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第15話 【昼】ランチタイム



捜査二日目。 
午前中はさしたる展開もなく、千歳と根来はごく普通に仕事をした。 
千歳は伝票をコピーした。コピー機に紙を補充した。あと電話にも出た。 
根来はずっと黙々とパソコンにデータ(数字)を入れていた。 
パソコンはノート型だ。しかしこれはデータ入力に不向きといえる。 
理由については皆さまお手元のキーボードをご覧あれ。 
デスクトップ型というか、PCからキーボードが独立してるのなら、右の方に数字だけが集まっ 
たキーがあるだろう。これをテンキーという。 
そしてノート型にはテンキーがない。 
だから数字の入力は、キーボード上部の平仮名が刻まれたキーを使う。 
しかしである。「ぬ」、「ふ」、ときて「あ」があるのは歯がゆくはないか? 
並びは「ぬ、ふ、う」であるべきなのだ。されば双子(桜花と秋水ではない)も同時に達しよう。 
無駄話はともかく、キーボード上部の数字を打っていくのは非常に骨が折れる。 
なぜなら、これらの数字は横並びになっているから、全てを打つには両手を使わなくてはな 
らない。 
キーボードを見ずにデータを入力するコトを「タッチタイピング」というが、これは左手人差し 
指を「F」に、右手人差し指を「J」に固定し、必要に応じて様々なキーに指を動かしていく。 
その場合、かなり上の方にあるキーに何度も何度も両手を動かすのは疲れる。 
しかし、テンキーがあれば右手だけで数字を入れられるし、何より、電卓に慣れていれば 
かなり早く入力ができる。 
長々と書いたこれが根来とどう関係あるかというと、彼は朝礼が終わるなり、副部長に 
「外付けのテンキーはないか」 
と聞いた。 
果たして、あった。 
あとはもう迅速である。 
タタタ、タタタ、タタタタタ! 
軽やかなるタッチタイピングの音が根来の手元より走る走る! 
みな感嘆した。千歳も感嘆した。 
他のものなら3時間かかる分厚い伝票の束を、根来は1時間も掛からぬうちに始末した。 
なんという奇妙なる特技であろう。 
彼は一体どこでそういうのを習得したのか。千歳が根来に抱く疑問がまた増えた。 

そしてお昼になった。 

「なんだこれは」 
根来は机の上の物を見ながら不機嫌そうに呟いた。 
そこにあるのは、藍色の包みを解かれた小さな長方形の箱。 
色は銀で、それが二段重ねになっている。 
根来の向かいに座っている千歳は、ノートやメモ帳をてきぱきと机に乗せている。 
打ち合わせに使うらしい。 
最後に、横の椅子に置かれたバッグから藍色の包みを取り出してから、思い出したように、 
根来の疑問に答えた。 
「お弁当」 
「結構だ」 
スっと折り目よく根来は突き返した。 
「粗衣粗食は体に毒よ」 
心配そうな顔で千歳は囁くが、しかし根来が聞きいれるとは、実は思っていない。 
思っているのだが、豆腐とご飯だけしか食べないのは体に悪いし、第一、根来は尾行という 
神経を使う役目を負っているのだから、しっかり食べないと体がもたないのもまた事実。 
という思惑を千歳は、なるべく根来が受けいれやすいよう論理的に、かつ粛々と説いたが 
「それは貴殿の主観だ。私においては差し支えない。そもそも任務遂行の過程では、貴殿の 
いう毒のある環境こそが常なのだ。馴染まねば思わぬ所で隙が生じ、不覚を取る」 
よって千歳の手弁当は食う必要はない。 
という根来流の返答で論破された。 
これはもう、強がりとか意地とかではなく、根来の中ではただ「当たり前」のコトなのだろう。 
水は高いところから低いところに流れる。氷は火であぶれば溶ける。 
そういう原則的な現象を見るように根来は、自身が粗衣粗食でも支障がないと断定している。 
きっと数多の経験があるに違いない。もっとも彼は空腹ですら、リトマス試験紙が青やら赤に 
染まるのを見るような感じで認識していたに違いない。 
そういう部分は戦士としてなら好ましいが、しかし一人の人間とみなせばどうか。 
根来は恐ろしく乾いた無表情だが、注意してみると少年の面影がまだうっすら残っている。 
まだ彼は20歳。厳粛に自戒をすべき歳でもないのだ。 
千歳の感情としてはお弁当を、そう、照星や火渡や防人にしか作ったコトない、割合でいけば 
防人に一番よく作っているお弁当を食べてもらって、栄養を取ってもらいたい。 

が、千歳のややこしいところはその思考力だ。 
「粗衣粗食に馴染まねば、不覚を取る」といわれたら「ああ、そうかも知れない」とどこかでは 
納得してしまっている。 
けれど、それは千歳の頭の一部分、いうなら戦士としての性分がさせているコトであって、 
女性的な部分ではやはり弁当を食べて欲しい。 
とはいえ、千歳はその感情を強引に押し通せる性格でもない。 
そしてブッちゃけてしまえば、弁当を食べる食べないの押し問答をする位なら、事件について 
打ち合わせをする方が有益だ。 
てな訳で、千歳は弁当を鞄にしまい、昨日聞いた社員の簡単なプロフィールや工場の間取り 
などを根来に説明した。 
「……大体は分かった」 
「ところで、昨日あなたがいっていたホムンクルスだけど、今説明した人の中には」 
「一応はいる」 
事もなげに根来はいうが、それはかなり恐ろしげなコトでもある。 
午前中仕事していた時にも、背後に立っていたりしたかも知れない。 
ゆえに千歳たちの正体は絶対に知られてはならない。 
下手に追い詰めれば、この会社で暴走し、多くの罪なき人が巻き添えになる。 
では、いざ斃(たお)す時はどうすればいいのかというと、やはり根来に頼るほかないだろう。 
シークレットトレイルならば、あっさりとできる。 
亜空間の中から刀を飛ばし、章印(ホムンクルスの弱点。頭もしくは胸にあるマーク)を一撃! 
それで片がつく。 
「だが今はまだ斃さぬ」 
「そうね。本当に麻生部長を殺したかどうか突き止めないと、誰も納得できないから」 
千歳は深く長く息を吐きながら、根来に応じた。 
ただ斃すだけならば、戦団の請け負った「調査」という仕事は果たされないし、工場も訳の 
分からぬまま貴重な労働力を奪われて、立場上迷惑する。 
それに、殺された麻生部長の遺族とて、ただ「ホムンクルスという化物が、多分麻生さんを 
殺しました。でも敵は討ちました」という説明を受けるだけでは、感情に何ら決着をつけれ 
ないだろう。 
ホムンクルスに突如家族を奪われるという理不尽におかれた人がいるのなら、せめてその 
理由と詳細だけは説明したい──…というのは千歳の個人的な感傷だが、しかしすべきコト 
に背いてはいないだろう。 

「……本音をいうと、ホムンクルスを斃した後でじっくりと調査した方が安全でしょうけど」 
「だが自白は取れぬ」 
頷く千歳に、根来はいつもの調子で長々と喋る。 
「できれば録音するのが望ましい。聞けばいかなる連中も納得する。だが、喉元に刃先を当 
てて導いたモノでは良くない。……例えば」 
「物証を提示した上で引き出す?」 
「そうだ。しかし奴がそれに付き合うかどうかも疑わしい。いっそ、安全を考えるのならば」 
根来は相変わらず三白眼で、ため息をつき、 
「拘束すれば良かろう。円山のバブルケイジなら最適だ」 
と、彼の同僚の「一発命中するごとに、身長を15cm吹き飛ばす」武装錬金の名を上げた。 
「何発か攻撃を加えれば、あのホムンクルスは無力化する。あとは鳥カゴにでも入れてゆっ 
くりと尋問して、貴殿がその間に証拠を集めていけば確実だろう。考えてもみろ。工場にホ 
ムンクルスがいる状況で、私たちが悠長に謎解きや推理をする必要など、どこにある」 
千歳は目を丸くした。 
この男は何というコトをいっているのか。 
もし千歳が肯定してしまえば、さまざまなものが放棄されてしまうではないか。 
が、これほど筋の通った安全かつ確実な方法は多分ない。 
やろうと思えば、千歳の武装錬金で戦団の日本支部まで移動し円山を連れてきて、根来と 
もどもホムンクルスを待ち伏せてしまえば、必ずできる。 
そうだ。錬金の戦士がいちいち推理とか謎解きとかする必要は本来ないのだ! 
「もっとも、これは私と貴殿に下された任務だ。円山の助力を仰ぐのは好ましくない。ホムン 
クルスの動きは気になるが、私が監視している以上、余計な動きは取らせん。つまる所は 
その間に貴殿が証拠を集めていく他なかろう」 
鋭い光を目に宿しながら、根来は淡々と呟く。 
「そういうコトね」 
と答えつつ、千歳はちょっと意外な思いをしていた。 
根来は筋とか合理とかいうものを貫くために、もっとなりふり構わない男かと思っていた。 
それこそ今の方策を照星にねじ込んで、円山をこの任務に組み込むような。 
が、しない。あくまで根来と千歳二人のみで片付けようとしている。 
ある種の、請け負った仕事に対する美意識があるように見受けられるが、もう少し組織とい 
う物に頼ってもいいのではないかとも、千歳は思う。 

ただし、この任務においては千歳自身も大きな助力を戦団には求めない。 
なぜなら今の戦団は、ヴィクター討伐のあおりで慢性的な人手不足なのだ。 
千歳と、根来。ただ二人でこの任務を遂行せねば、他の戦士に負担がかかる。 
一人の戦士がこちらにくればその戦士のいた場所に穴が開き、そのせいで助かるはずだった 
命が助からなくなる……想像力のある千歳にはありありと予想できる事柄だ。 
だから千歳は持てる機略の限りを尽くして、この任務に挑まねばならない。 
そう、あらゆる事象の法則をしかと理解し、かつ、戦局において有利になれるよう。 
千歳は機略を尽くさねばならないし、既に一つは実行している。 
「ところで、あなたは私の武装錬金について大戦士長から──」 
「ああ。聞いている。名はヘルメスドライブ。特性は、対象の走査と瞬間移動。だがここに来る 
のに使用しなかったというコトは、大方、貴殿の知らぬ人間や場所には効果がないのだろう」 
「ええまあ。で、私の武装錬金についてなんだけど、実はあなたの……」 
千歳の胸元から、けたたましい電子音が鳴ったのはその時だ。 



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