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第002話 「鎖と影と……」 (3)



根来は現在、任務で負った傷が元で入院中だ。
「聖サンジェルマン」と教会めいた名を持つこの病院、錬金の戦士たちの御用達で何かと融
通が効くようになっており、治療にも錬金術の手法が取り入れられている。
例えば、患者の体に核鉄を取り付けて、回復を促進したり。
武装錬金の触媒たるこれには、治癒力を高める効能があるのだ。
創傷程度ならば核鉄を当てればたちどころに治るし、深い裂傷を負った場合でも止血程度は
行える。
しかし根来の負った傷はなかなかに深く、診断では

核鉄治療を施しても、完治までに10日ほどかかる

らしい。
で、夜。根来の病室に1人の女性の姿があった。

「……流石に時間がかかったけど、どうにか」
ベッドサイドテーブル(コの字型の机にキャスターがついた器具)の上に乗ったモノを前に、
楯山千歳は一息ついた。
はねつきショートヘアーというありふれた髪型だが、それを補って余りある美貌の人だ。
とりわけ瞳が美しい。深々と佇み、瑠璃にも劣らぬ気高い光を宿している。
竜が住まう湖があるとしたら、千歳の瞳のような色だろう。
一見貞淑な彼女だがファッションは大胆な物を好むらしく、今は腹部や「へそ」が露わな緑の
サマーセーターを着用している。

この日の朝。
任務を前日に終えたばかりの千歳へ新たな命令が下った。
それは、ホムンクルスが工場で起こした殺人事件の後始末。
犯人は苦戦の末に撃破したが、その中で見え隠れした協力者については謎のまま。
根来たちが『第三者』と呼ぶ協力者は、犯人に核鉄を渡し、武装錬金の概念を教え、更には
奇策を以って任務の妨害を行った。
報告を受けた戦団は体裁上、第三者を捨て置くワケにはいかないと後始末を命じた。
だがそれは、2日以内に証拠がつかめなければ保留(テイクノート)扱いという半ば形骸化し
た命令でもあった。
司令部が投げやりな条件をつけたのには、2つの理由がある。
人手不足で他の任務に戦士が欲しいのと、暗躍に徹して姿1つ見せなかった『第三者』が証
拠など残すかという疑問のせい。
大戦士長・坂口照星も同感だったらしい。
黒い帽子とコートをまとい、慈悲溢れる神父の笑みを常に絶やさぬこの男は、大戦士長室に
はせ参じた千歳に対し、
「事後処理ですから、そう気張らず」
と優しく優しく声を掛けた。
だが千歳は性分上、すぐさま調査にとりかかろうとした。
と同時に、行うべき手順のほとんどは1本の電話で簡略された。
「貴殿は居合わせなかったが、『第三者』については一通り尋問してある」
電話口で無愛想に述べたのは、根来だ。
入院中だから携帯電話は使っていない筈だ。
となるとケガの身を押し、公衆電話から話していたに違いない。
照星は顔を伏せてくつくつと忍び笑いを漏らした。
根来の心情を考えるのが心底楽しい様子だ。
「のらりくらりとはぐらかされたが、奴は『第三者』から手紙を受け取っている筈だ。小包に入
った核鉄と共に。それも昨日の内にな」
「根拠は?」
「仕事には引継ぎという概念がある。奴がそれを終え、小包を受け取れるようになったのは
昨日だ」
ケガのせいで少し疲れた声の根来だが、次の断定には力が篭っていた。
「そして奴を終始尾行していた私は、手紙らしき物を処分するのを見ていない。ならば、処分
は社内で行われたとみるべき。雑多な書類に手紙を混ぜ、シュレッダーで裁断したのだろう。
ゆえに貴殿には、紙屑と工場で使われる印刷用紙の回収を頼む」
千歳はすぐさま工場に移動し、工場長に聞いた。
「昨日の午後から今朝にかけて裁断された紙を全て欲しい」
幸い、まだ捨てられていなかったので回収はすんなり終わった。
ゴミ袋1つ分だが、量は流石に多い。
シュレッダーにかけられた紙は、機種にもよるがおおよそ幅2mm、長さ10mmほどだ。
そしてA4サイズの紙は縦297mm、横210mmだ。
裁断による紙片の数がどれ位か、A4用紙と紙片の面積から計算してみよう。

297×210÷2×10=3118.5 ……約3119だ。
サンマの産卵数がだいたい2000〜3000なので、結構な量といえる。
紙を3枚裁断したら、約9357……ししゃもに勝利だ。(8000前後なので)
げに恐ろしきはマンボウ。
産卵数3億だからA4用紙を10万枚裁断しなければ勝てん。
閑話休題。
とにかく、シュレッダーにやられた紙を復元するのは難儀だ。
元の絵が分からぬ1000ピースのジグソーパズルを想像してほしい。
難解だ。非常に気が遠くなりそうだ。
その上、他のパズルのピースとごっちゃだったら? 完成は非常に困難だ。
シュレッダーに裁断された紙屑から、手紙を復元するのはそんな感じの作業。
終わるまで1週間以上かかると思われた。
だが。
「一見、膨大に見えるが……選別は容易い」
根来は膨大な紙屑を前に平然と呟いた。
「手紙は外部から来たものだ。ならば、工場で普段使われる紙……すなわち、頻繁に裁断
される物と同じ可能性は?」
「低いわね」
千歳は納得し、まっさらな印刷用紙をベッドサイドテーブルに置いた。
根来が用紙の回収を命じたのは、厚さや紙質、色などの違いから手紙の破片を絞り込む為。
マンボウの卵の中にししゃもやサンマの卵が混じっていても、特徴さえ分かれば取り出せる。
要はそんなお話だ。
加えて、シュレッダーは性質上、裁断された紙が積もっていく。
地層のように新しい物は上に、古い物は下に。
昨日の昼以降に裁断されたモノならば、上の方にあるだろう。
それらを踏まえて千歳と根来は、手紙の選別を行い、全ての破片を揃えた。
文に起こせば一行だが、朝から夜までずっと彼らは病室で、飯も喰わずに黙々と紙屑を漁っていた。
途中、キャプテンブラボーこと防人衛が
「すまん戦士・根来。俺は一足先に退院だ。夜から寄宿舎の管理人に復帰……」
などと報告しにきたが、千歳も根来も紙屑を掬ったり見たり調べたりしているばかり。
「……俺も手伝おうか?」
「防人君には不向きだと思うわ」
「復職に対し下準備を整えられるのが先決では?」
無表情2人に感情の篭ってない目をいっせいに向けられて、ブラボーは逃げるようにその場
を去った。
というか、根来は目上の者に対しては一応敬語を使うらしい。

やがて落日の陽が病室を鮭色に染めて、硯の色へと変じて蛍光灯の光に消された頃。
手紙の復元、完了。
紙片の数は3648。奇しくも、ヤツメウナギの最大産卵数と互角だ。
千歳はひとまず写真を撮ってから、復元した手紙をビニールケースに封入した。
内容は、核鉄の扱い方や尾行者の示唆、ホムンクルスや錬金の戦士などの錬金術の説明
など枚挙に暇がない。
それらの次に、手紙の差し出し人の素性や属する組織についての一文もあったが、あいにく
ところどころがむしられていて、証拠能力は期待できない。
受け取ったのが殺人犯だけあって、証拠隠滅に尽力したのが伺える。

最後に、千歳と根来の方針を決定付ける文があった。

・戦士を倒した後について … 良ければ傘下に加わってくれ。目的地は銀成市。いい街だぞ。

以上を念頭において、頑張ってくれ。健闘を祈る。                       敬具

手紙を読み終えた千歳と根来は、思い思いに呟いた。
「銀成市……」
「ここだな」
とすれば半ば形骸の事後処理は、先日の任務並みに長引くかも知れない。
目的は1つ。
『第三者』の捕縛。
何を企んでいるかは分からないが、ホムンクルスに加担するコトは明らかだ。
現在銀成市にいるL・X・Eの残党と手を組めば、街は更なる危機に見舞われる。
そして。
彼らは知らない。
『第三者』の名が総角主税(あげまきちから)であり、彼が既に秋水と接触しているとは。

「とにかく。あなたの協力に感謝するわ。でもしばらくは療養に専念して」
ごく自然に病室を片付けながら、千歳は聞く。
「勝敗は兵家の常だ。かような作業もむしろ私の性にあっている」
「でも、休養を取るのも兵家の常よ」
根来は頷いた。
何かと理屈っぽいこの男が、すんなり頷くのも珍しい。
千歳が去ると、彼は息を吐きながらベッドに沈み、目を閉じた。
疲労や怪我、火傷や軽度の栄養失調と睡眠不足が重なり合い、心地よい眠気が彼の全身
を満たしていく。

「たまにはこういうのも良かろう……」

まるで自分に言い聞かせるように呟いたきり、彼は穏やかな寝息を立て始めた。

千歳はひとまず病院の外に出て駐車場を抜け、歩道に出た。
幸い人気はあまりなく、上司への報告をしても大丈夫そうだ。
電話をかけた照星は何か忙しい状況にいたらしく、7コール目でやっと出た。
「なるほど。分かりました。キミは防人と合流し、他の戦士のサポートに回ってください。その
間の活動拠点は寄宿舎とします。防人は退院直後で、管理人の仕事も色々辛いはず。です
からキミには、寮母さんとして潜入してもらいます。いいですね」
「というコトは、他の戦士は現状のまま?」
「ええ」
千歳はやや不思議そうな顔をした。
「交代ではないのですか?」
「ええ」
多すぎないだろうか。
まず、ブラボーがいる。
彼は一線を退いたが、役職上ではまだ戦士長(戦士を束ねる指揮官)だ。
桜花と秋水がこの街で戦っているのも既に知っている。
彼らに加えて、もう1人の戦士──千歳にとっても忘れ難い少女──もいる筈だ。
1つの市に1人の戦士長と3人の戦士。
数ヶ月前なら、むしろ少ないともいえる数だった。
戦団にとって脅威となりうる『ある男』の復活を目論む組織が活動していた頃ならば、3人は
少なすぎた。
されど今は違う。その組織ことL・X・Eは解散状態。残党を細々と刈っている状態だ。
人手不足の戦団からすれば4人の派兵は多いぐらいというのに、千歳を加えるという。
「ええ。分かっています。正直、かなり辛い状況です。戦士・根来もしばらく入院ですしね」
医師の見立てでは10日ほどだ。
照星は話を戻した。
「防人から聞いているかも知れませんが、実はムーンフェイスが気になるコトを──」
千歳はため息まじりの上司の声を聞くと、なるほどという顔をした。
(もしかすると『第三者』もそれを狙っている……?)
「分かりました。私は戦士・斗貴子の任務を引き継ぎつつ、『第三者』を捜索します」
照星は電話口で深々と礼を述べた。千歳の体調を慮りつつ。
(大戦士長の方こそ)
上司の疲れた声に、千歳は何か滋養のある弁当でも差し入れようかと思った。

「しばらくこの街で過ごすコトになりそうね」
携帯電話を閉じると、千歳は周囲をぐるりと見回した。
前にはごく普通の2車線道路があり、左右に向かって果てしなく伸びている。
遠くには住宅の光がちらちらと夏の夜に瞬いている。
偵察や索敵が専売特許の千歳としてはこの街を散策し、地形を把握しておきたい所だ。
「けど今は後回し。まずは──…」
前回の事件で、気になった事柄がある。
「あの人に聞けば、何かつかめるかも」
人がいないコトを確認すると、核鉄を手に取り、無音無動作で楯を形成した。
ヘルメスドライブ。
六角形の楯を筺体にしたレーダーの武装錬金であり、特性は索敵と瞬間移動。
千歳は付属のペンで画面を一撫でし、歩道からかき消えた。


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