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第32話 【備】そなえあればうれいなし



シークレットトレイルは、千歳の鼻先すれすれを大きく掠め上げていた。
瞬き一つしない彼女をがっしりと捉えつつ、久世屋はほく笑む。
(やはり。今の一撃はフェイク。大方怖気づいた俺が逃げるのを待っていたのでしょうが、
突き以外なら避けるまでもなくこちらの勝ち。動く必要はありません)
ただ、いまの攻撃。千歳を楯にした分、久世屋からは遠い。
入れ替えの有効範囲内からも遠い。
(けれど!)
見れば根来は、千歳より30cm前方。疾走からの斬撃と同時に急停止したようだ。
頭上でシークレットレイルを振り上げ、わずかに硬直している。
肩から大粒の血が落ち、地面に染みた。
(いま千歳さんを爆発させればこちらの勝ち!)
「喰ら──」
爆破合図を叫ぼうと瞬間、決定的な異変が生じた。
ゆらり。
千歳を捉えていた腕が、急激に重みを帯びた。
(な、なんだ?)
腕につられて意図せぬまま、上体は前のめりに曲がっていく。
(……い、いや違う! 異変が起こっているのは俺の身じゃない!)
久世屋は気づいた!

.・ ・ .・ ・ ・ .・ .・ .・ .・ .・   ・ ・ ・ ・ .・ .・ ・ ・ .・ .・
眼前にある千歳の頭が、徐々に沈んでいるのを!

頭だけではない。首から背中、腰から足に至るまで、垂直に沈んでいる。
(まさか)
彼女の足元では稲光が荒れ狂い、千歳自身を地面に引きずりこんでいる。
久世屋が重みを感じたのむべなるかな。
しっかと捉えていた千歳が土中に没していけば、下に引かれるのは自明の理。
そしてこの現象は、亜空間内に根来が潜る時と酷似している。
(けどおかしいじゃないか!? 俺の肝臓は振り払われていたぞ!! なのに)
不可解な事態に、久世屋は思わず千歳から手を離していた。
(なんで彼女は……いや違う! 俺がいま気をつけるべきのはこっちじゃなく)
「終わりだ」
根来は鬼気迫る表情で、最上段の構えから右手を後ろに引いた。
金の刃が、毒々しい霧の輝きを吸い込みながらスルスル動く。
やがてその柄が、わき腹と平行になった所で一瞬だけ固定され。
本当に静かに突き出された。
更になぜかひらりと手首を返し、峰を上に向ける根来。
すっかり地面に沈んだ千歳の頭上経由で、久世屋の胸の中心を狙いつつ。
一連の動作はあまりに静謐すぎた。
警戒していた久世屋ですら、攻撃だとは思わなかったほど。
だがトイズフェイスティバル!
静かに差し出された忍者刀を攻撃と忠実にみなし! 例の入れ替えを発動!
久世屋と入れ替わるのは、百雷銃を仕掛けた物体!
すなわち。
現存最後の百雷銃をその身に仕掛けられた千歳と、久世屋は入れ替わる!
だが!
理由は不明だが、千歳は下半身のほとんどを沈めている!
『根来本人、もしくは根来のDNAを含むもの』以外の浸入を許さぬ亜空間へと!

そんな彼女と全く同じ位置へと入れ替わればどうなるか。

久世屋は。
入れ替わりと同時に、亜空間から垂直にはじき出された!
むろん、頭上にはシークレットレイルが差し出されている。それは峰を上に向けてもいる。
よってまず、彼の頭にシークレットトレイルの刃がめり込み、後はもう加速の赴くまま。
拒否の追放に成すすべなく飛びながら、頭頂部から股関節に至るまで両断されていた。

「お、おかしいじゃないですか。何で俺ははじき出されたのに千歳さんだけ」
地面に落ちた久世屋の左半身が、力なく呻く。
斬られた後に落下し、仰向けで5cmほどの間隔を空けて左半身と右半身を並べている。
額にある章印(ホムンクルスの急所)も真っ二つだ。
先は長くない。
そばで見下ろす根来の瞳には、そういう冷たい判断があった。
シークレットトレイルは解除され、核鉄の状態で肩に当てられている。
核鉄には人間の自然治癒力を高める効果があり、止血にも用いられるのだ。
「知ってはいますよ。根来さんのDNAを含む物体なら、あの空間に入れるって。でも何でです
か? 千歳さんが俺のコウモリみたいに肌へあなたのDNAを含ませていたワケでもないでし
ょう。せっかく、せっかく勝てそうだったのに、ワケの分からない理由で負けるのは、納得が」
「髪よ」
答えたのはいつの間にかヘルメスドライブを拾って、根来の隣にきた千歳だ。
「髪?」
「ええ。戦士・根来は」
「服に髪を縫いこみ、亜空間へ浸入させている」
会話に割り込み、根来はこうも答えた。
「恐らく同様の真似を施したのだろう」
「だろう……? ちょっと待って下さい。縫いこむならそれ相応の量がいる筈でしょ? なら
根来さんが『だろう』っていうのはおかしいじゃないですか。沢山の髪を千歳さんが手に入れる
ためには、根来さんの協力がなくちゃ無理のはず」
千歳は根来の前髪に視線を注ぎ、ついで、はるか後方で白目を剥いて倒れている鷲尾を
一瞬だけ振り返った。汗に濡れた短髪が少し揺れ、香しい匂いを森に撒く。
「あなたは覚えている? この森で戦士・根来の尾行を撒いた時のコトを」
「ええ。あなたたちが赴任してきた日の夜でしたが」
「きっかけはその時よ。戦士・根来は髪を斬られた」
「え? あ、ああ。あの浮浪者にってコトですか」
「確かにそうだな。真・鶉隠れを仕掛けた時に」

──ただの偶然か怒りに身を焦がす男が生んだ超集中力のたまものか。
──根来の額近くを、ナイフの銀閃が猛然と通過する。
──皮膚こそ傷つけなかったが、かなりの量の髪が斬られ宙を舞う。

「だから私は回収して、ある人にクローン培養を依頼した」
ある人……というのはヴィクトリア=パワードという少女(外観上は)である。
彼女は諸事情によりその身をホムンクルスと化し、とある女学院の地下で100年間、母と
2人きりで暮らしていた。
ヴィクトリアは母の目的を叶えるため、そして食事の都合上、クローン培養に携わっている。
だから千歳は根来の髪の毛の培養を依頼し、今日の昼、受領した。

「この任務に赴く前、貴殿が要求した1時間の猶予は、私の髪を縫いこむためか」
フード付きのツナギを見つつ、根来は問う。
「ええ。この服にしたのは、再殺部隊の制服だと私の足や頭までは覆えないから」
「はぁ。でもよく思いつきましたねそんな下準備」
久世屋の右半身が感心したように呟き、千歳は少しの沈黙を経て、答えた。
「ここに来る途中、電車の中で彼がやっていたから」

──そして根来が車内で忙しく動かす針に通してあるのは、灰色の長髪だ。
──体組織の中で一番採取しやすく、また匂いなどで潜入を察知されにくいのは、やはり髪だろう。
──それを根来が慣れた手つきでスーツやカッターシャツに縫いこんでいるのは、工場において
──迅速かつ十全にシークレットトレイルを発動させるための行為というのは、明らかだ。
──ゆえに下準備。

「本当は彼が亜空間の中で危機に陥った時に、ヘルメスドライブで助けられるよう準備して
いたのだけど……」
「俺に捕まったから咄嗟に変えた?」
「ええ。目線だけで伝わるかどうかは不安でもあったわ。けれど」
瞑目の根来は即答した。
「土壇場でようやく察しがついた。貴殿の先ほどの台詞からな」

──「だってあなたの髪は柔らかくて、とても自然に逆立つとは思えないもの」

「髪を触られた覚えがないにも関わらず、感触を知られていた。加えて、ここに至るまで戦士・
千歳が時おり垣間見せたものいいたげな態度を繋ぎ合わせれば、応えは自ずと出る。髪を
用いたシークレットトレイル絡みの策がある、と。よって私は走りながら、戦士・千歳の足元を
斬りつけ、亜空間への入り口を開いた」
後は貴様の知るとおりと、目を開いて突き放すように久世屋へいう。
「下から上に弧を描くような斬り方はそのためですか。ん? 待って下さい。その後の突き
はなんだったんですか? やっぱり俺の策を見抜いていたんですか?」
根来はフンと鼻を鳴らした。
「当然のコト。もし私がその武装錬金を扱うのならば、残弾は確実に残し何らかの切札とする。
そして貴様と同じ状況下に置かれれば、寸分違わぬ形で用いただろう」
冷徹なまでの合理精神を持つ根来ならではの発想だ。
「でも考えて見てください。俺にはトイズフェスティバル以外の切札があります」
久世屋はチスイコウモリのホムンクルスだ。
そしてである。動物型もしくは植物型のホムンクルスというのは、ベースとなった生物の形態
で活動するコトもできる。
現に久世屋は、部長殺しのアリバイを作るため、コウモリの姿で時間を稼いだと自供しても
いた。
「だったら、俺が土壇場でチスイコウモリへ変形する可能性だって」
「それはない」
「根拠は?」
「いかに貴様が電車並みの速度で飛べるといえど、ここは森。貴様の図体では木立にあたり
機動力は活かせないだろう。かといって地上にいてはむしろ戦闘力は激減するのだ。何故
ならコウモリは直立できぬほど脚力が弱い。仮に、部分的に変形が可能だとしてもだ。どこを
変形させる? 足は弱く、耳や鼻は無意味。羽とて百雷雷を振るうのに不向き。利点は皆無
だ。だが、それ以上に」
根来はニヤリと笑った。
「玩具を好む貴様のコト。元の姿は嫌悪しているだろう」
久世屋はキョトンとしたが、次第に唇から頬にかけ大きく痙攣させて、やがて大爆笑した。
「ハハハ。ハハ。確かに。あの姿はおもちゃで倒される側の姿ですからね。怪人っぽい。アリ
バイ作ってるときも実は、『うわ、やだなぁこの姿』とかイヤでしたね。ハハ」
すごく楽しそうに根来を指差し久世屋は指摘する。
「根来さんが覆面をつけないのと同じ理由かも。覆面の忍者なんて、ショッカーの戦闘員並み
の扱い。やられ役の姿で戦うのは誰だって嫌でしょう」
「だな」
根来もまんざらではなさそうだ。そして千歳は、防人と火渡が仲良かった頃を思い出していた。
こんな感じの「千歳には分からない話」をして良く笑っていた頃の。
男性というのは皆こういう物なのかと、千歳は首をひねった。
「ついでに思い返してみろ。策を弄している時の貴様は、必ず多弁になっていた」
2つに分かれた久世屋は、バツが悪そうに頬をかいた。
「そーでしたか? んー。いわれてみればそうかも知れませんね。でもいまは本当に何も企
んでませんよ。いってはみるものの我ながらあやしいですけど。ハハハ。ま、詰まる所、俺は
あなたの洞察力に負けたってコトですかね」
「違うな。貴様の敗因は、戦士・千歳の存在そのものだ」
(え?)
千歳はとても驚いた顔で根来を見た。
「策は密かに弄してこそ功を成す。私にさえ秘匿し続け、土壇場で貴様の言を逆手にとって
違和感なく策を仄めかしたのは、並みの戦士ではできぬコト」
(……もしかして、褒めてくれているの? 私を? 私は人質に……なったのに)
無表情ながらにどぎまぎと鼓動を早める千歳を、根来は横目で見て、非常に無愛想な声音で
呟いた。無理に無理して、声音を作っている。そんな印象がある。
「充分、優秀といえよう」
万が一に備えて策を練り、調査と索敵をこなし、根来の窮地を救い、鷲尾の乱入を逆利用し、
些細なやり取りから逆転の一言を導き出した千歳だ。
冷徹に誰よりも正確に物事を見る根来が、「優秀」と評価するのは当然だろう。
「え?」
けれどいわれた当人はひどく揺れた気分だ。
工場長のように社交辞令的な言葉でもなく、防人や火渡や照星のように千歳を慮った暖かい
言葉でもない、真実そのままの言葉を反芻すると、頭の中に新鮮な光が差し込んでくるようで、
少しむず痒い。
心なしか、顔の筋肉も少し強張りが抜けて、懐かしい気持ちがどこからか湧いてくる。
「……まさか、あなたにそう言われるとはね」
俯いたまま、千歳はぽつぽつと呟いた。
「不服か? ならば取り消しても構わない」
根来は首だけを千歳に向けて誰何した。
「いいえ。光栄よ。それから──…」
顔を上げると、根来を見据えてゆっくりと、いうべきコトを口にした。
目を細めて、唇の両端を柔らかくして、頬も緩めて。リラックスして。
「ありがとう」
柔らかで暖かな声が、森に響いた。
するとどういう訳か、根来の細い目の中で瞳孔がみるみる開き、やがて彼の無表情は、驚
愕に変貌を遂げた。
千歳も驚いた。根来の狼狽した顔を初めて見たからだ。
「何か?」
「いや……」
彼はせわしくなく言葉を探しているようだ。額がうっすらと汗ばんでいるようにも見える。
ややあって、少し乾いた声を根来は出した。
「貴殿も笑うのだな」
「え?」
思わず千歳は頬に手を伸ばした。
「いや、既に消えている。だが……」
根来はまた首を正面に向け、口早に呟いた。
「それは防人戦士長にのみ見せるべきだろう」
「どういうコト?」
「防人戦士長に聞け。私には関わりなきコト」
「……でも、本当に?」
千歳自身、自分が笑っていたとは信じられないが、根来がそういう嘘をつく訳はないから、
きっと笑ったのだろう。
嬉しくもあり、罪深いような気もして、まだ戸惑っている。
そして千歳の言に被さって誰の耳にも届かなかったが、こんな声も存在していた。
「ひとまず、眼福だったといっておこう」
と。

その足元で、久世屋は消滅を始めていた。
額の章印を真っ二つにされたので、彼はもはや死を迎えるしか出来ない。
にもかかわらず彼は、ひどく満足そうな笑みを浮かべていた。
(ほらね。俺のいったとおり。輝かしい物を抽出した時は誰だって喜ぶのさ。ま、それが俺の
嫌いな『優秀』って言葉がきっかけなのは皮肉な話だけれど、別にいいや。それより死後の
世界だ。あっちにもおもちゃは沢山あるだろうね。今まで捨てられたり企画段階でボツにされ
たのが沢山。それで飽きるコトなく遊ぶさ。部長がいたらまた殺すけど。あ、そうそう千歳さん。
あなたに仕掛けた百雷銃は爆発させませんよ。今からあなたと根来さんを殺しても仕方ない
ですし、会社でも何かと助かりましたし、……抽出物だってちゃんと出せる『優秀』な人です
からね。フフフ。俺は粋でしょう。でもコレいったら根来さんが呆れるから黙ってますけどね。
でも。手出ししないのはあくまで俺だけ。霧を出してる人に対しちゃ、自己責任でお願いします。
…………ようし。死ぬ前に思うべきコトは全部思ったぞ俺)

いつしか薄らぎ始めた霧の中、久世屋の体は細かい粒子と化して空気に溶け込んでいき
彼の思いが終わると同時に完全消滅した。

久世屋 秀。死亡。

と同時に、千歳の肩から核鉄がこぼれおちた。
彼女は迷いを浮かべて鷲尾と根来を交互に見比べた。
根来は知らん顔をした。ので、千歳は鷲尾のところへ歩き、核鉄を当てた。
彼は背中と頭に傷を負っていて、血の出すぎは命に関わるからだ。
それとほぼ時を同じくして、霧が完全に晴れた。
千歳は訝しみつつも、皆神警察署へ電話し、鷲尾の回収を依頼する。

「第三者についても気にはなるけど」
「現在の状態で遭遇すれば、確実に負ける」
深い疲労の息をつき、根来は憮然とした。
負ければ世界に97個しか現存しない核鉄を奪われる。
それに、仰せつかった任務自体は遂行した。後は無事に戻るコトこそ重要。
第三者の正体については、後日別の者が調べればいい。
2人とも同じコトを考え、撤退を選択。
千歳は根来の肩に優しく手を当てて、瞬間移動した。

彼らの判断は実に賢明だった。
移動と同時に彼らのいた場所を、青白いエネルギー波が凶悪に薙いでいたからだ。
形容するなら、チェーンソーの刃の部分。
飛翔速度を緩めぬまま木に激突し、まばゆい光を2〜3度散らすと165分割した。
「やれやれ。瞬間移動であっさり逃げを打ったか」
エネルギー波が飛んできた方から、金髪の男がぬっと姿を現した。
胸元には認識票。その右手には幾何学的なチェーンソー。
第三者こと、総角主税(あげまきちから)と名乗る例の男である。
「しくったな。好奇心で好機を逃した。同族をどう倒したか聞いている内に……」
歩みを進め久世屋の死んだ辺りでしゃがみ込むと、認識票を握りながら力強く呟いた。
「すまんな。今は表立って戦団と争いたくはない。だからこうやって不意打ちや暗躍をせざる
をえなかった。ただ──お前のいう『抽出物』だけは消滅しない。俺の心に留め、来るべき
戦いに必ず役立てる」
次にさっと目を開き、鷲尾を見る。正確には彼に当てられた核鉄へと。
浮かんだ逡巡は、回収への欲求だろう。だが、総角は笑ってかき消した。
「今回は俺の負けだ。1個ぐらいは戦団の奴らに差し出すべきだろう。が」
チェーンソーを右手から消し、ポケットから小さなビンを2つ取り出した。
「銀成市ではうまくやるさ。その為に俺も、『下準備』といこう」
血の染みた土を掬い上げ、ビンに入れる。もう片方も同じように。そしてポケットへ。
「奴らの武装錬金。確か、ヘルメスドライブと、シークレットトレイルだったな」

──「ヘルメスドライブのレーダーは使えなくなったけど──…」
──「シークレットトレイル必勝の型。真・鶉隠れ。木に仕掛けてあるという内臓も百雷銃も」

彼らが戦闘中に呼んでいたのを聞き及び、名を知っている。
「そのうち使わせてもらう」
パトカーの音が近づいてきたのを察すると、彼はいずこともなく消えた──…



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