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過去編第009話 「強くなる意味をいつか分かる時……もっと強く!!」




 当事者 1

 呼び止める。総角が振り返った瞬間、鼓動がひどく跳ねあがる。口をつぐみ家を見る。生まれ育った場所。両親の思い出
が詰まった場所。……香美の帰るべき場所。
 葛藤がない訳ではなかった。自分は今、将来を大きく変えようとしている。確かに体はもうホムンクルス、人間ではなくなって
いる。だがそれでもまだ日常に戻る余地はあった。総角はそうできるよう計らった。

(だが)

 後を押したのは父親の声だった。


 困難から逃げるな。
 常に男らしくあれ。


 何度も何度も見失いそうになっていた言葉が……決断をさせた。


 光が走る。首が回り体が変わり。

 貴信は、前に出た。



「僕を……いや! 僕たちを! 連れて行ってくれないか!?」



 6つの瞳がそれぞれの文法で丸くなった。




 当事者 3

 ディプレス=シンカヒア。
 
 本名……大歩 鐫(はご・える)。

 走り始めた理由は、そこに希望を見たからだ。中学1年生のころ町工場を営む父親が自殺した。連帯保証人になったせ
いだ。平凡だが幸福だった生活はその後ずっと貧窮を極めた。打ちのめされた鐫はしかし不良にもなれないまま、ただ鬱々
と学校に通い詰め、義務教育を修了した。転機が訪れたのは高校1年生の春。体力測定の時だ。「苦しいから早く終わら
せたい」。たったそれだけの思いでさっさと終わらせた持久走が……学年7位のタイムを弾き出した。彼は気付かなかった
がそれは脅威的だった。何故ならば上位5名は中学校時代さまざまな大会で常に上位にいた陸上部期待のルーキーであ
り、6位はギアナから来た身長193cmの黒人……日本人とはダンチな身体能力の持ち主で、しかも漫研部期待のルーキー
だった。剥がせ! 体操服の背中に貼りついた可愛らしい魔法少女を巡り屈強な体育教師4名と黒人が激しい攻防を繰
り広げる中、初老の男性教師……陸上部顧問がストップウォッチ片手に鐫を呼び止めた。その瞬間、ディプレス=シンカ
ヒアが萌芽した。

 訓練は苦しかったが、手ごたえもあった。
 経済的に苦しい環境にいながらも学校生活を輝かしいものにできたのは、ずっとずっと走っていたからだ。


 仮入部の陸上部で初めて持久走をやったとき、心が燦然と輝いた。
 苦しかった。同期の誰よりも成績が悪く、メイド服の黒人に「オソイヨー! オソイヨー!」と罵倒されもした。だが何だか
心がスッとした。勝つとか負けるとかはどうでもよかった。自分なりに全力でやった。やり抜けた。漲る達成感、屈強な生徒
指導8人に怒鳴られる黒人。アニメを模倣したアダルトビデオ。出演がバレたのだ。そしてそれがきっかけで鐫と黒人は恋
愛関係に発展した。黒人は女性で一応美人だった。交際は、彼女が麻薬取締法に引っかかり本国へ強制送還される高校
1年生の冬まで続いた。

 初めて大会に出た時の緊張と感動は……不毛な生活によってガラクタの如く降り積もった時間の遥か遥か下でいまでも
かすかに輝いている。スタジアムの片隅で濡れ光る雑草の匂いを思す時、心は少しだけ燃え上がる
 不思議な話だが……競技をこなしていた時よりもむしろその前後こそ心を激しく揺さぶるのだ。総ての大会がそうだった。
 他人が見たらどうでもいいと思うような……鉄扉の傷、ロッカールームの匂い、会場の近くにある交差点。
 そんな記憶の方が。様々な苦戦を『やり抜いた』。確かな実感をもたらすのだ。
 例え修練のすえ陸上部トップに登りつめ、母校史上初の県大会1位を獲得しても。
 トロフィー授与そのものはあまり記憶にない。ただ帰りのバスから見た夕焼けや視界一面に広がる茶畑ならばいつでも
思い出すコトができた。


 思い出せる筈なのに、いつしか思い出すコトを放棄した。心の支えに……できなくなった。


 初老の陸上部顧問とはとても良好な関係を築けた。
 時には叱咤され、時には退部を考えてしまう痛烈な一言さえ放たれた。だが馬鹿馬鹿しい話もたくさんしたし、黒人の具合
を報告しいろいろな意味で2人して盛り上がったりした。家庭の事情で迷っていた進学の問題に確かな方向性を示してくれた
のも彼だ。奨学金の存在を教えてくれたのも、強く推薦してくれたのも……。
 教師にあるまじき姿勢だが、夜半連れ込まれた飲み屋での会合はとてもとても大事な記憶として今も胸の中に仕舞われ
ている。

 人生の師。漫画や小説の中にしかいないと思っていた存在が自分の生涯にいる……卒業式のあと挨拶に行った彼が笑
顔でこれまでの労を労ってくれたとき、鐫は彼の手を取りただただ泣きじゃくった。

 進学してからも修練は怠らなかった。誘惑の多い大学一年生の生活をただただ学業と修練にのみ費やした。

 走って、走って。走り抜けるコトができるなら。

 自分もいつか、誰かの……『人生の師』。それになれると信じていた。

 夢だった。誰かに希望を与え、育て……そして手を取られ2人して泣きじゃくるのが。
 それっぽっちの些細な光景が夢であり、目指すべき栄光だった。

 修練を積んだとしても常に勝てるとは限らない。だが口に苦味の満ちる敗北もまた好きだった。全力を尽くした上で負ける。
素晴らしいコトだった。勝者は常に自分以上の境地にいて、眺めるだけで意欲が湧いた。尊敬のもと戦いを挑めるならば
それはただ勝ち続けるより素晴らしい。何度負けてもいい。だが積み重ねるコトだけは諦めたくない。
『機械のような』集中力を養うのだ。ペースをずっと維持するのだ。
 規約と観測の中、1秒でも早く走り抜けたらその道は、きっときっと栄光に……。

 破滅が訪れるまでは、確かにそう思っていた。
 筈なのに。

 バラけていく。崩れていく。脚部に力が入らない。張り詰めていた神聖な集中力が虚空の彼方へ散っていく。脇を見る。男
3人が割れた人混みへ吸い込まれる。彼らは山のように連なっていた。揺れていた。両端の屈強な水色の間で貧相な緑が
揺れる。その緑の嵐が飛びかかってきたのは何秒前? もう何分も? 追いつかない。

──積み上げてきたからこそ分かるものがある。

 規約にある数値。観測で明文化される数値。それらは決して感情的な挙措で覆せるものではない。規約に従い観測に
照らさなくてはならない。栄冠を目指すという事はつまりそれだ。タバコを控え酒を控え節制に励み好物の脂身さえ口にせず
友人どもが恋人とベッドの中で甘く囁いている明け方にはもう20kmほど走っている、そんな生活を年単位で送り、足から
少しでも多くブヨついた肉をそぎ落とし肺機能を少しでも多く向上させる。スクラムを組んだ規約と観測に理想の数値を吐か
すには地道な努力を重ねるしかない。積み上げるのだ。1日に少しでも多く。本番に向かって。多くて1秒でも少なくできれば
成功だ。1日の少し、本番での少し。それらが年単位で積み重なって栄光に繋がる事を信じ、苦痛に耐え……。
 そうやって培った物だけが規約と観測の前で望みの数値を弾き出してくれる。



 闖入者に妨害された大会は、末期癌により余命1か月と宣告された初老の陸上部顧問に捧げるべきものだった。


「ご安心ください。お足の怪我は治るものです」

 それでも。

「あなたの成績は拝見しました。大丈夫です。次は必ず、大丈夫です」

 バラけていく。崩れていく。



 次などはなかった。


 捧げられなかったコトを責めもせず、ただ泣きやむよう笑顔で諭してくれた恩師は3日後……眠るように息を引き取った。


 報えなかった。鐫はただ自分を責めた。

 もっとも大切に思っていた人生の師。

 その死期を知りながら足首の断裂に負けた自分は。走り抜けなかった自分は。

 憂鬱だった。

 痛みという自分自身の問題で報恩も餞別も諦めた自分は無力で最低の人間に思えた。
 抗癌剤が全身を駆け巡る時、血管は焼き切れそうに痛む……そんな話をどこかで聞いた。
 恩師は苦しみに耐え、伏せながらなお走っていた。病床で顧問を続けていた。

 もしあの足でなお走り抜けるコトができたなら──…

 関節や靭帯がねじ切れており、誰が見ても物理的に不可能だったとしても。
「 やるべきだった。恩師にはもう時間がない。分かっていながら群がる救急隊員を跳ねのけられず……。
 安息に甘んじた。
 恩師はそれを違うといった。
 むしろそうやって申し訳なさを述べてくれるコトそのものが人生最高の餞だった……妻にはそう言ったらしい。
 葬儀の席、薄紫のハンカチで目を拭う彼女を前にしても。
 走り続けるコトを望む遺言を与えられても。

 受け入れるコトはできなかった。

 答えはもう出ている筈なのに……受け入れられなかった。

 鐫は唾棄する思いで自らを見るようになった。
 自らへの信望を捨てた者がどうして意欲を持てようか。

 以後彼は失意のまま生き……人を殺し、レティクルエレメンツを知る。



── 自分の価値は確固たる論理凝集の規約と観測によってのみ弾きだせば良かったのだ。
── にも関わらずどうしてあやふやで感情的で場当たり的な「一般人」どもの評価において葬られねばならぬのだ?
── そんな物に縋っていた今までが、急に馬鹿げて見えてきた。
── そうだ。
── たとえ100万の一般人とやらが自分を貶したとしても、厳然とした観測の元、稲妻より早く駆け抜ければ輝かしい栄誉は
──得られるのだ。それを忘れ、同僚どもの下すあやふやな評価に右往左往し自らの価値を自ら見下してきた今までは……
──まったく馬鹿げていた。


 女医の前で電撃の如く走ったその考えは……降り積もったガラクタしか見ていなかった。
 見るだけで全身に憂鬱をばら撒く根源的な部分。自分が本当に挑むべき欠如からは見事に目を逸らしていた。

 弱った自分を痛めつけた連中への恨みつらみしかなかったのだ。
 あれ以来びっこを引きがちだった足首が見事グレイズィングに治癒されても、感情の黒ずみは抜けなかった。決して。


 無関係な連中と戦っても仕方ない。だが手軽に壊せて気軽にせせら笑えるモノしか見たくなかった。


 恩師の墓参りはしていない。彼の妻は折にふれ手紙をくれた。身上を慮ってくれる暖かい文面がずっとずっと届き続け
たが、6年も無視するとそれは途切れた。風のうわさで彼女もまた病没したと聞くが真偽のほどはわからない。
 事実を、直視できなかったのだ。知ればまた無力と自責に潰されそうで……。



 あのときの闖入者は驚くほどあっけなく見つかった。



 捕獲したのちグレイズィングの協力を経て丸2か月ずっと思いつく限りの残虐なやり方で殺して殺して殺して殺し続けて
みたが……憂鬱はまるで晴れなかった。後味の悪さと……「この程度の奴のせいで? 何もかもが?」、空しさばかりが
胸を吹き抜けた。




 当事者 1

 去っていくディプレス。そしてデッド。

 彼らを眺める貴信の顔は何かを予期したように悲壮で──…



「ついてくる? 貴様が?」
 鼻を鳴らす無銘の前で貴信はただ大声を上げるしかなかった。
 時間は午前9時というところだろうか。学校への連絡など頭になかった。
「フ。俺的には構わんが……まあアレだな。人生の岐路という奴だ。疲れてもいる。メシを喰い睡眠をとり風呂に入る……
いまお前に求められているのはそういう、平生の判断を取り戻すための努力だ。勢い任せの決断は後々損だぞ?」
「は!! ははは!! そー言われると理由とかがすごく述べ辛くなるんだけど!! ここからガーっと行くとだな!! ま
るで僕が貴方の話を聞かず一方的に述べ立てているような形になるし気が引ける!!」
「フ。声こそでかいが繊細にして理知か。矛を引けるのなら結構結構。ま、こちらにも動機ぐらい聞く義務はある」
 述べたらどうだ。そう言われた瞬間貴信は大きく口を開け──…

「あ!! もし急がないなら立ち話もなんだし家に上がってお茶飲む!?」

 小札と無銘を盛大にコケさせた。総角の襟もわずかだがズルリと下がった。



 テーブルの上がパーティ状態になった。
 端々に白いカップがたくさん置かれ、中心には茶色い陶器製の大皿。そこにはクッキーが山盛りだ。

「つまりデッドやディプレスをどうにかしたい。だからついてくる。そういう訳か」
「そうだ!! 貴方は後者と顔見知りのようだし!! 更に彼は、去り際こうも言った!!」

──「オイラはお前が怖いwwwww だって盟主様の武装錬金の『古い方』を使えるもんなあ〜。ブヒヒwww あれは強いwww
──強すぎるwwww 主税とかいう名前はいつも思うがwwww本当、皮肉籠ってるよなwwwwwwwww」

「盟主。『特性では斃せない』彼を武装錬金で斃そうとしているコトといい! 貴方達の間には並々ならぬ因縁があるようだ!」
「だからついてくる。か。フ。まあ、利害は一致するな」
「ちなみに貴方と盟主の関係は聞かない!!」
「フ。傷に触れたくない、か。なら機会があれば話してやろう」

 ティーカップをコースターに置くと総角は形のよいその鼻を心地よさそうに動かした。曾祖母が送ってくれた自家製のアップ
ルティーはそこらの店じゃ飲めない代物だ。貴信は常々そう自負している。もっとも来客がないため宝の持ち腐れだが。
「むむ。逃してしまったお二方がこれからも広げられるであろう災禍! それに対し落とし前をつけたいと!」
「まあ確かに始末し損ねたのは痛かったな。特に月の幹部……仕留められる絶好の機会を生ぬるい感情で見逃した!!!」
 我ならば確実に始末する。香美用の銀皿で紅茶をねぶるのを一度やめ、無銘は笑う。存分に自信を湛え。
「フ。無銘よ。平素そういう大言を吐くものほどな。いざという時、やり損ねる。古人に云う、言わぬが花だ」
「お、お言葉ですが『総角サン』! 我は忍び!! 任務ならば感情を捨ていかなる所業も遂行する覚悟で……!!」
 わかったわかった。笑う総角の傍で小札はカップを両手でつかみ、ふーふーふーふー吹いている。
『あんた猫舌って奴?』
「いえ! 熱いのなどゴクゴク飲み干せまする!」
「じゃ、じゃあなんで吹いてるんだ!?」
「舌は実況者の命!! 無謀なる食事、短慮なる喫茶!! 苛みうる危険因子、極力避けたきが故です!!」
「ア、アイスティーにするか!?」
「是非にッッッ!!」
 ごん。勢いよくカップを置くと小札は力強く頷いた。眉はひどくいかっていたがそれが逆にトンチキだった。
『こ、このコなんかヘンじゃん』……震える香美の声。内心わずかに頷きつつ貴信は台所に行き冷凍室を……。



「僕は……彼らをどうするコトもできなかった。もしこれからデッドの被害に遭う人が居たら……そして僕があのとき彼女を
殺せなかったのを知ったら……きっと責めるのだと思う。今となってはどうにもならないけど、ひょっとしたら本当は、罪を
背負ってでも彼女を殺した方が……皆のためには良かったんじゃないか。わいわい騒ぐ貴方達を快く眺めている間にも、
彼女がまた誰かを傷つけようとしているんじゃないか。そんなコトばかり思っている」
 沈んだ声音がリビングに響いた。総角も無銘もただ静かに貴信を見た。
「でも……デッドを殺すコトは認めるってコトなんだ。『奪われたら奪うしかない』。彼女の持論を。香美の命を奪った渦を、
奪われたからこそ絶対認めてはいけない理屈を……認めてしまう。なのにデッドを許すコトもできない。正直、来歴を聞い
たいまでも憎さが心を焼いている。すぐ近くに香美がいなければ……こんな静かに話せない」
「……」
「許したところで彼女はまた同じコトを繰り返すんじゃないか。ディプレスには説得すると言ったけど、それで解決できる
かどうかは不安だった。事実その直前……僕はハシビロコウの彼を説得できなかった。僕なりに正しいやり方で身を削る。
だから止まってくれ……その言葉は届かなかった。結局僕は2人とも変えられなかった。今後彼らが誰かを虐げるとすれ
ば……それは僕の責任でもある」
「しかしですね貴信どの。不肖は思いまする」
 喉が渇いていたらしい。
 瞬く間に9杯めの紅茶を飲み干すと小札は口火を切った。
「『やらかす方』というものはですね。結局過程がどうあれ、やらかすのではないでしょーか?」
「?」
 静かだが流れるような口調に貴信は目を丸くした。
「もっとも悪いのはですね、その、何を言われてもやらかしてしまう……聞く耳持たずな黒い意思。そうは思いませぬか?」
「……分からない。正解だとしても僕はそれを肯定できる立場にない」
「むー。仕方無きコトでありますが、しかし止められなかったというコトはですね、つまり止めようとしたというコトでありまする。
そこに教唆や指嗾(しそう)の余地、まったくもってございませぬ、共犯的な罪悪感を差し挟む余地もまた然り」
『あ、あんた。なんか意外にあたまよさそーじゃん……』
「恐悦至極にござりまする。とにかくですね、貴信どの。香美どの。お二方は彼らにこう仰りましたか?


『やれ』『もっとやれ』


……と」



「それは──…」



──去ってしまった存在を想いつづけるコト自体は正しい!!」
──でもそれだけに囚われて間違った方向へ行くのは……絶対に間違っている!!!

──他の手段はないのか!! 貴方は僕たちに味方してくれた!! デッドにもやむを得ない事情がある!!! 
──奪われたものがあるというなら……僕が代わりを務める!! 
──それで、それで……どうにかならないのか!? 止まらないのか!?




『んー。ないと思うじゃん』





──とにかくさっ!! あんたっ!! 悪さっ!! しすぎっ! じゃんっ!! いーかげん!! 弱いものイジメ!! やめる!!

──だから……だからもう……コレ以上ご主人がさ……イジメられるの……イヤ……じゃん。もういいでしょ……やめる……



 返事をすると茶色のお下げが揺らめいた。


「ならば加担はござりませぬ。大丈夫です。きっと」


 ぽかりとあいた半円の口は、まろやかな童女の微笑を醸し出した。貴信の心の緊縛はそれでわずかに緩んだが

「でも……! 鳩尾の言う通りなんだ。デッドを仕留められなかった責任は……!!」

 整理はすぐにつかない。そんな叫びをあげた。小札はゆっくりとかぶりを振った。


「繰り返しになりまするが、『やらかす方』は過程がどうあれ、やらかすのです。たとえそれが自らの落命でありましても変わ
りませぬ。マレフィック……絶対に倒すべき恐ろしき敵が敢えて命を擲(なげう)たんとしたのは、消極的自害を以て攻撃す
るためであります。貴信どのに決して消えぬ傷と歪みをもたらす恐るべき行為をば、やらかすために」
『……うー。なにさなにさ。さっきからむずかしーコトばっか』
「す、すみませぬ。ただ確かなのは、命奪いましたらば悪意が乗り移るというコトです。先ほど貴信どのが仰りましたように、
『奪われたら奪うしかない』……そんな持論の信奉者と成り果てるのです。論破できなかった無力感は、その後の人生を自
制なき殺伐としたものに作りかえるコト請け合いです。されば貴信どの、どこかで誰かを苛みまする…………」
「デッドを殺してもそのさき生まれる悪意の総量は変わらない……という訳か」
 無銘は難しげに頬を歪めた。

(むー。よーわからんけどご主人慰めてくれとるのは分かったじゃん。ありがとじゃん。うれしーじゃん)

 小札の姿に目を細める。香美は思った。いつか自分も小札のように、言葉で誰か助けられたら……いいな、と。

(うみゅ。あたしあんま頭よくないけどガンバるじゃん。ガンバる!)

 そして、総角は──…



「なあ。クッキーなくなったんだけど。おかわりあるか?」

 大皿を差し出した。口元が食べカスだらけで、だからみんな黙った。



『あ・ん・た・はー!!!!!! いまご主人すっごくすっごく悲しんでんのよ!!? くーき読むじゃんくーき!!!』
 香美は貴信を立ち上がらせ、ついでに総角もむりやり立たせた。
「フ。わ、悪かった。だからまあその、詰め寄るのはやめろ」
「き、貴信どのの体が後ろ向きなままで」
「師……総角サンに詰め寄ってる……」
 異様な光景だった。貴信自身そうとうビックリしてるらしく、足をバタバタしている。
 一方、怒声めがけヤメロヤメロと両手を差し出す我らがリーダーには……ため息だ。

(ああ)
(いつも通りでありまする)

『あたしニャよーわからんけど、みんなマジメに話しとったの!! そゆときヘンなんモサモサ食べたらダメでしょが!!』
「い、いやその、追跡に夢中でしばらく食べてなかったし、昨日のラーメンだって初対面のお前たちがいたから、つい恰好を
気にして、4杯食べたいところを1杯だけでガマンしてて……!! そこにおいしいクッキーだろ!! つつつつい食べ過ぎ
たんだ! あっ、やばい。昔の口調だ俺。えーと。フ。フ……。罪があるとすればあの紅茶だ。菓子受けが良すぎてな。不
覚にも食欲という奴を促進されたという訳だ」
『キザったらしく言いなおしてもっ! おんなじでしょうがあああああああああああああああああああああ!!』
「オ、オイっ。貴信っ。このネコどうにかしろ!! 俺は未来の上司になるかも知れない男なんだぞ!! 催せ温情を!!」
「はは!! な、なんか躊躇してしまうなあ色々!!」


『バツ!! あんたもなんかいう!! 早く!!』
 といわれても。髪のあちこちがほつれた総角は白州の下手人のごとくテーブル前へ座らされた。

「いやまあその確かに、ネタはあるけどもだな」
「ネタ!!? 待て!! いまやってるの笑い話じゃないぞ!! 僕かなり苦しんでるんだけど!!?」
「あのその。お気になさらず。素は結構こんな調子でございまする。悪気は一切ございませんのでご了承を」
 すかさず耳打ちしてくる小札。貴信は進路が想像以上に暗いのを感じた。

「フ。ひとつ教えてやろう。俺も小札も無銘も……お前と一緒さ」
 髪を直した美丈夫はニヤリと笑った。やや芝居がかっているが気にしないコトにする。
「同じ?」
「数年前、盟主を斃せなかった。もし奴を仕留めていたらデッドはマレフィックにならなかっただろう」
「…………(負けたのドヤ顔で言われても!!)」
「だから言い様によってはだな。お前たちがこうなったのは、俺たちのせい。……というコトにもなる」

「フ。どうだ? お前は俺たちを恨むか?」

 笑う総角に貴信はただ「できないと思う」とだけ呟いた。

「なぜならこうなったのは、僕が弱かったからだ。ただ状況に流されていたから……」

 目を落とす。朗々たる声が更に力強を帯び、耳に響いた。

「今後な。お前のような二次的な被害者は少なからず出てくる。認めたくないがそれは事実だ」

「中には真実を知った時、お前を責める奴もいるだろう」
 だがな。肩で音がした。見る。総角が手を載せている。いつの間にか来たらしい。
「大半の人間は貴信……お前だ。直面した自分の不甲斐なさこそ一番責める。なぜできなかった。なぜやれなかった。そ
う思いながらも結局は──…自分の力で前へ前へと進んでいく」

 世界は広い。デッドのような奴ばかりじゃない。彼はそうも言った。



「いいお言葉ですが……こちら鑑みますると先ほど不肖が吐きました言葉、壮大なる自己弁護になるような……」
『つかあんた、あんたのせーであたしらこうなったのに置いてこーとした訳!?』


「……だから言いたくなかったんだよ」


 総角の声は震えた。



「慰めてくれてありがとう。でも結局。僕はどうすればいい。どうすれば……この先被害に遭う人たちを助けられる? ……
デッドや……ディプレスを……正しい形で止められる?」

「安心しろ。話を聞く限り答えはもう出ている」

 貴信は目を見開いた。得意気に瞑目する音楽隊のリーダーはすでに何もかも知っているようだった。

「ただ……受け入れて納得して、自分の、腹臓からの声にするまではまだまだ時間がかかる」

 彼は、こんな言葉を並べた。

「答えっていうのはな。つまり残酷なんだ。いつでも、どこでも、必要とされれば絶対生まれる。。そして純粋で無垢で……輝
く瞳でこちらを見ている。だからこそ……人は苦しむ。自分。相手。どっちかが正しくない時さえ正しい形で生まれるからな。
それは寛容だけが取り柄な愚かな母親に似ている。葛藤など知らないようで。論理性にも欠け。でも惹きつけれる光で……。
なのに間違いの前じゃ剣より呑み難い。誤る自分を正すのも、過(あやま)つ相手正せぬのも……苦しいさ。いつだって。け
れど無視しても解決にはならない。勇気さえあれば一瞬で済むコトが数年掛かりになり、数十年継続し、とうとう死ぬ時に
さえ未解決。そういうコトさえ巻き起こすから……残酷なんだ。答えは」

「っと。俺の意見じゃないぞ。こーいう時、俺の知人ならこういうかな……ふとそんなコトを思っただけだ」
 髪をかき上げる総角。貴信はおずおずと呟いた。
「つまり僕自身が……その答えを形にして、受け入れる努力をする」
「しかないだろうな。結局」
「…………」

 貴信は黙った。暗澹たる重さが心に圧し掛かってくるようだった。
 輪郭を成しつつある『答え』。ある一点において正しいそれは、正しいがゆえに受け入れ難いものだった。

(できるんだろうか。僕なんかに)

「フ。まあ慌てなくていいさ。惨劇に見舞われたのは昨日の今日……お前の精神は、いままだ困憊の中にある。そのうえ残
酷まで引き入れたら身が持たん」

「ただ、ま。覚えておけ」

「極限の中にあってもお前たちは支え合った。支え合うコトで理不尽な極限を正しく堂々と乗り越えられる意思の力……
エネルギーを獲得した。それは今回あいにく総てを解決するには至らなかった。だが成果に結び付かなかったからとて、
すぐ花開かなかったからとて、悲嘆にくれる必要はない」
『どーすりゃいいのよ?』
「こう考えたらいいさ。費やしたエネルギーが種になったと」

「種?」
 面を上げ、反問する。

「そうさ。踏ん張ったのは決して無駄じゃない。お前たちはまだ生きている。欠如の中、歪むコトなく生きている。その事実
それ自体が種なんだ。先行きが不安で世界が暗く見えるなら、ココが土中とでも思えばいい。命ある限り芽吹く時は必ず
来る。いつかお前たちは闇を抜ける。前に進めずとも恐れるな。上がまだある。成長すれば抜けられる」
(種……。土中……。芽吹く……)
「そして花開いた時のエネルギーはお前たちに勇気を与える。受け入れられない……そう思っていた答えさえ受け入れる、
輝かしい勇気を。絶対に与えてくれる。それは必ず多くの人間を。救う。救える奴になれる


「………………」


 当事者 2


 貴信はどうするか……総角に答えた。


 香美はそれを受け入れた。





(ご主人がなにきめよーとさ)


 目を細める。ノドをころころ鳴らす。



(ずっと一緒じゃん。あたし、ずっと傍にいたいじゃん)


(ただ……できたらさ)




(…………また、ご主人のひざの上でさ、ごろごろしたいじゃん)


 日当たりの良い窓際で、何か作業をしている貴信を邪魔して無理やりそこに乗っかって。

 鳴いたり、じゃれたり、甘えたり。

 他愛もないコトを繰り返して、気づけば体を丸めスースー眠っている。




 そんな日がまた来ると……香美は心から信じていた。


 世界の無情さに一度命を奪われてもなお、信じていた。



 当事者 1




 数時間後。





「ふーん。旅ねえ」

 馴染みの動物病院に貴信はいた。

「そうだ!! ちょっとその!! 香美のコトでややこしい問題があって!!」
「連れてきてないってコトは失踪? 探すの? よくわからないけどケガとか病気以外なら詮索しないし別にいいや」

 モアイのような顔をした獣医はそういって貴信の顔を見ると。小首をかしげた。

「なんかお前顔色悪くね? 体調大丈夫か?」
「はは!! 実はちょっとケガをした!! 大丈夫は大丈夫だけど!!」
「だけど?」
「記憶が少しだけ欠落しているようだ!!」
「へぇー」


 獣医は軽く受け流したがこのとき貴信に生じていた「記憶の欠落」。

 それは7年後訪れる決戦の中で、大きな意味を持つ。


(ディプレスの暴走で『黒いうねり』を受けてからだな……」


 デッドの武装錬金についての記憶がところどころ欠落しているのは。

 筒だというコトは覚えている。クラスター爆弾で、渦を伴うというコトは覚えている。

 だが。

──「クラスター爆弾の武装錬金! ムーンライトインセクト(月光蟲)! ******はひとぉーつ!」

──「無機物有機物問わず********を行******で、かつ、そ************
──******もので、現に******で******しているもの」

──「******! ******! 媒介要件は満たしたで!」



(他にもいくつか思い出せない!! 直接見聞きした筈のヒントが……思い出せない!!!)


 香美も然り。そのため総角たちもムーンライトインセクトの全体像を掴めていない。







「おーーーーーーーい。なんかボーっとしてるけど大丈夫か? 関係各所に連絡入れたか?」
「ああ!! 学校には休学届の提出を、九州のおばあちゃんたちには挨拶を!! それぞれしておいた!!」
「ならいーけどね。でもなんで俺に自宅の管理任せるんだ?」
 掌で鍵を弄ぶとレモン型の瞳がうるりと湿った。
「あー泣くな泣くな!! 分かったよ!! 近場に友達とか知り合いとかいないもんなお前!!」
「い!! いろいろ苦労かけるけど頼む!! 7年ぐらい開けるけど!!」

 え? 獣医が驚く間に貴信の姿は消えていた。慌てて追う。

 診察室を抜け待合室を通り過ぎ、ドアをばたんと跳ねのけ外にでると、走り去る貴信の姿が通りの向こうに見えた。


「事情はよく分からないけど!! ちゃんと生きて帰ってこいよーーーーーーーーーーー!!」


「あのコの帰って来れる場所はお前だけなんだからなーーーーーーーーーーーーー!!!




 返事の代わりはサムズアップだった。横にめいっぱい伸ばされたその腕が力に満ちているのを認めた時、獣医は軽く
嘆息した。


(ひょっとしてお前……友達できた? 人間の)








「新参のくせに生意気な。まさか苗字を我と同格……栴檀板(せんだんのいた)から選ぶとはな」
「ああ!! 二葉より芳しだからな!! ……意味は違うけど!!」
「違うといいますれば何故に読みをば『ばいせん』に? その諺をご存知ならば誤読は皆無と思うのですが」
「いや!! 誤読だ!! 誤読!!」
「……フ」
 総角は笑った。なぜ「ばいせん」なのか……彼だけは理解した。


(当て付けになるからな。そのままの読み……『せんだん』ならば)

 デッド=クラスターは怒り狂う。せんだん。戦団。……恨み多き彼女にとってこれほど不快な単語はない。

「いいか!! きっちり修練しろ!! 足手まといには絶対なるなよ!!」
「努力する!!」
「フ。ロバ、犬と続き今度はネコか」
「後はニワトリの方が来て下さりますればまさに完璧!!
『よー分からん!! 早く行くじゃん!!』



 貴信の体が勝手に踊った。
 よろけながら音楽隊の先頭に出た彼の後頭部で張り裂けそうな明るい声が響く。




『悪いのまだたくさんいるんでしょーが!! 急がなきゃまにあわん!!』







(だな!!!!!!!!!)


 二茹極……いや、栴檀貴信は一人のハシビロコウを思う。


(貴方もまた僕の未来だ!! 僕もまたなりえるかも知れない姿……そういう意味での!!)

 悪辣だがどこか温情的な。気まぐれとはいえ貴信たちを助けようとしてくれた……ディプレス。
 デッドを説き伏せようとすれば必ず立ちはだかるだろう。




(僕は貴方とも決着をつけねばならない!! それが助けて貰った恩義だし!!)

 一時的にはといえ『手を借りてしまった』悪へのケジメなのだ。



(燃え立つような戦い!! 僕たち自身のためでもあるが! 貴方のためにもやり遂げたい!!!)



 憂鬱を満たし止めるためにも。
 強欲へ答えを届けるためにも。





(まずは戦う!!!)

(暴走や黒いうねり! まだまだ奥の手を持つ強大な貴方だけど!!)


 いつか追いつき、追い抜きたい。


 そんな感情はまるで人生の師へ向けるようなニュアンスも……わずかだが含んでいた。

 もっとも師は師でも……反面教師のようでもあったが。










「フ。ところで貴信よ。香美の武装錬金の名前はどうするんだ?」
「あのとき発動できた方が奇跡であり、いまはまったく発動不可でありますが」
「……名前がないのは何かと不便だ。我は心からそう思う」

「名前なら考えてある!!」



「………………………………!」



「フ。なるほどな。元がノルウェージャンフォレストキャットであり」
「二度と刈らせたくもなく」
「鎖分銅とも釣り合う」


「この……名前だ!!」





『ぶそーれんきん? あたしよーわからんそういうの』



 髪の中で顔をしかめる香美に様々な声がかかり。

 彼らは喧騒の中に消えて行った。



 そして。




 およそ7年が、過ぎた。





 当事者 4




「インディアンを効率良ーく殺す方法をご存じかしら?」

「まさかあれだけの巨体をいとも簡単に無力化するとは……。大戦士長ともあろう者がとんだ
不覚を取りました」

 扉の向こうから声が聞こえてくる。

 埃の溜まる黒い空間に佇むディプレス=シンカヒアは、横で同輩が2人、何か話しこんでいるのに気付いた。

 1人は小柄な少女。もう1人は笑顔の似合う美しい少女である。

(wwwwwww イソゴばーさんのやつリバースになんか吹きこんでらwwwwwwwwwwww)

 どうせ碌でもないコトだろう。突如膨れ上がった憤怒の気配に(おお怖wwww)と肩を竦める。


 これから惨劇が始まろうとしていた。

 大戦士長・坂口照星。誘拐した重要人物に特別待遇をプレゼントするのだ。


(オイラの一番嫌いなタイプだwwwwww 挫折なんかしないお強いお偉いさんwwwwwwwww)


 彼はどうせ蘇生される。蘇生される必要がある。
 ディプレスが本気になれば原子レベルで分解できるが組織はそれを禁じている。

(ああ憂鬱wwwwwwwww 搾り取るだけ搾ってとっとと始末すんのが一番なのになあwwwwwwwww)

 ディプレスにとっては宴がひと段落してからが本番だ。

(『どうしてもデッドの野郎に血を回収させなきゃならねえ』。研究班班長たる俺の本領発揮はそこからかwwwwwwww)


(とはいえだwwwwwwwww 生きながらに心折るっつーのはできるかもなwwww 手こずるだろーが試してみるかwwwwwww)


(坂口照星wwwww しょせんお前は兄弟の前座wwwwwwww あまり白けさせんなよwwwwwwwwww)


 憂鬱を晴らしてくれるのは貴信しかいない。

 ひた隠しにする弱々しい根源をあらゆるガラクタごと粉砕し、再び走れるようにしてくれる。

 ディプレスは固くそう信じていた。



「そう。治して差し上げますわよ。ちょうどマレフィックの方々が御到着されましたし」



 扉が、開いた。

 びっこを引きながらそこへ向かったのは、7年前香美の武装錬金によってねじ切られた足首がそのままだからだ。

 グレイズィングの手を借りれば元通りにはできた。
 だが香美が武装錬金ともども内包する危険性を忘れないため……マレフィックでありながらたかが動物型の反撃に
取り乱した醜態を反省するため……そして折にふれ貴信の存在を思い出すため……治していない。

 せめてつけろとイオイソゴから押しやられた義足の付け心地は最悪だ。
 意思を汲むべくわざとそう作ったらしい。歩くたび接合部がギシギシと鳴り不快な痛みが広がる。


 ドアがゆっくりと閉じられ──… 
 呼吸困難に苦しむ坂口照星目がけディプレス=シンカヒアは歩き出した。

 時おり転びそうになりながらも彼は進む。闇に向かって。



 当事者 3

 ドアがゆっくりと閉じられ──… 
 呼吸困難に苦しむ坂口照星目がけデッド=クラスターもまた進み出す。
 赤い筒はその重量ゆえ他の誰より歩みが遅い。

 デッド=クラスター。

 本名……樋色 獲(ひいろ・える)。

 7年前を境に義手と義足をつける頻度が高くなった。
”手足を奪われたままにしている” そんな貴信の指摘と関係があるかどうかは分からない。

 ディプレスに与えられたものとは違う……というより彼自身が、発明好きな研究班班長が、寝食を忘れ造り上げた義手
と義足は『本物』と大差ない性能だった。普通に歩け普通に掴める。あれからしばらく後……ミッドナイトが撃破されたころ
出し抜けにプレゼントされたそれは思わず涙目で礼を述べてしまうほど素晴らしいものだった。少々外れやすいのが難点
だが、街を歩く分にはまったくなんの支障もない。特殊な素材で皮膚そっくりの質感だから、露出の多い恰好も大丈夫だ。
バッグ片手に商店街をスキップしても誰も見咎めない。

 7年前までは違っていた。鉄がゴツゴツした「いかにも」なものをボルトで固定し、買い物1つするにも厚着をして出かけていた。
 外出の機会は月に1回ほどった。その1回にブチ当たった貴信たちは本当に不幸だった。

 現在はほぼ毎日外に出ている。……眼は相変わらずなのでサングラスをしているが。


 自由は得た。だが自分を許せたかどうかは分からない。

 どこか不自由で不十分で……母親たちへのさまざまな想いは当分消えそうにない。

 だから。

 憎むべき戦団の、大幹部を目の当たりにした瞬間全身の血が煮立った。

 同じ気配がすぐ傍を通り過ぎた。リバース=イングラム。今日はゴキゲンらしくダブル武装錬金を使っている。
 銃撃。さっそく肉片が飛び散った。すかさず発射。ある肉片に着弾した赤い筒は今日もいつもの如く、無数の肉片に無数の
渦を侍らせた。そして無数の爆弾が──…


──「じゃあさじゃあさじゃあさ! ウチくるウチ!! なんかなおるトコ知っとるじゃんあたし!!」

 なぜか香美の笑顔を思い出し、胸のなかがチクリと痛んだ。

 やっと、気付いた。

 彼女にも。
 照星にも。

 直接何かを奪われた覚えがない。

 かつて行った、そして今また行っている行為は、言い分とともに標榜している信念とひどく食い違っている。

 だからこそ香美の無心の提案は、ただの罵倒より胸を抉る。

(ウチが欲しいのは。坂口照星から貰いたいのは、もっと別な──…)

 だが得たとして香美の笑顔と同じで……。

 苦味を増した口中。消化物をもどしそうになりながら筒を放つ。
 もう何もかもが手遅れという気がした。

 爆破。それに歓喜の声を上げながらも、心は空虚で、満たされず──…


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