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第018話 「歪(前編)」



割符の大半を敵に奪われていると知ったいま、斗貴子としては敵の情報が欲しい。
けれど、戦略的劣勢にある以上、少しでも敵の数を減らさねば立ち行かないというのもある。
つまり、敵を生け捕りにすべきでもあり、敵を確実に殺すべきでもある二律背反の状況だ。
よって彼女は、貴信の首をまず刎ねた。
しかるのち、貴信と香美の章印の位置を確認し、片方は刺し片方は捨て置く。
片方を殺し片方を生け捕りにせねばならないというのは、斗貴子自身にももどかしく、正直
いえば背後からの奇襲で両者とも殺しておきたかったが、しかし貴信らを殺したところで肝
心の残る割符の所在が分からなければ、いずれ『もう一つの調整体』なる正体不明の怪物
の跋扈を許すはめになる。それでは勝利とはいえない。
ともかく。

森の中。六歩も横に動けば木に当たりそうな、狭い木立の中。
首なしの体の手が動いたと見えた瞬間、りりーっと甲高い音が鳴った。
斗貴子は落ち葉で柔らかな地面を咄嗟に蹴り上げ、大きく跳躍した。しばし自由な浮力が全
身にみなぎり、やがて夜露まみれの青葉にまで頬が達した。
その眼下では互い違いの鎖輪どもが月光に陰影をけぶらせながら、一直線に疾駆している。
形容としては踏切を過ぎる列車のそれを、貴信は首なしでありながら、果敢にも放ったとみえる。
「少しは動けるようだな」
『僕のエネルギーを舐めてもらっては困るな!! 毎日毎日全身隅々まで充溢して火中の水
素ガスより爆発寸前の輝かしさだ! 叫んで散らさねば回遊をやめたマグロのように僕の呼
吸器系を自壊させかねん騒々しさだッ! だから首切断など動きを止める理由にはなりえん!
なりえんのだああああああ!!!』
首を斬られているというのに、貴信の声は割れんばかりにやかましい。
『伯耆星よ! 不落を穿てぇぇぇぇ!』」
型分銅の後方四か所にライトグリーンの光が点火すると、上空の斗貴子の背後めがけ、爆発
的にはねあがった!
自然、鎖は分銅に誘導される形で斜め四十五度にはねあがる。
しかし哀れなるかな、バルキリースカートにぐわんと弾かれ木の葉の中を舞う。
と同時に斗貴子は残る三本の処刑鎌を地面と水平に旋回。

青い光が扇状に尾を引いたとみるや、大気を重圧するぶきみな風切り音がぶぅん響き、周り
の木々をまるで大根のように切り飛ばした。
青々とした枝葉が満天の星空をざわざわとすべりおち、やがて地面に重苦しく激突。
地響き響くたび、下敷きになった枝が折れ、バチバチと燃えるような恐ろしい音が重なった。
この間、斗貴子は背後を一顧だにしていない。
音と気配だけで攻撃を読み取り、迎撃したのだ。
そして鎖分銅は瞬時に断ち切られた十数本の木に埋もれ、攻撃を封じられている。
斗貴子の狙いはコレ。いかに縦横無尽に動く鎖も、木の下敷きでは動けない。
『もっとも、こうするコトは予想していたがな!! はーっはっは!』
その正体を判断した瞬間、さしもの斗貴子も背中に鳥肌が立つのを感じた。
生首だ。
香美の生首が、処刑鎌に唇を密着させつつそこにいた!
どちらかといえば強気な美少女然とした香美ではあるが、貴信との交替の影響で顔一面に
びっしりとはりついてた茶髪から、ビー玉のようにすきとおったアーモンド型の瞳だけがキラ
キラとのぞいていて、いやはや凄惨な色気のようなただ凄惨なだけか、ともかくも異質な光を
放っている。
『そう来ると思っていたからな! 回避がてら首だけでジャンプして噛ませて貰った!』
香美はというと気楽な調子で、鎖を噛んだり鎌を舐めたりしている。
『その武装錬金おいしいか! どうだ香美おいしいか!』
「うん! なかなか!」
「ええい、鬱陶しい……」
斗貴子は青筋をひくつかせながら、香美の髪をむんずとつかんだ。
「人の武装錬金を舐めるな!!」
「えー、やだやだ。コレおいしいし! 鉄分とりたいじゃん鉄分! ほらネコってさ鉄」
「離れろぉぉぉぉぉぉ!!」
風呂に入れられるのを嫌がるネコみたいにもがく香美を強引に引き剥がす。
投げられた香美はすごい音を立てながら林間をピンボールのようにべこべこ反射。
斗貴子はなんとか倒木の上に着地するなり、ぜぇぜぇと肩で息をした。

「しまった。ついいつものクセで。クソ…… 今のは突っ込むより殺すべきだった」
足場のぐらつきや軽い酸素不足があいまって、かすかに眩暈がする。
その時である。
木々の間から黒い球が飛びだしたとみるや、それは貴信の胴体の首に乗っかってひゅるひ
ゅると豆電球をねじこむように回転した。
「ふっふっふー、ご主人の計算通りっ! やっぱ投げると思ってたじゃん!」
『木の間をバウンドしたぞ! 普通に胴体に向かってちゃ、攻撃の的だからなぁ!!』
復活をとげた胴体は、グーを元気よく天に突き上げ喜びを表現した。
ただし顔は香美のそれだ。
体もふっくらと丸みを帯び、タンクトップの中で豊かなふくらみがゆったりと息づいている。
「ええい調子が狂う! とにかくブチ撒けだ、ブチ撒け!」
『悪いが!』
木の下で金属が分解する軽やかな音が響いた。
「さんじゅーろっけーなんたかかんたか!」
香美は無邪気な笑顔で手をひらひらさせると、勢いよく踵を返した。
見ればその手には核鉄。
「武装解除。逃げる気か!」
『ふはは! 木の下敷きになった鎖を回収するヒマはなさそうだしな!』
「うんニャ。さんじゅーろっけーなんたかかんたかぁー!
逃走はさせじと突き出された処刑鎌をひらりと柔らかく避けると、香美は跳躍し逃げ去った。
(追うか? しかし剛太を放っておくワケにも……)
倒れた後輩を見る斗貴子に逡巡の光が射したのも無理はない。
さすがに倒されたとあっては、どれだけの重傷を負っているかも分らない。
斗貴子にとっては弟のように思える少年だ。あくまで後輩で、弟みたいな存在だ。
「先輩……」
仰向けに倒れてた体が、か細く震えながら首だけが所在無げに斗貴子を見た。

どうも意識が戻っているらしい。
もともとだらしない垂れ目の少年が、疲労と消耗でさらに眠たそうに歪んでいる。
「剛太! 大丈夫か剛太!」
慌てて斗貴子が駆け寄ると、剛太はちらりと彼女の太ももを盗み見て、さりげなくスカートの
中まで見ようとした。あくまで見ようとしただけで、ちゃんと思い直してやめたが。

「俺のコトより、アイツを追うのを優先して下さい」
目をつぶって深く息を吐いたのは、合わせる顔がないと思ったからだ。
(畜生。さっき「しばらく戦いから離れてて下さい」とか思っておいて)
血がかすかに滲む掌で両目を覆うと、やるせない嘆息が漏れた。
(このザマかよ。結局俺は先輩を頼るしかないのかよ)
「だが」
困惑したように呟く声を遮って、剛太は手短に貴信の戦闘方法を報告した。
いわく、吸収したエネルギーを放出できるコト。
いわく、ハイテンションワイヤーの特性が、ヒットの一瞬だけエネルギーを抜き出せるコト。
そして。
「俺さっき、アイツの足にモーターギアを当ててやりましたから、そんなに早く逃げれないと思
います。鎖分銅だって俺が斬りおとした手首がひっつくまで、十分には」
「一理ある。その上、私からのダメージがあるし」
「切り札だって割れてますから、斃すなら……」
いいかけてから、剛太は自分でも得体のしれない感情に襲われた。
香美はホムンクルスだ。人喰いの化け物だ。だのに、枝に止まったカナブン一匹を殺すまい
として、地上に落ちかけていた。それも高いところが苦手で、落ちる時はすごく涙目だったと
いうのに、彼女は自分の落下防止よりカナブンの命を優先した。
そして無事を確認すると、心底安心したような顔をしていた。
貴信もやかましいし、ちょっと小ずるい嘘吐きの気もあるが、基本は正々堂々とした男だ。
敵を手当しようと申し出るようなホムンクルスはちょっとお目にかかれない。
両者とも今まで見てきた連中とは違う。なのにホムンクルスという理由だけでためらいなく殺
そうとする姿勢は、はたしてどうなのか。
以前、カズキとの会話で芽生えた疑問が、また心で渦を巻く。
ホムンクルスに両親を殺された剛太ではあるが、それは物心つく前の出来事だから、ホムン
クルスに対する憎悪そのものは薄い。
ただ斗貴子が戦士をやっているから剛太も戦士をやっているだけで、斗貴子が「敵を殺す」
コトを当然と捉えているから、剛太自身もそう考えているだけだ。
でも、今の剛太の感情と憧憬に基づく姿勢はひどく矛盾していて、ぐわぐわと痛む頭がもっと
深く痛んでくる。
「どうした?」

「い、いえ。斃すにしろ捕獲するにしろ、今はチャンスだから、追ってください」
剛太は慌てて言葉を柔らかい方向に変換した。
「確かに奴らにはさんざん探索を妨害された。ここで捨ておけば堂々巡りだ。しかしキミの手」
気絶している間にもかなりの血が流失したらしく、あたりの地面は血でぬかるんでいる。
「早く手当てしないと命にかかわる」
「それなら大丈夫!」
意気込んで上体だけを跳ね起きさせると、剛太は周囲を見回した。
「これ、モーターギアでやったんスよ。なら今度は核鉄に戻して当て……」
太ももの横を見下ろす。ない。首をちょっと無理して捻り、斜め後ろまでくまなく見る。ない。
貴信の立っていた辺りに、山肌へそぐわぬ無機質な物体を発見し、一瞬それかと喜んだが
自分の携帯電話だと分かって落胆した。
血相を変えて傷の浅い手でおたおたとポケットをまさぐってみるが、もちろんある筈がない。
それだけやって、剛太はようやく事態を把握した。
核鉄を取られている。
「くそ。さんざん奇麗事いっておいて、結局ホムンクルスかよ……」
それを認識すると、どうしようもない寒気が剛太の裡から湧き始めた。
アバラも思い出したように熱を持つ。全身の微細な傷も、尻馬にのって騒ぎ出す。
「分かっただろう。キミは歩くコトもできない。私の核鉄を貸すから、止血しながら下山しよう」
「けど、それじゃせっかくのチャンスが……」
ピンク色の影が木立を縫って出現したのは、この時だ。
「おー、いたいた! いろいろあったけどゴーチン発見! ってか」
しわがれた声の主は、宙をプカプカ浮きながら、剛太をじろじろ観察して
「何があったか分らないけどボロ負けじゃねーか! そんなんだからカズキンに勝てねーんだ!
勝手に怒り始めた。
実に不細工で珍妙な人形だ。
巨大な肉まんに自動車のライトをはめ込んで、適当な体をひっつけたという感じである。
エンゼル御前。彼女と面識のある剛太は一瞬面食らったが、すぐにすさまじい反撃のマシン
ガントークを唇から射出した。
「誰かと思えばこの間の似非キューピーかよ! お前にゃ関係ない話だからちょっと
黙ってろ! というかなんでお前までココにいるんだ。
斗貴子も腕組みしながら、あたふたする剛太と好き勝手いう御前の口喧嘩に割って入った。
「そうだ。御前、どうしてお前がココにいるんだ?」

「御前様もいってるでしょ? 色々あったのよ。最初は敵に飛ばされちゃった千歳さんを探し
てたんだけど、ついさっき、聖サンジェルマン病院にいるって連絡があって」
艶やかな声に遅れて歩いてきたのは、黒い髪を腰まで伸ばした長身の女性。
もちろん、いうまでもなく早坂桜花だ。
「そっちにゃ例の出歯亀ニンジャがGO! で、今度はブラ坊の奴からゴーチン探せって命令!」
生意気な声に、剛太は眼をはしはしと瞬かせると、小声で斗貴子と相談し始めた。
(え? ブラボーは知ってるんですか? 俺たちが分断されたって)
(当然だ。私が連絡しておいたからな。報告と連絡と相談は基本だぞ)
(その点はバッチリ。ホラ、何か忘れちゃいましたけど、重要なコトを連絡したでしょ?)
グッと親指を立てて嬉しそうに白い歯を見せる剛太に、斗貴子は鼻白んだ。
(ったく。キミは昔から何か手柄を立てるとすぐ調子に乗るな)
(はは。すいません)
(本当は戦士・千歳に探してほしかったんだがな、敵襲を受けていたせいで)
「俺サマたちが探すハメになったってワケだ! まったく大変だったぞ。桜花はか弱いんだか
ら、夜の山の中を歩くのにどれだけ苦労したと思ってるんだ!!」
「あ、それは、まぁ、スイマセン」
剛太は桜花を見ると、不承不承謝った。
それはいかにも「うるさい奴に説教されたから仕方なく」という様子で、斗貴子との温度差が」
露骨すぎる。
男性諸子にもてはやされるコトこそあれ、邪険に扱われるコトはなかった桜花だ。
適当に扱われて面白い筈がない。
「ともかく、剛太クンの保護は私たちがやるから」
桜花はニコリと笑うと、森の奥を指差した。
「分かった。追撃に移……」
いいかけた斗貴子の頭が一瞬ぐらりとゆらめいたのはその時だ。
この変調に一座はみな顔色を変え、御前などは頬を両手で押えて驚愕を示した。
「先輩! 大丈夫ですか!」
「気にするな。ちょっと息が……切れただけだ」」
支え替わりに処刑鎌を地面に突き立て、軽く息をあげる様子はとても言葉通りには見えない。
実際のところ、彼女は河原で五十六体ものホムンクルスと闘っているのだ。
いかに錬金の戦士といえど、十七歳の少女。消耗は激しいようだ。
「ところで剛太」

「……すみません。俺、肝心な時に斗貴子先輩の力になれなくて」
「気にするな。キミは十分よく戦った。奴らが残りの割符を総て持っているコトを知らせてくれ
ただけでも、十分偉い。よく知らせてくれたな」
フッと女副部長のような柔和な笑みを浮かべて褒める声は、剛太の心に沁みてしまう。
乾いた土に慈雨が浸透するという意味でも、申し訳ない心痛が起こるという意味でも。
負けてなお褒められるコトは正直辛い。まだ怒鳴られた方が気楽だ。
「核鉄なら私が取り返してやる。だからキミはゆっくり休め。いいな」
地面からバルキリスカートを勢いよく抜き出すと、斗貴子は森の奥へと駆けていく。

その足音が遠ざかったころ、剛太は俯き、軽く打ち震え始めた。
(なー、桜花、ひょっとしてゴーチンへこんでね?)
(でしょうね。核鉄取られちゃったんですもの。戦士なら当然)
桜花の返事を得た御前は、猪よりも不格好で短い首をうんうんと縦に振った。
桜花や秋水もL・X・E時代、核鉄の希少性をいやというほどムーンフェイス(酷薄な性質から
は意外な話になるが、彼は子供の信奉者を育てるのをよく好み、進んで教育係を引き受け
ていた)から教え込まれたので、それを奪われた剛太の失意は察するに余りある。
(せっかくだし桜花、ゴーチンなぐさめてやれ)
え? と奇麗な瞳をあどけなく見開いて、桜花は自分の武装錬金を見た。
(トボけたって無駄! お前、ホントはゴーチン落としたいんだろ!)
御前の瞳には湯たんぽみたいにミラージュな起伏がある。そのまなじりを恵比寿みたいに両
脇に垂れ唇を尖らすと、御前の顔は創造者の桜花の気にすら召さないだらしなさを醸し出した。
(あらあら。それは誤解よ御前様。あたしはただちょっかいが出したいだけだし)
桜花はやれやれと肩をすくめて、いかにも御前が的外れな意見をいっているという雰囲気を
作り出した。それからわざと偽悪的な笑みを浮かべて
(あ、でも、ここで慰めておいた方が、後々のためかしら。だから一応)
などともったいつけてはいるが、その実本心では、つい慰めたくなっている。

腹黒い彼女にしては驚くほど純粋な気持が湧いてきているのは、近頃秋水の心がまひろに
向いているがゆえの孤独感だろうか。
(それとももっと別の、何か?)
とくとくと柄にもなく心臓を高鳴らせ、頬に紅差し、ためらいの色を一生懸命払拭してから、
深呼吸。と同時に剛太がようやく面を上げた。それをきっかけに声をかけ……
「やった! 先輩に褒められた!」
桜花はその気楽な大声に肩からコケそうになった。
「色々あったけど、やっぱいいなぁ。スパルタンじゃない先輩っていいなぁ」
えへえへと白い歯をむき幸福そうに笑う剛太に、桜花は頬をちょっとむくませた。
そこからの対応は残虐にして神速であった。
「核鉄取られたクセに喜んでるんじゃねー!!」
御前が垂直一直線にスピンしながら剛太のみぞおちへ蹴りを叩き込んだ。
その後、剛太がしばらく海老みたいに腹を丸めて痙攣した後、御前と口論したのは割愛。

「とにかく、まず傷の治療から。アレ使うのもいいけど、ゴメン御前様。ちょっとだけいい?」
と自分の武装錬金に呼びかけた。
「しょーがねーなぁ。やいゴーチン。今回だけは特別だからな! ちゃんと恩に着ろよ!」
「うっせ。誰が感謝するか似非キューピー。さっさと核鉄に戻……え?」
剛太は目をまんまるくしながら、御前が核鉄に戻る光景を見た。
腹をさすっていた手が止まる。
そりゃ武装錬金なんだから、核鉄に戻るのは当然といえるだろう。
だが。
「ちょっとまさか、あの似非キューピーの創造者って!?」
傷の痛みも忘れて目を白黒させる剛太の掌に、桜花はにこやかに核鉄を乗せてやる。
「あ。言い忘れてたかしら。私の武装錬金はエンゼル御前。形状は弓と自動人形よ」
剛太の掌からじわじわと熱が広がるのは、治癒効果のせいだけではない。
今までの桜花に対する引っかかりが一つの結論へ昇華し始めている高揚感がある。
(そうか。あの似非キューピーが俺の逃避行を見てたもんな。いやに事情に詳しい筈だ)
カズキも「人型ホムンクルスと元・信奉者の仲間がいる」といっていた。で、桜花も元・信奉者。
「そーいえばニュートンアップル女学院で、あなたの声を聞いたような」

「あら、やっと思い出してくれた? あの時は災難だったわね。パピヨンの服なんか着る羽目
になっちゃったんですもの。流石に思わず

『やめてー!! 気持ちは分かるけど、人としての最低限の尊厳は捨てちゃダメッ!!』

とか叫んじゃって」
満足そうに笑う桜花を、剛太は持て余し気味に眺めた。
(そういや、自動人形の武装錬金って創造者の人格を反映するんだったよな。確か講習で
聞いた話じゃ、だいぶ前に坂口大戦士長と戦った共同体の中にいた軍医だったか看護婦
だったかの自動人形も、創造者とは百八十度逆の医療精神溢れる奴とか何とか。とはいう
けど…… ギャップありすぎだろ!!)
片やお世辞にもカワイイとはいえない、似非キューピー。
片や斗貴子一筋の剛太ですら、油断すれば目を奪われかねない楚々とした美女。
満面の笑みでいろいろなコトを誤魔化している桜花に、剛太は慄然たる思いをした。
「ともかく町まで連れてくわね」
「え、大丈夫ッス。もうちょっと休めば一人で歩けますから」
「まぁまぁ」
剛太を支えようとしゃがみ込む桜花の制服は、ところどころ破れてて、かすり傷が見えている。
あちこち泥や葉っぱもついている。
きっと彼女は山歩きに不慣れなのだろう。何度転んだか分らない。
(ったく。自動人形使えるなら、創造者が山道歩く必要ないっての。なのになんでこんな効率
悪い方法とるんだ? あの似非キューピーで俺達見つけ出してから、核鉄に戻せばいいん
じゃねェか? これだから元・信奉者はワケわかんねェ!)
それを抜きにしても、桜花が華奢な体で剛太を支えようとするのは無理が見える。
というか策略の匂いすらしてきたので、
「さっき体調悪そうだったでしょ。だから別にいいですよ」
ともっともらしい理由をでっちあげた。
「……違うの」
「え?」
「その、実は、弟のコトで悩みがあって。だからホラ、体調とかは大丈夫だから」
ちょっと悲しそうな影を湛えて笑う桜花に、共感のような感情を覚えてしまう剛太である。

「追いついたぞホムンクルス!」
香美は「うげっ!」と背筋をのけぞらしながら後ろを振り返った。
この一帯には木がない。代わりに、規則正しく節くれだった緑の影が、数百本と天に向かっ
て伸びている。
竹林。
桜花たちがいる所よりは麓に近い。あと十分も歩けば下山できるだろう。
ちなみにココは銀成市でも有名なタケノコ堀りのスポットで、春ともなれば多くの市民がこぞっ
て訪れるという。
そのせいか、山中に比べるとずいぶん歩きやすい。
竹が伐採されちょっとした広場ができあがっているからだ。
その中心で振り返った香美は、汗ばみながら激しく息をつく斗貴子を認めた。
「うあ。えちぜんもーもーは、しどーふかくごとかいうけどさ」
『敵前逃亡は士道不覚悟、だ! ふはは! 逃げるような奴は追いつかれるのが定めか!
できれば割符のコト、もりもり氏たちに知らせたかったが……』
香美の両脇は、それこそネコの子一匹通さなそうな竹藪。
唯一の広場の入口、つまり香美の後ろには斗貴子。
そして正面には八メートルほどの岩肌厳しい切り立った崖がそびえている。
いくらタケノコ堀のスポットといえど、崖を削って階段を設けるコトまではしなかったらしい。
崖の上を見れば、転落防止用の柵や看板が設けてあるのでその点は評価できるが、灰色
の崖それ自体は貴信たちにとり、監獄の壁のようにおぞましい。
万全の態勢なら一気呵成に駆け上がって逃げれただろうが、今の貴信・香美では無理だろう。
ふくらはぎへの傷のせいでスピードが出ない。だから斗貴子に追いつかれている。
手首が癒着するまで鎖分銅の威力は半分以下。例の掌からの物体射出も使用不可。
『……悪いな。一度ならずも二度もお前を死なすコトになるかも知れないが、……いいか?』
「なにいってるのさ。ご主人に拾われなければ、あたし赤ちゃんのころに死んでたしさ、ま、恩
返しとゆーコトで異論ナシ!」
『よし! ならば……』
斗貴子が踏み込んでバルキリースカートを打ち下ろす瞬間、貴信は首を回転させ、剛太と
闘っていた時の姿へ変貌した。つまり、豊満な猫娘から短髪奇相の男へと。

一本の処刑鎌がどうっと袈裟斬りに貴信の胸に吸い込まれ。
一本の処刑鎌が貴信の左脇を斬り上げ肩の付け根から吹き飛ばし。
一本の処刑鎌が地をすべったとみるや、それは貴信の両膝を伐採し。
一本の処刑鎌が貴信の目を狙う途中で鎖に絡みつかれた。
「悪いな! 元飼い主としちゃあ、元飼い猫がいたぶられるかも知れん時に、のほほんと後
ろばかり見てるワケにはいかない!! 傷を受けるなら僕の方がまだ心痛は少ない!!」
叫びと共に砕けんばかりの握力で鎖を握りしめ、背後に向かって振りぬける!
足を伐採されたにも関わらず、驚異的な力が湧いたのは、精神力のなせる技だ。
そして当然のコトながら鎖はバルキリースカートに絡まっている。
バルキリースカートは斗貴子の大腿部に装着されている。
よって彼女は成すすべなく宙を舞い飛び、上下逆さで崖の四メートル地点に叩きつけられた。
「今はさすがに即死させる威力はないが、どうだぁ!!」
「ぐっ!」
痺れた肺腑から苦しい息が搾り出される。ひび割れた崖を背中がなすすべなく滑り落ちていく。
「僕と香美は一心同体だから、受ける痛みは同じだが!! 力がある分僕が表立つ方が!」
「……ホムンクルス風情が」
斗貴子は意外な行動に出た。頭から落ちながらもバルキリースカートに絡みついた鎖を、残
りの処刑鎌で上向きに叩いたのだ。
一瞬のたわみに遅れて、猛烈な力が鎖を伝導。それを持ってる貴信を空に跳ね上げた。
ちゃりちゃりとうるさい音の中、風船が引かれるような沈降感の中。
貴信は見た。
着地した斗貴子を。見たコトもない殺意の光を瞳に充満させる斗貴子の姿を。
「ホムンクルス風情がその言葉を、一心同体などと口にするな!! 口にするなァァァ!!」
狂乱にも近い叫びをあげる斗貴子に、貴信も香美もまったく気押され、茫然とした。
彼らは知らない。斗貴子がかつて武藤カズキに『一心同体』と誓ったコトを。
そしてその誓いを破られ、カズキを手の届かないところを失ったコトを。
彼女にとってその言葉がいかに逆鱗かを。
「生け捕るのはもうやめだ!」
斗貴子は跳躍した。貴信はその姿を一瞬失念した。彼女の動きは人間としての運動性能を
はるかに逸脱していたからだ。それも負の情念のなせる技。

だから背中を斬りつけられ、香美の短い呻きを聞く時まで、斗貴子が一瞬で貴信の背後ま
で飛んでいるとは露ほども気付けなかった。鎖もいつの間にやらほどけている。
「私らしく、地獄の痛みの中で吐かせてやる!!」
バランスを崩して地面に叩きつけられた貴信の背中に上空から四本もの処刑鎌をブッ刺す
と、そのままピアノの鍵盤でも叩くような速度で断続的に刺しはじめた。
香美の口からネコ科特有の絞り出すような叫びが迸る。貴信も苦鳴を漏らす。
それでいて斗貴子は賞印を貫こうとしないから、いやはやまったく恐ろしい。
「さぁ、早く楽になりたくば、さっさと貴様たちの仲間の居場所を吐けッ!」
突っ伏す貴信はさすがに絶望を始めていた。
(駄目だ……抜け出そうにも隙がない。ふはは。あまり大声出さなかった方が良かったか?
でもせめて香美だけは助けてやりたかったが……都合良く救援なんて)
意識が遠のいていく。香美の声も聞こえなくなっていく。
指先から力が抜けて、痛覚さえ風の中で薄れていく。

「死んだか」
斗貴子は処刑鎌の動きを止めると、無感動につぶやいた。
「いや、まだだ。死体が消滅していない。ならば……」
斗貴子の内心にはうら寂しい風が吹いている。
敵を殺す。かつてはその理念を貫くのが総てだった。
でも斗貴子はカズキと出会ってしまい、敵を殺すコトでは得られない暖かな感情を貰っていた。
けれど彼はこの地にいない。
取り戻せるなら取り戻したい。けれどその術が絶望的なまでに見つからない。
一体、ホムンクルスを斃した所で何になるというのか。
そうした所で斗貴子の抱える葛藤に光明など射さない。
荒れ狂った傷が世界にバラ撒かれるだけだ。
(けれどどの道、カズキにできるコトなんてこれぐらいしかない……! してやれるコトなど……!)
バルキリースカートを四本ともカマキリのように構えると、貴信の背中越しに章印を狙う。
そして。
貴信を取り囲むように六角形の輪郭が地面に現出した。
それは一瞬にして穴となり、レンガ壁を覗かせながら貴信の体を地下へと落としていく。
この現象に、斗貴子は見覚えがある。どころかこの春先と夏に二度も体験した。

「……アンダーグラウンドサーチライト! ヴィクトリアの武装錬金か!!」
声に呼応するように、背後に人が現れる気配がした。
偶然、停止中のバルキリースカートにちらりと金髪が映って見えた。
冷えた目つきの小柄な外人少女の姿を瞬時に想起しながら、斗貴子は怒鳴りつつ振り返る。
「どういうつもりだヴィクトリア! 敵を助けるとは! 理由によってはただでは……」
「人間的な楽しみというのはそれこそ無数にある。未知の武装錬金を扱うのも然り」
いやに余裕ぶった声に息を呑む。同時に果てしのない怒りと屈辱の記憶が蘇る。
「また貴様か」
風が軽く吹いた。頭上に響くさらさらという音は、笹がこすれる音だろう。
「戦いもいいが、人間的な楽しみに浸るのもまた格別。さて、組織の長は代表者だ。難物う
ずまく共同体と折衝し、部下の不出来に悩み、分の悪い計画を成就させんと徹夜で頭をフル
活動させるのも、まぁよくあるコト。苦労は多いがやりがいもある」
生暖かくも緩やかな大気の呼吸が、斗貴子の短髪をなびかせ、笹の葉を流していく。
それを心地よさそうに捉えながら、金髪の乱入者は子どもに昔話でも聞かせるようなのどか
な調子で斗貴子に話しかけている。
「俺がいるのはなんとも人間的な楽しみの多い立場だ。徹夜の後に机に伏して寝たふりを
すれば、小札が毛布を掛けてくれもする。まったく優しくて可愛い、天使のようなロバさんだ。
そして」
悠然たる歩みを止め、その男・総角主税は、額に二本指を立てわざとらしいため息を吐いた。
「……やれやれ。この救援は特別だぞ。そうだな……嫌がる香美を無理やり駆り出したコト
への詫び料としておこう。いちおう女のコだから、な」
「貴様!」
「怒るな怒るな。代わりの獲物は用意してある」
声と同時に、斗貴子の首に何かがからみついた。
どこにでもあるような縄だ。崖の上から斗貴子に向かって伸びていて、首のあたりで鉤がミチ
リと縄に食い込んでいる。
「危険 柵を越えるな 銀成市役所」というまったく面白みのないシンプルな看板の横で、縄の
使い手はひゅうっと息を吹きつつ斗貴子を釣り上げた。
腕は一般人の太もものように太い。男はその太さに見合うだけの巨躯である。
そして頭にはあかぎれて古びた編笠。

鳩尾無銘。影が千歳と根来を苦しめていた男だ。
なお、彼の足もとでは、この前総角が拾ってきたチワワが今にも崖からこぼれそうな勢いで
ピョンピョンと跳ねまわったり地面の匂いをくんすかくんすか嗅いだり吠えたりしている。
「どうせ殺るなら、活きのいい方がいいだろう? それがお前の人間的な楽しみらしいしな」
瞬時に処刑鎌を背後に巡らし、縄を斬り裂いたのはさすが斗貴子という所か。
しかし地響きとともに彼女のこめかみに激痛が走り、なすすべなく宙に浮いた。
無銘だ。崖から斗貴子の眼前にずしりと着地するなりこめかみを掴み上げている。
万力のような力に締め付けられ、斗貴子の口からひきつった呻きが漏れる。
白い足が中空をバタバタともがき、処刑鎌が不快気にこすれあう。
「フ。お前の楽しみは見抜いているが、大事な部下を与えて叶えてやるほど甘くはないぞ。
俺にとって人間的な楽しみではないどころか、組織の長として許し難い」
総角は涼しい顔で例の六角形の穴を作成し、その中へ消え始めた。
「舐め……るなァ!!」
黒装束から覗く瞳がゆらめいた。下から繰り出された斗貴子の拳が、肘にめりこんでいる。
ホムンクルスから目玉を抉りだせる膂力の炸裂に、ほどけるアイアンクロー。
「どの道、貴様たちの手に割符があるとわかった以上、戦いを避ける理由もない!」
地面に踵がつくより早く、処刑鎌で地面を叩いて総角へ躍りかかる。
が、一拍遅い。変哲ない地面から土くれを巻き上げたのみに留まった。
(潜るなり入口部分を実際の空間に変えたか! ヴィクトリアより使いこなしている!)
からくりさえ見抜けば、根来のシークレットトレイルより侵入がたやすい避難壕(シェルター)だ。
(しかし、一体奴はどうやってこの武装錬金を……?)
軽い疑問が生じたが、本題ではない。
「まぁいい。殺せる奴から順番に殺して割符を奪い取るだけだ! そして最後は貴様の番だ!
首を洗って待っていろ!」
「フ。戦士らしからぬユーモラスな意見をありがとう。小札への小噺ができた」
総角の声に次いで、鳩尾の瞳が青白く光った。
「聞き及ぶ範囲において早坂秋水と比肩せし強者。されど堂々の姿勢を崩す事なかれ」
「行くぞ!」

津村斗貴子 vs 鳩尾無銘 開戦!

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