インデックスへ
第001〜009話へ
前へ 次へ

第005話 「総ての序章 その1」  (1)



1850年(嘉永3年)6月28日。
というから「怪談」で知られる小泉八雲に1日遅れた事になる。
ともかくも、彼は生まれた。

生まれた当時は他の人間がそうであるように、ただ泣き喚き乳を欲し、排泄物の処理を他
者に委任していた彼であるから、後年起こる数多の出来事──…

1853年 (03) 黒船来襲           ※()内は年齢
1854年 (04) 日米和親条約締結
1858年 (08) 安政の大獄
1860年 (10) 桜田門外の変
1863年 (13) 新撰組結成
1864年 (14) 池田屋事件 禁門の変
1866年 (16) 薩長同盟成立
1867年 (17) 大政奉還
1868年 (18) 明治元年 鳥羽・伏見の戦い
1869年 (19) 東京遷都 鳥羽・伏見の戦い終結
1777年 (27) 西南戦争
1878年 (28) 大久保利通暗殺
1894年 (44) 日清戦争
1904年 (54) 日露戦争
1905年 (55) ポーツマス条約締結

は知る由もなく、更にはこの年表最後の年において運命的な出会いを果たし、ひいては10
0年の永きに渡り友人を守護するとは到底思いもよらなかっただろう。

蝶野爆爵。

ホムンクルス共同体、L・X・Eの創始者にして盟主。
どちらかといえばDr.バタフライという名の方が馴染み深くはあるが、本章では彼が人間を
やめるその時まで爆爵と記す。

彼の青春期において天下はとかく沸騰していた。
幕末、である。
ただ爆爵は性格上、沸騰を遠くから冷ややかに見つめていた。
第一、彼が今でいう埼玉県に生まれたのも悪かった。
埼玉といえば江戸と隣接し、川越の城下町などは江戸の北方を防衛する役目を課せられ、
「小江戸」と呼ばれるほど栄えていたというから、幕末という時期の熱が江戸を介して爆爵の
身辺に伝わらぬ事はなかっただろう。
しかし江戸より更に南方に位置する横浜と比べれば、熱の度合いは格段に下がる。
開国と同時に多くの西洋文化が雪崩れ込んできた港町と、依然旧態の宿場町しか擁さぬ内
陸部では、火事場と昼下がりの縁側ほど熱が違う。
自然、爆爵の周囲の人間は皆、幕末という時勢を対岸の火事の様に眺め続け、京都や会
津などといった土地に比べれば驚くほど平和な状態のまま維新を迎えた。
だが、時勢に応じて気炎を吐かざるを得ない激越論者という者はどこにでもいるらしい。
根岸友山という50を過ぎた男が徒党を組んで歩き回り、幕府お抱えの浪士組(新撰組の前
身)に参加すると所構わず吹聴したり、宿場町のそこかしこで若衆が拙いながらに時勢を論
ずるのを見るたび、爆爵は白眼を以って断定した。

「劣」

熱に惑わされる彼らが、ではない。
若干13歳にして、物事をひどく現実的に見る癖(へき)を備えていた爆爵からすれば、威勢
を誇り空疎な議論に没頭する輩のみならず、それを育む社会そのものがもはや劣っている
としか言いようがなかった。
元々、蝶野の一族は先祖から子孫に到るまで、物事を極端な二元論で評する癖が備わっ
ている。
例えば子孫の一人には、「要」「不要」で子供を差別する者がいた。
長らく「副」の立場に押し込められたと、「主」である兄を憎悪した青年もいた。
「自分と蝶」だけを愛し、「自分と蝶以外の全て」を憎み、「名を呼んでいい男」「それ以外」の
線引きにこだわり続けた蝶人もいる。
爆爵も「優」と「劣」という二元論を持っているし、思想はそれだけで充分だと思っている。
佐幕や尊王などという、書を読み師を持ち、同士と膝を交えて昼夜激論し続けて、ようやく
「分かったような」気になる空虚で複雑怪奇な思想などは、不要だ。
彼にいわせれば、そういう流行の思想に染まろうとする人間や、伝染を許す社会は「劣」だ。
他者の作り出した流れに惑わされるばかりの連中は役立たずにすぎない。
その点、維新三傑や坂本龍馬のような人物はいい。
思想の空虚さをいちはやく見抜き、的確なる行動を時代に対して打ったのだから。
だが歴史というのは流れるもので、彼らは必ず死に、作り上げた素晴らしい『機構』の数々は
「劣」の人間どもが食い荒らして崩壊させてしまう。
優れた物には、必ず「原則」というものがある。
秀でた人間が、設計思想に伴う数多くの概念を凝集し、それらを滞りなく動作させられるよう、
幾年もの月日をかける以上、必ずあるのだ。
が、「劣」に属する連中は「原則」をまるで理解しない。
「引けば動く」「押せば止まる」
持ちえるのはその程度の認識だ。極めて反射的、蝿と同等の認識力だ。
そういう連中が、優れた物を使役すれば必ずどこかで歪みが生ずる。
機械や道具だけではない。
政府や国、組織といった人間の集団をまとめあげる『機構』という代物もだ。
最初はいい。
それらを作り上げた存在は、まごうコトなき「優」の立場の人間だから、溌剌たる指示の元、
『機構』に美しい機能を伴わせ、属する人間を能力以上に動かしていく。
だが、人間は必ず死ぬ。
始皇帝も頼朝も諸葛亮も家康も、志の全う如何に関わらず土と化す。
彼らの死後もしばらくは、『機構』も残る。が、必ずしも相応しい者に委ねられるとは限らない。
徳川幕府がいい例だ。
要職に就く条件を血の繋がりに設定した結果、ろくでもない劣どもの跋扈を許した。
考えてもみろ。
いかに優れた者の子とて、半分ほどしか「優」の血筋を持っていない。
その子が子を育めば、1/4へ薄まる。
逆に言えば貴人から2世代離れるだけで、3/4の血が別物となるのだ。

世代が進めばそれはますます顕著になる。

 7/ 8
15/16
31/32
63/64
  :
  :

単純な肉体の話ですらこうなのだから、「優」の精神に至ってはますます継承を望めない。
更に家督などという無意味な概念を保つため、養子を貰い受ければ──
「優」とはまるで無関係の存在が要職につく。
そいつらの目的は、家庭の保持しかなく、職に求むるのは一定の給金だけだ。
『機構』の中で自らの職が機能するよう務めない。決して。
古来、『機構』が永遠に姿をとどめた試しがない原因はそれだ。
現に爆爵が見た「幕末」の光景もそうであり、人間への失意を深めさせた。
仮に国を強くしようとする者が現れ、この動乱を収めたとしても、100年も立てばまた同じ事
が繰り返されるだろう。
人に寿命がある限り、何度でも何度でも。
轍で結ばれた輪は断たれる事なく、何度でも。

爆爵は、西洋貿易により4代にも渡る名家を築き上げたのを見ても分かるように、非常に高
い実務能力を有している。そのせいで並の人間にはおおよそ打ち解けない。
翻せば、相手を一度認めてしまえば後はどこまでも真摯で誠実な付き合いをする側面を有し
ているが、認めるまでがとかく厳しい。
根が現実主義者だからこそ、理想に対して妥協ができないのだ。
しかも爆爵は、自身の求める「優」の定義が良く分からない。
持ちうる二元論は単純だが漠然。論理よりは直感で認めるほかないと思ってはいる。
されどそんな物は、彼の故郷にはない。
前述の通り、瓦解しつつある幕府の原因が人の生命と惰性にあると考えてしまっている以上、
人間を「優」と認めるのはできない。が、認められる物は欲しい。
懊悩は日本という国に対してやがて範囲を広げ、若い爆爵はたまらず横浜へ駆けた。
当時は世界から様々な科学技術が流れ込んできた時代。
横浜ならば彼の直感に叶う「優」があると信じ、若い爆爵はまだ雑駁としている街をうろついた。
そして。
露天で売られていた一冊の本に惹き付けられ、購入した。
それが錬金術と爆爵の出会いであり、彼は支えを錬金術に求めた。

錬金術の大いなる目的は、賢者の石の精製である。
卑金属を金に変える、生命を永遠とする、あらゆる奇跡を起こす。
といえば錬金術を知らぬ物でもピンとくるほど有名だ。
が、最終目的ではない。
実のところは、賢者の石の精製における「大いなる工程」の中で、生命を構成する3つの要
素を高める事こそが、本懐なのだ。
3つの要素とは、精神、魂、肉体。
つながりあうそれらを長大な研究の中で切り離し、別個に活性化させて高みへ導き、そして
完成した形で再統合する。
書により定義はやや異なるが、こと「成長」という物に重きを置く点ではいずれも同じである。
1905年。
55歳になった爆爵はその結論をようやく知った。
知るまでは大変だった。
膨大な量の文献をかき集め、西洋貿易の傍ら日夜研究にいそしむも、なかなかはかどらない。
原因は、錬金術特有のややこしい物言いだ。
例えば「水銀」などというキーワード一つとっても、書かれた時代や国によってまるで別の概
念を現している。
ひどいのになると「斑の豹、緑のライオン、烏の鉛のように青い嘴」などとパラドックスまみれ
の表現が延々と続くだけの文献もある。
懸命に研究する爆爵としては、その曖昧模糊の表現をして悦に浸っている輩もまた「劣」だ。
錬金術の大義が成長であり、高みに到達するのが目的であるなら、実効性のある物を自ずと
生み出せるはずなのだ。
だがかき集めた文献の大半は、言葉をただこねくりまわりしいたずらに難解にしている虚仮
ばかり。
奴らもまた、惑っている。能力を超える莫大な資料の前に惑っている。
爆爵は幕末に見た人間と錬金術の研究者を重ね合わせて歯噛みした。
けれど苦い顔をしながらも爆爵は研究をやめない。
目的を果たせないなら役立たずだ。爆爵自身とて例外ではなく、やめられない理由もある。

維新後、貿易商として大成を収めた爆爵は、自分の寿命について考え始めた。
「死」自体は恐ろしくない。
が、40年かけてようやく学んだ錬金術が死と共に無に帰するのは耐えがたく、寂しい。
錬金術の膨大さに比べ、人間の時間は足らなすぎる。
更に死後、自分の築き上げたモノが「劣」たる人間どもに食い荒らされるコトを想起すると、
死よりも耐え難い屈辱に、身の裡からふつふつと暗い熱が巻き起こるのを感じた。
見も知らぬ想像の世界の「劣」どもに、明確なる殺意を覚えた。

奴らはただ惑えばいいのだ。乏しい才覚で美蜜に預かろうとするのはもはや「劣」以下。
醜い蛾にすぎない。蛾は炎(ほむら)の眩い光を炎と知らぬまま突っ込み、焼け死ね。

唾棄すべき思いの中で爆爵はただ自分のみが生きる事を切望し、錬金術によって永遠の生
命を得ようと思い始めた。
あくまで進化のために。
錬金術を究明し、精神も魂も肉体も高みへ昇らせる為に。
築き上げた物を「劣」の手から護り抜く為に。
けして時勢や他者の行動に、惑わされぬ為に。

研究はいよいよ進み、彼はついに不老不死の手がかりを掴んだ。
核鉄とホムンクルス。
片や精神を武器へ具現し、身に付ければ治癒力を高める金属の結晶。
片や肉体を強固に再編し、錬金術の力以外では倒せぬ半不老不死の怪物。

だが、研究はそこで行き詰まる。
存在や形は分かれど、いかなる方法で精製できるかはどの文献にも記されていない。
当節とって55歳。生物としての寿命にいささかの翳りが見え始めた頃だ。

焦りに目を濁らせた爆爵は、ふと山に行きたくなった。
気分転換。緑多き山に登れば、美しい蝶が見れるだろう。
ただそれだけ。それだけの動機が、大きな出会いと転機をもたらした──…


前へ 次へ
第001〜009話へ
インデックスへ