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第010話 「レティクルと会す銀の星」  (2)



関東某所の採石場。
夕闇迫るその場所で、少年が1人、細長い道を走っていた。
一般道を走っていれば次々に車を追い抜けそうな速度で。
足にローラーがついていると見まごうほどの水平移動で。
原動力は彼の踵。外側で金属質なパーツが高速回転し、じゃらぎじゃらぎと砂利を吹き上げている。
そんな彼から逃げるように、チーター型ホムンクルスが全力疾走している。
だが、距離は縮まる一方であり、やがて崖下に追い詰められた。
周囲に道はなく、崖は急勾配。俊足を持っても駆け上がるのは難しそうだ。
兵法には、「敵の逃げ道を完全に断たない」という不文律がある。
なぜならば退路を断たれた者というのは、その絶望と焦燥を転化させる。
目の前の敵を打ち倒し、活路を開こうというエネルギーに転化させる。
項羽が敵をことごとく全滅させた結果、戦うもの総ての苛烈な抵抗を招いたのはこの不文律
を破ったせいであるし、いま正に首だけを少年にねじ巻け、凶悪な牙を剥いたチーターも具体例。
ネコ科動物特有のしなやかさで輪を描くようにしゃなりしゃなりと優雅に反転。
追っ手に向かって踊りかかった。
少年の戦い方は失敗……とはいえないが、あまり模範的な物でもない。
そも、ホムンクルスが無尽蔵に作れるのに対し、倒す手段は限られている。
主なのは武装錬金。核鉄という道具によって闘争本能を武器にする方法だ。
ただ、核鉄は総てで100個しかなく、その内3つは現在月へと消えている。
残り97個の核鉄とて、錬金戦団は総てを手中にしていない。
どころか、L・X・Eやザ・ブレーメンタウンミュージシャンズのようなホムンクルスの共同体が
所持している状況を鑑みれば、いかにホムンクルスを倒す武器や人員が欠乏しているかお分かりに
なるだろう。
さらに現在、ヴィクター討伐の余波でかなりの数の戦士が戦線離脱を余儀なくされている。
よって戦士はなるべく無傷で任務を遂行しなくてはならない。
迂闊に敵を追い詰めて、死力を浴びたりするのは戦術的にも戦略的にも下策。
(ま、新人でもそれぐらい把握してるけどな。先輩から散々叩き込まれたし)
踵の外側で回転していた戦輪(チャクラム)を急停止。上空に向かって射出する。
とはいえそれまでかなりの速度で走っていたから、慣性までは殺しきれない。

ひとまずつま先から倒れこむように──スライディングの要領で──チーターの下をかいく
ぐって立ち上がり、彼はため息をついた。
「ったく。制服とかないワケ? 私服でこんな戦いやってたら財布の方が持たないって」
カジュアルな黒ズボンをパンパンとはたくその後ろで、チーターは……
声も立てず横に倒れた。
「ハイ撃破。っと」
生あくびまじりの弛緩した顔つきでチーターの屍骸に歩み寄ると、その額──ホムンクルス
の最大の弱点である章印──に刺さった武器を回収した。
それは一言でいうなら、ギア。
直径20cmほどの輪に、台形状の刃を等間隔で8個あしらっている。
用途としてはインドの投擲武器、戦輪(チャクラム)に近いだろうか。
なお、これと同型の武器は日本にもある。
名を「輪(りん)」といい、こちらは台形ではなくサメの尾びれのような刃を持っている。
投げるだけではなく、手に持って白兵戦を演じたり、紐をくくりつけて鎖鎌のように振り回すコ
トも可能だ。以上は本筋と関係ない与太話。
「アレ位、予想できるに決まってんだろ。だから途中で軌道を変えて章印に当たるようにイン
プットしといた」
近くの崖がぐらり、と崩れた。何故か少年の手にあるのと同じ戦輪を刺したまま。
土砂崩れではなく、人一人分の大きさ分。局地的に。
「ついでに、物陰から俺を狙ってた奴にも当たるように」
「な、なんで分かっ……たん……だ」
額にに戦輪(チャクラム)をめり込ませた男が、呻きながら倒れた。
その体表は砂利そのものの模様に染まっている。ただし周りよりは心持ち明るい色だ。
カメレオンかカエルか、とにかくそういう擬態能力を持っていたホムンクルスなのだろう。
「色。オマエ擬態するなら、いまが夕方だってコト考えろって」
少年は敵に歩み寄り、しゃがんだ。辺りはすっかり日が傾き、薄暗い。
「周りはこんなんなのに、色が明るい時のままだからバレバレだっての」
消滅しつつある擬態の男から戦輪を抜き取ると、少年はひどくやる気のない顔をした。
「うわ。グロ。相手が化物でもこーいうのはなぁ……先輩はなんでブチ撒けても平気なんだろ?」
元々垂れ気味の目を更に垂らして、軽くうなだれる。

火渡らが集合した拘置所は深緑鮮やかな森の中にぽつねんと佇んでいる。
地元の人間すらココが何の施設かは知らない。そして普段誰も近づかない。
人里遠い静けさの中、火渡は今にも夕焼けと同化しそうな色彩である。
「犬飼。円山。戦部。てめェら3人はいまから老頭児(ロートル)を探しに行け。さらった奴ともどもな」
死体がない以上、さらわれたと見るのが妥当だろう。
「ほう。戦士・千歳がいてなお『探せ』という事は」
「ヘルメスドライブじゃ見つからなかったというコトかしら?」
「え、ええ。先ほど火渡様が依頼されたのですが」
毒島はおどおどしながら一生懸命戦部と円山を見上げた。
「ケッ。相変わらず肝心な時に役立たねェ。……おい負け犬」
エリートじみた細面の青年がニタっと笑った。
「妥当なトコロだね。彼女が無理なら僕のレイビーズでしか追跡不可能」
彼が犬笛を吹くと、背後から3つの影が走りよってきた。
「よし来……え? 3つ?」
彼操る軍用犬(ミリタリードッグ)の武装錬金・キラーレイビーズは新造人間の相方が務まり
そうな容貌で、2体1対である。
だがやってきたのは3体。 うち1つの影はやけに小さい。
犬飼は目をごしごしこすって余計な影の正体を見極めると、天地が避けんばかりに仰天した。
「ほ、本物の犬! 犬笛につられてきたのか!?」
野良犬だろうか。小さなチワワがレイビーズと共に走ってきている。
「何びっくりしてるのよ。可愛い子犬じゃない。というか目をこすらなくても一目瞭然」
「うるさい! 僕は本物の犬が嫌いなんだ! どっか行け!」
必死に叫びながら犬飼は、チワワに向かって石を投げた。
果たしてチワワは正気に戻ったのか、ギャウギャウ鳴きながらどこかへ消えた。
にもかかわらず犬飼はぜぇぜぇと息を切らしながらそちらを恐怖の顔で睨んでいる。
「このザマだ。とても一人で追跡は果たせそうにねェ。てめェらは負け犬の護衛だ」
火渡は煙草を口から離し、炎とも煙ともつかぬ真赤な気体をくゆらせた。
「ふむ。追う価値はあるな。大戦士長をさらうほどの敵…… 不足はなさそうだ」
気体の光に照らされて、戦部の目が獣のように輝いた。
精悍無比の闘志あふるる瞳にあるのは強者への限りない欲求のみ。
大戦士長坂口照星といえば錬金戦団の中でも五指に入る実力者である。
素手でも火渡を圧倒できる実力を持ち、操る武装錬金もあらゆる意味で規格外。
そんな男を誘拐した者への好奇を、戦部は隠そうともしない。
「護衛ねぇ。この人だけでも充分だと思うケド」
下まつげくっきり艶やか三白眼の美人(※男)が少しおどけた。
「テメーは根来の代わりだ」
「ところで彼、いつ退院するの?」
「あと1週間……あ、いえ。8日はかかるかと」
こういう情報について毒島は妙に詳しい。
例えばいま傍にいる戦部が、ホムンクルス撃破の記録保持者というコトも知っていたりする。
「命令は以上だ」
行け、と口を開きかけた火渡は、何故か熱に満ちた狂笑を浮かべた。
視線は森の一点に釘付けだ。
「な、何か?」
怯える毒島の頭に手を当てて、戦部も野趣溢るる野太い笑みを浮かべた。
「とても戦団関係者ってカッコじゃないわね。一般人ではもっとなさそう」
円山が艶やかに笑うと、犬飼だけは厳しい顔で犬笛を口にした。
彼らの視線の先には──…
編笠と黒装束を身につけた筋骨隆々の男が、油断ならない様子で佇んでいた。
「ま、まさかこの人が大戦士長をさらった、敵!?」
一同は軽く目配せすると頷き、毒島だけが数歩後ろに下がった。
「ハッ、この場にいるってコトはそうだろうな。ちょうどいいじゃねェか」
いうが早いか、火渡は両腕から炎を放射した。
白熱をえんらえんらと対流させる炎はまるで高純度の燃料を得たがごとく。
焼夷弾(ナパーム)の武装錬金・ブレイズオブグローリー。
通常はその正体を表さず、ただ火渡を炎と一体化させている。
燃滅の権化は夕闇を突っ切り、枝や葉を消し炭にしながら黒装束の男へ殺到。
むろん彼は飛びすさるが、もとより1対多数。行動の選択肢を潰されやすい立場にある。
「回避などは委細承知!」
炎と共に走りより、一気に距離を詰めていた戦部は十文字槍を振りかざす。
「チッ」
朱色の柄で下腹部をしたたかに打ちすえられ、初めて声を漏らした黒装束の男。
だがその表情は顔の殆どを覆っているゆえ伺い知るコトはできない。

(行け! レイビーズ!)
犬笛噛みしめ人に聞こえざる音波を繰り出す犬飼。
彼の思うまま、2体の軍用犬が唸りを上げて殺到する。
「用いしは不可抗力ゆえ」
腹にめりこむ十文字槍に押されながらも辛うじて踏みとどまり、黒装束の男は低く呟いた。
「忍六具(シノビロクグ)の武装錬金・無銘が壱。編笠」
瞬間、戦部の顔面を驟雨のような光が爆砕し、迫りつつあるキラーレイビーズを襲った。
とっさに犬飼、レイビーズに回避行動を取らせ次なる行動に備える。
たたたっ! 半ば廃墟と化した拘置所に刺さったのは……無数の矢。
黒装束の男は構えていた。編み笠を取り、本来被るべき部分を前方に向けて。
どうやら矢はそこに仕込まれていたようだが、火渡にとってはどうでもいい。
「随分舐めたマネしてくれるじゃねェか!」
戦部の顔が吹き飛ばされた瞬間にはもう、激発寸前の形相で炎を放っていた。
もっともそれは戦部だけを空しく焼いたのみ。
黒装束の男はすでに樹上。網笠を被り、一座を冷然と観察している。
足場は細い枝だが、不思議と折れる気配がない。巨躯の彼が乗っているにも関わらず。
「忍六具(シノビロクグ)の武装錬金・無銘が弐。鉤縄」
袂にそれをするりと仕舞うと、彼は周囲の異変に気付いた。
「ハイ予想通り。ちなみにココに来なかったら下ろすつもりだったわよ」
樹上に充満していたのはバブルケイジ。面妖な顔の風船爆弾。
「これだけあれば終わり。さぁ、大戦士長の行方、キッチリ吐いてもらおうかしら」
(よレイビーズ! 次は風船を叩き割れ!)
犬笛に合わせて犬の自動人形が樹上へと飛び、バブルケイジを叩き割る。
「アフン」と苦悶に顔を歪めて風船が破裂し、他の風船も巻き込んでいく。
1つの破裂につき15cmの身長が吹き飛ばされる風だ。
大量破裂で引き起こされた強風を浴びれば、抵抗不能な大きさまでに縮められるだろう。
だが黒装束の男は破裂の瞬間!
懐から紅色の何かを鋭く抜き打ち、風を打ち払った。
「忍六具(シノビロクグ)の武装錬金・無銘が参。三尺手拭」
50cmはある黒みがかった紅色の手拭。そして彼は元の身長のまま。
「ウソ」
円山が口の前でパーを作って唖然とする中、黒装束の男は指笛を吹きボソリと呟く。
「忍六具(シノビロクグ)の武装錬金・無銘が肆。忍犬」
影も見せぬ何かがレイビーズ2体の首を切断し、そのまま火渡へ特攻した。
「チッ」
火渡は火炎そのものに身を変えて攻撃をいなし、そして見た。
眼前に着地した子牛ほどある黒い犬を。正確には自動人形(オートマトン)を。
忍犬は低い唸り声を発すると、火渡に飛び掛る。
回避自体は火炎同化をなせば容易いが、その間は本体への攻撃に転じられない。
更に火渡は、忍犬の耐久度に気付き、苦々しく舌打ちをした。
炎に溶かされるコトも焼かれるコトもなく延々と向かってくる。
「チ。あのクソルーキーより始末が悪い。だがブッ殺す!」
文章にすれば長いが、3秒にも満たない攻防だ。
炎を浴びていた戦部が再生を完了するまでの、短い時間。
彼の持つ十文字槍(クロススピアー)の武装錬金・激戦の特性は、創造者の高速自動修復。
先ほどの風で舞い落ちる木の葉の中、戦部は樹上に飛び掛る。
「忍六具(シノビロクグ)の武装錬金・無銘が伍。打竹」
それは本来火種を指す言葉ではあるが、彼の用いているのは実質的に火薬らしい。
細い竹筒がいくつも火を噴きながら、むき出しの筋骨隆々の上半身に炸裂する。
「フン。この程度の爆発など、横浜で戦ったホムンクルスには遠く及ばんッ!!」
事実、爆破された部分は瞬時に再生し、まるで足止めの用をなさない。
「おおおおおおおおッ!!!」
野太い咆哮を上げながら斬りつけたのは、黒装束の男が足場としていた細い枝。
流石に膂力あふるる一撃を受けてはひとたまりもなく崩れ落ち、敵はやむなく地上に降りた。
「まだまだァ!」
戦部が斬り込むたび森が震える。
先ほどの編笠の矢はもうないらしく、黒装束の男は防戦一方だ。
戦部は突き、薙ぎ、石突でゆるゆると牽制しつつ時には連続で突きを繰り出していく。
その野性味あふるる槍技に流石の黒装束の男も押され始め──…
やがて彼は、足をよろけさせた。
しかしそれは疲労と見るにはあまりに性急。かすかに覗く目元も病的に色が失せている。
「ようやく効いたようね」
円山は会心の笑みで毒島を見た。
「ハ、ハイ」
気恥ずかしそうにガスマスクの少女は答える。
武装錬金により気体の調合を得意とする彼女が。
「戦闘が始まってから一酸化炭素を敵のいるあたりに少しずつ撒いてましたので。しかし人間
ならとっくに致死量。まだ動ける彼はホムンクルスと考えるのが妥当かと」
「そして俺には一酸化炭素など効かん」
「全身修復が内部にも及んでいるから?」
「違うな。気合だ」
戦部は蒼ざめる敵の喉首に槍を突きつけた。
その間にも火渡と忍犬の戦いは続いているが、自動人形は使い手自身を倒せば止まる。
長引いたところで火炎同化で攻撃が当たらぬ火渡が負ける道理もないだろう。よって。
「勝負はついた。貴様が何者か吐いて──…」
「古人に云う」
すらりと口を開いた男に、火渡以外の注目が集まる。
敵の情報を得て任務を遂行するという意識より、たぶんに個人的好奇心の混じった視線が。
もともとこの場にいる戦士たちは『奇兵』と呼ばれる存在だ。
任務より自らの嗜好を優先する部分が往々にしてあり、それがここでも出た。
ただし黒装束の男の返答は……
あまりに馬鹿げていた。
職務意識も好奇心も満たさない物だった。
「『なーにもいえない。話しちゃいけーない。デビルマンがだーれなのか』」
「ハァ!?」
レイビーズの破損に顔を曇らせていた犬飼もスゴい声を上げる。
「…………」
黒装束の男は黙った。ひたすらに黙った。黙って黙ってタメてから。
「我が名は鳩尾無銘」
「結局名乗るんですか!?」
「姓はみぞおちと書いてきゅうびと云う。無銘は刀のそれ……」
「ホウ。懇切丁寧なホムンクルスもいたもんだ。ならついでに一つ聞かせてもらおうか
「坂口照星をさらいし者のコトならば、我は仲間に非ず。むしろ敵対する立場。奴らを追いし内
になりしは戦う羽目。総ての行動は正当防衛」
(微妙に韻踏んでるけど、もしかしてラッパー志望かしら?)
ダンサー志望の円山は首を傾げた。
「そして」
「そして?」
「忍六具(シノビロクグ)の武装錬金・無銘が陸。薬」
無銘は顎をガチリと鳴らし、何かを飲み込む仕草をした。
どうも奥歯に何かを仕込んでいたらしい。
すわ、毒を呑んだかと戦部は疑ったがそうではない。
「回復完了」
言葉と同時に忍犬が無銘をかっさらい、風を食って森の奥へと消えた。
(そんな。一酸化炭素中毒を治す薬なんて聞いたコトは──… まとまった酸素を注入しな
限りすぐ動けないのに)
首を傾げつつも毒島は火渡に指示を仰ぐ。彼女はどこまでも火渡に従順なのだ。
「追いますか?」
「ブッ殺してやりてェが、どうせ追う相手が同じならその内出会うだろ」
「つまり奴を信じるという事か。まぁ、疑ってもキリはなかろう」
「のっけから下らない横槍が入ったが、行け!!」
円山はクスクス笑った。
「でもレイビーズの首、斬られちゃってるケド?」
「う、うるさい!」
犬飼は憮然とした顔で首を2つ拾い上げた。
「頭を斬られても歩くぐらいはできるんだよ!」
「まー確かにこの前は下半身を斬られても動けてたしねェ」
「そうだ! そして首の方は直るまで僕が持って追跡する!!」
「ほう。負け犬のクセにえらく強気じゃねェか」
火渡が面白そうに笑うと、犬飼は見えないように歯軋りした。
(うるさい! 負け犬扱いされる位なら死んだほうがマシだ!)
脳裏によぎるのは、かつて抹殺対象にしていたヴィクターIII──武藤カズキ──に図らずも
命を救われた屈辱の記憶。
(あんな下らない目にまた遇ってたまるか。大戦士長は必ず僕が見つけてやる!!)
そして犬飼の祖父は戦士長を務めていた。
探知犬(デイテクタードッグ)の武装錬金・バーバリアンハウンド。
錬金術の産物を嗅ぎ分けるそれで、犬飼老人は戦団に多大な貢献をしていた。
それを思えば、奇兵扱いでしかも敵から助けられた自分はどうだろう。
くわえ直した犬笛にヒビが入るくらい切歯して、犬飼は歩き出した。戦部も円山も。
後に残ったのは毒島と火渡のみ。
「ところで火渡様。脱走したムーンフェイスの追跡はいかがしますか」
「ああ?」
火渡は凄んだ。ムーンフェイスが嫌いなのだ。
何度か尋問を試みたが、ヘラリとした態度に受け流されたのでかなり嫌悪感がたまっている。
(ケッ。声を思い出すだけでも虫唾が走りやがる)
まったく火渡のようないかにも熱血漢という声の持ち主からすれば、太った中年女性のような
高いオクターブの声のムーンはいけすかない。でも毒島はなぜかムーンの声が好きだ。
「い、いえ、大戦士長をさらった敵と同行していればいいんですが、もし別行動なら」
「るせェな。分かってんだよその位。行くとすれば銀成市だ」
「狙いはやはり例の『もう1つの調整体』……ですか?」
「あぁ、それもあるがな」
「他にも何か」
火渡は舌打ちし、髪をかき乱した。
「おい。テメーはいますぐ足の速い戦士をピックアップして、その中で銀成市にいま一番近い奴
にさっさと連絡しろ。銀成市へ行け、脱走したムーンフェイスが向かってるかも知れねェってな」
「え?」
可愛い声を漏らしてきょどきょどする毒島をじれったそうに火渡は睨む。
「それから防人へ連絡だ。千歳が欲しがってた戦士を派遣してやるから、今いる奴のうち1名
はてめーの護衛に回しやがれってな。どうせアレだけ戦士を抱えてんだ、ちっとも才能のない
アイツに全員使いきれるワケがねぇ。ここだけは俺の指示におとなしく従えってんだ」
「た、確かにムーンフェイスを捕獲されたのは防人戦士長です。復讐のために狙われても不
思議はありませんし、いまの防人戦士長では以前のように戦えるかどうかも……でもどうして
私が? こんな重要なコトは火渡様が直接伝えられたほうが──…」
石がガスマスクに投げられた。
「きゃん!」
「黙れ。テメーはいわれたコトだけしっかり伝えてりゃいいんだよ。ミスったら
火渡は凄惨な笑みを浮かべた
「殺 す ぞ ?」
「ひぃい〜!」
ガスマスクの目のレンズに涙を滲ませて、毒島は慌てて条件に合う戦士へ電話した。
奇兵とはいうものの、即座にそれができるあたり秘書の才能がある。

採石場の少年は悩んでいた。
自分の武器についたホムンクルスの肉片や体液の扱いに。
人間ほど汁気はないが、そろそろ生臭さが気になる。
「……武装錬金の手入れとかどーすんだろ? ま、とりあえず任務終了っと」
所在なげに夜空を見上げた。
暮れはじめた空にかかっているのは爪のように細い三日月。
戦友であり恋敵でもある男。大事に思っている先輩が大事に想っている少年。
彼が10日ほど前に消えた場所だ。
「あのバカ。さっさと帰ってこいっての。先輩、体調を崩したりしてませんよね」
電車を使えば1時間ほどで駆けつけられるが、次の任務を待たねばならない身だから叶わない。
ただ、もし連絡が取れるなら。
(武装錬金の手入れの方法とかすっげェ聞きたい。そしたらきっと先輩は)

「手入れも何も、解除してまた発動すればキレイになるだろう」

などとぶっきらぼうな口調でいうのだ。
昔から見続けているので知っている。彼女はわりと喋り出しに力を入れるクセがあって、後は
反論を許さない厳しい口調でぴしゃりといってのけると。
でも質問にはわりと答えてくれる優しい部分もあるから、そのギャップがたまらない。
(やっぱり先輩はいいなぁ)
にへらと頬を歪めて夢想する。
その直後である。彼に電話がかかってきたのは。
一瞬びっくりしたが、しばらく黙った後にガッツポーズ。
「やった! 先輩とまた任務につける!」
彼は喜び勇んで疾走し、近場に置いてた荷物をひったくると駅へ急行した。


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