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第19話 【鞭】むち



「市民の皆さん。全市民の皆さん。知っていますか? ホットケーキは、1632年、イギリスの 
小さな農家で初めて焼かれたのです。母親のいないその家庭で、父親は子供の為に愛情を 
込めてホットケーキを焼きました。皆さん。全市民の皆さん。私に皆さんの為のホットケーキを 
焼かせてください。私は皆さん一人一人のために、尽くしたい!愛情を込めて、尽くしたい。私 
に皆さんの為のホットケーキを焼かせてください! 私は皆さん一人一人の為に、尽くしたい!」 

何かの候補者らしき人間が、霧の中で声を張り上げる。 
スピーカーやマイクが作動しなくなり、地声で演説するはめになっている。 

そこからかなり離れたバス亭のベンチで。 
金髪の男が軽く頷き、認識票を一撫ですると……霧がすぅっと引いていった。 
10分後、バスに乗る金髪の男の姿があった。 
「やはり冷房は涼しい。霧で日光を遮るのとは大違いだ。さてと。緒方カンパニーを目指すか」 

夕刻。 
海豚海岸と皆神市の中間に位置する駅に千歳はいた。 
正確には、その駅の誰もいない待合室に。 
彼女は、久世家のアリバイについて一通り調査を終えているが、どうしても分からぬ部分が 
あり、頭を悩ましている。 
とりまとめた目撃証言と、麻生部長殺害の時刻を付き合わせると、時間的には不可能という 
結論しか出ない。 
とりあえずアリバイは、電車を用いたっぽいものだ。 
電車といえば西村京太郎なので、最寄の本屋で買って読んで研究してみたがさっぱり分か 
らない。時刻だけが並んでいる文章を見ると眠くなる。 
というのは筆者の場合における話なので、千歳とは関係ない。 
やはりここは高名なる海外ミステリを入手し、それをパク……いや参考にしていかねばならな 
いのだろうか。筆者、現在価値の割引なら分かるが、時刻表トリックへの素養はゼロなのだ。 
余談がすぎた。 
千歳はおなかが空いたので、根来にやる予定だった弁当をそそくさと食べて、今後の方針を 
考えてみた。とにかく、出来うるコトはやらねばならない。 
聡明なる瞳が、静かな光に満たされた。 
何か思いついたという感じが見て取れる。 
「ダメージのせいで昨日の夜は無理だったけど、今なら」 
いかにもな説明セリフと共に、ヘルメスドライブを発現すると、心地よい電子音が鳴り、画面に 
文字が浮かんだ。 
内容は、『場所』と『人名』、どちらを選択するかの質問だ。 
レーダーとして使われるヘルメスドライブだが、対象を検出するプロセスは、平易な喩 
えをすると、銀行などにあるATMにやや近い。 
千歳はタッチペンを手に取り、『人名』の方を軽やかになぞった。 
すると検索の方法(50音別か最後に会った時間、性別などなど)や、それに応じた項目が色々 
と出てきたが、千歳は迷うことなく目的に向かってタッチペンを動かしていく。 
最後に目的の人物名をなぞると、鈴が落ちるような音がした。 
ヘルメスドライブが待機モードに移った合図だ。 
なお、以上のややこしい手順は、対象が遠方にいる時のみである。 
千歳自身が視認できる場所や人物ならば、集中一つで索敵と移動ができる。 
ややあって、対象が映し出された。 
その人物はいつもの居住地で、別の人物を会話をしているようだ。 
「もう退院していたのね。でも、どうしてココに?」 
千歳は不思議そうに呟いた。 
対象と話をしている人物は、ひどく端正な顔立ちだ。 
にもかかわらず、その前歴は特異で、かつ波乱と闇に満ちている。 
戦団に入るのがもう少し早ければ、再殺部隊へ編入されていただろうと思わせるほどだ。 
千歳が見覚えがあったのは、以上2点によるところが大きいが、しかし「どうしてココに」とい 
う疑問への回答にはなりえない。 

千歳は性格上、覗きは好まない。 
ので一旦、ヘルメスドライブを解除。 
しばらく待ってから再起動し、対象と顔見知りの会話が終わっているのを確認すると、瞬間 
移動を実行した。 
なお、この際気をつけねばならないのは、用が済んだらちゃんと今の駅に戻らなくてはならな 
いというコトだ。切符の料金が無駄になるし、下手すればキセルにもなる。 

ステンドグラスから夕日をうっすらと浴びながら、一人の少女が気だるそうに呟いた。 
「今日は先客万来ね。望んでいないっていうのに」 
「ごめんなさい。本当なら私たちが頼れる筋合いはないけど──…」 
千歳は要件を切り出した。 
少女はしばらく黙った後、不機嫌そうに回答を出した。 
「やればいいんでしょ」 
「ありがとう」 
「勘違いしないでちょうだい。ママがあなたを操ったコトを気にしていたからよ。私は貸し借り 
を消したいだけ」 
少女は千歳から何かを受け取ると、さっさと踵を返した。 
「気にしないで。あの時のコトは私の油断が原因だから」 
大きな瞳にゾッとする寒気を漂わせ、少女は押し黙った。 
もし、彼女が千歳より年上だといっても誰が信じるだろうか。 
華奢な体つきも幼い顔立ちも、着ているセーラー服とは年相応。 
そう、誰 か さ ん とは違って、ちゃんと年相応。 
だが彼女は別段、喜んでいない。 
むしろそうなった理由と、諸々の事情で『錬金の戦士』なる人種をことごとく嫌悪している。 
千歳の「気にしないで」という言も、きっとひどく気に障ったに違いない。 
ただしそれでも要件を放り出さないのは何故なのか? 
この時、生じていた葛藤は彼女しか知るべくもない──… 

少女は、首だけ千歳に振り向かせ、別の話題を切り出した。 
「あなたの能力は一応、ママから聞いているわよ。だから」 
千歳は、提示された条件を了承した。 
(きっと、私に対して貸しも借りも残したくないのね。だからこういうコトを) 
「これを明日の昼頃にするのよ。いいわね。あなたが頼んだモノはそれから渡すわよ」 
頼むというよりは命令口調で一方的にいってのけると、少女は地下へと姿を消した。 

地下深くでガラス張りの水槽がぷくぷく泡を立てている。もはやいない主を寂しがるように。 

「もうどこに居ても同じよ。だから気晴らしに行くだけ──…」 
セーラー服の上にメタルブラックのマントを羽織った少女は、一人で呟いた。 

夕闇迫る工場の近くで、雛咲という事務員が所在無げにボソボソ呟いていた。 
瞳がおかしい。中心から幾重にも、円が重なっている。 
グルグル回るグルグル回る。グルグル回るグルグル回る。 
「右に回ったのは久世家さんです。ちょっと童顔で残業をあまりしない人です。今日は私の 
伝票処理の業務を引き継ぎました。部長が死んで、いろいろ仕事の分担が変わったので。 
あとは、他の郵便物とかも管理するようですね」 
「なるほど。会社ってのは大変だな。分かるぞ本当によく分かる。俺も一応リーダーだからな。 
組織に属するってのは大変だ。で、左に回ったのは誰か聞かせてくれるかな?」 
雛咲の前に立っているのは、先ほど駅前にいた金髪。欧州的な美形である。 
彼らがいるのは人通りが少なげな、川沿いの細い道。 
所々にサビが浮いたフェンスで川と歩道が区切られていて、その網目を男は熱心に見つめている。 
「根来さんです。逆立った髪型で怖い目つきで、マフラーをしています」 
男が左手を動かすたび、風切り音が舞い上がり、何かがフェンスの網目をすごい速度でくぐる。 
左手に鉄製の鞭を握っているので、その先端部分だろう。 
テンポよく左から順番にくぐっていたが、不意に跳ね上がった。 
「うあ! ちょっと手元が狂って網目のX部分にかすってしまったぞ! 大丈夫かなコレ。ちょ 
い塗装が剥がれてるように見えるが、もともとフルそうな奴だからな。きっと俺のせいじゃない 
だろう。うん。大丈夫だ。ダイジョブダイジョブダイジョブダイジョブ、ダイジョブ・だよねぇ〜♪」 
フェンスの前に屈みながら、男は妙にはしゃいでいる。 
「最近どーもみんながっ! ボクをワラテル気がスル!! フ。部下どもがひどくてなぁ」 
「ちゃんと話を聞いてください」 
「聞いてたさ。左に回ったのは根来とかいう、スーパーサイヤ人か002みたいな奴だろ」 
「いいえ。逆立った髪型で怖い目つきで、マフラーをしています」 
「パーツからして、スーパーサイヤ人か002じゃないか」 
男はそこらの雑草を引っこ抜き、塗装の剥がれた部分に乗せた。隠したいらしい。 
「いいえ」 
「操ってるのに抗弁するとは。それも仕方ないか。再現率は最大で8割程度だしな」 
苦笑する男の眼前で、草がズリ落ちた。 

「ちなみにこの武装錬金で催眠をかけた場合、元の性格はそのまま表れる。てコトはだ。 
君は、根からマジメなんだろう。部下に欲しいが、巻き込むのも忍びない」 
男は雛咲の首から、認識票を取り外した。右手だけでこなすあたり、器用さが伺える。 
「お。そうだもう一つ」 
さらに認識票をかけがてら、思い出したように質問する。 
「この顔に見覚えはないか? そっくりじゃなくていい。もうちょい老けた感じだと思うんだが」 
「いいえ。初めてみます」 
「そうか。ともかくありがとう。ポケットに『なごやん』を入れといたから気が向いたら食べてくれ」 
鉄鞭が地面を打ち、乾いた音が響き終わるころ。 
男の姿はなく、自分がそこにいるのを訝しむ雛咲の姿のみが残った。 

真夜中。明け方にやや近い頃へ時刻は移る。 

「ふむ。アレからしばらく考えてみたが、どうも妙案が出ない」 
男は森の中にいた。ちょうど先日、根来たちが戦った広場に。 
「工場の近くでたまたま社員を見つけ、催眠をかけた所までは良かったが」 
頭かきつつ、なごやんを口に放り込む。辺りにはゴミやら血の跡があるが、彼はあまり気に 
していないようだ。 
「とにかく久世家という男は、核鉄を持っていない上に、錬金の戦士がすぐ近くにいる。力添 
えをしてやりたいが──…」 
地面に鞭の先っぽを突き刺し、持ち手を耳に当ててみる。 
「下手にしゃしゃり出て色々ブチ壊すのは気が引ける。が、核鉄を渡し、武装錬金の使い方 
と戦士の存在を教えてやらねば、みすみす死なせてしまう」 
呟き声と入れ替わるように、工場近くの音が次々に入ってくる。 
「どうやって伝えるべきか。直接はいろいろリスクがある。何か、間接的な方法は──…」 
さて。と長考にふける男は、非常に大きな音を聞いた。 
何か重量のあるものが、地面を走る音だ。微細な振動も混じっている。 
「これは、製品や部品を運ぶためのトラックか。まだ夜中だというのにご苦労な。ん? そうだ」 
男は端正な瞳を子どものようにきらめかせ、掌をポンと叩いた。 
「さっき話を聞いといて良かった。工場ならコレを使っていろいろできる。……と思いついた所に」 
「クエー!」 
背後に禍々しい気配を感じ、男はため息をついた。 

薄ら汚れた白スーツの男が怒りも露に立っている。鷲尾だ。 
彼は警察から脱走したのだ。で、ようやく着いた巣の近くにまた侵入者がいたので逆上した。 
もはや殺すといわんばかりの眼光で、拳銃を構えている。 
「厄介そうなのが来たな。ま、俺に当たったところで痛痒はないが」 
男の胸でニつの光が瞬いた。 
一つはホムンクルスになら必ずあるという章印。 
もう一つは、胸の中心。ちょうど、認識票がかかっている辺り。 
楽しそうに笑う男の手から鞭がかき消え、代わりにモスグリーンの光が広場を照らした。 
「銃声で騒ぎになってもつまらない。と、ゆーわけでコイツの出番」 
男の右手に光がまとわりついていく。単細胞生物・アメーバのように、うねうねと。 
やがて幾重にも重なりあった光は、徐々に硬質化し形を整え、最後には篭手(ガントレット) 
……のようなものになった。 
と書いたのは実際、コレを『ガントレット』と呼んでいいものか悩んだからだ。 
ガントレットとは手袋状、もしくは前腕部までを覆う防具を指す。 
しかし今、男の右手に現われた『ガントレット』は。 
右手のほぼ総てをすっぽり覆っており、形も通常のものとは大きく異なっている。 
肩口から肘の辺りまではいわゆるプレートアーマーのように波を打ち、前腕部分は、ガトリング 
ガンの銃身そのものだ。手首からにょきりと生えた二枚の羽と、ガンプラとしか形容できない 
掌は、もはやおもちゃか何か、『ガントレット』からは程遠いフォルムだ。 
更にそれが。 
「いやぁ久々」 
肘の辺りから光を噴出し、暗闇切り裂き、鷲尾を仰天させて。 
「こいつはやっぱり!」 
男を宙に舞い上がらせ、青ざめた鷲尾に口をパクつかせて。 
「気持ちがいい武装だよな!」 
自由落下の最中にグングン膨張する掌から、鷲尾を必死なる逃走へ駆り立てるも。 
「グエっ!」 
結局、彼を叩き潰したりしたら、これはもう普通の『ガントレット』とは呼べない。 
哀れ鷲尾、巨大な掌の下敷きになって、白目を剥いた。 
「ヒャッホウ! なんてな。いやぁ、しかしすまんすまん。これ持ってたからな」 
男は、銃を拾い上げると損傷のないコトを確かめた。 
「殺しはしないさ。ちょっといいコト思いついたから、しばらく付き合え。礼は そうだな…… なごやんなんかどうだ?」 



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