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第010話 「レティクルと会す銀の星」  (3)



彼は駅らしい場所に到着した。
「むーん。絶景、だね」
広々とした地下空間におどけた声が響く。
発したのは、三日月の輪郭を持つ燕尾服の男。
形相はぶきみとしかいいようがない。
鉤状に鋭く裂けた口は常に笑っているが、丸い瞳は盲(めし)いたように白く、感情が見えない。
名をムーンフェイス。
かつて防人と死闘を演じた末に拘束されていた、元L・X・Eの幹部だ。
彼の前には数人の黒い影と、巨大な列車の影。
「そういえばお礼がまだだったね。助けてくれてありがとう。おかげで晴れて自由の身」
柔らかい物腰だがどこかに嘲りを含んだ声で、ムーンフェイスは握手を求める。
だが黒い影たちは応じない。無言のまま列車へ歩いていく。
「おやおや、なんともつれない人たちだね。そうだ。じゃあ場を和ますために1つ面白い話でも」
ムーンフェイスは指パッチンをすると、尖ったアゴに人差し指を当てた。
「さっきキミたちがさらった照星君。彼は10年前、部隊を率いてかなり大きな共同体を殲滅
していたそうだよ。まったくヒドい話だね。生き残りがいれば復讐の機会を伺っているかも。
いや、ひょっとしたらもう動き出しているのかも。そう」
歯がクジラヒゲのように合わさり、ニマリと笑みを醸し出す。
「まるでキミたちのようにね」
明るいが場違いな笑顔。影たちに微妙な振動が走った。
「確か相当強い連中で戦団も倒すのに難儀したって話だから、生き残りがいたら大変だね。
しかもその盟主というのが驚くコトに100年前──…」
「事情に通じてらっしゃるのはステキですけど」
言葉半ばのムーンフェイスを、銅色に輝く拳が横なぎに襲った。
「無駄口は早死にの元ですわよ。ところでお1ついかが?」
振るったのは影の中でもそれと分かる艶かしいラインの女性。
「ワタクシの『ハズオブラブ』(愛のためいき)。先ほどの殺戮からまだ冷めてませんから、痛々
しいほど硬く尖っててエロティックな刺激がありますわよ」
髪を立巻きロールにして、片手に何かの腕を持っているのがシルエットの中でも見えた。
「せっかくだけど遠慮しとくよ。ところで何か分からないけど気に触ったようだね。失礼」
「分かればよろしくてよ」
腕が消えるとその手に核鉄が現われ、入れ替わるように前方の影が1つ消えた。
「あぁんもう。戦士の方々思ったより少なすぎ。まだまだちっともワタクシ、満たされてませんの。
なのにこんな地下で仲間割れもどきなんて……浅ましくて余計に興奮しちゃ、あ、あぁ。早く
お花をつみがてらこの疼きをこねくりまわないと、ダメぇ……耐えられない」
唇に手を当てて切なそうに喘ぐ影に、ムーンフェイスの笑いが少し固まった。
「……むーん。以後気をつけるよ」
「そうして頂けるとありがたい。そして君も淑女であるなら慎みたまえグレイジング」
こちらは中肉中背、髪も短めと無特徴なシルエット。
だが声には宝塚女優のようなハリがある。
「そー問われれば否ですわよ。ワタクシは淑女気取りじゃありませんから。むしろ娼婦である
べきですの。あ、あん。娼婦! 何て甘やかな響きでしょう。想起するのは蜜溢れる花園。
週刊実話に連載されてる官能小説。そして名前はグレイ”ズィ”ング! ジではなく殿方に甘
い吐息を吹きかけて淫らに蕩けた夢世界に叩き落とすようにィィ〜〜!

グ レ イ ズ ィ ン グ !

……って発音なさって下さらないコト? まったくウィル様、日本語ばかり使われるから英語
の発音をお忘れ気味ですわね」
ウィルと呼ばれた影は軽くこめかみを抑えてムーンフェイスだけに話をふる。
「所詮一時的な協力関係。無用な詮索はなるべく控えて頂きたい」
「もちろん! 何たってキミはあのバスターバロンすら一撃で無効化したからね。逆らおうな
んてとてもとても。ところで照星君はどこにいるのかな? さっきから全然姿が見えないけど」
詮索無用といわれてすぐこの対応。
ウィルはかすかに気色ばみ、そして瞑目した。
「では、ご覧にいれましょうか。ボクの『インフィニティホープ』、ノゾミのなくならない世界と共に」
突如として大蛇のような巨大な影が空間をガラスのようにブチ破り、ムーンフェイスを襲った。
「止まれ」
ウィルの指示で肩口スレスレで止まったそれは低く唸ると、割れた空間に引き戻る。
そこでは水銀に輝くブ厚い扉が開いており、中には照星の姿が見えた。
神父風の彼はアザと血に塗れてピクリとも動かない。
胸のかすかな動きで息があるコトだけが辛うじて分かった。
「こりゃビックリ」
感想をもらすムーンフェイスはどこかわざとらしい。
「失礼。少々気性の荒い者が同席していましてね。坂口照星は殺さないよう命じてありますが、
それ以外には容赦がなく見物に骨が折れる状態。先に断っておくべきでしたね。申し訳あり
ません。深くお詫びいたします。戦士を2、3殺したので落ち着いているかと、つい」
実に丁寧な口調ではあるが、それだけの理知を持つ者ならば予め危険を知らせるコトもでき
ただろう。
「危害を加えるコト自体は禁止してないようだね。なんとも冷酷な人たち。むーん」
ドアが閉じると、何かが破滅的に暴れまわる音がしばらく地下に響いた。
「ちなみに死ぬコトはけしてありませんわよ。だってワタクシの武装錬金は活殺自在。刈り出
されたのもそれが原因ですのよ。あぁ、だったらいっそアレを千切って頬張りたい……どうし
てアレはあんな魅惑で淫靡な形なの。やぁん。欲しくなってきちゃいましたわ」
グレイズィングという影は頬に手を当て、いやいやをするように首を振った。
一方ムーンフェイスは、
「ところで私は銀成市にちょっとした用事があるけれど、送ってもらえるかな?」
慇懃無礼な対応を無視した上で、自らの希望だけを述べる。実に食えない男だ。
ウィルは無言のままで首肯し、列車を指差した。
「装甲列車(アーマードトレイン)の武装錬金・スーパーエクスプレス」」
暗がりでは分からないが、通常の列車に装甲を追加した厚ぼったいフォルムだ。
「通称、『レティクル座行き超特急』。こちらで送迎や増援の派遣を務めます。けれども」
「もちろん、口外はしないよ。キミたちの計画が頓挫してしまうからね」
「ふふん。どこぞの弱小共同体じゃありませんし。コレの情報くらい良くってよ」
水と油のように紙一重で折り合わない微妙な気配を漂わせつつ、3人は列車に乗り込んだ。

「この世で愛されなかった人たちだけが、レティクル座行きの列車に乗れるの。レティクル座
の入り口ではジムモリソンがわたしたちの為に、水晶の舟を歌って、歓迎してくれるの」

列車の運転席でアナウンスをするのはオーバーニーソックスの少女。
その膝小僧は薔薇のように赤黒い。

「なぁ無銘よ。子犬という奴は可愛いな。俺は好きだ。連れて帰れば小札も喜ぶ」
火渡たちから少し離れた森の中で、総角はチワワを抱いていた。
おそらく先ほど犬飼が間違って呼び寄せた野良犬だろう。
「我の好みに合わず」
「堅物だな。ま、そんなお前だからこそ重大な任務を1人で任せられる。小札や香美、貴信は
どうも危なっかしい。俺か鐶(たまき)が手綱を引かねばどうにもならん。……おお。よしよし」
頭をなでられたチワワがしっぽをちぎれんばかりに振って、鼻面を総角の顔に当てようともがく。
「我、如何ともしがたく」
無銘は何故か深いため息をついた。

「フ。気にするな。ところで鐶から聞いたが、坂口照星がさらわれたらしいな」
「奴らを追跡中に現場に到着。そこで遭遇せし者も同様のコトを発言。数は5名」
「ほう。災難だったな。まぁ、お前の武装錬金が真の特性を発揮すれば、一個小隊相手でも
負けはしないがな。しかし」
総角主税。やや小難しい顔である。
「奴らを追っていたお前が、坂口照星の誘拐現場に出たというコトはだ」
「もはや犯人は確定」
「この辺りを見てみたが、バスターバロンが暴れた形跡はない。一撃で斃されたか、もしくは
発動直後に無効化されたかだな。となると相手は恐らく、『太陽』か『水星』」
さて、と総角は火渡らのいる方向を見て頷いた。
「今度は戦団の連中が奴らを追う番だ。つまり無銘、お前の追跡は」
「期せずして戦団が引き継ぐ形」
「そしてその動向ならば、鐶を通して知るコトができる。要するに間接的に奴らの行方を追え
るという訳だ。よって無銘。追跡任務は一時中断としよう」
「されば我は如何様に?」
巨躯を誇る無銘だが、指令を仰ぐ姿勢は子犬のように無垢である。
「我はな」
総角はからかうように笑った。
「まずこの前渡した割符を懐にしまっておけ。以前にもいったと思うが」
「その点は抜かりなく」
小さな金属片を懐から抜き出すと、無銘は再びしまった。
「よし。細かいコトだが後で役立つだろう。それでだな」
総角はチワワに頬をなめられながら、話を続ける。
「お前は銀成市へ帰還だ。戦士がもう1名来るようだからな、こちらも増員する必要がある」
いうが早いか、総角は子犬を持ったまま190cmはあろうかという無銘に肩を持つよう促した。
そして認識票を一撫で。
「出でよ! レーダーの武装錬金・ヘルメスドライブ!」
六角形のレーダーを展開するなりペンを走らせ瞬間移動。移動は素早く(WA5風)、である。
ただしヘルメスドライブの特性と、現在移動した者の質量を合わせて考えると齟齬が生じる。
男子2名と子犬1匹。本来ならば──…

銀成市駅前。すっかり夜となったが人通りは多い。
「長旅お疲れさま。本当は私が送れたら良かったんだけど」
瞬間移動を能力の一つに持つ千歳は、無表情ながらに嘆息した。
移動させられるのは質量にして最大100kg。47kgの彼女が運べるのは53kgまで。
目の前の少年と、戦団が保有する彼のデータをつきあわせて
(10kgオーバーね)と嘆息した。
どこにでもいそうなはねつきショートヘアーだが、沈静な美貌の人だ。
加えて長身で華奢、着ている緑色のサマーセーターは着やせをかなりしている膨らみの下で
すっぱりと布地を途絶えさえ、ほっそりとしたウェストと哺乳類なればほとんど持っているであ
ろう「へそ」を外気に晒している。
もはや夏にも終わりが見えたというのに、非常に開放的かつ大胆なファッション!!
道行く人が千歳を可視範囲に収めた瞬間、わずかに歩を緩めわずかに見とれるのも無理
なからぬコト。
「大丈夫ですよ。1時間ぐらいでしたし。だいたいこないだまでやってた逃避行に比べたら」
千歳の前に佇む少年は、やけにヘラっとした笑顔で応答した。
秋水ほどではないが、なかなか端正な顔立ちだ。
ただし若干垂れ目がちで、短くもボリュームのある薄茶色の髪を四方八方にツンツン尖らせ
ていたり、派手なアロハシャツを着込んでいる所が頂けない。
全体的に軽薄な印象があり、事実、浮かべる表情もどこか重みがない。
常に表情を崩さず、言動にも事務員的冷静さが漂っている千歳とは対照的だ。
蛇足になるが、少年曰くの「こないだまでやってた逃避行」では、千歳は彼を追う立場に属し
ていたので、彼の返答は皮肉に聞こえないコトもない。
もっとも千歳はそこに噛み付く女性ではないし、彼も少しデリカシーに欠けているだけだ。
「とりあえず寄宿舎まで案内するわね。詳しい話はそこで」
「ハイ」
傍らの荷物を軽快な動作で拾い上げ、彼──中村剛太は千歳の後を歩き始めた。
ただし道中。

(先輩、寝込んでいなければいいけど)

ずっと頭の中を心配事で埋め尽くしていたので、駅から寄宿舎への道を覚えられなかった。
そして、12月半ばに再度銀成市を訪れた時には、道を尋ねるハメになる。


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