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過去編第015話 「時の華がひらりひらりと旅人誘(いざな)うよ」 (1)






 本当に、あったのだろうか。

 とは鐶光の感想だ。無銘のコトである。めいめいの転機から、銀成市における戦士たちとの衝突から、およそ半年ほど前、
彼女は仲間たち全員と横浜市街を歩いていた。

 じっと見据えるのはチワワである。鳩尾無銘。命がけで鐶を救ってくれた少年忍者。動物型ホムンクルスならば誰でも
持っている筈の人間形態を有していない不幸の彼を鐶はとても……大好きだ。

(本当に、あったのでしょうか)

 謎めいた一言は無銘に対して向いている。

「師父! 次はいかなる任務を!」とか「母上、そのお荷物、お持ちしましょうか!」などと人目が途切れるたび元気よく義理
の両親へ、見事な金髪の美丈夫・総角主税と、お下げ髪のタキシード少女・小札零へ代わる代わる呼びかける姿に鐶は実
の親子以上の絆を──自分の実父と義姉以上の、血縁があるのに冷え切っていた実の親子以上の──絆を感じるのだ。

 なのに先日信じられない話を鐶は聞いた。栴檀(ばいせん)貴信という先輩から聞いた。

──『実は僕たちが加入した当時、鳩尾はもりもり氏たちを『さん付け』していた!!』
──「え……今は、『師父』とか『母上』とか…………呼んでいるのに……ですか?」

 貴信加入は6年ほど前と聞いている。無銘の誕生や総角たちとの出発は9年ほど前。

(つまり……3年ほどは…………「さん付け」…………で……他人行儀だった…………と?)

 実に子供のように師父とか母上とか元気良く叫んで養父母の周りをちょろちょろするチワワ姿の少年に鐶は心の中でまた
ぼんやり呟いた。

(本当に、あったのでしょうか……? 他人行儀な……時代……)

 とても信じられない想像もつかないが、人は変わるとも知っている鐶である。何しろ今でこそボーっと虚ろな瞳を抱えている
が、1年ほど前までは活発でロボット好きな女のコらしくない女のコだったのだ。

(それを……歪めやがったのは……お姉ちゃん…………ですけど……)

 同質の出逢いが無銘にもあったのかと鐶は考える。

(総角さんや……小札さんへの…………他人行儀を……変えてしまうほどの…………強い出逢い……もたらしたんでしょうか)


(ミッドナイトさん……という女性(ひと)は)


 嫉妬をわずかに伴う寂寥。少女の心は昔話の中へ溶けていく。貴信から聞いた昔話の中へ。




 羸砲ヌヌ行は述べる。暗闇の中で、歴史のストーリーテラーとして、述べる。

「もちろんここからはソウヤ君、ただの伝聞じゃない。栴檀貴信が見聞きできなかった部分も当然描かれる。そこまでもが
描かれるのは、まぁ、回想される物語ゆえのお約束というコト、1つ、ね」


 鐶の伝聞に基づく擬似追想はそのまま貴信の主観となる。やがて自ら話す物語を1つずつ体感していく青年の視点になる。

 深夜。
 遠くに町の光が見える田園地帯のあぜ道で。

「フ。まさか「山神」とか名乗る奴率いる共同体との小競り合いがああいう結果を招くとはな」
「そうですね総角さん。3日にも及ぶ追跡のすえ奴が逃げ込んだ場所にアレキサンドリア……話に聞くヴィクターの妻がいた
とは意外です」
 夜道。あえてにこやかに話しかけた美丈夫の言葉をチワワは事務的に切って捨てた。
「といっても決戦場は女学院の庭! 共同体のボスどのはそこにて最期を!! 無銘くんの大活躍たるや──…」
「凄かったと何度も言われると、逆に馬鹿にされているようなので、いいです。小札さん」
 つっけんどんな態度でピシャリと切ってすてるチワワにショボーンとするロバ少女。
(ギクシャクしてるなあ)
 貴信は露骨に顔を引き攣らせた。足裏から昇ってくるじゃりじゃりした未舗装の道の感触と音がますます雰囲気を重く
する。
 女学院以来こうである。共同体のボスを倒したあと、ちょうど兜(ヘルム)を被せられた作業手伝い用の女学生と彼ら
は遭遇、総角はいつも初対面の人間に、『この顔に見覚えがないか』と聞くのだが今回はドンピシャ、実は彼のクローン
元の部下を一時期やっていた者こそ兜の主、つまりはアレキサンドリアだったため、話は恐ろしく進み互いの情報を交換
して別れた。
 のだが、帰途の会話はどうも弾まない。貴信はいつも無銘と総角・小札の間に軽い溝を感じているが、今日はいつも
以上である。
(ご主人ご主人、なんかあったのさきゅーび? すごい機嫌わるいじゃん。落ち込んでるじゃん)
 同じ体に押し込められた飼い猫──栴檀香美──のテレパス的な質問に貴信は心当たりがある。大いにある。
(共同体のボスの最期のセリフが原因……だろうな!)

「お前が人間だあ!? はん!! だったらその姿になってみろよチワワぁ!! なれねえならチワワだよテメー!!
テメーは一生! チワワなんだよ!!」

 それは捨てゼリフに過ぎなかった。
 無銘の技、敵対特性という「相手の武装錬金特性をそのまま相手に返す」反則級の技で葬られた故の悔しさや出し抜か
れた怒り、それから人間型でなければ使えない筈の武装錬金を動物型にしか見えないチワワに使われた不可解さを、
敵は末期の錯乱のなか、悪意でコーティングして外界に放った捨てゼリフに過ぎない。
 だがどうしようもないコンプレックスや傷を抱いている者は裂けた琴線に触れるもの総てに逆上する。単純だろうと複雑
だろうと関係はない。稚気への寛大さも巧妙さへの感服も忘れ去る怒涛に支配されひたすらに黒ずむ。地獄の釜ならぬ
罐(かま)にくべられる石炭の如く薄暗く赤熱して黒ずむ。

(よっぽど人間形態になれないのがコンプレックスなんだなあ……)

 総角や小札から聞いたコトがある。物心つき始めたころの無銘は「なんで我は人間の姿になれないのだ……!?」と何度
もぐずって……”ただ同行しているだけの年上たち”を困らせたという。自分が他人とは違う、他人の持っているものを自分
だけは持っていない……そういうのに気付いた子供は何かと親を困らせるものだが、無銘の場合は尊厳のかかった問題も
問題、誰もが求めて然るべきコトだ。
 しかも総角たちは18歳で肉体的成長の止まった存在だ。世間的にはまだ子供。『親』になるには早すぎる。しかも無銘
は拾った少年、血の繋がりはない。
 そんな彼の難しい課題には、「正直……俺達もどうすればいいかまだ判断が、な」と普段自信たっぷりな総角でさえ肩を
落としていた。小札が密かに育児書と格闘して答えを探しているのだって知っている貴信は、

(僕も人間型だから、どういえばいいか……わからない。どうすれば)

 と思うのだ。

 ホムンクルスは「幼体」なるものを人間に投与するコトで作られる。幼体は人間のみならず動物や植物のフレーバーで
作るコトも可能だ。貴信自身、香美と言う飼い猫の幼体投与によって人の身を失った。

(僕はそれでも幸運だった。だってホムンクルスの宿主になった人間の精神は、「幼体」のそれに塗りつぶされてしまうん
だから)

 香美は優しいネコだった。弱きを助け強きを挫くボス猫だった。何より貴信が大好きだった。死に掛かっていた自分を
拾って助けてくれたご主人が大好きだった。だから貴信の精神を食い殺すコトができず……結果2人は1つの体を共有
するホムンクルスになった。総角曰く、それは相当のレアケース、らしい。

(だから香美は問題なく人間形態になれる……というか、人間の姿の方がベースだな)

 貴信という人間の精神を残したままホムンクルスになった反動か。耳やしっぽなど、体の一部を変形させるのは容易に
できるが、全身そのまま動物型にするのは大変な労力がいる。トラウマ的自制もあるかも知れない。香美はホムンクルス
になってすぐ、元凶となった敵の幹部をあわや嬲り殺し寸前まで甚振ったコトがある。姿はネコ型というよりトラ型だった、
主人を傷つけられた怒りを表現するかの如くに禍々しい虎だった。暴走は、根が優しい香美を傷つけた。自分が殺された
とき以上に傷つけた。ネコ時代の香美は、貴信の暖かさに包まれて生きていた。ずっとずっと優しさに救われるのが当たり前
だった。幸福を体感した者が幸福と程遠い暴力に身を窶(やつ)し一体どうして喜べよう。奪われた哀怒を癒すのはいつだって、
奪われた物そのものだ。さもなくばより大きな希望。いずれも暴走では得られない、なのに、香美は、やった。運命によって、
させられた。憎い仇と寸分違(たが)わぬおぞましい感情が情念の底で”とごって”いるのを突きつけられた。優しいネコ少女
は、それが怖い。また何かの拍子に同じコトを繰り返してしまうのではないかとひどく恐れた。ネコはひどい目にあった場所
へ頑として近づかぬ生き物だ。だから全身を動物の姿にするのは容易なコトではない。

(ある意味、鳩尾とは逆だけれど…………)

 ”弱い”。彼の得られないものを、人間の姿を、貴信も香美もとっくに得ている。そんな者たちが上記のごとき事情を語って
も、慰めるには”弱い”。


「我は、人間なのだ」


 とは、音楽隊に入ってすぐ心得を口うるさくレクチャーした少年の締めくくりの言葉である。
 チワワにしか見えない無銘だが、彼は自分を何かにつけて「人間」という。滑稽だが、根拠はあった。

「促畸形成期の胚児だったとはいえ幼体を投与されたこの体は紛れもなく人間の物だ」

 だから我は人間なのだと無銘は言う。

 もちろん前述のとおり、ホムンクルス化した者は幼体にその精神を明け渡す……つまり人間としては死を迎える訳だが
その辺りの理屈への反論も無銘はとっくに用意していた。

「支配を跳ね除ける者も居る……! 新入り(貴信)、貴様が飼い猫の侵食を阻めた理由の幾ばくかはドラ猫の加減かも
知れないが、大半は貴様自身の意思だ……! 愛猫(あいびょう)に悪行をさせまいとする心、生きて怨敵に立ち向かおう
とする心……! 並みの者ならば人外の力の誘惑に負け、釈迦の前の兎を気取る偽善の心で渡していたぞ、心をな!」

 このコはいいコで、強いなあと貴信は思った。尊大だが、聞いていると弱い心をグイっと引き戻される強さが口調にあった。
気位が高いというか。だから「このコの精神は、愛玩動物丸出しなチワワのそれじゃないのかもな、宿主になった赤ちゃんの
それなのかな」と貴信はちょっと信じてしまった。……自我どころか出産すらまだだった胚児に果たして本当に『気位』があった
のかどうかという根本的な問題への追求を、やめてしまった。

 そう。
 実はこの時点では分からなかったのだ。

 鳩尾無銘という少年の意思が。

 幼体の、チワワのものだったのか。
 宿主の、胚児のものだったのか。

 二分化二極化のどちらに属するかは、まだ不明だったのだ。

 そして。

 もし幼体(チワワ)の精神だとすれば、「人間」を自称する無銘の拠り所が一撃の下に粉砕されてしまう危うさがあったの
に…………貴信は迂闊にも、貴信を褒めながら自説を通した無銘の弁舌に、コロっと丸め込まれ、議論の要諦を失念して
いた。

「つーかさつーかさつーかさ!! あんたらなんでうろうろしてるじゃん!! あたしとご主人はヘンな鳥とかおっかない筒おっかけ
てとっちめニャならん訳よ! なんでいかんじゃん!! あいつらの巣ぅ行ってぎゃーしたいんじゃんあんたらも!! なんでせん
のさ、なんで行かんのさ!?」
 レティクルエレメンツという共同体の幹部に何かと因縁があるのが貴信たちザ・ブレーメンタウンミュージシャンズの面々だ。
”なのにどうして本拠地へ攻め入らないのか”香美はそう言いたいらしい。
 空気の読めないネコ娘の発言だが、しかし微妙に空気が悪かった無銘・総角・小札はちょっと救われたような顔になって話
に乗る。
「フ。奴らレティクルの根城を突き止めるために俺達はいまあちこち徘徊しているのさ」
「追跡しているのは幹部の1人『土星』のお方なのであります!」
『そうだぞ香美!! その幹部は僕達が加入する前からレティクルを抜け出していた! というか在野に放たれていたから
こそ僕達はもりもりさんたちと出逢えたって何度も話したじゃないか!!』
 うむ。無銘は重々しく頷いた。見た目はチワワだが、チワワだからこそ佇まいを重くしようとしているのだ。
「奴の出現地点には法則性がある。『むかしレティクルに襲撃された場所に現れる』。それに従い動いていたら新入りどもの
様々な痕跡に遭遇し、追いかけてみたら危殆に瀕する貴様達と出くわしたのだ」
 女学院に逃げ込んだ共同体のボスも追跡途中偶然でくわした奴だったがな……! 犬歯を剥く無銘。再燃する怒りに一座
の雰囲気はまた重くなる。
「ああもうきゅーび! あんたなんか腹立つじゃん!!」
 香美は癇癪を起こした。艶やかな茶髪をしかめっ面でわしゃわしゃかき回すと踊るような動きでしゃがみこんで無銘を持ち
上げた。チワワはムッとした。
「貴様!! 我はいま立腹「知らん!!!」
 大声だった。すぐ近くにいる貴信どころかちょっと離れた場所で余裕を取り繕おうとしていた総角ですら全身の細胞が思わず
竦む大声だった。
「あたしはこむずかしいコトわからんけど! いつまでもウジウジおこってても仕方ないじゃん!!」
「に、人間ならば自制して落ち着けとでも言うのか……!!」
 正論だがもしそうなら言われた方はますますカチンと来るセリフである。まして香美は人間形態を持っている。上から目線に
も程がある。
 だがネコ少女の反応はまったく無銘の予想を上回っていた。
「ニンゲンとか何さ!! わからん!! わからんけどムカーってきてムカーってやっていいコトないじゃん!! だからあそぶ!
あそんでスカっとする!! ご主人がニンゲンとかいうのだったらやってた!! ヘコんだときあたしと遊んでスカっとしてた!!」
 だからあんたで遊ぶ!! 無銘の頬をむにゅーっと軽く左右に伸ばす香美。
「ほはっ! ひゃ、ひゃへほひんひひ!!」
 こらやめろ新入りと前足を動かすと彼は呆気なく解放された。
「貴様! 何を!!」
「こゆ風にやるじゃん、やりかえすじゃん!! わーっとやって笑えばスカっとする! する!!」
 眉をいからせながら野性味あふれる美しい顔をくいくい指差す香美に無銘はちょっと言葉を失くしたが、すぐさまヌウウっと
目を三角にした。
「いいだろう……! 気に入らんが新入りごときを本気で制裁するのも大人気ない……! くだらぬちょっかいなどは遊びで
返してくれる…………!!」
 肉球による掌底がネコ少女の右頬にめり込んだ。突っ張りを受けた力士のようにちょっと顔を傾ける香美は不意の一撃
に面食らったが、すぐさま「あはは怒った怒った、もっとやるじゃん!!」とチワワの腋をくすぐった。痛みはこそないがくすぐっ
たさに怒りも忘れてつい頬を緩めた自分を堅物な少年はちょっと恥じた。照れ隠のしようにわざと仏頂面を作って香美の腕
に軽く噛み付く。「わーーー!!」 香美はわざとらしい声を上げて腕を振る。高出力のホムンクルスにしては恐ろしく力の
篭っておらぬ振り方で。しかし噛み付くのに真剣な無銘は逃すまいとガジガジかぷかぷ顎を動かす。いつしか後ろ足による
ロックすらするようになった無銘は自分が砂利だらけのあぜ道を拭うよう”のたうって”いるのも気付かず遊戯の咬合を繰
り返した。
「ぬふー。すっかり夢中じゃん、夢中」
 ケラケラ笑う香美の声に無銘は現実に引き戻された。
「き、貴様!! 加減したな!? 図体の差を活かせば我など簡単に押さえ込めるというのに、好き勝手やらす好き勝手を
仕掛けたな!?」
「だあもうあんたの言うコト難しいじゃん! わからん!! でも上のったり頭おさえたらみんなウミュウ言うて嫌がるじゃん! 
せんじゃんそれは! ごろごろーって遊ぶのが安全!! 悪い!!?」
 香美は香美でなかなか咀嚼と翻訳が必要な物言いだが、要するに「押さえ込むのはよくない」といいたいらしい。
「ほれほれー。悔しかったらあたしの指、叩くじゃん、叩いてみるじゃん!」
 あっちこっちに手を伸ばしては高速で引っ込める香美。無銘は最初「ふん、ネコでもあるまいし何で人間の我が」と片目を
つぶって呆れていたが、だんだん触れられそうで触れられない部分に指が来るようになると、途端に落ち着かなくなり、しば
らくするととうとう前足を繰り出した。
「むっ! 当てるとか生意気じゃん! 速くする! する!!」
「それも撃墜してくれるわ!!!」
 ぱし、ぱし、ぱし! 両者の手首から先が空中のいたるところで接触する。他愛ない遊びだが、人間を超越したホムンクルス
2体の反射と速度はやがて過熱の極地ですさまじい攻防になる。砂利と白土に彩られたあぜ道の中央にちょろりと生えている
草が旋風に誘われ激しくそよぐ。
『あ、その、なんか悪い鳩尾! あともりもりさんと小札氏も! なんか、悪い!!』
 貴信が2人につい謝ってしまったのは、彼らが無銘の保護者だからだ。関係こそギクシャクしているが付き合いから言うと
総角と小札は間違いなく保護者だろう。そんな2人の前で人間を自称する無銘が正に犬にされるような遊びをされている。
小心者な貴信だから、飼い猫がとんでもない無礼をしたような気になって、だから謝ったのである。
 だが。
「ほう……」
 総角はちょっと目を丸くした。
「香美お前、ガンガン行くんだな……」
「無銘くんの楽しそうな姿、久々に拝見をば」
 小札も驚き気味だ。「香美どの、ずいぶん手馴れておりますがひょっとして兄弟など?」。
『いや……僕が拾ってからは一人っ子! あ、でも、ボス猫だったからな! 目下の相手と戯れるのは慣れている!』
 ボス猫。あー。ボス猫、言われてみりゃそんな感じだな……総角は呻いた。
『子犬だがドーベルマン数頭と遊び友達になったコトもある!! 種族の壁など関係ないんだろうな香美には!! もっと
普通にネコとして生きてたらきっと人間とだって仲良くなった!!』

 実際、無銘とも遊んでいる。外見がチワワにも関わらず精神は人間という複雑な少年とも。

 総角と小札はちょっと思案顔になった。貴信は(踏み込めずにいたんだなあ2人とも。血のつながりがないし、微妙な年頃だし)と
思った。


 ややあって。

「勘違いするなよ。我は、聞き分けのないドラ猫と遊んでやっただけなのだ。人間が、猫と、遊んだのだ。よくあるコトなのだ」

 無銘はちょっと頬を染めながらも強気な口調でいった。ハメを外しすぎた自分を恥じているが、面目だけは保ちたいらしい。

「きゅーび、また遊ぶじゃん、遊ぶ!!」

 香美はというと見栄も何も無い。興奮した無銘が何度も飛びついたせいでグッシャグッシャの髪も気にせず屈託ない笑顔で
びゅんびゅう手を振った。

「フ。じゃあ今度は俺と遊ぶか?」
「総角さん? 我は斯様な年では」
「フ。人間なら幾つにもなっても遊ぶと思うが?」
 くっ。無銘は呻いた。そんな彼を後ろから抱きかかえたのは小札である。胸にきゅうっと抱きすくめた彼女は、あわあわと
紅くなって短い手足をバタつかせる無銘に構わず、しかしちょっと踏み込むコトに勇気を振り絞る顔つきをしてから、告げた。
「体を使った遊びがお嫌なれば、トランプや将棋などどうでしょう」
「で、ですから小札さん、我らは敵と戦う宿業を背負っている身上、つまらぬ遊戯に浸る間など……!」
「なればこそ、逆に、息抜きは大事なのであります。ややもすると不肖たちが絶対に倒すべき恐るべき敵の方々は、息をば
詰めて詰めて詰め続けた結果こわれて悪にその身をやつしたやも知れませぬ!! なれば向かうため遊びで息を抜くのも
必要なのではありませぬか!!」
 少年忍者はちょっと難しい顔をしたが「や、やりすぎるようでしたら我は一抜けしますからなっ!」と敬語と乱暴の混じった妙な
口調で応諾した。

(あ、ちょっと空気、変わった。凄いな香美……)

 崖の前でアクセルをベタ踏みしているような訳のわからぬ勢いが奇跡的に無銘らの様々と噛み合ったらしい。

(しかしもりもりさんたち、鳩尾と遊ぶってコトすら思い浮かばなかったのは……ああそうか。姿形がチワワ……だからな。
チワワにするような遊び方をしたらますます尊厳を崩すって思ったから、自重してたんだ。トランプとか将棋は…………
犬の手じゃ掴み辛いから、コンプレックスを刺激するから……してこなかった、と)

 総角も小札も、自分なりの真摯さで無銘に向かおうとしていたようだ。だからこそ一線が引かれてしまっていたらしい。
 香美はそれを、壊した。いい意味で、壊した。

(まったく。ドラ猫の分際で……!)

 チワワはイライラとしばらく目を細めたが、香美の笑顔を見るとちょっとだけ頬を緩めた。

(もし我がネズミの姿であっても貴様は同じコトをしただろう……な)

 体格で勝っているにも関わらず無理やり押さえ込むようなコトをしなかったのだ、香美は。無銘をただの小動物として
扱わず、対等な遊び相手として、楽しめる範囲で遇したのだ。遇して……くれたのだ。

(ま、当人はそこまで難しいコトなど考えてはおらぬだろうがな)

 人間とかチワワとか一切念頭に入れない攻め口に、無銘は思う。『久々に少年らしい熱狂ができた』……と。(悪くはなかっ
た)。人が猫と遊ぶのは当たり前という方便で余韻に浸る無銘だが、ふと心に影が宿る。

(……? 久々に、だと? 我はこの感覚を懐かしいと思っている? 『懐かしい』? この体では恐らく初めてなのに? 総
角さんも小札さんもこういうコトは自重してくれていたのに……『懐かしい』?」

──「せっせっせーの、よいよいよい」

 ノイズ混じりの映像が記憶野に投影される。顔も分からぬ人物と手を合わせて笑っている自分の記憶が。

(時々見る夢!? なぜだ、なぜ今それが来る? 先ほどと同じコトをどこかでしていたと言うのか?)

 前足を頭にやり、軽くだが牙を剥く。

「大丈夫か、無銘?」
「お疲れになられたのなら、一休みしますか?」
「抱っこして運ぶじゃん、あたしのせいで仮ぎゃーなら運ぶじゃん!」
『あ、その、小さい人は運搬されるコトもある! からな!』

 口々に叫ぶ仲間によって現実に引き戻された無銘は「なんでもない……です」と総角たちように敬語を付け足し、そして
言う。

「とにかく! いまの目的は土星の幹部の捜索!! 探す者の名は──…」


「ミッドナイト=キブンマンリ。つまり……『あたくし』かしら?」


 ゾクリと身震いした貴信が異形の鳥と四肢なき少女を想起したのは声に篭る威圧感ゆえだ。鉛の硬さを有しつつもダイヤ
の絢爛豪華を兼備した高い声。貴信は『マレフィック』なる人ならざる魔人を数人知っているが、(……風格がどこか違う)
と全身の細胞をざわつかせる。憂鬱でどこまでも闇の渓谷に沈んでいた男とも、強欲という狂気と哀惜の狭間で揺れ動い
ていた少女とも、『遭遇してしまっていた』破壊の権化とも、どこがとは明確に説明できないが、(根本的に”つくり”が違う)
と警戒のレベルを引き上げる。
(僕の短い人生の中でこの違和感を形容に足る経験は……そうだな! 子猫時代の香美と日本原産のネコを見比べた時
のようなと言うべきか!)
 まだホムンクルスになる前の香美は、ノルウェージャンフォレストキャットの血を引く、麗しい長毛種だった。普通の家で
飼うのが惜しいぐらいの高貴さと美しさで、香美に比べればいわゆる日本猫はどんなに混じりけのない純血種だったとし
ても見劣りすると──若干の親バカも手伝って──思っていた。

 シュッと足首まで延びるストレートなピンクツインテール。
 桃色のミニ浴衣。
 オレンジ色の帯。
 ウロコ柄の黒い手袋とブーツ。

 きらきらとした月光をまるで主役用の、自分用のスポットライトだと言いたげに占有して腕組みの仁王立ちの少女は、
美しかった。釣り上がった瞳の強気さは、髪型も相まって貴信に仇敵の1人を思い出させる。当人だと一秒も錯誤しな
かったのは、双眸が無傷というのもあるが、不敵と自信に溢れた表情が(デッドならまずしない、彼女がするのは汲々
とした怒りに基づく威圧か、或いは破滅覚悟な勝負師のカオ……!)だからである。

 田園地帯に風が吹く。闇を吸った黒い水面に反照する月光が壮麗なゆらぎとなって少女の、ミッドナイトの周囲を金の
粒で飾り立てる。偶発の自然美。だが高貴な少女は「かくの如き演出を天があたくしに向かって成すのは当然ですのよ」
と言いたげに軽くそっくり返って鼻を鳴らし、薄く笑う。

「……フ。まさか探している幹部が直々に、とはな」
 枯れた声を漏らす総角を見た貴信は気付く。
(汗……? 顎の辺りから垂れるほどの……!! いつも余裕綽綽な貴方が流汗するほどの……強敵、だと!?)
「つつつ追跡する以上、かかかっ邂逅は覚悟しておりましたが、何という、何という……!!」
 ロッドを構える小札に至っては輪郭がブレるほどガクガクと震える始末だ。なのに戯画的な白目で真剣みを殺している。

「だが貴様が出向くメリットはなんだ」

 核鉄を咥えた無銘の傍で無数の光と部品が綾を成し兵馬俑となって結ばれる。数多の忍術を搭載し、敵対特性によって
相手の能力をそのまま相手へ返す2m超の忍び人形、それが鳩尾無銘の武装錬金『無銘』である。

「えと、えと、そーじゃん! さっき聞いた! あたしらがあんた追っかけてるのは、あんた捕まえてあんたらの巣、行くため
じゃん! あたしとご主人こんなんした奴らをぎゃーするためじゃん!」

 でもあたしらには巣ないし! 元気よく相手を指差し抗弁する香美にミッドナイトはちょっと微妙な表情をした。「いやです
わね、これだから下賎な動物型は」独特な物言いを理解するまで少し時間がかかったようだが、理解もする。

「あたくしが本拠なき流浪の共同体の前に現れた理由はただ1つ」

 少女は電磁の光と共に現れた鞘から『1本の』剣を引き抜き

「総角主税! そして小札零! 貴方方に決闘を申し込む、為です!」

 毅然と鋭くいい放つ。貴信はまだ、そんなミッドナイトの事情をよく知らない。
(決闘? 何のために? もしかして出現地点に法則性を持たせたのはこのため? さすらう音楽隊の2人を誘き寄せる
ため……?)

 総角と小札はとみると、白黒分かれた恰好だ。前者は心当たりがあるらしく面頬を引き締め日本刀の武装錬金を形成
するが、後者はいったい何を言われているのかと戸惑い気味に目を泳がす。

 そしてミッドナイトは。

 麗しい双眸に、哀惜と憤激、そしてどうしようもない運命への抗いを激しく灯し……地を蹴る吶喊。

「恋人と愛犬の仇、討たせて頂きますわ!」

 総角と小札を見据える土星の幹部の視線は一瞬だが無銘に向く。
 忍び故に鋭い彼は少女の瞳が優しさと打ち消しの対消滅にブレたのを見逃さなかった。

(なぜ今、貴様は我を、見た……?)

 電瞬の速度で総角との距離を削り取ったミッドナイトの手元から衝撃と火花が迸り。



 荒れ狂う夜半が、幕を開ける。





 小札零(こざねあや)は両親からの愛情を感じたコトが一度もない。家柄のせいだ。彼女の生家・パブティアラー家といえ
ばマレフィックアースという未知の巨大エネルギーをその身に降ろすコトに長けた一族で、錬金術界隈では黄金精製のチメ
ジュディゲダール以上の名跡を以って鳴り響いている。
 しかし小札にはマレフィックアースを降ろす適性が一切なかった。適性ゼロは異常だった。長い歴史を誇るパブティアラー
家だから、一説によれば紀元前3世紀ごろ錬金術の双子のごとく発祥したという一族だから、当然ながら子々孫々の出来
不出来はさまざま、累を重ねさえすれば領域が劇的に刷新されるとまではいかず、進歩も発達も人間技術が如く緩やかな
比例曲線ではあったが、それでも参画した命の中に適性ゼロはいなかった。小札以外にはいなかった。マレフィックアース
を降ろすのがどれほど不得手な者でも、1秒なり2秒なり身に宿すコト自体はできたのだ。小札だけが、できない。異常だっ
た。
 パブティアラー家はサラブレッドである。マレフィックアースを身に降ろす『憑神』という専売特許を独占するため血の純度
を守るコトに正しく血道をあげていた。適性があると認めればどれほど卑しい身分の者とでも姻戚関係を結んだし、親族
同士での『かけ合わせ』にだって疑問は抱かなかった。純度信奉は劣性侮蔑へ翻る。適性を持たぬ幼い小札に突き刺さっ
たのは一族郎党の心無い視線。

──「別の男の、外界の卑しい輩の子供なのではないか」

 バッシングを受けたのは小札の母だ。言いがかりだった。夫の、パブティアラーの子供だった。だがどれほどDNAの鑑定
書を撒き配っても効果はなかった。「偽造じゃないと百歩譲るなら、両親(おまえら)のうちどちらかに問題があると、そうなる」
心ない中傷に苦しむ妻を励ます”だけ”で済んでいた小札の父が問題の渦の中に引き込まれた瞬間である。彼は長い歴史
の中で幾つかに分派したパブティアラーにおいて中枢も中枢、名実ともに本家当主であり、血の純度も憑神の才能も、同世
代中最高のものだと心中密かに任じていた。実際、長男は、小札の兄は、一族始まって以来の憑神適性として持て囃され、
将来を嘱望され、そんな人物の、英雄の親であると自尊心を大いに満たしていたにも関わらず、娘の方は……である。
 文字通り痛くない腹を探られる母。プライドに瑕疵を植えつけられた父。彼らにとって小札は居るだけで迷惑な存在だった。
息子が、アオフシュテーエンが希代の存在だったからこそ、一族の英名に泥を塗る適性ゼロは忌々しくて仕方なかった。
小札が何かした訳ではない。純粋に『生きて、存在しているだけで、それだけで、自分たちの栄誉を踏みにじる存在』だから
……愛せなかった。

 幼い小札が何かの拍子でぱあっと笑って、嬉しそうに両親へ走り寄ったコトがある。
 楽しいコトを、おとうさんやおかあさんと共有したかっただけの無邪気な少女に両親は言った。

「なに笑ってるの?」
「鬱陶しい」

 深い断絶の暗闇を知り立ちすくんだ小札の本名はヌル。ヌル=リュストゥング=パブティアラー。
 ヌルとは「ゼロ」である。生後すぐ行われた適性検査でそうと分かったから、そうつけた。その程度の存在だった。

 少女は決して激しい虐待を受けて育った訳ではない。首すら座らぬ乳児期に首を絞められ生涯大きな声を出せなくなった
とか、四肢を切断されドブ川に捨てられたとか、乱暴され、生殖機能を失ったとか、そういった凄惨な暴力とだけは無縁だった。

 ネグレクト。それは放置。

 宛がわれた広い自室で定刻どおり運ばれてくる質と味と栄養価だけの食事を摂るだけの日々。
 豪邸と分類される家の、外壁が遠景の庭への出入りは自由だったし、側用人に欲しい物を言えば翌々日には手にできた。

 だが両親との交流だけはない。廊下で時々すれ違うときの視線あるいは舌打ちに首を竦めるだけの日々だった。やがて
小札が身につけたのは曲がり角の向こうの足音をいち早く察知するスキル。手近な部屋を駆け抜けて自室への別ルートを
逃散すれば恐ろしい睥睨や「チッ」は回避できる。娘にとって両親とは意味不明な恐ろしさをもたらすだけの黒い巨人だった。

 笑顔にはとてもなれなかった。笑うのが怖かった。笑ってもすぐ両親の言葉が蘇り胸を刺す。純真な優しさを生まれたま
まの状態で保全する少女は、自分のえくぼが人を不愉快にするのではないかとただ怯えた。

 後に分かるコトだが彼女がマレフィクアースを降ろせなかったのは寧ろそれ以上の才覚を秘めていたからだ。つまり彼女
は一族がより高いステージに立った生き証人、兄をも凌ぐ不世出の存在だった。『次元俯瞰』。300年先の未来で子孫が、
パブティアラー家にとっての神を、最強を、代行者を、ライザウィン=ゼーッ! を瞠目させたほどの能力の更に濃密なる原
液を小札は所持していたのだが、両親は結局死ぬまで気付くコトができなかった。子の埋もれた才能を発掘すべき立場に
ありながら、ついぞ出来なかったのだ。

 そんな生活の幕を小札の18歳で切って落としたのは和解という調停者ではない。永訣という執行者だ。両親の乗っていた
飛行機が墜落。一族の会合へ向かっていた父母が大地との激甚たる衝突のすえ砕けて弾けたと聞いたとき、小札はただ
泣くしかできなかった。子供にとって親はどれほど怖かったとしても……親なのだ。理解不能な恐怖の黒影が家から消滅
した安堵よりも、おとうさんや、おかあさんが、居なくなった悲しさの方が遥かに大きかった。

 余談だが小札の両親の乗っていた飛行機を落としたのはディプレス=シンカヒアである。この時系列において彼は、航
空機を餌場とする共同体「邪空の鳳」(キング・オブ・ダークフェニックス)を、剣持真希士にとっての兄の仇を……率いる立
場にあったのだ。
(ただし1995年のレティクル壊滅で死亡偽装したため自然消滅的に退任。次の首領には正史どおり、「長い黒髪の」
翼なき人間型ホムンクルスが就任。さらに6年後、真希士との因縁を紡ぐ)

 両親からの愛情を知らずに育った小札。だがそんな彼女に家族の中で唯一手を差し伸べてくれたのは……兄である。

 アオフシュテーエン=リュストゥング=パブティアラー。

 まだ両親が存命していた頃、一族の中でも俊英と名高い彼が部屋を訪れるたび小札は戸惑ったが、笑ったり、他愛もな
い話をしたり、お菓子を持ってきたりするごくごく普通の「家族」に少しずつだが心を開くようになった。

 俊英ゆえに多忙で、数ヶ月に一度逢えるかどうかという兄だけが、内向的な少女の「家族」だったのだ。

 あるとき小札は、兄の会話中ついうっかり笑ってしまった。「しまった」。両親の心無い言葉のフラッシュバックに身を
縮めた少女は残りただ1人の家族からの拒絶の言葉を想像し、涙ぐんだ。

──「君の笑顔とか元気はきっと、誰かを楽にするよ」

──「お兄ちゃんだって、そうだから。好きだから」

 屈託のない、暖かな微笑でそう告げる兄に「そう……でしょうか」。妹は戸惑う。
 だがネグレクトのせいで内向的だった小札零の運命は少しずつ変わりだす。厳密にいうと変えようと足掻き始める。

 笑顔。元気。それらを胸中燦然と輝かせる手段こそ手品であり実況であるが、そうなるに至った経緯は本題ではない。


 鳩尾無銘を瓦礫の中から救い上げた時、小札は、考えたのだ。

(この方は過去の……不肖)

 見たところまだ赤ちゃんなチワワ。犬型ホムンクルス。両親はいない。生きてはぐれたのか死んではぐれたのかまでは
分からない。確かなのは放置が天涯の孤独を確定しうるただ一事。

 両親に愛されず育った人間が『育てる』方面になると二極化だ。
 無視か、溺愛か。
 小札は後者への衝動に支配された。

(不肖は実のお母さんではないかも知れませぬが、それでも、それでも)

──「君の笑顔とか元気はきっと、誰かを楽にするよ」

(寂しい思いは…………させたくありませぬ)

 唯一支えだった親族(アオフ)を亡くして間もない頃だったから、余計に彼の言葉が菩提だった。弔うために守るほか
ないという複雑な色合いの熱気に小札は支配されていた。


 無銘から見た、彼女は。

「身動きとれぬ者を熱源で包み睡魔に突き落とす行為が果たして子守と言えるのか! 物言えぬ赤ちゃんにだってまだ
起きていたいという気持ちはありましょう! なのに寝かしつけさえすればいいという世界の原則、無情の掟! 寝ろとい
うのに掟とはこれ如何に! ともかく無理にあったかくして寝かすのは無銘くんの自発の意思、活動への尊厳を犯す行為
ですから不肖は子守唄などやめまする、歌わないのであります!!」

 物心がついたばかりの頃、彼はガーっと捲くし立てられる言葉に「よくわからない、眠い」という顔をした。すると小札はパアっ
と笑った。双眸に暖かな輝きを讃えて口を綺麗な半円にして、そして無銘を膝の上に置いた。当時のかれの心境を後年習
得する言葉で飾るなら、(なんだこの生き物……?)であったろう。だが賑やかだが「うるさく」ない、怯えずにすむ声音にいつ
しか幼い無銘はウトウトと眠りこけていった。

「無銘くん無銘くん! 今日のご飯は豚肉をばオリーブオイルと塩コショウでサっと炒めた物体なのであります!!」
「物体!?」

 料理じゃないの!? ぎょっとする無銘に「物体なのです!!!」勢いよく頷いて眉いからせつつ笑うと、少年は「物体……」
と軽く俯いて笑いを零した。離乳食がそろそろ終わった頃である。

「母ガニどの仇を討つためとも知らずまんまと敵地に誘引されたサルどの!! あっとココで先鞭を付けたのは栗どの、火中
災厄の具現の如き全身を爆裂させ……乗ったぁーーー!! 最高速! あたかも火山弾の如き速度と重さがサルどのを、
サルどのを……直撃ーーーーーー!!!! カキ収奪で潤った青天を突如引き裂いた轟雷に何が何やらという表情のサル
どの! 逃さぬカニさん陣営ではありませぬ、二番手はハチどの!! オオスズメバチです!」
「ミツバチじゃなくて!?」
「響く不気味な羽音! 獰猛なる気配!! だがこれはどういう訳でありましょう、サルどのの周りには何もおりませぬ飛んで
おりませぬ!」
「…………(ゴクリ」
「当初こそ警戒の色濃く周囲を注視しておりましたサルどのですが音を頼りにチャブ台の下を覗き込んだ瞬間その表情はあ
りありと侮蔑の色に染まります! ラジカセ! 見つけたのはラジカセ! それはスズメバチどのの羽音をブンブン流して
おりまする!! 「小細工を……」。笑いながらラジカセを投げるサルどの! 剛速球! 斜め上に投げられた天井を引き裂き
……貫通ゥ!! 玄関上の屋根に到達! 待機していた臼どのを背中から襲撃、叩き落したぁーーー!!」
「やられた! 上から潰す筈だった彼が!」
「『お見通しだ馬鹿め!』せせら笑うサルどのですがその動きがピタリと止まったのは何故か! 音だ音なのです! 羽音!!
どうした訳だラジカセを遥か玄関上に投げたというのに響いておりますスズメバチの羽音はいまだ響いている!! むしろ
サルどの中では大きくなっている! 何故だこれは何だ、顔色を変えて再び周囲を見渡すサルどのは気づきます! でど
ころ! 音のでどころが……自分だと!! 気付いた頃にはもう遅い! 右眼球に映るは鋭い針! ハチは居た傍に居た!
眼窩の中から眼球との隙間ぶるりと縫って現出していた!!!」
「能力!? 忍法なの!?」
「灼熱の激情が、痛みが! 角膜焼き砕く噴火を起こす! あっと右目を押さえたサルどの! 凝結する刻(とき)のなか
足元に潜り込んだのはもちろんこの方、ウシの糞!! 転倒し天井を仰ぐサルどのの唯一残った左の視界に映ったのは血
反吐を口元にまぶしながら凶悪に微笑む臼の姿!!! 義憤を私憤に転化した一撃は強烈!! 轟然と直撃した圧し掛
かりはサルどのの第三頚椎をひしゃげさせたーーーー!!」
「リアルリアル、こわいこわい」
「勝ったのはカニどの陣営ーーー!!!」
「どうでもいいけど原型とだいぶ違うよね!?」

 寝る前に絵本を読むのはどんな保護者だってやるが、小札がやると凄まじかった。賑やかすぎて寝付くには不向きだったが
一度として同じ話がない万華鏡のような実況応用を無銘はいつしか心待ちにするようになった。

 とにかく世話の1つ1つが全力だった。全力投球は暴投にもなったが、死球にだけは、ならなかった。キャッチボールは時々
小札の掌をすっぽ抜けあらぬ方向へ飛んでいくが、

(我を傷つけるようなコトは、ない)

 草むらの影に落ちた白球を2人して探すような会話。手数は掛かるが、その手数からすら小札は笑顔を紡ぎ出して、無銘
に向けた。向け続けた。

「おかあ……さん」

 照れ混じりに告げると、小札はひどく驚いたあとブワっと涙を溢れさせ、それでも拭いながら両目を閉じて微笑んだ。


 子供はいつか、親が万能でないと知る。ホムンクルスならば誰でも有する人間形態が無銘にだけ備わっていないと判明
したのは小札と出逢ってから1年半ほど経った頃だ。

「どうして、我だけは」

 窮状を訴えるのは信頼の裏返しだ。自分の、他者とは違う不完全な部分を、それに対する絶望や悲しさを、無銘はめいっぱい
顔を上げ涙ながらに母へ伝えた。伝えさえすれば後は親がどうにかしてくれると信じきっていられる……というのは思春期開陳
以前の少年少女が有する特権の1つであろう。

 いつだったか彼女は無銘を膝に乗せて向かい合うと、少し考え、ふわりと笑った。

「不肖に難しいコトは分かりませぬが」

 その時、濡れそぼる黒豆のような犬鼻にペタリと押し付く物があった。小札の鼻先だ。

「冬来らば春遠からじ。いつしか無銘くんも人間の姿になれましょう! 不肖はそう信じる次第!」

 そう彼女は景気のいい声を飛ばしつつ、無銘の頭をもふもふと撫でた。

 ……。

 最初は無銘だって小札の言葉を信じていた。誰だって悩みの間口の前では両親の忠言を「まだ」信じていられるのだ。
 だが金言すらやがて錆びさせるのが現実の過酷なのだ。「何を」、「どう」、「何度」やっても、うまくいかない時の方が多い。
 崩せない壁の前で自分を詰り相手を責めて、焦りと苛立ちばかり溜めていく。膿はかつて感動した言葉さえ毒素で犯し形
骸に導く。言葉を実効的な概念にするのは言葉のみではない。言葉をかけてくれる相手が居るという事実そのものが力にな
る場合もあるのだ。しかしそれは大事な何かを失ってようやく実感できる真理、人間形態になれないという生まれて初めて
の困難で頭がいっぱいだった無銘は「きっとなれる」と信じてくれる小札の言葉がだんだんと信じられなくなっていった。子供
らしい甘えでもあった。笑ってくれる母が居るのが「当たり前」で、母が解決してくれるのも「当たり前」だから、当たり前が難
題を解決してくれない現実に、ますます苛立ちを帯び始めたのだ。

「いつしか人間の姿に……?」

「いつって、いつです……!?」

 何度目かの、聞き飽きた励ましに、思わず無銘が叫んだ言葉だ。言ってから彼は後悔した。すぐ謝れば良かった。期限の
定めのないあやふやさを論理で攻撃するより、先が見えない中で希望を信じてくれているという感謝に縋ってお礼を言えば、
ただの子供らしい癇癪として笑って済ませれた筈なのに、照れくささと、鬱憤の爆発の余波のせいで、小札の顔を見られなく
なって、もし怒られてしまったら本当に信頼の総てが瓦解しそうで、……怖くて、そのまま何も言わず離れた場所へ走り去って
しまった。

 実母からの扼殺未遂で声帯を潰された少女が聞けば「なに贅沢言ってるの、普通に育ててもらえただけでもマシよマシ」と
笑うだろう。
「欠如を指摘して嘲笑う女だって世間にゃいますよ」、ニヘラと笑うのはウルフカットのハルバード使い。事故とはいえ色覚を
奪った女性(げんいん)に傷口を抉られた彼にとっても無銘の傷は非常に軽い。なぜなら小札は、毒を、吐かなかった。

 だが人の懊悩は相対ではない、絶対だ。極端な話、世界最下位クラスの悲劇に見舞われたとしても、それがどうしようも
なく解決できないコトであれば世界最高位の絶望と変わらない。

 無銘はやがて、人間形態になれぬ元凶2つを憎み出した。イオイソゴとグレイズィング。胚児にホムンクルス幼体を埋め込
むというおぞましい誕生の経緯を総角たちの口や自らの調査で掴んだ無銘は、仇を憎む形でジレンマを晴らそうと考える
ようになった。

 前後して、小札との関係が、ギクシャクし始めた。総角とも。

「小札さん」と呼ばれた瞬間少女の瞳に再来した光がかつて笑顔を貶されたときと相似するなど無銘は知らない。ただ、悲
しそうな小札の顔に無銘自身も傷ついた。母と呼んでいた少女の哀切は、一種の断絶に対する私的なものではないと、そ
う分かってしまったのだ。”欠如を癒せなかったせいで、無銘くんをここまで追い詰めてしまった”というカオだったのだ。母と
して公として自分を責めるような色合いを見逃せなかった無銘は、だからただでさえ擦り切れていた心をますます自ら傷つ
けた。

(いい人なのに、傷つけた)

 潔癖な少年特有の感傷が、ますます小札との溝を深める。以前のような大らかな関係への回帰こそ望みの筈なのに、
傷つけた謝罪もせずしゃあしゃあと戻るのはどうしてもできなくて、なのに謝罪をしてしまうと『人間形態になれない』不具合
すら受け入れ犬の姿を良しとしてしまうような──これも少年特有の機微だ。背反するはずの二律をいっしょくたにしてしまう
──歪な葛藤に囚われて動けなくなる。逃避かも知れない。勇気ひとつ振り絞れば済む話なのに、葛藤を言い訳に奮起を
先延ばしにしている。答えがない、人間の姿になれない、問題が解決していない……そんな理屈を並べたて、自分の稚気
から目を背ける。「いい人」を傷つけてしまった謝罪への恐れを知らぬ振りする。

(それの、どこが、人間だ)

 チワワの姿だからこそ誰よりも『人間らしさ』に拘っている無銘だからこそ自嘲する。なのに分かっているのに動けない。

 そうやって膠着する無銘と小札の前に──…

 少女が1人、風を払って、現れた。

 名をミッドナイト=キブンマンリ。敵対する組織・レティクルエレメンツ土星の幹部である。


 そして。


 両親への一種の幻滅を乗り越えた者だけが、本当の意味での絆を手にできる。
 ミッドナイトの、関与は。





 月明かり微かな夜の田園地帯、畦道の一角で。

「……フ」

 軽く後じさる総角の、すらりとした金髪長髪の美青年の肩口に剣閃が吸い込まれた瞬間、栴檀貴信の顔が(押されてる…
…!)と引き攣った。
 ちなみに貴信の体が香美という少女のそれと一心同体なのは周知の事実だ。どちらか片方を表に出している間、もう
一方の顔は後頭部に浮き出ている。人面瘡のようだと髪の下でゲンナリ自虐する青年の事情はさておき、とにかく今は
貴信、野生美あふれる爛漫な少女の、タンクトップ姿でセミロングな香美の、揺らめく髪の『影』の中、視覚情報、共有中。
(で! 僕の見るところ!)

 総角。数合の駆け引きに負けた代償は薄皮一枚だがそれは辛くもといった様子、連続で繰り出され始めた突きを後退し
つつ捌き始めた音楽隊リーダー、防戦一方のむきが強い。足元から土煙を上げて飛びのいた残影を剣が薙ぐ。戦闘開始
からまだ5秒。早くもパワーバランスが露呈しつつある状況に、大声だが小心な貴信は戦慄すべき思いである。

──「フ。無数の武装錬金を使えて強い俺だが」

──「刀一本握ればもっと強い」

(と豪語した総角さん……渾名:もりもりさんが最初から日本刀を発現してるのに……圧倒できないだと!?)

 この幹部、強い! と見るのは1人の少女。ミニ浴衣で桃色ツインテールなミッドナイトである。ヘアゴムの代わりはイリエ
ワニやカミツキガメの頭蓋骨、ゴムの輪に通すべき艶やかなピンク髪を牙並ぶ『口』に通している。ツインテールは両方とも
先端から半ばまでグラデーション、色は「萱草色(かんぞういろ)」……百合に似た花の明るいオレンジだ。もしここに先日貴
信が遭遇した褒め屋の青年、のちのブレイク=ハルベルドが居れば色彩にそぐわぬ影ある意味合いを幾つか列挙するだ
ろう。それらはミッドナイトの運命と奇跡的な符合を帯びているが……後段に譲る。
 髪を派手なカラーとスタイルにしているだけあって恰好もどこか扇情的な少女だ。はだけ気味な肩、「高貴」とデカデカと紫
で刺繍されている丈の短いスカート、黒いスパッツ。見た目13〜14歳の少女にしてはやや長めの脚はほっそりと流れて
いるが武術のグラップルを内包しているのは明らか、ミチっとした筋こそ隆起していないもの柔軟性を感じさせるバランスの
いい収斂、努力で勝ち得た朗らか美人の表情筋「顔負け」人工奇跡の配列だ。並称せしは濡れた可憐そして肉感。貴信だ
けは理解する。彼の足元に居た無銘がハッと何かから視線を外して頬を赤らめたのが『何故』か。少女が足を掲げたり跳
躍する度ぬっとりと豆腐のように震盪する太ももの白い肉(しし)は3分の1ほど覆う黒テカりのスパッツにより却って締め上
げられ妖艶な膨れ上がりを見せている。背中から腰にかけてブラさがっている無骨な鞘──どうやら帯から伸びる専用の
紐でくくっているようだ──が剣舞のたび足の傍で揺れなければ貴信も無銘も若い踊り子の演目と錯覚してしまいそうに
なるほど少女の足は艶やかで、美しい。たとえ靴が人民解放軍の迷彩柄した軍靴であっても、尚。
「ううう……! 不肖よりかは、不肖よりかは……!」
 満タンの製氷皿を右下に左上にネジっているような呻き声は貴信の右の小札である。(足のコト? あ、違う、違うぞ!?
小柄なタキシードの少女が凝視しているのはどうもミッドナイトの胸らしい。香美に比べれば「……」だが、見た目相応には
「ある」。
「ぐうう、ぐうーー!」ハンカチを噛み締めて涙ぐむぺったんこロバ少女に掛ける言葉は、ない。
(ととっ、とにかく敵の武器は剣……! 意匠は日本刀や西洋刃じゃない。

『中国剣』

だ!!)

 日本刀の「鍔」が付くべき刃と持ち手の境目にある平面的な装具の名は『剣格』。西洋刃の「ガード」と少し似ているが、直線
か芸術オブジェのどちらかに二分化される洋風と異なり全般的に曲線かつ質実、ミッドナイトの使っている物もまた鉤爪付の
羽を広げたコウモリのようなシンプルさだ。材質は……『玉石』、清らかな乳歯のような艶めく白い鉱物。しかしはてな、剣格
という装具、質実であるべき筈では?
「『玉具(ぎょくぐ)剣』か珍しい。玉石宝石で飾り立てた貴族の装飾品。所詮はの権威付け、まさかの実戦投入……!」
 中国格言に詳しい無銘、武器方面にも造詣が、ある。
 剣格(コウモリ)の瞳、しつらえられた宝玉が短波長の紫外線を照射された灰重石のような幻想的な青(サイアニアス)が夜
の畦道でひらりと旋回し輪を描いた。
 剣。中国の香りをより明確にしているのは柄の末尾(剣首。鐓(とん)とも)の金具に結わえられそして伸びるフサフサした
「房緒」。一筋の糸が25cmほど伸びたあたりで鯉のぼりの「魚じゃない方」に似た無数の組紐の塊がある。それらは白い
毛筆を半分ほど真赤な丹(に)に浸した色合いのグラデだ。
 剣穂(けんすい)ともいうその飾りがなければ「武剣」という。あれば「文剣」。だが文剣を振りかざす少女の辣腕は美しき武
侠と称するに充分である。
 紅白の房が翻るたび激越なる衝撃が総角を弾き後退させる。剣格が曳く青い眼光はさながら

(け、決して弱くないもりもりさんだぞ!? むしろ強い!! 僕が先日、特訓のため手合わせした彼は!)

 力とリーチで勝る貴信の鎖分銅を事もなげに捌き、香美のネコ型ゆえの神速立体コンビネーションを振り返りもせず破り去っ
たのだ、『素手』で。

(僕らにだってホムンクルスゆえの高出力(ハイパワー)はあるんだ! 極端な話、先日の手合わせは人がゴリラとチーター
を銃なし徒手空拳で破ったような物……!)

 総角自身もホムンクルスではあるが、貴信と香美に「腕力」「速度」は使わなかった。身につけた術技、人間の武道真髄
だけで戦い、勝ったのだ。

──「フ。この圧勝はまだお前達が武装錬金や人間形態に馴染んでいないお陰でもある」

──「それぞれがそれぞれの扱いに熟達すれば次に土をつけられるのはこっちかもだぞ」


──「ま、並みの努力じゃ上回れないのがこの俺、だけどな?」


 そんな達人級の修練を積んだ者が、『素手でゴリラとチーターを』破る人間が、人外の出力と、得意凶器の刀を装備した
のが今現在。

(なのにもりもりさんは、劣勢…………!!)

 貴信と香美を圧倒した彼が、一撃たりと入れられてないのだ。手抜かりがある訳ではない。動物ゆえの動態視力を持つ
香美で見失うほどの剣速を総角は先ほどからずっと出し続けている。「今のが捌かれるだと……!?」 不遜な少年・チワ
ワの無銘が呻くぐらいだ、相当だろう。

 敵は少女。土星の幹部・ミッドナイト。武装錬金は中国剣。

(だが見たところ特性は使っていない! つまり彼女は──…

純粋な剣腕のみでもりもりさんを上回っている!)

 総角。銀成市で秋水を圧倒するのは7年後の話である。フィジカルは高水準なれど7年前相応、戦士対音楽隊の頃のそ
れにはまだまだ及ばない。(限界まで体を酷使し核鉄の超回復力で強化する錬金戦団のお家芸は総角もまた敢行し続け
ているし、し続けてもいく。そんなレベル上げ7年がないぶん、未完成なのは当然だ)。

 とはいえまだSランクに至っていないというだけで、貴信の目から見れば充分A判定、天上人のような領域である。
 だがミッドナイトは更に上のSS、天上人さえ支配する神域のように貴信は思えた。

(彼女は、何か……『違う』)

 背丈は低い方なのに、瞼を二重にしながら顎を上げ、ふふんと得意気に世界を睥睨するツリ目がちな少女は一般家庭に
生まれ育った貴信からすると『違う』のだ。

(ディプレスやデッドも人を見下す部分はあったけど、このコのそれは憎悪とかじゃなく……そう、決して声には出せないけど、
王とか、或いは神のような、生まれつき人間なんかより遥か上に生まれついたが故の当然の対応って感じがする)

 想像は当たっている。末子とはいえ最強の戦神に造られ血族と認められたミッドナイトはいわば……

『貴種』

 である。

(しかし妙だな? 聞き込みじゃ彼女、怪物然とした姿でうろついていたそうなのに)

 所属するレティクルエレメンツを脱走した幹部、それがミッドナイトである。
 追跡途中の総角たちと偶然邂逅し、命を救われ、そのまま仲間入りした貴信だから彼女には(ほんの少し)恩義を感じて
いる。「脱走がなければ死んでいた」という間接的な運命作用に感じ入るものがあるから──そのせいで在野に這い出た
『盟主』という恐ろしい存在と遭遇する破目になった皮肉までは流石に知らないから──どうしても一目姿を見たく、だから
追跡のための聞き込みは人見知りなりに精一杯の勇気を絞りやってきた。

 結果聞いた姿は「異形」。ミッドナイトは異形の姿で彷徨していたらしい。
 そしてそれは貴信の運命を歪めた『月』の幹部、デッド=クラスターの認識とも一致する。

──「ミッドナイトって単語聞いただけで萎えたわ。ウチあいつ嫌い」

──「土星の幹部やけど化け物丸出しで全然会話できへんねんで!!」

──「ウチがいっしょけんめいカピバラの話したりしとんのに全然!! コアラのマーチとかちょくちょくあげとんのに!!」


(なのに今は人間形態? しかも貴種と言うべき美しさの……?)


 疑問であるが掘り下げる暇(いとま)は今はない。

 戦闘は、苛烈。

 足を斬りつけにかかった総角の刀が、下に差し伸べられた中国剣によってガードされた。不覚にも貴信が敵に見とれかけ
たのは対象の構えがどこか妖艶だったからだ。丈の短いミニスカートにも構わず右膝を高々と掲げ、更に右の太ももを左の
それに密着させるよう捻りながら右足裏を左膝に軽く触れさせる独特のフォーム。いっぽう剣を握っていない方の左掌は肩の
辺りで人差し指を1本だけ立てている。耳の斜め後方で肘を曲げる恰好だ。しなやかで華麗、「やはり中国武術か」と囁い
たのは兵馬俑なる始皇帝陵の供え物を武装錬金とする鳩尾無銘。精神の思い入れを武器としたチワワ少年、中華に反応す。

「あの片足立ちは『独立歩』、特徴的な指はそのまま『剣指』と言う」
『中国剣に合わせたスタイル、か……!!』

                        そのスタイル
 大陸にはさほど詳しくない貴信にだって中国武術に対する漠然としたイメージぐらいはある。緩やかでしなやか、”気”の
流れを操作する神秘性を流麗に織り交ぜている癖に……どこか血なまぐさい実戦特化。
 総角。ふわりと巻き上げられる刀をそのまま背中に回し右手から左手へバトンタッチし……奇襲的な再度の下段突きを
繰り出した。手品を特技とする小札ですら一瞬なにが起こったのか掴みかねるほどの電瞬一撃だった。だがミッドナイト
対応。踏み込みながら刀を垂らし二度目の防御。火花散るなか笑う総角。踏み込みきり、もうそれ以上は加速が乗らないと
誰もが思った剣先を、上半身の撥条(バネ)のみで再起、一撃目以上の加速と破壊力へと塗り替えた。

「新撰組隊士の技2つの」
「掛け合わせ!?」

 小札と無銘が驚愕する一撃をミッドナイトは真向から切って落とす。迫り来る白刃に中国剣の側面・剣背を乗せるや……
その反対側から『踏み抜いた』。

「なんかものすごいシャーにギンギラ乗せて踏む!? なんで間に合うのさ!?」
『日本剣術じゃほぼ無い発想! 弾かせない膂力も脅威!』

 この予想外の反撃の更に上を行ったのは総角だ。敵が踏み抜くために剣を手放したのを確認するや武装解除し再発動。
ミッドナイトの足裏と剣は粒子と化した刀の残影を空しく過ぎた。
 本物の日本刀であれば成す術なく地面へ縫い止められ、踏みつけ脱出に懊悩必須、されど総角の得物は武装錬金、精神
具現の刃なれば文字通りの抜き差しならずに陥っても問題なし。解除し別座標へ再構築すればそれで済む。
 わずかにつんのめる少女。皮肉にもその足が中国剣を手の届かぬ危険区域へ運びつつある。隙ありと踏み込みかけた
総角だが知覚外の警鐘に一瞬張り詰めた表情をすると後方へ飛びのく。同時に彼の居た場所を破滅的な斬撃が通りすぎ
た。

「剣の一撃!? そんな! 拾える状況じゃなかったのに!?」
「いえ」

 義理の子供の叫びにタキシード少女はミッドナイトを指差した。

「『正史』じゃ数年後ですわー。活躍なされるの。いまはまだ13歳……」

 真空波でも生じたのか。上着を薄く切られ軽くだが確かに血を流す総角は「フ……。難儀な隠し手という奴か」、敵がどう
やって両手を使わず剣を繰り出したか確かめる。

 蛇、だった。少女の後ろ髪の変形したヘビが、中国剣を咥えていた。ヘビは長い、にょろりと頭の後ろから伸びている。

(まるでメデューサな髪が落下途中の剣を拾い、そのまま鋭い一撃を……!?)
(かみ、つうか、しっぽじゃんしっぽ)

 本能が刺激されるのかジャレたそうにウズウズする少女をよそに、未来から来たミッドナイトは「アンシャッターブラザーフッ
ド。とっても参考になりますわぁ」、と数年後より活動開始する武装錬金を誦(ず)する。肉薄の総角。コメカミを狙った一撃を
少女はわざとらしすぎるほど大きく仰け反りつつ上に捌き上げ、そのまま回転の赴くまま音楽隊首魁の首筋に白刃を叩き込
む。貴信の視界の中を稲光と衝撃が行き過ぎ……気付けば総角、やや後方で屈んだ姿勢でミッドナイトに剣を向けられている。

(え、いつの間にあそこまで!? 3mは後退したのに見えなかったぞ!?)
「伊庭八郎で有名な心形刀流の構えでありまする」
『はい?』
「後退しつつしゃがみ込みミッドナイト殿の正面打ちを誘発、摺り上げつつ小手を狙いましたが優雅な仕草で描かれた剣円に
より弾かれ逆に右膝に下段突きを貰う羽目に。それを跳躍を絡めた切り下げで辛くも回避したもりもりさんですが読まれており
同じくジャンプし更にスピンしたミッドナイトどのの真円軌道まるまる一回分の加速を乗せ「d」を描いた中国剣が右肩にヒット、
刺さって抜かれた次第!」
(え! あの一瞬でそんな攻防!? と言うかなんで分かるの小札氏!? 僕ぜんぜん分からなかったぞ!?)
 目のいい実況者の言葉が合図だったかのごとく総角の右肩(そこ)から血の噴水……。
 大きなアーモンド型の瞳をギョっと見開き唖然とするのは、香美。

「めっちゃ強いアイツがケガ!? ご主人、もりもりの奴、なんか勝てん感じじゃん」
「そうだなマズいぞ香美! さすがは土星の幹部……! デッドやディプレスと同格、いや、下手すれば彼ら以上……!」 
 邂逅し、運命を歪めた邪鬼たちが貴信の脳裏に上回る。幹部(マレフィック)の恐ろしさ、肌で知らぬ道理はない。
 この時点でやっと開戦から11秒。突然の襲来(あと太もも)に麻痺していた脳髄がようやく最適解を弾き出した。すなわち、
助勢を。

(微力だけど僕が加われば逃げるぐらいは……!)
「古人に云う。用兵攻戦の本(もと)は、民を壱(いつ)にするに在り」

 核鉄を手にし叫びかけた青年とチワワ。それを制したのは意外にも──…

「フ。手助けならいらないぞ貴信。無銘」

 総角の声である。「え」と立ち竦む貴信に流れるような金髪を持つ倩(うつく)しい青年は言葉を続ける。

「仇討(あだうち)と参った少女にボスが手下をけしかける……フ。悪の所業だ、俺はしないさ」
 でも、言いよどむ青年を遮ったのは
「ですわよね総角。貴方自身、友の仇を討たんと旅する存在……。
 毅然と剣を「仇」に突きつけ叫ぶ……ミッドナイト。「否定できませんわよねえ、あたくしの正義!」
「フ。ご明察。故に宿業、一騎打ちは我が宿業。……いいな貴信、無銘。手出しは無用だ」
 部下に呼びかける総角に「いい心がけですコト」嫣然と笑う少女だが、あどけない瞳は笹の葉のように細まる。存在する
光は総角に対し決して好意的と言えぬ光。

「そう。これは仇討なのです。貴方は仇……。あたくしの恋人を殺した仇」
(仇討……? いや考えてみれば戦いが始まる前から言って……。けど……)

 貴信の心は疑問に染まる。

(もりもりさんは僕達を助けてくれた人……。そんな人が『殺した』……? 土星の幹部の、大事な人を……?)

(本当なのか? いつも余裕たっぷりで何でもできそうなもりもりさんだぞ。たとえ敵でも殺さず救えそうなのに……)

 確かなのは加勢ができないという事実のみ。判断を求めるように見た小札はどうやら先ほどからずっと静観の構えだった
らしい。手をこまねくというよりは総てを察して大人しくしているような顔つきに貴信は助勢を已む無くだが諦める。小札は
音楽隊の中で最古参なのだ。団体の中で、最古参が、してはならないという空気を醸し出しているときそれを破れる新人は
少ない。

『あれ!? でも香美、なんでお前まで大人しくしてるんだ!? こーいうとき弱い者イジメはダメって飛び出してくのがお前
だった筈なのに!』
 ふぇ、なんで? なんでもりもり手助けせにゃならんのさ? ネコ少女は気の抜けた声を漏らした。

「あのピンク確かに強いけど、あんま怖い感じせんし。さっき会ったヘンな鳥とかヘンな筒みたいな、やーな感じないじゃん」
 だからもりもり大丈夫じゃん、負けても「ぎゃー」せん、絶対。のん気に呟く飼い猫を「え」と見たのは小札と無銘だけではな
い。
(……敵に殺意がないってコトか?) 貴信の混迷も深まる。さっき会った〜というのは先日邂逅したミッドナイトの同輩2人だ。
香美はネコゆえに、過去は何でも「さっき」という時系列の欠如を抱えているが、そうであるが故に保全された野性的直感も
またある。動物ゆえに敵意悪意には敏感な彼女が、殺意なしと言うのなら……勘違いは、ない。

(だが矛盾は生じる! 『殺すつもりはない』? おかしいぞ! 恋人の仇を討ちに来た少女が、仇目前で!?)

 再び距離を詰める剣客と武侠。熱烈な開花が数合撒き散った。「フ」。上段蹴りに接触した手がチリっと鳴ったその瞬間、
少女はぐるんと宙を回っていた。「合気!?」 総角秘蔵の体術の一つに瞠目する貴信。だが一枚上手はミッドナイト、合気
のため一瞬止まった総角の背後から猛烈な突きを見舞っている。主犯は蛇、蛇の髪。みゅーんと伸びた白いコブラが総角の
死角を大外回りで迂回、剣を咥えて迫っている。
「フ。一度見た技など警戒済み」
 どれほど伸びようと髪は髪、総角は迂回のためすぐ傍に伸びているそれに右手首を当て巻き落とした。根元が揺れれば
末節も揺れる、迂回で背後を支えている髪の軌道が逸れた。影響は本体にも。かねてより縦回転中だったミッドナイトは
横回転すら帯びてジャイロに。宇宙事故の如く旋転する少女は呻きながらも髪の蛇に飛剣を命じる。「フ」。背後からの銀
閃を悠然と避ける総角の傍を駆け抜けた剣は主のすぐ傍に傾ぐ墓標の如く突き立った。ミッドナイトは二度三度と空をかい
たが辛くも剣首に手をかけブレーキ成功。だがグラリ。倒れる剣、落ちゆく少女。総角が脇構えで突っ込んでくる中、残る左
手を腰の後ろへ。帯から紐で吊り下げていた鞘を手馴れた様子で左右に振って抜き取るや、乱離骨灰(らりこっぱい)の勢
いで敵性体を叩きのめした。
『そんな! 蛇対策は講じていたのに……!』
「お次は棍の要領か……!!」
 驚く無銘。一方総角は全身のそこかしこで弾けて骨身に染みる激痛に一瞬身を丸めかけたが果敢にも踏み込む。だが
減衰した勢いの悲しさ、落下のさなかにあるミッドナイトの中段蹴りの方が一瞬速い。ピタリ。弾丸の如く尖るつま先の前で
止まった総角、そのまま進めば咽喉仏が蹴り砕かれるのが明らかなためやむなく後ろへ飛び距離を取る。。
 それを満足気に眺めながらも自身も着地した土星の幹部、更なる連撃に移行しかけるが視線が止まる。鞘。あちこちが
斬られ、割れている。「ほほう」、目を丸くしながら高貴なる少女、
「咄嗟の斬撃で防御して軽減……? だから打撲(その)程度……。何ヶ所か一生歪んだままにしてやるつもりでしたのに」
 軽いとはいえ核鉄由来の金属製だったのに……コレじゃもう武器としては……鞘を再び腰の後ろにブラ下げる。
(劣勢だが敵の手札を1つ潰したのは確か! やはりもりもりさんは強い、ただじゃやられないな!)
 貴信はやや安堵する。決して優勢ではないが糸口はあるのだ。
「しかし剣穂(けんすい)」
 左手の傍に飛んできた房を優雅な手つきでャッチしながら180ターンする土星の幹部。恰好は右手首を直角に曲げた剣
指、そして倒れこむよう曲げた右足の膝をやや曲げ気味の左足のふくらはぎに密着させた「歇歩」である。
 果たして少女の眼前で総角の左大腿部がばっくりと割れた。
「なっ……」。ぶしゃりぶしゃりと畦道を汚す血しぶきに叫んだのは金髪碧眼の美剣士。
 斬撃の要たる脚部への、深刻なダメージにさしもの自信家すら声をなくす。部下達の衝撃はそれ以上。
「あの長くてギンギラしたやつ地面にさっき刺したのじゃん! 何で持ってるのさ!? いつの間に!?」
「抜いたのでしょう。あの剣穂を持ち、引き抜き、そしてもりもりさんの大腿部を……!」
「確かに中国剣、剣穂の代わりに鎖をつけ『鞭』として使うコトもあるが……並みの技倆(ぎりょう)ではまず当たらん!」
(……だな!)
 鎖分銅の武装錬金を持つ貴信だから分かるのだ、ミッドナイトの凄さが。
(対象に鎖部分を当てるだけでも一苦労。ましてその先端の剣を、斬れる角度で……!? 並外れた芸当……!)
 無銘の衝撃は、大きい。更にまくし立てる。
「まして敵は合気の余韻で不安定な空中に居た! しかも鞘を棍に見立てた乱打の最中だったんだぞ……!? その状態
で剣鞭(けんべん)!? しかも自分に戻るよう投げて……!? 達人の域! 誰が予測できるというのだ……!」
『……っ! そうか! 鞘での乱打は囮……! 本命は剣、乱打のさなか足を斬り掌に戻っていた、か!!』
「おーっほっほ! イイ感じですわいい感じですわ、もっともっとあたくしを讃えるがいいですわ下賎の民ども!!」
 よほどギャラリーの反応に満足したらしい。ピンクのツインテールの少女は細いキツネ目で楽しげに高笑い。本当に
キツネだった、笑っているキツネの子供向けのお面を被っているような表情(カオ)だった。お嬢様笑いに不可欠な「片頬に
当てる掌」ですら影絵のキツネだった。
(さ、さっきから薄々気付いていたけど)
 貴信はようやくミッドナイトのキャラが分かった。
(昭和の高飛車タイプ! 昭和の高飛車タイプだこの人!)
 古い! と青年は驚いた。強さと美しさを兼備する人ならざる雰囲気の少女だからもっとこう、一言一言が神託じみた超
越者を想像していたのだが、口を開けば意外や意外、レトロな漫画やアニメを探せばダース単位でいそうなテンプレお嬢様
タイプである。
(確かに口調そのものは上品なんだけど……なんか、なんか残念だぞ全体的に……!!)
 ああでもと貴信は思いなおす。先日遭遇した火星(ディプレス)や月(デッド)といったミッドナイトの仲間の幹部たちだって
「ギャアギャアうるさい癖に根本はどんよりした無気力」とか「物が喋って自分に話しかけると思っている買い物中毒者」とか、
まったく碌でもない性格だった。
(あ、悪の組織の幹部だからな!? 誰が見ても品行方正で立派なら悪党なんかやめて普通に生きてる訳で! そ、そーいう
意味ではミッドナイトというコも……”らしい”のか…………!?)
 アレでもそれなら仇を前にして殺意に染まっていないのかはやっぱりおかしい……目を白黒させる貴信に「ん、んん!?」と
反応したのは……総角でも小札でも無銘でもなく、ましてや愛猫たる香美でもなく、よりにもよってミッドナイトだった。
「もしかしてひょっとしたりですけど、あたくしの強さに感服して傘下に加わりたかったり……されます……?!」
 ちょっと恥ずかしそうに、しかし期待が勝るのか、彫像のように整った曲線の頬をりんご色に染めながらウズウズと問いか
ける少女に貴信はますます彼女の性格が分からなくなった。
『い、いや、そうではないというか命を助けてくれたもりもりさんを裏切りたくはないというか……!!』
「キャー!! 総角の部下たちがそっくりあたくしの軍団に加わったらどうしましょうですわーーー!!
(聞いてない!? 聞いてないぞこのコ!!)
 いやんと両頬に手を当て身をくねらせるミッドナイトはしかし満更でもなさそうに剣を持ってない方の手をブンスカブンスカ
振りたくり、黄色い声。
「部下になったらまず全員にお姉ちゃんって呼ばせますわーー!! 弟や妹が一気に2人ずつですわ天国ですわ、あたくし
は一番上のお姉ちゃんですばうぼごげえ!!)
(お姉ちゃんって何!? その願望は何なn……うぼごげえ!?)
 貴信が度肝を抜かれたのも無理はない。はしゃいでいたミッドナイトが突如として口を始めとする体の各所から盛大に血を
噴いたのだ。
「え、お血がいっぱい!?」
(お血!? お血って今いった!?)
「何これですの何これ!? 何なのですのーーー!!?」
 怖い! 白目をむいてヒヨコ口で戦慄く少女に(ますます幹部らしくないな……!)と貴信が思う中、
「あー。お前、ミッドナイトお前な。ダメージ通っているのは喜ばしいんだが、”そこ”でか? ハシャいでる最中に傷開かれると
俺の格が下がるんだが……
 実はさっきやっとの思いで当ててたんだけどなー。血刀ぶら下げつつボヤいたのは総角である。
「飛天御剣流・龍巣閃。先ほど行われた鞘の乱打や剣の鞭による不意打ちのさなか、攻撃を当てていたのは俺だけじゃない
……ってコトをだな、お前が優勢を語り得意ぶってる最中、指弾いて傷で教えようと思ってたんだが……」
 急に予想外にハシャぐもんだから予定より凄く早く傷が開いたぞ……端正な顔つきをドンヨリとさせる音楽隊リーダーに
部下達のテンションも低くなる。
(う、確かにこういう時、『優勢だと語る方相手に指パッチンで傷を教える』は鉄板……! やれば不肖たちの気勢あがるは
必定!)
(だな。総角さんも密かに直撃させていたのだ、まだ行けるのだと我の気運も上がるのだが)
(よーわからんけど、なんかグダグダじゃん、グダグダ!)
(傍目からだとハシャいでる相手を不意打ちしちゃったようにも見えるからな……! 実際は先の攻防の最中にだけど!)
 全身からボタボタと血を落とすミッドナイト。出血量の割に傷は浅いらしく顔色は少しも褪せてはいないが、茫然自失は
否めない。やがて我が身に何が起こったか理解すると彼女はわなわなと全身を震わせながら紫水晶色の瞳に紅蓮の
焔を宿らせ
「あ・げ・ま・き・ちからァァ〜〜〜〜!!!」
 睨みすえるのは総角。夥しく出血する左足を庇うようやや傾きながらも立っている美丈夫を激情の涙飛ばしつつ睨んだ
ときヒステリックなハイトーンが夜の帳を引き裂いた。
「あなたあたくしの夢を小馬鹿にしてますわね!!?」
「え!? 傷負わされたのはスルー!? 夢!? あ、姉か、いやそっちは別に個人の自由だし馬鹿には……!」
 珍しくたじろぐ総角を非常に強い語気が切って落とす。
「いいえ願望に浸っている最中このような手傷を与えるなんて尊重してない証拠ですわ!!」
「待て待て待て! 今のは不幸な偶然だってさっき言ったよな俺!?」
「悪いですの!? あたくしが、末っ子が! お姉ちゃんになりたいって夢見ちゃ悪いですのーーーー!!」
 ギュっと目を瞑り狒々が如く顔面を赤らめ「むきゃー」と叫ぶミッドナイトへの貴信評は、確定。
(末っ子でお姉ちゃんぶりたいとかやっぱ残念な人だった! ! てか手傷!! ホントにいいの!? 気位高いタイプは
嫌がって怒るのが普通なんじゃ──…)
「って思ってるカオですけど」、明るいオレンジのシャギーの入った桃色のツインテールが八つ当たりの指に弾かれた。
「古人に云う。窮もまた楽しみ、通もまた楽しむ……ですわ。あたくしは高貴ですけど一介の武侠、面と向かって仕掛けた戦
いで負った手傷そのものには文句ありませんわ。ただタイミングが最ッ悪だったから憤激しただけですわ」
 露骨な膨れ面のミッドナイトは「ああもうせっかくの弟と妹2人ずつの夢が台無しですわやっぱり総角嫌いですわ」とブツブツ。
(……?)
 貴信はちょっと違和感を感じた。2つほど感じた。(あれ? 人数?) ギャラリーは3体。4人いるが貴信と香美は同体である。
『事情を知らねばネコ少女の後頭部に居るなど絶対わからない』青年は、(それに古人うんぬんって口癖は)無銘を見た。

(同じだ……! 中国格言を用いるところも。……これは偶然、なのか?)

 チワワの少年も不可思議な一致に戸惑い始める。

「きぃー!! というか何で当てるのですか総角!! 貴方はあたくしにずっと翻弄されていればいいのです!! 季子(きし)
とファンもどき! 我がお母様との関係性からしてもあたくしの方が偉(すぐ)れていますのに逆らうなんて! 生意気!!」
「フ。ファンもどきはひどいな。確かに俺はお前の母、マレフィックアースを目指して開発されたそうだが……だからこそ、彼女
には一定の敬意を払ってるんだぞ? もちろんその娘たるお前にもな」
 姉と仰いでやってもいい位だ。不敵に笑いかけられたミッドナイトは「ホント!?」と目を輝かせかけたがすぐさまショッキング
ピンク側頭部の髪の房2つをブンブン横に振った。
「か、懐柔しようたってそうは行きませんからねっ!! 貴方は恋人の仇ですし、逆らわれるのは気にいりませんし! ほんとこれ
だから下賎の民は嫌ですわ! ちょっと数発まぐれ当たりしただけで調子に乗って!!」
「フ。まぐれかどうか……続ければ分かるさ」

 肩で刀を担いだ総角は息を吸い、地を蹴る。砲弾のように一直線に飛ぶ彼は更に全身をロール、

「飛天御剣流! 龍巻閃・旋(つむじ)!」

 旋転する刃を纏いながら少女に突っ込む。だが刺突武器持ちへのそれは半ば行為、嘲るように突きを繰り出すミッドナイト
だが「土龍閃!」、突如爆発した地面の弾丸が軌道を変える。「水平飛翔しながら大地を削るとは……!」 小札が呻く中、
手榴弾の破片よりも凄まじい勢いの土砂たちを武侠は刀の旋転で弾き返す。その中でもひときわ大きな破片を踏み上がっ
た総角が月を遮る。「爆発の勢いで舞い上がっただけではなく」「土の塊や、石! 敵が弾いた大きめのそれら含め蹴って
……?」 駆け上がった飛天から繰り出すその技はただ1つ。
「龍槌閃!!」
 見切り。たった半歩の後退で直撃を避けたミッドナイトは額から桃色の若草が舞い散るなか着地寸前の総角に対し馬歩
(両足を肩幅の二倍ほどに広げ腰を落とす体勢)で「ほっ」と機械的に、滑り込むよう、目線より高く、肘を入れつつその勢
いで滑らかに反転、剣にて優雅な突きを繰り出す。避け切れなかった肘で頬を薄く切られた総角は大儀そうに軽く片目瞑り
つつ刀を動かし……かくて両者、しばらくの攻撃的な膠着に入り込む。

 付け入る余地がない目まぐるしい戦闘に貴信は冷たい汗をかく。

『仮に加勢を許されていたとしてどれだけ貢献できたか……! 彼女! 髪の特異性を抜きにしてもいろいろ違う……!!』
「さきほど無銘くんも触れられましたが、中国剣を活かすための中国武術、相当訓練なさっているようです」
「そして中国武術は拳法のみではない。少林も八卦も蟷螂も形意も総て! 武器をも扱う総合実戦!」

 剣以外の中国武術をも振るう相手だから日本剣術主体の総角さんはやり辛そうだ、
 分析する無銘に呼びかけるのは小札。

「ですが先ほどもりもりさんの太ももを斬ったのは斬撃に不向きな”剣”……そこだけは不幸中の幸いと言えるでしょう」
『……? あ! 確かにな! ”刀”だったら骨ごと断たれていたかも知れない!!』

 ん? ん? 飼い主たちのやり取りに首を傾げるのは栴檀香美。

「?? なんか武器ちがうの?」
「むむっ、不肖こそ疑問疑惑な感じでありまする。剣と刀の違いをご存じとお見受けした貴信どのと一体化し知識や記憶を
共有しておられる筈の香美どのが分からぬとは何事!?」
「わからん、わからん。なんかギンギラしたのが浮かぶけどサッパよーわからん」

 無心の疑問の表情で眉をいからせそして白くしなやかな両腕を高々とハの字に挙げてニャーニャー騒ぐネコ少女。「なんと」
ぎょっとした小札はちょっと言葉を探すが「ぐぬぬ、一体どこから説明すればいいのやら……」と親切心ゆえに悩む。

「中国じゃ剣と刀は違うのだ」

 助け舟を出したのはチワワ、無銘である。ぱあっと嬉しそうに笑って一礼した小札に彼はきまりが悪いような照れくさいような
微妙な表情をしたがすぐさま対香美用のぶっきらぼうを作る。

「いろいろ差はあるが、主に『刺す』のが剣、『斬る』のが刀と思え。あくまで”主に”だが」
 恐ろしく分かりやすい説明に栴檀香美の双眸がぱあっと一瞬理解めいた光に満ち──…
「よーわからん!」
「貴様!? 我の話を何だと!?」
 満面の笑みで片腕を突き上げている香美に悲痛な抗議をするチワワだが、「わからんものは、わからん!」ボス猫の貫
目充分なクシャクシャ笑いが八重歯すら覗かせ純朴を輝かせるとぐうの音もでなくなる。
「えと。比較的まっすぐで両刃なのが「剣」、大きくグニャリと曲がって片刃なのが「刀」でありまする」
 匕首とか蛇剣のような直刃ではない剣もありますが……説明されても香美は「よーわからん」と唇を尖らせる。
「じゃ、じゃあ、西洋剣のガードっぽい『剣格』があるのが剣、日本刀の鍔そっくりな『刀盤』があるのが刀というのは!?」
「しゃー!! そもそもあたし、”せーよぅーけん”とか”にほんとー”とか知らんし! 何さそれ何さ!?」
 腰に両手を当て軽く憤慨してみせる少女に「これだからネコは!!」金切り声を上げて頭を抱える生真面目な無銘。
「だから! なぜ日本語喋れるのに武器知識がない!? 飼い主と共有している知識の範囲が曖昧すぎる、どこまでだ!?」
(僕もその辺まだよく分かってない、ごめん鳩尾)、内心で掌を立てるほど少年が可哀想になった貴信は助け舟。
『香美! お前のキバは剣! ツメは刀! そんな感じだ! キバは引っ掻けないしツメじゃ噛めないだろ!』
「それなら分かる!! 使いみち別じゃん! わかった!」
 分かるのですか……小札は呆れるが無銘は不意に「使い道が別、か」と表情を変える。

「総角さんも使っている日本刀が刀とも剣とも呼ばれるのは刺突と斬撃を兼備するからだ」
『確かまだその2つが一緒だった頃の中国刀剣が先祖……だっけ鳩尾!』
「そうだ。一説によれば渡来したのは古墳時代ごろ。それを日本人は『刺す』と『斬る』両方ができるまま、できるよう、発展さ
せた」
「一方中国は分業特化でありました。刺すならば剣、斬るなれば刀……と」
 だから分からん、戦いにかんけーあんのこの話? たぷりとした胸を押しつぶし腕組み中の香美の鼻の頭にシワが寄った。
「破壊力の話だ。剣は斬撃において刀に劣る。漢代のころ匈奴対策の立場を、騎馬主体に移りつつあった戦いの主役を、
刀に奪われたのは一撃離脱に甚だ不向きだったからだ」
 馬に乗った者同士の戦いは殆どの場合、すれ違いざまの一撃になる。だが”両刃”の「剣」は性質上、両端を薄くしなけれ
ばならないため耐久度が低く『騎馬の速度+斬撃』の衝撃に耐えられない。本命である刺突であっても脆弱はいなめないし
そもそも突きという点的・直線的な攻撃を、高速で縦横無尽に走り回る騎馬に当てるのは難しい。
 一方”片刃”の「刀」は日本刀の峰に当たる「剣背」をブ厚くできるため耐えられる。刀身という一本の線分を動かすため
攻撃軌道は平面的で、「当たりやすい」。
「以上、剣より刀が『斬撃』を得意とする理由。湾曲ゆえの斬りやすさもある」
「もしミッドナイトどのの武器が刀だったらというのはそういうお話で」
『柳葉刀……いわゆる青龍刀のような肉厚で攻撃力の高い刃物を彼女が用いていたら被害は今の比じゃなかった!!
鞭の如く操った時みせた熟練武術の迅速さがますます凶悪な破壊の威力を帯びただろう!』


(フ。俺が戦っている間に暢気なものだ)


 やれやれと首を竦める総角。部下たちが喋っている間にも干戈の繚乱が苦い痺れを掌に溜めている。

 糸口を求め敵を観察しているうち総角はミッドナイトの奇妙な『剣の握り方』に気が付いた。

(キツネ指だと?)

 やや人差し指と小指を浮かせた歪ともいえる把持を土星の幹部は敢行している。どころか振りぬいたり握り直した一瞬、
影絵でも出来そうなキツネ指になっているのを総角は見逃さなかった。

 ミッドナイトは片手持ちだった。剣を片手で持っている。キツネ指でない方の手は「剣指」という、人差し指中指だけ立てる
いかにも中国武術的な形で……添える程度だ。

 だが剣を握る手は「キツネ指」。しゅんと耳を伏せきったキツネ指。

(よくこんな手つきで剣戟を継続できるな……? 普通すっぽ抜けるぞ、勢いあるんだから)

『型』というぐらいだから武術は人を均一化するものだ。個人の特性と個人の癖は別物と断言し、奇癖の類を型に嵌め是正
して初めて「修練」という。

(なのに妙な癖がミッドナイトに……? いや。フ。これだけ強いというコトは、ただの癖ではなく、恐らくは)

 脳裏に浮かんだのは3人の男女。

 眼帯をし、対面するたび兄貴風を吹かせていた偉丈夫。
 青い肌で女性にしては長身な、ゲーマー少女。
 元気いっぱい、ザ・妹、ジ・妹な褐色少女。

『今はもういない』彼らとの会話が一瞬、総角の心の中を通り過ぎた。

(…………フ。ミッドナイト。お前の、半生は)

 一瞬緩んだ連撃がリスタート。石火が散るたび総角の刃が弾かれる。縮小する制空権。ぐらりと揺れた美丈夫の軸足を
刈りに向かうは不意に沈み込みし少女の踵。桃色のミニスカートから伸びるしなやかな白い足を全身ごと鞭のようにしなら
せた蹴撃のスパァっという破裂音が香美の首を思わず縮めさせたのはしかし着弾したからではない。総角の跳躍が一瞬
早い。中空にある彼の足元の空隙を空しく切ったに過ぎない蹴りが、”なのに”銃声のような風切りを生み出した。畦道の草
むらが切れて舞い散り総角の靴裏からも細かな破片が爆ぜ飛んだ。「あの女……無手でも相当……!」、強いと無銘が押
したくもない太鼓判を冷や汗混じりに押す間にも総角、先ほど弾かれた勢いの赴くまま右回転、体がジャイロ独楽のように
傾いていくのも構わず丹田に力を込める吸引を敢行、ズァッという引き攣ったイビキのような独特な呼吸法によって蓄積さ
れた力をそのまま剣の遠心力に乗せつつ電撃の半円描写を完遂。狙うは少女の右側頭部、下段蹴り一周による硬直は打
ちごろ、正面こそ見せているが屈めば回避に枷がつく、狙わぬ馬鹿はいない。
「甘いですわね」
 無造作に掲げられた剣だった。ミッドナイトの頭上やや右上で真一文字に差し伸べられた中国剣の三角の稜が、総角の、
加速と腕力と体重とそれから遠心力がたっぷり乗った日本刀の斬撃を吸い込んだ。吸い込んだとしか形容のできない所業
だった。少女は右手の剣を、水平いっさい崩さぬまま腕ごと体の外周へぐるりと回した。たったそれだけで総角の一撃に篭っ
ていた筈の質量的重厚が霧散した。のみならずミッドナイトは右に傾ぐ我が身に決定打を与えるようその方角の大腿部わき
の大地に左掌を叩き付ける。連動。解放される右アキレス腱弾性、総角の左首筋に深々とめりこみ脳を揺らしたのは少女
の左足。屈んだ体勢から腰を捻りあげながら刃よろしく切り上げた鋼の脛が命中したのだ。
「左掌を支えにした変則的ヘッドスプリング! 全身まっすぐ、剣の如く!!」
 叫ぶ小札。浮遊の総角。ミッドナイトは錐もみながら踵で夜空を削つつやや後方めがけ垂直に一回転、しこたま加速のつ
いたサマーソルトを音楽隊首魁の顎に叩き込む。
「靴は軍靴! しかも音を聞くに鉄板が仕込まれている……!!」
 無銘を「父が打たれたように」狼狽させる衝撃音のなか艶やかなピンクツインテールが揺れた。血反吐ブチ噴く敵にダメ
押しとばかり一拍遅れの双月を描くよう中国剣を繰り出すが牽制と離脱を兼ねた日本刀に叩かれ威力を削がれる。
「……フ」
 歯が割れたのか口腔を切ったのか、吐血しながらも宙を打ち着地する総角。ほぼ同時にその3mほど正面にミッドナイト
もストリと細身を立たせており、
「圧倒してますわ圧倒してますわ、さっすが高貴なあたくし! やっぱ強いですわー!」
 きゃっきゃと胸の前で両手を揃え大喜び。右足左足と交互に一本立ちで前傾しながらハートマークを飛ばす。「……」やや
呆れたような総角。視線に気付いたミッドナイトは「ふふん」。得意顔。キツネ手の耳の部分でツインテールをファサリと梳る
や腰を曲げ意地悪く覗き込むよう呼びかける。

「あいっ変わらずの弱さ! レティクル時代から進歩してませんわねフルフォース!」
「フ。2、3度かるく手合わせした程度の旧知が2分足らずの攻防で今の俺を見切れるとでも?」

(ん? 顔見知りなのかこの2人?) 貴信が訝しむ間にも、”元”月の幹部と、”現”土星の幹部は互いの得物を構えたまま
両者へ肉薄。凄まじい激突音を皮切りに彼らは電光石火の膠着へ突入、消えてはブツかりあう繰り返しの衝撃と熱が水田
表面を球状に抉り弾き飛ばす。そのたび大砲を撃ち合っているような轟音が鳴り響いた。

「な、なんかどんどん凄いケンカになってくじゃん……。ピンクの、やな感じじゃないけど、やな感じじゃないけど……」

 タンクトップから伸びる白磁のような両腕で体を抱え身震いするのは栴檀香美。ネコゆえに武技の交錯の機微は当然わか
らないが代替として野性がある。総角⇔ミッドナイト間に充溢する気魄のおぞましさを直感できる感応が。

「だが両名ともまだ全力ではない」
「んぁ゛!!? もっとヒドくなんのコレ!?」
 ぎょっとするネコ少女の傍、足裏が基本の体温調整原則を破って頬に汗をまぶすのは鳩尾無銘。「お互いにまだ手の内
を探っている状態だ。認識票2つで常時ダブル武装錬金発動状態にあるにも関わらずいまだ片方のコピーしか使っていな
い総角さんに対し、武装錬金特性を一切見せず徒手空拳で代用している土星の幹部……」

 戦いはまだ、序盤だ。そんな呟きに「うげ」と呻く香美をよそに貴信は問う。小札に。

『その……答えたくなければスルーしていいのだけど! 仇っていうのは本当なのか!? もりもりさんがあの幹部の恋人
を殺したっていうのは誤解じゃなくて、事実なのか!?』

 まだ知り合って間もないが、常に悠然としている総角ならば人を殺さず解決できるのではないか……というのが貴信の見
立てだ。自分を……いや香美を含めた「自分たち」を拾ってくれたリーダーが殺人者だと信じたくない気持ちだってある。だから
誤解か否かを小札に聞くのは心理として当然だろう。

「……残念ながら、事実なのであります」

 快活な実況少女のトーンが落ちるのを貴信は久々に見た。いつだったか、弟子と名乗る青年が『一世』という人物の近況を
問うたとき以来である。この時点でまだ貴信は一世ことアオフシュテーエンが小札の兄とは知らなかったが(知るのは7年後、
銀成市で戦士たちと一戦交えたあと、協力体制を整えてからだ)、辛い過去や別離を抱いているらしいのは薄々気付いてい
る。「答えたくなければスルーしていい」というのは貴信なりの配慮だ。語尾に感嘆符がついているのは詰問ではない、大声を
出さないと喋れない、やや矛盾気味の弱気を抱えているからだ。

 ともかく、小札は語る。幹部が襲来している以上、同輩に背景を説明するのが当時居合わせた自分の義務だとばかりに。

「ミッドナイトどのの想い人は『海王星の幹部』なのであります。戦いが生じたのは3年前の……『決戦』終盤。不肖ともりもり
さんが恐ろしき盟主に敗走した後のコト……。追撃に来た海王星の幹部どのと戦う羽目になり、最終的に……」
「知ってたきゅーび?」
「伝聞だけだ。我(われ)が音楽隊に加入する前の出来事……だからな。てか離せ」
 いつの間にやら抱き上げ耳打ちする香美にチワワはぶっきらぼうに呟き身を捩る。
 時系列を整理するのは、貴信。
(3年前ってコトは『1995年』の出来事か。順番としては『一世さんことアオフさん』の逝去→海王星の幹部との戦い→鳩尾
との出会い、だな!)
 ロバ少女は雰囲気から貴信の推測を察したようだ。「そうです」とばかり頷いて、更に続ける。

「海王星の幹部どのは元々、もりもりさんを凌ぐ存在を目指して生み出された存在でした」
「!? じゃあその幹部も盟主のクローン!?」
 総角がメルスティーンの映し身だと当人から聞かされている貴信だからそう推測するのは無理からぬ話だが、返答は、ノー。
「不肖も詳細は知りませぬが、どうやらいわゆる実験材料……盟主からのクローニングなしで強い存在を作れないかと生
み出されたそうです。故に」


「フ。彼は俺を斃さねば存在証明できぬ状況にあった。「しくじれば廃棄」と死力を尽くす強者に加減できる道理はない。当時の
俺と小札は盟主のせいで重傷だったし……何より未熟だったからな」
 だから殺すしかなかった、俺とて生きて成すべきコトがあったからな。剣を繰り出しながら悠然と告げる総角。ミッドナイトの
闘気はただ静謐に高まっていく。
「ええ。それも兵家の常でしょう。誰しもが殺さず終われるとは限らない。あのコ本人も出立のさい覚悟の上だと告げていた。
合意の上の殺し合い……敵討ちなど面目を汚すだけの行為ではあるけれど」
 緩やかな曲でも指揮するように振るわれるミッドナイトの剣がスルスルと乱撃を払い敵の右上膊部を貫いた。
「あたくし自身のケジメのために、どうしても。この戦いは避けれませんの」
 赤い雫したたる玉具剣を抜き静かに述べるミッドナイトにまず違和感を強めたのはやはり貴信である。

(……やっぱりおかしいな)

 強さにだけ目を奪われていた彼はやっと先ほどの香美のように「殺意の有無を観察できる」ようになった。

(まだもりもりさんが『何らかの事情で』仇を自称している可能性もあるけど、ミッドナイトが現状狙っているのは彼、それも真
偽すら質(ただ)さず斬りかかっている。……普通ならば復讐心に燃え滾り、自制が効かなくなるだろうに)

 貴信は自分の苦い記憶を照会する。自分と、香美の命を奪った月の幹部・デッド=クラスターの首を鎖で絞めて殺しかけ
た怒りと憎悪の風景を。

(相手は年端もいかない少女で、しかも)

 手足がなかったのに、だ。悲劇的な運命の中でそうなった子供を、愛する者たちさえ理不尽に奪われた可愛らしい少女
を、貴信は憎悪の赴くまま絞め殺そうとしていた。首から下がボトリと落ちても構わないとさえどこかで思っていた。

(大事な存在を奪われた怒りとは”それ”なんだ。しかもミッドナイトは土星の幹部。デッドと同じ『マレフィック』だ。もりもりさん
曰く数多くの戦士を遊び半分で殺しているディプレスや、鳩尾をおぞましい方法で誕生させたグレイズィングやイオイソゴ、
それから小札氏にとっての大事な人を奪い、僕と香美の運命をも狂わせた破壊者の盟主・メルスティーン。そんな者たち
で犇(ひしめき)きあっているのがマレフィックだと言うのに)

 仇討に来たと宣言したミッドナイトは、ひどく、落ちついている。

 無銘もまた、違和感に気付く。

(ここから爆発するのか? それとも怒りや憎悪すら抱けぬほどに壊れているのか……?)
(ですがあの方は確かに武術を使って動いておりまする。精神が壊れているにしてはあまりに流麗な運用……)

 力みのない、ふわふわとした剣さばきだった。速くは見えないのに、空気を焦がす勢いで繰り出される総角の一撃一撃
を気付けば的確にいなしている。演舞の見本のような全身連動を、生命脅かすストレスフルな果し合いの中、平然と敢行
している。し続けて、いる。時おり「動」に転じると恐ろしく猝(はや)く、そこにはネコである香美でさえ獣的だと身震いする
獰猛さが伴っているが、罷り間違えば自分の方こそ大きく傷つけるであろう制御不能気味な一撃をしかしミッドナイトは完璧
に制御している。先ほど剣を鞭代わりに使った危なげな攻撃など正にいい例だろう。想像して欲しい。片端に包丁を結わえた
紐を振り回すコトを。日常の中でさえ勇気がいるだろう。ふとした弾みで自分のどこかを斬ってしまうだろう。ミッドナイトは
刀を振り回す総角相手にそれをやり、当てた。殺されるかも知れない非日常の肝冷やす局面の中、自分を傷つけず、敵
だけを的確に攻撃した。

(自暴自棄でもなければ狂奔でもありませぬ。ミッドナイトどのには確かに理性があり、それは冷静なままでいる)

 破綻者ではない。そう小札は確信を強めていくが、だからこそ、ミッドナイトの真意が分からない。

(そういえば不肖を『愛犬の仇』と呼んでおられましたが)

 そこも分からない。いくら探っても心当たりがないのだ。知らず知らず人を巻き込む戦いを演じた覚えもない。

                                                     ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(武装錬金特性は『繋げる』……なのです。はい。『破壊へのカウンターデバイスとして』、そう設定されたのであります)

 左胸に手を当てて考える。そもそも愛犬の仇と呼んだ小札に攻撃ひとつして来ないのも不可解だ。

「『無銘』」
 ピクっと三角の耳を動かしたのはもちろん同名を持つチワワ少年。鳩尾無銘である。香美の拘束からはとっくに抜け出し
今は地面。
「おっと。音楽隊の貴方のコトではありませんわ。あたくしが言っているのは『霊獣無銘』ですわ」
 剣を交えやや息を弾ませながらミッドナイトは呼びかける、小札に。
「貴方をホムンクルスにしたのは『霊獣無銘』というロバ型の生物から作られた幼体……でしたわよね?」
「……はい」
 何か「驚愕」を思い出したように瞳を揺らめかせ睫を伏せるタキシード少女。貴信の理解は追いつかない。
(霊獣無銘……。また知らない単語が出たぞ……? それに)
 チワワ少年を見る。名の一致はとても偶然とは思えなかった。もっと運命的な合理が潜んでいるとしか考えられなかった。
「我も詳細までは知らん」。無銘の声音はいつも通り無愛想な硬さを帯びているが、どこか困惑していようでもあった。

「我の名は、小札さんの家が代々崇めている神獣にちなんだ物……とは聞いている。そこは確かだ」

 だがその『霊獣無銘』の幼体が小札さんの中にあるとまでは…………如何なる反応をすべきかという表情で無銘は呻く。

「そしてその霊獣無銘こそがあたくしの愛犬の命を繋いでいた存在」
「よーわからんけど、ソレがあやちゃんの中にあんならさ、あんたのいぬ、ぎゃーせんのじゃないの?」
 率直極まりない感想を漏らす香美に高貴を自称するミニ浴衣の少女は「もっともな指摘ですけど何か腹立ちますわね。ああ
もうこれだからネコは」小声でちょっと愚痴を垂れたが、一応、答える。
「残念ですけどそれは無理でしたの」
「なんでさ?」
「貴方だって栴檀貴信と融合した時、大事な飼い主を生かそうとしたでしょ?」
(……んんっ!?) 名を呼ばれた飼い主は一瞬スルーしかけた疑惑を脳内の議場で諮り出す。そうとも知らぬミッドナイト
は喋り続ける。喋りながらも剣の動きは衰えず、「やれやれ自ら隙を作ってくれれば、フ、助かるのだがな」と総角を苦笑
させた。少女の声音は、途切れない。
「ホムンクルスの幼体は宿主の体を直す。……霊獣無銘の場合は当時、死の危険に瀕していた小札零を、優先して生か
そうとした。ですがその代わりに……」
「ミッドナイトどのの愛犬を生かされるのを…………おやめになった、と?」
 ええ、当時の霊獣無銘は『諸事情によって』どれか1つの命しか保持できないほど衰えていましたから……光沢のある
桃色の髪房をキツネ手でピンと梳りながら土星の幹部は更に云う。
「分かりまして小札零? 貴方が愛犬の仇というのはそういう理由」
(…………)
 ロバ少女の双眸が潤み、そして泳ぐ。謝罪の言葉を捜しているが、どう形にすればいいか分からないという顔つきだ。
「付け加えますと、霊獣無銘と融合した後に貴方が放った、『7色目・禁断の技』もまたごくごく間接的ですがあたくしの愛犬・
ブレスドウィンド号の命を削った。霊獣無銘の手によって時と命の法理を捻じ曲げ生き永らえていたあのコは……そういった
歪みを次元側面から是正する貴方の攻撃さえなければ……もう少しだけ、生きれた筈ですの。命の源流を貴方に取られた
状態でしたから、もってせいぜい数時間程度でしたでしょうけど…………」
 その数時間があれば、あたくしはまだ生きているあのコに謝れたかも知れませんの……。
 激しい剣戟にそぐわないしっとりとした震え声を漏らすミッドナイトに貴信だけでなく小札や、無銘でさえも何か引き込まれる
物を感じた。
(謝る? 何を……?)
 貴信には分からない。だが共鳴はする。動物に、負い目を感じるほどの家族愛を抱いているのは彼だって同じなのだ。
香美。ネコだった頃の彼女を貴信は守れなかった。自分と分離してやりたい、元の姿に戻してやりたいと思う気持ちに謝罪
が混じっていないといったい誰に言い切れるだろう。

「とにかく小札もまた仇……。ケジメをつけなくてなりませんの。お分かり?」
「フ。『ケジメ』か」

 武術的にも会話的にも一歩踏み込んだ総角の刀が剣を弾いた。

「さっきから聞いているとどうもお前は……フ。復讐そのものを目的にしている感じじゃないな?
 ぴくりと少女の顔が波打ったのを見た貴信は(やっぱりもりもりさんも気付いていたか。しかもどうやら当たっている)、先
ほどから何度も抱いた疑念を反芻する。リンク。彼の思惑は音楽隊リーダーの口すら衝いて出る。
「ミッドナイト。何度も剣を交えて分かった。お前の剣には殺意がない。俺と小札を恋人や愛犬の仇と呼んでいるのに、だ」
(そう。彼女には憎悪がない。妙だとずっと思っていた)
 少女の返答はない。ただちょっと不快気に目を細めたに過ぎない。横薙ぎをアクロバティックな後方宙返りで回避。追撃。
突きを入れきった刀の上にふわり舞い降りたミッドナイトはキツネ指でおさげを梳く。
「言っておきますけど、仇討ち自体は必須のコト。あたくしは納得するまで進めませんの」
「ならレティクルを抜けたのも納得の上か?」
 ほんのかすかな動揺だった。ミッドナイトの瞳孔がきゅっと見開いたのは1秒にも満たない時間だった。しかしその間に
猿叫ほとばしらせる総角は剣を強引に立たせていた。わずかだがたたらを踏み、跳躍するミッドナイト。逃がす剣客はいな
い。右肩やや上で刀をバットのごとく立てた総角はもう迫っている。「じ、示現流!!」「一撃必殺の幕末剣法!」、独特の
叫びと共に振り下ろされる死の刃へ土星の幹部が行った対応は文字列にすれば極めて平易だ。「後ろに、避けた」。もち
ろんただ後退するだけなら総角の予測の範疇、後ろだけでなく左右に回避された場合も「掛かり」という無骨な薩摩ならで
はの追撃を加えるつもりでいた。
 そう。単純に退がるだけであったなら。
(なっ)
 美丈夫は言葉を失う。ミッドナイトの対応は想像を遥か超えたものだった。「後ろに避ける」、やったコトは極めて単純だ。
だが単純は単純ゆえに極まり、極まったものは却って単純を超越した複雑さを帯びるのが世の常だ。
 ミッドナイトは。
 右足を軸に。
 体全体を後ろに倒していた。
 上体を逸らしたというレベルではない。簡単に言うと『彼女の頭部が、ふくらはぎと密着していた』。この時代から数年先に
普及し始める携帯電話はパチリと折りたためる物が多いが、示現流の一撃を回避したこのときのミッドナイトも携帯電話だっ
た。ただし関節の構造的問題からすると「絶対に曲がらない、曲げてはいけない」、”逆方向”へいっていた。いってしまって
いた。
(なにこの姿勢!?! 体柔らかすぎだろお前!!?)
 流石の総角も平易な言葉で罵るほかない衝撃的な姿。
 右足を軸にしたのだから、左足は高々と掲げられ、示現流の餌食になっているはずなのだが、しかしならなかった。腰の
後ろから水平に畳まれ、右側に歪にはみ出ている。お陰で丈の短いスカートがややまくれ、スパッツが際どい部分まで露出
している。胸も重力に引かれ形を崩す艶かしい有様だ。だが総角は眼福に与る暇がない。代わりに見たのはミッドナイトの
顔。『自分の両足の間から見上げてくる』少女の黒ずんだ不気味な笑み。
(キモっ!! キモいよお前! ホラー!?)
 驚嘆すべき柔軟性は警戒色的な効能程度に収まらない。少女は、跳ねた。両足の間から顔を覗かせた姿勢のまま、ぴょ
んと、跳んだ。予想外の事態に総角の追撃プランは初期化。ちょっと刀身の向きを変えれば当てられたかも知れないのに、
それすら忘れた。
 驚いたのは彼だけではない。
「ふにゃああああ!! なにさアレなんなのさーー!! こわいいいいい!!!!」
「気持ち悪いぞ、ひたすらに気持ち悪いぞ!?!」
「ここここればかりは実況できぬおぞましさーーー!!!」
『頼むやめてその体勢で跳ぶのだけはやめて!!!』
 今後音楽隊の面々がこれほどのひどい生理的嫌悪に駆られるのは7年後……かの蝶人パピヨンに遭遇した時のみと書
けばいかに軟体生物ミッドナイトにビビったか分かるだろう。

(あ、ヤベ!! こういうおかしな動きする剣士って奴は大抵……!!)

 音楽隊リーダー、正気に戻るのはやや遅かった。奇剣。「ふくらはぎの外側で構えた剣で以って突き上げる」、という攻撃を
あろうコトか先ほど剣の鞭で斬られた大腿部に浴びてしまう。

「しまった!」

 動揺する総角の前で元の体勢に戻ったミッドナイトは薄ら笑いで宣告する。

「レティクルを脱走したのは……そうですわね。考え抜いた末での決断ですわよ」

 剣を持ったま後ろ手を組み、前傾。その姿勢で頭上に掌を掲げられるだけでも大概な柔軟性だが、ミッドナイトのそれは
群を抜いている。マジックハンドだった。肩や肘や手首を思いっきり曲げた右腕と左腕を、互い違いに入り組ませて螺旋の
形を描いている。「だからその柔らかさ、何!?」。本題も忘れ目を三角にする総角。美形台無しで叫ぶ彼が涙を滲ませて
いるのを貴信は初めて見た。
「しなやかな中国武術のため修練したのだろうが……やり過ぎだ、やり過ぎと言うほかない」
 無銘は心底呆れたように囁いた。

「よっ」。マジックハンドを解除した少女は剣を構える。
「フ、フフ……。お前アレだろ、その変な柔軟性みせるの、絶対話そらすためだ、何か真意を隠すためだろ」
「変? どこがですの?」
 左肩の後ろで右足を抱えて見せるミッドナイトはよく分かっていない様子である。
(素!? 異常ともいえる自分の柔軟性に気付いてないんだ!? ちょっと天然かも……)
 ううう。総角は美丈夫だが、表情はだんだんと崩れていく。
「お前、昔はもうちょっとシュっとしてなかったか……? いやちょっとしか絡んでなかったし、俺が気付いてなかっただけか……?」
「んふふ。古人に云う。燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠の志を知らんや。どうやらあたくしの高貴すぎる本質に下賎の民はついて
いけないようですわね!」
(絶対違うと思う……)
 いまいち噛み合ってない会話に貴信の顔は引き攣る。
「まあいい。高貴なお前はレティクルを納得ずくで脱走したとしよう」
「ええ! したとしましょうですわ!」
 妙な上機嫌で、剣すら振るわずキツネ顔で微笑するミッドナイトであったが

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
「じゃあどうしてお前は貴信と香美を知っている?」

 予想だにしなかった方角からの冷や水に言葉を失くす。

「な、何故ってそれは……レティクルの情報網から抜き出したに決まってますわ。幹部ですもの、組織の動きぐらい」
 ツインテールの端をいじり出した、どこか歯切れの悪い少女は油、消えかけていた総角の焔を再燃させる。
「ほう? 貴信たちのホムンクルス化はお前の脱走後だというのにか? レティクルを抜けたお前がどうしてレティクルの
そういう動きを! 掴んでいる!? フ。行っておくが俺たちが栴檀2人と遭遇したのは、レティクルから脱走したお前の足
取りを追っていたからだ。お前が脱走しなければ彼らは俺たちの仲間になっていなかった。にも関わらずお前は、お前が
脱走した後に起こった『貴信・香美の融合』を把握していた! フ。今さら2人を知らないとは言わせないぞ。俺の記憶違い
という月並みな言い逃れも許さない。こっちには証人がいるんだ」
 そうだろ貴信? お前も違和感を覚えていた筈だ……突然呼びかけられた貴信はちょっと目を白黒させたが、『……そう
だな!』と頷く。
『ミッドナイト、だったな! 貴方はさきほど僕達を勧誘した時、こう言った!』

──「部下になったらまず全員にお姉ちゃんって呼ばせますわーー!! 弟や妹が一気に2人ずつですわ天国ですわ」

『けどあのとき戦いを見ていたのは、小札氏と、鳩尾と、それから香美の計3人。僕は香美と同じ体だから、『4人』居ても、
『3体』しかいないよう見えるんだ!!』
「にも関わらずお前は、初見では出所不明にしか思えぬ貴信の声に何の疑問も抱かなかった。普通ならば『どこに居る?
それとも無線?』と訝しむべきなのに、お前はすんなりと貴信の存在を受け入れていた」
『更に霊獣無銘の話が出たとき、貴方は、香美に!!

──「貴方だって栴檀貴信と融合した時、大事な飼い主を生かそうとしたでしょ?」

と言った!! 僕はハッキリ覚えている! 貴方が、貴方が脱走後に生じた僕たちの事情を、把握していたコトを!』
「フ。それを踏まえたうえで今一度聞こう。レティクルを抜け援助が得られなくなったお前に、貴信たちの件を教えたのは……
果たして『なに』だ?」
 何か悟られたくない裏事情があるらしい。気位の高い者が倫理的な詮索でほじられたとき特有の引き攣りを麗しい顔
に数秒間ながしていたミッドナイトであったが、そこで激発してはまさに下賎とばかり表情を消した。
「『逢わせる』と思いまして? 貴方と小札はまだ仇……! まだケジメ、ついてませんわ……!」
 口達者は概ね卑賤である。命じれば必ず叶う貴種と違い何らの権力も有さないから、口先三寸でパワーバランスをどう
にかしようと話術を磨く。
 明晰だが戦力でレティクルに劣る総角も──ミッドナイトに比べれば──卑賤である。その差が、明暗を分けた。
「フ。『逢わせる』と来たか」
「……? っ!!」
 しまったという顔をするミッドナイトだが皮肉にもその反応が確証を生み出す。
「俺はさっき、お前に情報を渡したのが『なにか』と聞いた。フ。当然の問いだろう。先ほどお前は『レティクルの情報網』か
ら貴信たちを知ったと言ったんだ。だったらどこかにレティクルの動きを引き出せる端末があると考えるのは当然だ。実際
お前は、『いつ』貴信らの情報を得たかまでは明言していなかった。端末があり、それは脱走後でも使えたというケースだっ
て俺は想定していた。お前の襲撃の真意やら背景やらを探りたかったからな、当然だ」
「……」
 黙りこくる土星の幹部。
「しかるにお前は『逢わせられない』と答えた。『なにで知った』と問う俺に『逢わせられない』と。フ。それはつまりレティクルを
脱走したお前にレティクルの情報を伝えられる何者かが接触したというコト。『司令官』とでも呼ぼうか。それはレティクルの
端末なんかじゃないだろ? 機械装置の類ならば『逢わせられない』などとはまず言えない。フ。まあ、お前がデッドのような
「物が喋る」などと思っている存在なら話はだいぶ変わってくるが?」
 俯き、拳を握るミッドナイト。いつしか戦闘は休止状態である。
「フ。お前は詰めが甘かった。最初の言葉を貫くべきだった。隠したい背景があるのならばウソでも『脱走後、端末から引き
出した』と言い切るべきだった」
(とはいえ仇と呼ぶもりもりさんに隠し立てを突かれればつい感情的にポロっと漏らしても仕方ない!)
 或いはそこまで見越した上での挑発、平衡を奪うため問いかけだったのかも知れないが、面白くないのはミッドナイトである。
「で、どうするつもりですの? 協力者がいたら”また”殺しますの? あたくしの恋人にそうしてくれたように、再び」
「フ。狂ったフリで機械を人扱いする腹芸は無理らしいマジメの仲間など殺しても得にはならないさ」
 だったらどうしますの、不機嫌そうに声をザラつかせる少女に総角は気障ッたらしく指を弾き、そして答える。
「そうだな。まずはそいつを仲間にできるかどうか、諮ってみる」
「……ハァ!?」
 呆れたような声を漏らすミッドナイトに美剣士はくすくすと笑う。
「フ。だってそうだろ? レティクルから脱走したお前に接触したのに連れ戻していないって時点で『司令官』は幹部の誰で
もないのは確定だ。おっと。幹部の誰かがお前に『音楽隊のメンバーを1人でも殺したら無罪放免』的な条件をつきつけたっ
てウソなら無しだぞ。”あの”メルスティーンがトップの組織に戻りたがるほどお前の性根は腐っているように見えない。なにせ
仇と呼ぶ俺や小札にすら殺意を向けてこなかったんだ。ならば戦いがお咎め無しを勝ち得るための物じゃない、とっくに丸
分かりだ」
「ああもうベラベラと得意顔で……! 本当あたくし貴方キライですわ! 『前身』の『大元』にさんざやり込められたお母様
やハロアロお姉さまの気持ち! 今ならよーく分かりますわ!
(だから貴方達の会話には分からぬ要素が多い! 『前身』の『大元』とか何だ!? もりもりさん、昔は何だったんだ!?
いや『盟主のクローン』ってトコまでは知ってるけど、それより前も『何か』だったのか……?)
 貴信の疑問に答える者はいない。場はもう総角の独壇場である。
「とにかくミッドナイト。お前を動かしている者は恐らくレティクルに恨みを持つ者。かつ、錬金戦団には所属していない者。
戦士ならお前はそのまま戦団に行っていただろう」
 まあその関係が「協力」などというのは推測に過ぎないがな。くつくつと肩を揺すって笑う総角に「?」と首を捻ったのは香美。
「なにさ? まだなんかあるの?」
「! そういえば聞き込みで聞いたミッドナイトどのの姿は……」
 小札は何か気付いたようだ。
「フ。俺だぞ? ”聞き込み”は忘れてないさ。情報供与への推測にしたって、大前提を履き違えている可能性は当然、な」
「きぃーー! ほんと小憎らしい男ですわね!!!」
 歯噛みするミッドナイトに(どうやら相当複雑な背景があるらしい)と気付くのは無銘。

「フ。確かなのは『司令官』のせいで」

 剣を突きつけるよう伸ばす総角は言い放つ。

「お前は俺たちと協力する他なくなった。……違うか?」

 涼やかな風が畦道に吹き込み雑草を揺らした。きらきらとした月光の下で更科と同じ名を持つツインテールの少女は軽く
舌打ちし視線を外す。

「?? わからん。なんでそうなんのさもりもり。ケンカふっかけにきたピンクがなんで仲良くしたいって話になんのさ?」
『逆だぞ香美! 協力せざるを得なくなったからこそ……戦うしかなかったんだ彼女は!』
 貴信に窘められた香美は「逆ってなにさ、どー違うのさ!」と両目を不等号にして湯気を飛ばす。
「もりもりさんや……不肖が、居るからです」
 ふぇ? 首を捻った香美が見たのは小札。タキシードの両膝をきゅっと握り俯き加減のロバ少女。
「恋人の仇、愛犬の仇……そんな存在がいる共同体と何も決着をつけず笑って手を取り合うのがきっと許せなかったのは
ないでしょうか……」
「それならば復讐よりも『ケジメ』を優先した理由、殺意が無かった筋は通るな」
 ふむと無銘は頷くが、しかし新たなる疑問に小首を傾げる。
「だが……そうまでして叶えたい目的はなんだ? 仇と呼ぶ総角さんたちと協力してまでやらねばならぬコトは……『何なのだ』?」

「ものも知らず……。やはり『違う』のですね、貴方は」

 静かな囁きに「え?」と顔をあげる無銘。ミッドナイトは微笑していた。ただし楽しさとは真逆だった。寂寥。諦めていた何かに
せめてもう一度と縋ったあと、再び失意をつきつけられたような寒色の笑いだった。

(……? 戦闘開始時に引き続き、また、鳩尾を? なぜ貴方は彼を見る……?)

 貴信の疑問は総角も抱いたものであったが、彼はただ、話を進める。それこそが解答を導く行為だとばかりに。

「とにかくだ、お互いメルスティーンは、レティクルの盟主は憎いはず。だったらまず奴を斃すため共闘してみるのはどうだ?
お前の恋人とて奴には煮え湯を飲まされたろう。俺も友人を殺されている。盟主を斃さぬ限り悲劇は続く。一番斃すべきは
誰か……分からぬお前じゃないだろう? ここで俺たちが相争って得をするのは奴だけ、自分の思い通り破壊の種が撒け
たと喜ばすだけ……実はもう、気付いているんじゃないのか?」
「それは」
「フ。奴を斃し守りたくはないか? 世界を、お前の母や兄や姉たちが愛した世界を……!」
「っ!!」
 ミッドナイトは明らかに心を揺らしたようだ。総角は「まあお前の自由だがなそれは」と前置きし、
「盟主とのケリが付いた後でなら、復仇を終えた後でなら俺はお前に誅されても構わない。そう思っている」
『! い、いいのかもりもりさん、それで!?』
「フ。友人の仇を討つためにミッドナイトの恋人の仇になってしまった『歪んだ循環』。それは断つべきものだろう。復讐の刃
を燃やす者が自分にだけは復讐の刃を向けるななどと、どうして言える?」
 というわけだ。総角はミッドナイトに手を伸ばす。
「心底の、でなくていい。仮初でも、利用するだけでもいい。しばらくは、『仲間』として手を結ばないか?」
 少女は微笑する美丈夫に誘われたそうにはにかんだが、簡単には溶かせない因縁を呪うよう目を閉じ、強固な矜持の
決然とした光を双眸から溢れさせながら……睨む。
「せっかくですが今は結構ですわ。ケジメはまだ……! 確かにメルスティーンはお母様すら殺した相手、最も斃すべき存在
だとは分かっていますが、だからといって恋人や愛犬を殺した者たちと易々と手を組むなど……許されませんわ! あたくし
が、あの子たちに、顔向け……できませんわ!!」
「フ。頑固な奴」
 晴朗な笑いを浮かべる総角は知ったのだ。相手が憎悪ではなく愛慕の心で戦っているコトを。絆を、軽々しく斬り捨てた
くないから、無駄にも思える寂寥と罪悪感を後生大事に抱えてどうにか納得できる形を探している。
「不器用な女だな」
 無銘はそんな何気ない呟きが自分の運命の輪転を加速させるなど、言い切るまで予想だにしなかった。

「鳩尾無銘。貴方が、貴方が、居るから、あたくしはここまで悩んでますのよ?」

 双眸を潤ませる少女は今にも泣き出しそうだった。果肉のような唇を月光で粧(めか)しながら紡ぐのは……哀切。

 無銘本人のみならず貴信と香美、そして小札すら真意を測りかねる一言だった。

「フ。なるほど。つまりミッドナイト、無銘のホムンクルス部分の元となった幼体とは、『犬』とは」
「お喋りでしたらこの一撃に耐えてからにして下さる?」

 負剣。後ろ帯から鞘を垂らすやり方だ。動きは阻害しないがその代わり剣の抜き差しはし辛い。
 ミッドナイトは負剣をやめた。やめて左腰の傍に鞘をひきつけ……納剣した。玉石製の剣格と金属の鞘が奏でしは神秘
なる硬質の音。

 柄に手をかけたまま片足を出しジっと前傾を保持する……日本武術ではお馴染みの構えだ。
 しかしだからこそ貴信は言葉を失くす。

『なっ……!? 居合いだって!?』
「反りのある日本刀でのみ成立する居合いを」
「反りのない中国剣で……!?」

 小札と無銘がどよめくなか、ミッドナイトの眼光が燃え始める。
 総角は武術的な喜悦にただ肩口をぞわりと逆立て朗々と告げる。

「フ。つまりはようやくか。ようやくその中国剣の『特性』を……!」
(特性!? どんな!? どうやれば反りのない剣が居合い刀に変わるんだ……!?)

 ミッドナイトは答えない。ただひたすらに集中を高めていく。全身をうっすらと覆う細浪は気魄の具現化、荘厳な鴇色したそ
れは無数のロウソクの炎の如く右に左に激しくゆらめく。

「そして『特徴』もまた俺は知っている。お前の兄や姉から聞いている。『どんな』かは、な。『どう』はまだ……故に俺は様子見
に徹し色々セーブしてきたが…………」

 放胆にも、構えるミッドナイトに背を向け距離を開けた総角、再びターンして正眼に。

「この技であれば高貴なるお前の特性にもヒケはとるまい?」
「飛天御剣流……九頭龍閃」

 静かに敵の技を予告するミッドナイトに貴信の背筋はあわ立った。

(もりもりさんの切り札……! ここまで温存してきた得意技を、遂に……! お互い本気という訳か……!)


 いよいよ暴風域に差し掛かる夜半の嵐のなか佇む剣客と武侠、しばし鉄火散る視線を錯雑させ──…


 動いた。



 レティクルエレメンツ・アジト。円卓の間にて。


「少し、妙なことになっとるようじゃの」

 薄暗い廊下側で、開いたドアに寄りかかり腕組みするのはすみれ色のポニーテールを持つ少女・イオイソゴ=キシャク。
小柄であどけないが『人間の身』で500年以上生きた老獪な忍びである。

「そうだねイソゴ老……! 予想外だ。マズいコトになった……!」

 答えるのは全身が真白な少年。水銀色の短髪と紅玉のような双眸を見れば誰しもがアルビノだと直感できる存在だ。名を
ウィル=フォートレス。恋人を蘇らせるため300年先の未来からやってきた改竄者だ。

「まさか『奴』が、3年前の辺境がミッドナイトを音楽隊に差し向けるとは……!!」




 同時系列の、どこかで。

 それは巨人の肉塊だった。身長はおよそ18mから19m。擱座した巨大人形の如く肩膝を突いている。色合いは腐肉の
博覧会と言った様子だがしかし生命活動は行っているらしく、むき出しの肉という肉が絶え間なく蠕動し、湿った音を奏で
ている。

 肉界の足元に1つ、人影があった。成人ほどの背丈をした普通の影が。

【ミッドナイトは連れて来る、いずれ奴らを連れて来る……】

 くぐもった、男とも女とも付かぬ声を影は漏らす。

【私の待望は鳩尾無銘……ミッドナイトは、連れて来る】

 巨人の肉塊から3つ、小さなカタマリが剥がれ落ちた。薄汚れた灰色のコンクリートに激突したそれらは熟柿の如く弾けた
がどういう作用であろう、ウネウネと粘土をこねる様に偶(ひとがた)を形作る。

 やがて出来上がったのは、獅子と、青色と、褐色の──…




 いったい才覚がどれほど転化するのか? ……情愛の話である。理屈だけ言えば観察力や洞察力は奉仕の下地になり
うるだろう。相手が欲するものを常に見抜き与え続ける情愛の礎に、ちゃんと、キチンと、なるべきなのだ。

 なのに優れた者が必ずしも優しい家庭人になりえないという、事実。

 どうも飛びぬけた個人的資質で社会的な成功を勝ち得る者の大半は、自負を滅私で殺さねば遠からず瓦解必至な家庭
的な均衡保全を嬉々として”続けられぬ”ものらしい。原因となる宿業がある。才覚は大きければ大きいほどエゴの様相を
帯びるが情愛は(正しい形で)大きければ大きいほどエゴとは真逆の博愛になる。したり顔で相手の欠点をあげつらうだけ
の知識人など愛されないのだ、決して。
 もちろん中には人の意思を汲めるからこそ成功し愛される者もいる。社会と家庭の両方で一流と称される存在は居る、
確かに居る。

 だが残念ながら総角主税はそうではなかった。少なくても鳩尾無銘と出逢ってからミッドナイトと戦うまでの3年間に限って
いえば正しい愛情を注げる一流ではなかった。

 彼は、小札以上に複雑な出自を有している。出自とはふつう家庭環境とイコールだが、総角ではノットイコール。『ない』。
家族構成と素直に呼べる両親が、ない。『居ない』ではなく『ない』。孤児以上だ。

 羸砲ヌヌ行という時空改竄者から暗黒物質の武装錬金によって分離した『ダヌ』……が何百何千と繰り返される時空ループ
のなか少しずつ、己を束縛する仇敵メルスティーンの遺伝子情報を積み上げて作り上げた分身。

 それが総角。

 だから父親がメルスティーンで母親はダヌと言えなくもないが、だとしても私生児の無聊。両親が決して愛し合って自分を
生み出したのではないという事実はそれだけで総角を苦しめる。母と呼ぶべき存在が時空改竄準則への抵触を避けるた
め”だけ”に悪鬼の螺旋を毒でも飲むよう孕んだ結果が自分だと認識していったい誰が平気で居られよう。

 懊悩させる事実を知ったのは3年前。だが総角は源平争乱のころから現世に降り立ち彷徨していた。それはちょうどミッド
ナイトが己の重力攻撃の副作用でタイムリープしたのと入れ替わりだ。メルスティーンに囚われていたダヌへの束縛を現世
に干渉可能なレベルにまで緩めたのは夜半の少女を震源地とする時空震。されど拘束を振りほどかされる程の激越なる揺
れは両刃となる。基幹プログラムをインストール中のパソコンを前後左右に激しく振ればどうなるか? 何らかの不具合が、
出る。総角にも起こったのもそれ、次元の狭間という産道を滑り落ちる最中にあった彼の情報素子は陣痛と呼ぶには余り
にも苛烈すぎる時空の震度によってエラーを惹起、あろうコトかダヌが託した『メルスティーン打倒』に必要な情報の九分九
厘を忘失させる結果となる。

──「俺は……メルスティーンを…………倒す…………。だが……メルスティーンとは……誰、だ……?」

──「ダヌ、答えてくれ、ダヌ」

 覚えている単語は『メルスティーンを倒す』、それだけだった。他は何もない。自分が何者でどこから来たのかさえ不明瞭
だった。ダヌという名も時々口を突いて出たが誰かまでは分からなかった。

 小札には歪とはいえまだ家庭があった。唯一慰めてくれる兄が居たからこそ少女は母性を培い無銘を包めた。
 総角には、なかった。誰かも分からぬ『メルスティーン』を倒すのだと正体不明の憎悪に衝き動かされるままに彷徨った、
彷徨い続けた。鎌倉、室町、南北朝、戦国、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、そして平成……。

 ただ独りで世界を流れていた青年はやがて己の才覚に気付く。いつだったかはよく覚えていない。襲い掛かってきた盗賊
団を手近な木の枝でノド突き破り壊滅させた時だったかも知れない。大雨の日、堤防の決壊を予期し村民を避難させた時
だったかも知れないし、どこかの山村で組紐を使った木工細工を初見で完璧に仕上げた時だったかも知れない。とにかく
長い旅の途中、総角は、ふと触れ合った人々から驚嘆や賞賛の眼差しで見られるコトが多かった。だから気付く。どうも己
が他者より優れているらしい……と。

 それは大元となった羸砲ヌヌ行が努力で培った才能の遺産だったがそうとは知らぬ総角は……うそぶき始める。己が神
に愛された天稟の持ち主だと。孤独な環境にある者は必要以上に己を評価するきらいにある。蝶野攻爵ことパピヨンなど
権化ではないか、正に。ミッドナイトが誇示してやまない『高貴』だって言ってみれば親兄弟から突然切り離された不安の
裏返し。

 記憶は、飛び飛びだ。むしろ数年ごと数十年ごとの断片を幾つか所持していると形容した方が早いのではないか。
 だから継続して修練した技能など、なかった。なのに自負だけが膨れ上がっていた。

──「人間など、つまらない」

 家族も情愛も知らずに彷徨う青年はいつしか人の負の側面にばかり目を囚われるようになった。希薄な人生経験を補って
あまりある才覚、通常人の積み上げた見識を一瞬で飛び越えられる直観力を有する者にとって”それ”をすぐ理解できぬ他者
は非常にもどかしいものだ。天才型の不幸はいろいろあるが最も分かりやすいのは『最適解=シンプル』が真理だと息をする
よう理解している所だ。だから複雑怪奇な事象ですらケーキをスポンジとクリームと苺に取り分けるよう分別し個別の最適解を
算出したあとそれらを対全体用の最適解に調整して統括……といった芸当を概ね一瞬でしてしまう。これは論理というよりパズ
ルの領域だ、対象の原則の形にピタリと嵌め込む技術が本当にただ、『パッ』と浮かぶ。凹を見て凸を入れるのだなと思わぬ
人間はいない。総角の着想は総て凹に凸、本人にとっては普遍で……簡単だ。
 なのに彼以外の他者は全く理解できないようすで、だから総角は一時期というには余りに長い期間、厭世家になっていた。
凹に凸を入れるのだと言っているつもりなのに、人間は△だの○だのを入れろと言う。首を傾げるだけならいざ知らず、そ
の的外れをやらない総角の方こそ倫理的におかしいとさえ言う。説明し、心を砕けば理解も得られたかも知れないが、アー
スティックな直観を市井の人間が嚥下しやすいよう噛み砕くのは非常な労力である。しかも聞き終わってから質問するという
当たり前に思える体勢は実のところ少数派である。人は話を遮る、己の不可解を述べるのを優先する。
 そもそも総角と常人では前提からして違うのだ。
 初見で攻略法を見つけられる眼力の持ち主と、雑談にも思えるやり取りの中でトライ&エラーをやってきた者たちでは解
決までのプロセスなど異なって当然だ。
 登山家に『山頂へは飛行機が便利ですよ』と告げればこのテの齟齬は割合簡単に再現できるだろう。
 静かな執務室で緻密な設計図を描きさえすれば人格的欠陥への誹りさえ免れえた航空力学の権威が、ガヤガヤした丁々
発止を旨とする山男の群れに足ではなく空用の原動機を使おうと言えば──たとえそれが彼らの労力を省くための親切心だっ
たとしても──山男たちとて何となく伝統やら矜持やら否定された気になろう。感情的にもなり、技術的な疑問さえつい反射
的にいつもの調子で逐次投入してしまう。
 だが直観的で整合性を好む技術畑は一望できる全体像(シンプル)こそ好むのだ。
 だから疑問をやり取りの中でしか言語化できない『普通の者』は後付け後付けでどんどん全体像を変えていく蜃気楼の悪
魔にしか見えない。
 しかも直観を説く者は指導者になりやすい。指導者のふもとには人が居る、たくさんいる。蜃気楼の悪魔に化身しうる者
たちが大量に。

 かくて凹を凸に入れるのだという総角にとって簡単な結論は、いつだって恐ろしいほどの説明の骨折りに見舞われる。

 かれは原石でありすぎた。雑駁とも思える感情のやり取りから少しずつ抽出した砂金を輝く塊へと換えていく普遍的人間
作業はまどろこしくて仕方ない。

 総角が最も腹を立てたのは──当人の記憶に残っている数少ないデータだ──感情任せでまったく理屈の通じぬ者が些
細な非違を鬼の首の如くひっさげ誹る時だ。知性とは程遠く見える者の無能だの拙劣だのといった雑言ほど天才を煮えくり
返さぬ物はない。
 健忘的だった総角の精神にしかし数々の傷は黒く堆積し、ヘドロのようにねばりついた。

 それは生真面目な者ほど陥りやすい自己嫌悪。
 些細な食い違いを許せず相手をいつまでも激しく恨む自分の態度をどこかで良くない物と思い直そうとするのに、結局でき
ない自責で自傷の矛盾撞着。寛容できる者を羨み暖かさに憧れているのに変質できない苦しみで、才覚(げんいん)すら曇
らせて歪ませるよくある話。一歩譲り、人のために使いさえすれば解放されると分かっているのにその場その場の相手へ
過去の何事かを投影して憤って投げ出してしまうのだ。

 総角が早坂秋水という双眸に黒い青春の濁りを宿している青年に友人ぶって接してしまうのはつまるところ過去の自分を
見ているからだが……それは余談。

 いつしか過去の総角は人との交わりを……断った。
 荒んだ形相ですりきれた灰汁色の外套を纏い砂塵の中を彷徨し続けた。

 砂。

 砂粒を落とされ続けたザルのような人生とは木星の幹部・イオイソゴが総角を当てこすった言葉だが的外れでもないだろ
う。なぜなら彼女より300年も前に現在の時系列に舞い降りたはずの総角なのに、戦歴ではイオイソゴより遥かに劣るの
だ。無論、500年もの戦闘経験を誇る彼女と比べればどんな歴戦の勇士だって霞むのは当然だが、そうだとしても3世紀
のビハインドを──3世紀といえばヴィクターの乱が決着してから王の大乱が起こり、武藤ソウヤ対ライザという大決戦が
起きるまでの悠久といっていい期間だ──その優位性を活かせなかったのは才覚を誇る総角だからこそ忸怩たる思いだ。

──「記憶さえあれば、経験だって」

 総ては生れ落ちる際の時間激震に因を発する。それこそが記憶領域にエラーを刻み込んだ揺さぶりなのだ。だから総角
の彷徨ったおよそ800年の時間は『砂粒を落とされ続けたザルのような、人生』。

 確かなのはただ自負だけが募っていった事実のみ。記憶が消えてしまう不安すら総角は誇負で埋め合わせた。

 認識が明確な連続性を帯び始めたのはやはり3年前。自分の、ダヌの、製造に関わったハロアロに出逢いそして修復さ
れた瞬間から。

 総角がその前後を鑑みるに如何なる訳か、彼はどうもレティクルエレメンツ・月の幹部としてハロアロとその仲間達の下へ
派兵されていたらしい。詳細は分からない。飛び飛びの記憶の間隙のなか『何か』あったようだ。『倒すべき相手』たるメル
スティーンの部下に収まらざるを得なかった『不可解な何か』が。しかしあるのはミッドナイトと手合わせしたらしい情景を筆
頭とする、おぼろげな記憶が幾つかのみ。

 話は前後するが、ハロアロに出逢う前、総角は……刺客だった。

 小札の傍に居た男を、小札が兄と呼ぶ男を、襲撃したのだ。

 勝敗はさておき、紆余曲折を経た総角に1つの転機が訪れる。
 小札の兄・アオフシュテーエン=リュストゥング=パブティアラーが統率する秘密結社『リルカズフューネラル』への入団を
果たしたのだ。

 人を忌避し、世界を厭悪していた青年はやがてリルカズフューネラルの構成員たちとの触れ合いで少しずつ己の有り様を
変えていくのだが……今はまだ、本題ではない。

 現在の主題は鳩尾無銘の来歴である。にも関わらず本題ではないと先述した総角の前歴を書き綴ったのは何故か?
 結論は小札の稿と一緒である。
 総角の人生に決定的な指標を与えた一言が、巡り巡って養子たる無銘の運命にまで影響しているのである。

 小札の兄……つまりアオフシュテーエンは言った。

──「君はリーダーに向いているね」

 総角は耳を疑った。直観を有さぬ人間への説諭にほとほと嫌気が差している自分を捕まえてあろうコトかアオフ、教師に
向いているなどと言い放ったのだ。

 それこそ凹に凸を解さなかった人間のごとく顔を歪め反論した総角。だがパブティアラー家きっての傑物は涼しい顔でこう
続けた。

──「君のその、あらゆる事象を一瞬で見抜く眼力は他人のためにこそ使うべきだ」

──「誰かが何十年とかけてやっと理解できるコトを、君なら30分ぐらいで教えられるんじゃないかな?」

──「そうしたら色んな人の熟達が速くなる。世界がいい方向に向かい始める」

──「後は……理念だね。正しい理念さえ持てば君はきっと沢山の人を正しい方へ導ける」

──「きっとそれは君にしかできないコトだから」


──「人を理解できるようになれば、複製を旨とする君の武装錬金は今よりもっと強くなるから」


 アオフという男自身、結社リルカズフューネラルの社長ではあった。だが社長なる人種は概ね2つに分けられる。獅子の
如き勢いにて全体を牽引する剛の者と、人徳によって自然発生的に象徴化される柔の者に。アオフは後者だった。血族最
強と謳われるだけあって力量それ自体も確かに申し分ないレベルだったが、それ以上に人格が、祭り上げねばどうにもな
らぬタチだった。
 実務を秘書兼副社長のハロアロに任せて全国を飛びまわり悪鬼討滅に精を出し、時たま思い出したように全体的な方針
を提示していたのがアオフという男なのだ。施策は無茶だが限りなく正鵠を射ているといった最も始末の悪いタイプの物が
多く、だから構成員達は悲喜こもごもで喘ぎ喘ぎ肉付けする形、総角もまた、被害者。

 なのに彼は、アオフの、「君はリーダーに向いている」という指摘がどこか心地よかった。理合だけで紐解けば的外れも甚
だしい意見なのに、(こいつが言うと、な)と不覚にも少しだけ……ほぐされた。

 理想を見たのだ。才覚ゆえに人を嫌悪していた狭量な青年は、初めて自分に才覚以上の希望を見せてくれたアオフに
虹色の夢を見た。そういうものを他者に見せられる自分になりたいと柄にもなく……願うようになったのだ。

 大きな転機をもたらすアオフが世を去って数時間と経っていない頃である。無銘と出逢ったのは。

 正確には、仇と挑んだメルスティーンに敗れ、バスターバロンの斬り飛ばされた片腕に潰されたアジトの瓦礫の中から小
札に救い出され、単身追撃してきたミッドナイトの恋人をやむなく斃したほぼ直後。

 壊滅したレティクルエレメンツのアジトの跡地で。大きな外壁の縁に錬金戦団の軍勢が大波のごとく押し寄せてくる中。

 ふとした気配に気付いた小札が火の手の迫る瓦礫を跳ね除けると……震える小さな子犬のホムンクルスが居た。
 総角は一瞬どうするか迷った。急いで場を離れる必要があったのだ。戦団の諸氏はいよいよ近くまで迫っていた。敵対す
るつもりはなかったが、向こうが捨て置いてくれると楽観できる材料もまたなかったのだ。彼らが滅ぼしたばかりのレティク
ルの盟主とほぼ瓜2つの総角、それから黒い策謀によって敵性認定された小札。会敵したが最後ふたりは正義の刃の露
と消えるだろう。

(俺は……アオフの仇を討たなくてはならない。世界のためにもメルスティーンだけは倒……いや『斃さなくてはならない』)

 当時、総角も小札も重傷だった。戦団に捕捉されればまず逃げ切れない。そんな鉄火場で見ず知らずの子犬のホムン
クルスを拾うのは(フ。そう、もし盟主どもがトラップとして残していた場合)非常にリスキーだった。突如変形し襲う必要すら
子犬にはなかった。大声でちょっと遠吠えするだけでも総角と小札の所在はバレる。

 そう思っていたのに、先ほど消えた友の命や、自ら奪った敵の生涯が…………足を止める。同様の感傷に潤ませた双眸
をチワワに向ける小札もまた決定打だった。そしていよいよ全体に火の手広がりつつあるアジト。チワワ。放置すればまず
巻き込まれて死ぬ。運よく助かってもやがては戦士に見つかり殺される。

(そうだとしても……俺には大義が……! そうだろ、馬鹿げてる。見ず知らずの、初対面のホムンクルスのために)

 逃走失敗のリスクを犯すなどと葛藤する総角だったが。


──「君はリーダーに向いているね」


 最後に背中を押したのは……亡き友人の、言葉。


(罠でも改心させて味方にする余地は……! そうだろアオフ、我が身かわいさに命を見捨てるような真似をしてみろ……!!)

 自分は忌み嫌う盟主と本当の意味で同じになってしまう……そんな思いが同行を決意させた。子犬のホムンクルスが、
何かおぞましい実験の末に生まれた被害者(どうぞく)のような気もしていた。


(だからまず、与えるべきは──…)


「名前ですか?」
「連れてくなら無ければ不便だろ? さっさとしろ。俺は急ぐ」
「じゃあ、無銘くん。刀に『銘』が『無』い時の呼び名のごとく、無銘くん」
「……なんでそういう名前をつけるんだお前は?」

 総角は呆れた。小札の実家、パブティアラー家がロバの霊獣を無銘と呼び崇めているのは当然知っていたが、知っている
からこそ(いろいろ黒いウワサもあるんだぞその霊獣……)と困惑した。風聞だが100年ほど前の欧州を皮切りにさまざまな
病害を撒いた疑惑が……あるのだ。総角は顔すらよく覚えていないが、錬金戦団の軍(いくさ)とかいう総合対策本部第三
室長に至っては「霊獣無銘が犯人」と断言するほど。だから『無銘』、新生児に相応しくない名に思えたが命名を巡ってやり
あう時間はない。戦団は、迫っていた。
 ロバ少女はどこか呑気である。(お前のそーいうとこアオフそっくりだよな)、居なくなった友人に少し心を痛ませる総角を
知ってか知らずか、彼女は少しトーンを落としながらチワワを見た。

「え、えーとですね。本名も必ずありましょう。されどいまは不肖にこの子の名前を知る術がありませぬゆえ、暫定措置とし
て名づける次第。とはいえ『名無しの権兵衛』では呼び名として はいささか可哀想。それに、その」
「なんだ。お前はもっと実況をするようにハキハキと喋れないのか?」
「えと、……見たところ男の子…………ですし。カッコよくないと……」
「だから無銘か」

 コクコク。
 抱き上げた子犬の後ろ足と後ろ足の付け根を頬赤らめつつチラチラ見るお下げの少女に総角は「やれやれ」と肩を竦めた。

「なら姓は俺が名づけてやる。俺が総角、お前が小札と大鎧の部位が揃っているから、鳩尾。鳩尾だ。大鎧の左胸を保護
する板の名前を呉れてやろう」
「というしだ……実況のようにハキハキと実況のようにハキハキと……という次第! さぁ、共に旅立ちましょう鳩尾無銘くん!」


 だがさしもの2人ですらできなかったコトがある。


 『無銘が果たして何者か』突き止める手がかりをその場から手に入れられなかったのだ。

 そこまでできなかったのは怠慢ではない。当時の事情が悪かった。
 各所で繰り広げられた戦闘の余波かそれとも戦団からの砲撃ゆえか、とにかくアジトは瓦礫の山で更に至るところから火
の手を上げていた。
 そのうえ戦団は迫っていた。総角と小札に周囲をくまなく探す余裕は……なかった。

 だから彼らは見落とした。
 無銘の母胎になった者を。
 すぐ近くの瓦礫の下に居た女性を。
 幄瀬みくすという、既に事切れていた戦士を。

 ━━見落とした━━

 レティクルエレメンツのアジトはそのあと錬金戦団が接収、監視下におかれたため後日の調査もまた不可能だった。



 ……。


 総角たちが無銘を連れその場を立ち去った数分後、焼け焦げ始めていた幄瀬を瓦礫の下から引きずり出した者が居た。

 名を釦押鵐目(こうおう・しとどめ)。
 幄瀬の夫であり……後にミッドナイトの跡目を継ぐ土星の幹部『リヴォルハイン=ピエムエスシーズ』。


 彼が戦団へと連れ戻した幄瀬の遺体は友人でもある腕利きの検視官によって分析され、そして。




 妊娠第7週、胚児の状態でホムンクルス幼体を投与され生まれた少年の存在が──…

『さまざまな者たちの』運命を、揺らし始める。




 小札にとって無銘とは愛情をたっぷり注ぐべき拾い子。
 だが総角の捉え方は当初やや違っていた。『戦力』。結成したての己が組織、ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズの栄え
ある創設メンバーの1人に過ぎなかった。平たく言えば”家族”ではなく”部下”として育てるつもり……だった。

 この点、性差であろう。

 男性という生物は、である。
 伴侶が腹を痛めて産んだ実子にさえ時おり一線引いた眼差しを向けてしまうものだ。
 我が身裂く陣痛を経ていないのが『痛い』というのは些か皮肉だが、しかし自らの体組織が独自発展した生命(けっか)を
見てもイマイチ実感できぬ理由はそこにある。
 子供は仕事や作品とは違う。
 少なくても、矜持をかけ情熱を注ぐべき物を持っている男にとっては『どこか決定的に違う』。
 自ら率先して一から作り上げ、自らの手で日々大きくしていける動的な結晶と異なり、『他者』の生命活動に依存している
から……違うのだ。極端な話、熱情を注がなくても一応の形になるから有り難味がない。たとえば伴侶の腹腔に手を突っ込
み精密に捏(こ)ねる作業が不可欠だったというなら毎日数分なり数時間なりやらざるを得なかった労力の分だけ愛情も湧
こうというものだが、”しかし、なくてもいい”。

 まして総角にとって無銘は血の繋がらぬ赤の他人。

 確かに拾ったのは総角自身の内的な葛藤あらばこそだが、そもキッケケは小札が存在に気付いたせいではないか。せ
がまれて精製した子供に冷めた目を向ける亭主は結構いるが、総角もその枠に押し込まれた。パートナーのせいで世話す
べき者が増えて、自分の時間を裂くべき議題が増して、家庭のために頑張るぞバンザーイと意気込めるのはそれだけで特
筆すべき形質である。
 才覚と情愛は両立し辛いものだ。組織を立ち上げたばかりの若い俊英にとって突如抱え込む必要に迫られた乳飲み子は
あまりいい気分のするものではない。なかったが、その煩雑さを人材育成という方便にすりかえるコトで総角はどうにか折り
合いをつけた。

 もちろんだからといってすぐさま父性に目覚めた訳ではない。

 当時の総角はアオフという友を失った傷心やメルスティーンという悪鬼斃す宿業の重さで大きく揺れていた。クローン元の
せいで総角はアオフ以外にも悲壮な死別を『6件』も経験しており、だから間近な人間の死別には過敏、主宰するザ・ブレー
メンタウンミュージシャンズからいつか戦死者を出してしまうのではないかと不安でいっぱいだった。平素の綽々たる人を
喰った態度からすると嘘のような話だが、しかし事実である。

 総角主税は所属構成員総てが生存できる組織を作りたかった。それはアオフの結社『リルカズフューネラル』が自分と小札
を除いて全滅したせいである。強い組織には強い首魁が必要だ。そうでなければ非常事態1つで瓦解し殲滅される。だから
総角は『素』の自分に仮面を被せた。常に余裕に満ち、常に超然と相手の懐を見抜いているような『リーダーの仮面を』。

 だが出立当時の彼は、無銘と出逢った当時の総角の仮面は様々な理想像をパッチワークして鎹(かすがい)で繋ぎ止めた
だけの物だった。裂け目からは生々しい感情が春暖の炎のごとくよく漏れた。決定的な挫折から完全に立ち直っていない
状態で彼は新たな理念めがけ毎日毎日、重い足を一歩一歩前へ進ませるのに必死だった。リハビリ中の患者のようだった。
そんな青年が、小札と言う、傍にいる女性に甘えたくなったとして果たして誰が責められよう? 男とはどこまで行っても子供
なのだ、外で得手勝手をし好きなよう情熱を試したがる癖に、そこへの思わぬ反撃が来ると巣穴へ逃げ込み──情熱の犠牲
にし、普段ろくに省みてもいない癖に──巣穴の中にいる優しい人から慰めの言葉を貰おうとする。

 が、小札は無銘の育児で忙しい。

 甘えたくても、或いは普段の苦労へのご褒美のような甘いムードになっても、赤ん坊の泣き声はお構い無しに総てを壊す。
 家庭じみた場所に癒し求むる若き俊英にとってそれ以上の不合理はない。総角は、むくれた。

 繰り返すが、鳩尾無銘とはまったくの他人なのだ。
 どこの男の子供とも分からぬ存在に、愛慕する女性の愛や手間を取られてなおヘラヘラしている男がいれば大多数の同性
は「ちょっと待て」となるだろう。遺伝子保存の観点からしてもまったく望ましくない。自分のものでない螺旋の維持費をどうして
自分持ちでしなくてはならないと、男達は思うだろう。しかも自分の方の機会──湿地への実効支配を伴う、非常に甘美な
──すら”カッコウ”に奪われる。


 禍福は何とやらというが、無銘が世俗によくある「連れ子の惨禍」と似た仕打ちを総角からされずに済んだのは結局、見
た目がチワワだったからだ。『いずれ人間形態になるのだろうな』と総角が苦々しく思いながらも、小札からの愛情を予想外
に奪っている無銘を育てる方へシフトしたのは(戦力を育てたいというのもあったが)、無銘が、可愛かったからだ。
 海老茶色のふわふわした体毛、大きな三角の耳、くりっとした双眸。本来機械的であるべきはずのホムンクルスなのに、
無銘は原型そのままの愛玩動物としての風貌を完璧に維持していた。

(何より俺にも懐いているし、な)

 短い手足をぱたぱたさせながら足元に纏わりつき8の字に走る無銘の姿は気取り屋の総角の頬すら綻ぶ。(これはちょっと
捨てられんだろ、今さら)。世の夫がそうであるように、総角は無銘のいなし方を覚えた。さまざまあったが最も簡単なものは、
『夜、ぐっすりと眠るほどに運動させて疲れさせる』だ。されば小札からも養子の面倒を良く見る総角と好感度が上がるし、眠り
こけている無銘の傍で甘い語らいのひとときに浸りやすくもなる。才覚は情愛と両立し辛いが、しかし才覚の嫌う不合理さえ
受け入れれば折り合いはつくのだ。
 折り合いがつけば労力の供出は心安くなる。
 いつしか総角は無銘の育児を引き受けるようになった。(それが伴侶の愛の軌道を自分に戻す最善手という打算もちょっと
だけ織り交ぜつつ)。

 とにかく総角は、無銘を、部下として、鍛えた。
 小札を軸にした父子特有の恋敵関係さえ無視すれば最高の素材だった。
 何しろイチからの育児に参画しているのだ。性格も体の癖も把握済みだし、他者の教え込んだ余計な先入観もない。真白
な粘土板だ。アーティスティックな感性を持つ総角にとってこれほど理想的な『最初の部下』もない。

「お前は忍者が好きなのか?」

 物心ついた無銘に色々見せた結果、彼はどうやら忍びに憧れを抱いているらしいと判明。(俺にとっての御庭番にもなりうる、
か)。犬型を基盤にしている故の忠実な意思、更に一見チワワにしか見えぬ風貌はなるほど確かに「草」向きだと思った総角
はそちら方面の術技を調査。とはいえ認識票の青年、勘こそいいが自分の嗜好しか追ってこなかった前科がある。故に他者が
興味抱く未知の分野にはちょっと食指が動かず直観力は最初やや動作不良だった。この点、才覚あるゆえの欠点だ。才覚は
自分に対する最高の奉仕者だから、利己となればフル稼働、だが利他となると──つまり自分の歓心を買わぬ作業を他者の
ため、時間を割いてやるとなると──才覚は後ろから肩を引かれ、縛られる。

 総角は最初から指導者に向いていた訳ではない。悪い言い方をすれば無銘のせいで血の巡りが恐ろしく悪くなった脳みそを
どうにかこうにか振り絞って忍者研究を一歩一歩進めたのだ。

(ここまで面倒臭いものだったとはな、他者の指導)

 初見の異分野の深奥を一目で見抜いてきた経験ならおぼろげといえど幾つもあるが、それらはいつも自分が喝采を浴びるた
めというモチベーションあらばこそだ。無銘の教育は違う。自分が褒められるためではなく、相手にちゃんとした技術体系を
教えるためだ。単に賞賛されるだけなら一言二言それらしい気付きを仄めかせば済む。自負の塊のような総角だ、物心つ
いたばかりの無銘相手なら正に赤子の手を捻るように「騙せはする」。だが双方の関係が教師と生徒という、継続性と反
復性を要する物に変化した場合、総角のスタンドプレー的な”これまで”は何ら役立たなくなるし現にそうなった。教師とは金
言で場を二度三度瞬間沸騰させれば済むものではない。確かに人生の指標となる言葉を与えるべき責務も抱え込んでい
るが、しかし生徒が指標になると感服するのは教師当人の平生がしっかりしている場合のみに限られる。基本的な知識や
技術を分かりやすく伝え、興味を引き、学習する意欲を高め、頑張りをちゃんと褒める……字面にすればごくごく当たり前
で面白味のないコトだが、味の濃い節制や刺激的な精進など皆無であろう。無味乾燥に思えるコトに熱情を注ぎ他者すら
熱くできる者だけが本当の意味での金言を吐ける。本人にしてみれば金言でもないなんでもない『当たり前の言葉』が、生
徒の心を揺さぶり一生を貫く羅針盤となるのが本当の意味での『金言』なのだ。狙って吐かれたものは、ならない。

(フ。だとすれば俺は……)

 向いていないのかも知れないな、新米教師向けの指導書を何十冊と読み漁った総角はちょっと碧眼を昏くした。才覚の
直観力を持つ総角だから教えるべき事柄の第一印象が悪いと『無味乾燥ゆえ情熱を注げない』。小札の愛情が無銘に
向いているのを強く実感した日はその傾向が強かった。忍者の決して清廉潔白ではない内実を知るにつれそんな教育を
年端もいかぬ少年に施していいかという葛藤だって芽生えた。物心ついたばかりの無銘は無知、総角にとっては説明不用
のはずの常識さえいちいち説明せねばならぬもどかしさは過去の傷を刺激するに充分だ。
 迷ったり怒ったりすると熱が消え、持ち前の直観力さえ鈍ってしまう。
 自分と同じ剣客にした方がいいのではないかと妥協して何度も教育を投げかけた。


──「君はリーダーに向いているね」


 踏みとどまらせたのは親友の、アオフの言葉。
 そのたび天才型の青年は手を止めていた作業を再開する。直観が効き辛い不得手の分野、他者のための教導を少し
ずつ少しずつ地道に進めていった。
 決して楽ではなかったが、遺言のような金言を無碍にするコトだけはしたくなかった。初めての部下が死闘の中で親友よ
ろしく落命するような中途半端な教育だけはしたくなかった。

 数え切れないほどの調査と咀嚼は少しずつだが総角を変えていく。自分のためにしか動かなかった思考回路が整復運動
で復旧する神経のように他者のため動くようなっていく。

「本を読んで分かり辛いのでありましたらノートをば取るのはいかがでしょう!!」

 苦労する総角を前身させたのは小札である。決して天才型ではないからこその提言という奴だ。「ノート? フ。何でもすぐ
さま暗記できるこの俺だぞ、不要なのだが?」、4ケタ×4ケタまでなら瞬時に暗算できる青年は最初難色を示したが、しか
し相手はひとたび喋らせれば容易に止まらぬ実況少女、例の訳のわからぬ勢いでノート使用の利点をガーっと捲し立てた。

「うるさいなお前!?」

 とはいうものの内向的だった小札に実況のごとく──両親から植え付けられたコンプレックスによって人とうまく話せなくなっ
たからこそ『会話』とは違う一方通行の実況によって人が持つ”喋りたい”という欲求を満たすようになったのだ小札は。それは
試合で勝てないボクサーがせめてもの慰みとばかりサンドバッグ高速連打に熟達するのと似ていた──実況のごとく会話
もせよと命じたのは他ならぬ総角自身だから、よくできた通販番組専属の活弁士の如く獅子吼(ししく)立て板に水でノート
を薦める小札はどんなにうるさくてもやめろとは言えない。

「分かったから! やればいいんだろ、やれば!!」

 フという笑いも余裕ぶった態度もかなぐり捨てた”素”の態度で折れる総角。目元にうっすら溜まる涙は眠れる弁舌の怪物を
ゆり起こしてしまった後悔ゆえ。「ワラ束おいしゅうございます」、シルクハットの少女はむぐむぐとどこまでもマイペース。

 だがシャープペンを動かしていた総角はツと何かに気付いたように動きを止めた。

(……これは)

 ずっと頭の中だけで考えていた青年が外部出力の重要性を知ったのはこの時だ。
 どんなに素晴らしく思える発想でも紙媒体へ転記した瞬間欠点が見えてくる。密閉容器の中では輝いていた薬品が開封
によって酸化してくすむように、万能感に守られている品質保証は頭蓋の外に出てしまった瞬間世俗の正論によって幾つ
もの穴を突かれるのだ。俗人への怒りの桎梏(しっこく、枷)に囚われるコトで還俗してしまった総角の一部分もまた紙に綴
った己の理解や説明に不備を見る。難解。言葉足らず。真理を捉えきれていない。そんな箇所が幾つも幾つも芋蔓式だ。

(くそ。小札。お前の勝ちだよ)

 才覚を誇るものは見下していた発案に足元を掬われたとき不快になる。なるが、愛しい少女に新しい可能性を提示された
のは痛快でもあった。イラっときた引き攣りを、一本取られたなという笑いに巻きつけてからおよそ2時間弱、60ページから
なるそのノートは精密な図解と分かりやすいキャプションによる制圧行動を浴び続けやがて陥落、忍びの教本・萬川集海
(ばんせんしゅうかい)の虎の巻として転生した。

「な、なんという分かりやすさ! 気取った文章さえ手直しすれば本屋さんに並んでいても不思議ではありませぬ!!」
「フ。気取ったは余計だ」

 分かりやすいがイラっとくるそのノートを後年読んだ(読まされた)栴檀2人は「もりもり! これ破ってあんた殴っていい!?」
『確かに上から目線な文さえ我慢すれば資料性は高いけど! アンチがついて不買運動されるタイプの本だコレ!』と騒い
だ。


 とにかくノートにまとめるようになってから、無銘への忍法教授は格段のスムーズさを得た。


(よくよく考えるとこれは俺自身の強さも深められるな)

 忍びというそれまで注目していなかった技術体系は突き詰めれば人心掌握の塊だ。駆け引きを旨とする剣客にとってそれは
非常な参考になった。意外な発見。教えるための咀嚼が教える当人をも高めるという一見ごく当たり前の真理に総角は目を
見張る。”他者のため”は”自分のため”の排他律ではないと、並存が可能と知ってからの総角の速度は速かった。無銘とい
う生徒は期せずして教師になったのだ。かくなる絆を人に感じた俊英が本来のスペックを取り戻すまでさほどの時間はかか
らない。

 教える喜び。導くやりがい。当初こそ義務感で何となくやっていた教導だが総角は段々熱を入れるようになった。無銘も応える。
素直で無垢な子犬のような少年は真綿に水をふくませるよう知識や技術を覚えていく。母は愛を与えるが父は智を授ける。
普通の家庭人なら知っているコトを総角に突きつけたのは他ならぬ無銘である。

「おとうさん」

 ある日、ふとした弾みで彼が口にした呼び名に認識票の青年は整った双眸を大きく見開いた。

(父だと。この、俺が……?)

(呪われた破壊者の同位体で、人々への黒い蔑視を隠し持つこの俺が……)

(父、だと…………?)

 無銘という少年は。

 戦力の1つに過ぎない筈だった。
 やがて門戸を叩き入団する部下たちの、あくまで最初の1人に過ぎない筈だった。

 小札がしているような愛情の注ぎ方はできた記憶がない。それは彼女の領分だから、彼女さえいれば少年の人間的な
絆への欲求は満たされるだろうと思ったから、自分は求められる技術だけ提供していればいいと、ずっとそう、思っていた。
教導にしたって総角はちゃっかりと得をしている。仮に無銘のためだけやっていたとしても『戦力を鍛える』行為は結局
リーダーに還元される。
 理屈だけいえば俺自身のためだろうなとどこかで自嘲していた総角なのに、無銘は呼んだ。「父」と。

 言ってしまえばどこの何者の子供かさえ分からない少年の”それ”は思い上がりといえなくもない。
 もしそれを受け入れられない総角なら、無銘お前はただの戦力で部下なのだとハッキリ否定した方が双方のため。一方
的に絆を信じていた者が単方向を知った時の怨みは凄まじい。最初から割り切らせた方が寝返り防止には有用だ。

(そんなコトなど分かっている筈なのに……)

 揺れる総角の肩を背伸びした小札がちょまりと摘んだ。

「寝ているもりもりさんを」
「?」
「調べ物のさなか眠ってしまったもりもりさんを、無銘くんは見たのです」

 ガラステーブルの上や下に散らばる忍者がらみの書籍。作成途中のノート。取り落とされたままのシャープペンシル。寝
落ちした顔を机へと横向きに突っ伏せ中の総角。そして少し離れた場所で彼を向きちょこりと座るチワワの……後ろ姿。
ちっちゃなしっぽは、ぱたりぱたりと緩やかな調子で尾を叩く。

 といった小札の提示する情景は彼女が見たままの極めて客観的なものだったけど。

 才覚だけで生きてきた青年は初めて感じる家庭的な暖かさに、らしくもなく瞳を潤ませた。

(…………フ)

 親友が提示し、総角自身も夢見たコトが、少しだけ、叶った気がして、だから彼は湿った微笑を浮かべる他なかった。



 調べ物の最中寝た翌朝には必ず毛布が肩にかかるようなった。どうしてかを狸寝入りで追求した総角は口元を綻ばせる。
自動人形。無銘の核鉄によって発動された高身長の兵馬俑が毛布を摘むようにして……かけていた。


 そういう関係があったから、実は本当の親子でないと遠慮がちに切りだされた時でも幼い少年は深刻にならなかった。

 育てて貰えただけでも十分だと、ごくごく単純に割り切った。親子関係とは加齢と共にその難しさの本質が見えてくる物……
とはまだ知らず、児童は「おとうさん」「おかあさん」がそのままの意味だと純粋に信じた。


 だが無情にも訪れる転機。
 無銘が人間形態になれないのに気付き欲し始めた瞬間から義理の父子の関係は軋み始める。

 物心がつき、世界を通行し始めたチワワ。子供は社会性を得た時から多かれ少なかれ呪いを得る。

「自分が異物なのでは」という疑念(のろい)を。

 とはいえ大抵は”はしか”のようなものだ、成長と共に殆どは消える、殆どは。

 だが二本足で立ち歩く少年少女の姿を見た四足歩行の無銘は戴冠した。重い茨の冠を戴いた。
 それまで義理の両親の愛情を一心に背負い生きてきた無銘は自分のありようが普通だと思っていた。愛玩犬の体に人
の精神を宿すという異形じみた己の構造を何ら不思議に思わなかった。

 だが幼児とはいつか必ず両親の庇護を離れた場所で容赦ない比較を浴びる。

 食べ方や息の匂い、歩行時の癖や笑った瞬間の片頬の引き攣れ振りといった、特有の特徴を、他とは異なる目立つ部
分を、園児(クラスメイト)などの指摘で初めて気付かされそして揺れる。同年代の幼さゆえの感情的で無遠慮な論(あげつ
ら)いに傷ついたり泣いたり、時にはケンカなどをしながら、少しずつ少しずつ、成長する。

「自分はけして異物ではない、人に不快を与える部分は治すけど自分を自分たらしめている部分だけは絶対に消さない」

と。

 要するに社会的評価に対する折り合いを覚えるのだ。自我を確立していくと言ってもいい。次に異物と断言されたとき内
心で尾を巻きつつの怒り吠えの反論を連呼する程度には「異物」と呼ばれるコトへの恐怖をうっすらと残しつつも、折り合
いによって多数の側について安心を得る程度の腹芸は普通、自然と覚えるものなのだ。

 だがそれらが不幸にも発育不全に陥るケースもまたある。イジメや迫害がいい例だ。心の回復速度を上回るペースで傷
を与え続けられた子供の自己評価は異物感が色濃くなる。それは武藤夫妻に救われた羸砲ヌヌ行ですら才知と弁舌がウ
ソに思えるほどの対人恐怖を長らく抱え続けたのを見ても分かるだろう。
 ただし鎖国的な心はヌヌがソウヤやブルル、頤使者兄妹との関係において少しずつほぐされもした。つまり治らないもので
はない。優しい人々とのふれあいさえ重ねればいつか必ず治る……のだが、長年『カズキたち』に出逢えなかった無辜の
人の場合、不信によってなかなか踏み出せぬため難しくなる。投影、という奴だ。歪めた相手への怒りと恐れを心に抱えて
生きているから、それと似た匂いをちょっと漂わせた者は例え善人であっても拒絶する。出逢いすら避けるのは全人類が
悪と決めつける場合。いずれにせよ、折れ合うのを無意味とばかり関係そのものを断ち切りにかかる者が、褒められる機
会すら自らツブしてしまうのは当然の成り行き、抜け出せない泥沼のなか彼らはひたすら自分が社会の異物であると強く思
い込み自信を失くす。失くしていく。

 無銘は社会を知ってすぐ誰かから心ない言葉を投げつけられた訳ではない。だが皮肉にも両親からの暖かな愛情を潤沢
に享(う)けてきたからこそ少年は、激しい落差を持つ暗黒の事実に躓き一気に奈落へ落とされた。

「我の姿は人間のそれではない、異物なのだ」

 普通だと思っていた自分が実は社会にとって『異物』だと知ってしまった。
 二足で歩く子供たちに、机上で手を動かし物を食べる同年代の姿に、四足で歩き地べたの皿に口を突っ込んできた無銘
はそれが自我ある者ならまずやらない異常な行為だったと……気付いてしまったのだ。

 凄烈な衝撃はただのイジメよりも強く心を蝕んだ。両親が愛してくれるから自分は普通だと疑いもしなかった自分が普通で
も何でもないと社会全体から否定されたような気になった。


 思春期特有の名状しがたい怒りすら精神年齢10歳の少年めがけ9つ以上の季節を飛ばし、やってきた。


 焦りから小札と溝を作ってしまった無銘は総角とも拗(こじ)らせてしまったのだ。大きな喧嘩をしてしまった訳ではない。
ただ、ずっと智を授け続けてきた総角が、人間形態になるための解決法だけはいつまで経っても届けてくれないコトが
不審になり不満へ変じ不服と化し不平の結実をもたらした。

 無銘本人はそれがそれらが甘えだとは気付いている。総角はむしろよくやってくれたのだ。身体に異常アリと疑惑した
瞬間かれはあらゆる傷病を治す衛生兵の武装錬金・ハズオブラブを抜く手も見せず発動しそして治療を試みた。電撃的
な反射を見たとき無銘は確かに養父の愛を感じた。病院にすら行かせて貰えない連れ子があまりに多い世界を思えば、
すぐさま最高の治療を用意してくれる保護者がどれほどありがたいか分かるだろう。

 だが本家本元なら死すら覆す癒しの能力(ちから)が返した言葉は「異常ナシ」。つまり人間形態になれぬにも関わらず、
体にはハードウェアにはいかなる故障も欠陥もないとそう診断されたのだ。

 複製品だが治癒技量そのものは本家と遜色ない(回数などは劣る)衛生兵にそう太鼓判を押された瞬間、無銘は医
療ではけして癒せぬ宿痾(しゅくあ。持病)を抱え込んでしまっている残酷な事実を突きつけられた。視界が暗くなり足が
もつれた。複製品ゆえの「治療が効くのは生涯1回」きりという逆免疫じみた使い捨てエリクシエルな制限が「治療されなかっ
ため次回に持ち越し」されたのは不幸中の幸いだったが慰めにはならない。

 だいたい前例がないのだ。錬金術史は長いが、妊娠第7週の胚児の時期にホムンクルス幼体を埋め込んで誕生(うま)れ
た者など無銘ぐらいなものだろう。解決策が簡単に見つかる訳もない。

 最初は駄々をこねるよう泣いて人間形態をねだっていた少年。生真面目さゆえに総角たちを困らせるだけだと気付き段々
と感情を殺していく。静かになった子供はしかし泣きじゃくる以上の不穏(エネルギー)で傷ついている。甘えたいのに甘え
られない葛藤を抱えた『手のかからない子』は駄々っ子以上の挫折をいつか抱える。


(本当の)


 無銘は時々、思った。思ってはならないと思いながら、思った。


(本当の両親なら…………分かってくれただろうか…………)


 それは総角や小札には絶対に言いたくない言葉。言えば本当に関係が壊れてしまう気がしてずっと胸の奥にしまってい
た疑問である。生まれて初めての大問題に戸惑う少年の思索は総当りだ、糸口になりそうなコトは何でも考えた。本当の
両親ならばという考えは当初こそ幾つかある懸案の1つに過ぎなかったが、何度かなぞるうち強く心を締め付け始めた。


(我の両親とは、いかなる人物なのだ…………?)


 分からない。だが分からないからこそ願望を抱く。”本当の両親ならばなんとかしてくれるのではないか”と。

 なのに同時に描く。

(本当の両親にすら『異物』と言われたら? 拒絶……されたら?)

 後に早坂秋水が無銘を昔の自分のようだと言った理由の何割かはこのときの葛藤ゆえだろう。そういう”ニオイ”を無銘
は7年経っても纏っていた。

(……。我はホムンクルス、怪物、……異物)

 実の両親からすら拒絶される可能性を考えたとき、呪われた出生への葛藤は怒りに転じる。

 憎んだ。原因となったレティクルの幹部達を。

 金星の幹部・グレイズィング=メディックと。
 木星の幹部・イオイソゴ=キシャクを。


 宿業と同時に両親との不和すらもたらした彼女らへの報復誓う業火を胸の中で爆ぜ狂わせるが……。


 怒りと憎しみに囚われている自分がおぞましくて辛くなる。


 無銘は、戻りたかった。
 何も知らず総角や小札たちと笑いあっていられた頃に、戻りたかった。


 しかしそれはもう、できない。成長と共にできなくなった。


 袋小路の中、


「異物……ッ!」

「我は、何なのだ…………!?」


 チワワの体を持つ少年は深く深く悩み始め──…

 やがて人間形態を欲するようになる。


 人の姿になりさえすれば、
『手』で人間的な振る舞いさえすれば、
自分を苛んでいる異物感が消えるのだと、

 子供らしい単純さで結論付けた無銘。


 しかし「鼻」という説話がある。身体的特徴(コンプレックス)だけ治しても一度植樹した/された異物感は、自分が人より劣
っているのだという負い目は、そうそう簡単には消えぬのだ。自分を愛せぬ者はその肉体をどう造り替えても納得しない。
鏡中映る自信作に”自分”が滲んでいる限り激しい苛立ちを覚えるし、社会の目にだって怯え続ける。

 結局のところ自分を変えたいなどという意思は究極の自己否定に過ぎぬのだ。

”高めたい”ならいい。だが”変えたい”はマズい。持ちえぬものさえ持ちさえすれば異物感が消えるという体(てい)で自己変
革に挑戦し、成功と、心からの充溢を獲得できるケースは稀なのだ。

 直近の、否定し見下してきた者の顔を想像するがいい。

 彼ないし彼女に明日より忠節を尽くし粉骨砕身せよと言われ誰が笑って受け入れる? だからなのだ、『持ちえぬ自分は
異物』などという自己否定を前提とした発奮が長続きせぬのは。現在の自分を否定し見下してくる自分のために一体どうし
て頑張れようか。

 少しうまくいかなかっただけで自己否定。
 息抜きをしても自己否定。
 大一番での結果が思わしくなくても自己否定、

 ……馬鹿げた姿勢ではないか?
 持ちえぬ自分を愛せぬ限り何を得ようと暖かな血肉にはならないし……満たされない。

 なのに無銘は、人間形態を、求めた。

 総角と小札は、人間形態を、与えようと、した。

 ……。

 飢えた者と魚を巡るお馴染みの寓話がある。「釣ってやる」or「釣り方を教える」。大雑把にいえば対症療法と根治療法の
問題だ、
 魚そのものをどうこうするのが本題ではない。飢えている者が、『魚』を欲さざるを得なくなった原因を、異物感を、自ら打開
できるよう導くコトこそ教育の本義であろう。

 総角主税が無銘を拾ってからミッドナイトと出逢うまでの3年間、正しい愛を注げる一流の父親でなかったと述べたのは、
上記の本義を有していなかった部分が大きい。彼ほどの男が、あろうコトか人間形態を欲する養子の、無銘の本心を見通
せなかったのだ。初めての養子の初めての困難に少なからず混乱し、剣客にとってもっとも重要である筈の読みの基盤を
自ら揺るがせてしまったのだ。


 揺らぐ子供。揺らぐ両親。


 ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズというそれまでは一族経営的だった共同体が『巨悪メルスティーンを斃す』という公的
な義憤の輪郭を明瞭にし始めたのは栴檀貴信と栴檀香美が加入した頃だ。

 子供はやがて両親以外の人を知る。幼稚園や小学校で他者を知り、多くの交流と僅かな軋轢のなか解決能力を育てて
いく。

 ホムンクルスゆえに同年代の少年少女のいる組織へ通えなかった鳩尾無銘。それゆえ停滞し行き詰った総角や小札と
の関係を彼ら自身含めて変化させたのは香美であり、貴信であり──…




 ミッドナイト。



 いったいどれほどの時が過ぎたであろう。

 剣客と武侠は深夜の畦道で睨み合ったまま動かない。
 距離はおよそ8mだろうか。彼らは共に切り札を標的めがけ引き絞る状態にあった。
 一撃必殺9発の同時発動を目論む剣客に対し、居合いという丁半明確すぎる大博打(げいげき)を打たんとする武侠。
 先に当てれば当然勝ちだが先に踏み込めば相手有利の制空圏に突っ込むのも確か……などというのは剣術勝負開闢
以来つねに付き纏うありふれたジレンマだが、故にこそ呪縛の茨はひどく根深く、ほどけない。

 膠着から逃れるように、相手の心の軸足を刈りやすく浮き立たせるように、放ち続けてきた気魄は対流する撃墜の中で
地に堕ち未知なる光彩波打たせる泥となって己の足にへばりつく。

 いつしか対峙する2人の間には特殊な熱波が到来していた。毛穴越しに骨身を削り取るような細く鋭い熱波が。

 放電対象を得られなかった黒雲はひたすらに稲妻を蓄える。
 炸裂せず、行き場をなくした剣客と武侠の気魄もまた両名の間で圧縮されつつあった。さまたるや清涼極まる蕨餅のごと
く青白く透き通っているが甘味には程遠い凄烈さが外郭で細長く弾けては発生源(とうじしゃ)たちを熱く苛む。

 立っているだけで心の支えが削られる重き対峙。頭蓋の氷室で柱は鉋をかけられる。削り飛ぶ透明なつぶての行き先は
差し向かう2人の頬や顎。

(フ。末妹とはいえさすがは最強直属の近衛兵。迂闊に行けば鞘走りの瞬間両断される未来しか浮かばない)

 剣客──黄金の滝のように長い髪を持つ美丈夫──こと総角主税は笑みが引き攣るのを止められなかった。恐怖は
ない。天賦の剣才のみでは超えられない壁に感じるは緊張と撩撥。超えたいと願う不敵なる挑戦心。

 相手を美しい少女だと思う余裕すらあった。「美しい」。小札や香美の「可愛さ」とは違う要素だ。素朴と含羞が保護欲を
誘う妹めいた実況少女の「プリティ」や、野性と愛嬌の中に色香を織り交ぜたネコ少女の「チャーミング」とは一線を画す
「ビューティ」を高貴な武侠は持っている。総角の知るビューティといえば早坂桜花だが、当時このころ弱冠11歳で漂わせ
ていた文官の理知や寵姫の艶麗とも異なる美しさ……中国特有の目にややキツい鮮美と鮮媚を見た目14歳ごろのミッ
ドナイトは有している。
 
 さながら武の天女。
 研ぎ澄まされた宝剣のような光華と神秘に満ちた少女なのだ。それでいて左右に括られた髪の房はピーチ色の綿菓子の
ような柔らかさに満ちており、甘ったるい清潔な匂いさえ漂ってきそうだった。跪きたくなるのに間違いも働きたくなる危うい
色香。人が貴種に催す感情のさまざまを神が最適解の造形美で遣わしたような絶世なる麗春花の前では、内外から美丈
夫と呼ばれて久しい総角主税でさえ(並べ立てば俺の方が引き立て役だな……)と思ったが、いつまでも余事にかまけてい
るヒマはない。
 ミッドナイトの美しさは愛玩動物のそれではないのだ。虎などの「猛威あるが故の美観」。鉄格子なしで見惚れれば、死ぬ。

(フ。そして)

 横目で無銘を見る。養子はどうやら武侠から特段の関心を得ているらしい。彼と彼女の関係性に容喙したくなるのは総角
が養父だからだ。ミッドナイトはむしろ無銘に好意的だが、それゆえの危うさもまたあるのだ。総角は勝つにしろ負けるにし
ろ、釘の1つでも刺すべき立場にある。


(さてどうしたものか。対メルスティーン用の境地開闢を思えばなるべく剣腕でのみ勝ちたいが……)



──「境地だよ! フル=フォースお兄ちゃん!!」



 突如総角の脳裏に去来したのは少女。褐色の肌を持つ幼い彼女は拳一発で高さ20mの巨岩から造り替えた石くれの
山の前で無邪気にはしゃいでいる。
 人懐っこくて明るい少女だった。純真無垢な振る舞いは当時ひねくれていた総角の心すら和ませる物だった。



──「あのねあのね、境地っていうのはハロアロお姉ちゃんのアイディアなんだよ!」

──「サイフェは黒帯で色々コピーできるけど、敢えてそれを封じて体術一本で頑張ったお陰でね、境地が凄く開けたの!」


 境地をいまいちよく分かっていない様子のたどたどしい口調でまくし立てる黒ブレザーの少女だったが、総角は確かに感じ
取ったのだ。彼女の強さが『本物』だと。複製能力にあぐらをかかず、ひたすらに技術を練磨すれば自分もまた彼女と同じ
境地に至れるのではないかと……思ったのだ。

 想いは親友が殺されたときますます堅くなった。仇は圧倒的な剣腕を誇る破壊の権化、余所見の素振りを重ねていては
絶対に勝てぬと思わせる男。

(メルスティーンの『ワダチ』はあらゆる武装錬金の特性を壊し無効化する長大な刀。奴を降せるのは純然たる武術の『境地』
のみ……。故に俺は一定以上の強敵に対しては剣のみで戦うようにしているが)

 ミッドナイトについては色々迷わざるを得ない。何しろ彼女はここまで武術のみで総角を寄せ付けぬ強さを見せた。

(ここからはただでさえ俺より上な地力へ更に初見の特性を加えてくる……。概要ならば奴の兄や姉から聞いているが、どう
中国武術と絡めてくるか想像もつかん。秋水のような純粋剣技とは違うのは確かだが……。『錬金の魔人』と同系統の能力
で”あの”凄まじいフィジカルを高めるんだ、策を講じねばいかな九頭龍閃といえど確実に破られる)

 勝ち目をあげる手段は1つだけあった。総角は認識票へ意識を向ける。あらゆる武装錬金をコピーする認識票へ。それ
は『2つ』あった。そのうち片方のみが日本刀複製で発動中と書けば残りスロットが幾つか、分かるだろう。

(『併用』。残る片方で武装錬金を発動して九頭龍閃に加えれば、フ、或いは、か)

 総角はかつて言った。「俺は無数の武装錬金を使えるが、刀一本握る方が遥かに強い」と。そんな卓越した剣技を、である。
更に無数の武装錬金と併用すればどうなるか。聞かされた誰もが思うだろう。『無敵』だと。それは7年後、早坂秋水との決戦
を「使える筈のダブル武装錬金を敢えて使わず、刀一本でやり抜いた」総角を知った桜花や御前、剛太といった者たちの感想
とも一致する。

 だが総角自身はむしろそういう美蜜を敬遠しがちだ。

(確かに並みの連中相手なら無敵になれるが、俺が心から斃したいのはメルスティーンただ1人。あらゆる特性を無効化する
アイツを降せるよう刀一本に絞った俺が『どうせ無効化される』他の武装錬金への依存心を身に付けるのは、フ、良くない。
だから併用はなるべくしたくない。それのみがミッドナイトとの格差を埋める手段だとしても……やりたくない)

 敢えて剣のみで挑み、剣のみで全力を出し尽くして負けるという選択もあるにはあった。

(俺は奴の恋人を殺してしまったからな。贖罪のため勝ち目を封じるべき義理が……ある。事情がどうあれ、殺めたのは
「いい奴」だった。『イフ』。彼はディプレスのような断罪されてしかるべき外道では……なかった。なのに俺は自分が生きる
ため「いい奴」を殺した。仲間にだってなれたかも知れないのに、助け……られなかった)

 密かな感傷こそ抱えているが根っからの策士でもある総角だ、脳髄の冷めた部分、発案機構は実に無機的に『併用』した
場合の術策の数々を編み出してもいる。もともと人を出し抜くのは得意だし、好きなのだ。実力差を埋めるための策など
幾らでも幾らでも湧いてくる。

(だがそれは『汚い』手段だ。1つの武装錬金、1つの特性でのみ戦うミッドナイトに、無数の武装錬金の無数の組み合わせ
を差し向ける是非は……どうなんだ。それでツブせたとして……何が残る? 恋人を殺された少女を、物量で捻じ伏せるん
だぞ……? 俺は何もかもに勝てる最強になりたいんじゃない、総てを破壊せんとするメルスティーンただ1人を止められる
男に……親友の仇を討てる男になりたかっただけだ……!)

 喪失に心痛を感じ続けている少女を、手数で屈服させるのは『破壊』、憎んでいるクローン元と変わりなくなるのではないか
……そんな葛藤が総角の心を占めていく。

 複製という強すぎる力を持ったが故に抱えるジレンマだ。それは敵を倒すとき多かれ少なかれ迷いを生んだ。誰にでも
勝とうと思えば勝てるから、万能行使が卑劣にしか思えないから、……そんな想いは一番近い小札でさえ心から実感する
のが難しくて、孤独だから、だから総角は刀一本の修練が好きなのだ。相手と対等の領分に立てるのがいい。色々考えて
戦っても力及ばず負けるコトが時どきあるから……「良い」。極端な言い方をすれば、無数の重火器で人々を蹂躙し続ける
コトに罪悪と退屈を覚え続けてきた武器商人が、「なんでもアリ」じゃない『道』をようやく見つけて熱中しているようなものだ。
秩序破壊者を斃したいと願う以上、ルールに沿って歩める方を嘉(よみ)するは当然だ。

(ならば「なんでもアリ」は、併用は、自ら禁じてしかるべき)

 腹をくくりかけた総角だが……見てしまう。

 きらびやかな瑠璃色の双玉に迫真の眼光を灯しじつと視線を釘付けているミッドナイトを。

 人の機微を詠むのに長けている剣客は総てを悟った。「フ」と笑うほかなかった。

(全力を尽くせ、手抜き相手に復仇しても仕方ない……そう言いたい訳だな、お前は)

 更に思う。刀一本に拘っていたコトこそが贖罪から目を背けていた何よりの証左ではないかと。そうではないか、ミッドナ
イトは恋人の仇ただ1人を、『今』を、全力で睨みすえている。なのに総角は償うべき彼女ではなく斃したいと希(こいねが)う
メルスティーンを見ていた。今ではなく、『先』を見ていた。己が罪業が突きつけられていると気付き、「いい奴」を悼んでいる
と是認しておきながら、決着をつけたいと現れた少女の悲壮な想いについては、先に連なる経過点の1つとして”しか”見て
いなかったのではないか……総角主税は自重めいた笑いを浮かべながら深く深く反省する。

(お前はやはり最強の眷属だよミッドナイト。誇りからして違う。情に付け込めば勝てるのにそれを良しとしなかった。遺恨が
あろうが何があろうがまずは全力対全力を求める……まさしく戦神の、血!)

 私心を捨てる。複製者の全力はつまるところ物量、それだけでも誰がどう見てもえげつない戦法になるが、総角は更に
力で劣るが故の策謀すら動員するのだ。戦いは、ダーティ極まるものになるだろう。

(フ。部下どもは戦後、俺を汚いと罵るだろうが……どうでもいい! ミッドナイトの全力要請に応諾するコトのみが今の俺
にできる贖罪……なのだろう、恐らくは! ならば本気でいくさ。煽りもする! 虚だって突く! 悪めいて見える『全力』を
以って復仇抱くミッドナイトの正しさを弁護する! その上で……勝つ!!)

 7年後の早坂秋水に対しては『剣客』として全力で応対したがこの時は違う。

 数多の能力を複製できる『武装錬金使い』としての全力を総角は披瀝するのだ。

(そしてお前と無銘との関係を正常な座標から……始めさせてみせる!)

 居直った音楽隊首魁をよそに。



(高貴を保つため全力を誘ったのはいいですが──…)


 実は必ずしも平静でもなかった見栄坊が1人。


(『格』。地力で勝るあたくしが攻め込めないのはあの技が持つ格式ゆえ……!!)

 攻めきれない、と戸惑うのは武侠の少女──ピンク色のツインテールでミニ浴衣──ミッドナイト=キブンマンリ。恋人の
仇たる総角を彼女はここまで終始悠然とあしらう形だった。だが九頭龍閃。総角が得意技を振るうと宣告し構えた瞬間から
流れは変わる。慟哭。現像室の如く血走ったミッドナイトの世界。蝉噪顔負けのレッドアラートが十層二十層で重唱する詩
(うた)はただ1つ。

「もし居合いが先に届かねば自分の方が膾斬り」。

 九方向から同時に襲い来る斬撃は乱打なれど総て一撃必殺、それはとっくに知っていたミッドナイトだし攻略法だって練っ
てきた。

(九頭龍閃は、奥義・天翔龍閃の伝授のため生まれた都合上、『発生前に斬り込めば』必ず敗れる弱点を持っている。まあ
ソレは総ての剣技にも言えるコトだったりしますわね。ただ、だからこそ、それこそ、天翔龍閃のような最速で先の先を取る
コトに特化したり、或いは龍巻閃のような『返し』専門になったりと、当てるための何がしか、独自の発展を持っている訳です
が)

 九頭龍閃に限っては、『ちゃんと奥義を習得した人まで潰しては元も子もない』ため、型には敢えて”隙”がある。

(隙とは何か? 恐らくですがそれは九頭龍閃が『突進』技であるコトでは? 駆けながらの攻撃はどこかしら不安定ですし、
辿り着くまでの『間(ま)』はそのまま敵への猶予にもなりうる、選択権を与えてしまう。もちろん飛天御剣流が神速である
以上、猶予など毛ほどの時間に過ぎませんが、そのごく僅かな間隙に縮地で背後を取った青年や掌底による交差法を敢
行した武器マフィアは……確かに存在(い)る)

 ミッドナイトは思うのだ。九頭龍閃が密着状態からの技だったなら……と。零距離からの必殺九斬なら躱わす術はまず
ないだろうと少女らしい──ひょっとするとすぐ上の姉ゆずりかも知れない──空想をするのだ。

(といっても九撃総て必殺なのは突進あるがゆえかも知れませんけど。突進の威力分、龍巣閃と差別化……? ああでも
密着状態から、さっき総角もマネしてた牙突零式の要領で九発出せるようにした方が不意つけるのでは。零式が九発です
わよ零式が! しかも一瞬! そーいう強力な方へ進化させようって人だっていた筈なのにないってコトはやはり九頭龍閃、
奥義習得のためだけに継承された、され続けた……?)

 最後の方は推測というより妄想だが、なんにせよ、「発生前に斬り込めば潰せる」という全剣技共通の弱点を恐ろしく無防
備なまま遺してきたのが九頭龍閃だ。ミッドナイトでなくても攻略できると思うのは当然だろう。

 しかも使い手は実力で劣る総角。

”いかな技であれど使い手は自分より弱い、故に総合力で押し切れる”

 いざ目の当たりにするまえ抱いていた結論は決して願望ではない。彼我の実力差を正確に踏まえた適切な判断だ。

(計算外があるとすれば九頭龍閃の持つ『格式』……! さすが維新を切り開いた流派ナンバー2の、技…………!)

 格式。これほどミッドナイトの武術的琴線を震顫(しんせん)させる物もない。高貴を自称し血族の権威に縋る少女なのだ、
有象無象を超群した代物には敏感だし、恐れもする。だからいま肌で感じた神秘伝説の類から神秘伝説たりえた所以を知
り、感奮すら伴う納得でもって”あてられる”。九頭龍閃の構えを前に硬直する。

(あたくしより2枚は劣る総角がたった数年、型稽古しただけでこの威圧感……! 覆しうる……! 総合力すら易々と……!)

 ジャイアントキリングは確かにあるのだ。歩のみの軍勢すら玉を降しうる巷間において2枚落ち程度、どうして保証になろう。

(……。古人に云う。勝(しょう)に急にして敗(はい)を忘るるなかれ。最強たるお母様ですらメルスティーンに謀殺されたこ
の世界。油断は、できない)

 恐怖がないといえば嘘になる。

(だいたいソードサムライXの特性だって実をいうと『あたくしの武装錬金の天敵』足りえますし……)

 捨てられないのだ、敗亡の危惧だけは。

(あくまであの日本刀が極まっていたらですし、正史における持ち主は、あたくしと同系統の『ある強敵』を征伐できずに終
わってますから、大丈夫だとは思いますが、しかしいま使っているのは総角、思わぬ知略で完全無効化というコトも……)

 独り生きてきたが故にずっと縋り続けてきた『最強の眷属としての気位』が、唯一の支えが、敗北によって粉砕される恐怖
はどれほど頭の中で手を振ろうと払えない。真黒な雲霞の如くに晴れはしない。

(ううう、あたくしのばか! ばかばかっ! 余裕ないのに、なぁにカッコつけて総角に全力で来いとか挑発してんですか!!
九頭龍閃に色んな武装錬金がプラスされるのですよ、九頭龍閃に!! ただでさえイッパイイッパイなのに、つまらぬ
見栄でますますハードル高くして、ばかばかっ! 怖いですわ恐ろしいですわガチ総角が何やらかしてくるか想像するだに
ビクビクですわーー!!)

 根が末っ子で甘えん坊なミッドナイトだから、ビビリでヘタレな一面もある。心の中の彼女は顔上半分を紫に染めたヒヨコ
口でぷるぷる震えている。「ばかばかっ」の辺りでは丸い拳で頭をぽかぽか叩いてた。やがてふと止まり、思考続行。

(はぁ。臆病は一家伝来ですわね。考えてみればお母様もビストお兄様もハロアロお姉様も根っこは意外に弱気でしたっけ……。
物怖じせず誰とでも仲良くなれたサイフェお姉様だけがむしろ例外というか。てか失恋(あきらめ)た武藤ソウヤ相手に普通に
会話できるとか何なんですかその鋼メンタル…………。あたくしは『イフ』に、恋人にフラれたらどうしようと毎日ビビってまし
たのに……)

 いやいやいや、そんなコト考えてても詮ないですわ、少女は両目を上から潰され気味な不等号にしてブルルっと首を振る。
桃と橙に染め上げられた絹のようなツインテールも大気を滑る。振りまかれたのは芳しき杏の匂い。

(だいじょぶだいじょぶ、あたくし強い! やればできるお姉ちゃん! だいじょぶ! ガンバですわ、ファイトで集中!)

 心こそコミカルだが、集中すると決めた武侠の顔は怜悧な美しさを増していく。居合いの構えはそのままに瞳を鋭く尖ら
せるミッドナイト。月光妨げる前髪の庇(ひさし)が落とす影の中、母親(ライザ)譲りの三角州が冴え冴えとした輝きを研い
でいく。

(この戦いはあくまで経過点……ですが大義のため驕りも恐れも捨てましょう。不利は2つもあるのですから。攻略法の難
度……。中国武術主体のあたくしと居合いの相性……。そもそも居合いというものは──…)


「中国武術に、ないからな」


 フと笑いかける相手に感情の心電図が一瞬飛びぬけた山を描いたがミッドナイトはすぐさま務めて無表情を作る。武術は
兵法なのだ。乱して勝つ法やある。まして総角は全力で行くと決めた模様、些細な会話ですら既に舌戦と言う戦端なのだ。
 だから乗らぬと決めた少女にしかし目の前の剣客は悠然と語りかける。

「フ。賢いお嬢さんに講釈は不要かも知れんが、そも居合いとは帯刀を権威とする日本の武家社会だからこそ生まれたもので」
「……。常に日本刀を鞘ぐるみ帯びなけれならない都合上、納刀からの即時迎撃を編み出すに至った…………でしょう。知っ
てますわよそれ位。未来(むかし)から日本暮らしでしてよ、あたくし」
 話は終わりとばかり細く息を吐く武侠であったが、相手方の切れ長の双眸の奥底に挑発を目論む悪戯っぽい光が点灯し
たのを認めると「ああもう」と苛立たしげに歯噛みしつつ、再開。
「仇があたくしの好きな国どうこう講釈してきたら腹立ちますから言いますけど、中国に抜き打ちの概念はありませんわ。剣
は騎馬の主役を追われてからは権威づけ程度の装飾品でしたし刀に至っては柳葉刀……青龍刀の方が島国育ちには分か
りやすいですわね、青龍刀を見れば分かる通り『力で以って斬りおとす』ため巨大化。抜き打ちなどとても考えられませんでし
たわ」
 分かっているなら話が話が早い。美丈夫の口元がニタリと歪んだ。
「フ。ならば再確認だ。俺は日本剣術に熟達、お前は中国武術の達人。されど居合いは日本剣術。専門外という訳だ」
「そしてぇ、ペテン師はァ、『事実を己の都合のいいよう並べ立てる』、ですわよね♪ 位押しも、知らず(笑)」
 両目をそれぞれ歪な大きさに歪めながらあからさまに舌を出す武侠。総角の微笑は崩れないが刺すような冷気を明らか
に帯びた。唇が動く。次の声は軽やかだったが、確実な念押しに満ちてもいた。
「にわかカンフー、3000年に挑む……されたらお前、笑うよな?」
「ご存知です? 当てこすりなるものは 勝 て な い からすると」
 ミッドナイトも笑う。だが追従ではない。顎を傲然と跳ね上げゴミを見るような酷薄さで総角を射抜く。
 たったそれだけで兼ねてより両者の間で対流していた剣気が熱帯低気圧顔負けの凄まじい対流を起こし、弾け飛んだ。

(この2人相性悪いなーー!! さっきから何となく分かってたけど、相性、悪いなあ!!)

 気弱な栴檀貴信が高慢ちき同士の同族嫌悪じみた丁々発止に引き攣れた泣き笑いを浮かべるなか空間を駆け抜けた
光と雷鳴を伴う裂帛に「うおっ」と一本足打法のような恰好で両手挙げて怯んだのは栴檀香美、ネコ少女。不意の衝撃に
瞳孔広げドキドキしたがすぐさま発生源めがけ向き直り叫ぶ。口周りに寄ったシワは咆哮するトラのそれである。

「しゃー!! あんたらやっぱ怖い、怖すぎじゃん! あんたらの気! 気! おーらぱわー! やたら鍛えあげろよなせー
でいちいちすっごい音なるから怖いしビビるじゃん、ビビる!! まぶしくてこりゃたまらんじゃん!」
 元気よく拳を回しプンスカ抗議する香美だが総角らは無反応。それにますます機嫌を悪くしたネコ少女がいよいよ「うがー」と
両手あげて身を揺するやタンクトップの中で巨大質量上下に跳ねた。
 それ見て「……ううう」と落ち込み我が胸触るは小柄なタキシード少女・小札零。しかし負けてはならぬと実況魂、イグニッ
ション。
「く、九頭龍閃攻略のためとはいえ不慣れな不得手を選んだ事実を指摘され挑発された形のミッドナイトどのですが、怒り
もなく動揺もなくむしろ堂々たる威圧感を返されたーーー!! 見事! だが厳しい! 『無形の攻め』にて相手を崩す基礎
の基礎ふまえた日本剣客たるもりもりさんにとってこの揺るがぬさは正に天敵!! ミッドナイトどの、力もスゴいが心も凄い!
果たしてどう攻略されるつもりか! 両者のボルテージは上がる一方、激突の行方が注目されます!」
 いいからさっさとやるじゃんーー! また手を挙げて野次を飛ばすネコ少女の胸見た小札、マイク代わりのロッドを唇に当
てながら軽くルルルーと滝涙。
 そんな養母をよそに。

(九頭龍閃はもともと天翔龍閃の伝授のため生まれた技。超高速の一撃でなければ破れぬ特性を有しているのは寧ろ必然。
中国武術主体のミッドナイトが専門外の居合いに縋ってまで九頭龍閃に挑む気持ちは……分からなくもないが)

 そこまで考えたのはチワワこと鳩尾無銘であるが「いや待て」と首も振る。

(そもそも先に居合いの構えに移ったのはミッドナイトの方……! 九頭龍閃のはその次だ。……おかしくないか!?)

 順番は、逆なのだ。にも関わらず先発の居合いが後発への最適解になっている。先にチョキを出した少女に青年がパー
を出したようなものだ、おかしいと思わぬ方がおかしい。

(そうだろう。中国武術主体のミッドナイトの突然持ち出してきた専門外の日本武道が、次に来る相手の隠し手の弱点を突
く見事すぎる符合を見て誰が偶然と片付けられるか)

 作為。むしろミッドナイトは九頭龍閃を仕掛けさせるため居合いを宣告したのではないか? 弱点を突けると宣告した上で
総角に、切り札を使うか、勝負するかと……問うたのではないか? そんな電流が無銘の集積経路を駆け巡る。

(だとすれば『なぜミッドナイトが知っている?』 九頭龍閃そのものもだが、そもそもどうして”それ”が総角さんの切り札と
知っている? 習得はレティクル脱退後。運用は秘密裏。敵に知られる道理はなかった。なのに何故『知っている』?)

 先日火星と月の幹部を捕捉した時だって「二人組」に切り札を使う危険性──奇襲で片方を葬れたとしても、残る片方は
見切るだろう。されば反撃されても詰み、逃亡されても詰みである。敵組織に『見切り』を持ち帰られフィードバックされるの
だから。しかも片方は火力とみに高い鳥型だった、相方を奇襲の贄にすれば反撃も逃亡も容易い──を踏まえ敢えて小札
に先鞭を付けさせた総角だ、情報漏洩には極力気をつけていた。にも関わらず漂う気配、『ミッドナイトは知っていた』。

(知っているだけではない、修練する余裕すらあった筈。古人に云う。磨礪(まれい)は正に百煉の金の如くすべし、急就は
邃養(すいよう)にあらず。……。九頭龍閃に、気位高き者が、挑むのだぞ。いかに相性で勝る居合いでも付け焼刃と査定
する審美眼やある。審美眼に叶わぬ内は絶対に持ち出せない。総角さんを仇と呼ぶミッドナイトなら、尚更)

 と思うチワワ少年の横で栴檀貴信もまた確信を強めていく。

(僕と香美の来歴を知っていたコトといい、やはり『持っている』……? 僕たち音楽隊について知りうる、何らかのルート
か……『協力者』を)

 協力者。先だって存在を示唆されたそれを総角は『司令官』と呼んでいた。今は彼か彼女かさえ分からぬその『司令官』
こそミッドナイトの裏に隠れ潜む存在だとするならば。


(…………敵は、ミッドナイトどのだけでは…………ないと……?)


 小札の右胸が不安に高鳴る。さもあらん、ミッドナイトはいわば尖兵に過ぎないのだ。小札の属する一団に於いて最も
強い総角ですら格式高き九頭龍閃に縋らねば翻弄される強き武侠が、黒幕ではなく、尖兵なのだ。

(『司令官』。どのような方かは分かりませんが、一体どうやってミッドナイトどのを従わせているのでしょう……。剣装備の
もりもりさんすら特性なしで圧倒できる、非常に強いミッドナイトどのに……何をすれば今の形に持っていけるのでしょう……)

 小札の知る限り、”それ”を力尽くでやれるのは2人だけ。1人はレティクルの盟主にして破壊者のメルスティーン=ブレイ
ドだがミッドナイトは既に造反しているため対象から外される。

(いま1人は……『不肖は直接お目にかかったコトはありませぬが』)

 再び胸を押さえる。拍動から流れ込む景色のさまざまは『記憶』と呼ぶに相応しい生々しさを有している。燻るビル街で
装甲列車を振り回し惑星破壊クラスの突撃槍を展開する黒ジャージの少女はミッドナイトの母であり、創造主。

 ライザウィン=ゼーッ!

 彼女であれば血縁面でも力量面でもミッドナイトを従わせうるのだが──…

(肉体を失い光速で飛びまわる言霊となった今、交信は……不可能でありましょう)

 ライザの来歴を考えるに妥当な判断だ。
 しかしはてな、しかしどうして彼女にまつわる景色や事情を小札が有しているのか? ライザ生誕は300年後、小札の末
裔の時代ではなかったか。しかも小札の武装錬金は「壊れたものを繋ぐ」ロッドであり時間移動は不可能。

 …………。

 小札の胸奥で幼体が鼓動を拍(う)つ。
 霊獣無銘と呼ばれたロバの霊獣の成れの果てが今はただ不気味な不気味な脈を拍(う)つ。


 それを掻き消すように空が叫び地が唸る。いっそう激しく睨み合う剣客と武侠の威圧で以って震撼する。


「ってまた止まってるし!! いつまでそーやってんのさ!! いつまで!!」

 天地鳴動に恐々としているネコ少女はムガーと地面を一踏みして叫んだ。いい加減こわくて仕方ないらしい。

『いや香美! 武術勝負には仕掛け時というのがあってだな!!』
「しらん!! つかさっきまでガンガンやりあってたじゃん! なんでああいうのができないのさあんたら!! だいたい!
そこの! ええと、ピンクの!!」
 指差されたミッドナイトが微かに反応すると香美は叫んだ。
「あんた! なにやるか勝てるってわかってるならさっさとガーっといく! やる! やらない理由とか探さずに!」
 檄である。「て、敵に声援送るか普通……」「恐らく膠着に焦れたのでしょう」『ネコ時代のケンカは速攻に速攻を重ねる
勢い任せの見本市だったけど! 香美やめて頼むからその幹部メチャクチャ強いから刺激しないで!!』などと呆れ返る
ほか3名も何のその、タンクトップ姿の野生美少女はひっきりなしに指突き出しつつプンスカプンスカ声を張り上げる。様た
るや最早ミッドナイト専属のコーチもしくは監督だ。
「確かにもりもりの技なーんか強そうであたしでもゾワゾワしてるけどさ! 自信あんでしょ!! だったらピンピンしてるう
ち動いたほうが得!! なんかスゴいの喰らってもケガ少なかったらさ、やり返して、かてる! 押しきれるでしょーが!!」
(っの!! これだから下賎な動物型は!! ててっ低俗な癖にこのあたくしはおろかサイフェお姉様より豊かなのも不快!!)
 無責任きわまる岡目八目に耐えかねた武侠の少女、ほんのごく一瞬だが横目で香美を睨む。「?」。深い谷間を持つネコ
少女はなんで睨まれたのか具体的に自分の”どこ”を睨まれたかよく分からなかったが、同体の貴信は真意を解したので
『ひええゴメンナサイ』と戦慄した。
「フ。確かに少年漫画好きな褐色は幼い見た目に反して……だったが、怒るな怒るな大人気ない。相手はネコだぞ?」
「っさいですわね総角!? なに便乗して煽ってるんですか! お黙りなさい!」
 純情なサイフェお姉様そんな目で見るのもフケツ! 鬼のような三白眼と下牙ある口から甲走った鹹(しおから)い声あ
げ抗議する武侠だが、しかしネコ、香美はなおも吠える。
「あんたケンカがいちばんじゃないでしょーが! きゅーびを! まもりに! きたんでしょーが! 何かからはしらんけど!
急ぎっぽいじゃんそれ! だったらやる! すぐ!」
(えっ)
 息を呑んだのは「そうなのか……?」と気付かされた無銘ほか2名で収まらない。ミッドナイト自身さえ軽く目を剥く。
(……言い当てた!? たかが貍奴不来(いえねこ)風情が高貴なるあたくしの真意を……?)
 むふー。愛らしいがボス猫の風格漂う厳しい顔で息を吐いた香美は締めくくりへ。
「やりたいコトあんならもりもり相手にモタついてもしゃーないじゃん!! やる! 攻める! ちょっと失敗してもあんた強い
んだから何とかもちなおせる!! 絶対!! なのになんで攻めんのさ、わからん!! 教える!」
 言うだけ言ってニャーニャー騒ぐ香美の姿にミッドナイトの不快感は倍増した。(手の内を明かせと? なんて無責任で奔
放! あたくしの気も知らないで!! )
 香美に悪意はない。むしろ肯定的とも言える。
 だが無垢な存在のストレートな指摘は時に悪罵以上の怒りを呼び起こす。子供の、オブラートなき言葉が大人をブチ切
れさせるのはよくあるコト。剥き出しな、知性とかけ離れて見えるネコ少女の物言いにミッドナイトは黒く縺れた竜巻をコメ
カミの辺りに浮かべた。
(ま、まあでも? あたくしを強いと褒めたのは評価して差し上げないコトもないですわ)
 ツンとそっぽを向きキツネ指の”耳”でツインテールを梳りつつ、「ああいうのを妹にして導くのもお姉ちゃんの醍醐味でしょ
うし」などと口中呪詛の如く紡がれた言葉を聞き取ったのは総角のみである。彼はただ瞑目し、「フ」と笑った。
「居合いで構えてる最中手を離すとは、余裕だな?」
「ハッ!!」
「斬り込まなかった俺の慈悲に……フ。感謝しろよ? 貸し1つ、だな」      
「う! うっさいですわ!! ああもう真剣勝負直前でおかしなコトに! これだから寧馨児(あのような)ネコは嫌いですわ!」
「フ。お前は犬派だしな」
「そうなのですよやっぱり──…」
 ミッドナイトは無銘を見た。心こそ少年だが姿はチワワの無銘を。
 大きな耳。小さな体。円らな瞳。色んなパーツを見た少女の世界はそれだけで灰色から極彩色へ。
(カワイイ……!)
 崩れる相好。凛然たる目つきも垂れ気味な三本線へと再構成。だらしなく垂らしてデレデレ。頬の辺りからはタンポポが
生産ラインに乗ったように次から次へ飛んでいく。
(やっぱワンちゃんは可愛いですわー! 最高ですわー!! 撫でたいですわー! だっこしてクルクルもしたいですわー!
鳩尾無銘は人間ですからそんな扱いは失礼だと思いますけど、ちっちゃい子をクルクルするテンションで遊びたいですわー!))
 ウフフ、アハハハと夢の世界へ旅立った少女に(絶好の攻め時だけどなあー、これで勝ってもなあー)と困り果てたのは
総角で、彼は仕掛ける代わりに「フ! フ!」と唇に拳当て咳払い。
「はっ!」
 階段下のスイッチを入れたかの如く深夜(ミッドナイト)の闇に光がともる。再起動した思考回路は蓄電しつつも逐電したが
る微妙な色合いを見せる。
「……むうーー!」
 呻きは夢見を妨げられた怒りか、それとも露もない姿を見られた照れか。格下と見下していた筈の相手から情けを施さ
れ生き延びた恥ゆえかも知れない。とにかく毛先からオレンジ→ピンクの派手グラデのツインテ少女は唇尖らせつつ総角
を睨む。
「……。なんで俺が悪いみたいなってんだ?」
「恋人……。仇……」
 恨めしげな──ただし声音はうっかり喰われたアイスクリームを忿(いか)るような調子で、そういう意味では彼女の恋人
の扱いは少々不憫だった──指摘に「うん、まあ、そうなんだが」と総角は頬を掻いた。調子はすっかり狂っている。
「なんなんですかあのネコ型は!! なんで武装錬金も満足に使えぬ相手に2人して乱されてるんですか!!」
「フ。伝聞だがネコ時代の奴はケンカに介入しては当事者総てを呆れさせ白けさせていたという。奇妙だが徳のある停戦
というアレ、いわば傑物だが……フ。そんな奴さえも部下にしている俺の器、素晴らしい」
 後半は答えになってませんわよね? 軽く困惑するミッドナイトの思考を再び空白に塗り替えたのは香美の大声。
「あともりもり!! あんたもさっさとやる!! ピンクの目的あんたじゃないんだからモタモタしてたらメーワクじゃん、メー
ワク!! ふだんえらそーな癖にあんた時どき役にたたん!! たたん!!」
 ええー。情けない顔をする総角。右肩の辺りで衣服がズレた。「部下ぁ?」。からかいを混ぜたミッドナイトの笑いに「いやで
もアイツの主人は部下だし……」と口ごもる総角だったがそのラインで会話を続ければ全部香美に持っていかれるのは明
白、シリアスな方向へ意図してスイッチ。真顔になる。
「いいか。例え香美がいなかったとしても」
「え? あ、ええ」
「必ず小札が実況でブチ壊していたさ…………!」
「結局ブチ壊されるのですのね部下に! 部下に!!」
「フ。結局俺もお前も最初から居た、という訳だ……! 壊れかけの魔力炉の前に……!」
「知りませんわよ。というかカッコつけても繕えてませんわよ」
「ホラもりもり、さっさとする! 負けてもぎゃーせんのだからピンクのために急ぐじゃん!」
 なおも続く香美の野次に「はあ」と溜息をつくミッドナイトは鏡像の如き表情を浮かべる総角に決意を固める。
「急ぎますか。ネコ型の言うとおり時間もありませんし」
「”後”がありそうな以上、フ、俺も無為な睨み合いで体力使いたくないし、何より」
 チラと認識票を見る総角。同時にミッドナイトの意識も鞘中の剣に向く。

((お互い隠し手が『まだある』以上は!))

 薄墨を含んだような綿雲が青白い三日月にかかる。


 先に動いたのはミッドナイト。僅かな踏み込みに呼応した総角は地を蹴る。九撃同時発動に移行しつつ猛然と前進する筒
型の体。前方の中国武術系少女が屈んだ瞬間総角の脳髄をごく僅かな時間過ぎったのは当然ながら……『伏せる虎』。

 だが彼は知る、虎以下にして虎以上の、猛威を。

 ペロリと横向き悪戯っぽく舌を出すミッドナイトは旋風立てつつしゃがみ込む。移行したのは両膝を脇の横に立てる独特な
座り方に。幼児が真似る犬猫の「おすわり」にも似ていたが目指す物はまるで違う、違っていた。
 ググ、グググ。いわゆる四股の構えでしゃがみ込むのは誰にだって割合できるが、ミッドナイトは股関節が地面に着くまで、
やれる。恐るべき柔軟性だ。柔軟性を以って彼女は脚部というバネを極限まで縮ませ弾性を蓄え──…
 左手を、居合い用にと構えていた鞘からバっと離す。そして五指を広げた状態で両足の間にポンと置く。
 支えを無くしクルクル周り残影で「卍」書く鞘を受け止めたのは蛇、ミッドナイトの後ろ髪が変じた白き蛇。上下の顎でグっと
鞘咥えその座標をググイっと微調整、日本刀でいう鯉口の部分をセットしたのはあろうコトから少女の顎の下。
 奇怪。座位であろうと居合いにおいて鞘は腰にあるべきもの、だが絶対番地を軽く無視したツインテール少女は顎の下で
剣柄を当たり前のごとく握り締めた。スローの世界の中、残影曳きつつ迫る総角。
 確かに伏せれば九頭龍閃の大半は回避可能、だが高貴と喧伝してやまぬミッドナイトの秘策がそれ? せせこましきに
堕したに見えるは飛天の秘奥の圧倒的格式に恐怖したせいか? 或いは難度高き居合いにとうとう音を上げ日和った故? 
いや違う、どちらでもない! それまでしゃがみ込んでいたミッドナイトは前方斜め上方めがけ跳躍した! 武術的鍛錬に
よって優艶極める豊麗さを獲得した大腿部が筋を上げミチミチと鳴るほどの爆発的加速だった。

『象形拳』。

 もっとも有名な物は蟷螂拳だろうか。鷹や虎といった動物は言うに及ばず時には酔客すら模する中国特有の武技を少女
は居合いに応用し活用したのだ!
 舌を口よりバシュリと撃ち放ち獲物ごと引き戻すカエルと居合いの共通項を否定できる者は少なかろう!

『天鶏剣・新(シン)』

 天鶏とは中国におけるカエルの別称である。露の化身とも言われている。しゃがみ込みからの跳躍もまたカエルのそれで
あり、居合いそのものの速度を倍加させたのだが──…

 はてな。確かに術技(ソフト)こそ居合いに特化したがしかし武器(ハード)の方はそもそも居合いに不向きでなかったか? 
反りのある日本刀でのみ成立する居合いを反りのない中国剣でどうして敢行できるのか?

 その秘密は武装錬金特性にあった!

 ミッドナイト=キブンマンリの中国剣の特性は『重力角操作』!
 余剰角や欠損角を操るコトで空間そのものを歪める!
 実際彼女の母親に当たるライザウィン=ゼーッ! は重力角操作で幾度となく武藤ソウヤ一派を苦しめた。
 その重力仕様、同系統のヴィクター=パワードが『点』とするなれば

 『面』!

 時空を枉(ま)げる面文法は最大出力すれば術者すら時の彼方に追放するほど……強力!!

 それが反りなき中国剣に、作用した!

 場は、曲がった。中国剣は鞘ごと空間ごと湾曲した。湾曲によって反りのある日本刀と同質の武器と化した。剣の断面も
また中国固有の菱形から日本伝統の舟形へと変化した。

(ですがまだまだ!! もう、一味!!)

 アゲな武侠、跳躍の風にツインテを靡かせつつ一瞬両目を不等号にしてから勢いよく景気よく口を開いて、笑う。

 ただなる居合いであれば例え象形拳にて中国ナイズドしても九頭龍閃には及ばぬだろう。カエルは蛇に負けるのだ、まし
て蛇すら九似の一つと軽んずる龍になど本来とてもとてもだ、ミッドナイトは踏まえている。逆輸入しても居合いは居合い、
中国には本来ない。総角の揶揄じみた「にわかカンフー」? 百も承知だ。

(それを覆すのもまた!)

 武装錬金の特徴であり、特性!

 双剣。中国剣の一種である。2本の剣を1つの鞘にあたかも1本の剣の如く納める武器。ふだんミッドナイトは重力角操
作の応用で双剣同士を磁石でやるより強烈に”くっつけている”が状況次第でそれを解除し……双剣として、運用する。

 そしてミッドナイトの武装錬金は『陰陽双剣』。本来陰陽双剣とは高名な「干将」「莫耶」の剣2本を指す言葉、絵画として
は半ば「中国刀」として描かれるコトが多い武器。だが武侠少女はあくまで一般的な「双剣」の延長線上として発現している。

『陽』の模様は亀裂にて亀文。干将の系譜。
『陰』は模様は水波にて漫理。莫耶の意匠。

 2本または0.5本の剣として、1つに纏め、鞘に収めている。

 ……。

 剣が居合いのため鞘から全身を現した瞬間、接合は解かれた。ミッドナイトは「天鶏剣・新」の真っ最中、柄握り締める右
拳をゆるゆると半開きにし、器用にも、双剣のうち片方からパっと手を残した。それは『陰』の方で、相方が属性どおり右上
に切りあがっていく後ろで残影残霞の如くとり残され……かけた。かけたというのは結論からいうと『陰』もまた一拍挟んで
居合いに参画したからだ。

 あらましは、こうである。

 第二の重力角操作が、『陰』のみならず『陽』に作用した。場所は双方とも剣尖である。そこもまた曲げたのか? いや
違う。『鈎(かぎ)』の重力場を発現したのだ。『陽』の方は剣身と平行に突き出す形だったが、『陰』の方は分割によって
剥き出された鉄の断崖の方へ鎌首もたげ迫り出す様子だ。
 2本の剣はまだ分割されて間もない。『鈎』は上記の位置関係で発動した。するとどうなるか? 噛み合う。平易な言い方
をすれば2つのフック同士が絡み合った。顎下を抜刀の起点にしている都合上、ミッドナイトの視界スクリーンの中で2つの
白刃が、縺れ合う巨塔のようなスペクタクルを描く。

 かくて取り残され”かけて”いた『陰』は鈎によって『陽』と連結、相方ともども居合いに参画した……!

 剣尖に剣尖を引かれる都合上、縦に180度反転した『陰』はその回転運動によって更なる加速を手に入れた。加速は
相方をも引き居合い全体の速度を高める。振りかざした三節棍の一番先は鎖可動でそれこそ居合い並みの速度を手に
入れる。鈎連結の陰陽双剣もまた”それ”だった。不可視領域に突入した剣は銀色の雷光となって総角めがけ降り注ぐ。
やっと遅れて響いたチャラリという小気味いい金属音、ミッドナイトは陶然とした確信の笑みを浮かべる。

(鈎運動で初速は倍! しかも剣同士が連結したため間合いも2倍! いかな九頭龍閃とて遠間でツブせr──…)

 桃色の産毛という産毛が逆立ったのはむせ返るような威圧に全身を包まれたからである。重油をたっぷり滲み込ませた
雷雲。あとちょっとの活動で事故った水素飛行船のような”ありさま”になるのが明らかな危険領域に放り込まれたとミッド
ナイトが知覚したのはもうとっくに眼前3mまでに迫っている総角とその九撃を見た瞬間だ。

(……速い!!)

 想像を超越した速度で懐に潜り込んでいる剣客にさしもの高貴も冷や汗だ。九頭龍閃への測距3mは悪ければ向かいく
る高速ジェット以上、最良でもF1クラス。

(そんな馬鹿なですわ! 4倍ですのよ?!? 単騎でも準神速の天鶏剣を4倍してなお総角の方が、速い!? ありえな
いですわ! いかに格式高き九頭龍閃といえど使い手は未熟、身体能力のみであたくしの4倍速を上回るのは不可の……
待って! 『身体能力のみでは』? まさかッ!!?)

 許諾したのはミッドナイト。許諾されたのは日本刀以外の、『他の、武装錬金』。

 焼尽しきった黒色火薬の一部が総角の肩のあたりで散るのを見た武侠少女は思わず顎先の鞘を取り落とす。核鉄由来
の金属製がカンカンと派手な音たて後方に転がっていくが状況が状況、居合いも既に終わっているからかミッドナイトは一顧
だにせずただひたすら食い入るように正面(あいて)を見る。

(ニアデスハピネスでスタートダッシュ!!? 最善手ですけど、持ってましたの!?)

 この当時、創造主はまだ13歳。武装錬金習得はおろかその遠因となる発病すら「まだ」である。彼のDNA情報さえあれ
ば複製可能と知っているミッドナイトでさえ瞠目せざるを得ないまさかの登場、(「まだ」錬金術に関わっていない彼の細胞を
どうやって……!? いや、『なぜ』採ろうと!? 総角、未来からあたくしと違って「正史」は知らない筈なのに!) 思いつ
く糸引き人は総角と親交あると伝え聞くバタフライだが超神速ならぬ蝶神速の技が来ている、追及の余裕、なし。

(それを差し引いても威圧感は想像以上!! 初見の衝撃が実体以上に恐ろしく、見せている!)

 慟哭が世界情報を遅延させる。痛いほど心筋を鳴らす頻脈。スローになる世界。連結剣の居合いも総角の接近も何もか
もが水中にあるが如く緩やかに進行する世界でミッドナイトは確かに見た、聞いた。総角の表情と、声を。

「親しきに初見殺し施す趣味などなくてな」

 霊体、というべきだろうか。半透明した美青年の顔がヌラリとミッドナイトの眼前に現れた。九頭龍閃が到達した訳ではない。
もう1人の、というか肉ある総角(ほんたい)は凍てつく時空の中、先ほどの位置で最低速の徐行中だ。半透明な彼は剣気
の成せる技かも知れない。そちらの総角は、言う。

「フ。そうさ。九頭龍閃はあまりに速くあまりに強いため予備情報なしで繰り出せばほぼ間違いなく勝てる技。故に俺は認めた
相手、昵懇なる者には必ず一度見せるようにしている」

 例えば、早坂秋水。戦友ならぬ剣友になると見初めた彼と総角は後に再会するが、そのとき総角は、来たる対決を見越
し予め九頭龍閃を見せた。サインペンによる顔面落書きといった他愛もないイタズラによってさりげなく切り札を伝えたの
だ。結果秋水は、決戦に際し紙一重ながらどうにか初見殺しな九頭龍閃を凌げた。

「言わなければ確実に勝てる訳だが、フ、飛天の正当継承者でもない俺が借り物の不意打ちで常勝するのは醜い、からな。
親しきに初見殺し施す趣味などないとはそれさ。手の内を晒し、対等に戦った上で……勝つ! でなくば俺は強くなれん、
最も斃すべきメルスティーンを斃すに足る力を得られない……! ……フ。以上、『と、言うのが普段の思惑だが』)

 圧縮された情報が刹那の間にミッドナイトの脳髄を駆け巡る。力説の隙に動くという最善手は流速低き時の平等性に塗り
潰された。(手が……速く、動かない…………!) 悪夢の中で走ろうとした時の「異様な重さ」が四肢にかかっている。鈍麻、
させられている。

「フ。初見殺しの初速を更にニアデスハピネスで増させて貰った。そんな全力を求めたのは他ならぬお前。フ、満足だろ?」

 その間にも九頭龍閃は長閑(のどか)な速度ながら残影引きつつ迫っている。軌道的に間違いなく居合いでカウンターは
取れるが重力角連結によって期待した剣2本分の距離(アドバンテージ)はとっくに失効している。遠間で発動前にツブすと
いう目論見はとっくに瓦解だ。歯噛みするミッドナイト。

(これほどまでに速いと知っていればもっと修練して挑めたのに……!!)
「というカオをするさ、初見はな。フ。だが悪いのはミッドナイト、お前だ」
「……?」
「フ。お前は俺を仇と呼ぶしそれはかなりの事実だが、同時に恩ある僚友3人の妹でもある。別に後顧を託された訳でも
ないが、温情のかけようはあった。手の内を晒してやってもいい義理はあった」

 だが。ククと皚(しろ)い歯も露にドス黒い笑みを浮かべる金髪貴公子に武侠の少女は不覚にもゾクリとした。

「高貴を気取るお前だ。恋人の仇に情けをかけられ勝つのは屈辱だろ? まして負けたら……フ、自害ものの恥だよなあ。
最強の眷属が、格下に、教えて貰って、負けたら、恥だよなあ。とはいえ? お前ほどの相手に勝てると嘯くほど俺は傲慢
でもない。ただなあ、万が一というのが、あ る か ら な ァ。いやはや全力を許諾してくれて、あ り が と う」
(この顔……! 破壊者(メルスティーン)のそれ……!!)
 少女は想起する。母の仇を。仇から生まれたクローンは倩(うつく)しい剣客だが今は顔を歪めに歪め嘲笑する。剣技勝
負に競り勝つための『無形の攻め』、心理攻撃で度を失わせるため敢えて過剰な表情を分泌していると理性では分かって
いるミッドナイトだがそこかしこに播かれる動揺や激発は止められない。種火が少しずつ、燻っていく。
 総ての様子を見透かしたように
「フ。それだ。その顔が面白いから初見への霊体挑発はやめられん。もっと見せろ! わななけ! 悔しがれ!! フフフ。
フフ。ククっ、フハハ!! ハーッハッハッハ!! はははは!!」
 そっくり返った顔の、上半分に右掌貼り付け一頻(しき)り声上げて笑った幻影はピタリと真顔になり、告げる。見下すよう
な姿勢と目線を保持したまま、こう告げる。
「お前が悪いのさ。俺を仇と呼ぶコトじゃない、弱さで高貴に縋ったから悪いのさ。己に自信が持てぬから必要以上に誇り
をうるさくするのは高貴じゃない、『ありふれた人間感情』だ。俺も浸ったから分かる。否定はしない。だが鏡を砕かんとす
る移し身の俺を過ぎ去った虚像の柱で倒せると思ってくれたコトは、舐 め て くれたコトは……フ。ちょっと許しがたくてな」
 だから手の内は明かさなかったのさ。訓告と呼ぶには軽すぎる調子が晨(あした)する。
 時が、解凍され始めた。白煙あげて元来の神速に回帰しゆく九頭龍閃を前にミッドナイトは霑(うるお)い尽くした背中に気付
き唇を結ぶが……敢えて開き、呟く。
「偽悪者ですわね、あなた」
 煽り返すため用意した筈の言葉はしかしどこか哀切と好感に湿った物となった。
「そこまであたくしの心見透かせるなら、『倒せる』の部分が『倒せると信じたいけど怖々してる』って位、嘗めかけるたび油断
ダメって真剣に向き直ってるって位、わかっているでしょうに……」
 他ならぬミッドナイト自身思わぬ素直さに驚いたが、言葉が自分でさえ予想外の方向に転がっていくのはよくあるコトだ、
『ありふれた人間感情』とはそうなのだ。繕う方がむしろ軽く見られる……そんな無意識に潜む見栄っぱりな勇気が、憎い
はずの『恋人の仇』に発動した瞬間からミッドナイトの、総角主税に対する感情が少しずつ変わり始めていくのだが、今は
まだ本題ではない。
 そこまで悪ぶっていた霊体が思わぬ吐露にグっと息を呑むのが見えた。皮肉だが、飾らぬ純真が挑発より、効いた。
「ホント不器よ……いえ、事実を自分に都合よく編集して煽るペテン師なんだから」
 まったく。しょうがない弟を諭すような微笑を浮かべた少女に、総角の幻影は珍しく拗ねたように
「……フン。初見では到底全撃対処しえぬ我が最大の術技、篤と味わえ」
 鼻を鳴らし、精一杯突き放す物言いをしながら、消滅。

 今しがたの微妙なニュアンスを孕んだ対話で以って和解できればどれほど楽か……万能を気取っている癖に幼児でさえ
できるコトが矜持ゆえにできない己を嘆いてるのは必ずしもミッドナイトだけではないのだ。

 少女の視界は怒涛の気圧を爆裂させながら緑化した。山のように縺れながら不気味に胎動するくすみきったグリーンの
波に目を凝らしたミッドナイトはそれが鋼のような鱗に覆われた龍の首であるコトに気付く。首によって総角の体と結わえ
付けられていた九つの頭が、龍が、一斉に口を開き襲い掛かる。半ば武侠の心象世界と融合した世界全般へ俄かに黒雲
が立ちこめ金色の雷鳴が轟いた。

(どうしたものですかね、これら)

 武技勝負の心の交差が時にもたらす『全力疾走後の汗の気化熱にも似た爽やかさな余韻』へ浸る暇(いとま)は今のとこ
ろ存在しない。なにぶん龍たちの頭が大口開けて迫っているのだ。九頭龍閃の斬撃は神速ゆえに回避も防御も不可能、
射程はすでに3m、普遍的実力の持ち主であれば膾切りは免れ得ない。戦神の眷属と呼ぶに相応しき力を持つミッドナイ
トでさえ無傷の完全勝利は遠き夢想に成り果てたと肝を冷やす。

 双眸を蒸発した血の色の如き染め咆哮しつつ迫る龍たちに、わずかだが。ごくわずかだが兄たちを訓練で圧倒する最強
(ははおや)を見た時の戦慄さえ蘇ったが、

 錯乱と幻覚に塗り固められた視界の片隅。一瞬見過ごしそうになった部分を強く強くフォーカスして捉え直した瞬間、少女
の心の折れかけた部分が屹然と再生する。見えたのは……割れ欠け落ちた心象世界。そこだけは本来の世界を覗かせて
いた、そこだけは本来そこにいる人物を……覗かせていた。鈍行から特急にシフトしつつある時の中、「彼」を見たミッドナイ
トはただ粛然と燃える。

(負けられない……!!)

 鳩尾無銘。

 愛犬と同じ姿を持つチワワは今の少女にとって総てだった。

 最後の、希望だった。

(彼の前で負けるコトだけは……したくない!!)

 九頭龍閃。総てが一撃必殺の威力を有する斬撃九つはとうとう武侠に迫り、振りかざされ。




 光と衝撃によって暗転した。









 貴信の目が捉えた対決の趨勢は『激突』の一言に尽きた。8mを挟み相対していた総角とミッドナイトが電瞬の奔流と化
したと見た次の瞬間にはもう野牛のようにブツかり合っており、更には反発しあう電磁結界を有しているかの如くサイバー
な小規模爆発群を散らしつつ互いが互いに弾かれた。瞬く無数の稲光の多彩ときたら48色の色鉛筆を扁平な缶ケースか
ら総て総てブチ撒いたようなありさまだった。
 そして後方めがけ吹き飛ぶ両者。双方とも軽く20mは飛び……畦道の埒外へ。
 剣客は鏡面の如く輝く田圃(デンポ)へ叩き込まれ水銀のような飛沫と泥くれを飛ばし、武侠は後背地織り成す小高い傾
斜の雑多な草木をバキバキとへし折りながら砂塵に没する。「田園だけあり川沿いだったか、あの傾斜は堤」、無銘の口を
一瞬占めたのは忍びらしい地形把握だが懸案は別にあると即座に気付き軽く瞠目、だが喋るより早く香美によって代弁さ
れた。

「えと、コレ、どっち勝ったのさ!?」
(一部始終は全く見えなかった……! 何があった? いったいこの一瞬で、何が……?)
 疑問が紐解かれるのは少し先の貴信がひとまず落ち着いた所感を小札が叫ぶ。

「なんにせよお二方とも切り札を使ったのは確か! 決着がつかなかったとしても盤面は相当の転機を迎えた筈!」


 遠くからの闊達なる大声を泥水まみれで聞く総角。端正な顔が歪むのは胴体に刻まれた傷のせいだ。右脇腹から左肩
へ走る斜めの傷は消化器系や肺にまで達する極めて深いものであり、出血は一向止まらない。


「あの時……」


 ミッドナイトは九頭龍閃のうち

     壱
  捌    弐
漆   玖   参
  陸    肆
     伍

「陸」→「玖」→「弐」を居合いによって迎撃した。刀を見事砕き、総角自身にも右切り上げによる深手を与えた。

 残された九頭龍閃の斬撃は6つ。だが!

(手応えが浅い!? 勝負を賭け力を込めた胴斬りなのに!?)

 直撃後すかさず二刀流による追撃に移る予定だったミッドナイトが、剣2つの連結さえ解除しかけておきながら、絶好の仕
掛け時に、虚脱によって停止せざるを得なかったのは──…

 とある一撃のせいである。

 痛覚は、左肘から走った。
 チャラリという音と共にバウンドする鎖分銅が紫の水晶球のような瞳の片隅に移った瞬間、ミッドナイトは驚愕と共に理解
する。「ハイテンションワイヤー!?」と。クリーンヒットの一瞬に限って対象からあらゆるエネルギーを抜き出す栴檀貴信
の武装錬金に加勢を疑うほど愚かではない少女は『誰』がそれを放ったか間違えはしなかった。「フ」と笑う総角めがけ跳
ね返って飛んでいく鎖分銅は彼の幻影がミッドナイトへ飛ぶ直前、密かに打ち放たれていたものである。
(っ! どうやら脱力! 天鶏剣さなか既に! 蝶から咄嗟に切り替えて!?)
 だから威力が削がれ総角は深手程度に収まった……と理解した武侠は青ざめる。
(まずい! エネルギー抜粋された者は一瞬ですが無抵抗になる!)
 だがその一瞬は超神速の九頭龍閃の前に於いては一時間。致命的な隙になりうる。
(と言うかこの特性って確か体接触なしじゃ使えぬ筈! 両手両足とも九頭龍閃に動員中なのに……どうやって!?)
 疑問の氷が憤怒の炎で溶かされて水蒸気爆発したのは、総角の、流れるような金髪に、鎖が結ばれていたからだ。
(髪に絡まるよう発動させた!? ってソレあたくしのっ、あたくしのパクリじゃないですか! ずっこいですわーーーー!!)
 ヘビのような後ろ髪で数々の動きを敢行してきた少女だからこそ心の中で両目の輪郭をもこもこさせて涙飛ばす。

(全力で来いと併用解禁を促したのは間違いなくあたくしですけど! そこまでしますか、ほぼ初見をパクってまで!?)

(しかも鎖軌道は大外からのアンダースロー! あたくしの右腕の下から左肘方面へ流れ込んだ!)

 武侠が空前絶後の苛立ちに歯軋りしたのもむべなるかな、
 ハイテンションワイヤーは見事に彼女の死角から回り込んでいた。既に述べたがミッドナイトの居合いを日本刀で例えた
場合、鯉口を顎下に置く特殊な構えだ。その状態で右腕を使い抜刀すると、当然ながら視界の右半分は彼女自身の腕に
よって塞がれる。つまり……『下』が見えなくなる。下から投げられていた鎖分銅を、見えなくする。

(狙いが『左肘』なのも性悪ですわ!! 寄りにもよって顎の辺りで鞘を支えていた左腕の『肘』を狙うなんて! まったく気
にもしていなかった死角急所を総角は衝いた! 性格悪っ!! あたくしが屈んだ次の瞬間に天鶏剣のフォームを完璧に
読み切り! 対策すら施すなんて!)

 武装錬金併用を無言で唆したのはミッドナイトだから、ハイテンションワイヤーを読めなかったのは落ち度……と言うなか
れ。総角が九頭龍閃を使う以上、「両手で刀を持つ」と思うのは当然だ。両手で刀を持つのなら「それ以外の手持ち武器は
発動不可、使ってこない」と無意識のうち疑いもせず信じ込むのもまた当然だ。敵が、切り札を使う以上、文字通りの片手
間になる非入魂をやらかすなどとは、武侠たるミッドナイト、我が身に置き換え「在り得ぬ」と一蹴していた。
 よって九頭龍閃補助に使われる武装錬金は、不定形か装着型の「持たずとも使える」ものとミッドナイトは知らず知らず
思い込んでいた。根拠もないのに、勝手に、思い込んでいた。

(その心理的盲点を総角は衝いた訳です! よりにもよってあたくしの髪武芸の、真似っこで……!)

 不定形……ニアデスハピネスの残滓がハッキリ見えたのも悪かった。時系列的に有り得なかったからこそ、衝撃を受け
たからこそ、「それで終わり」と勝手に思っていた。

(考えるべきでした……! むしろ何故『スタートダッシュだけで消えたか』と! 黒色火薬の加速ですわよ、ならあたくしに
届くまでずっと定常燃焼するのが最善以上の最善! なのに、それが、初速だけで消えていた、のを! あたくしは見て
いたのに追求できなかった!! どうして『スタートダッシュだけで消えたか』と、考えられなかったのは不覚!)
(だがそれはお前の居合いが俺の予想より遥かに速かったからだ。本当は黒色火薬の最大ブースト継続によって「先の先
の」更に先を取るつもりだったのに……)
 スタートダッシュした向(さき)で既に居合いが待ち構えていた。もし速度を緩めずに突っ込んでいたら却って居合いのカウ
ンターが強力になっていた、胴体が斬り飛ばされかねないから総角は咄嗟にニアデスハピネスを解除! ハイテンションワ
イヤーへ切り替えた! むしろ鎖分銅を髪に結わえるため蝶の翅を消したと言えるかも知れない! 

(そして九頭龍閃より早く、そして速く! 打ち放つなんて! 結び辛くて動かし辛い髪なのに! 切り札の直撃直前にヒッ
トするよう、間に合わせるなんて!! ダメ押しは霊体挑発! あれが更にあたくしの目を鎖から外した!)

 これは無銘を忍びに育てたが故の戦法だ。総角が剣客一筋ならまず浮かばなかった。

 ともかく鎖分銅によってエネルギーを抜かれたミッドナイトは僅かの間だが静止した。僅かな間というが九頭龍閃が3mの
近きに迫っている喫緊の状況に於いては致命的という他ない。
(ですが、まだ!)
 ハイテンションワイヤーのエネルギー抜粋によって虚脱した者は普通一刻も早く動こうとして……力む! だが中国武術
を修練し続けてきたミッドナイトは事態を把握するや真逆の発想に行き着いた! 

(九頭龍閃到達前までの刹那に、現在ゼロの力を10なり50なりに戻すのは可能? いえ不可能! ならば!)

(ゼロのままで取れる行動こそ……選ぶべき!)

 消力! 完全脱力状態からの攻勢もまた中国武術の秘奥! 居合い発動直後という一種の虚脱状態にあったのもまた
彼女の力みをいい意味で奪い去った!

(総角があたくしの脱力を望むならとことんまでしてやりましょう)

(剣に纏わせている重力場を解き放つという……脱力を…………!)

 結果としてその発想が九頭龍閃の八撃砕く奇跡を生んだ! もし凡百の戦士の如く脱力に慄き従前への力みを敢行し
ていればミッドナイト、負けないまでもかなりの深手を負っただろう!

(よし! 取られたのは肉体のエネルギーのみ! 体と違って武装錬金……操作(うご)かせますわ!!)

 中国剣を居合い向きに歪めるため蓄積されていた重力場が四方八方に弾けた! 弾けて余剰角と欠損角のカケラに
バラけたそれらはミッドナイトと総角の間の空間を……歪めた! 向かい来る青年の姿がグニャグニャにモーフィング!
 そも空間距離に干渉するのが重力角2つ! 紙製のトンガリ帽子の材料たる扇形のどこか一部分を切り取ったり、或い
は余計な紙を継ぎ足すと、帽子の円周は明らかに狂う! 同じ高さの部分であっても切り取りと継ぎ足しのそれら2つを比
べれば明らかに変化する! 欠損角とは正にそれ、余剰角とはまさにそれ!
(折り紙で例えてもいいですわ。微生物が折り紙の対角線ABを走破する場合、

(1)まっさらで平らな物
(2)くしゃくしゃにした為、AB間に山や谷が出来上がってしまった物

 のどちらが果たして道のり困難か、問うまでもありませんわ!)
 かくして欠損角余剰角によって(2)へと成り果てる総角とミッドナイト間! それは僥倖! 術者すら把握不可の歪曲空間
は彼我の距離を稼いだだけでなく……期せずして九頭龍閃に、穴を! 開けた!
(ツイてますわ! 彼との距離が開いたのもですが、本来なら同時に発動して同時に相手へ届く筈の斬撃残り6つが!!)
 欠損角余剰角によって空間がデコボコにされたため、ミッドナイトへの距離を不均一なものとされた! 
 それは『時間差』が生じたコトを意味する! 各斬撃とターゲット間を示す線分ABを乗せていた空間(おりがみ)にグシャ
グシャの山折り谷折りが付いたのなら真上から俯瞰されるABの相対距離は異なった物へと化す、化すのだ! 正面から
見た九頭龍閃、Aは4つの角と4つの辺中央、正方形中央に合計9つある! だがそれらの距離は空間の歪みによってバ
ラ付きが生じた! されば等速ゆえに同時到達など最早不可! 『時間差』とはそれ、正にそれ! 本来ならば同じ開始
で、同じ速度で、同じ距離で、同じ刻限で、相手に直撃する筈だった飛天の秘奥はしかし重力角によって均一性を乱され
た! 最も己を足らしめる同時性を……奪われたのだ!
 そうなった九頭龍閃などやや強めの龍巣閃程度の『格』しか持たぬ! 格だけが怖い双剣少女には打ちごろ、各個撃破
の切り取り勝手!
(これは当初選びかけるも小細工が過ぎると自省し却下した九頭龍閃対策そのもの! しかし鎖虚脱からの消力が偶然
呼び起こした以上は最早小細工ではなく武術の天啓! 割り切らせて頂きますわよ総角! 全力には全力を返すのみ!)
 これで時間が稼げた、力が戻り始める四肢に会心の笑みを浮かべるミッドナイトを
「反射モード! ホワイトリフレクション!!」
 無数の白い線分で幾何学的に繋がる空間が眩く照らした!
(なっ!?)
「フ。読み通り欠損角ありがとう。欠損にて『空間壊す』角をばありがとう」
 マシンガンシャッフル! 壊された物を繋ぎ合わせ自由に操るロッド! それはいつの間にか総角の髪先で鎖とすり替わり
現出している!!
「そして余剰角は”置き”の攻撃、フ、つまり! そんなものが結界上にあれば!」
 総角の霊体が指を軽やかに弾いた瞬間。
 反転! 重力の歪みが弑逆の動きに移りかける! (確かホワイトリフレクションは倍返しの障壁……でしたっけ)、素早く
動くにはまだまだ力不足な手足を感じながら武侠は冷然たる目つきをし──…

「がっ!!?」
 衝撃の苦鳴が、奏でられた。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・
 総角の口から、奏でられた。

(なっ……!)

 彼は見た。自分を守るはずだった障壁が爆発するのを。突如として巻き起こった正体不明の凄まじい高熱と閃光の奔流を
回避する術はなかった。ミッドナイトへの反射に続けとばかり地を蹴り九頭龍閃の速度を上げた瞬間に、『来られた』のだ。
バックドラフトめいた壮絶に自ら突っ込んだと理解した頃にはもう遅い。皮が焦げ肉が焼けた程度では済まなかった、鼻から、
口から、入り込んだ閃熱は気道粘膜すら黒く焼損させながら駆け抜け気管支すら爛れさせた。「がっ」という不明瞭な叫びは
呼吸器系にダメージを負ったコトによる歪な咳。ぬるついた肺細胞に塗れたあぶくの喀血が幾つか地面に落ちた。

(ホ、ホワイトリフレションが俺に向かって爆ぜただと!? なぜ!? 事故!?)

 一瞬だったがゆえに壮絶な爆光が収まるや総角はただただ驚倒した。障壁を展開し防備を整えた瞬間突如として巻き起
こった不可思議の奔流! 叡智を旨とする彼でさえやや呆けたが、にまりと微笑むミッドナイトを見た瞬間なんらかの事態が
動いたと気付き……気付(きつ)けを得る。

(そうか! 障壁自体は正常に動いた! 原因は……!)

 純粋エネルギーを炸裂しうる武装錬金、つまりは! いま持っている──…

(ソードサムライXのエネルギー放出が跳ね返された!! だがなぜ暴発した!? 確かにハイテンションワイヤーで抜き出
したエネルギーこそ『終盤への布石』のため蓄積してはいたが、暴発し障壁で倍返しにされるようなヘマなど、する筈が!)

 どこに原因がある……複数展開中の愛刀を見渡した総角の視線が凍りついた。
 目をいやおう無く留めたのは、九頭龍閃『参』、左薙ぎを担当する部位である。そこの刀が…………粉々に、砕けていた。

(ばっ、馬鹿な!? 居合いの軌道外にあった『参』がどうして破損している! 暴発との関係は!?)

 破砕した『参』の刀。叩き割られたという生易しい損壊ではなかった。中央の辛うじて繋がっている部分すらペンチに捻ら
れたアルミ板のごとく捩れに捩れている。舞い散る破片はもっとひどい。ひしゃげたり潰れたりだ。「壊れたものを繋ぐ」”だけ”
のマシンガンシャッフルでは直せないと一目で分かる大破壊だった。

(原因は分からぬがヤバい! 居合いに続きこれで4つ目! 九頭竜の首が4つも狩られた……!!)

 そして砕けた刀が吐瀉したてのエネルギーをばちばちと傷口から迸らせているのを見た総角、策士が相手に投げかけう
る最大級の賛辞を浮かべる。すなわち……『してやられた』という表情を。

(『まさか』! ミッドナイトがしたのは、まさか!!)

(消力ですわよ、それも)

 ふふん。心の中で指を立てた武侠少女、それをば「ちっちっち」と得意顔で振りつつ、解説へ。

(さっきあたくしは剣2つを脱力させ重力場を開放した訳ですが、考えても見なさい総角。天鶏剣の居合いは『重力角』の
『鈎』にて、フックにて、陰陽2つの剣を連結させ遠心力で打ち出す物。なら──…

連結部を、鈎を、解除された先頭陰剣は、果 た し て ど こ に 行 っ て い た の で し ょ う ね ?)

 傘を2本用意する。曲がった柄を絡ませたまま、後方の傘の尻を持ち、斜め前方へ振り上げる。その運動中においては
2つの傘、遠心力で連結を保っている。だが中空で柄の片方または両方が折れるなりして喪失すれば? 先頭の傘は彼方
めがけスっ飛ぶ。当然だ。

 ミッドナイトの先頭の剣・『陰』もまた同じ道筋を辿った。唯一違うのは、実はその表面にだけはうっすらとだが重力場
が残っていたという点だ。

(脱力を考えかけた瞬間、あたくし気付きました。手で直接持っていた『陽』はともかく、居合いで物凄い遠心力がかかって
いる『陰』だけは重力場を解除してはならないと。だってそうでしょう、手の内にないのですから。『陽』と重力角で連結して
いたに過ぎないのですから。そんな唯一の戒めをも脱力で解いてみなさい、間違いなく遠くへ飛んじゃいます。そうなったら
あたくしは剣1本で九頭龍閃を迎撃する羽目に……。ソレだけは、なりません。回避です。……とね)

 故に重力ベクトルを下に向け、すぐ手の届く場所へ落ちるよう仕込みかけたミッドナイトだが、その時ふと閃いたのだ。

(全力の総角が相手である以上、剣への保全措置のみで貴重な時間を浪費する訳には参りません。『剣が落下する』とい
う事象は、彼の次なる目論見を潰すためにこそ使うべき……!)

 ごく刹那の間に蝶と鎖で合計2度も出し抜かれたミッドナイトだからこそ、考えたのだ。『敵はどうせまだまだ策を持ってい
る』。そして瞳に映るのはソードサムライX。エネルギーを吸収・蓄積する武装錬金。

(そういえばつい今しがた、あたくし、ハイテンションワイヤーで抜粋されましたわ。『エネルギー』を抜粋された……)

 鎖分銅が日本刀に接触したのを直接見た訳ではないが、せっかくのエネルギーだ、総角ほどの男がそれを再利用しな
い訳が無い……そう踏んだミッドナイトは剣に命じた。

 落下直前だった『陰』がソードサムライXに接触するように。
 そして触れたが最後、刀を歪めて壊せるように。
 歪んだ刀から蓄積エネルギーが漏れ出でて爆ぜるように

 軌道をインプットし、重力をありったけ、強めたのだ。

(懸念したのは『ソードサムライXのエネルギー吸収特性は重力エネルギーにも作用するのか』でしたが、仮に起こったとして
も発生する突然の光が総角を一瞬ぐらいは硬直させるとそう割り切りました。あの刀が重力角をも斬り裂くか否かの検証だっ
てどこかでしたかったですし、問題なかった)

 居合い直後総角の左肩すぐ上にあった『陰』は九頭龍閃『参』の刀めがけ重苦しく落下し……直撃!!

 果たしてソードサムライX!

 総角の意識の埒外にあったせいか!
 それとも本家からして吸えぬものがきたせいか!!

 落下する剣の重力を吸収できず歪曲! 捩れ曲がる破壊のなか、エネルギー暴発をも……誘引!!

 奔流の炸裂はロッドさえも破砕に導いた。髪に纏わりついていたマシンガンシャッフルは割れたガラスよりもガラクタなカケ
ラとなって舞い散った。

(総角の加速を僅かなりと削げればよし……そんな程度の策でしたが、運よく暴発がホワイトリフレクション発動と合わさっ
たお陰で想定以上の打撃を与えられましたわ。しかもどうやらあの障壁、裏表両方から同時に攻撃を受けた場合、より強い
方を優先して反射するようですわね。本家からしてそうなのか、複製物ゆえの欠陥なのかは不明ですけど……いずれにせ
よ、助かりましたわ。暴発は、『置き』の重力角より強く激しい勢いでしたから──…)

 余剰角はミッドナイトへ跳ね返らなかった。(共倒れも覚悟してましたけど、ラッキー!) かくてその分だけ保持される空間
歪曲、九頭龍閃の同時性を変わらず奪う。一方、彼女の剣たる『陰』は九頭龍閃『参』からスプリット、同『捌』へと白刃ギラ
つかせながら舞い飛び……ミッドナイトの喉元すれすれを掠めた。
 それは鋭利な刃の側面が横倒しの産毛を何十本と斬り飛ばすほどの肉薄だった。電気シェーバーのCMでよく見る「根元
からスパリとやられたヒジキ状」が舞い踊った。罷り間違えば己が武器の跳躍で細首破られ即死していた間一髪。しかし武
侠は顔色1つ変えぬまま、その左手を左肩に乗せる。友達がポンと肩を叩いた時を思わせる乗せ方は呆気なく遂行された
ものだが関節の稼働域を考えるとやや矛盾、恐るべき柔軟性。台からひょっこり出るパペット人形にも似た形で左肩に佇
んだ手は陰の剣を先端でキャッチ。当たり前のようにヒュイと旋転させ柄を握る。それは握力の復帰を、鎖分銅のもたらし
た虚脱の終焉を、……意味していた。

(しかも俺自身の速度が今の暴発と障壁反射で減衰した……!)

 霞んで分身する武侠の姿に激しく瞬きした剣客、「マジか」と呻いた。

(目までやられた! 熱にか光にかは不明だが……俄かには回復しない…………!)

 状況悪化を理解する総角の耳を更なる破滅の音が痛打する。ビジュンという空間的に湿った轟きが腰の辺りで炸裂した
と思った瞬間、吹かれたてのタンポポの綿毛より数多いしなやかな金の草が風の中で輪舞を起こした。

(色的影的にあれは髪……!! ダメージは……なし。そして、フ、戦略は……)

 先ほどミッドナイト、左肩でパペット人形よろしく剣を掴んだ。総角の金髪が千切れ飛んだのはその頃だ。少女は剣尖
掴んだ『陰』を旋転させ持ち直す”ついで”に在庫一掃とばかり残っていた重力場を飛ばしたのだ。

(九頭龍閃の参を壊すコトにほとんど使ってましたから威力は微弱、他の部分に当てるのならば軽傷以下ですが髪ならば
別! 鎖! ロッド! いろいろ結わえ付けて小細工してた髪(アタッチメント)を、脅威を、いつまでも指咥えて放置するほ
ど愚かでありませんわよ! 鎖の虚脱さえなければ真先にツブしてましたし!)

 髪の一本一本に重力場が纏わりつく。最初は毛先に雫の如く溜まるのみだった欠損角や余剰角はしかし、瞬く間に重力
逆行の毛細管現象で根元までのし上がる。検証のため武装錬金を髪の中で発動しかけた総角だが「無駄か……」と内心
首を振る。

(やはり髪付近の位相が乱れている! 僅少ゆえ頭皮などの既存物質への影響はさほど無いが!)
(そう! 生まれたてのウミガメの甲羅よりやわやかな『発動途中の武装錬金』相手ならば!)
(影響はモロだ! 顕現途中の催奇形! 使い物にならなくなるのは『事実』……!)

 反撃を開始した武侠は確実に! あらゆる手を封じにかかっている! 

 さらに弱り目に祟り目!

 九頭龍閃の『捌』が双剣によってスパリと斬られる!

「これで龍の首5つ目。せっかく剣の片方を近くで振ったんです、ついでに斬らぬ道理なし……!」

 壊(や)った少女は着地しがてら──実をいうと天鶏剣発動からこの時まで彼女はずっと中空に居た──着地しがてら、
ピンク基調のミニ浴衣に甚だ不釣合いな人民解放軍の軍靴で以ってある物を粉々に踏み砕いた。
 それは今しがた斬り飛ばしたソードサムライXの肉厚な刀身で、溶けかけの霜柱よりも気安く! 粉砕された! 
 少女に敵意や悪意はなかった。ただその華奢な体を、天女が舞い降りるが如くふわりと地につけただけである。
『なのに』、この当時の総角ならよほど上手く刃筋を通さねば切断できない早坂秋水の武装錬金を、事もなげに刈り、着地
だけで鉄片の瓦礫に造り替えた。
 恐るべきは戦神の眷属ゆえの攻撃力よ、それなりに修羅場をくぐってきた総角でさえゾクリとするおぞましい破砕音が鳴
り響く中、『なのに』、彼めがけクルリと首を回した少女、相手の慄然を知ってか知らずか、茶目っ気たっぷりに舌を出して
ニコリとした。

「単騎で、一番早く、到達しましたから♪」

 かねてより余剰角の空間歪曲によって最重要の同時性を奪われている九頭龍閃だ。一撃一撃が必殺の威力といっても
各個べつべつであるなら武侠の少女の敵ではない。なにしろ1本ですら豪(つよ)く捷(はや)かった剣を倍加させているの
だ。しかも両方ともに今は欠損余剰2つの重力場を漲らせ、いよいよ破壊を絶大なものとしている! ああしかし、対する
総角の剣速や突進力は先ほどの暴発で減衰している……!

(フ。笑われる方が怖い場合もあるとはな……! しかも九頭龍閃の斬撃は残り4つ、とうとう半分切ったぞ……!!!)

 畏怖せずには居られないのに、憎さや怒りだけは湧いてこない。魔物めいた強さで魅せるとでもいうべきか。暴発の余波で
極度にぼやけてしか見えなかったのに雰囲気だけで『アテられた』。

(不備もろもろあるが打開できるのはコレしかない! 出でよ!! リフレクターインコムの武装錬金!)

 ストレンジャーインザダークと呼ばれる黄金ジェット2基が出現した瞬間、「お兄様の武器……!」とミッドナイトは軽く瞠目。

(秘密結社リルカズフューネラルにおいて同輩だった総角が使えぬ訳なしと覚悟してましたが……)

 ジェットたちから照射されたビームは砕けて舞う日本刀の破片に当たるや分散しつつ反射。「……」、武侠、背後の死角か
らやってきた熱戦収束を振り返りもせず剣で弾く。失墜が戦車砲顔負けの砂礫間欠泉と化すすぐ上で銀と輝く刀片に四方
八方からの細いレーザーが集中、直径92cm摂氏2897℃メロンソーダ色の荷電粒子が圧縮変換で射出された。それが
少女の振り返りがてらの十字斬で引き裂かれたのが安いディスコのこけら落とし、黄、赤、紫、ギトついた線分がフォトン
サーベルにブルって見境なく振り回している奴のなまくら剣法かというぐらいミッドナイトの周囲を乱舞する。

 枝分かれの内、刀片へ当たったものが更なる分岐をしながら加速したのだ。

 ビームがあちこちで反射し打ち込まれる。空を、地を、滅茶苦茶に舐り尽くす強い力の照射の中、それまで凛然としてい
た武侠の少女にやや葛藤なニュアンスが浮かぶ。

 相手どっているのは兄・ビストバイの武装錬金! 重力に遥か勝る『強い力』を束ねて射出するリフレクターインコムは
本家なれば一瞬で巨大都市を建造し四次元からの俯瞰さえ可能にする恐るべき能力だ!

(”それ”を相手どると…………困りますわね)

 死角から、四方八方から、ビームの反射が襲い来る。少女はやや右足を前に出すや左手の剣を肩ごと前から下、右斜
め下へと回し半円を描く。右手も円運動だが後ろから上への逆周りを経て胸の前で左手と組む。剣表面のあちこちで、ば
じゅりばじゅりと蒸発音、超高温したメタルゴールドの電磁が蛍火の群れの如く霧散したが武侠は追撃とばかり組み上げて
いた両腕を捻りながら解放! より勢いの増した円描写は先達を継ぎ満月を描いてもなお止まらず、躍動する少女は右膝
を突き上げる反動で更に旋踵、左右に大きく広げた剣が斧に見えるほどの残影引いて華麗に踊る! 倍加する加速! 
斧から満月を繰り出し満月から斧を繰り出す変幻自在の踊り子が桃色のツインテールを愛らしく跳ねさせるその周囲で!
遠景で! 跳ね返され壊されたグルーオンの火箭の数々が失敗したロケット花火の如く地面に落ちて爆散する!

 尖端で! 剣格で! 稜層で! ジャストミートされた光線は内圧を小気味よく弾けさせながら両断または変節を強いられ
あらぬ方へと軌道を曲げる! (重力角をぉ! 帯びさせましたからァ!) 反射媒介たる剣のカケラへ打ち返された光線
は反射するコトなく割れて砕けて『粉になる』。そういった現象は多発であり!

(っっ!!)

 幾つかは総角に着弾した! 運悪くミッドナイトに到達しかけていた九頭龍閃の『伍』も被弾! 数発までは持ちこたえて
いたが間髪入れぬ追撃反射で金切り音あげ砕け散る!

「一番近かったので狙いを定め集中反射。『6つ目』ですわよ総角。今ので九頭龍閃の、実に3分の2が全滅した……!」
(旗色は悪いが距離だけは詰まっている! 奴まで残り2.2m……! 肉薄できれば逆転する目も、ある!)

 その間にも弾け飛ぶ爆光! 散華する強い力! 断末魔があげる破滅的な橙の光を豊穣の祭りの篝火の如く陶然と浴
びながら……黄金ジェット2基の破壊を認めたミッドナイト=キブンマンリは全身湿らす爽やかな汗と共に静かに笑う。

(本当、これを相手にするのは困りますわ。大好きなお兄様の武装錬金とはいえ、紛い物である以上は 軽 々 と 、「こう」
しちゃえますからね、胸痛みますわ)

 窮しましたか総角主税、剣を持ったまま得意気にキツネ指で彩色あざやかでしっとり濡れる髪の房を梳る。

(あたくしたち頤使者の武装錬金にある『あの制約』……何をどうしようが複製品は極度に弱まる!! 剣の破片などという
サブリフレクターばかり使っているのが何よりの証拠! お兄様なら無数に発現できたメインたる黄金ジェットを総角はたった
2基しか出せていない! 制御装置たる爪すら無い! それほどの弱体化をもたらすのが頤使者にまつわる『あの制約!』 
それを忘れ──…)

 お兄様の武装錬金に手を出すなどヘマもいいとこ……と思いかけたミッドナイトを「待って」と思いなおす。

(あの頭のいい総角が忘れる? 幼児でもわかる『あの制約』を? っ! そういえば!!)

 光波邀撃(ようげき)の激しい運動で芽生えたヒリつく熱が急速に冷えた瞬間、ミッドナイトは気付く。じゃらりとした銀の粒
がいつの間にか自分と総角の間に冷え冷えと立ち込め視界不良をもたらしているのを。

(これは……撃砕した剣の成れの果て。インコムの反射を務めていたものが、あたくしの攻撃で粉々になった……?)

 いえ、と少女は違和感に気付く。鉄粉にしては様子がおかしい。なぜならば実のところ総角との相対距離は2mを切っ
ている。にも関わらず彼の姿がおぼろげにしか見えないのだ。彼方の山稜だった。たっぷりと藍色を滲ませた鼠色、ウェッ
ジウッドライトブルーの嵐影の輪郭を更に乳白色の霧雨でどろどろに溶かしたような茫洋さでしか剣客を認められぬのは、
輝くカケラたちが濛々と立ち込めているせいである。視界が、覆われている。剣に至っては影すら見えない。

(妙に粉が細かい)。総角が近づきつつあるにも関わらず放胆にもミッドナイト、剣を持ったまま手近な粒を指の腹でなぞる。
卓越の武侠ですら集中せねば気付かぬほど僅かだったが、粒はぴりりとした電気刺激を帯びていた。

(やはり。ただの粉末じゃありませんわ。ほぼ分子レベルにまで壊され帯電すらしている。ちっとも落ちず浮遊しているのも、
総角がよく見えないのも、光放つこの電磁力のせい。どうやら元になった剣の破片、反射光線に含まれる強い力によって分
子結合を少しずつですが攻撃され、弱められていたようですわね)

 何のために? 

(決まってます。あたくしの反撃が、実際の攻撃力以上の破壊をもたらすようにです。確かに剣のカケラさんたちには光線
に重力角の熨斗(のし)つけて返しましたが、定常なればさしものあたくしでも分子分解寸前までは壊せません。言い換え
れば、総角さえ小細工(サポート)をしなければ、あたくしは自分の攻撃で視界不良を生むようなヘマはしなかった。普通な
ら剣の撃砕粉末などさほど立ち込めるコトなくすぐ落ちるもの、ですからね……!)

 準分子分解など劣化品のインコムでもできたのに……とミッドナイトが唇を結んだのは決して思いやりゆえではない。逆で
ある、相対するコピーキャットがますます小憎らしくなったのだ。

(インコム単体で剣の粉を作成し充満させた場合、たった一度ほかの武装錬金に変えるだけで視界不良が解除されてし
まう。お兄様の武装錬金のみが持つ『強い力の操作』で無数の粒子を作るんですもの、『他』へ切り替えたら即解除なのは
当たり前。破片たちに干渉していた強い力が消えるのですから)

 そこを賢しい総角は予期していた。

(だから彼は、『破片を弱める』程度に留めた、弱らせるだけ弱らせて最後の一撃をあたくしに任せれば、分子結合を壊さ
せれば、インコム以外に切り替えても効果は継続……! あたくしが破片を粉に『させられた』のですから! 粉にするトド
メを刺したあくまで『あたくしの重力角』なのですから!! しかもそれは不可逆の破壊狙いだった、今さら解除しても破壊
された粉たちは……治らない!)

 言語化すれば長い思案だがしかし翻案でもある。ミッドナイト当人の理解は刹那。それを文章に起こしたに過ぎぬ。

 次に彼女は、立ち込める剣の粉、薄暗き雪浪の霾翳(ばいえい)を見渡し考える。

(ハロアロお姉様なら覆い隠されたのを幸い何か仕組m……いえ、『何か仕組むため』『覆い隠しそう』ですが……)

 武侠の少女が布石を疑うのは思考の流れとして正しい。詳細は省くが総角はインコムを、頤使者特有のコピー制限によっ
て劣化品程度にしか再現できない。そんな彼が、である。速度を殺され視力を落とし、髪からの武器攻撃さえ封じられている
窮地(げんじょう)を、性能不安視の武器1つで覆そうとするだろうか。「在り得ない」。ミッドナイトは否定する。

(ならば布石としか。あたくしに剣を粉々にさせる為だけにインコムを……! ですが『そこからは?』 マシンガンシャッフル
再びで、媒介? 否。髪は封じました、もし別の手段でホワイトリフレクションが発動できるなら先のあたくしの反射の乱舞に
紛れ込ます最善手を打たなかったのが”おかしい”。インコムの再攻撃? 確かに砲台は増えましたが細かくなったぶん威
力は低減、あたくしが迎撃できぬと見縊る程度の総角ならばあたくしとっくに、勝ってます! ならばこの霧のような微粒子
の目的は一体──…)

 先のマスへと進みかけた思考のコマが行きすぎかけた場所に「お待ち」と戻る。

(『霧』? 『霧』ですって? まさか!)


(フ。読んでくれるなよミッドナイト……! これは俺の『一番得意』、これすら読まれたら正直もう、打つ手が……!)


 漠々たる霧の中、圧縮された時の中、敵めがけ巡航する金髪の剣客は心中すさまじい緊張でいっぱいだった。



 一方、桃色の武侠。

(読めてるかどうか分かりませんが、ひょっとして彼の狙いはアリス・イン・ワンダーランド……?)

 とは霧にしか見えない能力だ。紛れ込ますためミッドナイトに剣の破片を砕かせ霧を作ったとすれば、辻褄は、合う。

(日本刀を除けばもっとも得意と自負するチャフの武装錬金ですし……土壇場で縋るコトは在り得ますわね)

 密集状態ならば相手にトラウマを見せつけ壊す恐るべき能力。ただ勝つだけなら最善もいい所の能力だが、ミッドナイト
は「それはない」と断言する。恋人の仇へ示すには奇妙すぎる信頼だが、九頭龍閃発動直後の刹那の対話で垣間見たの
は人柄だけではない。総角の過剰なまでに偽悪ぶった立ち居振る舞いから隠れ潜む罪悪感を感じ取ったのだ、ミッドナイ
トは。

(アリス密集を使えばあたくしは恋人(イフ)との別離や……愛犬(ブレス)への申し訳なさを叩きつけられる。隙だらけにな
るでしょうが……想いを踏みにじって勝つほど腐っている男ではないと『信じますわよ』)

 ならば彼女はどうしてチャフの武装錬金が総角の打開策と考えたのか? 

(『密集ではない方』ならば倫理を犯さずあたくしを出し抜くコト……可能といえば、可能)

 チャフの武装錬金は拡散状態において有機無機の神経に作用し……方向感覚のみならず

『距離感』

 をも狂わせる!

(余剰角展開によって九頭龍閃それぞれの一撃に時間差が生じたのはお互い周知の通り。故にあたくしは到達してくる
攻撃を順々に各個撃破してきた訳ですが……総角ならば『次』の到達予想時刻を狂わすコトができる。チャフの、アリス・
イン・ワンダーランドの『距離感の狂い』を使えば、残る九頭龍閃の『壱』『肆』『漆』のうち次にどれが来るか、偽るコトがで
きる)

 どういうコトか?

(距離感の狂いを作れば遠間にある斬撃でさえ「来た」と見せかけられるではありませんか。そちらにあたくしが気を取られ
れば総角にとってはしめた物、蜃気楼のような囮相手に空振るあたくしに、『実はすぐ間近にあったが遠くにあるよう偽装して
いた』本命の斬撃を浴びせられる。例えば『壱』が来ると思わせておいて『肆』で取る……といった戦法が出来るのです)

 今でこそ同時性を失っている九頭龍閃だが、それでも九撃総ては本来どおり一撃必殺のままである。どれか1つでも当た
れば大打撃、だからデコイ戦法による着弾を疑うのは真当な打ち筋の持ち主ならば当然だし

(重力角の空間歪曲によってとっくに距離感があやふやになっているこの一帯においてアリスの距離感の狂いを紛れ込ま
すのは木を隠すなら何とやらで……『実に最適』。こちらの様々な盲点を衝けますわね……!)

 余剰角を散らばらせたのは確かにミッドナイトだが、鎖虚脱からの消力という偶発事象を経たため実は術者たる彼女本
人でさえどこがどう歪んでいるかまで正確には把握していない。空間と、肉体の一部のように思えるほど融合してはいないの
だ。歪む空間を泳いでくる剣の座標が手に取るよう分かるという訳では、ないのだ!

 故に九頭龍閃到達を確認する術は目視! 目視にてどれが一番近く早く到達するものか判別している!

(『見えた』のならそれが重力場に立脚した事実であると疑いもしなかった。もしチャフで距離感を狂わされていたら、撃墜
し損ね、他を浴び、続く二撃目三撃目によってかなりの打撃を受けたでしょうね……! しかもアリスは不定形、髪に結わ
え付けずとも展開できる武装錬金、あたくしのインコム破壊のどさくさにそっと紛れ込ますのは容易い。総角ならばやれる、
一瞬でそこまでやれはする!)

 常人ならばそこまで考えた時、どこかで己を誇負するものだ。自分は相手の手の内を読み切ったのだ、冷静だと思う思
考力があらゆる角度から検討しても八面玲瓏だったのだ、これしかない、これのみが来ると……信じてしまう。

 しかもミッドナイトはいま、上がり調子にあるといえた。ホワイトリフクレションあたりで出し抜いてから反撃一方、確実に総
角を追い詰めつつある。

 ああ、だからこそ武侠の少女は思ってしまった!
 アリスを使うコトが総角の最善手だという筋道スっと通る推論に対し、つい、こう思ってしまった!

(『警戒はすべき。ですが総てではない』)

 と。

 彼女は常人ではない。戦神(さいきょう)の眷属である。生まれつきヒエルラキートップの『高貴』である。負ければ転落する
以上、どれほど素晴らしく思える洞察であろうと身の総てを易々任せるつもりにはなれない。まして全力の総角の恐ろしさを、
肘に鎖分銅を喰らった時点で、対九頭龍閃のごくごく初期で、知ったのだ。慎重な検分に慎重な検分を重ねるのは当然だ。

(古人に云う。一隅を守りて万方を遺(わす)る……ですわ。一ツ所に心囚われ他を疎かにすれば他日かならず崩されます)

 読んだと思わせてその脇腹を突く。基本ではないか、頭脳戦の。総角は基本を踏まえている。そんな彼相手に、己の洞
察が総てと信じ挑むのは危険すぎるとミッドナイト、自身を強く戒める。

(上り調子だからこそ慎重になるべき……! 出し抜けたのは窮余の一策がたまたま向こう側の都合と合致したからです
わ、自分があの一瞬から彼以上の才覚を持ったと錯覚するのは危険! 経験は高貴を覆す、こなした頭脳戦の数なら総
角の方が遥か上、たかが一度、偶然で勝った位で彼の経験値総てを上回ったと思い込むのは……危険!)

 惑わすのが好きなせいで霧(チャフ)と相性いい男で迷ったなら!
 相手が策を誇るのなら! 
 自分は武を奮うだけだとミッドナイトは身構える。

(次の一撃を慎重に見極める! 察知すべきは剣気! アリスであろうとなかろうと、いかなまやかしを施されようと! 
「攻め」の気までは消せない! ごく僅かな変化すら見逃さなければ後は地力で勝てます……!)

 格式高き九頭龍閃は今や首弊(やぶ)れ鱗頽(くず)れた爬虫3匹の烏合に過ぎぬ。冷静に対処すれば武侠は勝てる。

 だから目を凝らす。次に来る九頭龍閃がどれか、「目」だけでなく、「第六感」まで凝らして慎重に観測する。

 果たして霧抜け鋭く打ち込まれたのは九頭龍閃7番目こと『漆』、右薙ぎである。

(っ!!? 剣気すら本物ってコトはアリス無し──…)

 ミッドナイトの命運を分けたのは、あらゆる事象へ等しく精神を向けていたその一点である!
 九頭龍閃が残す三撃の総てに精神を傾注させていた彼女は、かねてよりの迎撃姿勢ゆえ反射的に『漆』へ剣2本を伸ば
しかけていたが、電撃的察知! 理性はおろか本能すら超抜する直感が向かって右下から来る九頭龍閃『肆』に働いた瞬
間、右手の『陽剣』のみを『漆』からバッと離し最大出力の重力迸らせ逆手で下向け迎撃に赴いた! 迸る電圧、衝撃は『漆』
より遥かに強い! 『漆』自体、速度を削がれてなお剣越しに左手の甲の骨を削り取りそうな威力であったが、『肆』から来
る轟爆はそれ以上! 受け止める陽剣は重力場によって戦団最硬のシルバースキンの6割もの強度を保っていたが、それ
が『肆』の前では呆気なくひび割れた! 吹き飛ばされそうな衝撃を慌てて展開した足場の重力角でどうにか殺した武侠少
女、震えながら瞳孔を開く。

(なっ……なんですのこの威力!!? いきなり来たのも不可解! 『肆』の』剣気自体はついさっきまで遠くにあった! 
『漆』よりかなり後ろだったにも関わらず何故かたった一瞬でココまで来た! またニアデスハピネスで加速!? いえ! 
アレで全身加速したなら『漆』の方も強く速くなっていないのはおかs…………あ!!!)

 気付いた瞬間、ミッドナイトは驚きのあまり双剣2つとも取り落としそうになった。『肆』から放たれた攻撃! それは!!

(中国剣!?)

 自分の武器とまったく同じ意匠をした武装錬金が、陽剣をギュラギュラと圧し重力鼓動を同心円状に広げている! 「ぐ!」
凄まじい威力だった。定常のスキーストックの如く地に先向ける剣越しに細腕が押され、背骨すら軋んだ。上体を軽く捻って
苦悶を浮かべる武侠は「な、なんてコトをしましたの総角……なんてコトを…………!」、何をされたか悟り絶叫する。

「天鶏剣! あたくしの中国居合い…… パ ク り ま し た わ ね ! ! ?」

 カラクリなど実に簡単なものだった。『肆』の傍に中国剣を発動。そして浮いている最中に重力角の鈎を2つ作成。片方は
剣それ自体の柄尻に接合。だがもう片方はソードサムライX尖端に発現。そして2つの鈎は中空で結合。『肆』という左切り
上げの真最中にあったソードサムライXは連結した先頭中国剣の「鎖的しなり」によってまんまとミッドナイトの居合いを、九
頭龍閃への初撃を、再現した! 

(しゃがみからの跳躍・予備動作をそっくりそのまま九頭龍閃の斬撃で置き換えて!)
(何しろ『肆』だ、同時性の縛りさえなければ他8つ以上の最速にできる、代用できる! フ、得意なのさ。脇構え!)

 更に剣2本の連結である以上、『漆』より遠くの射程外にあった筈の『肆』が居合いにて届くのは……当然!

(くっ! 確かに複製能力者が相手の武装錬金を! あたくしの『リウシン(流星)』を! 狗盗するのは当然! ですが天
鶏剣を見せたのは先ほどが初めてなのですよ!? あの一瞬で術理概要を見抜いたとかウソですわ! いずれはマネ
られるとは覚悟してましたが、今とは思いも! だって、だって!)

 なぜなら総角、天鶏剣を初めて見た瞬間──…

 ニアデスハピネス→ハイテンションワイヤーの咄嗟な切り替えと戦術構築をしていた!

(更に髪による緻密極まりない鎖分銅打撃をも繰り出しながら、天鶏剣の術式を把握しリウシンの特性さえモノにした!?
どんな頭?!! 有り得ないにも程があります!! あ! あたくしでさえ天鶏剣にも使われている鈎連結のタイミング、2
週間ほぼ徹夜で練習してやっと習得できたのに、それぐらい難しいのに! 見てすぐできるとか、違う武装錬金を比翼に据
えてできるとか、あなたの武術センスくっそ天才ですわね!!? あ! 霧! リウシンを日本刀周りに出したの隠す為!?)

 といった惑乱は圧縮された点の中で流れ去ったに過ぎない。愕然から平衡へとミッドナイトを戻したのは、陽剣が受け止めて
いる総角の剣だ。(待って! あたくしの剣ってコトは……! マズい! 大至急ッ、確認を!) 物理的事情でガクガクと震え
る体と顔の中で瞳は確かに捉えた、彼の剣を、『切先』を。

(『三角』……! と、いうコトは!!!)

 気合を迸らせながら『漆』を粉砕した陰剣がノータイムで上に向かう。(残り2つですが、”どころではない”!) 一刻も早く
目的地につけよとばかり決死の形相で振り上げる左手の、ドス黒い重力の炎纏う剣は天より来たる脅威をすんでのところ
で受け止めた。確認。予測どおりの脅威を認めた武侠は咆哮(さけ)ばずにはいられない。

「あ・げ・ま・き・ち・か・らアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 奥歯を噛み締めるミッドナイトの踵が地面にめり込み直径4mほどの蜘蛛の巣を作る。横倒しで頭上高く捧げ持つ陰剣を
圧していたのもまた同規格の中国剣だった。

(なな、なんてコトを目論むのですか貴方は! ああっあたくしでさえ発想できない四凶の閃きとしか……! だって、だって、

天 鶏 剣 を 連 発 す る な ん て ……!!)

 天鶏剣は天翔龍閃に匹敵すると自負しているミッドナイトだ。あながち驕りでもない。ニアデスハピネスでの加速や鎖分銅
の脱力(=天鶏剣の威力殺し)といった小細工さえなければ、純粋な剣戟勝負であったのなら、勝っていたのは彼女だろう。
”それ”が二連発された。総角ですら複製能力なしの真剣勝負なら斬り伏せられて終わりだと背筋を凍らせる『天翔龍閃級』
に九頭龍閃の突進力が加わった空前絶後の代物を、ミッドナイトは2発立て続けに浴びる羽目になった。

(古人に云う『寇(コウ)に兵を藉(か)す』武器も技もパクられるなんて最悪ですわ泣きたいですわもう!!)

 流星光底とは凄まじい斬撃の形容だが、今のミッドナイトには嫌味なほどのエスプリだ。

「……フ。『壱』こと唐竹の振り下ろしにも剣を連結させ中国居合いとしたが……相手の技を簒奪し優越に満ちる『俺の得意』を、
気付かれてなくて良かったとは言えぬ状況…………だな。1発目はともかく……2発目にすら対応するとは…………!!」
 優勢になったはずの総角だが顔色はまったく優れない。上から右下から己が極大火力を浴びるミッドナイトもまた然り。
 光と衝撃の只中、色々と半ベソだった少女の顔が何らかの切り替えを得てみるみると明るむ。
(禍福はなんとやら! 複製されたのがリウシンで助かりましたわ! 2本目の剣が、天鶏剣が! 来ると咄嗟に分かったの
は使われてるのがあたくしの武装錬金だったお陰! まさかと思い念のため切先を見たのが良かった! 切先から双剣状
態か否か見極めるのは至極容易い! 切先が菱形の単剣を縦に分割できますのよ、受け止めている切先が三角ならもう
1本別に来ると思うのは当然…………!! ですがその余裕を生んだのは……!)
(恐るべき反射神経……!?)
(違いますわよ、総角!!)
 驕りや先入観を捨て去っていたお陰だとミッドナイトは心底思う。謙虚な心構えで尖らせた神経で以って総角近辺の「剣気」
へ限界以上の注意深さを向けていたからこそ、霧の向こうで密かに攻勢へ転じた天鶏剣の僅かな気配を察知し……対処
できた。

(あたくしの反射神経が優れていたとしても、心構え抜きでは絶対に対処不可の速度だった。それほどまでにあなたの剣
速は凄まじかった。ただの策士なら天鶏剣をマネた所でさほどの脅威にはならなかったでしょう。あの剣速は純粋かつ地
道な剣の功夫を真面目にコツコツと積み上げてきたが故の物だった。そういった物を小馬鹿にする剣客だったならば『この
あたくしが』ここまで追い込まれたりはしなかった! なんて見事な努力でしょう! 故に心からこの言葉を……送ります!)


「もうなんていうか総角、死んじゃえって感じですわよね」


 相手へと困ったように微笑するミッドナイト。こういう時の不文律(あおすじ)1つない優しげな瞑目の笑顔だったからこそ総
角、却って怒鳴られる以上の殺意を感じた。

(ま、まあ、仕方ないわな。パクられた自分の技で追い詰められりゃ誰だってキレるわ! むしろそれ狙いでやってるし俺!)

 一方、武侠。

 自分の超必殺2つ同時に浴びる想像絶する苦界の中、九頭龍閃『壱』に連なる複製剣を見上げ、頷いた。

(見事でも、弱点は……ある!!)

 打開をもたらしたのは意外な伏兵! 蛇! 髪の蛇! ミッドナイトの後ろ髪が変異した神秘的な白蛇が突如として総角の
中国剣の剣首、日本刀で言う柄頭の部分を痛打した! それは両手塞がり両足踏ん張る彼女にできた唯一の攻撃であり……
剣とソードサムライXを結びつけている重力の鈎に挟まり込む異物と化した! 余剰角と欠損角の狭間に巻き込まれ髪なが
らにベキベキと音立て歪む蛇! だが犠牲は確実な戦局変化をもたらした! 剣と刀の連結が、外れたのだ!!

 蛇は重力を帯びていた。重力はミッドナイトの陰剣から左手経由で肩を伝い、うなじを昇り髪へと波打ちながら伝わって、
いた。

(総角の天鶏剣の弱点! それは頤使者(あたくし)の武装錬金のコピーというコト! 頤使者の武装錬金は魂ともいえる
『言霊』があって初めて十全となる! さすがの総角ですら言霊までは複製できない以上! リウシンといえどお兄様の武装
錬金の如き脆弱性を抱えるのです!!)

 具体的には、『重力角の弱さ』である。ミッドナイトのそれは『再誕』という蘇生的な言霊が重力に対し作用するためヴィクター
をも凌ぐ威力を生む! だが総角にはそれがない! しかもいかな天才といえど初使用である以上、習熟度を欠く以上、
本家にはない脆さを不完全さを抱えるのは当たり前!

(故に連結部は重力纏う髪の蛇一匹潜り込んだ程度で破砕(こわ)れる! あたくしのと違って!)

 バキリという音立て離れる中国剣。

(……。総角。あなたの重力角、初めてにしては相当な仕上がりでしたわよ。……ですが)

 大きく減速した居合いを見逃す武侠ではない、「はああああああああああああ!!!」。裂帛の気合を上げて重力炎の
剣戟を斬り上げる。果たせるかな、捩れ拉(ひしゃ)げて爆散する偽造の剣。だが重力の伝播は止まらない、幾筋もの導火
線をひた走る火花の如く空間を走り九頭龍閃『壱』に着弾、状態上記の如く破壊した。 視界の片隅を流れる蛇は歯車に巻
き込まれたブリキの玩具の如くあちこちボコボコだ。両目を×にし舌を出す戯画的な体の一部に「うぅ、痛かったですわー、
二度とあんな使い方したくありませんわー」と涙ぐみかけたミッドナイトは粛然と面頬引き締め、

(残り1つの九頭龍閃を前に! 片手が自由になった以上!)

 掌を翻しながら右へ動かす。『肆』と連動した天鶏剣にいまだ苦慮する右手の方へ。下向けた『陽』の剣の傍へすり寄る
左手の『陰』もまた同じ持ち方で近づいていき──…

 光が、走った。視力が極度に低下している総角ですら分かるほどの光量だった。

 眩さの中、双剣は、1つに。1つになったというが意匠は九頭龍閃前ふるっていた中国剣ではない。柄の太さと剣の長さ
が大幅に増大しており、それはいまだ猛威奮っていた総角の天鶏剣を重力波動ごと豆腐の如く斬り裂いた! ひび割れ
る空間に巻き込まれる形で九頭龍閃『肆』もまた重力の奈落へ落ちていく……。

「双手剣。瞬間破壊力に限って言えば鈎破壊前の天鶏剣をも凌ぐ両手持ちの大型兵器……!」

 背丈を越える剣をベーシックな正眼で、しかし思うさま総角に向かって突き出した少女は脇構えに変じつつ地を蹴る。

(今ので九頭龍閃の斬撃総て! 破壊しました! とはいえ総てのソードサムライXが消滅した訳じゃありません! あれは
『吸う』! 『効く』なれば負けるのはこちらの方!)

 重力の”エネルギー”を剣から発する少女は「あと一歩」だからこそ恐れていた。『参』の検証結果こそ自分に有利な物だ
ったとしても総角の性格が性格なだけに信じていない。自動吸収できなかったからとて「重力は吸えない」とは限らぬのだ、
任意でならというのは有るし、それどころかオートでさえ実は可能だが「吸えない」と思わせるためプロテクトを掛けていた
のがあの局面というセンだって実は有り得る。後者は一見無意味だが、最後の最後まで伏せ続けた特性をここぞという
場面で使うための用心と解釈すれば”なくはない”。実は吸収できるのを隠したかったのに『参』のような不測の事態でバレ
ましたというのを一番嫌うのが総角だ、終局でカッコつけるため敢えて自動吸収をセーブしていた推理するミッドナイトは
あながちヘボ探偵でもないだろう。

(よしんば”今の”ソードサムライXでは無理だったとしても)

 強制的に成長させる術(すべ)すら総角は持っている。

(グラフィティ。サイフェお姉様と同輩だったから複製可能! ビストお兄様のインコムの如く!)

 頤使者特有の制限によって劣化コピーしかできないとはいえ、

(ソードサムライXはウィルお義父様ですら成長すればメルスティーンの魂魄さえ封神し滅却できると信じている宝具!!
不完全なレベル向上ですら重力角を吸えるようなるコト……在り得ます!)

 サイフェの言霊『知育』を欠くため本家ほどの成長能力がないと見縊るコトも可能ではある。実際、ウィルが総角にメル
スティーン打倒を任せたがっていない理由もそこにある。「不完全な模造刀に不完全な成長能力を施して、それで覚醒後
の早坂秋水に及ぶのかい?」とアルビノ少年、いつだか言った。ミッドナイトも同じ気持ちは持っている。だが。

(それでもあたくし位ならば打倒しうる! 叛逆を企てるたびメルスティーンに敗れ続けたあたくし位ならば……!)

 五感喪失のリスクとて総角はもはや恐れる必要はない。何しろホワイトリフレクションの暴発で『視覚』を奪われているの
だ。グラフィティで視覚を喪失するのは「レベル5」。本家ならばソードサムライXを『本来の創造者が極めたレベル』にまで
引き上げる高位の段階である。サイフェと朋輩だった総角がそれを知らぬ訳がない。ならば「視覚を失っている俺ならほぼ
ノーリスクだなレベル5」と割り切って使うのは容易に想像できる。

 更に。

(手合わせし続けて分かりました。総角にとって再現度の多寡や威力の強弱は問題ではない。ビストお兄様のストレンジャー
インザダークがいい例です。本家の30%ほどもない、劣化コピーの誹りを受けても仕方ない代物で彼はあたくしに霧を作
らせ次の布石を……天鶏剣を覆い隠すための準備を整えた)

 他と異なる『特性』や『特徴』がありさえすればいいのだ。いかな物でも相手との心理戦の駆け引きに使っていく。複製品に
弱さや不完全な点があれば『それさえも織り込んで』、戦術戦略を組み立てる。見るだけで不協和音が聞こえてそうな殴り
書きの楽譜すらいざ奏でさせれば破調の美で聞く者の心震わすのが総角というコンダクター……ミッドナイトの印象だ。

(そんな彼が黒帯を使えば、いかな劣化があろうと状況打開に繋げる……! 重力角を吸うだろうというあたくしの予想を
逆手にとって何か予想外の物を吸収し、放出し、上回る恐れもまた、ある!)

 つまり結論。

(まだ脅威、消えてませんわ! 九頭龍閃自体の速度を完殺しない限り! ”ささくれ”程度の刀でさえあたくしを降しうる!
一刻も早く彼本体を撃滅せねば何をされるか……分かったもんじゃありませんわ!)

 だから、双手剣だ。
 双剣に戻した上での連撃も考えたが、「……!」、何かに気付くや双手剣を選んだ。

 両手持ち前提の双手剣は、片手での刀剣操作が一般的な中国において異彩を放っている。左右両方の手を動員でき
るため非常に長く、そして重い。故に太刀行きは非常に速く、破壊力もまた、絶大!! 敵版天鶏剣の撃破を仰せつかっ
た理由もそこにある。

 ミッドナイトの瞳に映る総角はもはや1m以下の圏内。

(天鶏剣を編み出すまでは最速だった双手剣を、瞬間破壊力の権化を……仕向ける!!)

 身の丈以上の剣を振り下ろす! 鋭い斬撃は確かに、霧を縫って全貌を現した総角の体を……行き過ぎ──…

 しかし!!

(手応えがない……!!)

 蜃気楼の如く霧散する剣客。空を切る双手剣。全精力を込め振り下ろした超重武器はもう止まらない。切先に重心奪われ
前のめる少女。衝突音。濛々たる煙。四方への風、六鷁退飛(りくげきたいひ)の颶風。大地のヒビ。硬直。持ち上がらぬ双
手剣。丹田。重心を取り返しかけ笑う武侠。滑り込み。額の前に現れた大戦斧。凍る笑い。凍る刻。髪を封じたにも関わら
ず手持ち武器が飛んできた不可解にも戦慄したが、出された逸品への驚愕はそれ以上。

 空間に点在する余剰角という『重力』を吸い寄せながら勢い増しつつあるのは『大戦斧(グレートアックス)』。

(レイドリ……ヴィクターの!?!! 使えましたの!!!?)

 九頭龍閃や新入り(貴信と香美)といった音楽隊関連の情報に詳しいミッドナイトでさえ予想だにしない事態だった。
 何しろ今まで総角がフェイタルアトラクションを使った事実はない。それどころか7年後の銀成市における早坂秋水たち錬
金の戦士との激闘にさえ持ち出してはいないのだ。

(フ。そりゃ使えるのを隠しに隠してきたからな。3年前のレティクル崩壊のどさくさで盗んだヴィクターのDNAサンプルは小札
にさえ秘匿していた切り札中の切り札。これをタネにした複製は劣化なしの完全版である代わり使用期限はわずか5分、
しかも一度使えばサンプルは消滅、他から新しいのを仕入れても二度とDNAからの複製は不能という制限つき)

 以降は劣化多き見様見真似の複製でしか使えぬため

(投入するのはレティクルとの決戦の、終盤だとばかり思っていたが……フ。椀飯振舞(おうばんぶるまい)せねば勝てぬ
相手、だからな…………!!)
(錬金戦団を2度も半壊させたヴィクターはあたくしたち頤使者兄妹ですら無傷で勝つコト難しき恐るべき相手! そんな
男の能力すら持ち出すなんて……!!)

 駭遽(がいきょ)にふためく間にもフェイタルアトラクションは迫っている。フリスビー旋回する刃渡り約1mの肉厚い斧が直
撃したが最後、少女の頭などは牛刀でスイカを裂くよりも容易く『フタ』を飛ばすだろう。重力角吸収によっていっそう巨大な
円周を帯びつつある時速282kmの斧と額の間隙は8cm足らず。直撃の可能性、やや高い。下ろし切った双手剣を引き
ずってでも後退すべき局面だ。

「少し容赦なく行くぞ?」

 飛び込んできた人影が

「なにしろ正攻法、最後の手、だからな……!」

 振り下ろしたての双手剣の背を踏みつけるのはシンプルだからこそ的確な嫌がらせだ。後退か反撃をせねば間違いな
く頭蓋を斬り飛ばされる状況で、少女は剣を踏まれ自由を盗られた。

 それをやった犯人に、霧を突っ切りやってきた本物の総角に、武侠は認識を新たにする。

(……アリス!!)

 先ほど双手剣がすり抜けた幻影! それはチャフによって狂わされた距離感の産物! まだ遠くに居た彼の影をあたかも
近くに居るとばかり……見せかけていた!!

「……フ」

 かくて剣客、双手剣に足をかけたまま斬撃を繰り出す!



(俺の天鶏剣2つはあくまでアリスから目を背けさせるための囮! 自分の技で圧されれば誰だって直前の冷静な思考を
忘れる! アリスを読まれているコトぐらい読んでた……からな! だから更にアレを凌がれた直後に予想外(フェイタルア
トラクション)で”かました”! これでなおアリスを覚えていられるのは極小数! フ。お前はどちらかなミッドナイト!)

 天鶏剣の時点までは剣気を読んでいた彼女が、覚えているそれとの距離と総角の速度から大まかな到達予想時刻を割り
出すのは容易い。そしてアリスの距離感の狂いが見せる虚像は『実際の到達予想時刻』よりやや早く霧を突っ切る。実はそ
の辺りにも対処を施さねば、武侠は必ず無意識の直感で『速い、どうして?』と疑いの眼差しを向けていた。
 その場合、総角は彼女の不可解を誤魔化す手段を失くす。黒色火薬などの加速系統を纏って時間差への弁明にする手段
は、スロットが2つまでしかない都合上、不可能。複製の要たる認識票が2つしかない以上、同時に使えるコピーは2種類まで。
日本刀とチャフでスロットを埋めた状態で、後者の特性が突出させる虚像が『加速系の、他の武装錬金を』装備するのは、
原理的に……不可である。そうなればもう終わり。訝しんだ武侠が総角本体の剣気を探り、正否を問い、真実に、気付く。

(だがジレンマ。距離感の狂いを使った場合、俺の虚像はどうしても彼女の無意識の描く到達予想時刻より早く突出する。
だってそうだろ、先遣じゃなきゃ空振り誘う囮にならんさ)

 そう。総角本体は天鶏剣でどうしても剣気を出さざるを得なく、それによって測距を免れ得ないため、本来なら距離感の狂
いによる囮は(ミッドナイトに対しては)通じないのだ。たとえ天鶏剣で剣気への注意を吹き飛ばしたとしても、彼女ならば無
意識の測距で虚像の突出をおかしいと気付く筈……と見抜いていた総角ではあるが。

 やんぬるかな。

 あの少女に隙を作らせるためには虚像を斬らせる他なかった!
 斬らせるためには彼女が無意識に思い描く『総角の到達予想時刻』とドンピシャのタイミングでアリスの距離感の狂いを
発動する必要があった。
 速度さえ落とせば呆気なく成立するその要件、しかし速度を落とせば囮に掛かった少女への攻撃力が低減する、低減す
れば致命打にはなりえない、苦心惨憺の策が何らの取れ高を見せぬのだ。

 では速度を落とさずして武侠をハメるにはどうすればいいか?

 さまざまな状況と統合整備された総角の計画の骨子はこうだ。

『刀の長さを変える』

『遠くにいるのに、近くにいるよう、見せかける』

 天鶏剣発動時、鈎を作った重力角は、実はそれと同時にソードサムライXの長さをも僅かにだが変えていた。ミッドナイト
が居合いに不向きな中国剣に居合い向きの『湾曲』を与えたのが重力角である、長さぐらいは容易い。

 敵の武器は1mだから1m先に居る……暗中そう思ったとき、敵が手持ちを2mに伸ばしていてみよ、踏み込んだら勝てる
どころか逆にやられる。敵は更に1m後方にいるのだから。

 このペテンを見抜くのに必要な総角本体への剣気サーチは天鶏剣2つによって断絶していた。問題はその直前正常に
行われていた測距をいかにして掻い潜るかだ。剣気はどうしても読まれる。読まれたものは無意識の演算なる軍事法廷で
驚くほど饒舌に到達予想時刻を喋り倒す。捕虜に機密をバラされたくない時どうすればいいか? 簡単だ、真実などは最
初から教えない。捕虜本人は真実だと疑いもしない偽情報を掴ませておくなら「なおいい」。誠実な自白とやらから判明した
当方の急所とやらめがけ必死こいて駆ける連中を、横合いの藪から鴨撃ちにしたいなら迷わずすべきだ。

(故に俺は天鶏剣発動当時)

 剣気を迸らせるのを「ソードサムライXの切先と、その先から連結する中国剣」のみに限定した。
 これによって総角版天鶏剣のころ、ミッドナイトは剣気の場所から

 剣気━━━総角

 「━」、つまり彼女が覚えている「中国剣」「日本刀」の”長さ”を加えた距離の先に総角が居ると逆算するのだが、実際は

 剣気━━━──総角

 というように、つまりは『重力角で延伸されたソードサムライXの長さの分』だけ彼は後ろにある。後ろにあるなら実際の到
達時刻がこの「──」の距離分だけ『遅く』なるのは当然だ。距離を速度で除したのが時間である以上、当然だ。

 これによってミッドナイトの無意識が描く到達予想時刻が「外れる」。


     ↓ この刻限「A」に総角が射程距離に入ってくると思っていたのに
      A   B  
 ━━━──
        ↑実際に彼が到着するのはこの刻限「B」となる。

 で、あるならば!

(刻限Aにアリスの距離感の狂いもたらす虚像を突出させれば……ハメれる!)

 もし中国剣の方を長くしていたら気付かれていただろう。天鶏剣の前部にあるため、相手に近く、何よりミッドナイト本人
の得物であるから……気付かれた。だから総角は、霧覆う後方にあり、秋水(たにん)の物であるから武侠も正確な長さは
知らぬソードサムライXの長さを僅かにだが変えた、長くした。この長さ分、相手の読みより遅く到達できるようになった剣客
は本来ならどうしても時間的違和感を抱かせる筈だった『虚像の突出』を逆にドンピシャのタイミングで実行し──…


 果たしてミッドナイトは虚像相手に双手剣を振り下ろした!! 


(それを俺は踏みつけ、身動きを封じた)

 武侠の額のすぐ前には投げつけられた大戦斧。当たればよし、回避や防御ならその隙に九頭龍閃を叩き込む。塚原
卜伝秘伝「一の太刀」の応用である。

(頼むぞ……! これで決まらねば邪道しかなくなる……! アリスに騙されていれば勝負アリの間合いだ、頼む……!!)

 瞥見の限りでは出し抜いたといって差し支えない総角であるが表情に普段の余裕はない。剣と同じほどの卓越と自負す
る智謀を極限まで振り絞ってなお胸を占めるのは恐怖にも似た危惧。詐術で倒れぬ類の人種は確かに居るのだ。武の
限りを極めた者と小細工は火と油の関係にある、陥れられれば陥れられるほど正義は我に有りと確信してなおいっそう
燃え猛る恐るべき英雄(かいぶつ)は確かに居て、ミッドナイトは明らかにそういう類だった。邪心渦巻く幹部(マレフィック)
と轡を並べながらも些かも高貴を失っていない少女だから、だから総角は恐れており──…

 体が前に向かって傾ぎ始めた瞬間かれは気付いた。果たしてハメられたのはどちらかと。

 ミッドナイトは笑っていた。笑いながら悠然と双手剣を別形態にと変え始めていた。質量の散り行く刃が総角の姿勢制御
をも狂わせ「つんのめらせて」行くのは彼の足底が双手剣の背に乗っていたせいだ。全体重を乗せた。踏みつけた。支え
にした。だがその剣は質量を散らし消滅する。自身を踏みつけるコトで少女(もちぬし)の動きを阻害せんとした男へ当て
つけるよう硬直の、手番を回し。

                                                 隠し手
(くっ! やはりアリス! 『忘れられていなかった』! なんて奴! 天鶏剣2つに大戦斧つけられて! なお!)

 意趣返しした少女だが咄嗟の機転の面影はない。ただ規定路線どおり策動したに過ぎないという余裕のみが白い面頬
にありありと滲んでいる。

(誰がアリスを忘れまして? 確かに天鶏剣の掛け合わせの前でこそ意識の外へ行きかけていましたが、それでも二撃目に
気付けたのは剣気への戒厳あらばこそ。それに感謝しホっとしたあたくしが、嵐を凌ぎ余裕を取り戻したあたくしが、定礎と
なったアリス含む諸々への包括的な警戒感を……思い出さぬ筈がありません! 剣気察知、天鶏剣後に復(また)!)
(普通それは、直前の思考は、……フ。自分の大技2発もかまされた時点ですっぱり忘れてくれるんだがな。並の奴なら狼
狽して激怒して、あったはずの心構えさえ忘れて、それで俺の策にド嵌りしてくれるんだが……)
(……白状しますとヤバかったですわ…………! もしアリスを忘却してたら剣長変更のトリックに絶対絶対、ぜーったい!
あたくし引っ掛かっていましたもの……! なぜ剣気が前方にしかなかったのかと疑問視できたのはつい今しがた……!)

 しかしミッドナイトのアリスに対する警戒心は天鶏剣2つという地獄を経てなお継続するほど強いものだった! だからこそ
彼女は!! 発動した霧もたらす距離感の狂いと! その後ろにいる総角の剣気に! 気付いた!

(アリスを使うなら虚像に攻撃した隙を突く、当然ですわ! 故に!)

 距離感の狂いが突出させる総角に、剣気なき蜃気楼相手に、『いかにも超重武器』な双手剣を敢えて振り下ろし

(出し抜けたと思っている方を安い空振(エサ)で釣り込んだ訳ですわ♪ んふふ、ゆかいゆかいー♪)

 ケタケタとキツネ目で意地悪く笑いながら「んべっ」と下向きに舌を出す少女は客観的に見ればそうしている場合ではない。
なぜなら額のすぐ前にもう巨大な斧が迫っているのだ。死刑用の巨大な回転ノコギリが髪を何本か飛ばしているおぞましい
状況の中でしかし「そっちも問題なく対応できる」とばかり少女は……笑っている。総角が秘しに秘し、取り崩せば命運かか
る大決戦の勝率が3割は下がるとさえ縋っていたフェイタルアトラクションの猛威を喫緊に置いているのに、その打ち筋には
なんらのブレが見られない。そんな姿に策士はただひたすら、ゾっとした。

 双手剣それじたいは確かに連発の効かぬ物。

 だが2本の剣を重力で縒り合わせている都合上、結合さえ解除すれば小回りの効く双剣へ戻るのだ。踏みつけられ土中
に没していた双手剣は光と共に二分され地上へ脱す。二刀流に戻った少女は右手で総角の足を流麗に刻みつつ左手で最
大懸案事項の迎撃に移る。狙うは一点、額に迫りつつある回転斧。

「一の太刀の二者択一など! 双剣で──…」
「フ」

 空を削る切り上げを浴びるに見えたフェイタルアトラクションは大小さまざまな光の泡となって中国剣をすり抜ける。泡の
あった座標から”何か”がシュンと残影引き反時計回りで大きく迂回、マラカイトグリーンの鬼火を双眸とする”それ”はミッ
ドナイトの4〜5時方向で特有の微細の動きを経て斧になり、今度はうなじめがけ縦回転で迫る。

「甘いですわ」

 左前腕部を喉に当てる順手で右肩後ろへ突き出された剣が光によって鞣(な)めされたと見るやギラっと眩いチェリーピンク
の九華帳、つまりは垂れ幕、一般的な封筒ほどの幅した長きそれが剣尖から新体操のリボンの如くに斧めがけニュラリと
伸びて尺を増す。あっと総角が刮目する頃にはもう遅い。繁華街のネオン思わせるドぎつい桃色の輝き放つ幕はもうフェイ
タルアトラクションを縦横無尽のがんじ絡め、禁帯出と印字されたテープで骸布越しに巻きに巻かれた聖遺物の如くに梱
包している。

 ミッドナイトが愛剣リウシンを重力角で変形できるのは周知の事実だが流石の総角も意外なフォルムに息を呑む。

(腰帯剣……! 文字通り腰に巻いて使える極薄の刃! 幕末の刀工・新井赤空の後期型殺人奇剣にも似たアレか!)

 本来の長さは腰一回り程度と普通の剣と遜色ない長さだがそこは武装錬金、特性によって射程は変わる。空気を抜かれ
たビニールボートよりもクタリとうな垂れ扁平な剣は、その先から照射される無数の余剰角欠損角のせせらぎによって遂に
重力波さえ獲得したのだ。同門たるフェイタルアトラクションですら自動(オート)では吸収しきれないほど強力な重力波を。
間合いもまた理論上、無限に伸ばせる。

「あたくしのリウシンは重力角によって様々な変形が可能……ですわ!」

(脱出は)。遠隔操作で斧に何事かを働いた総角は窮鳥がバタつくばかりで破獄の気配なき剣の籠で知る。(無理か)。
 音のした方へ後ろへ、やや首を後ろに曲げ横目で状況を見たミッドナイトは「ふぅん」と感心と軽蔑が半々な微妙な声。

「髪を封じたにも関わらず手持ち武器を、大戦斧を投げられたコト、おかしいとは思ってましたが……道理で」

 腰帯剣の結界に囚われていたのは自動人形だった。
 キューピーを科学モノの特撮のマスコットキャラにリファインしたような独特の姿形は体表こそ青いがエンゼル御前。
 創造者が男ゆえ「彼」なのだろう、彼は籠のなか脱出しようと短い手足をバタつかせたり体当たりをしたり格子たる九華
帳を歯も露に齧ったりしているがショーシャンクの空はまだ見えない。
 ミッドナイトは確認するよう総角に問う。

「御前に投げさせた矢を勢いそのままに大戦斧へ変換しましたわね? だから死角から飛んできたし、だから手持ち武器の
要たる『髪』を……要だと思わせていた髪を封じられていても投擲できた……!」
 ミッドナイトが喋るのは「見抜いた故にもはや通じない」と圧をかけるためだ。

                                               たいしょ
(合ってはいる。タネが割れたが最後、ミッドナイトの反射神経は確実に反応し迎撃する。それが分かっていたからこそ、
俺は奴の眼前では使わなかった! わざわざ髪で鎖分銅などを操ってみせたんだ。『髪以外では手持ち武器を使えない』
と思い込ませる為に……! 髪に纏いつく重力場を放置したのだって『わざと』だ)

 それによって総角はミッドナイトを油断させた。「手持ち武器はもう来ない」という方へ知らず知らず、しかし当たり前のよ
うに誘導した。少女はまんまとそれに騙されていた。

(伏せに伏せた大戦斧投擲はモノがモノでしたし本当に虚を突かれましたわ。二重の意味でまさか来るとは思わなかった。
もしアリスを見抜けていなかったら……不意の斧にやられていた。思わず見せびらかしたくなるほどの宝具を秘に秘した総
角の粘り強さにやられていた……)

 だがもう御前からの武器投擲は通じない……それを分からせるため武侠は総角を直視した。彼女が腰帯剣の中で”もが
く”御前から目を外したのはけして不覚ではない。自動人形を閉じ込めている九華帳の重力波は非常に柔軟、矢の勢いで
旋転する巨大な斧さえ絡め取ったのを見ても分かるように並の攻撃力ではまず壊せない。だからそこに捕らえている御前
から意識を逸らすのは決して不備ではない。

 だが。

(ついでに言うと矢から変換する必要があるのは剣や斧のような『手持ち武器』のみだ。勢いが欲しいから、な)

 籠の中の御前は黒い粒子に変わり始める。

(不定形な武装錬金となら直接変換して支障なしだ! 距離感の狂いに使ったアリスを俺の背後でわざわざ御前にしてそ
の矢を斧に……といった煩雑な手順は不要!!)

 黒い粒子を内包し始めた腰帯剣の、バレーボールの模様にも似た球体牢獄はミッドナイトから50cmも離れていない。

(この至近距離で御前をニアデスハピネスに変えて爆発させる! 内部炸裂! 重力波貫通でミッドナイトを攻撃だ!)

 行くぞ! 拳を握り着火した瞬間!

 腰帯剣の籠がすっと総角の前方に移動した! 

(なっ!!)

 ただ剣が翻り薙がれて来たのではない。音もなく転移してきたのだ。

(剣気の移動はなかった。まるで……そう、まるで……)

 話に聞く錬金戦団の楯山千歳が脳裏を掠めたのは現実逃避か。総角は自ら惹起した爆発を至近距離で浴びる。暗灰色の
花弁の隙間を舞い狂う黄丹の花粉。煙と炎の馥郁が立ち込めた。線香花火の断末魔のような熱い粒がドス黒い燃焼のパラ
シュートを引きつつ幾つも幾つも落ちていく。腰帯剣も無事ではなかったらしく破片も幾つか混じっている。爆発は左手の剣
で起こった。右の方の被害といえば何か硬い裂(きれ)が2つ3つ表面を掠めた程度。

 少女は静かに述べる。

「腰帯剣は速度こそありますが薄手ゆえ破壊力は居合いに遠く及びません。ですがそのぶん特殊能力がありますの」

 瞬間移動。

「『面』として展開した重力波を次元の膜(ブレーン)方面へ伸ばし、特定座標の「膜」同士をひっつけ見かけ距離をゼロに
できますわ。もっともごく近い距離限定ですし、運べるのも剣と九華帳の籠の中の物体程度……。ヘルメスドライブの下位
互換と言われても仕方ないのは悔しいですが」

 それによって黒色火薬を剣ごと総角の前へ瞬間移動! 爆発を彼に浴びせた!
 爆炎に呑まれる総角! 好奇! トドメに移るべく左手の腰帯剣を元の双剣に戻したミッドナイトは両手を体に引き付
け──…

 間隙逃さずとツインテール振り乱し旋転! 
 その手から閃光が飛ぶたび総角のつま先から頭頂部に至るそこかしこで服が裂け血しぶきが舞い上がる!

 筈、だった!!!

 終わりの始まりは小さな爆発だった。

(なっ!!)

 突如として右手にかかった重みにグラリとしながら少女はたおやかな双眸を愕然と見張る。一瞬総角が”また”踏みつけた
のかと思いかけたが右手につられた右足が柔らかな土にズズリと埋没した瞬間ちがうと気付く。

(『重い、重すぎますわ』! 踏まれたとかそんなんじゃありません、巨岩、いえ! それぐらいの鉄塊が不意に乗ったより
遥か重い! 座標は……先ほど爆発の起こった右大腿部付近!? 爆発!? 総角へのニアデスと違う場所でいったい
どうして!?)

 何が右手に起きたのか。見る。両眼にまず飛び込んできたのは半ばから先が消失した剣だった。折られたのなら重力角
で直すのみ……総角へと映りかけるピント。端にちらりと映る紫紺のプロミネンス。慟哭。視界か激しい手振れと共に再び
剣へと吸い寄せられたのはそこに渦があったからだ。詮を抜かれいよいよ空になろうとしている浴槽の浅瀬でしか観測でき
ない類のゴボゴボとした渦が空間に浮かんでいた。ごうごうと舞い散るチリアンパープルの飛沫は太陽表面で龍の如く飛翔
と埋没を繰り返す炎にも似ていた。
 ミッドナイトの剣もまた、渦の中に、あった。半ばから忘失していたというのは少女の咄嗟の見間違いで、剣そのものは
元の健常なる姿のままだった。問題があるとすれば十全でありながら正に渦中へと没していた一点であり、そのせいで過
大な重さがますます過大になりつつあると気付いた瞬間からミッドナイト、もはや当該事象を看過できる立場ではなくなった。

(抜けない! 全力で引いているのに! これは……これはまるで……『まるで』!)

「フ。天鶏剣の連結は弱かった……。お前はそう思ったのだろう。蛇を突っ込み壊したあたりで」

 爆炎が晴れた。現れた総角の顔はやや煤けていたが概ね無傷。

 交差する両名の想い。言葉を感じ取った訳ではないが、度重なる駆け引きを繰り返した好敵手たちは時に半世紀以上
連れ添った伴侶よりも通じ合うコトがある。総角とミッドナイトはそれだった。互いの僅かな表情で何をされたか分かるほど
に深く深く相手を理解していた。
「確かに……弱かったのは習熟度不足もある。初見だったからな、熟練したお前より劣るのは認めるよ。だがもし『他に、
何か』していたせいで、そちらに重力を回していたせいで、連結部が脆弱になっていたとすれば……どうする? ああ、日
本刀の長さを変えるのに使った重力のコトじゃないぞ、あんなのは微々たるものさ。本命に比べれば、な」
(……まさか!)

 武装錬金は本来各人固有。だから創造者は自分のみが地上唯一のこの武器のエキスパートだと思う。だから複製者が
ヘタな使い方をすれば嘲りの中に安心を込めてこう思う。拙劣で当然、拙劣でなければならないと……と。

(フ。自分の審美眼に叶わぬもの総てポカと思い込んでくれるお陰でやりやすかったぞ、『色々』とな……!)
(あなた……『仕掛けましたわね』!?)

 ミッドナイトの剣がいま謎めいた渦に飲まれている海域は、総角の最初の天鶏剣が通り過ぎた場所と一致する!

(分割により俺にたたらを踏ませた双剣は、さあトドメという時いったん基本の構えに戻る。さればこちらの足元からお前の体
めがけ引かざるを得ない。だから都合上、どうしても低軌道を通る、武侠の右手側の低軌道は俺の九頭龍閃『肆』と一致する。
そこに仕掛けた物に相手がかかるのは……フ、確かに気分がいいぞミッドナイト。出し抜けたと思っている奴を安い空振(エ
サ)で釣り込むのは)

 双手剣を踏みつけたばかりに体が前に向かって傾ぎ始めた瞬間かれは気付いた。
『果たしてハメられたのはどちらか』と。内心ほくそ笑みさえしたのだ、どちらに向く軍配を見たのか言うまでもない。

(っ! この男! アリス破りさえも予期していた……!?!)

          そ れ
 でなくば誰がリウシンを踏むか、一度眼前で分裂した剣を踏むかと言わんばかりに総角は笑う。

(連結を蛇に壊されるほど脆弱にして切り詰めた重力エネルギーは軌道上の一点めがけ放った。正確にいうと重力がただ
一点に流れ込むよう空間を……整復した。ただ一点の『底』に重力が集中するよう空間を、余剰角と欠損角で螺旋状に掘
削した。それができるようインプットした重力場を天鶏剣から密かに放っていたから、だから俺は双手剣を踏みつけた。踏
みつけてお前の体勢を崩せば”それだけ”が目的と見せかけられるからな。意趣返しととばかり行われる双剣分割を引き
出せる。所定の場所へ誘い込んで”そう”する為どうしても必要だった分割を、な。フ。腰帯剣を右でなく左でやってくれたの
も助かった。ま、そうなるよう誘導したのは正にこの俺、右から気を逸らすのも兼ねたのさ)

 ミッドナイトのリウシンはもう8割ほどが渦に没している。剣だけではない。風も、木の葉も、艶やかなピンクのツインテール
でさえも、嵐に誘われるが如くごうごうと渦に向かってなびいている。

(空間歪曲専門の重力角のみではここまでならない筈! まさか!)
(ご明察。フェイタルアトラクションさ。お前に到達するまえ重力の底へ超圧縮したやつをダメ押しとばかりブチ込んでやった。
御前の矢から変じた斧はその程度の命令なら受け付ける。要するにお前に迫ったとき既に目的は達していたのさ。当たる
当たらぬで目を奪えれば良かった、密かな行いから気を逸らせさえすればそれで良かった。フ、どうだこの虎の子すら囮に
する豪儀さ。なくば勝てぬと俺が断言。光栄だろ?)
(『ヴィクターの斧すら絡んだ重力現象』……? そんなのただ1つですわ! 超圧縮された重力がただ一点に打ち込まれた
場合! 出来る物はただ1つ! あたくしの剣を今! 飲み干しつつあるのは!)

「そう」。美丈夫は指を弾き高らかに宣告する。

「SFでお馴染みマイクロブラックホールさ」

 ストレンジャーインザダークの一件で粉々に砕かれていたソードサムライXの粒子は『鉄』に近い組成を有している! 空間
を漂っていたそれのうち適切な一座標を総角は中心核に設定! そこめがけリウシンによって作られた欠損角余剰角の渓
谷は中心核が重力収縮するに充分なエネルギーをみごと一点集中してのけた! 進行した収縮はやがて日本刀の破片の
粒の原子核1つ1つそれら総てをただ一点に押し込め超圧縮! 陽子と電子の強制結合により生じた中性子はなおも重力
角によって迫りくる雑多な物質を自らの縮退圧で跳ね返し爆発を起こした! それこそがブラックホール発生前ミッドナイトが
聞いたものであり、そして超新星爆発だった! 通常ならそのあとの中性子は中性子星かパルサーになりうる選択もあるが、
しかしフェイタルアトラクションが爆発の数瞬前もたらしていた一点集中の重力が進路を決めた! 身長57mの機械巨人
すら撃滅してのけた錬金の魔人を擬した一撃は中性子の強烈な縮退圧を本体ごと圧潰し、ねじ伏せ、破局的な重力崩壊
へ導いた! 

 勢いはもう止まらない。剣を握っていた少女の手首さえも超重力の渦の中に引き込まれた
 よって彼女の体勢は固着。だが九頭龍閃は止まらない。接触まで残り52cm。九撃総ての刀が折られているとはいえ、
それらの無残なささくれは重力に足取られ動けぬ少女を撃破するに充分だ。総角自身の速度もまた、ブラックホールから
の吸引によって増したのだから。

(フ。むろんこのままの軌道でいけば俺もブラックホールの餌食となるが、しかし剣が届く方が速い! 左足とその付近の
『肆』と『伍』は犠牲になるが、刀さえ届けばいい、鍔元のささくれを刺せさえすれば……)

 御前すら黒色火薬に変えられる総角なのだ。ソードサムライXを別の武装錬金に変えるコトもまた……容易い。

(『鍔元のささくれ』だ。刺す。そして変える。ミッドナイトを無効化できる武装錬金は『アレしかない』……!)

 前腕部の半ばまでブラックホールに呑まれた少女の思考の色彩はさまざまだ。冷静と動揺が春秋の如く入れ替わる。

(総角は天鶏剣を解除している。リウシンを終えるやアリスに切り替えたのは周知の事実。だから理屈だけいえば彼が天鶏
剣軌道に打ち込んだ重力角がアリスの次の次の大戦斧が重力の炉に火を入れるまで生きていたのは普通に考えると『変』
ですが……いえ…………やってくれましたわね総角。彼はこの辺りを矛盾なく成立させてます、素晴らしいが小憎らしい……!)

 つくづく策士だと溜息をつく。

(思えばストレンジャーインザダーク。あれは検証をも兼ねていた!)

 ミッドナイトは剣のカケラを『不可逆の重力エネルギーで壊した』。そうしたものは術者にすら直せないと……例示した。

(フ、特性支配すら及ばぬ破壊なら、それはもう武装解除後も続くというコトだ。とはいえ実際どうかは分からなくてな。よって
使い慣れている先達への観察を以って……フ。検証とした。分からぬ時は習うのが一番いい。『参』への攻撃でエネルギー
吸収の是非をも問うた素晴らしい教師への感動を以って、な)

 真意を見抜かれぬよう彼は敵に『身内の武装錬金』を差し向けた。敬愛する兄の武器を使われたコトによる僅かな思考の
狂いが奥底に潜む本当の目的を推察できぬようした期待は──ミッドナイトの右下の臼歯が上からの咬合力でビキビキと
ひび割れるほど──叶った。

(そして重力角で開削された空間はリウシンが解除されても戻らず、重力が流れ込み続けた! フェイタルアトラクションに
よる圧壊についても同じコト! 斧→御前→黒色火薬と変えたとしても)
(フ。そう。フェイタルアトラクションに壊された中性子の縮退圧は依然として壊れたままであり)
(ブラックホールが……生じた!!)

 怖気すら覚える術策だ。
 何しろ超圧縮された重力は! 犯人が解除されても既にそこめがけ引き寄せられ始めていた無数の重力を遺していて!
それらが勝手に圧縮に次ぐ圧縮を繰り返したため! 天鶏剣との時間差でマイクロブラックホールを生じさせた!

(総角はこの時間差すら考慮に入れていた……! リウシンをアリスに切り替えるタイミングが少しでもズレていれば、あた
くしが総角の足元で双手剣を双剣に切り替えた絶妙のタイミングでブラックホール発動とはいかなかった!! 一歩早ければ
霧が吸われ遅ければ剣が彼に当たっていたのに……いずれも避けた! 初めて使う武装錬金の初めての攻撃なのに……
事もなげに……成功させた!)

 しかも──これは天鶏剣を模倣された時も似たようなコトを考えたが──総角はインコムからアリスまでの逆算的な段取り
さえ整えていたのだ。更に複雑極まる戦略は事前に考えられていたものではない。不意の遭遇戦の土壇場の中の即興だ。

 なんという男……。既に肘までもブラックホールに呑まれている少女は思った。


 残り32cm。ミッドナイトは右腕をマイクロブラックホールに呑まれている都合上、体を大きく右傾している。残る片腕は
変わらず剣を持っているが、体勢が体勢なだけ必殺の威力は生み辛い。

(好機だ。攻める。お前の、次の”手”が、1つでも……!)

 総角の眉宇が一瞬わずかだが歪んだのは、”それだけは、させたくなかった”という思いがあったからだ。
 無表情な武侠の左手の剣が迸らせた銀閃は、総角にではなく、彼女に、奔(はし)った。

 右腕の、肘からやや上で迸った剣影は、そこから先を、ブラックホールに呑まれていた救出不可としか思えぬ部分を……
離断した。ミッドナイトの腕が、陽剣が、没していく。紫外線を浴びた灰重石(かいじゅうせき)の如き青白い光を所々に織り
交ぜる幻想的なアマランスパープルの渦の中へと消えていく……。

(剣を片方封じられた以上、単剣で戦うのみですわ。どうせもう近間。突き主体なれば双剣は無用……!)

 細腕から陰惨なまでに赤い濁流を噴出させる剣客は、痛覚1つ感じさせぬ不敵な顔で笑いかけたが、総角の表情にうっ
すら浮かぶニュアンスを認めると

(甘い男(ひと))

 いつ以来か、困った弟を見る姉の顔で微苦笑した。

(女のコにこういうコトさせたくなかったって考え、でもせざるを得ないほどあたくしが強かったと悔やみ、そもそも片腕以上
の大事な存在すら奪っていると嘆きながら己を鼓舞している……。本当、不器用ですわね)

 大事な存在を、ミッドナイトの恋人を殺さざるを得なかった時も、きっとこういう表情だったのだろうと少女は思う。勿論だ
からといって今すぐ許せる訳ではない。恋人が覚悟の上で彼に挑んだと知っていても、仇が、自分こそ万能だと吹聴する金
髪の剣客である以上、『口ほどにもない、どうしてあたくしの大切な人を殺さず降す策を打てなかったのです』という憤りはど
うしても抑えられないのだ。それが死地に向かう恋人を止められなかった自責の変容だと分かっていても、「仇」という分か
りやすい概念が生きている限り向けざるを得ないのだ。『高貴』を是認する武侠であっても、深い想いだけは人間的な範疇
を脱せないのだ。

(総てを許せる訳じゃありません。人格的に嫌いな部分の方がまだ多い。性悪な癖にやたら頭いいのも腹立ちますわ)

 だが同時に想う。総角に、彼と瓜2つの男を重ねて惟(おも)う。母の仇を憶(おも)いながら、念(おも)う。

(こちらはまだ! 殺さずに決着をつけられる侠(おとこ)……!!)

『反転』はできた。肘まで呑まれる失態を演じてまで蓄積したものは、実のところ反転をも可能にしていた。
 だがミッドナイトはそれを選ばなかった。勝利だけを目指すのなら迷わずすべきだと直前までは思っていたにも関わらず、
剣客の複雑きわまる表情を見た瞬間、「まあ、いいでしょう」と心の中で何事かが溶けて、だから反転はしなかった。

(感謝なさい総角。あたくしの敬意に。特赦に!)

 マイクロブラックホールの境界面は。

 絹糸のような細い光線を幾つも幾つも電子音めいた呼吸音で吸い込み。
 一面ことごとく鉄火溶鉱炉の燈火に彩られた。
 ……続いて白く盛大な閃光の爆発が発生。妖精国の清河もかくやの澄み切った重力波が月光をきらきらと照り返しなが
ら緩やかに逆流したのも一瞬のコト、先だって暗黒重力に吸われていた空気が突風の勢いで噴出!! きり揉む血液や
剣の破片に一拍遅れ少女の断面生々しい腕が総角に激突。武侠だった物が握り締めていた剣首(柄頭)は剣客の、みぞ
おちの前で構えられていた前腕部に直撃し……小規模だが爆砕の光を導いた!

「ピーキーガリバー……の待機(ウェイト)モードといったところですわねソレ」

 中世鎧のコレクションを1つ1つ検分してけば2分とかからずすぐ見つかる簡素な篭手といった装具を右腕につけていた
金髪の貴公子は「フ」と引き攣った笑みを浮かべる。篭手はもう踏まれたマカロンのように中空へ散らばっている。

「マイクロブラックホールに囚われ動けぬあたくしを前に、推進型の篭手の更に縮小版で密やかに加速し九頭龍閃『玖』の
突きの残骸を当てようという発想は見事」

 ですが加速が来るのは読んでいました。武侠の少女は髪の房を揺らめかし、宣告する。

「加速系の武装錬金は三叉鉾など数ありますが、九頭龍閃の体勢でとなると咄嗟に思いつくのは2つ程。装着型のピーキー
ガリバーか或いは初撃でも使っていた不定形(ニアデスハピネス)のどちらかだけ。しかしいずれが使われようと、それ以外
の加速がこようと、あたくしは今の如くカウンターを取れるよう計らった! マイクロブラックホールを利用して、ね」
(ブラックホール蒸発……! 奴にしてはむざむざと片腕呑まれているためよもやと思っていたが、やはり送り込んでい
たか! 重力エネルギー!!)

 最初こそ欠損角と余剰角の投入によって吸引を止めようと試みていたミッドナイトだが、止まらぬと気付くや思考を変えた! 
下地になったのはハイテンションワイヤーの虚脱からの離脱! 消力! 流れに逆らえぬのなら流れに身を任せよという
心持ちが超圧縮される重力への更なる超圧縮を思い立たせた!

(ブラックホール内の実在粒子は重力が強くなればなるほど負のエネルギーを増す! 飛び去るためのエネルギーを重力
に奪われていますからね! 通常空間ならどんなに小さくても『正』で止まる物がマイナスに、なるのです!)

 皮肉だがブラックホールが強くなればなるほど中身の粒は弱くなる。
 だが重力自体は強くなるため、『事象の地平線外側で対消滅する筈の仮想粒子』がどんどん黒い虚空へ流れ込み

 ブラックホールを蒸発させる! 

 表面で対消滅の相方を失くした実在粒子が正のエネルギーごと飛び去る為! 当該エネルギーを光速の二乗で除した
分の質量がホーキング輻射で消えるのだ! 量子ゆらぎの対消滅が起きるのは脱出不能な地平線内側でなく脱出可能
な外側の『真空』……だから相方なき粒子は脱出できるのだ!

 消滅した質量分ブラックホールが小さくなる。しかも内部に流れ込むのは仮想粒子の負のエネルギー。時には実在粒子
も吸われるだろうがしかしそれさえも前述のとおり超重力によって結局は負のエネルギーを帯びる。

 そのため、詳述は省くがブラックホールは小型化するほど温度が上がる。輻射もまた速くなる。加速を極めた蒸発は結局
爆発に行き着くが、ブラックホールの蒸発にもそういう要素はある。

「そして極限を超えた重力は蒸発! 飲まれていた腕すらも剣ごと飛び出しあなたに着弾! もちろん重力角を操れるあた
くしですから、軌道変更などお手の物!」
(フ。その要領で剣の切先を下から上へ『反転』させていたら、篭手ごと俺を刺し貫けていた物を……)
 甘いのはどっちだと総角は笑う。ミッドナイトはちょっとだけ頬を染めて気まずげにプイと視線を逸らしかけた。
「フ、照れ屋は今の爆発で相当量の重力エネルギーを失った! しかも!」
 総角の眼前を舞い飛ぶ中国剣は度重なる重力の圧搾によってあちこちが歪んでいる。剣先から4分の1ほどが比較的
まっすぐなのはブラックホール蒸発直前まで『反転』するか否か迷っていた葛藤の証だが、それ以外は余剰角欠損角で成型
しなおすより一度溶かして鋳型に流し込んだ方が早く直るという有様だ。されど鋳型に戻すには、再発動するには時間がない。

「言ったでしょう? もはや近間! 剣一本の突きで充分……ですのよ!!」

 両名の距離、残り21cm。

「そして!!」

 中国剣から領導された鈍い重力の波濤が『玖』を除く九龍の首を爆ぜさせた。

「ほぼ分子分解状態の霧がいよいよ崩壊に向かって活動し始めた『エネルギー』をソードサムライXで吸収後、下緒から
の放出で加速するのも予測済み! 天鶏剣にアリスにブラックホールにと実にさまざまな企てをやらされていたお兄様の
武装錬金が! 最後の加速のための苦役(ふくせん)すらやらされていたと考えるのは当然!!」
(フ。さすがに色々やりすぎたせいか……などとは思わん! あれだけミスリードにミスリードかまして覆い隠したはずの
本命にさえ気付くとは……! こっちはこの加速をひた隠すためだけに無い知恵絞ってあれこれ考えたんだぞ!!?)
「ここまで空間を漂う余剰角を放置していたのは、九頭龍閃の同時性を奪うため。ですが各個撃破を済ませた以上、もは
や浮遊させる必要はありません。あたくし、”コツ”を掴みましたのよ」
 『参』を暴発させたとき彼女は、中国剣抜きの重力角のみで、エネルギー充填状態の日本刀を破砕する”コツ”を掴んだ。
「そして店(たな)晒しだった余剰角を操り、飛ばし、あなたの最後の加速を相打ちで封じた! 今ので決定的に遅くなった
九頭龍閃ならば剣一本で……刈れます!」
「フ。それはどうかな!」
 構える少女の左肘が突如として曲がるべきでない方向へ捩れ始める。浮遊する陽剣から伝わる波動のせいだ。アメジス
トの水溶液があればこうだろうと思わせる薄い赤紫した空間の歪みは重力角。それがリウシンからミッドナイトに伝播し、肘
を捻り……骨が外れたときの小気味良くさえある音を奏でた。少女は一瞬瞠目したが、きっと想定していたのだろう。苦悶
にやや脂汗をまぶしながらも褪せた顔で凛然と囁いた。
「いよいよ敵対特性……。鳩尾無銘の武装錬金さえ動員したようですわね……」
 紆(ま)がりくねった空間の色はくすむ。宝石の泉から毒草の汁へ変じた激しいロイヤルパープルの波濤が少女の足首を、
膝を、腹を、首を、次元的な面干渉で枉(ま)げていく。肉の纜(ともづな)が一本また一本と千切れる音がする。骨の軋みが
木霊する。欠損角と余剰角で空間操るリウシンは確かに強力。『なればこそ』、術者は敵に特性全軍が左袒された場合、
成す術を皆目……失くすのだ。

(愛犬と死に別れた少女を、その愛犬の面影ある無銘の能力でハメるなど……したくなかったが…………しかしもはやコレ
しか、手は……!)

 策士と蔑(なみ)されるコト多き総角主税でさえ悔恨と共に思う。

 無銘操る兵馬俑の自動人形の体組成は総て鱗(うろくず)と呼ばれる数ミリ足らずのウロコ状金属片であり、それは一種
のコンピュータウィルスの様相も帯びている。ひとたび武装錬金の傷口から侵徹すれば3分後必ずその特性を創造者に
『敵対』させ大打撃を与えるのだ。7年後の銀成市で”あの”津村斗貴子でさえ『高速機動する可動肢と鎌』を突如として己
めがけ差し向けられ敗北を喫したのを見ればいかに『鱗(うろくず)』もたらす敵対特性が恐るべき毒瘴か分かるだろう。
(ですが兵馬俑で攻撃された気配は……。時間だって総角の全力解放から現実空間では1秒足りと……)
 ここまで考えた時点でミッドナイトは前者の答えに気付く。気付くと肘の痛みも忘れて肩を揺する。そこも敵対重力で捻ら
れ始めているが分かっていても、痛くても、笑うほかなかった。
「総角。あなた腰帯剣でワープされて喰らったあの爆発、途中で兵馬俑の部分発動に変えましたわね?」
「御名答」。金髪の青年はどこまでも得意気に笑う。
「爪の部分さ。爆発で勢い良く吹っ飛んでる自動人形の金属製な爪なら作れるだろ? お前の剣に、傷を」

──線香花火の断末魔のような熱い粒がドス黒い燃焼のパラシュートを引きつつ幾つも幾つも落ちていく。

──腰帯剣も無事ではなかったらしく破片も幾つか混じっている。

──爆発は左手の剣で起こった。右の方の被害といえば何か硬い裂(きれ)が2つ3つ表面を掠めた程度。


──何か硬い裂(きれ)が2つ3つ表面を掠めた程度。


(またやられましたわ! あの時に鱗(うろくず)の侵入を許していたとは……!)
(フ。斧やら何やらに変化させれるのは御前だけではないというコトだ。俺の認識票の作る複製品は総て俺の精神の具現
なんだ、それら総てに互換性があるのは当然、他のあらゆる武装錬金に変化(へんげ)できるは当然……!)
(ほんと忌々しいジョーカーですわね! 状況によってあらゆる『役』になりうるただ一事だけで既に反則……!)
(だから爆発で散逸しつつあった黒色火薬ですら兵馬俑の爪に変えられるのさ。投擲武器に加速を与えられるのは御前
の矢だけじゃないのさ。そして……フ、裂(きれ)が掠ってからこっち俺が使っているサブは兵馬俑。矛盾はない、敵対特性
が継続しているのは当然のコト)
(しかし敵対特性発動までの3分はどう埋めましたの!? ブラックホール内の時間の進みは超重力ゆえに『遅い』! 百
歩譲ってウラシマ効果に玉手箱を付けたとしても外側つまりこちら側ではまだ3分経ってませんのよ! 認識票で時間系統
の武装錬金を? いえ! スロットは刀と兵馬俑で埋まっている! ならどうやって彼は敵対特性を一瞬で……)

 足元を何気なく視(み)た少女は絶句する。先ほど近くにあったブラックホールにも似た、しかし虹色の内膜が決定的に違
う次元の裂け目が、僅かに覗く『砲身』と共に六角形の金属片と化したのだ。通常の核鉄をやや小さくしたようなメタルブラ
ックのそれにミッドナイトは見覚えがあった。母から電波で伝えられた姉の戦いのなか登場した物品だ、忘れようもない。

(しっ?! 新型特殊核鉄ぇーーーーーーーーーーーーーーー!?)

 によって参集した武装錬金は『アルジェブラ=サンディファー』。時間を操るスマートガンと時間経過待ちの兵馬俑の相性
は……最高。3分の制限など加速で満たせる。しかも総角はほぼ水平展開中だったブラックホールの『下』からタキオン加
速粒子の光条を事象地平内側のリウシンめがけ撃ち込んだ! あらゆる光を吸うためその背後の視覚情報すら見えなく
するブラックホールという『死角』を総角は突いた! 果たして中国剣に着弾する光線! 通常のブラックホールであれば
光さえも重力で遅延していた所だが、

(せっかく相手がわざわざ蒸発させてくれたんだ、鬆(す)の入った重力場にスっと通してやるのは、フ、礼儀だろ?)

 爆発直前の現存するブラックホールを遮蔽物にしておきながらイザ済めばハイじゃあ爆発のドサクサの間隙を縫いま
すねとどこまでも食った態度の策謀だ。『蒸発が起きた』からアルジェブラを使ったのではない、アルジェブラを使うために
『蒸発を、起こさせた』。

(ですが驚くべき部分はそこじゃ……!)

 総角が新型特殊核鉄を所持するはフェイタルアトラクション以上に『ありえぬ』出来事!

(本来の所持者は武藤ソウヤ、少なくてもお母様が身罷った時点では彼の手にあった筈! なのにどうしてあなたが!!?
そ! そもそも! あらゆる武装錬金を複製できるあなたがソレ持つ必要性が分かりません! そんなの防人衛が鎧を纏
い火渡赤馬が火炎放射器持つようなものですわよ!? っ!? もしや何か『持つべき理由でも』!??)

 裂眥(れっし)の形相で驚きを示すミッドナイトに対し総角はどういう訳か、小札めがけ少しだけ瞳を動かした。

(なぜ彼女を!? 力を与えた霊獣無銘が一枚噛んで……いえ! 考えるヒマはない!)

 敵対する重力角が少女の体を『折りたたみつつ』ある。紙に書かれたイラストに山折り谷折りを作る気安さであちこちから
骨の折れる音が響き渡る。重力場は武侠をその場に釘付ける楔にすらなった。集中する重圧は深海のそれと化しやがて
ミッドナイトは『空気総てと置換した鉛』という名の琥珀に囚われた蚊の気分を味わい始める。Gの磔刑のなか指を手を体を
必死に揺すりもがく戦神の季子。

(動くのです! 総角はもう傍まで……!!)
(フ。無駄だ。ひとたび発動した敵対特性はこの俺でさえ振り払えん!)

 かつて総角、最終ターゲットの武器たるワダチに効きうるかと検証したコトがあるが結果は正直言って最悪だった。効能
が測れなかったばかりか全治1ヶ月ほどのケガさえ負った。鱗(うろくず)が「総角のワダチはあくまでコピー、それを複製し
た方の『特性』を敵対させる」と判定したためだ。累がワダチではなく認識票の方に及んだ。始まりかけた時点で養子であ
り部下でもある無銘に兵馬俑の解除を命じるという手段はあったし実際チワワの方もそれをやりかけていたのだが、数多
の武装錬金を使える総角が「俺への敵対特性ってどういうのだ?」とマニアゆえの好奇心に負けたのが運のつき。継続を
命じたばかりに彼は事後、ホムンクルスの治癒力を以ってしてなお前半はベッドの上で片足吊る寝たきりだった加療生活
1ヶ月を送る羽目になった。

(この俺が秒殺されたんだ。敵対してくる無数の武装錬金に。周囲の木々が傷だらけになるほど裂帛の気合を上げ続ける
といった必死の抵抗が軽々と無視された。アリスのトラウマ刺激と黒色火薬の大爆破とその他44の強力な武装錬金の追撃
が降り注いだのは認識票2つともがサテライト30で増殖したせいだ。しかも小札の話じゃ俺が気絶してもまだ涌いてくる色々
がこちとらを狙っていたらしい。もし無銘が敵対特性を解除してくれていなかったら……フ、まあ死んでいたろうな、俺)

 どれほど気魄を昂らせようと祓えなかったのが敵対特性だから、総角は養子の武装錬金にいつだって細心の注意を向け
ている。組み手をする時はもちろん、悪い共同体相手の大立ち回りで乱戦になった時もだ。真先に兵馬俑の位置を把握し
フレンドリーファイアを受けぬ場所へと移動する。

(それほどの能力なのさ、敵対特性……!)

 直接的な攻撃力を持たない代わり、相手の武装錬金が強力であればあるほど威力を増すカウンター的な特質を有す為!

 相手が強いほど……効能は、絶大!! 

 しかも今回の相手は最強の眷属・ミッドナイト! 彼女は総角以上の猛威に見舞われた!


(お前は本当に、俺のやりたくないコトばかりさせてくれる……!)


 総角の予定ではアリスの『距離感の狂い』で出し抜いて勝てていた筈なのだ。少なくても戦歴からの経験則ではアレだけ
色々積み上げれば勝てるのが当然……だった。だがミッドナイトは予測を遥か狂わせた。念のためと用意していた最後の
邪道さえ使わせているのが今なのだ、

 総角のソードサムライXは先ほどの重力角の攻撃により「ささくれさえない」物がほとんど。ほとんど、というのはどういう訳
か『玖』のみが消失せずに残っているからだ。

(……おそらく超新星爆発から飛んできた剣のせいだな。篭手を砕いたあれは出所が出所なだけに重力波動が強かった。
『玖』のある俺のみぞおち付近の重力を極端に歪ませたんだ。だからミッドナイトが余剰角を飛ばしても、偶然にだが跳ね
返した。飛んできた余剰角はもともと、ミッドナイトが消力で飛ばした比較的弱い奴……だからな)

 重力で激しく歪み無力化されつつある少女に総角の九頭龍閃が迫る。

(ささくれた鍔元を当てて『アレに変えれば』……勝てる! あと僅かで!)
 進む刃。少女のみぞおちまであと5センチ弱。
 いよいよ重力の虜囚となり身動(じろ)ぎできぬミッドナイトは、呻いた。

「……。見事と認めざるを得ませんわ。ブラックホール蒸発まで読み切っていた洞察もですが何より愛犬との絆を重んじて
下さったその正心……ただの外道であればあたくしがこうなるコトはなかったでしょう」

 6位。それは破格の認定だ。母に兄、姉2人と恋人に次ぐ6番目の「一目置くべき実力の持ち主」の序列に愛しき者の仇を
連ねるほどに高貴な少女は総角に瞠目しそして認めた。
「ですが!!」
 やや俯き表情を前髪の影に隠していた少女は毅然と面を上げ……咆哮!!
「兮兮兮兮兮兮兮兮兮兮兮兮兮兮兮ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
 9ヶ国語に通暁している総角でさえ俄かには表音不可能な絶叫だった。だが漲る気魄は神の真言と思わせるに充分! 
そして! たった、それだけで!! 少女を苛んでいた敵対特性の重力角が総て総て……消し飛んだ!
(馬 鹿 な ! ?)
 総角の中でミッドナイトがアオフと等しい同率2位の恐怖対象になったのはこの時だ。彼はただただ、青ざめた。
(敵対特性だぞ!? ひとたび発動すれば最後この俺でさえ秒殺された特性弑逆の連撃を──…

気 合 1 つ で 無 効 化 だと…………!!?)

 重力場を吹き飛ばしたミッドナイト。傷はそのままゆえ軽くよろめく彼女だが会心の笑みで指摘する。

「詰めを誤りましたわね総角。アルジェブラによる時間加速が『敵対特性発動開始』時点で止まったのが運の尽き。もしそ
れ以降まで、つまり『敵対特性の重力があたくしを完全無力化するまで』加速を続けていたのなら、あなたは問題なく日本刀
による最後の一撃を入れられていたでしょう。しかし」

 武侠は剣を引き、構えなおす。

「古人に云う。毫釐(ごうり)の失、差(たが)うに千里を以ってす」

 謎めいた言葉だが総角には通じる。美丈夫の顔が引き攣った。

(っ。やはり無理だったか。『参』の暴発、あれが最後の最後で響いた……!!)

 ハイテンションワイヤーで抜粋したエネルギーをソードサムライXに蓄積していたのは新型特殊核鉄に蓄電するためだ。
何しろこの武具は武装錬金を複製できる分、消費するエネルギーもまた莫大。ソウヤが所持していた頃はヌヌというアル
ジェブラ本来の創造者が蓄電を引き受けていたため黝髪の青年はさほど運用に困らなかったが、総角の手に渡ってから
は違う。(なにしろ時間を操る能力、だからな……!)、燃費はとみに悪く、簡単な加速や遅延、停止を行うだけですぐガス
欠。しかも生体エネルギーの蓄積だから血小板製剤の如く日持ちしない。(このあたりパピヨンは蝶の園における各人の
『闘争ゲージ』に立脚した意図的な不便として製作した)、僅かに溜まっては時間と共にすぐ散り行く。

 だから総角は戦闘において現地調達の使い捨て、外部からの強力なエネルギーを糧として使っている。
 ハイテンションワイヤーから抜粋されソードサムライXに蓄えられた物も本来ならそう使われる筈だったが──…

 しかし。ハイテンションワイヤーの虚脱が起こった直後、連結剣の先頭が消力で飛ばぬよう咄嗟の機転で注意したミッドナ
イトは考えた。

──(全力の総角が相手である以上、剣への保全措置のみで貴重な時間を浪費する訳には参りません。『剣が落下する』とい
──う事象は、彼の次なる目論見を潰すためにこそ使うべき……!)

 ごく刹那の間に蝶と鎖で合計2度も出し抜かれたミッドナイトだからこそ、考えたのだ。『敵はどうせまだまだ策を持ってい
る』。そして瞳に映っていたのはソードサムライX。エネルギーを吸収・蓄積する武装錬金。

──(そういえばつい今しがた、あたくし、ハイテンションワイヤーで抜粋されましたわ。『エネルギー』を抜粋された……)

 鎖分銅が日本刀に接触したのを直接見た訳ではないが、せっかくのエネルギーだ、総角ほどの男がそれを再利用しな
い訳が無い……そう踏んだミッドナイトは剣に命じた。

 落下直前だった『陰』がソードサムライXに接触するように。
 そして触れたが最後、刀を歪めて壊せるように。
 歪んだ刀から蓄積エネルギーが漏れ出でて爆ぜるように

 軌道をインプットし、重力をありったけ、強めたのだ。

 結果、

──(ソードサムライXのエネルギー放出が跳ね返された!! だがなぜ暴発した!? 確かにハイテンションワイヤーで抜き出
──したエネルギーこそ『終盤への布石』のため蓄積してはいたが、暴発し障壁で倍返しにされるようなヘマなど、する筈が!)

 九頭龍閃『参』が蓄積していたエネルギーが暴発。
 予定ではアルジェブラの新型特殊核鉄の充電に回す筈だったエネルギーを、『終盤への布石』を──…

 ミッドナイトは暴発させた。浪費、させたのだ。

(奴は総てを読んだ訳じゃない。なのに総てを読んでいた。細則を知らぬまま大枠だけは抑えた……! くそ、あの暴発さえ
なければミッドナイトの言う通り敵対特性が奴を完全無力化する刻限まで加速できていたものを……!!)

 代わりに霧から吸収した分子分解エネルギーを充当するつもりだったがそれもまた先ほど殆ど散らされた。蓄電できたのは
ごく僅か。むしろ咄嗟に敵対特性発動までの加速分を回せた手腕こそ神業というべきだが世界は残酷、いかな努力も結果に
繋がらねば評されぬ。

 唸る総角。屈辱の色も相当濃いが、感嘆もほぼ原液ママだ。とはいえミッドナイトの方も決して戦勝ムードではない。

(まさかあのちょっとした思い付きが、『参の暴発が』、新型特殊核鉄という恐るべき隠し手への抑止力になるとは……。ハッ
キリ言ってあたくし、ギリギリ助かったに過ぎませんわ。だって蓄積したエネルギーの使途など良くて加速か爆発、まあ目
晦ましの方が確率高いでしょうねと楽観してましたもの。……ほんと、ビビりましたわぁ……。よもやアルジェブラ用とは……)

 U(ゼフテロス)まで極まったそれの『ティンダロスの猟犬』が最強たる母の武装錬金をも大破させたコトも当然電波越しの
情報で受領しているミッドナイトだ。模倣品でもアルジェブラに対する畏敬は消えない。

(隠されていたのもまたエゲつないですし、何より足遅き敵対特性へ超即効性を与えるのが恐ろしい! そのための蓄積を
知らず知らず防げていたとはあたくし自身ビックリですわー!)

 念には念をで動いていて本当良かった……根がビビリでヘタレな少女はしかしだからこそ、燦然とした武勲を対外的に
知らしめる。弱さを見せればあっという間に食い散らかされるのが戦いなのだ。虚勢もまた、武器なのだ。

「(ええと。な、)何より?」

 ふふんとそっくり返り、得意顔で告げる、

「武器が己めがけハネ返るなど中国武術では、あたくしの功夫の中では、よくある情景の1つに過ぎません」

 言葉をなくす総角に、少女は胸中スーパーデフォルメできゃいきゃい騒ぐ。

(よっしゃ決まりましたわ!! 決まったですわー! カッコいいお姉ちゃんに恐れいるがいいですわ総角! ああでもあま
りハシャぐとせっかくの堅牢さで繋いだ戦局が流れちゃいますし、慎重に参りますわよ、油断しちゃダメですのよー!)

 日本武道にはないアクロバティックさは中国武術の特徴の1つではある。確かに手元は狂いやすいだろう。七節棍や鞭
のような制御し辛い武器だってあるのだ、剣以外も修練してきたミッドナイトが事故の1つや2つ経験していてもおかしくは
ない。自分の武器ですら時としてフレンドリーファイアをもたらす『戦いの当たり前』を根底から理解して覚悟していたから
こそ敵対特性という土壇場にすら一糸みだれぬ毅然たる態度で臨めた……といった精神論は決して間違いではない。

 だが。

(そういう”慣れ”があったとしても敵対特性そのものはとっくに動き出していたんだぞ! 注射された猛毒が循環系の高速
に乗ってしまったような物だ! 武器がただ跳ね返ってくるのとはワケが違う! ひとたび発動した敵対特性を力尽くでねじ
伏せるなど本来ならば以って不可能!! なのに俺でさえできなかったコトをコイツは! ヴィクター以上の重力角を! 
ほぼ無傷で無力化した! …………規格外にも程がある!)

 一般人から見れば無数の武装錬金を一瞬で布石と伏線あふれる策謀に練り込んで使える総角もまた規格外だが、
そんな彼でさえミッドナイトには生唾を呑み……ひたすらに思う。

(こいつ……。いったい何をやれば出し抜けるんだよ……!?)

 青年の肝胆は鉛を流し込まれたように重みを増す。平素余裕綽々の彼が浸るのは久しく無かった息詰まる恐怖。
 ハイテンションワイヤーから今に至るまで練り出した数々の術策は自負相応のものだった。幾つかは確実にミッドナイト
の虚を捉えていた。なのに悉くが障子紙の如く突き破られた。正心と高潔を保ち続けた者だけが見せうる粛然とした武威
の粘り強さの前に敗亡した。

 どれほど策を動員しても出し抜けなかったミッドナイトに対する総角の畏敬はもう、仇敵メルスティーンや道を示してくれた
親友アオフと遜色ないものになっている。何かと人を食った態度の天才がそこまで思うコトは滅多にない。友人になりたいと
思う早坂秋水相手でさえ「俺の方が兄貴分」と上から目線だ。小札に対する惚気気味な「勝てない」とは全く異なる、本当に
ガチで「勝てない」と思わせる強さがミッドナイトにはある。

(心根が頑健すぎるんだコイツは……。戦神の眷属ゆえの誇りもあるがそれ以上に身内から引き剥がされ生きてきたのが
大きすぎる。底辺ともいえる世俗を知りながらなお失わなかった叩き上げの高貴がヤバい。同じボンボンでも血筋縋りの
温室育ちは弱いが人質生活の一兵卒から剣1本で再び王侯へ昇り詰めた奴は『きわめて強い』。ミッドナイトは後者、品格
の武侠! 他の幹部は弱さゆえの凶悪が厄介だが、こいつだけは生まれつきの階層上位を正心にて保つ『別格』……!)

 だから、崩せない。策で揺らがそうとしても、根本的な部分ではまっすぐ立っているから……崩せない。だから総角は追い
込まれている。それはメルスティーンに負けた時以来だ。7年後、早坂秋水との立会いで敗北する時でさえ今ほどの苦渋は
なかった。

 何しろ武侠は敵対特性すら破ったのだ。総角は最後の切り札すら力尽くで引き裂かれた。策はもうない。払底。尽きる手
札。

 だが少女は対処を失った青年を容赦なく襲う。

 片手で剣を差し出しつつあるミッドナイト。中国剣はあくまで片割れをなくしただけであり、残存するものは総角の天鶏剣
から喰らった傷こそ散見できるがほぼ無傷。つまり……刃渡りが、ある。一方の総角の日本刀は鍔元にささくれがある程
度の、通常ならば戦闘継続不能とみなされても仕方ないほどの況(ありさま)だ。

 得物の変わらぬ現実から目を離した青年は、すっかり濡れて重くなった背中を感じながら正面を見る。

 双眸を楽しげに輝かせる少女が笑いながら突きを繰り出すところだった。爽やかで健康的な汗を散らす笑顔はあどけな
く可愛らしいが、肉食的な爬虫類の冷酷さにも満ちている。念願の獲物の喉笛をいよいよ食い破れますのよ、嬉しいわぁ
と喜悦に歪む口から覗く白い歯は、迫力ゆえか総て毒蛇の牙の羅列に見えた。いつしか瞳孔もワニのようなスリットだ、人
外めいた美しさをいよいよ引き立ててはいるが、「狩る」と敵意はおろか睨みさえなく純然と凝視される方は身震いだ。
 しかも突きに絡みつく重力の炎は、先ほど吹き飛ばされた叛乱分子をも貪欲に取り込み激しく膨張、一気に丸太ほどの口
径と化す。剣はもう攻城兵器、当たれば総角の胴体など地上から消し飛ぶだろう。
 青年が、ド迫力の少女に対し思うコトはただ1つ。

(……。なんでお前メルスティーン斃せなかったんだよ!? アレ母親の仇だろ!?)

 むしろこのミッドナイトすら長年無理やり部下にしていた仇敵こそ真に恐るべきなのではと痛嘆するが、今はどうでもいい。

(この状況を打開できるるのはただ1つ! ソードサムライXのエネルギー吸収特性……ですわよね! さあ総角! 見せる
のです! 果たして重力エネルギー、吸えまして!?)

 総角が何か切り札を用意しているらしいと薄々察しているミッドナイトだ。彼女はそれを重力エネルギー吸収と踏んでいる。
戦闘開始からずっと警戒してきたのだ。『参』の暴発だって検証の1つだ。そのせいで新型特殊核鉄がガス欠になった時点で
普通なら「エネルギーを回す手段がない→つまり重力は吸えない!」と結論付けるところだが、しかし武侠の少女はしなかった。

(相手は総角。アルジェブラの充電不足すらあたくしの虚を突く囮にしていると警戒するは当然ですわ! 同じ重力剣の一撃で
も吸えぬと油断しつつ放つのと、対吸収を覚悟し警戒厳とした状態ではまるで違う! ここまで考えて放たれたあたくしの最大
火力がどちらかなど言うまでもない! 除電の絶剣、来るならお越し!!)

(買い被りだぞそれは……)

 相手の感情を読める総角はオーバーキル的な洞察に慄然とした。

(今は桜花と2人きりの世界に囚われ心鎖(とざ)す秋水から複製した、脆さあるソードサムライXだぞ! 『このままなら』……

重力は吸えん!!)

 カズキによって心解きほぐした7年後におけるヴィクター追討でさえ秋水は重力の権化を覆滅するに至らなかったのだ。
瞳を濁らせていた頃の秋水の武具がそれ以上を発揮するのは理屈から言って……ない。

(サイフェの黒帯(グラフィティ)なら或いは、だが……)
(リスク。感覚喪失の一瞬は見逃しませんわよ。参の暴発で弱視状態の貴方ならばレベル5の失明など恐れないでしょうが、
それでも『弱視と失明』は黄昏と闇夜ほどの決定差! 昵(なじ)むまでの泥(なず)みは一瞬なれど必ず衝きます!)
(などと狙い玉を狙う『これほど』相手の完全失明は危険すぎる! かといって視覚喪失なしのレベル4以下といった妥協的
な手段が通じる相手では……ない!)

 総角の切り札は別にあった。想定は、1つだった。

(九頭龍閃『玖』。ミッドナイトのみぞおちを狙う斬撃を着弾後……マシンガンシャッフルに変える!)

 武侠に突き立っても刃の浸透は『浅い』が、体内に徹甲する武装錬金は橋頭堡たりうる。それを土台にロッドを伸ばし──…

(体内から絶縁破壊! 内部から神経被覆を灼き切られればさしものミッドナイトといえど無事では済まん!)

 まず刀を刺すのが重要なのだ。刺す前にロッドへ変えて突き込むのは下策だ。武侠の反射ならば即座に意図を理解する。
ロッドの「尾」に該当する尖った部分が自分に刺さるより早く半ばほどから断ち切る。

(だがこのままでは『玖』が当たるより早くミッドナイトの一撃が叩き込まれる!)

 得物は総角の方が短い。剣速を高める手段はとっくに奪われた。斧や御前といったサブウェポンでの攪乱が通じないのは
実証済み。敵対特性が敗れた時点で「剣→ロッドの絶縁破壊」を支える策謀は総て払底。

(それでもまあ、……フ、勝ちたいという欲目があるから困り物、だな)

 スローな世界で部下達の姿を見る。負ければただでさえ権威を理解していない香美からの風当たりがいっそう強くなりそう
だ。貴信には兄貴ぶりたい。いい仲である小札の前でいい恰好をしたいと思うのはキザな男の当然たる見栄である。

(何より)

 無銘。チワワな少年。今はいろいろ溝があるが、それでも総角は彼を実子のように思っている。

(カッコ……つけたいんだよ俺は)

 実の両親が生きているかさえ分からぬ無銘だからこそ、ちゃんとした背中を総角は見せてやりたいのだ。

(フ。アイツの体のクローン元の飼い主を父親気取りが降す是非はどうかとも思うが、理屈じゃないのさこの機微は)

 ミッドナイトが無銘に希望を見ているのは知っている。取り戻せない後悔を償える唯一の存在だから眼前で恥じなき戦い
を演じたいと願う心が権謀破る強さを生んだのだろうとも気付いている。

「だがミッドナイト、それは虚像だ」

 剣かざす少女は突如として放たれた文脈無視の言葉に一瞬戸惑ったが、すぐに何を言われているか理解した。言葉に
よる揺さぶりだとも想ったが、総角の顔は不思議と二心がないため聞き入った。時は圧縮され、霊体のみの対話が始まる。

「アイツを知りアイツ自身に好意を抱き始めてくれる”とっかかり”としてはいい。でもな、お前の投影は分岐を誤りルートを
外れれば『鳩尾無銘』という1人の少年を深く傷つけかねないものなんだ。お前ならばそこに気付いてくれると信じたいが、
しかし俺への完全勝利は無銘への感情の『正しくない』部分までもを狂信させかねん。そこだけは……見逃せない」

 恋人を殺した自分が降されても当然だと総角は告げる。その上で、無銘への累だけは違うと明言する。ミッドナイトの瞳
の奥の光が少しだけ揺らめいた。

「『飼い犬の生き写しだから』などという愛し方は、人間であるコトに拘る無銘を何より傷つける。厳密にいえば、飼い犬そ
のものと看做すのが良くないんだ。”大好きだった犬に似ている”程度ならまだいい。言い方次第で人間のよくある、好意
的な軽口に為せるからな」

 尊厳はタイトロープだが、際どい際を笑納できる程度の成長は無銘の方も成すべきなのだ、自身の見た目を、ありようを、
寛容できるようなる『人生の務め』はいま両親の力だけでは達せぬ行き詰まりに来ている。だから総角は出逢いを欲してい
る。ネコで良い意味で遠慮を知らない香美が無銘をあやし、少しだけ彼の心をほぐした時から新たな関わりが必要なのだと
心から思っている。

「そういう方向さ、そちらへお前の舵を切らすのが俺にとっての『勝利』なのさ。恋人の仇を討ちにきた少女の正当性をダー
ティな俺の策謀で弁護しつつ、しかしお前自身が無銘に対して慢心せぬよう僅差で降すか、抵抗し、お前にきわどい辛勝を
与えるかすれば……『勝ち』だ。無銘に妄執ではなく好意で接触できる慎みを与えたいから……全力で、来た」

 無銘への想いが生む強さを無銘への別な想いが生む強さで以って窘める。近づくな、という訳ではない。愛犬に生き写し
……程度にしか思われていない少年にだって人生がある、誰かの願望を投影するだけの装置ではないと、養父が、養父と
いう存在そのものを全力で差し向けるコトで……気付かせたいのだ。愛犬を深く想っていた飼い主とほぼ同質の存在を、
命の危機でもない時ですら全力を尽くしてくれる者を、今の無銘が持っていると、持つに至った別の人生を理解した上で接
して欲しいと……総角は述べる。

「分かってくれた上での出逢いならばきっとアイツ自身の……無銘自身の為になる。学校行ってないからさ、新しい誰かを
知るのは大事なんだ。子供には人が必要なんだ。復讐以外の世界を教えてくれる人間が大切なんだ」

 尊大な物言いも鼻につく笑いもない、視線を外し外しの若き父親そのものな物言いを聞き終えたミッドナイトはやれやれと
笑う。

「イフの、恋人の仇を取りにきた武侠に言うべき台詞ですの、それ」

 この戦いが終わってもなお敵対するケースもあるのに……指摘された総角は「あ」と珍しく狼狽した。

(親、ですわね)

 子供のコトを優先するあまり、他の話題ならば完璧に構築できた筈の論理を彼はすっかり忘れている。手合わせから見
えたミッドナイトの性格さえ考慮に入れれば妄執に似た投影などしてない筈と分かりそうなものなのに、手塩にかけて育て
たが故の心配性を抑えられずついつい婉曲な釘を刺している。自分の復讐心が養子に与えた悪影響のほどは棚に上げ。

 愚かしいと笑うコトもできた高貴な少女はしかしちょっとだけ頬を緩めた。

(ブレスに、あたくしの愛犬に、よく似たコは大事にされていた。ヒドいコトされたり……してなかった)

 結局感傷的なのはお互い様なのだ。「愛犬そのものじゃない」と分かっていても、同じ容貌を持つ無銘に降りかかる禍福
総て愛犬がそうされているように思ってしまうのがミッドナイトなのだ。

(大事にしてもらっているのが分かっただけでもココに来た価値は……ありました)

 変則的な親心で安心したからこそ、ついちょっと無銘の件で口を挟みたくなった。1つには自分は総角が思っているほど
偏執的な目で無銘を見てはいないとそう伝えるべきだと思ったからだ。云われっ放しで引き下がるのが癪な負けず嫌いの
せいでもある。僅かだが確実な軌道修正もまたあった。総角の一言で「絶対に妄執めがけ舵は切らない」と心のどこかが
誓ったから、だからミッドナイトはチワワの少年の『人生』を自分なりの真剣さで考え始めた。

「そもそもあの子が……鳩尾無銘がイソゴ老たちへの復讐に染まりかけているのは養父のあなたが親友の敵討ちを標榜
しているからでしょうに」

 金髪の美丈夫は初めて気付いたという表情をした。才覚がウソのような滑稽な話だが、頭がいいと自負する者ほど得てして
簡単な見落としをやらかすものだ。

「あなた自身はそれなりに長く生きたが故の線引きやら大義やらで漆黒の復讐心と折り合いをつけているつもりでしょうけど
あの子の方はまだ物心ついて3年足らずですのよ。保護者の観念こそが絶対の法理と疑いもなく信じてしまう年頃ですのよ。
そんな時期に親が生き方で復讐を肯定すれば、細かな理屈など分からぬ子供は究極にドス黒い憎悪までアクセルをベタ踏み
します。復讐や憎悪を闘争や戦意に置き換えればあたくしやサイフェお姉様は”そう”でしたもの。幼少期に最強から受け
た薫陶が人格の基本設計になりました。でもそちらはプラスの概念。薫陶を運よく誇りと支えに昇華できたあたくしたちと違い」

 無銘はその身を犬に押し込めたイオイソゴやグレイズィングを憎むコトでますます人ならざる劣等感を強めている。復讐と
いう修羅の道に片足を突っ込みかけている原因は、あなたにだってあるのですよ……? と武侠の少女は静かに述べる。
心を抉るためではなく……ただただ諭す。少し道を間違えかけている若き父親をやんわりと窘める保母のような声音がミッ
ドナイトのそれだった。

 人の根幹を揺るがすのは怒声ではない。怒声はむしろ理念を反発によって強固に──意固地であっても、堅くは──する。
沁み入るような静かな問いかけの方が却って迷いをもたらすのだ。小規模とはいえ一団を纏め上げている天才児がその旅
の最終目的に、仇討ちに、明確な再検討の色を浮かべた。ミッドナイトは自分の意見が戦闘以外の部分で憎き恋人の仇を
痛打した事実に少しだけ愉快を覚えたが、(されどあたくしは論客ではなく武侠、勝利は武によってのみ)、刹那の遣り取りは
論戦ではなく愛犬によく似た少年のための更なる昇華の対話に繋げたいと強く思う。

「あたくしはあなた個人の復讐心をどうこう言える立場にはありません。恋人の復仇のためやってきた以上、当然です。しかも
あなたの最終目的はあたくしのお母様の仇でもあるメルスティーン。やれともやめろとも言えぬ立場」

 議題はあくまで無銘だ。彼と総角の復讐心の間にどれほどの防波堤を築けるか。何を設えれば養父の仇討ちからの悪影響
を防げるか。どうすれば真直ぐに育つか……いつしかミッドナイトはそんな余計なお節介を焼き始めている。

(あの子はきっと……『出自』に思い悩んでいる。出自のせいで、憎悪をよしとする生き方を…………しかけている)

 自分ならば”それ”を窘められるのではないかとミッドナイトは思う。いるのだ。出自が呪われていたからこそ人間を庇護する
生き方を選んだ人物が。ミッドナイトはその、『創造主』の生き方を伝えるコトで無銘の考えをよい方向に導くべきではないかと
考えるが今はまだ本題ではない。言葉を投げかけるべきは今さし向かう総角なのだ。

「さっきあなたが言った『あの子に家族以外の人間が必要』……皮肉じゃなく、素晴らしいと思いますわよ。あなたの亡き友
が小札の兄だったばかりに母役さえもが復讐を否定できなかった共同体(かぞく)を、復讐心への様々な回答を用意できる
共同体(コミュニティ)にするのはあなたの責務。リーダーとして成すべきコトで……出来るコト。今まで散々、高貴なるあた
くしでさえ幾度となく騙したその鬼謀を、頭脳を、正しき組織構築に向けられぬ訳がないと、そう信じてあげますわ」

 あれこれ指図めいたコトを述べるのはお姉ちゃんを気取りたがる末っ子ゆえだ。後半はもう霊体が得意顔で目をつむり
人差し指すら立てる始末。(だから俺を弟扱いすんな)、さすがの美丈夫もゲンナリした半眼だ。

(頭がいいのに時どきお馬鹿さんね。今だけは弟じゃなく、むしろ……)

 ……。

 再びの刹那の語らいを通して彼に対するミッドナイトの心はまた変わる。

 父性。

 恋人の仇が垣間見せた意外な部分に少女は揺れる。

(ウィル。星超新はお母様と関係を持ったから『お義父さま』ですけど……)

 総角が無銘に向けるほどの感情を自分には向けなかった……と考える武侠は少し寂しげに目を細めた。ウィルにして
みれば『恋人の連れ子』で、育てた訳でもない──しかもミッドナイトが中心となった騒ぎで彼は養父母を危機に晒されて
もいた──から仕方ないといえば仕方ないが、レティクルの中で唯一縋れそうだった『縁』ですらその程度だったから、

(ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。ここに入ればあたくしも……)

 暖かな憧憬は禁じえないが……攻撃は止めない。魅力を感じたからこそそれを作り上げた首魁へ全力を向けたいのだ。

(本当に心傾けるに値する相手と組織か……現状最大の一撃で、見極める!)

 仲間入りの基準が厳しいのは結局母譲りなのだ。





 一方、総角。圧縮が解かれてなお超スローな世界の中で。

(で、どうする?)

 会話のさなか策を練るといった鉄板は結局いっさいできなかった。自分のやわやかな本心を紡ぐので精一杯だったのだ。
ふだん「騙し」に舌を回している者ほど純粋な感情を告げるのは不得手なのだ。(あああ、なんか恥ずかしい、恥ずかしいぞ、
ちょっと詩文めいていた部分があって……ああもう! 後でからかうなよミッドナイト頼むから……!) とさえ悶えたくなる
気持ちを必死にこらえ薄紅指す頬を引き締める。

(俺の目論見は変わらん。無銘が関わっている以上、最後の決め手は小札の武装錬金じゃなきゃならん……!)

 総角はミッドナイトを体内からの絶縁破壊で無力化したい。あれだけの対話をした『分かり合えそうな者』相手にそれは
些か無体過ぎる気もするが、恩讐や復仇が入り組んだ関係性をスッパリと清算するための禊としてどうしても必要な儀式
なのだ。むしろあの対話あらばこそ勝っても負けても遺恨無しという暗黙の了解が成立したと、そう見ていい。

 現段階で必須のファクターは決着。敵の無力化。ミッドナイトを無力化するためにはそのみぞおち──鳩尾無銘の絡む
戦いの最終目的地が”鳩尾(みぞおち)”なのも因果めいている──みぞおちを、小札のロッドで貫通する必要がある。

 だが普通にロッドで突くだけでは目論見を見抜かれ途中で斬られる。
 よっていったん九頭龍閃『玖』の突きをみぞおちに当てなければならない。刀は鍔元から先が折られ”ささくれ”しか残って
いないが、ほぼ全壊状態だからこそ「当たっても大丈夫でしょう」という無意識の油断を引き出せるし何よりボロボロでも刃
物は刃物、九頭龍閃の突進力であれば突き刺せる。刺した状態で刀をロッドに変える。ロッドは尖端、宝玉のついた方を
握る。すると反対側の「尾」、尖った部分が武侠の背中に突き抜ける。体内からの絶縁破壊が……できる。

 だがそこまでのプロセスがまったくない。相手を硬直させるアテだった敵対特性が破られたせいだ。早急に代替案を用意
すべきだが刃渡り健在の中国剣を前に九頭龍閃を先に当てる方法がどうしても浮かばない。既に一度見せたニアデスハ
ピネスを再び使ったりしてみよ、対策は当然考えていましたとばかり無力化されるだろう。総角としては不本意だがマシン
ガンシャッフルを突き通すためにはどうしても『何か1つ、家族外の武装錬金』が必要なのだが……

(フ……、フ。ええと、ミッドナイトを出し抜くには相当意外な策でないと無理だなコレ無理、だよな)

 だが練る時間はない。そもそも一連の策じたい不意の遭遇戦の中で咄嗟に紡いだアドリブだ。

(確かに俺たちは奴を追ってはいた。だが目撃情報じゃ怪物の姿……だったからな、九頭龍閃に武技で対抗してくるとは予
想外だった)

 その時点で対怪物用に用意していた策が総てご破算。そちらの中から何か転用できないかと検索するが総てバツ。さすがの
総角もちょっと気分を害した。

(ああもう! そもそもミッドナイト追跡は予想外が多すぎるんだよ!! 貴信や香美を拾ったのもそうだし、小札の昔の知り
合いの命野とかいう褒め屋に遭遇して嫉妬やらかしたのも含めていい! ホント何だよこのゴタゴタ! 予定じゃすんなりミ
ッドナイトを捕捉できていた筈なのに手間取って、幾つもの共同体と余計な戦いさえする羽目になった!)

 武侠と遭遇する少しまえ総角たちは弱小共同体の盟主をニュートンアップル女学院の敷地に追い詰めていたが、それは
あくまで氷山の一角だ。

(他にも追跡途中いろいろ毛色の違う共同体とやりあって──…)

 眉間に雷雲が集(すだ)くっていた総角はそこで「む?」と何かに気付いた表情をする。

(……。追跡途中、『いろいろ』? ……あ、そういえば)

 女学院。庭。感情を黒くする無銘。捨て台詞。共同体のボス。『山神』。小競り合い。逃げた部下。子供。戦闘。苦戦。波。

 断片的なフレーズが走馬灯の如く駆け巡った瞬間、総角は微妙な表情をした。見つけた最後のピースにサボテンのトゲが
無数に刺さっていた時のような顔だ。パズルは完成させたいが、持つと絶対痛いだろうなというニュアンスだ。

(これなら……卑怯なしの全力で行けそうだが…………絶対やばい。第一、絵的にどうなんだってのがあるんだが……)

 事もなげに右腕を切断したミッドナイトが過ぎった瞬間、「させた以上は、な」と腹をくくる。
 そしてまず『玖』を見て、さらに意識だけを背後に向ける。

(出力が『強弱』決めるのが当然なら……フ、やはりな。あの一撃のも、相当)




(来る)

 金髪碧眼の微かな機(きざ)しにミッドナイトは警戒のレベルを引き上げる。巨大な重力の竜巻を帯びた中国剣を慎重か
つ迅速に突きこみつつ異変あらばすぐ対応できるよう把持の掌に力を込める。切先は総角の鎖骨と鎖骨の間を狙ってい
る。武器破壊。標的は認識票。7年後の早坂秋水も取った手段だが、際限なく武装錬金を繰り出すコピーキャットに最も
有効なのは複製おこなう認識票の根治(はかい)である。ただ秋水の逆胴と決定的に違うのは、首にかけられる武装錬金
を爆心地に据えた重力刺突の殲滅力。零距離ショットガンをぶっ放すより”かなり”上で広域だから、当たれば総角、銀成
市での決戦終盤の『胸像』より惨いコトになるだろう。彼にとって悪いコトに……着弾まであと3センチ。

(この状況をひっくり返せるとすれば特性破壊のワダチか電波擾乱のインフィニットクライシスのどちらか……!)

「出でよ! 弓矢(アーチェリー)の武装錬金! エンゼル御前!!」

 ふわりと総角の後頭部やや斜め上に現出した青い自動人形の姿に(一度破ったコンボ)と油断しかけた自分をミッドナイト
は諫める。

(破られてなお投入するのです! 警戒! 相当な奇策!)

 御前に構わず突きを加速するという選択もあったが用心深いミッドナイトは『御前を目を引くデコイにした』カウンターを警戒! 
(新型特殊核鉄! もし次元俯瞰の方も所持(つか)えるならブルルお義姉様ゆずりの”返し”が来る! アルジェブラがガ
ス欠だからとて他がフル充電でない保証……ありませんわ! 充電不足が囮のセンさっき考えましたし!)
 敢えて速度をそのままに総角の動静を見極めんとしたのは決して油断ではない! 囮と慮外を繰り返した総角への敬意に
も似た警戒心は充分だった! その上で彼女は堂々と誇る! いかなる攻撃が来ようと後の先で返せるという確たる自負を!

 果たして御前は矢を放つ! 矢は光の中で姿を変える! (何に変わろうと! もしブレイズオブグローリーが使えたとし
ても!) 戦団最強の業火などミッドナイトは恐れない。重力角操作で空間を歪めさえすればあらぬ方向に飛ばせるからだ。

 変形が……了した! 重い頭を落としながら弧を描くその武器は!

 子供の身の丈ほどある柄に大人でも両手で一抱えするのがやっとの鉄塊がついた──…

(お前の追跡途中遭遇した子供の!)
(戦闘槌(ウォーハンマー)の武装錬金、ギガントマーチ!!!??)

 武侠が一瞬総角の真意を測りかねたのも無理はない。未来から来たがゆえ特性が強力なのは知っている。『地震発生』。
攻撃力だけなら戦団最強の火渡にすら以降7年引きずる致命的な敗北を与えたのは丁度この頃。

(ですがあれは豪雨で山の地盤が緩んでいたという地の利あってこその出来事! ここは青天の田園地帯! 仮令(たとえ)
震度7の地震を起こしたところで此方の足元は揺らぎもしない!)

 武侠として体を鍛えぬいたミッドナイトなのだ。両足はふだん足専門のモデルでトップシェアが取れる程すらりとしているが、
少し力を込めるだけで筋が浮く。厚手のスパッツの表面にすら血管が凹凸を作るといえばどれほどマッシブか分かるだろう。

 槌は落ちる。自由落下するには不自然な軌道で。普通なら垂直に落ちるべきなのに、透明な滑り台を流れていくように
右に左に微細な揺れを見せながら……落ちていく。

 その目標は、ミッドナイトという戦闘単位にとっての、最も、重要な、『拠点』だった。

(まさか!!)

 真意に気付いた時にはもう遅い。

(フ。お前が消力やエネルギー吸収妨害で作った重力場には濃淡がある。空間についた山折り谷折りの起伏さえ把握す
れば援助物資を目当ての場所に加速つけて落とすのは……容易い!!)
(彼! 後方は既に通過した場所ゆえ測量把握があたくし以上! マズい! 槌! 『拠点』に当てさせる訳には──…)

 軌道を変えるため重力角を操作しかけたミッドナイトが反射的な防御に貴重な1ターンを費やしてしまったのは正体不明
の凄まじい威圧感が飛んできたせいだ。かねてよりの警戒が肘から先なき右腕を考えるより早く動かしてしまった。電光は
速射、二撃三撃と迸る。更に五回手を振った少女は、弾き飛ばされ離れていくきらめきを見た瞬間、珠のような歯で石臼挽
くような音を奏でる。投げられていたのは総て……刀の、柄だった。

(っ! 九頭龍閃の『玖』以外の刀の残骸!?)
(フ。ありったけの剣気を込めたからな! 警戒心とみに高いお前だからこそ反射的にヤバいと思い体が動いた!)
(そんな! 斬撃収束までは複数に分裂しているとはいえ8つ総て投げられるなd……しまった! 集中すべきは!!)

 視線を戻すが手遅れだ。エアスライダーを滑り落ち続けた槌はもう狙うべき拠点にたどり着いている。

 すなわち。

 総角主税の右肩と首筋の交点に。

 重力角の谷を勢いよく滑落し続けた槌の勢いは凄まじい! 柄がしなるほどの勢いで振り下ろされた戦闘槌は剣客が
吐血するほどの打撃を与えた! 人どころか固く閉ざされた城門すら易々と砕くであろう巨大なハンマーヘッドは剣客の
肩口をベキボキと潰す! 同心円状に広がる衝撃波の前に居たのは自らの武器で殴られている……総角! 誤爆としか
思えぬ光景だが次の瞬間爆発的な輝きと共に速度を増し進み始めた長い金髪は何よりも誰よりも物語った! 『目論見
は叶った』と。流電の如く輪郭を溶かし突きの傍をすり抜けていいく剣客の指が鍔元のささくれにめり込み血を流しているの
を認めたミッドナイトは顔を歪める。

(してやられましたわ! 予測できていたのに防げなかった!!!

体 内 を 震 源 地 と す る 地 震 エ ネ ル ギ ー を 『 速 度 』 に 変 え る のを!!)

(フ。指とはいえ俺の体内。日本刀の刃先を差し込んでおけば血管や筋肉駆け巡るマグニチュードが推進力に、なる……!)
 破壊された刀だが下緒や飾り輪は残っている。
 刀身から吸収された地震エネルギーは下緒を通り飾り輪から噴出! 青白き一穂のブーストとなって九頭龍閃を……加速!
(気取った男が体面の何もかもかなぐり捨てて……!)
 美丈夫が美しさと最も程遠い戦術を選んでのけた事実に、そうでもせねば勝てぬと自分を見初めた現実に、高貴なる少女は
思わず双眸を湿らせかけた。無銘への強い思いもまた感じ取る。
(感服禁じえぬ見事な捨て身……! ですが体内地震のダメージは相当な筈!)

 脳震盪。脳出血。頚椎断裂。脊髄損傷。肋骨に脾臓が衝突し刺さるほどの震度だった。マグニチュードで捻転した胃の幽
門部はほぼネジ切れかけている。膵臓が肝臓に激突し坐滅する事故ぐらいなら探せば似たような物はあるだろう。肩からの
激しい撼揺で上に飛んだ右下の第二臼歯は上顎部を貫通し視神経をも圧迫した。激しい頭痛に総角は何度もヘドをブチ吐き
そうになっている。体内地震は高速道路でのムチ打ち事故などおよびもつかぬヘルニア現象を惹起し、両手はひどいマヒ状態、
両足に至っては感覚すらもうない。

(付け入る隙はそこにある! 速度こそ上がれど引き換えにダムダム弾の都市伝説的な威力さえ足元に及ばぬ大打撃で
全身ズタズタにした総角なら……狩れる!)

 確かに彼はその状態でなお身命さえ蝕む暴発的な騎虎の勢いを見事あやつり身を捩り、ミッドナイトの突きをスレスレで
避けつつ……進んでは、いる!

(ですが懐に入っているのは事実! 突きが避けられても薙ぎに繋げば──…)

 鋭い痛みと衝撃に武侠の思考は停止する。九頭龍閃の『玖』が当たったからではない。当たったのは『それ以外』だ。

(っっっ!!??)

 頭頂部に。両肩に。両肘に。両脛に。鼠渓部に。先ほど弾き飛ばしたはずのソードサムライXの破片が突き刺さっていた

(ど、どういうコトですの!? ちゃんと彼方へ弾き返したのを確認したのに! どうして今さら残骸が!?!)
「フ。事象の集束点という奴さ。一瞬九撃の九頭龍閃は終了後、元の1本の刀に収束する! 唯一残る『玖』の突きがいよいよ
終わりに差し掛かっているから先ほど投げた刀の残骸が俺の手元にあるソードサムライXに向かって収束を始めたのさ!」
 恐るべき事態だった。肉体に食い込んだ刃のカケラ8つが、みぞおちめがけ進んでいく! ミッドナイトの意識がそちらに
向かい始めた時点で柄のささくれは着弾まで僅か0.2cm! 少女は! 

(なるものですか……! 高貴が、たかが……刀の残骸で……二度も隙を作る……など…………!!)

 歯噛みするも最高速の総角は止まらない! 衝撃! 剣客の全身経絡を確固たる手応えが貫いた!! 

「なっ」。舞い上がる金属の筒は空気圧に持ち上げられるピンポン玉よりも緩やかな昇降を持っている。手応えはあった、
過分なほどあった。だがそれは少女のみぞおちを守るため突如あらわれた最後の関門を砕いたからだ。べきりとヘシ折れ
たまま空を泳ぐのは……鞘。重力場を帯びた『鞘の残骸』。それは総角の柄を外側にいなしていたから、九頭龍閃『玖』は
もう武侠のみぞおちから、体から、外れたルートを進んでいる。

(ミッドナイトが居合いのとき捨て去った鞘が今さら!? いや!! 待て!)

── 焼尽しきった黒色火薬の一部が総角の肩のあたりで散るのを見た武侠少女は思わず顎先の鞘を取り落とす。核鉄由来
──の金属製がカンカンと派手な音たて後方に転がっていくが状況が状況、居合いも既に終わっているからかミッドナイトは一顧
──だにせずただひたすら食い入るように正面(あいて)を見る。

(あれからしばらくミッドナイトは滞空していたのに、鞘だけは速攻で『落ちていた』!? っ! そうか! 奴は!)
(そう! 重力角で『重く早く』後ろへ落としたのですわ! 本当どうしようもなくなった時、鞘(これ)で身を守るため! 保険!)

 後ろ髪のヘビがめいっぱい伸びてまで咥えてきた「双剣の入れ物」は先の戦いにおいて破損し「武器としては」使えないと
評価されていた物だが、身代わりとして機能する程度の強度は残していた。残すために武器としての使用は控えたと言い
換えてもいい。そして右斬り上げの要領で斜め下から『玖』にブツけ、いなし、捌いた。

(不覚だな……! ニアデスハピネスという初手からの大技に驚いて鞘を落としたというように……『見せかけて』いたもんだ
から……俺はあの時、次にハメるのは鎖分銅で奇襲する自分だと無意識に思い込んでいたから! まんまと……騙された!)
(ですが剣以外で身を守るなどという腰の引けた行為は本来ならばしたくなかった……! 光栄に誇るのです総角! あな
たの文字通り身を削る執念は確かに! このあたくしを”そこまで”追い詰めてはいたのです!! ……然(しか)し!!)

 ささくれた剣はもうミッドナイトの脇腹の大外を走っている。横薙ぎに移りかけた総角だがその手は武侠の脇挟みにガッシと
捕らわれる。驚愕と屈辱にわななく美丈夫の顔を高貴なる少女は上から、遥か上からニンマリと得意気に見下ろし──…

 敵を、みぞおちへ当てつけるよう叩き込んだ膝蹴りで後方へ吹き飛ばしつつ悠然と! 最後の! 攻勢へ!

(勝つのはあくまで、このあたくし──…)

   マ レ フ ィ ッ ク サ タ ー ン 
(【人定の塋(えい)を封ずる世の杏(あんず)】! ミッドナイト=キブンマンリ!!)

 鞘の使用は防御的な攻勢である。予備動作に何拍か要る超火力の発動までの時間がどうしても足りなかったから、どうして
も足りないと思うほどに総角が速かったから、その僅かな間隙を稼ぐため『腰が引けた』と唾棄する防御を敢えてミッドナイトは
選択した。そして鞘の犠牲と引き換えに稼いだ時間は確かに! この激突を締めくくるに相応しい格式を! 詔導!!

「倭刀術絶技! 虎伏絶刀勢!!」

 轟々たる重力嵐を纏う轟然たる右斬り上げが!

『玖』を!
それを構えなおして再動しかけていた総角を!

 流電の速度で薙ぎ払った!!

 ミッドナイトは無数の残影を背負っている。しゃがみ込んだ自分や屈んだまま飛び上がる自分、半回転で伸び上がる自分。
パラパラ漫画を1枚1枚並べたような映像現象の羅列は超速超反応の証であり……いまだ体の中点めがけ肉を抉り進行
する刃への動揺を意思の力で強引にねじ伏せた彼女の秘奥の発動過程。

 果たして吹き飛び始める音楽隊首魁。

「大した……男……でしたが…………雷名轟く超技を用意していたのは……あなただけじゃなかったという訳です……!!」

 8枚の刃は消えた。武侠と剣客の交点に収束した光は……爆発を熾(おこ)す。

 2名は大激突の終焉の脱力も相まって吹き飛ばされ──…





 ここで場面は激突終了後に合流する。

 総角は水田へ投げ入れられ、ミッドナイトは堤の傾斜に繁る雑木林に叩き込まれた。

 見極めるには当事者の今を知るしかないとばかり総角に視線を向ける香美。無銘が首伸ばしてミッドナイトを見たのは戦
いの端々で見え隠れした『彼女が向ける、自分への思い』故か。

 奇しくも同時に立ち上がる異眼同像の戦闘単位。

「フ。それなりの……術策を施したのだが、な」

 ざばりと農業用水を複数の滝の如く瀑流(ばくりゅう)の如く落としながら直立した総角は「ッ」と整った眉を軽く痙攣させ
胸に触れる。深く深く裂けた傷がある。右腰部やや上から走り始めたクレバスは腹膜表面から数えておよそ6割の深層に
達してもなお止まらず、何本もの肋骨を薙ぎ、左鎖骨やや中央さえほぼ離断状態に追いやっている。傷口からボタトタと血
が落ち、それは水田の溶液に油絵の具の如くどろどろと蟠(わだかま)る。咳き込みと共に唇に溜まった赤い泡が肺からの
出血であるコトは間違いない。流れるような金髪も乱れ、ほつれ、全身にはうっすらと火傷のような痕。目の光もやや虚ろ。

「め、めっちゃやられてるじゃんもりもり……。んー、ケンカおわらせて欲しかったけど、そのケガ、なんか、嫌…………」
 香美が双眸を切なげに潤し軽く俯いたのは、自責の葛藤に囚われたからだ。自分が焚き付けたせいで総角が重傷を
負ってしまったのではないかと真剣に考えたからである。

(不幸中の幸い、傷は辛うじてだがまだ継戦可能レベル。問題はミッドナイト! もし無傷なら遠からず向こうが勝利……!)

 果たして、どうなのか。

 折り重なる草木から轟音と共に打ち上げられた影が総角から10mほど手前の水田部分に音もなく着地した。

 月光を浴びて輝く少女の後姿に、四肢に、何ら損傷がないのを見た貴信がみるみると青ざめたのを一体だれが責められ
よう。そう……『無傷』なのだ。自ら右腕を切断し、その後8つもの剣が全身のあちこちに突き立った筈なのに……貴信の
瞳に映る武侠はどういう訳か五体満足の無傷だった。

(九頭龍閃でも傷1つ付けられなかった……!? そんな! 切り札だぞ! 僕らの中で一番強いもりもりさんの!)

 後姿が、萌えるような色彩の桃色ツインテールを梳った。

「ふふん。褒めて差し上げますわ。あたくしの套路(とうろ)を”5つまで”暴いたばかりではなく……」

 星のような閃光がミニ浴衣と帯のちょうど境目まで煌めいた瞬間、武侠は微かだが苦鳴を漏らした。

「もっとも破壊力のある一撃を……叩き込むとは、ですわ」

 穿たれた服。迸り始める血液。活発な水道管がドリルで穿たれた時のようにドバドバと出血する。

(見た。傾斜で立ち上がった瞬間の奴を)

 無銘は回想する。彼の姓と同字の鳩尾(みぞおち)から傷と肌を覗かせていたミッドナイトを。

「当たっていたのだ! 九頭龍閃の『玖』だけは……当たっていたのだ!!」

 総角を見る無銘の眼がきらりと輝いた。本人は否定するだろうが父の偉業に喜ぶ子供の眼だった。視線を感じたミッド
ナイトの顔にやや落胆めいたニュアンスが浮かぶ。

(そう……! 九頭龍閃『玖』……! 外したまま終わらせられる筈だった……! なのに。『なのに』!! ”あれから”!)
(……フ)

 総角は笑う。何かをやった顔つきで微笑する。

 一方小札はどんぐり眼をパシパシさせながらミッドナイトの後姿を見ていたが「あ」と何か別なコトに気付いたらしく、俄かに
活気付いた。

「い! 今の一撃に限っていえば恐らく引き分けという所でありましょう!」
「む!? なんでさ! あやちゃんソレおかしいじゃん!!」
 まっさきに異論を唱えたのは香美である。
「もりもりは体はんぶんぐらいバッサリ! ピンクのはお腹にかまれたような傷1つ! 数とかよーわからんあたしにだって
どっちがヒドくやられてるかわかる!」
 ひょ、表面上は確かにそうなのですが、あのですね、その! と何かを説明しかける小札だが、そこはもともと内向的な
少女、勢いだけはある香美の続発する質問にはたじろぐし、あとそのたびプリンよりも揺れる巨大質量にコンプレックスの
何事かを刺激されてシュンとなるのもあってどうも要領を得ない。
『表面上? まさか!』
 貴信は気付く。「小札が」「表面以外へのダメージを示唆」するとなると結論は1つしかない……と。
「絶縁破壊も!? 『玖』からロッドに変えたのか!?」
 チワワの少年が驚嘆するなかミッドナイト、「原理はそうですが……」と腹部を抑える。

「虎伏絶刀勢。一度は九頭龍閃最後の突きを弾いていた……! 本来ならあのまま押し切れる筈だったのに……!」

 最後の激突のさなか、剣に纏わりついていた重力場が突如として螺旋状にほどけ……ソードサムライXの刀身へ流れ込
み始めた。刀はやがて輝き加速を再開! 吹き飛び始めていた総角もまた三度目の正直とばかり体勢を立て直し!! 

 刃! 電磁の眷属で虚空を炸(はじ)く迅激を以って武侠の腹部に突き立った! 
 そして総角は目論みどおりマシンガンシャッフルを発動! 絶縁破壊を……敢行した!

「『ソードサムライXなら重力エネルギーを吸収できるのではないか』……何度も覚えた危惧ですが、最後の激突のアレは
通常の特性ではなかった……! 刀身に当たったエネルギー”だけ”しか吸収できない筈の武器が……刀身に当たって
もいないあたくしの剣から、重力場を……吸収し、剥ぎ取った!! サイフェお姉さまの黒帯(グラフィティ)で強制成長さ
せたのとも明らかに違う……、何か、不可思議な事象が…………勝利確定だったあたくしに引き分けと言う、泥を……!」

 盤面をひっくり返されたような理不尽を感じているのだろう、そこまでボソボソと状況を整理していたミッドナイトは鹹(しお
は)ゆい怒声を張り上げた。

「何か『隠し手』を使いましたわね総角!! グラフィティさえも及ばぬおぞましい隠し手を! その、刀に!」
「否定はしない。ただ……使わされたのは敗北だとだけ言っておこう。お前の方が『まだ』のうちに引きずり…………出された
からな…………」
(『隠し手』?)

 貴信は首を傾げた。

(それは……もりもりさんが何か、僕たちの知らない武装錬金をまだ持ってるってコト……なのか? そういえば彼はレティク
ルの盟主のクローンだから、僕もかつて遭遇したメルスティーンのワダチ……特性破壊の大刀を使えるっていう話だったけど
…………「それなのか」?)
「いや、違うな」。呟く無銘に『だな!!』と貴信が応諾したのは彼とほぼ同時に気付いたからだ。
(ミッドナイトもレティクルの幹部なんだ。もりもりさんが盟主のクローンだとは当然知っている。ならワダチを『隠し手』とは
呼ばない。認識票の、対象のDNAさえあれば複製できる特性を知っているならちょっと考えるだけでワダチ複製は当たり前
のありふれた手段と分かる筈だし、なによりワダチを使われたのならすぐ盟主の能力(ちから)と分かるんだ、疑問は決して
呈さない)
 だとすれば『隠し手』とはなんなのか。総角の秘蔵する手段とは果たして?
「フ。しかしそれはお前もまだ『持っている』。出しちゃいない。喰らって分かったさ……伏せる虎すら隠し手じゃないって……
お前にとっちゃ余技程度ってな……」

 フフフと力なく傷を抑え笑う総角に「そうですが、きぃ! あと一歩だったのに覆すなんて!」と地団太踏んでツインテール
をバウンドさせる武侠。彼女への返答は傷のせいか凍えるように震えている。

「そう怒るな……。ショックなのは、こっちだって同じ……。やっと負わせた右腕切断とかの傷…………重力角で補修され
てるの……視覚的に……堪えてるんだぞ結構……。双剣の片割れすら再発動で従前どおり……だし」
「見えるぐらいまで視力回復されてるんですからお互い様ですしそもそも分解能力を持つディプレス相手でさえ千切れ飛ばな
かった右腕を切断したのはあたくし! なに自分の手柄のように言ってるんですか!」
 薄い胸へ優雅に掌を当てたり瞳を三角にして身を乗り出したりと元気いっぱいな武侠とは裏腹に剣客はやや消沈気味。
「フ……。そこまで追い詰めたという部分を評価して……欲しいもの、だが、な」
「滅多にない、リウシンの重力角作用による接合手術終了直後の感覚知ってます? 下々でいうところの被せ物はまだ
後日なちょっとしか仮の詰め物がない歯の治療痕が麻酔切れてるの忘れて調子乗ってチョコレート噛んだ時の『激烈な
沁み』が延々続いてる感じですわ。要するに割り切ってやった筈の切断でさえ敵に誇られたら泣きギレしたくなるほど痛く
てイライラしてますから、黙れですわ!! ほんと黙ってお願いですから!!」

 この叫びで貴信や香美、無銘はミッドナイトの武装錬金の名前と特性を理解した。

「絶縁破壊のさなか反撃1つできなかったのも業腹ですわ! 最強の眷属ならば喰らいながらでも喰らわすべしとお母様は
教えていたのに……実行できなかった!! 必死に動こうとしてましたのに! 指一本、自由には……!」
 ロッドを傷口に当て、回復の光で息を調(ととの)えた剣客は戻る、いつもの調子に。顎の辺りでなった「ガキリ」は視神経
圧迫から戻った歯の結合。
「フ。仕方ないさ。髄鞘(ずいしょう)なる神経被覆専門の破壊電流を『体内から』お前の全身めがけ流し込んだからな。髄
鞘という絶縁を壊された者は本来、神経電流がダダ漏れになり、行くべき所に行かなくなり、伝達系壊滅。腕が動かぬのは
当然だったさ。常人なら全身マヒに陥るんだからな。…………ま、常人の場合は、だがな……」
 総角は敵を見た。焦げた小さな煙を全身のあちこちから上げ、息せきながらも2本の足で立っている敵を。
「さすがは戦神の部下。戦闘不能にはならないか。フ、だが『小札が制御できる物の中では最強の』絶縁破壊が体内で炸
裂した以上、さしものお前とてダメージは負った筈。震度7すら耐えたであろう足でさえ、少し笑っているからな」
 首さすりつつもシタリ顔で悠然と指差す金髪の青年に高貴な少女は頬を僅かに歪ませたが存ぜぬ顔で高飛車を振る。
「白状して差し上げますわ。かつてサイフェお姉さまは後に初恋の相手となる殿方に、『液化爆薬を体内から全身隅々まで
流し込まれ爆破』されたコトがあるそうですが」
(それって恋なの!? どんな関係!?)
 かなり唖然とする貴信をよそに
「”それ”ですわね、体内爆破クラス。小札の秘儀をあなたの攻撃力で高めたのです。あたくしの運動性能は、膂力、速度、
反射……いずれも最低4割は減ったと見るべき。重力エネルギーもブラックホール蒸発にだいぶ使ってしまいましたしね」
 笑い、剣を取り落としそうな手をどうにか意思の力で引き締める武侠は
「ですがあなたとて軽傷とは行かぬ筈。『参』の暴発はともかく体内で自ら起こした大地震は常人ならそれだけで戦闘不能の
自爆技。しかも」
 総角の、胴体のほぼ総てを傾いて縦断する深手を顎でしゃくる。
「四倍速天鶏剣に九頭龍閃で突撃した以上、ダメージは交差法によって更に倍。咄嗟に蝶をやめカウンターを削いだり鎖
分銅の虚脱で攻撃力ダウンしたりといった手段で胴体切断を回避した判断力は認めましょう。そこからの数々を凌いだ技
量や汎用性もまた特筆に価します。決して手を抜かなかったあたくし相手に依然としてまだ立っていられるコト、奇跡などと
いう軽々しい褒め言葉で片付けるのは無礼でしょうね。あなたは、強い」
「フ。ここから威圧するための褒め言葉にも聞こえるが、ありがたく受け取っておこう」
「威圧?」 さも心外というように少女は瞬きをした。
「あたくしは事実しか述べません。威圧などというのは、勝てない者がするコトですわ。高貴とは事実のみの列挙で相手を
平伏させうるもの」
 総角あなたは居合いの傷に威力激減とはいえ倭刀術の絶技を喰らったのですよ、とミッドナイトは目を細める。
「左鎖骨付近。腱や神経、果たして無事でして? ロッドは確かに傷口を繋ぎますが、それは医療でいう縫合程度、ダメージを
一瞬で回復するハズオブラブの治癒力には遠く及ばないと、知ってますわよあたくしは」
 フ。居合いによって断裂した肩口の損壊に思いを馳せた剣客は静かに笑う。
「そして剣技の源泉は呼吸、呼吸の源泉は肺。左のそれを破られたのは致命的。以上の状態で──…」
 スチャリと澄んだ金属音を鳴らしながら剣尖を総角に突きつける。
「次に繰り出す九頭龍閃は確実に先ほど以下! つまり、あたくしに、通じない!」
 高らかな宣告を的外れと笑う音楽隊は居なかった。
(確かにな! 初見だったにも関わらず結論から言えば「もらった」のは九発中ただ一発! しかも外傷だけならそれ以上
のカウンターを実際彼女は浴びせている!)
(よーわからんけど、目、なれたじゃん、きっと。次はもっとラクにさばくじゃんピンクなら)
(小札さんの絶縁破壊を併用した総角さんだが、翻せばそれは九頭龍閃だけでは仕留められないという吐露……! そも
数々の武装錬金を総動員してなおミッドナイトは倒れていない……! 黒に近い灰な術策の数々を尽くされたのに!)
(しかもそれは万全状態を以ってしても、です。なのに次からの九頭龍閃は深手の弊害弊風で弱体化……!)

 一番問題なのは……総角は「フフっ」と引き連れた笑いを浮かべる。

(信じられるか? こいつ、『中国剣の武装錬金1つだけで』、博覧会じみた俺の武装錬金の連続使用を凌いだんだぞ。
確かに剣そのものは2本だったが、武装錬金としては『1つ』だ。なのにソードサムライX、ニアデスハピネス、ハイテンショ
ンワイヤー、マシンガンシャッフル、ストレンジャーインザダーク、リウシン、そして最も得意のアリス・イン・ワンダーランドに
エンゼル御前とそれ経由のフェイタルアトラクション、待機モードのピーキーガリバーや兵馬俑の無銘、ギガントマーチといっ
た粒揃いの武装錬金、実に12個もの猛攻を凌いだ! たった剣2本と鞘1つで、俺が専売特許とする智謀に武装錬金1
2個と九頭龍閃が合わさった空前の連撃を…………凌いだんだ)

 色々やりはしたが有効打は結局みぞおちの傷1つ。絶縁破壊こそ叩き込んだが、それでなお、立たれている。

(ほんとコイツ……どう攻める? 出し抜くのは相当困難、しかも妙なところで姉っぽくもあるのが厄介! 下手な煽りは包
容力でツブされそうだし……ってアレ?)
 何となく部下達を見た総角は気付く。彼らの周囲で”だけ”草が微かに燃えているのを。
「……。ミッドナイト。お前」
「なんですの?」 小首を傾げた少女に話かけていくのは煽るためではない。
「ストレンジャーインザダークのビーム。お前、散々跳ね返してたのに、俺の部下達には一発足りと当ててないんだな」
「何かと思えばつまらぬコト聞きますわね総角」。少女はキツネの影絵でツインテールを撫でた。
「あたくしですわよ? 所定の位置だけ着弾せぬよう跳ね返すなんて楽勝ですわ!」
 眉をいからせると途端に姉(サイフェ)そっくりな愛嬌が出るなあと総角は思ったが本題ではない。
「確かに……、お前の技量なら観戦者たちに当てないようするのは容易いだろうな。でもだな、アレだ、逆にいえば。……フ。
当てようと思えば当てれたってコトだよな、ソレ」
「?? 何が言いたくて?」
「フ。大本命っぽい無銘に食らわさないのは分かる。香美や貴信は無関係だし、攻撃する理由は確かにない。だが」
「…………っ」
 何を言われるか察したらしい。やおらほんのり赤面したミッドナイトはツインテールをぴくりと微かにもたげた。そんな反応が
面白かったらしく、総角はくすくす笑いながらからかう。
「なんで小札まで見逃したんだ? お前言ってたよな。小札は愛犬の仇だって。愛犬の仇ならドサクサ紛れに跳ね返したビーム
を当ててもいいと、少なくてもお前自身の感情は納得できたろうに、なんでまたしなかったんだ?」
「う! うるさいですわね! あああ、アリスの、そうですわよ、アリスの密集状態を、トラウマ攻撃をしてこない方相手に、部下を
傷つけ動揺を誘うような卑劣を働いたらあたくしの高貴の格が下がるから! 下がるから、しなかっただけですわ!」
「ほう。アリスの拡散が生じたのはストレンジャーインザダークの後なのにか?」
 みるみると赤くなった武侠は、「ちがっ!」と息を吐き、気恥ずかしそうに叫び始めた。
「さ、最初からトラウマ使って来なかったっていう点があるじゃないですか!! きぃ! 分かってる癖にネチネチネチネチ
と小姑の如く! ああいう運命にならなかったブルルお義姉さまがお兄様とひっついていたとしてもこうは言わなかったですわ!」
 だから嫌いですわあなたのコト!! 大嫌い!! と指差され熱噴かれるが総角は涼しい顔。
「え、お前的には義姉なんだブルートシックザール……」
「…………」
 なぜか小札がちょっと困ったように視線をきょろきょろさせたがヒートアップする武侠は気付かない。
(あ、そか、ミッドナイトこいつ『気付いてない』のか。フ、ヤバいぞ凄い気付かせたい。教えたらすごく面白くなりそうだぞ)
 ロバ少女がなぜ葛藤しているか唯一知っている総角はニヤリとしたが、引っ張らぬ方がいい話もある。
「とにかくまあ、なんだ、すまないすまない」
 謝り方が軽い! 目を三角にする少女に「けど」と音楽隊リーダー、
「俺の大事な部下を傷つけなかったコト、コレでも結構、感謝してるぞ? ありがとう。フ。お前はきっといい奴だろうな」
 似つかわしくない爽やかな笑みで好感を示す。それだけで思春期の異性はドキリと瞳を揺らめかす。
「是非とも部下にしたくなったが……お前はどうだ? 加わってみないか、音楽隊に」
 勧誘は二度目である。しかし共闘の申し出に過ぎなかった先ほどと違い、今度はより具体的で堅さのある誘いだ。
「……。目当ては何です。あたくしの武技? それとも血筋?」
「勝負運さ」
 総角は指弾きつつ即答した。
「ふりそそぐりゅうせいぐんにのり! とべ! とべ! とべ! とべ?」
 香美が妙な反応をしたが何を言っているか分からないので、誰もが無視した。総角は「なんでお前は人がキメた時に余計
なコトを云うんだよと」ゲンナリしたが表情を戻し、再開。
「日露戦争の日本海海戦における第二艦隊旗艦出雲参謀、佐藤鉄太郎は戦後あの歴史的大勝の因を『六分は運、四分も
運、されど後者は人が自ら開いた運』と評したそうだが、お前にはそれがある。それが欲しい。それを以って無銘たちを教化
したい、オブザーバーだ、ぜひ欲しい」
 決して的外れな指摘ではないからこそ少女は困り始めた。鎖分銅のエネルギー抜粋の虚脱から消力を選んだからこそ九
頭龍閃を確固撃破しうる状況が幸運にも滑り込んできた。『参』の暴発でエネルギー枯渇を狙う手堅さは偶然ながらホワイ
トリフレクションに跳ね返り予想以上の打撃を総角に与えた。総角の天鶏剣の2発目が来ると些細な形状から見抜けたの
は使われていたのが自分の武装錬金ゆえだ。
(しかも総角は”それら”を見抜いている……? たった一瞬の手合わせだったのに「もう」あたくしの企図と、それを超えた、
まさしく運としか思えぬ部分を分析し分類できている…………? まさかですわ、ハッタリですわ。論拠は明言の無さですわ、
彼はどれが勝負運で勝ち取ったものか具体的には言っちゃいませんわ、さんざん策を打っておいて勝てなかった口惜しさと
不可解さを運に責任転嫁してるだけの上から目線って可能性だって…………)
 総角は心得たもので微笑するばかり、ハッキリとした言葉は発さない。これが不安を煽る話題ならば「思わせぶり」「論破
を避ける賢しさ」と一笑に付せるが、「勝負運がある」などという褒め言葉だからそうもできない。迂闊に反論してミッドナイ
トすら気付いていない「幸運」を気付かされたら──総角ほど『事実』を自分に都合よく編集できる男はいない、ちょっとした
偶然の符合さえ耳が蕩けそうな美辞麗句でご機嫌取りに使うだろう──戦いの中で置いてしまった一目の分だけ少女は彼
に畏敬と好意を覚えてしまう。想い人を奪った者相手のそれは……避けたい。
「〜♪」。葛藤を見抜いているのかいないのか、金髪の美丈夫は楽しげにノドを鳴らす。恋人の仇が更に憎らしい態度を取
っているのに、勝負運があるなどという思わぬ再評価のせいで心底からは怒れなくなったミッドナイトは大いに悩む。
(だって…………そんなの言われたの……初めてで………………)
 少女はむしろ自分が悲運のなか生きてきたと思っていた。未来世界から突如として源平争乱の頃へ飛ばされた。母は殺さ
れ兄や姉達とは”はぐれた”。
(それでもブレスが、愛犬が傍にいたのは幸運……? でも再びのタイムワープで引き離され……ああでも、けど)
 母の仇への隷属を強いられた過酷の中で恋人と呼べる少年と出会えた『救い』もまたあった。
(って! そのコを、イフを! 殺した相手にツイてるなとか言われてるのですよあたくし! かかっ、考えようによってはこれ
以上の屈辱もないじゃないですか! だったら受け入れる訳には…………)
 とは思うのだが、無銘の顔がチラつくと踏ん切りがつかない。失う度に不思議と何がしかの救いが傍にあった人生の法則
からすると、恋人の死後に存在を知った『愛犬にそっくりな少年』の存在が何かをもたらしそうで、
(『彼と出逢う機会をこうして奇跡的に得られている』のも勝負運の1つと言えなくも……)
 と揺れる。自分を無理やり従わせていたメルスティーンからは決して得られなかった『希望』を、前向きな感情を、どうも
総角は引き出そうとしているようだった。しかもそれが他者にまで良い影響を与えられるとさえ言っている。
(レ、レティクルよりは所属し甲斐がありそうですけど、ありそうですけど……)
 率いる者との因縁が二の足を踏ませる。

(確かに彼女ほどの力の持ち主が加わってくれば心強くは、ある!)
 貴信は頷く。仇というべきデッドたちと同じレティクルの幹部という点に引っ掛かりがない訳ではないが、ミッドナイト本人に
さほどの悪意がないのもまた知っているため拒む理由もまたない。

 香美は同性が増えるため歓迎ムード。
(よーわからんけど、あのピンク、なまえからして、いい!)

 小札。自分が武侠の愛犬の仇だと言われたためそこへの禊をどうすればつければいいか考えている。仲間入りを拒むつもり
はない。戦力とは離れた部分で「来て欲しい」と思っている。思惑は総角と同じなのだ。語らずとも一致する、男女の、恋愛の
更に向こうの意思疎通はこの3年で出来ている。
 その『鎹』は、実母といって差し支えない養母にじつと見られているのに気付かぬほど、悩んでいた。

(……。ミッドナイト。彼奴を見ていると我は何かを思い出しそうになる。同行すれば謎が……我の出生の謎が解ける……?)

 犬の姿で生まれるコトを余儀なくされた少年無銘は、懊悩。
(あぁ……)
 そんな彼の気配で振り返ったのだろう。手を伸ばしかけたミッドナイトはちょっと逡巡を浮かべたが「で、できる訳ありませ
んわ、仇が2人も居る組織に……」と気まずげに述べる。
「フ。元いたレティクルだって、母親の仇が、メルスティーンが、仕切っていたろうに」
「あれは……! 彼しかあたくしの体を保全できないよう設定されたから……仕方なく……!」
「フ。だがそれを抜きにしても他の面々はひどかったろ? 成功者を嬲り殺すのが好きな鳥に、エログロ女医、狡猾な忍び
にあと物が喋ると思ってる強欲少女」
「デ! デッドちゃんはいい子ですわよ! 唸るしかできなかったあたくしに毎日コアラのマーチくれましたし!!」
 切りつけるように叫んだ武侠に(ええー)と音楽隊の面々は呆れた。
(コアラのマーチで釣られると!?)
(菓子だぞ、200円もしない、菓子だぞ)
(高貴な割りに庶民派だな!)
「わかる! あたしもごはんくれる人はすきじゃん! でっどとかいう奴しらんけど、いい奴じゃん!」
 びしっと手を上げる香美に「ですわよねってデッドちゃんはネコ時代のあなた惨殺したコですわよ!? なんで褒めてるん
ですか! というか仇の名前すら覚えてませんの!?」といよいよ甲張(かんば)った声をあげるミッドナイト。
「フ。やっぱりお前、こっち側だよな」
 ハッ。総角の指摘に
「なんなんですのもう……。こんなのあたくしらしくありませんわ、あなた達、意味不明で、本当……嫌い」
 きまりが悪そうに髪の房を頬にあてモジモジするミッドナイトであったが、やや生ぬるさの入り始めた小札たち一同の視線
に気付くと「フハ!」とツインテ2つ盛大に逆立てた。そして俯くや「しくりましたわ崩れた部分を見られましたわどうしましょう、
いえココは勢いで誤魔化すべきですわ、弱味を見せちゃ負けですわ強気強きの力押しですわ!」とブツブツブツブツブツブ
ツ呟いてから

「どーやらあたくしの強さに恐れ入ってくださったようですわね!」

 ババン! 腕組んでそっくり返りながら景気よく笑う。『ええー』。貴信は困惑したが、内向的ゆえ気持ちは何となく分かった
ので、

『強さに関しては、う、うん』

 と小声で追随。

「総角さんが、切り札と武装錬金の数々を連從させたのに有効打1つ、だしな……」

 無銘が歯切れ悪くながら答えたのは、少女の若干間の抜けたノリにどこか懐かしさを覚えたからだ。

「そうです! 戦慄なのです!!」

 小札も優しいので、元気よく肯定。

 そーでしょうそーでしょう! ぶんぶんと全力で首振りツインテールを上下させたミッドナイトに香美のみが「あんた。なんか
ヘンな奴じゃん、ヘン」とかなりブーメランなツッコミをするが、された方はノれば終わりとばかり敢えて黙殺、突然美しくも恐
ろしい形で口元を歪め、薄い胸に片手当てつつ冷ややかに呟く。

「套路(とうろ)。我が武装錬金の術式体系ですが……もしまだまだ使っていない套路があるとすれば……どうです?」

 何っ。貴信たち3人は息を呑んだ。ネコ少女だけは「とーろ? さかな?」と小首を傾げる。

「フ。最も得意と喧伝する九頭龍閃を半ば封殺された俺と違い、いまだ余力あり、と?

 そうですわよぉ。グフフと一瞬とても嬉しげにそしてダラしなく相好を崩しかけたミッドナイトだが「高貴高貴」と慌てて顔を
引き締め凜と澄ます。

「そ。套路はまだ30ぐらいあるのですわ♪」
(30……!?)
(総角さんでさえ実戦投入可能な武装錬金が20前後と言っているのを考えると、多いな……!」

「そして序盤で総角を圧倒していた『単剣』は最弱の套路……!」
(あれで最弱!? 不肖たちの中で一番強い剣装備のもりもりさんを寄せ付けもしなかった術技が……!?)
「ですがここから使うコレは違いますわよ!」
 ミニ浴衣の少女がシュっと右腕をしならせた瞬間、銀閃が空間を迸り──…

 総角のすぐ右で大爆発を起こした。

「ふみゃ!?」
 香美が思わず耳としっぽを出し毛を逆立てたのもむべなるかな。可燃物とは無縁だった水田のとある地点を中心とする
半径4mあまりの面積が突如として赫(かがや)く鋳鉄めいたオレンジの爆光立てて弾けたのだ。水や泥が炎に揉まれなが
ら四方に飛び散ったあと残ったのは燻る種火と幾筋かの白煙の柱。
「どうです。ここからはあたくしがもっとも得意とする『套路』。通常攻撃でさえ……この威力!」
「しゃああ!! だからそーいうのいきなりすんのやーめーるじゃん!! びびる! こわい!」
 妖怪絵巻中の化け猫のように線目で威嚇する香美をよそに、
「フ」
 くるくると旋回させていた剣をピタリと止めた総角、血ぶりの要領で空を切り付着を落とす。爆発のコラテラルは防いだら
しい。
『爆発?!? 火薬!? 確かに発祥は中国だけどあの剣そーいうのも使えるの!?』
「いや、剣などの冷兵器と火器は根本的に違う。武術主体のミッドナイトが好むとはとても……」
 ならば一体なにをした……? 目を凝らして武侠を見た無銘は気付く。
(剣が両手に……双剣だったのか。いやそれよりも、見るべきは)
 彼女の手にする双剣の尖端でそれぞれ一穂(いっすい)の炎の如く揺らめいている『鈎』と──…
 柄の部分と平行に設えられた外向きの、三日月形の刃に。
 それらは欠損角と余剰角によって複雑に変形した中国剣の一部であったが、うっすらとした重力エネルギーさえ帯びて
いる。エネルギーは、水色の鬼火の如く所在なげに燃えていた。
「『双鈎(そうこう)』……! なるほどそういうカラクリか!!」
「なにさソレ。なにさ」
 ネコミミとしっぽをしまうのが面倒臭いらしくそのまま両方ぴょこぴょこさせる香美に無銘は「貴様見た目だけは我より年
上なんだから中国武器のコト指されてるってぐらいは気付けいい加減、たまには自分で考えろ頼むから……」と頭痛が露
な表情で呻いたが、根は律儀で真面目なので答える。
「あの武器は尖端のフックのような部分同士を連結させて振り回せるのだ。今の爆発はその着弾。よく見ろ。あの武器の、
日本刀でいう柄頭の部分を。剣先の如く尖っているだろう。あの部分に力と速度を一点集中させヌンチャクよろしく打ち込
んだのだ」
 確かにそういう形だけど……香美(単語の意味は何1つ分かっていない)ごしに剣もとい『双鈎』の形状を認めた貴信だが
しかし訝しげに反問。
『で、でも、武器を打ち込むだけで爆発とか起きるのか!? 僕はしたコトないぞ!? 分銅! 武装錬金の先頭を訓練で
思い切り打ち込んだコトは何度もあるけど! あそこまでは!!』
「いえ! 修練すれば貴信どのにもあながち不可能ではありませぬ! 肉体極まるところアレぐらいは実は可能!!」
『え!? えええ!?』
「だな。我は会ったコトがないが、錬金戦団のキャプテンブラボーとかいう男は身体能力のみで爆発を起こせるらしい。
拳は十文字槍に掠るだけで爆炎を起こし、蹴りは断崖を亜空間ごと爆砕し、本気の踏み込みは身長57mの破壊男爵
さえたたら踏む爆裂を大地に惹起する……とな。まあでも、フン、そんな奴などどうせ脳みそまで筋肉で腹立つ奴なのだ」
 後半は人間形態になりたくてもなれない無銘らしい僻みである。もっとも後年、ブラボーこと防人に出会った彼はすっかり
人柄に魅せられ懐いたりもするが。
「一説によればヌンチャクの打ち払いの破壊力はおよそ700kg。突きにて一点集中すれば更に増すでしょう。しかも使い手
は頤使者(ゴーレム)かつ高出力のミッドナイトどの……。しかも武装錬金特性で操られた余剰角や欠損角が威力を高め
ております」
 なるほど、小札の解説に頷きかけた貴信だが「あれ?」と気付く。
『さっき彼女そこまで細かい単語いってなかったぞ! もしかして……その! 特性! 知ってたの!?』
「……。ミッドナイトどののご親族たちに逢う機会があり、伺っております。もりもりさんも同じくです」
 ただ兄や姉も久しく離れていたため、成長した彼女が重力角をどう使っているかまでは把握できていなかった、だから自
分もまた具体的な説明を避けていた……小札はそう告げた。
「なんとなくわかったけどさ、あやちゃんさ、しゃべるときはめっちゃしゃべるのに、あたしたちにそーいう、さっきの話はさ、
あまりせん感じじゃん」
 いまも今さらになってやっとだし、不思議そうに──責めるつもりはなく、本当に不思議そうに──する香美に小札は、
「い、いろいろありまして……」と歯切れ悪く回答する。
(……? なにか昔話ができない制限でもあるんだろうか? 能力的な……それこそ『武装錬金の特性』のような制約を
『誰かに』かけられている、とか?)
 貴信も疑問に思ったが、小札が語りたくないのなら詮索しない方がいいと考え自重する。

 無銘もちょっと気遣うような目を養母に向けてから、”まるで話を逸らすよう”言葉を継ぐ。

「なるほど。反りのない中国刀で居合いをやってのけた秘密も重力角とやらだな。剣身そのものを歪曲したのだろう、ならば
尖端を鈎として反らすぐらい容易い筈。そして……『双鈎の弱点』のカバーも、また…………!」

 水中でなおも赤外線の淡き輝き放つ熱源によってぼごぼごと煮沸さえする先ほどのグラウンド・ゼロを見下ろしながら、
ミッドナイト。
「本来の双鈎はヌンチャクの如く使うなどとてもできませんわ。尖端のフックで簡易的に連結している都合上、強く振り回せ
ばどちらかが飛んでいく。敵なき演舞でさえ一回転ごとにキャッチするのがお約束、まして実戦となればほぼ不可能!」
「フ。しかし重力角による連結ならば鎖武器の如く気兼ねなく、か。不完全とはいえ俺も天鶏剣を使ったから分かる。居合い
の時の『鈎』はあくまで一撃用の簡易版、ここからは恐らくだが継戦能力とみに高い『より頑健な連結』が来る訳だ」
 その通りですわ! 元気よく叫び、無意味に頭上でガチガチとフック同士打ち鳴らすミッドナイト。
「瞬間破壊力だけなら居合い用に持ち出した『倭刀』や先ほどの対決終盤の『双手剣』などなど、双鈎より強い套路は幾ら
でもありますが、あたくしの武術的手腕と武装錬金特性を最もバランスよく恒常的にフル活用できる套路は双鈎ただ1つ!
これこそがあたくしの『隠し手』! 絶縁破壊によって身体能力4割減真っ最中のあたくしでも、それなりに、戦えます!」
(それなり……? 冗談を言うな! 双鈎はあらゆる箇所が刃物な『多尖多刃武器』! そんなものを人外の膂力+ヌンチャ
ク速度で振り回せば一撃一撃みな総て必殺……いや! 超必殺の域だぞ!!?)
(なにしろ尖端の「鈎」と柄横の「月牙」は柳葉刀のごとく曲がっている! 中国剣が斬るのに不向きと語ったのは套路単剣の
頃だけど、その弱点すらミッドナイトは克服した! 斬るのに向いた中国刀の意匠さえとうとう持ち出して……きた!!)
(しかも刃は重力角のエネルギーさえ帯びてます! 斬られれば刃以上の追加攻撃も……! 下手をすれば傷口からブラッ
クホールめいた異常が生じ飲み干される恐れさえ!!)
(キツネみたいな指でぎんぎら握ってるじゃんピンク。たぶんあれがいちばん、ギャーン! ってうちこめる持ちかたじゃん)

 その指で、本来はヌンチャク専門のキツネ指で、刃を髪に向けないようツインテールの片房をふぁさりと梳ったミッドナイ
トは「部下達は畏懼(おそ)れて始めてくれたようですわね、あたくしの、双鈎に」。フフンと喝采浴びるスターの得意満面で
目を瞑る。

「ですが総角。そちらの切り札は、九頭龍閃は、重傷によってもはや従前の威力なし! 居合いにて力と速度をタメずとも双
鈎にて迎撃可能! さあさあ降参するなら今ですわよ、頭下げてあたくしの亡き恋人に謝罪するなら高貴の特赦、ケガなし
で海容して差し上げますわ! あなたを殺すコトが目的じゃないって露見した以上、降伏勧告もまたアリなのですわ!」
 きらきらと笑いながら右手を体の前に、左手を体の後ろに、それぞれ回して双鈎を構えるミッドナイトの全身から立ち上る
マゼンタの覇気はファンシーな色合いとは裏腹に見るものを寒からしめる威圧に満ちていた。

「悪いですけど、あたくし、鳩尾無銘の前で負ける訳には参りませんの! 戦うなら加減なしです、総角!」

『マズい、な!』
 貴信は呻く。
『得意技を半ば封殺されたもりもりさんに対しミッドナイトはまだ套路30、しかも最も得意と自負する術技で力と速度を振るっ
てくる!』
「じゃあもりもり、コーサンした方がいいじゃん。これ以上ケガされたらなんか辛いし……あんま血ぃみたくないし…………。
だいたいピンクの大事な人ぎゃーしたの謝らんままはよくないじゃん、よくない」
「……ドラ猫め。ときどき物凄い正論を言う…………!」
 無銘も呻いたが貴信とはベクトルが違う。確かに理屈だけいえば香美の言うとおりなのだが、少年無銘の感情は承服でき
ない。総角と今は溝こそある。だがかつては「父」と呼んでいた。その思慕は、屈折して表面から見え辛くなった現在でも、
確かに残っているのだ。なのに負けろと父に? 口が裂けても、言えない。
(かといって加勢はするなと言われている。もし出来たとしてもミッドナイドほどの相手に我や新入りどもに何ができる? 火
星の幹部さえどうにも出来なかった我たちが、土星相手に……何が…………!?)
「大丈夫です、無銘くん。大丈夫」
 ひょいとした感覚と共にチワワ少年の視界は上昇する。懐かしく、仄かに甘い香りにドキリとしたのはそれが小札のもの
と気付いたからだ。
 無銘を胸のあたりでだっこしたシルクハットに栗色お下げ髪の少女は「……」と気恥ずかしげに見上げてくる養子に、「大
丈夫、大丈夫」と笑う。たんぽぽのような素朴さだった。

「もりもりさんは負けませぬ。切り札はまだありますし──…」

 彼方の無銘を見据えた総角は瞳の、薄れ掛けていた瞳を再び灯し「フ」と笑う。

「無銘くんの前で負けたくないのは、もりもりさんだって同じですから、大丈夫」



「フ。降伏? 冗談を言うな。俺が先ほど隠し手を持っていると指摘したのはお前だろミッドナイト」

 マシンガンシャッフルの接合力で傷を塞ぎながら剣客は言う。

「頭なら後で幾らでも下げるつもりだが、それは互いの全力の勝負が終わってからだ。俺はこれで案外、情が澆(うす)いと
よく言われるからな。戦いのケジメぐらいはキッチリしないといけない)
(これで案外ってのはないですもりもりさん)
(……ないな)
(もりもりあんたハクジョーじゃん、ハクジョー!)
「いま謝罪すれば痛めつけられるのが怖くて頭を下げたと思われる。お前に、受け止められる。未来の仲間に勧誘時点で
しこりを残すのは、フ、組織運営上、下策もいいところさ」
「あ、言葉が足りませんでしたわね。すみません。双鈎を使うあたくしは加減できませんの。あなたが、完膚なきに痛めつけ
られた息も絶え絶えの状態で、あたくしの足元に縋り命乞いの如く謝る無様な未来だけは、部下たちがドン引きするような
光景だけは、ここまでの再評価に免じて! 勘弁してあげますわって述べ忘れたせいでそんな思い上がった言葉を吐かせ
ているのだとしたら、すごく……とっても…………申し訳ないですわ……!」
 ぶりっこ丸出して顎に手を当てウルウルわざとらしく瑠璃色の瞳を潤ませ顎に手を当てる少女。剣客はこめかみに筋を
浮かべた。
「お前っ、ほんと、憎らしいよな……!」
「あたくしが仲間になるの当然って顔してるからですよーだ!」
 イーっと言いたげに両目を閉じて思いっきり舌を出した武侠はちょっとだけ目を逸らしツインテールの片方を剣持ちつつ
イジりつつ、小声で、呟いた。
「なんですのよ、人がせっかく大健闘に免じてそろそろ手打ちにしてあげようって申し出てあげたのに…………。尋常に
立ち会えばどうせ二合と経たぬ内あたくしに破られる『隠し手』を勝ったままで終わらせてやろうって気遣ってさしあげまし
たのに……」
「フ。丸聞こえだぞ。あと高貴気取るくせにお前ちょっと安っぽいぞ」
 ひどい侮辱の言葉でもあったが、いかにもありがちな軟化振りが見えたため、総角、怒りを通り越し生暖かい笑みを浮か
べた。
 武侠は何も言わない。ちょっとむくれながら無言で構えた。
「拗ねるな拗ねるな。お姉ちゃんって呼ばれたいなら直s「隠し手以外は通じませんから」
 ツーンと静かな怒気ある声で遮るミッドナイト。
「アオフのパーティクル=ズーだろうとメルスティーンのワダチだろうと、お母様のインクラであろうと、強力な武装錬金ほど
複製品は劣化も激しいですからそれ単体のみじゃ通じませんわ。防ぐし。潰しますし」
(めっちゃ拗ねてるな末っ子)
 指摘自体はあっているが態度はいただけないと総角は思う。確かに出力ゆえに創造主すら殺す大鎧や、南北朝期の長大
さゆえに傷痍の体では扱いきれぬ大刀、それから閾識下のエネルギー総てと直結して初めて真の威力を発揮する電波兵器
といった代物は『それ単体』のみではミッドナイトに通じないだろう。先の攻防を見れば充分わかるのだ、武装錬金使いでも
ある剣客には。ただそれをいう少女がすっかりご機嫌斜めなのがよろしくない。高貴ゆえの、下々には分かり辛い気持ちの
下賜がちょっと断られたぐらいで咋(あからさま)に怒っている。ほんのちょっとだが涙ぐんでさえいた。
(フ。わがままな奴)
 軽く肩を震わすと、潤んだ睨みがキっと来た。勝負の神に愛され気味なのはそういう稚(いとけな)い魅力ゆえなのだろう
なと総角は思いつつ、日本刀を輝くコバルトブルーの粒子に散らし解除。それが収束した認識票を手に持った。

「ならば見せよう俺の隠し手。その名は──…」

 2枚の認識票を扇形に揃え気障ったらしく擦りあわせて、告げる。

「……『フォースクラム』」








 終止符のその先で羸砲ヌヌ行かたりて曰く。

 フィナーレオブフィナーレ
「『庇護なき子供達の戦い』……と我輩は呼んでいる。鳩尾無銘とミッドナイト=キブンマンリを軸とした一連の流れをね。
ん? このルビは無いだって? いいじゃないかソウヤ君。首謀者の末路にはピッタリだ。FOFとも略せるしね」

「庇護とは親の庇護を指す。庇護は大事だ。防腐剤といっていい。人の心を腐らせぬため重要だ。この世の善意の源流と
すら言っていい。幼児期に適切で暖かな庇護を得られなかった者ほどやがて他者に歪んだ攻撃を仕掛けるんだ。鳩尾無
銘にもミッドナイトにもそういう圭角はあった、確かにあった。実の両親を知り得ぬ寂しさを復讐心に転化していた少年、あ
る日とつぜん親兄弟から引き離されたばかりに高貴な血筋へ過剰なまでに縋りつくようなった少女……。彼らが渦の目と
なった1998年の戦いには『更に数人』、同種同質のアレルゲンを持つ者たちが強く強く引き寄せられていた」

「音楽隊の面々も──ホムンクルスになるまえ捨て猫だった栴檀香美でさえ──このころ親の庇護を得られなくなっていた
のは違いないが、しかし我輩の言う『更に数人』は部外者だ、音楽隊ではない」

「その数人を詳述する前に断っておく。庇護を得られなかった子供は基本的に被害者だ。被害者側だ。正しく補われるべき
愛と寛容を対話によって紡げなかったのは明らかに不幸だし、子供たち自身ずっとその生涯を貫く暗黒の針に苦しんでい
るのは確かな話だ。ソウヤ君、君ならば理解以上の理解ができるだろう」

「だが親に裏切られたからといって他者に何をしてもいいという話にはならない」

「自分を暗黒の淵に突き落とした所業を無関係の者へ八つ当たりで『やり返す』コトほど無意味な行為はないだろう」

「悪意とは『不完全な親からの再現性』だ。幼いなりの正論で防げなかった火砕流のケロイドを、何年越しかの黒き過熱
残す焼印を、他者の心に押し付ける行為だ。押し付けるコトでようやく、幼年期得られなかった優位性が”今度こそは”
得られると海水飲むような追い詰められた心持ちで祈念しているから、主張は罵詈で、ひどく鋭い」

「ミッドナイトは高貴への拘泥ゆえにやらなかった。鳩尾無銘はやりかかっていたが各所からの影響で止まるに至った」

「だが止まれなかった数人が居た。その数人こそが一連の流れの大綱を仕上げた犯人だ。我輩でさえ驚嘆する智謀の
限りを尽くし合ってきた総角主税とミッドナイトでさえ、『作り上げられた舞台の上で』ある意味踊らされていたに過ぎない」

「時に矛盾した親が居る。子供の頃の自分を親がどれほど誤った文法で傷つけたか日々鬱々と怨毒の正論を胸中で繰り
返しているにも関わらず、我が子に対しては恐ろしく威圧的な『かつての対処』を取る親が」

「皮肉だが、彼らにとって支配とは絶対の物なんだ。親から得た信仰なんだ。顔を見るだけで双眸が吊り上がり声を聞くだ
けで憤怒に煮立つ……そんな親(あいて)なのにだ、指導方針のみは脳髄の中で舵となり羅針盤となっている」

「親と子の因果はそれほどまでに深い」

「……そろそろ本題に入ろう。これは親の庇護を得られなかった子供たちの物語であり……鳩尾無銘のオリジンだ。
人間形態になれぬ苦しみから逃げるよう実の両親を求め、求めたが故に育ての親を、義理の父母を、総角と小札を傷つ
けてしまった少年が、光への指標を得るまでの過程。光。そう。これは6年と少しあと救う『あの少女』への……前軌」

「それらを形成した者は皮肉にも、鳩尾無銘が求めた『実の両親』。救いの主と探した者たちこそ鳩尾無銘自身を運命の
過酷に叩き落した張本人」



「幄瀬(あくせ)みくすは錬金戦団事後処理班に属していた戦士だ。事実だけを列挙すれば確かに鳩尾無銘は彼女の胎内
で生を授かった。妊娠第7週、催奇の候にある胚児へホムンクルス幼体が投与された瞬間から鳩尾無銘という存在は発
祥した」

「釦押鵐目(こうおうしとどめ)。幄瀬の夫だ。彼の子が幄瀬の子宮の中に居なかった時期はない。そして彼は後の……
土星の幹部だ。鳩尾無銘と縁深いミッドナイトの後釜としてレティクルに向かい入れられ『リヴォルハイン』と名乗る」



「彼らが、鳩尾無銘とミッドナイトを軸とする運命の流転に強く関わっていた『更に数人』かと言うと……答えは」





 ミッドナイトが総角主税と戦う数週間前。
 栴檀貴信と栴檀香美が1つの体になった少しあと、交わされた会話がある。


「つか鳩尾が飛びかかってきたときビックリしたわ。お前よく撃墜できたな?」
「ま、経験って奴だなwwwwww」
「そーいやお前あいつのコト忍者ゆうとったけど、そうなん? 武装錬金が兵馬俑なのにか?」
「さあwwww あいつが忍者修行してるとかいう話、オイラ一切聞いたコトねーけど?wwww」
 ならばなぜわかったのだろうとばかり関西弁の、少女は、眉を潜めた。彼女を乗せる大空いく巨鳥は嘲るよう答えた。
「血筋さwwwwwwwww」
「はぁ?」
「鳩尾本人も知らないけどなwww 由緒正しい忍者の血筋だぜアイツwww イソゴばーさんに匹敵するぐらいwwww」
「ほー。あの人たしか伊賀の薬師寺天膳の娘やろ? それとええ勝負な血筋ゆうたら……甲賀か鳩尾?」
 ノーコメントwwwwwwwww 怪鳥の笑いが一段と大きくなった。少女の言葉がよほど面白かったらしい。
「なんやそんな笑て。甲賀しか知らへんウチを笑ったんか?」
「ノーコメントwwwwwwwww」


「数年前の決戦……お前がマレフィックになるちょっと前。ある陰謀の中であいつ(鳩尾無銘)は生まれた。それにゃミッド
ナイトの野郎が深く関わってるけど、聞きたい?wwwwwwwww」

「ミッドナイトって単語聞いただけで萎えたわ。ウチあいつ嫌い。土星の幹部やけど化け物丸出しで全然会話できへんねんで!!」

「鳩尾無銘の本当の両親。ミッドナイトがああなっちまったのは元をただせばそいつらのせいだwwwww」

「鳩尾のカーチャンwwオイラは好きだがwwww」

「けどもし鳩尾が母親を知ったら……ヌルじゃねえ本物の母親がどーいう奴か理解したらよwwwwww」

 鳥の、いぎたない笑みはいまにも爆裂しそうだった。それほど彼は横隔膜を痙攣させていた。

「絶対に憎むwwwwwwwww」



 そんなコトをあるとき養父から聞かされた月の幹部デッド=クラスターが言葉の意味を理解したのは同輩たるミッドナイト
の肉体が音楽隊との戦いの果て滅んだ少し後だ。この話題は、フった当人がとにかく勿体つけていたせいでなかなか真実
に辿りつけなかった。お陰でデッドは数週間のあいだずっと当時を知る仲間連中にしつこく聞いて回る羽目になった。調査
が一気に進んだのは、『どうやら無銘の実母には戦団上層部のとある戦士との嘔逆もたらす因縁があったらしい』、要約す
ればそんな話をイオイソゴという幹部連中の最長老から引き出した瞬間だ。そこからはもう真実まで電撃の速度だった。僅
かな調査で裏づけが取れた。無銘の実母が誰かという確固たる証拠が掴めた。掴めたからこそ、この話題に対する養父
の反応を逐一咀嚼しなおしたデッドはパッチリとした愛らしい大きな瞳をしばらく白黒させた。そして養父の元へ行き、『もし
無銘が実母の正体を知れば絶対に憎む』なる推測に対する正答を、ひどく軋んだ声でつくづくゲンナリと、言った。



「そりゃ憎むわ……」
「だろwwww」



 事実を開陳した火星の幹部──ディプレスという、無気力なハシビロコウ──は肺魚を丸呑みにできるほど大きなクチバシ
を更に大きく開き汚く笑った。デッドはというと、銀のシャギーの入った金色の前髪を義手の五指でギリギリと梳りながら「性格
悪いわぁ、悪いわぁ」と呻くほかなかった。デッドは勝気なツインテールの少女だが、不良在庫や賞味期限間近の商品を買
い取るコトで生産者に対する優しい奉仕を実感する人情的な一面も有している。だからあまりに原液的で濃厚な人間の悪
意はダメだ。「ウチはおかんに恵まれとった方やなー。手足なおそとお医者さん探しとってくれたもんなー」、誘拐犯に切断さ
れた四肢が義肢との境界でズキリと痛むがそれはまだ加護のある痛みだ。亡き母なら共感し分かち合ってくれるだろうと
信じれば孤独のもたらす創痍の悪化は避けられる。(けど鳩尾無銘の方は……)、姿を一度とおくから見たきりの、しかも
今は因縁深い貴信や香美の同僚に過ぎぬチワワ少年に”母については”、わりあい強く同情する。なんと呪われた出自の
過程かと僅かだが双眸を湿らせる。

 ディプレスの方は楽しくてたまらないという様子で無銘生誕の経緯を改めてあげつらった後、こう言った。

「そ。『いま聞かせた事情があったから』、鳩尾無銘は幄瀬みくすっつう戦士の腹ん中から生まれたwww 鳩尾無銘はミッ
ドナイトと悲しい悲しいお別れをwwwすwるw羽w目にwwwなったあの騒動の原因で遠因のwwwwww幄瀬みくすのwww
腹ん中からwwwっ生まれたwのwさwww」
「……幄瀬か。ウィル曰く意外やったそうやで。3年前の辺境に過ぎんかった『幄瀬』がミッドナイトの一件をああまで引っ
かき回すとは……ってな」
「そりゃ思いもよらないだろwwwアレがああなって”ああ”だぜwww 無理無理、予測不可wwww」
「でもやで、色んな時空改竄やって歴史を好き放題イジくってきたウィルがやで? 状況をコントロールできへん予想外に突
き落とされた訳で。そーいう意味じゃ相当やろ幄瀬」
「まあwww3年前についちゃ?ww 幄瀬の野郎は威力偵察か何かの途中あっさり俺らに捕まってたからなwwwそんで
金星の幹部グレイズィングさんお得意の拷問フルコース喰らい続けwwwやがてwwwくwたwばwっwたwwwwwwww
筈! だったwww」
「って話やな。つっても戦団のおえらいさんがこっちに情報流さんかったらまず捕捉されへんかったって話やし、拷問に対し
てもグレイズィングの方が精神の敗北を認めるほどに毅然と抵抗したらしい。自殺しても蘇生され再び拷問されるおぞまし
い環境の中、幄瀬は

──「あんたはアチシを蘇生するたび勝ってるんじゃない。負けている。負けて見下されている。『ああまた勝手に自殺された
──上に自分からNG出してるよコイツ。ダメな拷問狂だなあ』ってね、生き返るたびアチシ思ってる」

──「もう殺してもあんた方はアチシに勝てない。言うよ。あんた方は蘇生の数だけ”しくじって”、”見下された”。自分たちじゃ
──『死さえ問題にしないマジ暗黒で怖い怪物です』とか思ってるんでしょうけど、根はしょーもないよね。格ゲーで強い奴相
──手にムキになり何度も連コし負け続ける小学生のお子様みたい」

と言い放ち抗い続けた。ま、ウチそん頃いぃひんかったから、イソゴばーさんからの伝聞で受け売りやけど……相当優秀な
戦士やったのは分かる」
「そwww俺が畏敬し憧れるイソゴばーさんですら戦歴500年中最高峰と敬意を抱いたのが幄瀬って野郎さwww けwどw
奴は3年前の戦いの中くたばった筈なのさwwくたばらない方が異様wwwおかしいwww」

 まったくだとデッドは頷かざるを得ない。ウィルという時渡りのアルビノさえもが数年越しのミッドナイトの一件に幄瀬の名
が絡んでくるのを予見できなかったのは『無理もない』話なのだ。なぜなら3年前、幄瀬みくすは。


「末期ガンで余命幾ばくもない体だったwww そんな体で妊娠継続を選んだ時点で既にビックリだがwww奴は妊娠5週目
の身重の体でそうと知りつつ偵察任務に赴きやがったwwww」
「当時の記録……ミッドナイトとかハズオブラブがつけてた奴ならウチも読んだで。捕まってから4週目あたりで確かに死んだ
……ってな」
「本来なら?ww そのハズオブラブ……グレイズィング操る衛生兵の武装錬金で蘇生できたさwww そもそもww完全治癒
の能力だからwww末期ガンであろうとwwハズオブラブさえ使えば一発で治せたwww 実際、拷問のショック死ならば数え
切れないほどwww覆してたwwからなwww」
「けど、拷問途中で精神の敗北を喫したグレイズィングはムキになっとったんやろ? 『自らの医療的手腕のみで救命してや
る』とか何とか。幄瀬に『論破した筈の拷問吏から命を救われたという敗北感』を植えつけてやろうって」
「それで死なせてんだから世話ねえよなwww グレイズィングもそれは感じたらしいwww それが引き金の1つになっちまった
らしいwww」
「鳩尾無銘誕生の……か」

 ピンクのキャミソール越しに腹部を撫でたデッドはやや嫌そうな顔をした。”そこ”に居る胎児へホムンクルス幼体を植え
付けられる想像は背筋の産毛を逆立てるものだ。叫びたくなる嫌悪さえある。デッドはとっくにホムンクルスだから、人なら
ざるモノを己が身体に投与するコト自体はいい。強さの儀式だ。家族同然だった使用人たちと母を奪い去った戦団を焼き
尽くすに足る力を得るためならと何体ものホムンクルス幼体を受け入れそしてデッドは調整体となったのだ。それも7年後
の銀成で蝶野爆爵そのひとが銀成学園に放ったような不完全な代物ではない。彼が手本とした100年ほど前の、伝説的
で純正な調整体に。それほどの強さを得る為ならばデッドは我が肉我が骨に異様の胎児が潜り込むぐらい耐えて見せる
……そう思ってはいるが、しかし『胚児への寄生』となると話は別だ。新たな生命をまさに身を削り時代に繋ぐ女性としての
本能が震え上がる。幄瀬に降りかかった災厄を己が身に置き換えると、この世のいかなる汚物を目撃した時よりも激しい
嘔咽が食道の付け根から競り上がってくる。男性には実感できない実感だ。愛の結晶を異形の怪物にされた挙句、それ
に血肉を分け日々体内で膨らませていくのは女性にしか分からぬ、陣痛以上の絶望だ。


「幄瀬が拷問に耐えた理由の1つは、ガキ産むためww グレイズィングたちは幄瀬の目の光でそれを察してたらしいww
だからまあ?ww 嫌がらせのトドメだったとしてもwwwホムンクルス幼体投与はアリだろwww」
「…………グレイズィングとイソゴばーさんはそんなつもりなかったと思うけどなあ」
 デッドは戦部厳至を思い出した。まったく接点のない彼を想起したコトにやや戸惑ったが、『強者の血肉を喰らいその強さ
に倣う』敬意のようなものが金星と木星の幹部たちにあったような気がしてならない。両名とも女性だから、『胚児』という命
の根幹まで軽々しく扱ったりしないとデッドは思いたいのだ。でなくば自分がいつどういう目に遭わされるか分からず、怖い。

「とにかくwww 3年前の決戦でだww 鳩尾無銘の母胎となった幄瀬みくすは死んだ筈なんだwww 医者が、グレイズィング
が死亡判定出したんだwww そっから息吹き返したケースも世間にゃあるがwwけどww」
「死亡判定直後、幄瀬の居た部屋は崩落した。バスターバロンのせいや。幄瀬が死んだころレティクルは戦団からの総攻撃を
受けとった。決戦ちゅう奴や。だから身長57mのごっつい巨大ロボットの暴れた余波が幄瀬の居た部屋をツブした」
「そのうえ奴の遺体は決戦後、戦団に戻ったらしいぜww 何とかっつう検死官www 幄瀬の親友だったらしい女が『だいじな
トモダチ! せめてアタシが!』とばかり直接検分してwww そのあと鬱になって自殺wwしたそうだからwww 幄瀬はまず
助からなかった筈なんだわwww」
「なのにミッドナイトの一件では幄瀬の名が出た……? 不可解な話やで。3年前戦団を放逐した夫あたりの騙りなんか?」






 デッドとディプレスの会話から遡るコト3年前。




 石榴由貴という検死官は調べ物をしていた。レティクルという悪の組織に囚われたあげく非業の死を遂げた友人について
調べていた。幄瀬みくすという親友が監禁中いかなる目に遭っていたか、戦団が大勝と共に持ち帰ってきた敵組織の記録
から調べていた。

 その内実はディプレスとデッドの会話とほぼ一緒だった。友人への無残極まる仕打ちを識るたび貴重な証拠文書を甲走っ
た絶叫と共にバラバラに引き裂きたくなるが、職業柄の冷静さで必死に耐え、務めて無表情で読んでいた。

『妊娠第7週目の胚児にホムンクルス幼体を投与』。

 次の文字列に移りかけていた瞳が不可解な情動と共に引き戻された。官で締めくくられる職業の義務は何か? 『疑い』だ。
裁判官は無実を謳う者を信じない。自衛官は内外からの脅威に備え訓練する。検死官の持つ疑いは関連企業じみた警察
諸氏のそれにやや近い。物証を見つければまず偽装がないか確かめる。現場の舞台装置へとそれをやるのが警察であり、
主役へとそれをやるのが検死官だ。池のきわで足を滑らせたが故の溺死だろうと運ばれてきた死体にある僅かな痕跡から
毒殺を見抜けるのが検死官なのだ。

『妊娠第7週目の胚児にホムンクルス幼体を投与』。

 職業柄の違和感を捕まえる感覚が、石榴の目をこの一文に釘付けた。何かが、おかしい。資料を読み返す石榴。資料の
梗概はこの3年後にディプレスとデッドが繰り広げた会話の筋と一致する。その中に矛盾はない。なのに幼体投与の一節と
だけは致命的な拒否反応を起こすのだ。常人ならまず見落とす些細な違い。疑う『官』たる石榴でさえちょっとした書き違い
だと流しかけた一文はしかし歴史を穿つ黒き凶事の端緒であり……鳩尾無銘すら彼自身知らぬ『恐るべき己の秘密』だった。
3年後かれが『司令官』なる存在に命を狙われたのはその秘密ゆえである。そちらは正確に言えば秘密そのものではなく、
秘密を覆う外殻から導き出された△印の推測が原因だったが、とにかく『秘密』とは知るべき者が知れば無銘本人がたとえ
善であっても始末せずには居られない無情の真実であったのは確か。無銘その人ですら後年この事実を知ったときは激し
い悪寒と頭痛の中で失血自殺すら一瞬本気で考えた。その元凶。事実。真実。『司令官』は石榴より遥か容易い手段で近
づいたが──…

 石榴はしばらく違和感について考え込んでいた。頭を整理するため日記にまとまりのない文章を書き込んだりしているうち、
彼女は突如「あ」と声をあげ立ち上がった。立ち上がった時点ではまだその閃きは万人が理解しうる形式ではなかった。
道標となった資料は多岐に渡っていた。土星の幹部・ミッドナイトや、金星の幹部の武装錬金・ハズオブラブがそれぞれ別の
視線から描いた決戦当時の記録日誌は厖大な量だった。その厖大の中で幄瀬に繋がる情報のみを再構築し、膾炙に足る
論理付けをするには些かの時間が必要だった。

 だから彼女は日記にこう書いた。


┌―――――――――――──┐
| 謎が解けた。            │
|                    │
| しかし……だとすると。     .│
└―――――――――――──┘



 何事もなければ続きは1時間と経たず描かれるはずだった。


 しかし。





┌―――――――――――――――――――――――――――──┐
| ……おや、こんな時間に誰か来たようだ。続きは明日にしよう。    .│
└―――――――――――――――――――――――――――──┘




 時間は深夜。突如としてノックされた自室のドアに石榴は警戒の度合いを強める。「誰か来たようだ」などという文章は一
見悠長だが、来訪者があったという事実を残すのは重要だった。ノックが襲撃の予兆だったとしても、日記が持ち去られたり
燃やされたりしない限りは、日付と「こんな時間」で、捜査にあたる戦士たちへ追跡のヒントを残せるのだ。何しろノックされた
のは『自室のドア』! 玄関の物ではない! ノックした者は……チャイムすら鳴らさず既に! 石榴の生活圏内に滑り込
んでいる! 来訪者の予定は当然ない!!
 現況を理解した瞬間、冷静で鳴らしている石榴でさえ心臓の一拍が歪な高さへ跳ね上がった。だからドアへ近づきながら
も片手に核鉄を握っている。HEAT。戦車などのブ厚い装甲すらメタルジェットでブチ抜けるミサイル! それがそれこそが
戦団屈指の破壊力ッ! 先に当てさえすれば確実に! 流れが傾く石榴だがしかし警戒は怠らない。当時戦団はレティク
ルを全滅させたと戦勝ムードに浸っていたが、石榴はとある事情から『何人かは生き残っているのではないか』と疑ってい
た。その残党が来たのかも知れない……瞳をするどくする検死官の心を再びの驚愕の高い波長となって抉りぬいたのは
電子音。アラーム、突然のアラーム。胸ポケットに忍ばせている端末が鳴ったのだ。電源即切りを一瞬考えた石榴であった
が着信音は緊急専用のそれ、わずかな逡巡のあと通話ボタンを押したのは組織人として概ね正しい。通話。相手は直属
の部下。1年まで高校生だった若い男は極めて短く要件を告げた。決して事務的な男ではなくむしろ飲み会では率先し
て冗談をいい場を和ますタイプだが、人命を蝕む危難が迫れば迫るほど自分の明るさを軽薄と軽蔑し、そぎ落とし、赤十
字の原則の冷然たる代行者にならんとする有望株だった。その彼の硬質な声。暴れ出しそうな戸惑いと職務意識が組み
打つ声音は確かに告げた。


「幄瀬さんのご遺体が保管室から消えていますが、何かご存知ですか」
「いや、ない。私は…………連れ出したりしていない」


 通話の終焉とともに石榴の時は止まった。息を呑みドアを見る。謎めいたノックがなされたドアを。恐怖はどこか期待に彩
られていた。『ドアを叩いたのは誰なのか』。心臓の早鐘は恐れより求めに傾く。(ありえない)。親友を腑分けした検死官の
理性は告げる。(ガンの浸潤。瓦礫の挫滅。失血。心停止。低体温)。総て総て人間ならば死んで当然の鑑識結果だった。
わずかな生存の可能性を求めて、賭けて、検分するたび何度も、何度も! 冷たい現実に打ちのめされ泣きたくなったのを
石榴は夢に見るほど強く強く覚えている。末の結果なのだ、間違いはない筈だった。

 ならば幄瀬の死体はどうして保管室から消えたのか? どうして謎めく来訪者はノックなどしたのか? 敵とかけ離れた
親友であるかのごとく石榴の自室のドアを叩いたのだ? 幄瀬の死体! 翌日には親族が引き取り荼毘に付される筈だっ
たのだ。新たに移動させるのならばたとえ大戦士長からの密命だったとしても石榴を通すよう上層部に強く具申していた。
ただの懇願ではない。幄瀬が生前その能力で掴んだ上層部一派の弱味はいま親友たる石榴の手にある。最後の偵察に
赴く直前の親友から託されたそれをタテに石榴は上層部を強請った。『私に無断で彼女の遺体を弄んだらお前ら総て組織
的に破滅させる』……と。斯様な文言を聞かされなお幄瀬に勝手を働く者はいない。友人へのやや病的な執着は何となく
戦士全体に広まっているから、ただでさえ仲間の遺体について敬虔な彼らは脅迫されるまでもなく『手を出したらマズい』と
理解している。幄瀬の死体は石榴の逆鱗なのだ。戦団でも五指に入る破壊武装を持つ検死官の虎の尾なのだ。ちょっかい
を出す仲間などまずいない。ならばどうして幄瀬の死体は消えた? どこへ行き、どういう目にあっている?

 薄いドアの向こうから漂ってくるのはホムンクルス特有のギラついた殺意ではない。人間の気配だ。だがどこか虚ろな死
の雰囲気も纏っている。腐臭はない。だが人間であるコトを諦念した信奉者がよく放つ緩慢な自殺願望に少し似た、しかし
寒色のそれとは明らかに真逆な死の暖色が、薄いドアの隙間から流れ込んでくるようだった。どうやら喜色や親しみを肉体
ごと持ってきているらしいのが謎の来訪者の却って不気味な点だった。湿った音さえ聞こえた気がした。何らかの液体を脱
脂綿よろしくタップリ含んだ肉の衣擦れ、じっとりとした官能的でさえあるその音色は瑞々しい腐乱死体を床から剥がした
時の音階とかなりの率で一致する……職業柄「死」への感応が常人より強い石榴は背中の粟立ちに恐怖する。「死体が来
ている……!?」と思ったからではない。大事な友人が死体の形で再動して訪れたかも知れない事実に一抹だが、背中を
粟立たせるほどの歓喜を覚えてしまった自身のおぞましさをつくづくと畏れたのだ。

「落ち着け」

 石榴は現実的な思考へ戻る。連絡をした若い部下は彼女の心をかき乱したが、同時に平生を取り戻すキッカケにもなった。
若かりし教え子でさえ出来る窮地への対処を失念しては示しがつかない。だから注意力はドアより寧ろ背後に向いた。あか
らさまなノックが囮の陽動でないとどうして言い切れる? 幄瀬の死体消失が策謀の一端でない保証もない。動揺や、再会
への期待で頭が飽和すればそれは敵に付け込まれる隙となる。連絡のタイミングの良さなどいかにも仕込みくさい。『官』で
結ばれる職業に必要なのは疑いだ。

 不意打ちを警戒する間にも足はドアの前にたどり着いた。息を潜めながらドアを開け放つ。その蝶番と反対方向に身を滑
り込ませるのは銃社会の応用だ。避けられる筈の弾丸や攻撃はしかしそもそも発生さえもしなかった。金具を支店に鋭角
を描いたドアの線がバウンドと共に鈍化していく中、石榴は聞いた。聞き覚えのある声を。彼方へ去ってしまったせいで最
早二度と己がナマなる感覚器官に捉えられないと思っていた声が、顔が、ドア型にくりぬかれた壁の向こうに……あったの
だ。青ざめる。言葉を失くす。発動のため握られていた核鉄が床の上で重々しく弾んだ。




 結論からいうと、石榴は再会で示された選択肢の正解を、引き当て……られなかった。





 だから翌日、軍捻一(いくさねじいち)が死んだ。

 幄瀬みくすが敵に捕まるキッカケを作った張本人が死んだのだ。決戦の時どこへ幄瀬が赴くか、木星の幹部に漏らしてし
まった男が前触れもなく命を落とした。イオイソゴという、見た目だけは幼い狡猾なくの一にまんまと篭絡され部下の命に
関わる機密を敵組織に渡してしまった軍捻一が、瀬戸内海は海底にある錬金力研究所の一室で死体となって発見された
のだ。

 戦団の発表した彼の死因は心筋梗塞。78なる軍捻一の享年とだけ突き合わせれば別段不自然ではないが、しかし生前
の生活習慣を知る者たちは不審だなと首を傾げた。軍捻一といえば麦米を主食とし日に500gの食物繊維を摂る男だった。
朝と夕にそれぞれ8km走るため体脂肪率は脅威の10%台、血管年齢に至っては20代の彼が……『心筋梗塞』? 若く
ても心臓の構造的な欠陥によって引き起こされるコトは確かにあり、しかも当時の軍捻一は内通の罪によって連日厳しい
取り調べを受けても居た。妻からの突き上げも最悪。何しろイオイソゴとの一件ときたら年端もいかぬ童女を肉欲の対象と
していたと取られても仕方ない──しかも軍捻一自身そういう下心があったと認めている──以上、ただでさえヒステリック
な妻がいよいよ悪魔じみた金切り声で譴責するのは当然だ。そういうストレスが心筋梗塞となり彼の命を奪ったのではない
かという戦士たちの推測、決して邪推でもないだろう。そもそもジョギングじたい心筋梗塞の原因になりうるのだ。ジョギング
を提唱した作家ジェームズ=フィックス自身、1984年7月20日のバーモント州は国道15号線脇における早朝ジョギング中、
心筋梗塞で亡くなっている。健康に気を使いすぎる習慣が皮肉にも軍捻一を死に追いやった可能性はあったが──…

 真相は藪の中だった。藪の中だから戦士たちはやや騒ぎ立てる傾向になった。軍捻一への好感度は低かった。人命>
戦団規則のいかにも下っ端の英雄な幄瀬みくすを間接的にとはいえ死に追いやっていたからだ。他にもツブされた戦士は
沢山いる。そういう怨みが謎めいた軍捻一の死への詮索をうるさくした。端的にいえばゴシップの種にした。心筋梗塞で死
んだと公表されてはいたが、「不審死」「事故死」と騒がれた。もちろん大綱的には人命を守る側の戦士一同である、例え
いけ好かない上司だとしてもその死まで面白おかしく騒ぐところまでは行かなかった。だが誰かが疑わしい点を挙げると
そうなのではないか、因果応報を受けたのではないかと過敏に反応する、組織としては普遍的な要素もまたあったのだ。
(累積し尽くした怨みは正当なる裁きを求める!) やがてウワサに尾ひれがつき、全身をボコボコに殴られて死んでいた
などとさえ言われるようになった。

 疑われたのは石榴ばかりではない。釦押鵐目という、幄瀬の夫までもがゴシップの対象となった。幄瀬の死後ほどなくして
戦団を退団していた彼がこの当時行方不明だったのも噂話に輪をかけた。

 浮ついた騒ぎを一掃するため戦団は本格的な調査に乗り出した。

 しかし石榴が軍捻一の検死を許されなかったのは言うまでもない。死んだのは親友の死因を作った男なのだ。戦団上層
部は事実関係を知っていた。犯人かも知れぬ石榴に検死をさせるなど幾ら脅迫されても出来ない相談だ。石榴ならば、戦
団名うての検死官ならば、『自然死に見える』殺し方だって出来るのではないか……危惧した上層部は石榴派閥とは縁遠
い優秀な検死官たちに検分を任せた。1週間に及ぶ検死はむろん異例である。だがどう調べても他殺の証拠は見つから
ない。薬物や暴力の痕跡は一切ないのだ。武装錬金? 人を心臓発作に見せかけて殺せる都合のいいものが果たしてあ
るのか。事実それまでの戦士の誰もそんな特性は持っていなかった。行方不明の『幄瀬の夫』のそれはそもそも発動さえも
観測されていない。石榴のHEATに至っては『戦車の重装甲を火薬奔流の一点集中で突き破る』、きわめて強力なものであ
る。それで心臓のただ一点を壊さぬよう詰まらせるのはちょっと難しい。しかも軍捻一の死因はジョギング直後おこる発作
とまったく変わらない特徴を示していた。彼がその1時間前まで日課どおりジョギングしていたのは数多くの戦士と、たまた
ま付近を歩いていた無数の通行人たちが見ている。総計すれば50に迫る人々の目はしかも軍捻一に迫る怪しげな人影
さえ見ていない。護衛のため併走していた戦士やこの日たまたま合流ししばらく一緒に走っていた軍捻一30年来の友といっ
た間近の者が「異常はなかった」といえば──彼らがホムンクルスに摩り替わっていなかったという証明さえできれば──
ジョギング中に何かを仕込まれたセンなど消えて当然だ。

 何より石榴にはアリバイがあった。死亡推定時刻、彼女は会議に出席していた。列席した23人の戦士総てが証言者だ。
後の大戦士長・坂口照星さえもが石榴の顔をハッキリ見ていた。石榴は部屋から一歩も出てないと皆が口を揃えて証言し
た。軍捻一の心臓に細工する時間などなかったのだ。




 しかし。



 軍捻一が殺される運命は石榴が不可解なドアノックの正体を突き止めた瞬間から出発した。

 厳密にいえばその時の再会で、石榴が、正解といえる選択肢を選べなかったために軍捻一は殺された。



 消えていた筈の幄瀬みくすの遺体が保管室に戻ったのは軍捻一が殺された直後である。



 所用から保管室へ帰参した石榴の若い部下はただただ戦慄した。幄瀬の遺体は何事もなかったように元の位置にあった。

 まるで『1人でどこかへ行き』『目的を果たしたから戻ってきた』ように!

 彼女の死因を作った軍捻一が殺された、後に!!








 石榴由貴は軍捻一殺害と……無関係ではない。

 それどころか疑獄にまつわる事象について更に1つ、偽った。

 幄瀬の遺体は本来、軍捻一が死んだ日に家族へ引き渡される筈だった。
 しかし若い部下の証言によって──死体がそうされるなど前代未聞だが──仲間殺しの嫌疑をかけられ調査に回された。
 順延。監察に次ぐ観察のすえ無実が立証され家族の下へやっと帰れたのは1週間後。
 引渡しを行ったのは当然ながら生前最大の親友であった石榴である。
 無言の娘とのようやく再会に涙ぐむ彼女の父に、石榴は、正に一生消えない罪悪感を抱え続けた。

 なぜなら引き渡したのは他人の死体。

 幄瀬本人の遺体では、ない。

 技術には残酷な物がある。死体から別人の死体は、作れるのだ。『屍人形』と呼ぶ機巧芸術家が明治ごろいたらしい。
フランケンシュタインの怪物のメッカでは、一流の博士(ドクトア)が、息子の想い人そっくりの死体を造成したという。


 軍捻一殺害の『参考人』として調べられた幄瀬は本人だ。親族に引き渡された幄瀬のみが偽りの死体。



 ならば本物の遺体はどこへ?



 …………。

 石榴由貴は正しく生きていた筈だった。1人の犠牲を1人の犠牲で留めるのが検死官として課せられた自らの使命なの
だと石榴はずっと信じていた。武装錬金という『特殊な能力』を持つホムンクルスを相手取る戦団において検死は警察の
やる犯人推測以上の意味を、意義を、持つのだ。『敵の能力を掴む』。死体に残されたあらゆる痕跡は尊厳を蹂躙した凶
残の証なのだ。武装錬金特性の顕れなのだ。人が正体不明の死病を医学的研究の積み重ねで克服してきたように、戦士
は名状しがたき悪の能力(おぞましさ)を検死で超える。真の敗北とは害意に屈するコトではない。害意に屈し、後に何かを
残すのを諦めるコトだ。無念にも状況に”それ”を許されなかった者たちでさえ黄金の勇者にできるのが検死なのだと石榴
は強く固く信じていた。策が無敵と傲る敵を処断して一言、『後に続く者は居る、続かせてくれた者が居る』、毅然と振舞うの
が勝利なのだ。それを成すために腑分けをし、敵の力がいかなる物か分析し、ワクチン的な方策を抽出するのが己の歩む
べき『本分』なのだと石榴はずっとずっとそう思っていた。事実それで初見殺しの更なる餌食から免れた戦士がいる、たくさん
いる。「あの人の死は、人生は、無駄じゃなかった」そう納得して力強い再生の道を歩み出せた遺族も。だから石榴にとっ
て検死とは誇りだった。どうにもならない死という運命にせめてもの一矢を報いる、ささやかだが確かな抵抗だった。




 だが思わぬ再会において選択を誤った時から彼女の運命は死に向かって転げ始めた。




┌―――――――――――――――――――――――――――――――──┐
|                                                │
|【戦団事後処理班の報告リポート】                           .│
|                                                │
|                                                │
| 先日○○県××郡で発見された女性の遺体は石榴由貴(23)と判明。    .│
|                                                │
| 核鉄を所持しており争った形跡もない事から自殺として処理する。      .....│
└―――――――――――――――――――――――――――――――──┘




 吹き荒れ始めた暴走の心は正論などでは収まらない。
 親から学んだはずの教訓を失念していたのが石榴最大の失敗であり──…

 死の、遠因だった。





 報告リポートから半年後。

 少女は震えていた。痩せぎすった体をガタガタと震わせていた。全身の骨という骨に付帯する筋肉は齧られ終えたフライド
チキンよりも僅かでまばらだった。8歳の標準体重より13kg少ないのが発端だった。是正勧告にきた児童相談所の職員
の子供を思う正しい言葉に腹を立てたのが少女の実母、運悪く玄関に立てかけてあった金属バットのフルスイングが相談
所職員の頬にめり込み首をメキャリと鳴らした瞬間、いわゆる立て篭もりが発生した。

 少女の震えは止まらない。立て篭もり自体はやがて解決に向かうだろう。数分前まで彼女の頬に安物のバタフライナイフ
を突きつけ喚いていた実母はいま頭から血を流した状態で床に突っ伏している。おぞましい痙攣で体のあちこちを跳ねさせ
ている所を見るとどうやらまだ生きているようだが、手当てをせねばやがて息絶えるのは想像に難くない。奇しくもその床に
218日前叩きつけられた生後8ヶ月のペットの子猫は、実行犯たる母の今と同じ有様。見ていた少女は分かるのだ。

「ひっどい暴力の痕だねぇ。アチシそういうの観察するの得意だよー? 何かにつけて殴られたでしょ」

 自分の顔へと届く声。母のではない。いつも疲れた顔で仕事から帰ってきては、少女のささいなお願いに何故か逆上して
頬を張る金髪の母は、生活臭ただようメイクに包まれた日本人らしい扁平な顔をあぶくで彩りながら悶えている。彼女の夫
──少女からすれば義父だが──はというと部屋の隅で震えている。通報のため取り出した携帯電話はつい先ほど蹴りを
浴び、上半分が吹っ飛んだ。だから少女の義父はいよいよ死の離岸に向かって痙攣を弱めつつある妻と、彼女をそうした
声の主を震えながら見比べるほかない。後者の方はしかし彼など意に介さず、ただ少女にだけ語りかける。

「人の運命を預かる職業ってさー、大体ゼンブ免許制じゃないですか。ガッコの先生、パイロット、お医者さん。人のいろんな
『運命』を左右しうる職業ってさあ、どれもゼンブ無免許でやったら大騒ぎじゃないですか。ん? わかる? アチシの言ってる
コト。それとも虐待のせいでガッコも旅行も病院も行ったコトないから分からない? まあいいや」

 不気味な女性だと少女は思う。高校二年で自分を妊娠して中退した母より若く見えて、実際見た目相応にカラコロと笑って
いるのに、目だけは少女を値踏みするよう常に油断ならない光を放っている。反応を伺っているくせに、父母のよく見せる
「逆らったらねじ伏せる」敵意はない。反応次第で幾らでも話を分かりやすく組み替えるよという知性が垣間見えた。そういう
意味では危険性、第三類の危険物よりヒステリックな実母より低く見えたが、少女は漠然としたおぞましさを感じてやまない。
確かにバタフライナイフを突きつけていた忌むべき実母を排除してもらった恩義はあるが、それが暖かな救いの始まりだと
はどうしても思えない。救いという点では金属バットで昏倒させられた児童相談所の職員の方がまだそういう態度を示して
いた。環境の何もかもをすぐに一変させる力こそないが、ないからこそ無力を是認し、長らくの付き合いによって地道に改
善していこうと意思が──実母との僅かなやり取りの中でさえ──直感できた。そんな彼に凶器の不意打ちで命すら揺れ
る重傷を負わせた実母は社会的にいえば悪だ。間違いなく悪だ。8歳の娘の、年齢の割にはしっかりとした正論を聞くたび
怒り狂って髪を引き回しにきたバツ2金髪の母。相談所職員への暴行を契機にとうとう立て篭もりさえ”やらかした”輩はもう
少女にとって母ではない。
 ならばその悪を武力で鎮圧し、人質となっていた少女を解放した女性は正義か? 感謝だけは抱くべきだと少女は思う。
命を救われたのだ、当然だ。だが正義だとはどうしても思えない。脅威を暴力によって排除する。分かりやすい救いだ。痛
快活劇ですらある。だが意のままにならぬ者を一方的にねじ伏せてきた母や義父とどこが違う? 子供にだって間違いは
そうであると分かるのだ。だから少女は物腰穏やかな女性に対し震えるのだ。

 葛藤を見透かしているように女性は続ける。明るく、どこか間延びした声で。

「とにかく、人の運命を大きく左右しうる職業には『免許』が必要なんですよねー。免許わかる? 車のアレみたいな奴。
免許っていうのは長年ちゃんとした機関でちゃんとした勉強を積んで、国とかの公的な組織が定めた試験を実力でちゃん
とパスしましたって証だよ。そういう証が必要っていうのはさあ、社会全体の共通認識じゃないですか。無免許で教鞭とる。
無免許で飛行機飛ばす、無免許で手術する……どれもこれも発覚したらよくもヤベー行為で俺達の運命狂わせかけたなっ
てみんな怒るよねー。うん。免許もなしに人の運命に関わろうっていうのはふてえ行為だよ、許しがたいっていうのが人間
全体の一致した普遍的な考えなんだよ。……な・の・に・さ♪」

 少女は腐ったトマトを顔面にブツけられた……時のコトを思い出した。いつだったか忘れるほど以前のコトだが、その時
のトマトの勢いはあまりに激しく、だからブツかった少女の鼻梁をベキリと鳴らした。いま思い返せばヒビが入っていたのだ
ろう。勢いのある物が顔面に飛び込んできた場合、皮膚や筋肉はどうも衝撃を吸いきれないらしい。それがかつてトマトを
ぶつけてきた実母が晩年のかなり切羽詰った際(きわ)に遺した教訓だった。少女がかつて鼻梁に感じた轟然とした衝撃が、
実母の右側頭部で弾け散った。やや離れた場所にいた少女の皮膚さえ感知できる破壊の波濤だ、だいぶ致命的なコトを
『やられたな』と少女は他人事のように思う。じっさい女性が掲げた金属バットの、柄についた円盤型の部位から粘っこい血
液が溶けたてチーズのような糸をトロリと引いている。万一生き延びたとしても植物状態、よくてどこかに重篤なマヒが残る。
いずれにせよ社会復帰は絶望的だ。それほどのコトをやったというのに、若い女性、涼しい顔でむふうと息を吹いた。

「なんで子供育てるのは免許制じゃないのかねー。歪んだまま育った奴は時として無免許で巨大ジェットブッ飛ばす以上の
害悪を撒くってそう、凶悪犯の半生から誰もが学んできた筈なのに、どうして! 親の! 資格のない! 奴が! 子供を!
育て! られるのか! ねえ!」
 バットの柄を使った突きの雨が実母に注ぐ。舞い飛ぶ血しぶきは女性の頬に跳ねた泥のようにビチャビチャとついていく
が、彼女は意に介さず続ける。手を動かすたび声のトーンは跳ね上がり、大口からは笑いが爆ぜる。少女の母はもう動け
ない。

「あれあれ、あっれェー? 先輩もうヘバってんすか? いかにも暴力の権化ですって君臨してたんですからあ? もうちょっ
と粘ってくださいよぉーww そ・れ・と・も? 相談所の職員さんに奇襲したぐらいですからあ、正面きってだと自分だけ金属
バット持ってても勝てないって自覚してたりしてますぅ? あははっ、そもそも自分だけ金属バット持ち出した時点でアレです
よねえ、素手じゃ勝てないってほんとは分かってるんですよねえ? 素の自分じゃ仕事場とかで『勝てない』って鬱々してる
からあ、無免許で作った子供にだけは強く出るんですよねえ! ほらほら答えてくださいよー! 違うってんなら強いってん
ならこの逆境はねのけてみてくださいよぉ先輩ぃ!」
 先輩。どうやら少女の実母を人生の先達だと皮肉っているらしいのが、やや唐突な感も否めない。もっとも意気軒昂の
上り調子はそういう突発的なコトをよくやる。若い女性はいよいよアクセル全開だ。
「食べ物もさあ! 日用品もさあ! 免許相当の社会的許諾に合格したものだけが流通できるのにぃ! そーいうちゃん
とした規格品に支えられ生きている人間だけが! 不適合な子孫を残すってさあ!! 矛盾だよねえ!!」
「じゃあ私が自殺すれば解決ですね」
 少女はニコリともせず答えた。女性は「ぉふ!?」と声にならぬ声を漏らし、信じられぬという顔で覗き込んだ。よっぽど
想定外の反応だったらしい。実母を嬲っていたバットが床に倒れカランカランと空転した。少女の震えは止まってる。震えは
相手が何か分からなかったからだ。いまは、違う。
「貴方がここから私をどうしたいのか知りませんけど、1つだけ分かったコトがあります」
「ほっほう。もう察しついちゃったけどぉ、何かなあ?」
 座っている子供へ立ったまま視線を合わせる大人はいかにも親切な気配である。ただ女性に関しては違う。腰を横に曲
げる形で目を合わせてくるのは優しさと程遠い。ひょうきんだが、禍々しい。
「貴方も私と一緒なんですね。そこに転がってるおかあさんのような親に育てられた。だから憎い。だからやり返して回って
る。ためらいがないから分かりました」
 ぷくっ、女性は頬を押さえて笑った。的外れを嘲笑したのではない。あまりに図星すぎて噴き出したという印象を少女は
受けたが、あながち外れでもないだろう。
「私に何を吹き込もうとしてるかまでは知りません。連れ去って貴方の何かの目的に使うかも知れませんね。けどどっちも
願い下げです。『貴方は私と同じ』。よくない家庭で育った人です。おかあさんもきっとそうだった。だから今がある。だから
私は貴方と出逢った。そこからは? うまくやれると? 不満とか、不服を、呪いめいた原因を植えつけてきた両親と、まっ
たく同じやり方でしか晴らせない貴方の指導を受けて、私が、ここに残るより真当な人間になれるなんて、どうしても、思え
ません」
「だ、だから自殺って……w やばい、君、おもしろいねえ」
「無免許を減らす一番の手段でしょ?」
 僅かに頬を綻ばせた少女の口をついたのは皮肉ではなくどちらかといえば冗句である。実母に凄惨な暴行を働いた通り
すがりの凶悪犯相手だというのに、笑われた瞬間から何だか楽しくなって、だから皮肉の筈の言葉が親しみある冗句に、
なったのだ。
「少女ちん、君笑うと可愛いねえ」
「……うっさいです」
 きゅっと結んだ無表情に残照する赤さをすぐ引っ込められない幼さが少女はとてももどかしい。かといってそういう機微を
うまいコト繕える大人もまた嫌いで、なりたくない。
 少女は母が嫌いだった。自分達を捨ててどこかへ行った実の父も嫌いだった。そんな連中の子孫など絶対残してやるか
と思っていた。8歳にしては異常な考えだが、昼夜構わず発情する実母がその考えを形成した。慎みのない彼女は本来なら
性教育のオブラートに包まれて語られるべき世界の真実を、少女の実父や義父、その間にしばらく同居していた男といっ
た連中相手の恐ろしく露骨な実戦でもって突きつけた。
 その最中ちょっとエサをねだって鳴いたという理由だけでペットの子猫が殺された衝撃もまた少女の心に影を落とした。
唯一自分の心を暖かくしてくれた『家族』を助けられなかったのだ。だから少女は罪悪感を抱いている。自分だけが幸福な
家庭生活を享受してはならないと。
 そういう思いが「無免許を減らす一番の手段でしょ」という言葉を皮肉な笑いで彩った。それがそこまでニタニタと笑っていた
女性を真顔にした。
「虐待生き延びるために色々するどくなってんのは分かったけどさあ、分かってる? いまアチシあんたの実母殺した相手
だよ? そんだけ頭いい奴をさあ、このまま生かして現場に残すって、殺人犯としてならすっごーい悪手だよ? 実際アチ
シはさあ、錬金戦団ってトコ抜けるときにねー、アチシが実は生きてるの隠すためにねえ、大事な大事な、大ぃ事〜〜〜〜
なっ!! 存在を! 自殺に見せかけ葬る……なーんてコトさえしてたんだよ?」
「?? なんの話です? れんき……なんです?」
「ふふっ、これはぁ? あくまで『例え』だけどさあ、真実を知っている者っていうのは、たとえ長年の親友だったとしても改心
1つ求めるだけで殺されるものだよ? 火サスの手垢なテンプレ展開は実際ありうる訳でさあ、まして赤の他人がただ警察
に証言しようってのなら、ねえ? 暴走してる奴には正論通じないって、少女ちんもまた知ってるんじゃないかな? おかあ
さんから学び取ってるよね?」
 凄む女性。少女は嘆息した。
「人と心から通じ合ったコトないでしょお姉さん」
「は?」
「色々理屈こねてますけど、それって屈服しないと殺すぞ的なアレですよね? 人が何を言われたら心から動くかっていう
経験とか、共感が、欠乏している人の考えです。深く繋がってる友達が一度も家に来なかったお母さんとお義父さんと同じ
考えです。いいましたよね? 私は自殺すべきだと。死んでも別に構わないってついさっき告げた私に、『殺すぞ』? 今さら?
それ違いますよね? 私の、自殺すら別にいいやっていう態度に、何らかの利用価値を見出して、でもそれは、ちゃんとした
家庭教育を受けていない『無免許の貴方』では好きな形に変えられないって自分で分かってしまったから、だからせめて、
これから共にする行動の一発目で自分の方が優位だと強く刻み込もうと……そう考えた、だけですよね?」
 あははははは!! 女性は大爆笑した。少女もちょっといい気分だった。理屈を述べても拳が飛んでこないのは痛快だった。
決して心から信頼できる女性ではなさそうだったが、言い負かされると顔を真赤にして暴力を使う実母に比べれば笑っている
ぶん遥かにいい。決して言葉には出せなかったが、死んだ子猫の笑顔は女性のそれとちょっと似ていた。猫が笑うというのは
妙な話だが、少女といるときだけは楽しげにニャアニャア鳴いていたペットは確かに笑っていたのだ。8歳の少女がそういう子供
子供らしい感興を抱けたのは子猫と居る時だけだった。お互い不遇を理解していて、汲々としていて、でも少女と遊ぶときだけは
心から笑っていた友達と、似ていたのだ。
「いやー、君はほんといいわ、最高だわ。優秀だけどイエスマンじゃないのがいい。副官向きですなあもうー!」
 ばしばしと肩を叩かれた少女は「痛いですね」と顔をしかめた。それでもいちおう必要とされているのは分かり、悪くない
気分だった。横目で義父を見る。会話が好機と見たのだろう。這いずっていた体は先ほどより玄関に近づいていた。妻の暴
力に対しては──犯罪を危惧する打算があったにせよ──どちらかといえば制御する側だった彼。少女への視線にやや疎
ましさを滲ませていたのは制止のたび妻から激しい暴言暴力を受けていたせいだから、その点はまあ酌量の余地はある、
荒んだ家庭を潤わさんと子猫買ってきたのはあんだから許さんでもないと少女は思っていたのだが、しかし鉄火場で自分を
見捨て逃げようとする姿にはつくづくと失望した。お互い被害者で連帯できていると思っていたのは自分だけらしいと少女が
思ったとき、どこかで信じていた絆が完全に壊れた。声がちょっと荒れた。
「いっときますけどぉ、基本ジブン1人暮らしがイイんで」
「あはは怒ってる怒ってる。でもそっちのが少女らしくてアチシ好きだぜ」
「う、うっさいですね」」
 掴んだ金属バットは血のぬめりで滑った。「〜〜っ!」 子供らしい呻きを漏らす少女から女性はバットをひったくり、長袖
で汚れを取る。「ん」と差し出された凶器を少女は礼も言わず握り締める。
「……。貴方の手伝いは生活費稼ぐための仕事です、ビジネスです」
「おkおk。家族なったら絶対ケンカ別れするからねー性格上」
 気楽な様子で指輪を作る女性からのバットがリレーのバトン。痩せた体でも1LDKだ。見える場所の義父相手なら距離
など簡単に詰められる。気配を感じたのだろう。義父は、つくばったまま背中だけを捻り振り返った。見捨て、囮にした娘が、
わずかに哀哭の滲む絶対の無表情でバットを振り下ろしつつあるのに気付いた義父は手を突き出し見苦しい弁解を紡ぎ
かけたが、衝撃が総てを塗りつぶした。

「バットの指紋ふいたし、逃げ切れるっしょお互い」 警官隊が続々と突入しつつある自宅は安アパートの二階。そこを路地
裏から感慨もなく見ながらした質問に、一仕事終えたばかりとは思えぬ明るい声が被さった。

「というか少女ちん、あんたの名はなんなのさ?」

 若い女性の問いかけに少女はツンと顔を背けた。

「名乗りたくないです。いかにもダメな親がつけたって感じの『終わってる』名前なんで、この機に捨てようかと」
「あんたはキャプテンブラボーか。あ、でも『彼がそう名乗り出すのは今から約2年あと』だっけ」
「??」

 キャプテンブラボーが誰か分からなかったが、何やら未来のコトを知っているらしい女性に、ああそうですかと少女は冷め
た目で応答する。お互いの性格が性格だから、どうせどこかでどっちかがどちらかを裏切って破綻して終わりなのだろうと
出逢いの頃から既にとっくに思っていた。

 予感は的中(あた)る。やがて片方は片方を裏切る。その予想もつかぬ残酷な裏切りは正にキャプテンブラボーの屋号が
掲げられたのとほぼ同時期、総角主税とミッドナイト=キブンマンリの激突に端を発す『庇護なき子供達の戦い(FOF)』に
重大な影響を及ぼすのだが今はまだ本題ではない。


 少女は、尋ねる。やがて関係が断絶する当面の保護者に。


「というかお姉さんの名前はなんなのですか。人に聞いたんだから言ってください、不公平です」

 よくぞ聞いてくれたと若い女性、胸を張って、こう答えた。

「アチシの名は幄瀬みくす! アクセル全開な名前さ!」





 そして時系列は2年と少しあとに戻る。


 総角主税とミッドナイト=キブンマンリが干戈を交える田園地帯からかなり離れた場所の話になるが。

 森の中、それまで堆積していた青々たる落ち葉が螺旋状の竜巻を描いたのは旋風が吹き込んだからではない。
 地面から突如として勃興した黒い円錐の、天めざす延伸に伴う回転の巻き添えを食らったからだ。
 円錐はゲル状で粘性すら持っていた。ドリルの如くキュララと回る不定形で不気味な円錐はやがて落ち葉が振り落ちる
中、姿を変える。クレイアニメのようだった。漆黒の立錐は見えざる神の手に撫でられたかの如く偶(ひとがた)へ捏ねられ
ついには愛らしい少女へ至る。黒ブレザーを身につけた小学生ぐらいのポニーテールへと。
 夜の森には不釣合いな、謎めいた変幻すら今しがた遂げた彼女はしかしそこにそう在るのが当たり前のような表情で
「ふむう」と両腕を揉みねじった。

「果たして今回の一件、本当に幄瀬みくすなる3年前の辺境が首謀者なのか?」

 イオイソゴ=キシャク。レティクルエレメンツ木星の幹部である。戦歴500年の忍びでもある彼女は独自の判断で今回の
事件を追っていた。事件。そう、これはレティクルなる悪の組織にとっても事件なのだ。何しろ出奔した土星の幹部ミッドナ
イトがまったく外部の存在に捕縛され利用されている。

 幄瀬みくすが首謀者らしいという話になった決め手は武装錬金だ。

(運よく監視かめらに映っておった。みっどないと──巨大な怪物な姿の方じゃったが──にいかにも『司令官』な佇まい
した仮面の存在が接触する場面があった)

 兼ねてよりのミッドナイト追跡の一貫、デッドの『媒介狙撃』で四方八方から掻き集めた映像記録の1つの中で『司令官』
は確かに出した、発現した。夜間特有の青白いインターレースとノイズに彩られた何処かの広い駐車場で司令官がミッドナ
イトにかけたのは『テント』。

(正確には帷幄(いあく)。帷幄の武装錬金! まぎーあ・めもりあ!)

 イオイソゴがその武装錬金を憶えていたのは強力無比なる特性への警戒感ゆえだ。一種のサイコメトリー。この帷幄を
頭上に翳された者はあらゆる記憶や経験を読み取られる。潜入が旨たる忍びのイソゴにしてみれば天敵もいい所だ。

(本来の創造者は幄瀬みくす。原則だけいえば武装錬金は指紋が如く各人固有。じゃから『司令官』が幄瀬だと推測する
のは基本だけ言えば間違いではない、……基本だけ言えば、の)

 官で結ばれる職業と同じぐらい忍びは現実を疑うものだ。己が人を謀る存在だからこそ、簡単に見える事柄でもまず疑っ
てみる。

(武装錬金は指紋が如く各人固有。それが基本。じゃが例外もある。確かにある)

 他者の武装錬金を複製できる存在! 今まさにミッドナイトと戦っている総角主税が正にそうではないか! だけではない、
ミッドナイトの方も『死した者の武装錬金または死霊に関わる武装錬金』限定とはいえコピーできる! 両名ともレティクルの
元幹部なのだ、面識のあるイオイソゴだから武装錬金が身分証明になるなどとは思わない。

(ま、あやつらは例外のまた例外、複製能力者じたい”れあ”じゃからな、司令官がそうであるという確証もまたないよ)

 幄瀬みくす本人であるという可能性も現段階では捨てられない。

(じゃが生き延びたとすれば『どうやった』? 奴は3年前、末期癌にて確かに身罷った筈。死亡判定も確かに出た。拷問吏
じゃが名うての医者でもある”金星の幹部・ぐれいじんぐ”のお墨付きじゃ、誤診はない。幄瀬めは確かにあのときあの場所
で死んだ筈。わし自身、事切れた奴ばらめを2つの眼(まなこ)で確かに見た)

 幄瀬はその状態で、身動きできない状態で破壊男爵の巻き上げた瓦礫を部屋もろともに浴び、潰された。ガンでなかったと
してもまず助からない。しかも鳩尾無銘の幼体投与の都合上、幄瀬は開腹された状態だった。

(どう考えても生きている筈がない。実際、戦団に回収された幄瀬は『遺体』だったという。ひひっ、わしが利用してやった軍捻
一の不可解な死において『死体の幄瀬が奴を襲った』なる風聞が流れたぐらいじゃ、生きて戻れた筈がない。ないのじゃが)

 実は3年前の戦場において不確定な要素が1つある。

(ぬる……今は小札じゃったかの。奴の兄、あおふしゅてーえんの死体はあのとき見つからなかった。盟主様に討ち果たさ
れた所までは確かじゃが、『色々あったせいで』死体を見失った。本当に死体じゃったかの確認が……取れなかった。あれ
から何度も近辺を探ってみたが未だに髪1つ見つからん。そこが不安)

 実はアオフが生存していて、その彼が何がしかの手段で幄瀬を救ったのではないか……やや夢想じみた考えだが、イオ
イソゴは慎重なのだ。あらゆる可能性を描き対策を考える癖がある。

(幄瀬の夫……釦押鵐目(こうおうしとどめ)じゃったか、奴もまた3年前の戦場に居た。正確には幄瀬を助けるため参戦
しておった。奴か? 奴が何がしかの細工を? ……いや、それでも幄瀬が戦団に遺体で戻ったのは確か!)

 ならばと思い当たるのはもう1つ。『死体のまま動いているのではないか』。

(そういう外法は確かにある。御庭番衆の方にも伝わっておる影武者の製法。死骸と死骸を継ぎ接(は)ぎし主君と寸分
違わぬ見た目の屍人形を作るなどまァ基本。人一人が中に入り操る死の機巧が関わったのはかの緋村抜刀斎や志々雄
真実。うぃる坊について一時期行っておった欧州の方では確か『ふらんけんしゅたいんの怪物』じゃったかの、自律で動く
死者の禁書があるとかの噂を聞いた。もっともあっちは生前の人格が破綻するらしいからの、人格の具現たる武装錬金が
生前どおりの姿形で発動する可能性は、ま、低かろうよ。びくたー化のような肉体の変化1つさえ繊細に反映し変貌するの
が武装錬金……じゃからの)

 ゾンビめいた存在を作る武装錬金だってあるかも知れない。ミッドナイトが複製できるのは正にそのテの物なのだ。

(幄瀬の夫の武装錬金が”それ”なら……じゃがしかし軍捻一を使い閲覧した記録では確か『観測できず』。発動すらでき
なかったのが、或いは『発動はしていたが既存の方法では感知できないほど巨大な物』なのか……とにかく形状すらわか
らぬ以上、幄瀬の死体を釦押鵐目が操っていたとは断言できぬ。足りなさ過ぎるのじゃ、証拠が)

 以上どれもがあやふやな推測だが、イオイソゴはもう1つ、恐ろしく確実な方法を知っている。

(ひひっ。『末期癌で事切れ』『瓦礫の下敷きとなり』『戦団には遺体の姿で帰った』ものの、『ふらんけんしゅたいんの怪物』
のような人格破綻を起こすことなく、『蘇って歩けるようになり』、従って『武装錬金まぎーあ・めもりあも生前どおりの形で発
現できる』……恐ろしく都合のいい、在り得からぬ方法じゃが、実はこれらを矛盾なく成立させる手段がある。ひひ、実に
簡単じゃよ。錬金術を齧る者なら基本中の基本、戦士のみが目を背ける……)

 イオイソゴはこの先の歴史を知っている。未来から来たウィルに聞かされている。だから浮かぶのは蝶人だ。幄瀬とは
まったく接点のない人物だが、しかし彼と幄瀬は『ある一点』において共通している。違うのは生を渇望したか死を受け入
れたか……のみ。そこを知っているからイオイソゴは「”そのもの”でなくとも近しい手段で色々とかばーできるよ」と。

(ま、これも推測の域を出ないがの。ひひ)

 確かなのは『司令官』が幄瀬の武装錬金を使っていた一事!

(それらしき影の追跡は”でっど”のお陰で容易かったわ。ひひっ、便利じゃよ『媒介狙撃』は。特定の物品……例えば監視
かめらの『てーぷ』を一度くらすたー爆弾の筒で爆破すれば一定範囲内にある同じ物品の傍にわーむほーるが開き、手を
伸ばせば奪取もできる。逆にわーむほーるから空のてーぷを放り出し爆破すればそこを中心とする半径いくらかに又わー
むほーるが開く。繰り返せば射程は際限なく伸びる。対象がどこにいようと、監視かめらに収まっている限り捕捉できる)

 イオイソゴたちレティクルエレメンツが、総角率いるザ・ブレーメンタウンミュージシャンズより早く『司令官』の姿を知ったの
はそういう理由に拠るところが大きい。徒歩で目撃証言を聞き込んでいた音楽隊と、一瞬で半径何キロもの映像記録を入手
できるデッドでは追跡の地力が違いすぎるのだ。

(お陰で『司令官』の根城らしき場所は絞り込めた。まずは窺見(うかみ)、偵察じゃ。奴の正体が何であれ目論みは潰す。
絶対に潰す。潰させてもらうよ)

 怪物の姿のミッドナイトにマギーア・メモリアをかけた司令官の映像記録。不鮮明な夜間だったが幸いなコトに司令官の
姿はカメラから近く、だからイオイソゴは仮面の下から覗く唇の動きから何を言っているか掴んだのだ。

(『鳩尾無銘を殺せ』じゃと? ひひっ、させるかよ。奴はわしが喰うため作った存在。誰かも分からぬ輩に殺させるかよ。
待望した獲物! 人の殺した喰いさしのような死骸では満足できんよ! 直接この手で殺しそれから喰う! されば美味
されば満足! 司令官とやら! やらせんよ!)

 イオイソゴ=キシャクを知る幹部連中はいう。「厳格な怒りを見せると震え上がるほど怖いが、笑うともっと怖い」と。司令
官を思う稚い老女は心から笑う。哂い、嗤い、嘲笑う。

(せいぜい音楽隊やみっどないとと潰しあうがいい。最後に笑うのはこのわしなのじゃー! 隙ついて無銘さらって、そん
で、そんで、食べるのじゃーーー!!)







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