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フィソステギア (2)



中村剛太という男がいる。
彼は桜のつぼみが花開き、柔らかな日差しが降り注ぐ4月に生を受けたが、人生は華のない闇一直線だった。
「おんぎゃあーおんぎゃあー」
「まぁっ! 剛太が子宮口を経由して羊水で床をびっしょびしょにしながら生まれやがったわヒッヒッフー!」
「げひゃひゃ!! 猿だよオイ、俺の子どもは猿だよ! な、な、な? こりゃあ失敗だあ〜〜〜〜〜!」
と子どもの誕生に剛太の両親が喜んでいると、ホムンクルスがきて二人を食べた。
これはあまり知られていない話だが、人間は食べられると死ぬ。
だから剛太の両親は死んだ。剛太はというと、ゴミと間違われた。
「ヒャッホウ! 唐草模様の風呂敷があったぜ!」
ホムンクルスはそれに剛太を包んでゴミ捨て場に捨てた。
んでそこに偶然現れ剛太を拾ったのが、まだ若くておつむも正常だった頃の千歳とブラボーだ。
「可哀想よこのコ… せめて戦団で育ててあげられないかしら」
おさげがよく似合う少女は、悲しげに瞳を潤ませた。
「俺が照星さんに掛け合ってみる。大丈夫だ。絶対に説き伏せてみせる」
涙が嫌いな少年の、力強い手が肩にかかった。
千歳はその手が大好きなので、こくりと頷き、涙の乾かぬ顔で嬉しそうに笑って見せた。
さて照星さんというのは二人の親分で、話を聞くと微笑をたたえつつ壁にハイキックを叩き込んだ。快諾の合図だ。
んで剛太は戦団に入るコトになった。が、修行は辛い。
10歳ぐらいの頃、一度戦団から逃げて故郷たるゴミ捨て場に身を潜めた。
すると野良犬が3億匹ぐらい集まってきて、剛太はヘタレゆえにガクガクと震えた。
んでそこに現れたのが、カズキを知る前の荒みきってた津村斗貴子だ。
彼女はちょうど、人の眼球をつぶせそうな先の尖った物を求めて、町中のゴミ捨て場をハシゴしていた。
おりよくガンプラのランナー(パーツをもぎ取った後の枠部分。基本的に角の丸い長方形をしている)が
いっぱい捨ててあり、収穫は上々、斗貴子が鼻歌交じりにランナーをぼりぼりかじって尖らせつつ歩いていると
ややや! 縄張りに野良犬軍団がいるではないか!
斗貴子、唇が裂けんばかりの狂笑を浮かべた!

我が求道を覆いし無知蒙昧なる藪どもめ。慣例どおりにブチ撒けてくれるわっ

まだよだれが生臭いプラスチック棒を投げた次の瞬間。
野良犬どもはことごとく光を失い、1匹はのたうち、1匹はドブ川へ身を投げ、後はみんな爆発した。
で、斗貴子が先の尖った物かと期待して覗き込んだのが、他ならぬ剛太だった。
剛太はこの時、初めて斗貴子を見た。
瞬間、すりこみによって剛太の斗貴子に対する哀れなまでの絶対服従姿勢がインストールされた。
この数年後、訓練の時に励まされるのがホの字になったきっかけだが、しかし基本的な原点はここだ。
斗貴子はというと剛太の髪が尖っていたので、持って帰って建物の屋上からブラボーに投げつけた。
しかしブラボーは避けた。
剛太は全身を強く打って、ニュースなら枕詞に「病院に運ばれましたがまもなく死亡」がつくほどズタズタになった。
衝撃で目が垂れて、あばらが折れて肺に刺さってブラッドイズメニーゲーゲー!
ブラボーはびっくり仰天だ。おま、斗貴子、この子がブラッドイズメニーゲーゲーやないかと激怒した。
が、斗貴子はニタニタ笑うばかりで、まるで話にならない。ブラボーは地団太を踏んだ。
千歳はその地団太が大好きなので、頬を赤らめ恥ずかしそうに俯いた。

んで、時が流れカズキと斗貴子が結婚したのは周知の事実。
カズキの髪は玄人にしか分からぬ良い尖り方だ。だから選んだのだろう。
剛太はショックを受けた。
斗貴子の為にえんやこらエンヤコラ、なんでお前は両手が右手だと頑張るコトを決意して、戦団を裏切り上司の首を
ちょん切り握手を弾いて清流に放尿し、食糧を調達して貰えば難癖をつけたりと、色々やった。
現代において絶滅が危ぶまれるニンジャという生物を目撃すれば、藤岡探検隊顔負けの執念で刃物を投げつけ気絶
させ、その隙にオカマと並べて異種交配を目論みさえした。
以上のように、剛太は剛太なりに精一杯尽くしてきたのだ。
にもかかわらず斗貴子はカズキと結婚した。
ゆえに遅くても再来年の正月には、赤ん坊の写真付きの年賀状が知り合い全てに来るのではないか?

しかし赤ん坊。風貌がどうであれ、見せられたら褒めねばならんという風潮はやりきれぬ。
可愛いねん、げっぷ吐かすの俺の役目やねんなどと携帯電話に入った画像を見せびらかされても、返答に窮する。
けして風貌を貶すワケではないが、褒め辛いものは褒め辛いし、げっぷを吐かすという行動もよく分からない。
それをせねば死ぬというなら、乳を飲ませて山野を駆けるしか能の無い原始人はことごとく死に絶え、今日、げっぷを
吐かせて貰っている赤ん坊もそれを映し出す携帯電話も、まず存在していないだろう。
そも、子に対する親の愛というのはえてして、継承された自らの遺伝子に対するナルシズムに回帰するのみの
よーするにまぁ、うちの子供は可愛いから仕事に熱中してる○○ちゃんに見せれば、きっと一服の清涼剤だよね、
などと思わす勘違いが多々あるように見受けられる。
もっともその勘違いは微笑ましいもので、別に周りに害を振りまくものじゃあない。
せいぜいが、エクセルへのデータ入力のみが人生の清涼剤と自負する者の手を止め、壁紙を許可もなくぐずり顔ベビ
ーの画像に変更したりするぐらいだ。いっそ勇気を出してパピヨンの画像に変えちゃうか? 変えちゃえ。
ともかく結婚の報を聞いた剛太は、まず年賀状の写真を想像して、悲惨なまでに気が沈んだ。
紛らわそうとうろついているうちに横浜に着いた。すると見覚えのある男女が二人連れ立って電車に乗る所だった。
思い出そうとしている内に、女の頭からマスクがふわりと浮かんで、しばらく中空で迷った後、剛太に被さった。
「中村剛太君…でしたっけ? ルリヲヘッドで女学院に戻るのは結構難しいので、しばらく体を貸して下さらない?」
聞き覚えのある柔らかな女性の声が、意識に響いた。

夜。
女学院の地下深くに、剛太はいた。ルリヲヘッドは…被ったまま。
ここでは夜という概念がひどく薄い。
これはアレキサンドリアが脳だけの存在で、視覚に始まる五感すべてを喪失してるせいではなく
地下の暗さと閉塞感がただ物理的に、夜の概念を薄めているだけなのだ。
たとえルリヲヘッドで操った人間を介し五感を享受していても、夜に対する概念は薄いままである。
不思議なのは、夜になり、ルリヲヘッドが女学院に戻ってきてしばらく経つハズなのに、いまだ剛太が操られたままと
いうコトだ。
それはなぜか?

剛太はそのチャラチャラした外見と醜い垂れ目にそぐわず、一応、頭がいい。
武装錬金の特性を覚えたり見抜く才能に関しては、戦団でも屈指の男なのだ。
だからルリヲヘッドが被さった瞬間、一年以上前に聞いたその特性を──

装着者を操る。その際、記憶をスキャンするコトも可能。

とっさに思い出した。
ゆえに操られるのを了承すると積極的に記憶を提供して、こういうコトだからしばらく操っていて下さいと
呼びかけて剛太はただの傀儡と化した。
ちょうどよい現実逃避の手段なのだろう。
さてルリヲヘッド、まずは脳への介在ありきの武装錬金だ。
他者を操るのも記憶をスキャンするのも、脳を押さえねば出来ない芸当だ。
脳、というフレーズは、現在のアレキサンドリアの姿そのものにも当てはまる。
脳のみで夫を救おうとし、脳だけゆえに手足を必要とするアレキサンドリア。
彼女はその姿、つまり脳のみで、夫を救う研究を完遂せんとした。
ヴィクトリアは違うはずだ。錬金術を好まない彼女が、その研究を直接手伝うコトはありえない。
母に冷ややかな目を送りつつ守っていただけだ。
よって脳だけのアレキサンドリアは必然的に助手を要した。だが脳だけでは募る術がまるでない。
そこでルリヲヘッドだ。
他者を手足にするこの武装錬金は、脳という枠に縛られたアレキサンドリアの意思の昇華と欠落補完を見事に兼ねている。
精密かつ合理的。生涯を通して研究者たるアレキサンドリアの気質が織り交ざった実に彼女らしい武装錬金といえよう。
そして一つの可能性も秘めている。
アレキサンドリアが記憶のスキャンから「恐らくできる」と推測しつつ、一度も試したコトのない可能性。それは──…
記憶の消去、である。
スキャンからそれを想起するのはやや突飛かもしれない。
確かにスキャナーが紙に書かれた情報を消せばありえからぬ大故障だが、しかしルリヲヘッドの主機能は
他者の脳に潜り込み、神経全てを支配化に置いて操るコトである。記憶を消せた所で、荒唐無稽な話ではない。
スキャナーよりむしろ、CDとCDドライブの関係を想像すれば分かりやすい。

話を戻そう。
アレキサンドリアが覗き見た彼の記憶は、一つ一つがあまりに哀れすぎた。
いっそ記憶の消去を試みた方が剛太にとってよっぽど幸せじゃないかとも思いもしたが
頼まれてないコトをするのはどうかと思ったのでやめた。
頼まれてないコトといえば、ヴィクトリアを旅行に連れ出したのもそれである。
あの100歳を越えても少女特有の気難しがりがちっとも抜けない娘は、アレキサンドリアの想像の中で
旅行に連れ出されたコト自体よりも、連れ出す為にルリヲヘッドを付けられたコトにかつてないほど怒っている。
娘はルリヲヘッドの特性を熟知している。
が為に、記憶をスキャンされたと思い込み怒っているのだ。
ベクトルとしては、親に日記帳を見られたような、平々凡々とした思春期みたいな感覚でだ。
カズキたちが女学院に突入した頃、ヴィクトリアにルリヲヘッドをかぶせて一芝居打ったが、しかしその時は
「ギリギリの所で取り付かないから。ね。ね。お願いヴィクトリア」
と娘に一生懸命説明して操るマネだけに留めていたが、それでもかなり嫌な顔をされた。
そして今回。アレキサンドリアは娘を操りつつも、記憶を見ないように見ないように頑張った。
でもヴィクトリアは見られたと思い、猜疑に凝り固まっているだろう。
帰ってきたら、一触即発の状態になっているかもしれない。
(ああけれど、そんなコトはずっと無かったわね)
ヴィクトリアは口は悪いが、母への基本姿勢は従順で、ケンカなどは一度もしたコトがない。
脳だけという特異な環境に置かれた母へ、無意識的に遠慮をしているらしい。
例えば、ヴィクトリアがホムンクルスになった理由も、彼女はいわない。
いって怨嗟になるのを恐れているのだろう。
だからアレキサンドリアは聞かないし、記憶を覗き見て知りたいとも思わない。
強引に知ろうとするのは、100年以上も懸命に耐え続けた娘の意思を踏みにじるコトになる。
しかしいつかは話してくれるとも信じている。
ヴィクター亡き後、アレキサンドリアがなおも生きているのは、それを待っているからだ。

(もうちょっとわがままをいってくれてもいいのに……)
という思惑は昼間の、抗弁し、一種の「わがまま」に固執するヴィクトリアを強引に旅に出したコトとちょっと矛盾している。
だが戦部が来て、ヴィクトリアを旅行に連れてくといった時、直感的に従うべきと思ってしまった。
研究者は閃きを大事にする。
浮かんだコトにああだこうだと論理を塗りたくって肉付けして、実用たらしめるのが基本的な役割だ。
だからヴィクトリアを同行させた。
その時、戦部が「気が向いたら連絡する」と携帯電話を渡してきたのはとても意外だった。
例えば猿が光線銃を撃ってくるように意外だった。文明に縁があるような外見じゃないから戦部は。
粗雑で品性とは無縁の野性味あふるる風貌の──…
(あっ!)
戦部の風貌を反芻していたアレキサンドリアは、あるコトに気づき色を成した。
地下はとても静かだ。培養液の中であぶくが立ち、ちゃぷんちゃぷんと無限に響く。
もしアレキサンドリアに肉体が健在なら、思惑をどんな顔で表しただろう。
代弁するかのごとく、ルリヲヘッドを被った剛太が苦悩の変なポーズをしきりに取る。
アレキサンドリアの胸中──脳だけだが心象的には胸中──ひどい後悔と焦りに占領されつつある。
(娘を男の人と二人きりで旅に出しちゃった……)
なんという初歩的なミスだろう。閃きにこだわりすぎてとてつもないコトをやらかしている。
ああやばい。もはや青き肢体は大男に蹂躙され苦悶に喘ぐ他ないのか。開拓されるのか。
(大丈夫、よね。大丈夫のハズよ。きっと)
アレキサンドリアは心の底から信じ始めた。
かつて彼女は、自らの手落ちでカズキの運命を狂わせてしまった。
そういう失敗の前歴があるくせに、大丈夫だ大丈夫だと思える精神はいかがなものか。
どうやら、インスピレーションに縛られ基本的な事柄を忘れるのも研究者の気質らしい。
そして人事を尽くした研究の可否を、天命に任せてただ待つのも。
と、その時都合よく、剛太に一時預けていた携帯電話が鳴った。
相手はむろんヴィクトリアである。以下、会話のみの抜粋となる。

「もしもし。ヴィクトリア? 今どこ?」
「……うん。今はホテル」
「そ、そう。そうよね。お泊りするならそこしかないわよね………………………」
「……………」
「……………」
「………………………ね、ママ」
「服、着てる?」
「は?」
「だからその、服は着てるわよね。(ここでアレキサンドリア、新婚生活を思い出す)
あ! 服は、ちゃんと、そうっ靴下とか色々含めて、 全 部 ちゃんと着てるわよね? 首輪とかしてないわよね?
泣いたりとか辛くなったりするような異変は無いわよね? ママは、ママはねっ! ヴィクトリアの味方よ。何でも話して」
「……何もないわよ。何も。一体何いってるのよママ。私が冷え性って知ってるでしょ。全部着てるわよ。脱ぐわけないじゃない」
「! ええ。もちろん、もちろんよ。もちろん知ってるわよ。ヴィクトリアは冷え性よね。冷え性だもの。
そうだ、戦部さんとは同じ部屋? もし同じ部屋だったらすぐに変わってくれない? とても、本当にとっても大事な話があるの」
「朝には戻ってくるって、どっか行ったわよ。ところで今度は誰を操って電話してるの?」
「剛太君。ほら、ずっと前に学院に来た紺色の服着た戦士の男のコ」
「ふーん。お昼に続いて大変ね。少しぐらい休んだらどう?」
「許可はちゃんと貰ってるから。…あ。お昼はごめんなさい」
「別にいいわよ。………………………………変わった所で変わったモノも食べれたし」
「え?」
「何でもない」
「やっぱり、怒ってる?」
「ママ」
「何?」
「ルリヲヘッドって、味覚も分かる?」
「試したコトがないから分からないけど、多分。でもどうしてそんなコトを聞くの?」
「ただ気になっただけよ。あと、あの戦士がうるさいから色々食べ物を持って帰るけど、別にいいでしょ」
「……あ! なるほどね。ありがとう。剛太君も疲れているみたいだから、帰ってきたら三人でおいしく頂きましょう」
「あんなヤツを三人目なんかにしないで! …それと、ルリヲヘッドもいい加減に解除してよね。じゃあ切るわよ」
「うん。また明日ね」

電話を切るとヴィクトリアは、ベッドの上に仰向けに寝転んだ。
傍らには、やや分厚い小冊子が転がっている。
それは戦史研究を趣味とする戦部が編纂し、誰か語学が堪能な者に英訳を頼んだとおぼしき書物。
描かれているのは大戦士ヴィクターのきらびやかな戦歴と、彼を討伐せざるを得なかった戦団の苦悩。
彼女はあまり父を知らない。知らなかった。
ヴィクターは戦場を転々とし、家庭にいるコトはほとんどなかったからだ。
その居なかった父親は、いまヴィクトリアが目を通す書物の中で、英雄として称えられ、化物として扱われている。
ショックだったのは、人でなくなった父にもまだ、かなりの支持者がいたコトだ。
彼らはすべて、ヴィクター討伐に意義を唱え、ヴィクターを元に戻そうとしていた。
記述によると、その原動力は大戦士への敬意であったり生命を救われた恩義だったりと、各自まちまちだが
支持者であったコトに変わりはない。

そこまで読んだヴィクトリアは、なんだか力が抜けた。
力が抜けたまま、衝動的に母へ電話をかけた。でも、本当に話したいコトは話せなかった。
電話を切ってからは脱力の赴くままにぼぅっと天井を眺め続け、やがて夜が明けた。
戦部の渡した資料には、もう一つの別の戦史が綴られているが、ヴィクトリアはまだ目を通していない。


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