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第003話 「探しものはなんですか?」  (1)



階段を上っていた足音が非常口の前で止まり、ドアを押し開けた。
床で埃が波打ち、ドアの閉じる重苦しい音が薄暗さに溶けていく。
非常口からわずかに続く細い通路に足音が響く。
ミニスカートから伸びるまっすぐな脚が、闇の中に艶かしい白さを振りまきつつ5歩進み、止
まった。
眼前に広がる光景の全てを確認するように。
かなり広い部屋だ。
立ち位置を基準にすると縦200m、横50mほどの長方形。
瓦礫を除けば何も置かれていないから、実面積より広く見える。
壁や部屋中央にある柱は白く塗装され、ここがまだ普通の人間に使われている頃は、彼らに
清潔感を与えていたのが伺える。
探索対象の中ではかなり古めかしい。
ようく目を凝らすと部屋の中央で、壁がほとんど崩れ落ちているのが確認できた。
破壊されたのか自然に崩落したのかは分からないが、どちらにしろ元は2つだった部屋が
今は1つになっているようだ。
と分析した彼女は、頬に自嘲とも悔恨とも取れる寂しげな笑みを浮かべた。
(一心同体、か……)
部屋の保存状態は良好に程遠く、心情のまずさが加速する。
澱んだ空気が暑気と絡んで、セーラー服にうっすらと汗を滲ませる。
壁のところどころにできた亀裂は、薄闇でもはっきりと分かるほどに大きい。
柱も塗装が剥げかけて、削られた痕すらある。
左手とはるか遠くの正面には窓があり、四角く切り抜いた月光で黒い床を照らしている。
それが病的なまでに薄白く、今にもかき消えそうに見えるのは、月に抱く印象のせいだろう。

彼女──…津村斗貴子は鋭い視線を維持したまま、歩を進めた。

似顔絵に起こしやすい顔の条件を「他人から際立った特徴持ち」とすれば、彼女の顔ほど
的確なモノはないだろう。
一言でいうなら、他者よりはるかに直線的。
両目の下から鼻筋にかけて深く刻み込まれた傷跡も。
首筋辺りで奇麗に切りそろえられた青髪も。
覇気を湛えた男性的吊り目も。
全て全て直線的。
彼女の顔に宿る記号性の再現は、絵心のないものでも可能だろう。
そういう意味で、彼女の顔は「他人から際立った特徴持ち」であり、似顔絵に起こしやすい。
顔のみならず性格も、少年のように起伏のないスレンダーな肢体も、直線的といえる。

時は。
早坂秋水が銀成学園屋上にて、武藤まひろと邂逅した頃に遡る。
斗貴子がいるのは、その銀成学園から北東に3kmほど離れた郊外にある廃ビルの一室だ。
その目的は──…

(バタフライの隠しアジトはここで6ヶ所目。だが今までは全てハズレ。本当に居るのか?)
思案に暮れつつ歩く斗貴子はくまなく部屋を観察し、発見をした。
先ほどは柱の影になっていて分からなかったが、部屋の右隅にもう1ヶ所出入り口がある。
遠い夜目でも、非常口のドアと違うのが分かる。ガラスがはめ込まれた軽やかな印象の物だ。
今の部屋に何もなければそちらに進むコトにして、斗貴子は探索を進める。
とかく何もない広いだけの部屋ゆえの、壁を叩いたり瓦礫を足で除けるだけの原始的な探索
方法を忠実かつ確実に。
やがて部屋の中央に至り、柱の前に立つ。
どうもここには、近所の心ない若者がちょくちょく侵入してきているらしい。
柱には露もない落書きが何箇所もある。
(まったく。廃墟とはいえ、遊び場に使うのは犯罪だぞ)
いたく気難しい顔をしながら、斗貴子は柱を叩く。
或いは中が空洞で、探し物を隠した部屋への通路がないかと期待したが。
反響音は至って普通。
斗貴子はため息をついた。
(とにかく、虱潰しにいくしかない。本当に居るとすれば斃すのみ)
スカートのポケットに手を突っ込み、核鉄と呼ばれる六角形の金属を握り締める。
美少女というより美少年じみた顔に浮かぶ焦燥は戦士相応、されどひとひらの女性らしさも
瞳に織り交ぜ、斗貴子は思う。
(急がないと、この街が再び危機に見舞われる。早く探し出し、何としても斃すんだ…………!)
知らず知らずのうちに彼女は目を閉じていた。
瞼の裏に焼きついているのは、1人の少年。
彼は過酷な現実を耐え抜いて、最後に傷だらけの体でお人好しに笑っていた。
いつも、いつも。彼女の傍で。
だが今、彼は居ない。命を賭けて守ろうとしたこの街にはもう居ない。
(私が奪ってしまった。だから、代わりに守らないと)
されどその希求は、自分の真に求める物でないとも分かっている。
本当に求めているのは──
「探しものはなんですか? 見つけにくい物ですか?」
「誰だ!!」
突如響いた耳慣れぬ声に、斗貴子は鋭い誰何の声をあげた。
核鉄を握りしめつつ、即座に声の出所を突き止めたのはさすが歴戦といった所。
先ほど見つけたドアの前に、人影があった。
「まぁまぁまぁ。おねーさんに危害などは加えませぬゆえ、肩の力を抜いていただきたく」
(子…供?)
斗貴子の目が、軽い驚きに見開かれた。
ゆっくりと歩いてくる影は、背丈が低かった。
斗貴子も154cmと年齢の割りには小柄な方だが(17歳女性の平均身長は157.8cm)
声の主はそれよりも低い。おそらく150cm台には達していないだろう。
「何だキミは」
「う、不肖が返答にキューしそうなご質問。そうです私が変なおじさんとかいっちゃ……怒られ
る恐れアリ」
言葉とは裏腹に、影は物怖じしない様子だ。一歩、また一歩と斗貴子めがけて進んでくる。
「悪いがそれ以上近づくな」
警戒色を保ちつつ、斗貴子は釘を刺した。
もし従わず、襲いかかるようなら即座に殺す。
実に殺伐とした思考回路の電流を全身に拡充していると、果たして声の主はそれきり立ち止
まり、のほほんとした声で自己紹介を始めた。
「不肖、名を小札零(こざねあや)といいます。字は……小さい札がゼロとでもお覚え下され
ば、スっと出てくるコト請け合い。以後、お見知りおきを」 
零(あや)という名前が示すとおり、声の主は少女だった。
縮んだ距離のおかげで、斗貴子は風体と人相を確認できた。
年のころは11〜2。
両肩の前でちょちょいと結んでいるセミロングの髪の毛と、大きなとび色の瞳が印象的だ。
口元には気楽そうな笑みを湛えて、斗貴子をじっと見ている。
少女じみた細く小さな円筒形の体にはパリっとしたタキシードをまとっている。
右手には小柄な体に見合った長さの、純白のロッド。
上部を六角形にカッティングされた宝石を先端にあしらっているだけのシンプルな造りだ。
なお「零」には、数字のゼロ以外にもいくつか意味がある。
「零れる」が「こぼれる」と読むように、こぼす、したたる、という意味を持ち、やや特殊な読み方
では「零す」を「あやす」と読む。(意味は↑と同じく)
それになぞらい、「零」で「あや」と名乗っていると思しき少女は、
「そして趣味は──マジック!」
ロッドを足元から緩やかに持ち上げ、胸の前で突き出した。
斗貴子は一瞬、攻撃動作に移りかけたが、
「まーかまか不思議! 何もなかったのにこの通り!!」
紫煙と共にシルクハットが出現するのを見ると、すんでの所で押しとどまった。
「遊んでいるだけなら帰りなさい」
少し眉をしかめたのは、任務を邪魔されたからではない。
夜遅い廃屋で遊んでいる不真面目な姿勢が率直に腹立たしい。
(親は何をしてるんだ。まだホムンクルスが街にいるというのに)
「いえいえ。とんでもございません。不肖も実は探しものの途中なのです」
シルクハットをちょこんと頭の上に乗せながら、小札はおおげさな困惑を浮かべた。
「しかしながら、この廃屋は中々の規模…… 休むコトも許されず、笑うコトは止められて、
はいつくばってはいつくばって、一体何を探しているのか分からないほどなのであります」
大方、こっそり侵入して遊んでいるうち、忘れ物か何かをしたのだろう。
すっかり毒気を抜かれた斗貴子はそう思い、そう思うと性分ゆえに協力を申し出さずにはい
られない。
「ならば私も手伝ってやる。ただし」
小札に歩み寄る斗貴子は、さながら何かの部活の女副部長のように、けじめと優しさをくっ
きり分けた毅然の表情だ。
「見つかったらまっすぐ家に帰れ。それから、二度とここに立ち入って遊ばないコト。いいな」
「実にお優しい言葉、痛み入ります。不肖めには言葉もないというのが率直なトコロ」
「で、探しものは何だ」
かすかに身を屈め、なるべく同じ視線に立とうとしているせいだろうか。
声はぞんざいだが、相手に信頼を抱かせる心地良い響きを持っている。
小札は、待ってましたとばかり頷き、気軽な調子で答えた。

「『もう一つの調整体』」

瞬間!
斗貴子は後方へ大きく飛びのいた。
着地と同時に床でひび割れ耳障りな音を立てたが、意に介するも煩わしい。
身をすっくと伸ばすと、爛々と輝く眼光で小札を射抜いた。
「キミは何者だ」
「恐らく、おねーさんも同じモノをお探し中でありましょう。けれどご安心を。命令ない限り危害
妨害に連なる行為は一切取りませぬゆえ」
「はぐらかすな。ホムンクルスか。それとも信奉者か」
「むむ。またまた不肖がキューするご質問。黙秘……は甚だ許さぬという態。ああ恐ろしき」
緊迫する空気の中で、小札はまたロッドを一振り。ハンカチが出現した。
それを手にして汗を拭う姿は、戦闘体性にはほど遠い。
だが斗貴子にあるのは真逆の殺意。秘蔵の核鉄を手に、発露の言葉を唱和する。
「武装錬金!!」
部屋一面に響き渡る大音声に呼応するように、六角形の金属片が分解。
同時に大腿部の周囲ではうっすらとした紫の光が膜を成す。
膜だった光はやがて複雑な形状の金属筒へと変じ、傘の骨を思わせるアームを2本形成。
アームの可動肢(マニピュレーター)は計3つ。
それぞれトゲを生やした丸いパーツに覆われている。
そして先端には、奇妙で巨大な銀色の刃物。
大腿部からアームと共に生やしている以上、おおよそ既存のいかなる武器とも違う歪な物で
はあるが、強いてなぞらえるのならば、肉の厚い両刃の剣がやや近い。
ただし片方の刃はわずかに掘られ、周囲と異なる青紫の肌を露出している。
そこに縦に潰れた六角形の刃物が等間隔で4つほどはめ込まれており、剣には程遠い。
武装錬金。
それは人の闘争本能が、武器として発現された物。
津村斗貴子の操る武装錬金は。
処刑鎌(デスサイズ)の武装錬金、バルキリースカート。
10mほどの距離を挟んで。
大腿部から生えた異形の刃物が、4つみなみな小札を睨む。
「ホムンクルスなら、例え見た目が子どもであろうと容赦しない!」
部屋に入り込むかすかな月光が、刃物にあたり冷え冷えと輝く。
小札は恭しく礼をした。
「申し訳ありません。正体バラすのは支障がありますゆえ、黙秘とさせて頂きたく」
「ならば五体を解体(バラ)し、地獄の苦痛の中で吐かすまで!」
斗貴子は前方に跳躍し、処刑鎌を打ち下ろす!
秋水とは違う機械的な斬撃が小札に降り注ぎ、彼女は辛うじて避けた。
「されど先ほど述べたとおり、危害を加えるつもりはないのです。良ければ共に探しものをし
てあわよくば共に戦っていきたいとすら」
話す間にも処刑鎌、不気味な唸りをあげて、小札に殺到中。
単純な刃物の動きではない。
4本の処刑鎌は各自干渉せぬよう、上下左右から同時に薙ぎ、そして突き、無限に途切れる
コトなく連撃を見舞っている。
ホムンクルスは強烈な再生力を誇り、通常の戦闘兵器では斃すコトはままならない。
もし小札がホムンクルスであれば、斗貴子操る処刑鎌を受けるのは正に死活の問題だ。
信奉者──ホムンクルスに加担する人間──であれば、尚。
されど慌てる様子もなく、穏やかなるまま小札は避ける。
不思議なコトに、右手のロッドで処刑鎌を払おうとはしない。
あくまで彼女は回避に徹している。
動きは緩慢だ。横に跳ぶのも後退するのも、ウソのように遅く、距離も短い。
「黙れ。何を企んでいるかは関係ない! ホムンクルスならば殺す!!」
「おねーさん、当初の目的を忘れ気味であります。ああ。なんたるキューな豹変振り。沸点が
低すぎなのは困りモノ」
大げさに滝のような涙を流しハンカチで拭う小札は、その間視界が塞がっているはずだが、
処刑鎌をすいすいと避けてかすりもさせない。
「ああ。志は同じであれど、共に天を仰がずといった態。無理なからぬとはいえ、不肖の心は
痛み……あ」
後退中のかかとが何かに当たった。
それは壁だ。先ほど小札が入ってきたドアが右に見える。
回避の内に壁際に来てしまったらしい。
「追い詰めたぞ」
「おねーさん。ストップです! 嵐のような攻撃、避けてるだけじゃ、いずれ不肖は負傷します!」
「黙れ」
小札の両肩と両脇に処刑鎌がぴたりと合わせられた。
「わわわ、正にシャレにならぬダメージの予感、到来しておりますひしひしと」
瞳孔をキュ〜ぅっと見開くさまはどこにでもいる少女だ。
その毒気のない様子に、斗貴子はややためらいを覚えた。
もとより弱卒にははなはだ弱い性分だし、記憶の中にいる”彼”も簡単に命を切り捨てる
コトに異議を唱えてもいた。
「白状しろ。信奉者であれば今すぐには殺さない」
「ホムンクルスであれば」
「すぐ殺す」
「それは困るな。……出でよ。名も知らぬ彼の武装錬金」
声と共に飛来したのは黒死の蝶。
それだけを横目で確認すると、斗貴子は飛びのく。
処刑鎌のあった所を蝶が数匹通り過ぎ、爆発。
禍々しいオレンジの燐光が、斗貴子、そして小札をあぶる様に瞬いた。
「まさか……まさかこの声わ……」
「……ニアデスハピネス!? パピヨンか!」
飛来元に向き直った斗貴子は、その人影を見咎めると軽い絶句に見舞われた。
「ほう。そういう名か。この黒色火薬(ブラックパウダー)の武装錬金と、バタフライ殿の玄孫は」
闇の中でさらさらとした光を発する金髪。左手には、六角形の楯。
水色のジャケットにGパンという、どこにでも売っていそうなありふれた服装。
(違う! パピヨンじゃない)
遠目から分かる風体は、斗貴子の予想していた姿とははるかにかけ離れていた。
(だが確かに、さっきの武装錬金は奴の物。ならば一体……)
「『武装錬金は使い手固有の形状を成す物──… なのに何故、赤の他人の物を使える?』
という思考が、表情(かお)に溢れているぞ」
「何者だ」
思考の袋小路に迷わぬよう、斗貴子は細い顎(あぎと)をすくりと引いた。
「総角主税(あげまきちから)。ところでどこかでこういう顔を見なかったか? もう少し老けて
いると思うが」
「質問しているのは私だ」
「知っている様子ではない、か。……ま、俺について詳しいコトを知りたくば秋水か桜花にで
も聞いてくれ。今は恐らく、仲間だろう?」
反論を含めて尋問を行おうとする斗貴子だが、声は遮られた。
「ももも、ももも、もりもりさん!? 本日戻られたのはともかく、なぜ不肖の居場所がお分か
りに」
目を白黒させる小札に、柔らかな叱責が飛ぶ。
「まったく。このレーダーの武装錬金を試しがてら探してみれば……集合場所にもいかず何
をやってる。そして勇者王誕生は濁音でないとすっきり響かんぞ」
すると彼女は悪戯を先生に見咎められた小学生よろしく、汗をダラダラ流し
「ああ、お久しゅう。お久しゅう……」
シルクハットを胸にあて、恭しく礼をするのだが、声は露骨に震えている。
「えーとですね。えーと。……変わらぬ元気なそのご様子、おヨロコビもーしあげマス!」
クラウン(帽子の山の部分)を下に向け、持ち手をツバへ変えるとあら不思議。
シルクハットの内側から紙ふぶきやらテープやらハトやらが飛び出した。
「わーわー! もりもりさんの息災ぶりにわーわー!」
小札は騒ぐ。徹底的に騒ぐ。
ついにはシルクハットをでっかいクラッカーに変えて、総角目がけてパーンと弾いた。
「元気であれば何でもできる! 我らがブレミュも安泰でありましょう!」
廃屋の中は華やいだ! まるでパーティ会場だ!
「おお、閉塞感漂う現代社会を癒すこの喧騒。ビバもりもりさん! ありがとうもりもりさん!
とゆーコトで帰りましょう!」
総角はにこりともしない。
「で、なんでココにいる。集合場所にもいかず」
零は諦めたのか、一気に目を伏せ、ズボンの太もも辺りの生地をきゅぅっと握り締めた。
「すみません。先んずれば人を制すと思いまして、待ちがてら調査のほどを」
「まったく。慎めと俺はあれほど。おかげで錬金の戦士と遭遇だ」
闇の向こうで気取った笑みを浮かべつつ、総角は告げる。
「それと小札よ。あだ名で呼ぶな」
気難しい顔をしていたと思えば、笑う。いまいちつかみ所のない男だ。
「仲間か」
慎重に小札と総角を見比べる斗貴子は、攻めあぐねている様子だ。
「ああ。一応、俺の部下の1人なんでな。見逃してやってはくれないか?」
「不肖、まだ危害は加えておりませんし。2対1では不利でありましょう? ね。おねーさん」
「断る」
厳然としたその空気から和解は無理と悟ったのか、総角は大きく息をついた。
「ならば、少しばかり圧倒させてもらおうか。引けばこちらも矛を納めるが……まずは」
斗貴子は見た。
「出でよ! 名も知らぬ彼の武装錬金改め……」
総角が胸元に手をかざし、何かを握り締めるのを。
「黒色火薬(ブラックパウダー)の武装錬金・ニアデスハピネス!」
そして彼女の周囲に数十匹の黒死の蝶が充満し、一斉に火を噴くのを。


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