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第21話 【擦】すれちがい (2)



ややあって、工場の食堂に千歳の姿があり 

久世家のアリバイを崩す手立てが見つかった。 
しかし、会社が終わる時間までは表立って彼を呼び出すコトはできない。 
さらに、1時間だけ戦いに備える時間が欲しい。 

という旨を根来に伝えていた。 
「ならば決行は本日午後7時。奴を近くの森へと呼び出し、尋問する。支障はないな?」 
彼もブラボーと同じく追及しない。 
一般的な男性なら、 
「どうやってアリバイを崩すのか?」と質問し、 
「会社の都合など無視すればいい」と反問し、 
「1時間も掛け、何を備えるのか?」と詰問しよう。 
が、根来はしない。 
良く解釈してやれば千歳への信用ありきとなるが、やはり無表情はあまりにあまり。 
聞いた言葉を機械的に処理している印象は拭えない。 
そこへ千歳は信をおいてて、話も進める。というのはもはや暗黙の了解だ。 
「もう一つ。大戦士長から言伝を受けていると思うけど」 
「ああ」 
「私はあなたに比べて、戦闘能力が低いわ。だから戦闘じゃ」 
「狙われる公算が高いな」 
「ええ。だから、私が足手まといになるようなら、切り捨てても構わない」 
根来は黙った。 
食い違った物を反芻しているような風がある。 
そういえば千歳、彼に照星が伝言した場面を見ていない。 
部下はみんな大のお気に入りと広言してはばからぬ照星、私心を織り込み、別な命令を下 
している可能性だってある。例えば、「戦士・千歳に危害を加えないで下さい」とか。 
果たして──? 

「貴殿は、核鉄の数を知っているか?」 

根来はなぜか、全く関係ないコトを切り出した。 
「地球にあるのが97個、月に3個ね。それが何か──」 
「対してホムンクルスは、製法技術さえ踏まえれば無尽蔵に生み出せる」 
千歳は頷きながらも、奇妙な引っ掛かりを感じていた。 
「もし地球上にあるすべての核鉄を戦団が接収したとしても、我々は無尽蔵のホムンクルス 
に対し、最大97人分の戦力しか持ち得ないのだ」 
「そうね。中には火渡戦士長のように、広範囲向けの武装錬金を持つ戦士もいるでしょうけど」 
昼休みが終わりに近いとあって、食堂に人は少ない。 
だから千歳も堂々と話を合わせられるのだが、違和感は大きくなっていく。 
今の会話、どこかがおかしいと彼女は思う。 
内容自体は至極もっともなのに、かすかな『無理』が感じられる。 
「戦力差は覆らぬ。故にこの図式の中にいる以上、報われるコトは有り得ない。つまるところ 
麻薬や銃器の取り締まりとさほど変わらぬのだ。やれば際限がない」 
この根来の言だって、彼の持つべき合理的思想からは外れたモノだろう。 
際限がないのならば辞めれば済む話なのに、戦士を”やって”いるのだから分からない。 
「が、やらねば際限なく悪くなる」 
ああ。と千歳の目に光が灯った。 
確かに戦士が戦わねば、ホムンクルスの跋扈を許し、際限なく悪くなっていく。 
千歳が引き金になった惨劇と同じような光景が、世界の至るところで繰り広げられる。 
「よって手段を選ぶ暇(いとま)はない。任務において戦士などは、所詮歩にすぎん。一定の 
訓練を施しさえすれば補充は効く。ならば遂行を優先した結果、多少減ろうと問題ない。そして」 
乾いた目が千歳を見据えた。 
「それは貴殿のみならず、私とて例外ではない」 
言葉に重なるようにチャイムが鳴った。根来は立ち上がり、さっさと事務室へ歩いていく。 
(まさか、彼も私と同じコトを?) 
『足手まといになるようなら、切り捨てても構わない』と、言いたかったのだろうか? 
だとしても、どうもはぐらかされた気分だ。 

ともかく。 
決戦開始まで、残り6時間である。 

そんな事情を抱えていようと、仕事というのは平気で舞い込んでくる。 

なにせ潜入の都合上、派遣社員に身をやつしているのだから。 
事務所に戻った千歳に任されたのは、伝票のチェック。 
8月度の伝票とEXCELの数字が合わないらしく、この日までのを全て確認して欲しいとのコト。 
なお、この日は8月26日。 
だから伝票の束は26日分積もりに積もって、辞書一冊分ぐらいの厚さになっている。 
他の人間がゲンナリして、新入りたる千歳に押し付けたと思えなくもない。 
(根来も新入りだが、彼は近寄りがたいから敬遠されたのだろう) 
そしてEXCEL上の表というのがまた厄介だ。 
千歳に詳しいコトは分からないが、何かの項目が10数種類並んでいる。 
伝票の数字はそれらに入力され、最終的に一番下の行で合算されているようだ。 
つまり、合計欄のズレを突き止めようと思ったら、10数種類の項目を26日分に渡って1つ 
ずつ確認していなかければならない。 
作業量は膨大だ。 
が、千歳自身は涼しい顔で、伝票をまくり、1日からチェックしようとした。 
と。その時。 
「わざわざ全てを見る必要はない」 
無愛想な声が横から掛かった。根来である。 
「え?」 
千歳はきょとんとした。 
「1日ごとに伝票を確認していてはキリがない。よって、大まかな範囲から絞込む」 
根来は根来で、無愛想な瞳を千歳に向けて何やら説明を始めている。 
「まず最初に13日の合計と、伝票を照会しろ。合っているか?」 
どうやら千歳を手伝うつもりらしいが、調子がおかしいのは否めない。 

『自分の仕事のみを優先して、他者を慮るコト少なし。ただし能力は高い』 

それが千歳の率直な根来観だから、彼女は大いに戸惑った。 
「ええ」 
戸惑いつつも、根来の話を聞いているのは、彼の非人間的なまでの合理主義に対する信頼 
があるからだろう。 
あるからこそ、「ひょっとしてお弁当のお返しに手伝いを?」などと思いつきもしない。 

そして筆者にも、根来が何を考えて喋っているかはよく分っていない。 
内面描写を避けているうちに、彼がいよいよ何者か分からなくなってきた。 
セリフ自体は浮かぶ。が、心情は察せられない。不思議だけれど本当の話。 
根来の話、続く。 
「ならば、そこから本日までの中間日、つまり19日か20日の合計を探れ」 
「つまり」 

千歳はようやく合点がいったという調子で、メモ用紙に図を書いた。 

13日が合っている場合。   ズレが生じたのはこの日以降と分かり、 
                    捜索の範囲を半分に絞り込める。 
                  ┌──────────→ 
                  │ 
├─────┼─────┼─────┼─────┤ 
1       6〜7        13      19〜20       26 
                      a     │    b 
                  ←─────┼─────→ 
                   そしてこの日が合っていなければ、ズレはaの期間に発生。 
                        〃       いれば、ズレはbの期間に発生したとわかる。 

あとは、a、b両方の期間の中間にある合計を元に、以上の作業を繰り返す。 

「そうすると、ズレが生まれた日を速く突き止められる訳ね」 
「情報処理における考えだ」 
根来は頷いた。 
「もう一つ。EXCELの機能上、数字が入力されていても、表示されない場合もある」 
手にしたボールペンで、ディスプレイを指差す。 
正確には、そこに表示されているEXCELの、左端と上端を交互に。 
「行の数字や、列のアルファベットが途切れているのがそうだ。例えば、列部分が「A」「C」な 
どとなっているのならばその二行をドラッグし、右クリックで『再表示』を選択すれば、隠され 
ている列が表示される。行も同じく」 
千歳は何だか、いいようのない、”気配”を感じてきた。 

坂道の上で大きな岩を軽く押して、下に向かって動き出す瞬間を目撃するような。 
「また、行に『+』が表示されている場合は、グループ化がなされている。 
これは行をひとまとめにする機能で、『+』がある部分は、非表示の行があるというコトだ。 
解除するには『+』をクリックする。もし、グループ化された行をすべて表示したいのならば、 
画面右上、セル番号を表示しているウィンドウの下にある、[2]をクリックすれば良かろう」 
根来はとくとくとEXCEL講義を続ける。 
「グループ化の設定だが、ショートカットキーは、Alt + Shift + → だ。多くの行をグループ 
化する際には、これを用いれば良い。解除はAlt + Shift + ← だ」 
そんな機能、多分知っている人間は限られているだろう。 
そもそも千歳にしてみれば、グループ化という概念自体はっきり掴めていないし。 
「付け加えると、オートフィルタによる抽出が行われている場合でも非表示の行がある。 
【▼】というアイコンの逆三角部分が青くなっていれば、抽出されている証拠だ。クリックし、 
『すべて』を選択する」 
こっちは割りとポピュラーっぽい。……ポピュラーなのか? 
「行や列がすべて表示された状態ならば、ズレの原因も見つけ易い筈だ」 
根来が黙ると、千歳も敢えて一拍を置く。 
彼が再び説明を始めた時、言葉がかち合わないよう。 
幸い、実用性があるんだかないんだか分からんEXCEL講義は終了のようだ。 
「色々ありがとう」 
座ったまま、軽く礼をする千歳だが 
「礼は不要。所詮これらの知識は、目的達成の一手段にすぎない」 
本当に根来は愛想がない。 
せめて彼が謙虚の一つでもできれば、少しぐらいは戦団への受けも良くなるだろうに。 
「目的を描くコトができねば、いかに知識を得ようと無意味。だが、果たすべき目的の性格を 
踏まえれば、行使すべき術と知識は自ずと見える」 
ひょっとしたら千歳ならそれができると思い、一連の知識を伝授したのかも知れない。 
「骨子は諸事、それだけだ。EXCELであれ何であれ」 
相変わらずの無愛想を、彼の言で説明するならば 

「他者と仲良くやるという目的を描けないから、知識や行動によって自身を良く見せられない」 

という所ではないか? 

「ところで1つ尋ねる」 
「私に分かる範囲でなら」 
「昨日、伝票処理の最中に、PCが狂った」 
根来がいうには、選択したエクセルのファイルが自動的に立ち上がり続け、最終的にはフリー 
ズしたという。 
で、スパイウェアの検出をしたとも付け加える。 
LANケーブルも抜いてウィルスの確認すらしたとも。無論、定義ファイルを最新版に改めた上で。 
話を聞いてるうちに千歳は、この目の前の男が分からなくなってきた。 
古風に見えて、なぜこうもパソコンに詳しいのか。 
いや、始計術なる忍びの法に沿って、色々学んでいるとは確かに聞いた。 
しかしである。 
あまりに徹底しすぎている。 
ひょっとしたら本職たる戦士や忍者の技能をも凌駕してるのではないだろうか? 
千歳がぼんやりそんなコトを考えている間にも、誰かが糞スレを立てている間にも 
「だが何も引っかからなかった」 
根来はあくまで淡々と報告するし、文明はどんどん発展していく……
システムの復元も考えたそうだが、仕事の時間がかなりロスされるので避けているという。 
「察しはつくか?」 
促されて、千歳は根来の机を観察した。 
綺麗に片付いていて、あるのはPCとテンキーと伝票の束だけだ。 
伝票の束は5ミリぐらいの厚さで、左上をホチキスで留められている。 
場所はテンキーの間近だ。 
それを認めた千歳は、何か気づいたらしい。 
「いつもこの位置に?」 
伝票を指差すと、根来は首を横に振った。 
「ここに置くのは確認済みの伝票のみだ」 
入力や確認の際には根来の正面、つまり、PCの前に置くという。 
「ちなみに、PCが狂ってしまった時は」 
「今と同じような位置に、幾つかだ」 
話を総合すると、千歳の頭で何かがつながった。メモに何かを書き始めた。 
「推測だけど」 
前置きすると、メモを根来に見せる。 


 ナンバーロックキー 
 ↓ 
┌─┬─┬─┬─┐ 
│  │/│*│  │←バックスペースキー 
├─┼─┼─┼─┤ 
│7 │8 │9 │−│ 
├─┼─┼─┼─┤ 
│4 │5 │6 │+│ 
├─┼─┼─┼─┤ 
│1 │2 │3 │  │ 
├─┼─┼─┤  │ ←ここのエンターキーに 
│0 │00│. │  │    伝票の束が乗っていた……? 
└─┴─┴─┴─┘ 

根来は憮然とした顔でメモを眺める。 
その頃にも、周りの状況は刻々と動いている。 
工場長と部長は部品の支給が遅れているとかどうとか協議してるし、女性事務員は電話対 
応に忙しそう。 
麻生部長殺害の容疑者たる久世家だって、自分宛ての郵便物や小包の確認に余念がない。 
ごく当たり前の光景だ。 
電話のコールやら話し声やら、書類がこすれる音やらがまじりあい、昼下がりのゆったりとし 
た空気がかもし出されている。 
気を抜いたり、自販機で売ってるブラック無糖のUCCコーヒーを食後に一服しなかったり、 
ロッカールームに置かれた段ボールの影で、駿河城御前試合を読みつつこっそり仮眠を取ら 
ねば、睡魔に呑まれてグースカグースカ眠ってしまいそうなほど、のどかな時間が流れている。 
やがて。 
根来は無表情で千歳に言い放った。 
「図はもういい」 
千歳も無表情で根来に言い返した。 
「でも、エンターキーが押しっぱなしなら、エクセルのファイルが立ち上がり続け」 
「言うとおりではある。だが、貴殿は時々判じ難い」 

きりりとした目が、心底から不思議そうに根来を眺めた。 
判じ難いというのは、無表情ぶりについてなのだろうか。 
しかし千歳自身はそれを理解しているから、なるべく本音を伝えて円滑に任務がなせるよう 
務めている。 
にも関わらず、「判じ難い」なのである。 
(一体なぜ……? 口で説明するより図を描いた方が分かりやすい筈なのに) 
いつかの山中と同じように、千歳は一生懸命考え込む。 
顔は無表情ながらにややあどけない。 
思考への純粋な没頭が、めぐりめぐって童女のようなひたむきさを浮かべている。 
「本当に判じ難い」 
根来はため息をついた。 
彼がもし、PC不調の原因を尋ねるのと引き換えに、EXCELの知識を伝授したとしたとすれば、 
これほど不公平で、すれ違いまみれの取引はないだろう。 
片や教本にありそうな知識の数々、片や伝票の束だ。 
千歳、洞察が伴っていようと、その現し方があまりにマズすぎた。 

(あなたみたいな綺麗な人が、変な図を一生懸命書いちゃダメでしょ) 
遠巻きに様子を見ていた久世家も嘆息──…
し終える前に、顔色がさっと変わった。 
他の会社から来たと思しき小包。 
中にあった物を、彼はひたすら凝視する。 
やがて動揺とも歓喜とも取れるひきつりが、みるみると彼の頬から顔全体に広がった。 
さもあらん。目にしていた『それ』は彼自身の日常にあり得からぬ代物だ。 
久世家は意を決した用に、小包の中へ手を伸ばす。 
『それ』をポケットに入れるまでの手つきは、まるでひったくるような所作だった。 
幸い、というのは彼目線での話である。 
根来も千歳も、この一瞬の動きに気づいていない。 
いかに優秀といえど、人間である以上は綻びがどこかに出る。 
彼らにとり、それは不幸。 
不可避の綻びをして、苦戦をもたらすコトになるのだから──…

そして様々な思惑が交じり合い、ようやくながらに決戦へ!! 



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