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第002話 「鎖と影と……」 (2)



皆さまは先従隗始(せんじゅうかいし)という言葉をご存知だろうか。
中国は戦国時代に生まれた言葉で、先(ま)ず隗より始めよともいう。
ある国の君主が人材を求めたとき、側近の郭隗(かくかい)という人がこう進言した。

「先ず自分から用いて下さい。私のような劣った人間でさえ重用されていると聞けば、優秀な
者は千里の先からはせ参じる事でしょう」

転じて、『物事は手近な所から始めよ』という意味がある。

姉を守りたいと欲して剣を取り、姉と2人だけで生きるため不死のホムンクルスを目指す。
望みを叶えるために、できうるコトを着々と積み上げる。
早坂秋水の昔の姿勢(スタンス)は、建設的な物だった。
ホムンクルスという単語には非現実的な要素がてんこもりだが、実在し、製法を知る者も少
数ながらにいるとすれば、現実的なモノといえよう。
秋水と桜花がL・X・Eという怪物の寄り合い所帯に付き従っていたのも、功を上げてホムン
クルスへの転身を図るため。
もっとも。
秋水の姿勢は建設的ではあったが、外付け一択の感もあった。
剣の強さもホムンクルスの不死も、秋水自身の精神を大きく変えるモノではない。
大きな力や概念が肉体に宿るだけであり、つきつめれば糊塗……傷を避けるために鎧と
武器を求むる兵のような印象がある。
悪いかどうかは別とするが、少なくても精神的な成長が見込み辛い姿勢ではある。
原因は秋水が幼児期に負った一種の精神的外傷だ。
彼はそれにより世界へ心を鎖し、「世界などもうどうでもいいコト」と諦観していた。
よって他人との関わりを極力避け、交流のもたらす変化を逃していた。
同様に、錬金術の知識を深く収めようとも思わなかった。
知識を収めるのに必要なのは、優れた頭脳でも記憶力でもない。
知識を面白いと思う精神と、面白くなるまで考え続けられる精神だ。
さればこそ探究心や向上心が生まれ、芋ヅル的に能力が上がっていく。
それが秋水にはなかった。
世界に関心がなければ、世界から生まれた知識を面白いと思える道理はない。
学校の授業も、優秀な成績で信頼を得るため棒暗記していたに過ぎず、楽しいと思える要素
はまるでなかった。
もしわずかでも世界に関心があれば、L・X・Eの盟主──100年の長きを友人の再生のた
めだけに費やしてきた1人の男──に師事し、ホムンクルスへ転身する術を学ぼうとしただ
ろう。
(もっともその場合、確実に盟主の怒りを買うが。L・X・Eにおいては盟主のみがホムンクル
スの製法を熟知しており、それが為に彼を頂点に組織は成り立っていたのだ。にも関わらず
秋水が師事を望めば将来的に造反の意思ありと見なされ、悲惨な結果を招いたに違いない。
盟主にとり組織維持と友人の守護はイコールであり、組織を瓦解させる因子は友を害する
憎むべき敵でしかない)

やや余計な話になるが、秋水には「奪う」という概念もなかった。
一度ガラス片を握り締め、「おかねとたべものとおくすり」を道行く者から強奪しようとしたが
あえなく圧倒的な力に軽々と阻止されてしまった。
三つ子の魂百までというように幼児期の体験というのは強烈で、記憶が薄れても無意識下に
残る。終生の好悪を決定づける。
幼い秋水が必死で叶えようとした「奪う」という概念についても同じコト。
いとも簡単に跳ね除けられた瞬間、終生叶わぬモノと無意識下にすりこまれてしまった。

そんな秋水だが、カズキとの戦いを経て少し変わった。
「自分に勝ちたい」と望んでいるのだ。
背後から刺してしまったカズキへの贖罪は、自らに打ち克つコトでしかできないだろう。
では、勝つためには何をすればいいか? 
結論からいえば、世界と関わるコト。
関わって、心を動かし融和させ、何らかの問題にきちんとした解決方法を提示していくコト。
されば内面は成長し、勝利へと結びつく。
そして目標を得た秋水が取る行動は1つ。
先従隗始(せんじゅうかいし)。
近しい人間と少しずつ関わっていくのだ。
それは結局、「望みを叶えるために、できうるコトを着々と積み上げる」という昔の姿勢と同じ。
賛否はあるだろう。
だが、ただ捨て去るだけでは駄目なのだ。
姉との死別を恐れて、人間の身を捨てようとした時と変わらない。
そういう不都合をもたらすモノを排除せんとする考えこそが、過ちの元凶だったのだから。
故に昔の姿勢を保ったまま、精神の向きを変えていくのは重要だ。
秋水が剣を捨てない理由も同じ。

もっともまひろを送ると決意した瞬間は、上記のような成長の希求はまるでなかった。
ただ。
贖罪意識であろうと親近感であろうと、他者──つまりまひろだが──へ向けて感情が沸い
たのならば、秋水はごく自然に世界へ関わろうとしている。
これもまた先従隗始といえる。
兄を失いかけて落胆している「妹」を、姉を失いかけて落胆した「弟」が助けようとする。
立場の近しさをきっかけに、他者と接触し、助力する。
秋水にとってそういう者は、カズキを除いて2人目だ。
望まぬままホムンクルスと化し、鎖された空間で100年を過ごした少女に引き続き。

とまれ、まひろを寄宿舎に送ると決めたはいいが、あいにく秋水のできるコトはそれ位。
道中での会話は実に弾まない。
まず、夜道を1人で歩こうとしたまひろの姿勢を軽く注意した。
「君はもう少し気をつけるべきだ。世の中、いい人間ばかりとは限らない」
乳児時代に誘拐された秋水としては、まひろが同じ目に合う可能性をつい描いてしまう。
元気でマジメだが、人が良すぎるというかボケているというか。
秋水の後ろをトコトコと歩きながら、まひろは双眸をきらめかせた。
「あ! いい人はいたよ」
「どんな」
秋水は振り向かない。
面倒臭がっているのでも、まして「若さって何だ」という問いかけに答えているのでもなく、ま
ひろが横に来ないからだ。
きっと桜花のコトを負い目にし、近くに来づらいのだろう。
と秋水は考えて、距離と位置関係を生真面目に維持している。
だがまひろはそこまで細かく考えて後ろにいるワケではなく、なんとなくだ。
闇に浮かぶ秋水の後姿を眺めるのがなんとなく気に入ったので、後ろにいる。
「つばをね、ビンいっぱいに入れるだけで5千円くれた人! それで私はお兄ちゃんの16歳
の誕生日プレゼントを買ったんだよ!」
喋る間にも、2人の影は学校からだんだん遠ざかっていく。
あたりはとても静かで、鈴虫の鳴き声に混じって犬の遠吠えが遠くから響いてくる。
秋水はやや黙り、やがて薄暗い住宅街にさしかかった頃、
「そうか」
とだけ呟き、「いい人」の部類に見当をつけた。
(恐らく研究者。実験用の唾液を回収していたのだろう)
世界を知らない秋水だから、心底そう思っている。
桜花が御前経由で知ったら呆れるコト間違いなしだ。
そして5千円くれた人の出没場所に行き、ビン入りの塩水を自分の唾液と偽って売るのだ。
「ところで秋水先輩。転校生ってひょっとすると、さっきの金髪の人?」
声をかけた男は十字路で立ち止まり、左右を念入りに確認中だ。
右方向で大小2つの人影が歩いている位で、車の心配はなさそうだ。
なお、金髪の人というのは校門前で遭遇した総角主税(あげまきちから)のコト。
「違う。確かに総角(あげまき)の趣味の1つは転校だが、彼じゃない。姉さんがさっき君にい
った転校生は女性だ」
車のないコトを確認すると秋水は十字路を早く渡るよう手振りをした。
素っ気ない挙措だが、まひろの頬はちょっと綻んだ。
学園一の人気者に安全確認をして貰えるのは、かなり嬉しい。
「そーいえば。足長おじさんの娘さんっていってたような……ちなみに総角さんはどんな人?」
やや苛立ちの見える足運びで道路を渡りきると、秋水は振り返った。
「……仲間と一緒に、放浪している男だ。それから、初対面の相手には必ずこう聞く」

『この顔を見なかったか? 俺よりちょっと老けてると思うが』

「うん。確かに聞かれたけど……なんで?」
「俺も知らない」
まひろの道路横断を見届けると、白い胴着はまた背を向けた。
その大きな背中を見た瞬間、まひろはドキリとした。
(同じだ)
寂しさをはらんだ心地よい記憶が沸いてくる。
ずっとずっと前の春の夜。
まひろはカズキに手をつかまれて、学校から寄宿舎までの道のりを半ば引きずられるような
形で爆走した。
(あの時と同じ景色……)
違うのは、前を歩く背中だけ。
でもその背中は、カズキと形は違えどまひろを気遣っている。
悲しいような嬉しいような複雑な感情に、まひろは慌てて立ち止まる。
真っ黒な瞳がしゃばしゃばに潤んで、無事に歩ける自身がない。
(どうしよう。止めないとまた秋水先輩が心配──…)
「いつになるか俺には保証できないが」
「え?」
秋水の声は生真面目ゆえに装飾がなさすぎて、ぶっきらぼうにも聞こえる。
けれどぞんざいな調子ではない。心から語りかけている。
「彼は必ず戻ってくる。君の元へ戻るコトを諦めたりはしない」

──今度は少し長いお別れになるけど、必ず帰ってくるから心配するな

カズキがそういい残した時から、心は「長いお別れ」という単語に揺らされている。
(でも……必ず……必ず帰ってくるって約束してくれたんだよね…… なのに、どうして信じて
あげられなかったんだろう………ごめんね。本当に、ごめんね。お兄ちゃん……でも、早く
帰ってこないと、斗貴子さんが寂しいよ)
俯いた顔から熱い雫がぽたぽたと落ちて、道路に染みる。

秋水は、しばし足を止めていた。
気配から心情を悟り、とっさに励ましてみたものの……忸怩たる思いだ。

その頃。

右に300m進んだ所にある曲がり角では、先ほど秋水が見た2つの人影による会話
が繰り広げられていた。

「あ〜あ。集合場所変更か」
「………」
「演技派なのはいいけど、逃げる時ぐらいさっさとしてよ。ガラス割るハメになったじゃない」
「………」
「戻ったらちゃんと言い訳しといてね。うまくやらないと計画が狂うから」
『とにかくもりもり氏に連絡だ!! 桜花の台詞ではそう遠くない所にいるっ!』
「ま、犬の遠吠え聞けば察しはついてるでしょうけど」
『うろついてるあの人にも連絡だぁ!』

しばらく後、秋水とまひろは寄宿舎門前に到着。
古めかしい2階建ての和風家屋で、昭和時代の寮といった佇まいだ。
ここでまひろを始めとする銀成学園生徒のほとんどが暮らしている。
夜遅い時間だが、幸い門は開いていたので2人は難なく玄関に入るコトができた。
立ち並ぶ4段重ねの下駄箱の前に、木製スノコが無造作に置かれているのも何とも昭和風。
奥の方に備え付けられた2段ばかりの階段で廊下と行き来する構造だから、やや面倒でも
ある。
で、まひろは自分用の下駄箱に靴を入れ、秋水が何か迷っているのに気づいて微笑んだ。
「あ、お客さん用の下駄箱ならそっちだよ」
秋水は礼を述べると、指し示された一角へ歩き、靴を入れる。
この挙動を見ても分かるように、彼は寄宿舎に住んでいない。桜花も同じく。
にも関わらずここに来た理由は、管理人に用があるからだ。
剣道で鍛えているだけあり、流石に秋水の動作は速い。
踵を返すなり玄関を通り過ぎ階段を上り、廊下へ上っていた。
まだスノコの上のまひろは、驚くやら感心するやらで表情の動きがせわしない。
「もし良かったら案内するよ」
「もう夜も遅い。部屋に戻って休むべきだ。場所はこっちで聞いておく。それと、すまない。さっ
き余計なコトを──…」
深々と礼をされて、まひろはあたふたした。
「えと」
汗を浮かべながら目を白黒させ、必死に言葉を探すのだが。
友人曰く「ユラユラ揺れてる」まひろ脳ではとっさに器用な言葉を紡ぎ出せず、表情の焦りは
ますます拡大中だ。
秋水はけして悪事を働いたワケじゃないしむしろ自分の方こそ泣いたせいで2度も秋水を待
たしたワケで……などという情報をまひろ脳は、消してリライトして起死回生リライトして全身
全霊をくれよとばかりにゆだっていき。結果。
動揺によって脳から分泌された脳内麻薬か……
そこに立つ秋水が下げた頭によってもたらされた罪悪感。
そしてその昂ぶりから形造られてしまった化学物質か……
あるいはそれら全てがまひろの内部で出会ってしまい。

化学反応を起こしスパーク!

ガゼルを襲うライオンのような勢いで、段上の秋水へ突進し、二の腕をつかんで叫んだ。
「さっきのは屋上と違うよ!! 悲しかったんじゃなくて、嬉しかったからッ!!」
今度は秋水が驚く番だった。
袖の生地がみしみしいうほどの握力で握られたコトもだが(さっき顔のインクを拭った小さな
指がウソのような力だった)、面と向かって嬉しいなどといわれても返答に窮する。
良かったなとか良かったねとか、そういう親しげな言葉は抵抗があるし、堅苦しい言葉も雰
囲気にそぐわない。
(この気迫と臆面のなさ、さすが武藤の妹)
力いっぱい目を見開いて、眉を逆ハにいからし頬に汗を少々。
まひろの顔にカズキの面影がありありと見える。
けどンな感心やらオーバーラップやら、打開策にならねぇよ。
礼をしたままの姿勢で二の腕を掴まれたから、身を起こせず困惑顔で呟くのが精一杯。
「い、いや。それならいいんだが、力を……」
「あらあら。もう仲良くなってる。でももう夜も遅いからあまり騒いだらダメよ」
背後から掛かった声に秋水は息を呑み、まひろも素っ頓狂な声を上げた。
「お…桜花先輩!? どうして廊下(ココ)に!」
「どうして寄宿舎(ココ)にって。ブラボーさんに会いにだけど」
長身の黒髪美人はしれっとした様子で2人を見比べた。
視線を浴びるとまひろは慌てて秋水から手を離して、真っ赤な顔で「ごめん」と謝った。
(そうか)
秋水は胸中で納得した。
十字路でまひろの涙が収まるのを待っている間に、桜花は2人を追い越したのだろう。
実際その通りで、警備会社がかけつけるなり顔面蒼白でガタガタ震えて、色々な不審点──
なんで夜遅くに制服で学校にいるのとか色々──を涙と立場と弁舌を縦横に利用しごまかし
て、あまつさえ車で寄宿舎まで送ってもらった。秋水とまひろの歩いていたのとは別ルートで。
一応、警備会社の人に悪い気がしたので、お礼の手紙とせんべいでも送ろうかと思案中だ。
ちなみに秋水。
うろたえるまひろより、桜花のコトを気にしているあたりはまだまだ昔と変わらない。

「とにかく、秋水先輩桜花先輩。今日はありがとう。おやすみなさい」
「ああ」
「ハイ。おやすみなさい」

まひろはお辞儀をすると、寄宿舎の中へ走っていった。
道中。
(しまった。転校生の名前聞き忘れちゃった。また明日にでも聞かないと)
と後悔しつつ。

後悔といえば桜花も同じくだ。
秋水とまひろが仲良くなるのを望んでいたが、いざその光景を見ると、少し胸が痛んだ。

少し前までは、二人ぼっちの世界で生きていた。
閉じた世界の中で秋水はひたすら桜花を守ろうとして、濁ったモノ総てを引き受けていた。
だから桜花は申し訳なく思っている。
「ある一言」を発しなければ、秋水はもっと違う道を……と考えるコトもある。

──先輩たちだって今夜の、この夜がきっかけになって
──二人ぼっちの世界から、新しい世界が開けるかも知れないんだ。

(そうなったら、いいけど)
カズキの言葉と、まひろを見つけた時の花の匂いがオーバーラップする。
入院中の桜花が花束の香りに涙を浮かべた時のように。

もし秋水が誰かと仲良くなれば、その分桜花からは離れていくだろう。
彼の世界が開いて、桜花も1人で立てるようになるのが理想ではある。
それでも、ずっと続いてきた距離が広がるのは寂しくもある。
(私って損な役回りね)
内心で物憂げに呟いた。
思い返せば、世界が開き始めて以来、2度も激しい痛みを味わっている。
それも、秋水以外に発動した良心のせいで。
1回目は秋水のつけたカズキの傷を、エンゼル御前の切札で請け負った時。
2回目はエンゼル御前が、真剣白刃取りをしくじった時。
その相手は──…

ギザギザに逆立った頭髪から三角形の前髪を顔半分へ下ろし、猛禽類的な三白眼を常に
光らせている。
彼は平素マフラーを愛用しているが、それは寝巻きを着てても同じらしい。
入院時、メガネをかけた看護婦とマフラーをめぐって揉めたというが、本題ではないので省く。

彼──根来忍は入院2日目の大半を、紙屑や同僚と共に過ごしていた。


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