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第007話 「みんなでお食事」 (6)



「私、武藤まひろ! まっぴーって呼んで!」
細身にまとわりつく元気いっぱいの少女に、ヴィクトリアはひどく嫌気が指してきた。
生徒たちからの質問攻めが終ったと思ったら今度はコレだ。
「すごい、びっきーがもう来てるー!」と叫びながら飛びついてきたと思えば、背後から抱きつ
いたり髪をいじりまわしたり、人差し指と親指で作ったリングを目の前にかざして「79」と意味
不明の断定を下したり、「ね、ね、斗貴子さんと同じ制服だけどどういうカンケイ? ああでも
いいなー斗貴子さんとペアルック。私も着たいー!」と好き勝手に騒ぎ散らしている。
(次から次へと鬱陶しいわね。どこがいい学校よ)
だが、わざわざ猫をかぶって反応する自分のちぐはぐさにも腹が立つ。
イヤならば本性を露にし、楽しくて光に満ちた暖かな空間を壊して立ち去る方が良いのだ。
だがそれをしない、もしくはできない自分が嫌で嫌で仕方ない。
地下で闇に溶けてた醜さが、地上の光に浮き彫られているのが分かる。
心はひたすらねじくれて、肉体のみならず精神までも化物じみているのが分かる。
吐き気がする。心が暗い渦を巻く。
ココに誘った秋水が、元信奉者で戦士という錬金術の色濃き肩書きが、恨めしくて仕方ない。
ヴィクトリアの人生の大半は、そんな暗い感情の集積だ。
それでも、母が生きていた頃はまだ良かった。
奪われた大事なモノを取り戻す、確かな行動が日々に組み込まれていた。
そっけなくて硬さを帯びた言葉にも、毎日答えてくれる母がいた。
そのどちらも、最早ない。
100年の研究成果は父を人間に戻すには至らず、母は死んだ。
(いっそあのアイツが私を殺しに来ていたなら──…)
どれほど楽だったろうと沈んでいる所に声が届き、彼女は身をすくませた。
「こらまひろ。困っているでしょ。やめなさい」
その声にまひろは渋々ながらに引き下がり、「また後で!」とカレーをよそいに行った。
「ゴメンね。悪いコじゃないんだけど、ちょっと元気すぎて」
申し訳なさそうに謝っているのは、眼鏡をかけた大人しそうなおかっぱ頭の少女だ。
ヴィクトリアは息を呑んだ。
優しそうに「あ、私は若宮千里。一緒にカレー食べる?」と誘う笑顔に、目が釘づけられた。
(……ママに似てる)

逆向逃亡後、秋水はまひろや斗貴子ともども食堂に戻ってきた。
道すがら、武装錬金を使えるコトを他の生徒へ秘密にするよう頼むつもりだったが、
「大丈夫。さっき見たコトはナイショにしておくからッ!」
力いっぱいの形相で機先を制したまひろの様子からすれば大丈夫そうだ。
ただ、続けて「最初はビックリしたけど、お兄ちゃんの仲間なら尚更だよ」
と微笑された瞬間、秋水の胸に重苦しい気配が満ちはじめた。
「うん。お兄ちゃんと剣道の稽古してたのも、みんなを守るためだったんだね。偉いね」
言葉が詰まった。どうしようもなく。斗貴子の目線が険しくなるのも感じた。
(逆だ)
理念は桜花を守る一点だけで、他の生徒は『食い物』──血肉をL・X・Eへ捧げんがために
信頼を培う二重の意味──過ぎなかった。
その戦いの末に秋水は敗北を喫し、カズキを背後から刺した。
そして今は無条件に得た信頼が却って胸に突き刺さる。
謀るにはあまりに無垢な相手で、けれど真実を告げたら再び泣かしてしまいそうで。
そもそもまひろが泣くコトを嫌だと思う心情はどこから来ているのか。
自分との共通項ゆえか、全く違う別の感情ゆえか……
(…………)
思い起こしてみれば秋水は、まひろに対してもひどい仕打ちを目論んでいた。
桜花が死ぬのを誰よりも何よりも恐れておきながら、まひろの兄を濁った瞳で刺した。
謝罪すべきはカズキにもだが、まひろにもだろう。
だがその言葉をまとめる前に食堂へ到着し、まひろはお礼をいうとヴィクトリアへ殺到した。
手持ち無沙汰な心情で斗貴子の蔑視を浴びつつ、秋水は防人へ報告した。

戦士一同はテーブルに座って、カレーを前にしている。
この中で何故か桜花の顔が少し赤く、秋水は体調を心配した。
「やはりサテライト30(サーティ)か」
防人のいうそれは、「創造者を2〜30体に分裂させる」武装錬金。形状は月牙。
コレにより現れる分裂体は総て本物。1体でも残っていれば再び増殖が可能であり、限りなく
不死に近い武装錬金の一つである。
「震……逆向に吸収されても無事なワケだ」
テーブルの下で御前がヒソヒソ呟くと、千歳も頷いた。
「顔を無くしていたのも特性の一つね。新月、だったかしら?」

「ああ。だが、確かにムーンの奴も一体一体顔の形が違ったが……それまで再現できるとは」
先ほど桜花と防人の挟撃を受けた総角には、顔が無かった。
首の上に乗っていたのはカカシのような「へのへのもへ字」の偽首だ。
「こっちはヘルメスドライブ対策ね。確かに顔が分からなかったら私も索敵のしようが……」
それから”とある一動作”の後、総角はライスやカレー入りのタッパーを風呂敷に包み
「床に沈んでいったわ。どうやらシークレットトレイルを使っているみたい」
それも自分の衣装や風呂敷に髪の毛を縫いこんで、と付け加える。
シークレットトレイルは斬りつけた物に亜空間への出入り口を作り、創造者もしくはそのDNA
を有する物のみ通行を許可する。
「そしてここへ現れたのは、彼の部下がヴィクトリア嬢と共に廊下を走ってきた瞬間。私たち
の注意がわずかにあっちへ向いた瞬間ね」
「にしても、いちいち武装錬金の使い方がうまい奴だな」
「感心してどうすんだよブラ坊。カレー盗られちまったじゃねぇか」
御前は丸っこい短足で防人のつま先をげしげし踏んだ。
「大丈夫だ御前。代金は領収済みだ。ライスとカレー合わせて1つ頭680円! ×5名で
3400円、奴はキチンと置いていった。しかも原価を計算し、こちらにいくら利益が出るか
書いた紙まで残してな」
文字が躍る紙をぴらぴらしながら防人はひどく感心した様子だ。
「原価計算も的確。鍛えぬいた俺の眼力でもここまではいかないだろう。敵ながらブラァボー!」
「どうせなら毒でも混ぜたカレーを売って下さい戦士長!」
斗貴子は怒った。その肩へ桜花は笑顔で手を置いた。仏像のような穏やかな笑顔でこういう。
「あら津村さん。何か混ぜようとか考えちゃダメじゃない」

──「そっちの方がなおさら悪い! そもそも何か混ぜようとか考えるな!!」

斗貴子はカレー調理中にいったセリフを返されて「ぐっ」と歯切れの悪い声を漏らした。
「ところで姉さん、さっきから顔が赤いけど大丈夫?」
「だ、大丈夫。ええ。何もなかったから」
桜花は少しぎこちない笑顔で返事をし、スプーンをきょどきょど盗み見た。
(黙っておいた方がいいか。アレは)
防人は沈黙に徹した。

前述の、総角がカレーを持って立ち去る前の「とある一動作」というのは。
「やれやれ。よそった奴もあったのだが食えそうにもない。というコトで」
桜花の口へカレーをよそったスプーンを無理やりねじ込んだ。
「コレはお前にやる。立ち仕事で小腹が空いている頃だろう」
そしてスプーンを引き抜く総角。
予想外の展開に、さすがの桜花も瞳孔を見開いたがすぐ落ち着き、清楚な佇まいでカレーを
咀嚼すると、ハンカチすら取り出し「ごちそうさま」と言いつつ口を拭った。
「ちなみに使っているのは真新しいスプーンだ。間接キスの心配はない」
「あら。お気遣いありがとう」
桜花はいつもどおり笑っていたが、どぎまぎとした強張りは抜けきらず、今に至る。
「ところで、秋水・桜花。しばらく寄宿舎で暮らしてくれないか?」
「といいますと?」
防人はカレーを一口食べると、ぐしゃぐしゃ噛みながら言葉を続ける。
「どうも逆向はココを狙っていたフシがある。となると奴だけじゃなく、L・X・E残党もだろう」
秋水の脳裏に、去り際の逆向のセリフが蘇る。
「だから寄宿舎を守る人間がいる。だが割符探しや残党狩りも平行してやらなくてはならない」
「2人がココで暮らしてくれたら、戦士全員が戻ってきた時に休養をとりながら敵襲に備えられるの」
千歳は防人をじっと見た。彼の口元を。食べながら指令を下さないでといいたいのだろう。
「そして戦士・斗貴子。キミには主に外回りをしてもらいたい」
「構いませんが、理由は?」
桜花にからかわれた表情を引き締める、斗貴子は問う。
「キミなら戦士・千歳の武装錬金で即座にココへ戻れるからだ」
ヘルメスドライブが移動できる質量は、創造者の体重も含めて最大で100kg。
千歳の体重は47kg。斗貴子の体重は39kg。合計86kg。
「話を聞く限りでは私も一応」
やや羞恥冷めやらぬ桜花もこっそり手を挙げた。こっちは50kgだ。
「そして戦士・秋水。キミにはなるべく寄宿舎に留まって貰いたい。実力的にはキミと戦士・
斗貴子が防衛の要だからな」
「……分かりました」
目線を落とす秋水。ようやく馴染みかけた部活動を惜しみつつの決断だ。
もっともそういう青々しい胸中の動きは、年配者にはもろに分かるものらしい。
「安心しろ戦士・秋水。部活動もなるべくできるよう俺が調整をつける」
「しかし」
「遠慮するな。剣士ならば鍛える時間も必要だ。それに寄宿舎にいる間は俺のリハビリも兼
ねて軽い戦闘訓練に付き合ってもらうしな。キミはどちらかといえば火渡より俺寄りのタイプ
だから(火渡は天才型、防人は努力型)、相性は悪くない筈だ」
秋水の顔は晴れない。全面的な好意をどう受け入れていいか分からないという様子だ。
確かに訓練も大事だが、元信奉者でしかもカズキを刺してしまった自分の都合を、こうも慮
られると嬉しさよりも戸惑いが先行してしまう。
千歳はそんな彼をなだめ、斗貴子は睨む。桜花も笑って諭す。
総角にカレーを無理やり食わされた桜花の頬の火照りはまだ抜けない。

「はっ! またもや不肖らしからぬ悪感情! 一体何が発生しているのでしょーか!?」」
神社の中で小札零はきょろきょろと辺りを見回した。
「む、むむ。この名状しがたきもやもやは一体なんでありましょう……」
小さな胸に手を当てて、ちょっぴり寂しげな顔でつぶやいた。
「神社に1人シルクハットを繕うというのも寂しきコト…… もりもりさんや香美どの貴信どの
はいつお帰りになられるコトでしょう。ああ、留守居役を務めし不肖の心はもはや一日千秋」
マシンガンシャッフルというロッドの武装錬金を発動して、振る。
カニが出てきた。冬場に鍋へブチ込んだら美味しそうな、でっかいズワイガニだ。
小札は滝のような白い涙をうぐうぐと流しながら、それに手を差し伸べる。
「我泣き濡れてカキとたわむるといったやるせなさなのであり……あああっ! 不肖の帽子が!」
カニはようやく修繕しかかったシルクハットのツバの部分をバリバリ破壊し始めた。
「お、おやめ下さいカニさん! これでは戯れるどころでは──っ!!」
慌ててカニを消すと、外から物音がした。
「もりもりさん!?」
扉に駆け寄りぱーっと明るい笑顔であける小札に、凄まじい突進が炸裂する。
「あーやーちゃーん!」
快活な八重歯の少女がそのまま小札を押し倒し、馬乗りになった。
「のわああ!? りょ、遼来々!?」

「りょーじゃなくてあ・た・し。栴檀なんとか」
『さっきは名乗れたのにもう忘れているのか香美! ダメじゃないか名前は大事にしなければ!
鳩尾を見ろ、名前のない傷付いた体1つで心がまた叫んでいるんだぞ!』
小札はようやく状況を把握した。
「ば、栴檀どの達でありましたか。されど嬉しきコトには変わりなく。して首尾はいかほど」
「ま、色々あったけどさ、きぶんともども上々ってトコ?」
小学生のような肢体に乗っかりながら、香美は鼻をひくひくさせた。
「えーとね。おっきな建物見はってたら邪悪のゴズマをキャッチして水で峰ぎゃーして可愛い
子を連れておっかないのを踏みつつ置いて逃げて来たからバッチリ」
「ほほう。戦士の皆様方に動きがないゆえ動きに即応対すべく寄宿舎を監視されていたところ
可愛らしいおじょーさんがL・X・E残党に襲われているのを目撃したためほどよく攻撃を仕掛
けて救助するもなぜか復活された逆向どのと遭遇しもりもりさんの助力で切り抜けつつお嬢さ
んを寄宿舎へ引き渡しセーラー服美少女戦士のおねーさんを踏みつけて帰還された……と
いうワケなのですねっ!」
「そのとーり!」
『はぁーはっはっは! さすが小札氏、実況のみならず香美語の翻訳をやらせてもピカイチだ!
末は恐らく戸田奈津子女史か翻訳こんにゃくだろう!!』
ああ、ツッコミ役が欲しい。
「ところで」
小札は右手を唇の左端にピンと立てつつ栴檀に聞いた。
「ややはばかられますが……その、もりもりさんはおじょーさんに何かおっしゃってましたか?」
栴檀は考え込んで、答えた。
「なんにも! うんうんうん。なんにもいってなかったじゃん。ね、ね、ご主人」
『ああ! もちろん! ちなみにTYPEWRITERという綴りは、キーボードの中ほどに指を伸ば
すだけで打てるようになっている!! 理由はタイプライター普及の当時、営業の人がこの
文字を早く打つコトでお客さんの購買意欲を刺激するためだったと思う!!』
「それならばそれで」
(本当のコトいったら落ち込むもんねあやちゃん。もりもりが他の女のコと仲良くするとさ)
(食事も3日ぐらいとれなくなるしな! ふはは。どうだこのウソの隠蔽ぶり!)
(ああ、貴信どのが訳の分からぬ豆知識を披露される時はウソがある時。きっともりもりさん
はおじょーさんに食事の約束を取り付けたりしたのでありましょう……不肖にそれを止める
権利はありませぬが、ありませぬが……ハッ! マズい、不肖の頭頂部がさらし物に……)
動揺する小札の細い肩に、くるりと丸められた香美の拳が乗っかって無邪気に動き始めた。
ネコがよくやる手の動きである。一説では母乳を出す行動の名残らしい。
「ところであやちゃんってさぁ」
薄く汗にまみれた豊かな胸がゆっくりと上下すると、重心が小札の下腹部に移動した。
「な、なんでありましょう。とととととというか、まずその手をば、離……」
小札は身をよじってマウントポジションから逃れようとするが、腰を香美の太ももでがっちり
と挟み込まれて動けない。
「可愛いから好き。ほら。あたしのツボって、トカゲとかネズミとかちっちゃいのに素早いヤツ
じゃん? だからついじゃれたくなんのよね」
香美は目を細めて、にゃっと笑った。むき出しの八重歯は捕食者のそれだ。
丸い拳は肩口から徐々にずれていき、小さな胸板へと活動範囲を映していく。
畳んだ指のみでピアノ鍵盤を流麗に叩くような仕草で。
タキシードの向こうにある少年がごとき薄い「そこ」を、香美は丸い手でトントン叩く。
いや、その手の動きは拳で揉むといった方がもはや正しい。
小札の口からさざ波のようにか細い吐息が漏れる。
蒸し暑い社の中で少女2人の甘い吸気が混ざり合い、漂うのはえもいわれぬ艶かしさ。
「お、おやめ下さい。頭の中で声が……これ以上はアウトオブマイコントロール……っ とい
うかその…… 手を動かされているのはまさか貴信どの? とすれば不肖は」
「どーすんの?」
陶然とゆるんだ瞳で香美は反問。シャギーの入った髪が頬に貼りつき、派手な目鼻立ちに
オリエンティックな色気を付加している。
やや詰問じみているのは優位を取っているという無意識の自覚がさせているのだろう。
小札は泣々(きゅうきゅう)とした哀切の瞳を背けて、今にも堰が切れそうな声をあげた。
「……涙枯れ果てるその時まで、泣きじゃくるコトでしょう」
(ありゃあ。あやちゃん本気だ。あたしはフザけてるだけなのに)
香美は手の動きを止めて、頬をかく方に回した。

「え、えーと、そっちは大丈夫じゃん保障つき。うん。だよねご主人」
『勿論だ!! ちなみにやる気を出したい時は豚のしょうが焼きがいい! 総ては香美の手
の動きに任せるまま! 僕は何ら一切手出しをしてないから大丈夫だ小札氏! 』
香美の後頭部から響く謎の声へ、絶妙な合いの手が入った。
「だな!! お前は突風でめくれるスカートは凝視するが、自分からめくったりはしない主義!」
『その通り!! 無理やりは良くない! 確かに良くない! だが偶発的な現象であれば男
たるもの受け入れて楽しむべきだと僕は思う! だからさっきもかすかな弾力こそちょっと堪
能したが、自分からは一切手を動かしてない!! はーはっはっは!』
「フ、ご高説どうもありがとう貴信。なぜその状態かは分からんが、随 分 と 楽しそうだな」

恐ろしい気迫が彼らを衝いた。

振り仰いだ香美は一筋の汗を垂らした。髪も心持ち膨らんでいる。
「うげ。またもりもり」
総角は限りなく友好的で優しい笑みで香美を見ていた。
『ははッッッ! 悪を許すなゲッターパンチーという状態!? 千手ピンチだ!』
総角は認識票を撫でて、黒死の蝶をその手に浮かべた。
『ふぁーはっはっは!! 懲罰ですか懲罰ですね懲罰しかないという表情! 傍観者にすぎ
ない僕への裁定としてはやや過剰気味ですがリーダーの裁定であれば従うのみ! 覚悟は
できてますからババーンと景気良くサン・ハイどうぞォォォォォッ!!』

乾いた爆音が神社の中へ響いた。

「俺はだな。別に怒っちゃいない。その辺りは分かるな貴信・香美」
神社の中に座って会話するザ・ブレーメンタウンミュージシャンズ(略してブレミュ)の3人。
香美はあぐら。総角は香美と向き合い正座。横には例のタッパーとパック入りのらっきょう。
小札は総角の背後から恥ずかしそうな顔をちょこりと出して香美を見ている。
「う、うん。ご主人はだまっててね危ないから」
後頭部がコゲコゲの香美は必死に頷いた。
『ははは! 穏やかな海が爆音で渦巻く炎が上がる! 今は昂ぶってるからこうだが、後から
ダメージがきてぐったりするパターン間違いなしだこれは! 後で絶対テンション低くなるッ!』

煙をブスブス立てる後頭部から、いやに活発な声が上がる。
「ただだな、悪ふざけも度が過ぎるとやられる方は非情につらい」
小学校の先生みたいなコトを総角は言い出す。
『はーっははは! やばいぞむやみに楽しくなってきた!! どうし……うごげば!!』
どこから来たのか、また黒死の蝶が香美の後頭部に炸裂した。
「いいか、俺たちはホムンクルスだ。だが、だからこそ相手の心情を斟酌してやらねばならな
い。無意味に傷つけてはならない。でなくば、ただの化物になってしまう」
『いってるコトとやってるコトが違うという指摘は駄……ばじゅらぁ!』
どこから来たのか、また黒死の蝶が香美の後頭部に炸裂した。
「だから小札におかしなちょっかいを出すな。アイツは香美と違ってムードを大事にするタイ
プだ。強引に迫られたら本気で泣いてしまう」
「ね、一ついい?」
香美は恐る恐る手を挙げた。
後ろからは『ちょ……火に油をかけたら僕が爆破されるんだが……!』と震え笑いがしたが、幸い
質問の許可は流血爆風いずれもなしで出たので、ここぞと身を乗り出す後頭部コゲコゲ少女。
こんな質問を飛び出させた。
「もりもり、いやにあやちゃんのコトくわしいけどさぁ。強引にせまったコトあんの?」
総角は露骨に目を逸らした。小札もやや頬を染めてあらぬ方向を見た。
「言い忘れていたが、俺は寄宿舎からカレーを買ってきた」
「いや、せまったコトは」
「よって今日の晩飯はカレーだ」
「あたしの質問に」
「晩 飯 は カ レ ー だ」
総角は墨絵調で凄んだ。
「こ、恐い顔しないでよ。カレーも好きだけど食べると胃が荒れるし、やだなー……」
『何をいう香美! ホムンクルスだからすぐ直る!』
「そだけどさ。痛いものは痛いし」
「ちなみにらっきょうは小札のだ。絶対手を出すなよ。手を出したら殺す」
さらっと物騒なコトをいいつつ、総角はパック入りのらっきょうを小札にやった。
「良かったじゃんあやちゃん。大好物だもんね」
「え、ええまぁ」
マシンガンシャッフルの先っぽで鼻をかきながら、小札は嬉しさと照れ半々の表情をした。

ブラボーカレー、なかなか旨い。
3日3晩煮込まれたようなコクがあり、それがトロトロの牛肉に染み渡っている。
肉を噛むたびジューシーな肉汁とカレーのコクが絶妙な配合率で口内にパーっと広がり、飲
み込むのを惜しませる。咀嚼ばかりを際限なく促す。
ニンジン、ジャガイモ、タマネギというカレーという演劇の重鎮どもはどうだ。
おお、肉の柔らかさに比べ彼らの堅牢さはどうだ。
歯ごたえはほどよく順番に、甘味、タンパクっぽさ、えもいわれぬ薬味がそれぞれの解釈で
カレーの味をそれぞれの領分に引き上げる。
しかし彼らの派手さに隠れがちだが、ライスの役割もあなどりがたい。
ふっくら水気を帯び、辛味を抑えつつも汁粉における塩のような反作用で引き立ててもいる。
機能的には日本刀の芯に通った柔らかな鉄。見た目は宝石。味覚に瞬く白い輝きだ。
それらの競演はあたかも別料理のようでいて最終的に合致する。
究極ともいえる刺激が舌から高次に立ち上り、脳髄で凄まじい多幸感を分泌する。
(……おいしい)
戦士一同もヴィクトリアもまひろも千里もブレミュ一同も、それだけを思った。


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