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第02話 【潜】もぐる



司令部が会議の末、手弁当を食べている方に白羽の矢を立てたのはその頃だ。
名は千歳。大きすぎる失点を背負ってはいるが、潜入に関しては定評がある。
そして事件の現場になった所へ「これこれこういうコトですが」とメールを書き始めた。
まず、ホムンクルスっつー化物の存在を説明して、色々付記して送って、返事が来た。
返事の最後には、「おう、若いねーちゃんならええわ。あとは適当にもう一人」と条件を付
けられていた。
このメールの文面を見た事務員は血相を変え、緊急会議を開くよう司令部に要請した。
そして会議の場において、プロジェクターからスクリーンに投影された文面を見た瞬間、司令
部の面々に凄まじい戦慄が走った。それを見届けると、事務員は力尽き、床に沈んだ。
「わわ輪ワわWA若いねーちゃん、だと」
「せめてあと5年…いや、8年早ければ…! なぜ今頃……ッ」
「まさかこの様な危機がヴィクター同様、世界に潜りこんでいようとは。ジーザス!」
あとはもう、大騒ぎである。蜂の巣をつついたかのごとく、他に潜入ができる女戦士はいない
かと怒号が飛び交い、いないといえばそこかしこで殴り合いの喧嘩が巻き起こるほど、狂騒
が全てを支配した。世界状況が来るべきところまで来、無茶苦茶で瀕死の社会状態になっていた。
だが潜入ができる女性の戦士は、千歳しかいない。
津村斗貴子はようやく捕まえた年下に月へ逃げられ、すごくヘコんでいる。
早坂桜花は弟の口にプリンを突っ込むのに忙しい。そもそも戦士じゃない。
円山は男。毒島は姿を見れば自ずと分かろう……(四乃森蒼紫風)
が、千歳は千歳で、年齢があまりに障害すぎた。
例えるなら、ニワトリになりかけのヒヨコを見て、ヒヨコと主張していいかどうかの悩みだ。
あらゆる面が中途半端で、断言し辛い。
そして、長い机がひっくり返り書類が床に散乱し、ホワイトボードにプロジェクターが
めりこみ、壁に頭を突っ込んだ者がいたりする、屍山血河の会議室の中。
司令部最後の一人をコークスクリューで葬り、チャンピオンになった坂口照星に、それとは特
に関係なく大戦士長というコトで最終決定権が託された。

重要性はランク#髏?ポである。
それに込められた意味は、ヴィクター討伐がランクSS、LXE壊滅がランクSと書けば、お分
かりになるだろう。
また、これに似たランクを、クイックマンステージのビームにブチ切れてコントローラーをぶつ
けたファミコンがテレビ画面に弾き出していた。怪奇極まる雑音を放ち、焦げ臭くもあった。

夕闇が迫り始めた頃。
照星は帰宅すると書斎に行き、電気もつけずバジリスクの1巻をぱらりと開いた。
窓から射す灼熱の夕陽が、伊賀の老頭領・お幻を照らし出した。
比べた。比べるコトで千歳はかろうじて若いねーちゃんたりえた。
苦しい戦いであり、照星は罪悪感による胃痛胸焼けの類に苛まれた。
脂汗が数滴、甲賀弾正の断末顔にこぼれる。それは書斎に篭った夏の熱のせいだけではない。
胸焼けは収まるどころかいよいよむかつきを増していく。
照星はたまらず傍にあったトイレに駆け込み、吐いた。
書斎にトイレを備え付ける建築士のセンスはこの際どうでもいい。
昼に食べた物が灼熱のえずきと共に口から排泄され、白い便器が際限なくどろどろに汚された。
照星は涙を浮かべながらなおも吐いた。吐き続けた。
やがて黄色く苦い胃液すらも吐き尽くすと、レバーを「大」の方に回し、吐瀉物を流した。
ごばごばと歯切れの悪い排水音を聞きながら照星は、息も絶え絶えにトイレの壁にもたれか
かり、力なき指で十字を切った。黙祷はいったい誰に対してか?
ああ、今も燻る思い胸にしかと宿らば。
ともかく、条件はクリアした。
比較級的な意味でしか存在しえない若さには、後々クレームがつくかも知れんが、その時は
その時。いざとなれば郭海皇でも引き合いに出しゃいい。
照星はそういう覚悟において、暗闇の荒野を切り開く所存だから昇り行く朝日よりも美しい。

千歳が大戦士長・坂口照星に呼ばれたのは返事がきた翌日だ。
場所は戦団日本支部、大戦士長室。両名とも服装はいつも通りの制服だ。
「失礼します。──で、任務というのは?」
千歳。髪はショート。体つきは中肉中背。
タイトなスカートから覗く膝裏にやや気だるい色気がある妙齢の女性。
そして端正な顔だちの中でひときわ特徴的なのは、その眼差しだ。

しん…と佇む湖面を覗き見るように、どこまでも深く透明で、しかし底が見えない美しさがある。
にもかかわらずそれを「沈着」と称するのは矛盾しているような気もするが、ともかく、その沈
着な眼差しの先で、坂口照星、この男にしては珍しく逼迫した感じで喋りだした。
「バンダイの下請けの工場にホムンクルスが出没しました。なので潜入して、正体を突き止め
て倒してください。ついでに働きつつ、働くというのはですね、あくまでついでですよ。ついでに
働いて、私たちはあちらの人手不足にかこつけてあなたともう一人を派遣してその見返りにお
金を貰う契約をしてたりは別に決してきっと必ず絶対にしてませんが、潜入はとても大事な任
務ですし、楠木正成の軍は足利尊氏相手に篭城戦をした時、壁をよじ登ってくる敵兵にうんこ
をかけた日本で初めて?の軍だそうですが、あのですねあのですね」
「分かりました」
照星の狼狽をくすりとも笑わず、千歳は頷いた。
これは照星の置かれている状況に興味がないというより、十全に理解した上での了承だ。
よーするに戦団は、労基(労働基準法の略)すれすれのヤバいコトでもせにゃやってけんのだ。
実をいうと入院している秋水どもにも労災が降りない。ので、彼らは内職して口に糊する始末。
事情を知る栄養士さんは、バランスを色々考えてケロッグコーンフレークを作って応援してる。
だからみんな一生懸命だ。尿道結石と前立腺ガンを併発してる照星だって一生懸命だ。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
照星は千歳の手を取り、繰り返し礼を述べた。その目はよく見ると、涙すら浮かんでいる。
「ところで、もう一名というのは」
「あぁ、それなのですが、貴女が選んで下さい」
そうするコトでしか一連の侮辱的な思考の咎はあがなえないだろう。
そして選択権を得た千歳はきっと、「防人君」と、ごくごく微妙な表情で答えるに違いない。
照星は千歳が文句なしの若いねーちゃんであった頃から、防人を憎からず思っているのを
知っている。さればここで防人ことキャプテンブラボーが選ばれるは必定だ。

彼の怪我はひどいが、持つ者を治癒できる「核鉄」というアイテムを2〜3個つけてツバつけ
とけばすぐ治る。二十代後半ならまだケガは治りやすいのだ。これが三十代ならもうダメだが。
例えば、指のささくれだってうかつに剥いちゃいけない。血が出たら一週間は治らず地味に痛い。
そういうのって戌年を一回しか迎えてなくても、なんとなく分かるのだ。
繰り返すが、千歳は防人と一緒の方が最善だ。
照星がそう(一部除く)考えているうちに、千歳は口を開いた。
「では戦士・根来を」
照星は思わず席を立った。
「ね、根来ですか」                              影抜忍者出歯亀ネゴロ
平素穏やかな声が跳ね上がったのも無理なかろう。
根来。本名を根来忍。年齢は20歳。戦団の中で冷徹を持って知られた戦士である。
その前歴については全くの謎だ。体術、風体、そして武装錬金という、闘争本能を形にした
武器の形状から忍者の末裔ではないか?と推測する者もいる。
推測というにはあまりにひねりがないが、あながち間違いでもない。
実際、徳川家康の配下に「根来衆」と呼ばれる忍びがいたという。繋がりがあるのだろう。
確かなのは、彼が任務遂行の為なら味方すら平然と犠牲にするという所だけで、その一点のみで
まるで交友関係を持たぬ、ともすれば透明な存在になりかねない根来が戦団に存在を認め
られているといっても過言ではない。
付記すると、今回の潜入捜査の候補にも根来の名は挙がっていた。
一番大きな理由は、彼の操る武装錬金の特性だ。
名はシークレットレイル、和訳すれば影の抜け道。
忍者刀を模したこの武装錬金は、切り付けた物に潜めるという特性を持っており、正に潜入
にはうってつけである。
が、それを操る根来には、いわゆる一般社会に放つ斥候としては激越すぎるフシがあるという
コトで、彼の変わりに千歳が選ばれた。
しかし千歳が再び根来を推挙したから、照星は困った。
ここで彼を任務に組み込むのは、司令部との折り合い上、あまり良くない。
中は権威に凝り固まっているだけのアフォだから、俺らが止めたコトを何でするんじゃあ、
色んな心の傷が治ってない時にいらんコトすなあと、怒りかねないのだ。

そも、千歳の口から根来の名前が出てくるコト自体、想定外だ。
彼らの接点は、あるといえばあるが、ないといえばないような、あやふやなものだ。
彼は共につい最近まで「再殺部隊」という一団に所属していた。
だがその活動中、千歳と根来に親交が芽生えたとは考え辛い。
何故なら、海豚海岸という場所に再殺部隊が集合した翌朝からの話になるが、千歳が防人
へヴィクターIII(武藤カズキ)の生存を告げた頃、既に根来は単身ヴィクターIIIの追撃に向か
い、千歳が独自の調査において横浜郊外にあるニュートンアップル女学院へ潜入した頃に
は、根来は横浜のランドマークタワーに宿泊していたから、会話があったかどうかすら疑わ
しい。
「はい。根来です。彼が別の任務についていなければ同行をお願いしたいのですが」
千歳は、表情にあまり意思を乗せない女性であるから、考えがまるで分からない。
ただ照星は携帯を取り出し、人事部門に根来の予定を聞いた。声はまだ上ずっている。
やがて来たのは
「今回の任務に際し、念の為に開けておきましたので今はまだ、フリーです」
という返答。
電話を切ると照星、その旨を千歳に告げ、やんわりと問いただした。
「しかしどうして根来なのですか? 私はてっきり防人を選ぶと思ってましたが」
無表情は微かに動いたが、次の声は凛然とし、どこか冷たさすらあるいつもの声だった。
「これは私情ですが、防人君には、しばらく入院して休んでいて欲しいというのが率直な所で
す。戦士・根来を選んだのは、……彼が優秀だからです」
やはりその一言でしか根来の存在は表せないだろう。
後は司令部と同じような理由で選んだのだろうと、照星は納得するコトにした。
しかし反面、照星はただそれだけの存在である根来に、少し哀惜を覚えもする。
戦友が一人でも彼にいれば、とも思うが根来自身がそれを望んでいる可能性は極めて低そうだ。
第一、もし彼がこの場にいれば、「今、論ずるべきは任務の方針であって私の行く末ではな
い」というだろう。
確かにそうだと、照星は話を進める。根来の実務的な性格は、嫌いではない。

「……分かりました。彼には追って連絡を。…ですが、もし彼が断った場合は」
千歳のいうコトは確かにもっともだが、かといって根来が請けるかどうか。
いわば千歳の独断であり、人によっては私情とも取れる。根来がそれをタテに断る可能性もある。
照星の権限なら強制的に履行させられるが、司令部が一旦保留した人選を、そこまでして実
行するのは気が進まない。しがらみはなるべく避け、先の会議みたいなブッちゃけれる時に
ブッちゃけるのが組織人である。
もし根来が断るならそれで引いた方が、錬金戦団全体としては良さそうなのだ。
千歳という一戦士の要望は通らぬし、照星的にも咎はあがなえないが、それも組織の常だ。
以上のような思惑の元に照星は発言し、黙った。色々考えたせいでひどく疲れている。
「その時は、大戦士長に一任します」
と告げると千歳も黙り、立ち尽くし始めた。
それが3分ぐらい続いた頃、照星はようやく千歳が言葉の続きを待っていると気づいた。
慌てて「もう退室していいです」と告げると、千歳は無表情のまま一礼し、部屋を出た。
(それにしても相変わらず──…)
照星は嘆息し、千歳の無表情ぶりに思いを馳せた。
その原因を照星は知っている。
7年前。千歳と防人、そして火渡という粗暴な男が属し、そして照星が束ねていた『照星部隊』
の任務失敗からだ。
いや、失敗という軽い言葉でもって、彼らの意識には残っていない出来事だ。
一集落ごとホムンクルスに壊滅されたという事実は、「自らの招いた惨事」として各々の意識
に深く刻み込まれている。
任務失敗以来、防人は名を捨てた。火渡は不条理に固執し始めた。
そして、その惨事の遠因、計画を綻ばせ失敗に繋げた「とあるミス」をしたのが他ならぬ千歳
であり、雨が注ぐ惨劇場で自責の涙をはらはらと流し続けた千歳も、今ではまったくの無表
情である。
自戒、なのだろうか。ミスを仕出かした自身への。
表情を消すコトで動揺を招かぬ精神を形作ったのか、それとも理知に徹し続けた結果の副
産物として表情が消えたのか、その辺りには照星にも判然としないが、部下が大好きと公言
して憚らない彼としては、千歳の笑顔が戻る日を心待ちにしている。  



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