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第20話 【食】しょく



掌をUの字にすぼめ、両方の親指の先端同士をくっつけて、親指以外も同じようにすると、輪 
ができる。 
成人男性がそれをやったぐらいの大きさ──とでもすべきか。 
ちょうど今、根来の眼前に置かれし楕円形の容器の大きさは。 
中にはいくつかの仕切りと、様々な食材が入っている。 
まず目につくのは、ぶつ切りにされたタケノコ。 
酒を嗜む者ならば、ひょいと爪楊枝を刺して肴にしたくなる手ごろな大きさだ。 
砂糖やしょう油などがしっとりと染み渡り、落ち着きあるクリーム色を誇るそれらは、口に運 
べば程よい歯ごたえと、喉に絡みつくような独特の辛酸を醸し出すだろう。 
タケノコがあるのは、根来より見て、輪の左端から最初の仕切りまでだ。 
その横からまん中やや右までを占めているのは、プチトマトとレタスである。 
通常、野菜を弁当箱にいれると、その他の食材の持つ熱にやられてしなびる物だが、いかな 
工夫を施されたのか、レタスは取れたてといっても通ずるほどの青々とした新鮮さを振りま 
いて、そこにいる。 
2個あるプチトマトにおいては、ヘタがすべて取られている。 
地味な配慮であるが、『食』などという人生における恒常的かつ不可避の行為において、こ 
れは大きい。 
ヘタがあればその始末に気を取られ、取られた分、『食』を楽しめなくなるのだ。 
それら野菜の隣から輪の右端まで鎮座するは玉子焼きだ。 
ベースは鮮やかな黄色。 
されどけして単調で無機質な印象ではなく、うっすらとしたキツネ色の焦げ目が、鮮やかなア 
クセントを添えていかにも手作りという暖かさを帯びている。 

以上の品々が入っている輪が何か、すでにお分かりだろう。 
そう、弁当箱なのである。正確には上段のもので、下段においてはご飯が詰められている。 
更に、弁当箱の横には干し柿がある。 
これは流石に既製品だが、デザートのつもりなのだろう。 

用意したのは、楯山千歳その人だ。 
テーブル越しに根来と相対する彼女は、いつものような沈静なる面持ちだ。 

弁当については昨日根来に突っぱねられたというのに、なぜ再び作ってきたのか。 
そして昨日、フタすら明けなかった根来がこうして中身を眺めているのは……? 

「昨日、大戦士長より貴殿の弁当を食べるよう、命が下った」 
根来は無表情のまま呟いた。 
呆れも諦めも怒りも歓喜もない、淡々としたいつもの顔だ。 
長ったらしい前髪が顔半分を覆っているから、表情が読み辛いコトこの上ない。 
スーツの上からマフラーというのもいつもの格好だが、食事時ぐらい外すべきではないだろうか。 

話は、昨日に巻き戻る。 
ちょうど千歳が警察署から舞い戻った後のコトだ。 
彼女は照星への報告がてら、弁当の件を依頼した。 
千歳が見つけた攻略法(べんとうのたべさせかた)。 
それは。 
大戦士長の権勢を借りるコト! 
千歳の見るところ、根来という男はとかく偏屈で無愛想だが、戦団の命にはかなり従うタイプ 
のようなのだ。 
考えても見て欲しい。 
今回の潜入捜査においても、暗殺に適した能力を持って、更に対象をほとんど四六時中つけ 
回していながら、一切危害を加える素振りがない。 
命じられた潜入捜査から派生する、尾行という行動をただ丹念に務めあげている。 
戦団の命に忠実な可能性は十分だろう。 
ならばと千歳、今回のような行動に至ったのだが、はたしてコレが吉と出るか凶と出るか。 

「一つ、断っておく」 
平素、寡黙な根来であるが、話し声は明瞭だ。 
声は小さい方だから、発音や滑舌がいいのだろう。 
もしくは、忍者独自の発声法でも心得ているのかも知れない。 
「尾行中の私は亜空間において、貴殿が想像するよりは食べている」 
千歳は首をひねった。 

というのも、根来は「根来自身、もしくは彼のDNAを含んだ物以外は侵入不可の亜空間」で 
尾行をしているからだ。 
すると必然的に、彼は亜空間の中で食事ができないというコトになる。 
持ち込みはできる。 
彼が愛用しているマフラーのような髪を縫った布で、食べ物を包めばいい。 
しかし、ひとたび包みを解けばどうなるか。 
「当然、弾き出される。握り飯ならば中空を舞い飛び、爆裂四散する」 
返答から見ると、彼自身、実際に食料を粗末にしてしまったのだろう。 
その際、付近にいたものは度肝を抜かれただろう。 
突如、地面からおにぎりが飛び出てきて大爆発。とても嫌だ。 
千歳も光景を想像したが、にこりともしない。 
「あなたはあなたの細胞を食べている訳でもないでしょう?」 
「まさか。私は戦部のように悪食ではない」 
戦部、というのは根来や千歳と同じ部隊にいた、長髪巨躯の戦士だ。 
彼は、ホムンクルスを食べるという奇癖を以て知られている。 
「それはともかく、あなたは一体何を食べているの?」 
根来は細い目をますます細めて、遠くを見るような眼差しをした。 
「この時期、バッタをよく見かける……」 
要は、そういうコトなのだろう。 
「……あなたも悪食じゃ」 
といわないのが千歳だ。 
亜空間から手を出し、バッタを握りしめるやいなや口に放り込む根来を想像するのに忙しい。 
(口に放り込めば、バッタは彼の唾液と交じり合うから、亜空間から追放されない筈) 
などと推測し、更に、 
「確かに、栄養価は高いわね。今でも東北地方ではイナゴを食べるところもあるわ」 
冷静に解説すらする。 
しかし、そこは突っ込むべきところではないだろうか。 
ああ。常識人というのはあまりに徹しすぎると、ついにはボケ殺しになるらしい。 
余談だが、忍者は食糧不足の際に困らぬよう、普段からバッタやタンポポなどを食べてそれ 
らに体を慣らしていたらしい。 
だから奇異に見える根来の食糧補給も、ある種の原則を踏まえた真っ当な行動なのだ。 

もし、このSSをお読みのあなたが、町で雑草やゾナハ虫を食べている根来を見かけても、石 
など投げずそっとしておいてあげて欲しい。 
彼はただ、一生懸命生きているだけなのだ。 

根来は千歳を見て、かすかに嘆息した。 
「が、粗衣粗食の域は出ていない。そういいたげだな」 
「ええ」 
千歳が頷くと、後ろの跳ね髪がピョロリと揺れた。 
薬師寺某のような現象が巻き起こるほど、頷きに力が篭っていたのだろう。 
とかく、千歳は粗衣粗食について頑固だ。 
通常の20代の男女が同じ会話をしたのなら、バッタを喰うコトに大笑い(……するか? 引く 
かも)して、弁当を素直に受け取り喜ぶだろう。 
が、千歳と根来にそういう空気は一切ない。 
仲が険悪な訳ではないのだが、双方とも感情を表に出さず、筋道だった思考のみで会話を 
するから、弁当一つでココまで話がこじれ(?)てしまう。 
そして千歳はまた、筋道だった思考を口にのぼらせる。 
「この前のケガだって、まだ完治はしてないでしょう。だから毒よ」 
この前、というのは根来を含む再殺部隊がヴィクターIIIなる標的を追跡した時のコト。 
根来は行きがかり上、中村剛太という少年と刃を交え、結果破れた。 
その時、戦闘不能になるほどのケガを負ったのだから、食事ぐらいはまっとうに取るべき。 
という思考だ。 
思考というがこれとて実際、千歳の艶やかな唇から柔らかい声で排出されるのなら、感情以 
上に感情を誘うモノだろう。 
男子ならば美しさに心打たれて、心とろとろ、「ああ聞いてみよう」と有無もなくなる。 
が、根来は表情一つ変えない。 
「勝敗は兵家の常だ」 
よって、破れ手傷を負った状態で戦うのも、また常ならん。 
長い観点から見れば治療も必要ではあるが、いまは任務が目の前にある。 
「ならば、手近なものから一つ一つ潰す方がやり易い」 
ケガを思い、滋養のあるものをゆるりと食べるのは任務遂行後でも良い。 
根来はそういいたいらしい。 
千歳もほぼ同意である。 

しかし彼女から近い遠いをいうとすれば、根来のケガが一番手近で、真っ先に解決すべき問 
題でもある。 
もっともこれは、千歳の観念に基づくもので、根来が聞けば「違う」というだろう。 
千歳は7年前の惨劇のせいで、『人命』に重きを置いて任務にあたる。 
対して根来は、『遂行そのもの』に主軸をおき、任務をこなす男だ。 
だから『人命』などには容赦がない。 
『遂行』のために最短最速最低限の手段を用い、他の戦士を平気で犠牲にする。 
そして根来が成したいモノの前では、彼自身の命もあまり意味をなさぬものだろう。 
ケガの治療経過程度なら尚のコト。 
千歳はまぁ、その辺りはよく分かっている。 
以上のような職業観の違いが、そのまま自分と根来の違いであり、ひいては土壇場における 
躊躇の有無につながるとすら。 
彼女は自身の、とっさの判断力を信じていない。人命第一の姿勢が束縛になると思っている。 
だからこそ、わざわざ照星経由で自身を犠牲にするよう伝えもした。 
いざという時、足手まといになるのは好まない。 
と同時に、「弁当を食え」という一種の馬鹿げた命令を出してもらったのも、根来の性格上、 
照星の命令ならば聞くと思ったからである。 

で、更に千歳にはもう一つ思うところがある。 
こっちは今の彼女らしい、冷静な意見だ。 
彼女は闘争本能から、「ヘルメスドライブ」なる広範囲を見渡せるレーダーを発現できる。 
闘争本能といえば野性味あふるるギラギラだ。 
(さりげないのはギンギラギンだ) 
闘争本能からレーダーを形作れる千歳の意思、物事に対しては芯から広角的とうかがえる。 
広角的、というのは物事を広い視野で捉えられるというコトだ。 
だからいまの根来に対しても、すごく根本的でいかな状況にも当てはまる論理を抱いた。 
で、千歳は物をいう時は率直だ。 
「あなた風にいうなら、『兵家とて飯を喰わねば立ちゆかん』だと思うけど、違う?」 
根来は少し黙った。 
もし彼を、オリンピック陸上競技の判定に用いるような超高性能カメラで映してじっくりと 
判定すれば、まばたきの数が普段よりちょっと多めになったのが分かったかもしれない。 
ただし根来はこの後笑ったので、検証グループがいたとすれば 

《まばたきが多かったのは笑いの前兆として顔の筋肉が動いたせいではないか》 

とする結論を出しただろう。 
さて、この場で大事なのは根来が笑ったというコトだ。しかも 
「一理あるな。もっとも、戦部がいいそうなコトだが」 
などと人間らしい相槌を打ちつつ。 
相変わらず、口の端を歪めるだけの猛禽的怖い笑顔だ。 
見慣れてしまえば、苦味ばしりつつも青年らしさを内包した味のある表情ともいえるが。 
さて、彼が笑った理由だが、恐らく、戦部という筋骨隆々の野卑な大男と、千歳のような華奢 
な肢体の美人が、同じように『食』へ拘っているところではないだろうか? 
『兵家〜』などと小難しい言葉を千歳は吐いたが、要は、「腹が減っては戦はできん」だ。 
そんな言葉を、戦部も昔いっていた。 
自分を高めるための意味でだから、千歳とはちょっと違うが。 
戦部といえば、この場にいれば、趣味の戦史研究を活かして弁舌を振るうだろう。 
古代中国における項羽と劉邦の争いを引き合いに出し、蕭何(しょうか)という劉邦の部下の 
補給技術やら項羽の敗因などなどをつまびらかに解説し、最後に、 

『兵家とて飯を喰わねば立ちゆかん』 
                                          全裸筋肉戦部ゲンジ
と締めくくるに違いない。 

根来はちらりと千歳に一瞥をくれた。 
「まぁいい。どの道、大戦士長からも命令が下っている。背景はおおよそ察しがつくが──…」 
さっさと手を合わせて、 
「もとより私は関知しない。頂いておく」 
弁当を食べ始めた。 
ようやく折れたようだが、千歳には、さしたる感慨も見受けられない。 
実は内心ちょっぴり安心しているが、表情にのぼらすまでには至らないのだ。 
照星に命令を下させて、ああいえば弁当を食うというのは想定の範囲内だ。 
うほほ、そんなにどうたらこうたらとか喜んだりは別にしない。 

ドライなようだが、要は根来に栄養を補給できればいいのだ。 
弁当への感想などなくても満足なのだ。 
聞けばたぶん根来のコト、つらつらと味を評論するだろうが、千歳自身すでにどういう味かは 
しっかり把握しているし、ベストも尽くしたと自負しているので、聞こうとは思わない。 
尾行を生業とする根来に配慮して、なるべく体臭の元とならない食材を選んだし、タケノコも 
後で喉で乾かないよう塩分と糖分の加減も考えたつもりだし、玉子焼きだって、食中毒を警 
戒してちゃんと新しい卵を使った。 
干し柿はまぁ、感性の問題だ。 
まさか根来にプリンをくれてやる訳にもいかないし、かといって生の果物は傷みそうだから避 
けた。 
で、買い物していて干し柿を見つけたとき、直感的に根来に合うと思った。 
千歳は知らないが、忍者の主食の一つは柿だったりするから(ついでに豆腐もそうだ)、彼女 
の直感はかなり正確である。 
以上のように、千歳は考え抜いて弁当を作った。 
ザボエラが超魔ゾンビを作るぐらい考え抜いた。 
ゆえに失敗はない。星皇十字剣が来なければ大丈夫だ。 
砂糖と塩を間違えていたりすれば、それはそれでなかなか良い失敗なのだが、あいにくそういう 
のもない。玉子焼きにタマゴの殻が混じってたりもしない。 
しかし恐ろしいコトに、世の女性は時々そういう失敗をやらかす。 
……やらかすのだよ。そして自分が把握できてないモンを人に出すんだよ。なんで出せるんだちくしょう。 

根来の食事が終わると、千歳は弁当箱を慣れた様子で片付けて、こういった。 
「要件があるので一旦、ここを離れるわ。たぶん、昼休みが終わるまでには戻ってくるけど」 
「ああ」 
根来は無愛想に頷いた。 
どこへ行くかなどとは別に聞かない。 
根来ぐらいの年齢なら、美人さんが弁当作ってきたら「ははぁ俺に気があるな。そういや目線 
が妙だった。この前荷物持ったのがきっかけか」などと勘ぐって、接触にも多少の馴れ馴れしさ 
が出てきそうなものだが……
しかし由来、男性の勘ぐりなどは当たる試しがない。 
まったく。 
当たらんものを必死こいて当たりの状態に引き上げにゃならんのが、男の辛いところよ。 

ところで筆者、弁当と亜空間の段においてふと疑問に思った。 
それは、根来が亜空間内でうんこしたら、うんこはどうなるかというコトだ。 
現空間と同じく、うんこに含有される微生物が、食べかすやら何やらを駆逐するのだろうか。 
駆逐しきった時、うんこに住まっていた微生物たちは追放の憂き目を見るのか。 
いや、そもそもうんこが出た瞬間に微生物たちだけ追放されるのか。 
されるとすれば、例の稲妻が巻き起こり、うんこをパージしたての根来はひどい目に合わないか。 
ひどい目をいうなら、シークレットトレイルの特性上、亜空間には紙を持ち込めないから、う 
んこしちゃったら拭くものがなく、地獄を見るだろう。 
愛する人を救えたら地獄を見てもいいだろうが、たかだか一生理現象において地獄を見る 
のは頂けない。 
もっとも、紙へ事前にDNAを付けとけば大丈夫だろう。 
何をというと(以下汚い話により削除) 
関係ないが、風摩にはうんこから剣を作る忍法がある。 
その名も忍法「糞剣」だ。フランス語ならばうんこソードとなり、実にエレガント。 
これは実在するのだ。山田風太郎の風来忍法帖で読んだから間違いない。 
なお、海鳴り忍法帖なる作品は三万人の根来が近代火器で殲滅される作品だと思っていた 
が、むしろ戦国期における堺という街の存在に比重が傾いていて物足りぬ。 
そして根来好きならば、忍びの卍は必読なのだ。虫篭右陣は良い。筏や百々もイカしてる。 



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