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第27話 【忍】ねごろにんぽうちょう



根来は亜空間に手を突っ込み、扇の束を取り出した。
「またそれですか」
コウモリの自動人形(オートマトン)を1羽放ちつつ、久世屋は分析する。
(彼はきっとこう考えている。攻撃しても木と入れ替わるから接近戦は無意味。しばらく遠距
離戦をして、入れ替えの弱点を観察する……って。けれど)
久世屋が核鉄と共に仕入れた知識にはこうある。

ホムンクルスは武装錬金でしか倒せない。

(決め手はやはり、あの忍者刀の武装錬金)
猛然と飛びすさるコウモリへ扇が降り注ぐ。忍法・天扇弓だ。
(入れ替えを封じたら必ず接近戦を仕掛けてくるだろうね。俺にも一応、武器はあるけど)
赤いうねりが、何度目かの爆発を起こした。
その真っ赤な光の中でため息をつきつつ、右手の百雷銃(百雷銃)を見る。
本来の百雷銃は逃走用の道具だから、忍者が携帯できるぐらいの小さなサイズだ。
が、筒は遠目だとコカコーラの500ml缶に見えるほどの大きさだ。
それが鈴なりの10個セットで縄──正確には火縄──へ結わえつけられている様は、さな
がら和風チェーンマインといった趣だ。
爆発に一歩遅れて、一本の扇が急降下。
久世屋の背後を狙い撃たんときりもむ扇。常人ならば必殺必定の不意打ちである。
が、扇が標的の圏内約70cmに達した瞬間!
久世屋の姿は陽炎がごとく揺らめき、木へと変貌。
入れ替わりだ。
いわゆる逃げ水のように、彼は4mほど先で難を逃れている。
あわれ扇は木に刺さり、爆炎に呑まれ尽き果てた。
「フム」
関心なさげな根来の声を聞きながら、久世屋は思考に浸り続ける。
(重さは見た目ほどじゃないし、何より今日初めて使うからなぁ…… 経験差から考えると、
近距離戦になれば間違いなく競り負ける。その上)
コウモリを使っているうちに、もっと重大で基本的な、『弱点』が見えてきている。
(気をつけなきゃいけないのは弾切れ。いくら何でも無尽蔵に出てくるワケがないし、既に入
れ替え用に結構な数を使っているから、攻撃用の筒も実は結構少なそう)

配分を手早くまとめると、またコウモリを差し向ける。
が、それも撃墜。
(正面からじゃムリだ。ま、そっちの対策は後で考えるとして)
結論を出すと深く息を吸い込み、全身に一種の活力をみなぎらせる。
すると。胸。肩。腹。二の腕。大腿部。
そこかしこから赤い筒がにゅっと飛び出て、コウモリへと形を変えた。
「体のどこからでも出せるんですよ。どこからでもね。入れ替え用の百雷銃を仕掛けたのも
この特性。最初の打ち合いでこっそり足元から出して、森に張り巡らしました」
言葉に合わせるようにコウモリは殺到する。
総勢、5体。
根来は表情一つ変えず、ズボンのポケットに手を突っ込み妙な物を取り出した。
一言でいうと、銀色のくの字。ただし両端は釘のように尖っている。
「忍法・針つばめ」
掌に収まるぐらいのそれが5つビューっと風を切り……当たり前のようにコウモリを撃墜した。
だが、異変はこの時起こった。
突如として、根来の肩口が火を噴いたのだ!
ところどころ焼け焦げた制服に、うっすら血が滲む。
「大したコトは何もしてません。」
久世屋は恐れ多いという顔で説明した。
「仕掛けた百雷銃と体の中身を入れ替えて、そこから透明なコウモリを放っただけです。手足
だと動きに支障が出ますが、内臓ならまぁ何とか」
辺りでは。
腸とおぼしきサーモンピンクの塊が、木の枝にぶらさがったり幹に巻きついたり。
胃が根元に無造作に転がっていたり、膀胱が木の頂上で琥珀色の液体を流したり。
いずれも枯れ枯れとした森に異様な色彩を与えている。
「どの部位であれ、筒との入れ替えが可能か。右足を取り戻したのもその特性。筒を発現で
きる貴様ならば、手繰り寄せるのは容易いだろう。付け加えると、拘束を逃れたのは不可視
のコウモリの仕業。まんまと月水面を燃やしつくし、火まんじを打ち消した」
「ケガしつつの解説、ありがとうございます。では、出所不明、所在不明確なコウモリを」
小バエがたかり始めた内臓どもからコウモリが排出され、闇に溶け込み飛来する。
「下らんな」
根来は、右手に天扇弓、左に針つばめを持ち出した。

いずれもどこにしまっていたか不思議なぐらいの数量で、めたらやったら投げられる。
正面はおろか、左右、頭上、果てはノールックで背後へと、
銀の光がビュンビュンと森を飛び盛り、やがて根来の両手はすっからかんになった。
「やけを起こしたんですか?」
「違うな」
声と共に、まったくまちまちの方向で火の手が上がる。
久世屋の顔がひきつった。
「いかに透明といえど、耳をすませば羽ばたく気配は容易くつかめる」
「ならこれはどうです!」
和風チェーンマインを根来めがけて投げつけ、着火した。
バツンバツンと派手な音とミカン粒のような火花を駄々っ子のように撒き散らし、うるさいコト
この上ない。
「音を聞けない上に、今のあなたは無手」
殺到するコウモリに、根来は何ら抗えないのか?
「ひゅるっ…」
口笛のような音が根来の口からほとばしった。
「るるるるるるる」
と同時に、彼からやや離れた木立の景観が、渦状にぐにゃりと捻じ曲がり、爆発した。
(そ、それって何かのマンガの技じゃ。……いやいや違うだろ俺。攻撃が破られてピンチだ!)
根来は適当に体の向きを変える。
口笛のような音を鳴らして空間を捻って爆発させていく。
「忍法・吸息かまいたち。何物を吹きもせず、飛ばしもしない。吐くのではなく、吸うのだ。強烈
な吸息により、ややはなれた虚空に小旋風を作る。この旋風の中心に真空が生ずるのだ。
この真空にふれたが最後、犠牲者の肉は、鎌いたちに覆われたように内部から弾けだすの
だ」
一通り爆破を終えると、根来はとうとうと説明する。それはもう、角川文庫の甲賀忍法帖120
ページ目の6行目から9行目までを引用したかのごとく理路整然と。
「ははは。もう何でもアリですね」
「自動人形(オートマトン)には、犬笛のような操縦を司るモノが必要不可欠。では貴様の場
合はなんだ? 火縄か? それとも筒か?」
「…………!!」

「貴様の正体を鑑みればおおよそ察しはつく。声だ。貴様がよく喋るのはそのカモフラージュ。
声に超音波を交えて、コウモリを操っている。音の大小がそのままコウモリの速度の緩急だ。
そして内臓の配置が変わった音は耳に届いてはいない、ゆえに飛来するおおよその方角は
見当がつき、超音波の強弱を聞き分ければ、コウモリの軌道は読める」
「んな無茶苦茶な。確かに声で操ってますけど」
戸惑う久世屋だが、現にコウモリ軍団を撃墜されているのでぐうの音も出ない。
恐るべきは根来の聴覚。
ちなみにコウモリには、超音波を作る特別な器官が存在すると思われがちだが、それは違う。
実際には我々人間が声を発するのと同じ調子で、声帯から超音波を発している。
そもそも「超音波」という言葉は、人間基準で設けられた言葉だから、コウモリにとってはごく
ごく普通の代物だ。
「コレなら」
右手を一振り。赤い筒が3つほど融合し、一回り大きなコウモリが根来へ向かう。
されど正面攻撃の悲しさ。吸息かまいたちの的となり──…
(今だ!)
久世屋が気合を込めると、赤いコウモリが消え去り、代わりに紅色の肉片が宙に現われた。
それは空間湾曲の渦に呑まれ、大きく爆ぜた。
根来の衣服のところどころに付着するぐらいに。
「忍法楽しさに避けるのを考えないからそうなります」
驚くべきに肉片からコウモリが現われた。
「それは俺の肝臓。つまりは俺の一部。零距離からのコウモリの爆発、避けられますか?」
もとより肝臓は、切り裂かれて4分の1になっても半年以内に完全再生する。
そこへホムンクルスの再生能力が上乗せされるから、久世屋はこのような暴挙に及べたの
だろう。
根来は舌打ちをすると、忍者刀を地面に突き立て、潜り込む。
忍者刀の武装錬金、シークレットトレイルの特性は。
亜空間への入り口を切り開き、根来と根来のDNAを含む物以外の浸入を阻む。
よって。
根来に付着した肝臓は、埋没の最中で爆ぜ消えて、コウモリも爆破消滅。
「ああ、折角の切札が」
言葉と裏腹に久世屋の顔は涼やかだ。

(やっぱり簡単に浸入させないか。密着状態なら行けると思ったんだけどなぁ。となると、条
件は距離じゃない)
思考力が、かなり深いところに及びつつある。
(根来さんは何かの空間を作っているはず。そこに俺の肝臓は入れないけど、根来さんの
衣服はきちんと出入りできるんだ。条件は何だ? それさえ分かれば、接近戦でも有利にな
れる筈。考えよう。根来さんは俺より強いから、意表を突かなきゃまず勝てない。一体、条件
は──)
「入れ替えの能力、想像以上に応用が効く…… 故に元から断つ」
声で現実に引き戻された久世屋が見たのは。
地面から飛び出す金の刃。
「シークレットトレイル必勝の型。真・鶉隠れ。木に仕掛けてあるという内臓も百雷銃も、まと
めて始末してくれよう」
刀がうねりを上げて飛びすさる!
強烈なバネに弾かれたと見まごう程の勢いで木を斬りつけ、亜空間に埋没。
その二動作を超最短のスパンでやってのけ、剣風乱刃を巻き起こす!
不気味なうねりがびょうびょうと森に響き渡り、木々に肌色の生傷が増えていく──
木が爆ぜた。百雷銃の仕掛けられた木へ命中したのだろう。
だが爆発はそれきりで、後は単調なうねりが繰り返すのみ。
つい今しがたなされた「内臓と百雷銃をまとめて破壊」という宣言の達成率は、著しく低い。
再び木が爆ぜたが、やはり散発的な物。一気呵成の破壊には繋がらない。
(当たり前さ。まとめて仕掛けたりなんかしてないからね。そんなのをしたら、芋づる式に全滅
してしまう。バラして配置してある。もちろん、コウモリでやったように、透明にしてね。内蔵は
もう戻してあるから無事。捜索範囲を広げても、どこも同じような間隔で配置してあるから命
中率は変わらない。仮に)
不意にシークレットトレイルが久世屋に目標を変えたが。
陽炎のゆらめきと共に、彼は木へと入れ替わる。
(こうやって俺を狙っても無駄)
爆炎の中、避けられたシークレットトレイルは亜空間に沈み……
恐らく、久世屋の位置を根来は確認していたのだろう。
木を狙う時よりわずかに長い(それでも0.8秒ほど)の待機時間の後。
再びまた久世屋を狙う。
が。結果は同じ。入れ替わった木を傷つけるのみ。

次も同じ。その次も同じ。
(結構危ないけどね。もし、間髪入れずに俺を狙ってきたら当たるかも。入れ替えの後には、
妙な硬直の気配がある。けどそこは、攻撃と索敵を同時にやらなきゃならない根来さんの辛
い所。場所の確認と、刀を差し向ける動作を切り替えるせいでラグが生じて、硬直時間中に
は届か……)
久世屋はかすかに息を呑んだ。
(待て。当たらないとしても、入れ替えの能力は発動するぞ。大体70cmほど近くに攻撃が来
た、自動で入れ替わるから。というコトは)
シークレットトレイルは。
また久世屋めがけて飛んできた。
(マズい! 木を漠然と狙い撃つのをやめたみたいだ)
そう。入れ替わりによって百雷銃を仕掛けた木が現われる。
ならば、久世屋を攻撃して木を爆破していく方が確実だ。
「だが残念ながら、そうはさせませんよ。一見、根来さんの方が有利そうですが」
右手を一振り。例の、「真の姿」を誇る百雷銃を発現させる。
その間にもシークレットトレイル。うねりをあげて殺到しつつある。
「唯一の決定打さえ捕らえてしまえばこちらのモノ!」
筒が鈴なりになった縄を振りかざす。木々の間を縫うように。
すると。
先端の筒のみがコウモリと化した。
ただし今までと異なるのは…… 縄の通った半円状の板を背中に残している所。
その状態で、シークレットトレイルの周りを飛び回る。
先端から角鍔間際までらせん状にだ。
いきおい、縄は筒をからから鳴らしながら刀身を取り巻き。
一気に締め付けた。
あわれシークレットトレイルは縄に捉えられ、ピタリと静止。
あるいは縄のみであれば逃れる手もあったのだろうが、筒が交互に噛みあっているから脱
出は容易ではない。先端のコウモリもいつの間にか筒に戻って、鍔あたりに巻きついている。
「どうです。あなたを倒してはいませんが、切札さえ封じれば」
「かかったな」
「え?」
筒の隙間に、炎が灯るのが見えた。

刀身のちょうど中央だ。それは青く、小さく、……卍の形をしていた。
(くそ。捉えるのを見越して仕掛けていたのか! マズい。筒の近くで炎はマズい!)
めらめらと静かに燃えていたそれは、いっきに火勢を増す。
青ざめた瞳。見つめる炎。
赤い筒に引火し、10個全て、有無を言わさず爆発した!
久世屋曰く、「4個あれば根来の右足を吹き飛ばせる」爆発の2.5倍だ。
熱気と風の奔流が、辺りを揺るがす。
辺りの木は肌を強烈に抉られて、凄まじい音と共に倒れるものすらあった。
(もしかすると。あの炎は確か根来さんの──)
むろん、例によって難を逃れた久世屋だが。
入れ替えが完了した瞬間。
頭上から舞い降りた影に、首を三回転ほど捻られた。
「がっ!」
猛然ときりもみつつ吹き飛んだのもむべなるかな。
影は逆さに舞い降りて、久世屋の首を基点に倒立しつつ凄まじい回転を加えていた。
全体重を首一点に預けた刹那の三回転。
戦国時代、宇多方という地で暗躍した飛鳥忍者一族にのみ伝わる血祀(ちまつり)殺法だ。
これにはホムンクルスの久世屋といえど、ただ体勢を崩して倒れ伏すのみ。
もし、逆(さかしま)に垂れたマフラーがたなびく様を見れば、誰がやったか位は分かっただろ
う。あるいは、奇麗に着地するその姿を見れば。
シークレットトレイルは影──根来の手へと戻る。
先ほどの真・鶉隠れは、この一瞬のためのもの。
百雷銃の『破壊』ではなく、『それが仕掛けられている』木をある程度判別し、逃走先を絞り込
むのが主目的。要するに、

真・鶉隠れを喰らって傷だけで済む → 百雷銃は仕掛けられてない。
      〃      爆発する    →   〃  は仕掛けられていたが、爆発により消滅。

となり必然的にダメージ痕のある木は、入れ替えの対象とはならない。
逆にいえば、無傷の木、とりわけ久世屋の近くにある木ならば、逃走先の候補となる。
なぜなら、百雷銃が仕掛けられているかどうか未判定だからだ。

よって根来は、シークレットトレイルに火まんじを施しがてら、疑わしい木を張り。
運良く入れ替え場所に当たったので、硬直時間中の久世屋に血祀殺法を見舞ったのだ。
そして根来は。
一足飛びに斬り込んで。
足元から舞い上がった炎にその身を焼かれた。

「気づいた…んですよ」
首をおかしな方向に捻じ向けながら、久世屋は呟いた。
「根来さんが服と一緒に何かの空間に潜れる理由。俺が、筒を俺の体の一部と入れ替えら
れるのと同じような理由だって、ね」
手を首にやって、強引に正面を向かす。軽い呻きが漏れた。
「DNAですね? DNAを基準に、潜れるようになっている」
消火のためか、根来は亜空間にその身を潜らせた。
幸い、炎は稲光と共にかき消えたが……
「だから俺も、あなたのDNAをコウモリに織り交ぜた。忍法・火まんじでしたっけ? あれで
根来さん、血を俺の足にかけましたよね。ずいぶん焦げてしまいましたが、燃えカスが残って
いたので、とっさにコウモリに吸わさせて、潜らせて、向かってくるあなたの足元で一気に爆
発させました…… 数はおおよそ、5体」
息も絶え絶えに説明しつつ、右太ももに手をやり血の燃えカスを指に付ける。
それをピチャピチャと舐めながら、話を続ける。
「俺はチスイコウモリですからね。筒のコウモリだって血を吸えます。吸って、あなたのDNAを
帯びるぐらいの芸当も、ね。フフフ。荒唐無稽だと思うでしょうが、武装錬金もいわば一種の
抽出物。闘争本能や精神に武器の形を伴わせた、抽出物。そしてえてして抽出物というのは
欲望を叶えるために想像を超えた機能を備えるモノ…… あなたのDNAぐらい、コウモリに
混ぜれます。俺が血を吸ったとしても、いや、混ざるよう抽出しますよ。根来さんの使う忍法
に比べたら、まだまだ常識的な範疇でしょうしねぇ……そうそうこの武装」
名前がまだだったと、久世屋はひどく力のない声で呟いた。
全身嫌な感じの脂汗にまみれ、木枯らしのような雑音が呼吸に紛れている。
やや話に筋が通っていないのは、苦痛により意識が定かでないのだろう。

「百雷銃の武装錬金・トイズフェスティバル、という所でしょう。おもちゃのチャチャチャという
歌あるでしょ。アレの3番がモチーフ。きょうはおもちゃのお祭りだ……ってね」
ちなみにおもちゃのチャチャチャの作詞は、蛍の墓や飼ってるシベリアンハスキーが行方不
明になったコトで有名な野坂昭如だったりする。
「おっと。文法が合ってるどーかは突っ込みはなしですよ? もっとも根来さんは英語とか、
ニンジャタートルズとか嫌い……ゲホ!」
青ざめた顔が咳き込んだ。背を丸めたのは、喉から走る激痛への反射だろう。
(ああやっぱり。さっきの攻撃でノドをやられている。説明せず黙ってれば良かった)
気管はおろか、コウモリ操作の要たる声帯すらも断裂している。
例えるならひび割れた笛だ。空気と雑音を漏らすばかりで、まともな音を鳴らさない。
(破れた箇所が多いから、すぐの修復は無理そうだな。けれど)
強引に姿勢を正し、30体ものコウモリを出現させる。
(残弾から考えると結構な量だけど、ためらっちゃいられない。今を逃したらまた逆転の目を
与えるから)
覚悟を決めると、自らのノドに手を当てる。というより締める。
(空気が漏れて音が出ないっていうなら、こうやって漏れなくすればいいだけのコト)
当然、手を当てた所から際限なくひりついた激痛が広がるが、噛み潰す。
彼を支えているのは、これから出逢えるであろう素晴らしい抽出物への希求のみ。
締められた喉の中で、気管や声帯が強引にヒビを埋めた。
指示が、わずかに開いた口から空気を伝播する。
「ゆ……け!!」
覚悟は功というべき超音波を奏し、コウモリたちに動きを与えた。
動かした当人の形相は苦悶に満ちて、どちらが劣勢か分からない。
やがて地面に埋没する真っ赤な群れ。
なお、操作用の音波は亜空間に届く。
音波というのは空気に生じる振動。そして、根来が亜空間で窒息せずにいられる所を見れ
ば、そこに空気があるのは瞭然だ。
軽い爆発音の後、根来が久世屋目がけて飛び出した。
だが速度はほとんど失われている。
起死回生の爆発が一番ダメージを与えたのは、他ならぬ両足だ。

脛から足首辺りの肉がズグズグに抉られ、靴は消し飛び、足裏は水ぶくれまみれ。
再殺部隊の制服も、ボロボロ。焦げ目とほつれと血に塗れている。
動けるのは奇跡だろうが、それへ別段感謝を浮かべる様子もなく、根来は殺到する。
もはやコウモリが亜空間へ侵入できる以上、その創造主たる久世屋を倒すのが賢明だろう。
だが、刀は久世屋にかすりもしない。
入れ替わりの能力は依然、発動中。
シークレットトレイルは木にかすり、爆ぜた。背後からはコウモリの群れ。
やがて根来の周りを覆い尽くすと、最高速で彼めがけて飛び始め。
赤橙の盛大な火花で、跡形もなく吹き飛ばす──…
筈だった。
その時、根来をかっさらう影さえなければ。

電撃的な転瞬が走ったとみるや、根来はそこから10mほど離れた場所にいた。

支えるように寄り添う細い腕の感触に、彼は少しばかり眼を見開いた。
が、すぐさま瞑目し、いつもと変わらぬ調子で呟く。
「戻ってくるなといった筈だ」
「ええ。けど大戦士長から戻るよう指示があったから」
紅蓮の炎の中でコウモリは全て灰燼に帰し、地面へ落ちた。
先ほどの応酬の余波により、辺りの至る所で小さな火がチロチロと燃え盛っている。
「……戻られましたか」
声にならない声、というのは正にこういう物を指すのだろう。
とても掠れた音が、久世屋の口から漏れた。
なぜなら彼の視線の先で、根来を支えていたのは。

楯山千歳その人だったからだ。



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