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第005話 「総ての序章 その1」  (2)



山の中腹で最初に見たのは、顔の右半分が破裂した西洋人の死体。
まだ死臭は薄く、飛び散った歯も唾液と血液に濡れ光っていた。
熊にやられたとかそういう類の傷ではない。
打撃点に向かって一気に、まるでねじ込まれる様な……
同様の死体が他にも2つ転がっている。
首から上が破裂している者、肩口を抉られたまま恐怖の表情で事切れている者。
皆総て、紺地に幾何学模様をあしらった制服を着用していた。
それが錬金戦団における再殺部隊の制服だとは、爆爵は死ぬまで知らなかった。
目を引いたのは、躯の傍らに落ちている六角形の金属片。
爆爵は文献で読んだからそれが何か知っている。
核鉄。
だが欲し続けたそれをも凌ぐ昂揚感が爆爵を突き抜けた。
未知への震えに口腔が乾く。少年時代、錬金術の本を見つけた時のように。
……視線の先。
切り開かれた木々からぼっかり覗く満月を背に、求め続けていた存在が居た。

淡く光る蛍火の髪!

熱を帯びた赤銅の肌!

筋肉で固めた2m超の巨躯!

指折り数えた特徴に歓喜は有り余り、かえって愕然となるのを爆爵は禁じえなかった。
蝶を探しに来た事など忘却の彼方だ。
赤銅色の彼は大戦斧を両手に、追っ手と思しき者と交戦中。
爆爵の目には全く入らなかったが、追っ手は艶やかで長い金髪をオールバック気味にまとめ
て襟足から背中へ垂らし、片手にはどこまでも長大な剣を持っていた。
眩い光に引かれる蝶のように爆爵は歩みを進める。
すると体が雨に濡れる墨のような煙をたなびかせ、みるみるうちに精気を失っていく……

直感が告げる。それは「優」の礎になれる喜ばしき貢ぎだと。

爆爵は心の中で自然と跪いていた。
学者として。錬金術師として。そして人間として。

魂、知識、技術、美学。
ありとあらゆる人間の概念を超越した、永久不可侵の優位性に!
劣こそ従わざるを得ない、弱肉強食という名の圧倒的原則に!
そして!!
その頂点へ立つに相応しい赤銅色の彼に!!

眩い光の中で、快美なる脱力に浸っていた爆爵の表情が一転、凍りつく。
追っ手と思しき金髪の男が、大剣で赤銅色の男の胴を両腕ごと横薙ぎに斬り裂いた。
光はやみ、闇へと向かう。
打ち切られた搾取の中で愕然と膝をつく爆爵は、濁りきった瞳で金髪の男を睨んだ。
金髪の男は赤銅色の男へ歩み寄る。恐らくトドメを刺すのだろう。
だがいかな事情があれど関係ない。
ただ、ようやくめぐり合えた「優」の存在を斃す事だけが許せない。
領分を脱せず終生イモ虫のように見苦しくあり続ける「劣」ごときが光を断つのを。
どうして見逃せようか。
蝶野家の男特有の二元論からすれば、取るべき行動はただ一つ!

「…………え」

幕末の激動や錬金術の膨大さに結局打ち克てなかった愚図どもの様に!

「惑……え……」

そして眩(まばゆ)さの中で焼け死ぬべし! 「劣」が光を直視する時はただかくあるべし! 
傍らにあった核鉄を迷わず拾う。直感がいま使い方を知らせている。
ゆえに蝶野爆爵は、怨嗟うずまく汚濁の瞳で叫んだ。

「惑 え !」

山に叫びが木霊する。
プラチナホワイトの光がぶわりと密集し、金髪の男を襲う。
彼は爆爵を認めると、一瞬、信じられないという顔をしたがすぐさま煌く光の虜囚となり、意味
不明の絶叫を数度発すると頭を抱えて昏倒した。

アリスインワンダーランド。
惑いの光をもたらす武装錬金を爆爵はこの時初めて発動した。
拡散状態においては、人間の方向感覚や距離感を惑わせ、電子機器もシャットダウンする。
密集状態においては、対象の脳に作用し、忌むべき幻覚の中で惑わせ精神を破壊する。
蝶・激痛の幻覚を与えれば、ショック死させる事も可能。

数分後。
激しい虚脱に息をつきつつ、爆爵は辺りに散らばる核鉄を拾い集めた。
数は2つ。中央に刻まれているシリアルナンバーは、LXI(61)とXXII(22)。
加えて、爆爵が発動したLXX(70)と金髪の男が握りしめていたXXIII(23)。
奇しくも100年後の銀成市において爆爵の玄孫や早坂姉弟が駆使する核鉄である。
特に、XXIII(23)の核鉄を持つ秋水は、後年、因果の凄まじさを知るが──…
爆爵は知る由もなく、ただ無造作に懐へ仕舞い、金髪の男の息が無いのを確認した。
途中、視線が止まる。男の胸元には認識票があった。

「MELSTEEN=BLADE (メルスティーン=ブレイド)」

と記されているが、もはや死んだ男の名など聞くに値しない。聞くべきは──…

「オレを殺さないのか?」
瞑目し、沈撃な声で問う赤銅色の彼に、爆爵は跪いた。
「奴の武装錬金、ワダチの特性によってエネルギードレインの機能は断たれた。自己修復も
もはやままならない。今なら容易く討てるだろう。なのに何故、核鉄を手にしていながらそれを
しない? 見てのとおり存在(い)ながらにしてヒトに仇なす化物を、キミは何故討たない?」
爆爵は首を振り、貴人に触れるような恐れ多い手つきで赤銅色の男を抱えた。
上半身だけとはいえ、筋骨隆々の巨躯の重量は凄まじい。
だが歯を食いしばって、爆爵は歩く。
「……オレの名はヴィクター=パワード。キミの名は?」
名乗るのは恐れ多い。だが、名乗らぬ事もまた恐れ多い。
ならば彼の望みに沿う方が美しい。故に答える。
「蝶野爆爵」
長い沈黙の後、ヴィクターは重々しく口を開いた。

「爆爵。1つ頼みがある」

数時間後。爆爵は家族使用人問わず、蝶野家に居るもの総てに命を下した。
曰く。爆爵が研究に用いる蔵には、今後一切彼以外の立ち入りを禁ずる…………と。

同刻。

ヴィクターと爆爵の邂逅した場所で、1つの躯が起き上がった。
端整な顔で碧眼を持つ、金髪の男。年のころは17〜8。
身に付けた再殺部隊の制服は質素であり、かつ、全身汗にずぶ濡れている
だがそれに負けぬ気品を薄っすら漂わせ、そして。

胸には、認識票──…

回り続ける。
轍で結ばれし輪は断たるる事なく、永劫に。


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