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第09話 【探】さぐる



時間は流れ、午後六時より少し前。 
千歳は、目の前の肉塊に手を合わせると歩みを進めた。 
夏の暑さは、いやおうなく生物の腐敗を進めるらしい。 
千歳が山に入ってから一番良く目にしたものは、うっそうと茂る無数の木を除けば、動物の 
腐乱死体だった。 
野ウサギから始まって、雀、カラス、野良犬や野良猫とまあ、ともかく多い。 
うり坊という名の猪の子供も一体あった。 
千歳はとりあえず、嗅ぎなれた腐臭が漂ってくると、手近な小石を拾い上げるコトにしている。 
そして臭いがいよいよ近くなり、「元」が見えるとその近くに小石を投げる。 
すると黒い塊がぶわぁっと舞い上がる。ハエの群れである。しばらくは未練がましく、異臭の 
周りを飛び回るが、千歳はあまり気にせず、ハンカチを鼻に当てつつ逐一観察している。 
見たところ、共通点が幾つかあった。 

1.死体は、何ヶ所かひも状の物で打ち据えられた痕がある。 
2.腹部が大きくかじられているコト。 
3.死体が、森の中で比較的木々の少ない「開けた」場所にあるコト。千歳が遠くから死体を 
目視できるのも近くに小石を投げられるのもそのせいだ。 
4.死体の周囲の木には、何かで打たれたような痕があるコト。それは、死体が新しければ 
生々しい黄白色で、死体が古ければくすんだ茶色。つまり死体ができた時についた傷であり 
死体を作る手段と考えてよい。所によっては、枝が薙ぎ落とされていたりもした。 

死体を前に千歳が考えていると、はみ出した内臓の上で白い塊がうねうねと動いてるのが見 
え、彼女は夕暮れの暑気を更に不快がった。 
ともかく、歩く。 
死体を見つけるたび石を投げて観察して、手を合わせると立ち去って歩いていく。 
高峰の言を元に、(根来や照星へ連絡を入れてから)捜索へ赴いているのはいうまでもない。 

陽が照っていないとはいえ、流石に真夏。 
歩を進めるたび、虫に刺されぬよう着替えた厚手のツナギがじんわりと汗で濡れ、千歳の体 
にべったりと張り付いていく。顔もうっすらと汗ばみ熱い息が口から漏れる。艶やかな髪もすっ 
かり湿り気に乱れて、まるで水を浴びたような態である。森にそぐわぬ甘い香りが少し漂う。 

歩いて歩いて、首輪を付けた猫の死体を見つけて胸を痛めたりもしながら歩く。 
時おり、肩にかけた鞄の中から山の地図と方位磁石を取り出し、現在位置を把握し、なるべ 
く山に深入りせぬよう歩いていく。 
地図には、見つけた死体の数だけ赤い点がついている。死体の場所を記録すれば、それら 
を作った主の行動範囲を分析できないかという試みだ。 
やがて視界が開けた。 
この界隈、工場開発が進む前は林業が盛んだったのだろうか。 
千歳の目の前に、トラックが一台通れそうなほど広い砂利道が広がっていた。 
木々と道の境目には、木漏れたオレンジの粒が点々と落ちている。 
千歳は手ごろな大きさの石を見つけると、腰掛け、一息ついた。 
おりよくそよ風が吹き、枝葉がさわさわと軋み、先ほどまでの不快感を払拭していく。 
濡れたツナギも風を受け、千歳の肌をひんやりと冷やし、顔の汗も徐々に引かせていく。 
ちなみに、千歳は化粧はしないので、汗をかいても大丈夫だ。 
厚化粧していれば汗をかいたとき悲惨な目を見る。 
ブロンズ像に酸性雨が注いだような悲惨な目を。そしてそれを笑えば、つまようじの尖った 
部分を肘関節の僅かな隙間にブっ刺される。痛いわ痺れるわで、悲惨な目を見る。 
そして千歳は座って一息入れつつ、周りをぐるりと見渡した。 
彼女の正面には、相変わらず林が広がっている。 
そして左右に伸びる砂利道は、林に沿う形で大きなカーブを描いている。 
木々のせいで実際そうするコトは叶わないが、もし砂利道全てを上空から眺めれば、まるで 
森林の中にあるアマゾン川のようにひどく曲がりくねっているのが分かるだろう。 
そして砂利道を左に進めば工場の近くに出られる。 
千歳は時計を見た。時刻はちょうど18時30分。捜索から戻り始めると決めた時間でもある。 
正面の林の中からきらり、とオレンジ色の光が射したのもその時間だった。 
千歳にはなぜか鳥の形をした光に見え、確認しようとしたがすぐ消えた。 
何かがある。直感的に悟ると、千歳は林に入った。 

「…これは」 
千歳は言葉に詰まっていた。 
林に入ってかなり進むと、死体があった場所よりもっと広い場所に出たのだが、その真ん中、 
千歳より20メートルほど先に、奇妙な物があった 

一言でいうならゴミの山。 
詳しくいうなら、直径1m、高さ5cmほどの鳥の巣っぽいゴミの山と、その中心に、高さ50cm 
幅30cm、奥行き15cm程のどこかビルを想像させる直方体のゴミが山がそびえていた。 
どちらの構成材も、木片や枯れ草がほとんどだが、所々に泥まみれのシャツや破れた写真 
週刊誌果ては金槌などの山に似つかわしくないモノが混じっている。 
鏡もあった。長方形の手鏡が。 
それはビルのてっぺんに無造作かつ斜めに突っ込まれ、千歳の立ち姿を写していた。 
ただし鏡に佇む千歳の前には、ひどく下手な鳥のマークが泥で殴るように書かれている。 
(やっぱりさっきの光は、この鏡が反射したもの?) 
ちらちらと地面に落ちている木漏れ日だが、枝葉が風に撫でられれば、ざわめきと共に場所 
を変えていくだろう。 
先ほどのそよ風のせいで、木漏れ日が鏡に当たって千歳に届いたとしても不思議ではない。 
千歳の勘は、それを調べるようやかましく告げている。 
それに従い歩を進めると、足元で妙な感触がした。 
並みの女性ならば、悲鳴を上げただろう。男性でも表情を大いに歪ませたに違いない。 
あったのは、からからに乾いたウサギのミイラだった。 
既に虫どもは、この格好の「エサ」の旨い部分を食い尽くしたのか、ウサギの眼窩は暗黒の 
空洞と化し、毛がすっかり抜け落ちた皮膚には無数の小さな穴が空いている。 
全体的なフォルムは溶けたようにだらりと歪み、四肢はあちこち白骨化している。 
千歳が踏んでいたのは腹の部分だが、毛皮とはまた違う生々しい感触が伝わってくる。 
そうっと足を離すと、千歳は無言で手を合わし、辺りを見回した。 
ミイラはゴミの山を中心に、円になるよう規則正しく置かれている。 
場所によって数も種類もまちまちだが、状態はウサギのそれと同じだ。 
中には、ズタズタに裂かれた「カール」のパッケージと共に置かれたミイラもあった。 
断末魔の絶叫が貼りついた猫ミイラの横で、カールおじさんの顔が下半分だけで笑っていた。 
そしてバールのようなモノが供えられたミイラも幾つかあった。 
意味が分からない上に赤サビ一つ浮いていないのが、逆に不気味さを引き立てている。 

千歳の背中に寒いものが走ったのは、日が暮れて辺りが闇に包まれ始めたせいだけでは 
ないだろう。 

ともかく彼女は、ゴミの山に近づいた。 
と。 

かさり。 

ゴミの山より、さらに向こうで足音がした。 
千歳の顔は一瞬強張ったが、すぐさまポケットに手を突っ込み、核鉄を手にした。 
核鉄。 
手のひら大の金属質な六角形をしたそれは、「武装錬金」と呼ばれる武器を形作るアイテムだ。 
千歳は異変ならばすぐに発動できるよう構えて、足音のする方をねめつけた。 

たっ たっ たっ たっ 

足音の主も千歳に気づいたのか、速度を上げた。音からして獣ではない。 
のみならず。 

前方の木々が大きくたわみはじめた。 
複数の木が同時ではなく、一本一本がタイムラグを置いて薄紫の空を掃いていく。 
木々の間を白い影が縫うのを千歳は認めた。 
かく乱のつもりか、足音の主は林間を飛び回っているようだ。 
もはや相手に戦闘意思があるのは明らかだ。千歳自身も、口火を切るべく叫んだ。 
「武装──」 
その時、頭上でめきめきっという凄まじい音が立ち、次いで様々なものが辺りに降り注ぎ始 
めた。 
枝、木屑、小枝に葉っぱ。 
千歳がそれらを回避しようと身をよじった瞬間! 
「クエ───!!」 
天空より飛び掛ってきた白い影が、千歳の手から核鉄を叩き落とした。 
どさりっ。重苦しい落着音が一拍遅れて大地に響く。 



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