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描き下ろし

フルボイスで聖剣伝説3-シャルロット編完結記念-vol.1 「ヒースとシャルット」

ねこみさん、本当に本当にお疲れ様でした。



 死を喰らう男に連れ去られる以前のコトである。

 ヒースは思っていた
 世界は常に調和と対立の繰り返しによって危ういながらも少しずつ成長していると。
 例えば彼の信仰するマナの女神はまだ世界が闇に閉ざされていた頃、世界を滅びに導く八
体の神獣を封じたという。確認できる中ではおそらく最古の調和と対立であるだろう。
 またヒースは、彼の出自に関わるある理由によって、一時期、歴史という物を狂ったように
紐解いて研究した時期がある。
 中でも最も印象深いのは高名な「竜帝」の乱である。
 ガラスの砂漠の奥地に広がるドラゴンズホール。そこに巣食った悪しき竜たちによる大乱。
 黄金の騎士・ロキと後の英雄王・リチャード王子による征伐はいかにも一大抒情詩的できら
びやかだが、ヒースの印象に残った理由はそれではない。
 ただ単純に、ヒースのアイデンティティーに関わる一つの出来事とほぼ同年代だからだ。
 ともかくも、竜帝の例が代表するように、対立は必ず調和に鎮められ、世界を微かに成長さ
せる。
 更にナバールという国では、砂漠の港湾に悪い金持ちが在ればたちまち南西から義賊現れ
富を奪って貧しい者達に分け与えるという。
 ヒースがその事実を知るに至ったのは、その悪い金持ちというのがウェンデルを訪れ半ば懺
悔をするように光の司祭にその後の指針を授かりに来たからだ。
 懺悔、というが光の神殿にはいわゆる懺悔室というものがない。
 人々が懊悩を打ち明ける聖堂には女神像や机といった最低限の物しかなく、通る者であれ
ば誰でも他者の懺悔を聞くコトができる。ヒースがナバールの義賊の話を知ったのはそのせい
た。なお、後に闇に堕ちたヒースがその「義賊」から激しい叱責を受けるとは聡明な彼ですら
思い至らなかったが……それは余談。
 大体にしてかつてマナの女神が封印した災厄の化身たる神獣ですら、書物に残された属性
を研究すれば「地・風」「火・水」「月・木」、そして「光・闇」と相反する対立構造があり、一説に
ある「神獣の最終形態」へと彼らが合一すれば一種の調和が成立する向きもある。
 むろん、そうなった場合の彼らは「調和」を保ちながらも世界に対しては歴然と「対立」を仕掛
ける存在には違いないが、……ヒース自身、長ずるにつれてそういった存在がいずれ現れる
のではないかという漠然とした予感を持つようになっていた。
 そう。
 光あるところに影がある。
 かつて聖都ウェンデルには二人の神官がいた。
 光の司祭と、闇の司祭。
 ヒースがこと「対立」を意識するようになったのは、今は廃されて久しい「闇の司祭」の存在に
よる所が大きい。
 
 ベルガー、という名前だったらしい。
 ヒースは実をいうと自身の年齢を正しく把握していないが、ベルガーが反乱を起こしたおおよ
そ十九年前はまだそれほど物心はついていなかったように思う。何故ならば当時まだ健在だっ
た両親の顔をほとんど覚えていないからだ。
 だから父親であるベルガーの名前は十代のある日、突然光の司祭から聞かされた。
 同時に、ベルガーの犯した過ちも。

 経緯はこうである。
 昔、ウェンデルには不治の病に冒された少女がいたという。
 病状の詳細は分からない。ただ、それを語る時の光の司祭の沈痛な表情から察する事は
できた。沈痛さには、光司る者の魔力が病に太刀打ちできなかったという無力感や悔恨、行
き場のないやるせなさも含まれているようにも思われた。
 事実、当時における光の司祭の悩乱は凄まじかったらしい。その頃後継者と目されていた
リロイと共に病の究明に当たっていたが、糸口のない、しかし終末だけは確実に迫りくる重圧
の中で光の司祭はリロイに対して(先人としての、また父としての幾分の教導が含まれていた
にしろ)しばしば激昂したという風聞もヒースは聞いた。
 もしかするとリロイの中に芽生えた決して反抗に至れぬ様々な感情が、いつしか癒しがたい
傷心へと姿を変え、後に身を滅ぼす激しい恋に投じさせたのかも知れない。
 ともかくも、出口の見えない究明と光の司祭の悩乱、そして何よりも病に苦しむ少女に心を
痛めたベルガーは、ありえからぬ行動に出てしまったという。
 禁断の闇の呪法、『転生の秘法』。
 彼は立場がら目についた禁忌という名の蓋を開け、深淵を覗きこんだのだ。
 パンドラの箱ですら、数多を秘めながらもまだ底に希望を残している。
 対して深淵には闇しかない。伝説上では光の城すら覆い尽した闇しかないのだ。
 だがベルガーは焦燥のあまり深淵をパンドラの箱と思い違い……いや、深淵と知りながら
なお希望を底知れぬ闇に求めていたのか、求めるしかなかったのか……妻すら振り払い転
生の秘法の解明に没頭したという。
 だがその結果は当事者ならぬヒースですら心痛を覚え落涙するほど暗澹たるものだった。
 少女は死んだ。
 秘法が解明されるほんの数十分前の事だったらしい。
 解明に歓喜しながらベルガーが少女の病室に滑り込んだとき、すでに枕頭では医師と数人
の神官、そして光の司祭がとめどもなく涙を流し、或いは無言で頭を垂れ、長い長い闘病の苦
しさからようやく解放された少女の魂に幸あるコトを祈っていた。
 だが彼らがベルガーの登場を認めると病室は俄かにどよめき、ついで驚愕と罵声が響いた。
 ベルガーは歓喜のせいで気付かなかったのだ。或いはその前段階たる研究への集中で。
 自らの顔が深淵の中でどろどろに歪められていた事に。                             わわわわわ我がちちち力のせせせせいだ。すすすすすすすまない。>

 当初は、不問に付されたらしい。
 転生の秘法の事である。
 さもあらん。ベルガーは少女を助けたい一心で闇の呪法に手を染めたのだから。
 酌量の余地はあり、報いは顔を歪められる事で既に受けた。
 光の司祭を筆頭とする神官たちはみなそう裁定を下し、ベルガーを闇の司祭のままに据え
置いた。
 だが。
 彼は仮面をつけた日から俄かに様子が変わった。
 ……深淵は彼の顔だけでなく心までもを歪めていたのだ。
 訪ねてくる者あれば必ず仮面を指差し自らの顔の醜さを示唆するのはいい方で、光の司祭
の無力を聞くに堪えない雑言で罵るに至ってようやくみな彼を静養させようと思い立ち、しかし
時すでに遅く、ある日とうとうベルガーは少女の墓を掘り起こしてアンデッドへと造り変え、それ
を詰る神官たちにあろうコトか攻撃魔法を浴びせ数名を死傷せしめた。
 後にいうベルガーの反乱の皮切りである。
 歴史上では聖都における一司祭の暴発という位置づけでしかなく、更には直前に竜帝によ
る大乱があったため、今となってはさほど人々の記憶にない出来事ではあるが、しかしウェン
デルの住民たちは当時震撼した。
 ウェンデルからほどなく離れた山に、光の古代遺跡がある。
 遺跡とは人の住家の痕跡だ。住家があれば生きた人間もいただろう。
 だがそれは古代の事。生きた人間はみな総て然るべき場所にて眠っている──…
 ベルガーはあろう事かその然るべき場所、すなわち墓所よりアンデッドを呼び起こし、崖の
上から大挙してウェンデルを襲撃させた。
 その数、数百とも数千とも言われている。数の詳細は分からぬが、少なくても今日、光の古
代遺跡にアンデッドがいないのはベルガーの乱のせいであろう。
 ともかくも反乱の鎮圧は驚くほど速かった。光の司祭は迷う事なくターンアンデッドを用い、
聖都に充満する屍を天へ帰したのである。
 そうして残るはベルガーただ一人となった時……彼は一つの影と並走して、或いはさらわれ
る様に姿を消したという。
 影は誰もはっきりとした正体を確認できなかった。
 或いは鎌を構えた死神のようだったともいい、或いはピエロのようだったともいい……
 
 ともかくもである。
 ウェンデルの住民たちは反乱を経てなお、ベルガーに同情的だったという。
 忌むべきは闇の呪法こそでありベルガーもまた被害者……という声は死んだ神官の遺族か
らも上がった。この辺り、「聖都」ならでは信仰心の厚さが高じて他者に対して常に篤実たらん
と務めるウェンデルの国民性がよく出ている。
 実は闇の司祭を廃そうと運動したのは光の司祭だけであり、他の者は反対だったともいう。
 この辺りの理由も「反乱は役職が起こさせたのではなく、その複雑な背景から出でた物であ
り廃さずとも再発の可能性は薄い」という至極まっとうな、しかしバイゼルやジャドといった都市
部に見られる感情的な不安要素の排斥──例えば獣人への迫害のような──からは遥かに
洗練された抗議が、廃されてもなお、光の司祭に注いだという。
 そのせいかヒースは一度としてベルガーの子息ゆえの偏見や差別は受けた事がない。
 一つには前述のウェンデルの清廉なる国民性があるが、いま一つには彼一つの性質にも
よるだろう。
 高い知性と精神を持ちながら奢ることなく、誰に対しても分け隔てなく接するため非常に人気
が高い。涼やかな風貌に女性が黄色い声を上げるのはもちろんの事、男性の中にも彼を「兄貴」
と慕う者もいる。
 「兄貴」、である。我々に馴染み深いのは筋骨隆々の外人男性であり、両者ビキニパンツ一
丁でくんずほぐれつしつつ肌をぱちーん☆と打ちつけ合うのが皆大好きであるが、この場合は
一般的な、時報という現象に殺意や諦観を覚えぬ人種へも通じる意味での「兄貴」である。
 男性が男性に対してそういう敬称を用いるのは稀であろう。後にディズニー……ビーストキン
グダムがウェンデルを侵攻するが、その先遣隊隊長であるルガーが部下の獣人から悉く「ル
ガー」とミッ……ネズミが囁くような声で呼び捨てにされていたのを考えると、ヒースの人格の
みならず両国の性格の違いすら伺える。

 だがヒース。
 正しくあらねばならぬと思えば思うほど、心の中の淀みは増していく。
 人は一つの方向のみ特化すると無意識のうちにまったく正反対の方向へ向かう事がある。
「じゃあヒースは、まんまるドロップ食べた後に、からーいカニクリームコロッケ食べたくなった
りするでちか?」
 一度、自身の心の動きをオブラートに包んでシャルロットに話すと、何とも景気のいい返事が
返ってきた。
 大体は合っているが的外れでもある。もっともヒースはそういう、光の司祭の孫にあるべか
らず常識外れの回答を期待して話したのかも知れない。役職の重さに包まれた励ましでは
ない、けれど自分を理解してくれている明るい言葉を。
 ちなみに場所はといえば、光の神殿の庭の片隅だ。
 正門に備え付けられた階段ではいつものようにまばらな人影が昇降している。
 それらに背を向けたヒースは、いつも通りの白いこざっぱりしたローブの肩からいかにも清
廉な印象のあるペールブルーのマントを背後へ垂らし、シャルロットは影で「ちびっこローブ」
と呼ばれている青いローブで小さな体をくるくると包んで、それから巻き癖のついた金髪を背
中でたっぷりと揺らしている。
 ヒースはそれを見ながら平素の彼からは幾分硬さの取れた思考へと没入した。
 ちなみに彼は一度、シャルロットの髪の毛があまりに豊かで丸々しすぎたから、つい「綿あめ
みたい」と形容したコトがある。いわれた方はひどく頬を膨らませブーたれてきたが、実際はそ
う満更でもなさそうだったので意外に気に入っているのだろうとヒースは思っている。
 もっとも実はシャルロット、「ヒースに褒められたから」初めて自分のそういう身体的特徴に眼を
向けて、満更でもない顔をしていたのであるが。
 ゆらい彼女はヒースへキスなどをせがむ積極性はあるが、それは幼い故の無防備な欲求で
あり、果たして自分がそれに足るだけの魅力があるか否かについてのそろばん勘定はまだ
できない。要するに一般常識という物差しで客観的に自分を見れないので、十五になってもい
まだに幼児用のローブを愛好して、ヒースの主観を聞いてやっと一つ魅力的な部分を見つけ
るといった有様なのだ。
 とにかくヒースは「綿あめ」みたいなシャルロットの後ろ髪へ軽く目を吸いつけつつ、相好を
崩して見せた。
「辛いカニクリームコロッケ……あるかな?」
 それから困ったように肩をすくめて反問すると、
「作ればあるでちー」
 いかにも生意気な口調と一緒に、まんまるドロップに星屑のハーブの滴を降らせたような瞳
が見上げてきた。
 見上げるコトに特に意味はない。ただ身長差がそれを宿命づけているだけで、会話にしろ弁
明にしろ甘〜い口づけにしろ、シャルロットは一動作の前にいちいち見上げざるを得ないのだ。
(一緒の目線になりたがってる)
 とその都度ヒースはその健気さが好ましくなり、いつかシャルロットが望んだとおり身長が伸
びるよう、毎朝密かにマナの女神に祈りを捧げていたりもする。
 ともかく、シャルロットが見上げた場合、たいていヒースは尻に敷かれるしかないので、溜息
まじりに笑って見せた。
「はいはい。今度作りますよ。お姫様」
 エルフの面影が濃い、ミルクを流し込んだような白い頬がぱぁっと綻んだ。
「じゃあー、アストリアの湖、ぜーんぶ埋まるぐらい作っておじいちゃんやウェンデルの皆と一緒
にカリクリームコロッケパーティするでち!」
 また突拍子もないコトをいう。いちいち突飛すぎてとても十五歳には思えない。
 好ましい反面どうにもついていけない、と思ったのも、ヒースを悩ます「心の淀み」と同じ作用
であるだろう。心は一方向へ向かうと逆走したがる。でもシャルロットに対してはその逆走を
見せるのがそれほど辛くない。平たくいえば少年が好きな女の子をいじめるような心境として
処理できる。
 だからついついヒースは意地悪をいいたくなった。
「でも材料のカニはどうするんだい? そんな大きなカニ聞いたこともないよ」
 もちろん、彼はこの論調の矛盾を知っている。大きなカニがいなくても小さなカニを無数に
集めれば湖いっぱいとまではいかなくてもウェンデルの住民全員に振舞えるだけのカニクリー
ムコロッケは作れるのだ。それを承知でいかにもシャルロットの関心を引きそうな「大きなカニ」
という童話的な存在を引き合いに出したのだ。
 果たしてシャルロットはその単語に引っかかり、後はまぜっかえされたコトに対抗するのが精
いっぱいらしく、しゃーしゃーと気焔をあげた。
「あああああ、もう! 世界は広いんだから探せば絶対にいるでちー!」
「そうだね。案外、滝の洞窟の奥辺りにいるかも知れないね。今度二人で行ってみる?」
「なにいってるでちかヒース? 常識的に考えて、あんな狭い所にそんな大きなカニいるワケ
ないでち。大体、あんなジメジメしてゾンビとか人魂が出そうなトコ、デートには不向きでちー」        えー、オレー、人魂っスかー? >
 シャルロットはいかにも自分が物を知っているという感じで薄い胸を張った。まるでモールベ
アが無理して二足歩行しているような格好で、威張られている方が却って優越感を覚える仕
草である。
「へー、じゃあ湖いっぱいのカニクリームコロッケは常識的なんだ?」
「うぅ〜! ああいえばこういうヒースなんか嫌いでちー!!」
 綿あめをつけたモールベアがヒースの足の横をぱたぱたと通り過ぎて、振り返りざまイーを
した。ヒースがそれに向かって笑顔で手を降ると、シャルロットは複雑な顔をして振り返り、すぐ
目前にある光の神殿への階段へ八つ当たり気味に叫んだ。
「うああうぅ〜っ! 一気に駆け上がろうと思ったのにこう高くて長くちゃできないでち〜ッ!!
絶対に途中でコケてヒースに笑われるに決まってるでちー!」
「やれやれ」
 困ったようにヒースは頬を掻いたが、他愛もない会話をして百の言葉に百通りの反応を返す
シャルロットを見るのが本当に心から好きだった。

 そもそもシャルロットとヒースは何かと共通する部分が多い。共通項があるおかげで他の人
間とは違った関係を築いている。
 まず、両親が不在というのが一つ。周知の通りシャルロットの両親は彼女が生まれてほどな
くしてエルフの村ディオールにて没したし、ベルガーは行方知れずだ。ヒースの母もベルガー
の乱のあとほどなくして死んだ。(コレで死を喰らう男が実は母親とかいう超展開は流石に勘
弁願いたい。ミラージュパレスの連中が途端にファミリー企業になる)
 それから出自が必ずしも人間社会に馴染み易くないというのもある。
 シャルロットはハーフエルフで、ヒースはかつてウェンデルを震撼させた闇の司祭の息子だ。
 最後に、共に光の司祭を敬愛しているのも大きい。
 彼はムァナという不明瞭な言葉をしばしば発した上、本来落涙誘うべきヒースの顛末を正に立
て板に水といった風情で一気に流しやがり我々の爆笑を誘ったが、しかしゲームシナリオ上で
は厳粛で慈悲に富んだ男という設定なのだ。まぁ設定なんぞ面白味のためならばいくらでもブ
チ壊していくのがニコ動中毒患者に宿命づけられた症状ではあるが、ルガーも声こそミッキー
であれ本来は色々哀しく熱い男なので筆者は機会さえあればいつか彼を格好良く演じてみた
いとか思っている。演技経験ゼロだしSSのために色々せねばならんけど。
 ともかくルガーの黄金の精神はいま、本音プレイシリーズへと確かに受け継がれダブル自殺
などを活発にしていよいよ水風船など投げているから別にココで描かずともいい。
 問題は光の司祭だ。
 実は元々ヒースにシャルロットを引き合わせたのが他ならぬ彼である。
 おそらくその慧眼で、ヒースにはシャルロットが、シャルロットにはヒースが必要だと思ってい
たのであろう。
 だとすればこれほど的確な洞察はないとヒースは思っている。
 ゆらい出自のために正しくあらねばと常に気を張り詰めるあまり、本来人間が見せてもいい
筈の負の部分──年齢相応に怒ったり不服を唱えたり、或いは喧嘩をしたり──を多感な十
代の頃にまったくといっていいほどヒースは経験できなかった。
 その代わりに理性を以て感情を制御しせんと務め、まずベルガーの乱について紐解き父への
感情を整理しようと試みたがそれだけでは足らず、同時代の世界情勢から何か掴めるのでは
ないかと不眠不休で調べ上げるうち、やがて人間の感情の動きそのものを知りたいと様々な
時代の出来事にまで興味が及び、気づけばすっかり歴史通になっていた。
 とはいえその博識すら人々はヒースの清廉な形質ゆえと評価してくるから、ヒースはますます
懊悩せざるを得ない。かといって理由を説明すれば感情が高じて内面の暗い部分を大きな声
音で相手にぶつけてしまいそうで、ただただ謙遜の笑みでかわすしかできない。
 つまるところヒースの役職への責任感や人々への篤実さ、精神や知性は多寡の差こそあれ
本質的には自らを自らのままでおけるよう制御し続けた結果でてきた副産物であり、つまりは
私的事由からの派生にすぎない。
 だが周囲の皆はどうもそう捉えずヒースを公明正大の快人物として奉る。
 それらの落差は長ずるに連れてますます広がり、暗い質量を増していくのを痛感せざるを得
ない。
 もちろん光の司祭にだけは彼の部屋で密かに報告し、常々親身になった言葉を授かっては
いるが、実体はそれすらも役職の一環のように思えて、どこかヒースの芯には響かない。
 別に誰かを傷つけたいというワケではない。
 世界に憎悪を持っているワケでもない。
 むしろ明確な敵意や憎悪がある方がどれほど救われるコトであろう。さすればヒースはそれ
へと向かい力の限りを尽くして打ち払い、やがては救われるのだ。
 されど常に日常の些細な出来事が徐々に薄闇を蓄積させていく。日常の中での抗弁も不可
だ。何故ならばヒースの日常にいる住民たちは父を許しその子息も許す暖かい精神の持ち主
で、いたずらに彼らへ敵意を向けるのはヒースの倫理感が一切許さない。そうして「許さない」
という感情が微かな自己嫌悪をまた蓄積するからどうにもならない。
 ……自らの複雑さを人に説き、理解を得ればいいという者もいるだろう。
 だが人間は自らの恥とする部分をそう簡単には明かせない。ましてそれが他者の反応に起
因するものであり、加えて反応という物が長い年月を経て慣習化した時期に「実はやめてほし
い」とはヒースのような繊細で理性を重んじる者にはひどくし辛い。
 そういう慣習の打破のやり方は、元来明るい性格の者であっても難しい。
 例えば後にヒースを叱責した「義賊」がいるが、彼は長い旅の後にようやく真意を吐露でき
るように成長したにも関わらず、なお傷心と心痛の中でようやく、「仲間」という絆の放棄を一
国の王女に告げられた位だ。
 第一、自らの事情を吐露しつくした後にかけられる言葉には幾分の配慮が含まれているで
あろうコトは、聡明なヒースには十分予見できる。しかし配慮では駄目なのだ。いかなる素晴
らしい言葉にも、配慮の気配を感じてしまえばまたそこに名状しがたい感情の波が生じてしま
うだろう。それでは何も変わらない。
 だからか、シャルロットのように屈託なくヒースに感情をぶつけてくれる存在は本当にありが
たく思っている。彼女は何も知らないが、しかしヒースという人間の性質は曇りなき瞳でちゃん
と直感している節がある。そう、出会ったその日から……ずっと、ずっと。彼女にだけはいつか
話すべきと思いつつ、踏ん切りがつかなくて、言い出せずにいるが、それでもなお、配慮も誤
解も挟まずに、ありのままの意見と思いをいつでも必ず与えてくれる。

「シャルロット……君は気付いていないかもしれないけど」

 光の神殿の前に暖かい風が吹き、蒼いマントがヒースを包むようにはためいた。

「背、伸びてるんだよ。僕と初めて出会った時よりは。……いつか階段だって一気に駆け上が
れるようになるよ。いつかは、分からないけど」

 ハーフエルフ。人とエルフの血が混在した存在だ。ある意味ではヒースの思う調和と対立を
秘めた最も具体的な存在かも知れない。同時に、成長の可能性についても。
 ヒースが内に抱えた黒い淀みを克服できるのとどちらが先かは分からない。もしかするとハー
フエルフの緩やかな成長よりも遅いかも知れない。

(それでも、君が階段を駆け上がれる時に克服できていたら……)

 得意満面の笑顔に心からの笑みを返して、自分の出自をちゃんと告げられるような気がして
ヒースは眩しい物をみるような顔つきでシャルロットを見た。いつか彼女と対等な目線で会話
できるようになる日が待ち遠しいような寂しいような複雑な心境だ。

「それでも今は」

 長身をいまだ階段の前で立ち往生しているシャルロットに近づけさせると、ひょいと彼女を
持ち上げた。
「な、何するでちか突然〜!」
 逼迫した声とともに短い銀髪がぐいぐいと引かれた。
「肩車。階段登れなくて困ってるみたいだから」
「こ、こんなコトされなくたってシャルロットはちゃぁんと階段ぐらい登れるでち!」
「ふーん、じゃあ降ろそうか?」
 くいと頭上を見ると、予想通り真赤になりながら首を横に振るシャルロットがいた。
「……ヒ、ヒースがしたいっていうなら別にこのままでいいでち。かかか勘違いしないで欲しい
でち。シャルロットは花も恥じらう十五歳! 肩車なんか別に嬉しくもなんともないでちからねー!」
「はいはい」

 そんなやり取りができる日が、いつまでも続くとヒースは信じていた。

 だが彼を取り巻く運命は決してそれを許さなかった。
 ある日、ヒースは光の司祭から一つの指令を受けた。
「光は対岸のアストリアの村の方に消えた。すまぬが行って、調べてきてはくれぬか?
(アストリア……)
 実をいうと調査程度の任務ならヒースと同格の物に任せるコトもできた。
 しかし受諾するに至ったのは一つの思惑が胸を占めていたからだ。
 ウェンデルは山を背負うようにしてアストリアの湖と面している。そのため冬は各地より早く
訪れやすい。冬もいよいよ深くなるとウェンデルの目前にある湖へ厚い氷がびっしりと張り詰め
この時ばかりは参拝者も「滝の洞窟を通るより近いので」というコトで、対岸にあるアストリア
からの陸路(?)を選び、薄氷気にしつつゆらりゆらりと歩いてくる物だ。
 シャルロットなどは一度、雪合戦の帰り道にその様子を遠巻きに見たものだから、白い息を
綿毛のようにぽんぽんと吐き散らかしつつ
「いい年した大人が何ちんたら歩いてるでちか!」
と苛立ち、ヒースはまぁまぁと嗜めたりしたコトもあるが、同時にその瞬間から、聡明な彼はシャ
ルロットとは別の感想を抱き始めていた。
 平たく言えば、「侵攻」の問題である。これはついぞ実現しなかったが、もし後年ビーストキン
グダムの獣人たちが真冬に攻めてきた場合、参拝者など比べ物にならない足取りで湖の氷を
割り砕きつつ直接ウェンデルに攻め入り、おそらくジャドの占領から一日と経たぬうちに陥落さ
せていただろう。
 ちなみに彼らがせめてきたのは氷のない時期ではあるが、なぜ湖を船で突っ切るなり泳ぐな
りしてウェンデルに侵攻しなかったかは諸説さまざまあり定かではない。が、何にせよ、ビース
トキングダムによるウェンデル侵攻は、アストリアの住民を皆殺しにした所で長年積った憎悪を
一気に晴らした感があり、光の司祭の命がけの結界が発生した後はピタリとやんでいるため、
おおよそ当初からさほど綿密な計画もなく、ただ暴発してみたかったように思える。
 この点、間者を予め放つコトで難攻不落のローラントを陥落させたナバールや、腹心を二度
もフォルセナに送りいずれも城兵を散々にいたぶり、更には「ギガンテス」なる空中魔導要塞
までもを建造していたアルテナに比べるといかにも粗漏の感がある。
 余談がすぎた。(司馬遼太郎風)
 雪合戦の帰り道、凍結した湖面を渡る参拝者を見たヒースの脳裏には森に追いやられた獣
人たちが攻めてくるという予想はなかったにせよ、ひとたび世界が動乱になった場合、ウェンデ
ルを狙う者はまずアストリアに現れるという確信めいた物が芽生えた。
 或いはかつて聖都を追放された父・ベルガーこそ仮想敵にしていたのかも知れない。
 とすればヒースの立場ほど複雑な物はないだろう。
 とにかく、ヒースから見ればアストリアの異変はそのままウェンデルの危機の予兆でもある。
「はい、かしこまりました。それにジャドの方からも邪悪な気配も感じます。念のため滝の洞窟
には、外部の者がウェンデルに入れぬよう、結界をはっておきましょう……」

 ……こうしてヒースは、待ちうける自らの運命も知らず、アストリアの調査へと赴いた。(終)


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