぜ!」

 眉をいからせつつ発信された微笑は恐ろしく邪気がなく、だから女生徒はあやうくハイと頷きかけた。
 相手の思惑や自分の置かれている状況が最初まったく分からなかった。

「え……?」

 色をなくす間にも始は新に向きなおり、「あたらあたら。もっとやれだぜ。ブチかませだぜ!!」と騒いでいる。

「ちょ、なんでですか。普通こーいうとき仲裁するもんじゃ」

 よろよろと歩みよりチクチクした袖を引く。2本の癖っ毛揺らしつつ振り返る勢号始の回答はとても残酷だ。

「なんで? 殴られるのイヤなら反撃すりゃいいじゃねーか?」
「はい?」
「ままま。いきなりブチかましやがった、あたらも悪ぃぜ。だからおめーにも反撃していい権利がある!!」

 筋は通っているが女生徒は女生徒なのだ。暴力など振るえる筈もない。

「体があんだろ? 感覚使えよ感覚!」

 それだけいうと小さな委員長は足元からイスを拾い上げ着席した。あぐらで身を乗り出す姿はどこか中年臭い。

「さあやれ両方!! 特にあたら、いまの挙動といい最近悪っぽいぜ! そろそろ倒されろ、倒されてオレを楽しませるノダ!」

「けしかけてるぞ」
「うぅ。いつものコトだよぉ」
「ケンカがあるとすぐ近くでガン見するのよ委員長」
「この前菓子喰いながら見物してたぜ。暴力団の抗争」
「なんでお前は暴力団の抗争を見る委員長を見ているんだ」
「はっはっは。事前にキャッチしたからな。見ないわけにはいかん!」
「お、向こうの方でも動きが」

 新は沈黙していたが短い叫びともに辞典を投げつけた。女生徒は身を固くしたが標的は始らしかった。

「おーーーーーーーーーい。なんでやめちまうんだよぉ〜 もっと続けろよー」

 イスががたりと揺らいだのは始が席を立ったからだ。彼女は遠ざかる新の後ろできゃいきゃい騒いでいる。両名とも既に
女生徒への興味を失くしたらしい。

「星超が白けた」
「もともと白いけどな」
「うぅ。そーいう諧謔全然面白くないよぉ」
「差別とか最悪じゃない。そーいうのアメリカだけにして」
「ごめん」
「アハハ。委員長は星超のファンだけどー、星超は委員長に弱いんだよねー!」
「なんで?」
「見物されるからよ。暴れるたびやってきて目ぇキラキラされるから」
「ゴジラ感覚で好かれてるからな。新」
「ゴジラ? 最近国内初の人工保育に成功したアレの?」
「違う。動物園用に品種改良されたちっこい恐竜じゃなくて、昭和時代のムービーの」
「うぅ。ポスターなら修学旅行でみたよぉ」
「アハハ。昭和歴史博物館? 昭和歴史博物館? 看板の市川雷蔵渋いよねえー!!」
「ゴジラもいまだにファンがいるからな。恐竜品種改良して作られるぐらい」

「とにかく毎度毎度暴れまくるって点では星超も一緒だわな」

「うぅ。普段はおとなしいのにぃ」

「机の左上の角にタイマー置いてある時は例外だ」

「あと急いでる時もな。絡んできたヤクザに『セキマ』ぶっ放してるの見たことある」

「『セキマ』はマズいでしょ『セキマ』は。星超くん何してるのよ……」

「あの」

 クラスメイトたちの歓談がやんだ。呼びかけたのは先ほどの女生徒だ。鼻血が止まらないらしく、当てたティッシュが真赤
に真赤に染まっている。

「『セキマ』ってなんですか?」
「火炎放射器だよアハハ」

 新しいティッシュとともに渡された言葉はしかしよほどショッキングだったらしく、女生徒はふらりと揺らめいた。

「本当は『ハナカ』っていう超高密度のガスボンベでね、王の大乱終了後、復興支援のため作られたのよ」
「長さ20cmほどの小さな缶1本に、一般家庭が1週間やってけるだけのガスが詰まってる」
「うぅ。でも簡単な改造ですっげ強力な火炎放射器になるんだよねぇ」
「その名が『セキマ』」
「東北地方だっけ? 女子供48人ばかり喰い殺した4m越えの暴れグマを1缶で焼き殺したの」
「村落にたった1人残った17歳の少女が苦し紛れにライターと組み合わせただけでその威力よ」
「アハハ。あんまり強力だからむかし錬金戦団にいた炎使いになぞらえた!!」
「『ハナカ』も似たような感じだよな。ガス使いの」
「とにかくハナカさ、2289年だったかなー。無許可での所持と輸出が禁止された」
「でも新に絡んだヤクザそれ持っててさ」
「うぅ。脅そと思ったんだろーだけど逆効果だよぉ」
「星超な。パッと奪ってパッと火ぃつけてた。え? 見てたなら救急車……いやいや、すぐ呼んださ」
「さすがにクラスメイトを殺人犯にしたくねーよな。乱暴だけど時々優しいし」
「相手? 黒コゲ。構えたようなポーズで硬直してた」
「ほぼ焼死体じゃねーかソレ」
「まあ、精神がやられない限りアレキサンドリア療法でなんとかなるさ」
「でもアレ体が再生するまで脳だけになるじゃない。水槽の中プカプカ浮くのよ」
「アハハ。やだなー」
「でもお陰で傷害罪軽くなったよねー。新君も正当防衛ってコトで釈放されたし」

 恐ろしい話になってきた。」

「しかし一番面白かったのは委員長だよなー」
「アハハ。お礼参りに来た連中、なにをどーやったのか別の対立組織と戦わせて結局両方全滅させたよねー!」
「正義? いや違う。委員長はただ戦いが見たいだけ」

 だからけしかけたのか。唖然としていると、

「な。前いった意味わかったろ。星超がタイマー使ってる時は要注意な」
「なんか急いでるときも」
「うぅ。とにかく時間に拘ってるときの星超君、ひどく狂暴で容赦ないよぉ」

 いろんな親切心がやってきて、だから女生徒は恋心を捨てた。

「なんでアイツあんなに狂暴なんだろーなー」
「女声なのになー」
「そそ。透明感のある可愛い声だよな」
「声変わりして欲しくないわよね。去勢してでも保持したい……」
「せんせーい! 犯罪予備軍がココにいますー!!」
「ほっとけ。一回殴られてからヘンな恋愛感情が芽生えてる」
「恋愛じゃないわよ。あの美しさだけ私は愛してるの!! 中身はむしろ要らないわ!!」
「うぅ。中身なくなったら声出せないよぉ」
「!!!!」
「アハハ。罰ゲームは笑えた!」
「そうそう。文化祭の劇のナレーションでさ、萌え声キンキンやらせたのな」
「あのテープ声優事務所に送ったら30人ぐらいスカウトマン来たぜ」
「半分は「男!?」ってビックリしてたわね」
「でも残り半分は「これはこれでアリ!!」って逆に熱意高めた」
「うぅ。そーいうコトするからボコられるんだよぉ……」
「だってなー」
「うん。みんな大なり小なり殴られてるんだし、それ位イイだろそれ位」
「そそ。屈折してるけど根はいい奴だ。イジメたくない」
「うぅ。なんだかんだで勉強とか教えてくれるんだよぉ」
「学校行事もまあ、主導はしないけど、それなりに協力するし」

「そーなったのってさ」

「そうそう。委員長が来てからだよなー」


 ライザウィン=ゼーッ! こと勢号始にとって星超新は「怖いけど面白い奴」であり、ちょっと気になる男友達でもあった。

 当時かれはクラス内で狂犬の名を欲しいままにしていた。いつも日向を避けるように歩いているかれは華奢な体つきも
相まって美しくも脆い印象だが、一度ケンカをおっぱじめたが最後相手がボロクズになるまでやめない執念深さを所持し
ている。

 彼とライザの出会いは月並みだが「絡まれているところを助けられた」である。
 血だまりと、顔が擦り潰れた不良たちと、物もいわず去っていく新。
 交友関係の始まりは何とも血腥いものだった。

 もっとも彼は好きこのんで彼女を助けたわけではない。マンガのように「その娘を放せ!」としゃしゃり出てきた訳ではない。
 絡まれていた露地裏がたまたま新お気に入りの図書館への近道だったというだけだ。
 ライザ自身、目が合いながらも平然と通り過ぎようとする彼に最初ひどく幻滅したものだ。

「助けてくれなさそうだから」ではない。

「せっかくのおいしいシチュを戦いに結び付けてくれなさそうだから」だ。

 しかし彼女の願いは意外な形で叶うコトになる。
 乱暴目的で絡んでいた不良たちが動揺し、逆上し、ケンカを売って叩き伏せられたのだ。

 手近なレンガの壁に不良たちの頭を叩きつけて回る星超新に彼女は惚れこんだ。
 そして翌日にはもう彼のクラスに転校していた。


 手続き上それは不可能に思えるが──…


 始まりは電波。操るも電波。

 それが頤使者・ライザウィン=ゼーッ!

 転校手続きなど造作もない。



 廊下。星超新は顔を引きつらせていた。教室を飛び出たはいいが特に行くあてはない。

(むしろボクは教室にこそ居たかったのに!!)

 机の上に取り残してきた参考書だのノートだの色ペンの数々だのを思い返すと今すぐにでもリターンしたい。
 それができないのは後ろでヒョコヒョコ飛ぶ無遠慮な触覚のせいだ。有史以前から台所で黒光っているのではないかと
思えるほどしぶとい脅威──王の大乱さえまんまと生き抜いた現役まっさかりの──カサカサしたアレを思わせるそれが
新の後ろで蠢いている。戻ればまた戦え戦えと騒ぐだろう。だから戻れない。戻りたいのに戻れない。
「おい勢号。さっきボクが投げた辞書、返してくれ」
「おうよー」
 話しかけられたのが嬉しいらしい。黒ジャージの少女は何の疑いもなく従ってくれた。
 ので、殴る。1789ページに38枚の付箋が張り付いた重い辞書で思いっきり殴る。
「ぎゃうあー」
 少女の体が思いっきり縮んだ。廊下にしゃがみ込み頭を押さえている。
「あたら!? おまえなんでいまオレ殴ったのだぜ!?」
「勢号キミさっき女生徒と目が合ってただろ! ボクが話しかけられる寸前の話だ!! ああなるのは分かってたのになんで
止めなかった!!」
 吹きだまる黒いタンブルウィードは尖り気味の瞳に涙を浮かべ反論した。
「だって止めたら戦いが見れないじゃねえかよぉ!!」
「まったくキミはいつもそうだ!! 火種を知りながら燃え広がるまで知らん振り!」
「だって戦い見たいのだぜ!! 世界は平和にすぎるのだぜ!!」
「答えになっていないね!! お陰でボクは貴重な学習時間を失したよ!! まったく、授業以外で最低6時間は勉強した
いのに!!」


「星超の趣味はタイムアタック」
「アハハ。ゲームの話じゃないよー?」
「制限時間内にどれだけ勉強できるか試す。そーいうのが好きなのよ」

 01:38、01:37、01:36……新の机の上で1秒また1秒と減じていく赤いタイマー(本来は台所用らしい)を見た女生徒
はなぜ殴られたか理解した。


「ボクはとにかく時間をうまく使いたい!! タイマーで区切って、その時間を徹底的かつ有効に使い倒したい!」

 それを邪魔するのは悪だ! 星超新は鋭く断言した。

「勉強するのは真実の為だ!! 出世とか老後の保身のためじゃない!! 生きる上で重要なコトを一刻も早く知りたい
だけだ!! 世界の無慈悲な流れに飲まれる前にボクはボクの基盤を確立したい!! そのために1秒1秒をちゃんと使
ってやらずしてどうする!! 時間は戻ってこない。あのとき決断しておけばこうならなかった……みたいな後悔しても遅い
んだ!! 後味の悪さが広がるだけで何も変わらない! だから今日! いま! やれる限りのコトをやりたいんだボクは!!」

 身振り手振りを交えながら話しているうち、始はのっそり立ち上がった。

「あたらー。なんでお前いつも急いでんだぜ〜?」
「理由は概ねいま述べた!! あといつも言ってるけどボクは「新(あらた)」だ!! 妙な呼び方は自重したまえ!!」
 一連の叫びには道行く生徒が何事かと目を剥いている。もっとも出所が新と知ると「なんだ」という顔で通り過ぎてもいる。
 星超新はアルビノでありしかもケルトの血を引く英国人だ。
 見た目は学校一。成績も学校一。起こした傷害事件もまた学校一。
 顔を知らぬ生徒はいない。いま通り過ぎていく者たちは「また名物男がなにかしている」程度にしか思っていない。


「あいつの時間への執着は異常だからな」
「少しでも予定を狂わそうものなら容赦はない」
「体力的には弱いのにキレるとムチャクチャするからな」
「アハハ。いざ戦いになると「どーすれば一刻も早く攻撃叩きこめるか」ってトコまず考えるからねー」
「暴れてるときの映像、知り合いの武術家さんに見てもらったけど、攻撃、20年修練したみたいにムダがないって」
「うぅ。ここまでいくと本能だよ。獣と変わらないよぉ」
「しかも瞬時にほぼ一撃必殺の攻撃考えるからなー」
「委員長来るまでのアイツはマジ怖かった。いまでも怖いけど」


 身長160cmの6年生の空手2段の不良を叩きのめしたのが小学2年生の始業式当日。とにかく手段は選ばなかった。
まずシャープペンシルを喉笛に突き立て足を刈る。その時点で不良は背後の机にしこたま頭をぶつけ意識を手放したが新
はその顔面を18回ほど全力で踏み砕いたあげく執拗に腹部を蹴り続けた。もし県内3位のボディビルダーたる体育教師
が通りかからなかったら間違いなく殺人者になっていただろう。不良は命こそ別状はなかったが、著しく座滅した肝臓の摘
出を始めとする大小さまざまの手術7回を余儀なくされた。事件以降顔面にメリハリができたのは23本のボルトのせいだ。

 大乱後雲霞のごとく生まれた新興宗教の1つ──アンチ錬金術の──に両親がどっぷり嵌っていなければもっと適切な
治療を受けられただろうに。廊下で出会うたびヒッと息のむ不良にそう思った。


「てかなんであたらはガイジンなのにあたらなのだぜ?」
 勢号始(ライザウィン=ゼーッ!)は小首を傾げた。頭2つほど小さな少女はいつも双眸をカツカツと光らせている。
「新だ。日本人としての名前だよ。米国なんかに籍は置きたくないんでね」
「ふーん」
 分かったような分からないような顔をすると、始はハッと目を見開いた。
「む!! オレの最初の質問、はぐらかしやがったな!」
「キミが矢継ぎ早に質問するのが悪い。というか覚えてたのか。頭の悪いキミにしちゃ上出来だね。感心したよ」
「むー」
 始はむくれた。上手くはいえないが彼女なりの意見はある。

 新は速さや能率に拘っている。

 だが始に言わせればそれはどこか間違っているような気がしたのだ。

 人々は永遠に憧れる。しかし勢号始──ライザウィン──にとって永遠というのは「どれほど速く動こうと不動を錯誤する」
退屈なものにすぎない。
 であるから、速度や能率への拘りもない。むしろ肉体という重しを楽しんでいる。
 武装錬金を使えば総ての事象を理解できる自信もあるが、いまは思考というアナログな手段で敢えてノロノロ遠回り中。
 『思考』。煩わしい感覚に振り回されがちなそれをするときライザは自らの肉体を実感し満たされる。そっちこっちから飛
んでくる電波のノイズにかき乱され、的外れの考えをし、また外部から是正勧告を受けながら徐々に真実へ迫っていく過程
こそ大好きなのだ。

 人はそれを煩雑と呼ぶが、人ならざるライザにとってはとても幸福で羨ましいコトなのだ。

「オレあんま頭良くないからうまくいえねーけどだぜ、人間の当たり前ってやつは実は人間が思ってるほど当たり前じゃあ
ねーんだぜ? 成立してんのが実は奇跡でさ、欲しくてもなれねーって泣いてるヤツだって実はいるのだぜ」

 古い真空という超能率的な高エネルギーを持ち、光子であるがため何者より速いからこそ彼女の世界はかつてどうしよう
もないほど平坦だった。悠久の時を生きていたはずなのにその記憶はほとんどない。
 むしろ体を獲得し、その感覚を人間なみに貶めてからの約1世紀の方がはるかに充実している。

「実力あげよーとすんのはいーけどさ、あんま速かったりうまくやりすぎちまったりするとお前、結局ひとりぼっちになるんだぜ?」
 星超新はため息をついた。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「頤使者(ゴーレム)だからこその意見にも一理アリとは思うが、ボクはボクなりに一生懸命やろうとしてるんだ。あまり邪魔しないでくれ」


 時代が変わり宥和策が広まっても悪辣なホムンクルスはいる。

 新と始の関係が一歩進んだのは初めて2人で図書館に行った日のコトだ。行ったというより始が無理やりついてきたとい
う方が正しい。印象に似ず意外に読書好きな始の姿に新はやや驚きつつも悪い気分はしなかった。凶悪な形質を隠し持つ
彼は──自分が望んだとはいえ──周囲になかなか馴染めず、恐怖されているコトに恐怖してもいた。


 だから同じ趣味を持つ人間と対等に語りあえるのは新鮮で、少し嬉しかった。


「オレも好きだぜ図書館。いいよなー本。きょうびは電子書籍の立体映像で本めくれる時代だけどだぜ? やっぱこうな、
リアルに印刷された文字っつーのを見るのがいいんだよな。うん」


 言葉にこそしなかったが、彼女の意見には同意だった。
 時間と能率に拘っているくせに本を読み、シャーペンでノートにまとめるのは、すぐに真実へたどりつけない迂遠な道のり
こそ真実だと……薄々気づいているからだ。なのに急いてしまう性分が悲しくもあり……好きだった。


 異変が起きたのは帰り道だ。新は国内有数のバイクメーカーの創業者の自叙伝を数冊わきに抱え、始は禁帯出の寄稿本
のコピーを120枚ほど薄い胸に押しつけていた。何の本かと聞くと錬金術関連だという。ますますこの少女が良くわからな
くなった時、黒い颶風が両者の間をすり抜けた。
 トナーで熨された蒸留器(アレンビック)の数々が夕陽の中で乱れ狂った。舞い散る紙の向こうには……怪物。

 戦い自体は5秒で終わった。相手はホムンクルスで、前時代な、喰いつめたばかりに若人を狙う短絡的な中年男性だった。
 勢号始はまず辺りを見回すとガックリとうな垂れた。

「戦ってくれるやついねえのかよ。あーあ」

 影の消失を見送るばかりの新の耳を轟音が叩いた。大至急首を回転させ音源を捜すと、6m先で吹き飛ぶ巨大な怪物
が目に入る。それがつい1秒前、月並な脅し文句とともにヤマタノオロチと化した中年男性と気付くのは終戦後。
 勢号始はフルスイングしていた。描けば普通の挙措だが、持っているものは異常だった。全長6mほどある野太いもので、
先端では大岩ほどある顔が苦患の絶叫を轟かせている。打たれたのはウジャウジャと首のついた山のような胴体で、最近
光速の9割に達したとかいう宇宙ロケットよろしく天空の向こうへ消え去った。
 アニメならそこで星がきらめいて終わりだっただろうが、終わらなかった。
 黒ジャージの少女は軽くそちらを見るやシャッと消える。エクスチェンジ。巨大な胴体が星超新のすぐ傍に叩きつけられ
た。土煙が舞い、鼻がザラつく。このとき破壊された遊歩道と、脇の荒れ地は、翌日どういう訳か元通りになっていた。
 仰向けに埋まる怪物はタコ足配線のゾウガメのように無様で──…
 その生白い腹部の中心部を音もなく落下地点に選んだ勢号始、投げ捨てた首ごと拳で射抜く。

 閃光。そして爆音。総ては終わった。

 彼方に吹っ飛んだヤマタノオロチに途中で追いつき元の地点へ打ち返した……そう気づいたのはフルスイング直後つま先に
力を入れる姿を思い出してからだ。そもそも戦闘開始1秒にしてすでに首をもいでいたらしい。その戦闘力に戦慄するころようや
く錬金術書のコピーたちが地面にパサパサ落ちた。

「あー。その、えーとだな。オレ、その」

 恐怖を察したのか、始はおろおろと青くなった。

「頤使者(ゴーレム)って錬金術の産物でさ、あの、ホムンクルスみたいなヤツで、ああでも、戦い見るのは好きだけど人を
直接傷つけるのは嫌いで、あたら喰われるよーな戦いはなんかイヤだったからつい思いっきり反撃しただけで、ええと、その」
「悪玉じゃない」
「お、おう」

 始は一瞬とてもうれしそうに首をブンブンふり肯定を示したが、すぐさま指を咥えて「アレ?」と言った。

「怖くねーのかだぜ? オレいちおバケモンだぜ?」
「助けて貰っておいてギャアギャア騒ぐのは趣味じゃない。そこは礼を言うよ」
「なんだよお前、そんな素直になんの初めてじゃね? おなかでも痛いのか?」
「それに──…」
「それに?」

「ボクは差別は嫌いだ。大嫌いだ」

「ホムンクルスだろーがロードベービーだろうが、頤使者(ゴーレム)だろーが」

「『ソレだから』という位で差別するような連中」

「ボクは大嫌いだ!」



 そういうコトがあってから、始はますます新に懐いた。
 学校ではいつもコガモのようについて回っている。


「な、な、頤使者(ゴーレム)のオレから見たら人間の煩わしさって実は素晴らしんだぜ。そこ楽しもーだぜ。だぜ」
(言われてもな)

 なにを伝えたいかは分かる。だが受け入れられない事情もある。

 紀元前2000年ごろ、ヨーロッパ中西部をほぼ制圧し、ローマにさえ屈伏しなかった「北方の蛮族」・ケルト。その血が新
にも流れている。
 新が時間能率にこだわるのもまた、血筋ゆえだ。長い戦いの果てケルト人はイギリス周辺の「辺境」に追いやられた。その
1つがマン島。T・T(ツールドトロフィー)なる、世界最高峰のレースが行われる場所だ。
 1900年代。突如そのヒノキ舞台に躍り上がってきた日本企業が快挙を成し遂げた。
 初出場からたった3年で1位から5位を独占。
 遠い故郷を感動で震わせた彼ら。その原動力は時間への拘りだった。ホンダソウイチロウなるその企業の社長は恐ろし
いまでに時間へ拘っていた。莫大な設備投資をすれば一刻も早く償却できるよう社員たちをせっつき、レースをすればコ
ンマ1秒でも速くなるようエンジンの回転数をあげる。時間、時間。とにかく時間を有用に! ……ホンダなる企業の「歴史」
を調べてからというもの新はその考えに取りつかれた。

 例のロードベビーと「領主」のとばっちりで両親を殺された新は紆余曲折を経て日本へきた。

 引き取ってくれた老夫婦は親戚の親戚というが詳しい血縁関係はわからない。彼らは日本人だった。米国籍を持つイギリス
人といかなる血縁関係があるか分からないが、アルビノという特異な──例の激烈な差別感情はその歴史背景上、日本に
芽生えようもないので──新は他に行き先を持たなかった。

 親戚の多くは米国住まい。彼らは第二第三のスクールボーイを恐れている。ある日アンチ領主が、バレルを短く切りつめた
レミントン片手に乗り込んできたら……誰もがそれを恐れている。
 親戚の中には公然とアルビノ差別を口に昇らせるものも沢山いた。
 祖父母などは「お前が両親が殺した」と口を揃えていう始末。

 新がやや情緒不安定になったのはその辺りの、人間不信が大きい。

 そして結局日本へと流れつく。

「他人に期待するだけムダ」。……さっさと一人で生きられるようになるべく電脳上の証券取引に手を出したのが幼稚園年
少のころ。卒園する頃にはもう1ヶ月で当時のサラリーマンの平均年収を稼げるようになっていた。

 引き取ってくれた老夫婦は実に親身になって世話をしてくれた。最初こそ信じられないという様子で親切を拒んでいた新も
彼らの抱えるとある家庭的事情に触れて以降、献身的な真心を持つようになっていた。
 老夫婦──といっても60代前半だが──には息子がいた。
 年のころは20代半ばで、無職だった。
 でっぷりと太った彼を一目見たときから新の中に凄まじい嫌悪感が芽生えた。対人的な機微をなくして久しいらしく、常に
喉の奥で不明瞭な言葉をモガモガ漏らしながらしかし大粒の唾だけは飛ばす姿は、すっぱい臭いと相まってまったく蔑(なみ)
するに十分だった。
 しかも夜になると彼の部屋で凄まじい音がする。何かが割れ誰かが喚くような──… 
「暴れている」。
 現場も見ずに確信させたのは、物音のした翌朝必ずといっていいほど老夫婦の顔についている、生々しい傷であり、青紫
の痣でもある。
 彼らはその件について何も語らなかったが……

 一種過酷な家庭環境を持ちながら血の繋がらない子供を養育する老夫婦。

 新はそうみなした。

 だからかれらの笑顔を見るたび憐憫の情が募った。胸を痛ませるのは絆への恋しさ。

 もし両親が生き返って自分に愛情を注いでくれたのなら。
 アルビノという差別されがちな体質を丸ごと認めてくれたのなら。

 心の奥をいつもシクシク痛ませている新は老夫婦がそれを補ってくれるのを望んでいた。
 言葉にこそできなかったが、引き取ってくれた恩を返しさえすれば、何かかけがえのない関係になれると信じていた。


 だからこそ彼はバーンアウトし、怠惰の幹部たるウィルへと変貌を遂げた。

 やがて何もかもは崩壊する。

 老夫婦を死に追いやったのは無職の子供だった。

 その出来事がきっかけで、新は時空改変に手を伸ばし、武藤ソウヤたちと対立する。




 この時はまだ目標に燃えていた新だが、幼少期に形成された屈折はそう簡単に払拭されない。


 勉学に励み始めたのは将来老夫婦を養育するためでもあったが、動機は恐ろしいまでの攻撃性をも孕んでいた。
 例の空手2段の不良は突然暴力を振るった挙句、計算ドリルを破いたからだ。

「普通の家庭でヌクヌクと幸せに過ごしているやつが許せない」

 端的にいえば周囲の人間など、まったく馬鹿にしか見えなかった。いかにも気楽な調子でヘラヘラと笑いあい、楽しげで、
いざ気に入らないコトがあればつまらぬ不平を仲間内で叩きあい、その実なにも変えようとはしていない。

 ただいたずらに家計を食いつぶしているであろうお荷物を切り離すべく、日夜努力している星超新。

 高校卒業までにどこか郊外の家を買わんと日夜策謀と半架空世界での金融戦闘に明けくれるその具体性を通してみれば
考えなしにきゃあきゃあ騒いでいるクラスメイトたちはまったく与するだけムダな存在だった。

(ボクは、価値のある人生を送りたい)

 低学年特有のつまらぬちょっかいやイジメを受けるたび新は彼らを叩きのめした。つど老夫婦のどちらかを学校に出頭
させてしまうのはひどく申し訳ない気分だったが、それでも勉強を邪魔されるとどうしようもない。抑えられない。カッと目の
前が白くなり気づけばもう怪我人が足元に転がっている。それを見るたび濁った爽快感が体の中を吹き抜ける。

 人間というものが本質的に信じられないのだ。時代の果てから連綿と続く争いや差別のせいで両親を奪われ、幼心に
ぬぐいがたい罪悪感を植え付けられた以上、生の人間を好きになれない。

 新の宝物は台所用のタイマーだった。お年玉で買ったそれは、二千円もしない安物だったが、テンキーがついており、
最大999時間99分まで計測できる優れモノだった。

 新の趣味はそれを使ったタイムアタックだった。ゲームをするのではない。教科書を開き、内容をノートに速記する。はた
から見れば勤勉な行為だったが実はそれこそ最大の娯楽だった。限られた時間をいかに有用に使うか。清冽なる集中力
を発揮し毎日少しずつだが自らの脳細胞を優れたものへと昇華していくその行為が大好きだった。

 自分はあの、ぶよついた肉塊にはならない。

 休み時間になるたび黒い炎をたぎらせた。
 叩きのめされた生徒というのは総てタイムアタックを邪魔した連中である。明確な悪意で妨害したのは全体の1割にも満
たない。あとはただドッジボールだのかけっこだのを誘ってくれた善意の連中で、3割ほどは女子だった。が、分野別の割
合がいかなる内実を含んでいるかなど新にはまったくどうでも良かった。

「自分の集中を乱した」

 それだけで既に許しがたい事実だった。叩きのめされたのは「いま集中してるから後で」と言われてなお引かなかった連中
である。「一度で聞け」。そう思うと頭に血が上り手が出てしまう。




「ところでおまえいつもどんな勉強してんだ? 見せてみろ」

 教室に戻ると始が横から寄ってきた。勉強継続については諦めている。
 戻ったのはもうすぐ予鈴が鳴るからで……とにかく無言で参考書をやる。

 彼女はしばらくそれを傾けたり高々と掲げたりして一生懸命読んでいたが、

「べ!! 勉強なんて社会に出たら全然役立たないんだからな!!」

 と泣き始めた。中学3年生なら誰でもわかる、平均的なレベルの本だが、彼女的には相当難しいらしい。

「なんで泣くんだよ。ハイ散って散って。勉強の邪魔」
「なぁー。そんなん家でもできるだろー。遊んでくれよー。学校か図書館でしか会えないんだぞ。ちょっとは構ってくれよー」
 始は机に顎を載せ、小さな体を揉みゆする。集中途中にされたらまず殴り飛ばすレベルの暴挙だが、既に一度中座して
いる以上あまり本気で怒る気にはなれない。
 隣の席から視線を感じた。見るとさっきの女生徒が怖々とこちらを眺めている
 何を考えているのか分かったので、新は

「さっきは悪かった」

 とだけ謝った。相手は邪魔したコトに罪悪感を覚えていたらしく、「こちらこそ」と手を振りつつ謝った。
 とりあえずティッシュを渡すとどちらからともなく笑みが零れて、わだかまりが解けた。

 以前はこれほどの余地はなかった。

 おっぱじめたが最後、相手が沈黙するまで攻撃し、後はただ恐れられるだけだった。

 始は目を輝かせながらまくし立てている。

「な、あたらあたら、つうしんぼ見るつうしんぼ。全部1だぜすごいだろ!」
「……体育もなのか?」
「うん! こーみえて運動ニガテなんだぜオレ!」

 皮肉な話だが。

 始が観戦目的でしゃしゃり出てくるようになってから、新は相手を叩きのめすコトができなくなった。

「やれ」とけしかけれると逆に冷めてしまうのだ。
 始のような頭の悪い女子のいうコトを聞くのはなんだかとても間抜けじみていて……。

 止められていくうち、段々と周囲の恐れが薄まっていき、今はそれなりに普通の学校生活を送っている。

 たとえばこんな話がある。

 文化祭の協議のときでさえ勉強をするのが新だった。
 周囲はもの言いたげだったが普段の凶行を知っているため黙認した。
 担任でさえ見て見ぬふりを決め込むなか、始だけはツッコんだ。

「どーして戦わねーんだぜ!?」
「はい?」
 クラスメイトは唖然とした。委員長だからてっきり「みんなと一緒に考えようよ」的なベタフレーズをぶっぱなすかと思って
いたがどうも論法が違った。
「いまクラスは討議の真っ最中、つまり言葉の戦いだろー。あたらお前も参加してくれよー。戦って戦って、観戦者たるオレ
を喜ばせてくれよー」
「いやもうすぐ全国模試だし。こんなコトやってるヒマないし」
「おおお!! 全国模試かっ!! つまりあたら、見えないトコで巨大な敵と戦ってんだな!! ならいい!!」
(いいのかよ!!)
 新も自分本位だが始はそれ以上に自分本位だ。委員長のくせにクラス全体のコトなどまるで考えていない。

 ただし。

「うん。1人ぼっちでコツコツ勉強している姿はなんか悲壮でカッコイイ。頑張れあたら。フレフレあたら」
(あ。星超がシャーペン落した)
(アハハ。地味に心抉られてるよー)
(参考書とかしまったわね。参加するみたいよ話し合い)
(うぅ。馬鹿にされてると思ったんだよぉ)

 なんだかんだでいつも始は自分のペースに巻きこんでしまう。その辺りが委員長たる所以なのだ。


 いつしか少しずつだが星超新はクラスに「馴染まされつつ」あった。
 能率を好む彼はそれを嫌っていたが、同時に速度に拘りつついまだアナログな筆記手段で──実のところ直接記憶を
書き換える器具などいくらでも売られているが──回りくどい勉強をしている矛盾性はクラスとの融和をよしとした。


──「お前ケルトの遠い子孫なんだよな?」
──「そうさ」
──「なぜ文字好きなんだ? オガムさえ定着しなかったのに」


 一度そう聞かれたコトがある。青銅器時代あらわれ紀元前3世紀ごろローマやギリシア、ポルトガルやスペインを除く
ヨーロッパ総てを掌握した民族──ケルト。彼らは文字を信じなかった。真実を伝える手段は”それ”でないと頑なに
……信じた。オガムという独自の文字は結局口承に勝てなかった。記憶力のみを信じたのだ。古事記は稗田阿礼の
口述をまとめたといわれているが、ケルトたちが信じたのもまた欧米の稗田阿礼なのだ。

 そんな種族の末裔が、である。書を読み字を書く……矛盾ではないか。そこに真実があると信じてもいる。

──「……したいからかな?」
──「うん?」
──「ボクという存在を歴史の中に残したい……。あるのかもね、そんな気持ち」

 むろん勉強なる、言ってしまえば自分のためだけやる行為が後世どこまで残るか分からない。仮に今日死んだとして
今まで書いたノート──それの入った段ボールが自宅の物置に13ダース積まれている──がいつまで残るか。養育
している老夫婦が「見れば辛いと」葬儀後ただちに捨てるかも知れない。彼らが後生大事に取ったとして老い先は短い。
直近の相続人ときたら無職で四六時中なまぐさい食べかすの匂いを襟元から漂わせている。どうするか分かったもの
はない。そも遺品などというのは毎日リビングでニコニコ楽しく眺められるものではない。親族にさえいつしか忘れられ
成り行きのなか朽ちていくのだ。


──「それでもなんか残したい訳だな。自分のいた痕跡って奴を」
──「まあね。ボクがいなくなった時間の流れの中に……何かを」



──「祖先が消えたのは『しなかったから』さ、それをしなかったから消えたのさ」

──「ささやかでいい。大きな事件の写真に映る群衆の1人……その程度で構わない」

──「何でもいいから歴史に痕跡を残したい」


──「ふうん」
──「ま、でもそれはできたらの話だけどね」

──「できたら?」

──「読んだり書いたりするコトは無駄じゃない。やろうとする姿勢こそ大事じゃないかな?」
──「迂遠だけど……残るんだ。心に色々。”それそのもの”に満たされるんだ」

──「満たされるなら、真実を掴めるなら、たとえ歴史に残れなくても構わない」

──「生きた。その実感と手ごたえされあれば……消えたとしても悔いはない」

──「生きるってコトはそれさ。時間を使い切るというのは…………それなんだ」

 迂遠だからこそ掴めるものもある。


 急ぎすぎて壊してきたものを取り戻す時期に彼はいて。


 頤使者(ゴーレム)で、観戦好きで、頭はあまりよろしくないが、何より大事なコトを知っているような。


 そんな始といる時間はムダだらけでも楽しかった。




 ただし蜜月の時は長く続かない。


 総ての始まりは。

 勢号始を守るべく、老夫婦の息子を叩きのめした瞬間から。

 羸砲ヌヌ行は悩んでいた。


(ウィルって人さがしはじめてから早2ヶ月。お金は何とかなってるから野宿とかせずに済んでるけど、手がかり、全っ然掴
めないヨ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! 他の人ならアルジェブラの特性でパパーっと見つかるのにどういう訳かウィ
ルさん……さん付けでいいのかな一応敵なのに…………ウィルさんのさ! ウィルさんの情報になるとジャミングかかって
るよーでまったくつかめない! 仕方ないから地道に聞きこみしてるけど、ソウヤくん、顔とか本名よく覚えてないから難航
するのなんのだよ!! うぅ。でも一番悲しいのはソウヤくんがなんだか不機嫌そうなコトだよ!! 心開かれてないという
か信頼されてないというか、そこが悲しい!! そ、そりゃあ私だってこーいうヒトだって暴露してないし、普段は「やれやれ
宿痾ほど膏肓に居るものか」とかなんとかスカした態度だけどさ!! でもやっぱ一緒に冒険してるんだよ! たまにはさ
あ、もっとこう、親しみというのを……うあ!! わーーーーーーーー!! まさか、まさかスカした態度が悪いの!? な
んだかいかにもラノベに出てきそうな「賢ぶってる上から目線な」口調! あれがダメなのかなあーーーーーーーー!!
それともウソつくから!? ウソばっかつくから?)


 武藤ソウヤもまた悩んでいた。

(ウィル探しが難航するのは分かっていた。簡単に捕まる程度のヤツならオレも羸砲の前世も苦労はしない。むしろ彼女は
よくやってくれている方だ。パピヨンパークから300年後の未来にいながら、食事や宿泊をどうにかできているのは、羸砲
のお陰だしな。彼女の両親が興した会社。いまも続くそれが資金を援助してくれるからオレは野宿せずに済んでいる。目的
はまだ達成されないがイラついても仕方ない。父さんならそう言うし母さんだって窘めてくれる。パピヨンは……鼻で笑うか。
とにかく彼女は……仲間だ。仲間だと思っている。オレはパピヨンパークで仲間の大切さを知った。父さんや母さんが教えて
くれた。だから羸砲は大事にしたい。大事にしなきゃいけないんだ。…………でも、どう接すればいいか分からないんだ。あ
のスカした態度は時々どうにかならないのかと腹立たしくもなるけれど、けどオレが気づけないコトを気づかせてくれもする。
兄や姉がいればこういう気分になるだろうなとは思う。でもいきなりその……気さくっていうのか? 打ち解けた調子で話かけ
るのは……………………正直いって照れくさいんだ。父さんたち……もちろん高校生時代のだけど、父さんたちとリラック
スして話せたのだって真・蝶・成体を斃してから未来に帰るまでのごくごくわずかな時間だ。だいたいオレは……母さん相手
にしどろもどろだった。ニガテなんだ。若い女の人と話すのは。羸砲は時々母さんみたいな態度で接してくる。少し、満ち足
りた気分になるけど…………うまく心開けるどうか自信がない。口ごもったら笑われるかもしれない。恥ずかしいっていうの
もある。けどそれ以上に……『笑われた』、それっぽっちのコトで羸砲を嫌うのが怖いんだ。彼女は仲間なんだ。これから手
を取っていっしょに戦っていくべきなのに……下らない理由で嫌うのが、……パピヨンパークで父さんや母さんと出逢ったこ
ろのように壁を作ってしまうのが怖い。オレにはああいう部分がある。パピヨンに似た『寄せ付けなさ』が。そして今のところ
関係は出逢った頃のまま。打ち解けられずにいる。きっとぶっきらぼうに見られているんだろうな……。気分を害していたら
すまないとは思う。でも……ああいう態度しかとれないんだオレは。ああいう態度だからウソをつかれるん
だろうな、仕方ない)




 繁華街をやや離れた路地裏で並んで歩く2人は悩んでいた。お互いのお互いに対する態度について悩んでいた。

(ああもう困った。困ったヨ〜〜〜〜〜〜!)
(なにかきっかけがあれば、な)

 なるべくお互いの顔を見ないまま歩いて──時は夕暮れ。聞きこみを終えて宿に帰る途中──いる彼らの後ろ、け
ばけばしい色とりどりの看板が無作為に突き出た灰色の雑居ビルの傍で黒い影がサッと蠢いたのは、2人が内心カクリと
項垂れきった頃である。

 対応は速い。

「羸砲」
「みなまで言わなくていいよ。分かってる(敵!? てかこーいうコトでしか会話できないのってどーなの!!?)」

 音もなく駆けだした彼らが向かったのは──… 




「市街地から6.73km離れたココは工業専用地域に指定されて久しい、しかしいまだ未開発の造成地だ。出てきたまえ」
「尾けてきたのは何故だ? ただの人喰い目的のホムンクルスか? それとも──…」



 危うく羸砲ヌヌ行が「どひぇー」と叫びそうになったのは視界の隅で砂利の山が砕けたからだ。ヌヌ行にとっては左手、ソウヤ
にとって真正面にあった5m超の巨大な隆起が轟音とともに爆ぜ飛び……何かが『吐かれた』。

 走ってくる気配。土煙りのため真黒な影としか見えない何かが彼らめがけ走ってくる。敵意は確定。

「(うっぎゃあああ! なんかキタ! なんかキタよぉいきなりどうしよどうしよどうしよーーーー!!)。やれやれ」

 内心では泣きじゃくりながら右へ左へジタバタ走るヌヌ行だがなかなかどうして手つきは見事。爆ぜた! と思う頃にはトリガー
を前に後ろにガゴガゴ動かしている。いつの間にやらそこにあるスマートガンが雰囲気作りの薬莢と光線を前に後ろに3セット
吐きだすころ既にソウヤは飛んでいて。

「!!!!」
「はあああああああああああああああああああああ!!!」


 影が光線をよけるべく跳躍したのと、父母の形質色濃い三叉鉾が振り下ろされたのはまったく同時だった。カウンター。
皮肉にも回避のため蓄えられた足への力は結果として影の戦闘機能減衰へ大きく貢献した。飛ばんとした”でばな”を力
任せに崩された影はうめき声ひとつあげられないまま吹き飛ばされる。二転、三転、低空飛行のフリスビーのようだと
ヌヌ行が関心するうちひときわ大きな砂利の山に叩きつけられようやく止まる。

 雲が晴れ、茜色が射した。ソウヤが軽く息を呑んだのは暮れゆく西日が漆黒の衣を剥がしたからだ。敵影が鮮やかにな
る。割れる正体、立ち上がりつつもあるそれはヌヌ行にとっても少々予想外のものだった。


「女のコ?」


 年のころはソウヤより4つ下というところか。対峙を投げかける瞳は今でこそ苦痛と怒りにくろぐろと燃えさかっているが
ひどく大きく丸っこい。
「まひろ叔母さんの眉毛の濃さがまつ毛にきたらこんなカンジ!!」ヌヌ行はそんなコトを思った。
 少女の衣装は肩の丸いワンピースで、コルセットをしているのが印象的だ。装飾はなかなかやかましい。縦長で青く澄ん
だ宝石の耳飾り、薔薇が両側に2輪ずつな白いベール、そしてヌヌ行の常識では信じがたいごとに緑色の口紅を差している。

(なにこのコかわいい!! ってわたし騙されてかけてるー!! ぶるぶるぶるぶる!! 見た目で判断するのダメだよね!!
ホムンクルスなら実はン百歳とかザラだし斗貴子さんのふるさと壊したのもそーいう人だし!!)

 緊張感のない思考とは裏腹に、ヌヌ行はどこまでも取りすました表情だ。眼鏡の奥で瞳を細めながら銃口をつきつける姿
はまるでそういう女神の彫像のように美しく、隙がない。もっとも本人は(お腹すいたよぉ。あそこのコンビニでおでん売ってる
かなあ)とかなんとか考えているのだが。

「……なぜ攻撃したか聞かせて貰おう。オレはお前にうらみはない。今のだって反撃、やむを得ずだ」

 ヌヌ行とは反対側──つまり少女を挟み打ちにするよう佇むソウヤも警戒継続中。ライトニングペイルライダー。父譲りの
大ぶりな槍の端々からシアンの光が起ち上り、それは少女がポケットに手を突っ込んだ瞬間、極太のスパークをいくつも迸
らせ──…

「なッ!!?」

 少女の方めがけ流れはじめた。

「ずいぶん……スッとろい事いってくれるわね『武藤ソウヤ』。同伴してんのは……えーと。『羸砲ヌヌ行』? あんたもあんた
ねェ〜〜〜〜〜。あんたたぶん今の地球上どころか錬金術史上5指に入る強者…………ヴィクターぐらい片手でドカンッ!!
つー感じじゃない。それが傍観? とにかく2人とも。ひとたび敵ッ! ってみなしたら速攻ブチ殺す覚悟じゃあなきゃあ死ぬ
わよ。『ウィル』……そして『ライザウィン』…………奴らは遥かに強いんだから」

 流れていくのは三叉鉾のエネルギーだけではなく……。

(生体エネルギー!! オレたちの生体エネルギーが)
(あの女のコめがけ流れていく……?)

 襲い来る虚脱感。いよいよ激しくなる呼吸の中、めいめいの武器を杖にかろうじて立つ2人は目撃する。



 少女の髪が蛍火のように淡く輝き始めるのを。肌が赤銅色に染まっていくのを。



(まさか)
(このコ──…)



「わたしの名前はブルートシックザール。この時代のヴィクターIII」


 少女はそういい微笑した。

 星超新の嫌いなものは学校行事である。遠足、体育祭、修学旅行エトセトラエトセトラ……。

「なんで嫌いなんだぜ?」

 やや尖り気味のまろやかな瞳をキラめかせながら聞いたのは勢号始。とにかく騒ぎ好きの委員長だ。

「勉強ができないからね。無理やり拘束する癖に大した成果や発展もない。時間の無駄遣いだよまったく」

 新ときたら取りつくしまもない。答える時間さえ惜しんでいるようだ。


「去年も休んだ。一昨年もね。今年も絶対でない。説得はムダだ、しないでくれ」





 ふだんは核戦争後の世界より寂れている廊下に人が溢れ、再来年の新校舎竣工とともに取り壊される築102年の──
かの「王の大乱」さえ生き抜いた由緒ただしい──シミとヒビの目立つ校舎のそこかしこに、赤銅白銀黄金の、とにかくメタ
リックな色とりどりの鎖飾りがまぶされている。

 お好み焼屋と大書された看板をこれでもかと入口に据え付ける教室がある。
 廊下側の窓いちめんを黒いビニールで覆った理科室はいま「お化け屋敷」。
 行き交う人たちには部外者も混じっているようで、普段みかけない制服が何種類も何種類も歩いている。

 鉄拳で沈めた数なら学校一、総てのテストの合計点ぐらい人を殴っているともっぱら評判の学年トップはしかしいま肩を
沈めている。途中すれ違った何人かの生徒はひどく同情的な眼差しを彼に送った。
 新はひどく暗い自嘲的な笑みをしばし浮かべ、やがてコキリと項垂れた。 
 横には看板。暗い緑のおどろおどろしい文字で「お化け屋敷」。いっそ中に入ってそのままホンモノになりたい気分だった。

「あたらー。楽しんでるかだぜー?」

 肩を叩かれた瞬間、星声新は「全然だから帰してくれ」とだけ呟いた。死にゆく人のような掠れ声だった。

「愚行は天然痘のようなもんだぜ? 一生に一度はやんなきゃならねー」
「ホーレス=ウォルポール」
「正解。イギリスの作家だぜ。楽しくないっつーのは愚行だけどだからこそやるべきだぜ」
「いつも思うけどなぜキミは格言に詳しい? 成績は悪いのに……」
「オレの元! オレの元!!」
「あー……。はいはい確か言霊だったな……」

 美少女のようだと評判の愛らしい顔を情けなく歪めながら答える新はふと気付く。
 
(そういえば勢号、いつだったか百人一首の全国大会で優勝してたな)

 詩文や俳句にも詳しい。共鳴しているのかも知れない。




 奇しくも。

 果てしない時の果て僚友となるブレイク=ハルベルドにとっては奇しくも。


 星超新に心境の変化をもたらしたのはブレイクと同じ中学3年、義務教育最後の文化祭だった。



 もっともブレイクと違い、ウィル(新)は当初乗り気ではなかった。

 そんな彼がなぜ来る羽目になったのか。説明には軽い時間遡行が必要だ。


 当日の朝。勉強道具以外ない殺風景な自室で例年の如く欠席の連絡を入れ終えた新の前に……。

 勢号始が現れた。

 ドアの開いた気配はない。たった1つの窓(ベランダに至る、成人男性ほどの高さの)も閉じたまま。
 まるで煙が流れ込むように。または急性の飛蚊症がもたらす黒い糸くずのように。
 彼女は何の前触れもなく部屋にいた。
 それは「できて当たり前の」所作であるらしく、いつもの黒ジャージ姿で触覚のような黒髪をピョロつかせながら楽しげに近
づきそして胸の中で上目づかいをした。
 甘ったるい匂いが鼻腔に広がった瞬間、新の胸はズキリと痛んだ。

「風邪かあたら?」
「あ、ああ。風邪だね。休むよ」

 突発事態、口をあんぐりと開け端末を取り落とす愕然のアルビノ、その腕を無遠慮に掴み滅茶苦茶な笑い──そう、まっ
たく滅茶苦茶としかいいようのない、勢い任せで勝手な、しかしとても溌剌とした──を浮かべながら勢号は描けた。

「風邪は治療すれば七日間続くが、もし何もしなければ一週間続く! だぜ!」
「レーモン=ドゥヴォス?」
「正解っ!! つまりどっちにしろ同じ! 学校……行っくぜええええええええええええええああああ!!」

 突進した窓が辛くも粉砕を逃れたのは自動ドアのごとくバッと開いたからだ。ゆうべ施錠した筈、疑問に開く瞳孔も何のそ
の、ベランダを飛び越えた勢いで庭の領空さえ突っ切ると彼女は通りに着地した。新は衝撃を覚悟したが特に何事もなく─
─それは絶対おかしかった。なぜなら新の部屋は2階だった。なのにまるでマシュロマロにでも降り立ったようだった。仮に
人ならざるものが降り立ったとしても衝撃は新を突き抜けるべきだった。その軽い違和感をもたらしたものこそ勢号始の武
装錬金だった──。

 やがて学校に到着。

 気づけば新は制服姿に変わっていてまたも困惑した。ハゲキリギリスと一部で揶揄されている担任に連絡を入れたときは
確かにパジャマ姿だった。生活のすべてを時間で区切る新なのだ。着替えの時間もまた同じ。いつもならまだだ。まして休む
つもりだった。着替えている道理はない。にも関わらずいつの間にか制服姿──くすんだ黄土色のブレザー──で新は大
いに困惑した。

 やがて始業のベルがなるや失笑が漏れるほどのはした金(遊べ、というコトらしい)を握らされ、活況極むる校内に1人放
り出された。もちろん合理を重んじる新だ。始がそばにいないのを幸い何度も校門に向かったがそのつど彼女が目の前に
現れ無理やり引きずり戻された。

 ある時は空から降ってきて。
 ある時は土中から湧いてきて。
 ある時は校門の陰から飛び出てきて。
 ある時は不敵な笑い声とともに粒子状の自らを結集せしめて。

 何度も何度も文化祭へ引きずり戻した。

「有刺鉄線を発明したのは修道女だそうだぜ?」
「ジェイムス=ジョイス。『ユリシーズ』」
「正解っ!! 自衛用なんだろけど下僕にそんなん作らせてる段階で神のチカラ大したコトねーって格言だぜ!」
「? あ、ああ本当に万能無敵な存在が庇護してくれるなら教会を囲む有刺鉄線などいらない……ってコトか?」
「だからいい! 戦いが生まれる! 実際どういうニュアンスかわかんねーけど!」


 そんな問答を襟首つかまれつつやるうち新はつくづく痛感した。
 相手は人外なのだと。

「王」が作りたもうた人類最悪の敵なのだと。

(もういい。帰らせてくれ。何でもするから帰してくれ……)




 巻き起こるのは果てしのない倦怠感、しかしそれは再会とともに燃焼した。


 時は合流する。冒頭へ。


「そもそもボクは休むって──…」

 休むっていった! 鋭い叫びとともに振り返った新がしかし頚椎内部の配線を断ち切られたかのごとく硬直したのは相手
の風体のせいだった。

「18ペソならある!」

 見ようによってはひどく愚かしい、しかし純朴な笑みとともに見慣れぬ通貨を数枚差し出す勢号始は端的にいえば怪獣
だった。もとより頤使者(ゴーレム)、人ならざる彼女だから変形したのかといえばそうではない。

 仮装していた。着ぐるみを纏っていた。

 全体的に丸っこい怪獣だった。二足歩行の肉食恐竜を極力デフォルメするだけでは飽き足らず、フォアグラでも作るよう
に全身でっぷり膏腴の地に仕立てあげている。彩度の高いライトグリーンを基調とし、顎から腹はこういうグッズにありがち
な純白で、ありがちだからこそひどくフンワリした印象で庇護欲をそそった。背びれは強い黄色の三角形。瞳は黒く円らで、
凶悪な新さえ殴るのが躊躇われるほど愛らしい。

(ちくしょうめ!! 実はボクはこーいうの好きだ!! 時間が! 愛らしさを結実させている!! 殴れるものかァ!!)

 のちにデッド=クラスターなる少女とそれなりに仲良くなるのは、ぬいぐるみ好きが高じてか。

 さて勢号。

「う……やっぱ18ペソじゃダメか? ゴメンな今月お金なくて……」

 怪獣の口──1本だけある八重歯が却って人畜無害な雰囲気に一役買う──の中もうしわけなさそうに呟いた。
 新は怒りが情けなく抜けていくのを感じた。いっそ着ぐるみがホンモノの怪獣なら、始が喰われていたらとと思いつつ。
 話しかける。

「というかなんだよその格好?」
「バイト〜」
「大方どこかの喫茶店か何かが拵えた着ぐるみってところか。そしてそれを好奇心の赴くまま着ていると」
「正解っ!」

 着ぐるみをやや右に傾け、水生哺乳類のヒレにも似た小さな両前脚をその両側に広げながら始は答える。よほどこの奇
矯な格好を気に入ったと見え、次はクルクルまわったりとび跳ね出した。表情は明るい。知り合って以来はじめてみる、最高
峰の笑顔だ。

「がお! がお! 喰うぞ新、喰っちまうのだぜ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」」
 容積だけなら体の3倍ほどある着ぐるみが迫ってくる。山が迫ってくるような威圧感に新は一瞬呑まれかけたがすぐさま
「なあ勢号」
「なんだあたら! がおー!!
「ウザい」
 少女の瞳を潤ませた。

「ひどくね、ひどくねあたら? なんでそんな暴言はくのだぜ?」
「人を無理やり文化祭なんかに引きずりだすからだ!」
「仮病はよくねーし登校は学生の義務だぜ!!
 あーあ引き攣った。とはたまたま近くにいたクラスメイトの評。新の白い頬は醜く波打った。こめかみのあたりに血管が
浮かび上がりそれは通りがかりの男子生徒がパクつくフランクフルトの串より太かった。
 なるほど理は始にある。だからこそ新の怒りは沸点に達した。
「これでも出席日数は足りてるんだ。そもサボるために休むんじゃない! 勉強のため……つまりは学生の本分を果たす
ためボクは休むんだ! 休みたいんだ!!」
 声も論理も鋭いが(苦しい言い訳キタ)とクラスメイトは苦笑い。引き攣る口角から右斜め後方に位置する脳髄はすでに
敗色濃厚を悟っている。仮病を否定しなかった段階で何をいおうと無駄なのだ。それぐらい成績下位のクラスメイトにさえ
わかる。いわんや学年トップに……。
 小柄な委員長も新の舌鋒のまずさに気づいたらしく一瞬にやりとしたが、すぐさま眉をしかめ彼方を見た。何かいたという
訳ではなく考えるときの”くせ”である。

 腕を揉み捩ろうとして着ぐるみの制約に妨害されるコト3度、ややあって勢号始はこう述べた。
「まじめな人々は少しばかり腐乱死体の匂いがする、だぜ」
「フランシス=ピカビア。『エクリ』」
「正解っ! 勉強勉強で熱心になんのはいいけどだぜー。コチコチの奴はなーんかつまらんぜ」
「…………それでも」
「お?」
「ボクは時間に拘るコトでしか世界との繋がりを見いだせない」
「ほう」
 勢号始が立ち止まったのは相手につられたからだ。新を見る。歩みを止め雑踏を眺めるかれは少しさびしそうだった。

「普通の人間なら……当り前のように繋がれるんだろうだけどね…………」

「まー、歴史的なアレでおとーさんとか殺されちまってるしなあ。ソレって差別のせいだから普通の人、ナマの人間とか好きに
なれねーんだもんな。ま、そりゃ分かる。うん」
 うわサラっと重い話してる。クラスメイトは軽く仰天した。ウワサ程度だが新の前歴は知っている。ただそこにあっさり切り
込んでいく委員長よ、まった人並外れているではないか。(むろん彼は勢号始が頤使者(ゴーレム)だとは知らない)。
(だいたい新が自分のコト他人に語るとかスゲーよ)
 それも始が人外ゆえの気軽さ──普通とは逆を行っているが──とはやはり知らぬクラスメイトの耳を明るい声が叩く。

「だから悪いって思ってんのか? 自分が他の人と繋がる価値が……ないって」

 勢号始は思い出す。星超新の経歴を。


 彼はかつてアメリカに住んでいた。王の大乱でアルビノに蹂躙されたその国は、戦後100年近く経ってもなお怨恨を捨て
なかった。『差別』。真の加害者とはまったく無関係な、けれど不幸にも共通項を持ってしまった存在への迫害を良しとする
バカげた感情図。

 新はそれに両親を奪われた。『アルビノを生んだから殺していい、憂さ晴らしに嬲っていい』……弱さゆえ攻撃をやめれ
ない市民の、犠牲に。

 新は答えない。ただ行き交う生徒たちをぽつねんと眺めている。

「…………見下しているのは確かだよ。なまじ頭がいいと欠点ばかり目についてしまう。いっそ自分の力で何もかも真っ平
にして、綺麗なものだけ開墾地に播けたなら……時についそう思ってしまう」
「まー、それは別にいいとおもうぜ?」
「いいのかよ!!」
 新の金切り声にクライメイトも頷いた。中学生特有のギラついた『この世界は腐っている! 浄化を!!』という八つ当たり
じみた不満の発露など否定して然るべきではないか。
「え? なにがおかしんだ? それがお前のヤリテーことならやりゃあいいじゃん。アレキサンダー大王とか曹操とかそうだった
よな? いろいろ学説あるけどよー、要するにアイツラは自分のいまいる世界が耐えられねーから戦い起こしたんだろ? で、
歴史を作った。歴史っつーのはつまりソレだろ。『いまがガマンできない』、そんな連中の得手勝手の積み重ね」
「待て。キミの粗雑な考えにボクをあてはめるな! なんかボクがひどく劣悪に思えてくる!」
「ガンジーはいい奴だけどアイツばっかじゃ世界は回らねー。たとえ粗雑だろーが劣悪だろーが『やりてーコトやる!』、そーいう
奴が世界には必要だ。でなきゃ滅ぶぜ。新しい真空に埋め尽くされちまう。ヌリぃ連中に腐らされる」
「………………」
 新は黙った。クライメイトは噴き出した。新しい真空どうこうの意味はよく分からないが……新の心情は把握できた。
 つい漏らした本音を茶化されるわけでもなく否定される訳でもなく、ただただのほほんと認められたのが屈辱なのだろう。成
績だけならはるか下にいる委員長にキチンと理解された上で励まされてもいる。だからこそ余計みじめな気分なのだ、新は。

「ああもう!! キミと話しているとボクがひどく手狭な人間に思えて仕方ないよ!! 寛容って言葉は嫌いだがいっそ受け入れた
方が楽だと思うね! まったく!!」
「まーーーー。遊びとかおぼえてゆったりすんのはいいかなーって思うぜ。うん。それならそれでいい。戦い見れねーケド」
 まったくこの2人はどうなのだろうと傍観者は思う。基本、勢号始は星超新を完全肯定なのだ。なのに、だからこそ新は自分の
欠点を丸ごと突きつけられ反省を重ねる。亭主関白の逆のようなそうでないような、とにかく始の存在が新をグイグイ引っ張って
いるのは確かだ。

「でもマジメすぎるあまりだな。ちょっと邪魔されるだけですーぐ暴れるあたらの方がだな」
「方が?」
「好きだぜ?」
(告白してらっしゃる!?)
 クラスメイトの方は逆立った。性格的にライクかと思いきや彼女はうっすら頬を染めている。確定。星超新もまた生白い
顔面にあちこちから脂汗を垂らしている。

「たまには肩の力ぬいてみたらどーだ? お前の好きなソーイチローとかいう人もけっこー遊んでるんじゃねーか」
「けど…………」
「知性は才能の白い杖だぜ。知性がなければ才能は転んじまうのだぜ」
「…………ロラン=トポール。フランスの作家」
「正解。画家でもあるらしっ! とにかくだな。知性って奴は勉強だけじゃ養えねーぜ。うん。もっと雑多なものにだな、触れて
みて、やってみなきゃダメだ」

 怪獣は吐く。白い熱線ではなく金言を。

 それはそうだが……なおも何か言いたげに口ごもる新を人の波へ押し込め怪獣はどこかに消えた。

 余談だが。

 このとき勢号始の着ていたものとそっくりな物を、後年ウィルと化した新は偶然ながら目撃する。
 デッド=クラスター。在庫買い取りを趣味とする彼女の部屋に、10分の1スケールの同型が並んでいるのを見たとき、当
時すでに怠惰に身を貶めていたウィルとしては珍しく凄まじい執心を催した。
 結果「一揃いの主張」……部屋からの欠落をひどく峻拒するデッドとの間に大爆発の応酬が起き、互いが裸になってもな
お終わらなかったのだが…………それはまだまだ先の話。



 1人文化祭に投入された新はほとほと困り果てていた。勢号始と別れた後もなお諦め悪く校外への脱出を画策したが、
窓越し、遠目に見た校門の壁の後ろから見慣れた黒い触角がピョコピョコはみ出しているのを見た瞬間、心は完全に挫け
た。

「とりあえず迷路に行くか」

 と自分のクラスが出し物をやっている第三視聴覚室へ足を向けたのは仲間の顔を見るためではない。担任教師に掛け
あい何らかの参考書と筆記用具を借り受けるためだ。

(こーなったらボクはあらがう。勢号お前の思い通りになんかならないぞ!)

 もはや反感しかなかった。途中バナナチョコの屋台に腹が鳴る。やっとの自覚。朝食さえまだではないか。こうなるともう
胃腸どもはやかましい。ふだん規則正しく生活しているぶん予想外のガス欠にはとんと弱いと見え、しきりにカロリー摂取
を促してくる。まったく音たるや! 騒音好きするバイク乗りに細工されたマフラーが大和撫子の唇に思えるほどやかまし
い。すれ違う人たちみなみな消化器系特有の空虚な爆音に一瞬目を剥きすぐさまクスクスと微笑する有様だ。新はいよい
よ唇を噛みしめる。肌は瞳孔がとろけて上塗りされたように紅い。美麗だが界隈一兇暴な少年がまるで悪ガキのように空きっ
腹を抱え歩いている。生徒達はそんな「似合わない」景色がよほど面白いらしくニマニマ見物している。

(勢号! 総て君のせいだぞ!)

 教室のあちこちはいま飲食店だ。持ち合わせはあるが行く気にならない。
 ココで食べては負けのような気がしたのだ。

(食べれば参加したコトになる! 文化祭に!)

 肩をいからせ足早に、毒々しい歓楽街を通り抜ける。

(……ふ、ふふ。どーだ勢号! おおかた空腹にすれば模擬店へ行くと踏んだのだろうがその手には乗らないぞ!)

 要するにつまらない片意地を張っていた。

(ボクは学年トップ、頭いいんだからな! 君程度の考えなんかお見通しさ!)

「無理せず食べればいいのに……」

 誰かが呟く。そばにいた何人かが緩やかに頷く。更に誰かの一言。



「アイツは頭いいけどアホだからな」



 芥子のように小さくなった新、遠目でも分かるほどヨロついている。






 ハゲキリギリスと揶揄される担任の教師は満足していた。生徒たちの出し物。多数決で決まったそれは迷路で、中学3
年生が繰り出すものとしてはいささか稚拙ではあるが、しかしそれはみな承知するところで、「もうすぐこーいうのできなく
なるし思い出作りにやろーぜ」と楽しく楽しく(義務教育への決別も込めて)作り上げた。

(イイ出来栄えだ。みんなこの思い出を胸にコレから頑張れよ)

 うるうる泣いてると肩が叩かれた。振り返る。ミイラがいた。黄ばんだ皮膚がからからにひび割れたミイラが背後にいて
何やら口を動かしている。

「ぎゃあああああああ!!」
「叫ばないでください先生。星超です」
 地平線までスッとんでいきそうな加速を込めた担任が踏みとどまったのは、確かに声が生徒のものだったからだ。まだ
声変わりを迎えていないまるでボーイッシュな少女のように澄んだ声。星超新に間違いない。
「な、なんでそんな干からびてるの!?」
「朝ご飯……朝ご飯……食べていないから…………」
「一食抜いただけでソレ!? どんだけ燃費悪いのお前!!?」
「後日払いますから職員室からなんか持ってきてください。あと……勉強道具も……」





 熱弁を振るうコト5分。目的は叶い、彼は段ボールの壁の中にいた。

 迷路といってもしょせん学生が作ったものである。遊園地にあるようなものとは違い、ただ段ボールをつなぎ合わせただけ
にすぎず、よって裏側ときたらお粗末な壁が床めがけガムテープの根を何本も伸ばしている。
 実に不格好な有様。勉強道具一式小脇に一瞬鼻白む新だが、椅子と机を見た瞬間その表情は輝いた。

(ふっふっふ。迷路作成に伴いほとんど撤去されたがしかし段ボールを支えるためあえて残されているものもある!!)

(勢号、キミのせいで建設作業に従事させられたからね。流石の記憶力を持つボクは把握してるのだよ! 構造ッ!!)

 机に元気よくノートたちを叩きつけると新はガッツポーズをし更に拳を突き上げた。

(フゥーハハハハ!! どうだ! どうだ勢号!! 学年トップらしい柔軟な対応力というか、素晴らしき知恵の使い方というか!
見ろ! 暗幕(外部との仕切り用)を軽く除けたぞ! あとは始めるばかりだ!! ははは! どうだ! どうだ勢号!!)

 様子を見ていた女子たちはただ呆れるばかり。

(文化祭なのに……べんきょ!?)
(うぅ。星超君だから仕方ないよ)
(アハハ。委員長に無理やり連れられてきたからねー)

 ヒソヒソ囁き合う彼女たちの耳を野太い怒声が叩き悲鳴が撫でた。

 振り返る。ほぼ同年代だが一目で不良と分かる連中がレジ番と殴り合っていた。
 抵抗はかなり激しい。3m先にいる女子たちが気迫に当てられ立ちすくむほどには激しい。
 やがて。

 レジ番の手から総重量12kgのレジスターがすっぽ抜け迷路の中へ突っ込んでいった。
 めりめりと何かが破ける音がした。最後に響いた物凄い「ゴツバガッ!」はどうやら何かとの衝突が奏でたらしい。

 騒ぎを聞きつけたのか何名かの野次馬がすでに騒ぎを拱手傍観していたが、その中でみるみると青ざめたのは初出の
女子3名のみである。

「ケケっ! すっとんじまったぜレジが」
「まさか下におっこちたりしてねーだろーなあー!!」
「見てこい少年」

 少年と言われた不良はニタニタ笑いながら迷路に入っていき1秒後その顔面に鉄拳を叩きこまれた。
 排出。後ろ向きにゴロリと倒れる不良の向こうから、白い影が闇を縫い現れたとき、世界の空気は一瞬凍った。

「よくもボクの勉強道具を粉砕してくれたな………………!!」

 とっさに言葉の意味を理解したのは、つい先ほど不良に蹴られたみぞおちを抑える膝立ちの担任教師である。ハゲキリ
ギリスと一部で揶揄される彼は確かにみた。新の右手。ぐしゃぐしゃに破れた問題集とノートと筆記用具の残骸を握りしめ
ている。破壊せしめたのはレジスターであろう。如何な激突が起こったかか不明だがとにかく事実は厳然としてそこにある。

 残り4人の不良はあっという間に叩き伏せられた。まずリーダー格の顔面が豪速球顔負けのレジスターの直撃を受けた
のがマズかった。司令塔をなくし算を乱して逃げだす連中が掃討されるまでさほどの時間を要さなかった。

 物語は動き出す。憤怒の炎を真紅の瞳に宿す純白の少年にリーダー格はこう言い残した。

「ふ……ふっふっふ。俺を倒して終わりだと思うな。我らの名は月吠夜(げつぼうや)百八鬼衆。トップはとある組織の幹部
よ。我らは究極の文化祭荒らし……。B部隊の反応ロストを以て貴様の存在は知れ渡った。どこにいるか常に特定される
……すぐ第二第三の私が……!」
「なんか面倒くさそうな設定きちゃったよ!」

 とりあえず当り前のように心臓付近にかかとを叩きつけ気絶させる。

 そしてしばらく激しく息をついていたがやがて額の汗をぐっと一拭き。
 爽やかに笑った。

「そうだ。図書室、図書室で勉強しよう」
「ヒドい!! みんなピンチなのにまだ勉強するの!!」
「ええいうるさい!! するったらするんだ!! 計画が一秒一秒狂ってくのイヤなんだ!

 が、周囲の非難は収まらない。いつの間にか野次馬は50人ほどに増えていて彼らは口ぐちに新が悪いような物言いを
始めた。差別とは違う、しかし本質は異ならない一般大衆の厄介さにあやうく逆上しかけたがどうにか抑える。
 提案。頭を抑え魘されるような顔で。

「あー分かった。じゃあこうしよう。まず地元の警察に通報。荒らし捕まえさせよう。到着までは運動部の屈強な連中に足止
めさせりゃいいだろ」
「えーー」
「えーーってなんだよ!! 普通に解決するプランだろ!! もういい加減ボクを解放してくれたまえよ頼むから!!」
「うぅ。そりゃ普通に解決するけどさ」
「アハハ。面白くはないよねー」
「じゃあ自分たちで考えたまえよ!! 迷路作ったよーに、お好みの、楽しい手段とやらを捻出したまえよ!!
「ならば星超君、出番だよ!!」
「はあ!?」








「文化祭に迫りくる脅威! 立ち向かうは学園最強の男!! アハハ!! 燃えシチュだよ! 楽しいよ!!!」







「あたら……文化祭楽しんでっかなー」

 屋上。柵の上で直立不動の勢号始の指先でクルリラクルリラ回るのは……核鉄。


「戦いのタネひきこみたかったけど今日は自重な自重。これでなんかあったらそれはアイツの不運って奴だぜ」


 勢号始は戦いを見たい。決してラスボスになるコトなく戦いを巻き起こし、映画館に足を運ぶような気軽さで大迫力だけ味
合いたい。





 閾識下を流れる闘争本能──錬金術師たちが新生代の賢者の石と呼ぶ巨大な奔流から勢号始は生まれた。
 本名はライザウィン=ゼーッ! 彼女は確信する。自らの武装錬金は神の所業さえ易々となせると。例の追撃をいなし
たのはほんの具体的一例にすぎない。その気になればいかなる敵でも易々と葬り去れる。

 しかし彼女にとってそれは死活問題だ。

 なぜなら……戦いが見れない。

 本気を出せば一撃でケリがつき、遊びで挑めば真剣味が薄れる。長く白熱した戦いが……見れないのだ。


(最強だけどラスボスにゃなんねー。それがオレのポリシー!)

 生まれてまもない頃はただそう考えていた。好きな錬金戦団が悪と戦う姿さえ見られるのならそれでいい。

 だがある日、”それでいい”が転換する。ライザの生態活動における重要案件に昇格する。

「鋭角23度に穀物を合わせろ!」「3番小隊中破! 目標の速度……弱まりません!」「クソッタレ! 右腕が吹き飛びや
がった! 忌々しいがあの命知らずを援護しろ!」「女だから……なんだって?」「ゲヒャ! ゲヒャ! これが武装錬金かァ〜
いいなァ〜。いいなァ〜このチカラ……」「ヒカァァァァァァァァァァァァァァァ!」「おい相棒、コンビニ使ってるぞアイツ」「分かった
から仕舞え! 街では使うな!」「要は何にふれても燃えますなァ。水、空気、有機物……。ちなみに蒸気も有毒どす」「そう
だ。ヒビだ。お前の説明じゃ絶対つかない筈の」「対象を箱状に展開。『特典』を壊されない限り防壁は何度でも蘇る!!」
「『扇動者』だッ! 『扇動者』がいたぞおおおおおおおお!」「臓物をブチ撒けろ!!」「最大出力! サンライトクラッシャー!」
「コレが人類に残されたただ1つの……核鉄!」「レークスウィータ!」

 電波が、無数の声を運んできた。統一性はない。しわがれた老翁の声もあれば幼い少女の無邪気な叫びもある。一個師
団が体内で不規則発言を行っているようだった。声がするたび胸の中で音圧がはじけ上体がビクリビクリと仰け反った。激
痛じたいも耐えがったかがそれ以上にライザは自分の体を蝕む未知の発作にただ脅えた。

 元来彼女は「言霊」である。肉体を得たのは奇跡……。その奇跡の象徴が訳も分からぬ内に壊されようとしている。
 ライザは緑の前髪の奥でただ絶望的な眼差しをしたまま嵐の過ぎるのを待った。



「一体なんなんだよ…………アレは」




 戸惑ったとき一人の男と出逢う。声の中にいる……ひときわ大きいものに。



「何かだって? 簡単さ。アレは武装錬金を使った者たちの『声』」

 一瞬幻聴かと思った。しかし声は続く。確かに裡へ響いていく。

「闘争本能のカタマリともいえるねえ。チメジュディゲダールの核鉄武装錬金説は知ってるだろ? 実は核鉄も武器で創造者
がどこかにいるってアレさ」

 ライザは一瞬息を詰め瞳を左右に泳がせた。

 答えようと思ったのはつまるところ好奇心だ。自分が見舞われている『感覚』が何なのか。幻聴? リアル? 追及する。

「…………それなら知ってる。武装錬金発動に伴うコスト……消費された体力や精神力や創造者に還元されるんだろ?
仮説じゃ”マレフィックアース”っつー精神エネルギー体になっちまった創造者。還元されてく方のエネルギーは要するに
血みたいなもんだ。マレフィックアースという生物の血管を流れる……『血』」
「ふ。御名答だよ。『ぼくと戦ったときから何代あとかは知らないが』、名を継いだ以上かれもそれなりの錬金術師。なかな
か深いところをついてる説だよねえ」

 更にライザは2、3質問したが声は確かに返ってくる。幻聴ではない。確信とともに会話をまとめる。

「つまり核鉄の創造者……マレフィックアースと目される精神エネルギー体。それに還元されていくのが」
「そうさ。君を苛んだ声の正体。ふ。ぼくとしてはあのまま内部から壊されてくれたら嬉しかったけどね」
「…………で、オレもマレフィックアースの一端だから」
「流れ込んできたのさ。ぼくのトモダチ・ヴィクターのエナジードレインと原理は同じさ」

 つまり──…

「戦いの記憶とか鬨の声とか、闘争本能のカタマリが

「オレの…………主食」



 ヴィクターは他の生物から直接生体エネルギーを吸収したが、ライザは循環の果て、武装錬金のコストを吸う。

 発動条件はどちらも同じ。空腹時だ。本体のエネルギーが著しく低下した時それは起こり……止められない。

「キミが『古い真空』を内包してるのは知ってるよ。感覚的に分かるだろ? 肉体に留めるだけでも莫大なエネル
ギーが消費されてる」
「まーそうだけど。ところでお前誰だ?」

 声は一瞬黙りこんだがすぐさま答え始める。笑いを孕んだ不安定な声質で。


「ぼくの名前はメルスティーン=ブレイド。すでに死人だが思念だけはココにいる。循環の中、溶け合うコトなく」
「……『盟主』。3世紀近くまえ大規模な共同体を作り戦団と戦った」
「ふ。お見知りおきいたみいる」


 以降、ライザは話し相手を得た。










 武装錬金発動で消し飛ぶ体力や精神力が巡り巡ってライザに戻るというなら……。


(アレ? オレが武装錬金発動すりゃ永久機関じゃね?)


 だが違う。浅はかな少女らしい着想はあっという間に消し飛ぶ。

(あームリだ。ムリだわ。1000円ほしいからって自分の口座めがけ振り込むよーなもんだわ)

 プラマイゼロ。或いは手数料分損をする。

 神に匹敵する、かつて自負した自らの武装錬金でさえその点はいかんともし難い。強烈であるがゆえに莫大なエネルギー
を消費する。体を維持するため武装錬金を使うのは、

「ふ。発電機動かすために発電機動かす……そっちの方が正しいかもね」

 却ってコストがかかる。神が自らの天命を決められないような皮肉……なれば人の身でと努力を重ねたがやはり無理。

(食事程度じゃむりだ。原子力発電所が100コ単位で要る)

 もっともエネルギーが欠乏しても死ぬコトはない。前述のとおり、空になれば自動的に補給される。

 人々の閾識下を流れる闘争本能の圧倒的エネルギー!

 それらが体に流れ込んでくるとき、ライザの精神はうっとりと蕩け、ひどく好戦的になる。
 無数の武装錬金の創造者の「戦意」に当てられているのだ。

 一方、重なり合う囁きはライザの感覚をひどく苛んだ。

 声が、無限にあるのだ。それが体の中をぐわんぐわんと駆け抜ける。それはスラング的な意味での「電波」だった。全チャ
ンネルを同時に受信した高性能ラジオより意味をなさない言葉の奔流を、言霊ゆえに無抵抗に受け止めてしまうライザ。



「ふ。凄まじい苦痛だねえ。不安に戦いているのが分かるよ。怖いんだろ? 自分が自分でなくなってしまうようで……」



 生態から見れば「食事」というべき現象をライザは敢えて「発作」と呼んだ。
 いっそ戦意に当てられたまま暴れ狂う方が楽だっただろう。
 けれど確かに身が満たされる充足感。言霊に言霊が付け足され、餓(かつ)えが戦意で潤される幽かな手ごたえ、そんな
甘く切ない刺激が苦痛のすぐ傍でチカチカ瞬く感覚はまったくもって異様。
 官能的でさえあった。
 自分ではどうにもできない衝撃に上半身を揺すられ続ける時、少しでも苦痛を和らげようと座りこみ、後ろに手をついたま
ま顎を上げ、細いのどくびも露に悲鳴を上げ続ける時……ほんとうに一瞬だが艶のある声を上げてしまう。そんな自分を
ライザはひどく恥じていた。声の意味するところはまったく分からなかったが、苦痛の波のなか、刹那の間、まったく未知の
『感覚』が全身を貫くとき、媚さえ帯びた声が唇の端から転げ落ち勢号始を狼狽させる。

 そういう時……厳密にはその直後に限って戦いをやると恐ろしく気持ちが良い。


 自らを構成する「武装錬金の創造者たち」の闘争本能が常に狂おしいまでに”掻き立てる”


 どう見ても格下の……人に害なすのが明らかなホムンクルスに、普段は見せない残虐性を徹底的に叩きつけると、生暖
かい疼痛が言霊を怪しく刺激するのだ。たまらない。酩酊したように双眸が満足げにトロトロし頬も染まる。

 鼻にかかった”いやらしい”声も漏れる……。

 細い手に絡みついた相手の金属質な内臓や体液を口に運ぶと、背筋がゾクゾクと震えた。



「また後悔してるようだね? ふ。いっておくが君に流れ込む僕たちは何ら決定権を持たないよ」


「唆しちゃいるが最後に決めているのはライザウィン……君さ。君に他ならない」



 いずれ人間でもやってしまうかも知れない。

 素面に戻るたび、ライザは怯えた。

 ホムンクルスでいえばそれは「人喰いの衝動」に近かった。生きる以上、生態的に「せざるを得ない」禁忌の行為。

 にも関わらず気づけば発作を待っている自分がそこにいる!!

 直後行う戦いの甘やかさも去るコトながら、発作の渦中まれに訪れるあの感覚。
 自らの知悉を遥かに超えた「あの感覚」。いかなる類のものかまるで分からないのに本能はどこかで……。



「待ち望んでいるんだろ? いいじゃないか。受け入れたまえよ。感覚があるんだ、快美に揺らめくのも仕方ない

(ち、違うんだぜ……。オレはただアレの正体を知りたいだけで……)

 探究のために待ちわびていると言い聞かせているのに、いざ見舞われると露もなく声を上げ何も分からず終わってしまう。
ある時は半開きの口から涎を垂らした。ある時は涙を流し続けた。感覚に融和する自分がいよいよおぞましい概念になり
つつあると分かっているのに……待ちわびる。最初は1回に1度あるかないかだった強烈さは、意識や肉体の変化とともに
出現頻度を高めていき、いまは1回に20を下回らない。


「いやいや。昨日はなかなかスゴかったねえ。扇情的というか貞操の破壊というか。ふ。眼福眼福」
「あーーーーーーーーもう!! メルスティーンおまえウザすぎだぜ! なんでいつもオレにグダグダぬかすんだよ!」
「ふ。寂しいんでね。なまじ我執を持ったまま死んだから、『他』になじめず困っている。他の闘争本能は今や君曰くの『血』
としてマレフィックアースを流れているが…………ぼくだけは別なのさ。例えばついうっかり刺さったガラス片のように……
別モノとして循環している」
「……部下どもはどーなんだよ。我執の強さだけならお前並みだろ」
「ふ。最初はいたよ。だがぼく並というのは違うねえ。みんなココでは脆かった。閾識下のさだめ、消耗される運命からは結局
逃れられなかった。『血』だからね。誰かが武装錬金を発動するたび破れた血管から外へ行き……消えていった。グレイズィ
ングもディプレスも…………みんなね」
「だからっていちいちオレに話しかけんな!!」
「つれないねえ。ぼくの声が分かるのはもはや世界で君1人だけだよ? 古い真空にして電波を操る君でなければアース
に潜みし声は分からない。同じ立場になれば分かる。話しかけられる者が1人だけとなれば……つい声を、ね」
「ああもう黙ってくれ。教科書で知ってるんだからな!」
「ふ」
「お前は生来の破壊者!! オレに話しかけるっつーのは『唆す』っつーコトだろ!!」
「もちろんじゃないか。破壊をそそのかすよ。生きてるときからそうだったからね」


「いくら綺麗事を並べても君は頤使者(ゴーレム)」

「それも人類にとって最悪の破壊者たる『王ども』が作り上げた怪物」


「予言するよ。いつか生みの親より大きな戦いを引き起こす。いくら人間が好きだとしても、ね」


「絶対に斃されるラスボスか……ムーンフェイスのように延々と斃されない黒幕気質か」


「そこは分からないが、いつか戦いを引き起こす」


「闘争本能から生まれた以上それは確実。逃れられない運命って奴さ」








 観戦者たらんとするのは発作を抑えるためである。
 錬金戦団に追われていたころこそ、軽い気持ちで傍観者を選んでいたが、意識や肉体ともに事情が変わった。

(オレはやっぱ……戦い見る側じゃなきゃダメだぜ)

 神作と名高いアクション映画を5本、夜も寝ないで見終わったとき、つくづくそう思った。
 見たのはもうそろそろ発作の出そうな日だったからだ。


 明日にでも発狂しとうとう人類全部にケンカを吹っ掛けるのではないか?


 胸の奥を満たす期待と不安とおぞましい予感から逃げるように……見たのだ。





 効果はてきめんだった。嫌な疼きが心から抜けた。純粋な観客としての興奮がエネルギーを生んだらしく、しばらく発作は
起きなかった。

 体を維持するためのエネルギー。かつて原子力発電所が100コ単位でいると自認した筈のそれが、ただ映画を見るだけで
補われる。矛盾といわずして何といおうか。しかしライザは。

「めっっっっっっっっっちゃくっちゃ感動してんだぜオレ!! 正しいのと悪いのが威信をかけてバシバシバシバシ綺麗に殴り
あってんの見ると途轍もねーエネルギーが胸のど真ん中からきゅうって湧いてくんだぜ!」

 ライザの感奮は効率を超えた次元にあるらしい。

「だいたいむかしだぜ、戦部ってのいただろ? ホムンクルス喰って昂ぶるだけで全身自動修復のエネルギー補ってた奴。
武装錬金介してだけどだ、テンションを肉に練成してた。ならオレの体に古い真空支えさせんのも可能だぜ!」

 そう思い観戦者たらんとしたライザだがすぐ誤算に気付く。

 耐性ができるのだ。どんな素晴らしい映画でも何度か見るうち感奮が薄れる。大好きで、昂ぶっているのに以前ほどの
エネルギーが湧いてこない。



「創作物じゃあ足りないよ。ぼくがそうだった。さてライザウィン、次はどうする」



 懊悩するライザに道を示したのは…………。





 ある剣客。



 血を鎮めるため筆を執ったという……ある剣客。









「君はよほど何かに悩んでいるようだね」
「ふぇ?」

 幼い顔を墨まみれにする始に顎をしゃくったのは書道教室の先生である。

 その部屋……50畳ほどある座敷は細長い半紙で埋め尽くされていた。般若心経のみならず聖書や何事かの格言が大書
されている。

 下手の横好きで始めた書道。反復はいつしか上達をもたらし今や5段の始は……しばしボゥっとした瞳で師匠を見ていたが、
やがて跳ね起きたように居住まいを正した。そのつま先が、品評会で金賞を取れそうな「新疆」を破く。

「わっ。暗いと思ったらもう5時かよ」
「朝のね」
「朝ぁ!? うわ、丸一日かよ!!」
 胸まで垂れる白いハチの字ヒゲを撫でつつふぉふぉと笑う先生。始との出会いはまだヒゲがチョビで黒かった頃。
ずっと少女のままな彼女に一時期首をひねりもしたが、ホムンクルスが認知されて久しい世の中、特に素性を聞くコトなく
現在に至る。

「朝のって……。あーもう。集中するとこうだぜ。時計意識しときゃよかった」
「いつものコトですから構いません。けどジャージで四つん這いになって書くのお行儀悪いですよね?」
「そっちのが気合入るんだよオレ」

 文字を書く。言霊にとってコレ以上の本懐はあろうか。焦がれてやまなかった感覚もまたみるみると心を癒す。




 長命の宿命。書道の先生はライザより先に世を去った。



「シャーペンとノート? なにしろっていうんだぜ?」
「歴史上最悪と思う人物を3人、徹底的に調べてみなさい」
「???」
「君は邪心を抱えているようだね。写経も悪くはないよ。でも……たまには思考の向きを変えてみなさい」


 不可思議な指令だがこなした瞬間彼女は気づく。

 純然たる悪はいない。みな選択次第では人を利しえた。歴史に……貢献している。



「メルスティーン!!!!」
「なんだい?」
「あれから毒物や武器、放射能について調べたぜ」
「ほう。それが何か?」
「人間ってのは物騒なもんと上手く付き合ってきた生き物じゃねーか! 『感覚に照らし』、害悪を知りそれを恐れた! だ
から知恵しぼって一生懸命考えて、正しく使えるようにしてきた!」
「ふ。否定はしないよ」」
「そーやって紡がれてきたモンをだ、オレが自分のためだけに悪い使い方すんのは……卑怯だ。強いと自負してる奴のす
るこっちゃねえ!」
「つまりあれかな? 自戒かい? いろんな存在を唆し戦乱を起こし、それを見たいが…………ヒトの歴史を胸におき、
悪用を防ぐ」
「そうだぜ!!」
「ふ。いい考えだとは思うけど……存在には存在の原則がある。君のいってるのは人間のそれだ。頤使者は言葉通りだ。
使われるままだし言霊の範疇も脱さない。君の決意はつまり蛮勇さ。無数の枝分かれの先にポツリとある一枚の葉が大木
のごとく振る舞おうとする蛮勇。もちろん、君なら可能かな。否定しない、押し通せばいい。けど忘れちゃいけないよ。葉が幹
と枝を凌ぐほど肥大化した大木はいつか折れる。根ざしたとしても枯れる。大本から養分を奪うからね。人間という無限の
中にあるたかだか1つか2つの概念が器すべて満たすほど膨れ上がれば必ず何かが壊される」
「お前は破壊を望んでるじゃあねーのかよ?」


「望んでるさ。とても見たいね。ただ……ぼくは君の一種揺らがないところが好きだから言ってあげるよ」


「世界は、君がまだ一介の破壊者、すぐ斃されるラスボスである方がまだ安定する」


「ヘタに倫理をふりかざし、そのくせ戦いだけは見たがる『こすっからし』……最悪だねえ」


「戦火は却って広がるよ。ムーンフェイスのごとき『決着しない存在』である以上」


「何をいおうが、君は正義の側にはいけない。水と油さ。常にボタンを掛け違えたシャツのように」


「人間とは一致しない。紙一重で『何かが違う』。それが君さ」






 ライザは勝てない戦いが大好きだ。遊びを覚えた。机上盤上で繰り広げられる戦いは、人を傷つけずに興奮できる。

 精神が宥和される。メルスティーンの言葉がちくちく刺さる胸が安らぐ。


「人間とは一致しない。紙一重で『何かが違う』。それが君さ」


(オレはやっぱり……人間とは違うのかだぜ?)


 ライザは人間が好きだ。感覚ゆえに振り回され失敗を繰り返し、それでも真理に行き着ける彼らが。

 人間の命は短い。ライザの時間の中では本当にただ一瞬だ。なのに迷いを帯びながら到達すべきところには到達できる
…………刹那のなか矍鑠と動きまわる眩さが、本当に本当に大好きだ。



 だからこそ心血を振り絞る彼らの戦いが見たくて仕方ない。


 自分の持つあらゆる叡智と策謀、神にも匹敵する武装錬金を行使し、戦場を整え、あくまで傍観者として『弱さと短さゆえ
決死を尽くす』戦士たちの戦いを…………見たい。


 なのにそう思うたび自らが人外であるコトをつきつけられる。


 自分は人ではない。

 人に害成す理想を心に抱いている。



 正体不明の罪悪感、正体を知られるコトへの恐れを抱いたまま、生きて、生きて、生き続けるうち──…


 星超新と出会う。




 視線のはるか先、銀成市に続くという山を見る。蒼黒い影とさわやかな空の稜線がどこにあるか目を凝らすのがライザ
はとても好きだ。注意しなければ分からない。ほとんどの人間が漠然と見逃しているであろう景色を視覚という感覚で受け
止める。活用、という言葉はこのためにある……つねづねそういっている彼女だが、いまはちょっぴりムダづかい。
 思考が進むうち稜線が赤と白の輪郭に塗りつぶされていく。雪のような肌。ウサギよりも真紅な瞳。いつも見ている顔な
のに心はひどく、さざめいた。


(差別はしない、か。正体知ったとき、そーいってくれたの…………本当うれしかったぜ)

 彼には大いなる悩みがある。だから時間に執着する。

 時に暴力に縋り勝ちを収めながらも……そのカオはいつもどこか苦しげで、満たされなくて。


(ああ。そうか。アイツ──…)


(オレに似てんだ)


 最初はただ凄まじい暴れっぷり目当てでついていた。

 なのに最近は意識が変わっている。


(文化祭で遊ぶよういったのはヘンかなあ。ふだんはなんか戦いけしかけるだけなのに…………)

 彼を満たせば自分も救われるんじゃないのか。時々発作のように襲い来る闘争本能に苦しみながら思い始めていた。


(今度……映画にでも誘ってみるか? バケモンがんがん撃ち殺されるアクションさ、一緒に見たり…………)

 カフェでお茶したり服を選んだり、文房具を買いに行ったり。


 戦いとはまったく無縁のコトを考えていると胸が熱くなってきた。当てる。人造の体に心臓があるかどうかよく分からない
が高なっている気がした。

 心の揺らぎ。闘争本能に危うく身を任せかけているときの情熱的で甘ったるい衝動。

 それに似た懐かしい慕情。考えて思い当たる。電波を浴びた原初の自分。

 言霊を受け変わり始めた自分。今度は自分が発信元になりたい、なって世界を良くしたい。変えたい。


 そう思い、自分なりに気の利いた言葉を投げたときどうなるか想像する。


(どんな反応するんだろ。白けられたらさ、「馬鹿なコトしたー」って恥ずかしかったりするのかな)

 でももし笑顔が返ってきたきたら…………胸がぎゅぅっと締め付けられる感触は苦しいけど悪くはなかった。

 それを味合うとき、無限にも等しい闘争本能は湯を浴びた雪のようにどこかへ溶けて消えていく。

 心が、軽くなる。
 


 草の匂い。風の音。虫の囁き。横切るエアカーの静穏なる駆動音。

 ようやく手に入れた肉体から立ち上る無数無限の感覚はとてもとても心地良い。それを通じ感ずる世界も、また。


 



 自称一番の星超新ファンたる勢号始は「だからこそ」、彼との戦いを選ばない。純情なアイドルファンがアイドルに殴られ
たくないという可愛らしい心理とはまったく違う。彼女はただ星超新の戦い振りを見て楽しみたいだけなのだ。

 或いは、普通の会話。普遍的な男女交際だけを望んでいる。

「怪獣相手にラスボスなんのは願い下げだぜ? そーいう映画だけが見てーぜ。ただただ見てぇー!!」

「あたら! あたら! ホットドッグ食べながらイオンクラスターの清浄な空気吸いたいぜ!」

 もし映画ファンが怪獣の相手として「映画の撮影」に招聘されるのなら喜び勇んで出かけるだろう。しかし実際にその怪獣
と戦えと言われたらどうか? 多くの人間は尻込みするだろう。しかし勢号始は。

「いや別にオレ、勝てるし」

 粉々に砕いたターゲットの横でケロリとそう述べる。

「そ。勝てるんだよオレって。ヴィクターでもバスターバロンでもレティクルエレメンツでも「王」たちでも……」

 絶対に勝てる。いつだったか新に彼女はそう述べた。大言壮語ではない。じっさい直後、彼女は──…


 レティクルエレメンツ全員を再生召喚し、8秒で殺してのけた。


(ラスイチ……メルスティーン殺すまで7秒ほど怒ってたけど何でだ?)


 視点は移る。


(とにかく勢号は戦いを見たいだけだ。だからボクをけしかける。くそ。そーいえばアイツに逢ってから街で絡まれるコトが
妙に増えた。その後アイツがひょっこり出てくるコトも。絶対何かしてる。絶対何か)

 星超新は考える。40人目だか41人目だかの文化祭あらしの屍(※死んでない)を見下ろしながら。

 新自身は好きで戦っている訳ではない。むしろ発作のようなものだ。歴史の流れが織りなす不可思議な作用の結果、時間
という要素において妨害をうけたときどうしようもなくなくなり、結果手を出してしまう。それだけだ。暴力が良くない手段だと
薄々は気づいているが気づけばそれに訴えている自分がいて時々ひどい嫌悪に捉われてしまう。
 それでも歴史を知らない人間は嫌いだった。星超新という人間の歴史を知らず無神経なちょっかいを出してくる人間は
常に嫌悪の対象である。反面、彼らの歴史を知ろうとしていない自分はどうかとも思っている。「無神経なちょっかい」とし
か思えない行為。それが実は歴史に裏打ちされた確固たる正当性を有しているとすれば自分を彼らは許し、ともすれば
激昂しなくて済むかもしれない。

 と考えている間にも20人ばかりの文化祭あらしに囲まれた。それだけでもう思考が吹き飛ぶ。凄まじい怒声を喉奥から
絞りだしいつものごとく暴れてしまう。叩き折られた木製バットが宙を飛び、紅い飛沫が廊下に注ぐ。


 両親の件以来、歴史に拘泥する新ならではの考えだがしかし現状他人の歴史を知る術はない。まさか自分の歴史を道行
く人に説いて回るわけにもいかない。現状打開策は見つからない。


(そんな悩みを抱えているボクを!!)

 始は面白がっているような気がして腹立たしい。もっともそれは一瞬の感情だ。始に関してはそれこそ「歴史」を知っている。

 彼女は「王」に作られた。かの大乱はつまるところ勢号始ひとりを作るためだけに引き起こされたものだ。
 元は光子と古い真空の言霊であり、頤使者(ゴーレム)であり、マレフィックアースという超エネルギー体の一端であり……
成り立ちからいえばそれこそ彼女好みの怪獣以上、人類最悪の敵だ。
 一方で人を愛し人ならざる体を気にしてもいる。そのくせその体のもたらす「感覚」だけはお気に入りで、はたから見れば
愚かしいコトへいつも一生懸命没頭している。意外に読書好きでいつからか格言を引用するようになったのは周囲の抱く
イメージとはまったくそぐわないが、そういう裡に潜んだおとなしい、温和な性格は…………。


(嫌いじゃない? クソ! なに考えてるんだボクは!!)



 文化祭あらし最後の1人を殴り飛ばしたとき星超新は歯噛みする。



「勢号のバッキャロおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」



 ああ青春だ。夕暮れの校庭で1人叫ぶアルビノを見ながら生徒の1人が呟いた。



「ちなみに今年からあと2日あるぜ。文化祭」
「うぅ。可哀想な星超くん」

 なぜ武藤カズキに埋め込まれていた黒い核鉄がその女の中にあるのか? この俺が特別に説明してやろう。感謝して
敬えよソウヤ。

 ま、少し考えれば分かる話だがな。なぜなら奴はこの俺との決戦直前、白い核鉄によって目出度く再人間化を果たした。
人間に戻った以上200年と保たずくたばるのは当然。貴様も知ってのとおりいまは西暦2305年。往事から生きているの
は俺を除けばヴィクトリアとヴィクターぐらいなものだ。他はもういない。あのブチ撒け女もキャプテンブラボーとかいうフザ
けた男も早坂姉弟も戦士連中もみな総てくたばった。もちろんソウヤ、貴様もな。

 では武藤カズキが死んだあと黒い核鉄はどうなったか? 結果からいえば白い核鉄ともども貴様ら武藤家の家宝になった。
 因縁浅からぬ代物だからな。形見、という訳だ。
 肉体と融合するといえどその効果は……再人間化を見ても分かるように抑えられて久しい。火葬されれば残るのは必然。
ま、保管を巡って政府やら何やらとずいぶん揉めたようだが、さんざ地球を守ってきた功績もある。特例として認められ以
来しばらく代々の『武藤』が保管してきた…………。

 もっともブルートシックザール……貴様らの前に現れた女。奴は武藤カズキの血を引いてはいない。まったく赤の他人だ。
 にも関わらずヴィクターIIIとなったのは…………97年前の『王の大乱』。それのせいだな。

 貴様らは知らないだろうが日本における戦いでまず真っ先に狙われたものこそ黒い核鉄だ。いかに奴の末裔といえど所
詮は末裔。善戦むなしく奪い去られ、結果王の軍勢の幹部の1人がヴィクターIIIとなるのを許し、俺の手を煩わせた。

 その戦いの最中さ。ブルートシックザールがヴィクターIIIと化したのは。俺に斃された幹部は武藤カズキほどではないが
なかなか諦めが悪くてね。土壇場に立たされてもなお新たな手駒、新たな幹部を生まんと悪あがきをした。そうして選ばれ
た者こそ両親だか兄だかの仇を討ちに乗りこんできていた…………ブルートシックザール。奴を幹部は最期の力振り絞りっ
て人質にしそして黒い核鉄を…………己の体から引きずり出し、埋め込んだ。なぜ止めなかったかって? 面白そうだった
からさ。瀕死にも関わらず武器を人質に渡す馬鹿……長年生きてるが初めてみた。まったく滑稽だ。ま、それだけ俺が恐
ろしかったのだろう。武藤カズキではないヴィクターIIIなどその程度。自慢じゃないが簡単に圧倒できたさ。思いあがってい
た輩が、器でもない馬鹿がチカラを持て余し次第に恐慌状態へ陥っていく様はなかなか愉しかったぞ。

 予想通りその幹部に猛反撃を加え無残に無残に殺したブルートシックザールは……いまや俺の弟子。
 仇を討つ前から何かと鬱陶しく付きまとっていたが、『ヴィクター化まで抱え込んでからは』ますます口うるさく保護を求め
てきてね。ま、お守りなら知っての通り経験があるしそもそも奴の体はなかなか面白い。おっと。誤解するなよ。研究のし甲
斐があるというだけだ。白い核鉄も埋め込んである。危険性はない。

 やれやれ。紹介状をせがまれ書いてやったはいいが…………そろそろ飽きてきた。

 奴が俺の元を離れライザウィンとかいう女を斃さんとしている理由……。

 その辺りは本人の口から聞け。言っておくが俺は手を貸さん。歴史が歪みライザウィンだのウィルだのが湧いてきたのは
元をただせばソウヤ、貴様のせいだ。貴様が時間を遡りパピヨンパークで真・蝶・成体を斃したせいでこうなった。尻拭い
は貴様らでやれ。銀成に危害が及ばん限り俺は動かん。


「パピヨンの字だ。間違いない」
「(滲み出る傲慢! パピヨン臭パねえ! パピヨン臭! うわなんか股間からモワリときそうな単語! ぎゃあ!) ……???
どうしたんだいソウヤ君。急に考え込んで」

 場所は造成地から変わり……カフェ。突如現れたヴィクターIIIの少女に案内されたそこは300年後と思えないほど『現代的』。
ブラウンの木材をふんだんに使った内装はオレンジ色の照明と相まってとても落ち着いた雰囲気だ。

 その店内。これまた2005年の世界ではごくありふれた──もっともブルートシックザール曰くココは現代でいうところの
『江戸時代を体感』できる施設らしい。見なれた風景の方が話しやすいでしょ、口ぶりからするとどうやらわざわざ探したよ
うだ──ごくありふれた丸テーブルを囲うようにヌヌ行たち3人は座っているが、そのうちの1人、武藤ソウヤの様子がいつも
と違うのに彼女は気づいた。

 驚いたような、泣き出しそうな。

 とにかく瞳の色を淡くして手紙を見つめている。喰いいるようなその姿勢はしかし問いかけとともに解除される。

「いや、何でもない。気にしないでくれ」
「?」
 首を傾げるヌヌ行だが深くは追求せず話題を変える。
「パピヨン、か。彼なら我輩たち、この時代に到着してすぐ真っ先に訪ねたのだが? しかし君のコトなどカケラも──…」
「驚かせたかったのでしょう。彼はそういう所がありますから。しょうのない人」
 ブルートシックザールはといえば両手の指を絡ませながら薄く笑う。

(うお。なんかすっげーオトナって感じだヨ! そうだよねそうだよね100年近く前にヴィクター化したんだから老成してるよ
ね。こいつは頼りになりそうだ!)

 緑色の口紅に、薔薇の飾りつきの白く半透明のベールは奇矯だからこそいかにも賢者という様子だ。

「そうか。とにかく途方に暮れていたところだ。我輩的には助けてもらえると嬉し」
「ハァ? 別に助けたりしないわよ」

 頬杖をついたブルートシックザールはベロを出した。睫毛の濃い瞳は醜悪に歪んでいる。

「あ。ゴメンなさい。でもこーいうのって最初に言っておくのが重要じゃない?」
 石化するヌヌ行に少女は微笑する。美しいが好意のまるで見えない乾いた笑顔。似たようなカオはヴィクトリアもするが
あちらはまだ何というか少女らしいイラツキを孕んでいる。ブルートシックザールの笑顔は違う。無関心。自分の文言が
どれほど相手を傷つけるか理解しながらなお自分の領分だけ守らんとする利己的な笑顔。それが一歩すすんだのは
ヌヌ行の頬肉をつねるためだ。当り前のように上へ引き、白い歯も赤い歯茎も剥きだしにすると、肌色の耳に緑の口を
近づけ囁き始める。

「最初に断っておくわ。このわたしブルートシックザールは自分の目的のためだけに貴方達を利用しようとしているッ! 世
界を守るとか歴史の流れを正そうなどというスッとろい考えはない! 命ッ! わたしの命を守る! たったそれだけのた
め貴方達に近づき利用するのよッ!! それ位わかんない? まったくあんた前世に引き続いてスッとろいわね〜〜〜〜」
「いはいいはい。ははひへ(痛い痛い! 離して!)」
「おわかり? 分かったらハイといいなさいな。いいわねッ!?」
 めずらしく文言と内心が一致したヌヌ行は正にごみくずのごとく床へ捨てられた。ゴギンというのはおでこを強打した音でさ
すがにソウヤも色めきたった。

(ぎゃあああ。いきなり何なのこのコ怖い!!)

 激しい息は痛みのせいだけではない。動揺。相手の正体にもだが……それ以上に

(やめてやめてああいう脅迫&暴力ほんとやめて! 思い出しちゃうよイジめられてたときのコト…………!)
「いや、痛いのは分かるがそんなに顔を近づけないでくれ」

 戯画的に涙するヌヌ行はぷるぷる震えソウヤに詰め寄った。餅のように膨れ上がったコブは桃色に腫れテカテカ発光中。

「は、ははは。なんというか刺激的な少女だねえ。だが傑物ほど圭角に満ちているものだ、頼りになろう」
「そうだな。よろしく頼む」
「えええええええええ!?」
「どうした?」
「い、いやその、仲間にするのかねソウヤ君!!」
「? そうだが」
「そうもなにも彼女なんだか腹に一物抱えてる風だよっ!? こいつの文言には偽りじゃあないスゴ味があるッ! 頼りにな
るとはいったがしかし順境限定。逆境! イザとなれば我輩たちなどあっけなく見捨て逃げ去る黒ずんだ冷酷さが彼女に
はある!! 実際いまも我輩の頬をフォークでプニプニつついてる! 服従要求中だ! いいのかね!?」
「そこだ」
「そこって何!? 分からないよ、分からないよソウヤ君!!」

 彼は少し目を泳がせたが意を決したように息を吸い、こう述べた。

「偽りじゃないって所だ。善か悪かはともかく本心を述べるっていうのはいいコトだと思う」
「(ぐさーーーーーーーーーーっ!! ものすごく心痛ませる一言きたーーー!) それは我輩への当てつけかいソウヤくん?」
「あ、いやそうじゃなくて。確かにオレはその……あんたの本心が時々わからなくなったりする。でもそれはなんて言うか、
あんたが大人だからなのかとも思う。オレなんか想像もつかない考えを持ってて、ただそれに従ってるだけなんじゃないかって」
「女性とはそういうものさ。秘めるからこそ美しい。(あー良かった! あー良かった! そんな不信感持たれてないみたい!)」

 ソウヤは本題に戻る。

「少なくてもパピヨンパークのオレは最初父さんたちに何も告げずただ1人で戦おうとしていた。ムーンフェイスと真・蝶・成
体をたった1人で斃そうとしていた。でも……学んだんだ。仲間は、協力して戦うコトは決して悪いコトじゃない。思惑はどう
あれ目的が同じなら一緒に戦うべきだ。そしたらお互い、できないコトを補い合えるかも知れない。実際オレは、あんたなく
してこの時代に来れなかったしな」
「(おお。オトナだ。さっすがソウヤ君!) つまり利用されうち捨てられるのを承知で……仲間にすると?」
「ああ。彼女には彼女の理由があるんだろう。命を守るためとも言った。誰だって死ぬのは嫌だ。自分を守るために戦う以上
危険から逃げるのも当然かなって思う。むしろ自然だ。最初にいってくれた方が気楽でいい」

「オレは新たな戦いを生んでしまった。責任がある。見捨てられても仕方ない」

「だから羸砲。危なくなったらアンタも逃げていいんだぞ」

 ドライというか暖かな理解があるというか、妙な意見だがヌヌ行は感心した。


「……逃げないよ我輩は。お姉さんだからねえ。ウィルとの因縁もある…………。改変者の矜持にかけて戦うさ」
(おお。カズキさんと斗貴子さんを混ぜたような意見だ。やっぱお子さんだねえウフフフ)

 おかしな部分に恍惚とし瞳を三本線に閉ざすヌヌ行をよそに武藤ソウヤは語りかける、ブルートシックザールに。


「という訳だ。協力して欲しい」

 彼女はやや鼻白んだようで

「な、なによ聖人ぶって。そーいうところがスッとろいっつーのよ……」

 瞳を背けぶつくさいい始めた。その胸を後ろから抱いたのは誰あろう恍惚の羸砲。軟体動物のごとくクネクネ絡まり始め
た。

「ウフフ。もしかしてる照れてるのかい君は。ウフフ。これぞソウヤ君、武藤ご夫妻の愛結晶だよ……」
「やかましいイイイイイイイイイイイイイ! 調子づいてんじゃあねーわよこのウソつきがあああああああッ!!」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 絶叫したのはフォークの柄が脳天にめりこんだからだ。哀れヌヌ行またしてもその場にうずくまる。

「……なぜそんな羸砲に突っかかる? もう少し優しくしてくれないか。彼女もその……俺の……仲間だし」
「フン! スッとろいくせに調子づくからこうなるのよ」
「(やった仲間認定ッ! つむじの痛みも忘れるほどうれぴー!!)き、気にしないでくれソウヤ君。我輩も悪いというかイジ
められ属性持ちだから……………………」

 イジメ? 怪訝そうな顔のソウヤはしかし素直な性分らしく指示通り受け流す。


「ところでブルートシックザールっていうのは苗字込みか? それとも”パピヨン”みたいなアレで本名を名乗りたくないとか?」
「別に。あんたたちでいう「ソウヤ」とか「ヌヌ行」の方よ。苗字は──…」






                                    ピリオド
 羸砲ヌヌ行は回想する。レティクルエレメンツとの決着後、終止符の先で回想する。




「彼女の本名。あのとき我輩は何気なく聞き流していた。複雑だがしかし我輩ほど奇矯でもなかったからねえ」


                            さだめ
「けれど総てが終わったいまは違う。『その血の運命』。いかに彼女が名前通りの宿業を背負っていたか……重く感じる」






 彼女はこう述べた。






「わたしのフルネームはブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラー。ブルルで結構。長くてスッとろいから」








「リュストゥング=パブティアラー。この単語にソウヤ君、きみは聞き覚えないかな?」



「…………そう。ヌル=リュストゥング=パブティアラー。小札零の本名だね」


「我々が良く知るブルートシックザールは……小札氏の子孫だ」



「もっともそれは『改変前の時系列』。ウィルが歴史を変える前の話だが」





「いまなら分かる。レティクルエレメンツがフル=フォースこと総角主税を生み出した理由」



「……1つは、ブルルを生ませないためだ。総角を小札に近づけ、歴史を変え血脈を変え」


「『最初からいなかったコトにする』ため」


「総角主税は生み出された。もちろん他の理由もあるがね」







 ブルートシックザールは張り上げる。

「ライザウィン=ゼーッ! 奴の体にはわが祖先の兄、アオフシュテーエンの血が使われている! 代々マレフィックアース
の器として力を借り勝利してきたわが血族の血がッ!! 改変前! レティクルエレメンツとの戦いにおいて流されたアオフ
の血の染み込みし泥濘こそあの忌まわしき土人形の肉ッ!!! そのうえわが師のパピヨニウムすらも使われている!!
許せるものか! 奴はわたしの手で討たねばならないッ!」





「余談だが小札零は一族の中でも落ちこぼれだった。「零」。こぼれるという文字を当てているのはコンプレックスゆえかな?
話はさらに逸れるが……栴檀貴信と栴檀香美のいきさつは覚えているかい? 初めて鎖分銅を発動した彼が愛しい子猫を助
けたその直後。金色に輝く盟主が乱入し……総てをブチ壊したのを」



── どうにもならない敗北感の中、ディプレス=シンカヒアは絶叫した。






──「マレフィックアース!!!!!!!! どうして!! なぜ今! 召喚したああああああああああああああああああ!!」


── 誰に対するものか分からぬ叫び。それが森全体を揺るがす中、金色の輝きが再度ディプレスに迫り──…

── 舞い散った大粒の涙が踏み砕かれた。





「マレフィックアース。一であり全、全であり一でもある闘争本能の奔流。それを降ろせるのはライザウィンだけではない。盟
主……メルスティーンがあのとき憑依させていたのを見ても分かるように、条件さえ整えば召喚自体は誰でも可能だ。もっと
もそこから先は自己責任。たいていの者は巨大なエネルギーに耐えきれず消滅する。しかもただ強いだけじゃあ不十分、
レティクル最強の盟主でさえ1分程度しか持続できない。それほど危険な流れさ、マレフィックアースは」

「パブティアラー家がマレフィックアースの存在に気付いたのは9世紀ごろだ。『コズミックマインド』……恐ろしい奔流を彼ら
はそう呼んだ。そして代々、扱う技術を磨いてきた。漁師が潮の流れを読むように、マイスターが鉄の厚さを測るように、心を
修め感覚を研ぎ澄ましたのさ。10代重ねるころそれは鳥の求愛のダンスよろしく本能に刻み込まれた」


「しかし1990年代末期、異変が起こる。小札零。当時はヌルだった少女は」

「一族始まって以来はじめてアースの存在を知悉できなかった。不義密通の子とさえ疑われ母親を苦しませたのはいうまで
もない。もちろん事実は違うよ。正真正銘の嫡子さ、。 しかしアースの召喚など不可能だった。早坂秋水を始めとする戦士
たちとレティクルの戦いのなか、ついぞ改善されなかったほど先天的で動かし難い特徴…………」

「ま、それは一族が先に行くための前触れだったけどねえ。津波が来るまえ波がひくように彼女は新たな可能性を秘めて
いた。いつしか自分たちが特別であるコトに慣れ親しみ、一族が持ち続けるべき原初の鋭さを失くした老人どもだけそれに
気付かない……お決まりのパターンさ。あとは規定どおりの異端呼ばわり。彼女は大いに悲しんだ」


「ブルルはその可能性の先にいた。アースこそ『単体では』降ろせないがそれ以上の力を秘めていた」

「王の軍勢が彼女の親族を殺したのは警戒ゆえさ。力を恐れた」

「だからこそ親族たちは命がけでブルルを逃がした」


「──… 湿っぽくなったね。……うん。我輩もさ。彼女の来歴と行く末を思うと涙が出る。……小札零に話を戻そう」


ヌル
「妹と違い、兄の方は……アオフシュテーエンは一族の中で究極ともいえる適合者だった」

「改変前、たかがホムンクルス化しただけで盟主含むマレフィック7人を討ち取れたのは」

「改変後、人間の身で最悪のタッグ……ディプレスとイオイソゴを退けられたのは」


「マレフィックアースの適合者だったからだ」





「ライザウィンの力の根源は彼の血だ。『王の軍勢』の技術力も大きいが、古い真空だの光子だのの暴れ狂う言霊ともども
原子力より危険なマレフィックアースを97年も身の内に押しとどめるコトができたのは、適合者たるアオフの血あらばこそ」







「まあもっともソウヤ君? きみはそんな歴史の流れを感じさせる壮大な背景よりむしろ彼女の服装に興味津津という感じ
だったけどね」






 ブルートシックザールの名を聞いた武藤ソウヤはごくごくつまらないコトをやった。


「ところでアンタのその格好。もしかして『2部』か?」
「そうッ! 『2部』! 『2部のヒロイン』よッ! 分かってるわねッ!」



「いきなりだしぬけに何きいてんのかと焦ったけどアレは漫画の話だったんだね」

「『ピンクダークの少年』……だったか。きみのお父上が愛読しているという少年漫画」



「ブッちゃけるとさあ〜〜〜〜 黒い核鉄ッ! どーもあんたの親父としばらくリンクしてたせーか、アイツの記憶が混じって
るみたいなのよねー。その影響かわたしピンショが大好き。アレは勇気の讃歌ですもの素晴らしいわ。ちなみにあんた何部
好き? 時代的に8部までしか知らなさそうだけどさあ、ネタバレとかOKな人? ついポロっとこぼした話題にバレすんなっ
て目くじら立てられんのスッゲーいやだしさ、最初に聞いとくけど」
「ネタバレはやめてくれ。好きなのは6部だ」
「キャハハハハ!! あんた分かってるわねェ〜〜〜〜〜! そーよ6部ッ!! この時代じゃ挨拶だもの。『初対面』のファン
にはさあ〜〜〜 まず6部……映画ならゴールデンラズベリー間違いなしっつーアレが好きですってところから始めるもの
ね〜〜〜〜! 場を和ますっつーんですかァ〜〜〜? 軽いジャブ的なジョークかまして笑いあってから親交深めてくっての
が鉄板ですものねェ〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 ブルートシックザールはケタケタ笑うと急に真顔になりこう聞いた。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「で、何部が好きなの?」





「いつも思ってるんだがなんでブルルが黙ると『ゴゴゴゴゴ』とか『ドドドドド』とかなるんだろうねえ」

「で、突然キレる……。そーそーそうだよソウヤ君。彼女はすぐ激高する。あの時もそうだった」

「よくわからんが、きみが本当に心から6部とやらが好きだと告げた瞬間」




「えええええええええええええええ! 待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て、
ちょぉ〜っと噛みあわねえっつーか『何いってんだコイツ』っつーか、とにかく会話についていけないんだけど? え? マジ?
あんた本気で6部が好きなの? まぁ別に個人の趣味だからドーコーいうつもりないけどさぁ〜〜〜 でもあんたひょっとし
て盲目? 目ェついてる? 一番上のランドルト環見える? わたしいま2部の格好してるっていったわよね〜〜〜〜〜〜?
ヒロインの格好してるって。なのにわたしに対し『6部が好き』? フザけんじゃあないわよッ! つまりアレかこー言いたい訳ェ!?
2部なんてのは絵が垢ぬけなくて小汚いって!? 碌な能力もねえ、雑誌の紹介じゃあいつも1部とひとくくりなマイナーな
部だって!? ぐすんッ! な! 泣いてなんかないわよッ! あ、あんた本当スッとろいわね〜〜〜! こーいうときはウソ
でもいいから2部が好きっていいなさいよッ! 仲間っつーんならそーいうところにも気ィくばりなさいよねまったく」




「えらい反撃にあったね。途中涙ボロボロ流してるのが鬱陶しかったね。2部が好きってトコにコンプレックス持ってるよう
だね。仕方なく話あわしたら」




「そーよッ! そーそー! 2部こそ最高だものね。キャハハハハハッ! あんたよく分かってるッ! 長すぎず短すぎずで
頭脳戦もほどよく分かりやすい最高の部だもの! 1部の悲劇もいい感じにひっくり返してるしィ、ラスボスも格落とさずに倒
してるしィ。クソったれた論評家どもはやれロープマジックに頼りすぎだのなんだの抜かしてるけどいいじゃないのッ! 2部
最高ッ! あんたも最高いかしてる! 6部は込み入りすぎよッ! 画力は認めるけど訳わからなさすぎ! 5部まで否定
するっつーなら2部に対しても敵ッ! 敵ッ!! キャハハハッ!!」



「……めちゃくちゃ笑顔だった。本当面倒くさいよ彼女」

「ま、パピヨンだけじゃなくヴィクトリアにも育てられたからねえ。ソウヤくんに輪をかけた難物だ」





「とにかくッ! ライザウィンの体はもうすぐガタが来る! もうすぐ奴は新たな肉体を求め動きだす! 確信ッ! 次に狙わ
れるのは私! アオフには子がなかった! ゆえにその妹の子孫のなか唯一生き残っている私が──… 次なる器ッ!」




「もちろん単騎では器になりえないブルル。けれどライザの武装錬金、そして黒い核鉄の作用──… それから」





 パピヨンの手紙は追伸をもって締めくくれられていた。




「そうそう。ブルートシックザールはヴィクター化する前からすでに人間ではなかった。頤使者でありホムンクルスだった。
家族の仇を討つため自らを改造したのさ」


「奴はホムンクルス化した体をさらに頤使者の媒介とした。つまりいいとこどりだな。人間型の旨味と言霊の使役ができ
る……いわばキメラ、『高次元の存在』だ」





「あんた……スゴいな」


 手紙を読み終えるとソウヤはただただ感服した。


「当然! とにかく無駄話は終わり。ライザウィンを探しに行くわ」
「行くとはいうが何をどう当てにしてるんだい? 我輩の武装錬金ではジャミングされ分からなかったのだが」
「わたしの武装錬金なら可能よ。ま、あまり行使しすぎると逆に感づかれそーだから敢えて遠い手がかりから伝ってくけど」



「まずはチメジュディゲダール。核鉄が武装錬金っつートンチキな説となえやがった錬金術師んとこ行くわよ」


 学校の屋上。空は青く澄み渡りうろこ雲がポツポツ流れている。

 運動場で遊ぶ生徒たちの遠い歓声に混じる妙な音があった。シャカシャカ。小さくも研ぎ澄まされたそれは白い耳をすっぽ
り覆うモノトーンの器具から漏れている。時おりその下からうるさげに零れる溜息もなんのその、数分ごとに音質や緩急を
変えるシャカシャカの器具はもちろんヘッドホンで、左右を橋のごとく結ぶ黒いバンドはより深いメタルブラックの髪の毛に
ブボリ柔らかく沈んでいる。橋の中央にすっぽり開いた肉空き穴から上めがけ飛びだす2本の細い長髪は、衛生用品メー
カーの仇敵または飯のタネ、誰より仕事をくれるこげ茶の虫そっくりだ。

 ヘッドホンに息吹を与えているのはウォークマン。現代の我々から見ても古臭さのいなめないそれがなぜ300年後たる
この時期に存在しているのか? 説明は後段に譲るが、とにかく。

「ああ。CDって、いいよな」

 ルンタルンタと短い脚振りつつ恍惚と天を仰ぐ始はいつもの黒いジャージの姿。昇降口の縁に腰かけていて、

「大乱後のレアメタル不足で間に合わせのよーに作られてる骨董品がか? かさばるわ音も悪いわ……2世紀前いちど滅
んだのも納得だよ。いいから当該データをネットワークで検索し端末に落したまえ。そちらのが経済的だ」

 答える新はその真下でいつものごとく参考書相手の格闘中。天気のいい昼休みの習慣だ。例のタイムアタックは僻地向
き、人なき場所のが被害が少ない……。会話、続く。議題はCDの利便性。

「端末のが便利なのは認める。だってオレってば最強だし寛容だからな! 認めてやらんコトもねえぜ!」
「最強とか自分でいうな。勢号最近お前ますます馬鹿っぽい」
「ホントーだって! オレ最強だって! 前見ただろ、ヴィクターとかレティクルとか召喚してしゅんころするの!」
「瞬殺(しゅんさつ)ね。だいたいアレは君がコピーした奴、弱くしてない保障はない」
「そか? あん時の難易度ベリーハードだぜ?」
「ベリーハード?」
「そ。連中の各ステータス3.25倍。オレの方はHP1。当たれば死ぬオワタ式!」
「…………まじか」
「ぐふふ。強い癖に器もでけえとかマジぱねえなオレ。よしあたら。今からパねえぜライザさんって頭下げろ! そしたら端
末を──…」
「使わないよ」
「じゃあ今までどおりな。不便なCDを敢えて楽しむぜえ」
「不便ってわかってるのに何で使う」
「まずケース開くときの”ぱち”ってのがいい! 初めて出すときの堅い手ごたえもいいな。なかなか抜けないんだコレ。プレー
ヤーに入れ再生した時のささやかな駆動音、サラサラ回り出し溶けていくレーベル…………。ムダおおいけどその分ほか
の五感ってやつが満たされる。歌詞だって紙媒体に限るよな。端末でも見れるけどあっちは味気ないんだ。画質もいいし立
体映像で読むコトできるけど、でもさわれねえだろ。触感がない。見るなら生だ、リアルに実在する色つきの厚紙もって眺め
るべきだ」


「だいたいいま聞いてるの、ネットじゃ絶対配信してないからな」


「…………で、さっきから何聞いてる。歌じゃないよなソレ。なんかすごく聞き覚えがある。だからこそとてもイヤな感じがする」


「文化祭で録ったお前の声」










「速っ!? 最強なのに不意つかれた。つかビビった」





 数秒後、勢号始は目を丸くしていた。なぜかというと鼻先に、オーディオ機器一式がぶら下がっているからだ。
 白い手に絡め取られたヘッドホンも命綱に地面スレスレ浮かぶウォークマンが蛤よろしく開いた口から零れおちるCDが
ひどく細い足の甲に叩き潰され破片を散らす。総て星超新、3mあれど梯子はない昇降口の天辺にどう昇ったのか、とにか
く収録内容を知るやの早業だった。あっという間に登り一式ひったくりそして壊した。


「てかさー、そんなイヤか? 文化祭で劇かなんかのピンチヒッターで吹き込んだ声。萌え声っつーのか? 1週間の登校
免除と引きかえに一生懸命作りだした声じゃないかだぜ。歌もいいぜ。オレ結構好きだしキュンキュンするのに」


 アカトンボが一匹かれらの頭上を通り過ぎた。

「お・ま・えーーーーーーーーーー!! 全部破棄してくれるっていっただろ! 約束はどうしたーーーーーっ!!!!??」
 急激な運動がこたえたのか、一拍おくれで激しく息せく新の顔はすさまじい。始は思わず小さな体を後ろに引いた。まあま
あと制止に押し出す腕は小象の牙より長くなくそして白い。普段長そでのジャージだが秋日がこたえたらしく捲くっている。
「お、落ち着けってあたら。遵守したぜ遵守」
「じゃあなんでココにあるんだよ!! え! コトと次第によっちゃ絶交だぞ絶交!!」
「いや本当に破棄したって。うん。え、ええと、あんときの手持ちについちゃ……な」
 始は半眼で顔を背けた。そして人差し指で頬をかく。唇ときたら”3”にすぼまりピュルスカピュルスカ音を奏でている。コレ
で疑わしきを覚えぬ方がどうかしている。ウォークマンが10m先、屋上の隅まですっ飛び鉄柵に激突。大破。星超新激昂。
軽くなった手を拳に作りかえた彼ときたら身も心も低く始に詰め寄っている。
「誰だ!? お前に新しい奴やったのは誰だ!!?」
「さっすがあたら☆ 文化祭で録った『まるで女のコッ!』なお前の声のデータ、丸三日かけてこの世から消滅させた筈の
それが裏で今なお流通しておりオレ含め誰でも簡単に入手できる背景を一瞬で理解したんだ。スゴイぜスゴい〜〜 あ、そ
うだ〜〜〜 きょうは習字教室あるしココで帰っていい?」
「ダメだ」
 座ったままピョコリピョコピョコと数歩後ずさった始の黒い頭をムンズと掴んだのはもちろん新でその眼は冷たく光っている。
「今日こそ殲滅する。本日こそ決着をつける。裏だと? つまり売り買いじゃないか。ボクの恥部を高値で捌き儲けてる奴が
……ふふ。ふふふふ」
「しかもまだこんなにある!」
 勢号は所持品を供出。
 CDは指の間に4枚ずつ計8枚、花びらのように重なっている。見栄えこそいい持ち方だが品質保持には甚だ不向きでや
はりこの少女は馬鹿なのだと星超新は痛感する。
「うおー大変だなあ! こりゃシンジケート殲滅に赴くほかねーぜッ!! よしじゃあ友情のよしみ、オレにCD売った奴の情
報を……」
「いらないよ」
「はい?」
 急に居住まいを正した新に催すのは拍子抜けの息。
「まったく。また騙されるところだった。ボクの欠点だよ。沸騰するとすぐ周りが見えなくなる。見抜いてるつもりが絡め取られている」
「そ! そんなコトないってあたらー!! お前の推理は正しい! 文化祭の録音で儲けてる悪のシンジケートは実在すんだって!」
「勢号、付き合いだけは長いんだ。ボクがキミを理解しているようにキミもボクを理解したまえ」
 大きく口を開けあわあわ言い募る始もとうとうそこで沈黙した。
「結論からいおうか。ボクのCDで儲けてる奴はいない。裏なんてのもない。あの忌まわしい声を収めた記録媒体はひょっと
したらまだ誰か持ってるかも知れないが、少なくてもキミに渡す馬鹿はいない。なぜならキミはいつも争いの火種を求めて
いる。わずかなきっかけを何度大乱闘に発展させたか……。そんな名うてのプロモーターに自分を売り込む命知らずはい
ないよ。対戦相手がボクである以上、避けるさ」
「…………」
「キミの話に乗ればボクはどうなるか? 教えてやろうか? きっと最後うなだれるね。倒され横たわる無数の敵の奥、CD
が山と入った無骨な鉄箱の前で「騙された」って叫ぶ。そして遅れてやってきた勢号キミがいうのさ。「あっはっは。悪ぃ悪ぃ
なんかオレ勘違いしてたみたいだぜ、でも悪いの殲滅できて良かったじゃねーか」…………ってね」
「…………」
「いつものパターンさ。キミが見たがる戦いのためボクは騙され駆り出される。逢いたてのころ何度それをやられたか」
「…………」
「殲滅するシンジケートなんてのはちゃちい不良集団さ。扱うのがCDってところは多分あってる。だが入ってるのはボクの
声じゃない。きっとビートルズとか五木ひろしとかだ。CDは骨董品だからね、モノによっちゃあプレミアがつきひどく高い。け
ど、いまでも聞ける300年以上前のCDは本来文化財に指定されるべきもので売買はご法度。あ、勢号キミが焼いたCDは
現代技術で復刻された廉価品、トイレットペーパーと同じぐらいありふれた日用品さ。とにかく禁制だが高値で売れる骨董
CD、盗品か……よくてどこぞから盗掘した品を売りさばいて悦に入ってる連中をキミは見つけたんだろ? だからボクをけ
しかける。CDって共通項を利用し人の恥部を刺激して……乗りこませる。筋書きはそんなトコだろ?」
「……っさい」
「はい?」
「うっさいうっさいうっさい!! たとえそれが事実だったとしていったい何だというんだぜ!!」
 始は叫んだ。両目をぎゅっとつぶる姿はとても苛立たしげだ。図星をつかれたのが丸分かりで
「えー、逆ギレぇ……。ちょっと予想してなかったなー。ないわー」
 新は怒りも忘れただ呆れるばかりだ。
「だって戦ってるときのあたら! キラキラしてカッコいいんだもん! 私それ見るの大好きなのに最近全然やってくれない
んだもん!!!!!!!!!」
 とここまで叫んだ始の双眸が俄かにうるんだからたまらない。口調も少女で「やっぱこれが素?」、少年はややたじろぎ口
をば噤む。
「文化祭んとき肩の力抜けっつったけどさあ、でも暴れてくれないと寂しんだ。お前が入ってこない。オレの中にお前って
奴が入ってきてくれなくて……寂しんだ」
「勢号……」
「だから騙して焚きつけようとしたのに!!!」
「いやそれ悪いコトだからな勢号! 人殴るボクでさえやらない悪いコトだ!! 自重したまえよ!!」
 決然と叫ぶ新にしかし始は「なにおぅ」とばかり鎌首を持ち上げる。スゴい速度だった。擦れ合った前髪が焦げた気が
して思わず新は思わず後ずさる。いつしか立場は逆転していた。
「いいか!! オレは最強なんだぜ!! だから何やってもいーの!!! いいに決まってんだろ!! ばか!! 大人しく
いうコト聞けあたら!! オレより弱っちい癖に逆らいやがって! ばかばかばかっ!!」
 プンプン湯気を飛ばしながら指さす始はつくづく偉そうで生意気だ。
「あとウォークマン! 壊され損! 壊され損!!」
「分かってるよ! 買って返す!! つか本当は紛らわしいコトいったお前が悪いんだからな!」
「はっはー! 逆切れですかあたらクーン! ばーかばーか!!」
 朱に交われば何とやら。アルビノも怒りに染まる。
「ばかだとこの野郎!! そっちこそ文化系女子の癖して!! 最強が聞いてあきれるよまったく!!!」

「茶道文化検定は1級!!」

「華道は小原流だが武蔵野支部長やれるぐらいに極めてて!」

「とーぜん書道は大得意! 入選は大小の展覧会問わず数知れず、全国屈指の実力者!」

「しかもムカつくコトに和服がやたら似合う! 夏祭りで撮られた写真はボク込みで市報の表紙を飾ったしアメリカ向けに
出版された日本の和服美人100選的ゴシップ雑誌じゃトップから3番目に忌まわしくも鎮座!! お陰で顔も見たくない連中
がココに来る! 「ビュリーホー」とか抜かしつつパシャパシャパシャパシャ撮りに来る! 京都の老舗18件が毎年毎年広
告出てくれと押し合いへしあいやってくるっつーのは自己紹介の一文だったがウソじゃあないっ! 残念ながら今年5月1
2日以降のボクは嫌というほどそれを見た!」

「お、褒めてる? ひょっとして……褒めてくれてるのあたら」
「褒めとらん! くそぅ、乖離指摘してんのに悪口にならんのが腹立つよ!! がさつな癖に可愛いポエム書きやがって!
篆刻で書かれた、東大の研究班さえ難儀する18世紀の漢文をあっさりスラスラ読み下しやがって! だいたい最強で戦
いが見たいなら運動部入ってなんかやりゃあいいだろ!! 来い!」
「え、あ・あ・ああ……?」




(手! 手! 手ぇ〜〜〜〜〜! あたらの! あたらの感触が私をおおお!! ふやあああああああああああああ!!!)

 急展開。新は始の手を昇降口を飛び降りた。そして校内へと駆けていき──…



 1時間後。





「はぁっ、はぁっ、はぁっ…………ダメ。もう動けんぜ…………」




 グラウンドのド真ん中で仰向けになっているのはもちろん始。平素は制服代わりに黒ジャージな彼女だが今は珍しく体操
着。ジャージとさほど変わらないような気もするが律儀に半袖半ズボンに着かえた彼女の全身はいま、到る所が汗と土で汚
れた彼女。両目をバッテンにした彼女。はだけた裾から白いくびれと小さなヘソをのぞかせる勢号始に星超新は……こう叫
んだ。


「なんでお前のそのキャラで運動音痴なんだよ!!!!!!!!!」


「だって……スポーツとか……よく分からぬ」

 勢号は起き上がり頭をかいた。彼女なりに気合いをいれたのか。緑の鉢巻をしているがそれが余計にむなしく感じられ星超
新はうなだれた。

「せっかく球打ってもファールとかいって何かダメ扱いされるしさ、手ぇ使うなとか言われんのあるし……とにかく面白くない!
面白くないから体力も湧かない!! やる気でない!! 誰がこんなんやるかだぜばーか!!」

 バット。ラケット。サッカボール。竹刀に弓に柔道着。その他シャトルやバスケットボールなどなどとにかく学校にある運動部
総てからかき集めた道具どもに歪んだ「イーッ」──ひどい顔だった。頬を思いきり膨らませたせいで唇がウィンナーのように
2本飛びだし閉じた両目も鼻梁めがけ不快な傾斜を描いている──をする始の移り気の凄まじさを新が痛感したのは歩き
だしてしばらく後、下駄箱へ至る1Fの渡り廊下。

「くそ。ヌリぃ遊戯だぜまったくよー。殺人魔球とか殺人シュートとか殺人ドリブルとかはねーのかよ!」
「ない。てかドリブルで人が死ぬってどんなんだ?」

 雨よけの屋根の下、1mほどの合金の壁の更に向こうにある中庭を眺めつつツッコむ。はてな。新は何かとても重大事を
忘れている気がした。始は気楽なもので

「フハハ、私のドリブルを浴びたボールは重さ5トンの鋼弾とどっこいどっこいの破壊力を帯びるのだあ!」

 拳にならない程度に指たたんだ右掌を機械的なペースでガゴガゴ上下に振りだした。顔はとても楽しそうだ。無垢。すぐ右
で16分音符と5連符をかっ飛ばしルンタルンタ左手大きく振って歩くこの少女はとても惨事──97年前、約30億8917万
の死者を出した大乱──から生まれい出たと思えぬほど明るい。ときどきとても腹立てながら会話に応じているのはなぜだ
ろうと新はつい考えてしまうがその問題は日頃とりくんでるどの参考書よりも難しそうで正答もなさそうで、そもそもかれは国語
の『あれも正解だがこれも正解』的・絶対性なき問いかけが好きではないので思考停止、脳表面の反射的、上澄みのような
意見だけ半眼で呟き

「どっこいどっこいとか今日び言わないよ。キミ古いよ」
「うっさい。いまいいとこなんだ! えーとどこまで、ああそうそう、フハハ! 迂闊に取ろうとすれば指が飛ぶぞ! 掌が砕け
た衝撃で腕さえ消えお前も爆発する!」
「そんなドリブル受けて無事な試合場の床が一番すごいな」

 更にさらにいろいろミソをつけてやる。すると彼女は面くらって白くなり口だばだば戦慄かせつつ

「ふへ!? あ、あああと、そそそそりはだな、あたら、えーと。フハハ、実はオリハルコンで出来てる床だがやっぱそろそろ
限界なんです試合場はあと2分で爆発するぞ! それまで私を斃さなければ2回戦にゃ進めないぞー! 進めないぞーー!」

 ガンカタみたいな、ぐだぐだに崩れたスペシウム光線の構えみたいなとにかく奇妙な舞踊──架空の敵と戦っているのだろう
──しつつ横隔膜を震わせる。新は右側から飛んでくるとても高い腹臓からの声に鼓膜がキーンとしたのでそちらに人差し
指を突っ込み右目もつむり

「脆っ! 5トンの鋼弾がちょいとつついただけで崩壊するオリハルコン脆っ!!」

 とだけ叫んだ。すでに校舎の中だ。増えつつある人通りの中、「仲いいー」。通り過ぎる女子2人が微笑ましげに呟いた。

「マンガならそうなんの! あ!! マンガといやあアレさアレさ、絵いらないよな! 字だけでいいよな!!」
「逆だろ逆。お前のキャラなら絵しかみないだろ」
「んーん。字だけ見てる。いつも字だけ。あ、擬音は読むぜ。あとはよく分からねーよ。腕とか吹っ飛んで血しぶきダバアな
ら分かるけどさ、細かい動きはサッパリだぜ」
「……流石言霊」
「とにかく! 漫画みたいなスポーツならやってもいいぞ。一撃必殺あるやつな一撃必殺」
「武道はそうだが……」
「えーでもさあ、剣道さあ、ちょおっと『飛天御剣流……九頭龍閃!』とかやったら反則負けして摘みだされたし、空手だって
フタエノキワミーー!! アーーーッ! ってブチ込んだらスゴい目で睨まれた」
 指折り数える少女に少年はため息をつく。
「フザケながら撃った拳が相手の肋骨全部へし折ればそうなる……。相手女子だぞ。血ぃドバドバ吐いてたぞ」
「後も似たようなもんだ。ま、オレの武装錬金で治したけどさ」
「攻撃力ありすぎだよキミは。ルール超えた領域で重傷与えすぎだ。身体能力の無駄遣いすぎる…………」
「だってさあ。ルールとか訳わかんねーもん。オレが、好きかって変えられるもんに、縛られるなんざイヤだぜ願い下げ」
「陸上は?」
「かけっこ? やってもいいけどすぐ終わるしなあ。オレは景色をゆっくり見たいぜ」
「じゃあマラソン」
「えー。途中でレストランとかゲームセンターとか見つけても寄れないぜアレ。やだ。自由がない」
「野放図すぎる。何で文化部じゃ大人しいんだよ」
「そりゃあお前、セイシンのシューヨーだぜ」
「修養、か」


 星声新の頭をよぎるのは少し昔の光景。


 頬を抑える自分。眼前には大股広げ怒りに息せく勢号始。それは初めてやったケンカというか意見の食い違いというか、
とにかく新が初めて平手打ちを浴びた日のコト。


「なんでそんなコトいうんだよ! お前は……お前だけは違うって……!! 思ってたのに……!!」


 瞳が台形につぶれるほどしゃくりあげ、大粒の涙をぽろぽろ零す始の姿、立ち上る怒りは日常垣間見るものとちがう……
ひどく真剣なものだった。裏切られた悲しみと失意がとめどなく立ち上り、だから新は自分の言葉を──…


「戦うの好きなら茶道とか書道でやればいいだろ? 得意なんだし」

「賞とか資格とか取りまくればいいじゃないか」

「それで色んな奴に勝って満足すれば」


 いつも通り放ったつもりの軽口を。最後は平手に阻まれた言葉を。


「お前は、お前は、そんなコト考えてべんきょしてんのかよ……! 根っこのところは一緒だって思って…………だから
仲良くしてきたのに…………トモダチって……思ってたのに」


 立ち竦みただえぐえぐ泣く悪友の姿に。


 新は実感する。「ただ普通の」振る舞いでさえ人を傷つけるコトを。例えば小学生時代、『普通に』ドッジボールなど誘って
きた級友が、タイムアタック中の新の心を大きくかき乱したように……彼自身の言葉もまた始の逆鱗的琴線に触れたのを。


「いっしょけんめい集中して、自分の中のヤなトコ綺麗にしたり……少しでもよくなりたいって頑張る……あがく……。それが
オレにとっての書道だ。茶道だ。勝ち負けとか…………考えたくない」

「でもお前は違うのか…………? 違うんだったら……さびしい」



(同じさ。ボクにとっての勉強とね。……そこは分かるよ尊重する)

(でもなんだろうね。謝って、仲直りしてから距離が少し縮んだような気がするよ……)

「どしたんあたら急に立ち止まって?」

 声にハッとする。いつの間にか下駄箱にいる。靴を取り出した始はきょとんとこちらを見ていてその様子がなんだか愛くるしく
見えた。新はプイと顔をそむけて「別に」とだけいう。
「というか前々から思ってるんだけどさ、勢号。お前ってひょっとして」
「なんだよ?」
「実は結構おしとやかなんじゃ……」

 ぼっ。緑と黒の髪の下、幼い顔を真赤にして勢号始は抗弁する。


「ばっ! ばかっ! そんなんあるわけねーだろ! 生まれ方が生まれ方だから強がってこんな口調やってる訳ないだろ!」
「でもお前テンパると女言葉になるよな?」
「な! ならないわよ!! 黙ってよ本当もうってぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!
もーやだ!! 今日はやだ!! もう帰る! いやカエルノダゼ!! ばかっ!! あたらの馬鹿っ!!」

 武田騎馬軍団が去っていくような足音とともに始は校門めがけ突っ込んでいった。
 もっともすぐ戻り、入口の傍に隠れるのを新は見るのだが。

「あ〜〜〜〜」

 ドアの傍にぴょこり出てきたのは黒いヘビ。正確にいえば靴下をかぶせた細腕だがヘビとして振る舞いたいらしく左右に
モガモガ、不器用たらしく操演開始。

「なんだ勢号」
「チガウヨ僕はゴキブリの精霊だよ。人の過ちを見つケタから正シに来た!」
 妙に甲高い声にこたえる。「ああそう。それで?」
「オレ……いや、あのコに随分構ってたようだけど」
「はあ」
「君自身の勉強ノ時間はいいのかい? 」




「せえええええええいごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! おまえええええええええええ!!
おまえなああああああああああ!! お前と関わるといつもこうかあああ!! こ・う・な・のかあああああああああああ!」



「はっはー! 忘れるほーが悪いんだぜ〜!!! へっへー!! ばかばか、あたらのばーか!!」



 星超新がきゃいきゃい舌出す勢号始をおいかけ、カバンなど投げた日からしばらく後。





「もうすぐ目的地よ」


 遠い山中に人影3つ。武藤ソウヤ、羸砲ヌヌ行。そしてブルートシックザール。


 手がかりを求めて歩く彼らは近づいていた。新たちに、着々と──…

 ヌヌ行の述懐。

「コレも余談になるけど、クライマックスはずいぶん未来のテレビを羨ましがっていたらしい。というのも、野球やゴルフ、駅伝
といった番組が総て専門の”局”でしか放送しないからだ。テレビ野球第一、同第二……同第八……。テレビゴルフ、テレビ
陸上にテレビ球技……。え? なぜそれがいいのかって? そりゃあ延長だのなんだので録画予約パーにされるコトがない
からさ。週末朝にやってる番組はゴルフだの駅伝だのでときどき潰されるしねえ。(なんど涙呑まされたかだよ!! 私も
まったくクライマックスさんと同意見!!)」


「さて。ブルートシックザールと出逢った我輩たちは何をしたか? 本当はそこまで振り返る必要などないかも知れないが、
もうすぐ旅も終わる。思い出程度に語ろうじゃあないか」





「もうすぐ目的地だけどさ…………ところであんた。『今は』ヌヌ行だっけ? 一応女のコ同士だから聞くけどさあ」
「なんだい。(お! ガールズトークですかなブルルちゃん。いいねいいね私さ、女友達いないからそーいうの大歓迎!)」
 ヌヌ行が目を輝かせた理由は内心にある通り。そんな彼女にベールの少女、こうつぶやく。
「『生理痛薬』くんない? 逢って間もない人にこんなん頼むのもアレだけださあ、そろそろ限界っつーか我慢できないのよ。
あるでしょ生理痛の薬。何でもいいわ。エルペインコーワとかで。あんたいかにも重そうだし持ってるでしょ」
「い、いや……ないが…………(その、実はまだだし……)」
 やや堅くなるヌヌ行がソウヤを見たのは話題ゆえだ。もとより2m先、少女たちから離れて歩く彼だが聞こえていないとは
限らない。ブルートシックザールはお構いなしだ。女優のように手入れされた(睫毛が長い)瞳を不機嫌そうに歪め答える。
「なーにドギマギしてんのよ。誤解しないで。体質的に合うってだけ。別に生理って訳じゃあないけど専用に限んのよ。バファ
リンとかノーシンみたいな『どっちにも効くよ』って奴飲むと眠くなんのよね。ヴィクター化してから体質変わったみたい。確かに
いろいろ生むけどさあ、なんでそっちって感じ。とにかく生理痛オンリーが安全なのよわたし」
 文脈がやや飛んでいるがヌヌ行、内心あうあう言いながら拾ううち相手の真意が理解できた。
「……ひょっとしてブルルくん。君は頭痛持ちなのかね?」
「スッとろいわね〜〜〜。さっきからそう言ってる……ああ痛ッ。ホラ、イラつかせたせーで余計痛むじゃない。まったく頭痛い
わ! 表情筋つっぱらせると側頭筋までギリギリ締め付けられんのよ。筋肉の量ってのは一定なの。どっか引っ張られると
思いもよらないどこかに不都合でんのよ。ああ痛、マジ頭痛いわ」
 側頭部に手を当て顔をしかめる少女の苦悩は濃い。
「頭痛持ちだとしてもだ。今日が飛びきり痛いってのは妙だね。何か生活に変化でも? (つむじのツボ押すと良くなるけど……)」
「ブッちゃけ塩分の摂りすぎ。あ〜〜〜〜もうやっちまったわ。昨日夜更かししてタモリ倶楽部の再放送見たのが災いしたわ。
CMで見た『金ちゃんヌードル』があまりにオイシソーなもんだからついコンビニ行っちゃって……。気づけば3バイ食べてたわ。
ああもうなんでこうしちゃうのかなわたし〜〜〜〜。体に悪いってわかってんのに……。早死にしたくないってんで3日1度は
10分ジョギングして健康に気ぃ使ってんのに……。油断するとコレよ。一応トマト食べてね〜〜〜、カリウムたっぷり摂っ
たんだけどね〜〜〜〜〜〜 オシッコから出てないよーなのよ塩分。スッとろ過ぎて頭痛いわ」
「は、はあ(なにそのダメな生活サイクル。というか未来なのに現代丸出し!?)」

 のちにヌヌ行は知るが、どうやら2000年代の番組中心のチャンネルがあるらしい。王の大乱で完膚なきまでに壊された
テレビ業界は再編成を余儀なくされたという訳だ。

「夜中やってる食べ物のCMってホントどうしてあんなにおいしそうなのかしら。悪いのはテレビよテレビッ! もうちょっと視
聴者について考えるべきよ! 21時以降の飲食は体に悪いって保健体育で習わなかったのかしら!」
「(…………) マッサージはどうなんだい?」
「あるわよやったコト。むかしイッペンあまりに頭痛いもんだから『スギ薬局』行ってねえ〜〜〜 美顔ローラー買って頭ゴロ
ゴロしてみたわッ! 左目の横! 東洋のツボでいうとこの『客主人』の近くだったかしらッ! 15分ばかしゴロゴロしたらみ
るみるコリがほぐれ右コメコミがミチリッ! ってなったわ。下に5ミリはズレたかしら」

 噛み合わせがよくなった、なぜかソコだけ手書きの文字で呟く(ようにヌヌ行は錯覚)ブルートシックザール、

「左ほぐして右に影響でるっつーの妙な感じだけど、ま、たった1本のムシ歯が巡り巡って腰骨歪めるっつー話もあるし不思
議じゃあないわ」
「…………。(えーと)」
「食事のときついうっかり頬の中かんじゃって『このやろ歯が悪いのか歯がッ!』って怒るコトなくなったわ。ってゆーかあん
たローラーは持ってないの? わたし? 部屋置いといたらどっか行ったわ。買うのもめんどいし貸しな。ホレ。早く。美顔ロー
ラーじゃなくてもいいわこの際。イボイボしてんなら何でもいいわ」
「ははは。あるに決まってるじゃあないかブルルくん! 我輩、美容には気を配ってるからね。(ほ、ほんとは歩き疲れたとき
ふくらはぎマッサージするんだよコレで! だってたくさん歩くと足痛いもん! 足太くなるのは逞しマッスル!! っつーカン
ジだからさあ、あ、いまのコレはブルルちゃんの真似だよ! 似てるでしょーエヘヘ。で、足太くなるのは逞しマッスルになれ
るから嬉しいけど、でも痛いのはヤダ!! だからマッサージするとね、するとね! ちょっぴり寝ただけでまるで8時間熟
睡! みたいな爽快感あるの! 昨日そうだったもん、8時にお布団入ってうつらーってして起きたらまだ10時で、でも一晩
ぐっすり寝れたって感じだったから逆にビックリだよ! え! ひょっとしてもう朝の10時ねすごしちゃったよウワアアアアア
アアアアアン! とか一瞬まじにビビったよ!)」
「よこせッ!」

 差し出されたローラーを……ひったくる。




 先頭を歩いていた武藤ソウヤが振り返り同伴者たちを見たのは、今後の予定を聞くためだったが、しかし彼はしばらく
唖然とした。なぜなら──…

「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ」
「きゃあああああああーーーーーーーーーーーー!!」


 首を左右に振って悶えるブルートシックザールが歓声をあげたくり、そのベール越しにローラーをかけるヌヌ行もまた瞳
が三本線、ひどくホワホワしていたからだ。


「……何やってんだ?」
「『頭痛取り』よッ! 知らないの頭痛ってのは死の病よッ! 脳梗塞脳出血脳卒中脳死ィーーーーーッ! アレらは全部頭
を締め付けるコトから起きる! わたしは死ぬのが怖い! いいわそこよヌヌッ!! いいッ! その力加減がとてもいいッ! 
もっとよ! もっとオオオオオオオオオオオオオオオ!!」」
「ウフフ。そうだね。総て頭の筋肉の緊張から起きる」
「けどどーして人にやってもらうマッサージってココまで気持ちいいのかしらねーー! きゃああーー! そこそこ!! 手ご
たえがあるわ! 配列がどんどん良くなってる手ごたえが!! いいわヌヌッ! あんたとわたしの相性きっと最高! もっと
よ! もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっとゴロゴロしてええええええ!!」


「ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ」
「きゃあああああああーーーーーーーーーーーー!!」


 山あいに鳴り響く少女の歓声。ソウヤは頭を抱えた。彼はあまり少女を知らない。というか友人じたいいない。でなければ
パピヨンパークで父母相手に狷介固陋を決め込まなかった。そのパピヨンパークで出逢った女性といえば斗貴子と千歳と
毒島ぐらいなものだ。(桜花とは直接面識はない。御前は見たが)。ほか見知った女性といえばちょくちょく月から遊びに
きていたヴィクトリアだがこちらは父母が高校生の時分すでに1世紀生きていた身上、前歴ゆえ枯れてもいる。


(女のコってこんな騒がしいものなのか?)


 もとより目的地への道中。騒ぎは慎むべきだが注意する気にもなれずしばらく傍観。


 やがてマッサージも終わり──…



「あんた、意外に愉快な人だな」
「まっさかァー。キャハハ! 誰だって痛いの治ったら機嫌よくなるでしょお! 虫の居所って奴は急に変わるから怖いの
よ。さっきまでニコニコしてた癖に突然怒りだすワケの分からん奴いるけどわたしはきっとそちら側ッ! おうソウヤてめえ
さっきのアレでこのブルルさんが親しみやすい奴だって勘違いして下らねーチョッカイ出してみやがれ……」
 うっとりした、まるで酩酊したサラリーマンのような眼差しのブルートシックザール。少年ソウヤの目の前で

「パァーン!!」

「ってカンジの『猫だまし』かましちゃうわよン! キャハハ!!」
 手を叩き、腹を抱えた。何がおかしいのかキャハキャハ笑う彼女はとても上機嫌、しかしソウヤは何をいっていいやら困惑中。
父母をほどよく受け継いだ凛々しくも愛らしい顔つきを汗に彩りとりあえずヌヌ行を見たのは助け船を期待してだが、

「ウフフフフフフ。打ち解けた。打ち解けた」
 
 彼女はなぜか背中を向けていて、何やらぶつくさ詠唱中。良く見ると軽くガッツポーズしている。ときおり後ろからでも分かる
ほど頬を裂き笑うのでソウヤはますます分からない。

「羸砲。なんでアンタまでホワホワしてるんだ……?」
「ウフフ……。我輩ご存じの通り一人っ子でね。妹とかいう概念に以前から興味があった。本当は髪など梳りたかったが
ローラーでほぐすというのも中々良くてねえ。ああ。いいナー。ブルルちゃんのあたま、汗でしっとりしてきたヨォ〜〜。
ちっちゃくてスベスベの頭……カワイイなー。カワイイなーーー」
「(あんたまたヘンな状態になってんぞ。というか……素?)」


 武藤ソウヤは気づく。或いは遅すぎるかも知れないタイミングで。

(オレの同伴者はヘンだ! 間違いない。確信した。この2人は、2人ともが──…)


(変 人 だ ! !)


 かつて未来の夫とその好敵手にさんざん振り回されキリキリ舞いした津村斗貴子の魂!

 それはいまソウヤの中! まばゆく輝いている!




「ちなみにヌヌ、あんたの転生手伝ったのこの私よッ!」
「ああ。知ってるよ。(へェー。そうなんだあ)」
「そ。だからあんたがどーいう人生送ってきたか知ってるわ。本心もね」
「………………え?」

 怜悧な美貌に汗が一しずく。ヌヌ行に動揺走る。

「ま、そっちはともかく本題。目的地っつーか会いに行く奴のコトだけど」
「チメジュディゲダール……だったか?」

 口を開いたのは武藤ソウヤ。ヌヌ行をチラチラ見つつ問いかける。

「一体どういう奴なんだ? 確かフランスの物理学者とは聞いてるが、それがどうして日本の山奥に?」
「逃げてきたのよ。代々世間に秘してた説、公表しちまったせいで故郷じゃ犯罪者扱い。本人はワルじゃないけど」
「???」
 順を追って話すわ。緑の唇が動く。

「まず覚えておいて欲しいのは名跡(みょうせき)ってトコロね。チメジュディゲダール=カサダチっていうのは個人名じゃあ
ない。歌舞伎でいう市川なんたら、飛天御剣流でいう比古清十郎みたいなもんよ」
「飛天御剣流?」
「戦国や幕末で活躍した剣客の流派さ。ま、詳しくは早坂秋水にでも聞きたまえ」

 その早坂秋水が巡り巡って飛天御剣流の技──九頭龍閃──で苦しむ運命の皮肉はもちろんまだ知らぬヌヌ行だから
口調はあくまで気楽なものだ。されど歴史軸はやがて……シフト。ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズが生まれる新たな
歴史、正史と異なるうねりへと。

「この名跡を継ぐ利点はただ1つ。──巨万の富。金持ちなのよ『チメジュディゲダール』!」
 またセリフの後半を手書き文字で呟きながら、ブルートシックザール、続ける。
「なんで金持ちになれんのか? 答えは武装錬金にあるわ。チメジュディゲダール=カサダチを襲名したものは必ず同じ武
装錬金を発動する。カサダチ、つまり餝刀(かさだち)。金色で宝石とかそこら中に散りばめられた刀よ。成金ヤローが悪
趣味で作ったかのってぐらいド派手。コレの特性は代によって若干ちがうけど、使えば必ずお金持ちになれんの。まったく
不労所得とか見てて頭痛いわ」
「……それは妙な話だねえ。武装錬金は指紋みたいなものだ。同じ武器はないはず。パピヨンとバタフライ、武藤ご夫妻と
ソウヤくんを見ても分かるだろう? 突撃槍(ランス)の子供が三叉鉾(トライデント)だ。似こそすれまったく同じにはならな
ない。それがどうして──…」
「アナザータイプ」
「ん?」
 口を開いたのはソウヤ。ヌヌ行は一瞬目を丸くし注視。
「聞いたコトがある。父さんがパピヨンを倒したときの話。確かダブル武装錬金を使った筈だ。母さんの核鉄でな。だから
バルキリースカートの形状のサンライトハートが……。引き継ぐんだ、核鉄は前の所有者を。50%ほどだったか、以前発
動した武装錬金のデザインを継ぐ。火渡赤馬の核鉄で発動したニアデスハピネスは赤い炎の羽になる」
「ほー」
「そ、原理としてはアナザータイプと同じ。違うのは『割合』ね。チメジュディゲダールの所有する核鉄が引き継ぐのは……
『99.9%』! つまり総てッ! 前の所有者をほとんど総て受け継ぐ!」
「いったい何でまたそんなコトになってるんだ?(ブラックジャックのアメーバみたい! スゴイスゴイ!)」
「実験らしいわ。人の精神って奴がどれほど残るかって言う実験。初代チメジュディゲダールはわたしのご先祖様と遠縁で
『惑星の心』(コズミックマインド)……マレフィックアース発見にもずいぶん貢献したの」



「そう……」


「和訳すれば『無銘』という名を持つ伝説の霊獣が、ご先祖さまに啓示した──…」



「マレフィックアースの発見にね。で、例の核鉄武装錬金説……」
「実は核鉄も武装錬金で、いまその創造者は精神生命体として存在している……だったか」
「初代はそれになれるかどうか実験したの。流石にいきなり精神生命体はムリだから、アナザータイプの原理を応用して
どーにか精神だけ、武装錬金だけ残せないかって試みたのよ。でもタダの武装錬金じゃあ誰も核鉄使ってくれないでしょ?
実験にならない。だから──…」
「成程。我輩にもカラクリが読めてきたよ。『お金持ちになれる武装錬金』ならむしろ使用者は殺到だ。或いは自分の武装
錬金がそーいう特性だからこそ……襲名を考えたのかも知れない。(使えばお金持ちの武装錬金か〜〜。いいなあ。もし
手に入れたら毎日まぐろ丼!! 3食全部だよ夢みたい!)」
「実験体として命を捨てた初代を、わたしのご先祖が不憫に思ったっていうのもあるわ。『せめて名前だけは』と代々襲名
するコトを条件に……2代目に渡した。初代の精神を99.9%受け継いだ核鉄をね。ま、それ自体にもどーやら意思がある
よーで、あまりに不適格な奴は発動できないよーだけど」
「ちなみに襲名に必要な資質は?」
「「名前を継ぐ条件は2つ。錬金術に精通……っつーのは説明すんのスッとろくなるほどトーゼンだから省くわ。重要なのは
『2つ目』。襲名した者は死ぬまで必ず錬金術に関われってトコ」
「とすればその名前……」
「ええ。10世紀ごろから一種のステータスね。錬金術師として1コ上の肩書みたいなトコロがあるわ。知識と財力兼ね備え
てるもんだから当然っちゃあ当然だけど」
 ブルートシックザールは立ち止まる。話すうちソウヤたちを抜き去っていたらしい。先頭になった彼女は不敵な表情であたり
を見回すと踵を返し……2人の間へ。
「襲名だけどさ、必ず発展させろ……じゃないのがミソなのよ。敵対……それこそヴィクターよろしく滅ぼそうとするのもアリな
訳。実際、先々代のチメジュディゲダールはアンチ錬金術の活動家だったわ。2週間に1回は研究機関テロって世間騒がせ
た。武装錬金ナシの筋肉頼りでね。半ホムンクルスを叩きのめし、安く大量生産された錬金術製のピストルの弾丸嵐を凌ぐ
彼の流派は無敵流」
「…………安直な名前だな。羸砲は知ってるか? ソレ」
「確か幕末、飛天御剣流の剣士と戦っていたような……」
「ちなみにチメジュディゲダール11代目はわたしのご先祖、ヌル様のさらにお兄様……つまりアオフシュテーエンの部下よ」
「ほう」
「レティクルエレメンツとの戦いじゃ大いに活躍したっていうわ。ま、戦死したけど」
 ソウヤとヌヌ行の間にある1mほどの空隙に潜りこむ。当り前のように行われた挙措はしかしどこか奇妙だった。
「目下目論みは概ねうまくいってるみたい。継がせていくコト1500年近く、いまは26代目だけど初代との誤差は……」
「約2.4702287%だね」
「計算速ッ! なにあんた人間コンピュータ!?」
「? なに驚いてるんだい? コレぐらい普通だと思うが? (1ひく(0.999^25)でしょ、簡単だよ)」
「つまり……当代、26代目の使うアナザータイプの餝刀(カサダチ)は、初代を」
「およそ97.5297713%受け継いでる計算ね」
 と呟くブルートシックザールはソウヤの背中を押している。上体を90度まげ、伸ばした両手を当てるさまは重いものを
押しやるような格好で、だから背後のヌヌ行は思うのだ。「おや?」と。もちろんソウヤは重くない。それなりに身長のある
少年だから風船のようにはいかないが、しかし押すのはヴィクターIII、出力はホムンクルスを上回る。なのにまったくの
ヘッピリ腰でソウヤを押す。
「(…………待って。女のコがこーする時っていうのは)」
 スチャリ。小さなメガネを直しつつ行うのは視点変更。ブルートシックザールから正面へ。そこは相変わらず木々に囲まれ
た平坦な山道だ。『スズメバチ注意!』 真赤な文字おどる小さな白い看板以外取り立てて異常はない。
「(……んー。なにか怖がってるのかなーって思ったけど何もいない」
 そもそもホムンクルスで頤使者でしかもヴィクターIIIのブルートシックザールが何を恐れるというのか。
(ウィルと組んでるライザウィンを恐れるのはまあ仕方ないよ。歴史改変者……ある意味、神サマだもん!)
 では何を怖がりソウヤの後ろに回ったのか? ヌヌ行が首をかしげる間に看板が横をすぎていく。その瞬間めばえた
ホッとした気配は誰のものか……羸砲ヌヌ行には分からない。
「とにかくさあ。2032年に錬金術が自由化してからチメジュディゲダールって名前はますます価値を帯びたわ。錬金術
師たちはまるで公務員や会計士に憧れる学生のよーに目指した。蠱毒よろしく殺し合った弟子たちもいたし、運命的な
絆に導かれるまま結びついた師弟もいる。あまりに人気なもんなんだから、数年おきに代替わりしたのが2100年代。簒奪
期よ。先代殺して立場奪った奴がまた殺されて奪われる不毛な時期がしばらく続いた。時には南北朝期みたくチメジュディ
ゲダールが2人とかいう時代を経て…………何代も何代も重ねていくうち……1人の天才が気付く」


『そもそもチメジュディゲダールとはなんなのか?』


「ルーツを調べていくうち、その天才は気づいてしまう。そもそもの発端に」
「……マレフィックアースを証明するため命を捨てた初代に」
「核鉄に遺ってる97.5297713%の正体に」
「そ。気づいちゃった訳。あとはもう芋づる式ね。あっという間にわたしのご先祖様にたどり着きそしてコズミックマインド
を知る。ご先祖様は『惑星の心』と呼ぶマレフィックアースの存在に。……有能だから纏めるまでさほどかからなかった」
「それが26代目……」
 やがれ2078年、『核鉄武装錬金説』を提唱。それは遡るコト4年前に発表した『近似世界競合説』と相まって大いに失笑
を買う。

「あまりにブッ飛び過ぎ! まったく頭痛い説。それでも信奉者は生まれた。カルトな分とびきりディープで熱烈な奴らが」

 大乱を引き起こした王もまたそうであり──…

「だからこそチメジュディゲダールは罪人扱い。そりゃあそうよねえ。あの大乱の最終目的っつーのがマレフィックアースの
復活なんだから。そのためだけに約30億8917万人も死ねば誰だって怒り狂うわ。『テメーが教えたからッ!』って」
「だから日本に、か(イジメはダメだよ!!)」
「日本はパピヨンのお陰で比較的ブジで済んだからそれほど恨みは深くない。ま、その代わり」


「ヤバくなったらヒーローが来てくれる……。そんな調子で悪を捉えているから」


「『軽い』の。怒りや憎しみじゃあない、面白半分の動機で敵を見ている。コレはコレで危なっかしくて頭痛いわ」


「概ね把握したが、なんでソイツがライザウィンの手がかりなんだ? ウィルに連なるライザウィンと──…」
「『どういう関係か?』 簡単よ。奴もファンなの、26代目の。で、ライザウィンは元が言霊だから手紙が大好き。ファンは
手紙を出すものよ。相手が故郷を追われた行方不明者だとしても、力づくで探し出し……ね」
 ソウヤは納得したようなしないような表情だ。無愛想な顔はやや難しげに黙る。

「探すのはつまり『手紙』よ。『手紙』さえあればわたしの武装錬金で突き止められる。ライザウィンの……所在を」

 木々が終わり崖に出た。ソウヤたちからは向って右に伸びる、三日月状の崖のさらに先端に家があった。三角に尖る屋
根は赤くそれ以外は真っ白な2階建ての洋風はまるで日向ぼっこをするカメのようにノンビリ佇んでいる。

「グッタイミンッ! ちょーど着いたわ。アレが26代目の家よ。ガサ入れて突き止めてライザのヤローぶっ殺してやる」

 腕まくりをするブルートシックザールだが前には出ない。そろそろ何か奇妙だと思いつつソウヤとヌヌ行は歩きだす。


 その日星超新が勢号始と唇を重ねてしまったのは、半ば事故のようなものである。

 始まりは下らない騒動だった。バイトをしていたらおかしな連中と事を構える羽目になった。
 新はまっとうな手段で勝利したが、相手方は承服せず、荒事になり、あとは始の大暴れ、蹂躙で幕を閉じる──…
 かれにとって全くいつも通りのパターンだったが、1つだけ常態ならざる出来事が混ざっていた。

 この日の始は例の発作、マレフィックアースのエネルギーが流れ込んでくる日でひどく昂ぶりやすかった。

 始は、発作の日や周期を、一般女性が、ブルートシックザールにだけ効く頭痛薬が本領発揮かと腕まくる現象にするよ
う熟知し、コントロールしていた。だからその日突然おこった発作には心底戸惑った。戸惑ったばかりに余計なコトをやり、
それが唇を奪われるきっかけになった。後に彼女は知るが、発作の数日前または数日後を境に、頤使者の肉体は急速な
機能低下に見舞われ始める。97年におよぶ稼働がついにもたらしたガタの兆候こそ……突然の発作。



 時は武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行がブルートシックザールに出逢う8日前。


 無言の星超新にむりやり立たされ唇奪われる168秒前。








 勢号始は靴下を脱いだ。そのとき彼女が腰かけていたのは、錆が曼荼羅のように浮いた一斗缶で──…







 さらにさかのぼるコト3日前。



 総ての始まりは、新の、奇妙な質問からだった。投げかけられた始は一瞬なにを聞かれているのかまったく分からなかっ
た。黒目がちな、子ギツネのような瞳をピコピコ瞬かせてから行う反問は、光子の言霊がウソのようなスローリィさで……。

「バイト先紹介しろってお前、なんでだよ?」
「キミは頤使者。ずっと無職の筈だ。1つぐらい、食いつなぐ手段知っているだろ」

 星超新はニコリともせず顔を近づけた。声が若干小さいのは周囲を慮ってのコトか。いま2人がいるのは教室だ。新の
前に始の席がある。いきおい彼女はガニ股でイスを跨ぎ新を見ている。黒ジャージだががさつさは否めない。

「あたら最近オレへの評価ヒドくね? まあいいけどさ。でもお前、株とかいろいろやってんだろ? ネット使いさえすりゃ
サラリーマンの平均年収ぐらい1か月で稼げるとか前いってたじゃねえか」
「新だ。いい加減間違えるな。いまは1週間さ。だがそういうあぶく銭じゃダメなんだ」
 と語気を強めた新はそこで黙りこむ。らしくもなく──と思ってるのは怜悧を自認したがる新だけで、始はむしろ「ああ、い
つもプリプリしてるあたららしい」と歓迎した──熱くなったと反省したのだろう。常人ならそこで配慮し次の言葉を待つもの
だが、
「あー。そういやおじさんたち、今年で結婚30周年だったな。あたらはつまり、祝いてぇ訳だなっ!」
 勢号始に容赦はない。あっさり核心に切り込んだ。






 おじさんたち、というのは星超新を引き取った老夫婦のコトである。
 敬愛されるコトなかなか。以下、クライスメイトへのインタビュー。



「星超はすっげーあの人らのコト好きだからな」
「アハハ。本人は『別に誕生日ぐらい祝ってもいいだろ』とかなんとかいってるけどさ」
「うぅ。お小遣い3ヶ月分ぐらい貯めてプレゼントしてるんだよ。ガチすぎだよ」





 本人こそ一線を引いているつもりだが、傍目から見るとなかなかの孝行息子。例えば昨年の敬老の日などは王の大乱ごろ
からある冷蔵庫──すっかり水漏れし床板を腐られるコトはなはだしい──を最新鋭のもの(34万9800円)に買い替えた。
クラスメイトたちは仲睦まじく買い物する新たちをよく見るし、そのとき彼は必ずと言っていいほど両手に中身満載の白いビ
ニール袋を持っている。


 彼らには息子がいた。血のつながった、実の息子が。しかし新の見るところ彼はまったく働いている様子がなく、しかも
ときどき両親に暴力をふるっているようなのだ。現場こそ目撃したコトはないが、夜中すさまじい騒擾と叫び声があれば
必ず翌朝老夫婦の顔に殴られたような、生々しい痕が刻まれている。


(ボクは高校卒業までに家を買う。あの人たちが平穏に暮らせるよう)


 そういう仲だからこそ、プレゼントは、電脳上という、一種虚構のにおいのする空間で稼得した金銭で、買う気にならない
のだろう。

 家族のいない始はそういう機微が大好きだ。心がキューンとなって涙さえ自然に浮かんでくる。

 助力しよう……と思ったのは上記の感覚が、上記の感覚をもたらす星超新という少年が、大好きだからだ。


「という訳でバイト先!」
「速っ!!?」


 新はぎょっとした。気づけばそこは教室ではない。教室とはまったく対極の世界だった。

 ぬいぐるみとお菓子とアイスクリームの自販機が飛び込んできた。何がなんだか分からないという顔で目をこすると、今度は
色とりどりであちこちピカピカ光る大きな箱が像を結ぶ。それにはぬいぐるみと、いかついツメのついたUFOが入っており、
それでいまどこにいるか理解した。堅そうな、半透明のプラスチックがドーム上に盛り上がる楽しげな筺体の中でお菓子が
周り、クレーンが浚渫作業でもするようにモガモガ蠢いている。その右手には車の運転席を切りだしたような装置が厳然と
聳え、うら若い男子がうをうを叫びながらハンドルを切っている。ワニが洞窟から出入りするやつ、向い合わせの格闘ゲーム、
プリクラにいかにも模倣品丸出しなパチンコの台。子供たちがそこかしこでメダルやら100円玉やら片手に騒いでいるのを
見るまでもなくココはまさしくゲームセンターだった。

「いやボクの性格的に合わな……て!! いつのまにか着替えまで終わってるし!!?」

 何気なく衣装を見た新は仰天だ。学生服はどこへやら、いかにもカジノのディーラーという感じのシャツやズボンや蝶ネクタイ
にすり替わっている。始の姿はその女性版で、ミニスカートから覗く短い脚はいま網タイツに覆われている。

「さあレッツらゴーだぜ! 働くのだぜ!」
「待ちたまえよ。……ふふっ。なるほど服を知らぬ間にすりかえているのは見事だ。見事だと褒めておこう」
「そだろー。最強だからな」
「しかしキミは重大なミスを犯している!」
「マジか!?」
「そうだ。ボクはまだ雇主と就労に関わる協定を結んでいない!」
 よって無効、ゲーセンでなど働かないよ。得意気に微笑む新の前で勢号始はドンと胸を叩きそしてえばる。

「面接とかはスッ飛ばした!! オレの武装錬金で『昨日決まった』コトにした!!」

 いぇい! 片手おおきく突き上げる始に新は軽く頭痛を覚えた。それなりの付き合いがあるから分かる。彼女が決まった
といえばそれはもう絶対覆せないのだ。いかにも悪童たちが来そうな不快な場所だが、働き口には変わりない。気分を切
り替えると自分でも驚くほどあっさり諦めがついた。同時にクールダウンした脳細胞は、


(休憩室に机あるかなあ。勉強できるかなあ。うるさくても汚くてもいいから机あるかなあ)


”らしい”心配を経て紡ぎだす。

 日頃持っている素朴な疑問を……紡ぎだす。

「……いつも思うんだがキミの武装錬金、どういう形状で、どういう特性なんだ?」
「考えるんじゃない。感じるんだ……だぜ」
「ブルース=リー。…………役者とかもありなんだ」
「正解っ! フィーリングの問題だぜ? ちょっと考えりゃ分かるけどあたらお前はアタマ堅いからわかんねーかも(ケラケラ」
 いかにも馬鹿にしてますという笑い顔で指さしてくる始を一瞬本気で殴ってやろうかと思いつつ深呼吸、新はいかにも
大人しげな少年のように頭(かぶり)を振り……返答。
「見当もつかないよ。発動は確かだ。しかし『見えない』。一体どこからどうやって作用してるんだ?」

 知恵が却って真実を見誤らせる。そんなケースは多々ある。新もまた正答後痛感する。歴史を紐解き続けてきたという自
負。単語帳3冊費やし覚えた数々の武装錬金。それらは『見えない』という形而上の問題から物事を考えさせた。例えばア
リス・イン・ワンダーランドのようなそれ自体が極小の、肉眼で見えない武装錬金の数々を記憶の彼方から引きずり出し、
照会をした。けれどそれを述べるたび始は胸の前で×を作る。暴君かというぐらい口を歪な三角にし、成績では遥か勝る
星超新を馬鹿にする。

「ほんとうアタマ堅いなー。言っただろ? ちょっと考えりゃ分かるって」

 武装錬金を発動するものには1つだけ共通点がある。姓名のどこか1か所に必ず存在する『キーワード』。武器や戦い
に連なる一種物騒な単語が。名は体を表すというか、言霊的なマジックが作用しているのかまでは分からないが、そも言霊
といえば始はまったく”そのもの”ではないか。とすれば韜晦はない。選ぶ筈がない。答えは本当簡単で──…

「……気付かない方がどうかしてた。キミのその”勢号”とか、本名の”ゼーッ!”っていうのは『アレ』じゃないか」
「そ。だから見えなくても支障なしだぜ」
「いやでも確か『あの武器』は失敗──…」
 新の言葉を途中でキャンセルしたのは、肩にポンと乗った大きな掌。
「やあちゃんと時間通り来てくれたね! 店長さんはうれしいよ!! さっそく仕事を覚えよう!!
 振りかえればギャングの親分がいた。新はゴッドファーザーを見たコトないが、きっと主人公はこんなんだろうと勝手に
決め付けた。男で、年のころは50だろうか。白いものが混じった髪をオールバックにしている。新の肩がゴツゴツ痛むの
は、置かれた指の5本すべてに、銀色の指輪が納まっているからで、緑や赤の宝石が、悪趣味なまでに散りばめられた
それは装飾品というより凶器だった。新の本質は狂暴だが、勉強を邪魔されない限りは分別のある、大人びてさえいると
教師たちに褒められるタイプだから、肩の痛みには、内心早く手ェどけろとか荒っぽいコトを思いながらも、やや引き攣った
愛想笑いで済ました。「おゥごめん」。意思を汲んだのかただ不躾だと思ったのか。店長は手を離し代わりに葉巻を取り出
した。
「店長。ココは禁煙だぜ」
「堅ぇコトいうな始。俺の店だ」
(メインの客層、子供なのに無遠慮な。副流煙が成長に悪いって知らないのか?)

 ジポッ。先端がオレンジに縮まる葉巻を見ながら──きっとキューバ産だろうな、などというそれっぽいがあまり的を射て
いない考えに浸りながら──新はおやと首をひねる。始に目くばせすると彼女は機微を察したのかトテトテ傍に駆け寄って
きた。頭から伸びるダブルの触覚を除けば頭2つは背が低い。小動物が寄ってきた、そんな錯覚を覚える新に向ける眼差
しは、稀釈した墨汁のように『澄みつつ黒い』。
「なんだ?」
「勢号。キミは店長さんと知り合いなのか?」
「何言ってんだよあたら」
 いかにも心外という始だ。何でそんなコト聞くのかという表情で彼女は……こう答えた。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「いま初めて逢ったに決まってるじゃねーか」

 星超新は6秒ほど沈黙。店長の作ったドーナツ型の紫煙が駄菓子屋で売っている20円のものから世界のビックリドーナ
ツ博覧会限定販売のジャンボサイズ(定価1980円)に変わるまでずっと黙りこくりそして一言。

「やっぱり」

 新は本当にヤバイと思ったとき却って無表情になる。その代わり襟足をずっくり濡らす。絹糸のような後ろ髪がうなじに張
り付いてしまうのは、幼少期、両親と母の従妹と『もし生き延びたら良き近所のおばさんとして成人までそこそこ長く交流し
たんだろうな』と時々思うよく肥えたベビーシッターが、クローゼットの向こうでレミントンの散弾に噛み破られる光景をひた
すら黙って見ていたからだ。『ボクは今年36だけどあんな場面を見ちゃあ叫ぶしかないね。スゴい自制心だよ君』。事件
後、新を診察した赤茶けた髪の男性医師は口笛を吹きたたえたがこうも言った。『けど耐えすぎた。君ぐらいの年にそうい
うコトをすると歪むんだ。感情がね。ちゃんと機能しなくなる。自制心がスゴいから壊れちゃいないが……』。

 叫べば死ぬ。
 そういう局面でただ沈黙しじっとしていたから。
 さっさと叫ばずピーカーブーと的にされなかったから。
 母の従妹やベビーシッター(4歳になった新をなお世話していた子供好きの、事件のなかもっとも死ぬべきではなかった
温厚な黒人の)の”引き換え券”になりそこねたから。
 罪悪感を抱えて生きているから。

 命の危機を感じると脳髄がマヒし動けなくなる。

 死を望む静かな緊張感。時速120kmで疾駆するエアカーが突っ込んできたら、暗中光を浴びるネコより硬く留まり撥ね
られるだろう。


「ま、いつものコトだぜ」


 奇妙な”それ”だが時々ある。以下その一例。

 新の中学に転校してきて一年たたない始だが、なぜか茶道部では昔からいるコトになっている。最初こそ「武装錬金で記
憶イジッたんだろうな」程度にしか思っていなかった新を慄然とさせたのは写真である。彼女がやってくる前行われた親睦
旅行の写真。始は……当たり前のように映っていた。それでも「写真ぐらい後でなんなりと合成して誤魔化せる。証言者た
ちの記憶が改竄されているなら、なお」とムキになって調査した新をますます混迷のるつぼにハマり込ませたのは、茶道部
の親睦旅行と同じ日に、同じ旅館を利用した、会社や婦人会、若者グループたちである。彼らが何の気なしに取った写真
や動画の端々に始は居た。それで証言者たちが強烈に覚えているなら改竄を疑えるが、むしろ普通にうろ覚えだからこそ
ヘンなリアリティ──本当にその場に居たんじゃないかという──が湧いてきて新は困った。

 で、頼み込んでコピーしてもらった映像記録、端末からさかさまに立ち上る光円錐のなか揺れ動く立体映像を、「絶対イカ
サマ見つけてやる」とばかり血眼で見ていると。

 始が急にカメラ目線になり……こう囁いた。

「あ」

「た」

「ら」

 新の襟足は濡れた。

 床で端末が爆ぜる。叩きつけるほど怖かった。かつてクローゼットの隙間から見た光景は、およそ10年がたってもいまだ
悪夢として新を苛んでいる。見れば必ず叫び飛び起きるほど恐ろしい夢。声を聞き駆けつけてきた老夫婦にかわるがわる
慰められ、抱きしめられ背中をさすられてもなお、照明なしでは寝られない恐怖。「あ」「た」「ら」。匹敵。端末の向こうから話
しかけてくる始は悪夢第二弾だった。当人に話すのは負けたようで出来ないが、ベッドの上で新は頭までケットを被りガタガ
タ震えた。ぎゅっと目を瞑りただ震えた。

 得体の知れないものに見られている、知られているという根源的なおぞましさ。

 ふだんこそいってしまえばただのアホだがやはり怪物、王の大乱は約30億8917万人犠牲にしたが、その目的は始た
だ一人を生みだすためなのだ。出自で差別するなど馬鹿馬鹿しい、絶対やるものかと切歯しながら常に思うアルビノの少
年は、いってしまえば王どもが、始を生もうとしたばかりに巻き起こった惨禍、アメリカにおける陰惨な戦史が形づくった差
別の被害者で、筋からいえば始を責めていい、蔑(なみ)していい権利を有しているが、切りたくても切れない奇妙な関係
のなかそれを持ち出そうと思ったコトは一度もない。普通に人格を見ている。あまりの暴悪にときどき呆れもするが、それ
はたとえ始が人間だとしても変わらないと自負している。されど端末の映像記録、出逢いより1年前に撮られた風景のなか
新を見据え名前を呼ぶ始には、ゾッとせざるを得ない新なのだ。いかにふだん超常的な存在と関わっているかつくづく思い
知らされる。コレなんだろうと揺すった木箱の中身はダイナマイト、後でそう耳うちされるような──… 間一髪、
自分がどれほど危うい場所にいたかという冷や汗まじりの実感。

 個人的な感情はともあれ。始。新と出逢うずっと前に撮られた映像の中、なぜかれを知っているのか。
 名を呼ばうコトができたのか。


「人手が足りないんだ」
 ハッと顔を上げる。目の前にはマフィアのボス。新は気づく、どうやら思考に浸っていたらしい。
「なぜかみんなスグやめちゃうからね。何でもココで働いてると警察とか近所の目が痛いとか言うんだ。
ゲームセンターだよ? 人に夢と安らぎを与える素晴らしい職場じゃないか。なんで気にするのかな?」
(…………あなたがマフィアっぽいから、なんてコトはいっちゃいけないよな失礼だ)
 金色の前歯とムワリ漂う口臭にかるく思いながら従事開始。




 2時間後。休憩室で。





「覚えた。基板の交換、カードの補充、お菓子詰まったときの対応……もう全部覚えた」
「はっはっは。さすが学年1位の新くんだ」

 マニュアルを机上に放り捨てた新、こめかみの横で人差し指を立てる。キラリン、金の一等星が浮かびそして消える。声
音はドヤに満ちていた。さらに店長がいくつか放った質問にもことごとく正答、マフィアの親分を大いに満足させた。



 そしてさっそく現場に出る。新と始、店長を除けば店員は3名で、まず紹介されたのは美容師を目指しているという19歳
の女性。茶色のパーマでそこそこ美人の彼女は透き通る肌の新を気に入ったようで半ば無理やりメールアドレスを交換
した。わいわいやっていると、UFOキャッチャーに人気漫画のプライズ品を補充し終えた若い男性がやってきて、「来月
23歳になる社員だ、俺不在のとき何か問題があったらコイツ呼べ」と店長が紹介。角刈りで語尾にやたら「ス」をつける
暑苦しい態度にやや気押されながらも自己紹介したところで両名上がる時間が到来。店長も去る。野暮用があるとかで
とりあえず非常用の連絡先──社員でさえ解決できない問題が起きたときのための──を残し。


「おばさん助かったわ〜〜 マジ助かったわ〜〜〜 あなたたち来なかったら終業までボッチだったわ〜〜〜」
「は、はあ」


 入れ替わりにやってきたのは自称おばさんだが、どう見ても新より1つか2つ上の若い女性だ。美容師志望のパーマさん
よりも若い。聞けば26歳。童顔だが子供が2人いて上が来年小学校に入るからバイトしているのだと(聞きもしないのに)
まくし立てた。いわれてみればと新は彼女の髪を見た。白い光沢が溌剌としているが、どこか生活の疲れも見える。花柄の
薄汚れたヘアゴムで、長い黒髪を、後ろで無造作に括っているのはいかにも主婦らしい。それだけに肝が据わっているの
だろう、店のトイレでタバコを吸っている男子高校生を見つけてはふんぞり返りコラと怒鳴る。怒鳴り返されても胸倉を掴ま
れても切れ長の瞳がむしろ凛と輝きますます迫力を帯びるものだから、彼らは気押され必ず黙る。この人すげえと思いな
がら新が「で?」と見たのは勢号始。


「…………なんでキミまで働くコトになってるんだ?」
「細けぇコトはいいだろ! なんかタノシソーだし!」


 立体的な台形に柱が刺さり飛行機を支えている。ひどくデフォルメされたそれはウィンウィンと上下左右に揺れ動いて
いた。勢号始はそれのパイロットで客室乗務員でファーストクラスのお得意さんで、つまり要するに乗っかって遊んでいた。

「デパートの屋上とかにある子供用の奴だろソレ。中学生が使うとかどうだよ。降りたまえ、今すぐ」
「ヤダ! だって楽しいもん!!  なんだコイツ!! なんだよコイツすごいすごい! おもしれーーーーー!!!」

 乗るのは初めてらしい。
 輝くような笑み、そして「おっと」。飛行機が止まった。すかさず始は上着のポケットに手を入れまさぐる。着替えてからまだ
3時間も経っていないというのに、そこはもう処理能力に限界のきた硬貨と紙屑とお菓子のゴミの埋立地だった。100円玉
1枚取り出すまで零れたのは、くしゃくしゃに丸まったレシート、歪に四つ折りされたポテトチップスの袋、菓子パンの残骸
などなど枚挙に暇がない。そんなこんなでたっぷり40秒かけて取り出されたコインはしかし飛行機の硬貨投入口へ向う途中
みごと新に没収された。

「働け」
 睨まれた始はすごく心外そうに唇を尖らせた。
「なんでだよ?」
「なんでときたか!! キミすごいなある意味尊敬する!! バイトしてる以上働くのが当然じゃないか!!」
「うん分かった。じゃあもうイッペン飛行機乗ったら本気だす。頑張って働くから100円返してチョーダイあたら」
「働かない奴の典型的な言い訳!? 先送りだぞソレは!! まずは働いてもらおうか!! つかちゃんと働けよな!!」
「うっさいうっさいうっさい!! 何でおまえそんな乗り気なんだよ!? 最初ブー垂れてた癖に!!!」
「紹介したのはキミだろうが!! 第一いまは頑張ろうと思ってる!!」
 星超新はとうとう激高した。始の胸ぐらを掴み、鼻先に人差し指を押しつけた。指はシケモクかというぐらい縮み潰れた。童
顔の主婦はというと集団で乗り込んできた幼稚園児どもに色とりどりの風船を配り、頭など撫でていた。
「いいか! バイトというのはいわば時間を賃金に変える作業!! 時間が絡んでいる以上妥協しないぞボクは!!」
「えーーーーーーー。でもそれお前だけの問題じゃんよ」
 頭の後ろで手を組みながら始。両者の温度差はひどく意見もまた平行線。
「そだよ。お前だけシッカリやってりゃいいだろ?」
「違うね!! ボクは、時給以下の仕事を許さない!! 時給に見合わない、手抜きの仕事など一切認めない!! 時間を、
下らないコトに費やしておきながら賃金を受け取るなど愚の骨頂!!!! 時間を浪費しておきながら結果だけは得る!!
不愉快だ!! とってもとっても不愉快だ!! だから誰だろうと許さない!! たとえキミがどういう存在であれ許さないよ
ボクは!!」

 純粋な力量だけでいえば星超新は勢号始に遠く遠く及ばない。その差はホムンクルスとなり「ウィル」という水星の幹部になって
からも縮まなかった。奇襲とはいえ、バスターバロンさえ無効化できる武装錬金を持ってなお及ばぬ新が、それ以前の、核鉄さえ
持たぬ人間の状態で喰ってかかるのは、啖呵を切るのは、まったく匹夫の勇でしかない。まして例の映像記録、「あ」「た」「ら」
にひどく恐怖したではないか。もし始が本当にただの暴君ならあっという間にひねり殺されていただろう。彼女の武装錬金
は謎めいているが、「いなかった始」を「いたコトにできる」以上、その逆も可能、消し去られるかも知れない……。などと諸
条件を描く新がそれでなお噛みついたのは、信念ゆえだが、しかし、衝動的な、考えなしの激昂でもあり、弱さゆえの出来事
ともいえた。それは彼の、悠久の人生のなか、しばしばとんでもない大失敗の原因となり、いよいよ抜き差しならぬ事態の
なか襟足を濡らすがそれは余談。とにかく彼は言葉をはなったあと、「ああしまった殺されるかも」とさえ軽く後悔した。
 しかし時間を侮辱されて黙っていられないのが新。怖れ戦き保身目当てで黙りこくり、それで長らえるのもまた冒涜ではない
か。安全だが無為な人生など全く求めていない、やってやってやり続け、大事な『何か』に殉じた短命の男たちこそ理想な
のだ。かれらの歴史を紐解いたとき、最期までを追体験したとき、新は感じるのだ。時間を使いきったという確かな充足を。


 一方、詰め寄られた方は──…


(ああ)

 とため息をついた。絵画は書ほど好きではないが、それでも素晴らしいものを見たとき感覚は満たされる。美しい色彩、
迫力の構図、年を経た油絵の具の凹凸感──… 何もかもに安心し嬉しくなる。名盤に収まっている交響曲も遥か昔の
名優の熱演もお気に入りの屋台で買うクレープも感覚に訴えてくるものは何もかもが大好きだ。
 新の激昂は覚悟満ちる絵画だ。常に感覚を研ぎ澄ませている始だから、相手の、殺されるかもという恐怖さえ敏感にかぎ
とった。にもかかわらず意思を放つ新。殺されるというのはつまり感覚の喪失だ。肉体が生命活動を終えるとききっと感覚も
消えるのだろう、常にそう思い、いつ頤使者の体が機能停止するか怯えている始だから──と同時に前々から手を尽くし、
新たな肉体の器……ブルートシックザールを探している始だから──、死ありきで諫言しそれが信念の完成だと信じている
新があらゆる芸術作品よりまばゆく見えた。始はただ感覚を感受したい。長らくの虚無を経てやっと得られたものだから、
永続以外はありえないのだ。ずっとずっと、楽しく、感覚というものを満たしたい。だから死などはありえない。死んでまで得
たいものなどまったくない。もっとも、彼女の場合、肉体が死んだとしても、言霊だけは生き続けるから、本当の意味で死ぬ
コトはない。誰かに新しい肉体を作らせそこに宿れば存外簡単に復活する。人間とはそもそも存在の定義からして違うのだ。
PCで例える。始はそれに宿るデータそのものが”自分”なのだ。仮にHDDが大破したとしても、バックアップを新品に移し
さえすれば問題なく復活できる。レジストリの値が多少変わったとしても割り切れる。『生きてく以上ともなう変化』と……割
り切れる。
 人間はHDDもひっくるめての”自分”だ。ありふれたクローンものでいう、「記憶だけあっても別人、まったく違う」だ。レジ
ストリ1つ書き変わるだけで別モノと騒ぎ受け入れない。
 そのたった1度だけの自分を捨ててまで時間への矜持を貫かんとする新が始には眩い。彼女は肉体が滅んでもいつか
復活できると踏んでいるが、それでも蘇生まで突き落されるであろう光速の世界、何もかもがあっと言う間に過ぎ去る感覚
なき世界、唯一電波だけが頼りの抽象世界は何より恐ろしいものだ。感覚の素晴らしさを知ったからこそいまは余計に怯
えている。だから死を避けたい。ラスボスにならぬと声高らかに宣言するのは結局討伐されるのを恐れているからかも知れ
ない。

 何度だって現世へ降誕できる権利を有しながら死を恐れる始。
 死を踏み越えてまで貫きたい信念なき始。

 たった1度きりの短い人生だからこそ逆にしりごまず貫ける新。


(やっぱ人間っていいなあ)


 と浸る間にも星超新は容赦ない。

「てか勢号、お前なんの役に立つんだ?」

 鋭く切り込む、改めて。

(ひでえなあもう。手加減なんか全然してくれねーんだもんあたら)

 心中そう思うが怒りはない。むしろニヤけて仕方ない。始は自分が最強だと思っている。ヴィクターだろうとパピヨンだろう
と戦って負ける予感はまるでない。地球などその気になれば消しされるし、名うての時空改変者たる羸砲ヌヌ行の前世だっ
て呆気なく瀕死に追いこんだ。新だってその実力のほどは見ている。図書館の帰り討滅したヤマタノオロチ、いつだったか
再生召喚し殲滅したレティクルエレメンツやバスターバロン。騒動絶えぬ日常のなか雑魚を蹴散らすのは今や週1ペースだ。
いつも一等席で溜息まじりに観戦している新は大体のところで妥協する癖に、いつもいつも最後の一線だけは守り、抵抗
するのだ。戦えば、始がわずかな気まぐれを起こせば、ヤブ蚊のように死ぬと分かっていながら……刃向ってくれる。立場
だけは対等、媚びも誤魔化しもない率直な対応。正体を知りながらなおやってくれるそれが拭うのは『孤独』。それはそれは
得難い、一種必要な、されどできれば味わいたくない『感覚』を取り去ってくれるのが新なのだ。

 だから言う。自分なりの……意見を。

「やりたいことをやれ、だぜ!」
「本田宗一郎。あまり引き合いに出さないでくれ。この人だけは例外だ。おかしな使い方されると本当自制がきかなくなる」
「正解。仕事っていうのはさあ、やっぱり自分が本当にやりてえコトを選ぶべきだよな。とても得意で、やってて手ごたえのあ
るコトをさ。時々遊んだりしてさ、それが豊かな土壌を作りみんなを笑顔にしてくんだ」
「あ、もしもし店長ですか。サボっている従業員見つけたのでクビにしてください。名前は──…」
「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 端末に囁く新。その背後で絞り出すような声を上げる始は浮かんでいた。数瞬前飛行機から飛びあがったばかりで──…


「おまえ!! おまえなあーーー!!! あたらおまっ!! おま!? え!?」

 端末をひったくった始はただひたすらぜぇぜぇ息をつく。新はひどくムスっとしている。

「今のは感化されるべき場面だろ!? 普通、普通はああそうだねって影響受けて心やわらかくすべき場面だろ! マン
ガならそうだろ!」
 柔らかい、子猫が溺れているような金切り声を浴びせかけるが新は不動。「にゃろう」。評して思う。まるで『要塞』。

 まるで……要塞。

「知らないね。キミが仕事しないとボクの負担が増える。ただでさえバイト用に時間裂いてるんだ。そしてボクならではの緻密
な時間配分によって勉強時間の減少を4%で押さえているんだ」
 目の横で平手を立てる新は誇っていた。自分の才覚をとてもとても誇っていた。
「このうえキミの不手際で残業とかさせられたらたまったもんじゃない。それっぽいだけでまるで中身のない戯言は終業後好
きなだけ吐きたまえ。ああもちろんボクのいないところでね」
「ヒドい……。あたらヒドい。おにちく!」
 まったく取りつくしまもない少年だ。さっき覚えた温かさが急転直下、溶鉱炉がごとき殺人温度へ成り下がった! 始はそう
いいただ双眸を戯画的に白く剥いた。まっすぐな涙がドバドバあふれた。足元で波紋が巻き起こり500円玉大の水たまりが
いくつもできた。
「鬼畜で結構。で、キミは一体なにができるんだ?」
 問われると急に彼女は泣きやみ、光の戻った、よく見ればチャイドルのように澄んだ魅惑の瞳をパチクリさせた。で、しばらく
考えていたけど結論は出ないよう。今度は口をM字に結び指を当て、地蔵のように眼を細めた。
「わからん。なにができる?」
「……いまわかった。キミは何も考えちゃあいない。保健所の前をうろつく野犬のように何も考えず生きているんだ」
「そんな褒めるなよあたら。照れるじゃねえか」
 はにかみながら肘鉄をくいくい、軽く叩きこむ。新はとても何か言いたげで真赤な唇が微動したが発声には至らず沈黙続く。

「あ!」
「なんだよ今度は」
 急に嬉しそうに柏手を叩き見上げてくる始に新は少々戸惑った。つい今しがた野犬と評した少女だが、考えなしだからこ
そ表情には毒気がない。窮鳥懐に何とやら、尾を振るもの、キュンキュン鼻を鳴らすもの、無防備にすり寄ってくる存在は
とても保健所に連れていけそうにない。その程度の憐憫の情らしきものは、乱暴で凶悪で屈折している新にだってある。あ
るからこそココにいる。老夫婦の結婚30年の祝いを地道な労働で稼がんとしているのだ。ゆえにたじろぐ新の前で始は
ポケットに手を入れ引き抜いた。握られていたのは緑色の意匠が目立つ紙切れで、それは拳の端々から、雑草よろしく
伸びていた。正体を判じかねた新は少し顔を近付かせる。判明。旧札だ。国語の便覧で見たコトがある。確か夏目漱石
の解説ページに乗っていた代物。「へえ300年前の1000円札は夏目だったんだ」と感心したから覚えている。ざっと20
枚はあろうか。いずれも所有者の不手際ですっかりくしゃくしゃだが、それでもあまり現存しない物品、売れば最低でも額面
価額の60倍が入ってくる……と新が知っているのは便覧閲覧後すぐさま市場価格を調べたからだ。彼はせどりも手掛け
ている。儲けられそうな手段があればとりあえず飛びつく。それこそ彼の心がけ。
 もっとも猫に小判、始にとってそれはただの『古い1000円札』で、つまり結局1000円でしかないらしい。
 両替すると言い出した。

「両替ってキミ、旧札に対応してるのかココの機械?」
「してよーがしていまいが関係ネーって奴だぜ。できねえっつーならできるよう振る舞うだけだ!」
 また武装錬金を使おうとしている……。呆れる新だがすぐさまもっと根本的な問題に気付く。両替? なんのために?
まさか骨董的価値のある1000円札を店にやり儲けさそうという訳でもあるまい。彼女は価値を知らぬのだ。
「あはは。あたらのばーか!! ばかばーか!! 両替ったら100円玉にするに決まってんだろ。そんなかんたんなコトも
分からねえとか終わってるゥーーーーー! ぎゃははっ!!」
 笑い涙をたたえながらビシビシ指さす始。女性らしさの欠片もない笑いだ。言葉もますます意味不明。
「オレはココでゲームする! たくさんたくさんゲームする!」
「おい」
 また怠けようとしている。咎めようとした新の耳に届くのは意外な言葉。
「オレがいっぱいゲームしたらその分あたらにもたくさんお金いくだろ! そしたらプレゼント買うの早くなってべんきょの時間
も増える……。見つけた! オレにできるコト!! これでいいよなきっと!!」
「お前なあ」
 新は呆れた。善意で言われているのは十分わかった。きっとこの少女はただ新と一緒にいたいだけなのだろう。97年稼働
しているとは思えないほど稚拙で単純な意見だが、彼女は彼女なりに新を助けたいのだろう。
(そこは分かるし尊ぶべきだ。そもそもバイト先きまったのは勢号のお陰だしな)
 思い返せば具申してすぐさま速攻で決めてくれたではないか。時間を重んじる新にとって「決まるまで」とは、一種の不確
定要素を孕んだ、結果次第ではまるで掛かった秒数総てをドブに捨てるような期間だ。それを経ずに済ませてくれた、相談
後10分も立たぬうちにバイト先を見繕ってくれた勢号始とはつまりありがたい、なかなか得難い存在なのではないか?
(……あまり窘めないでおこう。強い言葉は使わない)
 何かを期待するように見上げる始を前にかるく咳払い。理屈っぽい新は声がなめされるよう心掛けた。
「ええとだ。まず厚意には感謝する。資金の回転率は確かにその早い方がいいとは思う」
「そだろ」
「けどだな。キミがいくら使おうとボクの時給は上がらないし、締切日とか振込み日も変わらんのだが」
「マテ。あたらのいうコトがわからん。回転率とか締切日とか振込み日とかなんなんだぜ?」
 ダメだ物を知らなさすぎる。軽い頭痛を覚えながら説明する。要するにお金もらえる日は変わらない……と。
「え、そうなの?」
「……キミ、バイトしたコトないだろ」
「うん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
 無意味に力強くうなずく始に(相談する相手まちがえたーーーーーーーーー!!)とか何とか思いながら、新は戻る、平常
モード。

「とにかく仕事中なんだ。ゲームすんな」
「ふっふー。甘えぜあたら。そーいうジョーシキに囚われた考えからは何ひとつ生まれねー」
 チッチッチと指立て格好つける始に1ヒット。
「仕事サボって遊ぶ従業員からもな」
「ぬぐっ!? ……うっさいうっさい! だだだだ黙れよあたらコラぼけ!!  いいか、マンガなら、マンガだったらなあ、む
しろオレのよーなふだんサボってる不良社員のほーが、イザってとき頼りになんだ!! なんつーかお客の目線に立てる親
切なヤツ? みたいな。きっと子供にもバンバン好かれちまうぜ決まってる

 薄い胸に偉そうに手を当て演説する始に2ヒット〜9ヒット目をもたらしたのは、童顔の主婦からちょうど風船を貰い終わった
幼稚園児たち。

「おねーちゃん。あのてんいんさんはたらいてないよ」
「わたしたちが、こころおきなく、あそべるよーに、いっしょけんめいやるのが、てんいんさんなのに、じぶんだけ、たのしんで
るー。わたしたちのこと、ほったらかしで、じぶんだけ、あそんでるー」
「けーきたべれるからって、けーきやさんめざすひとみたい。そーいうひとほど、すぐざせつするって、おかあさんいってた」
「じぶんのことしかかんがえてないひとは、だめだよね」
「わたしたちは、ほかのひとのこと、かんがえられるように、なろうね」
「そーいうひとほど、せいこうするって、おかあさんいってた」
「あのおねーちゃんは?」
「しっぱいするねー。きっとろくでもないおとこにひっかかるんだ。16さいでにんしんして、おとこにすてられて、なつになったら、
ぱちんこやさんの、ちゅうしゃじょうにとめたくるまのなかで、こどもを、ねっしゃびょうで、むしころして、つかまって、じんせい
ぼうにふるんだ」


 口ぐちに言いながら通り過ぎていく少女たちに始はただ固まる。痛烈な10ヒット目がもたらされたのは正にその時。

「うごっ!?」

 新は見た。メダルの入ったビニール袋が、始の後頭部に直撃するのを。
 誰がやったのだろう。見れば小学校低学年ぐらいの少年が5〜6人、そこに突っ立っている。いかにも悪そうな顔つきで、
遠くで何やらクリップボードに書いてた童顔主婦が血相変えて走ってくるのも見えた。よくあるコトらしく、悪ガキどもは、ライ
オンからの安全圏を見切っているシマウマのごとく、捕まるまでの時間を熟知しているらしい。毒を食わば皿まで、捕まるま
でにやってやるとばかりコンボの締めくくり、口撃開始である。

「働けよ!!」
「そーだそーだ働けよダメ店員!!」
「無能無能ー!!」
「ばーかばーか!!」
「ちゅーがくせいなのにおっぱいちいせー!!」
「しょーがくせーおっぱいーー!!」
「やーいやーい! しょーがくせーおっぱいー!!」

「あっはっは。上記総ての悪口はまさに襟首が掴まれるその時瞬間まで言い尽くされた。見事だとは思わないか勢号。
素晴らしき時間配分、彼らはなかなか有望じゃないか。ボクは支持するよ、彼らを!!」
「……いやあたら? ウソでもいいからさ、その、まず殴られたオレを心配してくれねーかな本当」

 頭抱えてうずくまる始のトーンは低い。ヘンなところに感心する新に裏切られた気分なのだろう。「ハイハイ」。とりあえず
殴られた辺りをさすってやる。普段の悪友関係からすればやや距離が近い、甘ったるさのある行為だが、コレはそもそも
始がやれと言い出したコトだ。同行しているとどうも鉄火場にブチ当たるコトが多く、始はよく攻撃を受ける。いつも軽傷で
打ち身程度だが、あるとき痛みに耐えかねた始が「やれ! なでろ! さすれ!!」としつこく要求したばかりに新が折れ、
折れたせいで前例を作ったせいで以降なし崩し的にやらされる羽目に……。ただ手を翳すだけでだいたい落ち着くので、
新にとってはコスパのいい。時間いらずの最良手段でいまでは特に疑問はない。
 やがて落ち着いた始、よろよろと立ち上がる。頬には幾筋もの涙。

「やろう……。最強なオレに……最強なオレに……サップかますなんざ……。いたい……。スゴくいたい……」
(最強なら避けろ。運悪く食らっても表情乱すな)
 つーんと澄ました顔で見る。童顔主婦に説教される悪ガキどもを。怒るべきところは怒り諭すべきところは諭す、見事な
説教だった。来年小学校に入る上の子とやらはさぞや正しく育つのだろう。

 やがて悪ガキどもは不承不承ながら謝りに来たが始の怒りは収まらない。

「覚えたからな!! 顔は覚えたからなっ!!! 後で、後でほんとうマジ殴るから覚悟しろよな!! オ、オレが本気で殴ったら
地球崩壊するんだからなっ!!」
「はいはいスゴイスゴイ」
 いまにも飛びかかっていきそうな始を右手で制しながら、悪ガキどもにフォローする。「このお姉さんちょっとおかしいんだ。あまり
関わらない方がいい」。半ば本心だが半ば親切心。始はともすれば自分が王の大乱から生まれた最悪の頤使者だといいかねない。
奇妙なコトを口走っても戯言で済むよう繕ったつもりだが、しかしアホには伝わらない。
「いや本当、殴った部分で古い真空が対消滅おこしてあたらしい銀河が生まれるんだって!!」
 矛先が変わったのは喜ぶべきか。とにかく始のセーブスロットは1つしかない。なにかあれば上書き上書きまた上書き。
一度に一つのコトしか処理できない。
(未来有望な少年諸君! いまがチャンスだ! ボクはこいつを……引き離す!!)
(さっすが有能さん話の分かる!!)
 無言のサムズアップ。芽生える友情。アルビノと悪ガキは無言で疎通。始は引きずられ始める。黒髪黒服だからまるで古代
のゴミ袋の牽引だった。
 2mほど進んだだろうか。何でオレ引きずられているんだろとやっと気付いた始、さらにハッとしこう叫ぶ。

「ちょっと待て!! 誰が小学生おっぱいだ!!」
「気付くの遅っ!!」
 まさかそこに触れられるとは予想してなかった新。驚愕の顔つきで踵を返し視線を下げる。胡坐かく始が目に入る。後姿
だから詳しい表情は見えなかったが、ひどく戦慄いていた。怒っているのか事実なのに。呆れたように眼を細める新の視界
内でしかし始はニヘラと笑う。

「そんな急に褒められても照れるぜ。そんなあるよう見えたのか……?」
「喜んでる!?」
「なに驚いてるんだよあたら! オレは幼稚園おっぱい……いや、赤ちゃんおっぱいなのだっ!!」
 器用にも座ったままピョコリと体の向きを変えた──つまり前面を新に向けた──始は事もなげに手を伸ばす。

 腰の辺りに。

 そして上着の裾を軽くめくり──… 問う。

「見るかっ!?」
「見ねえよ!!」

 新はただ叫ぶ。一瞬芽生えた悩ましい疼きをかき消すように。脳にすっかり形成された男性的サーキットを彼はまったく
恥じた。年ごろだから女性の柔肌に興味がないといえばウソになる。けれど始の、普段「バカだなあ」と思っている少女を
そういう目で見るのは、なんだか負けた様な気がして嫌なのだ。



 もっとも彼は3日後、彼女の唇を奪うし、胸さえぎこちなく愛撫してしまう。衝動の出来事とはいえそれはしばらくヒドい
後悔のタネで──…


「なんだよケチケチしやがって。減るもんじゃあるまいし」
「お前それ男がいうセリフ。見せる方がいってどうする」
「だってもうこれ以上減りようがない赤ちゃんおっぱいだし!」
「自信満々にいうコトかソレ……?」
「血筋だからなー。オレの肉体を構成してんのは、アオフシュテーエンっていう、マジ強い奴の血なんだけど、そいつの妹って
のが……ヌルっていうお下げ髪のマジシャン野郎なんだけど、そいつも18ぐらいのトシんとき、赤ちゃんおっぱいだったっ
ていうぜ。ヌルのおかーさんもちいさいとき赤ちゃんおっぱいだろーな」
「はあ」
「あ、でもだな。ヌルって21歳のころから急成長始めたっていうぜ。24歳の頃にはもうブロンド美人かってぐらいバインバイン
でスゴかったらしい」
「言われても」



 終止符の先、羸砲ヌヌ行・語りて曰く。


 
「じゃあ鐶の武装錬金、クロムクレイドルトゥグレイブを使えば幼児体型解決と相成るのか? 答えはノーだよソウヤ君。
小札氏の体の成長は、ホムンクルス化したとき完全に止まった。不老不死だからというのもあるが……それ以上に」



「彼女に埋め込まれた『幼体』が特殊だからというのもある」


「ライザウィンのいうグラマラスなヌル……小札零とは、正史における、人間として生き続けたいわばもう1人の彼女だ。
ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズの小札零とは別人なんだ。あの『幼体』を埋め込まれたときから別人なんだ」


「そして我輩たちは見た筈だ。あの『幼体』の真実を」



「(てか私がおっぱいの話すると『イヤミか!』ってよく言われる! 主にブルルちゃんに! うぅ、私だって好きでこんな
おっきくなったんじゃないやい!! 肩こるし男の人に粘っこい視線おくられるしでタイヘンだよっ!!)」



「誰もいないな」

 広間の中央。まず呟いたのは武藤ソウヤ。ライザウィン(勢号始)そしてウィル(星超新)の手がかり求め乗り込んだのは
山奥の屋敷。チメジュディゲダールなる由緒正しき錬金術師の邸宅である。

 四隅に金糸の刺繍がほどこされた真赤な絨毯が広間いちめん、海のように広がっている。

 屋敷につくなり彼らは、主を、さまざまな手段で呼んだが、返事はとんと来ない。呼び鈴を鳴らし大声をあげたが従者の
1人さえ出てこぬではないか。相談のすえ意を決し触れたドアの、やや白く曇った真鍮のドアは驚くほど軽く回り、そのお陰
でソウヤたちは邸内にいる。招き入れられたというか乗り込んだというか。小規模な舞踏会や立食パーティなら楽勝で開け
そうな玄関入ってすぐにある大広間の中央で、武藤ソウヤは難しい顔をした。

「……不法侵入じゃないかコレ?」
 まったくだ。羸砲ヌヌ行は内心ぶんぶん頷いた。ソウヤがそのテの心配をするのは、ぶっきらぼうな、「ああパピヨンに
育てられたのもさりありなん」という、一種尊大な態度からすると少し意外だったが、
「(ああお母さんに似て常識人なんだにゃー。ギャップ萌えだにゃー)」
 とだけ思い、ホワホワした。

 むかし、まだ斗貴子の中にいるころの彼に希望を見出して以来、ずっとずっとぞっこんラブのヌヌ行だ。悪いたとえを
用いるなら、あらゆる拒絶の言葉を前向きに解釈するストーカーのごとくだ。あばたもえくぼ。何もかものあらゆる要素を
良く見ている。齟齬も矛盾も愛しく見えて仕方ない。

「意外と広いから出てくんまで時間あるんじゃあないの?」
「ん? ブルル君は来たコトあるのかい? ココに?」
「まさか。案内板見ただけよ」

 呟いたのはブルートシックザール。ベールを被りコルセットをしている少女が指差したのは……壁。油絵や水彩画に交じ
って青銅の板が埋め込まれている。なになにと覗きこんだのは羸砲ヌヌ行。法衣の上で虹色の房をいじりつつ読み上げる。

「三階建てでしかも地下室まであるのか。各階200坪ほど……広いね」
「さっき外から見た時はもっとこじんまりした感じだったが」
 答えるソウヤはぶっきらぼうだ。ブルートシックザールはカチンときた。
(スッとろいコトぬかしてんじゃあないわ。あんたの印象なんざどうでもいい。重要なのはとっととチメジュディゲダール見つ
けるコトよ)
 彼を見る。ヌヌ行につられる形で案内板を見ている。背中はガラ空きだ。
(チャーーーーーンス!! このわたしブルートシックザールは無防備な背中見るとつい貫手かましたくなる人物ッ!! 急
がなきゃあならない時にスッとろいコトぬかされたんで尚更アタマにきてる!!! ケケッ! 覚悟しやがれ! 右脇腹に一
発キツいの……たたっ込んでやるぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!)
 指をそろえ床を蹴り飛びかかる。ソウヤは振り返ろうともせず──…

 ガキインッ!!

(なによ? 『ガキィン』? ガキィンって何よ? 確かにわたしはソウヤの脇腹を狙っていたはず。なのにこの指先を伝わる
感覚は『何』? 堅い。とても堅い。みごと貫手を決めてやったときに感じる大腸の蠕動はどこに行ったの? 本当ならいま
ごろ筋肉に押し戻される柔らかさを感じている筈なのに……。なに? わたしは一体『何』を攻撃したの?)

 唖然としながら彼女は見る。まっすぐに突き出した平手がめり込んでいるのを。さきほどまで何もなかったソウヤとブルル
の中間に、薄手の刃が突如あらわれそして貫手を阻んでいる。

(うげえーーーーーーーーーーアババババババババババババババババババババババババババババババババババババババ
バババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババババ)

 驚きのぞける。鼻水が垂れた。情けない顔でただ思う。

(指ッ!!! 指ィィィィィィィィィィィがアアアアアアアアアアアアアアアアアア〜〜〜! 指! 指指指!! ああなんてコトよ
指がッ! わたしの指が!! あんなキレイに揃えて貫手かましたのに一つとして同じ先を指していないッ! 端的にい
えばボキボキ!! へし折れてやがるッ! めちゃくちゃに『へし折れて』やがるるううううううううううううううううううううううう!!)

 ブルートシックザールの眼は吸いつく。手を阻む『鉾』に。突撃槍の柄より上を、六角の幾何学模様の目立つ、直線的な
ブレードに置き換えた──蕾のようにビタリと吸いつき合う4枚のそれの間からシアンの輝きがうっすらとだが溢れ始めて
いる──奇妙な鉾に。それだけを、ソウヤは、背を向けたまま、担ぐように構えている。

┌――――――――――――――――――┐
|ライトニングペイルライダー。強度は父譲り │
└―――――――――――――――――─┘

(なにこの武器! 薄いくせに……堅い!! ヴィクター化していないとはいえ、ホムンクルスで頤使者(ゴーレム)なわたしが
割とその気で繰り出したのに──そもそもそーいう攻撃喰らった場合ソウヤどうなるのさ? やっぱ重傷なって『イキナリ仲間
になにすんだこのヤロッ!』とか怒るんでしょーかね。まあでもヌヌいるしさ、時間改変でケガとかどうにかできるとは思う──
まったくコタえた様子がない。むしろ参ってるのはわたしの方よなんて事ッ!)

「ノオオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!?」

 たまらず指を離しへたり込み泣き始めるブルートシックザールに

「すまない。急に殺気がしたからつい」

 武藤ソウヤはペコリ。45度の辞儀をした。一流ホテルのナンバーワンホテルマンのように柔らかくも洗練された見事な礼
……ヌヌ行はそう評し、萌えに萌えた。

「ライトニングッ! ペイルライダァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!! 三叉鉾(トライデント)の武装錬金で
えええええええええええええええ! 防御ッ!! よくもよくも防御しやがったなあああああああああああ!! 舐めやがって
舐めやがってこの兄弟子がああああ!! よくもッ! よくもあああああああああああああああああああああああああ!!」
「兄弟子は罵り言葉じゃないと思うが」
「それにオレは弟子と言うより養子に近い。パピヨンのな」
「舐めやがってこのダボがあああああ!!」
「「言いなおした!?」」

 無音無動作の防御。それは見事に炸裂した。もちろん筋からいえば突然うしろから危害を加えようとしたブルートシックザール
こそ悪く、ソウヤのやったコトは結局ただの正当防衛なのだが、彼はその辺りの理屈は持ち出さず、ただただ頭を下げた。

「ずいぶん丸くなったもんだねえ。パピヨンパークのころはご母堂がた相手にあれほどツンケンしてたのに」
「いちおうオレなりに反省したつもりだ。仲間は大事……。けっして悪くない」
「だから謝る、かい。ふっふっふ。まあ悪くないよそういうのはね。むしろ好ましいが? (はいっ! はい!! たまには私
のコトも大事にしてね! だいじだいじーってチロルチョコくれたらとても嬉しいかもだよ!)」

 ヌヌ行が相変わらず温度差激しい本音と建前を並行処理している間にも、ブルートシックザールはのべつまくなし、ひっきり
なしに罵倒を続けている。


「てめ──────────────────────────────────────ッ!! 誇り高き血統の
わたしによくもあんなマネをオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
「血統……。ああ、ヌルとかいう一族の」
「そーよッ!! マレフィックアースを『降ろす』のに特化したわが一族! わたしにもその血が流れている!! ご先祖様は
ヌル=リュストゥング=パブティアラー 実況大好きマジシャンガール!! 落ち零れだ落ち零れだと身内どもから卑下
されながらも苦労してガンバって一族ナンバーワンに昇りつめた人よッ!! 正史じゃ彼女、兄がレティクルの盟主にトドメ
さすときサイコーのアシストかましたんだからッ!! 残党だって一人で殲滅したわ人間の身でッ!! そんな人になれる
よう誇り高く生きよーと心がけてるわたしによ、え! 誇り高きわたしに何してくれてんのさソウヤあんた信じられないッ!!


 さすがにソウヤの顔色は「どうしたらいいのだろう」という渋みに満たされつつある。
 気付いたヌヌ行、小さなメガネをすちゃりと直し

「コラコラ人の家で騒いじゃあダメだよブルル君。人外なのにちょっかいを、人間たるソウヤ君にあっけなくツブされたのは
面目丸つぶれってカンジで悔しいんだとは思うが、我輩思うに結局いまのはだね、おふざけが、『弱さゆえ』ビュっと出てきた
咄嗟の反射行動にガツリとぶつかっただけのいわば事故。騒ぐはどうか、ゆるりと流すがオススメだ」

 へたり込むブルートシックザールの襟首を、後ろから、ぐいと掴み持ち上げた。

「うっ!! うっさいわねあんた!! 部外者がしゃしゃるんじゃあないわよッ!!」
 喚く少女の肩をぐいと引きよせ手を回す。体育会系男子のようなスキンシップだった。
「ふはは。心外だねえ。我輩もブルル君の仲間だよ? まあ仲間でも立ち入るべきではない、個人間のプライベェ〜ト♪ 
な問題というのは確かにあるだろうがね、仮に今の件がそれに該当するならむしろ部外者はより必要さ。中立な立場で両
者の意見を聞く。そんなジャッジ役がいた方が仲直りもしやすいだろう」
「『仲直り』ですって!! ザけんじゃあないわよ!! わたしはそもそもあんたたちを利用するため近づいたッ! 直す
べき仲なんざ芽生えようもないでしょうが!!」
「ならアレだね。出会った当時の心象に戻す。交流の齟齬がもたらした憎悪って奴をリセットする……。利用についちゃ
我輩もソウヤ君も了承済みさ。だからこそ、それ以外のコトで恨みを買いたくないだろ? ンなものない方が、気持ちよく
我輩たちを利用し捨てられるって寸法さ。我輩がその調整役やってあげようという話さ」
「…………」
 唇が緑の少女は目を丸くした。気勢はやや弱まった。
「まあとにかく今の騒動は君の品位を貶める事象じゃないさ。どんな偉い人だってタンスの角に小指ぶつけるコトぐらい
あるだろう。不可抗力。やっちまっても仕方ないアレさ。生きてる以上さけられぬ不運。大丈夫大丈夫。些細な問題。君や
祖先を貶めたりしない」

 そういってベールに手を伸ばす。軽く二度三度なでるとブルートシックザールは嫌そうに首を振ったが、あえて無視して
撫で続ける。

「……あんた慣れてるな」
「ふふっ。高校大学と物腰を見込まれいろいろ相談されたからねえ。やりたくもない仲介をさせられたコトも多々ある。
知ってるかいソウヤ君。別れる別れないで揉めたくるカップルの厄介さを。係争の難儀さはつまり当事者双方が少なからず
正しいというところにあるのだが、色恋ときたらまったく最たる例でねえ」
「……」
「経験上まったく間違いしかない相談者などいなかった。多かれ少なかれ正しい要素を所持していた。著しく倫理に背き、
酒におぼれ暴力をふるい伴侶を流産させるような輩じゃないかぎり、恋において何を主張するかなど自由だ。まったく自
由だ。相手を引き寄せようとするのも、逆に遠ざけるのもアリだ大いにアリだ」
「……」
 ソウヤはただ「大人だ」というカオで聞き入った。ヌヌ行はべらべら喋りながら、「今度のリラックマのグッズどんなんかな
あ。チキンラーメンおいしいなあ」とか脈絡ない思索を巡らしていた。

 ブルートシックザールはブツブツ文句を言いながらもおとなしい。

「ただ、どっちも自分が一番正しいと信じてるのは困りモノさ。それを押し通したいからなんだかんだと理屈をつけ、相手が、
徹頭徹尾まちがいだと主張する。実態をみない。記憶や印象さえ頭のナカで無理くりやって改悪する。そんな連中に比べた
ら(小学校時代わたしイジめてた癖に高校で評判聞きつけて泣きついてきたスイーーーーーツ脳丸出しの女子に比べたら)
ブルートシックザール君は可愛いものさ」
「で、そのスイーーーーーツはどうなったのさ?」
「我輩のとりなしで彼氏と復縁したが4ヶ月後ぐらいに別れた。原因は彼女の浮気さ。実のところ我輩に相談したころから
やってたらしくてね。まあ最近本命が冷たいからキープしとこうってベタな動機だった。それが分かったのは、調停のため
色々調べてる最中だったね。まあ浮気やめろというコト自体は簡単だったけれども、相談員っていうのは相談されたコト
以外は言っちゃいけないものさ。『あんた浮気してるでしょ』。脛に傷ある人はそれ聞くだけでもう説教され攻撃されてる
気分になっちゃうからねえ。だから敢えて気付いていないカオをした。で、そのあと本命と復縁した時、こう言ったのさ。
『ひとまず解決だ。おめでとう。ただ彼とずっとおつきあいしたいのなら、今のうち火種は総て消しとくべきだよ』……てね」
「ほうほう」
「我輩なかなか卑怯だったと思う。このアドバイスというのは結局『アフターケアするよう言いましたからね』という、対抗要件
を備えるためだけのモノだからね。相手がドキリとしつつも改悛の情を催すには至らないアドバイス。近いうち破滅するん
だろうなあと思いながら、掌に零れてくる相談料──500円玉が10コはあった。高く思えるが準備期間と精神の摩耗ぶり
を考えるとむしろ薄給といえた──がだ」

「文句なく私のものになるまで『決して領分を侵さない有能な相談員』の顔つきでいた我輩」

「真に処理すべき浮気問題を黙殺していた我輩」

「彼女が自らの引力で無残な事象を引き寄せるのを内心舌舐めずりで心待ちにしていた我輩」

「『絶対責められない立場』をまず作り、相手が破滅するのを知りつつ放置していた我輩は」

「まあなかなかヒドい。そう自覚していながらスッキリしたから救いようがないね。私をイジめた奴が、受け入れれば救いに
なりかねない言葉を自ら打ち捨てたあげく不貞をあばかれたのは、本命とキープ君からひどく口汚く罵られしだいに誰から
も相手にされなくなっていくのは、まったく見てて痛快だったよ。”私の気持ちわかったかい? でもまだ幸せな方だねえ。
生のカエル喰わされたり、そん中のハチに刺されたりしてないし”……とね」
「……」
「破綻後、私に相談もちかけようとするたび他の女子──イジメとか厄介事から助けてあげたコが殆どだった──他の女
子が『自業自得でしょ』とばかり冷たい目線を投げかけ退散させるのも、ふふ、人としていうのもアレだが面白かった」
「…………なんというか。あんたも苦労してたんだな」
「領分を守り最善を尽くし倫理をいっさい乱すコトなく相手を破滅させる! まあもちろん普通の善良な市民相手なら絶対
やらんコトだけどね、私イジめた人なら別だよ。やる。段取り整えてだね、勝手に自滅したよーに見えるよう破滅させるさ。
悪いのは向こうさ。イジメの謝罪もなくいけしゃあしゃあと相談を持ちかける方が、救わなかったくせに救ってもらおうと
すり寄ってくる方が悪い……。クク。そのあとの彼女? さあ。覚えてないねえ」
「ええと」
 覚えてない。何という言葉だろう。ソウヤは思う。

 ヌヌ行の武装錬金・アルジェブラ=サンディファーはあらゆる歴史を記憶する。改変され消し飛んだ歴史さえ保存し何度だっ
てロード可能。『記憶する』。それに特化した武装錬金の持ち主が、進んで忘れ去ろうとしているのだ。ソウヤはそれがひど
くおぞましい行為に思えた。しかも彼女はどうやら自覚を持ってやっているらしい。自覚があるからこそ信じているのだ。

 忘却こそ、最大の復讐だと。

「けど語れるんだよなあんた。その女子が罰を受けるまでのコト……は」
「……? あ。ああ鋭いねえ。流石だソウヤ君。いちおう罪悪感があるらしい」


 余裕たっぷりに答えながらしかし内心彼女はこう思った。


(そう、か)

(私かるく仕返ししたコト後悔してたんだ。忘れるのが復讐だって思ってる癖に……覚えてるんだ)


(……ライザウィンとかウィルとかと決着ついたら……謝りに行こうかな。黙って見過ごしたコト)


 復讐劇を描きながら完璧には演じられない羸砲ヌヌ行。その笑顔は愁いとわずかな涙にしっとりと濡れていて、だからこそ
武藤ソウヤは──…


(イイ奴、なのかもな)


 少しだけ見つけた気がした。とっかかりと呼ぶべき……何かを。

「でも!」、ヌヌ行は芝居がかった様子で手を広げ意地の悪い笑みを浮かべた。

「断っておくが彼女の浮気問題において我輩、時間改変はまったく行っていない。やろーと思えばできたけどそれじゃあ面
白みがないからね。相手が勝手に破滅してこそさ。『ありゃまー自分でやってらバーカバーカ』とせせら笑うのが楽しいんだ」
「……一瞬だけあんたを見直したオレが馬鹿だった」
 ぐいぐい来る。詰め寄ってくる。無駄に得意気な様子で迫ってくる法衣/ほぼ虹色の髪の女性にソウヤはただ口を歪な
三角形にした。嫌そうな顔を全力で向けた。

「というかブルートシックザール。さっきどうして突然スイーツがどうとか言いだしたんだ? 羸砲はそんなの一言も……」
「!!! (煤@そーいえばそうだよ! あまりに自然につなぐから流してたけどなんで!? なんで私の考えてるコト
わかったの!!?)」
「……どーでもいいでしょそんなコト。つーか心配すんなら他のコト心配なさいな。ああ指痛い。頭痛い」

 腕組みする少女はひどく機嫌が悪そうだ。

「あの。もしそうだとしてもすぐ治ると思うが……、突き指とか……大丈夫か?」
「うっせーーーーー!! しちゃあ悪いッ!!? いくらヴィクターIIIで頤使者でホムンクルスでもねえ!! カウンターでやっ
ちまうコトぐらいあんのよ!! クソがッ!! 人間だから手心加えてやったつーのに仇で返しやがって!! わかったわ理
解したッ! あんたわたし信じてないでしょ!! 利用するっつって近づいたから『いざとなったら見捨ててやるぜお互い様
だケケッ!』とか思ってんでしょ!!? どーせわたしなんか心から信じてないんでしょ!!? ああもう頭痛いわッ!! コ
レだから六部好きはダメなのよ!! フザけやがってブッ殺してやる!! ……って」
 わめく少女の目が点になったのはソウヤのせいだ。いつの間にそうしたのか。曲がった指を取り出し白い物体を巻いてい
る。驚愕。ひび割れの声音が俄かに沈む。青い瞳がめいっぱい開き歯の根さえガチガチ大合唱。
「お……おい。武藤ソウヤ。なに包帯なんか取り出してんのよ? ………………………………………………………………
…………まさかだが……その、ひょっとして……あんた……? しちゃってる訳? 信じられないコトだけど……アレを……? 
まさかだけど『手当』って奴を……してんの?」
「そうだが」




 終止符の先。羸砲ヌヌ行、述懐。


「このあと彼女は外めがけ全力ダッシュで逃げた。聞けば異性に手当てされたのは生まれて初めてでスゴくびびったらしい。
『パピヨンは無造作に救急箱なげてオシマイだったのに』……カオ真赤にしてうずくまってたよ。宥めるの苦労した」





 バァーーーーン!! ドアが勢い開く。テイク2。今度は大股でお邪魔だ。

「さ。気ぃ取り直して探索よ探索。まったくボヤボヤしやがってのーみそスッとろいヤツばっかですか〜〜〜!!」
(誰のせいで時間くったと思ってるんだろうね)
(触れるな羸砲。ヘタに刺激してみろ、また騒ぎ出すぞ)

 ソウヤとヌヌ行は肩寄せ合ってヒソヒソ囁き合った。厄介な同伴者ができた、お互いそんな気持ちでいるのが分かり、彼らは
同時に微苦笑を浮かべた。少し打ち解けたかな、少年少女らしいさわやかな感想に浸るのもつかの間、目ざといブルート
シックザールは

「おいコラ! 探索よ探索! わたしを中心にした一列で進むコト!! いいわね! て、手当てしたからって偉ぶったりしない
でよね! あんなの自分でも治せたんだから!! ……そりゃあちょっとは感謝してるしお礼言うべきかなって迷ってるけど
…………はあ!!? 何もいってねーわよヌヌ! な・に・も言ってないんだから!! ちょ! ニヤつくんじゃあないわよ!
……うっさいうっさいうっさい!! なんで六部好きなんかに……ああもう頭痛いわ何も聞こえないベロベロウバアアア!!!」

 プリプリしながら命じる。


 まず広間を調べるコトになった。それは3分ほどで終わった。一行は、ドアやクローゼットや階段の陰などを手分けして見て
回った。何も、なかった。


「ついでに館全部の生命反応を調べた。結果かい? 生きてる奴はいないねえ。光円錐は確かさ」
「光円錐……か。確かあんたの武装錬金は」
「アルジェブラ=サンディファー。一種のティプラーマシン。時系列を光の広がりで見る。人間に限らず生命は総て光円錐
として見えるッ!」
「もっとも全部調べると虫とか微生物まで掛かってしまいややこしい。見たのは脊椎動物限定……魚とかネズミ、ヘビや
カメあと哺乳類といった連中全般さ。望みとあればもっと細かい生物も探せるが?」
「そいつは必要ねーわね。探してんのはチメジュディゲダール。人間よ」
「いないとなればどうする? 待つか? それとも2階へ──…」

 探しにいくか? 軽く顎を上げたソウヤの耳元で奇妙な音がした。ぴちょん。湿った音はまるで雨のそれだった。

「……」

 出所追ってオトガイを右肩に向けた瞬間時間が止まる。金色の瞳がガラス玉よろしく無機質に透き通るのをブルートシッ
クザールだけが認めた。

「……ところでだ。羸砲。あんたの武装錬金は死体も感知できるのか?」
「『一発で分かるか?』。そーいう問いなら否だよソウヤ君。死ねば物質、建物や調度品と同じ円錐になる。本があるとして
我輩それを光円錐ごしに閲覧するコトはできるが、しかし『見ようとするまでは』どんなモノか分からない。生き物なら感覚的
な意味での遠目でだいたい何か分かるけどね。非生物はそういかない。生きてる人間を見つけるように……とはいかない。
(うおなぜか玄関先に設置してある本棚にえちぃ本があった! 奥にコッソリあっただけありロリロリだあーーっ! ロリロリ
は可愛いバンザぁーーーーイ!!)」
「地道に1つ1つ調べる必要がある、と?」
「そういうコトさ。一応突っ立ったまま検索し調べるコトも可能だが、直接見た方が早いかもだね。広い屋敷だ、調度品は
多すぎる。(お、おお〜。今日びの小学生の発育すげえぜ期せずして爆乳なっちまった私でさえ当時ここまでじゃ……
!? って! あれ? いまソウヤくん何ゆうた!?! 死体!? なんでそんな物騒怖すぎィな話になってるの!???)」

 慌ててブツを本棚に戻し振り返る。(後で取りにこよう)、そう思いつつ。

「灯台もと暗しとはよくいったものだな」
「盲点だったわね。普通は見ない」

 納得したように呟くソウヤ。追従のブルートシックザール。唯一蚊帳の外のヌヌ行あわてて彼らの視線を追う。

 見上げる。

 目に入ったのは天井。







 いちめん真紅の線に塗りつぶされた天井。そこから振ってきた1粒の赤いしずくが、少し上向きの鼻先で完熟トマトのよ
うにビチャリ爆ぜた瞬間、あまり嗅ぎたくはない、錆そっくりの匂いが広がった瞬間、ヌヌ行の精神は狂乱に見舞われた。

「(ぎゃああ!!! 血! 血だよコレ! 殺人事件ーーーーーー!!? あ、いあいあ違う!! えーと状況的には)。ライ
ザウィンの手の者かね。チメジュディゲダールを連れ去ったか……殺したか」
「降ってくるつーコトは『できたて』ね。絨毯も赤だから目立たなかったけど」
「急ぐぞ!」
 駆けだそうとしたソウヤはしかしそれゆえ醜態を晒す。ヌヌ行は見た。駆けだそうとしたソウヤが弓なりに仰け反るのを。
何か詰まらせたような情けない声を漏らし、バランスを崩し、とうとう後ろ向きにコケた。されど彼自身に過失はない。む
しろ被害者で──…


「ちょっとブルル君。なぜにいま掴んだ? ソウヤ君のマフラーを。(私は見た!! ソウヤ君が走りだそうとした瞬間、ブルル
ちゃんがスクっと手を伸ばし掴むのを! 2本あるマフラーを両方ひっつかんでそして引いたの!!)」

 ブルートシックザールはマフラーを口にあてスンスン鳴く。(匂い嗅いでる! イイナー!) 嫉妬と羨望のまじった複雑な視線
を送る間にもソウヤは地べたで怨みがましく唸っている。

「山吹色でキレーね。イイ感じよイイ感じ。いっそ昆虫の腸使いなさいよ。筋とか織り込みゃ超クール」
「じゃないだろ!! あんたなんでいま邪魔した!!」
 起き上がりがてら激しく詰め寄るソウヤ。声音の刺々しさが背中にまで上っている。ブルートシックザールはきょとんとした。
「あ、いまの”超”より”蝶”のがよかった? パピヨンの関係者的に」
「違う!!」
「つーか何で急に走りだしたのよあんた?」
「天井の血がまだ乾いていない!! 敵がいるとすればまだそう遠くには──…」
「でもさあ。ヌヌは屋敷ん中なにもいないっつってるじゃん。仲間のいうコト信じない訳?」
 冷めた顔つきでいうブルートシックザールにソウヤは冷や水を浴びせられたような顔をした。
「それは──…」
「まあまあ。咄嗟のコトだったからつい急いでしまったのだろう。だいたい非生物の敵なんか幾らでもいる。自動人形なんか
がいい例だ。頤使者もいる。あまり考えたくないがチメジュディゲダールと襲撃者が双方相討ちってケースもねえ。急いだ
のは正解さ。仲間(わがはい)過信するあまり機敏さを失うのもマズい」
 肩にポンと手を乗せる。いつの間にかソウヤの隣にいるヌヌ行だ。横目を這わす彼は少し申し訳なさそうで、短慮を悔いて
いるようでそこがツボだ、ツボなのだ。ニッと微笑む私マジでお姉さん。そんな歓喜と優越感をブルートシックザールはブチ
壊す。完膚なきまでブチ壊す。
「その辺のコトはどーでもいいの」
「(どうでもいいの!? いまの私的にすっごいナイスフォローだったのに!! ソウヤ君萌えだって素晴らしいのにぃ!!)」
「萌えとかナイスフォローとかどーでもいい」
「(うわああああああん!! また心読まれてる感じ!? なにひょっとしてブルルちゃん私の天敵!? てかなんで読める
の!? 武装錬金の特性!!? それとも頤使者の言霊的な能力!!?)」

 あああもう頭痛い。コメカミに指を当てぎりぎり歯ぎしりするブルートシックザールはとても何か言いたげだ。主にヌヌ行に
言いたげだ。しかしすんでのところで息を呑み、つかつか歩いた。

「フォーメーションよ。いい。急ぐのは勝手だけどフォーメーションくずしちゃダメ。どっかの国の「うわ揃いすぎてて却って
不気味ッ!」な軍隊行進のようにキチっと保つの。フォーメーションをくずすのはとてもマズいの。分かる?」

 分かったような分からないような言葉だ。ソウヤとヌヌ行は無言で顔を見合わせる。いろいろ言いたいコトもあるが背けば
騒ぐのがブルートシックザール。不承不承従うコトにした。

「で、どんなフォーメーションだい?」
「簡単よ。さっき言ったでしょ──…」



 そんなこんなで捜索開始。ドアを見つけては入って探すの繰り返し。

 5分もしただろうか。真新しい発見は特にない。最初に退屈を持て余し始めたのは……ブルートシックザール。

「とにかくソウヤあんたちゃんとわたしの前歩きなさいよ。ヌヌはちゃんと後ろ。いい。『ド真ん中』よ。わたしは常に中心であ
るべきなの。走んのはいいけどペース合わせて。いい、つかず離れずよ。私を置いてくのも先行させんのもダメ。絶対」
「なぜ?」

 廊下は長い。十字路さえあった。立ち止まる。三叉鉾片手に角をそうっと覗きこみ安全確認。怪しい影はない。歩きだす。
トーク再開。

「敵襲に怯えてるのもあるけどそもそもココは山に建ってる! 『クマ』とか『スズメバチ』が突然出てきたらどーするのよッ!?
前とか後ろとかスッとろく歩いてたら殺されるじゃあないッ!」
 ソウヤは思う。”この少女は何を言っているのだろう”。パピヨンの手紙によれば彼女はホムンクルスで頤使者(ゴーレム)で
しかもヴィクターIIIなのだ。武装錬金でも殺せるかどうか……。況や野生生物の容易さ、彼らはブルートシックザールに傷1
つ与えられないしそもそもちょっとエナジードレインされるだけで死ぬ立場。恐れる道理などまったくない。

 また部屋。クローゼットルームと書いてある。継げば富裕をもたらすカサダチの持ち主らしく粗末な衣装はまったくない。
冷暗所にブラさがる衣類は例えばアンダーウェアのシャツでさえシルクでとても滑らかだ。ヌヌ行がそれをホワホワした
顔で撫でる間も少女の告白、続く。

「馬鹿なコトいってるとか思うだろーけど心がけの問題よッ! どんなに強かろーと死ぬときゃ死ぬッ! ひょっとしたら一見
ただのクマッ! な物体が私以上の化け物かも知れない! どっかの大学の研究室が錬金術使って強化したスズメバチが
なんかの拍子で脱走してこの山ン中で繁栄してるかも知れない!!! あだ名のブルルは恐怖のブルルよッ! 怖れ戦く
腑抜けのブルルよッ!! いいわねッ! わたしが中心! あんたたちは前と後ッ! 守るのよ絶対ッ! わたし抜きじゃあ
ライザウィンどころかウィルだって斃せないんだから! それじゃあ頭痛いでしょ双方!!」
「(だから邸内に生き物いないって!! 私確認したよ!!? さっきソウヤ君にその辺のコトつっこんでたよね!!?)」
「そ、それはその、時速5000kmでトツゼン遠くから突っ込んできたりとか……」
「ないと思う。絶対」

 退室。収穫はない。再び廊下。

「……」
 ソウヤは見る。自分の、白い袖をきゅうとする指の輪を。白い親指と人差し指が遠慮がちにつまんでいる。主はもちろん
ブルートシックザールで今は瞳を伏せている。
 ソウヤはしばらく視線を泳がせ言葉を探し──…
 
「あんたは何故そこまで死を恐れるんだ?」

 とだけ聞いた。

「……生き物である以上怖がるのはトーゼンでしょ。ライザウィンに肉体取られるのもイヤ。『魂』を消されわたしがわたし
でなくなるのが……怖い。『魂』を欠いた物はたとえ心臓が女学生のように瑞々しく波打っていたとしても……死んでる。
わたしの持論はそう。考えるだけで頭痛いわ。まして悪魔が入り込むなど……おぞましブルルよ!」

((おぞましブルルって何だ……?))

 ソウヤとヌヌ行はそろって硬直。色を失くし真白にフリーズする彼らの背筋をつむじ風が通り過ぎた。どこから紛れ込んだ
のか。赤褐色の落ち葉が1枚まぁるくきり揉み飛んでいく。


「だからわたしは死を恐れる!! 悪い! 臆病で情けない奴ッ! とかどーせ思ってんでしょ!?」
 長ずるたび人は駆けなくなる。全力で走るのは小学校中学年までが関の山だ。(成年者は余程じゃなきゃ走らない)。羸砲
ヌヌ行の時間はそこで膨れ上がり爆発的な加速を生んだ。浅間山荘で活躍した鉄球がチメジュディゲダール邸めがけ雪崩
れ込んできた……爆音に振り返る武藤ソウヤは一瞬本気でそう錯覚した。しかし事実は違う。ヌヌ行がブルートシックザー
ルに飛びかかった。床を蹴り、何も考えず、人間魚雷のように。

「間違いじゃあないッ!!」
「は、はひィイイイイ〜〜〜〜〜〜〜?」
 情けない声とともに目を白黒させるのはブルートシックザール。緑色の唇の端からあぶくが漏れている。
「ちょ! 襟首掴みあげるんじゃあないわ! うおおおおおお!! 締まる締まる!! 酸欠で頭痛い!」
 素早い。ソウヤは感心した。最後尾にいた筈のヌヌ行がいまはブルートシックザールの前に居て、手をちょうど襟から肩に
移すところだった。バン! と景気よく叩き声音もひどく力強い。
「我輩は昔イジメに逢ったとき死のうとしていた! 屈伏したからじゃあない。いよいよ切羽詰ったとき武装錬金を手に入れ
たからさ。報復、そう、報復を目論む自分がとにかく恐ろしくなり死のうとした。チカラを正しく使い正しく立ち向かえば克服
できる恐怖だったのに、目を背け、楽な道を──… そんな捨て鉢だった我輩に比べれば、ブルル君、生きたいという君の
望みはひどくまっとうで正しいものさ!! むしろ尊敬できる! 生きようとするのはつまり諦めてないってコトだからね!!
我輩は当初諦めてた! まぶしく見えるよ君ィ!!」
 そういってヌヌ行は右手を高々と掲げる。左手でブルートシックザールの肩を掴む姿は『ともに目指そう栄光を』。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
 少女はたじろいだ。
 それでますますテンションが高くなったのだろう。ヌヌ行はこう叫ぶ。
「ソウヤ君はどうだいっ!?」
「……正しいと思う。父さんや母さんなら同じコトをいうだろう。パピヨンだって人間のころ恐れていた。死ぬのを心から恐れて
いた。誰だってきっとそれが……当然だ」

 ブルートシックザールはしばらく黙り。





 嬉しそうにニカリと笑った。




「あ、階段。次は2階よ2階! ふっふー! なんかテンション高くなってきたわッ!!」

 生返事をして2人は登る。ギシギシ。軋む音が気まずさを倍加する。


(励ましたら急に調子づいたね)
(そういう性分なんだろう。気にするな)
(ところでソウヤ君ソウヤ君)
(なんだ)
(さっきの君の意見、なんだか歯切れが悪かったように思うが? 確かに御両親とパピヨンなら同意を示すだろう。けど)
(回りくどい。言いたいことがあるならさっさと言ってくれ)
(じゃあ言うよ。君自身の意見はどうなんだい? さっきのにはソレがなかった。隠してる雰囲気がしてね)
(……)
(とっとっと。失礼。別に責めてる訳じゃないよ。ただ、言いたいのに言えない理由があるなら、そこはちゃんと話すべきだ
よ。……ふふ。我輩程度じゃ解決できない悩みかも知れないが、それでも話して楽になるってのはある。君のお父上の受
け売りだけどね)
(考えておく)
(素気ないねえ。ソコがまた可愛いのだけれど。ま、我輩大抵の黒い意見には慣れている。遠慮せずブチ撒けたまえ。
便器にゲロ吐くような気軽さでブチ撒けたまえ)
(……分かった。大丈夫だ。ただ)
(ただ?)
(気持ちの整理がついていない)
(??)

 沈黙は昇ってすぐにある美術室──よく分からないグネグネした彫刻や前衛的すぎる絵画でごったがえの──を探り
出てくるまで続き──…

 やっと口を開いたのはヌヌ行。軽く手をあげ質問。いやにハキハキした調子だった。

「ところでだ。ブルル君、君は怖いのダメなのかね?」
 回答者はあらぬ方向を向き拳を固める。高い声はますます高い。
「ダメ! 絶対ダメ! 『あなたの知らない世界』どころかポンキッキでやってた『学校の怖い話─花子さんがきた─』にさえ
ブルっちまうわ。花子さんは違うけどさあ、先入観ってのがあるの。怪奇モノったら主人公はだいたい死ぬッ! っつー先入
観が。霊はなんて言うかスッとろくねーのよ! 本当怖いわ人間離れしてて!」
(いやあんたも人間離れしてるだろ!!)
 ヴィクターIIIでホムンクルスでしかも頤使者。人外丸出しの少女が何をいうのか。ソウヤは叫びたくなったがガマンする。
「いや君も人間離れしてると思うがね我輩!!」
(言いやがったーーーーーーーーーーーーーーー!!!)
 ワンテンポ遅れて叫ぶヌヌ行にソウヤはうげえと目を剥いた。いくらなんでもデリカシーに欠ける……妙なところで配慮する
のは誰の影響だろう。パピヨンはない。斗貴子は人外に対し恐ろしく無情である。カズキ、だろうか。
(けど父さんときどき恐ろしく空気が読めないからな……。羸砲もそっち系統だ。案外、叔母さん(まひろ)と気が合うかも)
 いやいやいや、ソウヤは首をブンブン振る。話がズレている。
「ほわほわほわほわ花子さんーー♪」
「きゃああああああああああああああああああああ! やめてええええええええええええ!!」
(あんたらもズレてる)
 横目で振り返る。最後尾は楽しそうに歌い、ド真ん中は耳を塞ぎ騒いでいる。もっとも本気で嫌がっている風ではない。
わざとらしくギュっと目をつぶり笑いなきをしている。首の振り方もどこか大仰だ。

 サンハイ。指揮者のように指振るヌヌ行。

「オバケなんか怖くなーい」
「ほわほわほわほわ」

 呼応。ブルートシックザール、胸に手を当て歌い出す。表情は神妙、聖歌隊の如くだ。

「だいじょーぶだいじょーぶ」
「ほわほわほわほわ」

 動作がリピート。

「「ゆーきーをくーれるよっ! たーすけてーくれるよっ! 」」

 とうとう2人は横に並び(フォーメーションはドコいった? ソウヤは内心突っ込んだ)、手をつなぎ合唱を始めた。調子に
合わせて上げ下げする様子はやっぱりなんだかとても楽しそうで、でもなんだか入りづらくて、ソウヤは何ともいえない疎外
感を覚えた。

「…………というか、どっちもあんたからすりゃ300年前の番組だよな? なんで知ってるんだ?」
「我輩的にはソウヤ君が知ってる方が驚きだよ。(意外にテレビ好きなのかなー。いつかモリゾーとキッコロ一緒に見たいなー)」
「へえモリゾーとキッコロむが」
「だま、黙りたまえよブルル君!! ととととというかソウヤ君の問いに答えたらどうだいっ!? (ぎゃわあああああ!! 
また!! まただあっ!! よーまーれーてるぅーーーーーーーーーーーーーーー!!!)」

 ケホ。口から手を剥がしたブルートシックザールは後ろを向く。背後のヌヌ(定位置に戻ったらしい)は口を波線に結んで
いる。小さなメガネの奥にある瞳ときたら童女よりも大きく見開かれ、いまにも縁から液体が零れそうだ。頬は赤い。ぷるぷ
ると震えてもいる。見られると両手を合わせ伏し拝む。「おねがい黙ってて」。小声の懇願に溜息をつく。

「(べべべ別にブルルちゃんの能力が悪いって訳じゃないよ!! ヒトの心読めるから迫害ってのはよくあるけど……迫害する
方が悪いのよっ!! 読まれて困るよーなコト考えてるほーが悪い!! 心ただしく生きてるなら動揺する必要ないもん!!
ででででもでも私ときたらそのなんというかイジめられたせーでウソつきでっ!! 本心知られたらまたイジめられるんじゃない
のっていつもいつも怯えてて!!! だから、だからその、悪いのは私の方なんだけどそれでもその、やっぱ知られるのが
とてもとてもとても怖くて、だから怯えちゃうの!! ブルルちゃんは悪くない、私が悪いの。なのに怯えて止めようとしてて
その、ゴメン……)」

「頭痛いわ」。ぼやきつつ従う。

「好きだからよ。昔の番組専門の局があるしそもそも最近のバラエティっつーのはさあ、一山いくらの芸人どもが台本通り無難
な話してるだけじゃない。まったくスッとろいわよね〜〜〜〜〜〜。不況になるたびいつもそう。日常生活だの恋愛話だの事
務所の都合にふれないクソにも劣る無駄話をしては馬鹿笑い。頭痛いわ」
「我輩的には壮大な自然を映したドキュメント番組がいいねー。(ときどきヤマネコさんとか追跡するのがそープリティ!)」

 ヌヌ行は目を細めた。ブルートシックザールの膝のすぐ後ろで。

「やーよあんなのスッとろい。わたしはコントがいいわ。笑いは心のビタミンだもん」

 瞑目し得意げに指を振る。歩調は緩めない。踵のすぐ後ろで虹色の髪が螺旋状に捩じれバチュリと爆ぜても緩めない。

「よく分からないが、それなら芸人の話でも十分なんじゃ」

 ソウヤの声がなぜか急に遠く感じられた。早歩きでも始めたのか。とにかく些細な異変だった。ブルートシックザールは気
にも留めない。

「不十分よ! 練り込みっつーもんがないわ!! コントっつーのはアレね総力戦。スタッフとか構成作家が必死こいて考え
るからいいの。芸人も『間』って奴を意識するからいいの。垂れ流しでダラダラくっちゃべりゃあ済むトークなんぞとは大違い。
『間』を守ろうと練習を重ねるから面白いの」

 だからヌヌあんたもコントみなさいよ。今じゃCDと同じぐらい骨董品だけどさ、DVD貸したげるから。

 笑いながら振り返ったブルートシックザールはそのまま立ち尽くす。不在。ヌヌ行の姿はそこにない。ただ廊下が広がるば
かりだった。窓のないそこは昼だというのに薄暗い。一瞬暗黒の無限回廊を見ている気がしてブルートシックザールは全身
を正にあだ名どおり震わせた。

「オ、オイ……。フォーメーション崩すなっつったろーが。ドコ行きやがったのよヌヌ。ソウヤ。探すわよ。どーせトイレでも探し
に行ったに決まってる。え、ええ。すぐに逢えるわ。逢えるに決まってる。ちょっと引き返せば逢えるわ。『ごめん急に催して
きちゃって』。手を拭きながら始末ワルソーによってくるアイツを一発ガシン! と殴ってこの件は終わり。終わりの筈よ」
「悪いがブルートシックザール。それはできそうにない」
 なんでよッ!!? 金切り声を上げながら振り返ったブルートシックザール……息を呑み、固まる。
「やられた。『敵はすでにいる』。攻撃を受けたようだ。何も見えない」

 振り返ったソウヤは──…

 虚無だった。

「ひっ…………」

 息を呑むブルートシックザールの前に広がるのは断面だった。武藤ソウヤの顔には何もなかった。大理石を垂直に斬り
おろしたような絶壁だけがそこにあった。目も鼻も口も皮膚も血管も骨格さえもなかった。

(ただ切断されたんじゃあないわ!! ドス黒い暗黒のなか紫の油膜のよーな『淀み』がデロデロデロデロ蠢いている!!
な、なによコレ……? いったい彼の身に何が起こったっていうの? ヌヌはどこ? どこに行ったの?)

 軍隊アリが脛から上ってくるような焦燥を覚えながら手を伸ばす。武藤ソウヤの手を掴むべく。


 掴んだ。


 しかし。

 彼の手は。


 四散した。花崗岩が砕けるような音を奏で……。

「!!!」
 そして呑まれる。バチュリという音を立て、螺旋状に歪む『前半分がすでにない』ソウヤの体は、まるで早回しで見る夜空
の星のような光輪を描いた。最初こそ運動会で転がす大玉ほどの直径を誇っていた光の軌跡は一瞬後にはもうソフトボール
ほどに圧縮され…………ブルートシックザールの前からかき消えた。武藤ソウヤの姿もまた消滅した。

「なんで……なんで消えちゃうのよォォォォォォォォォォォォ!!! わたしはただ二部好きらしい名言吐いて撤退したかった
だけ!! 俄かだナアと嫌われまくりの三部信者でさえ付き合ってくれるのにソウヤてめー何勝手に消えちまってるのよオオ
オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜! 冗談よねッ!? ただのタチの悪い意思表示よねッ!?
六部が好きだから二部ネタにゃあ付き合いきれねーっていう意思表示ッ!! 答えてよッ!! お願いだからちゃんと答えて
よオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ。六部の事もう馬鹿にしないからッ!! 答えてよオオオオオオオオオオオオッ!!」





『答えられるかどうかは貴様しだいだブルートシックザール』




 不意の声。ブルートシックザールは身を固くした。すぐさま左右を見渡し振り返りもしたが……何もいない。


「『敵』!? いったいどこ? ヌヌが検索したときココに生物はいなかった。非生物? 自動人形? 単に後から入ってき
……ぶぐっ!!?」
 ブルートシックザールは吹き飛ぶ。なぜ飛んだのかは分からない。背中に残る強烈なしびれだけが手がかりだった。血反
吐を吐きながら床を転がる。ソウヤの巻いた包帯がみるみる解け床に散らばる。しばらく振りに外気と触れた指は冷風の
しみるヒドい虫歯のような鋭い痛みを走らせたがすぐ背中の痛みに台上され霧散する。
(………………『包帯』)
 思考とは異なるものを瞳が捉えた。黒い岩くれ。サイズは大人が両手いっぱい胸いっぱいに抱えてやっと運べるほど。
(そして近くには砕けた廊下。私をフッ飛ばしたのはその破片。弾けた。ただ……)
 白い漆喰の塗られた壁。黒い欠片。
(色があわねーってのはどういうコト? 割れた。割れたわ。見たもの間違いない。『割れた』。あそこはさっきまでわたしが
居た場所。そこが割れた。色が違う。なぜ?)

 声。思考をさえぎるように声。

『武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は『無事』! 誓っていうぜええええ。返してもいいぜええええええええええ!!』
「へー。でもタダって訳にはいかないでしょね〜〜〜。すでに一撃かましてくれてんですもの。条件は何?」
「要求は1つ!! 『こいつら解放したかったらライザウィン様の肉体になれッ!』だ!!』


 そしてブルートシックザールは立ち上がる。美顔ローラーを取り出し……頭に当てる。


「せっかく代わりに戦わすためスカウトしたソウヤとヌヌが速攻で消し去られたのはマジかよ信じられねー大ショック! 
って感じだけど、嘆くヒマはないようね。ここはチメジュディゲダールの館。ライザの部下がきた以上……戦わざるを得ない!!
あーあまったく」




「頭痛いわ」





「ぐあっ!!」

 壁にしこたま背中を打ちつけたブルートシックザール、戦慄きながらずり落ちる。そこは長い廊下の一角で、紅い毛氈(も
うせん)が敷き述べられている。長く、どこまでも伸びるその上で音がした。トン。トントン、トン。艶のある黒い皮靴が静かに
静かにやってくる。尻もちをつき、細い足をひん曲げ息せくブルートシックザールめがけゆっくりと。7mほどの距離をゆっくり
と。

(くそ、頭痛いわ。壁の破片だのシャンデリアだのかいくぐって本体見つけたまではいいけど……攻撃が全然当たんない)

「さて一区切りついたようですし自己紹介。わたくしの名はLiST。奇術師LiSTでございます。モットーは”Life is SHOW TIME”
……人生はショータイム。派手に楽しく生きようではありませんか。略してLiSTでございます。お見知りおきを」

 執事という形容こそピッタリの男性だった。黒い執事服を纏い右目にモノクルをかけている。痩せぎすった頬に何本も刻
まれた深い皺は、「相対するブルートシックザールの祖父だよ」、そう吹聴し信じさせるに十分だ。

 心持ち前傾。右掌は左肩の前でブレードのように尖らせる。恭しいポーズの彼にわななくブルル。

(奇術師LiSTッ!? LiSTですってッ!? ああなんてこと。よりにもよってあのLiSTが敵だなんて!!)

 23世紀初頭ッ!! 500万体のホムンクルスが人類を蹂躙した『王の大乱』!!
 しかし人類に味方するホムンクルスも少なからず存在した!! ヴィクター!! パピヨン!! そしてLiSTッ!!

 彼は決意した!!

(およそ9割の核鉄を奪われ対抗手段を失くした人類ッ!! ライフラインを寸断され飢餓に苦しむ彼ら! 助けなくてはッ!)

 掌の上にある缶。棒きれと砂利を入れハンカチを被せる。2秒後とる。ホールケーキ出現。

            レーション
 彼の武装錬金は『戦闘糧秣』ッ! あらゆる物質を喰い物にできる!! 石! 木の皮! 瓦礫!! 荒廃する世界にありふ
れたガラクタどもさえ美食にできる錬金術的調理法! Life is SHOW TIME! それこそが彼の美学!! 人失くして料理
はない! 成立しない!! 〜人間を救うのは当然と言えた〜

 だが運命の皮肉!! 彼を破滅させたのはよりにもよってその料理であるッ! きっかけは実に些細!! 『悪意』!! 
LiSTがホムンクルスになった経緯は不明、本人でさえよく分からない。だが武装錬金が武装錬金である。生きている
人間を襲いむさぼり喰う、猛獣のような『穢れた』行為だけはしてこなかったッ! 彼にとってそれはささやかな誇りであり、
希望だった!


(ホムンクルスが忌み嫌われるのは人間を喰うからだ。わたくしの武装錬金はそれを失くせる! 『マッシュルームパワー』
(きのこパワー)と名付けたレーションなら……)


 ただでさえ迫害され、大乱によってますます白眼視されるようになったホムンクルスッ! 世界を巡り飢えから人を救うのは
橋渡しのためだ。心からそう信じ日に6万食を振る舞うLiSTを絶望のドン底に突き落としたのは、皮肉にも人間の悪意だった。
本来救われるべき、現に救われているはずの人間の……『悪意』だった。

 現地で雇い入れたスタッフ!! 配膳のためにといつも通り雇用したスタッフの1人! あろうコトかそいつは! よりにも
よってそいつはッ!! ホムンクルスが故郷の戦場にバラ撒いた細菌兵器のカプセルを!! 料理に混ぜ!! 配給を待つ
長蛇の列に振る舞いやがったのだッ!! 食後ほどなく苦しみ始め息絶える人々!! 誤解!! そして疑念!! 真犯人
が判明するまでの8ヶ月間ッ!! LiSTは拘束され殺人鬼の汚名を着せられた!!

 大乱終息後からおよそ半年。やっと事件の真相が明らかになり釈放されたLiSTはその足で真犯人と面会するッ!!


「わたくしの名誉なんてのはどうでもいい!! だが謝って貰おう!! 『彼ら』!! 配給を待ち居並んでいた彼らにッ!! 
彼らはただおいしい料理を待っていただけだ……。大乱のせいで麦を練ったセリアル1つ満足に食えなかった彼らが料理
を待ってなぜ悪い? 罪はない……。殺されていい道理もな。彼らはただ人間らしい料理を待っていただけだ。やっとあり
つける、心からそう思い、待ち望んでいただけだ…………。謝れッ!! 殺した彼らに詫びるのだッ!!」

「知るかァ─────────────────ッ!! ホムンクルスがッ!! 人間を救おうとすんじゃねえええええ!!
バケモノはバケモノらしくしてりゃあいいんだおおおおおおウヘヘヘヘフワハハハァ─────────────────ッ!!」

 犯人の動機は復讐! ホムンクルス全体に対する復讐!! 黒人が白人を恨むような悲しい動機ッ! 故郷を滅ぼされ
婚約者をも殺された『彼』ッ! その場当たりな怒りがLiSTの誇りを傷つけた!!


(知らなかったコトとはいえわたくしの料理が……人を殺した。『殺してしまった』)


 暗闇で頭を抱えさせた理由はそれだけではない!! 事件が起こるまえ救った数多くの人々!! 彼らは決してLiSTを受難
から放とうとしなかった!! 嘆願書を書き! 擁護し!! プラカードを掲げ釈放希望のデモ行進を行えば、LiSTの心は
満たされただろう!! 人を信じる、それまで持っていた正しい心を失くさずに済んだだろう! しかし事実は逆だった!!
3割!! 救われた人間の『3割』が!! 大乱に際し復活した錬金戦団に申し出たのだ!! 『検査』! そして『治療』を!!
その事実は信頼を壊すのに十分だった。たとえ残り7割が無言の信頼を見せていたとしても、ただでさえ傷つき、疲れはて
たLiSTの心に届かない!!

 民衆は大乱のせいでその日生きるのが精いっぱいだった。
 我が身と家族を守るのが限界だった。

 だから恩人といえど一致団結し救いだす余裕はない……LiSTはそれを十分知っていた。

 知っていたからこそ絶望する。人間という存在の『限界』に。



(『王』は正しかった。壊すだけの、壊されるだけの、壊されたままにしておくだけの。そんな連中に『どうして?』 与える必
要がある? 料理を作り満たしてやったところすぐ忘れる。『ホムンクルスが人間を救おうとするな』。…………。……。いい
だろう。わかった。理解したよ……『人間』)



 以降かれは人類と敵対するッ!!



(公害ッ!! 世界第3位の水田地帯を潰したのは彼!! いまじゃそこの米、スプーン一杯食べるだけで死ぬ。農家涙目
大打撃。なんでそーなったのか? 農業にゃあ詳しくないけど『撒いた』らしいわ。稲が吸うと毒になる物質。いや、食物と
いうべきかしらね。豆腐のオカラとか肥料になるっていうし、レーションでそーいうの作った訳よ。で、それが米に蓄積される
と化学変化発生よ。赤血球をドロドロに破壊する物質に。摂ると『窒息死』、そう窒息死に似た症状で……死ぬ)


 同様の現象はほかにもある。大手企業の製造工場、瀬戸内海の養殖場、肉牛の名産地……。


(奴の恐ろしいところは『選定眼』ね。いつも現場は工場かその近く。新しい化学薬品使ってる工場”そのもの”か近所が舞台。
公害起こってもさあ、工場に原因あるんじゃあね? とかなる訳。真相が明らかになるのは、誰が悪いかわかるのはいつだっ
て数年後。ほとんどの患者が死んでるか、或いはもう元の生活に戻れない状態になってる。あるときズル賢い企業が、LiST
とはまったく無関係な、ガチで『やらかしちまった』公害を奴のせいにして乗り切ろうとしたがムダだった。LiSTのヤロー、どっ
からどー仕入れたのか、完璧な証拠って奴を一揃いで被害者とか裁判所とか政府に送りつけやがったわ。そこだけ見りゃあ
正義だけど、フツーの公害起きるたびそれ完璧に模倣して別の場所地獄にすんのはまぎれもなく悪ね。どれが本物でどれが
ニセモノかわからないもん。最悪。頭痛いわ)


 いつ仕掛けたのかわからない。気づけばもう術中、逃れられない。


(所在が突き止められ討伐の手が及んだのは8回。うち刺客全員、コロしてのけたのが5回。捕まったのは3回。いずれ
も脱走してるわ。目的遂げて。復讐。王の大乱んとき暴力を伴う尋問をした刑務官は全身351か所を殴られ死亡。便秘
でコンクリートよりカチカチなったウンコが大腸突き破って出血死! とか不名誉にもほどがあるくたばり方した刑務所長
はもと錬金戦団。むかし大乱の戦勝パレードで逢ったコトあるけどイケすかねー感じのチョビ鬚デブ。天下りして甘い汁
啜ってたらしいわね。戦団時代もそーだった。LiSTの料理の件で検査呼びかけたのはあいつだけど、ドーモ医者と癒着
して診療報酬の何割か貰ってたくさい。だから殺された。年がいもなく好きなマミーに何か混ぜられたようね。たった8時間
でウンコがカチカチ。アナルかきむしった痕があるとかウオェ! よね。最後はトーゼンっつーか配給に毒混ぜたアイツ。
ホムンクルスにしたわ。おいしい料理を食べさせ、死のうにも死ねない最強の体にしてね。心も無理やり入れ替えたようよ。
善意ばかり高まる心で罪背負って生きる。いったいどれほどの苦しみでしょうね。人救おうにもブーメランくるし。自分で投
げたブーメランが)


まったく変幻自在のトリッキー。ゆえに奇術師。


(かのヌル様(小札)を先祖に持つわたしが奇術師と戦うっつーのもなかなか皮肉を感じるが(わざとやりやがったなライザ
のヤロー。逢ったら一発殴ってやるッ!!)、重要なのはそこじゃあない)



(レーションの武装錬金でどーやってソウヤとヌヌを消したか……謎はそこよッ! その謎を解かない限り勝ち目はないッ!
本当にアイツがやったのか? 実は仲間がいて結託してるのか? 謎よ! 解かなくてはッ!!)



 もっともブルートシックザールの置かれている状況は謎を解く余裕さえない。



 戦おうにも攻撃が当たらないのだ。LiSTに。



(なんで攻撃が当たらないのか? それは──…)

 LiSTが腕を上げると床に線が浮かぶ。正方形のタイルをいちめん敷き詰めたようになる。左手を起点に横へと転がる
ブルートシックザール。一瞬遅れてその場を襲撃したのは、激しく横回転する『床の破片』。50cm四方はあろうかという
巨大なそれが床にぶつかり砕け散るなかブルートシックザール、壁を蹴る。加速。向い来る無数の正方形を縫いつつ
狙うはむろんLiST。

 空中、拳を大きく振りかぶり──…

 当てる。

 鉄拳は顔面に吸い込まれた。本当に言葉どおり吸い込まれた。吸い込まれたまま後頭部まですっぽ抜けた。

 のみならずブルートシックザールの全身もまたLiSTと重なり……行き過ぎる。


 着地したブルートシックザールはそのまま足裏で絨毯をすりおろしながらブレーキをかける。ギャギャギャという凄まじい音たて
ザザ剥けた床のそこかしこが薄く黄ばんだ炎をあげる。

(『すり抜ける』。殴りかかってもすり抜ける。立体映像に手ェ突っ込んだ時みたくすり抜ける。にも関わらず、実に奇妙な話
だけど、実体はそこにある。拳が接触している手ごたえはあるし生ぬるい体温だって感じている。決して幻覚でもホログラム
でもない。あのヤローを殴り抜けてるのは確か。確かっつーのに全ッ然! ダメージがいかない)

 振り返る。

「スッとろいわね〜〜〜〜! そんなに攻撃受けたくねーなら戦場でてくんな、コラ!!」
「ほほほ。必要とあれば手傷など喜んでお引き受けしましょうぞ。ですがわたくし貴方様をエスコートしなければなりません。
主……ライザウィン様から確と申しつけられておりますゆえ。確保までは温存とまいりましょう。体力省エネですぞ」
「ああクソ。頭痛いわ!」
「お困りのようですな女史」
「っさいわね〜〜〜〜! ちょっと攻撃あたんないぐらいでイイ気になってんじゃあねーわよボケッ!!」
「おや。感心しませんなァ。レディがそのような乱暴な言葉を。あなたさまはライザ様の次なる器。もう少しおしとやかになら
れるべきかと」
「だからならねーつってんだろーが!! 湧いてんのかテメーッ!!」
 だいたいライザ自身ガサツだろーが! そこだけ描き文字で叫びながら胸に手のばすブルル女史。

「だったらヴィクター化!! エナジードレイン! 吸い取るまでッ!」








 暗い。真っ暗な空間で。

「んー?」

 薄く目を開ける。半透明の膜の向こうに何かが見えた。夢に禊がれる心地よさがみるみる抜けていく。最高の麻酔とは眠
りではないか、あらゆる注射が結局最後に頼るのだから。切れた。醒めた。堰き止められていた感覚総てが蘇る。

「ふやあ? (なんか体痛い。岩場で野宿したときみたいに痛い……。ん? なんでこーなってるんだろ私)」

 不明瞭に鳴くと考える。羸砲ヌヌ行は考える。異様に幼い本性に隠れがちだが頭の回転は速い方。寝起きながら2秒で何
もかも思い出し行動に移したのはなかなか驚嘆といえるだろう。

「敵襲ッ!! 探索途中に襲われ気絶していたのか我輩!!」
「ら、らしいな」

 素早くはね上げた上体の間近で声。首だけ向ける。ソウヤがいた。なぜか尻もちをついている。なぜついているのか? ヌヌ
行はまだ霞む瞳をこすりじっと見た。背中より後ろで右手をつき、やや青ざめている彼を。…………気付く。

「ひょ、ひょっとしてだがソウヤ君。それは我輩のせいかい? 急に飛び起きた我輩を避けようとしてそうなったのかい?」
「……ああ」

 それだけなら別になんてコトのないやり取りなのだが、ヌヌ行は気付く。気付いてしまう。『飛び起きれば避けられる』、2人
の位置関係を、よせばいいのに遡及して、気付いてしまう。

 ヌヌ行は寝ていた。ソウヤはその傍に座っていた。気付かぬ方がどうかしている。

「(寝顔見られた。こりゃぜったい見られたヨォ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! ぶひゃあああああああああああ!!
よだれ!! よだれ垂れてないよねーーー!! 寝言や歯ぎしり・大丈夫ぅぅぅぅ!?)」

 今すぐ顔を背けたい衝動を、いやもういっそ地平線の彼方まで逃げていきたい奮励をどーにかこーにか抑えられたのは
イジメの現場に何百回と立ち戻り戦い続けた精神力あらばこそだ。それでも居残る気まずさ。怜悧な美貌をうっすら紅くして
瞳孔ふるふる。そっと引っ張ったソウヤのマフラーを口に当て一言。

「……やっぱり」
「!!?」

 不明瞭な言葉だがソウヤは身を固くする。何やら思い当たる節があるようだ。

「よだれ拭いた匂いがする。ソウヤ君のえっち」
「えっち!?」

 流石に予想外だったらしい。鋭い三白眼を真白にして彼は叫ぶ。不名誉な称号がよほどショックだったのだろう。

「違う!! あんたが息してるかどうか確認したかっただけだ!! だいたい見たのはほんの数秒だぞ!! 寝顔を見た
のは確かに悪いとは思ってる!! そこは謝る!! 女のコだから恥ずかしく思うのは当然だろう、悪かった!! けどオ
レだって目覚めたのはついさっきだ!! そしたらあんたが横にいて意識がなくて……咄嗟だ。咄嗟だったんだ。安否を確
認しなきゃ、そう思ったらもう顔を見ていて…………!! そしたらその、垂れていて、普段が普段だ!! 起きたら気付く
だろ! 見られただろって! だったらショックだろうなってつい! なかったんだ! 拭くものが他に!!」

 必死に謝る少年の姿にジクジク痛むは罪悪感。

「わわわわかってるよ!! ソウヤ君がそーいう人だというのはねっ!! けけけけけどいかなる事情があろーと恥ずかしい
ものは恥ずかしいのだよっ! 我輩は何だッ! 枯れ木か!? いや女性だ!! 動揺しあらぬコトを口走るのは生物学的
にどーしよーもないんだ!! 責めちゃいないがごめん、えっちとか言ってごめんなさいだ!!」
「いやこちらこそごめんなさいだ!!」
「謝り返されたーーーーーーーーーーーーーっ!? くっはー!!! 雄渾だがなんかキャラちげえよソウヤ君落ち着いてェ!!」

 もう何を言っているのか自分でも分からない。ヌヌ行の双眸はいまや牧歌的な渦潮だ。ぐるぐるしながら騒ぐコトしばし。


「で、戦況は? 」

 キリっとした表情でメガネを直し問いかける。ソウヤは何か言いたげだが(すごく言いたげだった)、

「ブルートシックザールがいない。オレに分かるのはそれだけだ」

 答えた。ヌヌ行は腕組みをし辺りを見回す。

「一面真暗だね」
「? あ、ああ。さっきから変化なしだな。『時の最果て』だったか。いま気づいた。あんたと行った例の場所。少し似ている」
「ふむ」
 ソウヤの言葉を聞きながら歩きだす。十歩進むと不意に立ち止まり宙を叩く。コンコン。硬質ガラスのような音がする。
「似て非なる、だね。広大なようで狭い。和風にいえば十畳ぐらいだ。外には」

 ズガン。閃光と爆音がソウヤを通り抜けた。キリ、ロンロンロン……。膝がしらに金の薬莢が当たり動きを止める。」

「出られない。正しくは『物理的に破壊不可』だ」
「撃つなら前もって言ってくれ」

 銃口から硝煙あがるスマートガン。それを構えるヌヌにソウヤは抗議。うるさかったのだろう。耳に指を入れしかめ面だ。

「悪いねえ。とりあえずいま探るべきは2つかな。『現在のブルル君の状況』。それから『我輩たちに何が起こったのか』」

 手を上げる。

「まず前者。アルジェブラで見てみよう」
「見れるのか?」
「時間はかかる。ご指摘の通りココは異空間。敵の作ったアレらしい。なら封じられてしかるべきだ」

 もっとも。薄く笑いながら指を動かす。ルネサンス期に作られた彫刻のように引きしまった細い指が空間を撫でるたび、
闇が晴れ映像の片鱗が見えていく。冬の窓をなぞったようだ。キュキュリと拭われていく暗黒にただそう思うソウヤ。

「我輩の武装錬金は時系列総てに存在する。異空間といえどアクセスは可能だ。もっとも位相の食い違いやら敵の
抱く『出してやるものか』やらで少々時間はかかるがね」

 そういう間にも闇が晴れていく。指揮者のように力強く規則正しくヌヌ行が指を振るたび晴れていく。

「その間に後者……オレたちの状況把握。攫われた瞬間なにがあったか」
「だね。ちなみに我輩の方は何も覚えていない。ブルル君の方を見たら調べるよ。スロー再生なら分かるかもだ」
「オレの方も一瞬だった。何かが顔をよぎったと思ったらココにいた。あんたが騒がないのを見る限り、どうやら直っている
らしい。顔を削がれたのは一時的、か?」
「……見えた。ブルル君だ」


 呟くヌヌ行だがその動きは俄かに止まる。


「どうした?」
「なんだコレは……。いったいどうなってる…………」


 茫然自失。そんな彼女に駆け寄ったソウヤもまた目を剥く。


「これは──…」


LiST's List! 得意料理の数々ッ!!

世界を練り歩いたLiSTなのでトーゼン各国のレーションにも精通している。

──スゲーうまい異国の料理よりチョイマズいがお馴染の風土料理の方が現地民に喜ばれるコトをLiSTは発見した。料理
人が最も大切にすべきもの。それは技巧ではない。未知の気候風土や歴史、習慣に合わせ味付けを変えられる『適応力』!──

で培ったレパートリーがコレら。

アメリカ …… MRE(Meal.ready-to-eat)。タテ32センチ、ヨコ20センチの袋の中に

主食、クラッカー、デザート、長さ160ミリのスプーン、タバスコ、FRH(フレームレス・レーション・ヒーター)

などがギュウギュウに詰まってる。

タバスコは賞味期限の目安にもなる。(赤っぽければまだ大丈夫)

FRHとレトルトを同じビニールに入れ水をチョッピリ加えると化学反応。蒸気が出てあったまる。

マズい。すごくマズい。(別名Meals Rejectd Ethiopians。飢餓にあるエチオピア人さえ拒否したメニュー)
肉はパテかってぐらい堅い。


フランス …… やたら色とりどりで高カロリー。ラベルの貼り間違え注意。


         脂っこい肉料理。       やたら甘いデザート。


ジャガイモの入ったレーションは一度食べたら忘れられないほどオイシー。



イタリア …… ミネストローネやミートソースのラビオリは煮込みすぎでフヤフヤ。

(イタリアンだがうまくない)。

センスのいいパッケージ。

朝食になぜかついてるブランデー。(40%)

歯ブラシはまるでナメクジ。

                             ソコソコうまいツナと豆の缶詰。


イギリス …… 意外においしい。イケる。
ビーフシチューやソーセージ&ビーンズが絶品。1日4回、紅茶が飲める。


ドイツ …… 無機質な機内食って感じの包装。

綺麗にスライスされた円形の黒パン入りの缶詰。

↑ 残したらフタもできる(保存性グー!!)。                      肉料理もおいしいよ。

ビタミンとミネラルのバランスがいい。とてもタフ。

キレーにペリっと剥がれる容器のフタ。(他の国は剥がれにくい、らしい)


ロシア …… 「まさか連邦崩壊前つくられた奴じゃあねーだろうな?」と不安を煽るブリキの缶詰め。

米や蕎麦の粥は塩と牛肉がほどよくマッチ。癖になる。


中国 …… メインの醤牛肉が「え? これだけ?」って量だったり、あまり期待してないザーサイが激ウマだったりするの
は民営会社が売りこんでいるせい。会社によってバラつきがある。ウマいかどーかは運次第。(戦争中そんなんに運使う
とかどーなの?)




※ これらは総角主税の複製したマッシュルームパワーでは再現不可能です。(知識不足と相性の問題)
ただし人肉をベースにした料理を部下たちに与えるとおよそ14日前後『人喰い衝動』が抑制されるコトを総角は発見した
のでそっち方面での使用頻度は高い。(だったらヴィクトリアが苦しんでるときやりゃあ良かったんじゃあないか?)

作る料理は肉団子、ステーキ、ハンバーグ、肉丼……と日本のレーションがモチーフ。

蟹チャーハン作ると無銘や鐶は大喜びするが調子に乗って3日連続とかやると「また?」という顔をされ傷つくのでメニュー
選定には結構神経を使う。(鐶がきていらい焼き鳥が作りづらくなったので無銘は内心『ただいるだけで好物食べるの妨げ
るとかどうなのだオニョレ!』と恨んでいるが、言うと傷つけそうなので(彼女はただいるだけ。何も悪さしてないのだ)黙って
る。……だがその配慮でよけいイラつく難儀な奴)

参考までに他のメンバーが好きな料理

貴信 …… 胡椒のピリッとしたジャーマンポテトサラダ。
香美 …… サワラかってぐらい色の抜けた鮭の塩焼き。
総角 …… マイルドなビーフカレー&醤油味の強い福神漬け&白米2合。
小札 …… わら丼。






 ブルートシックザール=リュストゥング=パブティアラーは11さいのころ叔父夫婦と両親と弟を亡くした。王の大乱。全世
界で約30億8917万の死者を出した惨劇はそれまで楽しかった彼女の人生を暗黒に突き落した。

 貿易商だったブルートシックザールの父親は元気こそ良いが商売にはとんと不向きな性格でよく破産をした。どちらかと
いえば商いに対しては慎重で堅実なタイプだったが、だからこそ商売仲間によくたかられ損をした。

 ブルートシックザールが9さいのころ。

 持家を手放してから数えて4回目に引っ越した安アパートをとうとう引き払い兄──つまりブルートシックザールにとって
は叔父──の屋敷に転がり込んだのは、知り合いの貿易商の無計画な事業開拓に巻き込まれたからだ。『ガンブレイズ
ウェスト』。存在するかどうか怪しい遺跡の発掘費用をおよそ30万ドルばかり負担させられたところでとうとう何度目かの破
産をした。月4万円の家賃さえ払えぬほど困窮したブルートシックザール一家を、叔父夫婦は快く迎え入れた。

 ヌル……改変後の歴史における『小札零』の家系は誰もかれもがひどく温厚だった。決して大成はできず誰もかれもが
生涯一度は大きなしくじりをやらかしてしまう性分だったが、一族は常に助け合い生きてきた。ブルートシックザールの叔父
が、いってしまえば出来の悪い弟を妻子ごと邸宅に住まわせたのは、つまるところ血筋ゆえだった。

「ふうん。錬金術の機材あるんだ。先祖代々研究してんの? 今はシュミ? あっそ」

 叔父夫婦の住む屋敷はとても広くブルートシックザールの好奇心を大いに刺激した。日曜日になるたび2つ下の弟の手
の手をとり探検した。日本各地でボイストレーニングの教室を700ばかり展開している叔父夫婦は、一族の中でそこそこ
成功した部類だが、実のところ現状維持が精一杯で、それは屋敷のあちこちに現れていた。クモの巣や雨漏りの穴。乗れ
ば階下に落っこちそうな床板の腐り。『リュストゥングさん。何度も申し上げていますようにココは文化的に大変価値があり
ます。19世紀から現存する建物。保護したい。それが国家の意思です──…』。政府の関係者が何度も具申しに来るの
をブルートシックザールは見た。(確かに任せきりじゃあいつか潰れるわねココ)。探検はいつしか修繕旅行になった。間借
りしているのだから少しは貢献したい。日曜大工の本を4冊ばかり小脇に抱え懇願するブルートシックザールを両親は、
『根が荒っぽいコイツにトンカチとかノコギリ持たせて大丈夫か?』という顔で眺めていたが、叔父夫婦は快く許可した。


「スッゲーーーーーーーーーーーーーーーーー!! なんでわかんのあんた!! また当たったわ信じらんない!!!」


”あなたが引いたのはこのカードですね?”を7連続で当てた弟にブルートシックザールは大興奮していた。修繕ツアーが
半年を超えるころ、休憩用にと弟が始めたマジックショーは目下大評判だった。


「いえいえスゴいのはご先祖様でありまして。このまえ見つけました秘伝書! 初心者の不肖さえスルリと理解できるコト
請け合いな特段優れた指南の数々。それあっての手腕、守破離でいえばいまだ守……」
「いやあでも読んだだけでそれっつーのは筋いいわよ!! わたしもやってみたけど失敗ばっかよ。きっと間接カテー
せいね頭痛いわ。でもあんたマジに才能ある!! 『引田天功』つーんですか『カッパーフィールド』つーんですか、マジ
にすげえわ。目指したらどうマジシャン! あんたならベガスでショーやれるわ!! 保障する!」
「は、はぁ……」

 些細なコトですぐキれ、野性化したハスキーさえ血反吐を吐くまで蹴りまわして勝利するブルートシックザールと違い、
弟はひどく気弱な性分だった。だからこそブルートシックザールは彼を守ろうと思っていた。理由は他にもあった。腕力
以外の総てにおいて弟は姉より優れていた。『高校行ったら留年するぞ』と父親からいわれるほど成績の悪かったブルー
トシックザールとちがい、弟はテストと名のつくもので花丸を貰わなかった試しがない。家事は姉のように皿やガラスに
犠牲を出すコトなくやりおおし、絵もうまく歌もうまい。修繕旅行さえいつしか弟が主役、ブルートシックザールといえば
現地まで重たい道具と資材を運ぶだけの係。毎週毎週弟が汗水たらし直すのを頬杖ついてボーっと眺めてるだけだ。

(腕力以外なにもかも上回られて悔しくねーかっていやあウソになる。しかし人間にゃあ予め定められた『天命』ってのが
あるわ。わたしの弟はきっと何かスゲーことやるため生まれてきたに違いない!! それを助ける! わたしの天命とは
つまりソコ!!)

 時にはあまりのスッとろさに怒鳴りはしたが、尊敬できる、自慢の弟だった。







 王の大乱が飛び火し屋敷が襲われた数日後。


「奴らどうやらヌル様の血を引く我々を警戒したようだ!! マレフィックアース!! 行使できなくなって久しいのに!!」


 叔父夫婦と両親の助けにより命からがら修羅場を脱したブルートシックザールは、病室で眠る弟を眺めていた。

「率直に申し上げます。入院できただけでも奇跡です」

「胸から下が8分の6、それから脳の5分の4が削ぎ落とされています。王直属の『幹部』、その攻撃から」

「あなたをかばった時に……。責めてはいません。だからあなたも責めないで」

「これは『意思』です。理不尽な襲撃に対するせめてもの抵抗……。尊重すべきです。当人も納得済み」

「手は尽くしました。しかし残念ながら意識は、もう──…」


 ガラス玉のような瞳。生気の感じられらないそれも剥き出しに単調な呼吸を繰り返す弟に対しブルートシックザールが覚
えたのは………………『冷え』だった。



(ああどうしてなの。このコはまだ生きている。なのに込み上げてくるこの冷淡はなに? 大好きだったのよ。生きてる限り
鳩の飛ぶステージまで重たい資材を運んであげよう、尽くしてあげよう……ずっとずっとそう思い可愛がってきたのに……
……冷えてる。『助かるならわたしの体をあげていい』、心からいえる情動が湧いてこない)

(かばってもらったのに)

(命を助けてもらったのに)

(悲しくない。涙が湧いてこない。『仕方ないさ君は親しい家族すべて一気に失ったんだ。ショックなんだ。何も考えられない
方が自然なんだ』───人はそう言いわたしを慰めるでしょう。わたし自身そうなんだろうと思っていた。けれど現実の説得
力ッ! 直面の破断! 人工呼吸器をつけた彼。両目を見開く彼。「見なさいよあの目まるで死んだ魚のように穢れてやが
る」……囁くわたしがどこかにいる)

 理解。もうマジックも修繕もできない……実感が情愛を殺した。声をかけつづければ戻ってくる、そんな漫画のような出来
事さえ期待しない。彼女はただ現実を受け入れ諦めた。

(毎日病室に来るのは愛情といえるの? わたしは心の底で思ってる!!!! 『あのコはもういない。残ってるのは死体
寸前の、もっと別なモノ。もう何の愛着もないわ。けどあのコが使ってたモノだから取りあえず愛でましょう』)

(わたしはわたしを蔑む!! 残酷で冷淡!! なんてヒドい奴なの!!)

 弟はまだ生きている! それは事実!! 

(どんなになってもあのコはあのコ!! 未来を犠牲にわたしを救ってくれたあのコ! 『生きて欲しい!』。たった一人残っ
た家族がそう思ってあげなくてどうするの!? なのに、ああ、なのに!! 断言できない!!)

 魂に対する実感!! 弟はもう帰ってこない。医者が何をいおうと関係ない。心の中で死んだのだ……。

(受け入れている。取り戻そうという気力さえない。暖かく待てば奇跡が起きて元通りかも知れないのに……。『せめて手を
下し楽にする』。それさえできない弱さ! いま以上の罪を恐れている。救われた命をテメーのためだけ使おうとしている。
死にゆく彼に無言の冷淡を投げ続けている!! 最低ッ!)

 ブルートシックザールは泣いた。

「なぜわたしなの!! 死ぬべきはわたしだった!! 助けられたからこそ憎いッ!!」

『冷淡は罪』! 決して裁かれる事のない罪ッ!! 
 知り合いどもが以後3日かわるがわる慰めにくるほど葬儀で流した涙それは怨恨ッ!! 
 ゲス野郎が撥ね殺した老婆に催す『なんてものを背負わせやがったんだ!』 亡き弟に覚えたのはそれだったッ!

(救われたのに、助けられたのに恨んでいる。本当は感謝すべき……そんなのはわかってる。わかってるつもりよ。感謝を
抱き暖かな思い出とともに生きていく。大多数の人間はそうしている。正しい幸福よわかってる)

(なのにできないッ!!)

 弟と聞き思い出すのはガラス玉。あぶくを吹き痙攣する不気味な姿。
 それより前は覚えていない。仲良く過ごした記憶それはもうない。あやふや。連続ドラマの4話前のように覚えていない。


「……」


「腕力以外なんのとりえもないわたしこそ死ぬべきだった!! あのコならもっと素晴らしい未来を開拓できた!! 多くの
人々を感動させるコトができた!! わたしは違うッ!! せいぜいがゴロツキを叩きのめす程度ッ!! そんな奴に!! 
死にゆくあのコを諦観するしかできなかったわたしに!! 生きている価値はあるの!!」

 そして……怯えた。

「けど。けどッ!! わたしもまた死ぬのが怖い!! 死そのものがじゃあない!! あのコに覚えた感覚!! 双眸を
見開き胸を薄い呼吸に波打たせるだけの『死体寸前』! それに陥り冷淡な目を向けられるのが……怖い!! まだ
生きているのに何の情愛も向けられないのが怖い!!」

「尽くした人間にそうされる絶望!! 因果は巡る。わたしもきっと『やり返される』! それが怖い恐れている!!」

「一族はもうわたしだけ!! 最後に残ったわたしの命がそう扱われるのが怖い!! 血統とは多くの人々が紡ぐもの!!
みなが懸命に生きた証!! それを受け継ぐ最後のわたしが、『したように』軽んじられ滅するのは怖い!! ささやかで
も優しく生き続けてきたみんなの血をそんな形で途切れさせるのが……何よりも怖い!!」



 襲撃からほどなくしして彼女は知る。親族を殺した『幹部』。彼がまだ自分を狙っているコトを。


「人はこれからわたしが選ぶ道を復讐と呼ぶでしょう。しかし復讐とは『哀惜』に基づく行為よ。奪われたものを哀れみ惜しむ
愛の行為。わたしはそれを持ち得ないッ! 語る資格なし!! 『狙われるから叩きのめす』! それだけよ。それだけが
根幹よ」


 不幸中の幸いッ!! 『叔父の屋敷』、襲撃されたが残存! 先祖代々つたわる錬金術の書簡もまた残っている!!
 狙われる身でありながら見舞いと葬儀をやりおおせた理由! それはホムンクルス!! そして頤使者(ゴーレム)!


「対抗には力が必要ッ!! 幹部最大の失敗は器具と文献を焼き払わなかった事ッ! 屋敷……ずいぶん入り組んでいた
から分からなかったでしょうね〜〜〜。まるで隠されるように……(隠していたのかもね。こういう事態予想して)存在していた
足掛かり! ホムンクルスを培養し頤使者を製造する。その程度の設備はあった。わたしは潜伏した。家に籠り、やり方を
調べ、自らを改造した。ホムンクルスでありながら頤使者でもある『人間』……矛盾した存在に」



 対立は激化!! 『幹部』はやがて日本を支配!! いよいよ精強を増す刺客たちにブルートシックザールは決意するッ!!



「あんた昔、死にたかねーって動機でホムンクルスなったんでしょ。わたしもそう。立ち向かうには力が必要。協力なさい」



 生き延びるための決意!!

 向かったのは……パピヨンの研究室! すでに200年近く生きている高名な彼!!


「ほう。これまた珍しい来客だな。ホムンクルスと頤使者……両方なってる奴は初めてみた」
「親族殺されたはしたけど実家自体は残ってる。機材も文献もね。生きるためなったわ。黒い核鉄取り戻すんでしょ? 人手
になるわ」



 そしてブルートシックザールは幹部を殺し仇を討つ!!!

 だが受難は終わらない!! ライザウィン=ゼーッ!! 王どもの生み出した最悪の頤使者!! 

 彼女は狙う!!!! ブルートシックザールを!!

 アオフシュテーエン!! マレフィックアース最高の行使者!! 

 唯一その妹の血を引く生存者!! ブルートシックザールの『体』を!!










「でえりゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 ソウヤたちが見たのは。

「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 真向きって殴りあうブルートシックザールと初老紳士。

「彼女は徒手空拳も使えるのか。驚きだ」
「アクセス完了。敵の方はLiST。人類にとっちゃ『悪堕ちした天使』って感じだね。レーションの武装錬金で沢山殺したらしい」
「……歴史が変わったせいか?」
 妙に沈んだ声を出すソウヤにヌヌ行はかすかな違和感を覚えたが、いつも通り尊大に
「悪堕ちのきっかけが『大乱』だからねえ。正史になかった出来事。それに立脚しているのは間違いない」
 とだけ答える。厳密にいえば”とだけしか答えられなかった”。
「それが一体どういう──…」
「何でもない。それよりブルートシックザールを見ろ」

 何度目かの交差。しゃがみこむ彼女の姿が消えた。ピトリ。歩きかけた老執事、軽く呻いたきり立ち尽くす。

 ブルートシックザールはその背後にいた。右足だけを天井にさしブラ下がっていた。

「不意打ちしたいらしいねえ」
「……なんか卑怯じゃないか?」
「目には目をだよソウヤ君。すでに我輩たち奇襲を受けてるじゃあないか。(寝顔見られたウラミ! ぶん殴れー!!)」

 願いに呼応するように肥大するブルートシックザールの腕。LiSTは動かない。彼方を見たまま動かない。

「おおホムンクルスの高出力ッ! 見ろソウヤ君、あのグラップルした腕を!! 神殿の柱が4番アイアンに見えるほどタク
マシィーーーーーーーー!! ダンプカーぐらいなら一撃ぺしゃんこつまり確一、こいつでライザの部下500人こっぱみじんに
したのは有名な話だぜーーーーーーーーーー!!!」
「そうなのか?」
「……多分」
「多分!!?」

 叫ぶ間すでに画面中のブルートシックザールは飛んでいる。拳は一気に膨れ上がる。

「出ました怒涛の迫力! 数多くの敵を葬ってきた『ヤシの実』! 当たれば必壊巨大な拳!」
(ノリノリだ。この人ノリノリだ)
「さっすがさっすがブルル君〜♪ 讃辞の歌だよるららららら〜♪」

 やっと振り返るLiST。やや驚愕の表情だ。

「フハハ!! ハハハーッ!! 天井蹴る音に気付いて振り返ったか勘のいい奴!! けど遅きに失しィ!! 大気中の
塵埃を焦がすほど素早い拳速、そっから逃れる術はない!!」

 しかしブルルごとすり抜ける拳。

「ニャニィーーーーーーーーー!!? 当たったのにすり抜けただとぅ!!! LiSTよ君ぃ武装錬金レーションだよねえ!?
何がどーなりゃそういう特性になるんだい教えたまえ! 教えたまえよ!!」
「さっきから楽しそうだなあんた」
 画面──空中でうっすら透ける32インチ液晶テレビのような長方形──の両側に手をかざしギャンギャン喚くヌヌ行は
実に表情豊かだ。笑ったり唾を飛ばしたり驚いたり。目を丸くしながらも頬をやや綻ばせるソウヤに彼女は気付かない。

「しぁかし!!」
(しぁかしってどんな発音してんだこの人……)

 ゆったりとした法衣ごと細腕をガッと構える。胸のあたりで柔らかな質量のカタマリが2個ほどぷるんとしソウヤの顔を
背けさせたがやはり気付かぬまままくし立てるヌヌ行、

「この勝負、LiSTの負けだ。なぜならブルル君はまだヴィクター化してない!! すりゃあもう勝ちだ!」
「してるんだが」
「ハイ?」
 いやだから。真顔で指された画面を再確認。そこにいるのは赤銅色の肌と蛍火の髪したブルートシックザール。
「うわマジだしてるよヴィクター化!! うっわーーーーはずかしいぞ我輩!! 寝起きとはいえ見落とすとはぁ!!!」
 頭を抱え「ぐっはぁ」、仰け反る。くびれた腰は若草のよう。とてもしなやかに曲がる。
「ブルートシックザール……。体の周りに黄金色の膜がある。エナジードレインしているようだな」
「だよねだよねしてるよねソウヤ君!! じゃあ敵もーすぐコロリじゃあ……」
 ないかな。言いかけた七色髪の女性がザラリと青ざめたのは気づいたからだ。隣。いつの間にかソウヤがいる。
「……。(やべ。私のテンションが最高に高まるのは起きた直後ッ!! だって素が出るもん!! 普段は起きてすぐ、中学
校のころ作った『自分を超越系ラスボスに見せかける5条の誓い』を唱えて気分入れるの!! 気分を冷やしていかにも
尊大な態度にシフトするの。でもさっき起きたときやってない。やっとらんがな! ぴしぃ! 裏拳! よしコレで落ち着く……
わけあるかぁーーーーー!!! うわぁああああ〜!! わー! わー! わー! ドーシヨドーシヨ寝顔見られて動揺し
たのがまずかったぁあs!!)」
 顔の上半分を蒼黒くしながら凝視。汗がダラダ流れるなか思う。きっと今の自分はムーンフェイスみたいな目をしている
のだろう。そのせーで嫌われやしないか、と。よぎる恐怖は的外れである。

(ぎゃああああああ! さっきから天中殺シッパイばっかだよーーー!! ぐすん。私はもっと頼れる年上のお姉さんとして
君臨したいのにぃ!! カズキさんは年上好きだよ!! ソウヤ君も「っぽい」! アピールチャンスなのにぃ〜〜〜〜!!)

(やっぱ面白い人だな羸砲。ひょっとして仲良くなれる?)

 無言で居並ぶ両名はそんなコトを思いつつ。

 画面を見る。

「しているが『吸収されてる気配はない』ねえ」
「だな。エナジードレインが……」






「通用してねえってのはどういう了見よコラッ!!」
「ほほほ。なぜと聞かれましても答えかねます。返答は吐露……わたくし自身の能力をバラすようなものです」

 恭しく礼をするLiSTに歯ぎしりのブルートシックザールだ。旗色は悪い。顔色も。肩で息する状態だ。

(チクショー予想外だわ。たった6分ヴィクター化しただけでもうこのザマ。わたしが純粋なヴィクターじゃあないってのもある
けどそれ以上に! あのスカしたヤローからドレインできねえってのがマズいわッ!! つかなんでできねえのよ!? そ
こちゃんとしましょう。ちゃんと考えなくっちゃあいけないわ)



「そういえば先ほど我輩この屋敷を調べた」
「光円錐だな。少なくても脊椎動物は」
「いなかったねえ。生きてる人間、それからホムンクルスはいなかった。あの時点ではいなかった」
「検索後この屋敷に来たのか……或いは」



               ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「てめーひょっとしてだが生命活動してねえな」

 指摘に対しLiSTは……笑う。品のいい口元を狡猾に歪める。



「エナジードレインが効かないっていうのはつまりそういうコトだね。生きちゃあいない」
「ならば頤使者。もしく……自動人形か? あの敵、LiSTは」
「後者は違うよ。ソウヤ君はエンゼル御前みたコトあるかい? アレ……というのは失礼か。偉大な桜花先輩に敬意を表し
彼女と呼ぼう。銀成学園でヴィクターが目覚めたとき。彼女もまたエナジードレインされた。カタチを保てなくなった」
「つまり自動人形にも」
「有効だね。エナジードレイン。数ある歴史の1つ。ヴィクター討伐隊に犬飼を組み込んだ歴史。下策だねえ。その点バスター
バロンは優秀さ。当時の戦団で最も長く最も多くヴィクターと戦ったのだから」



「さぁて問題です。わたくしは生命活動しているのでしょうかァ? それともしてない? 笑みは肯定じゃあありませんよ」
「ひっ」

 ヌヌ行が思わず傍らのソウヤにしがみついたのは『見られた』せいだ。

(『LiST』ッ! 彼がこちらを見ている!! 気づいている!! 羸砲の武装錬金で見られているコトに気づいている!!)

 頭頂部こそ禿げてはいるが基本好々爺然としたLiSTだ。それまで円やかさを感じ敵意などまるでなかったソウヤが身震い
とともに思わず愛槍を展開した理由は笑顔にあるッ!! 笑い!! 人を和ませるべき表情!! だがLiSTのそれは──…

(おぞましい)

 笑みに細まる両目はウロのようだった。眼球を刳りぬかれた髑髏の洞窟が淡々とソウヤたちを見ている。右に動けばその分
右へ。左に動けばその分左へ。追うのだ。しっかりと。肩に顔をうずめるヌヌ行にみるなといい掌をかざしたのは、少年ならでは
の決意だ。女性を脅威から守ろうとする本能的判断だ。

「ち☆な☆み☆に! アルジェブラ=サンディファーでしたっけ! ヌヌさんの武装錬金! そちらは通用しませんよォ〜〜〜!!
観戦程度ならできるかも知れませんがそれ以上は無理!!」
 口も黒い闇。顔一面に松の木のようなシワが走り、笑いながらに笑っていないLiST。言葉に詰まるソウヤ。
「なっ……」
「事実だよソウヤ君。さっきから我輩たちの光円錐を操作し元の空間へ復帰しようと努めているが……まったく動かない。LiST
についても同様だ。円錐の削除も……スマートガンの攻撃も……封じられている」

 肩の中か細く呟きそして謝り続ける美貌の女性。。ソウヤはただ息を呑むばかりだ。。

「ギィーヤッハッハ!!!! いいですねえそのカオ!! 怯える女性!! 守ろうとする少年!! 生じた絶望の分だけ生
まれる勇気!! わたくしそーいうの大好きなのですヨ!!! 勇気は希望を生みます!! わたくし希望が生まれるの
大好きなんですよ!! さあもっとわたくしを見て!! 見てくださいよヌヌ行さん!! わたくしも見てますよずっとずっと!
ああ泣かないでえ!! 笑ってくださいもっともっと!! ギィヤハハハハアハハアフヘヘハハハフ!!」

 笑いたくるLiSTの鼻先を白い影が掠めたのは、いよいよヌヌ行がしゃくりあげるかという瞬間だ。


「ったく。話に聞いちゃあいたがウワサ以上のド変態ヤローねあんた」

 ピュン、ピュン、ピュピュン。ブルートシックザールの周りから正体不明の白い影が飛び始める。

「好物は『希望』。絶望を精神力で克服した人間の発するエナジーが何より大好き。何をどーやってるかは知らねーが、
レーションの武装錬金につめて保管しやがってるそうね〜。頭痛いシュミだわ」
「ええ。ええ。そうですとも!! 人を絶望させるなんてのは本当簡単ですからね!! ちょぉーっと公害史を調べ有害物質
撒くだけでオシマイ。目論み通りみなさん苦しみます。胆のうがボーリング玉ぐらい重くなり他の内臓を突☆き☆破☆っ☆た
☆り、間接という関節を本来曲がるべき方向とは逆に固定したり……どっちも虫歯をドリルで抉られるような激痛があります。
鎮痛剤?? な〜〜〜んの意味もありません。痛く苦しい生活をみなさんにご提供させて頂くなど簡単です。田や畑にわた
くし特製のレーションを撒くだけで叶うのですから」

 影を軽やかによけるLiST。長い手足をピエロのごとく緩やかにしかし的確にくゆらせながら避けていく。
 そしてポンと手を叩くと掌に小さな缶が現れる。シャケやまぐろのフレークが入りそうなSサイズのそれが逆さになり黄色い粉
末がサラサラ、こぼれていく。床板が黒く焦げた。

 異空間で呟く少年一人。

「……ムーンフェイスと同じぐらい。いやそれ以上のゲスだな」

「勘違いしないで下さいよぉ武藤ソウヤ君! 公害で人類苦しめるなんてのは序の口!! わたくしが願ってやまぬ真の光景
はまだ始まってもいないのですヨ!!!」


「何……?」


「どーやらこっちの様子がわかるようねソウヤ。頭痛いわ」
(なんでそれに対し頭痛を覚える? 嫌なのか? オレに見られるの)
「言葉のアヤよ。2部風にいやあ意味なんてねえってスカっとするからってアレよ。LiSTはただ公害で人間を苦しめたいん
じゃあない。ただ苦しめるだけなら浄水場に毒でもブチ込みゃあ済む話。なのに何故それをしないのか? 初めて捕まった
ときコイツは供述した。『自力で公害に打ち勝つ人類を見たかった』ってね」

 白い影は動きを止める。LiSTはその場でクルクルと右回転。ピタリ。止まると今度は右手を高く。

「Life is SHOW TIME! 人生はショータイム。派手に楽しく生きようではありませんか。絶望なんてのは楽しさとは真逆。
さんざ救ってあげた人間様に裏切られ乾いたわたくし。希望こそが必要!!」



「まさか」



「そう!! そのまさかですヨ!! わたくしはわたくしの料理で希望を得たい! 獲得したいッ!! かつてわたくしを絶
望に突き落し希望の糧とはならなかった料理とはつまり挫折の象徴です。それが新たな希望を生むとすれば!! 公害
も撒き甲斐があるじゃあないですか。わたくしの料理の作った絶望をみなさんが一生懸命乗り越え発する希望!! そ
れです!! それこそが飢えて渇いた心を癒す!! ああわたくしの料理が希望と笑顔を生んでいるのだなあって嬉しく
なれる!! だから公害はやめられないんですよギィヤハハハハ!!!

 狂っている。ソウヤはただそう思う。LiSTの過去、その総ては知らないが何かとてつもない裏切りを浴び傷ついたのは分
かる。だが──…



「静かにしてなソウヤ。こーいう頭のネジが5〜6本ブッ飛んでやがるヤローにゃあ何言ってもムダよ。さっさと斃して黙らせる。
それが一番!! 一番スッとろくねえ最良の手段って奴よッ!!」



 異変に気付く。ブルートシックザールの肌がみるみる色素を薄めていく。髪もまた然り。


「おやあ、解除するんですかぁ? ヴィクター化」
「併用はできねーのよ。『吸っちまう』からよォ〜〜〜〜〜〜〜」


「……武装錬金」
「え?」
「武装錬金!! ブルル君が発動した!!」

 急に面を上げるヌヌ行。光円錐的な何かでいちはやく察知したのだろう。

 事実ソウヤを目撃する。

 ブルートシックザールの周りに奇妙な物体が無数ッ! 展開しているのを。


 凝視する。それは人形だった。さほど大きくはない。ソウヤの家にときどき遊びに来るエンゼル御前よりやや遥かミニマム。
高さは10cm未満の人形がおよそ200体! ブルートシックザールの周りでふわふわ上下に揺れている。幅2mの廊下はいまや
真夏のプール、芋を洗うような混雑ぶり、ブルートシックザールさえ埋もれて見えぬ。



「ほう」


 感心した様子で首を戻し観察するLiST。


「あれがブルル君の」
「武装錬金。自動人形(オートマトン)……しかも群体型」
「けど──…」

 デブリのように創造主を取り巻く奇妙な形状の自動人形をヌヌ行は指差し、


「なんの武器だい? アレ」

 感想のあと比喩を行う。クッションから手と尾と頭が生えている……と。「もっともだ」うなずくソウヤ。

 胴体は、白い楕円形のクッションをぐにゃりと曲げた形状で前面は軽くだがヘコんでいる。足はない。
 窪みから生えたマッシブな首の先にある頭は一転やせた猫を思わせる逆三角、その右上から左下をぐるりと縛る鈍い銀
色のバンドは眼帯の一部。パッチの部分が丸く刳りぬかれ、そこではライトグリーンの炎がえんらえんらと燃えている。
 左頬には逆Y字の隈取りが1つ。


「希望が好きっつーならよォ〜〜〜〜〜〜!! LiSTテメーがまず死にやがれ!! そしたら公害で苦しんでる連中も
やったハッピーっつってバンザイするわッ!!!」
「そんな! それじゃわたくし希望を賞味できんではありませんかッ!!」
「テメーーーーーーーーーーーーーーにそれ味合う資格はねええええええええええええええええええええええええ!! スッ
とろい事抜かしてんじゃあねえわよタコッ!!」


「自動人形が飛んだ! 一斉に!!」
「攻撃手段はもっぱら両腕……か」


 胴体の両側から生えた成人男性ほど逞しい腕の先端にはさまざまな物が付いている。
 一番多いのは電子温度計のような「長い針」のアタッチメント。他はガトリングガンだったりミサイルランチャーだったりと
とりとめがない。


「軍隊ですかな? その武器」


 襟元をしゅっと正すLiSTは迎撃に移行。右足を前に、上体は左右に。ソウヤがキャプテンブラボーと重ねるほど堂に入った
構えである。

「いきなり奇襲をかけられる! 来歴からしてヤベえヤローと戦わなきゃあならねえ!! なのに頼みの綱のヴィクター化は
通じねえときている!! 頭痛ェああ頭痛いわ!! こちとら絶望感でいっぱいよ!! とっととくたばれ!! 大人しく全
弾ブッ喰らってみじゃけやがれこの与太がああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 400本ある自動人形の腕がレーザーと弾丸と薬莢と誘導弾を発射。一拍遅れ拡散した爆音は屋敷を大きく揺るがした。




「ところで羸砲」
「な、なにかなソウヤ君。(どさくさにまぎれて抱きついたけど、いいなあ。男のコの匂いがするよ。できるならずっとこーして
いたいなあ)
「その……すごく言いにくいのだが」
「なに?(どきどき)」
「当たってる。迂闊に動くと……擦れそうだ。離してくれると…………その、嬉しいというか助かるというか」

 やや赤い顔。気まずげに逸らされる視線。気付くヌヌ行。豊かな胸がソウヤの腕に密着している。瑞々しい弾力が腕の面
積分なめらかにひしゃげ、ググリと反発している。いまソウヤは弾かれる思いなのだろう。

 パッと飛びのくヌヌ行。

「す!! すまないねえソウヤ君!! すすす好きでもない女性に密着されるというのは迷惑だろう!! は、離れる!!
ホイ離れたア!! もー安心だ大丈夫!!」
「あ、ああ」
「わざとじゃあないんだ!! LiSTが怖かったからつい……ああダメだまた駄目になっちゃうパターンだ!! ととっとととt
というかブルル君見よう!! ブルル君!」
「オレはさっきから見ている。自動人形の一斉攻撃がLiSTの居た場所に着弾。どうなったかは煙幕のせいで分か──…」
「ふやっはアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 奇声。言葉をさえぎる奇声。ヌヌ行のものでもソウヤのものでもない。画面から響くそれは。

「ブルートシックザール!!?」
「ええと。理解に苦しむねえ。何やってるかは見れば分かる。だが『なぜ』やってる? 彼女じゃあないが頭痛いよ」

 ソウヤはただ現状を見た。

『煙幕を突っ切り』
『逃げていく』

 すれっからしの少女を。ヴィクター化はとっくに解除済みだ。

「逃げたねブルル君」
「逃げたな」
「ま、まあ戦略的に正しいよね。(ンな訳あるかーーーーーーーーーーーー!!! うわーん!! 見捨てられたあ!! 初め
てできた女のコのトモダチに見捨てられたよオロローーーーーーン!!! きっと今からLiSTさんは見せしめとして私たちに
なんか危害を加えるハズ!! でもそーゆうのは別にいいの自分で何とかする、イジメだって自力で乗り越えた私なんだから
逆境で誰も助けてくれないってのは別に傷つかない!! でも!! いっしょに歌ったり頭ゴロゴロしてやった嬉しい仲良く
なれたぁーって好きになりかけてトコロで裏切りはつらいッ!! 裏切られたという事実がつらいよぉうえーーーん!!!!」

「なっ」
 驚愕はLiSTからも洩れた。煙幕が晴れあらわれた彼は(ソウヤもヌヌも薄々予想はしていたが)、やはり無傷、黒い執事
服ときたらクリーニングから帰ってきたばかりという位キレイ。筋からいえば「なっ」と言うべきはブルートシックザールなのだが
立場は奇妙にも逆転している。

「ハッ! やっぱ通常攻撃きかねえようね!! だったらコレ以上やりあう必要ねえわ!!」
「おやあ〜〜〜〜〜。逃げるのですか? 御仲間たちが人質なのに『逃げる』ゥ〜〜〜〜?」
「そうだとして責める権利があるっつーの? イキナリ人質とって脅しかける腐れたテメーによォ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「いいえ。褒めてるんですよォ♪ 貴方様はむしろ『優しい』。逃げているうちは殺されない、そう踏んでるんでしょ? 認めま
すヨ! ええそうですとも!! わたくしは貴方様を生け捕りにしなくてはなりませんから? 力づくで屈伏させようなんての
はとてもとてもできませんっ!! 人質は有☆効! 殺しますよと喉首にナイフを当てれば結局最後は従ってくれる!!!」
 驚愕もつかの間、すぐさま走り出すLiST。両者の距離およそ15m。
「怖いんでしょう? 『また』貴方様のせいで誰か亡くなってしまうのが!! 誰かに助けられ、自分だけ生き残ってしまうコト
がなにより怖い!! 弟さんの件がありますからねえ!! 我がご主人、ライザウィン様が生誕なされた王の大乱!! あ
のとき貴方様のお屋敷は襲われた!! 幹部の一人に叔父様と叔母様、ご両親を殺された!! そして逃げるとき弟さん
は貴方様をかばい!! 命を失くした!!」
「ぐっ」
「即死じゃあないのが不幸でしたねえ!! 死にゆくだけの、もうどうしようもない、ヌケガラ人形に愛想をつかすだけの自
己嫌悪の日々の始まり始まりィーーーーーーッ!!! ギヒヒヒッ!!!」
 追跡劇の模様はソウヤたちの元にも届いている。視点変更。ヌヌ行がすっと撫でるたび滑らかに視点が変わる。

「そうか。弟が」
「前歴ならパピヨンの手紙にもあったねえ。細部は喰いちがっているが彼は他人に無関心。仕方ないね」

 まるで『聞かせるように』叫ぶLiST。真意のほどはわからない。

「だから誰かにかばわれるのが実は怖い!! 助けられるなら助けたいと思ってる!!」

「…………違う」

「いーえわたくし信じておりますヨ!! 貴方様は、いえ、貴方様に流れるヌル=リュストゥング=パブティアラーの誇り高い
血は決して他人を見捨てない!! 形はどうあれともに戦うと誓った仲間たちなら尚更です!!」

「…………違う」

「いえいえ違わなくはありませんよ!! 貴方様の現状がどうあれ本質はそこなのですから!! 例え今は誰かをかばう覚
悟がないとしても本質はそこ!!!!」

 迎撃にと飛んだ名称不明の自動人形。それが一瞬動きを止めるのをソウヤたちは見た。

(図星……?)
(だとすれば許し難いねLiST。人の心の傷、抉ろうなんて許せない)

「もういいじゃあありませんかァ〜〜。ご自分のコト許してあげましょうヨぉ〜〜〜〜!!」
「ひっ!!」
 ブルートシックザールが目を剥いたのは抱きすくめられたからだ。アメフトのタックルのよう……ヌヌ行の形容はまったく
抜群のセンスだった。背後から飛びかかったLiSTが両腕でブルートシックザールの胴体を抱え勢いの赴くまま倒れこんだ
のだ。
「つーかまえーた☆」

(ダメージはないが)
(なんてヤな攻撃! ……いよいよ許せん乙女の敵!

 一種淫靡さを感じさせる態勢だった。ブルートシックザールは抱きすくめられたまま仰向けに倒れている。胴体は相変わらず
絡め取られたままだ。その背中にLiSTは密着している。腰すらピトリとひっついているのを見たときヌヌ行の嫌悪は最高潮に
達した。しかもソコはよじ登る上体につれ動いている。
「ああ暖かい。人のぬくもりですぅ。ちなみに変わり果てた親族に冷たい目線を投げかけるなんてのはまったく普通、ぜんっ
ぜん異常じゃあありません!! 世の中もっとヒドい、生きてる間にィ、まだ意識がある間にィ、死ねだのくたばれだのと聞
くに堪えない言葉を投げかけるお人もいる! たァくさん居る!!」
「クソが! 訳のわからねえコトを──…」
「貴方様、直接おっしゃりましたかあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。弟さんにそーいうコト!!」
 身じろぎが一瞬止まる。
「言ってないでしょお? 悪感情を心のなかだけ留め置いて誰にも話さなかった!! とてもとてもご立派です!! よく
頑張りました貴方様は悪くない!! 悪くないのですヨ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

「傷を抉っていたかと思えば急に認める。悪くないと囁きかける」

 ただ愕然と見守るしかないヌヌ行だ。ブルートシックザールの元へ駆けつけようと武装錬金を操作しているが芳しい手ご
たえはまったくない。

「希望が好きというのはウソじゃないらしいね。我輩だから分かる。いまかけている言葉は心底からのもの」

 決してまやかしを言っている訳ではないのだ。LiSTは。

「しかもあの言葉……。認めたくはないが、まるで──…」

 スチャ。小気味いい音が近くでした。見ればソウヤが背を向けている。

「……どうしたんだいソウヤ君」
「なるべく下がれ羸砲。距離はとるが一旦走り出すと制御が効かない」

 表情は分からない。ただある一点で立ち止まり三叉鉾を構えたとき彼女はあらゆる心情を理解した。
 理解したからこそ叫ぶ。

「や!! やめたまえ! 気持ちは分かるが通用し──…」
「闇に沈め!! 滅日への蝶・加速ゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 激烈な衝突音と水色の波動がしばらく薄暗い空間を荒れ狂った。やがて大の字になったソウヤが嵐のなか吹き飛び、
闇の壁にしこたま背中を打ちつけた。そのままずり落ち尻もちをついた彼にヌヌ行は、慌てて駆け寄り「馬鹿っ!」と
叫んだ。

「この異空間の壁を壊そうとしたんだろうがムダだよ!! 残酷な物言いだがアルジェブラにできないコトがどうしてライトニ
ングペイルライダーにできる!! 単純な物理攻撃で破壊できるならLiSTは君を捨て置きはしない!! 最低でも核鉄没収
ぐらいしたさ!!」
「わかっている。わかっていた。それ位……わかっていた」
「だったらどうして!」
 ソウヤはよろよろと起き上がり、再び構える。
「仲間が危機に陥っている。ただ突っ立ってる訳にはいかない。あんたは無理だというだろう。LiSTもそう思っている」
「ま、待ちたまえよソウヤ君! 君の武装錬金は父君同様生命エネルギーを使うタイプ!! ましてさっきのような大技と
なれば負担は相当大きい!! 効かなければ弾かれもする! 多用すれば命が──…」
「闇に沈め!! 滅日への蝶・加速ゥーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 振動。光波。そして衝突。再び壁に打ちつけられ落ちゆくソウヤ。口元から溢れた血が太いすじを描く。

「だから無理だ!! いい加減人の話を──…」
「無理じゃない!! オレとあんたの力を合わせれば突破できるはずなんだ!!」
「え?」
 三度立ち上がるソウヤ。彼は大きく息を吐きこう述べた。
「あんたの武装錬金は総ての時系列を貫き存在している。にも関わらず外界を見るほか干渉ができないのは何故だ?」
「それは例えば……より大きな力で封じられているから、とか?」
「だがあんたの文言が正しいとすれば、アルジェブラ=サンディファーは宇宙開闢から終焉まで貫いている。時間の長さを
そのまま距離に置き換えるのは少し妙な話だが、それでも相当巨大な筈だ。バスターバロンが比較にならないぐらい大きい」
「……つまりだソウヤ君。君はこういいたいのかい? 我輩の武装錬金は史上最大級。力づくで押さえられる武装錬金など
ありえない……と?」
「ああ。LiSTの武装錬金はレーション。それが事実か否かはともかく、力づくでアルジェブラを支配できる能力ならそもそも
人質をとる必要はない。時空改変を縛れるのは時空改変だけ……」
「LiSTが時空改変できるのなら、もっと合理的にブルル君を襲撃できた、か」
「こういう時、母さんは却って冷静になる。パピヨンならもっとシンプルに考える。『相手の武装錬金は何か?』……と」
「レーション……ってコトになってるね」
「レーションといえばレトルトか缶詰だ。それらが例えばシルバースキンのような防護機能を備えていたとすれば? ABC
兵器をシャットアウトする武装錬金……確かにある。だったら」
「干渉されてるのはアルジェブラではなく空間の方。空間がまるでハワイの空気のように閉じ込められている。1秒にも満た
ない切れ目のような空間を閉じ込め……保存している。密閉で腐敗を遅らせるように…………そう言いたい訳だね」
「ああ」
「ふふ。突飛な仮説じゃあないか。だが気に入ったよ。空間を、時間の流れや時系列とまったく無縁にできるステルス的な武装錬
金…………根来忍は異空間に埋没したというが、LiSTはそれを空間でやってる……面白いねえ」
「要するに奴はただこの空間を『隠して』いるだけだ。外を見れるのがその証拠。缶かレトルトか。レーションの外殻で隔離されて
るに過ぎない。だがその防護は不完全だ。どんなレーションだろうと中身は腐る。時と無縁でいられない。綻びはある。外が見え
るのは『時と無縁でいられない』レーションだからだ」
「だったらどうするんだい? 覗き窓を連打するというのもテだけど?」
「いや、あんたがさっき言った通りだ。ペイルライダーでは破壊不能だ。たとえ壊せたとしても、勢いあまって突撃するのが怖い。
画面の向こうは常にブルートシックザール……傷つけたくない」
「優しいコトで」
 肩をすくめるヌヌ行はやっとソウヤの真意を理解した。
「オレの武装錬金では破壊できない。だが内側から叩くぐらいはできる。最大出力のペイルライダーで叩いて! 叩いて! 
叩きまくれば波動や衝撃!! そういった『揺らぎ』がこの空間に生まれる!! 生んでみせる!!」
「そして我輩は全時系列を監視。『揺らぎ』の生じる座標を見つける。見つけさえすれば外殻などアルジェブラのブラックホー
ルで除去可能だ」
 三度目の突撃。弾かれるソウヤに駆け寄りたい衝動を噛み殺し、黙然と突っ立つヌヌ行。
「いやそれにしても安心したよ」
「何がだ」
 構えたまま振り向きもせず問い返すソウヤ。
「なんだかムキになっている気配がしたからねえ。てっきり怒りあまり暴挙に出たのかと」
「……怒りはある。あんただって同じの筈だ。父さんを知っているからな」
「まあね」

 瞑目して笑う。思いを共有しているという実感が五体を満たす。

(LiSTの物言い……あれはソウヤ君の父君がやってもおかしくない『気持ちを踏まえた』モノだからねえ。決定的に違うのは
相手を立たせようという温かさの有無だ。LiSTにはない。正しくも優しい悪口(あっこう)で気高い道をゆけなくする)

 人は時に「お前にだけは言われたくない」とせっかくの金言を無視し、それがゆえ泥沼に落ち込んでいく。

(LiSTは自らが悪だと理解している。理解しているからこそ、相手が真に選びたい選択肢をわざと言い先回りする。従わ
なくても従っても自分のペースに嵌めるため正しい言葉を利用する。カズキ氏とは真逆。けれど用いる言葉だけは同じ)

 ソウヤが身を削るに至った理由はそこ。ヌヌ行と同じ憤りこそ……動機。


(……私ひとりじゃあダメだったって諦めていたよ。さすがカズキさんと斗貴子さんの子供。私の希望。自ら選択肢を作りだせ
るなんて偉いよ。スゴいよソウヤ君)



「でももし仮説が違ったらどうするんだい?」
「違う方法を考える」
「強いね」
「違う。あんたが居るからだ」
「??」
「傍に居てくれるだけで、何というか。うまく言えないのだが、何だろうな。ええと。そう。……結構、心強い」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
 鼻先を掻くソウヤから全速力で顔を背ける。それは一気に赤熱した顔を見せないためではない。頬に浮かぶニヤツキ
を隠すためだ。
(やっべ。マジ嬉しいよ私。『傍に居てくれるだけで心強い』!! そんなの言われて嬉しくない女のコなんていないよ!! 
たぶん『改変可能なアルジェブラ持ってる私』が傍にいるから安心って意味なんだろうけど、でもでもでも、そーいうのひっく
るめての私だし!! 使いこなすために毎日毎日がんばってきたし!! うっはー!! 今日は天中殺でイイコトなしかと
思ってたけどそれ全部帳消しにするぐらいウレシーーーー!! ハッピーーーーーーーーーーーーーーーーーィ!!)



 ソウヤとヌヌ行が脱走劇を企て始めたころ、ブルートシックザールは依然としてLiSTに拘束されていた。

「いいじゃあありませんかあご自分のコト許してあげてもおおおおお。キッチリ許していただいた方がわたくし的にも助かります!!
人質が通用するって訳ですからねええ!!!」
「放しやがれこのダボ……ぐあっ!!」

 自動人形を差し向け砲撃した筈のヌヌが血反吐を吹いたのは

「ダメですねえ。お忘れですか。すりぬけるんですよぉ攻撃! この体勢でわたくしこうげきするなんて自殺行為もいいトコです」

 解説のとおり。脂汗をかき苦痛と嫌悪に眉根を寄せる少女の耳元にLiSTは顔を近づける。松の木とウロの笑顔を近づける。

「え? 助かったからよかったようなものの、今の攻撃で植物状態になったらどうするんですか?」
「あ、あああああ」

 耳元で舌を出し熱い息を吹きかけるLiST。ブルートシックザールは涙を流し震えだす。

「モノ言わぬあなた。虚ろな目で天井を仰ぐだけの脱け殻の貴方様。親しい人に、『もう人間じゃあないから顔も見たくねー。
けど生前使ってた肉塊だから取りあえず見舞ってやる』み☆た☆い☆な! 見方されちゃったりしたらそりゃあもう絶望でしょう
ねえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! ご自分が弟さんにやらかしたコトをやりかえされる因果の鎖で縛られるのは怖いでしょう?
だったら攻撃しちゃあダメですヨ。おとなしく従ってくださいねえ」
「や!! やかましいッ!!」

 ブルートシックザールは激動した。両手。そして両足。頭。動かせる部分を一斉にLiSTめがけ叩きこむ。むろんもとより
攻撃がすり抜ける彼だ。一撃として当たらない。

 だが。

 ブルートシックザールは立ち上がる。はてな、後ろから抱きすくめられ床におしつけられていた筈の彼女がなぜ解放され
たのか。

 秘密はインパクトの瞬間にある。攻撃した部位がことごとく透過!! 攻撃すればすり抜ける、一見不利に見える状況
をブルートシックザールは逆に利用したのだ! はたして立ち上がる彼女。すかさず火を噴く無数の自動人形。

 煙幕を突っ切り駆けだすブルートシックザール。その足首を掴む手もまた煙幕から……。

「逃げおおせたトコロで貴方自身のためになりませんよーーーーーーーーーーーーーーーー?」
 這いずったまま上目づかいのLiST。舌舐めずりする姿にぞっとしながら踏みつけるブルートシックザール。またも透過。
抜ける足。

「”また”誰かの犠牲で命をつないだ。そーいう実感、罪悪感はムクムクと強まっていく!!! 生きているからこそ段々段々
強まっていく!!! 例え予め『見捨てる』と告げていたとしても対抗要件にはなりません」

 立ち上がるLiST。レーションの缶をいくつか手に取りお手玉を始める。

「やかましい! つーかなに呑気に突っ立てるんだテメー! つ、追跡はどうした!!」
「しますよぉ。でもすぐ追いついたりしちゃあつまらないじゃないですか。嫌がり、怯え、逃げ惑う女性を少しずつ追い詰めて
いく過程が楽しいんじゃあないですか。反撃を考え希望を紡ぐ時間もできますしねえ」

「30秒待ちます。好きに走って下さい。走らなければまあそれだけ早く捕まるってコトですけどネぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 軽く呻いたブルートシックザールは無言で踵を返し逃げ始める。
 その様子を見ながらLiSTはククと笑う。

「人はいつまでも逃げれる訳じゃあありません。いつか必ず何かに立ち向かい克服しなくてはなりませんッ!! それが今ッ!!
貴方様の直面しているのはピンチじゃあありません! チャンスです!! わたくしを斃しィ、過去とすっぱり決別すればァ! 
もっと楽しく生きられます。実はチョッピリ恨んでいる弟様へのわだかまりも溶ける!! どーするかなんて最初から明らかじ
ゃあないですか!!」

 5分後。

「……どうだ?」
「微弱な反応を捉えた。大まかだが絞り込めてきた。正しいよ。君の仮説は正しい」
「そう、か」

 もう何度目だろう。あちこち破けた衣服から血を流しながら構えるソウヤ。

 裂帛の気合とともに空間が揺れ──…






 一方ブルートシックザールは……逃げていた。


「逃げないでくださいヨ!! 逃げるというのは何の希望も生まれませんよォーーーーーーーーー!! 希望!! 希望
希望希望希望!! ああ口にするだけで恍惚とする美味なる言葉!! わたくしと戦って下さい!! 戦って戦って戦って
戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦って戦ってェ────────ッ!」

 逃げる間にも、眼帯をした痩せぎすりの自動人形がLiSTめがけダース単位で躍りかかっている。ミサイルや光線が雨
あられと降り注ぎ激しい爆音を響かせる。巻き添えで破壊された壁や廊下が破片と炎にくゆる中LiST。

 自動人形めがけ腕を薙ぐ。

 それだけだった。たったそれだけで自動人形たちは無効化される。
 砕けたり切断される訳ではない。本当にただ……『消える』。鉛の文字に消しゴムをかけたように。腕の軌道の分だけ
ごっそり失せる。消し残しさえ軌道めがけ吸い取られる。LiSTは上を向き笑う。舌を出し、けたたましく。

「ギィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーヤッハッハッハァーーーーーーーーーーーーーーー!!
Hoooooooooooooooooooゥー!! 見て下さいわたくしこういうコトだってできるのですヨーーーーーーーーーーー!!
ちょっと触れるだけで何でもかんでも消してしまいますゥーーーーーーーーー!! おっそろしいでしょ不気味でしょキモイ
でしょおおおおおおおおおおおお!!! そんなわたくしだからこそ正面切って戦っていただきたいのですううう!!!」
「クソ!! いよいよハイになってやがるなLiSTのヤロー!! 頭痛いわ!!」

 さらに9回ほど腕を振る。またたくまに40基の自動人形が消滅した。軌道はカマイタチのごとく飛びもするのだ。

 前傾姿勢で駆けるLiST。速度はグングン上がっていく。シャッ、シャッ、シャッッ。斜め前方2mまで一気に飛んだのはまる
で瞬間移動のよう。残影さえ見せない。それを3度も繰り返すうちとうとう彼はブルートシックザールのすぐ後ろにたどり着き

「恐怖って奴を乗り越えスンばらしぃーーーーーーーーー希望を紡いでください!! わたくし斃して見てくださいーーー!」

 飛んだ。避けられた。そこは廊下の丁字路。机に置いてある、ズングリとした大きな白い壺にLiSTは顔面から衝突。突き
破った金色の額縁は壺のすぐ後ろに掛けてあった絵画の一部。高さ2mの重いそれが衝撃で傾きやがて落ちた。

「ひぃやっはああ!! トラップ成功!! イエイ!! ココで追いつかれるよう敢えて速度を緩めていたのに気づかなかった
のかマヌケ!! そして避けた!! そーなんのは必然って奴よ!!」

 絵画の下敷きになり、尺取り虫のように臀部を高く突き上げるLiSTを、軽く振りかえりがてらの流し眼で見ながら(そして
い汚い笑みをたっぷり浮かべながら)彼方めがけ走っていくブルートシックザール。正面を見るや頬に手を当て思案顔。

「そしてどうやらLiST! こちらから攻撃する場合ヴィクター化さえ効かなかったアイツがいま壺やら絵画に頭突っ込んで
いるッ!! 『ダメージを受けている』。確信したわッ! どーやらテメーから突っ込む場合、物理攻撃は効くようね!! 
じゃあなきゃさっきわたしにしがみつけた説明がつかない……そう考えてやってみたがズバリ的中まさかの正解って奴ねッ!
頭痛いわッ!!」

 ようやく美術室前を通過!! ブルートシックザール、元きた道を逆走中!!

「攻略の鍵って奴はどうやらその辺に潜んでいそうだが、とはいえあんな引っかけが何度も通用する相手じゃあない。相手
はLiST。何百人というポリ公を殺してきた悪魔奇術師。(そもそもこの屋敷は錬金術の産物じゃあない。LiSTの正体はわた
しにもよくわからねーがホムンクルスって仮定した場合、フツーの建築物にガゴガゴぶつけるだけじゃあ不十分ッ!) なー
んか考えなくっちゃあだわね」


「正解なのに頭痛い? ……だんだん脈絡なくなってるんだが。あの口癖」
「きっと嬉しさのあまり逆に痛むんだよ」
「本当か」
「本当! (ウソぴょーん!)」

 ソウヤの吶喊、ヌヌの検索……続く。



 ズリ。ズリ。ズリズリ。

 考えるブルートシックザールの鼓膜を異様な音が叩く。振り返った彼女、唖然としあやうく躓きかける。
 ソウヤたちも心情的に同じだった。息を呑むソウヤにヌヌ行、またしても抱きつき甘い弾みをひっつけた。

                       ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「傷ううううううううううううう!!!! 『きィズぅううううううううううううううううううううううう』!! あばばアフフフぼぎゅぐルご
ぐンンンンンンンンンンンンンンンンン〜〜〜〜〜〜!!! ちょーイイです!! 最高です!! ありがとうございます、
あ☆り☆が☆と☆う☆ご☆ざ☆い☆まァァァァァァァァァァァァァァァァす!!!!!!!」

 LiSTは。

『這っていた』!! 壺に頭から突っ込み絵画の下敷きになった姿勢のまま!! 床を!! 超高速で這っていた!!!
総てのエネルギーを臀部に一点集中ッ!!! 蓄えたエネルギーを放出するのは鍛え抜かれた大胸筋と膝蓋骨!!!
絨毯と大胸筋の摩擦は前方への運動エネルギーへと転化!! その速度、実に時速14km!! 一方、後方めがけ
追いやられる膝蓋骨は大胸筋が蠕動により前進する瞬間わずかに浮き抵抗を殺害ッ!! 移動完了するや即座に床を
蹴り臀部にエネルギーを蓄積する!! つまり伸び切った膝蓋骨のバネが推進力を生みだすのだッ! コレぞLiSTの永
久機関『ライフイズショータイム』(きっと必要不可欠のエナジー)!!

(な、なんて速度なの。いまのコイツは『原動機付自転車』……。そう。冬、凍結状態の路面を徐行する原動機付自転車にも
匹敵する速度ッ!!!)

「ようやく当たりましたねえええ攻撃ィイイイイイイイイイ!! ひぃーっ! ひぃーっ!! なんて、なんて痛いのでしょうか
ああああああああああああああ!! ちょっと加速つけて壺に頭突っ込んだだけでこの痛み!!! 素敵ですイカして
ますよブルートシックザールさぁああああああああああああああああああああん!! でも足りません!! もっと!! 
もっと攻撃して下さい!!!! 攻撃!! 攻撃とは希望のプレリュードなのです!! もっと!! もっともっともっと
もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっとォー!!!
希望を下さいイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!」


「異常だ。異常すぎる。アレだけ整っていた衣服! いまはもう暴漢に襲われたぐらいボロボロだ!! 頭が割れ口から
血さえ流している!! にも関わらずLiSTは『喜んでいる』!! 優位が崩されたというのに……心から!!! 嬉しがっ
ている!!!」
「…………。ソウヤ君もけっこう解説好きだねえ。(蝶・加速のやり過ぎでランナーズハイ?」

 おぞましい颶風を噴き上げる漆黒の尺取り虫は更にグングンと速度をあげる!
 開きゆくブルートシックザールとの距離! 8m、10m、12m。現在の時速20km!! 50kmで突っ走るブルートシッ
クザールに追いつけないのは誰が見ても明らかッ!!! 彼女は2秒後、LiSTの視界から消失するッ!!

「待ってェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。待ってくださいよぉーーーーー!! 放置!! 放置はいやだあ!!! 誰にも構われず
置いて行かれるなんていやだあーーーーーーーーーーーーーーーっ!! サビシイよぉ怖いよオ!!!!!! 絶望だア
アーーーーーーーーーーーーーーッ!! お先真っ暗だよオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」


 声を遠くに聞きながら一人ごちるブルートシックザール。減速はしない。頬に手を当て考える。


「異常な姿勢に一瞬ビビリはしたが追撃が緩んだのは確か! 奴が態勢を立て直すまで1分とみた!!(フツーに走るっつー
発想はないのか?) 今はこのまま突っ走り距離を稼ぐのがベスト!」
「逃げるんですかあ?」」
「逃げるに決まってるわ!! だってもうライザの体は持たないもんネー!! わたし以外の器を見つけてもきっとすぐ朽
ちる。強すぎっからさあ、並の体じゃあ持たない!! 逃げ回ってりゃあそのうち体ごとくたばるって寸法よ!! そしたら
しめたもん、わたしの勝ちッ!」
「だったらなんでソウヤさんとヌヌさん呼んだんですかあ?」
 階段到着。駆けおりる。手すりが爆ぜた。丸く抉れた破片が空中で鋭く尖りブルートシックザールを襲撃する。
「スッとろいわねー!! ンなもんちょいと首まげるだけで避けれるわ!! なんで揃えた!? そりゃあライザ、真正面か
らガチでブッ殺すほうが安心。自分の目でちゃんと確認したという安心感を得られる! ……とっと」
 また首を曲げる。ヒュンヒュンと尖った破片が皮1枚掠めて床に刺さる。

 声の出所は気にしない。『遠くにいるが見えるのだろう』。その程度にしか思わない。

「けど人質にされちまったつーなら逃げる方が得ってもんよ。いったんは取り戻そうとしたがどーも旗色わるいわ頭痛いわ。
ンなときに必死こいて人質取り返そうとすりゃあどうなるか。深みって奴に嵌りこんで、『バクゥ!』 罠が炸裂! さっき弟の
件でゴチャゴチャぬかしやがった事といいどうも怪しいのよね〜〜〜〜。良心は痛むが敢えて逃げるッ!!」
「いいんですかあ〜〜? あなた確か『手紙』探しにココ来たんですよねえ〜〜〜。ライザさまがチメジュディゲダールに
出した手紙。それを探さず逃げるってのは不安じゃあないですか〜〜。ライザ様の所在がわかりませんよぉ。分からなけ
れば『真の安心はない』。そうは思いませんか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」


(確かに)
(そうだった)

 ソウヤとヌヌ行は思い出す。『手紙』。ライザウィンの手紙。ブルートシックザールはいった。それを手掛かりに所在を突き
止めると。タイムオーバーがあるにしろ、所在を掴まないのは手ぬかりだ。念のためソウヤとヌヌ行に協力を要請したブルー
トシックザールらしからぬ迂闊さがある。


 クローゼットルーム前通過ッ!! 玄関まで残り100m!!



「…………ふうん。『8日前』。ゲームセンター」
「!?」

 動揺の気配。息を呑む振動はソウヤたちの空間をも震わせた。

「なんだ?」
「ふはは。あの喰わせ者が何やら驚いてるよ。8日前。ゲームセンター。興味深いねえ」



「LiSTテメーどうやら『出逢ってたようね』。ライザ!! そして養父母にプレゼント買うべくバイトしてたウィル……星超新に!!
どんなゲーセンか理解した!! 内装も! 立地条件も!! たむろする学生連中の制服……外行くエアカーのナンバー。
てめーは覚えちゃあいねえが『確かに見ている』!」


「あのゲームセンターの従業員の誰かがッ!! 『LiST』! お前だった!!」


「誰かっつー詮索はしねえわ。手紙もいらないわね。証拠、手に入れたわ。御丁寧にもてめーがくれた訳だ。制服。エアカー。
そっから手繰ってライザまでたどり着くまで、まあざっと3日ってトコね。ヌヌいるし」
「まさか……貴方様は最初からそれが目当て……? 欲しかったのは手紙ではなく…………刺客…………?」

 傲慢な笑みが何よりの回答だった。

「ギャハハ!! あのいけ好かねー自称最強が悪ガキに殴られたのォ!? へぇー、メダルぎっしりのサップで後頭部をズ
ガン!! 頭痛そう! あったま痛そう!! ギャハハ!! さっきから不運続きだったけどよォー! それ吹っ飛ばすぐれ
えの『いい気味』って奴を体感したわッ!」
「ほう!! 確かに事実ですがだからこそ興味深い!! なぜ!! わたくしの記憶が読めたのか!!」



 揺らぎは一瞬。すぐさま力強さに変わる。LiSTは法廷で戦う弁護士のように声を張り上げた。



(テレパシー? さっきからブルルちゃん、私の心を読んでいた。でもどうして? 武装錬金の特性? それとも──…)



「そういえばブルル様、頤使者でもございましたな。頤使者とは言霊で動くもの。護符に刻まれた『言葉』が能力となるの
です。炎と刻めば炎を、水と刻めば水を。わが主ライザウィン様におかれましては『古い真空』……。では、貴方様の言霊。
それは何でございましょ……」
「スっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとろい質問で時間稼いでんじゃあねえぜこのダボがああああああああ!!」

 ブルートシックザールが眼前で指を指すと、ギャゴギャルルヴァヅァーーーーーーーーーン!! 無数の自動人形が斜め
上方めがけ一直線に飛び立った。推進衝撃の丸い余波がいくつも浮かぶそこは十字路のド真ん中。玄関まで残り58m。

「ペースを作っていいのはこのわたしブルルだけだッ! てめーは黙れッ!! いいかッ! 『待て』だ! わたしがいいっつー
まで何もすんじゃあねええええええええええ!!」

「あぐっ!」

 破れた天井板の向こうに覗いたのはLiST。口から血を吐き脱力する。床に落ちるまでさほどの時間は要さなかった。

「どうやら階段前で引き返し2階ッ! つまりこの真上から奇襲かけてる最中だったよーだけどよぉーーーーーーーーーー!!
ブチ破れば物音すんのは必然!! ンな事もわからねえなんて焦ってたのかテメー! ま!! おかげでカウンター入った
けどよぉーーーーーーーーー! さっき壺に突っ込んだようだが今度は破片ッ!! しかも御自慢の膝蓋骨が『両方』!
潰されていっからよォーーーーーーッ! ホムンクルスといえどすぐにゃあ復帰できねえ筈! その間に…………!!!」 


 廊下の突き当たりにある大きな扉を開け放つ。ブルートシックザールが踏み出したのは広間。

 敷き詰められた赤い絨毯の中心に、ドス黒い沁みが広がるそこは入場口。彼女らが入ってきた場所。
 振り返り中指を立てつつ玄関めがけ走りだす。

「てめーは大人しく見てなッ!! 人口乳首に吸いつく赤ん坊のようによォーーーー!! なんの邪心も起こすんじゃあねーぞ!」

 LiSTはうつ伏せのまま手を伸ばすが当然届かない。

「いいんですか? 人質……」
「『逃げる』っつーのは『逃がしてもいい』っつーコトよ!! 襲ってくる敵をまあいいやと放逐する行為! 欲しいもんは手に
入れた、争う必要はねえわ!!」
「しかし!!」
「ああ人質のコトだったわね問題ないわッ!! 聞こえない? わたしには聞こえる。波動。『閉じ込めた、ある一点』。さっ
きからズガガンズガガン鳴り響くアレ」


 心当たりがあるのだろう。幽かな、耳を澄まさねば鼓膜のうねりとしか思えないごく小さな呻きが漏れた。


「お疲れ様だソウヤ君! 座標が分かれば攻撃可能! 砲撃開始!」


「目標!!! 我輩たちを閉じ込めているレーション!!!」



 暗い暗い……時系列を具象した果てない空間で。



 直径10kmの砲身がある一点めがけ灼熱を吐きだした。それは雷という枝を兆単位で束ねた高温と電圧で、軌道上にいく
つかあったブラックホールの大容量をことごとくあっという間にパンクさせた。減衰はなく、地球上の水が総て津波になったよう
な乱痴気騒ぎだった。ノアが箱舟に乗った時の荒れ狂う持続力が圧送だった。時間という不可逆の破壊エネルギーの凝集
だった。

 攻撃力を持たない武装錬金の例に漏れず屈強な防御力を誇る「マッシュルームパワー」、つまりLiSTの精神具象の外殻
はかつてバスターバロンの再来と謳われる身長120m、体重947tの自動人形の猛攻に七日七晩耐え続けた実績を持つ。

 並のホムンクルスなら一撃で灰燼に帰す武藤ソウヤの蝶・加速を実に58回喰らってなお無傷だったレーションの缶は、
羸砲ヌヌ行の武装錬金・アルジェブラ=サンディファーの放つ巨大な攻撃に包まれた瞬間バヂリ、という音を発し抵抗した。
大河の中の砂粒1つほどの質量しか持たないにも関わらず、光線の中で、強烈な、白い円弧の斥力を発しそれを凌いだ。
寄せ付けなかったのだ。なんと2秒も凌いだがそれだけだった。それっぽっちのコトしかできなかった。2秒経つと抵抗とも
どもすぐさま呑まれ消失した。


「我輩たちまで呑まれちゃあつまらない。今のは最大出力の2割。少々加減がすぎたかな? (とメガネを直す私カッコイイ!)」


 黒い欠片がガシャリと割れ落ちていく。ソウヤとヌヌ行は頷き合い、そして見渡す。

 瓦礫と包帯の転がる通常空間を。


「オレたちがさらわれた場所」





「アイツらはアイツらでどーにかできる! わたしは一旦引く! 身を隠す!!」


 やがて開けられる玄関。館と外界を隔てる脱出口。誰もがそう信じる扉がめいっぱい開くと、爽やかな風が流れ込む。

(お。おおお。風よ。『風』だわ。なんて気持ちいい。心なしか館に充満する『瘴気』って奴が薄まった気がするわ)

 白い光がブルートシックザールを包み。


 足は、『その外へ』出た。

 瞬間、目が眩んだのは光のせい。ブルートシックザールはそう思い気にも留めなかった。

(……!?)

 立ち竦む。踏み出したのは意外な場所。

(『中』!? 屋敷の!? え!!?)

 広がるのは廊下。どうやら2階らしい。階段がすぐ近くにある。

(いったい何故!? さっきまでいたのは『1階』! 確かに外へ──…)

 踵を返す。出てきたドアはどうやら美術室のものらしい。ノブを轟然と引き、開ける。カビの匂いが広がった。

(……玄関じゃあない? そんな、ココから出てきたのよ一体どうして? しかもこの美術室)

 ソウヤたちと探索した場所だった。

(間違いないわ。よく分からないグネグネした彫刻や前衛的すぎる絵画でごったがえしている。間違いない。さっき調べた
ところ)

 再び調べてみるが異常はない。やむなく出る。下り階段が目に入ったとき混乱はますます高まる。

「手すりが……戻ってる? そんな! 確かさっきLiSTのヤローが攻撃したとき一部だが壊れたはず!」

 慌てて駆け降りていくが、ブラウン色の艶やかな手すりは傷1つ見当たらない。

「しかも何か妙だわ。視線が……そう、視線が……」




「「ゆーきーをくーれるよっ! たーすけてーくれるよっ! 」」



(!?)



 聞き覚えのある声。階上から響いたそれに疑問は吹っ飛ぶ。まろぶように駆け上がり、向かう。


(あの歌!? 確かさっきヌヌと歌った『花子さん』!? どういうコト? 巻き戻ったの? 時間が?)


 状況がわからない。わからないまま駆けていく。角を曲がった瞬間


(!!?)


 反射的に身を隠す。意外なものが向こうにいた。

「好きだからよ。昔の番組専門の局があるしそもそも最近のバラエティっつーのはさあ、一山いくらの芸人どもが台本通り無難
な話してるだけじゃない。まったくスッとろいわよね〜〜〜〜〜〜。不況になるたびいつもそう。日常生活だの恋愛話だの事
務所の都合にふれないクソにも劣る無駄話をしては馬鹿笑い。頭痛いわ」



 ブルートシックザールは自分を見た。彼女だけではない。後ろにはヌヌ行、前にはソウヤ。3人が並んで『歩いている』。

 顔だけ覗かす。電柱から犯人を伺う刑事のような慎重さで。されど禁じ得ぬのは焦燥。

(いよいよ訳がわからねえわ! なんで! なんでわたしは『わたしを見ている』!? しかし考えてる間はねえわ! 確か
……そうよ! 確かこのあと!! LiSTのヤローが襲撃かました!)


──『答えられるかどうかは貴様しだいだブルートシックザール』

──『武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は『無事』! 誓っていうぜええええ。返してもいいぜええええええええええ!!』

──「要求は1つ!! 『こいつら解放したかったらライザウィン様の肉体になれッ!』だ!!』


(……。待て。オイ。なんでだ?)

 急に疑問がわいてくる。


(なんで口調が『荒かった』? 奴は慇懃無礼! 思わぬ反撃にバチ食らった時でさえ佇まいって奴を崩さなかった! ああ
いうタイプはすぐボロ出すのが相場っつーのに、屈辱的な一噛みって奴に対してはむしろ歓喜し興奮した!! なのに何故?)

 なぜ最初だけ荒かった? LiSTの口調に対する疑問が頭を占める。

(引っかかる。LiSTはなんで最初荒かったの? 『あの次元』はリアル。理由のねーコトは起こらない……。ああ頭痛いわ!
思考を戻すのよ! 引っかかるけど追及する時間はない! まずすべきコトは!)

 思い出す。このあと何が起こったか。

(コントの話をした。振り返ったらもうヌヌはいなかった。続いてソウヤが前半分削り取られ……消えた)

 角から出る。ヌヌ行たちから20mというところだ。身を隠せそうな物はほとんどない。唯一あるのは


(? 鏡? あったかしら? こんなの。おしゃべりに夢中で見落としてた?)


 楕円形で1mぐらいの……鏡。6m先で銀色に輝く鏡を一瞥した瞬間”それ”はきた。


 ヌヌ行の足元がズズリと色を変え渦を巻いた。転瞬粘っこく伸びあがるくろい影。薄暗いせいで全貌がわからないが……
……確信よぎる。


(『アレ』ね! ヌヌ行をさらった攻撃は! させねえ!! 距離を詰めつつ攻撃! 行け! 自動人形!!)

 胸に手が伸びる。絨毯の上で足が迫(せ)り出す。影が振り向く。武装錬金が一直線に飛んでいく。更に踏み出すブルート
シックザール。うねりを上げ風圧にけぶる武装錬金。輪郭は見えない。ブルートシックザールは鏡の前を通り過ぎた。眼が
鏡に吸いついた。足が止まる。もう止まらない。武装錬金は止まらない。戦慄が幻聴を生む。地鳴りのような幻聴が少女の
世界を支配した。

 鏡に映っていたのは。

 頬がこけた男。右目にモノクルをかけた皺の深い男。纏っているのは黒い執事服。

(なっ)


(何ィ───────────────────────────────────ッ!?)


 手を眺め顔をなぞった彼女は気付く。変貌に。自らが遂げたおぞましい変貌に。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(ば……馬鹿なッ!! なぜ『この姿』……LiST!? ……マズい! という事はつまりッ!!!)

 幻の地鳴りが鼓動と混じり跳ね上がる激闘のなか、『見る』。
 今しがた飛ばした武装錬金を。自動人形と信じ放った武装錬金を。


 1954年の自衛隊創立時から使用されているその戦闘糧食は、保存期間の長さや航空機からの投下に耐えうる強さか
ら非常に重宝されている。主食の炊き込みご飯は大変うまいがしかし不評。開けるのが手間であり、さらに食後は敵に
居場所を悟られないよう、穴を掘り埋める必要があるからだ。そのため後に登場した『II型』と呼ばれるレトルトの方が便
利といわれている。(カラはポッケにしまえるのだ)


 自衛隊の戦闘糧食I型は缶詰である。ブルートシックザールがヌヌ行の背後蠢く影に対し放ったのもまたI型だった。

(LiSTの武装錬金!! 数は6個ッ!!)

 飾り気のない、銀色の表面がわずかしかない光を反射し、影を照らす。驚いたのだろう。”それ”は小さな呻きをあげた。


「るろオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
「スぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅトおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


 涙とヨダレを流す少年と女性。2人ではない。『6個』だった。シャム双生児のように頭部が癒着した異形の顔面。
 黄緑色の粘液にぬめる顔面が6個、つまり12人分! そいつらが浮かび、あるいは落ち、床で蠢いている!! 

 焦点の合わない眼で奇声を発すそいつらにブルートシックザールは見覚えがあった! なぜなら!! 彼らは!

 蒼い髪と金瞳の少年。そして毛先が虹色な眼鏡の女性。つまり──…

(ソウヤとヌヌ行の『何か』ッ!!)

 気付いたときにはもう何もかもが遅かった。缶詰は影に突っ込み…………粉々に砕いた。


(あ、ああああ。そんな。そんな……『まさか』。なんてこと。認めたくない。認めたくない。そんな……まさか!)


 うっすらと涙を浮かべ震えるブルートシックザール。その視線の遥か先にいる『自分』は何も気付かない。


「我輩的には壮大な自然を映したドキュメント番組がいいねー。(ときどきヤマネコさんとか追跡するのがそープリティ!)」

 異形の顔面がくすぶり消えた瞬間!! ヌヌ行の下半身が砕けた!!
 何が起こったか知らないのだろう。肩を揺すり何か喋りかけた彼女は瞬く間に首だけとなりそして消えた。

「やーよあんなのスッとろい。わたしはコントがいいわ。笑いは心のビタミンだもん」

 ブルートシックザールの踵の後ろで。虹色の髪が、螺旋状に捩じれバチュリと爆ぜた。

『してはならなかった』! 悪気はなかったの。わたしはただヌヌを守ろうとしたの。けど残酷な事実ッ!)

 戦慄く。いやいやをするように首を振る。


(2人を攻撃し暗黒の空間に閉じ込めたのは……『わたしだった』!!!)


 声は響く。響き続ける。将来どんな目に逢うか彼女は知らないのだろう。前方のブルートシックザールは呑気な様子だ。


「だからヌヌあんたもコントみなさいよ」


(マズい! 動揺している場合じゃあない!! わたしは直後振り返る! ボヤボヤしていると見つかる! ヌヌが消えた瞬
間あらわれた怪しい男! 誰だって敵と思う! さっきまでわたしはLiSTの容貌を知らなかったが同じ事! 見つかれば…
…戦いになる!)

「今じゃCDと同じぐらい骨董品だけどさ、DVD貸したげるから。

 笑いながら振り返る『前方のブルートシックザール』。彼女は誰も見なかった。

 廊下には誰もいなかった。

 窓のないそこは昼だというのに薄暗い。一瞬暗黒の無限回廊を見ている気がしてブルートシックザールは全身を正にあ
だ名どおり震わせた。


 『LiSTの姿のブルートシックザール』は曲がり角に隠れていた。尻と両手を壁につき激しく激しく息せいていた。


(『影』。攻撃したのはわたし。今ならわかる。あの影はきっと『魂』のようなもの! ソウヤ! そしてヌヌ行の『魂』!!!
いささか逆算的な考えになるけどココに来る前ふたりはどこかに閉じ込められていた! つまりLiSTのレーションには
対象を封じ込める機能があるッ! それでわたしは彼らの魂を攻撃した!! してしまった!!)



 驚愕しつつ角を覗く。前半分を失くしたソウヤが消滅するところだった。

 全身を汗が流れる。

(マズいわ。わたしはコレからどうなるか知っている。『戦い』! わたしはLiSTと戦う! けどいまのLiSTはわたし! どっち
かがどっちかを斃した場合、無事で終わるの? 許すはずがない! これはLiSTの攻撃。無事で終わる訳……頭痛いわ!)

 けど。そろりと階下に向かって歩きはじめたブルートシックザールはこうも思う。

(落ち込んでばかりじゃあ何も解決しないと思うわ。人生に失敗はつきもの! 確かにソウヤたちを捕らえたのは悪いとは
思う。けどLiSTの武装錬金使えたってコトは『解放』だってできるってコトじゃあ? わたしとの戦いだって心がけひとつで
回避できる。だったらむしろハッピー! と考えるべきね)


 ウンウン。頷いたブルートシックザールは飛び込んでくる自分の叫びを一通り聞くと、大声をあげた。


『答えられるかどうかは貴様しだいだブルートシックザール』

 そして手を動かし『何かを飛ばした感触』を恍惚の表情で味わってからようやく我に返る。

「っ!!?」

「『敵』!? いったいどこ? ヌヌが検索したときココに生物はいなかった。非生物? 自動人形? 単に後から入ってき
……ぶぐっ!!?」

 吹き飛ぶ気配。叫び声。角から見ずともわかる。

(壁の破片。あれがわたしに当たった。わたしがいま無意識に飛ばした破片に当たって──…)

 口が動く。勝手に動く。ハッと手を当てるが無駄だった。

『武藤ソウヤと羸砲ヌヌ行は『無事』! 誓っていうぜええええ。返してもいいぜええええええええええ!!』
「へー。でもタダって訳にはいかないでしょね〜〜〜。すでに一撃かましてくれてんですもの。条件は何?」
『要求は1つ!! 『こいつら解放したかったらライザウィン様の肉体になれッ!』だ!!』

(な、なに? どういうコト?? なんでわたしがわたし自身を脅迫するの? 口が無理やり動く……。けどまだ馴染んじゃ
あいないみたいね。どっかわたしっぽさがある。…………『最初だけ荒かったLiST』。謎は解けた。わたしが馴染んでいな
かったせい。けど。解けはしたが新たな謎が生まれてきた。『何故』? わたしがLiSTなの? いつから? 視線に違和感
が生まれたのは美術室を出たあたり。玄関だと思って飛び込んだ扉が美術室に繋がっていたあたりから──…)


 手は動く。自動で動く。何かが飛ぶ音がするたび自分自身の苦鳴が響く。


 そして。


 やがてブルートシックザールは自分自身に見つかり、撃ち合い、逃げられた。










 玄関をくぐり去っていく後ろ姿をただ茫然と見送った。

(り、理屈でいきゃあ今ごろあのわたしは少し前の美術室をウロチョロしてる筈。けどじゃあこのLiSTの体は何? とにかく、
身を潜め──…)

 熱ぼったい射線が体の左半分を通り過ぎた。言葉も出ないままそこを見る。炭と化している部分があった。けれどそれは
一番の軽傷だった。大部分はカタチさえ残さず消えていた。並列つなぎの電熱線にとろかされた発泡スチロールより呆気な
い最後だった。

「やあ。やっと逢えたねえ奇術師君。おかげでいろいろ恥をかかされたよ」
「………………」

 振り向く。羸砲ヌヌ行と武藤ソウヤが佇んでいる。前者からは虹色の、後者からはシアンの、光輝く靄がそれぞれ立ち上っ
いた。殺気。隠そうともしない殺気。スマートガンと三叉鉾の照準が迷いなく自分を狙っているのに気づいたブルートシックザー
ルは心の中で泣き叫んだ。

(待って!! わたしはここ!! LiSTの中にいるの!! やめて!! 撃たないで! こ、殺さないで!! 死ぬのは)

 嫌。という言葉にかぶさるように叫び。「滅日への蝶・加速!!」。右肩に炸裂した圧倒的な衝撃は右肺のみならず心臓を
爆砕した。仰け反った口から噴水のような血が上がり天井を濡らす。叫ぶ暇もあらばこそだ。ばっと左に跳躍したソウヤの
陰から直径50cmの光線が迸りLiSTの章印を貫いた。




 ……。

 …………。

 ………………。






「どうですぅ〜〜〜。お仲間にやられた『絶望』は?」

 目が覚める。暗黒の空間だった。うすく発光するLiSTを見た瞬間、ブルートシックザールは逆上しかけたが敢えて抑える。


「……説明しなさいよ。何がどうなってんの? さっきの体は『誰の』?」

 おそらくブルートシックザールのものを幻覚か何かで変えたのだろう。そう思い聞いた彼女に飛び込むのは意外な答え。

「『わたくし、LiSTのもの』。クローンじゃないんですヨ。幻影ともね」
「なんですって……?」
「つまりあの体を破壊すれば、ブルートシックザールさん。貴方の勝ちです」

 跳ね起きる。ココでやっと自分が元の姿と気付いたが本題ではない。

「スッ、スッとろい事ぬかしてんじゃあねーわよッ! 仮にそれが本当だとしてテメー! なんでわざわざ教えやがる! 黙っ
てりゃあ済む話でしょーが!!」
「おやあ? ブルルさんはまだわたくしのコト理解して下さってないようですねェ」

 LiSTは腰の辺りで手を組み、カツカツと歩きはじめた。

「敵に自分の体を乗っ取られる!! ひどく絶望的ッ! だからこそイイんです!! 希望とは絶望から生まれるもの!!
『もうどうしようもないんだオシマイだ』、逃げたくなるほどの絶望を超えて初めて! 人は真の希望を味わえるのです!!」

 金切り声をあげながら自分の体を抱いてみせるLiST。左脇腹のあたりから夥しい血が流れている。

「誰かに救われるだけでは不十分!! 心が希望に対して不活発です。本質も根幹も何も変わらぬままただ希望を貪るだ
け……わたくしを救って下さらなかった人類どもが正にそれ。ま、いまさら彼らに救って欲しいとは思いませんがね!」

 ウロのような笑顔で舌を出し笑いたくる。出血は増す。そのたび皺の深い顔が蒼黒く染まっていくが声は一切衰えない。

「肉体を預けるっていうのはスゴい希望だらけの発想じゃあないですか!! 貴方様が勝てば貴方様が襲撃を乗り越えたと
いう希望が味わえるッ! だって肉体貸してるんですからね!! すぐ間近の特等席で味わえるなんてチョーいいね最高じゃ
あないですか!! 逆にわたくしが勝ちィ〜〜〜〜! 無事肉体を取り戻すコトができても良し!! 天運が希望を与えて
くれたという幸福感に浸れる!! ンッ〜〜〜〜〜!! どっちに転んでも美味しい思いができるのですゾクゾクしまぁす!!」

(な、なんていう執着なの…………。『希望』。誰だってそれは求める。わたしだって求めている。ライザを斃そうとするのはその
先を求めているから。灰みがかった蒼い吹雪を抜けた先にある『そよ風』。そよ風の吹く暖かな草原を誰だって求めている。
けどコイツは……LiSTは異常よ。異常すぎる。自ら真冬の南極点に飛び込んでおきながら春を願ってやまない矛盾がコイツに
はある。暗黒ながら克己を孕む螺旋精神! おぞましさの根源を垣間見たわ!)

 ぞっとしながらも冷えた脳髄は別なコトに気付く。

「大口叩く割にゃあ体の損壊具合がちぃっと足らないんじゃあないの? さっきわたしはヌヌに左半身溶かされた挙句章印を
貫かれた。ソウヤに右半分ブッ壊されるオマケつきよ。そこで死んでりゃあわたし視点の『希望』ってのが味わえたんじゃあ
ねーの?」
 とんでもない。LiSTは首を振った。
「とりあえず能力の前提条件からお話しましょう。わたくしの武装錬金の切り札の1つは『永劫戦闘』。ある条件下で捉えた
敵を死ぬまで永劫、戦わすコトができます」
「……その条件っつーのは?」
「お答えできません」
「いいから教えなさいよボケ。どんな状況でつかまったら発動すんの?」
「お答えできません」
「発動条件いいなさいよコラッ!」」

 LiSTは流した。

「対象の魂のうち、敵、つまりわたくしの肉体に憑依させられる分は最大で50%。閉鎖空間を脱出……このお屋敷でいえ
ば玄関のドアを抜けた時点で持っている魂の50%がわたくしの体に入ります。そしてわたくしの肉体にフィードバックされる
ダメージは……魂の割合と比例します」
「つまりこう言いたい訳ね。あんたの肉体に入ってたわたしの魂は全体の……『半分』。だから例え死のうが半死で済む、と」
「ええ」
「攻撃が通じなかったのはなんで?」
「貴方様ご自身が傷つくのを望まれなかったからです。種明かしをするとですネ。ご自分でご自分を殺めてもいい……目的
のために自ら命を捨てる『覚悟』さえあれば貴方様の攻撃はなんであれ通じたのです」
(そーいやLiSTを壺やら破片やら突っ込ますとき少しだけ思ったわ。『巻き添え食らってもいい』。だから通じたわけね)
「わたくしの武装錬金内部は、そういった願いや望みが若干叶いやすくなっております。ヌヌさんがわたくしに扮した貴方様
を殺せたのも『寝顔とかいろいろ恥かかされた懲らしめてやるッ!』というお気持ちが強かったからですねえ。もっとも手加
減はされてたようですヨ? 火力が強すぎるせいであんなコトになってしまいましたが」
「あのバカ……」
 顔を抑え俯く。心底頭が痛かった。
「まあもっとも、『大義のためなら命も惜しくない』。そんな勇敢な戦士の方でも危ういですがねえ。何しろご自分の魂がわた
くしにあるのを知ろうが知るまいが全力で攻撃しガンガン殺して下さる!! そのつど自らの魂が削られているのにも気づ
かず何度も何度も戦い続ける!! 散った魂に説明はしておりますヨ〜〜〜。すると儚くもまだつながっている魂すべてが
本質を理解するのですが!! ギィヤハハハ!! 戦ってわたくし斃す方が早いってんで遠慮なく突っ込んできます!!
そして自分を……殺す!! いいですヨ〜〜〜〜!! 死にながらもそれが希望の道だと確信し最後の最後まで戦いぬく
方!!! 尊敬に値します!!! 見ていて気分が晴れて大好きです!!」
 笑い声の中、寒気を感じる。手を見る。元に戻った手。細い手が一瞬ジジリと電子映像のような歪みを見せた。そしてみる
みる透明になっていく。
「さあ魂の半分が死ぬお時間です!! 説明したのは永続させるため!! どういう形でもいい、対象の魂に特性を説明する!
それが条件!! 発動条件とは別に設定された条件! 果たしましたヨ〜〜〜〜! 或いは残り半分に仕組みが伝わった
でしょうが……抜けれる術はありません! さっき逃げたあなたは今頃わたくしになっているでしょう!! 戦いを選ぼうと選
ぶまいと結果はおなじ! いつか復帰したヌヌさんたちに殺される定め! そしてどんどん半減しゆく魂!!」
「避けたけりゃあ大人しく従えってカオね。結局人質云々はブラフ。わたしを永劫戦闘に放り込むための方便。逃げればよし
逃げなくてもよし。頭痛いわ」
「ほほほ。相手様の心情如何に関わらず目的を達成するのが、希望ですから」
「ライザの肉体になる。一言そういやあ武装錬金を解除! 無限獄から解放してくれるっつー寸法?」
「そうです!! いずれにしろ貴方様は死にますがだったら苦痛の少ない方がまだ希望が──…」

 LiSTの声が俄かにトーンダウンしたのは笑いを見たからだ。ブルートシックザールは笑った。いまにも消えそうな半透明の
魂魄のまま笑った。

「なるほど。玄関入ってすぐにあった『血』。あれあんたのだったのね。てっきりチメジュディゲダールのものだとばかり思ってた」
「……!?」
「スッポンの生血ってあるわよね〜〜〜。誰が飲むんだオウェって感じだけどさあ、天井の血はあんたなりに料理した、LiS
Tの生血っつーレーションね。それブチ撒けたわけね」
「いったい何を?」
「あんたのいう『永劫戦闘』の発動条件よ。『レーションを食べる』。考えてみりゃあなんてコトねーシンプルな奴だがだからこそ
分かりづらいわね。で、あの血は新鮮だった。わずかだけど血煙りって奴が漂っていたかもだわ。わたしはそれを呑んだ。
騒いでいたからさあ。ソウヤ相手に指がどうこうやって騒いでいたからさあ。息乱れまくり。ヌヌたちより多く吸っちまった訳ね」
「さすがご理解が早い。どうやって突き止めたかは聞かないでおきましょう。食べた以上どうしようもないのが永劫戦闘ですので」
 ふぅ。大きく息を吐くとブルートシックザールは肩を竦めた。
「どうしようもない? あんた今どうしようもないつった? オイオイオイオイちょっと待ってちょうだい。さっき絶望がどうこう言ってた
割にずいぶん軽いじゃあないの。理解って奴がいささか軽いんじゃあないのあんた」
「といいますと?」
「わからない? わたしはあんたのいう『どうしようもない』攻撃に嵌り込んでる。いままさに魂の半分が消えかけてる。半分ったら
そりゃあフツー絶望よ。わたし死ぬの怖いから寿命半分なんざおぞましブルルよ。なのに平然としてるのよおかしいとは思わない?」

 執事然としていたLiSTの目が薄く見開かれた。

「わたしってさあ。頭脳戦嫌いなわけよ。敵の攻撃かいくぐって手がかり得て逆転するっつーアレ? 2部じゃあよくあって大好きだけ
ど、ほら見るのとやるのって違うじゃあない。むしろ自分にゃあ一生出来ねえって思うからこその『憧れ』よ」
「……貴方様から激しい希望を感じます。とっても喜ばしィーーーーーーーーー! ですが、なぜ?」

 ブルートシックザールは立ち上がり腕を組む。

「なぜ? なぜっつった? わかんない? わたしを捕らえておきながらわからない?」

 どこから取り出したのか。右手の先で暗青色のシャープペンシルが1本、くるくる回った。

「マジにスッとろいわね〜〜〜〜〜〜〜〜あんた。希望に満ちてんのはよーするにさぁ」

 ピッと腕を伸ばす。


 コモンタクティカルピクチャー
「共通戦術状況図(CTP)! 『ブラッディストリーム』ッ!」


 叫ぶ少女の1m先で橙の光線が生まれた。最初1本だったそれは倍加しそれぞれ上下に広がった。両辺の間になにや
ある。首を伸ばし眼を開くLiSTの視線の先で、その「なにや」めがけシャープペンシルが埋没した。光がたゆたい模様が揺
れた。「なにや」は図案だった。素気ない線と記号で構成された図だった。建築をかじったものなら見取り図だと速攻で述べ
る、ありふれたものだった。


「あ……ぐ……!?」


 痛苦の叫びは爆音の後に来た。およそ直径3mのシャープペンシルが、アルジェブラ=サンディファーでもない限り
容易く壊せぬレーションの暗黒外殻をステンドグラスのように容易くブチ破りながら突入しLiSTの左半身を消し飛ばした。
勢いの赴くまま、壊された方とは反対にある壁に叩きつけられたLiSTは、自身の武装錬金の破片ごときり揉み叩きつけ
られた。それだけでは足らず血しぶきを撒きながら何十回と無理のある後転を繰り返した。

「ば……馬鹿な!! これほどの攻撃力を……『馬鹿な』! なぜ今まで使われなかったのです!!?」
「武装錬金相手だとさあ、『攻撃』、一度喰らわなきゃあダメなのよ。特性に対する『実感』ってのが必要な訳」

 レーションの空間を抜けたブルートシックザールには何の余韻もない。軽く辺りを見回し「玄関ね」とだけ呟くと、本棚の
辺りで鼻血を出ししゃがみこんでいるLiSTめがけ歩き出す。

「しかも戦ってる場所の『地図』が必要。本来はさっき出した自動人形であちこち調べて描く訳よ。ま、ココは見取り図あった
からいいけどさあ〜〜〜。ヌヌが敵いねえっつーからつい調べるの忘れてた。おかげであんたと出逢ったあと慌てて探す羽
目になったわ」

 今度はカッターナイフを取り出した。

「ま、使えばだいたいのヤローは瞬殺できるからいいけど」
 6本はある。両手の指に三本ずつ挟み、顔の横で、肩の前でそれぞれ例のオレンジ色の光図案に突っ込むと、はたして
轟音とともに巨大な刃が飛び込んできた。

「絶望ッ!! ぜぇぇつぼおおおおおおおおおおお的な攻撃ッ!! ギィヤハッハッハハバブバアッババアアアアア!!!!
いい!! 防げばきっと希望ッ!! マッシュルームパワーアアアアアアアアアアアアアア!!!! 全力です!! 全力で
防御をオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!」

 LiSTを中心に銀色の缶が展開する!! 最初1つだったそれはマトリョーショカのように2つ、4つとどんどん倍加した!
 うねりを上げ殺到する刃!! 

「『128層』ッ! ヌヌさんのアルジェブラ=サンディファーの全力に耐えられる防御!! 巨大化したといえ所詮もとはただの
カッターナイフ!! 凌げない道理など──…」

 サクリ。

「へ……?」

 リンゴでも切るような気安い音。気の抜けた声はもちろんLiSTのものである。

「ほんとスッとろい。理解足らないわね」

 ベールの少女は腕を組み頬に手を当て囁いた。

「ただ巨大化させてんじゃあないわよ。媒介の『次元』って奴をグンと引き上げてる。さっきのシャーペン。コンビニで売って
るよーなシャバイ文房具がアンタ(ホムンクルス)に通じた時点で気付いとけって話よ。マヌケ」

「ぶげっ」

 無数の缶が砕けた。LiSTの体は滑り込んでくる銀の刃にスライスされる。魚肉ソーセージをナイフで斬るより無造作で
容易い攻撃だった。

「そーいやさっき聞いてたわね。頤使者(ゴーレム)としてのわたしの能力。中核をなす『言霊』。その正体に」
「はぐぐ……。ぶしゅるぐあああああああ」

 下顎を切断されたLiSTはただ血のあぶくを奇声とともに洩らすほかなかった。

「『高次な存在』……。この館の主・チメジュディゲダールが唱えた近似世界競合説って知ってる? 世界はいくつもあるの。
世界の数だけ戦いがあるの。なかには世界が寄りあい、戦いの質を競う地帯がある。そのジャッジこそ『高次な存在』。
戦いに感奮すればするほど奴らは大いなるエネルギーを世界に返す。世界って奴を発展させる。引き上げられやすいの
は声と音。色がつき動きが研ぎ澄まされるのはごく一部。高次な存在の中でひときわ優れた連中が再現する場合もある。
あまりウケないけど」
「ば、ばざが……」
「先祖代々わたしの家系はその能力を秘めていた。『ヌル様の傍系』……それはずっと。だから王の軍勢に狙われた。
よって武装錬金の特性はッ!」

 周囲に自動人形が数体。正面に電光の図案。
 それらを侍らせたブルートシックザールはあらゆる関節を奇妙な角度に曲げた立ち方──とても奇妙な立ち方だった──で
高らかに宣言した。


「『次元俯瞰』!!!!!! この世界、この次元をまるでマンガでも読むよーに見下ろすコトができるッ!!」
「反則だな……」

 声はLiSTのものではない。振り返る。武藤ソウヤが立っていた。階段を降り切ったばかりという様子で最後の一段にまだ
左足が乗っている。

「お。無事……にはちょいと見えないわねえ。服もマフラーもボロボロ。ダメージはねえが疲労の限界ッ! って奴ね」
 白を基調とした服はあちこち焦げや破れが目立つ。御自慢のマフラーも虫が食ったようなありさまで心持ち短く見える。
 ”虫の腸の筋で繕ったらどう?” そんな申し出をあっさり却下したソウヤの後ろから

「あー。なるほど」

 気の抜けた声。法衣の女性……つまり羸砲ヌヌ行が納得したようにうなずいている。

「(我輩やLiSTの心読めたのはその次元俯瞰とやらの恩恵だね?)」
「ま、そんなトコね。建物とか地形を詳しく見るには『地図』が必要。できあいの奴でいいわ。ない場合、自動人形であちこち
調べて測量して描く必要がある。でも人間の場合は少しカンタン。レントゲンとかMRIの断面図みりゃあ済む」
「(我輩の場合はアレですか。誕生に関わったらしいですからその関係で?)」
「そ。ヌヌの体なんてとっくの昔に把握してるから、俯瞰して、それこそマンガの登場人物のモノローグ読むように考えを
読める訳。あんときLiSTの心読めたのはわたしの魂が同居してたせいね。繋がってた。魂が無意識に教えてくれた」
「(そ、その時点で敵の能力に気付けていたら良かったデスねブルルの姉御。う、うへへ)」
「……ってなんで敬語なのよあんた?」
「(だって私ッ! 心読まれるの恥ずかしいもんーー!! うわーーーーん!! やっぱ天敵だったよお!! 初めてできた
女のコのトモダチなのになんで天敵なのよーーーーーーーーーーーーーっ!! チクショーぐれてやるぅ!!)」
 内心のヌヌ行はそのままピョロローっと柱の陰に逃げ込んだ。そしてドキドキした顔のまま顔半分覗かせている。
 様子うかがうんじゃあない、頭痛いわ。青ざめた顔でこめかみに手を当てるブルートシックザールにソウヤは問う。
「世界を見下ろせるというなら、ライザウィンや……ウィルの所在なんて簡単に」
「把握できるんじゃあないか? あんたはそういいたいんでしょうけど、ムリね」
「なぜ?」
「世界全体を見下ろすコト自体はできるわ。世界地図あるし。けど細かいところまではわかんない」
「つまりアレか? 『航空写真は拡大しても人の顔までわからない』」
「おおおおおおおお! ソレよソレソレ!! あんたなかなか切れ味のある回答ってヤツすんじゃあない頭痛いわ! いや
この頭痛いわは感動のあまりって奴よスゲーわソウヤ。見直した見直した。まじ尊敬!」
 手を取り、ブンブン握手をする少女に彼は困り顔。
「だから細かい場所に関しては地図が必要……と」

 おずおずと歩み出てきたヌヌ行は真赤な顔だった。法衣の、太もものあたりの生地を両方ぎゅうっと掴みいまにも泣きそう
なほど目を腫らしていた。

「来やがったなヌヌ公!! どぉれさっそく心って奴を読んでやるぜケケッ! さっき殺された恨み! 恥ずかしがりやがれ!」
「(しちいちかかさん、しちにかかろく、しちさんしじゅうのに、しちしごじゅうのご……)」
「読まれたくねーからって割り算九九やってんじゃあねーぜてめえはよォーーーーーーーーーー!!」」

 と叫んでから真顔になり、ブルートシックザール。

「わたしのご先祖・ヌル様の真の能力はコレだった」

『高次な存在』。兄のようにマレフィックアースを憑依させるのではなく、うねるアースの奔流を『ひときわ高いところから』見
下ろし、ひっつかみ、容易く扱える能力。あまりに高く、優れすぎていたため旧態依然の老人どもは気づきもできなかった。
わたしにもヌル様の血が流れている。……もっとも、だいぶ薄まったから」
「ご、ごぼでぶで」
「そ。頤使者(ゴーレム)の言霊で補強してんの。黒い核鉄も役立ってる。アース。この世界。ただの肉体じゃあ巨大すぎる
次元に耐えられない。そして武装錬金。すぐれた精神の具現。この3つを高次にする事でわたしは──…」
「賢者の石に近くなり」
「はからずも、ライザウィンに狙われている、か。(くろくかかろく、くしちかかしち、くはちかかはち……)」

「とにかく」

 頭にローラーを当て、ブルートシックザールは呟いた。

 コモンタクティカルピクチャー
「共通戦術状況図(CTP)の武装錬金、ブラッディストリーム。それがわたしの能力」

「俯瞰した図案はあたかも魔方陣のように展開可能。そこに加えた攻撃はまったく『次元違い』の威力にまで昇華できる」

「シャーペンやカッターナイフでさえLiSTを圧倒したわ。いわんや武装錬金……」

「俺のライトニングペイルライダーや
「我輩のアルジェブラ=サンディファー」

「なら軽く見積もっても惑星破壊レベルにできる。通常攻撃の話よ? 超必殺技ならどーなるって話よ頭痛いわ」




 ヌヌ行の述懐。


「それを聞いたとき我輩は思った。『じゃあもう負けなしだやったぞ』と。けど……ライザウィンはもっと強かった。ブルート
シックザールの助力を得てやっと生き延びるが精いっぱい。マレフィックアースの恐ろしさ…………痛感したよ、つくづくね」


「ふ、服もマフラーもボロボロ。ダメージはねえが疲労の限界ッ! って奴ね……」
「? さっきも同じコト言ってたぞあんた。大丈夫か?」

 やや心配そうな顔をするソウヤからブルートシックザールは視線を逸らす。


「ええとよ。その、ヘンな質問していい? えっとよ。さっきは戦闘中でカーっとなってて気づかなかったけどさあ、もしかして……」

 歯切れは悪い。緑の唇の下に手を当て決まりが悪そうだ。

「そんなボロボロなのって、ひょっとするとだけど、その、わたしを助けるため……無茶したせい?」
「ああコレか。気にするな。オレが勝手にやったコトだ。誰のせいでもない」

 ブルートシックザールは一瞬目を見開き、俯いた。表情は前髪に隠れ見えなかったが

(あ……。弟さんと被って見えたんだきっと)

 先ほど聞いた来歴が過りヌヌ行は少し悲しい気分になった。庇われる、命を救われる。普通の者なら素直に感謝できる
だろう。ブルートシックザールは違う。姉を救い昏睡した弟に冷淡を催し苦しんだ過去がある。忌まわしい記憶は誰かに
助けられるたび刺激され黒い腐汁を分泌する。助けるため幾度となく頑健なる空間に突貫し反動で傷ついたソウヤほど
苛むものはないだろう。

 ”わたしのためにこんな傷を”などという分かりやすい罪悪感ではない。根はさらに深く……過酷。

(助け合うってコトじたいがすごく辛いんだ。癒されたり和んだりするたび、絆が深まるたび、「でも自分はいつか見捨てるん
だ」って思ってしまう。未来に芽生えるかも知れない不確かな罪悪感を想像して、責める。いまはソウヤ君の何をも憎んで
いないのに……)

 パピヨンの弟子だったのはある意味相性がよかったのだろう。他者を平気で見捨て、見捨てるコトで品位が却って向上
するほど尖った自意識の持ち主だからこそ一緒にいられた。安堵が憧れを併呑しながら巡っていた。

(武装錬金が補助向きにも関わらず助け合いは怖い。皮肉だよね。あ、でもひょっとしたら『助け合いたい』っていう本心、
心の奥底にある密かな願いのあらわれなのかも?)

 ブルートシックザールはまだうつむいているが幽かに怒気が感じられた。う。ヌヌ行は息のみつつ思い出す。

(そういえばブルルちゃん私の心読めるんだった!! 次元俯瞰の下にあるんだよわたし)

 のちに聞いたところによると、例の前世、ソウヤをパピヨンパークに送った人物を転生させる際、相当の改造を施したら
しい。遺伝子操作、魔術、呪術、催眠術に錬金術……あらゆる術法を次元違いに昇華した結果生まれたのがヌヌ行だと
いう。アルジェブラ=サンディファーなる時系列を開闢から終焉まで貫く桁外れのスマートガンは自然に生まれたのでは
なく、ブルートシックザールという並外れた存在の助力あらばこそ発生したのだ。

(だからわたしの心は読まれちゃうッ!! 読者が漫画の「。o ○」がついてる吹き出しの中わかるように読めちゃう!!)

 普通そういう『さとり』的な能力者は気味悪がるものだが、そこはむかしイジめられたヌヌ行、否定がどれほど相手の心
を抉るか熟知している。形質1つ理由にやらかす迫害がどれほど醜いかも知っているし嫌っている。……のだが、イジメ
ゆえに未発達な精神を、努力で成熟させた美貌と知性で糊塗し表に出さぬウソつきだから恐れてもいる。本心を覗ける、
天敵といわず何といおう。なのに友誼は感じているからややこしい。初めての女友達で妹みたいで(もっとも実年齢は
ブルートシックザールの方がはるか上、祖母どころかご先祖様級の隔絶がある)とても好きだ。でも……怖い。

(うぅ。分かってるよぉ。読まれて困るコト考える方が悪いって!! ブルルちゃんのコト嫌いじゃないけどなんていうかその!
本音なにもかもぶっちゃかすのは恥ずかしーーーーーーーーーー!! きゃあーー!!)

 内心のヌヌ行はもう右往左往だ。空間に開いた吹き出し的な窓枠を右に左にフレームアウト、瞳は対峙する不等号、ほん
のり赤い頬2つにそれぞれ手を当てドタバタと、駆けずり回る真っ最中。

(あ!! そうだ解決閃いた!! ソウヤ君が傷ついたのが辛いんだったら私が治しちゃえばいいんだよ!! アルジェブラ
の時空改竄ならそれ位カンタン!! おーー。我ながらナイス名案!! いっそこう、助けられたって事実そのものを無かった
コトにするのも手だね。うん。それならブルルちゃんも傷つかない)

 時空改竄を行うとき、ヌヌ行は半ば幽体離脱めいたコトをする。現在立っている地点にある肉体はそのまま、霊魂の一部だ
けをかつてソウヤといった時空の最果てに飛ばしアルジェブラを操作する。屋敷の捜索にあたり実行した光円錐の検索もま
た同じである。さてやろう、天めがけ半透明の目鼻立ちとシルエットを残像のようにせり出したヌヌ行が一瞬の微笑を経て
肉体に引っ込んだのは、

 コモンタクティカルピクチャー
「共通戦術状況図(CTP)の武装錬金! 『ブラッディストリーム』ッ!」」

 展開した魔方陣にブルートシックザールが無数の包帯や傷薬を叩きこむよう投げ入れたからだ。
 箱やビニールの円筒、薬液の入ったパック、それから布地や針に糸、洗剤と柔軟剤のボトルエトセトラ……雑多な品々
を構成するさまざまな色や文字が目まぐるしく流れ溶け合い虹を描き……消える。

 武藤ソウヤにまとわりつく傷は総て消滅した。衣服さえ新品同様に回復した。

「? さっきLiSTを倒した特性……? それがなぜ回復を──…」

 目を剥く少年の肩をポンと叩いたのはヌヌ行。

「攻撃するだけが能じゃないのさ。回復だって次元を超えた段違いに昇華できる。さっき調べたからね。屋敷は次元俯瞰の
下さ……。だよね。ブルル君?」
 本心の稚さがウソのように──いや、まさしくウソだった。悠然たる平生の外貌の何もかもウソなのが羸砲ヌヌ行なのだ
──知的に笑う虹色の髪にベールの少女は鼻白む。
「スッとろい癖に理解力だけ持ちやがって頭痛いわ。そうよ。包帯は切断された首さえ治療できる縫合具に。傷薬は細胞の
壊死すら覆せる培養液に……布は熟練の仕立て屋、洗剤は高級クリーニング、とにかく次元違いに引き上がる訳」
「ずいぶん応用きくんだな。ありがとう」

 感心したように呟くソウヤはペコリと頭を下げる。寸前うかべた表情はいつものごとく精悍、若き猫型肉食獣のように引き
しまってこそいたが、眼光はどこか温かい。

 それを見たブルートシックザールは口をモニュモニュさせた後、ヌヌ行の胸倉を掴みめっちゃ間近でこう囁いた。

(コレで借りはナシ! あんたに助けられるのイヤだからやったッ!)
(あーと。なんかゴメンね。させちゃったようで)
(つかヤッベー。どうしよ)
(?? どしたんだい?)
(ソウヤのコトよ!! 逢った頃は何とも思ってなかった容貌さえ今じゃまるでブラッドピッド! って感じ)
(あー。助けられたからねー。うんうん分かる分かる。ボロボロになってまで助けてくれた男のコ!! 女のコなら誰でも
みんなグッとくるよ)
(スカタン!!)
(痛っ! 何で殴るのだよ! ポカって音であまり痛くないけど!)
(スッとろいわね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! 恋敵が増えかけてるコトに何故気付かねえのよ!)
(はっ!!)
(やっと理解するとか本当このコはもう。ああマジにスッとろい……)

 顔に手をあてコキリと俯くブルートシックザール、落胆のしようといったら背後の空間がごく暗い青紫みの黒に染まるほど
だ。不揃いな漆黒の線分が何本も出た。上下にゆっくり揺れ動く青白いヒトダマもありヌヌはその前でオタオタと首を振った。

(え、ブルルちゃんがソウヤ君を……? マジかい? どどどどどうすればいいんだ、我輩的にはソウヤ君さえいいなら応援
するのもやぶさかじゃあないが、ささささりとて失恋は怖い訳で、かといって力づくでいろいろ排斥するのは嫌だし……)
(つくづく幼稚な奴ッ! 嫉妬に狂わねえのは立派だが!)

 ブルートシックザールは深く細く息を吐いた。呆れている……遠めのソウヤさえ分かるぐらい呆れていた。もっともその原因
が自分だとは気付いていないが。

(なになになにヌヌお前本気でお前そーゆうコト言っちまってる訳ッ!?)
(うん)
(カァ──ッ!! 美人ゆえのアンビリバボーってのを目撃したわ!! マジ信じられねーぜ頭痛え。あんた、ヌヌあんたさ
あ、恋愛に激しさ求めるタイプにゃ絶対モテない)
 内心のヌヌ──次元俯瞰のブルートシックザールだからこそ可視可能だった。角が最低でも5つはある歪な矩形の吹き出し
のなか騒ぐバストアップ、スーパーデフォルメの知的美人は共通戦術状況図の持ち主にしか見えなかった──はカチンときたようだ。
両拳を高く持ち上げた。頭はおろか枠さえ超える勢いだった。
(むっかー!! モテないだってこのヤロー!! 私統計じゃね、いい、私統計じゃね! そーいうタイプにはこれまで28回
告白されたよ!!)
(……なにあんた告白されるたびメモでも取ってんですかァ〜〜? それって性格悪くねーですかァ〜〜〜)
(んにゃっ! 記憶してるだけ! アルジェブラの使い手だよ? 記憶力はいーの!!)
 腰に手を当てシャキっとする内心ヌヌ。得意気だからこそ稚い。
(高いスペック無駄遣いしてんじゃあねーっつーかズレてるわね。ヌヌあんた激しい恋愛ほんとうは嫌いでしょ)
(うん!! だから恋人いないよずっと!)
 今度は誇らしげに胸を張るヌヌ行。その幼さとは対極の質量がぶるんと揺れた。
(激しいのはドロドロしてるから嫌!)
(……なんかエロいわね)
(エロいね……)
 ふたりして一瞬赤面するがすぐ再開。議題:激しい恋愛について。
(だってさ、恋敵にヒドいコトする人のせーでめっちゃイジめられたもん!! そんなんするヒトになるぐらいなら幼稚でいいもん)
(わかったけどさ、あんた重大な事実忘れてない?)

 囁く。ヌヌはしばらく考えてからギャース。デフォルメの白眼を剥いた。

(とととというか君がソウヤ君好きになったというのは確定なのかい!?)
(ええい喰いつくんじゃあねえわよ恥ずかしい!! そ、そりゃあ『いいかも』とは思うわよ、坂のてっぺんから転がる雪玉の
ように好意って奴が加速度的にデカくなってる最中、2部好き的にゃマフラーつけてんのもツボだしさあ……。ってあんた何
まっちろくなって魂吐いてんのよ?)
(ウ、ウフフ。気にしないで……。あ〜〜〜。私ダメだ……。中村剛太さんがどんな気分だったか理解しつつあるヨ…………。
先に出逢ったのにナー。生涯この人だけって思ってたのになーーー。ダメだやばい絶対負ける)
(なんでそーいう話になっちまうんだこのお方はよォ〜〜〜。どういうアタマの構造だ?(手書き))
(ブルルちゃんめっちゃ可愛いもん。大人って感じだしカッコいいし)
(……そう?)
 キョトリとするブルートシックザールだが満更でもなさそうだ。前髪をいじりながらややはにかんだ顔でヌヌ行を見上げる。
(うん!! フランスのスーパーモデルかってぐらい整った顔立ちでスタイルもシュっとしてスレンダァ! それになにより小娘
にゃない気品ってのがある!)
(うわヤッベ。そーいう褒められ方すっと嬉しいじゃあねーのよ。今まで美人だなんて言われたこっちゃねーし中身こんなんだし
さぁ〜〜〜。オセジだとしてもマジに嬉しい)
 薄紅の差した両頬を隠すように両手を当てモジモジ体を捩らせる少女と裏腹に法衣の女性(ひと)は、うかない。
(そんなブルルちゃんが相手だもん。小学校4年の初恋と一緒だヨ、負け確定。私、恋愛じゃ一生勝てないタイプだ……)
(だから『好きになるかも』って話よ。つかそもそも予想外だから浮ついてんのよわたし。そうよ、ヤバくなったら見捨てるってんで
近づいた男がそのへん意に介さず身を呈して助けてきたから思わぬ展開って奴でグラついてんのよ)
(ほ、ほんとう?)
(ええ本当よ、本当にしてやるわよ。あんたがソウヤ好きって逢った瞬間理解したわたしがイキナリしゃしゃり出るとか倫理的に
言って有り得ないわ頭痛いわ。すでに見捨てると公言してる以上、それ以上は誠実であるべきよ、余計な不貞は失くすべきよ)

 輝くような笑みでヌヌ行はブルートシックザールの右手をとりブンブン上下に動かした。

(すげえブルル君。なんかめっちゃ大人を見たよ)
(でもヤッベ。ヤッベ。ねえわたしの顔大丈夫? 赤くなってない? なんかこう黒い核鉄の下で心臓がバクバク言ってるんだけど)
(ちょ、ちょっとうっすら紅いね。ででででも怒って興奮してるってコトにしよ。ね)
(お前ときどき「神かッ!」ってぐらい物分かりイイよな〜〜。そーいうトコ好きよ(手書き))
(出たよ手書き文字出たよーーーーー!!)



 そして2人は動き出す。

「わーーーーー。ブルル君、顔が紅いのは興奮してるせいなのかいーーーーーーーーーー?」
「そうよーーーーーー。頭痛いわーーーーー。コレは『怒張』って奴よおー。ヌヌのヤローが怒らせるからこうなったーーーーーー」

 などと大仰な身振り手振りを交えつつ棒読みした彼女らはそのままピトリと止まった。なにがなにやらわからない。そういう顔の
ソウヤが「あの……」と身を乗り出した瞬間、


「……ありがと」
「はいっ!?」

 彼は硬直した。まったくなにがどうなってるか理解できていない様子だった。腕組みをし、顔だけ全力で明後日の方へ向け
苛立ちと羞恥の混じった高い声でつんざくブルートシックザールが理解不能だった。

「そもそも羸砲、怒らせるってなんだ? あんた何をしたんだ? 殴ったのは見えたが何か軽かったし、そもそも言い争って
るようには見えなかったぞ……」

 疑念の眼差しがヌヌ行に向く。が、ブルートシックザール素早く射線上に立ちはだかる。何気ない仕草だが友情を感じヌヌ
行はほわほわした。

「わ!! わたしを助けようとしてくれたんでしょっ!!? 見捨てても構わないっつーのにわざわざボロボロになって!!
ココでお礼言わねーのは『オメー人としてそりゃどうなんだ?』っつー感じだからさあ!! 言うわよお礼ぐらい!! 悪い!!
包帯の件とかいろいろありがとうって謝辞述べちゃあ悪い!! 不愉快ッ!?」

 怒濤の言葉に眼を白黒させるほかなかった。ソウヤ視点でいえばブルートシックザールはまず動揺し、消沈し、しばらく
ヌヌ行と何やら囁き合ったあと突然棒読みで何やら喚きそして謝礼だ。まったく脈絡がない。武藤カズキと津村斗貴子の血を
継ぎパピヨンに育てられたいわばサラブレッドなソウヤでさえ真意は掴みかねた。むしろ理解できる方が異常であろう。

 羸砲ヌヌ行述懐。

「ブルル君は何というか、素直じゃあない。ウン。そうだね。素直じゃないタイプらしい。言動はあちこちスレてるけど根は
悪人じゃあないようだ。何といっても小札零の子孫だからねえ。むしろ善良すぎるがゆえ空回っていたのかもだ」

 で、「礼いったり謝ったりするの意外」というのをソウヤとヌヌがそれぞれの文法で修辞しつつ伝えると、ますます彼女は
のぼせあがった。

「うっせーー!! 弁えちゃあ悪い頭痛いわ!! あんたらを利用してめえだけ生き延びようとしてる奴が、助けにきてくれ
た連中に難癖つけてがなり散らす! 到底許される行為じゃあねーわ!!」

 そして本当はヌヌ行を「あんな軽いんじゃなく全力で殴りたかった」という衝撃の告白をした。

「え! なんで!!?」
「最強クラスの武装錬金持っていながらLiSTごときの不意打ちで開幕そうそう戦闘不能になってんじゃあねーわよ!」
「…………あー。確かに。それはオレも少し思った」
「ええええええええ!?」
 思わぬ攻撃、同意のソウヤめがけ首を動かす。ただただ愕然のヌヌ行だ。
「この前、あんたの家で頤使者(ゴーレム)に襲われたときといい、緊張感がないと思う」
「モ、モットモですごめんなさい」
 いつだったかつい油断し、結果ソウヤにひどい火傷を負わせた苦い経験がある。ヌヌ行はただ正座し縮こまる他ない。
「そーそー。体けっこう鍛えてるのは分かるのよ。戦士が核鉄でやる訓練だって毎日してるでしょ?」
「うん。じゃなくてハイ。ハイです」
「むかし早坂秋水の訓練を見たが羸砲あんたはマジメに剣道すれば互角ぐらいにはなれる。それぐらいの身体能力、
素養はある」
 斗貴子ゆずりの判断力とパピヨン仕込みの分析力はそう告げ
「でも戦い慣れしてない感じ。ホムンクルスとか頤使者の恐ろしさを肌で分かってねーっつーんですか、イザとなりゃアルジェ
ブラで一掃するなり時空改竄するなりで何とかなるっつー『油断』みたいなのがある訳よ」
 ヌヌ行はうぐと唸ったきり黙った。図星なのだろう。
「だがその辺は戦闘経験を重ねれば何とかなる。羸砲あんたに足りないのは経験だ。経験だけが足りない。……まあその
俺もそこまで戦ってる訳じゃないけど、そんな俺より少ないのは確かだ。危なっかしくてその……心配だ」
 おおと目を輝かせソウヤを見上げるヌヌを再びしおれさせたのは、
「いっそそのへん説教しながらさあ〜〜〜、殴りつけようと思ったんだけど、あんたはあんたはわたしのコト助けようとして
るじゃあない。そんな奴イキナリ「ゴツン!」ってやったら自己嫌悪がドバァ! 心が暗く重くなるの目に見えてるわ」
 叱るのと怒るのは違う! かなり明確に違う!! 言葉に力を入れ、続ける。
「『確かにヌヌ未熟だけどもっとこう諭しようがねえのか、5部の兄貴ならもっと上手くやる、けどわたしがマネたらなんつーか
ココまでの過程的に説得力ねえ』とか思うわよ!!」

 いやに実況的な心情吐露。祖先が祖先ゆえの実況的心情吐露。

 ソウヤは目をぱちくりとさせやや遠慮がちに問う。

「あんた実はいい人なんじゃ……」
「ハァ!? いい奴なんかじゃあないわよ!! わたしは自分を生かすのに必死!! 他人のコトなんざ考えたくもないわ!!
また勝手にかばわれて死なれちゃメーワクよ!! そのくせ命かけて誰か守ろうっつー気概もねえ!! 最悪じゃない最悪
でしょええ最悪よ頭痛いわ!! だから関わりたくないの!!!」
「でもお礼は言うよね? 悪いと思えば謝るし」
「うん。いい人だ」

 聞かれたソウヤは大いに頷く。ヌヌ行もつられてウンウンだ。

「うるせえええええええええええええええ!!! コレはアレだボケ、イザってとき気持ち良く利用しスンナリ見捨てるためよッ!
うす暗ぇ感情貯め込んだあげく『じゃあバイバイ』、切り捨てたら後味がよくねえ頭痛いわ!! だから平坦よ、プラスもなけ
りゃマイナスもねえフラットな関係を維持ッ! 時期きたらば前言実行っつーのがベスト! そー思ってるだけよ!! ええ
それだけ!! それだけなんだからっ!!!」
「そうだな。あんたはオレたちを見捨てていい。危なくなったら見捨てていい権利がある」
「いやだからなんでそう納得する訳!? もっとこう諭しなさいよ!!」

 指をピストルの形にし詰め寄る彼女の姿勢は思わぬ援護に崩される。

「諭されたいのかいブルル君は?」
「されたらブチ切れるわよ! こっちの事情も知らねえ癖によくもダボがつって罵倒の限りつくすわよ!!!」
「君めんどうくさいね」

 ソウヤの前で向き直ったブルートシックザールにヌヌ行、心から呟いた。いつの間にか立っている。

「うっさい!! でも! でもそーいうコトされねえと『やべーコイツらいざって時あっけなくわたし盾にするんじゃあないか?』っ
て怖いの!! 怒らねえ平静さこそ逆にやべえっつーんですか、踏みこんでこねえ無関心、矯正に乗り出してこねえ『諦め』
ほどやらかすものはねえの!」
「仲間盾にするなんてよくないよ。事情は分かるけど。ハイ諭した!!」
「わーいやったー……じゃあねえ!! 違うわよ! なんつーかもっとこう反発しあうけど後で現状このままでいいのかなって
考えるような諭し方しなさいよっ!! 1人っつーのはねえ!! 勝手な考えでドンドンドンドン心暗くしちまうものなのよ!!
だからヌヌあんたはもっとこう予想を上回る、明るい意見っつーのを述べるべきでしょうが!! ああわたし色々気にしすぎ
なんだ昔の経験に縛られてマイナス思考なんだでも人間は思ってるより善意に満ちてるんだって心温まる諭し方しなさいよ!
一見怒ってるけど内心じゃあわたしに対し申し訳なさを抱えていて、だからわたしが思うほど悪い人じゃあないんだって思える
頭痛くない諭し方しなさいよっ!!」
「……」
「コラてめえ!! いま思いやがっただろ! 初めての女友達がこんなんでいいのかって! 友達にすんのどうかって迷った
わね! かなり本気で!!」
「(やべつい内心が!!) フ、フフ。なんの事かなあブルル君。我輩難物ほど好きだよ。むしろ思い通りにならないからこそ
人間関係はいいんじゃんないか。人を成長させてくれる。あ、あと女友達なんていっぱいいるからね。君が初めてじゃあない
よ。学校行けばそれはもう”だらけ”さ。心から語れる女友達でいっぱいさ」

 ふだん低めのトーンをやけに高くしヌヌは言う。胸に右手を当て左手をもたげるその姿勢ときたらとても優雅で、ホワホワ
した点描と輝くシャボンの背景さえ幻視できそうだった。

 ブルートシックザールは少し黙った後、両目をジトっとした半円に歪めた。ボソっと一言。法衣の下の胸を穿つ。

「…………男にコクられるたびビビってるくせに」
「陰湿な報復なんか恐れちゃいないよ!!?」
 優雅が一転、金切り声。ビクリと竦みあがり口角泡が飛んだ。
「陰湿……、あ、その人好きな女子がか」
「そそそそそそうさ! そうだよ! 上履きに画びょう入ってんじゃないかってしつこく見たり、私物なるべく学校におかないよ
うにしたり、トイレでいきなりバケツいっぱいの水ぶっかけられてもいいように告白後3週間は服の下にスク水着て登校なん
てしてないよっ!!」
「すごい念のいれようだな」
 呆れたように囁くソウヤにブルートシックザール、背中から詰め寄る。右頬に左手を当てるなよっちい仕草をしながら
こう囁く。
「私物置かないのはアレよ、隠されたり汚されたり壊されたりするの避けるためよ。しかもコイツ時空の最果てにスペアの
上履きと外靴ダース単位で隠してやがる。いざってとき武装錬金使って取りにくる算段よみみっちい」
「時空改竄すれば簡単に取り戻せるのにしないのか。普通に替えを置いとくのか……。スゴいな羸砲。なんかスゴい」

「わ、我輩のコトなんかどうでもいいよっ! 重要なのはアレだ!」

「LiSTの処置!! どーするんだいまったく!!」

 時の最果て、闇以外なにもない空間で羸砲ヌヌ行は叫んだ。
 その左右にソウヤとブルートシックザールが立っていて、眼前にはLiST。胴体に光の帯──彼自身の光円錐だ。LiSTの
未来に向かう時間の流れをアルジェブラ=サンディファーは捻じ曲げた。『逃げられないよう』した改変が顕現中だ──
が巻きつき胡坐をかいている。頬に血が滲み衣服は破れいかにも虜囚の佇まいだが表情は平然、喰えぬ男だ。モノクル
が黄金に焙られる。帯は森々と溶け微細な飛沫を侍らせる。

 そしてソウヤは答え──…
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