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第006話 「今は分からないコトばかりだけど」 (3)



なぜ、こういう状況に置かれているのか。
正直理解に苦しむ。
けれど苛烈であろうと馬鹿げていようと、処して目的を果たすのが自分という存在に許された
たった一つの在り方だ。
そう。
迷い込んだのは夢なんかじゃなくて現実。
自分を変えたいのなら動き出すしかないから……

「司令…!! もはやこれまで!! 私はゾンビになどなるのは御免です。……お先に!!」
教壇の上で河井沙織がこめかみにつきつけた銃を弾くと、傍らのまひろは手にしたジッポラ
イター(設定上は起爆スイッチ)のフタを開けた。
声に出すなら「むむむ……」といった面持ちをする彼女は、七三分けのカツラやつけヒゲと
あいまってなかなかにコミカルである。
そしてその眼前へジッポライター入りの握りこぶしを荘重に掲げた後、下唇をかみしめてや
や寂しげな目をした。
教室の中ほどで適当な席に座りコトの成り行きを見守っていた学生服姿の秋水は、首を傾
げる。
彼が渡された台本によると、まひろが演ずる人物は1人の少女との対話を思い出しているらしい。
ただどうしても、彼女がカズキを思い出しているように見えたのだ。
と同時に、教室にジャージ姿の女子が4人入室する。
「手こずらせたな能無し共」
眼鏡つながり、ただそれだけの共通項で抜擢された若宮千里が憎々しげな表情で銃を突き
つけると、まひろはつけヒゲごと唇をゆがめた。
「何がおかしい? 人間」
「無能な、こ、この、わ、私より、無、無能な、貴、きッ貴様がだよ」
別にどもっているワケではなく、台本を忠実に読み上げているせいらしい。
秋水が確認中の台本には「ここは臆病さを前面に! 冬の朝を思って声を震わせましょう!」
とある。
確かにその通り、まひろの声はなかなか堂に入っている。秋水は少し感心した。
そして驚く千里たち4人。
何の変哲もない教室をきょろきょろしてるから、秋水にはひどくシュールな姿に見えた。
後で知ったが、元の話では部屋一面に爆弾が仕掛けられているらしい。
「さ、さよ、さようなら。イ、イ、インテグラ。わ、私も楽しかったよ」
「やッ、やめろォォ!!」
千里は逆台形に開いた口からあらん限りの叫びを搾り出し、引き金に手をかけた。
「嫌だ!! そんな頼み事は聞けないね!!」
上々である。
新型銃器やヘリやらの『頼み事』をずっと断れなかった男の最期のセリフとしては際限なく。
この後、まひろはカッコいい顔でジッポライター(設定上は起爆スイッチ)をチキッと押して。

演劇部の練習が終わった。
銀成学園高校演劇部といえば、

「主人公の女性がとある男と大恋愛の末に結婚。しかし運命の悪戯で生き別れになり、生涯
その男を探し求める」(台本はセリフの隅々までよく吟味してあり、こだわりを感じさせるらしい)

という話を毎年文化祭でやるコトで有名ではあるが、平素は上記のような演目も行っている
のである。

だが秋水はなぜ、こういう状況に置かれているのか。
それは昇降口でまひろに出会ってから2、3とりとめのない会話をした後に原因がある。
「そうだ、秋水先輩も練習見る? こーんなね」
まひろはめいっぱいを両腕を水平に伸ばして、瞳をはつらつと輝かせた。
「すごく長い銃とかリュックサックみたいなおっきなコンテナとかがあるんだよ! 六舛先輩が
作ってくれたんだよ。すごいね。でも背負ってくれる人はまだ決まってないけど……」
「……えーと」
最初、まったく話が見えなかった。演劇部の話題だとすら気づかなかった。
「良かったら来て! あ、見学は自由だから大丈夫!」
秋水はほとほと困った。
熱心な勧誘はいいのだが、
「そもそも場所はどこだ?」
剣道部の練習が終わった後、学生服姿でまひろを探して途方にくれたりもした。
「なんだ秋水知らなかったのかよ。まっぴーなら演劇部に入ってるぜ。今日は部活で登校だ
な。ちなみに俺サマは休憩中。ったくブラ坊も人遣い荒くてやになるぜ。大体、千……」
「し。ダメよ御前様。それは機密事項。あ、ごめんなさい秋水クン。こっちの話よ。えーと。生
徒会への届けだと……演劇部が練習に使ってる教室は1−A。まひろちゃんのクラスね」
困ったときの姉頼み。
職員室で調査中の桜花を訪ねると、彼女は御前と交互に答えてくれた。
「まったく。副会長なんだから、まひろちゃんの部活ぐらい把握しておかなきゃ」
悪戯っぽく桜花は微笑んで、秋水の鼻をちょいと小突いた。
「と言うけど姉さん、クラブ経由で生徒会へ来る入部届けが一体どれだけあると思うんだ」
「そうね……ざっと258枚だったかしら」
その中から、個人的な接触がない──いってしまえば桜花とカズキ以外だが──生徒の所
属部を把握するのは不可能だろう。
以上のような論法を楯に秋水は憮然と抗議した。
「はいはい。秋水クンでも無理ね。千歳さん位じゃないと出来ないわね」
桜花は肩をすくめて笑い、この後しばらく秋水が頭を悩ます課題を振った。
「ところで……」

「ね、ね、どうだった秋水先輩」
秋水はハっとした面持ちで眼前を見た。
そこには子犬のように濡れ光る瞳で感想を求めるまひろがいた。
劇が終わるやいなや、桜花提供の課題に頭を苛ませていたのが悪かった。
まひろの接近に気づかず、無愛想な顔をさらしていた。
それではまるで、まひろの問いへ「つまらなかった」と顔で答えていたようなものではないか。
もちろん秋水の本音は別だが、人の視線というのを生真面目に考えると、自身の表情があ
らぬ誤解を招いたのではないかとついつい考えてしまう。
その上、可能性を描くだけで取り繕えない性分だから、元々の懊悩がますます増して、まひ
ろの求める感想を切り出しづらくなる。
(どうもこの点、俺は軽快さに欠けている)
まひろはといえば感想を求めて佇み中。3年ぐらいは平気で待ちそうだ。
そんな無邪気で真摯な表情に、どうしてもカズキを見てしまう秋水だ。
(彼ならどうするだろうか)
もしごく普通の友人関係にあったのならば、対等な中でも敬意に基づき、半ば師事する形で
日常との融和の仕方を学べただろう。剣を修練するように。
されど実情は、剣を交えて死合を行い、振りかざした薄暗い感情へ前向きな抵抗が突き刺
さって膿を抜き去ったという戦い絡みの関係のみだ。
それ以降は秋水が修行に出たり、カズキが月に消えたりで現在に至る。
だから秋水が「カズキならどうするだろうか」と考える時は、戦いに臨む彼を思い返し、さなが
らすりきれた教本に従い素振りを練習するような心持ちで倣おうとしてしまう。
曰く。
世界のもたらす痛みに耐えて、挫折を繰り返さぬようあがきぬく。
曰く。
世界を見渡して、拾える物は必ず拾う。
曰く。
諦めない。

一言でいうなら「今は分からないコトばかりだけど、信じるこの道を進むだけ」なのがカズキだ。
「どんな敵でも味方でも構わない、この手を離すもんか」でも可だ。
現に秋水はそんな彼の姿勢に救われた。だからその事実に半ば後押しされるような形で。
「上手くはいえないが」
すっと軽く息を吸って、秋水は思ったままを口に上らせる。
ただ、他者との接触に不慣れだから、本音を喋るという行為は非力な人間がバーベルを持
ち上げるような重々しさを持っていて、背中を微量の汗に濡らした。
「君の兄と初めて剣を交えた時の事を思い出した」
「え」
よく分かってないという調子のまひろの声は、カズキとそっくりすぎたので。
秋水は思わず頬をかいて、裡に生じた笑いの衝動を散らしたくなった。
こういう風に感情をためつつもどこかで散らしたがる性分が、彼の操る武装錬金・ソードサム
ライXの「エネルギーを吸収して下緒から放出」という特性に反映されているのかも知れない。

──思った通り、剣道は未経験ですね。
──え
──けれど、それを補って余りある「活きた」動きをする。

「ナルホド」
要するに技術関係なしに「活きた」演技をしていたと告げる秋水に、まひろはうんうん頷いた。
「確かに演劇部に入ったのはつい最近だよね。ちーちん」
「何が確かなのか良くわからないけど、入部は1週間ぐらい前です」
教室最前列で遠巻きにまひろたちを見ていたおかっぱ頭の少女──千里は、やや戦々恐々
の面持ちで秋水に説明した。
「きゃー、本当に秋水先輩来ちゃってるよちーちん。どうしよー!」
その横では、髪と同じ黄色い声を上げるツインテールの少女、沙織。
「なになになに、まっぴーとはどんな関係!?」
「こ、こら、プライベートなコトを聞かないの……」
千里は教室の隅に固まる他3名の演劇部員を横目で見ながら、必死に沙織を制止する。
秋水といえば銀成学園のアイドルだ。容姿端麗、頭脳明記、スポーツ万能。
そんな馬鹿と冗談が総動員したハルコンネンIIみたいな男性が、あろうコトかまひろと親しげ
に会話している。
そも、まひろは入学以来あまりに天然すぎあまりに多くボケ続けたため、一部では
「まひろに進んで関わるのは、悪人か狂人のどちらかだけ」
と評されるほど、アレな存在だ。
秋水と親しげでは嫉妬の炎をメラメラ燃えるのもむべなるかな。
大人しい千里にはそんな雰囲気が怖くて仕方ない。
「うーん……でも、今日はさーちゃんの方が上手だったかな。何だか急に上達しててビックリ
したよ。ね。さーちゃん」
沙織は少し面食らった表情をすると、先ほどまでの勢いが一転、ボソボソと喋りだした。
「……まぁ、一応、日ごろから演技の練習みたいなコトしてるから……その成果が出たのかも……」
弁明しつつ、沙織は秋水をちらりと見た。
それはきっと一種の照れなのだろうと千里は解釈するコトにした。
「ひょっとしたら昨日帰りが遅くなったのも、どこかで練習してたせい?」
「そんなトコロ」
「あ! あたし昨日の夜、寄宿舎へ帰るちょっと前に見たよ! オバケ工場の方から歩いて
くるさーちゃんを」
「えー? 見間違いじゃないかな…… だって暗いし、屋上から見えるわけないよまっぴー」
沙織は困ったように眉間にシワをよせて、可愛らしい苦笑を漏らした。
(だろうな)
秋水も胸中で頷いた。
仮に沙織がオバケ工場に行っていたとしたら、まずここにはいなかっただろう。
なぜなら昨晩は調整体がひしめきあっていたからだ。行けばまず落命しただろう。
そしてオバケ工場から学校への道は1つ。森林と並走する緩やかな坂道だけだ。
秋水は調整体を掃討した帰途、そこで沙織の姿をまるで見ていないから、まひろの目撃証
言は見間違いというコトになる。時間が夜で、場所は屋上。とくればそちらの公算が大きい。
(しかし……なんだこの引っかかりは?)
沙織の言動のどこかに違和感がある。
友人へ隠し事をしているだけにも思えるが、どこか秋水を意識している気配がある。
剣道でいうなら、打ち込まれまいと後退する相手のような弱腰の警戒感が。
「ホントだよ。私屋上から見たんだって! ちょっとだけだったけど確かに!」
「ハイハイ」
千里はいつもの天然ボケだと軽くあしらいつつ、胸をなでおろした。
まひろの興味が沙織との問答に移ったので、女子部員たちの怨嗟オーラが霧消しつつある。
「ところで」
と秋水は、神妙な面持ちでまひろに呼びかけた。
「なぁに」
「その……この前は姉さんの見舞いに来てくれてありがとう。君が選んでくれた花束、姉さん
はずっと喜んでいる。もう既に姉さんは礼をいってるかも知れないが、俺からも礼を。感謝
する。そして本来ならすぐいうべきだったが諸事情で遅れてしまった。すまない」
ただそれだけの文言を喋るのに、秋水はまたしても汗をかいた。
剣道の稽古で部員全員を相手取っても、汗をかかなかった秋水がだ。
いわゆる緊張の汗。精神のうち、一定の事象に不慣れな柔らかで過敏な部分を外気にさら
すと、人はよくそういう汗をかく。
何を隠そう、桜花提出の課題のうち1つはこのお礼である。

「だって秋水クン、昨日の夜、まひろちゃんにお礼いってないでしょ? ダメよそういうコトは
ちゃんとしないと」

この点においては、秋水が別に薄情というワケではない。
まず、時間が経ちすぎている。次に、桜花を見舞ったのはカズキと斗貴子、ブラボーだけで
まひろやカズキの友人については、医師軍団に阻止された。
だから礼をいうにはやや縁遠い。
更に、秋水が拠り所とする剣道の性質が礼のいい辛さに拍車を掛けてしまう。
剣道は、いかなる形であれ試合が終わればそこで過去の戦績と化し、遡っての修正や補足
は一切不可なのだ。
そういう性質にどっぷり染まった秋水にしてみれば、過ぎたコトに礼をいうのは的外れで論理
を欠いた行動でしかなく、気が進まなかった。
なかったのだが、よくよく考えると「お見舞いにきた」というその一事自体、世界に心を鎖して
いた早坂姉弟には重要だし、礼をせねば以前と同じ姿勢のままとなる。

「お見舞い……?」
まひろは深く考え込んだ。
「また忘れてる! ほ、ほら、秋水先輩たちが交通事故にあった時の!」
千里も秋水と同種同質の汗をかきつつ、必死にフォローを入れた。
曰く、全てにおいて忘れっぽいだけで、携わった物事についてはマジメな子だと。
「あ! 思い出した! メロンと選りすぐりの花束を持っていった時の! でもお礼をいわれる
とちょっと照れちゃう……かな。ほら、私たち途中でお医者さんに捕まっちゃたし」
はにかむまひろ同様、秋水の内心は落ち着かない。
「で、もし良ければ」
秋水は果たして、それをいっていいかどうか悩んだ。
桜花提出の課題は、礼をいったその先にもある。
が、それはまひろの諸事情を鑑みるとあまりいうべき事柄でもないようだし、第一桜花の意図
が分からない。
それでもカズキならばいうだろう。なのでいった。うっすら汗ばみつつ。
「礼といっては何だが、夕食をおごらせて欲しい。いや、都合があるなら別にいいが」
教室にいたまひろ以外の女子から、間の抜けた「え」という呻きが漏れた。
この完璧無比の貴公子は何をいいだしているのだ。
デートの誘いと解釈されても仕方のない言葉ではないか。
「ええっ!?」
一泊遅れてまひろも仰天し、あたふたと頬を赤らめつつ秋水を見た。

職員室で桜花が秋水にいったのだ。

「ね、まひろちゃんをお食事に誘ったらどう? きっと喜ぶと思うわよ」


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