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第002話 「鎖と影と……」 (1)



少し前。
桜花は思案顔で学園1階廊下を歩いていた。

まひろの証言によれば、彼女が来る前から校門が開いていたらしい。
恐らく玄関も同じだろう。
にも関わらず、セキュリティは反応していない。
ゆえに疑う。
何者かが侵入し、解除したのではないのかと。
蛇の道は蛇という。
同様の行為をカズキと秋水の戦いで披露しただけに、桜花の鼻に「匂う」モノがある。
とにかく。職員室にあるセキュリティ管理のパソコンを調べれば真偽ははっきりするだろう。
なお、エンゼル御前は別行動。
秋水とまひろの監視へ出向中だ。
御前は桜花と意識を共有している自動人形(オートマータではなくオートマトン)で、御前の見
るモノは同時に桜花の意識にも入り込む。
(付記すると、御前のセリフは桜花の本音でもある)
この頃はまだ、取り残された弟の反応を楽しんでいた桜花だが、表情をすぐさま引き締めた。
「職員室」と書かれた札が斜め前方に見える。
目的地に到着だ。
壁と背が平行になるよう、わずかな隙間を開けて立つ。
右手で引き戸をそーっと開ける。
軽やかな音が廊下に響き渡り、黒髪の後ろで戸が動く。
そして開け放たれた職員室を、深淵を見るように覗き込む。
気配はない。
すべりこむように職員室に入ると、壁際のスイッチを入れる。
天井のそこかしこで蛍光灯が明滅し、やがて白い光が職員室全体を照らし出す。
闇に潜んでいた目には、少々痛い明るさだ。
机の列が3つ、白い光に曝された。
桜花は、歩きながら列と列の間を遠巻きに眺めて、人影のないコトを確認。
「見たところ、誰もいないようね」
ついでに机の下も。侵入者が隠れている可能性も踏まえ、入念に。
だが誰もいない。
「考えすぎかしら?」
桜花は手近な机を見て、くすり……と笑った。
小難しいタイトルの書類や何かのボトルキャップ、2002年の卓上カレンダーに埃の積もった
コップなどなど、ひどく乱雑。
「こんな教師が管理してちゃ、さすがのセキュリティさんも作動しな……え?」
桜花は、机をもう一度観察すると息を呑んだ。
同刻。
御前は校門前の光景を見ていた。その衝撃は桜花にもすぐ伝わり……
「総角クンがどうして銀成市(ココ)に!? しかも」
慌てて他の机に向かい、調べるたびに狼狽は色の濃さを増し。
壁にかかったある物体を見ると、わなわなと震えた。
「今は2005年なのに……」
机に置かれたモノも、壁にかかったモノも一致していない。
不一致なのは、カレンダーの年。
全て「2002年」に変わっている。
(いくら間の抜けた教師でも、こんな間違いはしないはず)
いやに辛辣な言葉だが、実はこれこそ桜花の本性だ。
品行方正に見えるがひどい腹黒策士で、弟に寒気を覚えさせる笑顔だって作れる。
そんな桜花は、職員室を見回すとまた異変に気づいた。
(新しくなっている?)
見慣れた壁の黒ずみはすっかり薄れ、ひび割れも減っている。
(確か、セキュリティが導入されたのは去年のハズ。というコトは)
桜花は職員室の中央にあるパソコンに駆け寄って、起動。
忙しくマウスを動かして、管理システムを探す。
「ない」
動揺のあまりパソコンの場所を間違えたのかと確認したが、そうでもない。
桜花は──状況分析に集中するあまり、せっかく耳が捉えた音を聞き逃していた。
「日付も2002年の8月27日……」
文字に起こすのならばさしずめ、薄闇たゆとう夏夜を涼しませる金属の二重奏。
単純な擬音に起こすのなら。

かちゃりん。かちゃりん。
鎖が擦れる音が、職員室に向かって接近中。
「動かない訳ね。導入前に戻っているもの」
桜花はため息をばかりで気づかない。
音は。
彼女の後ろ、職員室廊下側中央で止まり。かなり熱い文句を垂れた。

『♪熱き怒りのあーらしを抱いてッ! たーたかうために飛ぉび出せっゲッター!』
窓一枚隔てた廊下から響く大音声に、桜花は驚愕の表情で振り返った。                            うぉぅ
『♪明日の希望ぉを取ーりもーどそうぜッ! 強く 今を 生きる 友の う・で・にぃー!!』
うぉぅ〜うぉぅおう。
擦りガラスのせいではっきりとした姿は見えなかったが、廊下側に影が1つ。
………
『風体からすると早坂桜花かっ! 声は掛けたぞ不意打ちではない!』
(だれ!? というか歌の意味は!?)
御前はその時、秋水に向かって殺到する総角を見ていたので、彼ではなさそうだ。
『流星群よ! 百撃を裂けぇ!』
甲高い少年の声と共にガラスが弾け飛び、辺りはまばゆい光に満たされた。
(恐らく飛び道具! でもどうして私の風体が……? こっちからは見えないのに)
戸惑いはするが、化物うずまくL・X・Eで生き抜いてきた彼女の反応は素早い。
まずは屈みながら頭上を見上げ、攻撃の正体を見極めた。
流星のごとく通り過ぎていたのは、金に瞬くエネルギー性のつぶてたち。
つぶてにも一定の形があるようだが、速度が速すぎて分からない。
桜花の疑惑は確信に変わる。
侵入者がいた。
しかも、ただの人間やホムンクルスではない。
攻撃方法からすると武装錬金の使い手のようだ。
武装錬金、それは核鉄という六角形の金属片を介して形作られる超常の武器。
持ち主の闘争本能に応じて多種の武器と多様の能力を発現する。
机上の書類や置物を無残に吹き飛ばしている光のつぶても、武装錬金によるものだろう。
(正体を見てから逃げましょう。私は津村さんみたいに頑丈じゃないし)
何か投げる物がないか探す。
幸い、すぐ近くの机の下に鞄があった。
置き忘れたと思しきそれは、桜花に持たれると程よい重さを主張した。
桜花は中身を改めて、壊れそうな物がないのを確認。そして職員室の前へと投げた。
謎の少年は律儀にも、音のした方そちらに向かってつぶてを照射。
(さて、と)
前方、つまり少年めがけて少し匍匐前進。机の列の影だから、気づかれてはいないだろう。
(どこのどなたかは知りませんけど、いつまでもそこにいたら正体丸見えじゃなくて?)
敵は自らを隠すガラスをブチ破った。
その上飛び道具に頼って動かないから、桜花が立てば風体は露見する。
あわよくば武装錬金の形状も分かるだろう。
桜花はこの戦闘で勝ったり負けたりするつもりはさらさらない。
敵の情報をさっさと得てさっさと逃げて、別の者に始末を任す算段だ。
(津村さんならちゃんと始末してくれるはず。人間でもホムンクルスでも見境なしだもの)
とてもとても深い信頼が胸の中にあるのだ。
死体があればカラスが群がる、ヨハネスブルグにいけば身包み剥がされる。
それと同義の信頼を寄せられるほど、桜花の中の「津村さん」は頭がおかし……頼れる存
在なのだ。
だが。
『鞄を投げて、僕がそれに気を取られている隙に正体を暴く──それは百も承知!』
つぶてが止んだ。
『だが当たらじ当たらじ! 貴女の策は的を射ずっ! 僕は囮にすぎない!!』
静寂の支配する世界の中で、桜花は意外な音を聞いた。

がりっ!!

カーテンに閉ざされた窓の、外から異様な音がした。
金属でコンクリートをひっかいたような。
そして、何者かが走り去ってく音も。
『ふはは! 一瞬でも見られれば終わりだったが……危機は脱した! さらばぁ!』
(侵入者はもう1人…!? でも一体何を)
ひどい動揺に支配されながら、とりあえず立ち上がる。敵の正体を見るために。

……廊下には、誰もいなかった。
割れたガラスから覗く廊下では、窓が開け放たれている。

「逃げたようね。とりあえずさっきの音の正体だけでも」
呼吸を整えつつ、カーテンを開ける。
月光くすぶる青い校庭が眼前に広がるのみで、人影はない。校門は角度的に見えない。
桜花は窓を開けて、校舎と校庭の境目──コンクリートで舗装された部分に降りた。
黒いハイソックスごしでも足の裏はひんやりし、緊張が和らぐ。
そして音のした方を調べてみると、壁に奇妙な痕跡があるのを発見した。
長い線と短い線が交差している。ちょうど”メ”の字を描いたように。
深さは約1cm。削られた部分はひどく滑らかで、徐々にではなく一気に切りつけられたようだ。
情報を総合すると、ナイフもしくはそれに準ずる短い刃物で行われたと考えるのが妥当だろう。
としても、開いていた校門や玄関、作動しなかったセキュリティや時間が巻き戻っている(?)
職員室とはあまり結びつかない。
「単なるいたずらの可能性もあるけど」
桜花は携帯電話を取り出すと、念のため現場を撮影した。
その瞬間である。
”メ”の字の削り痕が、すうっと消滅した。
「分からないコトだらけね。とにかく、警備会社にでも連絡……」
言葉を遮ったのか、それとも先取ったのか。
耳障りなブザー音が職員室から響き出した。
桜花は血相を変えて窓をよじ登り、職員室に入り、
「戻っ……てる」
最後に、口へ手をあて驚愕にわなないた。
職員室は、馴染み深い2005年当時のモノに復元されていた。
やや新しかった壁も、黒ずみやヒビがすっかり戻り、カレンダーも至るところで「2005年」の
モノに戻っている。
先ほど少年が割ったガラスも、舞い散った書類もだ。
ただ、桜花の投げた鞄だけは、職員室の前で横たわっている。
ひとまずセキュリティ管理用のパソコンを覗き込む。
「……こっちも」
見慣れた画面に戻っている。日付も同じく。
ついでにいうと、異常警報を画面いっぱいに表示している。
常人ならおたおたと慌てふためき、言い訳の1つでも考えるだろう。
だが桜花は違う。
「あらあら。窓を開けちゃったせいかしら? もう警備会社の皆さんの知るところね」
ゆったりと嘆息して、薄ら笑いを浮かべた。
「ヘタに逃げて騒ぎを大きくしてもつまらないし、素直に残っておかないと」
不可解な現象は気になるが、まずは現実的かつ社会的な対処を優先だ。
すると、ふだん有能な生徒会長を演じている桜花の心は自然に落ち着く。
目を細めて浮かべる冷笑は、悪女そのもの。
あくまで『残る』のだ。夜の学校に侵入していたコトを『謝る』気は皆無だ。
夜の学校に忍びこむなど、L・X・E時代では茶飯事だった。
セキュリティをいじるのも茶飯事だった。やってない犯罪は殺人だけ(ウソ)
何を謝るコトがあろうか。
桜花は矛盾の少ない言い訳をさっさと考えて、警備員や教師の尋問をシミュレート。
信頼厚い桜花なら、さほど嫌疑を受けるコトなく切り抜けられるだろう。
「優等生演じて信頼得るのは大変だけど、こういう時は流石に便利」
そして桜花はまひろに電話をかけた。
帰りは遅れそうだから、件の「5分に1回の電話」を提案してまひろが円滑に帰れるように仕
向けたのだ。自分の身に何かがあった時の保険も兼ねて。
「あ、まひろちゃん。1つお願いしていい」
「私にできるコトなら」
「あのね。ここだけの話、新学期になったら秋水クンの紹介で、転校生がまひろちゃんのクラ
スに来るの」
「転校生!」
感激すら帯びたまひろの声に、桜花はくすりと笑った。
予想通り関心を引けた詐欺師の会心と、純粋な好意が半々の笑みだ。
腹黒い彼女にすれば子犬のように御しやすい相手だが、なるべく利用したくない人徳みたい
なモノも感じている。
「でねそのコ、外国出身だから、なじめるかどうか秋水クンはだいぶ気にしてて……」
いかにも協力相手を欲しがってるカンジの悩ましい声を、桜花は作る。
男子生徒なら聞いたが最後、腎臓売ろうが強盗しようが、100万でも200万でも貢ぎたくな
る魔性の声だ。
「おお、外人さん」
援軍に遭遇した魏の武将みたいな感嘆が、電話口で起こる。実に微笑ましい。
「あ、そのコね、私と秋水クンにとって足長おじさんみたいな人の娘さんなの。だから気にな
ってて……」
「大丈夫。任せて任せて! 私とちーちんとさーちゃんでお友達になるから!」
桜花の良心が精神に占める比率は極めて少ない。
ゴビ砂漠に落ちたMGガンダムシュピーゲルの足用のビスより、いや、太陽につけたアメー
バの繊毛より見つけ辛い。
そんなサウザンドアイズサクリファイスのレリーフレアよりレアな桜花の良心だが、好意に満
ち満ちた声を聞くと、心全体にまで届く大きな痛みを感じてしまう。
「ごめんなさいね。もし良かったら、そのコの様子を秋水クンにも伝えてあげて」
「うん。頑張る。それと私こそゴメンね。桜花先輩」
「大丈夫。気にしてないから。……秋水クンをお願いね。それから──…」

「猫ヒゲ秋水」の写真を送ってもらい、あまりの破壊力に笑いを辛うじてこらえつつ、秋水と
話し、彼とまひろが寄宿舎へ向かい始めた頃に至る。

「な、なにこの凛々しさ。でも、そこはかとなく可愛、可愛っ……ダメ! もう耐え切れない」
桜花は真っ赤な顔で、60センチのウエストをピクピク痙攣させつつうなだれた。
さっきの敵とか、不可解な職員室の現象とかも大事だが、桜花にとっては秋水こそが一番
大事で気に掛かるコトなのだ。

(いい感じかもこの2人。良かったわね秋水クン。けど)

「さすがはカズキンの妹。ごく自然に秋水に触れるとは……少し妬けるぜ」

秋水とまひろの後ろをぷかぷか飛びながら、御前は微妙な表情をした。
(重ねて付記するが、御前のセリフは桜花の本音でもある。そして御前は桜花と意識を共有
しているから、一応女のコだ)


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