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第13話 【後】ばーさすわしお こうへん



『シークレットトレイル必勝の型──…』 
その声がした方を男は、早鐘に逸る胸をギリギリと掻きむしりつつ、睨みすえた。 
その正面……広場の彼方に佇む木の、とある一点が奇怪に変じたのは次のコト。 
乾いた木肌が、例えるなら水面のように波紋を広げ、忍者刀が男めがけて射出された。 
「ク……エエエッ!」 
男は迷うことなく弾いた。驚きよりも怒り、攻撃本能が勝ったらしい。 
彼にまだ言葉があれば、唯一の武器を投げた根来の浅はかさを罵っただろう。 
だがそれは無知が導く感情だ。 
弾かれた刀は木に当たるとずぶりと沈み────
間髪いれず刃先を男に向けて飛び出した。 
勢いたるやバネ仕掛けのナイフのごとく。 
全くの意識外の攻撃に、男はただ背中を斬られるのみだった。 
破れたスーツから醜い垢まみれの皮膚が覗き、朱線から血の雫が垂れる。 
『真・鶉隠れ(まこと・うずらがくれ)。速度を上げるぞ』 
冷たく、そして乾いた根来の声に操られるように。 
木から。地面から。木の根から。 
奇怪や奇怪。忍者刀が意思あるごとく縦横無尽に飛びすさる。 
翼で暴風雨をしのぐ猛禽のように、男は防御の姿勢をとり必死に耐える。 
だが暗い緑の斬線は容赦なく、腕を裂き、腿を斬り、肩口をかすめ髪をそぎ落とす。 
千歳はその様を固唾呑みつつ、静かに観察していた。 
耳に響くは空裂く刀の不気味な音。周りで吹き荒ぶは剣風乱刃。 
しかし千歳はみじろぎもせず状況を観察している。 
安全圏というワケではない。 
なぜならば、男は千歳のすぐ前にいる。 
ナイフを刺そうとした時から一切場所を動いていないのだ。 
自然、千歳も真・鶉隠れの射程内にいる。若干回復し、動こうと思えば動けるが……
腕を横に伸ばせば、絹のような手触りの細腕は容赦なく切断されるだろう。 
立ち上がれば頭を貫かれ、身をわずかによじるだけでも死の傷が肢体に降り注ぐ。 
ともすれば次の瞬間、刀が千歳に刺さる可能性もある。 
だが現在の千歳は無事でいる。 
単なる偶然がもたらしたのか、はたまた何らかの必然によるのか。 
実は千歳、それにすら明確な回答を描いていた。 

そして剣風乱刃の煌きを見て、わずかに表情を変えた。 
(ペースが変わった? 速度が上がったとかそういうのじゃなくて、まるで増えたような──) 
胸中の呟きにハっと視線を切り替えて、思い当たる場所を見た。 
すると果たして、彼女の予想は当たっていた。あるべきものが、そこになかった。 
千歳は頬を撫でる冷ややかな風を感じながら、根来の周到さに舌を巻いた。 
その瞬間、男に劇的な変化が訪れた。 
防戦一方では勝てぬと踏んだか、凄まじい叫び声を上げ、前に向かって駆け出した。 
全身の出血や右肘の深手を考えれば、一見理に叶っている。 
だが現状から逃れればすべてが好転すると考えるのは、浅ましい犯罪者の思考法でしかない。 
苦境を与える人間が、安易に逃げを許す筈がないのだ。 
むしろ逃げを予期して十重二十重の罠を仕掛けるのが常であり──…
男の背中で例の緑色の稲妻が巻き起こり、スーツとマフラーをまとった上半身がむくむくと出 
現した。 
顔の半分を、首まで届く前髪で覆い、それ以外の髪を流線形に逆立てた愛想のない風貌は 
根来以外の誰であろうか。 
亜空間より男の体へと、気づかぬうちに移動していたのだ。 
「背中は死角の代名詞! ましてそこより「生えた」者の攻撃は、身をよじろうと回避は不能!」 
叫ぶ根来は、逆手で最上段に構えたシークレットトレイルを一気に振り下ろした! 
だが! 
「クゥゥゥゥゥェエエエエ!! 
男は瞬時にナイフを背中へ回し、強引に切り返した! 
ただの偶然か怒りに身を焦がす男が生んだ超集中力のたまものか。 
根来の額近くを、ナイフの銀閃が猛然と通過する。 
皮膚こそ傷つけなかったが、かなりの量の髪が斬られ宙を舞う。 
「予想以上に粘る。だが次に仕留めればいいだけのコト────」 
根来は軽やかに背中から飛び上がり、男の前へ着地した。そして刀が静かに動いた。 
呼応するように男はひきつった苦鳴を上げて、右肘を押さえた。 
忍者刀が貫通したそこを無理に捻じ曲げ、根来を攻撃したのが祟っているらしい。 
そして男はしばらく震えると、なぜか、腰に向けて左手を軽く動かすのを千歳は見た。 
一体どういう意味を持つ行動なのか。 

それを見た千歳は、何か自分が大きな見落としをしているように思えた。 
千歳が知っていて根来が知らぬ事実を、男が利用しようとしている悪い予感も過ぎる。 
根来に加勢したくもあるが、ようやく立ち上がれる程度の千歳ではかえって足手まといにな 
るだろう。 
(考えるのよ。加勢できなくても考えるコトはできる筈。彼に助言ぐらいは──) 
対決の様子を見守る千歳の頭は、再び思考に占められた。 
「……行くぞ」 
根来が取ったのは刺突(つき)の構え。 
忍者刀の切っ先を男に向け、柄を握った右手を脇の後ろに引きつけている。 
そして左手を胸の前から回して、柄に添え、右足を軸に左足を大きく前に伸ばしている。 
忍者然とした所作だが、まとった着衣がごく普通のスーツである所が面白いといえば面白い。 
そして一陣の風が吹き、長いマフラーが首の後ろで、はためいた。 
一瞬、広場に冷たい空気が流れた。 
張り詰めた緊張の糸。永遠とも思えるにらみ合い。 
それを破ったのは怪鳥の叫び声だった。 
「クエエェエエ!」 
男はナイフを腰溜めに構えて突っ込んだ。 
痛んだ腕を攻撃の要とする暴挙にも似た行為、果たして執念がさせているのか。 
否。 
千歳の頭を走った電撃的な「気付き」が激しく告げた。叫ばせた。 
「戦士・根来! ナイフは恐らく囮! その男はまだ武器を隠し持って──…」 
千歳の叫びが森に響いたのと、男が予期せぬ行動に出たのはほぼ同時! 
まず男はナイフを根来の右肩に投げつけ、電光石火の勢いで左手を腰に伸ばすやいなや 
垂れるスーツの下からバールを抜き取った。 
むろん、先ほど千歳から奪い取ったものである。先の動きはこの予行。 
対する根来の身は、あまりに隙がありすぎた。 
ナイフを刺突の構えから無理やり大きく弾き上げ、腕が伸びきる頃には既に、男が目前まで 
肉迫していたのだ。 
ダメ押しとばかりに男は地を蹴り、無防備なる根来の懐に飛び込んだ。 
ナイフを投げたせいで、肘を痛みが支配しているが、男にとってそれは些細なコトだった。 
巣の中心に戻れるならば安いコト。まして相手はただの人。 
かつて見た魔人に比ぶれば、人間も右腕の痛みも恐るるにまるで足らない障害だ。 

だからこそ排す!  
執念が溢れに溢れ、目は鳥というより、化けダコのように爛々と光っている。 
しかし根来は、顔色一つ変えずに呟いた。 
「正気を失いながらも囮を使うとは大した物だ。だが囮に関しては私の方が一枚上手。順序 
は入れ替わったが支障はない。でなくば刺突でナイフを弾くまい──…」 
一体何の話を彼はしているのか。 
「クエエエエエエエ!!」 
男は構わず、聞く耳持たず。 
ただ満身の力を込めて、横殴りの一撃を叩き込む!! 
だが! その足元より更なる伏兵が男を狙い撃った! 
千歳の仕業ではない。だがあながち千歳と無関係でもないその伏兵は! 
地面に波紋を広げると、既に初速より最高速で飛閃し、そして! 
男の右わき腹から肺のすぐ下にかけて一気に貫いた! 
「ク…エ?」 
不意の激痛に男の肉体が反射的に強張り、攻撃の速度と威力が奪われる。 
種々の内臓を貫かれたが故の物悲しき生理反応を、執念が超えられなかった。 
「私は行くといったが、正面からとは一切予告していない」 
冷ややかに告げる根来の鼻先を、バールが軽く仰いだ。 
男は、一歩、二歩と後ずさると、右胸を見た。 
現実味のない光景だった。 
血の網をまとった薄緑の刀身が天を高々と仰いでいる。 
「シークレットトレイル 嵌殺の型。重・竹箆仕置き(かんさつのかた かさね・しっぺいしおき)」 
冷然と呟く声に、男は現実に引き戻された。 
「由来は古き大竹箆仕置法(※)。とくと、味わえ」 
目の前にいるのは、横に向けた忍者刀を、今まさに振りかぶらんとしている根来。 
男は再度バールを構えようとしたが、遅かった。 
あわれ忍者刀は、既に刺さったそれと重なるがごとく。 
男の腹に深々とめりこみ、体内を貫く忍者刀をぐちゃりと動かし、再び激痛をもたらした。 
男はそのまま力なく、片膝をついた。 
「だが一応峰打ちに留めてある。傷から鑑みるに貴様はホムンクルスでないからな……」 
「クエエエェ……?」 

男はわき腹から生える刀身と、根来の手にしているシークレットトレイルを交互に見比べて、 
訳が分からないという顔をした。 
その二つの形状はまるで同じ。一振りだと思っていた忍者刀が二振りもある。 
むろん、シークレットトレイルはもとより一振りの武装錬金である。 
どこぞの御頭の愛刀のごとく、一つの鞘に二つ納まっているような代物ではない。 
ではなぜ、この場において二振りも存在しているのか。 
「使わせて貰ったぞ。貴殿の核鉄」 
千歳は根来に呼びかけられると、軽く頷いた。 
例の「真・鶉隠れ」の時より承知のコトだ。 
あの時、千歳が見たのは広場中央だった。 
そしてそこに弾き飛ばされた千歳の核鉄は既になかった。 
だから確証を得た。 
真・鶉隠れで飛び交う刀の数が増えたように見えたのは錯覚ではなく、千歳の核鉄を根来が 
発動し、もう一振りのシークレットトレイルを紛らせていたせいだと。 
そして根来は男の背中から出現した際に、片方だけを手にして、もう片方を地中に潜めてい 
たのだろう。 
背中からの一撃の際に使わなかったのは、ごく単純な理由だ。 
男の体内に根来が潜んでいる時に、刀を投げては自滅する。 
よって、背中から仕留め損ねた場合の保険として潜ませておいたのだろう。 
根来の台詞から考えると、地中からの一撃を囮に決定打を入れる手筈だったのだが、それ 
が入れ替わったのは、男の予想外の攻撃のせいだったのだろう。 
ひょっとすると、千歳の叫びに応じて順序を入れ替えたのかも知れないが、根来はそういう 
話題を口に上らせないから、分からない。 
ともかく根来はわざと隙を作り、それを囮にしたのだ。 
攻撃の意思が根来に向ききり、確実に地中から狙い撃てるその一瞬を作るべく。 
男だが、腹に刺さったシークレットトレイルは既に解除され、今は地面で仰向けに寝転がっ 
ている。出血は酷いが、命に別状はないというのが根来の見立てだ。 
だから彼は、懐から取り出した髪の縄で男を縛り上げた。 
シークレットトレイルで作った亜空間に潜り込んでいた所を見ると、根来の髪でできているの 
だろう。何とも忍者チックなアイテムを持っているものである。 


【解説】もとべ 

(※)大竹箆仕置法… 
忍者が居住地への侵入者を撃退する為に用いたトラップ。 
「箆」とは一般に「ヘラ」と読み、大竹箆とはそのまま、「巨大な竹ヘラ」を指す。 
また竹箆については鎌倉時代、禅宗と共に日本に伝来した同名の道具がある。 
こちらは座禅に用いる細長い漆塗りの板であり、大寺院においては僧が交代でこれを打つ 
役目を務めた。 
僧達はこれを竹箆返しと呼び、やがて人々に広まるうちに『やられた事をすぐさまやり返す』 
という意味を持つようになり、いつしか「しっぺ返し」に形を変えたと言う。 
また、人差し指と中指を揃えて腕を叩くのを「しっぺ」というが、これは揃えた指先を「竹箆」に 
見立てているのは言うまでもない。 

民明書房刊 「竹箆 〜その脅威のメカニズム〜」より。 



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