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第21話 【擦】すれちがい (1)



千歳が瞬間移動したのは──…
先日の礼拝堂だ。 
そこへ無言のまま歩み寄るのも、昨日の少女。 
手には灰色かかった長細い物質の束が握られている。 
千歳がそれを躊躇なく受け取り、あまつさえ礼を述べた所をみると、彼女が依頼した品はコ 
レのようだ。 
「私の知っている場所はココしかないけど、大丈夫?」 
千歳が六角形の画面に映し出したのは──…
夏の日差しに焼けつくロータリーと、5階建ての建物。 
「病室も映せる?」 
少女の冷えた目は変わらぬまま。要件を伝える口調もどこか厭世的だ。 
「部屋は限られるけど」 
「じゃあ私のいう通りにして」 
千歳は少女の望みを聞くと意外そうな顔をしたが、追求はしない。 
華奢な肩をそっと抱いて、六角形の画面にペンを走らせた。 

やがて二人を構成する色素が一気に薄まり、透明となり、ついには影も形も消え失せて、礼 
拝堂には誰もいなくなった。 

その正に同刻。 
銀成市にある、聖サンジェルマン病院の一室にて。 
防人衛ことキャプテンブラボーは目を丸くしていた。 
ブラボーという男を説明する。 
年の頃は27。 
捜せば街中に一人はいそうなシンプルなボサボサ頭で、がっちりした体格の男性だ。 
かつては戦士であり、戦士長なる役職にすらついていたが、諸事情によりいまは入院中。 
そんな、いかにも胆力ありげな前歴の彼が、目を丸くしたのはなぜか。 
病室に突如として、千歳と、見慣れない少女が転移してきたからだ。 
もっとも彼は千歳とは長年の付き合いで、武装錬金の特性も熟知しているから、こういう 
登場の仕方は慣れている。 

意外だったのは、同伴の少女の存在だ。 
幾束にも分けたロングヘアーを全て筒に通し、セーラー服を着ているという点で、正体に思 
い当たりはした。 
が、どうして千歳と共に来たのかという疑問が沸いて、目を丸くさせてしまった。 
少女はそんな顔を見るなり、心情を察したようだ。 
しかし答えはしなかった。 
ただ、一瞥をくれて、鼻を軽く鳴らすと 
「管理人ね。断っておくけど、私は寄宿舎には入らないわよ。どこか適当な場所で過ごすから」 
キツい口調でそれだけ告げて、病室を足早に出て行った。 
ブラボーは怒るわけでもなく、千歳に苦笑して見せた。 
短いやり取りだったが、少女の難物具合への理解は充分できたのだ。 
「事情は知らんが、大変だったろう」とねぎらいを込めた苦笑に、千歳は相槌を打つ訳でもな 
く、冷蔵庫からリンゴを取り出すと手近なナイフでさっさと皮を剥きはじめた。 

聖サンジェルマン病院についても説明しよう。 
ここは錬金戦団御用達。 
ケガをした戦士やホムンクルスの被害者など、一般の病院では治療がし辛い者たちを収容 
している。以上。 

病院のお昼というのは静かなようでいて、どこかささやかな活気を帯びている。 
昼食を乗せて走る台車の音。 
もしくは、食事済みのトレーが所定の場所に置かれる音。 
中待合室へテレビを見に行く足どりもある。 
階段付近で時々聞こえる買い物袋のカサカサは、入院患者の付き添いの人が昼食を調達 
してきた音だろう。 
イスに腰掛けた千歳は、それらの「活気」を聞きながら、リンゴの皮を剥いている。 
彼女自身、特技と自負するだけあってかなりの手際だ。 
おお、剥かれた皮の規則正しさよ。 
以前、ブラボーがその眼力を持って検証してみたが、どこからどう比べても、細さも厚みとも 
に全体で誤差±0.1mmの範囲に留まっていたという。 

そもそもが、誤差±0.1mmを見分けられるブラボーの眼力からしてすでに超人的……っ! 
な感じもするが、それは本題ではない。 
細くらせん状に連なる皮が、下に向かってぐんぐんと伸び盛り、やがて白い皿にハラリと落ちた。 
それを待っていたように、ベッドの上でブラボーは口を開いた。 
「しかし話には聞いていたが、姿を見たのは初めてだな。彼女が──…」 
リンゴの皮を捨てがてら、 
「ええ。けどどうしてここに?」 
千歳は答え、切り分けたリンゴをガラスの皿に盛り付けた。(皮用とは別の皿) 
「お前にはまだ話していなかったな。彼女はしばらく銀成学園に通う手はずになっている」 
ウサギ型のリンゴに刺さりつつあった爪楊枝が、ピタリと止まった。 
果汁がじんわりと爪楊枝を濡らし、甘い芳香が病室に漂う。 
「……大丈夫なの?」 
「大戦士長からは許可を得ている」 
その言葉に安心したのか、千歳は皿を無表情で差し出した。 
「ただ戦士・斗貴子はいい顔をしなかったな。前歴を知ってる以上、強く反対できないようだが」 
ブラボーはリンゴを受け取ると、しゃくしゃくと小気味良く噛みつぶす。 
「昼食は食べているが、いかんせん薄味で量も少なかったからな。お前のくれるリンゴはあり 
がたい」 
うっすら無精ひげの顎が動くたび、頬がボコボコと形を変える。 
果汁も漏れて、唇周りをうっすら濡らす。 
「食べながら喋らないで」 
千歳は呆れたように呟きつつ、ティッシュで丹念に拭いていく。 
「すまんな」 
実に慣れた調子でブラボーは謝る。慣れているなら黙って喰えばいいようなものだが。 
しかしである。愚にもつかん行儀と、千歳による拭き取りサービスじゃどちらがブラボーか。 
彼はもちろん分かっている。だから喋るのだ。 
なお、リンゴを放置しておくと色が茶色になって風味が落ちる。 
いわゆる酸化現象だ。 
それを回避するには、塩水もしくはレモン汁につけておけばよい。 
千歳もリンゴが残りそうな時、以上の”処置”を施している。 
「そういえば防人君。知ってる? 私は偶然見かけたけど」 
千歳が先日見た風景を話すと、ブラボーは「ああ」という顔で頷いた。 
「太平洋での決戦以来、ずいぶん気にかけていたからな」 
シーツ越しに膝へ皿を置き、どこか懐かしむような表情をブラボーはした。 
「確かにそうね。彼と彼のお姉さんはヴィクターに縁があるから」 
「性分的に放っておけなかったらしい」 
千歳は心中で、話題に上っている二人を重ね合わせてみた。 
伝え聞いた彼らの前歴や望みは、共通する部分が多々ある。 
「ところで」 
ブラボーは千歳を生真面目に見据えて、質問した。 
「俺としてはお前が彼女と連れ立ってきた方が意外なんだが。一体どうした?」 
「ちょっと頼みごとがあって。そのついでに」 
「そうか」 
ブラボーはあまり深く追求しない。ちょっと黙ると、 
「お前も忙しいな」 
などと当たり障りのないコトだけを呟いた。 
実際のところ、先ほどの少女が自分を一目見て「管理人ね」といったのも気にはなっている。 
確かにブラボーは一時期、銀成学園高校の寄宿舎で管理人をやっていた。 
それは生来の面白いコト好き半分だが、任務の行きがかり上も半分だ。 
今ではとっくにその任務は終わっているので、正確には元・管理人。 
といっても、学校のほうからは復帰しないかという打診もあり、ブラボー自身そっちへ再就職 
しようかとも考えているが。 
ともかく、さっき初対面だったはずの少女が、どうしてブラボーが管理人だと気づいたのか。 
不思議な話ではある。 
ブラボーはやがて、この疑問と千歳の『頼みごと』に確固たる結論を出した。 

(レディーの隠し事は見てみぬ振りすべきだ) 

何故なら、そっちの方が格好良いからッ!  
いいぜこのフレーズ。ドラマCD聞いてからあの声でビンビン再生されやがる。 
「ところで千歳、大戦士長がずいぶんお前のコトを心配していたぞ。あまり、無茶はするなよ」 
そういうブラボー自身、無茶のせいで入院してるから分からない。 
火傷はずいぶん引いてはいるが、右頬には絆創膏が貼られ、半そでから覗く逞しい両腕にも 
ところどころ包帯が巻かれていて、痛々しい。 

実際、ブラボーは最近ようやく歩けるようになったが、それには杖と介添えがまだ必要なほど。 
ダメージは深刻だ。 
ブラボーをじっと見る千歳の目は、彼の現状とそこに至った原因をありありと描いているのが 
見て取れる。 
「俺のは仕方ないさ。最近じゃブラボーな勲章と思ってる」 
ブラボーはからからと笑って見せるが、千歳の胸が痛んでいない保証はない。 
彼の傷は、口論の末、カッとなったチンピラにやられたものだ。 
と書くと一人の男の苦悩に満ちた生き様がフイになってしまうので、彼の名誉を重んじるならば 

『譲れぬ信念を互いに押し通した結果、こうなった』 

とするのが妥当だろう。 
そのチンピラ、というかブラボーに傷を負わしたのが、かつての僚友というからフクザツだ。 
火渡というその男は千歳とブラボーと同じ部隊にいた。 
よって7年前、千歳が引き金となった惨劇を体験し、その傷を今でも引きずっている。 
いまや彼は不条理に固執し、火より狂おしい情念を全身から撒き散らかしている。 
そういう背景を十分に理解しているから、千歳は火渡を責められない。 
「とにかく、あまり思いつめるな。俺は火渡もお前も恨んじゃいないさ」 
千歳の醸し出す微妙な空気を察したのか、ブラボーは真剣だ。 
「だから思いつめて、無茶な真似をするなよ」 
どうも言外で、照星に申し出たコトをたしなめている気配がある。 
「ええ。分かっているわよ」 
千歳はしっかりと答えるが、胸中はいかなる物か。 
ブラボーは時々、千歳の深いところが見えない。 
世の男女の関係などえてしてそういう物だろうが、千歳の底にあるものは重く陰惨でありすぎる。 
第一に、7年ずっと笑顔を奪い続けている。 
ブラボーの好きなものは、笑顔と正義だ。 
だから千歳の笑顔はとても見たい。 
成熟した静かな美貌が、フッと暖かく微笑んだとすれば? 
想像するだにブラボーだ。 
(ま、諦めねば何かの拍子で出るだろう) 

ストレートに物を見るのなら、千歳は子どもに絡んだ出来事によって、笑うのではないだろうか。 
無表情な人形だって井戸の底で赤ちゃんをあやして笑ったのだ。べろべろばぁと。 
ありがちではある。しかし、「あり」とついているから、ないとはいいきれない。 
ブラボーは推測するが、しかし千歳の抱えた重く陰惨な感情は、この先も笑顔の可能性を 
奪っていきそうだ。 
更に、考えもつかぬ無茶の起爆剤になりかねない。 
以下、ブラボーの洞察。 

もし、千歳が極限の状況下でミスをしでかしたら、きっと挽回するために無茶をするだろう。 

ただし洞察のみで、対処はできない。 
千歳の考えを強引に変えられるかといえば、否である。 
なぜならブラボー自身すでに、大事な存在(モノ)を死守せんと、無茶をしでかしている。 
そんな彼がいくら強弁を振るったとしても説得力はない。 
「とにかくだ。今の戦団は人手不足。お前のような優秀で美人な戦士が欠けると困る」 
冗談めかしていいつつ、婉曲的に無茶を引き止めてみるのが精々だ。 
少年なりし頃なら、千歳の細い肩をがっちり掴んで 

「俺はお前に傷付いて欲しくないんだ!」 

と正面切っていっただろう。 
武藤カズキなら津村斗貴子に対し、絶対にそうする。 

「オレは斗貴子さんに傷ついて欲しくないんだ!!」 

錬金既読者なれば絵つきで浮かぶだろう。口を波線にして赤面する誰やらと共に。 

そんな青臭さを発現するには、ブラボーは大人でありすぎる。 
かつては戦士長という、戦士を統括する役目でもあった。 
自分の領分はわきまえているし、熱意一つで全てが好転するとも思っていない。 
婉曲的な言葉もやむなしと考えて、実情に即した行動を取ろうと務めている。 
もっとも、優秀というのは芯からの本音だし、美人というのはもっと本音だ。 

千歳の笑顔をいつか引き出したいというのは、もっともっとな本音である。 
以上の不器用な男心など、えてして女性は知らぬもの。 
素晴らしい観察力を持つ千歳とて、やはり女性の範疇は超えられないらしい。 
「そうかしら」 
と、無表情のままだ。 
優秀、と評されても信じられない。美人という点にはなお鈍い。 
何せブラボーは優しい。 
優しいからこそ、言葉裏にある幾分かの配慮(悪くいえばごまかし)が千歳には分かる。 
そもそもブラボーの機微に関しては、電話越しでも分かるのだ。 
それだけ聡明だと、率直で正確な、無機質な断定の方がかえって信じられるだろう。 
加えて、優秀という言葉を受け入れられるほど、千歳は成功をつかんでいない。 
戦団における成功の定義は、すなわち任務遂行だ。 
が、千歳はその下地において、実に不遇である。 
前歴に傷がある上、武装も補助的。 
と、くれば、回される任務の寡少ぶりは想像に難くない。 
仮に回されたとしても、偵察や索敵などの細々とした役目のみだろう。 
抱えた挫折をバネに、戦域のド真ん中に巻き起こった逆境を自らの力で覆せば、あるいは 
千歳の内にこもった感情も少しばかりは晴れようが……
現状まではカタルシスなき人生だ。 
7年来、心身と頬が凝り固まっているのも無理からぬ。 
ただ、救いがあるとすれば、ブラボーという優しい男性との会話がその一つだろう。 
成功とどちらが、と問われれば迷うコトなく「同列」と答えるほどに。 
そんな背景があるから、千歳はブラボーに相談したくなった。 
「防人君。一つだけ聞いていい?」 
「俺に分かる範囲ならばな」 
「この前、海豚海岸へ行ったとき、子どもたちを送ったでしょ?」 
首肯するブラボーに、千歳は間髪いれず質疑する。 
「もし、あそこを通る電車について知っているコトがあれば、教えて欲しいの」 
というのは、久世家という容疑者の施したアリバイを崩すために、電車について調べているの 
だが、いっこう何もつかめない。 
そしてその電車というのが、銀成市と海豚海岸を経由して、皆神市に向かう物だ。 
そう。 

今回の任務開始時点において、根来が下準備をし、次の駅にたむろする幼稚園児の存在 
をいいあて、千歳が印象を改めた電車と同じ路線だ。 
千歳には少し感慨があるが、反面、ブラボーは難しげな表情だ。 
「というが千歳。俺は途中で合流して、帰りは車で子どもたちを銀成まで送ったから、電車は 
見てもいないぞ」。 
「それでもいいの。例えば、線路脇で変わったものを見たとか、子どもたちが何かいっていた 
とか些細なコトでも」 
「些細な、か」 
ブラボーは考え込んだ。 
千歳は回答を待った。彼女に与えられた昼休みの時間はもはや残り少ないが、この際構わない。 
戻る時間が多少遅れるのと、事件解決の糸口を探すのでは断然後者なのだ。 
ハタ。とブラボーの顔つきが変わった。 
「ちょっと待て。お前の言葉で思い出してきたぞ」 
片手を額に当て、もう片手で千歳を制するような動きをする。 
別にこれは拒んでいるのではなく、思い出し事をする人間の、無意識的な動きだ。 
ブラボーは言葉を紡ぐ。 
「あの時、子どもたちが──…」 
記憶をゆっくりゆっくり手繰り寄せるように、言葉を切りながら、彼は喋る。 
ややあって、全てを聞き終えた千歳は瞠目した。 
「それは本当なの?」 
声はこの沈静なる女性にしては、やや弾んでいる。 
「ああ。踏み切りを通った時に、確かに後ろの座席で騒いでいた。でも参考になるか?」 
ブラボーは千歳の様子に、やや困惑気味だ。 
彼自身、自分の伝え聞いた話が本当かどうか確証は持っていないから、千歳に過度の期待 
を抱かせるのは悪いような気がしている。 
「充分よ。ありがとう。防人君」 
千歳は頷くと、武装錬金を再発動。文字通り、瞬く間に姿を消した。 
ここは病院の一室。 
不意に一人分の息遣いが減ってしまうと、場所柄、不吉な感触が走る。 
ブラボーはそれを払拭するように頭をかいて、わざとらしく独り言をもらした。 
「まったく。どこもかしこも忙しいな。桜花も秋水もここのところ毎日残党狩りだというし」 
リンゴを口に運ぶ仕草も、せわしない。 

「とにかく、無茶はするなよ。戦士・千歳」 
窓から外を見ると、空に黒っぽい雲がポツポツと浮かんでいた。 
それが何だか千歳の行く末を現しているようで、ブラボーはため息をついた。 
彼女一人だけならまだしも、同行しているのが根来だから心配だ。 
戦団での評判は芳しくないし、任務遂行のためならば味方を犠牲にする男だから、千歳が 
後ろからバッサリやられる可能性を描いてしまう。  
(いざとなればうまく避けるだろうが……) 
千歳の武装錬金を知りつつも、心配は払拭できない。 
と。 
ブラボーは突然、悪戯っぽい笑いを浮かべた。 
「ところで管理人の件だが、ひょっとしてお前が伝えたのか?」 
彼が首を回して視線を向けるは、病室の入口。 
「はい。後であなたが戦士と知ったら、彼女が不信を抱くと思いましたので」 
答えたのは、学生服を着た長身の美青年だ。 
眼差しに燦(さん)と光を蓄えて、生真面目に佇んでいる。 
竹刀袋を右肩に吊るしている所を見ると、部活帰りにブラボーを見舞いに来たのだろう。 
とすると、廊下で先ほどの少女と出くわした可能性もあるが──…

それはまた、別のお話。 

「ブラボーな判断だが、俺は元・戦士だ。間違えないようにな」 
姿勢良く立つ青年に向くのは、もはや戦線を離れて、後続に一切を委ねた戦士の笑い。 
寂しげでいて安心したような……それでも未練をどこかに残しているような。 

(いつかとは逆だな。見舞った俺が、まさかこうしているとはな……) 



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