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第004話  「ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ」 (1)



彼女は知った。
いかに気をつけて行動していても、偶然や他者の恣意、あずかり知らぬ慣習がそれを打ち
崩すコトがままあると。
失敗。
綿密に練った計画ですら状況の如何によってはそちらへ触れる。
反射的にとった言動ならば、なお。
幸い大きな綻びには至らなかったが……軽挙妄動は慎むべき。
彼女は、潜入生活の始めにそう学習した。

「全く。まひろといいあなたといい、門限を破るなんて」
「ごめん千里ちゃん」
「? 珍しい。私をあだ名で呼ばないなんて」
「あ、えと。あちこち歩き回って疲れてるせいかな。あはは。まひろみたいについ忘れてて」
「ホントに疲れてるみたいね。まひろまであだ名で呼ばないなんて…… ブラボーさんに謝っ
たらすぐ寝なさい。夏休みだってもうすぐ終わるんだから、そろそろ生活のペースを戻さない
と新学期から大変よ。沙織」
「うん。分かってる」

失礼します。失礼しまーす。

貞淑な声と元気な声と共に、寄宿舎管理室の扉が開いたのと。

扉を開いた2人の人物のすぐ目の前で、妙齢の美人──楯山千歳が瞬間移動を完了した
のは全くの同時だった。

突如現われた謎の人物に、4つの目は釘付けだ。
黒いおかっぱ頭の、優等生じみた眼鏡の少女は息を呑んで。
黄色がかった髪を頭の両側で縛った幼い顔立ちの少女は、興味津々に。
UFOやUMAに対するような神妙な視線をひっきりなしに注いでいる。
「あー……何というかだな。若宮千里、河井沙織」
キャプテンブラボーこと防人衛は、部屋の中央で気まずそうに頭をかいた。
年は20代後半。黒いボサボサ頭に無精ひげのがっしりした体格の男性だ。
彼が「戦士長」という指揮官役職にあるのはすでに述べたが、それは銀成市での生活におい
ては裏の顔。
表立っては銀成学園の寄宿舎の管理人を務めている。
千歳は彼を手伝う形で寮母として働く段取りなのだが、しかし、のっけから戦士としての正体
を生徒に晒してしまった。
「大丈夫。武藤クンと同じ戦士の人だから。でもなるべく他の人にはヒミツよ。ね?」
桜花はちゃぶ台の前で行儀よく湯のみを持ちながら、柔和な笑みを浮かべた。
「というコトですから、あまり心配はありません」
さすが生徒会長だけあって、場をくつろげるのは上手い。
少女たちが安心したのを見届けると、今度は千歳に笑いかけた。

「明日からしばらくここで寮母を務める楯山千歳です。宜しくお願いします」

見えざる流れに千歳は乗せられ、無表情ながらもごく自然で滞りのない挨拶をしてしまった。
しながらも部屋を観察し、1つの疑問を抱いていたが。

ちなみに千里同伴による沙織の門限破りについての話は滞りなく終わった。
で、彼女たちはめいめいの部屋に戻った。
途中、沙織は携帯電話片手で妙にかけたそうな顔をして、千里にまた少し怒られたりもした
が、それはごく普通の日常の光景でもあり、別段特筆には及ばない。

管理人室は4畳半ほどのこじんまりとした作りだ。
これといった装飾は特になく、あるのはロッカーや黒板、湯沸かし器に流し台、ガスコンロと
小さな冷蔵庫、子機付きの電話など、ごくごく事務的な物ばかり。
部屋の中央に置かれたちゃぶ台に置かれているのも、皿に入ったせんべいや2つの湯のみ
と非常に質素だ。
そのちゃぶ台の前で、千歳は向かい側の桜花を見た。
「単刀直入に聞くわね。あなた以外にエンゼル御前を使える人に心当たりは?」
──この前日。
千歳は戦闘の中で見た。彼女ともう1人を密やかに監視する影を。
桜花の武装錬金、エンゼル御前を。
それは発覚と同時にかき消えたが、戦闘を影からかき乱していた『第三者』の使役せし物
とは想像に難くなく、千歳がそれを手がかりに桜花の元を訪れたのも無理のない話だろう。
桜花は即答した。
「あります。彼の名前は総角主税。武装錬金の特性は」

限定条件下における、他者の武装錬金の使用!!

(条件は2つで、どっちかを満たせば使用可能なのです。1つは、武装錬金を見るコト)
霧が充満する大部屋をうろうろしながら、小札零は考えていた。
(でもそっちの威力は安定性に欠けますゆえ、万能無敵とまでは。対象となる武装錬金への
印象度や創造者との相性、記憶の新旧に性能が左右されるのは困りモノ)
彼女はロッドの先っぽで床をかりかりしながら、20mほど先で戦う人影をぼけーっと見た。
(おねーさんはなかなかお強い。見ただけの武装錬金では圧倒に少し届かずといった態。
やはりもう1つの条件でいくのが得策でありましょう)
斗貴子は果敢にも、バルキリースカートの可動肢のみで戦っている。
処刑鎌は分割されているから、頼みは間接部についたトゲだけだ。
にもかかわらず斗貴子の気迫は充分で、濛々の霧を裂きつつ総角を後退させていく。
「こういう時こそ焦りは禁物。しばらくじっとするのが吉」
小札は手を一振りした。
手中に現われたのはトランプ。ハートのクイーンだ。
「トランプ占いもそう告げておりますし、ここは不肖の武装錬金を発動するに留めましょう」
そして、登場時から手にしていたロッドをトランプにかざす。
トランプは得体の知れない長方形の金属片に変じ、ピンクの光を放ち始めた。
「これでこちらに来るはず。ちなみに」
縁から滲む光は、風になびく煙のようにゆらゆらとしていたが、とある一点に向かって静止した。
「探すのをやめた時、見つかるコトも良くある話で」
霧が収束していく。戦う2つの影めがけて。
小札は斗貴子と思しき人影を遠巻きに眺めながら、にこりと口を綻ばせた。
「踊りましょう夢の中へ。行ってみたいと思いませんか?」

寄宿舎の管理人室。防人は難しげな表情だ。
「ところで千歳。桜花の話を聞きながらでもいい」
防人は話に割り込むと、難しい顔をした。
「戦士・斗貴子の様子を見てくれないか? 定時連絡がないのが気に掛かる」
千歳は頷き、六角形の楯を再発動すると軽やかにペンを動かした。
だが。
「映らないけれど、恐らく接触しているとみるべきね」
ヘルメスドライブの画面は、「ジグジグジグジグぶっ殺す」などの汚い言葉に埋め尽くされて
いる。
「昨日も霧のせいで、同じ現象が起こっていたから」
防人と桜花は顔を見合わせた。
「霧……チャフ(レーダーを撹乱する金属片)の武装錬金か」
「そういえば」
花びらを塗りこめたような桃色の唇に手を当てて、桜花は呟いた。
「彼がもっとも得意とする武装錬金は、アリスインワンダーランド……」
「既に交戦中だとすると、間に合うか?」
唸る防人の横で、桜花は首を捻った。
(でもどうして? 彼はアリスインワンダーランドの特性を2つ同時に扱うコトはできない筈。
津村さんと戦っているなら、方向感覚の撹乱を使う筈。でも、いま使っているのは電子機器の
遮断の方……? 変ね。まるでこの人が)
千歳を見ながら思う。
(レーダーの武装錬金を持つこの人が、寄宿舎、いえ、銀成市に来たのを知っているような──…)

影が飛び退いた。
大部屋と、斗貴子が入ってきた細い通路のちょうど境界線のあたりに。
影は総角。しなやかに着地し距離を稼ぐと、胸の認識票を握り締つつ深く息を吐いた。
「これ以上長引けば、双方共に命が危ない。本領を発揮させてもらうぞ」
辺りを素早く見回した斗貴子は、異変に気づく。
立ち込めていた霧が、自分を中心に収束しつつあるのを。
歯噛みしながら総角を執拗に狙うが。
「もう遅い。捉えた」
斗貴子の周囲で毒々しい光が瞬き、彼女の視界を燦然と灼いた。

黒板に血飛沫が飛散し、描かれていたもの全てを洗い流す。

覚えてないの?

子どもの頃から一緒に育ってきた少年の残酷な変貌。
普段きているお洒落な服を返り血に染めて、耳をくちゃくちゃと咀嚼するクラスメイト。
隣のロッカーから響く幼い少女の断末魔。ひしゃげたロッカーから覗く血染めの細腕。
馴染み深い老人たちもなすすべなく生を奪われ……

遠くから轟然と土砂の音が響き、激しい揺れと共に視界はブラックアウト。
だが間髪いれず、手に枷をつけた大人しげな眼鏡少年のアップに切り替わる。

  ホラ一緒に日直してた 同級生の西山

……知

知らない…… 来ないで……

凄まじい悪寒と混乱にひりつく中、顔の中央に鋭い痛みが走る。
冗談のように熱い概念が視界にしぶき、新たな自分を創っていく。

赤い。

赤い。

真赤な誓い。

「さすがだな。この状態で攻撃を仕掛けた相手は初めてだ」
刃なきバルキリースカート。
ゼンマイの切れたおもちゃの兵隊のように力なく3歩進んで静止した斗貴子。
だが、悪夢の中でなお、攻撃を行っていた。
むしろ悪夢に捕らわれているからこそ、その中の戦いをなぞれたともいえるが。
右の肩口と左の二の腕、胸の中央。
総角が可動肢に薙がれた位置だ。
「だが克服は困難。密集状態のアリスインワンダーランドが見せる悪夢の数々には、さすが
のお前も耐えられまい……」

けしてほどけぬよう、しっかと手を握り合い出撃した。
ドス黒く荒れる海面をはるか下に、彼と並んで突き立てる。最後の切札を。
突撃槍(ランス)状に展開した山吹色の光が、ただ闇の中でまばゆく光る。
やがて光は途絶え、轟然と叫ぶ敵の大戦斧が迫り来る。

「来るぞカズキ! 手を離すな!」

まだ、やれる。
まだ、大丈夫。
約束したのだから。

「キミと私は一心同体。キミが死ぬ時が、私の死ぬ時だ!」

そう誓ったのだから、彼はけして諦めないのだから。
2人で最後まで戦い抜ける。きっと。かならず。

圧倒的な敵意に慄きながらも、もう一度だけ彼の手を握り締めた。

だが彼は。
一滴の汗を頬に浮かべて、詫びた。
まったく何をいっているのか分からなかった。
これ以上ない明瞭な言葉なのに、理解するまで数秒を要した。

「ゴメン。斗貴子さん。その約束守れない」

彼が天に昇っていく。手の届かないところへ昇っていく。
違う。握り締めた手が振り解かれ、ドス黒い海面へと落ちていくせいだ。
手を伸ばす。
手を伸ばす。                                届かない。
「本当に、ゴメン」
寂しげに微笑む彼の表情から理解した。
彼が天に昇っていく。手の届かないところへ昇っていく。
堰を切ったような涙の中で彼の名を叫ぶ。
だが彼は消えた
愛しき世界を後にして、星明りの中へ。

「落ちたな」
完全に光の途絶えた瞳を確認すると、総角は踵を返した。
肩口と襟足に掛かった柔らかい金髪が羽毛のように闇を舞う。
「まぁ、よく持った方だ。その間に俺たちは……」
「カズキ」
総角はぎょっとした様子で歩みを止め、哀切の呟きを振り仰いだ。
「カズキ……」
青く鋭い瞳は平素の毅然をくしゃくしゃに打ち捨てて、涙で目じりを飽き果てるコトなく濡らし
ている。
総角の頬は、耐えがたい笑いの兆候に激しく痙攣した。
「ハハっ」
唇がにんまりしたのも束の間、裂けんばかりに細く歪んで、大哄笑が巻き起こる。
「ハハハハハハ! ハーッハッハッハ。ハハハハ……」
笑いを徐々にフェードアウトさせ、余韻に震える肩を深呼吸で沈めた総角。
斗貴子に向き直って叫んだ。
「しまった!」
表情は3枚目のように崩落し、全身真っ白で硬直だ。
「この子、別離がトラウマか!!」
「でありましょう。涙を流して人の名を呼ぶのは別離がトラウマの証拠」
おたおたと手を動かして、斗貴子の眼前で振ったりしてみるが、それで涙が止まる訳でもない。
「実に困った状況でありますね」
「まったくだ。凶暴な性格だからてっきり、そっち系統は大丈夫だと思ってたのに」
忙しく認識票をいじくり回すのは、事態打開の代物を探しているのだろう。
「ぐぬぬぬ…… 人は見かけによらんから困る。別離はまずいぞ別離は。鏡と並んで俺が最
も嫌うモノだぞ。それを人に見せるのは良くない」
総角は心底困った表情で首を振った。
「分からんコトもない。とゆーか、俺と似ているからやり辛い。ああしかしだがしかし、いま
情けをかけて核鉄を見逃したら今度は部下どもが危ない。情けを捨てろ総角! それが
唯一の礼だとハドラーもいってだろ、だから非情になるんだ。なるんだー! というトコロ
でありましょう」
総角は一瞬きょとんとしたが、すぐジト目になり、背後へ呼びかけた」
「お前なぁ。俺の心情を代弁するなよ」
そこで情感たっぷりに語っていたのは、零だ。
いつの間にか総角の後ろにいた彼女は、またロッドを口に当てている。
「ままま。不肖の目ならば大丈夫。見逃すのを見逃しましょうぞ。対・鐶さんたち用の厳正なる
緘口令を自らに課して口をチャックで縛りつけ、お墓まで秘匿を持ち込むのもまた美徳!」
小札は、わー!とロッドを天に突き上げた。意味もなく。
「お前いいやつだな」
「ただし不肖の先走りをば帳消しにしていただきたく、お願い申し上げる次第」
「構わんが、なァ。お前ならどーする? この子。核鉄奪う気にはならんつーか、悪いつーか」
「むむ。不肖と2人きりでないというのに昔の口調! 相当お悩みの様子。いつもの余裕たっぷり
の口調ははたしていずこへと!」
「余裕もなくすさ」
素晴らしいキューティクルの髪をわしゃわしゃかき乱して、総角は大きくため息をついた。
「敵だがな、人間だ。正義に従ういい奴だ。戦いで翻弄するのはまぁ許容範囲なんだが、
尊厳を傷つける真似は好かんつーか。ま、悪夢見せといていうのは偽善だが、別離の記憶
を見せるのは良くないつーか。ああややこしい」
「なればコレをあげますか?」
小札はひょいと何かを取り出した。
3cm×1cmほどの金属片で、蝶らしい体の一部が描かれている。
「割符、か」
「ハイ。割符であります。不肖の武装錬金の特性にて無事入手致しました」
彼ら、そして斗貴子が探す『もう1つの調整体』にたどり着く為に必要なアイテムだ。
「いや待て。それはマズイだろ。侘び代わりにやりたいのは山々だが、今度はお前らの苦労
が台無……」
総角と小札の背後には非常口がある。
最初に斗貴子が入ってきた場所だ。
それに背を向けていた総角は、嬉しさと緊張の混じった奇妙な表情で、小札に呼びかけた。
「お前、年の割りに背が低くて助かったな」
「うぅ。不肖のコンプレックスをなぜにいまここで」
しくしくと泣いてみせる小札の背後で、非常扉が袈裟懸けに斬られ、上半分が部屋の内側に
ドタンと落ち込み、
「安心しろ。おかげでシルクハットが台無しになるだけで済む」
向こうから撃ち放たれし青い直線状の電影が、狂気のごとく総角を襲う。
「ひぇ、こは何事! こは何事ぉ!」
頭上を掠めさった正体不明の攻撃に、小札は首をすくめた。
もっともその努力は無駄だった。シルクハットのクラウン(てっぺんの部分)が斬られてたので。
「やれやれ。武器を投げるのは感心せんぞ」
喉元の前。人差し指と中指でキャッチした物を見ると、総角は微苦笑を漏らした。
相も変わらず、無骨な武器だ。
肉厚で中反りの刀身に下緒をあしらっただけで、柄すらない。
そのせいでむき出しになっている船底型の茎(なかご)には、鑢目(やすりめ)がかかってお
らず、安定して振るうためには手にサラシを巻く他ないだろう。
「敵に奪われたら不利だし、何より味方に当たったらどうする。取り返しがつかないだろう?」
棟区(むねまち。柄もしくは茎と刀身の境目あたりを指す)には、丸の中に×印をあしらった
幾何学模様と、アルファベット表記の銘が刻まれており、その少し上から切っ先にかけては
細い溝の彫物が続いている。
切っ先は日本刀にしては珍しく、両刃。
突きと斬撃の両方を目的としたこの造りは、名を鋒(きっさき)両刃造りといい、有名な所では
平家重宝の小烏丸が挙げられる。
薄暗い青に彩られたその刀身の下で、小札がシルクハットの破損にしくしく泣き始めた頃。
ドアの向こうから白い影がゆっくりと入室した。

その頃、寄宿舎では。

千歳が、部屋に来たときからの疑問を桜花に投げかけていた。
「ところで、弟さんは──」
代わりに返答する防人は、実に浮かない表情だ。
「戦士・斗貴子の所へ向かってもらった。間に合えばいいが」

「仲間の危機に間に合ったようだな」
さびさびと懐かしむような声と共に、日本刀の武装錬金、ソードサムライXが投げられた。
「武器は返すぞ。だからのんびり世間話でもしようじゃないか」
放物線を描いて飛んだ日本刀は、入出者の真ん前で両刃をザクリと床につき立てる。
「なぁ、秋水よ」
早坂秋水は切断されたドアを踏みしめながら、無言で刀を引き抜き、青白く輝く瞳を総角に
向けた。


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