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第16話 【着】ちゃくうた



中天高く上りつめた太陽が、オフィス街を容赦なく照りつけている。 
時節は夏の、それも昼。 
山吹色のとげとげしい光の帯は、昼食もしくは営業先へ向かうサラリーマンたちの神……じ 
ゃなかった、髪に火のような熱をこもらせ、じわりじわりと蝕む。 
ある者は脱いだ上着を抱えつつ、またある者は手際よく用意したうちわで顔を気だるそうに 
仰ぎつつ、それぞれの目的地へと足を進めている。 
そんな光景が展開されるオフィス街の一角に建っているのが、皆神警察署だ。 
両隣は意図した訳でもなくただ偶然に駐車場と空き地になっているが、「実はどこの会社も 
警察の隣を避けたんだぜ」とかいわれたら納得してしまいそうな、国家権力特有のいかめし 
さが存分に漂っている。 
その正面玄関に備えつけられたガラス張りの自動ドアが、静かに開いた。 
身が縮こまりそうな冷気が外界へと吐き出され、ついで白く伸びやかな足が通り過ぎた。 
「……少しは進展したかもね」 
千歳は一人ごちると、門番の警官に軽く会釈をして歩みを進め、歩道に至ると辺りを見回した。 
前述のように、皆神警察署の隣は空き地と駐車場。 
そう広くない駐車場には何台か車が停まっているが、人気はほとんどない。 
時間が時間だけに、車の持ち主は昼食にでもいっているのだろう。 
千歳はそう判断し、駐車場に向かい車の影に身を隠すと、携帯電話を開いた。 
ダイヤル先は、根来だ。 
しかし彼は中々出ない。 
待つ間にも、焼かれたアスファルトから熱が立ち上り、屈む千歳の膝小僧をじわりと焼いた。 
のみならず、車のボディに反射する日光が、いやが応にも千歳の顔に降り注ぐ。 
どちらかといえば色白の千歳だが、日焼けの心配はしていない。 
なぜなら徹底的に吟味した日焼け止めクリームをしっかり塗っているからだ。 
しかるべき処置さえ施せば大抵の厄介ごとは回避できるのを、聡明なる千歳は理解している。 
やがて根来が出た。 
「首尾はどうだった。昼食途中に呼び出すのだから相応のコトはあろう」 
先ほど、食堂での会話の際に鳴った電話は皆神警察署からの物だった。 
予定ではこの日の夕方に、昨日依頼したコトが判明するはずだったが、予定が少し早まり 
昼食時の呼び出しになったという訳だ。 

千歳は更衣室に移動すると、ヘルメスドライブにて瞬間移動した。 
根来はホムンクルス監視の為に工場へ残り、今に至る。時間としては大体15分ほどだ。 
「まずまずよ。確かに髪の毛がなくなっていたわ」 
「そうか」 
抑揚なく根来は相槌を打った。 
「昨日あなたがいった通りね。警察は事件の後、侵入者の痕跡がないか事務所や廊下を隅々 
まで調べて、落ちている髪もすべて押収したけれど」 
「ホムンクルスの物は当然、無いだろう。奴らの場合、切り落とされた腕も足も、いずれは消 
滅する。個体差もあるが、6時間も経てば大抵は。故に」 
「ええ。押収した髪の毛から部外者の物を洗い出すために、警察は社員全員の髪の毛を採取 
したけれど、その中に消えている物が確かにあったわ。念のために聞いてみたけれど、その 
人の髪を採り忘れた可能性は絶対にないって。だからその人がホムンクルスと見て、間違い 
ないわ」 
千歳はすぅっと息をつき、その者の名を口にした。 
「名前は、久世屋 秀。昨日私たちに仕事を教えた人。あなたの見立ても」 
「ああ。相違ない」 
「……ようやく気づいたけど、あの時彼がああいうコトをいったから気づいたのね」 
流石に狼狽こそしてないものの、声音は切なげに震えた。 
少し会話を交わした程度の間柄だが、久世屋はとかく優秀に見える男だった。 
印象が人の全てでないとは分かっているが、理詰めで物を考えるからこそ、納得できない部 
分もある。 
一般にホムンクルスは、人間型と動植物型に区分される。 
入り組んだ話になるので割愛するが、人間型なら元の人間の性格を保持できるので、人喰 
いという要素を抜きにすればさほど変わらぬ生活を送れる。 
動植物型ならば、元になった生物の性質次第だ。 
粘着質なカエルもいれば、忠義に厚いオオワシもいる。愛に生きるバラもいる。 
千歳が防人から聞いた話では、銀成学園高校では、英語教師を何食わぬ顔で務めたヘビ 
型ホムンクルスもいたらしい。 
久世屋が人間型か動植物型か不明だが、仕事をそつなくこなせる「優秀」な男が、何故より 
にもよって、職場の人間を、職場で襲ったのか。 
隠蔽する方法など、いくらでもあったはずだ。 
どうにもこの疑問、工場に来たときからまるで氷解していない。 

殺す場所が職場から離れれば離れるほど、久世屋に対する疑いも薄まっていくはずなのに 
彼はそうしなかった。どうにも理解しがたい。 
「あまり余計なコトは考えるな。貴殿は頭を回しすぎる」 
「ええ。分かってるわ」 
たしなめる根来に答えてみたものの、胸につかえたもやもやはどうも消えない。 
「ちなみに彼にはアリバイがあるわ。供述では事件当夜は銀成市に行っていたって。 
目撃証言もあるわ。もっとも、事件の起こった時間より少し前だけど、その時間から工場に 
行こうとしたら、どうしても無理らしいの。調べてみたけど、電車を乗り継いでも間に合わな 
いし、バスも出ていない。タクシーにそれらしい人間も乗っていないし、徒歩や自転車なら 
不可能。だから彼は捜査対象から外れているわ」 
「そうか」 
「とりあえず、私はしばらく工場を休むわ。彼のアリバイが崩せるかどうか調べる為に。あと 
もう一つ。昨日私たちが回収したナイフには、麻生部長の血と」 
千歳は一拍置いて、根来が好むよう単刀直入に切り出した。 
「なぜか、血の凝固を妨げる酵素がついていたの。昨日あなたがいった、『肉食動物の唾液 
のような臭い』はこれが原因かもしれないわね。ただ、これがホムンクルスのモノかまでは」 
「そのあたりは考えあぐねても仕方あるまい」 
根来はまるで謎解きをする気がないらしい。 
「要は、久世屋が犯人か否か突き止めて斃せば万事丸く収まるのだ。気がかりならば、自 
白を引き出した後、拷問にでもかけて聞き出せば済むコト」 
尾行をしてるのも 
久世屋が人を襲った所を捕らえる → 戦団へ連行 → あとは千歳に謎解きを任せる。 
というコンボを成立させるためだ。絶対。 
「まず久世屋から潰せばいいのだ。犯人ならばこの事件は解決する。犯人でなくても障害は 
消える。確実に一手一手を進めていけばいいのだ」 
根来はとうとうと続ける。 
「嵐の孤島で連続殺人事件に巻き込まれた非力な学生のように、抜き差しならぬ事情がある 
ならいざ知らず、私たちが難解な物証にいちいち頭を悩まして、突飛で危うい発想を弾き出 
し、回りくどい方法で犯人を追い詰める必要など一切ない」 
ないが、しかし。 
自白は取らなきゃいけないのが根来たちの辛いところだ。 
それが彼らの請け負った任務というか、「仕事」の条件だから。 
関係各位が納得するよう、色々と頭を下げたり無理をしたり、冒険王ビィトが見たいのに9時 
近くまで残業したり温泉行きたいのに9時近くまで残業しなきゃならないのが、仕事なのだ。 
それは根来も理解しているらしい。 
千歳はそろそろ携帯電話を当ててる方の耳がちょっと汗ばんできたので、もう片方の耳へ 
携帯電話を映した。汗で濡れそぼった髪の毛から、ペパーミントの涼しげな匂いが立ち上る。 
朝、髪についた寝汗を落とすべくシャワーを浴びたときの残り香だ。 
スカっと爽やかな香りの中で、千歳は内心、根来の発言を全肯定していた。 
確実に犠牲を防げる考えなら、無条件で彼女は賛成だ。 
でも仕事だから、アリバイ崩しはしなきゃならない。 
証拠になりそうな物も調べなければならない。 
ああこの二人、ホームズとワトソンはいうより火付盗賊改め方とか新撰組の観察方みたいで 
はなかろうか。 
「とにかく、余力があれば酵素の方も調べておくわ。どういう生物が出す物か分かれば、戦闘 
の予備知識ぐらいにはなるはず。手の内を知るのも確実な一手でしょ?」 
「そうだな。では切るぞ」 
低い声音が少し笑ったように思えた瞬間、 
「! 待って。話はまだ──」 
通話は無常にも途切れた。 
かけなおそうとした千歳だが、ツと動きを止めた。 
脳裏に、警察から電話が掛かってきた時の光景がフラッシュバックしたのだ。 
伝えようとした重要なコトを遮り、胸から響く電子音。 
それは携帯電話にあらかじめ設定されている着信音だ。 
飾り気のない千歳(でも日焼け止めクリームは塗るし、汗をかいたらシャワーも浴びる)は、 
ずっとそれで通している。 
根来も、飾り気がないという点では千歳と同じだろう。 
だが彼は電子音が響いたときに。 
(そういえばまったく無反応だった。耳がいいから音の位置が分かっていたかも知れない。でも) 
位置を確かめるためにしても、一瞬ぐらいは微妙な変化が浮かぶはずだ。 
しかし根来はまったく無反応だった。まるで、自分の携帯から電子音が鳴らないコトを確信 
していたように。 
となると。案外彼は「着メロ」なる物を設定しているのではないか? 

千歳は車の影からにょろりと首を出して、あたりを手早く見回してみた。 
幸い誰もいない。 
(どうせ電話するんだから、ついでに──…) 
彼女はまたしゃがみこむと、ポケットから核鉄を取り出し、童女のような清らかで小さな声で「武 
装錬金」と呟いた。 
すると一抱えもある巨大な六角形の装置が現われた。 
レーダーの武装錬金、ヘルメスドライブである。 
構成は至ってシンプル。 
裏側に掌を通すバンドがついた六角形の筺体と、その中心にある六角形の画面のみ。 
画面では無数の線が交錯し、正三角形が綺麗に敷き詰められている。 
千歳はバンドに手を通し、画面にペンを当てた。こちらも武装の一部である。 
そしてこのヘルメスドライブの特性は前述の通り、瞬間移動と対象への走査。 
走査、という言葉は「画面に映し出す」という意味がある。 
ややあって走査された根来は、画面の中で昨日と同じく豆腐を食べていた。 
千歳が警察署で話を聞いた時間と根来との会話を合わせてもせいぜい20分ぐらいで、そ 
れまで彼女は根来の昼食を妨げていたから、今もまだ彼が食事をしていてもあまり不思議 
ではない。 
何せ彼には、豆腐を解体する奇妙な癖がある。食事に時間がかかるのもむべなるかな。 
千歳は待った。根来が豆腐をご飯にかけて、咀嚼に全神経を集中するその時を! 
その好機は当然のごとく訪れた。見計らって、迷いなく千歳は根来に電話を掛けた。 
すべては知りたいコトを知るために。 

瞬間! 画面から笛の音が発せられた! 

ピィー ヒョロォ〜 ヒョ〜ロ〜ロ〜ロォォ ピョロリ〜♪ 

根来に反応のしようはなかった。なぜならばご飯をモサモサと咀嚼するのに忙しかったから! 
笛の音は、ほんの一吹きか二吹き高鳴ると、やがてリズミカルな電子音にかき消された。 
ああ電子音! 平和と愛を求むる美しき若人たちの命運をかき乱し、やがて彼らを悲劇の 
川においやるかのごとく、まあいいや面倒くさいし1番が終わった! 

♪デーンデッデッデッデッデデデ- デーンデッデッデッデッデデデ- ピョロリピョロピョロロォ〜リ デデデ! ピキーン!

とか                                              殲!!
♪もぉ あーらがえない ともにっ たどるっ ちーぬりのみぃーちぃわぁートッペンテッテッ テテテ!
とか鳴った。 
千歳は納得した。何の曲かは分からないけど、声からして多分、歌謡曲だ。 
根来はアニメソングを聴くような、幼稚な男ではないという先入観があるし、意外にしゃれっ気 
のある所が少し微笑ましく思えた。 
でも笑いはしない。笑いは千歳から消えてしまった大事な物の一つだからだ。 
果たしてそれが戻る日はあるのだろうか? 
根来はただ着うたを黙殺し、ペースを崩さず、例のまずそうな顔で顎を動かしている。 
ハムスターもしくはベムスターのように頬を膨らませ、ただモッサモッサと咀嚼を繰り返す。 
いつもの三白眼のままだからすごく不気味だ。 
いつの間にか食堂に入ってきた労働者や社員も根来に怯えている。 
やがて。 

あーなーたとー たぁぁうゆうう……たう! ぁくりよぉまでぇぇぇえぇえぇ…──ッ!! 

という嬌声にも似た歌が飛び出す段に至ってようやく彼は、咀嚼物を飲み干し、動いた。 
                           ↓           
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↓                
は携帯を開き、誰からかかってきたかを知ると、不機嫌そうな顔をした。 
口元にご飯粒つけつつ──とは気づいていない。 
「何の用だ」 
「一つ聞きたいのだけど、どうしてあなたはデータ入力が得意なの?」 
千歳はあくまで冷静だ。着メロを聞きたいが故に隙をついたとはいわない。 
誤魔化しついでに疑問を解消しようとしているあたり、やや腹黒の様相を呈している。 
「……始計術」 
普段無愛想な声が、もっと無愛想だ。 
千歳は内心謝った。でも、まだ用件があるのに一方的に電話を切った根来も悪い。 
それに着メロを教えてといって教える男でもないからさっきのは仕方ない。会話は続く。 
「始計術?」 
「髪型や服装などを、潜入先の環境に合うようあつらえる術の一つだ。無論、技能とて例外 
ではなく、私がパソコンに習熟しているのも」 
「……こういう任務に備えてのコトなのね。ところで、お昼ご飯はもう食べた?」 
「当然のコトだ。そして昼食は食べている。貴殿曰く、阻止粗食は毒なのだろう。ならば喰わ 
ぬコトは猛毒だ」 
若干攻撃的な根来の態度だが、千歳はさして怒りもしない。 
ただ、自身の過ちに気づいた。 
根来が食事中と知っていながら電話を掛けている。 
千歳は一瞬考えた。この電話における『本題』を切り出すべきかどうか。 
それはヘルメスドライブの特性の一つを、シークレットトレイルにも適用できるようにして、 
有事の時に千歳や根来を有利にできる提案で、昨晩からずっといおうとしているコトだが──… 
すれば長引く。根来も怒る。ゆえに千歳は引っ込めて、代わりに礼を述べた。 
「さっきは私をたしなめてくれてありがとう。あまり余計なコトは考えないようにするわ」 
電話口からかすかな動揺の気配がしたのは気のせいかも知れない。 
「事実を告げたまでだ」 
やっぱり根来の声は不機嫌で、電話も切られた。 
そして千歳はヘルメスドライブの画面越しに、根来のご飯粒に気づいた。 
が、指摘すると見ていたのがバレるので、忸怩たる思いで我慢した。 
我慢しつつ、根来にどうすれば弁当を食べさせられるかも考え始めた。 
ちなみにナイスなアイディアを思いついたのは、その日の夕刻だ。 



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