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第6話 「生きていた呂后」



やがて              背景 →  (焦げた木々)
数十分の             背景 →  (雲ひとつない夜空)
時が                背景 →  (上空から見た城)
流れた。             背景 →  (城の中庭から見た縁側)

「う、うーん。はっ!」
布団で寝ていた行者は慌てて跳ね起きた。
身のこなしは実に素早い。一瞬後には布団のそばにストンと着地して、両手をメトロン星人
みたいな形で上段に構えている。
ちなみに上記のポーズは文庫版闇の土鬼、中巻132ページ1コマ目だ。
自らのおかれている状況が不測ゆえの警戒か。
じっとり汗ばんだ憔悴の表情で、拳を無暗にふりかざす。
部屋は三国志とかでよくある中国丸出しの部屋(名前はよく知らん)で、敵はいないらしい。
「まーまー落ち着いて。これから共同戦線を張らなきゃいけない関係なんですし」
いや、いた。扉ががらりと開くと、韓信が入ってきた。後ろには劉邦ともう一人見知らぬ顔。
「は?」
状況がつかめない。
行者はとりあえず質問するコトにした。(以下、一人称あり)

なんで森で倒れてた俺が移動している。
「不測の事態が発生したので連れてきました」
不測の事態とは?
「禁則事項です」
おいそこ。またハルヒネタやらない。
「冗談です。後で話します」
つまらん。んな冗談はいいから早くこっちの質問に答えろ。
ここはドコだ。
「成皐城です。項羽に取られたり取り返したりしたあの城。ここであなたには私たちと協力
して戦って貰います」
断る。
「ちなみにそれは不測の事態のせいです」
あーうるさい。俺起因の難問じゃなけりゃ聞かんぞ。聞いたって責任は持てないからな。

(以上。一人称終わり)

その頃、成皐城に近づきつつある三つの影があった。
森の方から飛んできたそれらが、ときおり交叉して火花を散らしながらも徐々に城へと接近
するのを城壁の兵士たちは緊張の面持ちで見つめていた。
見慣れた軍馬とは違う、それでいて何万もの兵よりもおぞましい威力の気配が漂っている。
轟音に遅れて地響きが城壁を揺らした。身を乗り出して影を見物していた何人かの兵が危う
く落下しそうになった。
ほうほうの態で上った彼らは、影が交差した辺りで地面がクレーター上に抉られているのを
目撃した。
目撃しただけで、他にどうという感想も浮かばない。
なぜならばすでに何十回となく同様の破壊現象を遠巻きに見ており、すでに恐怖すら麻痺
している。

「もうさ、やんなっちゃう。だって私いわゆる糟糠(そうこう)の妻なのよ。漢王が下っ端の頃か
らずーっと、ずーっと支え続けてきたのよねェ。でもさあの人ったら出世したら他の女に目を
つけてる! しかもそいつの子供に帝位継がそうとしてる! ひどーい!」
声の主は影の一つ。
もっとも兵士たちの動体視力ではそれが豊満な美少女だとは捉えられなかっただろう。
「だから決めたの。素敵だよね青空。秋の風もキラキラ輝いてて気持ちいいよね。うん。あの
妾なんて八ツ裂でいいよね。正妻の子供が帝位継ぐのは歴史の必然よね! だから戚(せ
き)とかいうのピーしてピーして人豚よ! けっけっけ」
奇妙で奇抜ないでたちだ。真赤(ここ重要)な百合があしらわれた白い和服を着ていると表現
すれば「ああ、昔の日本人なのだな」と納得するであろうが、しかしその丈は腰のあたりまで
しかなく、むき出しになった太ももには網タイツを着装している。靴は黒のロングブーツ。
更に和服の袂からはこぼれんばかりの乳房が覗いており、まったく傾(かぶ)いているとし
か思えない。
「はぁ、あなたたちさ、ホントわかってるワケ!」
影は疾駆しながら巨大な十手を残る二つの影に差し向けた。
「項羽倒して国を作るのって大変ジャン!」
髪は黒く長い。中心で分けられた前髪はふんわりした曲線を描き、分け目からこぼれる幾房
もの髪がえもゆわれぬ清浄な色気を醸し出している。
「人いっぱい死んだしー、民衆も戦争で疲弊したしー、でも平和になったらそーいうのはなく
ワケでー、私たちはそれを維持してく責務あるワケよ責務。うんうん」
目鼻には取り立てて特徴はないが、それだけにどこにでもいる親しみやすいお姉さんという
顔をしている。
このお銀ちゃんみたいな人(地球が燃え尽きる日に彼女が出る前に短編集で元作品を読ん
でいた筆者は誠に勝ち組といわざるをえない。いえい!)、実は彼女。
彼女は。

「呂后です。呂后が生きてましてね。こっちは善後策を検討中。張良どのたちは足止め」
韓信の説明によると、解体した体から脱皮して、バラバラの状態で合体して、んで戦闘をふっ
かけてきたらしい。

彼女は自らをまず呂后と名乗った。次に何かをつぶやいた。
二つの影にそれは聞き取れなかったが、名乗られた以上信ずる他ないだろう。
張良は想起した。復活ともに炎熱を迸らせた呂后を。
蕭何は背後に思いを馳せた。一瞬にして呂后に焼き尽くされた森を。
木炭が乱れ喰い歯のように天を仰いで、くゆる黒煙にも焦げ臭さが生々しい。

(以下、一人称あり)

で、俺がお前らと共闘して倒せってか。冗談じゃないぞ。元々あいつに喧嘩をふっかけたの
はお前たちの方だろうが。むしろ俺は仲裁しようとしたね。が、そんな今時めずらしい平和主
義者を三人がかりでリンチしてきたのはどこのどいつらだ。悪いが協力はしないぞ。器が小さ
いとか思うだろうが、三人で来られりゃ温厚な仏様でも三度の顔が一瞬でなくなるさ。
「不服ですか」
ああまっぴらだ。願い下げだ。さっき痛感したがやはり歴史への介入なんてゴメンだね。
一未来人であるところの俺はどこにいるかも分からんリサをさっさと未来に連れ戻して、んで
家を襲ってくるクダランたわけた兵器と毎日毎日したくもないドンパチを繰り広げてさえいりゃ
いいんだ。それで満足かって聞かれたら俺の生活に対する満足度を表すメーターは百パー
セントに程遠いところで止まるだろうが、決してゼロで止まったりもしないさ。何故なら結局そ
ういうのが俺の日常なんだからな。時間旅行で見てきた戦国時代や江戸時代の人間に俺と
同じ質問をしてみろ。きっと俺と同じ答えを返してくるぜ。俺は理想主義者でもなければ改革
者でもないただの一未来人だから分別ぐらいわきまえて、せいぜいあくせくとした日常に不平
を洩らしながらもどこかで満足しているさ。歴史なんて変えたいとは思わないね。

(以上。一人称終わり)

呂后は腕組みを解いてぴょんぴょん跳ねた。跳ねると、両耳の前から伸びた髪がつられて
空を暴れ回って微笑ましい。
「でも、そこに出てくるはにっくきあの妾! あのさ、わかってるワケ? 妾風情がしゃしゃり
出てきたら漢って国のバランスがおかしくなるんよ……?」
うるうると手を組んで張良や蕭何を見ながらも、足だけは物すごい速度で成皐城に向かって
いるから恐ろしい。いったいどういうコツがあるのか、彼女は上半身をまったくブラさず走れる
のだ。混世魔王や白昼の残月みたく。
「妾がさ、色仕掛けで政権握れるよーな国なんて、いつか必ず滅びるワケとよ。むー。崩壊
したらさ、みんなが迷惑なワケよ。だから妾の戚(せき)とかいうのは殺した方が全体的に見
て得なワケ!」
『一理はある。だがそれは清廉なる者が発してこそ万里隅々に及ぶ文言!』
張良は踊るように身をよじらせ、つぶてを放った。
「貴様はあまりに矯激すぎる! それではいつか臣下の心が離れていくぞ!」
蕭何は銅銭をしゅらっと剣の形にして斬りかかった。
「だいたいさ、歴史上じゃ妾が自分の子供に政権握らそうと画策すんのはよくないって批判す
る傾向があるクセに、なんで私だけ批判されるよの。妾殺して国の維持を図るのがそんなに
悪い! ねぇ、そんなに悪い!?」
呂后は目を三角にして大きく舞い上がり、口から五メートルはあろうかという矢を吹き出した。
いかな圧縮率で入っていたかは分からない。そもそも矢であるかも分からない。
いわゆる棒手裏剣の先端にハートマークの部品を接着した無骨不気味な武器である。
ともかくさすがの蕭何といえど、かような巨大な武器を頭上から投げられようとは思考の外。
土くれ巻き上げながら踵で速度を殺し、決死で飛び退く。そのすぐ前に重苦しく地に刺さった
奇怪なる武器の姿には、あわや圧殺の憂き目を逃れたと安堵を禁じえぬが。
間髪は入らない。
形のいい呂后の唇がきゅっとすぼんだと見るや、べっべっべっと前述の武器が地上に吐き
捨てられた。
大道芸ですらせいぜい一本の長剣を六割飲めば上等の出来だというのに、呂后は柱ほど
の武器を三本連続で食道から吐き出し、弾丸のような速度で飛ばすのだ。
(痰か何かのように易々と……!)
『く……! 反応が遅れた。直撃こそ免……免れ? いや……!!』
蕭何と張良は素早く四方を見渡して歯噛みした。
次に襲ってきたのはいかんともし難い自嘲だ。
見誤った。
屈辱と激昂に拳が戦慄き、いまだ天に浮かぶ呂后を八つ裂きにしたい衝動が湧く。
「あー気づいちゃった? そ。直接攻撃狙いじゃなかったり♪」
先ほど呂后の口から射出された異形の武器は、蕭何と張良を囲むように佇立している。
「しまった。避けるのに必死で気づかなかった。私はなんという勘違いを」
蕭何はブラボーみたいな声で顔を覆って泣き崩れた。
「あーあ。やだやだ頭コチコチの連中って。嫌だよね。瀬戸物の内側にこびりついたグラタン
をこそぎ落とすの。金属のスプーンがじょりじょり鳴って頭が痛くなっちゃう。いいや。殺しち
ゃおう」
繊手が指を弾くと、地面に刺さった武器の下方からしゅうしゅうと空虚な音が響いた。
やがて音とともに土や小石が吸い上げられているのを認めた時、蕭何は文庫版マーズ1巻
272ページ2コマ目のマーズみたいなポーズをした
「コンクリートや鉄が粉々になって吸い上げられていく」
『違う。時代的には土や小石だ』
とりあえず突っ込んだ張良は一筋の汗を流しながら柱に向かって輪(モーターギアみたい奴)
を投げた。蕭何は髪を針にして同じ事をした。
果せるかな。柱の周りには竜巻以上の暴風が吹き荒れており、輪も髪の毛針もバチバチと
巻き込まれ、やがて揉み砕かれた。
同時に彼らは別の事を認識した。
柱が他にも三本ある。
つまり四方を包囲されている。
よって脱出は不可
柱に近づけば風圧に巻き込まれ、輪や髪の毛針と同じく……
「粉砕! 玉砕! 大喝采!!」
『……た゛ろうナよ。おも( ニ 呂后か゛』
徐々に風が強くなってきた。張良は一生懸命虫文字を維持しながら(でもところどころは乱れ
ている)感想を漏らしたがどうしようもない。
呼吸ができなくなりつつあるのだ。
二人はそれが空気の渦により真空状態だと、カマイタチに体を切り裂かれながらも悟ったが
荒れ狂う風の中では這いつくばるほかない。
やがて彼らから意識が遠のき始め

「あっはっは。ざまあー! 体の一部だけを六神体化! 私は確かに出来が違う!」 
呂后は宙に浮かびながら、勝利の笑みを浮かべた。

「いいんですか? さっきあなたはいってたじゃないですか」
韓信はうつろな表情で行者の肩に手をおいた。

>「てめーら、この時代に呂后殺ってんじゃねーぞ! もっと後の時代に殺されるんだろーが!」

「って。つまりあなたは未来から来た人で、今後の歴史を知っている」
「……だったらなんだ」
「私たちはどうですか?」
「はぁ?」
「今、この時代に殺されるかどうかという事です。もしそうであるなら、おそらくあの場から呂后
が逆転するであろう事を見越して、仲裁には入らなかったのでは?」
「!」
「どうやら死なないらしいですね」
韓信は納得した風情でコクコク頷いた。
「ですが、あなただけはマズい。歴史があなたの命を保証していない。だからこそ私たちと手
を結んで抗戦すべき必要があります」
「いや、その論理がそもそもおかしい。俺はあの呂后と争うつもりもない。アイツだって俺に恨
みは持っていないさ。なら、そもそも争う理由なんてないだろ? だから俺がこの時代で落命
する理由なんてないさ。はははは」
手を突き出して愉快に笑う行者であったが、
「ありますよ、理由。それは……」
韓信のセリフに鼓膜をぐさりと突かれ、驚愕の面持ちで外を見た。
(ば、馬鹿な。そんな事がある筈が。ありえない…… けれど話が本当なら……!)

風の音が、強くなってきた。

「考えてみれば殺すには惜しい連中だったケド。まぁ、後は私がやるわよ
吹き荒れる砂礫のせいで分からないが、今頃張良と蕭何はカマイタチにずたずたに切り裂
かれミンチとなって飛んでいるのだろう。
暗い想像に呂后は舌なめずりをした。
「項羽率いる楚の退治なんて私ひとりで十分だしー」
『奇遇だな。それはこちらも同じだ』
「ああ…なんだ… 風が…やんだじゃねえか」
四柱の一角が突如として爆ぜた。
次にその横にあった柱に何かが巻きついて引き抜かれた。
ぶわりと風の中で冗談のように浮きあがったそれは、隣の柱に激突して共に砕け散った。
同時に最後の柱が根元からへし折られ、地平まで届く激烈なる倒壊音を奏でた
『我ら能吏に甘んじたるは漢王に覇者たる名分を与えんがため』
砂礫の晴れた空間に佇んでいたのは、上着がぼろぼろに破れた張良。
髪は乱れ、あちこち傷だらけで意外に引き締まった肉体をちらちらと露出しているが、眼光
だけはまったく衰えていない。
手には七節棍が握られていて、それで柱を破壊したのだと呂后は悟った。
「温州蜜柑でございます」
蕭何はニコニコしながらお盆に乗ったじゃがバターを張良に差し出したが、蹴り倒されて顔面
にしこたま七節棍を浴びせかけられた。
『我らが実力を以て秦を叩きつぶせば我らが覇者になる。が、それはつまらん』
「おとっつぁん、温州蜜柑でございます」
蕭何はボロボロになりながらなおじゃがバターを進めるが誰も聞き入れない。
『漢王の度量に才覚を賭け、押し上げてこそ意味がある。彼は弱い。だが』
「おいらの知らねえ奴らのどんな思いも何もかも丸ごとひっくるめてその袋に飲み込む!」
「……虹裏ネタから蒼天航路へ飛ぶ節操のなさはともかく、やはり一筋縄じゃ無理みたい」
しくしくと涙を流す呂后であった。


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