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過去編第015話 「時の華がひらりひらりと旅人誘(いざな)うよ」 (2)



 つまり爆導索めいた鎖分銅は7回までしかいなせなかった。千変万化の鉄蛇をギャラリーが感嘆するほどの動きで躱わし
続けた末にやってきた分銅のアッパーを「勢いゆえに切り返しまでラグがある」と踏み攻勢に移りかけたとき不幸は来た。
右膝。焼け付く弾けが重心を崩した瞬間、ミッドナイトは傾ぐ視界のなか確かに見た。総角主税の捕食孔。人型ホムンクル
スの掌にある崩れたレンガ塀のような裂け目から、ひとすじの硝煙がたなびくのを。10m程先に居る彼が何を仕出かしたか
気付いたミッドナイトが(栴檀貴信の技……! 何手かまえ吸収したエネルギーを弾丸の形で撃ち出し、あたくしの、膝を…
…!)などと歯噛みする間にはもうフェイズは終局。あっという間だった。集っていく無数の酸素分子がテュルリリした極細
ビームの形状に輝いて見えるほど迅(はや)い燃焼行為だった。鎖分銅は本当に爆導索めいていた。ミッドナイトが紙一重
で避けたはずの鎖分銅が切り返しもクソもなく”そのまま”盛大な自爆(セレモニー)を演(だ)すのもまた可能だった。

「フ。せっかく間近に居たんだ。切り返しより爆発が、早い」
(だからって軟兵器に課すとは……! いちいち爆ぜるから切断できなかった……!!)

 中国武術に通じる武器を使われたせいで無意識に武術勝負だと思っていた自分を恥じながらミッドナイトは爆炎を突っ
切る。ダメージがないといえば嘘になるが重力角操作のバリアで7〜8割軽減されたものであればさほど問題ではない。
おかげで、釣り込めた。不意打ちが成功したと得意顔している総角主税を自分の方に引き寄せる隙ができた。鈎。双鈎。
重力歪曲のフックを尖端に迸らせた”套路:双鈎”の陰陽双剣の『角』による三次元領域伸縮は従前以上。斥力レベルまで
枉(ま)げればバリアとなるそれは、空間を折り紙よろしく谷折りにすれば引力以上の引力となる。要するにワームホール理
論だ。腰帯剣ならば『薄手の長い刃にくるまねば』できぬそれを双鈎はより積極的なベクトルで働く。直線距離10mを挟ん
で相対する点AとBを1つに接合できるのだ。空間を曲げ『くっつけ』られるのだ。点AとBはミッドナイトと総角だ。たっぷりあっ
た筈の距離を削除され一気に間合いを詰められた総角の微妙に引き攣った笑顔は高慢ちきな少女の溜飲を下げるに充
分だ。迎撃に動きかける剣客だがミッドナイトは故あって自分の方こそ早く着くと確信しておりそれはバアンと閃光吹いて爆
ぜる剣客の、右肩によって証明された。

(栴檀貴信の固有技を使った反動ですわよ! 飼い猫と二心胴体な複雑構造を持たぬ貴方ゆえの自明の理!)

 斬りかかるのも可能だったがそれではやおら足元から跳ね上がってきた投石器と相打ちだ。(特性がよく分からぬ以上
直撃は)避ける。少女、跳躍。行きがけの駄賃とばかり総角の頬骨を蹴り上げた軍靴の爪先には鉄板が仕込まれている。
軽くないダメージを受けた剣客の奥歯を心持ち踏みしめる感覚で緩やかに飛びあがったミッドナイト。背後の星空は満天。
はるか足元の投石器は石の代わりに鉄鞭の鋭く尖った部分を光らせていた。離れていても顎骨の中がキンキン震えるほ
どの高周波が来ているのを見るとどうやら投石器からの直刺しによる催眠操作が企まれていたらしい。
(アレへの反撃とは自発的直撃……! 念の為やらなくて正解でしたわ、剣で触れたが最後、伝播伝逓にて操られていた……!)
(フ。武器破壊を期待し仕込んだ罠……だったがさすが用心深いミッドナイト、簡単にはかからない、か)
(ですが今の攻防の問題点は別にある……!)
 ミッドナイトの眉が軽く動く。

(『鉄鞭(スティールウィップ』も別の武装錬金と……? やはり妙です。併用というより……融合のような……)

 ここまでの数合は明らかに九頭龍閃の頃と変わっているのだ。(例えば……ソードサムライXが高周波を帯びたり)など。

 フォースクラム。総角が使うと宣言した切り札だ。発動されてこっち融合したとしか思えぬ武装錬金ばかり出てくる。

(……。『未知』が戦闘において一番おそろしいのは当然ですが、総角にそれがとなると最強(おかあさま)レベルへの警
戒を持つべき。彼の能力は『複製』。たった1つの未知でも無数の武装錬金と絡めば……恐ろしいコトになる!)

 剣術でも能力でもまだまだ自分が上だと正しく現実を認識しているミッドナイトであるが、ある事柄と、武装錬金特性の数
については、その2つについてだけは、総角に劣ると首肯する。

(まずは様子見に徹しましょう。1つの未知が無数の武装錬金をどう染めるのか確かめもせず勝負に出れば……思わぬ
初見殺しでこちらが負ける! あたくしはハロアロお姉様とかビストお兄様ほど冷静で賢くはないというか、普段すまして
いてもイザって時は子供丸出しでうろたえてしまう所がありますからね……! だから策において真の意味で総角の上い
くのは多分不可能! 先ほどまでどーにかやれてた『彼の策に流されそうになったら泥臭く腰すえてどうにか粘る』……
さえ出来ぬ初見殺しをやられたら……本当にマズいですわー! マズマズですわー!!)

 双鈎は切り札だが、しかし天鶏剣のような対総角専門に編み出したものではない。そういう意味ではミッドナイトは今、
対策を出し尽くした『素の自分』で戦わざるを得ない状況ともいえた。『自分が一番やりやすい』と『敵の弱点をいろいろ
突ける』は似ているようで違うのだ。総角という男とやがて戦うとも知らず、ただただ自分に適したスタイルのみを追求した
のが双鈎だから、『素の自分』なのだ。

(……まあ、勝ちだけを求めるなら……最善手は1つ。九頭龍閃のとき同様……超速攻の先の先ですわね。総角が初見
殺し仕掛ける前にツブす! そういう奇襲をやれぬ双鈎ではないですが)

 ミッドナイトが彼との勝負で求めるのは『決着』なのだ。決着もまた勝利と似て非なる。総角は恋人の仇なのだ。仇だが
やがては共闘する他ない状況に陥っている。ミッドナイトが、愛犬によく似た少年を守るためには、どうしても総角の協力
が必要なのだ。だが……恋人の仇。そこを不問に付せる度量を見せてこその高貴だと何度も何度も思いはしたが、年若
い乙女ゆえの恋人への思慕や後悔が先立って、だから決着をつけたいと勝負を挑んでしまった。なのに……知った。総角
(あいて)もまた殺めてしまった存在(もの)への思慕や後悔を引きずり続けていると。

 そんな仇に。

 奇襲で勝つのは『違う』。

 高貴としてのミッドナイトも武侠としてのミッドナイトも、そういう勝負の付け方は違うのだと叫び出したい気分である。

(真ッッ向から! 堂々と! お互いの切り札を曝け出しあう尋常な立会いで双方死力を出しつくしてこそ『決着』!!!
だからあたくしは初見殺しにかかる訳には参りませんし、奇襲だって行わない!! 背後ぐらいなら取りますけど、それは
まあ全周警戒を怠る方が悪いのです! 第一ソレやるとき真正面から回り込みますし!! ますし!!)

 地上8mの夜空を舞うミッドナイト。その──…

 剣の鈎がカチリと引っ掛かる。何に? 何にもだ。枝や棒の類に掛かった訳ではない。清澄な空気以外なにもない空間
に中国武器のフックが当たり前のように引っ掛かりミッドナイトの全重ささえる支点となる。それは開戦以来はじめて見せる
芸当だから、だから無防備な落下中を狙うぞとばかり対空迎撃に移行しかけていた総角は予想外の浮遊に刹那だが戸惑っ
た。溶け消えるミッドナイト。フックに特殊武器なりワイヤーなり釣竿なりを引っ掛けて移動するアクションゲームはよくある
が、高貴なる少女はそれ以上。だらりと垂らした右腕の先にあるフックを天蹴り上げる重心移動で”逆上がり回転”させた少
女、身を丸めクルリクルリラと飛びあがった5mほど上空で今度は水平方向にフックをかけスイングバイ。ミニスカートの少女
がそれを遠慮なくやれるのはスパッツゆえだ。また空間にフック。回る。廻る。周る。裾をはためかせツインテールを揺らし
旋転、旋転、旋転。それで加速を得るのは宇宙征く隼とて敢行した正に基本、その繰り返しがミッドナイトに加速に次ぐ更
なる加速を与える。

 逆上がりの要領で天に駆け上がったと見えた彼女を剣客は視界内から喪失する。

「覚えておくのですね。空間に『角(カク)』を加減するから重力角なのです」

 天空で二遷三遷する桃色の剣気に忙(せわ)しく両目を動かす総角は(……マズいぞ追いきれん、ネコ型ホムンクルスたる
香美の俊敏すらスローな俺の動態視力を以ってしても……追いきれん……!!)、血色を失くす。

「何も無く見える空間でもちょっと角張らせれば双鈎のフックを引っ掛ける『起点』となる」

 背中に灼熱。膨れ上がる剣気を咄嗟に察し前に飛ばねば総角の図体は三角の積み木同士を射線で合わせて置いた
時のように『剪定』されていただろう。それを回避できた偶機を攻勢に転じぬ剣客はもう剣客ではない。気道内から駆け
上ってくる血と痛みに総角が”持ってかれそう”になったのは一瞬、意思の力で切歯し──…

「龍巻閃!!」

 振り返りがてら放った撃剣の先で旋風が弾けて去った。(影すら捉えられん速度だと……!) 弾指の刻のまえ地上に
居たはずのミッドナイトはもう10m上空で月を背負って……飛んでいる。

「起点は遠心力なのです。あらゆる場所にフックを掛けられるのなら旋転して飛びまわるのも、加速して背後に回りこむのも
……容易い」

 言葉とは裏腹に少女は総角の真正面から来た。生涯最大級の警戒をしていた筈の剣客が、『気付けば敵がもう鼻先同士
ひっつくほどの距離に居た』おぞましい経験をさせられた。戦慄を見透かしたようにニンマリと笑う少女はやはり人ならざる
美しさを帯びている。零距離からの斬撃2つ。合気。肉を斬れる筈だった武侠が左手首を捻られ宙を舞う。交差法。高速
戦闘機顔負けの速度を誇っていた正面突破の勢い総てが少女の手首総てに集中し……17回転で『ねじり折った』。衝撃
が凄まじいからこそ音は割り箸が砕ける程度のささやかさ。腫れ始めたそこに残る片手を柄ごと当てたミッドナイトは……
呻く。

(神業……!) 

(接近されたら柔(やわら)を使うと決めていた。剣よりも出が早いからな。しかもお前は高速だからこそ接近せざるを得な
い……! 零距離に到達し攻勢に移った瞬間こそが最大の隙、剣ふるう者にとって手首とは常に! 意外な死角!)

 そこからの凄まじい激痛にミッドナイトが覚えるのは……怒り。ではない。純粋な感嘆だ。普通恋人の仇に攻撃を防がれ
手傷を負わされれば屈辱しか覚えない筈だが、ここまでの数々の攻防で積み上げてきた総角への様々な感情が柔(やわら)
への惜しみない賞賛となった。

(ちょっとタイミングを誤ったが最後、さっくり斬られて終わりでしたのに……よくもまあ、無謀でお馬鹿な戦法を)

 敵のすぐ眼前で舞い飛びながら再び笑う。先ほどのは己の優越を誇示する尊大な笑いだったが今度は違う。難しいコト
を成し遂げた弟の成長を心から喜び祝福する姉の微笑だ。

(フ。気に入らんな。そういう上から目線は)

 総角も笑う。実をいうと柔を使うと決めた本当に次の瞬間にミッドナイトが真正面に居て一瞬あたまの中が真白になって
いたのだが、体の方が反射的に動いてくれて助かった……という事実は見栄に賭けてひた隠しである。

(仲間が、香美が居たからさ。ネコ型相手に超高速相手の柔をここしばらく重点的に鍛えられていたから……何とか、な)

 柔のため日本刀を解除していた総角が再び無音無動作で発動したソードサムライXに双鈎のフックが剣火と共に絡みつ
く。シャリっという小気味良い音は剣客の斬撃の勢いを削いだだけではなく、少女が上方へ向かって回帰する
ための旋転をも生み出した。

(追撃しようと思えばできますが、手首への一撃で加速総て殺された現状(いま)それを行うのは……やっぱり得策じゃあり
ませんわね。何より……『大物見は果たした』。深追いは禁物)

 フォースクラムなる総角の切り札を引き出そうとしていたミッドナイトだから『柔(やわら)』などはハズレに思える。しかし本
人的にはそうでもない。

(不意の正面衝突の咄嗟には不向き……らしいですわねフォースクラム。強力ゆえにコンマ何秒かの世界では遅れを取る
……らしいコトが分かっただけでも上出来。となると引っ込めかけた先の先が疼きますし追撃だって実はしたい。ですが!)

 ミッドナイトにとって”境地”とは常に発達していくものではない。折れ線だ。微増と微減を繰り返しつつ少しずつ上昇してい
くものである。

(柔。きっと追撃も先の先も迎撃しうる……! 超超神速の突撃を、無意識にとはいえ迎撃した経験は総角の柔を一段階
上に引き上げた筈)

 今の総角がやったような、戦況のなか起こった『奇跡』のような上達。修羅場の中、それまでの地道だが着実な努力が
思わぬ形で昇華し花開いた累類の、奇跡的で、圧倒的な成長なるものは晴(ハレ)も晴(ハレ)、美しき熱もたらす戦闘の
晴れ舞台が終幕するや日常の、褻(ケ)に飲まれて下降するのが常ではある。ミッドナイト自身、そういった一過性の強さ
が永遠に定着したと勘違いし痛い目を見たコトは何度もある。

(ですが強者とは『一過性に過ぎない一瞬の奇跡を反復できる者』! 晴(ハレ)でしか突き抜けなかった折れ線を、じゃあ
一体どうすれば褻(ケ)の中で常態にできるかと……そう考えられる者! 今のあたくしはそれで総角もそれ!! 彼が一
段階上に行ったと思う最大の理由でもある! 隠していたつもりでしょうが栴檀香美なる『手に負える』レベル相手に培った
技術をあたくしという、超絶に強い神のような存在相手に一瞬とはいえ開花させた、させてしまった経験は……『なる』! 
当面の総角の上達の目標にして指標に……絶対なる!!)

 それはミッドナイトにとって悪(よ)い傾向だ。『なんか出来た、強くなった、次イケるぜ大丈夫!』と慢心するような相手
なら楽に狩れるが、『アレは本当に一瞬の奇跡だ、今の未熟な自分が常に再現できるとはとても……。だが勝つにはど
うしてもあの領域に再びならなければならない……!』と決意できる存在はまったく警戒(きたい)しかできない。

(とはいえ? 勝つために見るべきは柔ではありません。武装錬金使いとしての貴方の真価! 爆発する鎖分銅!
鉄鞭と融合した投石器! それらの謎に比べれば素晴らしき柔でさえ霞むというもの! あたくしはそれを知りたい!
暴きたい……!! でなくば、こちらが! 負けてしまいますからね……!!)

 重力角が左手首を癒す。場の歪みで強引に骨を嵌め腱を繋ぐのは放置以上の激痛をもたらすが構わない。離れる際
垣間見た総角の眼はミッドナイトの推測どおりの光を放っていたのだ。

(気高い成長をできる者相手ならば! この程度の痛みなど……安い!!)

 敬意であるし、”さまざまな”戦略的な必要性でもある。


(総角。強くなるコトですわね。あなたは、あたくしと違って)




                                               ──『先』に行ける存在、なのですから。





 フックを再び空間に引っ掛け、加速、加速、加速──…


 地上で総角は身構えた。腐っても複製能力者、空飛ぶ武装錬金の持ち合わせなど幾らでもあるが、縦横無尽に飛びまわ
れるミッドナイト相手に無策で突っ込むのは考えるまでもなく危険である。そして策を紡ぐには準備と段階が必要だ。用意が
あるから地上に留まる。

(奴が手首を直す以上、次に選ぶのは『ヌンチャク』。九頭龍閃結審後やつが見せた破壊力!!)

 双鈎使用時のミッドナイトの切り札は『頤使者(ゴーレム)の膂力でヌンチャクよろしく繰り出す突き』である。

 ミッドナイトは双剣使いで重力使いだ。だから陽の剣と陰の剣を鎖代わりの重力角ビームで連結できる。連結はヌンチャ
クの可能性を双剣にもたらす。そうやって繋いだ剣をビューンと伸ばし、日本刀で言う”柄”の部分で──ただし双鈎のそ
こは『鈎尖』という、文字通り鋭い刃先になっている──撃ち貫く。人外ではないごく普通の人間ですら修練すればヌンチャ
クで、破壊力700kgの打ち払いを繰り出せる。その理法がミッドナイトの人外の膂力で再現され、しかも鋭き鈎尖に一点
集中した場合、ただ打ち込むだけで『標準的なダイナマイト1個分の爆発が起きる』。物理法則が爆発(エラー)を吐き出す
ほどに超距した物理破壊力を有するものこそミッドナイトのヌンチャク双鈎で──…

 それが、総角の、全方位から、来た。

(マジか……)

 剣客が呻くのもむべなるかな。
 ミッドナイトの分身が周囲を埋め尽くしている。ダダッ広い水田地帯が夜空も含めて髪色服色の桃色に塗りつぶされる大
増殖だった。(フックの加速の残影とは言え、サテライト30以上を易々と……!) 斉天大聖の分身にすら迫る勢いで増え
尽くした少女武侠の99%はただの残影であるが恐るべきコトに繰り出される突きだけは総て実体。もし地上への全弾命中
を許した場合クレーターは半径500m程度では到底収まらないだろう。武侠は笑う。

(どうですかこの高速機動からの最大火力・飽和的面攻撃!)
(軽く見積もっても戦士長クラスの超必殺技級……なんだが、フ、恐らく奴にとってはこれさえも『せいぜい威力偵察』……!
会戦に落とす核のつもりでは、ない……!)

 最強の戦神の眷属にそこまで見初められているのは光栄だが震えもくる。

(何しろこれは九頭龍閃の応用でもある……! 俺(コピーキャット)へのこれ以上ない意趣返し……!)

 超神速を最大限発揮すると9つの斬撃が同時に出せる……などという荒唐無稽な所業を見て1時間もしないうちに”それ
以上”の実戦投入可な領域にまで昇華できる戦闘センスとフィジカルに総角はつくづくと恐れ入る。

(フ。まあいい。全方位のヌンチャクすら我が『フォースクラム』の深奥を暴くための様子見に過ぎぬというなら)

 一刻も早く全面衝突できるようヒントを出す。叫ばずとも済む文言(サービス)を提供(さけ)ぶ。

「ピーキーガリバー! クロス! マシンガンシャッフル……『ホワイト』!!」

 武器庫を引っくり返したように充満して殺到していた剣の群れは、一陣の風によって向きを変える。総角の周囲を時計回
りにビュっと吹いた、竜巻の薄い切り身のような陣風の正体は裏拳の勢い赴くまま創造者を旋転させた巨大な右籠手だ。そ
れはあらゆる攻撃を反射する白き光の障壁(コーティング)を得ており、それが迫り来るヌンチャクもどきの剣たちを撃退した。
 ボンという気の抜けた音と共に生じた色とりどりかつ彩度の高い煙はミッドナイトの分身が置き換わったものである。
 弾き返された剣の直撃で残像たちが次々消える。
 少女本体のみは手に持つ残りの剣で迎撃し難を逃れたが同時にその背後の肩口でシュンシュンと結ばれた実像は『一
難去ってまた一難』。中空でゆらぐミッドナイト。剣。今しがた弾かれたヌンチャクの『実体』が……掴まれて、いる。総角主
税の右籠手に。特性で巨大化した、拳に。

”そこ”だけは巨大ロボットの掌パーツと言ってもいいほど巨(おお)きくなった掌に掛かればごく普通の刃渡りした剣すら縫
い針の1つに見える。針を摘んだ籠手は総角の意思と共に。釣り針を水面にチャポリする程度の気軽さで降られた腕が、
つままれた針(さお)に重力の糸で結ばれている疑似餌(ミッドナイト)を中空へと跳ね上げた。豊かな桃色のお下げが派手
に跳ねる逆バンジー。障壁で弾き返された剣を更に弾く都合上、一刻も早く手元にと重力の連結ビームまでもは解除しな
かったのが厄介のタネ、びよびよした線で繋がる剣2つだから片方を掴まれると実にマズい。一瞬の加速停止を経て今度
は少女、総角めがけ引き寄せられていく。釣竿めいた機構に囚われているのだ、敵が、近接の一撃を加えるためのリール
巻きをやるのは当然といえた。

 そして巨拳を構えている総角のペースで引き寄せられているのは細身の少女にとって──…

 実のところ大変マズい状況だった。

(やはり……質が変わっている)

 予想外の修羅場(よくあること)のなかでミッドナイトは何かを確認するよう静かに考える。

(そもそも鎖分銅が爆導索のような爆発反応装甲を備えていた所からして『変わって』ますわね。栴檀貴信の鎖は本来、
インパクトの瞬間に対象のエネルギーを抜粋する程度の代物。『触れるだけで爆発はしない』)

 そして今度は右籠手(ピーキーガリバー)が無数のヌンチャク双鈎を反射した。本来の創造者が使えばせいぜい瞬時に
巨大化するのが精一杯な筈の右籠手が、どういう訳か『反射能力を備えていた』。

(……。この世に反射能力がない訳じゃありません。むしろ小札、総角に近しい少女の杖(ロッド)の十八番ではある。ならば
同時に発動した? 確かに総角は複製能力の源泉たる認識票を『常に2つ』発動している。籠手と杖、2つの武装錬金を一
度に複製するのは確かに可能、現に先ほどの九頭龍閃の攻防のなか彼はそういう併用を何度も見せた)

 だが九頭龍閃が結審してからこっち3分ほどの戦闘(やりとり)における『併用の質』は明らかに変わっている!

(だってそうでしょう。”この”あたくしが切り札と自負する全方位からのヌンチャク双鈎を籠手の反射はたった一薙ぎで……
返した! 明らかに強力な反射!! 小札本人ですら絶対に成せない芸当を、基本劣化コピーな総角の能力が『やった』?!
有り得ないコトですわ、本来絶対ない出来事ですわ、そもそも『壊れたものを繋ぎ合わせないと発動できない』白き反射が
発動したての、無傷(まっさら)な籠手に乗れたコト自体……おかしい。鎖分銅に蝶が侍(はべ)っていなかったコトも含め!)

 ミッドナイトは確信を持って言える。総角の今の『併用』は以前と明らかにレベルが違うと。戦闘中に成長して段階が引きあ
がったとかいう話でもない。熟練。敵はこの急激な変化に一切戸惑ってはいないのだ。何をすれば何が出来るかしっかりと
理解している『落ち着き』は、従前とっくの遥か昔に成長していた証!

(『フォースクラム』でしたか。九頭龍閃結審後かれが使うと宣告した能力。恐らくコレは単純併用ではない! 2つの武装
錬金をただ漠然と同時に発動し使うとかといった王八蛋(ワンパータン)じゃ……ありませんわね!!)

 総角が反射籠手の発動直前唱えた言葉をミッドナイトは確かに聞いた。聞き逃さなかった。

──「ピーキーガリバー! クロス! マシンガンシャッフル……『ホワイト』!!」

(『クロス』。それが彼からのヒント。プラスではなく、クロスと! つまり総角の切り札『フォースクラム』とは……!!)

 引き寄せて巨拳で殴る。単純極まるが強烈な戦法がどうやら果たされそうにないと総角が嘆息したのはミッドナイトの動
きが急に止まったからだ。釣りでいうなら針が湖底にかかってもう抜けない……というアレだ。ヌンチャク状態の剣の片方
を掴んだ体勢ゆえに引き寄せられると踏んでいたミッドナイトが、地上を遥か下に置く中空で湖底の針と化すのはおかしな
話に思えるが彼女の原理から言うと矛盾はない。

「何もない空間にフックを掛けられる……そう述べた筈ですが?」

 重力の鈎は再び空間を捉えている。総角に捕まっていない方の剣の先から迸る重力角が引っ掛かっている。ただし今度
はスイングするための取っ掛かりではない。『固定』。総角への今以上の接近を防ぐためのアンカーと化していた。

 奇妙な光景だった。総角から見るミッドナイトはただ漠然と中空めがけ剣先を伸ばしているに過ぎない。なのに巨大な拳
に握り締めた剣をどれほど力強く引いても少女は一向こっちへ来ない。固い手応えが返ってくるばかりだ。ピーキーガリバー
には推進力(ブースター)がある。肘のあたりの右籠手が翠色の逆噴射で轟々と後ろに向かって動き始めるが、それでも
なお綱引きの戦況は変わらない。あたかもミッドナイトは鋼鉄の巨岩に打ち込まれた高層ビルの基礎杭のような頑健さで、
何もない空間に固着しているのだ。

「先ほどの高速機動から『空間には一瞬しかフックを掛けられない』と思ったのでしたらそれは盛大な勘違いですわよ総角。
確かにあのときは各所とも一瞬一瞬でしたがあくまでそれは高速機動のため……。今のような力比べとなればいつまでも
固定するコトもまた可能……。あたくしの命ある限り、何年でも、何世紀でも……!」
(……フ。固定と逆噴射が均衡した以上、『次』は……!)
 綱引きで最も恐ろしいのは何か? 怪力の力士一部屋分を相手どるコト……ではない。だからミッドナイトは重力の纜
(ともづな)を自ら切った。此方が全力の懸命で引いている時パっと手を放されるのが綱引きの最悪であり総角が後方へ
自ら吹き飛ぶ原理。不動の武侠を引き寄せんと全力で逆噴射していたピーキーガリバーは、試合放棄で後方へスッ転ぶ
赤白帽! 敵へと続く『綱』が突如として断たれたため非定常の急加速によって創造者を制御不能の後退へ追いやる!

 総角は呻く。

(背後にスッ飛ぶのは薄々予想していたからどうにかできるが……フ。双鈎、実に厄介な切り札だ! 重力の鈎は高速機
動と超絶火力を併用し点・線・面の搦め手さえ使う!)

 使い手たるミッドナイトは武侠! 中国の、気風! 智勇と術策を兼備する!

(恐らく正面切っての勝負ならばレティクルの中でも二番手か三番手! 武装錬金特性をブチ壊す盟主(メルスティーン)に
は絶対勝てないにしても、あらゆる物体を分解し塵に返すディプレスとなら互角かそれ以上……!! イソイソゴの忍び丸
出しの汚い奇襲すらコイツならば眉1つ動かさず”しばらくは”持ちこたえる……! 厄介、実に厄介……!)

「そして!」

 掻き消えるミッドナイト。すわ再び高速機動かと左右に注意を向けかけた総角を正面突破したのは『空間の錐』。粗末な
ポリゴンにテクスチャされた現空間が巨大な錐となって貫き穿ちにかかっている。

「あたくしのリウシンがただ跳ね返されたという認識もまた的外れですのよ。ただでは返らない。どうせあたくしめがけ貴方
が飛んでくると思っていましたからそちらただ一点に『集中』するよう空間を掻いておきました」
(重力角! 戻りしなに調節したか! 反射した物を制御不能にするホワイトリフレクションの最中よくもまあ……! だが
所詮は俺の反射に釣り込まれながらの仕込み、攻撃力はさほどでも……!)

 重力場の歪みで出来た錐の前にトラクターが居た。ここは水田、戦いのどさくさで舞い上がったものらしい。それに、錐が、
触れた。大柄な農機具のそこかしがボコボコボコっ! と内側に向かって拉(ひしゃ)げた。過酷な野良仕事に30年は耐え
られるよう設計された頑丈な合金製の外装が悪ガキに指を立てられたアルミ缶のような気安さで陥没しながら、しかも捩れ
て、圧搾される。「攻撃力はさほどでも」と高をくくっていた総角の表情が軽く凍結する間にも農家の人の笑顔と共に生きて
きたトラクターの人生は無残な終焉へ突き進む。破砕粗大ゴミに引導を渡す工場の騒音が二部合唱しているような耳を覆
いたくなる無慈悲な響きの中で農機具は飛び散った破片すら本体へ凌辱的に引力されながらドンドン萎む。深海水圧の
恐ろしさの伝道師といえば潰れたカップ麺容器だが、車高1.8m全長2m超のトラクターをだ、ほんのちょっと掠めただけ
の重力伝播で『丸めた新聞紙程度のサイズまで』圧縮した重力の錐──しかも一瞬でやってのけた──漆黒の重力の錐
をこの期に及んでなお無害と断じるには総角の強さはまだ常識の範疇にありすぎた。

(深海6500m級の凄まじい重圧が海抜9mほどの地上で炸裂すんの目の当たりにして涼しい顔してられんのはアオフ
とかライザとかの最強クラスだけだろ!! 焦るよ俺は当然だ!!)

 つまり重力の錐は絶対に触れてはならぬ代物! 無数の手数を誇る総角だが肉体はあくまでホムンクルス、それを糧
としうるヴィクターの武装錬金と同等かそれ以上の重力攻撃が直撃すれば! 確実に! 戦闘不能!!

(手足のどっかに掠るだけで一気に重力が全身を圧搾しトラクターになる! だが事前入力ゆえ一点しか狙えないのは確か
だろう! しかもこちらは!)

 籠手が黒い茨の光を伸ばす。光はミッドナイトめがけグングンと伸びやがて彼女の後方に浮かぶ『破片』と結ばれる。

(マシンガンシャッフル『ブラックマスクドライダー!』 壊れたもの同士を繋ぎ合わせる能力は本来なら追跡用、小さな破片
を大元へ戻すが……逆も可能!!)

 この状況で大元を破片の方へ超高速で引き寄せるのはつまり、『右籠手ごと総角を、ミッドナイトの背後へ運ぶ』。そう、
この策が成功しさえすれば総角は! 眼前に迫る重力の錐から易々と! 逃れられる!!

(破片は空(ここ)への追撃まえ全方位へ撒いておいた! 迎撃されしくじっても即座に肉薄できるよう! フ、攻撃用だった
ものを回避用に使うのは少々情けないが、な……!)

 つまんでいたミッドナイトの剣を放擲してでも選んだ回避行動は確かに錐の軌道から総角を追放しかけた! だが刺突
音! さくりとした音を契機に総角の動きは巻き戻され元の位置に!

(なっ)
「ふふん。せっかく掴んでた剣ですのよ? 遠慮なさらず持ってなさいなァ〜♪」

 剣から伸びる重力の綾を弄ぶミッドナイト。楽しげに歌い舌すら出した。。(……ち、障壁解除するなり速攻……!) ピー
キーガリバーに何をされたか理解した総角は流石に青筋を4つ浮かべた。剣。先ほど投げ捨てた筈のそれが刺さってい
る。中国には剣鞭という武器がある。復活させ結び直したらしき重力ビームの先端にある剣を操るなどミッドナイトには造作
も無いのだ。しかも始末が悪いコトに刺しつらぬいた後どうやら再び剣先に重力の鈎を灯したようだ。そして右籠手の装甲
の隙間から噴出する血液……。鈎針は、抜けない。鈎の剣も然り。そうやって捉えた右籠手をミッドナイトはググっと引いた。
重力の錐迫る白州へと引きずり出したのだ。

(! いや! ただそれだけなら俺はブラックマスクドライダーの破片追尾で僅かなりともミッドナイトの方へ動く筈! なの
にピクリとも作用してないのは……野郎っ!!)

 重力角は繋がる力にすら作用していた。マシンガンシャッフルの『壊れた物を繋ぎ合わせる』黒き茨のグルーオンさえも
超重の面制圧で阻んでいた。

 背後の破片を処置したミッドナイト、ふと気付く。

(……ん? 『ヌンチャク双鈎を跳ね返す直前は無傷だった右籠手』の…………破片ですって? あたくしの全方位攻撃の
総てを事もなげに反射したにも関わらず、一体どうしてまた壊れたりなど……? 布石用に別の攻撃で……自損? いえ)

 ミッドナイトの推理の端緒は時間である。時間。先ほど全方位からのヌンチャクを反射した総角が、空中のミッドナイトの
背後を取るまでの……『時間』。それはほぼ一瞬だった。

(何らかの布石を打てたとしても時間的に成しえたのは『”何かのキッカケによって破損済みの”破片を撒く』一動作のみで
しょう。他は無理。破片ができるまでの予備動作……要するに籠手への自傷行為ですが、そちらを行う時間までは無かった
とそう断言できる)

 そして空に、ミッドナイトの背後に、追撃のため現れた総角は確かに白き障壁を持続していた。

(それはブラックマスクドライダー用の破片を自壊にて調達していた場合、絶対に有りえぬコト! だってそうでしょう!!
みずから籠手を損傷せしめたのなら、『障壁解除→杖を別の武装錬金に変更→それで籠手を自壊→した武装錬金を杖に
戻す→障壁再展開』などといくクッソややこしい工程(タイムスケジュール)が入ってくる!! しかもそれでさえ『籠手御自ら
己を砕く』とか『マシンガンシャッフルはそのままに籠手を破壊する』よりは短いってんだから笑えませんわ! 後者は特性
が特性なだけに”籠手そのものを媒介にして籠手を壊すのは原理上不可、他の媒介使用時のみ籠手を壊せる”ですから!)

 だが障壁再展開する時間は──わざわざ他の媒介を用意したとすれば、もっとかかる──時間など絶対に無かったと
ミッドナイトは断言できる。全方位ヌンチャク反射から奇襲まで本当に一瞬だったのだ。

(九頭龍閃のとき一瞬で凄まじい数のタスクをこなせたのは超神速ゆえの圧縮された時間あらばこそですし! そもそも
策士は複雑に見えてシンプルなやり方を好むもの、障壁解除から始まる煩瑣な切り替えはしませんわ、一動作ミスるだ
けで総てオジャンですからね。……とにかく、大事なのは)

 ヌンチャク双鈎を見事総て跳ね返した筈の右籠手が……なぜ壊れていた?

 自分の攻撃力が総角の想像以上だったから……などという楽観はミッドナイトにはない。敵の想像を超越した破壊力で
あったのならそもそも障壁は貫通できた。跳ね返されたりはしないのだ。それは最強の眷属ゆえの辛めの採点基準が多分
に混じっているが、対総角で急速に培われつつある洞察力ゆえでもある。

(そも総角はフォースクラムなる切り札を温存していた。『なぜ』? 簡単ですわ。卑賤が強力な能力(チカラ)を温存する時
の理由など古今東西ただ一つ!)

『リスクが、あるから』

(ならばそれは何? もしかすると……完璧に跳ね返せたからこその…………破損?)

 あやふやな感想、筋道さだかならぬ推測。だが百戦錬磨の無意識は気付きつつある。

(そういえば右籠手の掌を剣鞭の要領で貫いたとき隙間から血が溢れたのも『おかしい』。通常サイズの籠手なら納得も
できます。籠手の掌とその下の掌の大きさはほぼ同じなのです、装甲を貫けば肉もまた貫かれる、当然です)

 だがいま少女が貫いた右籠手の掌は『スーパーロボットの一部かというぐらい』巨大だ。それの最外郭付近、小指側の
手首よりやや上に剣を突き立てた以上、その下に総角の掌がある確率はかなり低い。ピーキーガリバーは手に嵌め使う
タイプなのだ、普通に考えれば創造者の掌は、右籠手のそれがどれほど大きくなっても人間でいう『手首の、三叉に分か
れた青い静脈がある』中央付近で固定されている筈なのだ。

(なのに外縁も外縁な巨大掌の小指側手首付近を刺された総角が『出血』ですって……?)

 不可解さに僅かのあいだ顔をしかめた武侠であるが思考史における大転換のキョトリを経るや「ぬっふー」とだらしなく
……破顔(わら)う。

(コレぇ、あたくしの推測当たってたら、か・な・り、やりやすくなりますわね!)

 少女は、気付いた。

(総角の切り札(フォースクラム)……その、弱点に!)

 頭脳面では総角に劣ると自負しているミッドナイトだから完答の確証はない。とんだ勘違いで赤っ恥をかく公算の方が大
きいだろうとも思っている。だが戦闘はテストではなく寧ろ面接に近い。面接官から秘密を聞き出す特殊な試験が実在する
ならまずそれだ。だったらまず大まかな推論の元とりあえず一撃入れればいいとミッドナイトは考える。かましさえすれば
ひとまず(自分の推論が)イエスかノーかぐらい分かる。分かるならあとはフローチャートだ。不正解だよと反応された推論
を1つ1つ除外していけばいずれは完全なる正答を掘り当てられる。

(要は根気の問題! ですわ! 1回でも不正解な行為したら負ける論理能力を相手どってる訳でもなし、剣と武装錬金の
戦端における根気の作業において努力家(ぶきょう)がヒケを取るなど……在り得ない! と覚悟するのです総角!)

 その総角は前述どおり、空中にて、先端が鈎状となっている剣鞭が刺さった籠手を引かれ危険地帯へと引きずり出され
ている。重力角の錐の前へだ。錐は漆黒で、複雑に編みこまれたブラックホール顔負けの圧縮率を誇っている。触れれば
先ほどのトラクターの如く丸めたティッシュ程度に『圧縮』される。そんな猛威が直撃しかかっている総角だから当然ながら
避けたいし……逃げたい。逃げるのは能力上まだ可能だ。全力噴射を続けてなお脱出の光明が見えない籠手をそれ以上
の高速推進誇る武装錬金──ニアデスハピネスなどの──に換えてしまえば夢は叶う。ところで人間関係は何かと割り切
れぬ非論理的な概念だが、数学の恐るべき機械的な算法と合致する点が1つだけある。

『マイナス × プラス = マイナス』

 気に食わない奴の幸運まったくますます忌々しい的なアレは高貴を気取るミッドナイトにすら有る。せっかく危難の前に釣
り出してやった恋人の仇が、総角が、『状況状況で一番欲しい手札になる』玉虫色のジョーカーでひらりと華麗に切り抜ける
など武侠はまったく許せない。端的に言うと……逃がしたくない。赤裸々な精神衛生は無慈悲なのだ、マイナス×マイナス
へ更に『乗じ』プラスを得たがる。

 だから。

 ミッドナイトは我が手にある方の剣もフックにてカチリと空間に固定した。総角の右籠手を貫いている剣もまた同時期、
手近な空間に鈎を嵌めこんだ。つまり剣客は壁から壁に渡る紐……に、通った五円玉。しかも紐の方が部屋ごとコンクリ
で固められたりした日にはもう1ミクロン足りと動けない。コンクリとは重力角。恐るべき話だがミッドナイトは自らの剣と剣
とを結ぶ重力ビームすら圧縮されるよう重力角を操った。グラビティの紐を重圧の生コン固めにして総角ごと微動だにせん
よう計らった。だからもう総角は剣をどれだけ揺すろうがそこから伸びる重力ビームを動かせない。そもビーム自体すでに
両端が鈎にてガッチリ空間へ嵌っている……。

(フ。つまり俺は籠手の推進も杖の追尾も封じられた訳か……!)
(ついでに言いますと籠手、貫通する紐から迸る重力場によって干渉中、ですわ! 重力の錐へと出力を割いている都合
上、紐自体の重力は籠手を圧壊せしめる強力には程遠いですが、しかし武装解除やら切り替えやらの妨害程度ならできる!)
(重力場による催畸形……! 九頭龍閃のさなか俺の髪にやったコトを、また……!! やられた! 影響下にあるピーキー
ガリバーを今から他の武装錬金に切り替えるコトじたいは可能だが、(1)換えるまでの時間が平生より長引く (2)そうやっ
て発動した武装錬金も揺籃(くうかん)の歪みをモロにうけ畸形化する……といったリスク2つがかなり重い! 錐が俺の体
を抉るより早く再発動したい逃走用の武装錬金が間に合わなくなる可能性がかなり高く、間に合ったとしても窮地を脱する
に充分な原型を保っていない率のが大きいだろコレ……! ミッドナイト! 知略に程遠いと謙遜している癖に詰め手だけ
はキッチリ打つ……! )

『動きようがない』。そこに重力角直径1mの鋭い錐が迫る。ヌンチャク双鈎よろしく再び反射してやろうと白い障壁を右篭
手に漲らせかけた総角であったが重力の錐の後ろからグニャグニャに歪んだミッドナイトが迫ってきているのを見れば諦
めざるを得ない。

(あの歪みはバリアだ。俺の反射する錐を速攻で反射するバリアだ! 錐をどうにかして凌げたとしても速攻で跳ね返され
……ミッドナイトの一撃の加わった物が来る! 俺を縫いとめるため剣を手放しているのは救いといえば救いだが、大陸の
武侠は『素手でも強い』! 籠手からの剣回収なる選択もある!)

 トン、トン、トトン。空駆け上がるミッドナイトは両足にて鼓を打つ。足裏が空を叩くたび重力場の漣猗(さざなみ)が広がり
そして彼女を支えるのだ。総角へと続く不可視の階(きざはし)となって押し上げるのだ。バリアの眷属、双鈎から御身に分け
た重力角の所業であるコト言うまでもない。

(フォースクラム! クロス! その全容はあと一手、あと一手あなたが何か新しい物を出しさえすれば解明できる!! 
さあさあさあさあ出すのです! 白き壁ではもはや迎撃不可の二段構えですわよ、別の物を……お出しなさい!! まあ
それも紐の重力でだいぶと遅延するでしょうが! あたくし貴方を信じてますの、抜き差しならぬ状況を打開する咄嗟の策
を打てると! 咄嗟の策だからこそ切り札の、干からび上げた底の底を露見して下さると……信 じ て ま す の ♪)

 爬虫じみた美しい顔で牙も露に笑うミッドナイトから思惑を知れぬ総角ではない。切り札を出してなお、『鈎』という相手
のたかが一能力の応用に弄ばれている現状に戦意は本当挫けそうになるが養子たる無銘が見ている以上、踏ん張るし
かない。

(くっ、やりたくはないがやらねば……って俺何度目だよココまで追い込まれるの!! くっそ二度と戦いたくないぞお前とは!)
(動きましたわね! 最善手は言うまでもなくピーキーガリバー解除!)
(フ、認めるよ、確かに右籠手を消しさえすれば重力ビームの縫い止めから逃れるコトだけは……出来る!)
(でしょうね、遅延もろもろありますが少なくても拘束だけは解ける! ゆえに彼が使うのは)
「ピーキーガリバー!!」
 叫びを聞いた瞬間、ミッドナイトの眼が点になる。だがそれが総角に出来るせめてもの策だった!
「クロス──…」

 なにと併用したかまでは掻き消される。重力角の錐は総角正面の零距離射程で激しい激突音を奏で次元を割り砕いた。
舞い散る空間のカケラが暗黒の渦となって現空間の質量を飲み干していくのを見ながらミッドナイトはただ、「面白い!」と
だけ笑い、突っ込み──…



 大規模な水素の気球が大炎上したような大爆発が夜の水田の鏡面に映されるのを目撃した総角の部下達はただ言葉
を失くす。

『たった3分の攻防が3時間に思えるほど目まぐるしく、そして凄まじい……!!』
 栴檀貴信という気弱な少年の見える範囲では総角、40近くの武装錬金をとっかえひっかえ使っている。だいたい5秒に
1つの計算だ。貴信の眼力を超えた領域で使われたであろう物を含めればもっとハイペースかも知れない。
「両名とも切り札を出したがそれ故に拮抗状態、一進一退が延々終わらぬ膠着に陥っている……ように見えるが、土星の
幹部の方はまだ様子見、余力を残しているのが見てとれる……!」
 甲高い大声の麓でチワワ少年・鳩尾無銘は難しい顔をした。
「つーかさつーかさつーかさ! もりもり(総角)の武器、なーんか変わっとらん?! うまくいえんけど、ちがうのが2つぐらい
まじっとる気がするじゃん、気がする!」
 ネコ少女は栴檀貴信の飼い猫で、肉体的な事情を要約すれば宿主的な何かである。名を香美。ミッドナイトが感じていた
謎を香美は香美なりの野性で直感しているようだ。
「気のせいではありませぬ!」
 ネコ少女に応諾したのはパリっとしたタキシードが似合う見た目小学生の小柄少女。小札零という実況好きな彼女は叫
ぶ元気よく。(大声なのは同じだけど、性根は真逆だからなぁ、時どきちょっと絡み辛いなあ)と思いながら貴信は反問。
『えと! 小札氏は今もりもりさんが何を使っているか知ってるんだろうか!』
 付き合い長いしという指摘に小札はどんぐり眼をバッチリ見開いたままの笑顔でブンブンと二度うなずいた。栗色のお下
げ2つがホームグラウンドたる鎖骨付近から中空高く海老反るほどの勢いだった。
「知ってはおりまするが、しかし全容をば速攻で解説できぬのが悲しいところ! なぜならばココで叫ぶのは利敵行為、不
肖がガーっともりもりさんの能力をば捲くし立てるとミッドナイトどののお耳にも届いてしまうのです!」
 声もデカいがマイク代わりのロッドの集音力はもっとデカい。貴信は水田の持ち主の農家さんが驚いて駆けつけてくるん
じゃないかとかなり遠くの人家の光を恐々(こわごわ)ながめた。つまり小札、それだけの声である。総角がいま使っている
能力の正体を言えば確実に敵も聞く。
(ウンまあ、ひた隠しにしてる能力の謎を味方のコに暴露されるのはヤだけど、小札氏緊張感あるんだかないんだか!)
「あんたはなにか知らんのさ?」「知らん。ダブル武装錬金動員して戦う総角さん自体めったに見なかったし!」猫と犬が
囁くのがまるで合図だったかの如く小札の耳がピクリと動いた。

「ですがどうやら、そろそろ……!」


「お見事」

 空中。位置は以前のまま、しかし晴れあがる灰色の煙の中から現れしミッドナイトは呟いた。たっぷりと上から目線の乗っ
た声音にちょっぴりだけ心からの感銘を込めて。差し向けた重力の錐は、巨体を水平に切り裂かれ消えゆく最中だ。重力
を帯びた鈎と剣と鎖の戒めからすら敵は逃れている。

「のみならず」

 風呂場に投げ込んだドライヤーを思わせる衝撃と火花が急角度で前から去ったミッドナイトは胸を押さえる。微かだが衣
服が裂け、血が滲むその部分を。

「薄く見えますがそのじつ八十三層からなる反射障壁を突破する一撃を……放つとは……」
(貫いた……?! かすり傷とは言えあの土星の幹部の強固な守りをかいくぐれたのは大きい……! フォースクラム、全
容は分からぬが確実に通じる能力だ……!!)

 無銘少年に胸躍る確信を与えたのは──…

 大剣、だった。野太い柱ですらその背後に隠せるバスターソードだった。窮地を脱し空に留まる総角主税がダラリと垂れ
た右手の延長線のように持っている得物は、邪竜の征伐隊でもなければまず制式採用しない幅広で肉厚な大剣だった。

『初めて見る武装錬金……?』

 栴檀貴信は首を傾げた。コピーキャットが未知を使うのは当然だが、未知というには総角の大剣、どこか見覚えがある
のだ。(同級生の兄弟とすれ違った時のような”誰かと似ているなあと思うんだけどその「誰か」の名前がパッと出てこない
……時のような!!)モヤっとした感情を快刀乱麻で捌くのは当然というか次の人物。

「未知? いいえアレは──…」

「ソードサムライXなのであります!!)

 叫ぶ小札に貴信は「えっ」と息を呑む。有り得ない話だった。ソードサムライXといえば細身かつ両刃の日本刀ではないか。
だがいま総角が持っている剣ときたらまず反りがない。意匠はいかにも英雄の戯曲から抜け出てきたような代物、全長に
至ってはヒグマの成獣ぐらいある。そんな代物を日本刀と言われて喜ぶ日本人などまず居ない、外国人でただひとり公的
な作刀認可を受けたアメリカ人・キース=オースチンですら純和風にしろと怒るだろう。

「厳密にいえば半分ほど……ですわ」

 戸惑う貴信に回答を与えたのは小札ではなくミッドナイト。彼女は見抜いたりとばかりドヤ顔で目を閉じ指立てる。

(半分? 半分ってどういう……)
「しょうがないですから迷える子羊にお姉ちゃんが教えてあげますわ。ま、まったく無知蒙昧な弟妹はコレだから困ります
わ、面倒くさいったらないですわー!」
(嬉しそうだなあ。末っ子だから、お姉ちゃんぶりたいんだなあ)。貴信は思ったが指摘すると泣きギレされそうなので黙る。
 末っ子の方はというと上のセリフを頬を染めたり無意味にクルクルしたりで発したあと、キリっと凛々しく相好を崩した。

「掛け合わせ……ですのよっっ!!」
(ですのよっっ! とか力いっぱい言われても……)
(何が何と何を掛け合わせるかハッキリ言え)
 貴信くんと無銘くん、何がなにやら。
「そう。総角の切り札(フォースクラム)は『掛け合わせる』モノ……。いま持ってる大剣がいい例。日本刀たるソードサムライ
Xに右籠手(ライトガントレット)である所のピーキーガリバーを『掛け合わせた』から、元の姿とかけ離れた姿になっている」
「ゆ、融合!? 合体!?」
「そうですわよ栴檀貴信。しかも姿だけじゃありませんわ! 特性も! ピーキーガリバーの『瞬時に集結した』元素をソー
ドサムライXは『エネルギーに変換しながら吸収』し更に……放出。縮退やら対消滅やら系統の強いアレで重力をも吹き飛
ばし反撃した…………ですわよね、総角♪」
「フ」。ヒントを出してやったんだ、正解されない方が困るさとだけ総角は瞑目して薄く笑う。

(成程。そう言う物言いならば合点がいく)

 無銘はやっと理解した。

(鎖分銅がしばらく接触爆発性の爆導索になっていたのは)

 栴檀貴信のハイテンションワイヤーに、『この当時はまだ蝶野攻爵だった』蝶人のニアデスハピネスを掛け合わせたせい
なのだ。

(日本刀が高周波ブレードと化していた時もあった。そのとき掛け合わせていたのは鉄鞭(スティールウィップ)……!
話に聞くL・X・Eの陣内の武装錬金は音波を操る……からな。……そしてこの2つの例からすると、恐らく…………!)

 空中。武侠は双眸にチワワを映しながら呟く。

「鳩尾無銘も気付いたようですわね。そう。フォースクラムの真価は2つの武装錬金の融合に非ず。×(バツ)! クロス!!
掛け合わせ!!! 対象となった武装錬金特性2つは足し算ではなく乗算で! 跳ね上がる!!)
「そうなのです! 先ほどもりもりさんの籠手がたった一薙ぎで全包囲からのヌンチャクの群れを反射してのけたのは、障壁
発す不肖のロッドと『掛け合わされて』いたからです! 単体ではとてもとてもあのような攻撃ふせげぬマシンガンシャッフル
ですがフォースクラムにて掛け合わされれば性能は乗数的に……上昇(アガ)るのです!!」
 しかも壊れていないモノですら繋ぎ合わせて障壁の媒介にすら出来るっ! 小札はとても騒がしい。
「コピー能力者なもりもりさんですが、その複製元たる認識票を『常に2つ』発動しているのは周知のとおり! いわゆる
ダブル武装錬金でありますがコレは2つ故に相乗効果が見込める戦法!」
 例えば武藤カズキのサンライトハート。蝶野攻爵だった頃のパピヨンを止めるためカズキが使ったダブル武装錬金版
サンライトハートは本来の推力を指数関数の極限まで強めたた。
 例えば防人衛のシルバースキン。ただでさえ反則な裏返し(リバース)による拘束を更に二重にするコトでヴィクターIII
武藤カズキさえ完封した。
「そしてもりもりさんの複製能力、認識票の武装錬金、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズのダブル武装錬金の真価
こそ! 『掛け合わせ』なのであります! 1つ1つから複製した武装錬金を掛け合わせ、特性もろもろ混ぜ合わせて使
えるのです!! 双方の特性を乗算(ひやく)的に向上させた、上で!!」

(ってソレ、ほぼ無敵の能力なんじゃ……?!)

 貴信はただ戦慄した。他者の武装錬金を複製できるだけでも既に脅威なのに、それら総てを融合して強化できるなど
反則もいいところではないか。敵をエネルギー抜粋でちょっと脱力できる程度の鎖分銅しか持っていない自分を貴信が
とってもみじめな存在に思い始めたのも無理はない。

「実際、あたくしも恐ろしい能力だと思いますわよ。だって最強たるお母様でさえ既存の武装錬金2つを混ぜ合わせるなど
……思いつきもしませんでしたからね。フォースクラム。融合という進化を施す油断ならぬ奥の手……!」
「フ。『彼女』がそれをやらなかったのは、俺がやってるような小細工なんざ不要だったからさ。お前の母もコピーキャットで
はあったが、超攻撃力で持つ手札持つ手札総てムリヤリ伝説の武具級に強化するタイプ……だったからな」
「そりゃまあ、このあたくしにお兄様とお姉様たちを加えた怪物4頭を攻撃力普通のノイズィハーメルンで楽々調伏しうる方
でしたもの」
(こやつ……) 無銘は汗を流す。(さらりと言ったが……貴様級4体を攻撃力最低クラスの鉄鞭で封じられる……存在、
だと……?) タチの悪い冗談としか思えない。武侠は続ける。

「総角。掛け合わせは複製にさまざまな制約のある貴方だからこそ、お母様のような力押しが出来ない弱者側だからこそ
発案できた方策でしょうね」

(いやいやいや。弱者側だとか言ってるけど、無数の武装錬金に無数の武装錬金を乗じて使える能力とかほぼ無敵としか
思えないんだが僕は!! ……あ、でも待て。本当に無敵だとしたら……ディプレスたちの時とか、今とか、どうして……?)
「あんた!! よーわからんけどそんな強そうなチカラ持ってんなら、どーして今まで使わなかったのさ!!!」
 天空に向かってフシャーっと牙を向いたのは香美である。ミッドナイト含む一同の中で彼女だけは唯一人間ではなく
ネコである。故に理解は周りから遅れる傾向にあるがときどき野生の勘ゆえか真理を突くコトもあり、いまは丁度それ
だった。

「フ。香美よ。いまだ武装錬金を発動できぬお前には分からぬだろうが……」

 金髪の美丈夫は相対する敵を視線で射抜く。

「強い力ほどリスクもデカい。ミッドナイトほどの敵ならばそこにすぐ気付く。突いてくる……!」
「せェ〜かい♪」

 ミッドナイトは微笑した。愛らしいがおぞましい影も薄く乗った表情で不穏なにこやかさを振りまいた。

(く! これは気付かれているやも知れませぬ……!)
 小札は内心ささやいた。
(攻撃力に於いてはまったく完全無欠に見えるフォースクラム。ですが弱点もあるのです! それは──…)

 障壁で完璧にヌンチャクの群れを弾き返した筈の右籠手が、総角と共にミッドナイトの背後へ跳躍したとき破片を
ボロボロと取り落としていた理由であり──…

 巨大ロボットの手ほどに膨張したピーキーガリバーの掌の極めて外周が剣によって刺し貫かれたとき、そこから一番
遠いはずの(籠手の)手首に嵌め込まれている総角の手が盛大に血しぶきを噴いた理由でもあると──…

 ミッドナイトは、言う。

「もしかすると……ですが、攻撃を浴びると2倍か3倍だかのダメージが貴方自身に跳ね返るんじゃありません? フォース
クラムで融合強化された武装錬金は」

 風が吹く。農道の草を揺らす。別珍(ビロード)のような金髪を靡かせる総角は何も言わない。目を細め笑うだけだ。

(どっち……なんだ?) ミッドナイトの指摘が正解なのか不正解なのか貴信はすっかり分からない。

(通常の複製品ならダメージは返らない。もりもりさんにとってコピーはあくまで『認識票の武装錬金本体から生み出したエネ
ルギーの塊』に過ぎない。エンゼル御前……だったっけ。あの弓矢(アーチェリー)の武装錬金でいえば『矢』であって『弓(ほん
たい)』ではない。コピーは使い捨ての矢のようなもの、消されたとしても認識票(ゆみ)を穿たれるほどの損失は……ない)

 実例もある。総角との特訓の最中、貴信は何度かコピーを攻撃した。だがダメージがフィードバックされた様子はなかった。
ミッドナイトとの戦いでも然りだ。

(それが『掛け合わせ』になった途端、ダメージが返るようになる……!? 僕なんかにはミッドナイトの根拠、まったく分か
らないけど、『矢』は『矢』のままなんじゃ……?))

 実際、本体にダメージをフィードバックする武装錬金の方が稀有なのだ。サンライトハートは確かにその損壊が武藤カズキ
の生死に関わる突撃槍であったが、『核鉄を心臓代わりに埋め込む』という普通の戦士ならまず有り得ないイレギュラーあり
き、心臓の代用品を武器として使っていたが故の事象である。
 カズキなどこの当時は知らぬ貴信だが、少なくても彼やその仲間達の武装錬金は傷痍の返る類ではない。

 高まる疑問を察したのか、「あたくしの根拠が聞きたいですの?」 武侠はキツネ指でツインテールを梳りながら悠然と笑う。

「まあ、細かな原理までは分かりませんケド」
(分からないんだ!?)
「でも色々見てきた情報を統合するとそーいう仮説になるのですわ。ハロアロお姉さまの好きなゲーム風に言えばフォー
スクラム、『攻撃に全振りしてるから防御力がゼロ』……でしょうか? ま、武装錬金特性なんてものは人の精神(こころ)
と同義。”どうしてソレで傷つくの?”が分からないように100%完全には……でしょ?」
 高貴は知った被りしませんの、あたくし未知についちゃ頭悪い方ですし! 「うきゃー」と両目を不等号にしてのたまう武侠
は自嘲めいた言葉と裏腹な、ひどく割り切った様子である。
(あー、同じプライド高い族でもココはもりもりさんと違うなあ)
 分からないコトの前でアレコレ理屈をつけたりしない潔さ、知らぬものは知らぬとハッキリ言える点では総角よりむしろ香美
に近いなあと貴信は思う。
「あとはまあ剣にて論証を重ねるのみです。雑多な理屈など大枠程度理解してればいい。勝ちの斬は枝葉を見ずとも……
ですわ。霧中だろうが夜半だろうが大まかな外殻さえ見えれば敵は斬れる。真理です」
「あんたテキトーじゃん、ざついじゃん」
「貍奴(ネコ)がそれ言います!? まあいいですわ。ここまで様子見に徹してきたのは切り札を見定めるため……。今いっ
たような弱点が本当にあるか分からぬ以上、全貌が明らかになった訳ではありませんが、それでも既存の武装錬金2つ
を掛け合わせる能力……というのが分かっただけでもかなり違いますわ」
(そうなのであります。ミッドナイトどのはもりもりさんが主立って使う武装錬金ほぼ総て把握しておられます! 事前に調べて
おられたようですし、幾つかは九頭龍閃の攻防にて実際目撃している故に! ですので例えばエンゼル御前の矢×ニアデス
ハピネス=広域殲滅型の警矢の雨といったストレートで鉄板な組み合わせを用心するのは今からでも可能! 更に付記し
ますればアリス・イン・ワンダーランドの密集形態のような掛け合わせにあまり向かぬ武装錬金を使ったフォースクラムも……
『読みやすい』。普通なれば予想から削除すべき選択肢ですが、普通そうするからこその逆張り、もりもりさんが敢えて奇手
として使ってくる可能性が……想像(えが)きやすいのです!)
(って小札ならば読んでますわね絶対)
 ミッドナイトが嘆息したのは的外れだからではない。図星なのだ。フォースクラムがいかなる能力か分かったいま、大まか
な方針は決まっている。あとはどう弱点を暴きそして突くかだ。剣を片方、胸の前で一文字にし瞳を燃やす、静かに燃やす。
「『武装錬金へのダメージの2〜3倍が本体に返るのではないか』。あたくしの推測があってればやがては勝てる、間違って
いても勘違いに付け込もうと無理に動く総角を捌けばいい。隙つこうって奴ほどボロ出すんですわ。ひた隠すべき弱点を
安い攻め気の代償で見せてしまうものですわ。なら無知での攻めもまた上策、真実などそーやって暴けばイイのです」
(……空前の武力なしではまず成立しえん戦法だがな)
 無銘は呆れた。ミッドナイトの文言は要するに「力押し」ではないか。
(それに”隙つこうとする者ほどボロを出す”……だと? 貴様自身、総角さんの弱点(スキ)を突こうとしているではないか)
 皮肉気な指摘とは裏腹にチワワは頬に汗を掻く。分かってしまったのだ。ミッドナイトが『自分の方は安い攻め気の代償
で弱点あばかれても対応できる、してみせる』と誇負したのが。出生ゆえに捻くれた部分のある無銘である。並みの相手に
同じ言動をされたのなら一笑に付して終わりだが、ことミッドナイトとなると「多少驕っても倒されぬのは確か、それだけの
実力……!」と不本意ながら耳を帖(た)らす他ない。

(僕もその点を見落としてた……! もりもりさんの切り札が幾ら強力だったとしても、ミッドナイトなら直撃を避け弱点を探
せるんだ。そも考えてみれば同じ切り札を出した者同士でも戦略的な前提条件は違う、まったく違う……!)
 何がどう違うのか。小札零は分析する。
(ダブル武装錬金2つをリスキーな使い方せねばならぬフォースクラムと違い、ミッドナイトどのの『鈎』はあくまで通常兵装
の一部に過ぎませぬ。レースでいうなれば只でさえ焼け付き始めているエンジンをオーバーヒート覚悟で全開にされている
のがもりもりさん、ギアをちょっと上げた程度なのがミッドナイトどの……どちらが有利なのか言うまでもありませぬ)
 恐ろしいのは……と鳩尾無銘は軽く唸る。
(あの土星の幹部はまだ武装錬金を一つしか使っていない……というコト)
 形状こそ陰陽”双剣”だが、モーターギアやキラーレイビーズ、それからこの歴史とは別の歴史で『とある人物』が使って
いた投擲短剣(スローイングダガー)のような『二つで一対の武装錬金』なのだ。だから無銘はミッドナイトを核鉄面から恐
れている。
(奴がもう1つ投入したら……ダブル武装錬金を使ったら……)
 総角はもう追いつけない。そしてそういう事象はミッドナイトの母が総角とは別の相手たちに一度やっている。3人がかり
のダブル武装錬金でやっと拮抗できた黝髪の青年とその仲間達に使ったダブル武装錬金の意味合いは凡人のそれとは
懸隔した魔人の奥義。娘たるミッドナイトのそれも、恐らくは。

 貴信は、思う。
(もりもりさんなら自分の攻め手が予想されているのは気付いている。長引けば何らかの弱点を突かれるコトも。逆は……
ない。長期戦になってもミッドナイトはボロなんか出さない。地力。性格。前提。双剣。彼女ほど守りながら攻められる存在
はいない。リスクを孕んだフォースクラムと違い、鈎は攻守ともに応用が効く……!)
 自分程度でもそれ位は分かる……謙虚で気弱な青年は「だから」総角がどう攻めるのか気になった。

「フ」

 金髪の剣客は静かに笑う。

「ところで……フォースクラムだが、ドレとドレの掛け合わせが最強だと思う?」

 武侠はやや怪訝な顔をしたが(もしや……)と眉を動かし正直に答える。大事なのは『貸してやるのだ』と示すコトだ。
言外でそれを匂わすため少女は愚問ですわね総角」と得意気に人差し指を立てた。

「最強の眷属たるあたくしが最強と思うのはお母様のインフィニット・クライシスただ1つ。もしこれを、電波兵器Zの武装錬
金を貴方が使えるのだとすれば──正直パクられるのムカつきますけど──双璧の片割れに置くと考えない方がおかしい
「だろうな。フ。ならばもう片方は当然……」
「ま、アオフのでしょうね。彼本人には別に敬意ありませんが、彼の血の染み付いた泥がお母様の構成材料になった事実
は見逃せません。『パーティクル・ズー』。あたくしが何度挑んでも斃せなかったメルスティーンすら歴史のなか幾度となく葬っ
てきた大鎧にして……貴方の親友の武装錬金(かたみ)。それでしたら辛うじてですが電波兵器とも釣り合うでしょう」

 意図してか偶然か。総角の回答は……

「フ。半分正解だが半分は不正解だ」

 先ほどミッドナイトが貴信に投げかけた物と同じだった。そこも含めて少女は目を丸くする。

「はい?」

「俺の知る様々な武装錬金を掛け合わせるフォースクラム。だが最強は電波兵器×大鎧ではない」
(……どういうコトです? 半分は当たっている……ならその2つのうち1つだけが正解? いや、というより……)
 口に片手あてた少女は一瞬なにか途轍もない真理に接触しかけたが、『それだと”6つ”にならないか』という正体不明な
撞着によって妨げられる。だから生真面目さは具にもつかぬA×Bの方ばかり高速で検討する。
 機微を悟ったのだろう。総角はからかうように方を揺すった。
「フ。お前の長所は高貴な癖に根が素直で実直な所……」
「ソレ、騙されやすくて単純って……馬鹿にしてません?」
「フ、それも半分」「正解だっつーなら殴りますわよ?」 ギロっと目を三角にする桃色ツインテールを触らぬ態で青年。
「長所を発揮しろ。事実をありのまま観測しろ。お前ならできる。俺の武装錬金特性を今一度かんがえろ。本当に、超絶火
力を2つ組み合わせるコトだけが掛け合わせにおける『最強』なのか……と、な。気付け。解答はお前の既知の中だ」
 いつもの心理誘導かと軽く身構えたミッドナイトだが、妙に真摯な熱の篭る口調に「おや」と思う。総角はむしろ情報を渡し
たがっているように思えた。学校に通ったコトのない武侠だが、思考力を育てられる教師とは今の総角のような物言いをす
るのではないかと思った。
「フ。計りかねているようだからヒントをやろう。1つ目。フォースクラムは『A×B』だけでなく『A×A』もできる。2つ目。ランプ
の精への無粋な願いを突っぱねないモノもある。3つ目。『2つだけ願いを叶えてやろう』聞いた頭いい奴は合理的だが味も
素っ気もない詰まらぬ願いを考える。そして4つ目が一番重要なヒントだが……フ、どうにも頭のいい俺という奴が2枚持って
いる認識票はだな、『1枚につき1種類の武装錬金を複製できる』……。ヒントは以上さ。フ、答えはとっくに『目前』だぞ?」
「っ……! まさか!!」
 自慢の武装錬金──認識票──を胸元でさりげなく揺らす剣客に武侠は気付く。『第一印象こそが正解』と。

「フ。そうさ。フォースクラム最強の掛け合わせは──…」

 誰もが考えつく”ありきたり”で……しかしだからこそ最強なタッグ!

 つまり!!

 声たからかに叫ぶ総角が握り締めるのは!! 掛け合わせるのは!!

「認識票の武装錬金、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ!」

「クロス!」

「認識票の武装錬金、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ!」

 貴信は、息を呑む。

(自分の武装錬金同士を組み合わせる……!? 既に発動済みな、複製能力の大元をそうするコトに意味は……?)
 いや、無銘は気付く。
(願い事を増やす……! 『1枚につき1種類の武装錬金までしか複製できぬ』認識票(ねがいごと)に……『掛け合わせ
た武装錬金2つを強化融合する』フォースクラムを施すというのは、つまり………!!)

 2つのザ・ブレーメンタウンミュージシャンズは光と共に弾け一旦消える。入れ替わるように漂っていた光子の粒が虹色の
膜を編成し……新たな認識票を作り上げる! その数! 実に!!

「『4つ』……!?」

 有り得ない! 甲走った声をミッドナイトが漏らすのは武装錬金使いの範疇を遥か無視した禁忌だからだ。

「少なくても核鉄由来ならダブルが上限……! 月の幹部の、デッドちゃんですら栴檀2人の一件では8個の核鉄の同時発
動はできず順繰りの逐次投入だったのに…………!」
「フ。俺だから成せる例外規定……かもな」
「……?」
 武侠はいつだって策士の言葉を図りかねる。混乱もまた拍車をかけた。首元で4枚のドッグタグをじゃらじゃらと打ち鳴ら
す美丈夫はどうやらその発動に精神力の何事かを大幅に消耗したらしく、やや青白い顔でミッドナイトへ呼びかける。
「閾識下の闘争本能の海へ還元された武装錬金を復元(くみあげ)て使うお前の母のようなマレフィックアースなら3つ以上
同時使用できる。俺はお前の母を目指して開発された男。だからだろうな、裏技めいた認識票(ねがいごと)増殖を……成
せるのは」
(くっ、お母さまを引き合いに出されると)、少なくても「反則、自重すべきですわ」といった方向では批難不可に追い込まれる
ミッドナイトだ。崇拝する規格外は身長57m体重550トンの機械人形を1800体同時に自動操縦していたのだ。或いは前世
で見たそれを覚えていたが故の総角流の批判封じかも知れないが、だと思ってなお黙っていられるほど少女は大人しくない。
今度は『インチキ働いてなお力量不足』といった話術に舵きり薄い胸を張る。
「ふ、ふふん。数を言うならたった4つの武装錬金で威張っているのは情けなくなくて?」
「ほう? それはどういう」
「完全なら『6つ』になるんじゃなくて? 既に発動していた認識票AとBを掛けあわせで『それぞれ2つずつ』コピーできるよう
になったのなら、AからはA’とA”、BからはB’とB”、合わせて4つの複製品が出現! 大元となったAとBと合わせて『6つ』
になる筈なのに2枚足りないってコトは総角! あなたの功夫は甘々! 甘々ですわー!」
「わからん! ピンクがなにをどーバカにしてんのか分からん!!」
「いや……ミッドナイトはこれ以上なく簡潔に説明しているんだが…………」
 軽い数学用語にすらひどいアレルギーを発し頭から湯気ふくネコ少女に無銘は呆れた。
「フ。明察だがミッドナイトよ、お前のその推論は前提を履き違えたものさ。フォースクラムはあくまで『認識票AとBそれぞれ
が発したコピー品を掛け合わせる』……だからな。お前の理屈を借りるならA’とB’の方だぞ掛け合わされるの。AとBじゃ
なくてな」
(よ、よく分かりませんが……)
 ミッドナイトは俯いた。俯いて豊かすぎる横髪(ツインテール)をほっぺたに押し付けた。
(とんだ勘違いぶっこいちゃった感じですわー! ハズカシー!)

 桃色の綿菓子のような髪の毛の中で死にそうなぐらい頬を染めてもじもじする少女に、追撃。

 ついでに言うとA”とB”をABそれぞれが直接出力したりもしない……という総角のやや主客をズラした物言い──半ば混乱
目当てだろう──物言いには、実戦に優れた洞察を見せるミッドナイトですら「え? え?」と目を白黒するのだ、野性しかな
い香美が「だーかーらぁ!」としかめっ面するのは当たり前。飼い主の方は何となく分かったが、理解ゆえの疑問も生ず。
(アレ? それなら新たに生まれる認識票はA’とB’の融合した奴1枚だから、既存のABと合わせて3枚になるんじゃ……?)
「まあその辺は視覚的な分かりやすさ優先なのです! 何しろ認識票2枚のフォースクラムの元となったAとBは「認識票を
コピー中ゆえ他の武装錬金はもう使えない」状態、つまりお飾り! しかし掛け合わせにて『1枚1種のコピーしかできぬ認
識票をA’とB’を融合して能力を倍』にして誕生した1枚の認識票……Cとしましょう、Cは4種類コピーできる認識票ですが
数は1枚きり! 本来ならABと合算して3枚になるべきかもですが」
「フ。ややこしいというかキリが悪いからな。認識票の枚数も複製できる能力の数と……揃えたのさ」
 複雑だからな、戦闘中ふとお前が指摘したようなコトを考えると能力がブレる、だから『4種コピー可の時は認識票も4枚
具現化するよう調整を施している』……総角はそう述べた。
(武装錬金は精神そのもの……。その具現に安定を欠くような形式は避ける、ですか……)
 しかし、だとしても。武侠は笑う。今度こそはと強い確信を持ち、意地悪く総角に問いかける。
「ところで……『4枚の認識票で再び認識票をフォースクラムしたら』……どうなりますの? 倍々ゲームは、できますの?」
 際限なく殖(ふ)えますわよねえ、今からソレやりますの? 白々しい声を浴びる剣客は「フ」とだけ笑う。それで少女は得
心が行き、「いや、そもそもォ?」と軽く舌出しニッタリ指摘。
「どうしてサテライト30と掛け合わせなかったんですの認識票? こっちならたった1回で認識票×認識票4回分以上の激
増が見込めますわよねえ?」
 トントンと剣で肩を叩く少女は核心に切り込む。

「やはり貴方のキャパは不完全なのでしょう! 裏技じみたフォースクラムを使っても同時に安定して使える武装錬金は
恐らく4つ前後! それ以上になるとまず複製品そのもののクオリティが激減すると見ましたが……あながち間違いでも
ないでしょう」
 1ターンにいくつも魔法を使えるゲームがあるとする。魔法の威力は注入したMPと比例する。MP200の魔法使いが
地水火風合計4つの魔法を同時かつ同威力で使おうとする場合、それぞれに振り分けられるMPは50が限度。これが
8属性攻撃の場合だと威力「25」、激減だ。
「フ。その通りだと……認めるさ。フォースクラムの認識票。原理上は、8だの16だのにもできるが、今の俺のキャパじゃ4
つが限界、4つでなければお前級に通じる威力を保てない……と言ったほうが適切かな」
 だがまあなんだ。剣客はちょっと咳払いした。
「大体だなぁミッドナイト? 武器を32だの64だの同時に出して完璧に操るのは……最強でも、お前の母でも……無理
だろ。ひょっとしたらそれ以上の数でお前達に猛威を奮ったかも知れないが、それだって超攻撃力による底上げありき、
テクニカルなやり方じゃなかった筈」
 まあそうですわね、貴方がソレ真似ても意味が無い。ミッドナイトは剣客に釣られ微笑した。
「貴方は2つ程度の武装錬金を「上手く連携させて神戦術練ったぞー、俺はスゴい策士だぞー」って得意顔するのが好きな
タイプですものね。大量の複製品で一気に押しつぶすのはスマートじゃありませんから」
「嫌いさ、好まない」。剣客は当たり前だといわんばかりに頬をゆがめたが、それがすぐ微苦笑の形になった意味を理解した
のは彼の伴侶である小札を除けばミッドナイトだけである。

 長い金髪を持つ剣客は「主義じゃないしシュミでもないけどなあ」と軽く嘆息してから言う。

「2つ、白状するぞミッドナイト。1つ。俺が今から繰り出す攻撃は最後の切り札。お前に直撃(ブツ)けるコト叶わば必ず勝て
ると確信しているが、外されたり防がれたりしたら潔く負けを認めよう。『俺の身柄だけは』好きにしろ」
 んーーー。武侠は額を軽く掻いた。もったいつけた、わざとらしい間の取り方だった。コイツは何を言っているんだという
表情も若干浮かんだが、それはどちらかと言えば心からの侮蔑ではなく……「あなた今ちょっと独りよがりな言葉吐いたよ
ね?」という確認用のポーズが強い。
「つまり……最後の激突を要求すると? 決着がついても部下にだけは手出しするなと? まあ別にぃ、一撃勝負も派手で
すしぃ、嫌いじゃあありませんけどぉ、愛犬の仇たる小札とだって殺さず決着つけるつもりですけどぉ」
 ちろりと視線を逸らした武侠は小ずるく笑う。
「でもあたくしが短期決戦に応じるメリットありまして? 貴方も部下も薄々気付いているでしょうが、長期戦になれば有利な
のはあたくしの方……何らかのリスクを孕んだピーキーなフォースクラムを切り札に設定した貴方と違い、あたくしの『双鈎』
は絶縁破壊直撃によって中破状態な今の体で振るってなお安定的に劇雨のごとき乱撃を繰り出せる。尖ってはいません
がだからこそ弱点もない。だからこそ貴方は短期決戦の一撃勝負、爆発力で何とか押し切りたいんでしょうが……策士に
してはちょぉっとお粗末な引き込み方ですわね。縛りたいなら利益か脅威……どちらか飛びぬけたモノをまず提示すべき
では?」
 そう。ただ勝ちたいだけならミッドナイトは総角の繰り出す何らかの大技と正面激突しなくてもいい。そういうリスクを負う
必要は無い。大技を回避し長期戦で甚振れば勝てる。
 ただ。鳩尾無銘が「む?」と思ったのは中国史が好きだからだ。出自ゆえのヒネクレで策謀渦巻く逸話の数々に心惹か
れてやまぬから、その培養液に浸かった気配つよきミッドナイトの物言いに感ずるものが生じてしまった。
(奴は……突っぱねてはいないな。総角さんの目論見をあげつらい、それと反発反目する己の事情こそ述べはしたが、
なんというか……賭け皿に乗せるモノ次第では応じそうな……感じがする)
 そもそもコレは共闘を前提とした戦いだから……と思ったのは貴信。
(ミッドナイトのしているコトは交渉……だな。勝つにしろ負けるにしろ、そのあと自分が少しでも有利になれる条件を……
引き出そうとしている。極端な話、ここでもりもりさんが賭け皿に何も乗せなくてもミッドナイトは短期決戦を受諾する。相手
の領分で勝ってこそ高貴だって言いそうだし、何より『応じなくてもいい短期決戦に応じてやった』という『貸し』が作れる)
 頭悪いって自嘲してる雰囲気あるけど駆け引き上手だなあと不器用だが誠実な青年は感心する。
「フ。性格の悪い」。剣客はやれやれと笑うが「まあ予想済みだ」という余裕もまたある。
「だが残念ながらお前は賭け皿だの貸しだの無しでも短期決戦に応じざるを得なくなるのさ。”縛りたいなら利益か脅威、
どちらか飛びぬけたモノをまず提示すべき”……フ、正論だ。そしてそれは俺が白状すべき事柄の2点目とも……一致する」
 でしょうね。ミッドナイトは先ほどの総角を思い返す。「強力な能力の数の暴力で押しつぶすのは好きじゃない」と言いつつ、
『それを今からやるしかないのが皮肉だなあ』と自嘲めいた笑いを浮かべていた敵を……。

(4つに殖えた認識票は……あくまで複製能力の素(もと)! 短期決戦に引きずり込む手札(タネ)とは、つまり!」

 そうさ! 総角主税は声の限り振り絞り咆哮する。

「言っただろ! さっきのお前の回答。半分は正解……とな!」

 始動する力。収束する奔流。剣客が4枚の認識票に手を伸ばしたとき世界は撼(ゆ)れる!

「俺の切り札! それは! インフィニット・クライシス! クロス! パーティクル・ズー!」
(やはり電波×大鎧! この2つを挙げて正解率半分だったのは、どちらかが不正解だったからじゃありませんわ)

 ミッドナイトは身震いする。恐怖もあるが歓喜が勝る。

(『更に2つ』! 総角はあたくしが最強と思う組み合わせへ更に……『2つ』! 他の武装錬金を……加えられる、から!)

 無数の電子的な矩形が総角を中心に激しく胎動し……あるべき姿へ編纂されゆく。膨張しつつある超距の力はミッドナイト
をして恐怖を描かせる。(くふっ、久々、ですわねえ! 心のどこかがビビって逃げたくなるほど強いチカラは……!) なのに
ひどい面白味さえ感じてしまう。それは遠い昔、最強(はは)と軽く戦(あそ)んだ赤子時代の勲章(トラウマ)でもあるし、ルーチ
ンワークのように自分を蹴散らしたメルスティーンが、母の仇が、無残なトドメの一撃を見舞うべく狂笑浮かべつつ大刀引きずり
にじり寄ってくる時の絶望感(あきらめのなさ)でもある。

(恐ろしいですが……あたくしは最強の眷属!! 自分を上回るチカラを見れば……勝負でしょう!)

 短期決戦に釣り込むエサは利益と脅威。集いゆく厖大なるフォースクラムはアメとムチを兼ねている。克服すれば栄冠
となる力の棗(なつめ)であり……全力で応じねば破滅する4つのスクラム。

 それに参画せし残り2つは!

「グラフィティ! クロス! ワダチ!!」

(お姉様の黒帯とメルスティーンの大刀!? くっ、確かにこれなら『最強』……!!)

 黒帯は複製した武装錬金を強制成長させる。
 大刀は敵の武装錬金特性を……破壊する。

 発動後すぐ分解を始めたそれらは既に綾なしつつあった武具へ吸い込まれる。

 すなわち。

 1本の剣へと。

 それは錬金術的な意匠こそ施されていたが『日本刀』だった。日本刀といえばソードサムライXだが、両刃造りのそれとは
違う片刃の刀である。江戸を舞台とした時代劇でよく見るものよりはやや短く、代わりに肉厚で反りが強い。
(……古刀。室町後期あたりの『人を斬りやすい刀』。ならベースはメルスティーンのワダチ……じゃないですわね。あっち
は南北朝期の豪壮かつ長大な代物。ベースは恐らくアオフの大鎧パーティクル・ズーの付帯物)

 それは使い手によって形状が変わる武器だ。ミッドナイトの母・ライザが使った時は鎌になり

(総角が使うと日本刀になる……と。源平争乱のイメージが強い大鎧のオプションが室町期の日本刀なのは妙な話ですが
使い手にアジャストしたが故の乖離と……割り切ってあげましょう)

 乖離刀。ミッドナイトはその刀をそう呼ぶコトにした。乖離刀のそこかしこでは赤く縁取られた暗紫の瘴気が爆ぜている。
電波兵器Zの意匠はどうやらそれらしい。90cmたらずの刀が爆発的な蒸気のなか一気に2mほどの刃渡りを獲得した
のは黒帯の成長性と大刀の豪壮を同時に獲得したからか。急激に膨れ上がった質量に、刀持つ総角は一瞬前方へつん
のめりかけたが、そこは自称天才剣士、すぐさま重心を把握し……刀を振る。剣圧の風はミッドナイトに、精神を蝕みそうな
懐かしい電波の匂いを運ぶ。

「フ」。二度三度ぶんぶんと刀を振った総角は長大な剣を正眼に構える。

「俺は切り札を出したが……お前はどうする? 一瞬の爆発濃度薄き長期戦がお望みなら止めはしないが?」
 人が悪いですわね。キツネ指で髪房を弾きミッドナイト。
「その乖離刀……ああコレはあたくしが勝手につけた名前ですけど、乖離刀は

『ブレイブオブグローリー500基分の火力とアリス・イン・ワンダーランドが及びもつかぬ精神操作を兼備する電波兵器Z』



『量子化による運命予期を有する大鎧』

で高めた代物を

『更に黒帯で、”極めた状態”まで向上させ』

しかも

『敵の武装錬金特性を破壊(コワ)す大刀の能力をも』

付与した代物。こんなん相手に必死さ足らぬ長期戦の構えで挑めば……こっちがやられますわ」
 言葉を追うごとにどんどんミッドナイトはゲンナリし、最後は顔上半分が真青の半眼だ。
「フ。だろうな」
「てか貴方アホですの!?」 少女はキレた。いろいろ堪えていたものが決壊した。
「なんですのこの羅列! やりすぎですわオーバーキルですわラスボスに使うべき手段ですわ! 貴方の最終目的メル
スティーンですわよね、あたくしじゃないですわよね!? な・ん・で! 恋人の仇と決着つけたいってだけで来たあたくし
がこんな、こんな、お母さまでも使わないようなおぞましい攻撃と相対しなきゃいけないですの!? あと錬金戦団とか
武藤夫妻とかの武装錬金が1個足りとないのはどういうアレですの! 正史で活躍した方々ガン無視とか無礼じゃなくて!?」
「フ。落ち着け。戦士連中とは遭遇する機会がなかったんだ、『現時点』じゃブレイズオブグローリーとかバスターバロンとか
使えんのさ俺」
「コレが落ち着いてられますの! だいたいワダチはあたくしでさえ攻略できなかった武装錬金ですのよ! それをお母さま
サイフェお姉さまアオフといった最強クラスの歴々が超強化してるとか! どれも100%完全再現じゃないでしょうけど、それ
でも脅威、こわいですわこわいですわ恐ろしいですわ!」
「じゃあやめるか?」
「え」
 総角はケロリとした顔で答える。
「いやコレ、駆け引きとかじゃなくて割と率直な考えなんだが、この戦いの決定権を持ってるのはこの戦いに一番正当性
を持ってるお前だからな。お前は恋人の仇を討ちに来た。俺はお前の恋人を……殺した。それは誤解でもなんでもない
事実だ。この刀……ええと、乖離刀だっけか。まったく常識から乖離してるこのクソ火力に命の危険を感じるなら別に取り
下げてもいいというか、それぐらいの義務はあると思うが」
「そ、それはそれで何か……ヤです」
 ミッドナイトは思わず下手に出た。よく分からないが恥ずかしくなって、小声で呟いた。ぽっと朱が乗った顔へ刺さる敵の
視線が急にからかいを帯びたものになる。察した少女は慌てていい繕う。
「だだだだって、あたくしは最強の眷属ですのよ! 高貴だし! あああとあと、貴方とか貴方の部下のお姉ちゃんになる
予定ですし!! どど、どんな強い攻撃だろうと迎え撃たなきゃ面目立ちませんし、なな、何よりっ!」
「何より?」
 何気なく問い返した総角が顔色を変えたのは
「かっ、加減なんか、弱味につけこんだ加減なんかさせたら…………イフのコトで罪悪感持ってくれてる貴方に対する侮辱に
……なっちゃうじゃ……ないですか…………」
 顔を髪よりピンクなピンクに染めて気恥ずかしげな潤んだ瞳を向けてきたからだ、ミッドナイトが。
(ヌぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!)
 一番ビビったのは小札である。(マズいですこの仕草はマズイです、ただでさえ人間離れしたお美しさでコレをされたら
もりもりさんのお心が、お心がーーーっ!!) 真白になって涙をトバす彼女を「??」香美は心底不思議そうに見た。
(いいコか)(悪の組織の幹部の面構えではないな) 土星の幹部めがけ貴信、無銘といった男性陣の生ぬるい視線がしば
らく注ぐ。だがミッドナイトの世界から彼らはしばらく消えていた。涙で濡れた長い睫をはしはしとさせながら、か細い息をあげ
る少女の視界にいたのは総角のみ。ここまでの戦闘で紡いだ奇妙な相互理解と共感と、絆が、武侠の世界から敵以外を消
し去った。
「フ! フ!」
 やや葛藤を帯びた薄い赤面の、唇に拳あて咳払いする剣客によってやっと現空間にミッドナイトは回帰したが……
「あああ、そうじゃなくて、あのあの、ええと、妙な感情が芽生えたとかじゃなくて今でもあたくしの一番は恋人(イフ)で」
 すっかり崩れ、しどろもどろだ。香美は彼女の様子をぽけーっと見つめてから、言った。
「あのさきゅーび、やってほしくないけどさ、ピンクさ、今ガーっとスゴいの来られたらさ」
「……。確かに討ち取れるだろうが、そーいう決着は最悪だ」
(こーいうところも敵っぽくないなあミッドナイト……)
 悪いコトに囁きが聞こえてしまったらしい。少女はもう真赤である。だが羞恥で座り込むようなら武侠はやらぬ、羞恥を
恥辱と解釈したミッドナイトは総角ゆびさし怒鳴りつける。
「こ! これも策なのでしょう! 最後の激突前にあたくしの心乱すための下賎な罠だって、ここっ、高貴なるあたくしは見抜
いてるんですからね! この卑怯者!! 王八蛋(ワンパータン)!」
(王八蛋(ワンパータン)とはまた汚い言葉を……)
 無銘が呆れる。総角は、
(勝手に自爆しといてなに言ってんだコイツは……)
 つくづくとゲンナリしたが、「そういうコトにしてあげようよ」という部下から視線を受けては仕方ない。
「フ。見抜かれた以上、真向勝負……だな」
「その幼稚園児をあやす保父さんみたいな生ぬるい瞳も気に入りませんが……グダついてても仕方ありませんわね」
 ムッとした様子のミッドナイトだが平静を取り戻す。その数m向こうの空中に居た総角は地上に降りる。大剣を持つ以上、
踏み込みの効くフィールドを選ぶのは当然だ。落下途中の彼を見る武侠はちょっと考えてから……悪意を大いに孕んだ
笑いを浮かべる。

「ところであたくしの奥の手の方がまだでしたわよね!」
「?」

 張り上げられる大声。総角が反射的にそちらを見た瞬間である。事態が、急変したのは。

「!!?」

 気配に横目を這わす剣客。黒い超重のカタマリはもうそこに居た! 長い金髪を何十本か捩じ切ったそれはもう総角の
頬を食い破れる距離に……迫っている!!

「馬鹿な! この期に及んで……」
『不意打ち!? ミッドナイトが!!?』
「ピンク! あんたそんなヒキョーなヤツじゃないでしょ!!?」

 無銘、貴信、香美が騒ぐ中、

(まさか)

小札のみは気付く。

(まさか……ミッドナイトどのの『本当の目論見』、とは…………!)

 重圧の鉄塊はもう止まらない。
 肉の千切れる鈍い音を合図に。総角の喉元から真紅の噴水が撒き上がった。








 決戦場の、遥か遠くで。

 ミッドナイトを派兵した『司令官』。総角たちを騒がせている事件の黒幕とも言える存在を捕捉したのはレティクルエレメ
ンツ木星の幹部、イオイソゴ=キシャクである。見た目は8歳ほどの愛らしい少女だが、その正体は戦歴500年を超える
老獪なくの一である。何でもありの知略戦ならば幹部(マレフィック)で彼女に勝てる者はいない。それはほぼ無限の武装
錬金を駆使する策士にして元月の幹部の総角でも、彼相手にたった1つの武装錬金で互角以上の”読み”を披露したミッ
ドナイトでさえも同じである。「策謀ではまずイオイソゴには勝てない」……そう警戒(おも)わせている。

 仲間の協力を得て各地の防犯カメラから司令官の足取りを追跡してきたイオイソゴの魂はいま、標的から300mほど
西の岩の陰にあった。

(ひひっ。わしら”れてぃくるの備品(みっどないと)を横取りしようとする不逞の輩は……ちと生かしておけんからの)

 筋からいえばミッドナイトは『親の仇を取りにきたが、ハメで無理やりレティクルに加盟させられた』被害者だから、イオイソ
ゴに所有権を、備品呼ばわりで主張される謂われはない。だがイオイソゴの中では忠誠誓う主(メルスティーン)が手を加え
た時点から武侠の身命は組織に帰属する”物”である。

(ま、3年前の事件で『まったく使い物にならなくなった』……いや、『なっていた』というべきかの、兎に角がらくた同然の代物
じゃったとしても、見ず知らずの輩に利用されるのは業腹……じゃからのう)

 よって司令官は暗殺しなくてはならない。正体には色々疑わしい点──3年前、レティクルのアジトで没したはずの幄瀬
みくすなる戦士の可能性──もあるが、そちらについては既に色々考察したイオイソゴだ、今さら深く追求する必要もない
と考える。

(そっちは後回し……対面せぬ限りは。尾行現在、重要なのは2つ。片方は『みっどないとの回収』。わしの推測が正しけ
れば、いま音楽隊と接触している奴ばらめは『本物だが本体ではない』。回収すべき方は恐ろしく目立つ巨体……なのじゃ
がそちらの足取りだけはどうしても掴めん。司令官がどこに隠したか突き止めねばならん。でっどあたりは音楽隊に始末さ
せれば良いと楽観しているじゃろうが、もし奴らが仕留め損ねた場合、つまりは世に放たれた場合、それをきっかけに戦
団連中がわしらの生存に気付くやも知れぬ。よって回収は必須。回収は生死問わず、手に負えねばわし自ら絶息させ本拠
へと持ち帰る)
 もう1つは。
(背後関係の調査。司令官とやらが本当に今回の件の首謀者なのか、そこをまず突き止める。組織。彼奴が率いているに
せよ、属しているだけにせよ、きっちり殲(ほろぼ)しておかねばならんからのう)
 ひひっと笑う老女が思いを馳せるのは、相手方の不幸である。
(貴様らがみっどないとめの生存を知ったのが運の尽き。其れはつまりわしらの生存を知ったという事。7年後まで死んだ
という事にしておかねばならぬ「れてぃくるえれめんつ」の生存を知り得てなお生きていていいのはせいぜい音楽隊ぐらい
……奴らも……というか総角は、我らの決起まで雌伏するのを決めて動いておるから泳がせても問題はない。ないが)

 そういう方策のない組織にレティクルの健在を知られるのはNGだ。協力組織にウワサ1つ流されるのを想像するだけで
慎重なイオイソゴは全身に冷たい恐ろしさを感じてしまう。(戦団に聞きつけられれば……芋蔓式で……)。他にも、「殺し
損ねた信奉者が、悪の組織の手がかりと引き換えに保護を求め」戦団の門戸を叩く危険性だってある。

 よってミッドナイト略取の犯人は関係者ともども始末せねばならない。長年「食べたくて仕方ない」無銘を狙うなら尚更だ、
根絶やさなくてはならない。

(一番楽なのは、音楽隊とのドサクサに紛れる事じゃ。奴らに気を取られている間に背後から撃つ)

 その上で音楽隊自身の隙をつき、鳩尾無銘を掻っ攫い、喰う。幼い嫗(おうな)は漁夫の利狙いである。直接乗り込んで
行っても勝つ自信はもちろんあるが、どうせなら長年待望したチワワ少年を喰える方がいい。

(そのための尾行、そのための窺見(うかみ)。そろそろ奴らの根城の筈。……問題の司令官は)

 岩陰から軽く片目を出す。仮面の存在はいま、森にいた。森の、わりあい開けた広場というべき場所にいた。

(相変わらずの仮面ゆえ背丈は目安にならんが──別人と入れ替わっても分からぬから仮面は便利よ──、歩き方は防
犯かめらのそれと一致、みっどないとに要らぬ干渉をした……本人、じゃな。しかし……気になるのは)

 司令官の傍にいる人影にイオイソゴは眉を顰める。初めて見る顔だった。どの防犯カメラの映像でも司令官は1人で行
動していた。それが、この森に入るや他人と合流した。仮面をつけていない何者かと合流した。

(ホムンクルスであれば『食事』の可能性もある。足のつかぬ家出人を闃然(げきぜん。人気がない)たる場所へと言葉巧み
に誘い出した……だけ、かの? わしも単独行動中ときどき『似たようなこと』をするし……)

 様子を伺う。司令官はその人影に何やら親しげに話しかけている。話しかけられた方の反応はつれない。それでイオイソ
ゴは確信する。

(知己、じゃな)

 やや一足飛びな推理だが論拠はある。今は夜更けだ。夜更けに、仮面をつけたいかにもな輩に、街から遠く離れた森の
中に連れ出されて話しかけられて「つれない」で済むのは知己の証だ。

(甘言で連れ出された者ならこうはいかんよ。聞かされていた事と全く異なる展開に怒ったり怯えたりする。わしの食事前が
だいたいそうじゃし)

 司令官はどうやら知己が大好きらしい。ひっきりなしに喋りかけながら歩いていく。目指す方角は幸いイオイソゴの居る
方とは真逆である。声は大きく、やや蒸し暑い森の夜に残響する。内容までは聞き取れないが司令官は笑っているらし
かった。

(ともかく、『知己』の方も監視対象にすべき、か。錬金術絡み抜きの知り合いという線は……ま、仮面つけてるような輩
と夜の森で合流する時点でないじゃろ。ともすればあやつの方が)

 司令官の上司……なのではないか。関係性を突き止めるため集中した稚い老女の耳に届いたのは

「副官ちゃんー。あちし居なくて寂しかったでしょ? んんー?」
「論拠がわかりません。1人で静かで楽だったのですが」

 といった会話である。

(……副官? 司令官とやらの手下なのか? だが司令官というのはあくまでこちらの仮称、みっどないとを何やら操って
いるらしい様子から取り敢えず付けたに過ぎぬ。つまり……あの『司令官』とやらが所属組織に置いて平(ひら)の可能性
も……。で、あるならば)

 「副官」が『司令官』の上司の可能性はまだ消せない。

(字面を素直に受け止めれば……司令官めの組織のなんばー2? ともかく顔は分かった。人相書きをでっどめに渡せば
足取りが追える。防犯かめらの映像を再検索すればそこから敵組織の全貌も暴けよう)

 遠目だが先ほどチラリと見た横顔を思い出す。薄く水色の掛かったセミロングの髪を持つ、無機質な少女だった。年のころ
は12〜3といった所。夜の彼方からでも輝くような美しさを有しているが、子供らしい明るさは全く感じられない。薄い半そで
でピンクなパーカーに、彩度と明度の高いグリーンのミニスカートはどうも本人の趣味と言う感じがしなかった。司令官に買
い与えられた気配が強い。それほどまでに子供っぽい服が似合わない無機質さだ。

(箱から出したての電化製品、発泡すちろーるから外したばかりの真新しい、てれびとか、びでおのような匂いがするの)

 機械的な印象を強めたのは紺碧の瞳。四白眼だ。イオイソゴは老眼と無縁、アフリカ人と視力検査して引き分け以上に
持ち込めるほどに目がいいから夜半の300m先の瞳が分かった。『副官』は四白眼。大きな瞳の中央に、絞り切ったファ
インダーのような点目を有している。

(一瞬自動人形……武装錬金の類かと思ったが肌はやけに瑞々しい。呼吸も確認した。人間、じゃな)

 スマート……というより些か痩せすぎている体型に「もっと色々喰えばいいのに」と暴食の徒らしい感想を浮かべるイオイ
ソゴ、ここからの方針を……決定する。

(奴らを尾行しつつ、本拠に人相書きをば電信じゃ。らっくす……しっくす? ええと何じゃったけ、でんわみたいなの。どっ
くすじゃのうて、れっくす? みっくす……? ええと、あ、そうそう、ふぁっくす。ふぁっくすで、でっどに送る)

 最善手ではあるが穴のある考えでもある。尾行途中そう都合よくFAXのある場所へ辿りつけるのか? そもそも送信途中、
目の届かぬ場所へ行かれたらどうするのか? 防犯カメラの記録で埋め合わせる……のか?

(ひひ。問題ないよ。わしならば『尾行しつつ電信もできる』。奴らから目を離さぬまま、気取られず、の。さて)

 1つ問題があった。イオイソゴが身を隠している岩陰の前方は司令官達が視認できるのを見てもわかるように『開けている』。
遮蔽物のない、広場なのだ。20mほど斜めに進めば左右問わず森があり、そこにさえ辿り着ければ木に隠れながら尾行で
きるが……辿り着くまでがややリスキー。

(ひひっ。尾行対象が会話中だからと無防備に岩陰から出るのは……ちょいと危険じゃの。大丈夫だと思った時に限って
相手は不思議と振り向くもの、なにやらの戯れで首を反転した相手に発見(みつ)かったりすれば目も当てられん)

 全力で走れば音でバレる。かといって抜き足差し足忍び足では時間(リスク)が増える。

(ま、よくある状況。問題はないよ)

 折りよく月に雲がかかった。月明かりに照らされていた森の広場が俄かに曇る。

 黒ブレザーのイオイソゴの全身がどろどろと溶け始めた。彼女の能力は耆著の武装錬金・ハッピーアイスクリーム。打ち
込まれた物は磁性コロイド溶液……すなわち磁性流体、黒いスライムのような物体と化す。

 やがて漆黒の水溜りと溶け果てた少女は地面に沁みる。浸透した墨状の粘液ははずずり、ずずり、と地中を進む。音感
とは裏腹に速度は速い。前方の鉄分に我が身を吸い寄せているからだ。イオイソゴの尾行とは常にこれだ。物陰から物陰
へと土中または『床ないし壁の中』を通り移動する。数秒で『外』へ戻るため対象を見失うコトもない。

 前進。溶解中のイオイソゴは木の根に絡みつくような動きを取りつつ地上へ昇る。元の少女に回帰したのは岩陰から20
m斜め前の木陰……森の一部だ。

(ようやっと木立が続く。暫くは徒歩にて尾行……)

 木陰から顔を覗かせたイオイソゴが息を呑んだのは──…

 司令官達が先ほどの場所から消えていたからだ。

 そして幼い忍びの背後には。

 稲妻の拳で敵の左肩甲骨……つまりはイオイソゴの急所たる章印への穿鑿(せんさく)を敢行する司令官が居た。

(5つ、分かった)

 ノールックで背後の足元に耆著(きしゃく)──船形の金属片──を打ち込んだイオイソゴは淡々と分析する。磁石の
泥に足を取られたばかりに(イオイソゴの)肩5cm上をすり抜けていく司令官の拳打は涼しかった。

(1つ。幄瀬みくすの「まぎーあ・めもりあ」、やはり特性……変わっておる)

 森の空から輝く粒子が「しくじりの拳」へ収束しつつあるのを横目で確認したイオイソゴは確信する。

(まぎーあ・めもりあ。記憶を読む帷幄(いあく)の武装錬金。それはどうやら今しがた森全域を探っておったようじゃ。地中
を含む森総てをな。じゃから土竜よろしく潜んでおったわしの所在や……出現地点を読めた。みっどないとめの、こんとろー
るを奪ったらしい様子からして変貌は薄々予期しておったが……やはり人間時代の幄瀬みくすのそれより『無機質に対して
は』強くなっとる。わしを見つけた事からして「森の記憶」のみではなく……「森の状態」までも透かせる……ようじゃ)

 そして。

(2つ目は……ひひっ。恐らく地上に出た瞬間のわしにも「まぎーあ・めもりあ」は掛かった筈)

 記憶や状態を読める武装錬金を掛けられるのは普通、ひどい不利を意味する。思惑や弱点を読まれるからだ。よって
幼い忍びは……こう思う。

(『どこまで読めるか』。そこが分かれば使えるわい。司令官の正体あばきに使えるわい)

 何がどう使えるのか不明のまま、イオイソゴの理解した事柄3つ目に移る。

(司令官は純然たる人間では……ないな)

 稲光りする拳でホムンクルスを狩りにくる存在(モノ)がただの人間である訳が無い。ホムンクルス、フランケンシュタインの
怪物、改造人間……何らかの「テ」が加えられていると見ていい。

(4つ目。尾行に気付いたのはこやつの方)

 どうっと衝突してくる司令官の体をイオイソゴは感知したが、視線はしかし別の場所にある。仮面の存在の後ろで細く白い
右足を突き出しているスカート姿の無機質少女に、忍びの目は釘付けられていた。

(副官。こやつと合流してすぐの「まぎーあ・めもりあ」発動は、翻せば合流前の司令官めは全くわしに気付いてなかった証左
足りうる。だってそうじゃろ。司令官めが気付いており、しかも副官と合流するのであれば)

 自分を囮にイソイソゴを奇襲させた筈なのだ。連絡を取り背後から襲うよう頼めばいい。よしんば連絡が取れないにしても、
尾行に気付ける勘があるなら、『副官が待っている場所を』、イオイソゴが通るよう歩けばいい。

(それをせんかった以上、わしに気付いたのは副官の方。推測になるが司令官経由でみっどないとの記憶を知っておるので
はないか? じゃから尾行しているのがわしと踏み、遮蔽物なき場所でどう尾行するか当たりをつけ……先ほど地中に潜まれ
た隙に「まぎーあ・めもりあ」を使うよう司令官に進言または命令し)

 イオイソゴの出現地点を予測。奇襲した。

(で、最後の気付き、5つ目じゃが)

 司令官がイオイソゴに体当たりしたのは自分の意思ではない。その背後で片足突き出している副官を見ればどうしてそう
なったか明らかだ。

(副官めは司令官をまったく畏怖していない。舐めておる。だから蹴り飛ばしてわしにぶつけた)

 全身を磁性流体にできるイオイソゴにとって物理攻撃は恐れるに足らぬ物だ。ドロっとしたスライムになれるのだから、突く
とか殴るは全く効かない。故に衝突してきた司令官の肉体”が”、すり抜ける、びちゃびちゃした粘液を纏いながらすり抜ける。

(っ! こやつ……!)

 ひどい無表情で駆けて来る副官にそれまで余裕を保っていたイオイソゴの表情が僅かに歪む。敵は武器を持っていた。
剣を、持っていた。それはミッドナイトの持っている中国剣でもなければ総角が命運託す日本刀でもない。

(西洋刃……! 矢張りこやつも武装錬金使い! いやそれよりも!)

 恐ろしいのは無機質な四白眼が磁性流体状態のイオイソゴの体をじっと観察している部分だ。ただの剣士ならイオイソゴ
は恐れない。打撃を通さぬ体は斬撃をもほとんど総て無効化するからだ。

(しかし……”ほとんど総て”に過ぎない。例外もまたある)

 エネルギーを纏った刃なら磁性流体状態の肉体を蒸発できるし……

(耆著! わしの体をどろどろにしている各所の武装錬金を断ち割られれば「だめーじ」必須! 耆著を壊された部分が肉体
に戻る以上切断されるのは……当然!)

 そして副官は耆著の位置を把握しているようだった。司令官をぶつけたのはその為だったようだ。液状化した忍びの体の
中でも硬質な、異物を含んでいる部分を見極めるため司令官を蹴り飛ばし、イオイソゴに激突させたようだ。

(やる! 初見でわしの武装錬金への最適解を実行できるとは……! みっどないと……いや、総角級の頭脳!)

 斬撃の瞬間に耆著をズラし事なきを得るという方策もあるにはあった。

(だがこれほどまでに『出来ておる』輩の武装錬金特性は恐らくどころか確実に! 『厄介』! 盟主さまの特性破壊のような、
相手に触れるだけで発動する破滅的な能力じゃった場合、剣を我が身で受けるは正に致命!!)

 磁性流体の粘度で餅のように伸ばした右手を手近な枝にかけ……縮める。ワイヤーアクションのようにふわりと舞い上がった
イオイソゴの足元遥か下を副官の剣が行き過ぎる。さわり。梢を揺らしながら枝に乗り、膝をば前方に突き出す恰好でしゃがんだ
忍びはうっすらとした汗を顔にまぶしたまま副官へ呼びかける。

「いまヌシが蹴飛ばした輩をわしらは司令官と呼んでおるが……そこな司令官を裏切ってわしらに就く気は?」
「ないです」
 ひゅうっと忍びが口笛を吹いたのは、即答と共に繰り出された斬撃の風が、足場(えだ)を根元から切断したせいである。
「ひひっ。これまた随分な忠誠心じゃのう。足蹴にしておいてよくもまあ」
「より嫌いな方を拒むのは当然ですが?」  枝から飛びあがったイオイソゴを幾つかの衝撃波が襲う。動き、避けきったか
と軽く安堵する少女の視界一面を、「そう」、地を蹴り飛びあがった副官の顔が日の出のごとく下から埋める。
「腐ったゴミと、もっと腐ったゴミ。どっちがマシかってレベルの話に過ぎません」
「おお怖い」
 渾身の一撃を、放擲された汚泥の如き溶解で飛びあがって回避するイオイソゴ、副官の頭上を通り過ぎ地面へ着地。相手
を視認すべく振り返った彼女の顔にサアっと掛かった月光の影は倒れこんでくる大木によるものだ。
(避けられようが布石に、かい。直径50せんち程の太い木(やつ)を一撃で斬りよる剣腕といい……全く侮れん)
 磁性流体の体で素通りさせてもいいが、それだと副官の超速攻の追撃を、耆著破壊を浴びるだろう。最善手は……回避。
(なのじゃが)
「ひっどーい副官ちゃん! 蹴ってきたの予想外だし!」
 わざとらしく怒った口調の司令官が、大木を避けたイオイソゴの背後にいる。
(ち。軽く扱っておきながら連携だけは完璧ときておる)
 いまだ雲晴れぬ暗い森をまばゆく照らす激しい電圧を帯びた拳が、腹部から上下に切り裂かれたイオイソゴを通り過ぎ
……倒木に着弾。轟雷が爆ぜ、巨大な炭を作成した。
 ふっふーん。仮面から覗く口元を綻ばせる司令官は副官めがけブイサインを繰り出す。
「これにて終了! イオイソゴ成敗のアシストおっつおっつ副官ちゃん! あ゛! でもあちしを腐った生ゴミ呼ばわりしたのは
怒ってるんだからね! ぷんぷんぷん!!」
「言われてない生ゴミの項まで自ら付け足すのはご自分の真価を把握してきた証拠ですか? その割には」
 木星の幹部の安否さえ満足に把握できてないようですが? 抑揚も礼儀もない物言いに司令官は「えっ」とイオイソゴを見
やる。
「言っておくが」 体を癒着させ直立する、すみれ色のポニーテール少女はやや感服を込めて告げた。
「磁性流体と化せる以上、我が身を上下に裂いて攻撃を避けるのは当然よ。ま、それだけヌシらの連携が絶妙じゃったという
事よ。ひひっ。並みの奇襲なら反応速度ひとつで避けられたが……」
 ぶしゅり。みぞおちの辺りから血を噴く少女は嘆息した。
「司令官めの一撃を分裂にて避けた瞬間、剣風が1つ、耆著を砕いた。ひひっ、特攻されておったら左右真っ二つで死んで
おったかもなあ、わし」
「よく言えますね」。副官は冷たい四白眼で左腕を見る。直径5cmほどの範囲が黒い泥状と化している二の腕を。
「空中かつ大木切断直後の硬直を狙い耆著を打ち込めるような人へ、移動距離長めの正面攻撃など自殺行為です。そこの
腐ったゴミを囮にした近距離からの奇襲でもない限り、あなたに斬りかかるのは避けた方がいいかもです」
「ふふん。生ゴミとまでは呼ばないのは優しさ、だねっ!」
「違います。字数節約です」
 司令官に冷然と答える副官に、(仲は良好……らしい)とイオイソゴは分析する。
「うんうん。あちしの教育どおりにちゃんと育ってるねー副官くん。そうなんだよ、こいつらレティクルはもっと腐ったゴミだよ!
何しろ! このイソゴちゃんと来たら! 人間だった忍びの頃から不老不死だった代わり……」
「人間を食わなければ居られない性癖を持ってた……というのは飽きるほど聞かされています。獣ですね、人類の敵です」
「しっかも愛した人ほど食べたくなる! 信頼を裏切って殺してゴックンしたコト数知れずだよ!」
「根本からの悪です。これからも罪なき人を悪びれもせず殺すでしょう。仮面つけた腐ったゴミ以上のゴミです、斃しましょう」
 総て事実だ。事実だからこそ言葉を投げかけられるたび忍びの心のどこかが……チクチクと痛む。痛むが、流されそうに
なる心を鋼の精神で立て直す。
(ま……否定はせんよ。しようも、ない……)
 愛した者ほど喰わずに居られぬ自分にイオイソゴはひどい負い目を持っている。生まれついての構造的な問題だ。愛せば
愛すほど「好物」になってしまう、そんな人道に悖った生き方しか出きぬ自分がひどく言われるのは……慣れている。
 月はいまだ墨色の水蒸気マクロに遮られている。心を下方に引く暗夜の世界のみが自分の居場所なのだろうと…………
少女は大きな瞳を揺らめかせる。
「でも腐ったゴミでもイソゴちゃんは重鎮だよ、大将首だよ! ここで斃せば確実に奴らの戦力が削げるから、頑張ろうよ!」
 鬱陶しいですね、やや顔をしかめる副官。イオイソゴは……一瞬きょとりとしたが、即座に内心ほくそ笑む。
(成程……! そういう事か……!! 『2つ目』。対話抜きでおよそ見当がついたのは僥倖……!)
 余人には不可解な察しはしかし特定言語である。敵の致命を暴くパスワードだからこそ『知った事実は、伝えない』。学問
の深奥を授かるにせよ、決定的な弱みを握るにせよ、秘密を授かるコツは共通してただ1つ。「何でも知っている」と振舞う
……コトではない。逆だ。自分は無知ですよとそう告げる。言葉ではなく態度で、しかし愚かしさは相手が「可愛いなコイツ」
と思う程度の適切な濃度に抑えて……コチラが無知(した)だとハッキリ示す。されば温情や油断を買える。買った切符は
相手を驚くほど饒舌にする、聞いていない情報さえウッカリ漏らす。無知は必ずしも無能とイコールではないが、人はどこか
で自分の既知を未だ不知とする存在が「下」だと思う生物である……というのはイオイソゴが長い人生の中で獲得した独自の
哲学。故に今気付いた秘密は……敢えて、指摘しない。司令官を油断させ情報を引き出すため、さあらぬ態で、しかし、
不知と遭遇した無知ならば必ずやる自然な行為(といかけ)を…………別の方角へ、行う。
「で」
 大きく澄んだ瞳が向くのは副官。
「貴様は何者じゃ? レティクルが如何なる存在か知ってなお刃向かうのは何故じゃ? わしを悪と断ずる程度の正義が
ありながら、それほどの洞察と剣腕を持ちながら……戦団に与していないのは……どうしてじゃ?」
「忍びに、そういった背景を語るのがどういう意味を持つか、あなたなら分かると思いますが?」
 回答無しか用心深い。不満げな言葉とは裏腹に予測どおりだと笑うイオイソゴの、
「あー、副官ちゃんはッスねー、大事な存在がー、レティクルのせーで、ヒドい目に遭ってるからー、だから怨んでるのだ!」
 イオイソゴの目が円くなったのは司令官の言葉のせいだ。
(……情報を漏らす? 仲間の?)
 不可解だった。しかし困惑を高めたのは副官の「ああ、そういう」という顔のせいである。
(普通こういう状況では『言うな』と言い、言ったばかりに図星だと露見する物……。流すという事は

(1) 別にレティクルそのものに怨みはないが、司令官が嘘をつき惑わしに来ている。
(2) ばらされても問題ないほど縁が薄い
(3) 弱点発見に繋がる過去を暴かれても構わないというほど自分の命を諦観している

のどれか」
 イオイソゴにとって厄介なのはいかにも罠がありそうな(1)……ではない。それならばココからの進行上見抜けるし、逆利
用だって出来る。(2)は調べ辛そうに思えるが、しかしレティクルにとってはよく買う怨み程度でもある。「幹部の誰かの通り
すがりの食事か八つ当たりで人生をメチャクチャにされたレベルじゃろうなあ」で済む。

(もっとも難儀なのは(3)だった場合。(2)とは異なる『深い因縁』を隠し持ちながら、それ故に一矢報いれれば死んでも構
わないと自爆てろじみた精神に支配されている場合……! こーいう輩はわし得意の詐術に掛かり辛い)

 当たり前のような顔で耆著ごと二の腕の肉を削ぎとり原状回復する無表情に(……強い)とイオイソゴは確信する。

「副官とやら……今一度聞く。貴様はいったい何者じゃ? 何が目当てで司令官とつるんでいる?」
「見つかった以上、戦略構想は崩れてますよね」
 無感情な囁きは最初、司令官に投げかけられた物だとばかりイオイソゴは思っていた。味方との立て直しを協議するの
だろうと思っていたが……。
「イオイソゴさんのコトですけど? 影に潜んで、私達と、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズとの戦いで漁夫の利を攫おう
としてたんですよね? なのに見つかったんですよ? 私達から逃げられたとして……不意打ち成功させられますか? こっ
ちは警戒するんですけど……本当に達成できるんですか? 『大事な目的』」
「……言いよるわ小娘」
 口をつく情報(さけび)をイオイソゴはすんでの所で押さえた。自分の年齢の10分の1も生きていなそうな童(わっぱ)に
挑発とも取れる指摘をされたコトに一瞬だが逆上せあがり、「なぜ無銘の件を知っているのか」と詰問しそうになった己を
愧(は)じる。司令官から矛先を変える程度のつもりだった話術が気付けば自爆めいたカウンターになりかけていた点も
含め、老獪な忍びの心は逆立つのだ。
(安いぶらふじゃ。奴は『漁夫の利』としか言っておらん。わしが奇襲せず尾行に徹しておった以上、何らかの漁夫の利を
狙っていると思われるは当然……! 切れる女よ、情報を引き出そうとしたわしを軽く袖にしたばかりか……逆に情報(め
あて)を引き出そうとするとはな……!)
 そうなってくると『自分と無銘の関係性までは知らないのではないか』という確証を得たようなものだが、相手が相手、
知らないと思わせておいて実は知っていた、知らない振りをしていた……といった詐術を忍び故に疑わざるを得ないイオ
イソゴだ。

(ちぃっとマズいのぉ。今ので副官とやらが、鳩尾無銘の周囲に何らかの罠を張ってくるのではないかという想像さえ出て
きてしもうた。漁夫の利を得ようと無銘めへ突っ込んでいくわしの更に上いく「交差法」を用意しているのではないか……
とな。ちっ、相争わせて隙を突くだけの単純な構図が副官めのせいで嬰児(ややこ)しくなってきたわ)

「気が合いますね」。こやつは今すぐココで始末せねばならぬと動きかけたイオイソゴの眼前に副官はもう居た。
(っ! 自殺行為と評した突貫を敢えて!? 予想外! (3)!)
 回避に移る忍びであるが目論見は四肢に絡みつく電気の茨によって封じられる。
「二対一だからねえイソゴちゃん。久々の再会だからもっと話したかったけど、ホラきみ放置すると際限なく厄介だから♪
戦団から幹部たち逃がした時の大博打、とかねー」
 司令官の拳から発される電磁場で動けなくなったイオイソゴめがけ副官の剣が振り下ろされ──…
「くふっ……?!」
 不意に副官が剣を取り落とす。唇からとぷりと血を溢れさせた彼女は何が起こっているのかわからないと言う様子でイオ
イソゴを見つめ……数度の瞬きの後、倒れ付した。
「ひひっ。愚か者めが」。耆著(コイル)の発する電磁場で司令官の戒めをも中和したイオイソゴは副官の頭を蹴り抜いた。
「殺す算段など疾(と)うにつけておったよわしは。2つ目の尋問からこっち貴様などはいつでも消せた」
 からくりはあるが述べるつもりはない。イオイソゴは無言で司令官への追撃に移る。ふわりとした手応えがした。軽やか
に後方へ飛びのいた仮面の存在は木立の間を巧みに縫う。指弾の要領で射出されていた耆著は遮蔽物に防がれた。
「2つ目。ああ成程。耆著を心臓に埋め込んで……いや、そこまで運んでいたんだねー」
 言葉尻を捉えたのは司令官である。幼いくの一は「貴様……」と複雑な目を向ける。微風が、吹き始めた。梢の隙間から
緩やかに動き出す雲が見えた。
「大きな木を切断した直後の副官くんの左腕に君は耆著を打ち込んでいたけど、あっちは囮だったんだね。耆著はもう1つ
あった。別な場所にもう1つ……打ち込んでいた、でしょ?」
(ち。賢(さか)しい輩ばかりか)
 耆著は相変わらず直撃しない。木立を右に左に素早く抜ける敵に業を煮やしたイオイソゴはそろそろ接近戦を考え始める。
「打ち込んだモノを磁性流体へと溶かせる武装錬金だけど、『打ち込んだら即、溶ける』訳じゃないよねー? 溶かすタイミン
グはきっとイソゴちゃんの任意なのだ! でなきゃさっき枝めがけ腕を伸ばせた作用の説明がつかないよネ〜。あの直前、
腕に耆著打ち込んだ気配なかったもん。予め腕の中に埋め込んでおいた耆著で腕を溶けたてのチーズのような柔らかさ
にしてそして伸ばした……」
 変則的な銃撃戦は続く。司令官が舟形磁石を避ける度ひびくカッカッカは木々からの弾着の音だ。
(……正解じゃが…………何じゃこの冷静さは…………? 今しがた知己を屠られたというのにどうしてこの司令官は……
平然としている……? 副官殺しは半ば動揺狙い……悪逆きわまるわしら幹部(まれふぃっく)でも朋輩を殺されれば怒った
り悲しんだりする……。こちら以上に壊れているのか? それともただ…………つくづくと無関心なだけなのか…………?)
 投擲した無数の耆著を追って肉薄……という同時攻撃はイオイソゴの常套だが、敵の不可思議な余裕への警戒心が押し
とめる。
「で、『打ち込んだ物をすぐ磁性流体にする訳ではない耆著』で、副官くんの左腕を敢えて溶かして見せたのは、目を奪うため
の囮。同じ時期すでに彼女の別の場所に『そこを極力溶かさず、なるべく原型を保ったまま』打ち込まれていた耆著を、気取
られぬよう気取られぬよう確実に! 心臓付近へ移動! あとは指令あるまで副官ちゃんの胸の中で待機させてたんじゃ
なーい? あのコ年の割りに、痩せすぎてる割に、脱いだら「ある」しね♪」
(……乳の事はともかく、他は正解)
 わしはぺたんこ、ううう。忍びは胸中ひそかに泣いた。
「スタートはたぶんどっちかの太ももじゃないかなー、太い血管あるし。打ち込んだ瞬間だけちょっと肉を溶かしてさ、血管に
入るやすぐ耆著自体を溶解、細い血管を通るときだけ無痛で周囲の組織を溶かし、通過と共に修復した! ……この、奇
襲のように!」
 それまで木に当たったが最後めり込んで止められていた耆著が、ぬぷりという音と共にカビの浮いた太い幹を貫通し司令官
の耳元を掠めた。イオイソゴが外したのではない。司令官に、避けられたのだ。
(くっ! 突き抜けられないと思わせてからの不意打ちすら躱わすか……!)
 幼い顔を皺塗れにして切歯するイオイソゴは
(まったく腹の立つ相手……! このわしがそう読まれると──…

読 め て い な か っ た と 本 気 で 見 縊 っ て い る……とはな!!)

 司令官が紙一重で避けた耆著が弾けた。「はい!?」。仮面(ヘルメット)の頭頂部右半分にベットリと固着した黒いター
ル状は驚きをもたらしたらしい。

(ひひっ、千変万化の耆著の総てを攻防一度で見切れると思う方が痴(おろ)か!!)
(スローイング中ペイント弾以上の爆裂もできるのかハッピーアイスクリーム!)

 仮面の覗き窓からでもすらわかるほど司令官の目は見開かれた。

(副官めの心臓つぶしを読んだ貴様が、一瞬のみの磁性流体化に基づく物質貫通を警戒(しら)ぬと誰が思うか! 喰らえ!)

 貫通できなかった木は貫通を隠すための囮であり……布石! 時間差の任意で磁力溶液の槍と貸した無数の木々が司令官
へ向かう! マーキングは彼女の頭にべっとりついた耆著! 海胆(ウニ)の怪物と化した森がマグネットに惹かれるまま、伸びる!

 向かい来る無数の切先に愕然とする司令官の体感風圧を折りよく吹いたつむじ風が更に高める。イオイソゴの笑みは勝者の
それだ、輪を描いて舞い踊る無数の木の葉に無関係な「貸本」を想像する余裕さえあり──…

 凄まじい破砕の音が響き……司令官を示す仮面が粉々に砕け散った。
 黒いブレザー姿のイオイソゴはその音を満足げに、うっとりと聞きながら……歌うように囁く。

「これで計画の第一段階……終了」

 じゃろ? 腰の後ろで手を組んだ少女は意地悪い笑みでクルリと振り返り、こう述べる。

「なあ、司令官とやら?」

 激しく息を弾ませ手近な木にもたれかかる敵は、ある箇所を除いてウニ森直撃前の姿のまま……つまりほぼほぼ無傷で
ある。にも関わらず、仕留め損ねたにも関わらず、イオイソゴが大いに溜飲を下げているのは何故か? 司令官は、言う。

「マギーア・メモリア。さっきの森へのサイコメトリーを再びかければ、木にめり込んだままの耆著たちが何らかの次なる攻
撃のため待機状態にあると読める……」
「『と、いう所までわしは読んでおったから』」。年寄りじみた猫背になりながら、忍びは悠然と人差し指を立てる。
「貴様が大一番のため取っていた回避(こころ)の用意を……ひひっ。利用してやったわ」
 少女の背後でチャリチャリと森の地面へ落ちていくのは仮面の破片。司令官の所有物であり、その総てがいま散っている。
 そして……イオイソゴの眼前には司令官。
 つまり。
「やられたヨー」。久々に外気に触れた頬を掻き、司令官。
「真の狙いは……ただ1つ。

あちしの素顔あばき……とは」

 仮面をなくした司令官だが今は夜、折からの曇り空のせいで詳しい素顔は分からない。ただ感服の一言相応の表情は
浮かべているらしいのを気配を察したイオイソゴは「ひひっ」と低い鼻を人差し指で真一文字にこすり……楽しげに笑う。

「耆著で槍となった木々が狙っていたのはヌシそのものではなく、耆著が付着したヌシの仮面…………命が惜しくば、ま、
脱ぐじゃろ。逃げたい方角の反対側にでも放り捨てれば厄介への人身御供よ。どうせ他の策でも避けられるんじゃ、情報
(すがお)1つぐらい暴かねば……割りに合わんよ」
「あれーでもぉ? あちしの胴体のどこかにあの耆著を付着をさせればァ……いやそもそも腐食性の耆著なんだから仮面ご
とあちしの頭をドロドロにして溶接すれば……勝てたんじゃないのかなーイソゴちゃん」
「ひひっ。さっきのでヌシを殺めたかった訳ではないよ」
 優しげな、どこか慈悲のある声は恐怖に駆られ始めた司令官の心を一瞬癒すが、だからこそ更なる奈落へ突き落とす。
「色濃い死の気配を突きつけられた者は凄まじい足掻きを見せるではないか。つまりわしの殺意が却って貴様の救命を
促す……莫迦莫迦しいではないか。なぜわしの感情(おもい)を貴様ごときの助命に役立ててやる必要がある? わしの
心はわしと、盟主様と、仲間達のため役立てる物。今は貴様と、その背景を暴くためにのみ行使されるもの……格下の奇
跡的な生存とやらに一役買う義理など一切無い」
 笑っているが瞳はどこまでも乾いた忍びだ。軽く身震いする司令官に構わず語調の圧を上げていく。。
「芸(すがお)が見たかったから、分かりやすく、手軽な、人生的な場つなぎに、飛びつかせてやったんじゃ。安い閻魔の沙
汰と知れ。助かるため仮面を投げ捨てた以上、死んでも隠したい尊厳(すがお)では無いんじゃろ?」
「……!」 合ってようといなくとも、確実にプライドを傷つける言葉に司令官の余裕が消え始める。
「安いよ。ひひっ、そう、今のは……安い対価で釣り合う程度の攻撃に、過ぎん」
 厳かに歩みを進める幼い忍びに仮面をなくした存在は立ち尽くす。耳朶に響く声は何ら怒気を孕んでいない、ただ絶対的
な準則への厳粛さが……『重い』。
 先ほどのつむじ風は予兆だったらしい。
 風が少し強くなった。司令官は体温を奪われ、震慄する。
(……っ。十重二十重の完璧な読みに16アールほどの森を動員したおぞましい広範囲攻撃が……『安い』……? 並みの
共同体の盟主の、奥義クラスだってーのに? その気になればあちしなんざ簡単に粉ミジンにできたっつーのに……?)
「何を目論んでいるか知らんが、幹部(みっどないと)を攫わねば無理な時点で我々に遠く及ばんのだよお前も、こやつも」
 耆著乱射の煽りで移動していたイオイソゴは戻る。先ほど斃した副官の近くに。
「わしは貴様らの殺害に全力を尽くすつもりはない。何故ならば孱弱(せんじゃく)にして浅はかなる命は此方の軽き尋問の
なか常に熟柿のごとく勝手に糜爛し潰え去る。誰が口中の肉に殺意を向ける? 容易く、噛み切れるんじゃよ、それも、貴
様も、こやつも」
 倒れ付している副官の頭に足を掛け、思い切り踏み砕く。頭蓋骨の砕ける凄まじい音がした瞬間、少女の痩せぽっちな
肢体は殺虫剤を吹きかけられた害虫のような醜い痙攣を描いた。残存した頭はささくれた竹にスイカの汁とマグロのたたきを
かけたような状態だ。残虐な破壊だがイオイソゴはしかとフフンと笑う。初めてかけっこで一等賞を取った子供のような笑みで
破壊を続ける。
「ほむんくるすだと、しても」
 人外の幹部の高出力で以って右肩甲骨を割り飛ばしながら地面に到達した踵は章印のあるべき場所を確実に抉った。
「相ッ変わらずえぐいねーレティクル。あちしが捕まった時よりヒドくなってない?」
 司令官は軽口を叩いたあと「あ」と口を押さえた。
 イオイソゴは……敢えて何も言わなかった。ただ悪戯っぽい笑みを浮かべたまま司令官を直視する。
「あー。やっぱ薄々気付いてた感じぃ?」
「さあ。何の話じゃ?」
 言葉とは裏腹に、幼い忍びはもう確信している。何が揃い、何が欠けているか分かっている。”此処に居る自分”を大将首
と呼んだ時点で疑念はだいたい固まった。そして今の司令官の物言いが確証を与えた。

 速度を上げた風が遂に月から群雲を引き剥がす。月齢は最高潮に近かった。夜の森の梢の麓にすら金色の眩い光を
もたらし……だから司令官はとうとう素顔を見られた。イオイソゴに、見られた。

 ……かつて戦団にはツーサイドテールの少女が居た。少女マンガのヒロインのような大きな瞳を持ち、ガールズスカウト
の恰好をした彼女は長ずるに連れ事後処理班のエースとなった。サイコメトリー能力は偵察にも向いており、そのせいで災
禍に巻き込まれ……身重の姿で死亡した。

 名を、幄瀬みくす。医学的見地における彼女は、胎児だった頃の鳩尾無銘の……母胎である。

 仮面を無くしたその女性は暗がりでは分からぬ程ささやかなツーサイドテール。
 金色の瞳は少女マンガのヒロインのように大きい。

『彼女』はぽつりぽつりと語り始める。

「あちしが……鳩尾無銘の抹殺を命じたのは忌々しい、からだよ。『9週だったものが7週』だったのは……そーゆーコト、
だからね」
「まあ、そーゆーコトになるんじゃが」
 当人にしか分からぬ得体の知れぬ会話である。何やら、あるらしい。
「だが貴様は──…」
 イオイソゴは薄ら笑いを止める。密やかな虫達の鳴き声が急速にボリュームを上げたようだった。
「貴様『幄瀬みくす』では……ないな?」
 え、なんで? 『彼女は』不思議そうに目を細めた。
「ひひっ。確かに顔は一緒じゃよ。声も。3年の月日相応の変化だってある。じゃが……言動は微妙に違う。奴はふざけて
いるようで芯は強かった。拷問されようが悪には屈せぬという強い意志があった。ゆえに奴ならば」
 副官の死骸を顎でしゃくり、イオイソゴ。
「知己を眼前で殺されれば義憤に駆られるよ。何よりあやつは頭が回った。わしはおろか陵遅陵辱に魅入られたぐれい
じんぐでさえ奴には一種の敬意を払った程よ」
「……」
「そんな奴がもし蘇生したのなら、真先にしたであろうコトがある。いざ息を吹き返してみれば身重でなくなっていた妊婦がじゃ、
さいこめとりー能力を持つ幄瀬がじゃ、『お腹の子はどこに消えた』と探さぬのは……絶対におかしい」
「ん? その結果あちしが色々知ったってセンもあるよね? ほら、色々っていうのはさ、鳩尾無銘が音楽隊に拾われたーと
か、その無銘が「あんな方法で誕生した、自分は利用された」とかー、そーいったコトを知ったというセンは?」
「そういう物言いじたい既に貴様が贋物という証拠よ」。イオイソゴは厳かに断言する。
「奴のさいこめとりー能力は、死体に染みた声すら聞き取れる代物。油断ならぬ能力じゃからこそ3年前掻っ攫う直前、
複数の第三者から裏付けを取った、ゆえに確か。ま、そのあと本人があっけらかんと漏らしてきたのは却って警戒材料
じゃが……」
「あはは。本人ならそこを使ってイソゴちゃん揺さぶらないのはおかしいよね。ああでもあちしさ、病気とか拷問のせいで
ちょっと記憶があやふやでさー」
「ひひっ。突っ込みどころもあるが、まあ仮にそうだとしてやろう。じゃが普通なら誰しも考える。『もし幄瀬が息を吹き返せた
のなら……すぐさま「まぎーあ・めもりあ」を自分に掛ける』、と。繰り返すが目覚めた妊婦の腹が萎んでおったのじゃ、まと
もな母性の持ち主なら血相変えて事情を調べる、避妊希望だとしても知りたがる。せっかく責任を負わなくて良くしてくれた
『被害』なのじゃ、周りからの同情やら許しやらを得るために……把握するよ、調査能力がある以上」
「…………」
「そしてわしとぐれいじんぐは……病死直後の幄瀬の前で『何をどういう方針で進めるか』……会話していた。貴様が幄瀬で、
それを把握しうるなら……」
「なら?」
「みっどないとめに鳩尾無銘暗殺計画を漏らしたりはせんよ、絶対。そういう『事情』がある。奴に無銘暗殺を知られれば
確実に敵対すると事前に分かるそういう理由が」
(…………ほー)
 ちょっと情報を引き出せたという表情(カオ)する司令官だったが、この件についてもイオイソゴが数枚上手、である。
(ひひっ。ばかめが。みっどないとの件の論拠はわしらの会話ではない! 別件! その差異に、供出すべき証言の違い
にすら異を唱えられぬのが贋物だという何よりの証s──…)
「それさあ、ひょっとしてだけど、イソゴちゃんたちの会話じゃなくて、ハズオブラブが投与すべき幼体間違えたせいじゃない
のかナー? 君らの会話うんぬんって、あちしが、なぁんにも知らぬって暴くためのブラフじゃないかなあ?」
 軽い呟きに胸中息を呑んだのはイオイソゴの方である。司令官。黒髪をちょんと両側で縛った女性は事もなげに喋る。
「ああ、ハズオブラブってのはいわなくても分かるよね」
「ひひっ。年寄りじゃがそこまで耄碌してはおらんよ。ぐれいじんぐめの武装錬金……衛生兵たいぷの自動人形じゃ」
「そそ。エロいグレイズィングと違って楚々としたドジッ娘だよね彼女。だからあの決戦のとき、バスターバロンがアジトの
踏み抜いて全壊させた衝撃で混乱して慌てて、あちしのお腹の中の子へ投与すべき幼体を……間違えた。ミッドナイトが
無銘に加担する理由ってのは……そこ、だったんだねぇ」
(…………不正解……ではない。じゃがレティクルの中でも4名(はずおぶらぶの人格を無視するなら3名)しか知らぬ情
報をどうしてこやつは知っている……? やはり幄瀬当人……なのか?)
「いやー、さすがに予想できなかったよー。だってさあ、取り違いで鳩尾無銘に投与された幼体って、確か霊獣無銘征伐
のときミッドナイトにひょっこりついてきた”だけ”のチワワでしょ? それにそこまで肩入れするとは予想できないでしょ普通」
(……ぬ?)
 忍びにとって必要なスキルの1つは、『犯人や裏切り者しか知りえぬコトが何か把握し、それは絶対に喋らない』、である。
例えば幼い女児を誘拐したとき、警察官からの「5歳ぐらいの子供を見ませんでしたか」に、「知りません。でも女のコだから
変質者に攫われてないか心配じゃのう」などと答えるのは”無い”。「子供としか言ってないのに、なぜ居なくなったのが女児
だって知っている」となるからだ。犯人でなく通行人Aを気取りたいなら、通行人Aが絶対知らないだろうと相手が思うコトは
……言ってはならない、絶対に。
(その文法で行くと、誤って投与された幼体の出自をこやつが知っておるのは……幄瀬を名乗る女が知っておるのは……
『おかしい』!)
 それは何故か? 幼体投与が幄瀬死亡時の出来事だからだ。
(あのとき奴の周囲でやった会話は”みっどないとに渡すべき幼体を……投与してどうする”のみ! わしもぐれいじんぐも
出自までは触れなかったから……)
 幄瀬が自分をサイコメトリーし、死亡中の会話情報を得たとしても……「ミッドナイトについてきたチワワ」とまでは絶対に
……分からない。
(胎児の方を”さいこめとりー”すれば簡単に分かるコト。幼体投下直後の胎児、じゃからの。人としての記憶はない。さいこ
めとりーすれば幼体の方の記憶が……読める。しかし)
 蘇生した幄瀬の腹部に胎児はいなかった。居なくなった者の記憶を読むのは不可である。
(ばすたーばろん襲来後、息を吹き返せたのなら……或いは、じゃが、しかし幄瀬当人は遺骸として回収された筈。もし奇
跡的に、「回収までの僅かな間だけ息を吹き返せた」としても……)
 瓦礫の下敷きになっている状況で、胎児にサイコメトリーをかけるのは、おかしい。
(百歩譲って、当人しか分からぬ何らかの錯乱でやったとしても、じゃ)
 今度はどうして幼体の、「ミッドナイトについてきたチワワの記憶」を読めなかったかという話になる。
(彼奴についてきたチワワは……みっどないとめが遥かむかし飼っておった”ぺっと”。源平争乱の頃から飛ばされた土星。
奴があの時代に置いてきた犬がどうして1995年の世界に生存しておったかは不明じゃが、みっどないと本人が確信を
持って──犬に死なれやっと思い出せたから、長らくの時を彷徨ってまで再び逢いにきてくれた愛犬に「誰?」という冷たい
言葉を投げつけてしまったという罪悪感が芽生え、そして壊れるほどの──確信を以って愛しい犬だと告げたのじゃ。そ
こは真実)
 真実だからこそ、無銘に投与された幼体の記憶を”読めた”のなら……主人(ミッドナイト)との思い出だけを胸にずっと
彼女を探してきたチワワの生涯を見れたのなら──…

──「ひょっこりついてきた”だけ”のチワワでしょ? それにそこまで肩入れするとは予想できないでしょ普通」

(などとは絶対言えないし……みっどないとめに無銘暗殺を依頼せん!)

 ひどくチグハグだと忍びは思う。司令官、幄瀬本人にしては知るべきコトを知らなさ過ぎて、適当な騙りにしては当時の状
況にひどく詳しい。

(しかもその詳しさは……どうも感情とは結びついておらん。そもそもこやつが取り違えを持ち出してきたのは……)

 イオイソゴの仕掛けたブラフを破るための『手段』に過ぎなかったように思える。

(かけられた”かま”を自分はいなせるのだという、そういう小癪な反撃のため”だけ”に知りうる情報を使った……という感じ
じゃ。そもそもそこがおかしい。じゃって幼体は『胎児の人格を殺し、怪物へと変貌させる』、おぞましき寄生虫! 司令官とや
らが幄瀬当人ならまず嫌悪と怒りで幼体を語る。考えてみるがいい、想い人との愛の結晶としか思えぬ生命を葬り化け物
とする幼体なのじゃ、本来の予定のものであれ、取り違えられたものであれ『妊婦にすりゃそのあたりはどうでもいい』、嬰児
(ややこ)を殺すという点では等しく嫌悪の対象!)

 なのにそういった感情を司令官はまったく見せなかった。『腹を借りて誕生した鳩尾無銘の命は狙っているのに』だ。

(……。分からん。『当時の経緯を知っている理由』については段々わかってきたが)

 記録。執筆。押収。行き交う無数のノートたちが天啓を与えるが

(それらの情報がどうして『鳩尾無銘抹殺』をば……決意させた? 分からん)

 敵意の向かいどころがおかしい。幄瀬本人だとしても、その継承者だとしても。

(以上、0.01秒)

 イオイソゴの回転は速い。相手の言葉に黙らぬのが最もペースを掴めると分かっているから、論戦になるとクロックを
上げる。「我輩を言い負かせるのは彼女ぐらいだろうねえ」とは軍師々々と仲間から持て囃されている羸砲ヌヌ行その
人がレティクルとの決着後ふと漏らした感想だ。

 イオイソゴは、考える。

(幄瀬なれば絶対知りえぬ「取り違え」を漏らしたこと、指摘すれば動揺も誘えようが……敢えて捨て置く。”みす”を仕出か
したと気付かせねば優越気取りの『論破』を引き出せる。その綻びをば手繰っていけば……軈(やが)てはこやつの正体
へと迫れるわい。ひひ)

 大事なのはミッドナイトの話題から揺さぶりをかけるコトだ。

 現況は総角とミッドナイトの争乱を見れば分かる。司令官は「人型の方のミッドナイトの」出奔を許している。

「『怪物の方』にまぎーあ・めもりあを掛けていたのは防犯かめらの映像どおり……」
「んんー? 幼体の取り違えの件を引っ張らないのはどうしてかなあ?」
「引いて損するのはどちらかのう。ひひ。で、どうやら貴様のまぎーあは、完全には対象を読めんとみた。取り違えられた
幼体への思いを僅かなりと感知できたのなら? 貴様が先ほどぶらふ破りに使った情報と突き合せ……『よく分からない
が鳩尾無銘に対する思いは深そうだ、殺害依頼どころか計画すら漏らせない、庇われる!』と考えられた筈じゃ。貴様
は頭がいいんじゃろ? それぐらい、考えられた筈。ひひっ、それとももっと深奥なる策でも……あったのか?」
「あの怪物の方は理性が少なかったから……といっても、信じてもらえないよねー敵だから」
 挑発めいた文言を軽やかに躱わす司令官だが忍びは乗らない。
(愚物め。敵は敵を信じない? ひひっ、巧妙な輩ならまずせん返しよ。苦し紛れの出任せだとばればれじゃ。貴様自身、
『今ココに居るわし』を、大将首だと信用(おも)っておるんじゃから、な! それに気付けぬ輩が信用うんぬんに話を飛ば
すなど、詐術にしても百年早いわ!)
 司令官と副官の奇襲直後に起こったイオイソゴの「気付き」のうち、その2だけは彼女はまだ明文化していない。考える
までもない、直感的なコトだからだ。
(司令官のまぎーあ・めもりあ、物理的な観測面の限界は要検証じゃが、精神的な読みについては『さほどではない』。
怪物(みっどないと)は理性が少ないから心を読めない? 違うな。理性の多寡がそのまま読心の正否であれば、”この”
わしの本質にすぐさま気付けた筈! 『大将首』? ひひっ、ならないよ絶対。”斃されないという意味ではなく、斃せた
としても……ならない”! その辺りの誤認にも気付かず口先三寸で”てれぱしー不可”が隠せると思っている時点で……
甘い! 読めるのはせいぜい脳波や心電図からの『心理状態』、本家たる幄瀬みくすのような正真正銘の読心能力では
ないと断言できる!)
 時には顔色さえ駆け引きになる。
 何やら確信を持ち始めたイオイソゴに、幄瀬を騙る女の表情が薄れていく。
「何より副官に確実なトドメを刺したわしへの反応が甘すぎじゃ。女が、腹に、怪物の種を植え付けた当事者の1人に知己
を眼前で惨殺された反応が、『相ッ変わらずえぐいねー』? 有り得んよ。言葉で済む程度の、憎悪以前の感情しか催さ
ない時点で貴様は違うのだよ。わしと、ぐれいじんぐが、敬愛すら覚えた幄瀬みくす……とはな」
「あー、それはー」
「おっと、わしらから腹の子に何かされたという記憶も無い……などといった弁明は通じんぞ。鳩尾無銘を認識している以
上言い逃れはできんし、何より貴様自身さきほど覚えていると……告げている。取り違えの件もそうじゃし、なにより……

『9週だったものが7週』

……あの時を忘れた者なら絶対に言えん言葉よ。なのに貴様自身の幄瀬への理解は浅い……。ひひっ。知りもせずによ
うもまあ、語れるな? 上辺だけの付き合いだったのか? それとも……直接逢ったコトすらないのかの?」
 司令官が軽く息を呑み後ずさったのは静かに語る少女から濃度の高い怒気が漏れたからだ。
「では貴様は何者か? どこで幄瀬絡みの情報を得たか? ある部分には恐ろしく詳しい癖に、ある部分には聞きかじり
以前の粗雑な把握しか有していないこの天秤棒の不揃いさは何故なのか? 誰のせいで……こうなったのか?」
 『心当たりは1人居る』といわれた瞬間、司令官の顔が強張る。
(ひひっ、若い奴。幄瀬本人を騙るなら『心当たりも何もあちし本人があちしの為にやってんだけど』と白々しいなりにも腹
芸1つ見せるべき。さすれば多少なりと相手(わし)を混乱させられるし……一点張りのきちがい返事で今以上の漏洩は
避けられる。心当たりなどという安い言葉でびくつく辺りが三流よ)
 戦団という組織に属していた女性を、殺した組織に、故人の情報片手に敵意を見せる者など『関係者しかいない』。
そして心当たりという単語は関係者のうち最も縁深い者を想起するだけで吐ける……「犯人はこの中に居ます」程度の
分かりきった宣告だ。それにビクっとなって犯人だとバレる展開など、馬鹿馬鹿しいにも程がある。
(わしなら名指しの超速攻で息の根とめに掛かってない時点で大丈夫だと確信する。幄瀬本人だと騙れなくなった状況に
追い込まれたのなら、外見年齢をタテに、幄瀬みくすの関係者とさえ逢ったコトがないよというカオだってするよ)

 尾行によって司令官属する組織の全貌を明かす……という戦略は、会敵によって難しくなった。ならば本人から直接
情報を聞き出すほかない。

 忍び。用意していた尋問ルートのうちBへ移行。

「うむ。確かに『あやつ』なれば無銘めを憎悪してもおかしくはないが……しかしそっちは”ついで”にするじゃろ『あやつ』な
ら。もし貴様らに碌な戦力がないなら、わしらには勝てぬと妥協して八つ当たりのように鳩尾無銘を狙うのも納得じゃが……
しかし今は幹部(みっどないと)という大戦力を制御しておるではないか。だったら狙うじゃろ、一番の元凶たるわしらを」
 あやふやな代名詞だが、確信を持って読み上げる。具体的な人物名を上げろと逆襲されても望むところだというイオイ
ソゴの心境は、フォースクラムの弱点調査について述べた時のミッドナイトとほぼ同じ。選んだ解答が不正解なら、当たる
まで別の選択肢にカーソルを合わせ続ければいいと……老女は割り切る。尋問とは、出題者御自ら選択肢を消していって
くれるボロいクイズ。
「そう。『あやつ』は無銘を後回しにする。だって『幄瀬との関係を考えると』……無銘の件で最も一番激しく憎むべきはこの
わしと……ぐれいじんぐ。何しろ拷問をやるだけやって、命はまったく救えなかった。死なせた。まったく誰が見ても仇よ。そ
れに比べりゃ鳩尾無銘は投与されて生まれたという点では寧ろ被害者、忌み子として嫌われるコトはあっても、総ての元凶
だとばかり憎まれる事はないよ」
 意義アリ。司令官は手を上げる。
「いかにも鋭い洞察だけどさあ、それってあちしを知る人にとっちゃ「常識」でしかないんじゃないの? だって拷問された
あげく、胎児バケモノにされて、そんで表向きは非業の死だよ? 経緯を知ってる人なら誰でも辿り着く結論を、いかにも
考え抜いた末の洞察、自分は真実を穿っているっていうカオで放ってこっち揺さぶろうとしてるだけじゃないの?」
 論理だけいえば実の所、まったくそうである。イオイソゴの『指摘』は幄瀬の経緯の総てを知っている者にとっての「常識」
でしかない。最大公約数といってもいい。関係者ならば誰しもが「自分の本質を知られている……!」と思ってしまう事柄
だが、個人個人の事情については特に言及されていない一種あやふやな文言だ。

「ひひっ」
 イオイソゴが笑うのは、占いなどでもよくある簡単な話法を見抜かれた自嘲……ではない。
 仕掛けていた、角度の、二者択一に……相手が見事掛かったからだ。
「常識、か。ほーう?」
 くつくつと笑う忍びに言い知れぬ不安を覚えた司令官は軽く狼狽する。
(なんだこの反応……? あちしは何も間違えてない筈、少なくても今の言葉で自分の情報は渡さなかった! 関係者なら
誰でも知っている事柄だと、そう、指摘しただけ……なのに!)
 ミスを犯してしまったような予感に囚われる自称幄瀬に、イオイソゴは念を押すよう告げる。

「幄瀬の胎児に幼体が投与されたというのが、奴の関係者総てにとっての……『常識』? ほーう?」

 風が木の葉を揺らす。司令官の聴覚は鼓膜をざらざらと鳴らす風の音に占められた。彼女はしばし言葉の意味を考え。

(……しまった!)

 歯噛みしたのは……何故か? イオイソゴは緩やかに説明する。角のネズミに爪を少しずつ引っ掛けるネコのような顔つ
きで。

「幄瀬みくすの遺体は死後、戦団に回収された。そのとき確かに腹部には胎児は居なかった。鳩尾無銘となって出奔した
のじゃから……当然じゃ。真実はそれよ、貴様の認識は間違いない。しかし」

 安全を得られる立場を守るため、無害が知りえぬ情報は絶対漏らさぬと誓う毒(しのび)は、各位の立場の既知と不知に
も敏感だ。相手が何を知り、何を知らないか本人以上に把握するコトで得られる情報がある。避けられる、危険も。

「わしが戦団の立場で幄瀬を見た場合、奴が凄まじい拷問を受けていた所までは分かる。確かに、分かる。遺体があるん
じゃからな、腑分けして調べれば何をされたか絶対に分かる」

 犯人だからこそ主観を廃し被害者目線にならねばならぬとイオイソゴは規定する。忍びは闇で一撃加えた輩を別席で慰
め付け込む存在だ。

「ところで検死と言う奴は、持ち去られた物がどうなってるかまで分かるものかの? 違うじゃろう。ひひっ、刳(く)り貫かれた
臓物(はらわた)が犯人の部屋で千切りキャベツと共に皿に乗っているのか、それとも壜(びん)の中ほるまりん漬けになって
いるのか、そこまでは分からんよ。検死の肯綮(こうけい。要点)は忍びと同じく『客観』。判断できるのは欠損部位があると
いう事実のみ、判断していいのは欠損部位があるという事実のみ……」

(まずったよコレくそやばい!) 司令官が青くなるのは──…

「『拷問の痕も生々しい幄瀬の腹に胎児が居なかったのなら』、関係者は十中八九こう認識する! 『拷問途中流れたか』と!
それが常識! 激しい拷問を受けた女! 腹部から消えた胎児! 検死官が示していい2つの客観的事実を聞かされた
関係者はただそれらを最も分かりやすく最も直線的な結論へと統合し……流産だったと結論付ける! 穿った見方が出来
たとしてもせいぜい『悪趣味な幹部連中に……喰われたか?』と疑う程度! 胎児への幼体投与など慮外も慮外、それが
証拠に鳩尾無銘は、ひひっ、戦団に追われていないではないか!」
(そこだよ、そこを見落としていた……!)
 司令官の下唇から血が出るのは噛み締めるからだ。
(関係者たちの常識が幼体投与なら、彼らは無銘をレティクル最後の残党と認識し……殺すまで追っていた! 当時の彼
らの追撃は苛烈、今の月の幹部の身内だって「まだ何もしてないが、レティクルのホムンクルスである以上」とばかり……
殺したという! 犬型ホムンクルスにすぎない鳩尾無銘だって残党である以上、知れば戦士、追っていた!)
 総角はクローンゆえにそのデータはメルスティーンと同一視され気にも留められなかった。小札は……確かにウィルの手
でホムンクルス化してはいたが、決戦終盤だったためそれを示すデータがない。だから両名とも、追われなかった。

 そして無銘もまた、末期のどさくさの中での誕生だったため……戦士の誰にも知られなかった。
 だから回収された幄瀬の死体の腹部に胎児が居なかった理由を戦士たちは──…

 『流産』か『喰われた』で片付けた。胎児が居なくなった理由など普通それしか考えられないからだ。

「なのに司令官よ、貴様はわしの語る『常識』から最も客観的で当たり前なそれら2つの可能性が抜け落ちているコトを一
切指摘しなかった!」 声高らかに弾劾する忍びにもう司令官は有効な言葉を持たない。

「ひひっ。貴様は副官ほどではないがそれなりに賢(さか)しい。己の常識と合致する脅迫を投げかけられれば必ず公約
数的な騙しを見抜くだろうと思っていたよ。じゃが」
(やられたとしか……! この幹部、関係者共通の認識の中に1つだけ『あちしのみが常識だと気付いている真実』を……
剤(ま)ぜた! 常識は人によって変わる、イオイソゴは普通の関係者なら常識とは思わぬコトを、敢えてあちしの目線に
あわせて……さも常識のように嘯(うそぶ)いた! 何のため? 篩(ふる)いのため! あちしが普通の関係者か、それと
も関係者の中でもひときわ特殊な立場の存在(もの)か見分けるため……敢えて常識論任せの脅迫だと……見抜かせた!)

 見抜いたぞと得意満面で指摘するその足元をすみれ色のポニーテール少女は掬ったのだ。このためである、取り違いの
不審さを指摘せず、しかも論破されたかの如く話を変えたのは。コレで司令官は「弁舌を使いさえすれば勝てる」と思って
しまい……常識のくだりで致命的なミスを犯した。

 わし探偵になれるかものう、得意満面の忍びの感興はいよいよ最高、高い声が楽しげに跳ね上がる。

「しかし幼体投与は何者にも知られぬ絶対の秘密ではない! 当時の戦団の状況を考えれば辿り着くコトもまた可能!!
そしてそれこそが! 貴様が幼体の取り違いを知っていた理由!」
(初手からして間違っていた、か! 当たり前のように知っていたコトが普通絶対知りえぬコトだったとか……冗談じゃないよ!)
「当時の資料を読んだな貴様? 3年前の決戦後、戦団が押収した……わしら手製の様々な記録を…………読んだな?」
(厳密には……。いや、大事なのはそこじゃない!)
「わしらの残した記録は厖大なれど、詳述ゆえに精査すれば当時の幄瀬の真実に辿り着くのもまた可能! あれらには
わしらが幄瀬の腹の胎児に幼体を投与するまでの経過が……記されておったからの」
(そう……『9週だったものが7週』って分かったのもレティクルの資料を読んだせい)
「ついでにいうと」。イオイソゴは指を振る。

──「ひょっこりついてきた”だけ”のチワワでしょ? それにそこまで肩入れするとは予想できないでしょ普通」

「あのちわわが土星の愛犬ではなく、たまたま遭遇しただけの犬としか思えなかったのもわしらの資料ありきの話。当然の
話じゃ、みっどないとは盟主様の調整によって記憶を奪われておったからの。”伝令めも”に描く愛犬の姿がまったく知らぬ
ただの犬となるのも当然……」

 その認識しか持ち出せなかったコトが、貴様のマギーア・メモリアがミッドナイトの心を読めていなかった最大の証拠よ。
幼い忍びは言葉で鋭く切り付ける。

「記録で知った情報でしか張り合えない時点で貴様は幄瀬ではないと言い切れる。ならば……何者か? あれほどの文献
を漁ってでも幄瀬死亡の真実を知りたがるのは『あやつ』しかおらぬが、貴様はしかし『あやつ』ですらない。薄い、からの」

 幄瀬の仇(イオソオゴ)と遭遇し、更に今また知己まで殺されておいて……何らの爆発もないのは、おかしすぎるだろうと
幼い忍びは大仰に、いやみったらしく、首を傾げる。
「そりゃあの子じゃないでしょ。あちしはマギーア・メモリアを使えてる。じゃあ誰か、考えるまでもないよね」
(そう。一番の問題はそこじゃ。こやつも総角やみっどないと、らいざといった連中と同じ”まれふぃっくあーす”……なのか?
あーすなれば他者の武装錬金であろうと複製できるじゃろうが、それほどの強者ならみっどないとを攫う理由がわからん。
万全を期した? いや……万全を期するならこの状況でみっどないとを呼ぶ筈)
 イオイソゴが長々と話している理由の1つは、それなのだ。わざと司令官を殺さず延々言葉で甚振るコトで、怒らせ、怪物
のミッドナイトをこの場に呼ばせようとしているのだ。
「どぉかなー、あちしのマギーアは怪物の遠隔操作まで、できたっけかな〜?」
 居直ったかのように幄瀬だと主張する司令官だが、その反応に熱はない。自分(イオイソゴ)が不倶戴天の敵ならば、い
よいよ言葉の上で追い詰められている状況に怒ってもいいのに……”ない”のだ。
(そう。わしへの怨みが薄いのがおかしい。やはりというかこやつ……幄瀬本人を尊重している者の反応ではない。幄瀬
に恩義とか、情愛を感じている雰囲気が、カケラも。身内を殺された領主が無理な弔い合戦をやってるのを500年超の
長い人生のなか何度も見てきたわしじゃが、”それ”に近いの。さほど好きでもない輩の仇討ちに無理やり動員された兵
どもがちょうど今の司令官のような熱量……じゃった)
 やりたくはないが、命令されたから仕方なく…………という感じだが、「ならばそれを命じた輩は……いまどうなっておる?」
とイオイソゴは疑問に思う。司令官は幄瀬の知り合いの、知り合い。つまり……司令官と幄瀬の間に入った人物が居る。
イオイソゴが「あやつ」と仮称する人物が司令官を動員したのが『生前か否か』で話は変わる。具体的には……イオイソゴが
抹殺すべき人数が、1人増えるか、現状のままか……という点で。
(ま、『あやつ』と幄瀬は男絡みでは敵対関係になりえた……しの。その男からの接触の内容次第では幄瀬の親友だった
『あやつ』でさえも幄瀬に乾いた感情を持つ可能性も、いちおうは、の)
 女の美しい友情が、男1つで崩れ去るのも『常識』だ。
(いずれにせよ、狙いが鳩尾無銘なのが……よく分からん。なぜ怨む?)
 幄瀬の直接の知り合いが、何らかの事情で、また貸しのように、仇討ちを司令官に委ねたとしても、ターゲットが無銘なの
はやはり『おかしい』。
「大体、『幄瀬みくすの所業だとは思わせたい』……そういう誘導だけはハッキリしているのが不可解すぎる。まぎーあ・め
もりあを土星(みっどないと)めに使って見せたのもそうじゃし、『相ッ変わらずえぐいねー』辺りの会話もそう」
 んー。こうなってくると逆に幄瀬めを貶めるための”なすりつけ”にさえ思えてくるんじゃが……しかめっ面で上に向かって
圧縮される不等号の双眸を取りつつ額をさするイオイソゴ、吐き出すものはただ嘆息。戦歴500年をしても分からぬコトが
多すぎる。少し別の角度から彼女は……切り込む。司令官が戦団関係者か……否かと。
「幄瀬のせいで死んだ戦士の身内なら……奴の名を貶そうとするわな」
「やっだなーイソゴちゃん。そーいう問いはアチシが幄瀬みくすじゃないって確定してるようなもんだよ! まあ? こっちの
過失とか力不足とかで被害喰らった人なら? あちしが生きていたせいでヒドい目あったぞ最初から生まれてくんなー! っ
て恨んでても不思議じゃないけど」
(……) イオイソゴの眉毛がちょっと跳ね上がった。今まで拙いながらに隠されていた司令官の心の一端に触れたような
気がしたのだ。いや……触れさせられたような、気が。
(真実が紛れてきたせいで却って分からなくなってきた感があるのう。ほかはともかく『最初から生まれてくるな』だけは……
本音? いやだが、幄瀬が嫌いなら、その死の遠因となったわしが『もっと腐ったゴミ』とか副官には教育せん……よな?)
 よく殺したやったざまあアザースwwwで完結するだろう、イオイソゴへの態度は。

 幄瀬の名を掲げるが、直接の仇(イオイソゴ)は恨まず、副産物たる無銘を狙い、なのに幄瀬本人はむしろ嫌いな気配……。

(まったくちぐはぐ……。幄瀬の関係者に人質でも取られているのか……? 事情、思ったより込み入っているは確か)

 分からない。とにかく、どのレベルで幄瀬の名を貶めたいのか確認する。ちょっと中傷すれば気が済むのか、歴史に残る
大罪人にせねば収まらないのか……そのレベルはそのまま幄瀬のもたらした被害に比例する。翻せば、幄瀬のもたらした
被害の、被害者を当たっていけば、この復讐劇なのかどうかも分からぬ幹部強奪事件の全貌が明らかになるかも知れない
のだが──…

「3年前死んだ彼奴の名誉を今さら地に堕とすのは……労力の割に旨味がない」
 イオイソゴは知っている。幄瀬がその調査能力で調べた事柄をタネに戦団上層部を強請っていたコトを。それは「お前の
不祥事に目を瞑ってやる代わり、自分とか現場の仕事をやりやすくしろ、人命は絶対守るから、少々の規律違反は見逃せ」
というホワイト寄りのグレーな脅迫でこそあったが、やられる方としては面白くなかっただろう。実際、煙たがられていたから
こそ、イオイソゴ達に捕まった幄瀬への救援依頼は悉く握りつぶされた。
「仮にお前が戦団上層部の某かと繋がっておったとしても、幄瀬への復讐としては迂遠すぎる。『任務に殉じた戦士』の名
誉はよっぽどの事実がない限り覆せん。『実は内通しており、分け前を巡るイザコザで殺された』ウソ情報を捏造(つく)った
所でまず無理。せいぜいが、軍捩一を怪死させたのが幄瀬の死体などというゴシップに理学的な論拠を提出する程度が
精一杯よ。そうやってウワサ好きの戦士連中に疑惑と悪印象を植えつける程度しか……できんじゃろ」
「ま、そうだよねー。『普通のやり方じゃ』、戦団のあちしに対するありがたい評価は……覆らない」
 ケロリとした、しかしどこか悪意の滲む司令官の顔にイオイソゴは息を呑む。
(何をやっても大丈夫だという確信にも取れるが……)
「…………」
 尋問が始まってから初めて、幼い老女はおよそ0.3秒もの「長考」に入った。口に手を当てじっと何かを反芻する。
(齟齬はもしや……前提の? 『あやつ』が真に願うコト、委託、相伝の行き違い、まぎーあ・めもりあの把握、怪物の制御
……。天王星ありきの性能検証は暴走ゆえに……。つまり総角のところの”みっどないと”は……! 動機は置け、目的
は? わしが司令官なら今ある材料で何を? 無銘への私心(しょくよく)を捨てろわしの常識を捨てろ、わし以外なら何を
欲して奴を狙う、わし以外が奴を狙って得られるのh……敵対特性! 可能。怪物のみっどないと。『あやつ』は止まる、
最後には。つまり暴走、嫌悪の先行、”れとりっく”、司令官の真なる狙いは……!!)

 くの一は表情を押し込める。大事なのはやはり、「無知」だ。気付いたコトを悟らせないのが大事なのだ。だから1秒未満
の思考が長考になるよう絶えず脳を動かすのだ。動かして動かして、まやかしを掛ける。忍び、らしく。

「そもそも、お前が幄瀬うんぬんを唱えているのは戦団ではなく……わしじゃぞ? 彼奴を拷問した悪逆の組織の幹部に
……『当時誇り高く散った幄瀬が今度は復讐の外道になりましたよー』と成り済ます事が、嘘吹き込む事が……幄瀬を貶
めるコトに……なるか?」
「待って待って。土星(みっどないと)を略取されたりー、鳩尾無銘を殺されそうになってるの、気にいらないんじゃ……なか
ったの?」
 司令官の指摘はもっともだが……イオイソゴは「立腹は事実じゃが後は違うよ」と首を振る。ここからはもう言葉で勝つ
必要はないのだ、本音などは幾らでも言えた。
「あれらが本当に幄瀬の仕業なら『ひどい拷問とか、されたからの、そりゃ嫌がらせにも出るわ』と、怒りながらも納得する。
奴個人への評価は……覆らん。奴は被害者、わしら加害者、報復ひとつで「小者があ!」とか幄瀬貶さんよ」
「……悪の組織の幹部の癖に物分りイイっすね」
「よく復讐に来られるからの。とにかく幄瀬に仕返しへ来られたとしても、動機がやや個人的になっただけだと割り切れる。
『戦士側がほむんくるす側に勝負を挑む』点では寧ろ貫いていると……感服しながら始末するよ。邪魔の方は気に入らんし
……説諭しても仲間になりそうにないのがあやつの一番の美点じゃし」
 つまり今回の反攻は、レティクルの面子の持つ『幄瀬への敬意』を挫きうる物でもない。仮に幄瀬の名前で無辜の一般人
を虐殺したとしても、「やっと悪(こっち)側に来たか、素養はあると戦士時代から思ってた」と褒められるのが関の山。

『という論議でいまだ動機に迫ろうとしている』と思わせるのがイオイソゴの真意である。

「ではやはり戦団の中における幄瀬の? いや、違う」
 ならば除却寸前とはいえ土星の幹部を利用するのがおかしいと、イオイソゴは指摘する。
「幄瀬のせいで割を喰った上層部が名誉を回復したいのなら、普通に、レティクルの生存者発見と、そう発表すればいい
だけではないか。発見できる調査能力と、捕縛できる戦闘能力を大いに誇示すればそれだけで大戦士長クラスの権力に
近づける。逆にじゃ。今の状況が露見すれば……つまり、発見しておきながら秘匿し、さほど世界に害を撒いていない流れ
の音楽隊だけ狙った事が白日の下に晒されれば……確実に失職、幄瀬を貶めるどころではない。なのに隠し通せたと
しても幄瀬の名は穢せない。見返りが少ない割に危険だけは高い……狂人ですらやらんよこんな策。狂人なら中傷びら
で済ます」
(…………話には聞いてたけど、この幹部やっべ、すっげヤッベ)
 司令官は知る。自分は「推測」こそできても「推理」は出来ないのだと。この2つが言語学的にはどう異なるか完璧には
説明できない司令官だが、彼女自身のフィーリング的な解釈を言うなら「推測」は常識論を、「推理」は人間的な機微や
事情を、それぞれ組み上げて真実にアプローチする手段である。
(経験から来る『推理』がヤバいねえイソゴちゃんはー。あちしは情報だけで世界知った気になる若者らしいやっちゃだし)
 自分が牽引する作戦行動が”世界”の中でどう思われているのか想像もしていなかった司令官は素直にイオイソゴに感
服した。木星の幹部の文言は、つつけば不完全の綻びが出てきそうだが、もっともらしく言い聞かせる話法は……『使える』
と思う司令官は気付いていない。武装錬金と同じ形の、舟形した木星の心はとっくに敵(きし)から離れて始めていると。
目的への洞察を終えた時点で、あとの会話はもう、目的を知ったという事実を隠蔽するための役割でしかない、片手間の
適当で紡がれた推理に感服している司令官は己の愚かさに、気付かない。ただ己の恣意だけが、あった。

(だいたいまあ──…

『幄瀬みくすの仕業』と思われようが思われまいが、どっちでも、イイしね)

──名前使うのってソレ、ただの嫉妬じゃないですか?

 副官の言葉が蘇る。いつ聞いたものかはちょっと忘れた。

──うんや。『生前の要望どおり』だよー? ”あの人が”世界に刻んで欲しそうだったしー?

 って答えたっけあちし……司令官は思う。

──文書で示された訳でもないのに……よく言えますね。

 副官はただでさえ無表情な顔を更に冷たくした。

──幄瀬の名が後で褒められたら腹が立つ、貶されたら嬉しい……そーんな顔ですよ。ずっと前から。


 うるさいやっちゃなあという顔の司令官に副官はしつこく詰め寄る。無感情のようでいて口うるさい。


──結局、子供のヤキモチなんですよソレは。


──幄瀬が、あなたが大事に思ってた人の、永遠に、『不動の一番』に……なってしまったから。


──”あの人”が貴方を裏切る原動力になったのが……幄瀬だから。


──失敗がほぼ確定している計画に彼女の名を使おうとしている。


──どうせ一番じゃない自分じゃ、”あの人”の願いは叶えられないと思っているから、失敗すると恐れているから


──せめて叶えられなかった時、穢される幄瀬の名前の方で溜飲を下げようとしている。


──道連れに、しようとしている。


──普通に正しく生きて”あの人”の理念を守っていけば、最期の最期、叶わぬ思いだったけど貫けたって思えるのに


──目先の嫉妬で、貫くコトさえ諦めてる。


──…………ホント、バカですね。あなたは。


 一通り痛い部分を抉った副官は、


──だから……あなたみたいなバカを野放しにしておくと後で私にまで累が及びますから……


──乗ってあげますよ。下らない……計画に。


 最後にちょっとだけ頬を染めていたのは自分の願望ゆえだろうか……司令官は今でも分からない。聞いても答えちゃくれ
ないだろうと、無残な死骸の副官を見る。


(ま、あまり喋るコトでもないんだよネ、動機は)

 幄瀬を名乗る女性は笑う。急におかしくなってきたのだ。確かにイオイソゴの推理は凄い。だが……司令官の本当の心
までは結局わかっていないのだ。推理は人間の機微を組み立てる。だがパーツのないプラモデルを仕上げられるモデラー
がどこにいる? イオイソゴが100分の1スケールで仕上げて見せたのは「幄瀬に脅迫された戦団上層部」とか「万が一
生存していた場合の幄瀬みくす」といった経験の中で獲得(そうぐう)したプラモデルであって司令官のキットではない。まだ
上ブタすら取られていない箱の中身を、既存の代物との比較検証で掴もうとする行為、『推理を並べるという名の推測』し
か件の老獪なる忍びはできていない。そこが……おかしい。

(類型があまりない癖に……動機だけはどうしようもなくベタで、人が知れば何でそんなコトで悩むんだって笑うコトで……)

 なのに彼らが同じ立場になれば長い間……ともすれば人生の終わりまで抱えて苦しみ続けるような、そんなありふれた
感情が、土星(みっどないと)を攫わせ……鳩尾無銘を狙わせている。

(老人は若者を真なる意味では理解できんのだよイソゴちゃん)

(情報化社会特有の、知識だけが先走った空虚な恨み……とかはね)

(経験豊富なお年寄りだからこそ……実感(わか)らんよ)

 司令官は心から無銘を憎悪している訳ではない。
 とても簡単な「助勢」だ。義憤でもいい。趣味と実益。付和雷同。人間が人間へ育っていくうち経験する「愛情ゆえの敵意」。

 それは突き詰めると2つの嫉妬で──…


 気恥ずかしい、バカみたいな話だ。
 だからこそ知られまいと心に強く鍵をかける彼女にイオイソゴは尋問を諦めた。

「ひひっ、まあいいわい。『あやつ』に……いや、貴様に、何があったか語らずともいいよ。後は副官の顔で追う」
 殺意を察し雷撃を手から発しかけた司令官であったが。
 その全身がカエルの如く地面にへばりつく。突如として両膝が崩れたせいだ。崩壊は慣用句の範疇を超え物理管轄へ。
磁性流体となって夏場のアイスのごとくトロォリと崩れた足はその上の図体ごと地面に落ちた。

 状況を把握した司令官の顔色が遽(にわ)かに青ざめる。

「あ、あちし始末したら音楽隊とブツけられないよ? 漁夫の利とか得られなく──…」
「気が、変わった」
 笑顔だが、瑞々しい歯の羅列を少しだけ獰猛に尖らせた忍びは告げる。
「敵とはいえ尊敬できる幄瀬(もの)を態度で侮辱した貴様は許しておけぬ。始末するよ、いま、ココで」
 身動きできぬ状態で死刑宣告を投げかけられた者は誰しもが絶望的な呻きと共に俯く。司令官もまたそうだったが──…
(……かかった!)
 表情が見えぬのをいいコトに彼女はただ、笑う…………。



「来たれ。冢擴(ちょうこう)の帥(すい)よ」

 まだ丘のごとく堆積する肉の怪物だった頃のミッドナイトに仮面の司令官は神韻と告げ、そして。




 奔騰する紅煙の中、総角主税は瞠目していた。恋人の仇との『決着』を望み現れた武侠の少女、ミッドナイト。彼女との
熾烈激越を極めた戦いがいよいよ両者対峙からの真向相搏つ最後の激突に到るかと思われたまさにその瞬間、なんたる
コトか総角主税、奇襲としか思えぬ挙措を浴びた! ミッドナイトお得意の重力場が面頬すぐ横に出現したと認識した頃
にはもう遅い。艶やかな金髪が秋に鎌を浴びる稲よりも容易く何本も舞い散り……肉の裂ける音! 喉元からは鮮血さえ
吹き上がったではないか! 策に長けた用心深い総角がまんまと奇襲を受けるなどらしくもない話だが、しかし敵たる少
女は血筋を誇るあまり却って朴強漢より真向勝負に拘る武侠。刹那の攻防の数々において交わした言葉で共感さえも
得始めていたその少女が、よもや最後の最後において『技のオコリの前にて潰す』無粋きわまる所作をはたらいてくると
はどうして疑えよう、どうして考えられよう。慮外も慮外、まさかの先鞭に驚くばかりである。
「やられた!」さまざまな驚きの中、恋人の仇でもあるからむしろされても当然かと奇妙な安堵を交えつつ、やはり生物、
四肢だけは反射的に強張らせる総角だが急速に気付く。

 死角から回り込み彼の咽喉を”かっ切った”重力角の黒い靄! 咽喉仏の上の、穿たれた穴から水平方向へと奔騰す
る出血の煙が『奇妙なもの』に繋がっているのを!!

 口から50cm手前に浮いた『赤い楕円の球』は風船ぐらいの大きさだ。イベントでウサギの着ぐるみが子供に配る風船
ぐらいの大きさだ。
 出血は”それ”に集っている。というより”それ”自体が出血の集積地だった。
 総角の咽喉から溢れ出た生命の潮は、中空で帯状に成型され、楕円形の左側中腹へと、飛び込んでいる。どくどくと収
縮する楕円形であったが、流入による膨張はみられない。送り込んでいるのだ、右側の、中腹から。発する帯は総角の
咽喉に繋がっており、月光に照らされる紅色のさざなみは、楕円球から、傷口への、流れを、持っている。もし金星の幹
部グレイズィング=メディックがこの場にいれば即座に気付いただろう。楕円形へと伸びる左の血の帯は動脈から、楕
円形から伸びる右の血の帯は静脈へと、それぞれ接続されているのを。

 忍法でもありえからぬ幻妖の光景に鳩尾無銘はチワワの面頬をパグのように慄かせた。なんたる奇怪、楕円形に送り
込まれる血は夜目遠目では判別できぬほど闇に溶け切る黒ずみなのに、楕円形から出てくる血ときたらおろしたての
緋毛氈のように鮮やかだ。
 栴檀貴信は前面に出る香美越しに見た。楕円形下部の曲面から、緑がかった泥が、ぼたり、ぼたぁりと、落ちていくの
を。どれも牡丹餅ほどの大きさだ。貴信は10m以上離れているのに、共有するネコの優れた嗅覚が、鉄錆のような、疲
労時の尿のような、うっすらとした悪臭を感得する。

「一種の、濾過……!!」
 震える声に幾つかの視線が集う。小柄な、起伏という概念が那由多の果てにある肢体を包むタキシードの上でわなわな
と震顫する栗色のお下げは間違いもなく小札零その一部。
(……そういうコトか!!)。鼻腔内を漂うアンモニア臭に貴信は気付く。無銘も。楕円級の底面から落ちる牡丹餅大の泥、
それは!!
「そう。老廃物、ですわ」
 桃色のツインテールの右の房を、剣握りつつのキツネ指で払った武侠ミッドナイト=キブンマンリは得意気にまなじりと
口角を釣り上げる。ただそれだけなのに13歳ほどの容貌は月明かりのなか神韻たる美観を帯びる。
「牙茎剣(フィランギ)の武装錬金『レジェンドオブTA・KA・GI』」
声と共にミニ浴衣の少女の胸倉の前で発色し現出したのは異形の剣。
 鍔(ガード)は弓形。まっすぐな剣だが茎(グリップ)は日本刀の反りのように湾曲しており、さらには漏斗型の柄
頭(ポンメル)を貫いてなお、尖りつつ、伸びている。他の武器にはない独特の形状だが、しかし名の由来ではない。フィラ
ンギとはインド語で『外来』を指す。何が、外来か? 鍔から剣先に到るまでの、まっすぐなフォルムだ。非常に西洋刃的な
フォルムのため外来(フィランギ)と称される。
 切先は地面に向いていた。向けたまま浮遊し上下左右にブレて動く。
「特性は一定範囲内に存在する『血液の操作』。斬りつけた箇所に流れが集中するよう念じれば針でつついた程度の傷口
すら大量出血の噴射孔に成りえます。反面、温度を適度にあげれば灸や浴の文法によって免疫力を高めるコトも可能。
いま総角に施したのは──…」
「疲労物質の析出、か」
 子供の膝ほどにまで積みあがった牡丹餅の山を遠望しながら呻いたのは鳩尾無銘。
「そ。中国医術的でいう淤血(おけつ)を清めた訳ですわ」
(確かにもりもりさんの疲弊は濃かった。僅かな時間の濃密な激闘でかなり参っているようだった。でも)
 貴信は、息を呑む。乖離刀、という言葉は遠くで囁くミッドナイトの言葉から仕入れた概念だが、総角がその乖離刀なる
切り札を展開した直後に、『悪い血を良い血』に転換した行動は、なまじ利敵であるからこそ、却って胴ぶるいせざるを得
ない。
(切り札を、万全の状態で振るわれても……勝てると思っているんだ、彼女は……!!)
(うわーん。またいらんコトしちゃいましたわーー! ヘバってる総角じゃなきゃあたくしとて惨敗する可能性はあるのに、
なんで回復なんてしちゃいますのよーーー! でも疲れてて辛そうと思った以上、やらない訳にはいかないし……)
 ぐすん。心の中で武侠は泣いた。
「よーわからんけどさ、ピンクの。ケンカする相手元気にしてヘコむぐらいなら、そもそもケンカやめりゃいいじゃん……」
 とは香美。野性は、くすんでいた総角の生命の息吹が金色へと回帰したのと、高貴に芽生えた葛藤を、一瞥のうち看破した。
「それは」
 姚(うつく)しい武侠の長く畔(くろ)い睫毛が葛藤に揺らめく。
「誇りの問題なのです」。小札は告げた、静かに。「イフ殿を救えなかった不肖たちとの、心における決着は、万全なるもり
もりさんとの真向勝負を経るコトでしか付けられません……」
「ま、片方は……そう、ですわね」
(片方……?)。貴信の疑問を、よそに。
(…………)
 何事か、沈鬱と妥結の入り混じった凄艶の薄目をしていた高貴の少女は、どこか無理の感じられる笑みの浮かべ方を
すると、あとはいつもの塩辛く甲走った早口で元気よく宣告してみせた。
「2つ目は血筋の問題!! 崇高の血を享けたこのあたくしの全霊なる最後の攻勢は、究極かつ万全の『攻撃』にのみ
繰り出すのみ! 『最強』の眷属を名乗る限りは、個人的な思惑はどうあれ! 疲弊し切った不完全なものを軽く捻り潰
して終わる結果など……持っちゃなりませんわ!」
(あくまで自らのためを標榜する、か)
 無銘のミッドナイトに対する感情の色彩が今また明度を上げたのは、一度は『父』と崇めた存在に塩一俵送られたが故
か。「骨髄の造血機能すら促しておりまする……」。失血の灰青をすっかり頬から無くしている総角すら小札の指差しで
彼は見た。
(ミッドナイトは教えようと、している)
 閃光で燃え尽きて落ちるような消え方をした奇抜の剣に総角は思う。
(イフの遺産たるこの武装錬金の使い方を……俺との戦いで披瀝された用法以外の活法を…………ミッドナイトは教え
ようと、している…………)
 それが血液濾過をした『真なる2つ目の理由』だと小札は思う。
(同時に、挑まれてきた『本当の目論見』でもあるのでしょう……)
 恋人を殺した複製能力者に、その恋人の能力の全容を把握させたいのだ。托したいのだ。一歩罷り間違えば不義の行
動だが、堂々の勝負の末に恋人が命を落としたと認識している以上、引渡しを拒むのは高貴に悖る。
(あたくしより使いこなせる者が居るなら……預けるべき、ですわ…………。イフのフィランギが活用され、誰かを救い続
けるのなら……彼の命はきっと、永遠になる。あたくしに出し渋られ、人知れず朽ちてゆくよりは、きっといい)

 秘めたる思い。だが巷間は無粋である。

『っ!? というかなんであの幹部、自分の以外の武装錬金を使えるんだ!?』
 やっと気付きましたの……? 闇なる地平線の彼方まで響く大声に愛らしい顔を大いにしかめつつも、親切なものだ、土
星の幹部は疑問に答える。
「最強の眷属だからですわ。そも武装錬金複製の原点は総角ではなくお母さま……。後継の肉体たるべく開発されたサ
イフェお姉さまやあたくしが複製できるのはむしろ原理的側面からいえば当然…………。高貴なるあたくしに言わせれば
縁もユカリもない総角が他者の物を使えるコトこそおかしいですわ」
(マズいぞ)。地面についた四肢を無銘は後方に引く。怯える。(奴にも複製が可能、と、なると……!!)
 剣一対で無数の武装錬金の大連携大攻勢を寄せ付けもしなかったミッドナイトが、ここから無数の武装錬金の大連携
大攻勢を仕掛けてくるとすれば!
 ああ敗色! 両者の誰が染まるのか!
「安心なさい」。キツネ指がまた桃の房を梳る。
「イフのもの以外の武装錬金は使いませんし……使えませんわよ、今は」
(今は?)
 きょとりとする貴信にハっとした武侠は「雑談が過ぎましたわね」。持ち手の傍に月牙なる三日月刃のガードを、剣先にひ
ん曲がった鈎を有する多刃多尖の剣をば各一本、それぞれ右手と左手で絞り直す。
「ゆきますわよ、最後の激突」
 三角州の眼差しに冷え冷えとした影がかかる。
 総角は、答えない。正眼たる2m超の刀の肌で暗紫の稲妻がひとすじ、ぴりりと散った。

 腹を踏み潰されたアルミ缶のような佇まいで落ちている鉄屑は、トラクター。重力角で圧縮された。それは審判のような
立ち位置だった。8mほどの距離を挟み向かい合う総角とミッドナイトのちょうど中間点辺りに佇むのだ。

 人民解放軍の迷彩柄軍靴が動く。右爪先に抉られた畦の乾土が爆塵と化すころ既に総角、鈎の圏内で振りかぶって
いる。(薬丸自顕流の、踏み込みですわ)。トラクターの塚の傍を駆け抜けた武侠、耳を覆いたくなる猿叫のなか大上段か
ら垂直に振り下ろされてくる地軸両断の豪英を優婉身を引き一重で躱わす。
(フ、ここで)
(追撃(かかり)が来る、前に!!)
 頭上、剣先のフックを、連結!柔らかな足首に二十近い螺旋の皺が刻まれるほどの勢いで以って”回れ右”の軌道に突
入しつつ左手から剣を離す。
(龍巻閃!)
(の、元型!)
 把持を失った陰剣漫理であるが切先の鈎はいまだ陽剣亀文のそれと絡み合っている! むしろ嵌合強度は重力角に
よって更に強まってすらいる! 三節棍ならぬ二節棍を想像せよ、いま旋転する武侠ミッドナイトを追って空を裂き円を
描く多刃の剣は、接合部をカタカタと鳴らしながら確実に加速を蓄えている。恋人を殺した男穿ちうる最終軌道への加速を
蓄えている!
(転身掃棍『参』! ジャッジメントタイム! ですわ!)
 ターンを終えた武侠のあどけない頬の横を毒蛇の如き勢いで通り抜けた剣が猛然と総角に殺到する! 黙過したらもう
剣客ではない。美丈夫は掌を返した。先の振り降ろしの終了で止まっていた乖離刀がバネのように跳ね上がる。迎撃すべ
きものは双鈎で、攻撃の種類は、突き。双鈎の、日本刀で言う『柄頭』にあたる『剣尖』はいま重力角の加工によって、大型
肉食恐竜の犬歯よりも巨きく、心臓外科のメスよりも鋭く磨きぬかれている。

 殺到の速度は音速爆撃機級より速かった。

 攘(はら)う総角。
 剣身が、撓んだ。
 かれから見て右側に、「ノ」の字の形で切先左下に向けつつ『突き』を斬り上げた乖離刀、打点たる刀身中腹の刃の部
分が思わざるひとつの粘強を蒙った。
 実在の日本刀の刃は向かい来る鉛玉をスライスできる。
 武装錬金の刀の刃は埒外の合金をも断つ。
 だがミッドナイトの剣尖の突きは断たれず砕けず、ただただ乖離刀の刃へと粘強に絡みつき鬩ぎあう。むろん要因の大
半は重力角だ。リウシンなる神剣が表面から分泌する九十九折の重力場が総角の斬撃の威力を散らしに散らしているか
ら、『突き』は剛柔併呑の刃にブチ当たっても自らの速度で両断されるコトなく残置している。
 ただしそれは守成の分析に過ぎず創業の解明ではない。
『日本刀の薄い刃に着弾した、連結の剣の、前部先端』を、旋転の勢いがたっぷりと加算した突きを、横滑りの1つもなく
一点に留まらせているものは、創業の源泉は、紛れもなくミッドナイト自身の武術的技量だ。
 捌こうとする刀身の同じ箇所に剣身を当て続けるだけでも神業といえるのに、ミッドナイトは、三節棍的なヌンチャク的な
『フックで絡み合った剣』の柄頭に該当する部位の刃で、行うのだ。なんでもいい、身近な「フック」のあるもの2つ掛け合
わせてみるがいい。それで足ツボへの指圧を試みた場合のかんばしくない結果を体感すれば、二節の剣で刃を圧す技量
と鍛錬の凄さ、よく分かろう。
 総角の日本刀は後ろに後ろに撓んでゆく。『反り』が直刃へと矯正されつつあった。重力角で伸ばされているのではない。
純然の、物理衝撃のみでだ。刀がもっとも強いとされている、『反り』の内側からの攻撃で、刀身を矯めるのだ、伸ばすの
だ。
 着弾地点からは局所的とはいえ風雷が巻き起こる。アーク光のけばけばしい明滅が衝突する男女の端正な顔を照らす。
(フ)。乖離刀に纏わりついていた魔力がようやく伝播を見せた。特性破壊。電波汚染。四種の複製の混成によって現出
した総角主税最大の切り札の有する、現況最強の者たちの特性は、さらに武装錬金強化の武装錬金(くろおび)によって
『現時点において本家が到達しうる』最大の威力にまで高められている。
(それゆえ特性伝えうる時間は……一瞬!!)
 血色の縁を持つ暗紫の茨が陰剣漫理の重力場を飛び散る光象の破片に造り替えたのと、陽剣亀文尖端の鈎頂が連結
を解いたのはまったくの同時だ。特性と制御をいっぺんに失った陰剣漫理がただなる金属の刃として総角の頬に紅の筋
引きつつ後方の闇へと消え去る中、しなやかに沈み込みつつ足裏すり進めたミッドナイト、陽剣亀文尖端の、重力場で肥大
化した鈎を、破壊と汚染のインターバルにある乖離刀の全長に引っ掛け、鍔元めがけ滑らせつつ、掌を返し、持ち主ごと、
宙に舞わせた。
 本来、それである。敵の四肢や武器に掛け、捌き、或いは引き倒すものこそ『双鈎』。
 知っていたようだ。虚空を翻転する総角に驚きはない。乖離刀に量子の青い、無数の、まばゆい粒が集っていく。最強
2名の特性こそいなされたが……背後の闇で銀の花火が、いま、瞬く。陰剣漫理が爆裂したのだ。斬り上げとは、掛かりと
は、脇構えとは、総角主税最大の一撃。それが特性破壊によって重力場を失したリウシンに直撃したからには、無事でな
ど、済まさない。
 特性2つは確かに消えた。だが引き換えにミッドナイトの剣もまた1つ、潰れた。
 条件は、五分。ミッドナイトがいま亡き恋人の異形の剣を左手に出現させたのも、含め。
 握り締めた瞬間、高貴の全身から、赤黒い、一波の剣気が吹いた。津血(しんけつ)を活性させたのだ。血漿と赤血球
をどろどろにしていたあらゆる疲労物質を毛穴から追い出し、血管を拡張、ガス交換をも最尤のペースに導いた。
 卑怯でも、なんでもない。武侠が地道な鍛錬で得た肉体の、パフォーマンスを戦闘開始時点の物に戻しただけだ。薬物
で増強した訳でもなければ、己ならざるおぞましい動植物の怪物の力を開放した訳でもない。死別してなお忘れ得ぬ恋人
の形見によって少女が傷ついた体を癒すコトのどこに卑劣があるだろう。
(あくまで、武で来る、か……!!)
 愛しい恋人の特性で総角を大量出血させる選択とてあったろうに、復仇の道筋からいえば許容の範囲だろうに、あくま
でも少女は己を高めるコトにのみ、拘った。剣客の土俵に合わせ武術のみで戦うコトを、貫いた。プライドと誇りは違う。
最強の眷属という立場に慢心するコトなく地道の鍛錬を重ねてきたからこそミッドナイト=キブンマンリは強いのだ。無援の
弱者から登り詰めた叩き上げの気骨のみ勲章として生きるから、勝ちより美しさを取れるのだ。

(だからこそ俺にとっては超えるべき武の先達!!

 量子解放。2mの刃渡りは百倍された。薄墨を含んだような綿雲が天空で貫かれ放射状に千切れ飛ぶ。
 戦闘場たる畦道を遠くに置く夜中の市街からすら遠望できるライトグリーンの柱が先端で輪を描くような動きを取ったの
も一瞬、表面の光波をギザギザと蹴立てながら、前のめりに倒れこむ。
 見上げるミッドナイトには溢喜しかない。双眸に爬虫類のスリットを嵌め込み、口には細く尖った無数なる牙の羅列。右手
の剣には重力場、左手の刃には血の塊。ともども3m超の刃渡りは雪崩れ込んでくる光の柱を受け止めるには些か心許
ないサイズであれど武術的には最適解。
『長物相手は、懐に』。
 大地に膨れ上がって濃さ増す影に自身も彩られつつ、地を蹴った武侠、一直線の矢の如く、めがける。狙いはただ1つ、
総角本体。『長物相手は、懐に』。巨刀が地表に帳を下ろし切る前に殺到し斬罪すればミッドナイトの勝利、逆に総角の太
刀ゆきが速ければ指呼の彼女は圧潰、敗北。

 いずれに転びうる危うい戦局の、ひりついた愉悦に汗流しつつも快笑していた総角だが異変は、そこで起きる。ミッドナ
イトの背後のある一点を見た瞬間、碧眼はいかなる理由かみるみると見開いた。色彩のやや薄れた目は八割開きの眼差し
に収縮し、葛藤に揺れ、最後には観念したよう、下方せり出す弓の形で静かに閉じる。
 奇策だ、とミッドナイトは思った。無理もない。上から下に迫っていた光の濁流が、もと来た道を、上への軌道を、なぞり
返したのだ、跳ね上がったのだ。誰だって思う。策士らしい土壇場の陰謀が実行されただけ、だと。
 事実は、違う。巨塔の刀が突き毀したのは200mを超える三叉鉾だ。全霊を尽くすため踏み込んだ総角の胴体に中国
剣とフィランギが吸い込まれ、ローマ数字の10を刻む。吐血しつつもなお咆哮し櫂の如く刃を回す音楽隊首魁。かれが己
を見ていないコトにようやく気付き振り返るミッドナイトの網膜を電撃したのは──…

 粉々になった三叉鉾の遥か向こうで空を蹴り飛びのく褐色おかっぱの、少女。

 硬直するミッドナイト。崩れてゆく鉾の破片の隙間を縫った複雑怪奇の光軌が正面に来た。意思で硬直を捻じ伏せ回避
態勢に入りかける武侠であったが、ためらいが、動きを、留める。背後には総角がいる。避ければ、彼に。だが彼は恋人
の仇でもあり……! 
 刹那の悩みは足裏と地面を接合する猶予を暗黒物質に与えるに充分だった。アメジスト色の結晶に機動を封じられた
頤使者兄妹の末席が不覚と不服に頬肉を波打たせ、うっすらとだが涙ぐむ、中。
 巨大な刀が捨てられた。落ちた。同時にミッドナイトの傍を駆け抜けた金色の奔流が眼前に立ちはだかり、リフレクター
インコム由来の大光条を身に浴びた。肩代わりした。田圃を避け、畦道に落ちた巨剣が量子の粒となって消えうせてゆく
中、最後に総角が出したのは成年の日本猫よりやや大きい、カタツムリのような格好をした奇抜の人形。ミッドナイトの脚
を大地に縫いとめていた闇のクリスタルは、奇抜の人形に触れられた瞬間、粉々に砕けた。
「…………フ」
 横顔すら武侠に見せず笑った剣客の背中が、前へ、倒れた。無数の血の帯を引いて倒れゆく姿がミッドナイトにスロー
モーなものとして映った要因は動態視力ひとつに留まらぬ。信じられない。戦意に没頭すればどこまでも切れ長で美しい
瞳を、手品を初めて見た童女のようにただただあどけなく見開く心理の揺らぎもまた緩慢の一因だ。

(助け、られた……? この、あたくしが、恋人の、仇に…………!?)

 剣客は後ろ髪の影を薄めながら、倒れ、掃けた。開拓されたミッドナイトの視界の中、入れ替わるよう、遠くの畦道に着地
したのは先ほどの、代赭(たいしゃ)の肌持つメタルブラックショートボブの少女。ついで両側の田へと水しぶき散らしながら
同時に着地した者は。右翼。眼帯をした筋骨隆々の狩人。左翼。青い肌を持つ身長170cmほどの美女。

 使ってくるとは。ピクリとも動かぬ総角への一瞥を終えるとミッドナイトは歯噛みした。

(『司令官』! 『3年前相次いで落命した』お兄さま達を、使って、くるとは…………!!)

 乳児期のミッドナイトをわずかの間だけとはいえ育て、愛を与えた兄と姉! 
 たとえ遺骸といえど刃を向けるのは心苦しい! それは事実、厳然たる事実!!

(ですが在野の卑劣に利用され辱められる姿を捨て置くコトは誇りに悖る!! 誇り! 眷属の、誇り! 最強に連なる
血族をたかが墓荒らしの傀儡に留めるコトだけは、絶対に! 避けなくては、なりません!!)

 残影すら見せず褐色の姉の眼前に瞬移した武侠は二本の剣を振りかぶる。
 瞬間、深夜の世界は衝撃に包まれた。

 彼方の、森の中。両の膝から下をとろかされ這いつくばる『自称・幄瀬みくす』の女は、言う。

「木星。いいのかなアチシを始末しても。既に放った手の者、今すぐ止められるのはアチシだけ」

(……ち!!)

 双剣を交差させた瞬間だった。ミッドナイトは手元に涌いた結晶によって剣の自由に奪われた。右拳と左拳に発生した
暗黒物質は、両の拳を隔てる60cmほどの距離などまるで無視し、二つを一絡げに拘束した。結晶はどうやら磁力のよう
な、合い吸い合う引力を有していたらしい。武侠は両拳を外側に引くがびくともしない。双鈎を振るえば爆発すら軽がると起
こせる超抜の膂力で以ってしても外れぬのだ、結晶の桎梏は。

(思えば脚を縫い止めたものもそう……! さすがハロアロお姉さま……!!)

 物理ではなく論理が動きを封じている。
 三兄妹は、翔んだ。先ほど総角が出したカタツムリ型の人形と同じ物を百ばかり宙域に残して。
(扇動者の自動人形! あたくしを、足止めに!!)
 慄く間にも兄たちは、角のとれた長い矢印のような軌道の残影となってミッドナイトの、50mは背後に居た者を襲撃した。

(…………!)

 身を竦ませたのは、チワワ。

「木星。あんたが大事に思う鳩尾無銘を殺し手駒にするため音楽隊を襲いに行った者たち、停止できるのはアチシだけ」

 白い障壁が青い肌を弾き飛ばした。群れと連なる真鍮色の鎖が黄銅色の爪を絡め取った。

(……よもやハロアロ殿と戦う日が来ようとは)

 ロバの下賜で走りつつ長身の少女を追うのは小札零。

(……? この男の爪から伝わる『感触』、異質なのに、どこか……!!)
(それにどっかあたしとおんなじ匂いがする……!)

 獅子王のみぞおちに水平とび蹴りを食らわし飛ばしたネコ少女と交替し泥田どぶりと着地したのは栴檀貴信。

(三対三、か……!!)

 同輩二人の加護でどうにか操作が間に合った兵馬俑の、燃え盛る拳で褐色の少女の正拳を受け止めた鳩尾無銘は犬
の口で歯噛みする。

(土星の幹部を襲撃した以上、奴の敵、ではないが……!!)

 敵の敵が味方とは限らない。むしろ敵(ミッドナイト)に味方を一考させたほどの『敵の敵』というのが、彼女一連の言動
から導き出される結論だ。

(しかも三名とも、絶対に、確実に……!)

 忍法赤不動。常人なら一瞬で火の棒にできる獄炎を受け止める褐色少女の拳が脂っぽい黒煙を上げていたのは最初
の数秒だけだ。真皮まで炭と化す第三度の火傷が瞬く間に通常の肌に戻った。驚愕し、火勢を高める無銘。だが少女の
肌は桃色の体液垂れ流す程度に収まり、それも治り、継続する炎の中とうとう肌は僅かに赤ばむ程度になった。

(ミッドナイトと同等かそれ以上の、手練れ…………!!)

 唯一拮抗できていた総角は戦闘不能。残っているのはその総角に全員で掛っても返り討たれる隊員のみ……。

「対する頤使者兄妹はいわば三柱の魔王だよ! 7年後に目覚めるヴィクターさえも単騎で破れる!」
「ひひっ。まあ、そうじゃろう。今の音楽隊ばらが相手取って生存するのは難しい」

 オノケンタウロスの攪乱のすえようやくロッドを青い肌の女・ハロアロの肩口に当てた小札は緊張の笑みと共に絶縁破
壊を叩き込む。青白い電光に包まれスパークするハロアロ。飛びのく小札。神経被覆破壊の度合いを遠巻きに窺った
マジシャン姿の少女は鳶色のどんぐりまなこを見開いた。長身の少女の、ダークブラックのフロックコートから銀を薄く帯
びた水晶がはらはらと落ちる。(ダメージ肩代わりの暗黒物質!!)。目を剥きつつも巻いた紙吹雪を媒介とした、銀の
龍の突撃はしかし、ハロアロの右腕のなめらかな一閃と共に首を断たれ攻撃性能を失う。赤黒い、水銀のような鞭が扇
動者の長袖の口から出ていた。ロッドを構え防御障壁を展開する小札。硬質の音がした。バリアは、割られた。ロッドす
らも中腹から斜めに切断された。

 インコムのビームそれ自体の吸収は容易かった。鎖分銅ジャストミートの瞬間の、エネルギー抜去は概ね円滑に推移
した。問題があるとすれば獲得したエネルギーによる射撃が何らの痛痒も生まないコトだ。貴信が光のツブテと呼ぶ、
ホムンクルス捕食孔から打ち出されるエネルギーの散弾は数分にも満たぬ攻防の中ですら既に何度も命中しているが
偉丈夫の黒いレザーの表面でシュウシュウと白煙を上げるのみだ。ダメージは、ゼロ。一点集中に飛んだ細長い光条
については裏拳で弾き飛ばされる程度には攻撃力を買われているが、身体反射で易々と対処される以上、実用性は
低い。(なら!!)。香美に交替。最大速度で脚を刈ると同時に貴信に戻り零距離から全エネルギー圧縮の大光球を見舞
う。裂かれた。獅子王ビストバイが右手ごと黄銅の五爪を突き上げる両側で、半球が水田に落ち爆発した。

 物理攻撃では無理だ。苦心惨憺の出し抜きの末の胴拍子でようやく切断できた手首が眼前で事もなげに接合された
瞬間、無銘は自分より明らかに年下なあどけないサイフェが容易ならぬ存在だと改めて実感した。
 サッカーボールキックがチワワに迫る。すんでの所で足を兵馬俑が掴む。すかさず固い地面めがけ敢行された叩きつけ
は両耳の傍に両掌をつく、ヘッドスプリングじみた格好によって防がれた。
(効いて、くれよ……!)
 ここでようやく最初の赤不動から3分経過。燃え盛る拳が、焼いた真皮周辺の血管に侵入させていた兵馬俑の細胞片、
『鱗(うろくず)』がサイフェの全身のあらゆる内部で効力を発す。
『敵対特性』。対象の肉体または武装錬金特性を対象に向かって敵対するよう造り替える恐るべきスパイウェア。
 今回対象とするものは、『適応と進化』。
 人体。いずれの部位も常に他の部位から何らかの負荷を受けている。

 両足は全身の重量を押し付けられているし、腎臓は血中の有毒なる老廃物を常に置き去りにされている。
 神経電流など全細胞に対する専横だ。電気刺激で隷属を強制するなど物質の人権を無視している。

 サイフェの体内は負荷に対する叛乱を起こした。両足はみるみると水死体のように膨れ遂には癒合し岩の如く硬質
化した。もっとも楽に体重を支える手段はそれなのだと気付いたようだった。腎臓は老廃物に適応した結果、微量の
乳酸すら吸い寄せる特殊な管を動脈静脈問わず這わせるようになり、繁茂したそれは動脈瘤や静脈瘤と化した。詰まっ
た血管は新たなバイパスを自動生成したが腎臓からの管にせき止められるいたちごっこに陥る。筋肉や骨までも開削
して通り道を作ろうという適応活動は、巻き込んで再生する筋肉や骨と癒着し、サイフェを非常に軟質な、ぶよぶよとした
瘤の異形へと変貌せしめた。
 左様な混乱の中、さらに神経電流への耐性までも得るのだからたまらない。
 少女の体のあらゆる箇所は肥厚し、水分をたっぷりと含み、電気信号を跳ね除ける。跳ね除けられた神経はさらに電流
を強める。
 自らの放つ電流によって焼かれてはケロイド状の隆起で再生を示す、ぶくぶくとした瘤だらけの山岳型の少女はもはや
クリーチャーという他ない存在だ。

(このまま、電気生命体に、なれ……!!)

 カツーン。異形の少女の体内から何かが落ちた。すわ反撃かと息を呑んだ無銘だが正体を目視すると「なんだソレか」
という顔をした。鱗(うろくず)。兵馬俑のスパイウェアの源泉たるカケラだ。浴びて暴走した肉体から排出されるなど珍しい
コトでもない。30ほど散らばっているが少ない方だ。
 サイフェの監視へと眼差しを戻すチワワの無銘。鱗は、ねじれた。ねじれて2つに、分胞した。それもねじれて4つに……
べしゃべしゃとした物音にようやく無銘が視線をリターンしたころにはもう、一帯は収拾という単語の対義の果てにいって
いた。身長30cm。二頭身だ。くりとっした2つの目がいやに大きい、愛らしくも、不気味な、褐色の肌持つショートボブの
少女が、30体ばかり蠢いていた。電気生物になりつつある瘤だらけの生物に特攻しハエのように群がるグループもあれ
ば、もぞおり、もぞおりと、190cm近い兵馬俑の太い足をのぼってゆく一団もある。
(これ、は……)
 無銘のわななきを中断せしめたのは全身に絡みつく重さだ。
「痛いのちょうだい」
「ちょぉだあい」
 8体ほどの小さなサイフェがチワワに抱きついたり、背中に乗ったりする。暴力を加える気配が微塵もないのが、却って
不気味だった。それが歪なる敵対特性に適応した歪なる進化の果てだった。

(敵対特性が完遂してなお、死なぬ、だと……!?)

 チワワの周りの者を忍法薄氷(うすらい)で氷結させ、砕く。蘇る。だけではなく冷凍の波動を全身から放ち始める。(と、
いうコトは……!!)。サイフェ本体に張り付いたグループが電流に焼かれ電流を覚える。その間にも鱗は地面に落ち、
サイフェになる。増える。受けた攻撃を覚えるのみならず耐性不死性を獲得する小さな小さな怪物が。

(もしこやつらが街に出たなら!? 出て錬金戦団の者たちの『様々な特性』を受けたら…………!?)

 確かにいまのところは害意はない。攻撃を加える必要性はない。だが『理性を奪い、暴走させる』類の特性を受ければ
話は変わる。本人は暴走への耐性を得るが、周囲には暴走を撒く。無邪気な悪意の台風の目と化す。

「ビストバイとハロアロだけでも絶望的だけどさー、サイフェ、アレは滅多に倒せない」
(……ひひ。じゃからわしらはあの適応力を擬似再現しようと考えておるが……言う必要はなかろう。『しーえふくろーにん
ぐ』……よほど有能な人材でも入ってこぬ限り実装は難しいしのう)

 さあどうするご老体。音楽隊から遠く離れた森の中で『司令官』は笑う。

「奴らを直ちに停止できるのはアチシだけ。なのに殺したら暴走だよ? 愛しの鳩尾無銘を殺して『素材』にしちゃうよ頤使者」

 うつ伏せに倒れこんだまま首だけで振り向き、色あせつつも得意気な顔で笑う彼女に──…

「んー」。木星は、鼻を掻いた。
「ヌシ、まさかと思うが取り引き……のつもりなのか?」
「え」
 親指が、人差し指を削るよう、弾かれた。耆著の連弾が穿ったのは司令官の周囲50cmほどの地面で、それらは窪み
の黒い点で円を描けるほど多かった。

「取り引きというものは関係者総ての背景を完璧に把握して初めて成立する……。何が誰の泣き所で、いかなる行動が
どのような場合発生するか完全に読みきった上で持ちかけねば、どれほど積もうがどれほど脅そうが無意味……という
のがわしの戦歴五百年の持論なのじゃが」

 点描の円周がどろりと溶けた。潅水に与った泥のように茶色く溶かれた。

「確かに頤使者連中は強いよ。やりよう如何ではわしら幹部にすら勝てる。実際、季(すえ)たるみっどないとも、土星から
は降ろされなかった。あの武侠と干戈を交えて無敗を保てたのは盟主さまのみ、わしも、ぐれいじんぐも、でぃぷれすも、
うぃるも、無敗とはいかなかったよ。重力角で特性を封じられたが最後、あの武術手腕には全く成す術なかった」
 いうてもこっちの特性さえ健在なら程よい割合で勝てもしたが……と、かんらかんら、すみれ色のポニーテールを揺らしなが
ら一笑したイオイソゴは、口元はそのまま、酷薄に目を細める。

「貴様の誤算は『今の』みっどないとを便利な怪物程度にしか思わなかったことじゃ。3年前のれてぃくる壊滅の背景を知り
うる立場にありながら、貴様自身の報復に関わる部分にのみ執心するあまり、当時の他の状況を、正しく把握しなかった
ことじゃ」

 色とりどりの結晶に汚染された腕を振りかぶって襲い来るハロアロにちぢみ上がる小札を救ったのは、蹴り、だった。
橙のミニ浴衣の、丈の短いスカートから零れるスパッツが、青い首筋の右側にめり込み、吹き飛ばした。
「ミ、ミッドナイトどの!? どうして不肖を」

「鳩尾無銘ある限り、あやつは音楽隊に加担するよ。並外れた行き掛かりを捨ててでも絶対に、絶対に……!!」

 両腕を結晶に拘束されたまま小札の眼前に着地した武侠は、横顔に、「あああお姉さまゴメンナサイ」「やってしまった」
「後戻りできませんわもう」「なんでこんな決断するんですのあたくし……」といった様々な表情の連荘をユーモラスに繋げ
ながら、最後に、桃色の前髪で双眸に影を落とし、静かに、告げる。
「…………彼が目を覚ましたらせいぜい伝えるコトですわね」
 指差したのは扇動者の自動人形の残骸散らばる畦道でいまだ昏睡する総角。
「守られた分の借りだけは返す、と!」
 ぼたぼたと農業用水を肌やコートから垂らしながら立ち上がったハロアロめがけ駆け出す土星の幹部に小札は一瞬
「しかと伝言いたしまする」と笑顔で応諾しかけたが、ぎょっと目を剥きそして叫ぶ。
「ととととはいえ相手はハロアロ殿!! せめてその、両手の、拘束ぐらいは、不肖に……!」
 武侠が胸の前で揃えている手に閃光が走り、閃光は血の弧となってあふれた。
 ハロアロの結晶まみれの腕はカマキリのそれになっている。
(本気モード!)
 いよいよ加勢が必要と小札が駆け始めた瞬間である。斬られた衝撃の赴くままミッドナイトは後方へと舞い飛びその
両脚を大きく広げた。左右に、ではない。上下にだ。右足の爪先は頭部の遥か上に、左足の爪先は丹田の遥か下に。
(180度開脚……!)
 兼ねてより披露されていた柔軟性の再放送に息呑む小札は同時に気付く。ミッドナイトの右手から陽剣亀文が消
え失せているコトに!!
「套路は……30…………!!」
 もはや頭上の右足はサソリの尾だ。伸ばしきるだけで足の甲のX軸座標は額の右前方にあったというのに、膝を曲
げたせいでますます額より遠くに行っている。代わりに頭頂部とは近くなった親指と、人差し指が、間に挟んでいるの
はミッドナイトの武装錬金・リウシン。ただし中国剣ではなく弓矢へと姿を変えている。
(重力角によるフォームチェンジ……!)
 直刃に反りを与え、双剣を双鈎とするのがリウシンだ。薄く長い『腰帯剣』に変じた実績もある。今回は短弓のひとつ
黒漆弓だ。アルファベットのWが上下から圧搾プレス器にかけられたような扁平な形はいかにも普通の弓だが、中央部の
弓形器を殷周時代の青銅製に挿げ替えカスタマイズした『気取り屋』な側面もまたある。
 重力の弦につがえたのは言うまでもなくフィランギ、恋人の形見たる牙茎剣だ。本来矢に該当するはずの陰剣漫理が
総角の乖離刀に砕かれているため急遽登板した代用の、湾曲した茎を、ミッドナイト、左足で、引いた。
(なんたる柔軟性…………!)
 足で弓矢を引く! 恐るべき芸当にさすがの小札も実況を忘れた!
「章印に該当するものは頤使者(ゴーレム)にも、あります」
 青銅製弓形器の上下には鈴が付いている。弓反る弓の中央部の内側で、山型の金具に支えられ、付いている。
 よって射つと鈴音が出る。出すのは神霊の加護を求めるからだ。
 鈴が、鳴った。
 迫る矢の剣に対し青い美女は回避行動を取ろうとした! だが! 血液の奔流がそれを阻む! 両の眼球を内側から破
裂させるほど激しい血液の奔流が回避を阻む!! 視界を封じられれば安全圏の選定もクソもない!! 死者とはいえ視
覚に頼らざるを得ない屍の者は突如の暗闇に混乱し、結晶まみれなカマキリの腕にてあらぬ方角を連打する!!
(レジェントオブTA・KA・GI……悪用すればどこまでも怖い武装錬金……!!)
 傍観者の小札さえ青ざめる。フロックコートの右側面から噴出した血がつい今しがた、ハロアロの座標軸を修正したのだ。
弓の放った一撃の軌道上に飛び込むよう、血流噴射で調整したのだ。
 フィランギが帯びた重力角の菱形鏃がハロアロの額を貫いた。勢いは、死なない。剣はそのまま頭部に埋もれた。弓形の
鍔で閊(つか)えて止まった瞬間も、金属が頭骨を砕く盛大な音を奏でた。。
「『真理は死へと』。護符を壊された頤使者は……死者であっても、崩れる…………!」
 すくりと武侠は着地した。
 同時に青い肌の美女が土砂になり、両手を封じ込めていた結晶もまた霧散する。
「ハロアロお姉さまが真に恐ろしいのは扇動者を使った時。羸砲ヌヌ行への敗北を糧に努力した結果、3年前はあのイオ
イソゴ老とすら知略で渡り合っていた」
 それを再現できず暗黒物質に頼るばかりの長女なら、あたくしにだってどうにかできる。確信に満ちた口調であったが、
裏腹の寂しさを小札は鼓膜でひしひしと感じた。が、武侠は感傷に浸らない。地面が揺れた。一本足で短い両手をバタ
つかせる小札の前で不動を決め込んだまま、闇の中の震源を決然と睨む。
「次は……!」

 強い力で、無数の割り箸のような形で隆起しゆく大地の上で右往左往していた貴信が間髪入れずやってきた四方から
の光線に色を失くした瞬間。
「たかが四方でうろたえない!!」
 がなる声が襟首を掴んだ。同時に経験したコトのない黒い暴風が周囲を荒れ狂った。閃光と爆発の中、地面の隆起も
また止まる。不意に襟首が外された。どうにもできぬまま未隆起の平地に尻餅をついた貴信は、いま来援した者をただ
ただ見上げる。。
「ディプレスを倒したいなら最低でも十六方に対応なさい!!」
 厳しく言いつける桃色ツインテールの少女は、両肩で大斧(たいふ)を担いでいた。右肩に銀色の金尊(日本の槍で
いう石突)、左肩の遥か大外に恐ろしく肉厚な斧を上向きにしている全長2mほどの超重兵器だ。庭木の影にすっぽり
隠れそうな肩幅の体がどうして平然と支えられているのだろうと思えるほど巨大で鉄臭い武器だった。
(……)
 戦場の風に髪と服をなびかせ、月光に凛たる怒り眉の顔を照らされる少女はまさしく人ならざる戦姫で、だから庶民な貴
信は思わず見蕩れた。
「またボーっとする!!」
『てかなんであんたあたしらを助けるのさ。きゅーびだけでいいじゃん、きゅーびで』
「それは……っ! 総角に対する気持ちの決着とか最強の眷属としての誇りとか色々……!!」
 赤ら顔で抗弁しかけたとき、眼帯の偉丈夫が間に割って降り立った。
「……」
 末妹は無言で斧を振りかぶった。無数の光線と爪の同時攻撃は、細い細い絹糸のような”すじ”が獅子王の眉の下で
水平に走った瞬間、停止した。
「猟較の心意気を失くした猛烈なだけのビストお兄さまが相手なら」
 眼帯が中ほどから切れて捲れる。遅れて左目に深い切れ込みが出来た。
「左目内部にある護符! あたくし程度にも破壊は可能…………!」
 異骨相の目から上の顔面がズレた。だるま落としのようなズレ方をしながら、体もろとも土になる。
『うげ』
「空間ごと、斬った、か……」
 田園や夜空といった背景までもが切れてズレているのを見た貴信は(こんな風に防いだんだ、さっきのビーム)と理解
する。
「はああ…………」
 彼方で無数の小さな影が水しぶきを上げているのを見たミッドナイトは大きく息を吐き、背も丸める。
「次、気が重いですわ。おもおもですわ……」

 サイフェは500体になっていた。何がどうなって覚えたのか、物をかじるのも覚えていた。「痛いのちょうだい」「痛いのちょう
だい」と言いながらドドドと噛み付きにやってくる群れから泡ふきベロ出し必死に逃げ回るチワワ。田んぼの中を縦横斜めに
駈けずり回ったせいで可愛らしい毛並みは顎も胸も、もうどろどろ。背中に吹きかかった泥濘は走行の発熱でカピカピだ。
(どうすればいい! 攻撃しても減らず、むしろ強くなる群れを、どうすれば……!)
「套路・羅漢銭」
 古代貨幣の形をした、無数の重力場がサイフェの群れのあちこちに突き立った。
「貴様は……!」
 行く手に立つ武侠とて幹部(てき)の1人だ。水田の中央なのも構わず低く身構え唸るチワワ。耳も後ろに撫で付けられ
る。
「ああ、怒る顔も、カワイイ……」。目を三本線に、口をVの字にして和む武侠に「なんの話だ! なんの!」と腹の奥から叫
ぶと、彼女はハっとした。醜態を恥じたのか一瞬”もじっ”と目を逸らすと、キツネ指で右の髪の尾を払い、高らかに笑う。
「特別に助けてあげようってだけですわよ! この崇高なるあたくしと、それなりに見所のある総角との決着に余計な水
を差してくれた『王八蛋(ワンパータン)なる意思』に一泡吹かせてやりたいから、今日は特別! あなたへの襲撃を阻止し
て差し上げますわ!」
(……。総角さんとのやり取りは概ね総て見ている。今さら虚言で謀るタイプではない。こやつは打算があったとしても総て
吐露し尽くし真向堂々叶える女……! 今は穿鑿より共闘すべきだ!)
 いいだろう、手を貸せ……! 尊大に言い放ち、振り返り、群れを見る無銘。背後でツインテが無心の笑顔で手首直角
かつ左踵を腰に当てる類のバンザイをした。「というか」、振り返る。腕を下ろした少女が顔半分に影をかけソッポ向いてた。
「……。先ほどの攻撃、迂闊ではないのか!? いま相手取っている少女は攻撃を受けるたびそれを覚えそれに適応す
る恐るべき存在なのだぞ!! フチを削り鋭利にした投擲武器たる羅漢銭、無策でぶつけたのなら逆効果だが!」
「安心なさい」
 先ほど貨幣が刺さった褐色少女らが一斉に消えた。
「我が套路・羅漢銭は重力角にて超重圧縮をはたらく能力……。刺さったが最後、貨幣型の『場』に収まるよう余剰角と
欠損角によって折り畳まれちゃいますわ」
(そういえば先ほどの総角さんとの攻防でトラクターを空き缶大に圧縮していたな……。それの応用発展という訳か)
 だが向こうはそれにすら適応できるのではないのか? 疑問を呈する無銘に「もっともな疑問ですわね」と得意気に頷いた
武侠はすぐさまさっぱりにっこりと笑う。
「適応する者は適応より速く葬る。基本ですわ♪」
「慣れる前に潰す、か……」
 要するに超速攻の圧縮能力なのだろう。しかも相手は30cmほどの小兵だ。いかなサイフェといえど一蹴は容易い。500
体を切った褐色の少女達は瞬く間に羅漢銭で掃討された。
「ただ、この中に護符持つ本体が居なければ……長引きますわよ」
「? どういうコトだ?」
 やや青い顔で俯きながらミッドナイトは告げる。
「サイフェお姉さまの適応能力は良くも悪くも戦闘中限定ですの。どれほどの進化適応を遂げようとも、戦闘が終われば元の
愛らしい、ぷにぷにしたお姿に戻る。そして戦闘終了の定義は『昂揚の終了』。満足や慈悲、気絶といった現象で昂揚が途切
れた場合、適応進化した体はすぐさま元に戻りますの。護符有する本体への刺激が一定時間途切れた場合でも、執着のない
お姉さまは「ああ戦いは終わりなんだ」と戦闘状態を解除する。元の体に、戻る……」
「つまり護符有する本体を完全消滅させない限り、たとえ敵対特性を浴びせていても!!」
「一定時間経過で『敵対への適応』が終わる! 元の姿に……戻る!!」
 破裂した風船のようだ。音もなく背後から破砕された兵馬俑を無銘は惘(ぼんやり)と見るほかなかった。三叉鉾の変じた
鋭角なフォルムの鎧によって超高速で飛来した黒ブレザーの褐色少女がきらきらと笑いながら正拳を差し向けてくるのを
見てもなお体は、動かなかった。知りうる世界の範疇を余りにも逸脱した奇襲に脳髄が痺れ動けなかった。
「套路・神行破陣猛火刀牌(しんこうはじんもうかとうはい)!」
 盾、だった。上半分には龍の顔がレリーフされており、その角の形に合わせるためか、上部の5分の1ほどはV字に刳り
貫かれている。鎧の少女の鉄拳を受け止めたのは恐ろしく目の大きい龍の顔だ。離脱を試みるサイフェ。だが神行破陣
の表面を満たしゆく重力場は許さない。『角』で複雑に折り畳まれた重力が拳を絡め取る。前進も後退もできないサイフェ。
むろんいつかは束縛に適応し破りうるのが彼女では、ある。
 だが神行破陣猛火刀牌は盾であると同時に盾ではない!
 元は明代の、『対・火器戦車兵器』! 一見すると防具だが下部にはしかし、穴が多い。縦横各6つ、合計36もの穴があ
る。性格としては、機動隊が愛用するライオットシールドの、上部に開いた長方形のものに近いがしかし覗き穴としての役
割は有さない。あれは、拳銃の横撃ちが実務的側面から容認される数少ない例の1つでも、ある。盾から出ずに銃撃する
ための、拳銃を横に通すための、穴なのだ。
 神行破陣猛火刀牌下部に存在する36もの穴もまた射撃のため存在する。穴はただの穴ではなく、盾に刺さった筒の穴
なのだ。薬筒といい、燃焼性火薬を詰めるためのものだ。対・火器戦車──砲身とキャタピラのある『戦車』ではなく、馬に
引かれる車輪付きの──において神行破陣猛火刀牌は上部で砲撃を防ぎつつ距離を詰め、下部からの花火じみた火薬で
攻撃する兵器だ。
 ミッドナイト発した薬筒に詰まっているのは言うまでもなく重力場。羅漢銭と同系統の『接触即、折り畳み』の重力場の弾丸
であるが、羅漢銭と決定的に異なるのは……『威力に、カウンターをも加える』。盾が浴びた衝撃を重力変換し『場』に加え
弾丸を強めるのだ。そしていま受けた一撃はサイフェ自身の壮絶極まる膂力と加速がたっぷり乗った物。
 褐色少女の全身36箇所に着弾した猛火刀牌の攻撃は、適応の発生よりも速く彼女を圧縮し土くれに還した。
「サイフェお姉さまの最も怖いところは、無邪気ゆえの戦闘意欲。パターンとスペックを死体袋で擬似再現しただけのサイフェ
お姉さまだからこそ適応前の抹消が叶った。本当のお姉さまなら戦闘意欲ひとつで適応速度を上げた。神行破陣猛火刀牌
36の同時砲撃にすら瞬く間に適応し……生存を、勝ち得た」
 盾が光の枠と成り、細まった。剣へと戻った我が武装錬金を慣れた手つきでヒュンヒュン回し血や泥を払ったミッドナイトは
「日、改めるべきですわね」。振り返って呼びかける。視線を追った無銘は、小札と、それから喪神の総角に肩を貸す貴信を
暗夜の中に認めた。
「次に逢うときこそ、決着、つけさせて頂きます」
 少女、剣から鮮やかに変化した腰帯剣に包まれその場から消えうせた。

 荒れ狂う夜半だった……。ようやく鈴虫が再び鳴き始めた静かな田園地帯で、音楽隊一同は息を吐いた。小札は力なく
畦道に座り込み、貴信はいまだ喪神状態の総角を見る。

「……ん?」

 無銘だけは気付く。ミッドナイトが最後に消えた場所。田圃の際の雑草の上に四つ折の紙片が落ちているコトに。

(なんだコレは? よもや……『司令官』とやらからの、指令書…………?)

 草で泥を綺麗にぬぐいさった前足で紙を広げた無銘は「…………!!?」。予想だにせぬ驚天動地の内容に瞠目した。

 1時間後。広い河原で、音楽隊の面々は焚き火を囲んで話していた。
『っ! じゃあアレでも万全じゃなかったのか、ミッドナイト!』
 フ、そうさ。部下の諸々の回復能力で応急処置以上の加療を得て復帰した総角は、紅蓮の暖の中を棒でかき回しながら
ゆるやかに、明確に、解説する。
「ミッドナイトが使う『複製武装錬金』は、手数増加よりむしろ身体能力向上に使うのだが、どうも今回それは切っているよう
だった」
「たとえば『筋力増強』を特性に持つ西洋大剣『アンシャッターブラザーフッド』のような、ステータスアップの武装錬金をば
使用されるのがミッドナイト殿でありまするが、先ほどの決戦は持ち前の筋力のみで戦っておられたようでして」
(あれで、未強化……なんだ……)
 貴信が到底勝てぬと思う総角を、剣とその特性だけで圧倒し、更には乱入してきた恐るべき者たち3体をも事もなげに
打破したミッドナイトが、『最強の、状態』ではなかったという。貴信はただただ唖然とするばかりだ。
「……? 身体能力向上に武装錬金を使うというコトは、総角……さん、あの幹部もまた常にダブル武装錬金を……?」
(なんの質問してんのよきゅーび)
(核鉄を1つしか使えなかったら『剣の武装錬金の腕前』を『他の武装錬金で強化』するのは不可能ってコトだな! だから
常に核鉄を2つ使っているんじゃないか、1つはメインで1つは補助じゃないのかって鳩尾は聞いてる訳だ)
 実際さっきの戦闘中、剣と同時に、恋人の人の武装錬金を使っていた訳だし……貴信の説明に香美は相も変わらず疑問
符ばかり連呼する。
「フ。核鉄は1つだ」
 じゃあどうやってあの血液の剣と併用を? 首を傾げる無銘。
「そこは複製の仕組みの違いだな。そもそもアイツは俺のように『武装錬金で』他者のものを複製してる訳じゃない。奴は
『頤使者(ゴーレム)』で、複製もまた頤使者固有の能力で行っている」
『ゴーレムっていうと……土をこねて作る、魔術人形的な……? 大きくて硬くて防御力の高い』
 理解が追いつかない様子の貴信に「あれも錬金術の産物なのです実は!」と小札が助け舟。
『成程……。それなら武装錬金を複製できるかもだけど……その、仕組みというのは……?』
「言霊だ。頤使者の核たる護符に刻む、言霊だ」。総角は指を弾いた。
「『再誕』。ミッドナイトの言霊だ。死したる者やその能力を蘇らせるのが、彼女に生まれつき与えられた固有の能力なんだ。
複製はその言霊で行っているんだ。閾識下……『死者の能力』がたゆたっている空間に、武装錬金ではなく、頤使者の能力
でアクセスして目当てのものを引っ張ってくるから、だから核鉄は不要なんだ。核鉄いらずだから幾らでも同時に発動できる
んだ」
 死者の世界から引っ張ってくるとなると……貴信は香美に挙手をさせた。
『ミッドナイトが複製可能な能力の、ジャンルって』
 鋭いな。フっと笑った総角は朗々と告げる。
「明察の通りだ貴信よ。彼女が使える能力は『死んだ者のそれ』にのみ限られる。平たくいえば俺やお前が生存している限り
ミッドナイトは認識票や鎖分銅を複製できない」
「複製というより降霊の側面が強いな……」
 無銘は呻いた。イタコが、霊の、たとえば包丁捌きだけを憑依させるような趣がある。
「問題は、だ」。総角は難しい顔をした。「ミッドナイトがその”降霊”をしなかったのか、できなかったか、かだな」
(ステータスアップを敢えてやめたのか、それとも、したかったけど何らかの要因で不可能だったのか、という話だ香美)
(うん! さっぱよーわからん!)
 腰に両手当てるネコ、快晴の笑いを浮かべた。無銘はやや複雑な顔つきで、
「こればかりは本人に問うほかないでしょうね、総角さん」
 一同は黙った。『次に逢う時は決着』そういい残し鮮やかに消えた時の土星を思い出した。
「ところで焼き魚っていいもんですわね。庶民の発案にしては美味であると褒めて差し上げますわ」
 串と火のよく通った川魚を横向きにしゃぐしゃぐと齧る作業を終えるなり、ミッドナイトは音楽隊一同に呼びかけた。
(ご主人。なんでいんのよこいつ。さっきどっか行ったはずじゃん)
(うん。まあ、なんだ、香美)

 畦道や田圃、トラクター。ついでに総角。あらゆる戦闘の傷跡を武装錬金特性で直したあと川沿いに北上した音楽隊
一同がミッドナイトが次にいつ来るかと迎撃の相談をしていると、右手の森の中からしくしくおいおいが響いてきた。
 どうも聞き覚えがあり、まさかなあと思いつつ──ただ声が似ているだけの一般人が、ホムンクルス絡みで困窮している
可能性もあり、見捨てて通り過ぎるコトはできなかった──木々を掻き分け、声の主を視程に収めた総角たちはただただ
愕然と凍りついた。

「うわーーーん! なにカッコつけて立ち去ってるんですかあたくしぃー!! ばかばかっ! ばかっ!! 探しあてるの
とても苦労したのに自分から立ち去るとかありえませんわ愚作ですわ失敗ですわーーー!! うわーん!! これでまた
一から総角たちを探す羽目にーーー!! めんどいのはガマンできますけど! できますけども!! またあの子に逢え
るかどうか分からないのは、もたもたしている間にヒドい目に遭ってたらどうしようって不安を抱えるのは、怖いですわ辛い
ですわ苦しいですわーーー! 失敗、失敗しましたわーーー!! 決着つかなかった以上、立ち去る以外カッコの付け方
なかったのは仕方ないにしても! 離れた振りして物陰からコッソリ尾行するぐらいのコトはしとくべきだったのに、思いつい
ていたのに! 高貴なあたくしがそんな下賎な真似なんかって見栄張ってやめたばかりに、ううう、見失いましたわーー!! 
お母さまお兄さまお姉さま! あたくしどーしたらいいんですのおおお!! どーしたらあああ!!!」

 ぺたりと横座りしたまま、天を仰いだり両目を不等号にしたりしながら水色の涙をどばどば飛ばし泣き喚く少女に先ほど
の凛然たる武侠の面影は微塵もなかった。小札や無銘はともかく、総角までもが鼻水を流しそうな容貌で硬直するのを
貴信は初めて目撃した。すん。潤んだ瞳で鼻を鳴らしつつ正面を見るミッドナイト。その横顔を20m先の茂みの中横から言
葉もなく見つめる音楽隊。武侠的直感で視線に気付いたらしい。何気なく横を見た少女の、泣き腫らした赤い目が一同を捉
えた。(あ、これ絶対逆ギレしてくる)。貴信が直感したまさにその時。

 ぱああああ。

 目に星いっぱい浮かべて高貴、スイカ口で笑った。

(迷子の笑顔だったなあ。迷子センターに迎えに来たお母さん見て喜ぶ、迷子の笑顔だったなあ……)
 あのとき両頬にあったリンゴ色の楕円形漫符は生涯忘れないだろう……貴信は力なく笑う。
 で、ミッドナイト、なし崩し的に同行し、今に至る。
「フ。だからいったろ、奴には勝負運があると。俺はすぐさま逢えると思ってたさ」
「いやあんたもさっきのピンクにゃ驚いてたでしょーが」
 立ち上がった香美、ネコの手にて右の総角の頭をポンとチョップ。ちなみに一同は車座だ。右から順に、香美、総角、小
札(膝上に無銘)、ミッドナイト。人数が少ないためほぼ東西南北の十字配置でもある。香美、元の席へ。
「……だいたい貴様、決着はどうした、決着は」
 六時の方角で無銘、ふっかふかの土台から身を乗り出し、九時を睨む。串から口を外した武侠は背骨と頭しかない魚を
重力の渦で塵にするや川面めがけ斥(しりぞ)ける。(エコだ)(エコです)(フ、塵だからすぐ他の魚に食われる)。高慢ちきな
割りにしっかりとしたマナーに音楽隊が感心してると──ただし香美だけは何でホネくれなかったのさと膨れた──ミッドナイ
トは無銘に目線を合わせ、答える。
「さっきのでだいたい付きました。と今いいましたので今、付きました」
 適当か! がなる無銘にしかし武侠は真剣な眼差しで「……踏ん切りがついたと思ったとき、素直に認めるのは、大事、
ですわよ…………?」と静かに笑う。
(踏ん切り、か)
 貴信は空を見る。月が、目に入った。『彼女』は何の罪もないネコの香美を惨殺した。するに到った背景を知った以上、
許すのが、無為なる暴走を止める最良の手段だと頭ではわかっている。だが同時に許そうとする自分が許せない。デッド
は好き放題害悪を加えた挙句、許されるのか、アイツだけは何の罰も受けぬ至れり尽くせりの身上で終わるのかという
心の声は確かに響く。
 香美は、家族は、傷つけられたのだ。
 ネコとしての命を奪われ、ホムンクルスとして蘇ってからも、いまだに、虐殺のトラウマで、暗いところと狭いところと高いと
ころが、怖いのだ。行くと身が竦み何もできなくなる。
 それほどまでの深い傷を与えた者が、傷を癒しもしないうちから……許される? 癒される? 暴挙ゆえに関心を得て至
れり尽くせりにあやかれるなら、失われるではないか、真面目に歯を食い縛って生きるコトの意義が。許しには、『やった
もん勝ち』の腐った構造の保全に参画する側面も実はある。
 ならば、いっそ……と黒い衝動に見舞われるから、だから貴信はデッドを許す許さないに悩むのだ。将来、『踏ん切り』が
付いたとしても、至れり尽くせりへの不服で覆してしまうかも知れないと思う。
 ならば香美を惨殺した罪を同等の行為で返してしまえばいいだけのように思えるが、やれば『奪った奴は殺していい』とい
うデッドの主張を肯定してしまうコトになる。香美を傷つけた理念を否定するあまり行動で肯定する矛盾に陥る。

 無銘も、揺らぐ。人型になれぬチワワの体に押し込めた者たちへの報復。金星と木星への復讐。達成できたとして何が
残ろう。心は人、体は犬のジレンマは、殺人で癒されるものではない。仇敵とはいえ人命を奪った自分が、総角と、小札の
元に戻ったとき、以前と同じよう……笑って貰えるのか。異形ゆえの鬱屈で殺人に手を伸ばした、正真正銘の怪物として
拒絶されるのではないか。前途への不安ばかりが10歳の心に日々募る。
 話を、変えるべきだ。辛うじて残る正心が悪い方向への思考を止めた。

「それはともかく貴様……さっき落としたこの手紙…………。いったい、なんなんだ?」




【クヒヒ、けっちゃく、けっちゃくをつけるよ総角。ゆるさない、ゆるさない、お前、イフ、ころした、ゆるさない】

【小札、小札、わるい。ぶれす、つめたくなってうごかなく、した。かなしい。ワタシ、かなしい、ゆるさない】

【でもワタシを、おねえちゃん、おねえちゃんと、たたえるなら、チャラ、チャラにする、クヒヒ】




 そう書かれた紙を読んだミッドナイトは大慌てでひったくった。

「なななななぜそちらにあるのですかボツった筈の果たし状!!」
『ソレ果たし状だったんだ!!?』
「いやなぜも何もだな、貴様が落とし──…」
「お忘れなさい!! 覚えたり小ばかにしたりしてきたら、ああああたくし、怒りますわよ!!!」
 果たし状を守るように抱きながら、見返り美人の赤ら顔で瞳に涙を湛えギザギザの歯を剥くミッドナイトに、貴信、『えーと』
小札に説明を求める。
(もりもりさん曰くミッドナイトどの、手紙を書くとああいう口調になる、とのコトでして。実際、3年前錬金戦団に回収されたミッ
ドナイトどのの『伝令』もああいう文面だったらしいとも。何しろもりもりさんは一時期ミッドナイトどのと同輩、でしたゆえ……)
 口に手を立て耳元でヒソヒソと囁く少女から甘い香りとこそばゆさを感じつつ(……うんまあ確かに、コワモテな先生から来る
年賀状に限って口調がやたら丁寧、みたいなコトは割りとよくあるけど…………)
 変わりすぎだ……貴信は呆然とミッドナイトを見る。
(ううう。文章を書くとどういう訳か、赤ちゃんだったころの口調になってしまうんですわ……! だから果たし状はボツにしたのに
落とすだなんて、落とすだなんて……)
 潰れた不等号の目の端に珠を溜め、口元をダブリュー2つの羅列にするミッドナイト、綿菓子のような桃色ツインテールを両の
ほっぺたに押し付けて身もだえする。(はずかしい、はずかしいですわ……)。
「あんたケンカしてるときと違いすぎじゃん」
「フ。こういう奴さ、昔から」
 ぐぐー。もふもふの髪と髪の間から、涙目でいじらしく総角を睨む土星。
「すてーたすあっぷを、しなかったのか、できなかったかってハナシ、なんですけど……」
『ガクっと落ちたな!!? 知能指数と精神年齢!』
 くするん。涙を髪でごしごしした武侠は、髪をのけるや、ばばーーん! と元の小憎たらしいツリ目に戻る。
(いるのソレ、いるの!?) すっかりツッコミ役である、貴信。
「結論から言いましょう! ステUP、できなかったんですわ!! なぜなら今のあたくしは先ほどのお兄さまたちとほぼ同
じ…………擬似再生の身上!!」
((((!!!))))
(ぎじさーせーってなにさ)
「本体が生きているため意思なき屍部下でこそありませんが、いわば一個の分身体ですから、本体から見ればごくごく一部
に過ぎませんから、だから『再誕』の言霊もごくごく一部しか使えません!」
 だから制限されてあんな強さはどうなんだ……重く黙る総角、小札、無銘、貴信。
 香美は顔を招き猫の手つきで顔を洗うとヒマそうにあくびをした。舌を蛇のように波打たせた。
「万全なれば身体能力強化につぎ込めた無数の武装錬金もおよそ98%は使用不能! 複製できるのは我が恋人イフの
武装錬金を始めとする十足らずのもの、のみ、ですわ!!」
 一気に捲くし立てた少女にポカンとしていた音楽隊一同だが、一気に叩き込まれた情報量に理解が追いつくと、俄かに
熱鬧(ねつどう)状態へ突入する。
『十足らずとはいえあったんだ!? 強化方法! というか理性ある等身大の、その、姿が……分身!? 』
「だがそれで説明がつくな。我々が追っていた怪物の姿との乖離については、説明が……!!」
「さりとて分身となりますると新たな問題が! リウシンの核鉄、いったいどこから……!?」
「……いま俺の眼前にいる方のお前を再生した能力、厳密にいえば本体自身の能力ではなく、ネクーベのものだな……! 
3年前、怪物化と相前後して取り込んだ天王星ネクーベの死体袋の特性で再現された! ビストとハロアロとサイフェも
それで、だな…………!?」
「そーいえばさ、つよかったアイツらさ、あんたのキョーダイだったの!? なにあったのさ、おしえる、おしえる!!」
 わーわー叫びながら集ってくる音楽隊の面々に「ちょ、いきなり来すぎですわ、落ち着いて!」と白い紅葉をあわあわと
左右させたミッドナイトは、けふん、咳払いをすると、「後で順々で説明しますわ。というか、分身ってところはあたくしが音
楽隊に合流した理由とも被ってますの。まずそちらから説明させて頂けませんこと?」、主導権はこちらにあるのだという不
敵な面持ち──ただし作り笑い──で一座を見渡す。

「いま『本体』は正体不明の悪党……総角は『司令官』と定義しましたから、以降はその呼び名に従いましょう。『司令官』
によってあたくしの『本体』は支配されている。そして司令官が屍部下を産めるあたくしの本体を利用し、目論むのは」

 鳩尾無銘の抹殺!!

 宣告に驚く音楽隊総ての視線がチワワへと吸い付いた。

「な、なぜそやつは、我を……!?」
 あたくしにも分かりません。ただ確実なのは……武侠は、いう。

「この、あたくしが! 鳩尾無銘の抹殺を看過できないというコト!」

 だから、共闘です! 甲高い声が川沿いに響く。



 足元に、足がある。正確には大腿部が。川沿いから遠く遠く離れた森のなかで、木星の忍びは己が影の如く倒れこんでい
る敵に告げる。
「貴様が真に支配すべきだったのは怪物と化したミッドナイト本体ではなく、分身体たるあの武侠じゃった。あれほどの者が
護衛であったのなら、貴様はこうはならなかった」
 磁性流体と化した沼にいよいよ体表を溶かされ沈みゆく、膝から下のない司令官をイオイソゴは無感情に見下ろす。
「あー。やっぱ観察力って大事だねえ」
 泣きそうな声が地面の女から沸く。「そうじゃなあ」。飄々としたソプラノがくの一の口をつく。
「貴様は観察力が足らなかった。たかが分身体の武侠と馬鹿にせず味方にするための、あやつへの観察力が足りなかった。
たかが分身体と見縊り、意思の有無すら量らず鳩尾無銘を殺すと率直に告げたから、貴様は得られたはずの強烈な護衛を
失った。三年前の真実のうち『幄瀬』に纏わる部分しか重視しなかったから、ちょっと読み込めばすぐ気付けたあの武侠の、
あれほどの武侠の、逆鱗を見落とした。僅かな妥協で得られた筈の空前なる味方を、失った」
「ん? 違う違う。そこじゃない。アチシのコトじゃなくて」
 波の中に口を突っ込んだ司令官が再び顔を上げ、再び振り向く。
「あんふぁほこほ(あんたのコト)」
 寝そべったまままま振り向く彼女は剣を咥えていた。
 先ほど副官と呼ばれる少女が取り落とした剣を咥えていた。
 とだけ認識したイオイソゴは次の瞬間、慟哭した!
(待て! 何故じゃ!? なぜ副官の剣がある!? 武装錬金は精神の具現! 創造者が死ねば同時に消える武装錬金
が……額を潰し心臓を潰しあれほど念入りに惨殺した副官の剣が……なぜ存続している!?)
 おぞましいのはそこだけではない。剣を口にした途端、司令官の体が、磁性流体の海によってドロドロに消化されかかって
いた筈の体がみるみると再生していくではないか! 足も生えゆく事実に舌打ちし、応戦の構えを取るイオイソゴ!
「確かに……観察力って大事だねえ」
 一陣の、生ぬるい颶風が行き過ぎた。ひゅんと剣を振る司令官が佇んでいるのは、ぽろりぽろりと右拳から耆著を幾つ
も取り落とす老嬢の、背後。
「そりゃ普通の人は最初から自分の武装錬金を持って登場するよ。だ・け・ど・さ☆」
 黒ブレザーの中で耆著が弾ける。あらゆる物理攻撃を無効化する磁性流体。その要たる経穴たる耆著が裂かれた時、
戦歴五百年は傷を蒙る!
「武装錬金を持って登場した人が自分のを必ず持ってきてるとは限らない……。ぬひひ。そこに気付かんからカヨーな目っ!」
(貸していたのか!? 副官に! 自分の剣を!? いやだがこやつは確かに「まぎーあ・めもりあ」を使っていた筈!!
防犯カメラの映像! 奇襲の直前! 確かに発動していた! それともアレは副官のもので、いかにもこやつが発動したよう
見せかけていた……のか!? わしらが防犯カメラの映像を入手するコトまで織り込んで!?)
 袈裟懸けの傷口に沿ってめりめりと裂け、血潮を噴くイオイソゴに背中を向けたまま司令官は声を笑いに弾ませる。
「マギーアに関してはみみっちい小細工はないよ。けど、マレフィックアースってオチもないよ。アチシにみんなの憧れアース
化ができるなら、それを有するミッドナイトをかどわかしたりはしない……からね」
 踵を返し歩いてくる司令官に木星の幹部は不吉を覚える。。
(あの剣……。司令官が持った途端、威圧感が増した……。正体。やり合って訐(あば)くか? いや! 難儀そうな副官は
殺した。司令官の顔も知った。……引き際じゃ!)
 地面から溢れた磁性流体の波はクジラの潮吹きとなりイオイソゴを空高く脱出させる。
 忍びの逃亡は恥ではない、今の任務は斥候でもある。
(引いて連中の顔から組織を追う! 司令官とやらは底知れぬモノがあるが話に聞く「らいざ」どころか盟主さまにすら遠く
及ばん! 根城を突き止めた上で幹部数人引き連れ奇襲すれば……充分斃せる!!)
 星を背景に舞い踊るイオイソゴ。拳は無数の耆著を連射する。曲がりきった人差し指を押しのけ出てくる笹舟型の鉄片
の尻を、親指で勢いよく叩き、撃ち出すのだ。そして先行した弾丸の磁力誘引によって加速を得る。体を溶かし、流線型
の液体と化した忍び。漂う耆著からの磁力に任せるまま突き進む。前方へ。斜め上へ。時には左右へ。ジグザグ軌道で5
分も跳ね回ると、眼下の景色は閑静な住宅街へと塗り替えられた。先ほどの森は遥か後ろの靄である。

「これで──…」
「逃げられた、とでも?」

 冷たい四白眼が眼前を埋め尽くした。一切の経過を挟まず液状から原型に復隊した己が身の怪異にはさしものイオイソ
ゴの思考力とて空白になる。場所は、森、だった。副官は上へ跳躍した。それで剣を構える司令官が、離脱前と寸分違わ
ぬ構図と距離感で見えるようになったから、木星は、こう、気付く。
(戻された……!? 元の、場所に!?)
「クサモノノヒレ……」
 三日月斧(バルディッシュ)が忍びの脳天から股を斬り下げた。副官の跳躍はそのためだった。
(そも、なぜ、こやつまで)
 生きている!? 大量生産品のクローン軍団を疑ったイオイソゴであったが、副官の肩口にある赤黒いまだらの形は、頭
を踏み砕いたとき出来た物と寸分たがわぬものだった。ポテトチップスを縦に3枚バラ撒いたような模様が印象深かったか
ら覚えている。左腕にある肉の削がれた痕は言うまでもなく耆著摘出の印。
 服も傷も同じであればそれは当人! 不可解な不死身の謎に戸惑いながらも磁力にて胴体を接合せんとするすみれ色
の髪の少女。だが!
 突如として全身から発雷した赤い磁場が肌も肉も骨も髄も何もかも鮮烈に灼き尽くす!!
(これは……先ほどの三日月斧の特性、か…………!?)
 接合を阻止され苦鳴もさえずる幼い老婆へと緩やかに歩み寄った司令官、自称幄瀬みくすは脳天高く剣を振り上げた。
「観察力が足りなかったの、どっちかなぁ♪」
 森が、揺れた。常緑の葉が何枚か、落ちた。

 イオイソゴは倒れこんだ。章印を断ち割られ、双眸を義眼の如くした忍びはいま、倒れこんだ。

「念のため、消滅させる」

 司令官が掌から放った光球は木星の幹部を塵も残さず、焼き尽くした。




 商業地帯の一角にある広めの公園。
 遊具のどれもが塗装の剥げとサビを浮かせる年季の入った夜の公園。
 エサを探しトボトボと顔下げうろついていた、アバラのくっきりしたレトリバー系の野良犬がハっと顔上げ砂場へとけたた
ましく吼え始めたのは、一面砂地のそこから、ニュっと白い手のひらが突き出したからだ。

 顔も、出た。

「ひひっ。三分(さんぶ)のわしを殺すかい。実になかなか」

 イオイソゴ=キシャクには斥候用の『身代わり』がある。今回選ばれたのは9歳にして地元の駄菓子店で万引きを繰り返し
先日遂におとなしい83歳の女店主を背中から蹴り倒した少女だ。
 身代わりは、素材の調達こそ難しいが、作成自体は容易である。
 イオイソゴの細胞から作ったホムンクルス幼体を素材に投与した後、木星お得意の忍法『任意車』を施すだけ。
 任意車とは体液の注入によって魂を憑依させる変則的な支配能力だ。そして対象が、幼体によって、精神面については間
違いなくイオイソゴである場合、わずか三分の魂の注入であっても、肉体本来の持ち主には、決して、反抗されない。
(ひひっ。攫っても周りが探さぬような子供、わしの物見の役に立たせてやるが功徳よ。生かしてやってもどうせつまらぬ破壊
をやり、つまらぬ子孫を残す……。それを思わば司令官を探るためパっと散れたヌシはとても幸福ぞ)
 名前を聞いたかどうかすら覚えていない少女の消滅を、忍びはむしろ祝して笑う。
 なお、身代わりは基本現地調達であり、任務達成後は成否の如何を問わず廃棄される。

(身代わりに斥候を押し付け、発見されれば戦闘。相手が弱ければ勝ち、強力ならば大人しくこちらが殺され……手の内
を把握、相性で勝る幹部をブツけそして勝つ。……ひひっ! 忍びとはかくあるべし!)

 ずるり。砂場から這い出す。依然として恐慌状態の野良犬は左右にステップ踏みつつ吼えていたが、食欲にきらめく瞳
を向けられるや、楔が軋むような悲鳴をあげ、逃げていった。

(ひひっ。結果として核鉄1つ司令官めに呉れてやる破目になったわ。じゃがあやつ……強くはあるが穴もある)

──「でも腐ったゴミでもイソゴちゃんは重鎮だよ、大将首だよ! ここで斃せば確実に奴らの戦力が削げるから、頑張ろうよ!」

(身代わりのわしを『大将首』といった以上、開戦前一帯を覆った天幕、まぎーあ・めもりーの『対象の情報を読み取る』能力
は不完全とみていい! 幄瀬みくすなら即座に気付いた筈じゃからな。あの身代わりが身代わりであることに、わしがほむん
くるす化した他者に任意車しているだけということに、気付いた筈、じゃからな!)

「なにより」

 副官と談笑しながら森を歩いていく司令官は気付かない。その右目に、薄い、コンタクトレンズより薄い、透明な一枚の剥
片が張り付いているコトに。

「忍法遠見貝」。自身も、同様の剥片を何枚も代わる代わる右目に入れては外していたイオイソゴの動きがピタリと止まる。
「ひひっ。五番か。五番が入ったらしいわ」。貝殻を切り出し、向こう側が透けるまで薄く小さく削った貝の盃。その曲面は
瞳へと投げ込まれた場合、眼球の曲面へと涙液によってピタリ吸い付き……その効力をイオイソゴに伝送する。遠見貝は、
七番まである。テレビの如くチャンネルを有している。同じ番号同士でのみ送受信が成立するのだ。五番とは司令官の目
に入った遠見貝であり、イオイソゴにいま恩恵を与え始めた遠見貝。

──うつ伏せに倒れこんだまま首だけで振り向き、色あせつつも得意気な顔で笑う彼女に──…
──親指が、人差し指を削るよう、弾かれた。

(ひひっ。奴ばらめの周囲を耆著で穿ち円を描いたまさにその時じゃよ。遠見貝を投げたのは)

 最初からイオイソゴには司令官を討つ気などなかった。ほどよく能力を知った上で、撤退するか、させるかで、泳がせる
つもりだった。討伐専門の対策と戦力が整うまで、組織全容の解明と監視に徹するつもりだった。

(この点においても、今のまぎーあ・めもりあは不完全といわざるを得ん! わしの思惑を、遠見貝を読めておったのなら
交戦などは絶対に避けた!)

 なぜならば遠見貝の『効力』は。

 赤茶けた鱗を持つ長い蛇が行く手の林道を横切るのが見えて、司令官はひっと強張った。

 赤茶けた鱗を持つ長い蛇が行く手の林道を横切るのが見えたあと、イオイソゴは視界の揺れをも目撃した。

(嵌め込んだ者の見ているものを見られる忍法!! これさえあればどれほど堅牢複雑なアジトに籠もられようと問題なく
なる! 最深部までの直通ルートが労せずして分かる……からの!!)

 司令官に副官以外の仲間が居たとしても、顔が分かる。素性を探れる。武装錬金同士の模擬戦が日常のルーチンなら、
なお良い。特性が、分かる。

 横槍を入れてやる。漁夫の利を得てやる。三分とはいえ殺された記憶を胸に、イオイソゴ、おどろおどろしい79度に両目
を釣り上げ怨笑する。



過去編第015話 「時の華がひらりひらりと旅人誘(いざな)うよ」 その15

 ミッドナイト来襲後、初の夜明け。

 1998年8月1日午前6時50分。横浜市街。
 ホテルの大食堂に通された貴信は、2つ開きの、飴塗装のテカり持つ金茶色の扉の前で、こわごわと左右を見渡した。

(よくもりもりさん貸し切れたなあ……。僕はこんな場所、中学校の修学旅行でぐらいでしか……)

 部屋の幅いっぱいに連なった細長い机の列が3つ、ある。いずれにも被せられた、黄味がかった灰色の、アイヴォリーの
テーブルクロスに(うわあいい生地……1枚ウン万円かも……)と遠巻きに目線を送る。小市民だから触るコトすら憚られた。
 貴信は幼少期、母の親友の結婚式に連れていかれたコトがあるが、いまいる部屋の奥行きときたら誓いのキスのあった
教会の軽く2倍はあるよう思われた。

(今日1日はこのホテルに滞在……。もりもりさんの回復日だ。昨晩の傷が深かったからなあ)

 ミッドナイトに手ひどくやられたあげく、乱入者らから彼女を庇い更に負傷。戦闘終了後偶然でくわしたミッドナイトのために
急遽野宿から宿泊に切り替えた彼は言葉とは裏腹にひどく疲れた様子だった。

(なのに借りるトコだけは奮発した。きっと高貴なミッドナイト氏とこれからのコト話すからだな。見合った場所を見繕った)

 靴音を吸い込んだきり吐き出す気配のない赤い絨毯といい、豪華な装飾のわりに控えめで上品な明かりを灯すシャンデリ
アといい、巨大政党の新年会に使われても不思議がないほど豪勢な一室だ。

 扉が、開いた。「…………」。いやにムスっとした雰囲気が後ろからきた。普段なら後頭部に張り付いている──というより
『栴檀』に後頭部はない。後頭部にあたる部分にどちらかの目鼻がくっきりと浮かんでおり、それが後ろ髪で覆われているに
過ぎない。てっきり後頭部に必要な時だけ顔が浮き出てくるのだとばかり誤解していた無銘などは、実態を知ったとき、『双
面(ふたおもて)だ!! 伊賀忍法・双面だああ!!』と叫びおののいたコトがある。それ位には、よく考えると怖い──香
美はいまうつらうつらしているので、入室してきた者が誰か貴信にはわからない。常人どおり、振り向く。尖った目が驚いた
あと明後日を睨んだ。髪をおろしているため一瞬誰か判じかねたが、ピンク色の前髪に入ったオレンジのシャギーでようや
く気付く。
「ミッドナイト氏……!?」
「…………じろじろ見んな、ですわ…………!!」
 チャイナ服だった。金魚の肌のような燃え盛る赤金の生地を、濃密で味わい深い緑で縁どった絢爛豪華な衣装だった。
これがあの武腕の根源かと疑われるほど細く白い左腕を、臂(ひじ)で直角に曲げ、だらりと下に伸ばした右腕を掴んで
いる。そうでもしないと参ってしまいそうだとばかり羞恥と不機嫌に細まる瞳を潤ませている。
「えーと」
「そうよ正装してきたんですわよ悪い!!! 格式の高い場所で会食を行うなら相応の礼服が必要と思いましたのでホテル
のフロントの女性の方に貸衣装の有無を伺いましたら、看護婦やら給仕やら警察官やらエレベーターガールやらの妙なも
のを次々薦められていや礼服が欲しいのですがと訴えたらこの服にされましたのーーーーーっ!!!」
(いや僕なにもいってないんだが!!?)
 言葉の乱撃が終えるとミッドナイトはぜえはあと涙目で息せいた。(コスプレのタネにされたな……)。見た目13歳ほどの
ミッドナイトだ。浮世離れした口調が思春期ゆえの「何かのなりきり」とでも誤解され、じゃあその系統ならばと好事家の装い
を推挙された、ようだ。
「じゃあその腕の、ワニのドクロの腕輪もレンタル?」
「?? 自前ですが?」
 ええー。少年は、ゲンナリした。孵化後すぐ死んだ本物のドクロですわよ、こっちのヘビもこっちのカメも幼体のころ死んだ
のを使ってるんですわよ! ブレスレットの三方にごちゃごちゃとついた爬虫類の頭骨を嬉しげにひっきりなしに指差して
説明する武侠に(そーいえばツインテールの付け根しばってたのもドクロの髪留めだっけ。うーん。ついてけないシュミだ、
ついてけないシュミだぞコレは!)とつくづく思う。
(あ、チャイナってコトは)。貴信、気付くと同時に斜め上を向く。視線を追ったミッドナイトはそこに何もないコトをいぶかしんだ
が、やはり武侠、直感は鋭い。「〜〜〜っ」。右太ももを露にしているスリットを無言で埋めた。
「ま、まあ、慎みがあるぶん、マシって話にしてあげないコトもないですけども…………」
 だいたいそれで貴信の人となりが分かったらしい。しどろもどろながらな少女の瞳の奥に信頼が灯った。
(しかし……)
 少年はどぎまぎする。アニリン染料に砂糖をまぜたような、甘くべっとりとしたオペラピンクの髪が、ツインテールを解かれ
鎖骨や背中にまっすぐと垂れていると、まったく『オトナ』で、くらくらする。軍靴が沓(くつ)になっているのも色っぽい。布製の、
紫紺色の、取り立てて特徴のないものだが、それが逆に、華美に見えて芯は質実な少女に似合っていると思う。
 視線から敬服を感じたようだ。
「ふふん。押し付けられた衣装ですらお姉ちゃんっぽさが滲み出てしまうとはあたくしも罪な女ですわね!! 栴檀貴信!
気が向いたらいつでもお姉ちゃんと呼んでいいですわよ、特別に許可してあげますわよ!」
(中身は末っ子だなあ……)
 駆け寄ってきて右に左にぴょこぴょこ跳ね回る小柄な少女に貴信が曖昧な返事をしていると、正面遠くで扉が開いた。
「フ。開始10分前に居るとは律儀だなお前ら」。総角の顔が出る。金髪はワイルドに上げている。白いヘアゴムで襟足
からくくられた長い髪が躍りながら食堂に滑り込む。(タキシードは小札氏で見慣れた気分になってたけど……)総角が
着ると銀幕の外の衣服にはとても見えない。(僕、Tシャツとジーンズで来て良かったんだろうか……)と思ったが、遅れ
て入ったきた小札の姿にどうでもよくなる。
「あなた、フザけてますの……?」
 ミッドナイトが怒りとも呆れともつかぬ声を発するのも道理、小札が纏っていたのは肉食恐竜の着ぐるみパジャマ。ビリ
ヤード台から引っぺがしたと言われても違和感のない、深くも清明な色の生地をふんだんに使用しており、戯画的につぶ
らな黒瞳を有するフードは実にゆったり。上下に張られたフェルト製三角形の白い牙が目元にも下唇にもかからない。牙
と同じ形の背びれはビリジアングリーン。
「……」
 じわっ。アロだかティラノだかの口の中、実況者でありながら無言で右目に大粒の涙を浮かべる小札。哀痛に満ちた途切
れ途切れの釈明を編集するに、どうやら女フロント第二の犠牲者になったらしい。礼服を求めて最初に提示されたのがピ
ンクのふりふりのついた魔法少女コスチュームだったという冒頭だけで、以降連発した扱いがどれほど暴虐だったかよく分
かる。
「小学校は楽しい?」とすら訊かれた……小札零の声(せい)、涙(るい)に下る。

 チャイナと恐竜が居ては格式も何もない。食卓に両手置きぼやいたのがチワワである事実に貴信は一種の終末感を抱
いた。
 ペット同伴OKの食卓というのも妙な話だが、フロントからしておかしいホテルだ、辛くても受け止めて前に進む他ない。
 後頭部に該当する部位で生あくびがひとつ、開いた。栴檀香美、起床。起きてまずやったのは……二度寝への、突入。


「では予備戦略会議第二次補正集中審査に入る」
「いや総角あなたわざとやってますわよね! あたくしたちの格好イジるためにわざとそういう難しい言葉弄してますわよね!?」
「フ……」。回答はせずただ苦みばしった笑みをニヤリと浮かべる総角。顎の前で組んだ白い手袋もどうせ悪ふざけの一環
なのだろうが、妙にサマになっているのがまたミッドナイトの癇に障るらしい。甲走った塩辛い声の鉄槌が下された。
「昨晩のあたくしの話の続きは! みなさま疲れていらっしゃるコトだし睡眠のあとご飯でも食べつつって話だったのに!!!
なんでこんな豪勢な場所でやるんですか!! ウワサに聞く喫茶店とかファミリーレストランでおしゃべりだバンザーイって
楽しみにしてたあたくしのワクワクはどこいったんですか!!!」
(楽しみだったんだ……)
 テーブルクロスの上からコップを口に運びつつ貴信、軽く呆れる。(……僕もマックで友達とたむろするの夢だったけど)。

「フ。相手は賓客。ただ喋るだけでは無粋だろう。会食、とさせてもらう」

 白い手袋が指を弾く。入り口の大扉が内側に開いた。カートを押すボーイたちが入ってきた。しゃなりとした黒い制服に身
を包んだ彼らは慣れた様子でテーブルに大皿を置いていく。
 みな、中華だった。賽の目の豆腐が9ボルト乾電池より大きな麻婆豆腐を貴信はこの日初めて目撃した。
(自炊すると崩れるもんなあ。コンビニのは小さいし……)。
 一礼し去ってゆくボーイたちに礼を述べた一同──もちろん無銘は鳴き声だ。喋ればやばい──は小分けをする。
 貴信は匙で麻婆豆腐を掬い、口につっこむ。ぴりりとした辛さが広がった。
「別工程で仕上げられたのが明らかなそぼろの肉は、表面のカリカリ感を保ちながらもひとたび噛めば素材本来の濃厚な
肉汁が口内に広がる絶品!! ともすればしつこく胸焼けしそうな味わいでありますが見事フォローしておらっしゃる物こそ
このニラなのでありましょう! 湯がいたものを麻婆豆腐に振りかけただけの一見素っ気無い後添えが──…」
(食レポしてるし……)
 どいつの仕業か言うまでもない。
 蒸篭(せいろ)に入ったシューマイ。あつあつの湯気を立てるギョーザ。赤ばんだ煉瓦色の坦々面。そして……そして……
パイナップルなしの、酢豚。蝋細工と見まごうほどにトロミと油分でテカリにテカった濃厚な品々だ。大皿に長箸が伸びるたび
舌鼓が各所から漏れた。ロバの米塩博弁はいよいよ四川に差し掛かる。
「…………」
 無言で杏仁豆腐ばかりつっつくミッドナイトを見て貴信は「おや?」と思った。
(節制の一環……なのか? 一流アスリートはササミしか食べない的な。いやでもカロリー高めのデザートは食べてるし……)
 おそるおそる。小皿に取り分けた麻婆豆腐を掬う武侠。白磁の匙に半分ほどだ。なのに胸の前で手を止めたきり苦慮と
焦燥の面持ちでしばし止まる。異を決し、食べる。呑む。のびあがった。片頬を膨らませたまま両目を地球と太陽ほどの比
率に見開きながら首を伸ばす。水面が揺れた。透明なグラスが横合いからかっさらわれたのだ。不等号の目に涙を滲ませ
ながら口を付け、ごきゅごきゅ飲み干す横顔を貴信は見た。ひりひりと焼けた舌で二度、唇を舐めた少女は匙を元持ってい
た金属の匕(さじ)に替え杏仁豆腐に躍りかかる。ばりばり。白い地層は瞬く間に岩盤を覗かせた。
(辛いの苦手なんだ…………)
 貴信にとっての中辛が、小学1年生にとってのわさびに匹敵するらしい。
 ぷるぷる。今度は匙に大盛りだ。湯気と香気を放つ豆腐とそぼろとニラのペーストを前に、垂れた糸目がぽろぽろと白珠
を落とす。情けなくも口の左端だけを極限までヒン曲げ、時々思いっきり顔を背けたり艶やかな桃髪ごと頭を振ったりしな
がらも、勢いよくパクっと行き、また悶絶して水を飲んで杏仁豆腐をガーっと食べる。人数分の二倍運ばれてきていたそれ
が8割殲滅するまで3分とかからなかった。
「ミッドナイト。いいんだ。もういい」。匙を握る武侠の右手を優しく掴んだのは総角だ。いつの間にか立ち、そこにいる。狭ま
った碧の瞳を憂愁に湿らせた彼はゆっくりと、しかし大きく、その首を長い金髪ごと横に振った。「お前はよく……戦った。も
ういいんだ。もうこれ以上、自分を傷つける生き方は……しなくていいんだ」。匙が卓を跳ねた。俯き、額に両手を当てた少
女はとうとう声にならない嗚咽をあげた。いつまでもいつまでも、あげていた…………。
(僕はいま一体、何を見せられているんだろう)
 薄目と遠目を併発しつつ力なく笑う貴信。食レポも混ざってきている。大変だった。

 香美がいまだ、まどろむ中。

「ちゅ、中国では沢山振る舞うのが礼儀なんですから!! 辛いの苦手でも食べない訳にはいかないでしょう!! 辛いの
全然だめだったとしても!!」
 落ち着いたミッドナイトはぎゃーぎゃー騒ぎ出した。反りの合わぬ総角の恩仮を賜ったのがよほど恥ずかしいらしい。
「それに麻婆豆腐の花椒油(ホアジャオユ)のすーすーぴりぴりは好きなんですけど嫌いなんですっ! 唇の神経が麻痺し
たんじゃないかって段々こわくなってくるんですーー!!」
「フ。じゃあ箸をつけなければいいじゃないか」
「の! 残したら食べ物がかわいそうですし作って下さった方にも悪いですし……!! 何より中国の風習、ですし……!」
 あと高貴は味に好悪を言わないものなんですっっ!!! いやおいしかったですけど! 辛くなかったらおかわりしたい
ですけど! 舞うは咳唾と熱弁。「そうだね」。音楽隊の男衆の目、生暖かい。
「だが中国料理は残しても構わんというのが風習だったような…………」
 無銘がぽつりと言うと、
「そ、そうなんですの?」
 武侠の目は点になった。ここまで同情的だった総角もさすがに「オイ……」と白ける。
「まさかだがお前、中華、武術ほど詳しくないのか?」
「じゃああなた懐石の作法全部知ってんですの!?! 日本剣術と同じぐらいの熟練度ですの!?! 四十七都道府県総
ての古今東西の料理総ての味とレシピ知ってて地域ごとの礼儀作法カンペキですの!!?」
(逆ギレしたぞ!? 高貴な人が、逆ギレしたぞ!?)
「戦闘スタイルと食の好みが違ってたって、いいでしょーーーー!!!」
 鬼瓦のような形相できゃんきゃん吠える少女に貴信は言葉を失くすが、切り込む者1人。無銘だ。
「じゃあ貴様の好物はなんなんだ?」
「え? たまごボーロ……?」
 素で言う。皆、言葉を失くした。武侠は反響に「ふぇ?」と首を傾げかけたが、自分がいま何を言ってしまったか気付くと、
ボッッッと赤くなった。京劇の猿の化生かというぐらい赤くなった。そして目を伏せクチバシを尖らせるのだ。
「……おまえな、それ、小学校ならあだ名になるレベルだぞ」
 心底気の毒そうな総角の口調が、貴信の同情をますます深めた。(こども舌だ。この人、こども舌だ)。
「だだだっ、だって、だって!! 赤ちゃんの頃から好きで大好きで未来ではブレスと分け合いっこしたりしてて思い出も深くて、
だから、だから、好きっ、好きなのはっ、しかt、仕方なくてっ…………!!!」
(もっと強くて怖いコだと思ってたけどなあ……)
 だいぶ、だと貴信は考える。なにがだいぶかは当人には明かせないが、だいぶ、だった。
『ミッちゃんあんた、変なヤツじゃん』
「「お前が言うな!!!」」
 総角と無銘の裏拳まったく、ごもっとも。
「あ、うつらうつらしてた香美が起きた」
「てかなんですのよ! その、ミッちゃんというのは!」
『ミッちゃんのコトじゃん? あんたん名前長くてよーわからんけど、ミッちゃんぽいのはわかった!』
(ミッちゃん……)
(ミッちゃんか…………)
 金音がした。こわい目に影おとす武侠の掲げた鞘が剣格(つば)をば鳴らしたのだ。
 総角と無銘は悟る。「呼んだら、死ぬ」と。
 ……。
「仁とはもともと種のコト!! 心の中央で硬く変わらぬ思いを種になぞらえ仁義と呼んで幾星霜! 仁義を見せるときは
今でしょう! 食事はいよいよラストスパート、中華四千年の物量と戦いぬいたおなかはいよいよ限界ですがああ運命は
あまりにイタズラあまりに皮肉! 最後に立ちはだかった者もまた仁です仁の血統なのですっ! 始まりは一体いつ
だったのか!! 杏の仁を目指し出帆した白き闘艦は長き長き航海の果て遂に不肖たちの眼前に打ち上げられた! 
ですが! ああ! なんという例外なのでしょう! なんという埒外なのでしょう! 杏仁豆腐! 脂と辛さのみが取り沙汰
される中華料理の乾維坤絡(けんいこんらく)にあってこれのみがあまりに優しくあまりに魔性!! 第三王妃か! 第三王
妃の落とし子なのかっ! オオオ甘く白い柔肌ァ!! 肉を炒め菜(さい)を焼く動乱の正室の嫡子とはとても思えぬ乱行(ら
んぎょう)の姿!! なのに生き抜いた! 杏仁豆腐は生き抜いた!! 中国四千年、豆腐であるという詐称すら異彩に加
え続けておきながら、なおもヌケヌケと淘汰を免れ生き抜いたッ!! 畢竟総ては仁の恩恵! 詐称すら許したもうた人々
の『仁』の果て艦(ふね)は日本国に座礁を仕掛けた!! ですから仁義をば見せましょう!! 卓についた以上なにが来
ようと平らげてみせるのが飽食のレジスタンス、試合前そう語りいまは満身創痍の不肖ついに敢然と立ち向かう! さあ匕を
とり、ゆっくりと、ゆっっくりと水面を見据え……いったああ!! 記録は!? 21グラム、21グラムですー! 初手から21
グラムが削られたァーー!! これは大きいーーー!!!」
「あなたは食べながら喋らない!!!」
 八つ当たりのような悲鳴を浴びた小札ザウルスは「むぇ?」と首だけ動かし見返した。口元はシューマイの皮やらギョー
ザのニンニクやら酢豚のとろみやらマーボーのニラやらで、べとべとだった。
(これを、こんなものを、ブレスの仇と、愛犬の、仇と……!)
 武侠、血が出るほどブチブチ下唇を噛み締め、血走りきった目で相手を睨む。ザウルスはぴよぴよと青ざめ流汗した。
『なんでミッちゃん、あやちゃんのコトおこんのさ?』
「だから!! その呼び方おやめ!! していいのはサイフェおねえさまだけですっ!!」
(されてはいたんだ……)
 貴信は混乱を眺め。
「乾維坤絡(けんいこんらく)って何!?」
 ツッコんでしまう。時間差で、小札に。
「天地の体系のコトですわよ。ホラ、乾坤(けんこん)ってよく言うでしょ? 乾は天、坤は地。で、維は縦線だから前者に通
じ、絡は横線だから後者に通じるんですの」
 人差し指を立て得意気に教授し、「どうですこの知識、お姉ちゃんっぽい? お姉ちゃんっぽい?」と髪跳ねさせ、わくわくと
笑いかけてくる……ミッちゃん。

「話が進まんな」。無銘の、乾いた渋い声が議場を打つ。「ミッドナイト。先ずは昨晩最後の台詞の続きからだ」。低く押し殺し
たいかにも忍者然とした声に、向こうのミッドナイトは「カッコいい……」と小声で呟くが、貴信は、知っている。横から見たチワ
ワが椅子から背伸びして前足を机に乗せているのを。ちっちゃいあんよはプルプルしてた。
「ええと。ここに居られるミッドナイトどのは実は分身」。ふきふき。小札は総角によって紙ナプキンで口元を拭かれた。「本
体は司令官と名乗る敵に支配権を奪われたのコトで、しかもその司令官どのは無銘くんの命すら狙っている……というお話
でしたね」
「ええ。そしてあたくしはそれが見過ごせない」と武侠、首肯。
「かつて共に過ごしていた大事な存在と似ている少年が不明な理由で殺されるのを黙って見ているだけなんてとてもとても、
耐えられません、から」
(この人は僕たちとの共闘を決意して)
(共闘のために、イフどのの仇であるもりもりさんとの決着を、望んだ)
 貴信と小札は昨夜からすでに薄々悟りつつあった一連の決闘の理由を初めて公式に理解した。
『でもそれなら、わるいのとケンカするときだけ来てもよかったじゃん。なんでひっついてきたじゃん?』
「そのわるいのに強いのが多いからに決まってるでしょうが……。これだから貍奴不来(いえねこ)は……」
 いえねこって悪口なのか? 貴信は疑問を浮かべたが、追求するとやかましいので自重する。
「いいコト」。やや赤い、傲岸不遜の顔つきで、おろした髪の右側をキツネ指にて払った武侠は、
「あたくしの本体が生産させられた屍部下は最低でもあと3体存在します! そしてその力量は……昨晩来襲したお兄さま
たちと同等か、それ以上…………!!」
(あのクラスが、3体、か…………)
 鳩尾無銘の海老せんべい色の毛並みがぶるりと波打つ。必殺と自負する敵対特性を喰らってなお戦闘を継続したサイフェ
は、かつて貴信らと邂逅したさい遭遇した火星(ディプレス)と同等かそれ以上の”圧”を放っていた。火星と同格ならば最終
目標たる木星金星にも比するだろう。つまりレティクルの幹部級。それがまだ、3体いるという事実に胃の腑がまるで石ころを
詰められたよう重くなる。
「でもあんたさっきアイツらばんばんギャーしてたじゃん。あんたいたら残りもラクショーじゃないの?」
 香美のいう「さっき」は昨晩だ。1ヶ月前も1年前もネコにかかっては「さっき」なのだ。
 閑話休題。
 うぐ。ミッドナイトは言葉に詰まった。詰まったが、どうも怠惰ゆえの沈黙ではないようだと貴信は気付く。
(なんていうか……残り3体については、排除より、もっとこう、別な目的なために使いたがっているような。うーん。倒すのには
賛成だけど、自分がそれをやるコトには意義を感じていな……ん? もしかして?)
 はあ。貴信が真実に迫りつつあるのを感じたらしい。渋い顔のミッドナイトは桃色の頭頂部をぽりぽりと掻きながら答える。
「えーと。まず残り3体ですけど、あたくしでも瞬殺とは参りませんの。だって彼らの能力にはそれほど詳しくないんですから。
屍部下状態のお兄さまたちを容易く撃破したように見えたのなら、それは乳児期見て得た、動きとか隙への詳しさあればこ
その芸当。いっときますけど、手の内知らなかったらあたくしでも百度に一度勝てるかどうかなのがビストお兄さまとハロア
ロお姉さまとサイフェお姉さまですわよ」
 むしろ残り3体の能力は、総角や小札の方がよく知っているんじゃなくて? 言葉が耳朶を打った瞬間、一瞬瞳孔を開いた
総角はすぐさま「フ」と笑う。
「なるほど矢張り、『リルカズの面子』か。ビストらで薄々察してはいたが……」
「ええそうですわ。恐ろしいコトにね」
(リルカズの面子……?)
 貴信は無銘を見た。チワワは首を振る。どうやら音楽隊結党以前あった概念らしい。
「更に言いますと、コレは昨晩も話しましたが、あたくし自身の複製能力にも制限がありますの」
「再誕の言霊から不肖察しまするに

・既に亡くなられた方の武装錬金

または

・ゾンビやゴーストなど、死霊系に干渉する武装錬金

とお見受けしましたが、いかがでしょうか」
 そうですわね。無表情の高貴は髪を梳る。
「閾識下に魂が溶けた創造者のものか、閾識下の魂への経路有する武装錬金。ただでさえ限定されるもの複製ですのに
本体から切り離されたせいで更に減少ですわ。全部でせいぜい10前後。しかもうち5つは恋人や親族のものと来ている」
 というコトは、やはり。恐竜はロッドを口に当てる。
「ライザどのの武装錬金も……?」。ええ。再現率はショボいですけど、とりあえず。武侠は人差し指で髪を巻く。
「残りは無縁の方々のもの。身体能力向上に特化したものを厳選しましたわ。力や速度といったさまざまなものの向上を」
 ですが動員しても全盛期の強さには及ばないんですの。ミッドナイトは一座を見回す。
「話があっちこっち行きますが、”ここにいる”あたくしは、『本体』が、再誕の言霊によって複製した『死体袋』の……「ゾンビ
を作る」特性で産み出されたものに過ぎませんの」
(昨晩の兄や姉もその死体袋で再現された人物か……。動員されたのは『死霊系に干渉する武装錬金』の方)
 無銘は分析するが、ふと気付く。
「ではなぜ貴様は再現された? 本体が生存しているのに」
 武侠の口元がピタリと止まったが、すぐ綻ぶ。淀みはなかった。まるで笑筋がたっぷり予行演習していたようだった。(……)
総角は何かを察したらしい。密やかに血相を変えた。
「あたくしが彊尸(きょうし。キョンシー)の如き死人と認定されたのは3年前、精神(こころ)が死に、長らく眠っていたからで
すわ」
 そうか、としか貴信には言えない。現に本体が生存しており、かつ、分身が生まれている以上、『与えられている情報の中
では』、筋道が通っていると解釈する他ない。
「とにかく本体のうち一部分だけを再生されたに過ぎぬあたくしですから、言霊は少なく、言霊が少ないからそれを用いた
武装錬金複製が極めて限定的なものになってますの」
「……身体能力増強に数的な制限をかけられておりますのもそのせい、ですね」
 さっきから妙に小札が話しかけてきますわねという目をミッドナイトはした。ロバはどこかおどおどとしていた。突っぱねられ
るのではないかという怯えが大きな目の中に満ちていた。それでいて向かい合うコトを放棄したくないとばかり、ぷにぷにした
頬を引き締め、高貴の視線を覗き込もうとしていた。実況の活力がウソのような内気な探り方だった。
(…………)
 ミッドナイトは少し申し訳なくなった。あとで双方が納得いくまでじっくりと話し込むべきだと思った。『愛犬の仇』。論理的な
事実ではある。だがだからといって直接言い放っていいというものではないのだとミッドナイトはこのとき気付いた。
 事実の表明はときに感情的な誤解よりも相手を傷つける。『愛犬の仇』。言われた小札がどういう感情を抱くかまで昨晩の
ミッドナイトは考えていなかった。共闘のために決着させるべき問題を、わだかまりを、後々になって爆発させる方が小札と
自分を傷つけると考えたから、初っ端で明確に線を引いた。万一人柄に引かれ親しくなってしまった場合、ただの仇敵以上に
互いが苦しむと思ったから、予め告げた。もとより音楽隊とレティクルは敵同士……、愛犬の仇と呼ぶのは『敵性の範疇』
だと考えた。加減した……つもりだった。
 されど『自分はこれだけ加減して言ったのだ』すら、聞く側には甚大で鋭利な言葉の刃であるコトは、多い。
 小札零は、傷心していた。自分が知らず知らず少女の愛犬の命を奪っていたという事実に打撃されていた。ミッドナイ
トは糾弾に加減を設けたつもりであったが、『奪ってしまった事実』に強弱はない。絶対値の問題だ。懲役20年が2年
になったとしても罪科は罪科だ。自分の行為が人を悲しませるものだったという事実は、やかましく告げられても、静か
に囁かれても、絶対値の負の領域に踏み出してしまっていたのだというコトを知らされる点において何らの変わりはない。
(…………だからあたくしとの会話で実況しない訳ですのね)
 距離の測り方が臆病だった。きっと実家で落ちこぼれ扱いされていた影響なのだろう。(実況は得意ですが会話は
苦手とみました)。サンドバッグの殴り芸はうまくても、試合ではノックアウトを稼げない。そういうタイプ、らしい。
(それでも)。タオルの横でよろよろとファイティングポーズを取っているのが今の小札だとも思う。向かい合おうとはして
いる。罵声よりも、自然消滅的な断裂に到るのを恐れ、会話の機会を設けるためにどうにか個人間の繋がりを保とう
としている。
(ロッドの特性通りの性格ですわね。『壊れたものを、繋ぐ』)
 高貴が突っぱねていい態度ではない。
(小札は悪くないのですから。意図してブレスを殺めた訳ではないのですから)
 3年前の大能力発動がめぐりめぐって運悪く最後の寿命を削ってしまっただけ……そう考えながら話を進める。
「とにかく。弱体化したあたくしには『リルカズの3人』を1人で殲滅する実力はありませんの。悔しいですが、彼らの能力を
総角と小札から聞き出し充分に対策を練ったとしても十度に四度は敗北または継戦を危うくする重篤の傷を負う。よしんば
全員に勝ち抜けたたとしても、本命たる、にっくき『司令官』へ報復する余力は確実に消えうせます」
「であるが故に、不肖たちを鍛えたい、と!!」
 やはりそういう流れだったんだな。貴信は得心がいった。
「確かに敵が多数控えている以上、僕たちが弱いままでは話にならない」
『よーわからんけど、ご主人がいいならあたしもあたしも!!』
 香美には太平楽しかない。
「要するに土星は我らに露払いをしろと命じている訳だが……幹部を狙う我が昨晩、幹部ですらない者をどうにもできなかっ
たのは事実。力量は、足らない。鍛えねばならない。よって教導には大人しく従おう」
 強くなければ目的は果たせない。人型になれない……無銘は風寒しの口調だ。
「そう。相手がお兄さまたちだったとはいえ、手も足も出なかった貴方がたは正直見過ごせませんの! あたくしはお姉ちゃ
んなんですから、未熟な弟妹を教え導き向上させるべき義務がある! リルカズの3人は関門として……ピッタリですの!」
 腕組みをし勢いよく歯切れよく叫ぶ少女に(でもこの人、長女じゃないんだよなあ)(少なくても姉は2人いる)(あたし知ってる!
スエッコて奴じゃんこいつ!)(フ。昔からこいつは何かと姉ぶる。末っ子なのがコンプレックスだから、姉ぶる)
 音楽隊が失礼なコトを思う中。

(ううう。ですが並べば不肖、妹にしか見えぬ容貌…………)

 小札だけはうるうると涙ぐんだ。「小学校は楽しい?」。フロントに抉られた傷がいま再び痛んだ。

「俺の旅はもとよりレティクル打倒の戦力を育てるためのもの……」

 異論はないさ。総角が受諾した瞬間、音楽隊、ミッドナイト道場への入門決定。

「ちなみに司令官の傍にはもう1人、少女が居ましたわ。本名は不明。ですが副官副官と呼ばれてましたわ」
「つまり敵は最低でもあと5人……」
「もし屍部下が再生産可能だったらそこに昨日の3体が加わる、か……!!」
(或いは……更に強い『死者』が、追加で…………)
 小札の瞳が揺らぐ。かつていた組織(リルカズフューネラル)の構成員は……『7人』なのだ。

「…………。フ。ところで、ミッドナイト、『お前の本体』……どこにいるか分かるか?」
 とーぜんですわ。あたくし自身ですもの。武侠は薄い胸を張った。
「岡山県の倉敷市近辺ですわね」
(中国地方の!)
(岡山!?)
 関東神奈川の無銘と小札は瞠目し。
 見つからぬ訳だ。総角は大仰に肩を竦め掌を倒す。
(そーいえばミッドナイト氏の本体を探すのがここしばらくの目的だったっけ)
 しかし遠いなあと貴信は思う。横浜から倉敷……五十三次すら尽き果てる彼方だ。
「遠いからこそ好都合ですわ。目的は倉敷! 目指しつつ鍛錬しますわよ!!」


(倉敷、か)

 美丈夫の脳裏に巨大な橋が浮かぶ。『瀬戸内海』に佇立する、長い長い橋が。

(…………まさか、な)

 司令官の、狙い。或いは──…




 時は3年前に遡る。1995年8月下旬。レティクル壊滅から2週間も経っていない蒸し暑い夜。


 軍捩一は無事殺せた、心臓発作にしか見えないだろう。友が笑いながら言い放った瞬間、石榴由貴は足元が崩れたよ
うな錯覚に見舞われた。引き当てられなかったからだ、と思う。昨晩とつぜん自室のドアを叩いた者。二度と逢えぬと思っ
ていた友が話す計画を前に、正しい選択肢を引き当てられなかったからこんな取り返しのつかない破滅が訪れてしまった
のだ……自罰の嫌悪のなか飛び込んだ洗面所で顔を上げる。蛇口は全開だった。酸っぱい匂いを下水道へ追放するた
めだ。瀑々たる滝音のなか鏡の向こうに母を認める。生活に疲れると鼻の両側に斜線が生まれる……ベルトの金具を内
職しながらよく言っていた母の言葉が蘇ると、涙より先に笑いが出た。(生活に、じゃないよお母さん)。グレープフルーツよ
りも苦酸っぱい痛みが頭の中でガンガン響く。(理想と現実の乖離に疲れると…………出る、出るんだよ、コレは……)。
鼻の両側にうっすらと浮かんだほうれい線のような醜い皺に人差し指の爪をそれぞれ立てる。血が出る。かまわず捻じ込
む。痒みも何もないが自傷せずにはいられない。

 死んだ。戦捩一が死んだ。殺したんだ、見殺しにしたんだ。鼻の両側で涙が流血と入り混じる。
 殺害計画。明かされた時点で止めておけば。止めなくても戦団の誰かに言っていれば…………。
(人の死を、看過した! 誰よりも人の命の重さを分かっていなければならない検死官たるこの私が……救えた筈の命を!
見捨てた、見捨てたんだ……!)

【だが本当はこういう形こそ望んでいた】

 鏡に映る小さな顔が、言う。友の顔だ。追ってきたらしい。口調は平素と違っていた。隠されていた真実の顔がいま露呈さ
れていた。

【日々乖離しゆく理想と現実の象徴こそ軍捩一だったのだろ? 彼をマトモな白州に引きずり出せたとしても、量刑はたかが
知れていると分かっていたのだろ? 実際そうだ。裁判は、時間がかかる。幹部との内通を公式に認めさせるだけでも5〜6
年かるく吹き飛ぶ。有罪に追い込めたとしても死刑にはならない。一番重くてせいぜい戦団からの追放……。童女への劣
情から、ひとつもの命を謀殺したゲスが追放程度で済まされるのだ。なのに、だ。そこまでの過程は驚くほど困難だ。偽証を
暴くため莫大な数の資料と格闘し、連座を恐れる馬鹿どもからの圧力と日々戦い、心なき中傷に爆発したいのを必死にこら
え、裁判上の手続きを戦士の激務の傍ら営々とこなす……そんな休息なき星霜が、5年も、6年も、或いはそれ以上、続く
のだ。なのにやり抜けたとしても、親友を殺した者は、殺されずに、終わる。”それが”成功例だ。悪ければ無罪放免、のう
のうと元の職に復する、奴が勝ち、お前が負ける】

 水の音ばかりが大きくなってくる。足元が揺らぐ。現実感が薄れていく。

【お前は軍捩一を殺したかった。その手で直接殺したかった。『あんなもの、食欲で人を殺すホムンクルスと何が違う?』と
思っていた。友を殺した怪物を討つ者は英雄と呼ばれる組織にあって、友を殺した人間を討つコトが禁忌とされる現実のあり
ように疲れていた。投げ出したかった。だから思いの丈を晴らしたかった。検死官としての立場をうまく使い、軍捩一の信用
を得て油断を誘い……確実に、残虐に、親友の敵を討ってやるぞと考え始めていた……】

「違う!!」

 洗面台の中でごうごうと巻く渦を叫びが切り裂く。確かに戦捩一は石榴の親友・幄瀬みくすを謀殺の形態に追い込んだ男。
 弱味を握った幄瀬を苦々しく思い、偵察区域を敵(レティクル)に漏らした。結果幄瀬は筆致ですら切り出しがためらわれ
る拷問の犠牲になった。奇跡的に回収された幄瀬は、検死官としての心を散滅させるに存分なおぞましい傷の見本市。
 石榴由貴は軍捩一を憎んでいた。むろん直接の仇は金星であり木星だ。だが連中の毒牙が友に及んだきっかけは、
軍捩一だ。手引きさえなければ友は死なずに済んだかもしれない。ただ怪物の手に落ちただけなら戦士のよくある悲劇だと
納得できたかも知れない。そんな思いがずっとあった。だから軍捩一は、殴りつけてやりたかった。破滅すればいいと思っ
ていた。

 しかし。

「最後の一線だけは超えちゃいけないんだ! 人は人を殺してはならない! どれほどの屈辱を受けようとも、真当な形で、
堂々と、決着をつけられるのが人間なんだ! ミクスンの、幄瀬の仇は、正式の手続きで訴え、公式に罪状を認めさせるコ
トでしか取れぬ類のもの……だった。なのに、なのに…………!」

 振り絞るようひり出した石榴の抗いも、

【……。最後の一線だけは超えてはならない。正しいよ、確かに。だがね、『人が人を殺してはならない』……それが最後の
一線だという証明は、果たしてどこにあるのかな?】

 弱味を打撃されれば対応できない。

【国家は人を殺す。国土防衛のために殺す。領土拡大のために殺す。中絶だって認める。安楽死を合法とする国さえある。
そもそもだ。裁判を経た絞首刑と、経なかった絞首刑の違いはどこにある? 手続きが万全な死刑が正しく、手続きに不備
のある死刑が誤りだという論拠は果たしていったい……なんなのだ? 書類を沢山書こうが、判子を沢山押そうが、人が人
を殺すのに変わりはない。役人が仕事の一環で人を死に追いやる作業を進めるのと、強盗が仕事の一環で人を死に追い
やる作業を進めるのと、どこが違う? 両者とも金のための作業ではないか。法に沿うか否かが分岐? だが当時の法に
沿っていた行為であっても不備で大勢死なせたならば民草こぞって訴えにかかるのが法治国家……。紙と判でいかように
も破られる命の扱いが最後の一線というなら、命(それ)は紙と判にも劣る脆弱な概念でしかないのではないか? 実際、
大東亜は赤紙ひとつで、気軽に──…】

「屁理屈だ……!」

【だと、しよう。だがお前の文言は言い換えると最後の一線さえ守っていれば何をやってもいいというコトになる。事実だ
ろうな。最後の一線さえ守ればあらゆる行為はいつしか必ず正当化される。全線から一線を引いた無限にも等しい数の倫
理の線の悉くを寸断したとしても、それが、市井に生きる力弱い人たちを最優先で守る構造の建築に繋がるのであれば…
…肯定される。同時代の上司にどれほど責められようと、後年の民衆からは、必ず。英雄とは常にそうだ。戦乱を終わり
へと近づけたのは比叡山や本願寺ではない。それら仏門の者たちが忌み嫌った殺劫の者だ。『幄瀬みくす』もまた最後の
一線以外は破る者だった。許せぬ者を許されるやり方で裁く聖なる奸知の持ち主だった。然るに……】

【お前は最後の五線六戦までも守ろうとはしていなかったかね?】

【お前に間違いがあるとすれば、軍捩一にとっとと幼体を投与しなかったコトだ。奴が幹部らを逃がした時点で実はホムン
クルスだったという話をでっち上げなかったコトだ。お前は要するに中途半端だった。正義にも悪にも振り切れなかったの
が失敗だった。未熟な感情と、お仕着せの倫理観を両立しようとしたからだ。最後の一線を小児性愛で踏みにじったゲスを、
社会を回すための五線六線を守ったまま裁こうとしたから話はおかしくなっている。一線を踏み越えた怪物に対する一線級
の反抗の持ち主が、折角の素養を殺しながら、噴き出しそうな義憤を押さえ込みながら、うわべだけ真当な処置でどうにか
しようとするのは、胃に落ちた腐肉への吐き気を薬で抑えようとするようなものだ。元凶を断ちにかからなければ身奇麗で
はいられる。が、毒素には蝕まれる。みな、そうだ。みなそうやって腐っていく。腐った結果が軍捩一のような愚にもつかぬ
男だと分かっていながら……英雄の熱気を誰もが抑える。だから世間は、おかしく、救いがない。『幄瀬みくす』を想うなら吐
くべきだったな、腐肉を。軍捩一は殺すべきだった。幄瀬みくすに倣い殺すべきだった。最後の一線のみ守れる者へ豹変
すべきだった】

【だから──…】

【戦捩一殺害を妨害しなかったお前は正しい。間違っては居ない】

【負い目など持たずとも良い。罪悪感に苦しむ必要すらない。親友を謀殺した汚職の上司に天誅を加える。何も間違っては
いない。詩歌の一文だ。現代社会ではまず乱立を許されぬ自力の救済だからこそ、真率の復仇は民草の心を打ち後世
に続く。確かに殺人者は偉人になれない。だが英雄にはなれる。人として人を殺せる者だけが英雄になれる。未就学の
少女を刺し殺さんとした中年男を殺して止めた若人が、英雄と呼ばれぬ事態があるか? ないだろう。命を守るための
殺害は許される。尊厳を守るための殺害もまた許される。石榴由貴が戦捩一の助命を行わなかったのは正しい。幄瀬み
くすも泉下で喜ぶ……】

 幄瀬。単語が脳細胞を刺激した。生前の親友の話が蘇る。場にそぐわぬ話柄だったが、口にせずにはいられなかった。

「────」

 友は目を丸くしたが、すぐさま笑うと頷き……幾つかのやり取りのあと、姿を消した。

(私は……私は……)

 呆然と洗面台の横に座り込んだ石榴は「それでも正しいコトをしなきゃ……いけない、いけないんだ…………」。自分にしか
聞こえぬほどか細い声を一晩ずっと繰り返した。



 およそ3ヵ月後。11月下旬。肌寒い深夜の波止場で突き飛ばされた石榴は、浮遊感の中、後ろを向いた。



「『馬鹿なコトはやめろ』『やめなければ戦団に何もかも言うぞ』……何度もうるさく言い聞かせるからそうなるんだよ。長い
付き合いだったけどさあ、わかる? 石榴由貴って女はいろいろしてくれたからこそ……用済みな訳。むしろココでちゃんと
死んで貰わないとさあ、困るんだよ。生きていられると都合が悪いから。アチシの計画が戦団にバレるから」

 緩慢な主観世界の中、べらべらと告げているのは……親友の顔。レティクルエレメンツの凄絶な拷問によって確かに死んだ
筈の、幄瀬みくすの、顔。

 視界が傾ぐ。波止場がせり上がり幄瀬を夜空に追放したような錯覚に襲われた。浮遊感が途切れた。銀の水柱が視界を
塗る。口の中に飛び込んできたしょっぱさでようやく石榴は海に落ちたのだと気付く。

「といっても? 核鉄だけは持たせてる。埠頭に浮いた戦士が核鉄を持っていなければ、戦団は上へ下への大騒ぎ。誰が
取ったんだ絶対探せと躍起になる。方々に捜索を差し向ける。捜索はまずい。アチシに辿り着かれる恐れがある。だから
掏り盗ってなんかいないけど、トモダチのためにどうすればいいかっていうのは……わかるよね? 大事な大事な親友のた
めに何をすべきか…………わかるよね?」

 月すら映らぬドス黒い海面に辛うじて胸から上だけが浮く石榴。見上げる双眸が哀切に潤む。波止場上の女はいまや
あらゆる倫理の背教者だった。上司殺しに加担し、遺族を欺き、仲間をも打ち棄て、親友さえも我欲の出汁に貶めた。

(それでも、私は……)

 目を閉じ、1粒の涙を零した石榴は、海水を掬い、口に運ぶ。暗夜でも分かるほど黄土色に濁っていたそれの味はひど
かった。口中に広がる生臭さにえづきながらも、必死に、飲む。溺死と検死されるためには自ら肺に入れねばならない。
溺れるまで悠長に海面を漂っていれば思わぬ夜釣りの船に保護される恐れがある。保護されれば波止場の上の女の計画
は露見する。彼女の戦団への復讐が……破綻する。
 石榴。一刻も早く溺れ死ぬためには自ら海水を気道に入れねばならない。一度呼吸が乱れさえすれば、あとは自動だ。
パニック状態の体は勝手に沈む。海中の顔がガバガボとあぶくの数珠を吹きながら飲み放題を決め込み、やがて死ぬ。死
ねる。

 石榴はあれからここまであまりに多くのものを裏切ってきた。良心はただひたすら自死ばかり願っている。だのに理想と
現実の乖離に疲れ果て壊れた心は、償いのための自死さえも『親友の復讐』に利用しようとしている。
 総ての原因は……断ち難きひとつの、未練。
 懸命に戦う戦士が、軍捩一のような、権力争いの票田固め以外なんの取り柄もない男によって死へと追いやられるこの
世界が『誰か』に殴りつけられない限り……
(死んでも、死にきれない)
 という未練。
『親友の復讐』は殴りつける拳の呼び水たりうるか? なる筈だ、絶対に。
 やらなければ、誰かが声をあげなければ、軍捩一が如き者に戦士が牛耳られる不合理な世界は……変えられない。所
有する核鉄を使いさえすれば逃げられる海原でみずから溺死を選ぶのはそのせいだ。

 波止場に黄ばんだ食品トレーや、ナマコのはらわた色の泥がラベルにべっとりなペットボトルが打ち寄せているほど陰惨な
海に、水を掬う音と、啜る音と、えづく音が繰り返し響く。乗船の断崖に腰掛けた幄瀬みくすの姿形の渦中で、双眸、心地よ
さげに細まる。静かな夜だった。凪の海に、掬い、啜り、えづく音が淡々と流れた。断崖の女性は足を交互に動かす。遥か
下ではちゃぷりちゃぷりと波が鳴る。
(錬金術って本当に、便利)
 遺族に引き渡された幄瀬みくすの遺体は偽者だった。だがそれをどう調達したかは今の主題ではない。重要なのは、
幄瀬みくす本人の遺体が死後からの今まで3ヵ月半、荼毘に付されるコトなく現存していたという事実。
(…………ふふふ)
 波止場の女の黒いブラウスが輝く。左胸から軌条が溢れる。上下を向く水滴を重ね合わせたような紋様は紛れもなく章
印。人間型ホムンクルスの、証。
(死体でも幼体さえ投与すれば再び動く。幼体の基盤(ベース)そのままの人格で再び動く…………)
 フランケンシュタインの怪物の製造法を小耳に挟んだコトがある。不能率だ、と思った。人格崩壊か記憶喪失、或いはそ
の両方を抱え込む上に、定期的なメンテナンスすら必要ときている。ホムンクルスは、違う。幼体の人格はたとえ動植物の
ものであっても投与対象の人格を抹消し、健在を勝ち取る。記憶についても同様だ。これよりおよそ10年後の出来事とな
るが、鷲尾という、オオワシ型のホムンクルスは、撃たれて死んだ記憶も、創造主によって再び命を得た記憶も、正しく間
違いなく保持していた。メンテナンスについては、人喰いという業こそあるが、しかし犠牲となった宿主の人間の部分が人間
に戻ろうとする本能的な未練……つまりは精神的なものであり、事実摂らねば肉体が崩壊するという事例は報告されて
いない。
(死体を動かしたかったら禁書より幼体っしょ。ホムンクルスのが断然いい)
 そして戦士は幼体に詳しい。麻薬取締官が麻薬製造に詳しいよう、詳しい。



 時系列の上では後年の、イオイソゴの言葉。

──(ひひっ。『末期癌で事切れ』『瓦礫の下敷きとなり』『戦団には遺体の姿で帰った』ものの、
──『ふらんけんしゅたいんの怪物』のような人格破綻を起こすことなく、『蘇って歩けるようになり』、
──従って『武装錬金まぎーあ・めもりあも生前どおりの形で発現できる』……
──恐ろしく都合のいい、在り得からぬ方法じゃが、実はこれらを矛盾なく成立させる手段がある。

──ひひ、実に簡単じゃよ。錬金術を齧る者なら基本中の基本、戦士のみが目を背ける……)



 気付けばえづきは消えている。波止場の下を覗き込むと、石榴由貴は浮かんでいた。

「君の友情にカンパ〜イ♪ ってもう飲みたくないか」

 あっひゃっひゃと空裂き笑いながら倫理の背教者は断崖から波止場へ飛ぶ。

「さーてあとはアチシの始末だ」

 どこからともなく手中に現れた物がある。仮面だ。口元以外を覆うタイプの。顔面の中央には三角形の黒い窪み。窪み
の中には円。垂直の中央線が通っており、黄色をしていた。

「死体を動かすからには、顔、見られるのはマズい…………」

 どこからか取り出した仮面をかちりと装着した彼女は、波止場の倉庫が落とす闇のなか、いずこかへと歩み去った。

 夜明けの少し前、石榴の行方を追っていた戦団事後処理班は彼女の遺体を発見する。
 争った形跡がなく、核鉄も所持していたため……自殺として、処理された。



「ふふっ」。アジトの奥の執務室で不意に肩を揺すった仮面の女に、副官は不気味な虫用の視線を容赦なく突き刺した。
「なに笑ってるんですか。昨晩木星相手にかなりヤバかったのに」
「それがさあ聞いてよ副官くん! アチシいま昔のコトどこまで思い出せるかチャレンジしてたんだけどさあ! 年喰うと
ダメだね! 思ったより思い出せなかった! ほらあるでしょ、子供のころ読んだ漫画のキャラなら脇の脇のキャラの名前
すらスッと出てくるのに、3ヶ月前見たドラマの主人公の母親の名前は役者の人の名前でしか出てこんみたいなコト!!!
似たような単語のさあ、例えば洋画の有名キャラばっかが前に出てきてジャマしてくれて、半日ぐらい思い出せずモヤモヤ
する、みたいなの二十代超えるとかなりあるよねっ!!」
「ないです。あなたがただ耄碌してるだけです」。キャンパスノートにボールペンで何事かさらさら書く副官くんは司令官を
見ようとすらしない。「それと覚えられないのは節操もなく次から次に見るからです。子供のころのように作品ひとつひとつ、
毎回毎回何度も見返すというコトをしないからです。収入に任せてあれこれ手を伸ばすから、細かい部分を忘れるんです。
能力じゃなく姿勢の問題だし、この話すら今月5回目です」
 言うてくれるねえ。『司令官』は笑った。
「でもさあ、忘れたら忘れたら得だよねぇ。間違って買った二冊目すら初見の気持ちで読めたりしちゃう」
 てへっと仮面から覗く弧の口に上向きの舌を付け足す司令官。
 与太話はそれぐらいにして下さい。冷然四白眼家電製品風少女はソーダ味のアイスの色彩有すセミロングを揺らした。
「兄妹出撃のあと、『リルカズ』残り4体のうち3体が生産完了しましたが……、どう使います? また差し向けますか? そ
れとも拠点(ココ)の防衛に?」
「それは! もちろん!」

『?? 云われたとおり武装錬金は発動したけど……なんでまた、こんな所で!?』
 横浜中華街から南西に歩くコトしばし。他の面々同様いつもの服に戻った栴檀貴信は薄墨色の街の中で極力声を潜め
つつ首を傾げた。
 8月2日午前3時02分。例のホテルを引き払った少し後の話だ。高架が西に見えるそこそこの幅の道路に入った音楽隊と
ミッドナイトは、ある地点で総角に制止を喰らう。
『止まる!? ここで!?』
 貴信が首をのばしながら目を凝らしたのも無理はない。あと200mほどなのだ。明らかに駅とわかる建造物まで。
(目的地が岡山の倉敷とわかった以上、使うのは普通……だよな!? 始発がまだだから止まれ? いやそれなら始発後
にチェックアウトすればよかっただけだし……)
 戸惑いはどうやら無銘も同じらしい。一応指示通り出した兵馬俑の足元を落ち着きなく8の字に歩き回る。
 ミッドナイトは人差し指を立てる。
「ちなみにいま見えてるのは中華街口……北口ですわね。で、道路の向かい側にあるあの建物は横浜山手中華学校」
「よくわからんけど、探検したらたのしそーなのはわかったじゃん。ここいい、なんか、いい、うろつきたい!!「
 あなたね……。土星の幹部が呆れる中、香美の後頭部で貴信は困る。
(ところであの駅、なんて名前なんだろう? 外壁に刻まれてはいるようだけど、こっちからだと平行になってよく見えない……)
「石川町駅。本年1998年時点における横浜中華街の玄関駅でありまする! 2004年あたりになりますればもっとこう別な
場所が玄関口になったりならなかったり致しまするが現在はいまだ1998年であるがため石川町駅が横浜中華街の玄関
なのですっ!!」
 小札が第四の壁すれすれの説明をロッド突き上げつつきゃあきゃあ叫ぶ傍で無銘はううむと考え込む。
(ならばますます岡山行きには欠かせぬ場所。通らねばならぬ場所の近くでどうして総角さんは我らを止めた……?)
「ところで香美、近づいてくる奴はいないな? 本当に、いないな?」
 ここ大事だからな、真剣に大事だからなと総角が呼びかけると香美はネコミミを展開し、ぴくぴくさせた。
「あんたしつこいじゃん。さっぱよーわからんけど、近づいてくんのを聞きのがしたら弱い者イジメになるいわれたら、あた
しだってやるじゃん。がんばってがんばって、聞いてるじゃん」
 その上で走ってくるもの近づいてくるものが近辺にいないと証言されれば、人柄で信じる。

 よし。じゃあ決行だ。総角の手に光が渉り刀となって結ばれた。

(……? なぜ、刀を? 誰も近づいてきてないなら敵だって接近していない筈……。なのに、なぜ?)
 もりもり氏は刀を? 何より僕らの武装の理由は? 目をぱしぱしさせる貴信。笑う美丈夫。
「フ。目的地がわかったにも関わらずミッドナイトが『修行しながらの移動』を提案したのには2つ、理由がある。1つは当然
俺たちの底上げだが、もう1つは、だ。そもそも……俺たちが交通機関で一足飛びに岡山へ行こうとすると……まず間違い
なく犠牲が出る……からだ」
「犠牲? 我々にですか?」
「違う。一般人に、だ」
 無銘は疑問符を犬耳の周りに浮かべる。貴信もまた同じだった。
『それは、どういう』
「見た方が早いですわよ」。武侠はそっと貴信の腕を取り引き戻す。しなやかに鍛えこまれた腕部のまろやかな柔らかさに
どぎまぎする少年をしってか知らずか、高貴の少女は唇を横へと艶福に伸ばす。「武装錬金は念のためですけど、あまり
近づくと……巻き込まれますわよ?」
(巻き込まれる? 何に?)
「ま、じっとしとくコトだ。すぐ済む」
 フっと笑う総角は歩を進める。長い足は伊達ではない。瞬く間に200mの距離を削りとうとう石川町駅中華街口の正面に
到達したとき”それ”は来た。

 16時間前。岡山県某所。アジトの中で。

「いたずらに屍部下を差し向ける必要はないよ。こっちはこっちで計画の仕上げにじっくり専念」
「時間を置けば道中音楽隊が強くなる可能性もありますが?」
「いいのいいの。奴らが強くなって? ミッドナイト本体を抑えて? それありきの計画が頓挫しても? 別にいいじゃんさ、
構わない。『私たちの本当の願い』はもっと別なトコにあるんだからさ」
「……否定はしませんが、司令が強敵らを前にへらへら笑っている組織が狙い通りスカっとできたタメシはないですからね?」
「ふふ。副官くんが狙い通りになんかしたくないから……アチシがこうして居るんだよ?」

「ま、ミッドナイトが出奔した時点で音楽隊急行の手立てはツブしてあるけど、ね」



 まず貴信が見たのは立方体、だった。地中から舗装を透過し現れた。軽やかに地を蹴った総角の爪先の傍を音もなく掠
めつつ浮上した立方体は校長の重厚な机ほど大きかった。立方体には細長い砲身がひとつだけだがついており、いかなる
仕掛けか、立方体ごとしばし回転し……総角を捕捉。ビーム光弾を速射したが総て日本刀の鎬に受け止められ霧散する。
(ソードサムライXの吸収特性……!)
 防御と攻撃は同時だった。左右への最低限の振りだけで金のつぶてを吸いつくしながら総角は大きく腰から踏み込みつつ
地摺りの剣先を跳ね上げる。砲身は竹槍に加工され宙を舞う。地響き。総角は金髪を揺曳させつつ2歩分飛びのく。
 幽霊の如く歩道を抜け立方体に後続する浮上物は、レトロな懐中電灯の尖端のようだとは貴信の感興。漏斗型という小
洒落た比喩など浮かべようもない一瞬の急襲だった。なおもけたたましく大地に這い登る異常。懐中電灯の尖端の下部に
は短く切りつめられた円筒が付いていた。円筒の東西南北には五角形を台形状に押しつぶした羽根がそれぞれ1枚ずつ。
 珍妙なフォルムだ。だが総角はどうしても見せたかったらしい。立方体と漏斗と円筒と羽根で構成された謎の兵器は、巨大
だった。長身の総角のゆうに2倍はあった。
(なん……なんだ……コレは? ホムンクルスでは……なさそうだけれど……!!)
「『これ』が修行しつつの道中を提案した理由、ですわ」
 キツネ指がツインテールを跳ね上げた。その傍で平然と立っている小札を頭から爪先まで見た貴信はどうやら自分と無
銘だけが初めて見る能力らしいと受け止めた。隠れていたのだ、後ろに。チワワが、ぷるぷるしながらロバ少女の足の、後
ろに。右前足だけあげているのが年相応の愛嬌だった。
 少年忍者がこわごわと様子を見ている間に怪現象は決着した。くるりと踵を返した総角が駅の入り口から遠ざかり始めると、
奇怪の兵器は地面に没した。
 土はおろか舗装の破片ひとつ飛ばぬ様子に貴信はようやく気付く。
(『すり抜けている?』 道路を、ゴーストのように……?)
「……いったい、今のは…………?」
 フサフサのしっぽを後ろ足の間に巻き込んだ無銘がギクシャクカクカクと義母の足の後ろから歩み出ると、ツカツカ近づき
つつある師父は、笑った。
「浮沈特火点(ふちんとっかてん)の武装錬金、『デプスマーメイド』。亜空間に潜む待ち伏せ型の能力だ。特性は『登録者排除』。
顔を登録された者が敷設設定点半径25m圏内の『防衛区域』に入った場合、自動(オート)で浮上し排除行動を決行する。そ
してその装甲と火力は、対象が浮沈特火点に近づけば近づくほど強烈なものとなる」
 今回の敷設設定点は改札口やや奥ってところかな……? と初心者にわかるようなわからないような衒学的な捕捉を付け加
えた総角は、一同のすぐ前へと足を止め、更に続ける。
「破壊は一応可能だが、対象が敷設設定点5m圏内に到達してからのしぶとさ激しさときたらなかなかでな。日中、駅の中へ
無理矢理入ればそれだけで民間人が巻き添えで死ぬ。10の倍数で軽く死ぬ」
(今回は改札口から離れた入り口近辺だったから、あの程度、か……)
 貴信は少し怖くなった。未遂に終わったためエネルギー散弾の威力は見れなかったが、総角をして『なかなか』と言わしめる
バイアスのかかった物が非力な一般人の中で発動して、幸せな結果が出るとは到底おもえなかった。総角がしきりに香美へと
通行人の有無を問うていた意味もここでようやく腑に落ちた。たかが紹介と検証で巻き込みたくないという訳だ。だから明け方
より更に前の、ほとんど誰もが眠っている時間にわざわざ駅へと来たのだろう。
「反面、敷設設定点から25mを超えた距離にさえ後じさればただいまの如く即座に消滅いたしますゆえ、仕掛けぬ限りは
無害なる能力でもあります」
 よもや……無銘はうっすら牙を覗かせる。
「コレも『リルカズの者の』……能力!? 例の屍部下の変則的な……我らへの襲撃!?」
「本体は機雷社歌(きらい・しゃか)。やはり彼女も司令官とやらに操られているらしい」
 変則的だが恐ろしい攻撃だな……貴信は汗を流す。
(石川町駅。横浜中華街から岡山県倉敷市に行くため必ず通らなければならない駅だ。そんな大事な場所に『登録した者が
近づくだけで浮上し、攻撃を加える』能力を設営するとは……)
 禁圧は心理的側面が強いため、完璧な有効打ではない。レティクルの幹部であれば犠牲などむしろ目当てで駅に入ろう。
だが音楽隊の総意は逆だ。『誰か』が錬金術で傷ついたり死んだりするのは絶対に嫌だし、防ぎたい。少し前まで普通の人
間だった貴信には特に強く思う。
(……問題は、『どこまでに、どれだけ設営できる能力か』だな…………!)
 リリーフは、無銘。
「敵は岡山への交通機関総てにアレを? 空港や駅はともかく……バス停まで? いや! それならば呼べばどこにも来る
タクシーの封じ方がわからん! っ! 第一、車や原動機付自転車を自腹で購入するという抜け道への対処は、どう」
「本家の防衛策は」。総角は目を細める。「要衝への配置だ。いかなる乗り物を使おうと必ず通らざるを得ない場所にデプ
スマーメイドを仕掛ける」
「岡山! 東京国際空港から空路で目指すにせよ、東京駅から新幹線で目指すにせよ、こちら石川町駅はそれら最短ルート
に欠かせぬ起点! 浮沈特火点を仕掛け防衛するのは当然でありましょう!! もちろん東神奈川駅や横浜駅、東京国際
空港や岡山空港”そのもの”にも仕掛けられているコトでありましょう!」
「いやそもそも、浮沈特火点がわからぬのだが!?」
 無銘は悲鳴をあげた。
「一種のトーチカであります! ただし他のものと圧倒的に違いまするは潜水が可能という一点! 大東亜戦争のころ日本
陸軍技術研究所が敵上陸部隊を水際で殲滅せんがため開発いたしましたこの『特殊潜水砲台』は全周回転盤に九四式3
7mm速射砲を据え付けた一品でして、海中からザブン! 波の中からザブン! 飛び出しては鬼畜米英の上陸用舟艇を
撃滅する予定でした!!」
『……予定、ってコトは』
「実際の活躍はなかったそうですわよ。実質試作倒れ。だってトーチカですのよ? 自力移動はできませんの。だから敷設
はヤマカン任せの一発勝負。撒いたところに敵が来れば勝ちですけど、来なければ大失敗」
 斯様な兵器とかどうなのだ……無銘は呻く。
「フ。だがこの武装錬金本来の使い手なら役立たずな元型すら、完璧に使いこなせていたろうな。舟艇のくる場所ことごとく
ドンピシャリと当てた」
『ココ石川町駅が空路陸路の起点と読んだのは慧眼のごくごく一部……という訳か……!』
 しかもそれは普通の道にすら作用する。いっとくが『特性』じゃなく、創造者の『個性』でだ……剣客はくすくす笑う。
「フ。住まいの街を探検するとき、どれほど裏道通ろうが結局いつかは信号のある交差点に引っ掛かるだろ?」
『確かに便利な裏道に限って妙に大きな建物大きな敷地に遮られる!! 普通の道路への合流を余儀なくされる!!』
「フ。そういった理由で『どれほどマニアックな道のりを得ようと、通らざるを得ない』道を見つけるのが上手かったのが……
機雷社歌(きらい・しゃか)、デプスマーメイド本家の女さ」
 つまりタクシーはおろか自前で車両を調達しても必ずどこかで引っ掛かる訳か……。無銘の分析、実に的確。
「屍部下として再誕された社歌どのの防衛眼は健在と見るべきです! 長距離バスでもヘリコプターでも、進行最中、突然
浮上し、攻撃! 他の車両が巻き込まれるのも構わず市街で火勢を撒き散らし……といったコトは必ずや起こりましょう!」
 ところで貴方もそれを知ってたんだろうか! 貴信に呼びかけられた武侠、「大声は気になりませんけど、小札の直後は
やめてくださる、小札の直後は」と片耳に指入れつつ、うっすら涙ぐみつつ、素直に答える。
「そりゃあ、3年前は敵でしたもの。あたくしはかかったコトありませんけど、やばいぞマズいぞと幹部らが囁き合っているの
何度か耳にしましたから、概要は、だいたい」
「だから俺たちは徒歩で岡山に向かうべきだな。もちろん山道獣道を行ったとしてもいつかは引っ掛かるが」
『被害は少ない!』
「そういうコトだな。ルートについては現在横浜である以上、東海道沿いになると思うが……市民の巻き添えを避けるためだ、
関東山地や飛騨山脈を横断する可能性が高いと思う。富士川や天竜川、木曽川も橋なし船なしの渉河、だろうな」
「橋は社歌どのの大好物でしたゆえ、必ずや仕掛けられておりましょう。人無き暗夜を選んだとしても迎撃の余波で橋その
ものが壊される恐れも……」
 不肖のロッドである程度までは繋げましょうが、武装解除すれば途端に壊れますゆえ好ましくは……という声をさえぎって
不便ですわね。とはミッドナイト。右目つむりつつ嘆息してみせた。
「鳥型が仲間にいれば河なんて楽勝ですわよ? 音楽隊名乗ってるんですからニワトリぐらい入れたらどうです?」
「ニワトリは飛べんと思うが……」
 うっ。かすかに赤くなった少女は「と、飛べるニワトリだって居ますし? むかしあたくしお兄さまたちとそんなテレビ見ました
し?」と抗弁。
『京都以降のルートは!?』
「フ。秀吉の大返しよろしく山陰道というのも悪くないが、倉敷がゴールだからな、山陽道のが近くはある」
 もっともその場合も山沿いだろうなと総角は肩をすくめる。
「確かに鳥型が居れば、……フ。大阪から海路で……という楽な手段を取れたかも知れんな」
「加入したときのために知識、持っておいた方がよくなくて?」
 そもそも何の鳥が転がり込んでくるかはわからないんですのよ、敵として出てきた場合のためにも種類や体構造、学んで
おいた方がよくなくて? ミッドナイトの申し出に総角は目を丸くしつつも頷いた。


「成程……。だからリーダー…………。私にすぐ…………沢山の知識を…………」


 当時を貴信に口伝されている最中、鐶光は合点がいった。指導者の影の努力というものを知った。



 その6年前に、戻る。

「ところで質問ですが
 武侠は挙手し、問う。
「浮沈特火点 あちこちに敷設できるのが当たり前のように話してますけど、仕掛け方、どんなんですの? いわゆる”置き”
の、創造者本体が直接設置して回るタイプですの? それとも自動操作? たとえば亜空間に放流された浮沈特火点が、
登録された座標めがけ自動で移動するタイプですの? もしくは別の形式? いずれにせよ敷設方法によって対応は変わ
ってきますわよ? まあ、あたくしは何だろうが初見でも対応、できちゃいますけど、このコたちは」と無銘や貴信たちを親指
でさし、「このコたちには知っておいて貰った方がよくなくて?」
『どういうコト!?』
「我も完全にはわからんが、補充の問題……はあると思う。石川町駅に敷設されたものを例に話すぞ。創造者の直接敷設が
必要なタイプなら、あちらにある物総て壊した時点で石川町駅との出入りは自由になる。少なくても創造者が来て再び敷設す
るまでの間は、安全となる」
『なるほど! 逆に登録された座標めがけ自動で来るタイプなら、浮沈特火点破壊に応じて自動で補充されるシステムが構築
されている可能性が高く、だからどれだけ壊しても石川町駅改札付近で延々戦い続ける羽目に陥る! と!』
 後者だな。細部はやや違うが。呟きながら総角は認識票を握る。目の前に光の矩形が現れ、それは画用紙代の薄型液晶
に変貌した。瑠璃(ラファエル)色の筐体を表彰状よろしく恭しく掲げた総角、両手で胸元に抱え込み
「デプスマーメイドの敷設はこのデバイスによって行われる」
『え、持ってたの貴方!?』
「フ。同僚の武装錬金だぞ? 複製できて当たり前だ」。俺は幹部の衛生兵すら持ってるんだからな。得意気に笑いながら
総角はデバイス右側からタッチペンを引き抜き、くるくる回した。
「敷設場所の設定はコレで行う。なぞった座標に浮沈特火点が向かう訳だ。ちなみに、画面には」
 貴信や無銘にも見えるよう上端の両側を手で挟みこまれた液晶。表示されているのは地図だった。石川町駅に該当する場所
は赤い。灰色の建物が8割以上を占めているところから(民家だな)と貴信は辺りをつける。他にも黄味(ヨーク)色や豌豆緑
(ピーグリーン)の分類不能が点在していたが、比率から、無銘は、前者が教育施設、後者が商業施設であると述べ、それは
実際、当たっていた。地図上の横浜山手中華学校は黄味(ヨーク)だった。
「日本地図が搭載されていてな。ポチっと押した場所に浮沈特火点はノータイムで到着する」
『え! 一瞬なの!? なんで!?』
「亜空間を経由しているからです。といっても最近戦団で頭角を現し始めておられる『ある忍び』の方の忍者刀とはまた違う
移動の原理がありまして
「空間歪曲ですわね。あたくしの腰帯剣は重力角操作の空間ヤマ折りタニ折りで遠い座標をくっつけますけど、それと似た、
ワームホール理論での擬似瞬間移動を亜空間内で行っているのですわね?」
 お前は話が早くて助かる。愉快そうに笑う美丈夫に武侠の頬が染まる。「下に見て。気にいらない…………」。
「とにかく再敷設は一瞬だ」
 ちなみに壊されたか否かの判断は……総角はペンを画面に押し付けた。香美が髪とボディラインをぎゃっと逆立てたの
は背後で浮沈特火点が浮かび上がったからだ。砲台に充填される光条は、後頭部にいる貴信にはひどくぎらぎらして見え
た。総角は腕を振る。ひとすじの剣閃を胴体に得た巨大トーチカは斜めにズレながらジジリと乱れ、粒となって溶け散った
。一拍遅れ響いた涼しいアラームはデバイスからのものだった。

                                       [×]
001号は破壊されました。補充しますか? [はい][いいえ]
□ 自動補充設定をオンにする(以降このメッセージは表示されません)

                                          [OK]

 灰色の矩形に青いヘッダーのついた事務的なダイアログボックスをしげしげと眺めた貴信はだいたい察した。

『創造者の手元で管制されている訳だな……!』
「つーかあんたなにしてくれんのさ!!!」
 怒りを噴(は)く香美の勢いたるや物凄い。目を尖らせ瞳孔をグルグル。ギザギザの歯が耳元にこぼれそうなほどに嚇(いか)
り狂った。顔を総角の顔に押し付け奴ばらの上背を後ろに曲げる。
「ビビった!! めちゃビビった!! あんた! やるならやるって、いう!! あたし急にくんの、こわい!!」
「す、すまなかったな。一瞬で片付けるつもりだったが、お前の野性の感得がそれより先にキャッチするとは思わなかった……」
 わかればいいじゃん、わかれば。胸倉から手を話す香美。フンと怒りつつ彼から離れる。
「というか……一蹴? 敷設点近辺の浮沈特火点はしぶとく激しいと聞いたのだが……」
「いまのは複製品ゆえ本家より弱くはありまする。もっともそれでも今の一撃は九頭龍閃級の大破壊力でもありました。言
い換えればイミテーションですらそれほどの攻撃を要するのが『敷設点近辺浮沈特火点』」
 相当だな……。無銘が呻く。
「ちなみにこの端末は、亜空間側の地図を見るコトもできる」
(あ、「フ」忘れてる。香美に気圧されて動顛してる……)

 タッチペンが画面右下にいくつかあるアイコンのうち1つをなぞると、地図はぶわりと黒基調になった。等高線と気圧配置
図を足して2で割ったような奇妙玄妙の絵図を貴信は解しかねたが、どうやらそれが亜空間の『地図』であるらしい。三次元
的解釈では追いつかぬ狭間の模様だった。

 余談であるが、過日、『山神』なる者を追いニュートンアップル女学院に飛び込んだ音楽隊一派が、アレキサンドリアの
いる亜空間の避難壕に辿り着いたのもこのデバイスあらばこそだ。ひどく人口建造物的な亜空間の歪みを発見したため
総角は複製元と因縁深き『ヴィクターの妻』と出逢った。

「惑っていないで見ろ新入り。地図における石川町駅を」
 無銘の肉球が画面の上にかざされた。土足で触って汚すのが嫌らしく、丸く小さな手がぷるぷると震えた。「>ヮ<」と無
言で両の髪房を上下に振ったのは、いうまでもなく、ミッドナイト。地にいた少年をここまで掲げたらしい。
『うわ。駅構内に金色の点がビッシリ……。これが浮沈特火点って訳か』
「なるほど。これら密集する金の点の1つ1つが半径25mほどの距離に侵入した『手配の写真ある者』襲うというから大ご
とだ。一個一個が制空権を有するからこそ『信号のある交差点』『人が通らざるを得ない表の道』といった漠然とした、区切
りなきエリアもガードできる。密集に、よって」
「付記しますとここまで何事もなく来れたのもこの探査あらばこそでして」
「てかソレできるなら、ピコピコやってさっきのこわいの全部見つけてよけてけばいいじゃん?」
 ……。香美以外の一同の顔が微妙に引き攣った。そうしたいのは山々だけど、できないの、という顔になった。
「貍奴不来(いえねこ)、あのですね? 絶対に通らざるを得ない場所に、敵は浮沈特火点を仕掛けてますし」
『仮に全部避けて岡山に急行できたとしても、僕らの実力が蓄えられてなかったら結局司令官に負けるんだぞ、香美!!』
「畦道の3体を忘れたかドラ猫!! まるで歯が立たなかった連中と同格が3体! それを従える者が……更に2体」
 ちゃんと訓練しないと、大変なんだぞ、本当、まじに……ゆらゆらと揺れながら迫ってくるミッドナイトと無銘に香美は「わかった
から! こわいカオやめてほんとやめて!」と八重歯むき出しで笑い泣きしながら両手をじたばた。

「フ。だから人々の通らぬ裏道獣道を選び、時間をかけ進軍しつつ、訓練も平行するという話なのさ、香美。俺自身、ミッド
ナイトとの戦いではどうしようもなく未熟を痛感させられたしな」
『だから鍛錬しつつ、徒歩で岡山を目指す、か』
「フ。しかも都合のいいコトに、エリアごとにボスがいる。浮沈特火点というボスがな。めいめい道すがら洗い出した課題を
ちゃんと克服できているのかどうかを浮沈特火点突破の戦いで見極める。そりゃあ浮沈特火点は努力すりゃあ避けられな
くもないがな、正面きって倒してく方が後々の為だろ? お前らの最終目標は倉敷じゃなくずっとずっと、その先なんだから」
「「「『………………』」」」
 小札は水星を。
 無銘は木星と金星を。
 貴信と香美は火星と月を。
 それぞれ思う。旅は心を掠め続ける黒い影を祓う儀式。

「それらのための課題には、適切でしょう。浮沈特火点」
 土星はゆるゆると笑う。
「『要衝』に配される浮沈特火点はかなりの量。走り抜けるのはまず無理。かといって真っ只中に留まり続ければ無尽蔵の
自動補充で消耗し尽くしやられてしまう。走破と迎撃。闘技と武断の涵養(かんよう)が不可欠の、課題」
(抜けるだけでも相当の実力が要る訳か……)
「てかよーわからんけど、ソレ、なんか、つよすぎん?」
 不意の声に一同がギョッとした。発言者は香美だった。
「なんか、めちゃくちゃじゃん。やるやつ、なんでそんな好き勝手できんのさ?」
『まあ確かに、日本全域が射程範囲? で、自動補充かつ、近づかれれば近づかれるほど強くなるのが浮沈特火点だから
……どうしようもない感じは、ある!!』
 あー、あたしはなんとなくワカりましたわ。ミッドナイトはゲンナリと肩を落とす。
「『言霊』ですわね? 機雷社歌……でしたっけ? 総角あなたの仲間の頤使者の言霊、そーとー、メチャクチャなものでした
わね?」
 頤使者の能力は言霊で決まる……今朝聞いた知識を貴信は思い出した。(……それいったら、死者と死霊の武装錬金を
『再誕』の言霊で完全再現できる本来の貴方も大概、だけどなあ…………!!?)。ニガい笑いを浮かべる。
「『測量』だ。測量の言霊を有していたから、機雷は国ひとつ射程範囲に収めるなど朝飯前だったし、人が通らざるを得ない
場所への嗅覚が凄まじかった」
「亜空間内で瞬間移動級の歪曲ができたのも測量の一環であります。ココからココが最短ルートだから通る……たったそれ
だけのコトが現空間においては無尽蔵に見える補充の正体なのです」
 だが何かに特化すれば何かが欠落するのが能力……チワワ少年は考える。
(無敵では……ない筈だ。事実機雷社歌は『屍部下』になっている。死んだ、というコトだ。理論上、己の回りに張り巡らせれば
自動(オート)で敵を撃退し続ける能力を有する者が落命したとなれば、致命的な弱点もまたある)
「まあ、いろいろあるが」
 総角の自信に満ちた麗しい顔にさっと翳がさしたのは、盟友の悲運を想ったからか。
「まず、登録には顔と名前両方の記憶が必要。記憶は直接間接の両方だ。写真で見た顔、又聞きした名前でも可だ。……
よって、フ。貴信と香美。もしお前らの面相が敵方に伝わっていなければ、お前らだけで倉敷へ急行するコトも可能だ」
「なんかあぶないコトいってるでしょあんた」
『そうだ! 運よく未登録だったとしても、敵に顔を見られたらその時点で登録されて対象になるんじゃないだろうか僕ら!』
 そうでもないさ。総角は指を立てる。
「追加登録は敷設中の浮沈特火点には反映されない。次の補充分からとなる」
「つまり不意の乱入者や、もしくは裏切り者に弱い……というコトか!」
 本体防衛中にやってくる第三勢力、または後ろから刺してくる内通者には無力……とは無銘の見立て。
「次に当然のコトながら、敷設地域以外からなら登録者であっても本体を遠距離攻撃可能。第一の理由と重複するが、浮沈
特火点が反応するのはあくまで『登録した”者”』だからな。”物”では、ない。狙撃や弾道間ミサイルは、通る。どれだけ本体
周りを浮沈特火点で固めていても、本体だけ直接狙って仕留めるコトは可能だ」
「そーいう意味では自動人形寄りの能力ですわね」。桃色の髪が狐に梳かれる。杏の馥郁があたりに散った。
「あとは……結局は物理攻撃だから一定値以上の火力防御力の持ち主なら平然と突破できるとか、時間や重力といった『場』
で亜空間を捻じ曲げられると敷設や補充が思うようにいかなくなるとか、分身にゃすこぶる弱いとか、色々だな」
『分身!?』
「第一候補。『分身殺害→安心→補充分からは登録削除→素通りされる』。第二候補。『複数の地域で同じ顔を観測すると
処理障害で機能停止またはそれに準ずる不具合の発生』。……ン? 待て待て。不具合をいうならだ、我の敵対特性はど
う効くのだ? 浮沈特火点が創造者のもとへ舞い戻り攻撃する……のか?」
『ア!! そういえばその手があったか……!』
 傷つけた武装錬金をウィルス的な鱗(うろこ)で乗っ取りその特性で創造者を攻撃する兵馬俑・無銘。攻撃から発動まで
3分ものラグこそあれど、決まればまず一撃必殺の大物喰らい(ジャイアントキリング)だ。
「問題は、昨晩の褐色少女と同レベルの者に通じるかどうか……」
 やってみなければ分かりませんわね。ミッドナイトは腕組みして頷いた。
「総角居るんですし、使わない手はなくてよ? なにしろモノを複製できるんですから」
『効き』が本家と複製で同じか否かは、あたくしか小札か栴檀貴信の武装錬金で検証すればいいですわ、つってもあたくし
がお姉ちゃんである以上、弟妹に危機及ぶ検証を誰が引き受けるべきか明白ですけど。武侠は頬を染めどきどきと期待
を篭めて呟いた。
(怖い作業を引き受けてくれる以上、いい人ではあるのだけれど……)
 そうまでしてまでお姉ちゃんと呼ばれたいんだと好感半分呆れ半分で貴信は痙笑。
「……ええと」
 小札は無銘になにか言いたそうにしたが口を噤む。わからなくなっているのだ。

──「いつしか人間の姿に……?」

──「いつって、いつです……!?」

 かけた暖かい言葉に泣かれて以来、深い接し方が、まったく。

「んん」
 腕を小突かれた小札は見た。しかめっ面したミッドナイトを。肘でしきりに小突いてくる彼女は粛然とした瞳で告げている。
(母親ってのは強くあるべきじゃなくて。あたくしのお母さまは文系で、気弱なところもありましたけど、最強の戦神の誇りだ
けは守り抜かんと足掻いていた。30億の犠牲と引き換えに生まれた罪に怯えながらも、強くあるべきところでは…………
強かった)

 鳶色の瞳が薄く白飛びした。次にさまざまな申し訳なさに細まり舐めるよう下を見た。だが最後はミッドナイトの目をまっす
ぐに見つめつつ小札は頷いた。緊張の汗をまぶしつつも、二度、礼を示すよう、頷いた。

「試されてみてはいかがでしょう無銘くん。ともすれば本体に総て総て向かうかも知れませぬ!」
 小札に笑いかけられた無銘は一瞬驚いたあと、後ろめたそうに眼を伏せ、「……ですね、やってみます」と遠慮がちに
呟いた。どう接すればいいか分からないらしい。「やってみましょう!!」。小札はどこまでも元気だ。
(……お母さん感あるなあ)
 貴信とて元は人の子だ。まだ存命していた頃の母──香美にやや似た、美貌かつ活況の──は幼少期の貴信が駄々
を捏ね、ひどいコトをいった後でも、申し訳なさそうにする彼に変わらず接していた。
(でも、いまのミッドナイト氏のような……『誰か』に後押しされていたのかもな…………)
 貴信は母を無条件の恒星のよう思っていた。どんな悪罵も海容して、子供への愛のみで『変わらぬ接し方』を保持してい
たのだとばかり思っていた。
(でも、実際は)
 小札の無銘への微妙な、踏み込みがたい機微を、誰かの後援でどうにか折り合いをつけ、『母』としての顔を辛うじて
保っていたのではないかと貴信は思い始める。



 岡山。

「親は子供ができた瞬間、万能になるものではない。百能が九千九百能を会得しつつやる他ないのだ」
「オオ名言。誰の?」
「私のです。だから……下らない」
 吐き捨てるようにいう副官に、司令官は手を叩く。
「親嫌いの偏見だねえ。ま、アチシも育児免許制派だけど♪」


 石川町駅前。


 総角は小札の目配せを受けると咳払いして話を戻す。
「フ。あとミッドナイト。ハロアロの扇動者は天敵だったぞ。登録不能な上に攻撃方向を変えられるからな」
「ふふん。当然ですわ。てかビストお兄さまなら力尽くで、サイフェお姉さまなら力尽くで、突破できますし!」
「ちなみに貴様は?」
「力尽くですわ」
 脳筋一族め……。無銘は、汗ばんだ。
『というか、野暮な話をするが、貴方たちふたりその……ハロアロという人の武装錬金使えるんじゃ……!?』
「でも不完全だぞ?」
「でも不完全ですわよ?」
 声が、ハモった。総角は楽しそうに笑ったが、ミッドナイトは目を三角にし牙を剥く。
「喋るタイミングというのは無数にある筈ですわよね? な・の・に・な・ん・で! あたくしが口を開いた瞬間に被るのですか!」
「すまないすまない。フ。気を悪くさせたら悪かった」
 きぃ。武侠は、軋んだ。妹扱いされているようで不愉快だった。
「あんたら仲いいじゃん」
「だっ! 誰がこんな奴と!!! というかあなた総角と仲良くしたくて!!?」
「せん! だってもりもり、あたしに六角いのもたせてなんかさせよーとするじゃん! あれうっとうしい!! あそべん!!」
「でしょう!」
「うん!!」
 武侠とネコはちょっと通じた。
「フ。俺の好感度の低さはともかく、リルカズ残り2人……いや念のため3人か。3人の武装錬金特性はこんな感じで伝えて
いく。尤も……相性で攻略できそうなのは『守里(まもり)』ぐらいだが」
 さらりと言われた言葉。無銘は流しかけるが、気付く。東方からはそろそろ陽が登り始めていた。

「……? 1人増えた? どうして来るか来ないかすらあやふやなのだ……?」


「リルカズ最後にして最強の1体はどうなんですか。彼を土星は、産めそうなんですか、どうなんですか」

 岡山。本拠地で副官くんは上司に問う。声の冷たさときたら三度目の浮気をした彼氏を切るときのトーンだった。部屋の
合鍵を胸に投げつけた後の「ないわ」に比肩しうるコキュートスだった。

「いいねいいねえその男を生涯苦しめそうな声! ゾクゾクする! ひっさびさにテンション上がるわ神かよクッソ!!」
(……) 副官くんは静かに後ずさった。本気で引いたらしい。というかビビったらしい。
「ほ、法的な契約関係がない以上、即日での退去も可能ですが?」
 攻撃力たっけー癖に防御力皆無だな若人。腹を抱えてひとしきり笑った司令官はふと真顔になった。
「ま、産めるなら産めるに越したコトぁないね? だってアオフだよ? リルカズ最強てか3年前の大決戦最強、いやいや
錬金術史上最強の量子力学使いだよ?」
 答えになってません、嫌いです。いろいろな流れを篭めて副官くんはツンと瞳を尖らせた。
「で、土星。産めるんですか、アオフを」
「まだ無理っぽ。産気づいてもね゙」
 言葉を遮る司令官は訛っている。ふざけている。机をかかえガッゴンガッゴン揺らし始めた。
「だってアイツー、ヤッベーもん。昨日アチシがいっぱいいっぱいだった木星が火星と組んでなお負けたしー。しー。起こすの
ぜってーやべえよーー。やべええよーー。怪物じゃん怪物ぅー。マッドな博士がドヤ顔で培養カプセルから出すタイプのバケ
モンじゃんバケモノー。んで、サアゆけってけしかけた瞬間マッド博士のが第一の犠牲者になっちまうパターンの奴だよー。
だから蘇らせたらアチシが副官くんの亡骸を抱いて泣きながら音楽隊に敵討ちを頼むコトになりそうなので迂闊に手は出し
てはいけないと思いました、まる」
「私をヘンなコトのドクターにしないで下さい。自分だけちゃっかり生き延びるポジションに収まらないで下さい」
 副官くんノリいいよね。付き合いも。うへへと意味も無く不気味な笑い声を立てた司令官は、机を揺するのをやめた。
「どーせ、あれっしょ? アオフさあ、蘇らせてもさあ、どーせ妹の小札……だっけ? ロバの、ええと、幼稚園の」
「写真しっかり見てください。小学生です」
「そーそー、可愛い小学生の妹の顔みたらさあ、止まる奴じゃん。体はー♪ ゾンビのー怪物だけどーー♪ 心はーー♪
魂はーー、人なのよーー♪ って奴でさあ、あと一発で殺せるっちゅーときに、妹必死の叫びでさ、止まるんでしょどーせ。
そんでいい感じの、サントラの14番目ぐらいの感動的な音楽が流れてきてさあ、遺言残しつつ光になって消えるか、ばっ
と振り返って副官くん殴り飛ばすか、どっちかじゃんーー。ミエミエじゃんーー。そーーーーいうのさああああ、連中に感情
移入してる奴はさ、絆の強さに感動しましたっ! って手ぇ組んで目ぇきらっきらさせっけどさーー、でもさあ、ああいうの
見るとさあ、呼びかけられる前のテンションどうなってんだって気にならなくなーい?」
「別に」
「アチシはあれ、テレビ見ながら袋菓子喰ってるときのテンションと一緒と見たね。うおお夜だやべえコレ以上喰ったら太
っちまうううとか思ってんのにさあ、手ぇ止まらんくてバクバクやってるときのさあ、テンションとゼッタイ同じだって操られて
る奴!! んで奥さんなり妹なりに喰うな! って怒鳴られてビビってようやくやめる、みたいなー」
 副官は携帯育成ゲームを取り出した。時は1998年。
「だから操られんのゼッタイ気持ちいいって。愛してはいるけど愛を保つために堪えてきた色んな汚い所業を他人の責任
でやれるっつう特等席にさ、倒錯してさあ、うおヤベとか思いながらコーフンしてんだってゼッタイ。だってそーじゃん。人間
がさあ、倫理観だけでセーリツしてんならさあ、一撃目だよ一撃目。一撃目で「やめてー」の最後の絶叫級の衝撃感じて止
まるって。ペット想像してごらんよーー。しっぽ踏んだだけで申し訳ねえ、ケガしてねえかって血相変えるじゃんーー?」
 携帯育成ゲームの中の丸い生き物が死んだ。副官くんはちょっと泣いた。
「まして妹やら嫁やらに縫合必須の傷、負わせたらさあ、そのショックですわ、そのぉ最初の一撃目の結果がショックで気
付けなって正気に戻るってのっけから。でもそーじゃあないってコトぁよ? 一撃目で結構な傷与えときながら、平然と最愛を
攻撃し続ける奴らってのはさ、操られちまった奴らってのはさ、きっと潜在的にサドでクズなんだって。愛する人ぜってー守り
抜きたいってヒーローならそも最初から操られたりせんよ。愛を保つために無理して汚い感情押さえ込んできた小市民だけ
が、最愛へとかつて夢見た穢れの行為を他人責任で好き放題できるシチュが袋菓子なってやっちまうんだって」
 副官くんは携帯育成ゲームをポケットに仕舞った。
「でもさあ、最後の最後だけ自重するってのはさあ、アチシらのよーなさー、死とか裏切りとか大どんでん返しだけが目当て
のさーー、他人の不幸サカナに膝ぁ叩いて爆笑したいガチ勢はさーー、萎えっからさーーー」
「クソですね?」
「やーめーよーよー。敵に身内がさあ、妹がいる奴はさあーーー、どーせ呼びかけに感動して? 顔の下半分に掌当てつ
つブワっと涙して? 改心すんでしょワカってるよ見飽きたよ、も〜〜〜〜。やーだーよーーー。萎えるーーー。ゾンビとか
サイボーグがーーー、最後の最後だけ自我ぁ取り戻す展開、萎えるーー。てかぁ、メインキャラクターの身内だけが人外の
縛りふりほどく級の愛情持ってんのおかしいしーー。モブにだって大恋愛はありますゥ絶対ありますゥー。映されてないトコで
襲うのやめてますゥー。うあ、考えたらめっちゃ腹たってきた何してくれてんだ空気読めよモブども。ええい出力を上げてや
るウハハハこの制御チップを埋め込まれたが最後ゼッタイに逆らえんのだア!!」
「つまりアオフ復活は取りやめですね?」
「やるよ」
 副官は司令官の頬をぶった。二度ぶった。ぶってから冷たい目でこう告げた。
「やりましょう」
「っかしいなー。賛同されたって気がちっとも、ゼンゼン、まったく、カケラほどもしないんだけどぉー?」
 仮面からわずかに覗く唇を尖らせながらブーブー抗議する司令官に、さあ? 持ち場の机に戻った副官くんは資料の並
びをトントンと整理すると、静かにいった。

「物忘れのせいですよ、きっと」



(ほう。アオフを)

 電車の中、フルーツジュースの紙パックから伸びるストローをくわえながらイオイソゴは目をまろくした。
 忍法遠見貝。司令官の目に嵌めた貝の薄片によって副官を読唇した忍びは(成功したらマズいのう)と冗談まじりに、し
かし冷や汗混じりに笑う。
(わしはかつて奴に返り討ちにされかけた。火星でぃぷれすと二人がかりで、な…………)
 レティクルの火力最高峰と頭脳最優秀のタッグ惨敗……戦歴五百年の中でもトップクラスに思い出したくない記憶だ。
(ともかく奴らが昨晩、『わしを始末した』神奈川森林地帯から岡山へと移動したのは掴んだが……)
 移動手段は戦歴500年を困惑させた。飛行だった。乗り物ではない。副官を抱えるのが見えた。視界の端には銀色の
翼が映っていた。
(なんらかの武装錬金なのかそれとも調整体なのか…………)
 いずれにせよ司令官が飛べるのは確かだ。飛べる以上、一晩で山梨から岡山へ到れたコトに不思議はない。
(しかし……)。考える。(奴らの狙いは……なんじゃ?)
 鳩尾無銘が狙いという所だけは分かっている。ミッドナイト本体を攫うさいの司令官の呟きは、防犯カメラの記録映像越
しで見た。
(なぜ、『鳩尾無銘を殺せ』……なんじゃ? 音楽隊を潰せではなく、無銘めを殺せというのはどういう訳じゃ?)
 ピンポイントなのだ。それも、戦団にすら存在を知られていない、何の罪もないチワワ型のホムンクルスだけ狙い撃って
いる。
(わしらレティクルへの対処も雑じゃ。積極的に事を構える気がみえん。幄瀬の仇討ちが目当てなら徹底的に仕掛けて
来そうなものを……)
 敢えて1人1人追跡させ各個撃破……という手段もあるにはあるが、やがては行き詰まるとイソゴは考える。
(連中は頭がよく、しかも、ぐれいじんぐを知っておる。つまりわしが『失踪』した後に来る幹部は確実に『衛生兵』を相方に
来ると読めている筈。金星本体ではなく人形であれば仮にやられても核鉄1つの損で済むし、相方とて保護できる。
何より人形越しにぐれいじんぐが司令官と副官の戦法を見れるという”めりっと”さえ)
 つまり昨晩のように幹部を撃破できる訳では──もちろん昨晩ですら撃破したのは分身にすぎ──ない。幹部の各個撃破
は所詮画餅だ。
(ま、そもそも)
 イオイソゴは今回の一件、自分ひとりで行うつもりだ。

(まず盟主さまは盟主さまであるため出撃させよう筈もない。ミッドナイト本体脱走直後、おん自ら追跡を買ってでられたが
正直左様な行動は組織人としては是非もなく迷惑。実際あの出奔が音楽隊に二心同体の新戦力を加えた感はいなめぬ。
王将は動かすべきではない……)

(盟主さまを固定する以上、うぃる坊とぐれいじんぐも出撃は不可。前者は盟主さまを要塞内に釘付ける為に、後者は万一
に備え盟主さまの傍に侍る必要がある。いま見えている司令官の行動総てが王将を殺すための陽動ではないという保証は
どこにもないのじゃ。あるやも知れぬ奇襲に備え、水星は防衛、金星は治癒を、強く強く身構えておかねばならぬ)

(でぃぷれすは火力優秀なれど通りすがりとよく揉め事起こす性分ゆえ今回の隠密行には不向き。はしびろこうの姿もマイ
ナス。商人気質かつ快活のでっどは陽忍に的確じゃが、義手と義足をつけてまだ数週間、いつ戦闘になるか分からぬ隠密
行に引きずり出すのは危険でしかない)

 隠密行は『司令官のアジトへの突入』をも含む。司令官と音楽隊の戦いに割って入って無銘を喰うのが目当ての以上、
当然だ。行き着くまでの間、ディプレスに雑兵相手の騒ぎを起こされても困るし、デッドが義足を壊され歩行困難になって
も困る。幹部は現在6人。うち若手はデッド1人。鉄火場で有力株が動けなくなったらイオイソゴは迷いなく連れて逃げ帰る。
無銘を逃すのは口惜(くや)しいが、若い仲間の未来を潰してまで……というのは

(忍びの大原則に反するよ)

 年長者が私欲で若人を死においやる組織など、長くはない。なにより司令官は既に1人、土星(かんぶ)を操っている。
食欲可愛さで見捨てた月(デッド)までもが同じ轍を踏んだら、最悪だ。もし操られなかったとしても遺恨は残る。死にぎわ
最後の嫌がらせとばかり無銘食いを邪魔しにきたら最悪だ。媒介狙撃はイオイソゴですら『読み辛い』ものなのだ。

(じゃからわしは仲間を利用せんし、切り捨てもせん。これは組織の成長のためであると同時にわし自身のためでもある。
穢れたる欲を邪魔されぬよう、わしは味方を大事にする)

 敵の無銘すら、他者の矛から守るつもりだ。司令官なる突如降って湧いて出ただけの馬の骨に殺されてなるかよと黒く
頬に皺寄せ、せせら嗤う。

(ただ、なぜ……殺さんとするのか、じゃな)

 生まれてわずか3年……ここまで音楽隊以外の『世界』とは何の接点もなく生きてきた少年が、どうして殺意を向けられ
るのか。恨みは、どこで? それとも司令官は縁者なのか? 無銘が旅のさなか斃したホムンクルスのどれか縁者なの
か? 
 だとしても、だ。幹部(ミッドナイト)を操るほどの力を直接無銘に向けぬ理由が分からない。仇だと思うならそれこそミッド
ナイトの如く真向音楽隊に斬り込めばいいだけではないか。
 土星を操り無銘を狙う迂遠さはどう考えても、不自然だ。
 しかも司令官の素顔は幄瀬みくすに近しいもの……。かつて金星と木星の手の内で死んだ女との関係が明らかすぎるほ
ど明らかな存在が蠢動し始めた以上、目的がレティクル壊滅にあると疑うのは当然だ。
 だが堂々巡り。
 そこで無銘を名指しで殺しにかかるのは、やはり、おかしい。

(強いて言うなら)
 無銘殺害をレティクル殲滅に繋げられるやり口はひとつだけある。

 石川町駅から約10時間後。昼。

「死したる者の特性を複製できる貴様の特性。我を殺せば敵対特性が手に入る」
 休憩中。人里離れた渓流の傍で、無銘はミッドナイトに呼びかける。彼女は灰色の大きなまんじゅう型の石に腰掛けて
いる。衣装はとっくにチャイナから元のミニ浴衣だ。細いが、引き締まった白い両足を揃え、外向けた両掌は腰の両側。
「ですわね」。石のそばに、ぜえはあと息せき背を丸めて跪く貴信に時々労いの瞳を向けながら武侠は笑って頷いた。
「まだ敵の目的がよくわからない以上、”だから狙う”と断定するのは危険ではありますけども、使うコトは間違いないですわ。
尤もあたくしは特性を奪うため殺すようなマネは大嫌いですが」
「その口ぶりだと、賛成のようだな。真向堂々戦って勝った末の使役には」
 当然ですわ。武侠の桃色の唇が横に伸びる。うっとりとうっとりと伸びる。
「戦いは成長を生む。相手と高めあう構図を理想とする寰宇(かんう。宇宙)に於いて実力で下した者の能力を複製する
コトのどこが卑劣なのでしょう。むしろ相手の理合が”この”あたくしと共に生き続けるのですから、誤りでは、ない……」
 底光りする瞳でくすくすと笑う少女に(やはり幹部、だな……)と無銘は毛並みを湿らせる。犬が足裏以外で発汗するの
はよほどの時だ。天女の如き少女だが、相当、殺している。それもかなりの強者らを。
「ですが結果論です。能力欲しさに挑むのは違う。最強の眷属としての誇りを穢す。強い能力だけ目当てで命を奪うよう
な者はやがて楽に勝てる能力のため命を奪うようになる。ただれる。あたくしの挑戦はあくまで『武』の領域を高めるため
のもの。名乗りあい、手の内を明かしあい、持てる力の総てを互い出しつくさねば意味がない。能力の複製はその上で、
ですわ。勝ち、頂き、使う。殺めた命と共に生きるとはそれ。原初から続く正しき循環のそれ」
 遠くを見る少女の瞳孔は透き通っている。下した命を懐かしんでいるようだった。殺した者の大半は濃密な火花のなか
朋友になった者たちなのだろう。
立ちのぼる雰囲気は秋風のように清爽で寂寥だったから、無銘は。見とれる。
「……? なにか?」
「っ! なにも」
 少年はチワワの顔を伏せた。表情に秋風を感じたという他愛のない感想なのになぜか照れくさくて言えなかった。
「とにかく、能力を得るために殺すのは違います」。武侠の目の下に険が差す。
「生まれてまだ3年の子を、能力欲しさで殺すなど……高貴のするこっちゃありませんわ。しかも司令官はあたくしの本体
ではなく屍部下を差し向けた。徒党で、済まそうとした。能力複製は真向勝負の末の勲章であり好敵手への供養だという
のに、あたくしを、本体を、戦場に立たせるコトさえしなかった。許せないのはそこですわ。よくもまあ、あたくしの本体に、
穢れた真似を……」
 貴信が呻きながらも「行けそうです」というと、「じゃああと5分休憩なさい。初日の意気込んでるときはそれがいいです」、
武侠は答えつつ饅頭から立ち上がる。ウォーミングアップをするらしい。
「さ、お話はおしまい。あなたも初日だから5分考えてみるコトですわね。確かにあたくしの本体はあなたが死ねば敵対特
性使えるようになりますけど、使うでしょうけれど、ソレ自体が目当てかどうか初日で断定するのは危険ですわよ。古人に
云う。『必ず疾(やまい)の自(よ)りて起こる所を知れば、焉(すなわ)ち能(よ)く之(これ)を攻(おさ)め』」
「『疾(やまい)の自(よ)りて起こる所を知らざれば、則(すなわ)ち攻(おさ)めむること能(あたわ)ず』 ……墨子か」
「そ。病の原因を知らずして治療はできない。なぜ敵があなたを狙っているのかわからない限り、ヘタな推測は命取りです
わよ。こーだろうからこー来るって思い込んでると、いざって時の、敵にとっての『当たり前』が驚天動地の予想外みたく
映って居竦みますから」
 直立したまま元気な笑みで腕を上に伸ばすミッドナイト。そのまま肩の蝶番を反時計回りさせる。右肘が、鼻についた。
『できないなぁ…………』
 貴信のくぐもった声を追うと、地べたにあぐらの香美がしかめ面で右腕をいじっている。肘はというと鼻先から20cm
は離れている。
(柔軟性に富んだネコ型ですら無理なコトか…………)
 ミッドナイトは右、左とパッパパッパ付けていく。視線に気付いた彼女は、「なにか?」とスイカ口でほほえんだ。
「なんで貴様、そんなにやわらかいのだ?」
「やわらかいです? あたくし?」
 ああ、武技の鍛錬で自然となったんだな、そしてコイツは若干天然なんだな……無銘は口中をごろごろさせながら、「話
は変わるが」。
「もし貴様が我を撃破するに足る存在とみなした場合はどうするのだ? やはり……挑むのか?」
「えっ! ヤですわヤですわそんなのヤですわ!」
 土くれが飛んだ。少女が雪崩れ込んだのだ。チワワの目線にあわせるためとはいえ、高貴が台無しになる動作だった。ほ
とんど土下座の勢いだ。渓流に来たときノリでぱりぱりだった浴衣に土や小石や小枝が付着した。
「あたくしあなたとは仲良くしたいだけなのになんでそんなこわい話に!!」
 そうして両膝を地面に付けたまま、両拳を握りツインテールをゆっさゆっささせながら気色ばむのだ、武侠が。
「……オイ」。忍びは口角を引き攣らせる。
「はっ」
 醜態に気付いたらしい。立ち上がった彼女はツンとした表情で髪の右房をキツネ指で梳く。
「ふふん? そ、その程度の力量でこのあたくしに見初められようなどとは笑止千万! あなたはまだちいちゃい子供なの
ですから身の程知らずな背伸びなど慎んでいただけますか!? 眼鏡に叶いたければ功夫(クンフー)を毎日地道に積む
コトです!! 花を見て美しいと思える心を養うコトです!!」
「なぜ花……。というか貴様、本音ダダ漏れだぞ…………」
 うぅ。ミッドナイトは涙を溜める。トローチのように白い涙を丸く丸く右目に溜める。
「だってあなた……あたくしの大好きな子とそっくりですもの…………。ワンちゃんでしたけど、人間のあなたが似ているって
思うの…………悪い……ですか……!?」
「…………!」

 前日。8月1日。

「到着」
 イオイソゴは『駅』に踏み出す。
(ひひっ。もとよりわしの顔は流布しておらんゆえ、社歌めの浮沈特火点で足止めを喰らうコトもない…………)
 忍びは顔すら教えない。あの晩司令官たちに差し向けたのは、任意車の代理人。贄にした万引き少女はイオイソゴ
の幼体投与によって面相がそれにやや引きずられたが、しかし当人のものではない。登録されたとしても木星は埒外
だし、そもそも『あのイオイソゴ』は死んでいる。
(ひひっ。浮沈特火点の弱点の1つよ。死んだと認識した者は次回配備分から削除される。いなくなったという安堵が自動
で登録を抹消するのじゃ)
 要するにあの少女はあの場で死んでも死ななくても良かった。死ねば浮沈特火点の防備の穴を突けるようになり、死なね
ば『分身に弱い』を突けた。西で囮としてわざと引っ掛け、東からゆうゆう本陣に入る……といったコトができた。
(とはいえ、念には念をじゃ。新幹線で直接倉敷に入るのは避けておこう。わしなれば音楽隊到着まで見つからずやり過ごせ
ようが、そう思ったときに限って思わぬ拍子に露顕するのが世の常よ。たとえば……まったく別口の事件を追っていた戦団
の連中めらの思わぬ活動によってわしの存在が司令官らに伝わる……とかの)

 そも司令官の徒党が昨晩みた2人だけとも限らない。大所帯とすれば? 武装錬金使いを見分ける慧眼の持ち主がダー
ス単位で居たら? そしてそういう者たちが倉敷の駅を張っていたとすれば?

(なにより司令官の武装錬金は『まぎーあ・めもりあ』、幔幕じゃ。くぐれば”すきゃん”されるからのう。倉敷の駅全体に配備
されとったらチトまずい。核鉄を持っておること露顕すれば目論見は崩れる。司令官と音楽隊との戦いへの乱入が……
極めて非常にやり辛く、なる……)

 よって遥か手前の駅で降りる。幸い、マギーア・メモリアの射程は3年前から知っている。戦捩一なる小児性愛の戦士から
聞いたのだ。創造者から500〜600m。それが限度。機雷社歌の浮沈特火点が日本全域をカバーできるのを考えると
なんとなく首を傾げたくなる差ではあるが、前者こそ普通なのだ。現空間基準ではほぼ無限の射程に見えるが、厳密には
亜空間内における射程距離はさほど長くない。『測量』なる言霊の計測と干渉によってカバーしているのだ。折り紙の端と
端を引っ付けるようなショートカットは測量の言霊なき総角にはできぬ芸当のひとつである。
 話がやや逸れた。

(要するに司令官めが岡山に居る以上は)

 忍法遠見貝によっていま彼女が岡山のアジトに居るのを確認できている以上は。

(他の主要なる駅。一応変装もしたし、まあ安全……なんじゃろうが)

 念には念をだ。

(わしが司令官の立場なら……そうじゃな、とりあえず奴めを”くろーん”で増やす。増やして全員に核鉄を持たす。”くろーん”は
基本、同じ武装錬金を発動するからの。っと。盟主さまのくろーんたる総角が”わだち”をばそのまま発動できんのは、材料の
1つが羸砲ヌヌ行の分身じゃからじゃ。”だぬ”だったかの、あれを組み込んでおるから、わだちの純正複製が不可となった)

 司令官が増えればその数だけ駅を抑えられる。核鉄持ちの検閲ができる。している、と決まった訳ではないが──そもそも
核鉄の有限性を考えると、1人1つしか発動できぬ幔幕で総ての主要駅を押さえるのは不可能に近い──考えられる以上、
対策は講じるべきだ。言霊の強烈なる加護がないせいで、頤使者(ゴーレム)機雷社歌の浮沈特火点にどうしても見劣りしてし
まう配備能力だとしても、甘くみては、ならない。一見大したコトのない能力が、幹部級の恐るべき魔人を降す決定打になり
うるのがこの世界、なのだから。

(という訳で)

 目当ての駅の遥か前の、無人駅にイオイソゴは降り立った。もちろん切符は車掌に渡している。

「これ、もっと遠くに行けるけど、いいの?」

 人の良さそうな、白眉の長い男性の車掌が心配そうに聞いてきたので、「いいの。それ、まちがえて買っただけで、ほんと
はここでよかったの」と高い声で元気よく笑う。

 黒いゲジゲジ眉毛の女性車掌は返金の手続きをやりかけたが、いいの、みんな待ってるよ〜♪ とイソゴが手を広げつ
つ改札に向かって歩き出すと、申し訳なそうにしつつも笛を噴く。

 エアーの噴出音と共にホーム側総てのドアが閉じた。

 銀一色の電車は、いま、動き出す。

(さて)

 無人の改札に到ったイオイソゴは、青一色の電車の最後尾が視界の果てから逃れつつあるのを見た。

 ホームにも改札周りにも誰もいないコトを実に恐ろしげな老婆の眼差しで──この目のとき目撃して生きている者は居な
い──油断なく確認すると、溶けた。

 溶けてドロドロの水溜りが灰色のコンクリ打ちのホームを凄まじい速度で疾駆した。線路に落ちた”それ”が電車に追いつ
くまで5秒と掛らなかった。恐るべき速度だった。耆著をみずからに打ち込み磁性流体と化した少女は、電車の底に半ゲル
状態で張り付いた。磁界の液だ、鉄箱に吸い付くのは、容易い。

(ま、キセルではないよ。ちゃあんと真の目的地までの切符は買うておるし)

(車掌にも渡した。あとは駅の手前で降りればよい。構内で監視の目が光っておったとしても避けれるし……)

 予期せぬ飛び込み事故の対策にもなる。鉄道黎明期のころ十二度あった。さあ目的地だでと車輪の傍で笑っていたら
自殺か他殺か、人が線路に落ちてきて攪拌されるケースが十二度あった。肉片を幾つか失敬できたのは役得だったが、
救助や調査には閉口した。電車の底に潜む怪奇なるゲル状の少女!! 発見されれば間違いなく騒ぎになる。ちゃんと
運賃払っているのに……。
 忍びは人身事故に遭うたび大慌てで逃走ルートを探した。
 だから駅の手前で降りるのだ。人身事故のリスクを避けるのだ。


 8月1日14時12分11秒。

 イオイソゴは大阪駅の見える道路を歩いた。

 白いブラウスを纏い、濃紺のロングスカートを履き、エルメスピンクのランドセルをしょっている。
 髪はポニーテールをストレートにおろし、耆著の磁性流体溶解でロングにのばした。
 ただし左側の鬢は肩から腰まで垂れている。他同様うっすら染め上げられた長い茶髪に撒きつくのはリボン。藍色の
細い布がくるくると巻かれ、×字を3つ、描いている。

(ま、なんとか小学生に見えるじゃろ。ひひっ。歩き巫女時代を思い出すわ)


 8月1日14時12分11秒。

 イオイソゴは東京駅の見える道路を歩いた。

 ダークブラックのTシャツに、オリーブドラブのホットパンツ。ブラウンの染料で饅頭がかかれた黄色のトートバックを振る。
 髪はポニーテールをほどき、クナイでショートに切った。
 ただし右側頭部にはぴょこりがある。銀杏の葉っぱじみた漆黒のお下げを根元から締め上げるのはヘアゴム。橙色の
大きなボンボンが2つ、宝玉のような色艶を放っている。

(ま、なんとか小学生に見えるじゃろ。ひひっ。歩き巫女時代を思い出すわ)


 魂をわける忍法任意車! 今回の配剤は五分と五分!!!


 大阪のイオイソゴは考える。

(東京の方のわしに司令官の正体を洗わせにいったが果たしてうまくいくか。それはともかく関東以東の調査に専念すると
音楽隊どもと司令官の決戦に割って入れぬ危険が出てくる。一応わしは奴らの修練しつつの行軍速度を割り出しておるが
世の中なにがどうなるかわからん。予想外の事態で奴らが想定より速く倉敷に入った場合、いかなわしとて追いつくのは
困難。新幹線であろうと飛行機であろうと4時間前後はかかる。じゃからわしは忍法任意車で我が身を2つに分けた。当然
こちらのわしが本体よ。いずれ徒歩にて倉敷へ入る以上、こちらのわしが本体であるのは論理的にいって当然──。いざと
なればあちらのわしを自害させこの身に魂、入れてやる)

 東京のイオイソゴは考える。

(大阪の方のわしに司令官の所在を張らせにいったが果たしてうまくいくか。それはともかく関西以西の監視に専念すると
司令官めの正体が分からぬまま終わってしまう。3年前死んだ筈の女・幄瀬みくすと同じ顔を持つ司令官は果たして何者
なのか? 3年前の深層を知りつつも真相は知らぬその原因、暴けば弱点として突けるやも知れぬ。よって幄瀬みくすの
関係者を一通り洗うコトとした。そして奴の実家は東京にある。じゃからわしは忍法任意車で我が身を2つに分けた。当然
あちらのわしが本体よ。いずれ徒歩にて倉敷へ入る以上、あちらのわしが本体であるのは論理的にいって当然──。いざと
なればこちらのわしを自害させあの身に魂、入れてやる)

 大阪の忍び。

(関東の調査は必要じゃ)

 東京の忍び。

(確か幄瀬みくすの親友、石榴由貴が謎の溺死で上がった波止場も関東……)

 大阪。

(自殺とされているが……司令官かその一党に自殺を強要された可能性も無くはない……)

 東京。

(事件当夜の石榴の足取り。前後の家への出入り。調べればなにか、掴める、かものう…………)


 大阪のイソゴは、白眉の長い男性車掌が乗る銀一色の電車で来た。
 東京のイソゴは、黒いゲジゲジ眉毛の女性車掌が乗る青一色の電車で来た。


 核鉄はどちらとも、有している。
 そして彼女”ら”は、まだ音楽隊が総角の治癒を座して待っている8月1日の昼ごろ既に先んじて動き出していた。

 1日の差は、大きい。
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