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第006話 「今は分からないコトばかりだけど」 (1)



──8月28日。昼。
やっぱ変わっている。
居並ぶ剣道具の一団からそんな声が漏れると、みなひそひそながらに同意を示した。

彼らの前で展開される打ち合いは、実に濃淡鮮やかだ。
片や紺の剣道着にオーソドックスな黒の防具。
片や白の剣道着に気障ったらしくすらある白篭手と白面。
早坂秋水その人だ。
彼は面金の奥から鋭い叱責を飛ばす。
「動く時も左手はヘソの辺りに固定する事! 左手のブレは足にも響く!」
「は、はいっ!」
対する黒い防具の部員はまだ1年と年若い。
おたおたと必死に左手を直して、容赦なく注ぐ竹刀の雨に応戦する。
打ち合う竹刀がぱちぱち鳴るたび、彼の足取りは徐々に徐々に押されていく。
退き方も実にぎこちなく、一歩後ろへいくごとに体がブレてますます体勢が崩れていく。
それでもまだ、打ち込まれていないだけマシだろう。
観戦する剣道部員は、秋水の剣戟の凄まじさを正に「身を以って」知っている。
「俺、何度も吐いたもんなぁ」
「アバラにヒビが」
「みみず腫れが2週間は残ってた。16箇所ぐらい」
それに比べれば、後退で済む1年生などはまだまだ幸福だろう。
彼らは軽い嫉妬と、部活仲間ならではのちょっとした安心感を打ち合う2人に覚えた。

「ここまで。竹刀の振り方は確実に上達しているから、後は足さばきを見直すコト」
秋水は竹刀をゆるゆると提げ、姿勢良く立礼をして相手を見据えたまま静かに下がった。
1年生はというと、息も絶え絶えで礼もフラフラ、竹刀を支えに踵を返すという有様だ。
「コラコラ。立礼の後に背中を向けるな」
審判を務めていたいかつい剣道部部長が苦笑交じりに呼びかけ、秋水にも声を掛ける。
「ご苦労さん。流石に部員全員への稽古は疲れただろ。水でも飲んで来い」
「ええ」
と面の下から現れた端整な顔は、汗一つかいていない。
(武藤相手にゃかいてたんだが…… アイツ1人の方が部員全員より強いってか? 稽古とは
いえ5〜6人ぐらいは本気出していたが)
頼もしいような小憎らしいような微妙な表情をしているうちに、エースは防具を取り去り体育館
を立ち去っていく。

しばらく部員はわいわいと秋水の変化について語った。
以前の彼の稽古というのはそれはもう凄まじく、相手が戦闘不能になるまで打ちのめすわ
慇懃無礼な態度を取るわ、観戦に来た女子どもに黄色い声を上げさせるわでそれはもうや
り辛い相手だった。
だが、交通事故(と彼らは信じている)に遭って約3ヶ月。
8月ももう終わりに近づいた頃に復帰した秋水は、やけに雰囲気が違っていた。
「あまり笑わなくなったな」
「でも、剣は以前より柔らかいぜ」
「俺らに教授してくれるし」
とまぁ、無愛想ながらに加減を加え、のみならず稽古の中で的確なアドバイスをするように
なっている。
しかもそれたるや、常に地味で基本的なものばかり。
容姿端麗、頭脳明晰で全国個人4位の剣腕の持ち主という華々しい肩書きにそぐわず、無
味乾燥なほどに技術一点張りだ。
もっともそういう質朴な言葉の方が剣に携わる若人には合うらしい。
いわれた部員はすんなり理解し改善に努めていくので、結果、剣道部全体のレベルが底上
げされつつある。
師範を得た思いだ。
と、剣道部部長──部員からは秋水が沖田総司か土方歳三とすればあんたは近藤勇だと
揶揄されるほど縮れ面でずんぐりとした粗野な風貌を持つ──は表現し、部員もそうだと納
得した。
もっとも秋水、沖田総司にしてはややトウが立ちすぎている。
どちらかといえば新撰組副長・土方歳三の方が的確だろう。
無愛想で生一本な性質はもとより、「副」会長という所が似ている。
それをいうと桜花が近藤勇となり、「何か言った?」というドラマCD2での恐ろしい声が
何度も記憶から呼びかけてきそうだが。

「もしかすると恋人でもできたんじゃないか?」
「でもアイツ、生徒会長以外に興味あるのか?」
「あったとしても桜花ぐらいの美人じゃないと眼鏡に叶わないだろう」
「何にしろ、今は分からないコトばかりだな」

などと無遠慮な会話をしているうちに、みな空腹に気付いて弁当を食べ出した。

この日の朝、戦士長・防人衛は、秋水を始めとする戦士たちへ命を下した。
ちゃぶ台を囲む歴々の顔は、いずれも粛然。
自然、松葉杖片手に立って指示する防人の声にも熱が篭っていたという
千歳と御前と桜花は、昼の間L・X・Eアジトを当たり割符の捜索。
L・X・E時代の桜花はコンピュータ関係を任されており、とあるホムンクルス(蝶野爆爵の玄
孫に当たる)の潜伏するアジトをハッキングで突き止めたコトもある。
だから既にL・X・Eアジトはリストアップ済み。
斗貴子が訪れ、総角たちと交戦した廃墟も、元は桜花が調べた所なのである。
ちなみに千歳の寮母としての務めは、このミーティングの頃には掃除洗濯炊事総て完了済み。
基本的には朝と夜に寮母として頑張るようだ。
本題に戻る。
秋水と斗貴子は夜に捜索。それまでは自由行動。基本的に休息を取るべし。
「キミたちは昨晩戦ったから、ゆっくり休め」
「お言葉ですが戦士長、街に新手のホムンクルスが現れた以上、休む訳にはいきません」
毅然と眉を吊り上げ、珍しく抗弁する斗貴子の肩をぽんぽん叩いて防人は宥めた。
「まぁ待て。落ち着くんだ戦士・斗貴子。桜花の話じゃ、闇雲に探し回っても見つかるような連
中じゃないらしいぞ」
短い沈黙の後、斗貴子は疑惑のこもった視線を桜花に向けた。
「そう恐い顔すんなってツムリン。詳細は千歳おねーサマにまとめてもらってあるし」
いやに偉そうな御前の声に応じて、千歳はメモを斗貴子に見せた。

・敵について

組織名:ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ。
(リーダーを務める総角主税の武装錬金と同名。略称はブレミュ)

流れの共同体で、L・X・Eとは一戦を交えた後に提携。早坂さんとの付き合いもそれ以来。
基本的に神出鬼没。訪れない限り、所在の把握は困難。
調整体の知識をDr.バタフライに流したのも彼等。
構成員は半年前の段階で5名。
ただし実際に早坂さんたちが顔と名前を知っているメンバーは3名。
リーダー、総角主税。小札零。鳩尾無銘(きゅうびむめい)。いずれも創設当初からのメンバー。
鳩尾無銘の風貌 …… 中肉中背の黒装束で、忍犬を常に同伴。
   〃   武装錬金 ── 名称・特性とも不明。忍犬がそうだと思われる。

更に総角主税については、昨年の剣道全国大会3位決定戦にて、秋水君を下した実績あり。

なお人喰いについてはメンバー全員とも、共同体に属する信奉者のうち更正の見込みがな
い者に対してのみ行う。

「こんなトコ」
「妙な話だが、そこらのホムンクルスよりは危険度は低い。鈴木震洋ほか数名の信奉者は
行方をくらまし、この街にいるかどうかすら定かじゃないしな」
防人は割りとこういう断定を下す癖がある。
前述の蝶野爆爵の玄孫についても、「人喰いも20人近く食べた後のせいか収まっている」
と斃すのを後回しにした位だ。
「人喰いについては安心……といったら語弊がありますけど、少なくても一般人には危害は
及びませんから、少なくても津村さんとしては安心でしょ?」
艶やかな黒髪がくすり笑いにつられて揺れた。桜花だ。
斗貴子の持つ「信奉者であれば殺してもいい」という主義を皮肉ったつもりだろう。
「だとしても、先に奴らを血祭りに上げる方が割符の回収も確実に行える筈」
「戦士・斗貴子。キミのいうコトにも一理はある。だが、奴らの所在が掴み辛い以上、少しでも
可能性の高い割符探しを優先する方が確実だ」
防人は過去の任務失敗から、危機への意識が非常に高い。
「街のどこかに眠っている『もう一つの調整体』の暴走を防ぐためにも、ここはまず割符を6つ
総て回収し、正しく起動する必要があるの。残念だけど、ヴィクターの時がそうだったように、
ホムンクルスより未知の存在を斃すのが先決。分かって」
とうとうと語る短髪美人──千歳に、斗貴子は「分かってます」と気落ちした様子で答える。
この2人の前歴と斗貴子の過去は密接すぎる関係を持っているから、彼らが抱く危機感は
そっくりそのまま理解できるのだろう。
(そう。ヴィクターには及ばないまでも、わざわざ「もう1つの」と銘打つ以上、既存の調整体
よりは遥かに強力な相手の筈──… 出来れば救援を要請したいが、今の戦団の状態で
はそれも難しい。根来もあと8日は入院だ。…………せめて俺が戦えれば、な)
防人は胸中のざわめきに無精ヒゲを一撫で。
されど表情には出さず優しく声をかけた。
「戦士・斗貴子。あまり1人で何もかもしょいこむな。昔と違って今はこれだけ動ける者がいる」
防人、桜花、御前。千歳、そして秋水。
「それに奴らの狙いが割符である以上、捜索もけして無駄ではない。漠然と探すより遭遇率
は高いはずだ」
「キミに言われずとも分かっている!」
ぶっきらぼうな物言いに、斗貴子は怒気をはらんだ調子で机を両手で叩き、身を伸ばした。
もっとも静まりかえる一座を見ると、ひどく気まずそうで申し訳なさそうな顔で俯いたが。
「そう気にするな。人間誰でも虫の居所が悪い時はある」
あやすように防人は呼びかけつつ、片手を謝るポーズにして秋水を見た。謝っているのだ。
「……敵との遭遇率が高いならなおのコト、戦闘に向いた私をいまから捜索に向けるべき」
ぽつりと呟く斗貴子に防人は大きく同意を見せた。
千歳も桜花も優秀ではあるが、単純な戦闘力は低いだろう。御前も然り。
「津村さんが心配しているのは、もし割符を見つけた場合、ブレミュの人たちに横取りされる
ってコトでしょう? それなら大丈夫よ。私は御前様に持たせてちゃんと届けるから。ね?」
「そーだぜツムリン!」
笑う桜花の頭上で、ビシィっと腕を突き上げて御前は威容を誇って見せた。
「人喰いの心配だってL・X・Eの残党はほぼ壊滅状態でナッシング! 気楽にいこーぜ気楽
に!」
「戦士・千歳は心配ないな」
「ええ。回収次第すぐこちらへ」
斗貴子はしかし「休息します」と席を立ち、陰のような足取りで部屋を出た。
「…………」
秋水はそんな思いつめた彼女が、昔の自分を見ているようでやるせない。
溝こそあれど根が生真面目な部分は一緒なのだ。
「防人君。いま進行中の救出作戦について話した方が──…」
それはバスターバロンという全身甲冑(フルプレート)とは名ばかりの無敵の男爵さ……じゃ
ない、巨大ロボットの武装錬金を月へと派遣する壮大かつ無謀な計画だ。
発案した大戦士長・坂口照星の腹心たる千歳は、もちろんそれを知っている。
平素無表情な彼女が心痛を抱えた面持ちだ。
根来相手に弁当を食う食わないとか栄養状態うんぬんでもそういう顔をしたコトもあるが、
こっちは更に深刻、母が娘を心配するような感じである。
「分かってる。だが、もししくじれば希望を抱いた分、彼女が辛くなる。勝手かも知れないが、
そんな戦士・斗貴子の顔は見たくない」
防人もやや父親モードが入っている。
無理はない。かつて彼と千歳ともう1人が失敗した任務の唯一の生存者が斗貴子なのだから。
(せめて、私が敵のメンバーに接触すれば、所在を把握してすぐ斃せるんだけど……)
ヘルメスドライブの索敵対象は、千歳の会った人間に限られるから、それもできない。
とここまで考えた千歳は、ある可能性に気付いてハッとした。
「ねぇ防人君。敵がヘルメスドライブを使えるというコトは」
伝播した驚きが防人の顔に昇る。
「まさか、こちらの状況も筒抜けか?」
「いえ。それはないと思います」
桜花は2つの理由をあげて、可能性を否定した。
まず総角の能力の特性上、完全にはヘルメスドライブを再現できないコト。
次に彼の性格上、日常生活を覗き見るような下劣な真似はできないコト。
「きっとアイツ、入手したはいいが盗撮はいかん!って悩んでるだろーしな!」
「だが安心はできない。奴は策を弄する部分もある」
策士でなければ、おもちゃ好きなホムンクルスを囮に千歳や根来の能力を入手したり、その
戦いの中で戦士でもホムンクルスでもない浮浪者に銃を持たせて乱入させたりしないだろう。
「こちらの状況を知るために、既に何らかの策を仕掛けていると見るべき──…」
間接的にとはいえ、総角と接触した千歳は警戒心を抱いた。
「捜索に行く前に、この部屋の周りを調べておく必要がありそうね」
「もしかすると、部下を潜入させているかも知れん。そっちは俺がそれとなく探しておく」
「ところで」
と桜花は呟いた。
「ひょっとしたら昨晩、職員室で私を襲撃したのもブレミュの一員かも知れません」
「ふむ。他の者を逃がすために囮になったというアイツか」
「はい。恐らく、逃がされた方が、職員室の時間を巻き戻したと思います」
「画像を見たけど……外壁の切り傷はナイフのような小さい刃物でつけられた物。位置や角
度からすると、持ち主の身長は145cm以上155cm未満。傷はあまり深くないから、力は
あまりなさそうね。ホムンクルスの出力には個体差があるけど、性別は恐らく女性。非力ゆえ
に技術や速度に重点を置く性格だと思うわ。切り口がなめらかすぎるから」
「え」
「……」
「画像1枚でどうしてそこまで……」
「何か?」
絶句する桜花と秋水と御前に、千歳は不思議そうな顔をした。
自分がどんなコトをいったか良く分かっていないというか、ごく普通の言葉になぜこういう反応
をされるのか分からないらしい。
ただ1人、防人だけは親指を立てた。
「承太郎ばりにブラボーなプロファイリングだ戦士・千歳!」
「まぁなんだ。その条件に合う奴っていったら小札じゃね?」
「いや、彼女はその時間廃墟にいた。第一、武装錬金はロッドだ。切り傷はつけられない」
秋水の指摘に千歳も頷く。
「バリアーを作るマシンガンシャッフルに対し、こちらは恐らく対象となる物体の時間に作用す
る武装錬金。操っているのは、破壊力よりも搦め手で追い詰める、強いというより畏ろしい相
手ね」
千歳はまるで彼女自身を語っているようだが、きっと気のせいだ。
「ちなみに、私を襲った人の武装錬金は推測できますか?」
桜花はここぞとばかりに問う。
「見てみないコトには…… 話を聞く限りでは銃の類ではなさそうだけど、つぶてを射出する武
器に心当たりがなくて。ごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ」
「しっかし」
混乱した表情で御前がボヤく。人間に比べて顔のパーツが極端にデフォルメされている自
動人形の彼女(彼女なのだ。マリアですら女性だから私は一向に構わんッッッ)だから、表情
は大仰でどこかコミカルである。
「今は分からないコトばかりだな」
「だが信じるこの道を進むだけだ! 何故ならそっちの方がカッコいいから!」
防人はガキ大将のような笑みを浮かべた。見る者に安心を与える笑みだから千歳は好きだ
が、戦士長という要職にある以上もう少し慎んで欲しいとも思う。
「私、もう一度職員室を調べてみます」
桜花の申し出に秋水は何かいいたげな顔をした。
「ひょっとしたらセキュリティを切る以外に何か目的があったかも知れませんから。囮を務め
てまで仲間を逃がした理由も含めて……」
「俺がやろうか姉さん。どうせ剣道部にも顔を出すし」
「いいから。秋水クンは稽古に集中して。役割分担は昔からでしょ? 第一、まひろちゃんとも
お話したいでしょうし」
実に悠然とした女神の笑みを浮かべて、桜花は秋水を窘めた。
その時、管理人室の前で小柄な影がじっと佇んでいるとも知らずに──…

「鐶(たまき)の報告によると、千歳さんと桜花と御前の奴がL・X・Eのアジトを探しているよう
だが無駄なコト。なぜなら割符は奴らに渡した1枚を除いて5枚総てこちらにある。ま、せいぜ
い、何もない所を探してもらうぞ。こちらが当面の目的を果たすまで」
太陽が中天高く上るころ、銀成神社の中で総角が呟いた。
何を思ったか、浴衣を着て豊かな金髪をポニーテールに変えている。
「俺たちの方がはるかに有利だが、知られてはマズい。知られれば奴らの矛先が向く」
「割符を入手するには不肖たちを倒すほかありませぬゆえ」
ずっと神主不在の神社の中には、似つかわしくないタキシード姿の小札もいた。


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