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第019話 「歪(後編)」



竹藪の中に甲高い金属音が数合響き、影が何度目かの交差をした。
舞い飛んだのは一縷の黒きれ、一縷の白きれ。
掠め取られた黒装束からは浅黒い鉄のような肌がのぞき、裂かれたセーラー服の肩口から
白い鎖骨に切れ込んだ一条の傷が覗いた。
「少しは手練れた化物のようだが予定に変更はない! 貴様を殺して割符は貰うぞ!」
肩の流血に怯まず眉に皺寄せ睨む斗貴子はなかなかに凄然としているのだが、しかし無銘
はたじろいだ様子もなく、懐に手を入れると割符を見せた。
「我、偽らざる…… 欲するのであれば狙うがいい。我はただ守るのみ」
無銘の懐から筒のようなものが飛んだ。
それは竹笛を穴ぼこにしたような形状で、火を吹いている。
「古人に云う。S・O・S、S・O・S、平和が壊れる」

「むむっ!」
同時刻、食堂でまひろが何やら反応したが、秋水にはよく理由は分らない。

ともかく、無銘の投げた物体の名前は打竹という。
忍びは火器を使うために、火種を常に携帯する必要がある。
その火種を入れる入れ物を差し、「打竹」という。
だから本来ならばこういう火薬のような使い方はしないのだが、そこは処刑鎌が大腿部から
生え、風船爆弾にヘンな顔がついてアフンアフン鳴いて原作とアニメではまったく特性が異な
ったりする武装錬金だ。多少の齟齬はあって当然といえよう。
爆炎に軽く身を焦がされた斗貴子は、いよいよ疲弊と憤怒の濃さを形相に高めていく。
そこへ無銘は、印籠を取り出すやいなや、薬液を吹きかけた。
もちろん避けた斗貴子だが、地面に降りかかった薬液は白煙を巻き上げ、ふしゅうふしゅうと
化学的な臭いを辺りに散らした。
(書物によっては、「打竹」ではなく「火種」が、「薬」ではなく「印籠」が忍六具に挙げられてい
るが、本SSではそれぞれ前者を採用する)
きゅっと小鼻に走った痛覚にいよいよ形相を悪鬼のようにゆがめながら跳躍し、宙返りをし
ながら鉈のように重い処刑鎌を四本全て垂直に降らした。
それを腰だめで半歩後退して避けると、指を口に当て甲高い音を鳴らす無銘。
「忍六具(シノビロクグ)の武装錬金・無銘が肆。忍犬」
同時に崖の上から降り立ったものがある。それは中型犬の形状こそしているが、全身に金
属のベールをまといひどく無機質な殺気を斗貴子に対して振りまいている。
かつて無銘が再殺部隊の一同と戦った際、火渡を抑えていた自動人形である。
(桜花のように複数のパーツから成る武装錬金か。が!)
飛来する忍犬が、しかし轟然と竹の幹へはじき返されたと思う暇もあらばこそ。
「犬の自動人形(オートマトン)なら、あの再殺部隊の男の方がまだマシ!」
白煙をあげる地面が根こそぎまくり取られて、無銘の瞳に吹きかかった。
それらはもちろんバルキリースカートによるものではあるが、しかし相手がはなった薬液を
土くれとともに眼つぶしに用いようとは。常人なれば着想あれど実行できよう筈もない。
残虐さに満ち満ちている。
「ならば」
口を覆う黒くブ厚い布の下ですぅっと息を吐くと、無銘は左手に印籠、右手に打竹をあらん
限り出現させ、一気呵成に投げつけた。
「勝負を賭けたか!」
斗貴子から見て右端の処刑鎌から水けぶりが、左端の処刑鎌から爆炎が、それぞればしゃ
あと巻き起こった。
刃の腹が薬液や打竹を弾いたのはいうまでもない。
あたりに燃焼と溶解の硫黄臭まみれの白い煙がうっすらたなびき。
それらをつっきるように矢の雨が襲来した!
斗貴子は知らないが、根来に対してはミサイルランチャーのように注いだ驟雨である。
かつて相対した桜花の矢など比類にならない。
彼女のはせいぜい屋上の床に穴を空ける程度だが、無銘のは壁を爆砕する。
その威力の違いが分らぬほど斗貴子は短慮ではない。
足首に力を入れ前方に跳躍……
しようとした瞬間、押さえつけるような違和感を両足のはるか外側に感じた。
「っの……!」
原因を見とがめた斗貴子は切歯しながら”それら”を見た。
先ほど薬液と打竹を捌いた両翼の鎌に巻きついているものがあった。
右は三尺手拭。左は鉤縄。
無銘はそれらを右手に束ねつつ、左手で編笠を胴体の中心に備えていた。
回避も不可。跳躍も不可。普通に考えれば残る対処は二つ。
残り二本の処刑鎌で矢を捌ききるか、防ぎきるか。
しかしそのどちらも実効性が薄いのを、斗貴子は発案と同時に認めた。
捌くには無数の矢に対して二本の鎌は少なすぎる。防ぐには範囲が狭く、強度がもろ過ぎる。
屈辱にわななく金の瞳に、業火放つ矢たちが吸い込まれていき──…

斗貴子に備わっている種々の要素のうち、もっとも恐るべきものをあげるとすれば何か?
ホムンクルスへの憎悪? 残虐性? それともバルキリースカートの特性そのもの?
否。
空間把握力だ。
人は包丁さばきやマジックハンドの扱いにすら四苦八苦する。
例えば、すぐ手元にある魚の腹にさえうまく刃を入れられなかったり、マジックハンドで一メー
トル手前のタバコを取るにももどかしい思いをしたりする。
手に持っている道具ですらそうなのだ。
まして、大腿部から生えた四本の処刑鎌を高速かつ精密に操り、敵に当てるなどという芸当
は実は恐るべき事象といっていい。
なぜならば彼女は、手ではなく生体電流などという漠然した信号で、手の数の二倍もあるバ
ルキリースカートを操っているのだ。
それも高速かつ精密に、殺意を持って動く敵というまな板の魚や部屋のタバコよりも難解な
対象相手にだ。
よほどの空間把握力がなければ、これらの困難な条件の下で戦えはしないだろう。
余談だが、後にこの銀成市で悲劇的な末路を辿る『剣持真希士(ケンモチマキシ)』という戦
士も、斗貴子同様なかなかに空間把握を要する武装錬金の持ち主だが、本題でないゆえに
詳細は省く。

蒼い影が横殴りに猛然と飛び交う矢の下を、平蜘蛛のように奔った!
斗貴子だ。
彼女はするすると身をかがめるや否や、残る二本のバルキリースカートで地面を叩き、四足獣
のように地面すれすれを吶喊していた!!
彼女はとっさに見つけていた。足元の空白地帯を。
無銘が丸い編笠から矢を射出する以上、それは必然ともいえる空白である。
胴体を狙えばどうしても足元には矢が飛ばない。
それを斗貴子の空間把握の感覚がとっさに捉え、そして一挙にくぐり抜けた。

跳躍よりは体重が沈み込む分、行動の自由があるのだ。
こうなれば無銘の三尺手拭や鉤縄による拘束は逆効果。
斗貴子は地面との反発を利して、細い体からは想像もつかぬ強烈な力で以て拘束途中の
バルキリースカート後方に向かって最大馬力で稼働した!
当然のコトながら、逆(さかしま)に翻った無銘の視界の先には自らが放った矢が無数に迫っ
ており……
耳をふさぎたくなるやかましい音があたりに充溢。
黒装束の巨体が焦げて爆ぜつつ吹き飛んで行き、、十数本の竹をメシメシとへし折り終わ
ったところでようやく地面に解放された。
その体たるや達磨のように四肢が吹き飛び、顔を覆う黒装束も雑巾のように燃え尽きてお
り、そこから全身に灯る小さな炎のチロチロは、斗貴子の遠目にボロクズのような無銘を映
し出すサーチライトの役目を果たしている。
「とりあえず……まずは……一体」
息絶え絶えに呟きながら立ち上がると、膝がかすかに笑った。
疲労感がどっと押し寄せてきた。
心にみずみずしさを持った戦士ならば、それをもしのぐ任務達成の喜びがあるのだろうが、
斗貴子にはそういうプラスの感情がない。
(いや、これでいい筈なんだ。今は敵を倒して割符を回収するコトが先決……! そうすべ
きなんだ。どうせいくら手を伸ばしても、彼に届きはしない……)
黒い海の上でほどかれた手の感覚がじわりと全身に広がり、口の中を苦くする。
暇はなかった。

斗貴子はまったくそういう前兆を感じてはいなかった。
しかし感じているべきだった。警戒を怠るべきではなかった。
総角たちへの殺意に囚われ重要なコトを失念すべきでは、なかったのだ。
この町で争う勢力は、戦士と総角たちばかりではないというコトを。
現に先ほどはその勢力の手だしにより、剛太と分断されてしまった。
斗貴子は、覚えておくべきだったのだ。
L・X・E。超常選民同盟残党の存在を!!

闇を帯びた紫電が天蓋の笹を瞬間の中で焼き切りながら、斗貴子の体を貫いた!
声にならない呻きを上げながら、斗貴子は膝をつき、訳も分らないという様子で倒れた。

「ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズのうち、一名を殺害。一名は戦闘不能、か。さすが銀
成学園で調整体の群れを屠っただけのコトはある」
竹藪をのそりとかき分けながら、褐色肌の巨漢が現れた。
無銘とは違い、黒装束の類は一切まとっていない。
骨ばった顔と裸の上半身に西部の荒野を走る部族を思わせる真赤な刺青を入れている。
ホムンクルス浜崎。いうまでもなくL・X・Eの残党である。
その足もとにやわらかい感触が走った。
見ればチワワがまとわりつき、浜崎の足元を噛んだりひっかいたりして遊んでいる。
「ふむ」
浜崎は巨体を丸めるとチワワのうなじをなでようとして、やめた。
「私を舐めるな……!!!!」
まるで幽鬼だ。
わななく肢体を懸命に直立させながら、がくりと下げた頭で激しい吐息をつく少女が一人。
青い短髪は暴風にさざめく枝のように今にも吹き飛びそうな勢いだ。
「貴様はオレたちによほど災厄をまき散らしたいらしいな。思わば先ほどの新人戦士とネコ
型ホムンクルス、貴様さえ来なければ消耗したところを討てたものを。しかしむしろ、ある意味
では早坂桜花同伴の新人戦士ではなく貴様に狙いを変えたのは正解ともいえような」
「……消耗したところを狙い打つ。化物らしい汚い手段だな」
呼吸を整えながら雷による損壊を確認。
視覚はほぼゼロ。聴覚はかろうじて残っている。
下半身はバルキリスカートが偶然にも避雷針のように電撃を放流したせいか、ほぼ無傷に
近いが、首から背筋に走った電流は無慈悲にも足への神経情報を著しくロスしている。
両腕はさらに悪い。火傷と痺れで持ち上げるコトもかなわない。
「雑言結構。ココで貴様を討ち、復仇を成すのみ」
「たかがホムンクルス一体に何ができる! 先ほど斃した仲間の後を追わせてやる!」
斗貴子は初撃にかけた。焦点定かならぬ瞳で泳ぐように駆けた。
果たして蒼茫鮮やかな処刑鎌は浜崎の体表に達し。
赤いまだらのついた皮膚に芽生えた、ライトパープルの巨大な六角形の鱗にはじかれた。
細やかな六角形の光が浜崎の体表に散らばり、衝撃で斗貴子の重心が後方にブレた。
「くっ!」
「確かに何もできはしないなァ。『たかがホムンクルス』ならばなァ〜ッ!」

変調。
浜崎の小さな白目はドロドロの汚濁にひくつき、肉厚の顎が暗い愉悦にアングリと開いた。
開いた口からは腐臭が漂い、斗貴子の攻撃本能を刺激した。
「切り裂け! バルキリースカート!!」
一気呵成に振りかざした処刑鎌が、六角形の鱗をあらん限り吹き飛ばし、ついで浜崎の
上半身を微塵と切り裂いた。
「口ほどにもない」
「いいや、無意味よなァ」
斗貴子の回復しつつある視覚は、異様な光景を捉えた。
高さ二メートルはある黄色い粘塊。それが浜崎の下半身を土台にうねっている。
生皮を剥いだコブラの生首のように粘膜生々しく光るそれの背後には羽が浮かんでいる。
「繋がって」いるのではなく、「浮いている」のだ。
大小様々のひし形の断片がいかなる原理か宙に浮き、自然に群れを形成する小魚の群れ
のように左右一対の巨大な蝶の羽を形成しているのだ。
それらはオレンジから水色へ、水色から再びオレンジ色へと絶え間ないグラデーションを繰り
返し、唖然とする斗貴子の顔を照らしている。
「真・蝶・成体! 試作品だがいまの貴様程度にはすぎる代物よ! さァ、ムーンフェイス様よ
り頂いたこの力、とくと見るがいい!」

約四ヶ月前。四月下旬。銀成市郊外の森の中にあるL・X・Eアジト。
その近くに一人の戦士が現れた。
名を剣持真希士(ケンモチマキシ)。
巨大な体と鋭くもどこか愛嬌のある眼差しが印象的な彼には、夢があった。
『楽園』
中学三年の時、ホムンクルスの集団に家族を殺され、兄のおかげでかろうじて命を取り留
めて以来、世界をホムンクルスのいない『楽園』にするコトを夢見ていた。
その手……その二本の腕と、兄から譲り受けた三本目の腕で。
真希士の武装錬金は「アンシャッター・ブラザーフッド」といい、両手持ちとしては最大級の西
洋大剣(ツヴァイハンダー)と、掌から両脇までをすっぽり覆う籠手、それから一番特徴的で
一番重要なパーツで構成されていた。
肩甲骨のあたりから延びる第三の腕。
それを真希士は兄から譲り受けた三本目の腕と頑なに信じ、徹底的に活かし、通常では到
底ありえないアクロバティックな太刀筋を以て闘っていた。
だが、L・X・Eへの潜入捜査へのさなか。

「む〜ん。まさかあの逆向君まで斃しちゃうとは」
「佐藤君も重傷。来るべき決戦に参加できるかどうか」
「しかも諦めが悪いから」
「丸二日ばかりかかっちゃたよ」

ムーンフェイスとの戦いに敗れ、落命した。

「けど、なんだな。『楽園』を夢見る者同士仲良くしようじゃないか」
「といっても、私たちが望むのは月面のように荒れ果てた地球だけれどね」
「そのためにキミの死体は、この私が有効利用させてもらうよ」
「そうだね、パピヨン君みたいな不完全なホムンクルスを作ってみるのも面白そう。む〜ん」

そして文字通り黄色く干からびた月の顔を持つ燕尾服の怪人が数人ばかり真希士の死骸を
見下ろす後ろで、ホムンクルス浜崎は。
乱戦のさなか真希士に刺し貫かれた章印をさすりながら、焦点さだかならぬ目でぼんやりと
死を待っていた。

「おやおや、よりにもよって君まで虫の息とはね」
「ひょっとして『本体』の方までやられちゃったのかな?」

振り返り、白目で歯をかっきり組み合わせたいくつかの笑顔を見ながら、浜崎は力なく頷いた。
するとムーンフェイスは「うーん、それじゃあ」と尖った顎に手を当て茶目っ気たっぷりに考え
込んでからこういった。
「実はいま研究中のいい物があってね。でもまだまだ実験段階。もっと沢山のモルモット君が
必要なんだけど、あいにく今はDr.バタフライからの厳命でホムンクルスを無駄遣いできない
状態。いくら私でも彼の逆鱗にはさすがにちょっとふれたくないしね。む〜ん、そこが悩み所」
月を見上げて、つかみ所のない半笑いを浮かべる彼はどこまでも不吉な気配が漂っている。
ともすれば利用されるだけ利用され、捨てられるという気配。
そもそも冷戦後にいつの間にやらふらりとL・X・Eに加盟した彼は、水面に浮かぶ油一膜の
ようなギリギリさでL・X・Eと融和していない。
彼の分身体である朏魄(ひはく)などはそれを逆手に取って、「ギリギリな感じが受けてます
む〜ん」などとのたまっているが、笑うものなどおらず、それがますます融和のなさを印象づ
けてもいる。
有事が起これば真希士戦のように骨身を惜しまず闘い、一見ではさも重要な幹部としてL・X・E
に融和しているように見えるが、それは瓶を振りたくって混ぜた水と油のような一時的な物に
すぎず、少し時が経てばすぐにどこか非融和的な雰囲気になる。
「きっと彼の武装錬金に見せつけられるのは、米ソ冷戦時代の忌まわしい記憶。ああ、何と
も悲しい哉わが人生。いったいどうすればいいのやら」
芝居がかった身振り手振りと口調でまんべんなく自らの困惑を訴えると、彼はようやくなが
らに用件を切り出した。この迂遠さ一つ見ても、彼はどうにも喰えない。
「ちょっと手伝ってくれないかな? どうせそのままじゃ死ぬしかないんだから、悪い話じゃな
いと思うんだけど、どうかな? どっちに転んでもDr.バタフライに怒られはしないよ」

(そして得たのがこの体……)
浜崎の下半身はもはや一つの岩石として地面に膠着している。
その中央から伸びるは蝶の胴体。てらてらと黄色い粘膜の湿気が淡く輝いている。
胴体には申し訳程度の黒い触角が二本生えており、背後では大小さまざまなひし形の破片
が連なり、一対の羽となっている。。
その間には毒々しい紫の粒子が鱗粉よろしく絶え間なくゆれ動き、時おり羽ばたきに押し上
げられてゆらりゆらりと上空に散っていく。
わずか一握の鱗粉はやや特殊な要素を帯びているらしく、上空へ向かううち相ぶつかりあっ
て絶え間なく摩擦を繰り返し、やがて粒子間でプラズマを発生させた。
あたかも小規模な雷雲だ。
刹那。まばゆく輝く先駆放電(ステップリーダー)が斗貴子を貫いた。
(いまだ試作の試作もいいところだが)
翼を動かす。肉体としてはまったく接点がないというのに、巨大な翼は意のままに動いた。
おそらくこれも粒子の効果なのだろう。似たような例ではバタフライのアリスインワンダーランド
(チャフ)を介した会話があげられる。これは粒子に特殊な振動を加えて声を伝達していた
と思われるのだが、真・蝶・成体にもそういう原理が働いているらしい。
(さすがはバタフライ様とムーンフェイス様の技術結晶。よくできている。負けなどありえん!)
羽から巻き起こった風に、竹林は台風上陸時のように派手に折れ曲がって斗貴子もなすす
べなく吹き飛ばされた。
「くっ、まだ!」
とっさにくるりと身をひるがえして奇麗に着した斗貴子は、重い体を必死に伸ばして立ち上がる。
(まだだ。攻撃自体は強力だが、それと引き換えにアイツは動けなくなっている)
浜崎の下半身は岩と化しているのだ。いわば砲台を相手にしているのと変わらない。
(射程距離さえ脱してしまえば逃げるコトはたやすい。だが)
この夜の斗貴子の心はどうしよもなくホムンクルスを憎く思っている。
後輩たる剛太を貴信や香美に痛めつけられ、彼らからは聞きたくない言葉を浴びせかけら
れ傷心に塩を塗り込められたような屈辱を受けている。
すでに五十六体のホムンクルスを葬り去り、貴信・香美も存分に痛めつけてはいるが、しか
しそれでもまだ足りない。
洋上で破られた誓い。二度と取り返せない少年の存在。
それらを埋めるためにはまだ足りない。たとえ全てのホムンクルスを斃した所で埋まるか
どうか。
それでも斃さずにはいられない。それ以外の意義がない。意味を知らない。
テロリストを殺戮するのに躍起な軍国のように、抜本的な解決策も練られぬままただ状況に
流されている。
けれどそういう人生に導いたのがホムンクルスだ。
だから憎しみを解くコトなどできない。傍らで笑ってくれる少年がいない限りは。
(カズキ…… 本当は私は、どうすればいい……)
右の肩甲骨の辺りに鋭い痛みが走った。それに身を震わすと、今度は膝にも。
満身創痍ゆえにか。
ささやかな痛みへの反応が、恐ろしいほどあちこちに伝播してひっきりなしに痛みが起こる。
バルキリースカートもボロボロ。いつへし折られても不思議ではない。
(……いや、この状態なら却って好都合だ)
鉄くさい気配に口を押さえると、血がべっとりと掌についた。貴信に崖へ叩きつけられたとき、
肺が出血をきたしたのだろうか。傷が多すぎてよくわからない。
(動きの早い奴を相手にするよりは勝機がある。何とかして近づきさえすれば──…)
「何ができるというのかなァ」
おぞましい気配に斗貴子は遮二無二もなく飛びのいた。
水ぐらいならすぐ沸騰しそうな熱気がすぐ傍を通りすぎ、爆音が響いた。
雷だ。
そして敵を見ると、吐瀉物と寄生虫を煮詰めたようにドロドロの視線が直視できた。
猛烈な風が吹いた。短いスカートがたなびき白い足をあらわにする。
バルキリースカート地面に突き立てて凌ごうかと思ったが、それでは雷の回避ができない。
結局、華奢で弱り切った斗貴子がしのぐコトなどできよう筈もなく。
先ほど自分が無銘にしたように、竹をへし折りながら竹藪に吹き飛ばされた。
「っの! まだだ、まだ負けるワケには……」
言葉とは裏腹に足に力が入らない。太い竹に背を預け、力なく座ったままだ。
折れた竹が目についた。か細くはあるが、溺れる者は藁をもつかむ。
泳ぐような手つきでかっさらい、立とうと試みる。
が、体重を受けてひん曲がると、折れる予兆をミシミシと訴え始めた。
(クソ。もっと頑丈なのはないのか。こんな細い竹じゃしなるばかりで──…)
とそこまで考えた斗貴子は、ちょっと驚いた様子で短髪の端を揺らしつつ、手元を見やった。
何の変哲もない竹。少しばかり色褪せた部分もあるが、弾力でいなやかさに富み、それ故に
杖にはなりえない。
(…………)
斗貴子はそこで目を伏せると、立つのをやめた。
「さァどうする。命乞いでもするかァ?」
気配を察したのか、浜崎の声には勝利者特有の傲慢さが満ち満ちてきた。
「もっとも貴様のような化け物殺しの化け物など、我らの仲間には到底なりえん。せいぜい
人間のままダルマにでもなり、慰み者にでもなるんだなァ〜!!」
「一つ聞く」
ボソっとした声に、何かの敗北宣言を期待したのか、浜崎はますますはずみを帯びた。
「勝機のなさを悟ったかァ? 冥土の土産とやらが欲しいのかァ〜?」
「貴様のその姿、例の『もう一つの調整体』か?」
「違うなァ。恩恵にあやかっているのは現在のところ逆向様ただ一人! その彼ですら未完成
の物を行使している。もし完成版が我らの集中におちれば貴様らなどたちどころに」
「そうか。分かった」
斗貴子はすくりと立ち上がると
「居直っても無駄よなァ、この、馬ァ・鹿ァ・めェェェェ! 知ったところで今更貴様に何ができる」
「私を舐めるな」
手にした核鉄を発動させた。
そう、先ほどまで武装錬金を発動させていたにも関わらず……
「長話をしてくれたおかげで回復の時間が稼げた」
「フン。見えはしないが大方、武装錬金を解除し、核鉄で回復したという所か。だが時間からし
てそれは微々たるもの」
「ああ。そうだな。だが、貴様をバラバラにするだけの体力は戻った!」
すぅっと吐いた呼吸を打ち消すように爆音が轟き斗貴子は天へと弾丸のように放たれた!
彼女の体は笹に刻まれながらもゆうゆうとそこを脱し、竹林が三メートルほど眼下に見渡せる
ほどの高度に達した。
彼女はバルキリースカートを再発動させると同時に地面を叩いていた。
それも処刑鎌が折れそうなほどに曲がるぐらいの勢いで。
これは先ほどの竹から得た着想だ。
しなった竹を一気に跳ね上がらせるように、処刑鎌を金物定規よろしく強引に曲げて、その
ストレスが一気に爆発させるコトで跳躍力を得た。
「馬鹿が! 俺のいる場所を忘れたかァ!」
浜崎のいるのは竹藪の中心部。広場の部分。だから斗貴子の影も遠く小さいながらに丸見えだ。
「遠距離なら俺の方がはるかに優勢! もう一度雷と風の餌食にしてくれるわァァア!」
「させるかぁ!!」
その時である。
羽の角度を変えた浜崎の頭上から、恐るべきものが降り注いだのは。
それは先ほど貴信の鎖が絡んだ部分。
斗貴子を崖に叩きつけるために使った支点力点作用点の密集地帯。
強度がやや脆くなっているから、わずかな力でも崩壊する。
故に。
それは稲妻よりも風よりも早い一条の閃光だった。
「な、に……」
浜崎は唖然とした。
彼の頭、つまり蝶の胴体部分に刺さっていたのは……バルキリースカート。
直接見たワケではないが、重さやその重心から大体の長さが分かり、正体も分かった。
処刑鎌のうちの一本。
(馬鹿な! 奴の武装錬金は接近戦専用のはず! それが、何故、何故ぇぇぇぇぇぇ!!)
意外すぎる一撃に一瞬彼は肉体のあらゆる操作を忘れた。
いや、忘れていなくとも被った打撃のせいで物理的に伝達は不可だったのかも知れない。
「私の武装錬金は少々耐久性に難があってな」
すぐ近くに何かが着地する軽やかに気配がした。
「あの馬鹿力のホムンクルスのせいで、可動肢(マニュピレーター)にだいぶダメージが蓄積
していたんだ。だからちぎって、投げさせて貰ったぞ」
(今は夜だぞ! それなのにあれだけの距離から正確に……)
バルキリースカートを狙った部分に投げつけるのなど、生体電流で処刑鎌を高速機動させる
コトに比べれば造作もないのだ。空間に対する鋭敏な感覚さえあれば。
「ようやく近づけたな。……ホムンクルスは全て斃す!」
輝く蝶の頭からすうっと処刑鎌が抜かれた。
斗貴子の大腿部では残る三本が仲間との再会に歓喜するよう、鎌首をもたげた。

「切り裂け! バルキリースカート!!」

ハスキーな声に連動して蒼い颶風(ぐふう)が巻き起こる。
光り狂った断線が真・蝶・成体を幾千幾億那由多の限り蹂躙する。

そこかしこで羽のパネルが割り砕け、再び剣風乱刃の中で崩壊する。
もはやこれは人間とホムンクルスの戦いですらない。
工場設備だ。
工場設備と生産品の関係だ。
右斜め下に斬り下げられた処刑鎌は一厘一毛刹那の作業ロスも挟まず、精密に向きを変
えて次の『作業』に移っている。可動肢もただもくもくと角度調節と微妙なスライドを繰り返す
のみ。
斗貴子はそして。
らんらんと金に濁った憎悪の目を見開いた。
口の端から漏れる血すらぬぐわず、下目で浜崎をギラリと一瞥すると、手にした処刑鎌でず
いぶんと色褪せた蝶の胴体を殴りつけた。
荒れ狂う精密さとは裏腹にこちらはまるで刃筋が立っていない。
鈍い音がした。オレンジ色の体表がつぶれ同色の体液がじわりと漏れた。
「敵は全て斃す!」
もう一撃。
「そうだ! 貴様らがいるから! 貴様らがいるから……カズキは!!」
さらにもう一撃。振り上げた処刑鎌が他に荒れ狂う精密な物とかち合い、手の裡に鈍い衝撃
をもたらしたが、些細な問題だ。
「はああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!
ホムンクルスは、全て斃す!!」
包囲する切断網は、狂気とわずかばかりの物悲しさが混じった叫びのビブラートに比例する
ように収束していき。
(こんな筈では! 計画は完璧だったはず。手負いの相手と、ムーンフェイス様から頂いた
真・蝶・成体。相ぶつかって負ける道理など、負ける道理などぉぉぉぉぉぉぉっ!!)

「臓物(ハラワタ)を、ブチ撒けろ!!」

やがてホムンクルス浜崎の、真・蝶・成体の、無数の破片が地面に散らばった。

爪のような形をした大きな緑色の物体が闇に規則正しく並んでいる。
横に十列、縦にはおおよそ三十列。廊下の奥に向かってずらりと居る。
それは椅子の背もたれの部分で、椅子はここを訪れる者たちが待ち時間を過ごすために
設置されている。
というのは千歳がいる場所を踏まえれば別段考える必要もないコトなのだが、職業柄いち
いちそういう観察をしてしまう。
ここは聖サンジェルマン病院の一階。
一般人にも開放されているごくごく普通の待合室の最後尾で、一連の戦いを終えてからまだ
十分と立っていない。
その間に地下からここまで登り、手短に根来ともども報告してから、二人して治療を待って
いる。
ちなみに二人の間に特に会話らしい会話はない。ゆらいこの二人は雑談に不向きというか、
互いが互いにそういう話題をふられた所であまり喜ばないというコトを、自らの性格から逆算
して黙っているフシがある。だいたい、相手を喜ばしたいかと問われれば二人して「別に」と
答える素っ気なさがある。両方とも任務の中でお互いに便宜を図らんとする一種の奇妙な
戦友意識こそ持っているが、つまりはそこ止まりで、例えば象牙細工の職人が顧客の人生
相談までには乗らないように、黙々と互いの本分だけを果たしている。
とはいえ仲が険悪かといえばそうでもなく、今でも待合室の最後尾で座席一つ分開けて並ん
で座っている。
特に理由はない。根来が座った二つ横に千歳がなんとなく座って、別に文句も出なかったの
でそのままそうしている。
でも会話はしない。
正確にいうと、根来がぽつりと呟くまではしなかった。
「先ほどのはどうやった」
先ほどの、というのはむろん無銘の武装錬金の特性破りのコトである。
千歳はてっきりすでに根来も見抜いていると思っていたので、少し意外そうな顔をしたが、
元来、索敵という「他者が知りえぬ情報」の提供を生業とする千歳なので、すぐ淡々と報告
を始めた。

同刻。
竹藪の中で斗貴子はバルキリスカート片手に足を引きずりながら、ようやく無銘の前にた
どり着いていた。
目当ては例の割符だ。
そもそも今晩の戦い自体、例の『もう一つの調整体』の起動に必要な割符のための物。
回収を忘れては何の意味もない。
そして無銘は戦闘開始直後、懐にしまうのを見せていた。
「まだ息があるようだな。もっとも戦闘不能だ。何か反撃を仕掛けようと、この距離なら私の
バルキリースカートの方が早い」
ぐったりしたダルマ状態の無銘の懐を、処刑鎌で切り裂くと、果たして三センチメートル程の
長方形の金属片が黒い土の上に転がり落ちた。
(……おかしい。あの総角とかいう男、どうしてこいつや割符を回収していない?)
かすかな疑問も生じたが、どうせ自信ゆえの過失だろう。
余裕ぶった総角の顔に唾棄するような、溜飲が下がるような心持ちで割符を拾い上げると
「さぁ、あとはさっさと連中の情報を吐け。さすれば楽に殺し──…いや」
舌打ちとともに去来するのは、今夜の様々な横槍。
いつまた邪魔が入るかわからない。現に総角だってつい先ほど近くにいた。
よって斗貴子は、バルキリスカートの鎌首をもたげた 
「今は戦力を減らすのが最優先だ。……死ね」

そして斗貴子と無銘の間に、蒼く禍々しい光が去来した。

病院。
「一連の異変は、ヘルメスドライブが彼の攻撃を受けてから起こり始めた。だから攻撃の痕
を、あなたが戦っている間に調べてみたの。するとこんなモノを見つけたわ」
と千歳が差しだしたのはラミジップ(小型のチャック付きポリ袋)だ。
いったいいつ採取したのか。
ラミジップの中では二ミリメートルほどの、半透明をした魚鱗のような物体が、うねうねと体を
ひんまげ、蠢いている。
そう、恐るべき事にそれらは、自律の意思を持っているのだ!
「調べてみないと断定はできないけど、これは恐らく彼の武装錬金の一部で、一連の敵襲の
原因。だから」
千歳はそれを駆除すべく、あろうことか、ヘルメスドライブを亜空間に投げいれた!
その瞬間、ヘルメスドライブに巣くっていた魚鱗みたいな物体が排除されたのもむべなるかな。
二ミリメートルという微小さゆえになすすべなく、レーダーの内部を駆け巡る稲光に、すべてこ
とごく焼ききられた!

いうなれば千歳は、マザーボードやハードディスクに高圧電流を流す事で、物理的にスパイ
ウェアを破壊したのである!
荒唐無稽というなかれ。行きづまった状況を打開するのにはむしろ荒業が功を奏す事もま
まある。──
「ただ、あなたが最初、亜空間に退避した時は弾き飛ばされなかったのは分らないわね。生
体電流が流れている時だけ創造者のDNAに擬態するのかしら? それとも──…」
考え込む千歳の横で、根来はやや驚きを声にはらんだようにつぶやいた。
「しかし、かような使い方をするとは」
千歳は小首をかわいらしくひねった。
「かような使い方」を想定していないなら、根来が無銘と戦い出したとき、何のためにマフラー
を預けたのか?
それがあったから千歳は根来が特性に気付いているとばかり思っていたのだが。
「そして武装錬金の特性だけど。おそらく。──」

伏兵の気配はそれまでまったくなかった。
せいぜい見かけたのはチワワぐらいだが、それ以外の邪悪な気配はなかった。
そして無銘が何を仕掛けようと、正面から斬って捨てるだけの自負が斗貴子にあった。
だが。
「な……?」
斗貴子はきりりと引き締まった眼を最大限に見開いた。
滴っている。
攻撃を仕掛けたはずの斗貴子の体から、血が幾筋も地面に滴っている。
右の上腕がざくりと斬られている。
ふくらはぎには刺さったそれは、ともすれば脛へ貫通しそうだ。
脇腹に重い刃が斜め上から掠って、セーラー服の白い生地に血を吸わせている。
痛みを頼りにそれらを把握した斗貴子は、かつてないほどの動転に見舞われた。
ありえない。
それは絶対にありえない。
なぜならば、斗貴子に攻撃を仕掛けたモノ。
それは──…
「バルキリースカート!?」
見慣れた刃が自分に向かい、創傷を与えている。
「手元が狂った……? いや、違う! 狂うなんてコトはありえない。今まで一度たりとも私は」
「敵対」
「何!?」
ぼそっと呟く声は足元からした。
手足のないダルマ状態の黒装束。鳩尾無銘の口元から。
「敵対特性。それこそが我が無銘の真なる特性……」
斗貴子はその瞬間、無銘の言葉の意味を理解してはいなかった。
疲労。憎悪。鬱屈。動転。
入り混じる感情の赴くまま、手動でバルキリースカートを払いのけ、まったくいつものように
バルキリースカートを無銘に差し向けようとした。
結果。
跳ね上がった処刑鎌が掌を斬り上げ血しぶきを降らした。
「我が無銘の一撃が及んでより三分が経過すれば、いかな武装錬金の特性とて創造主に手
向かう。…… 師父より聞き及んでいる。汝の武装錬金の特性は、『高速・精密なる斬撃』。
下拙ゆえにや」
自分に向かって鎌首をもたげる武装錬金を、斗貴子はまったく理解できないという顔で見る
しかできなかった。
あとはもはや一方的な惨状が起こった。
バルキリスカートは創造者たる津村斗貴子に向かって、皮肉にもいっさいのブレのない高速
精密動作を以て、無慈悲な斬撃を降らした。
「汝の武装錬金なれば特性ことごとくさし向けナマスと刻み。──」

「ヘルメスドライブなら『索敵』という特性を敵対させる。久世夜襲、防人君、それに鳩尾無銘」
「記録されていた人物をアトランダムに選出、貴殿を襲うために具現化したという訳か。成程。
シークレットトレイルの亜空間がねじ曲がり、私を襲撃した理由もそれで合点がいく。シーク
レットトレイルの特性は斬りつけたものへの亜空間形成。敵対すればああもなるだろう」
「そして原因はこれ」
と指したのは先ほどの半透明をした魚鱗。無銘の武装錬金の一部。
「たとえるならコンピューターウィルス。いえ、スパイウェアに近いかしら」
パソコンに侵入したスパイウェアが、いかがわしいサイトをお気に入りに登録したりするよう
に、無銘は攻撃した箇所から、魚鱗のような物体を武装錬金に潜り込ませ、その特性を狂
わせるのだ!
おお、そういえば津村斗貴子のバルキリースカートも、無銘の攻撃を受けてはいなかったか!
よって彼女のふるう刃も逆(さかしま)に向かい、美しい肢体もいまや全身朱にぬれている!
ホムンクルスの幼体は、寄生した宿主の脳髄に向かい、自我を破壊するという。おそらく無
銘の武装錬金もそれと似た機能を備えているのではないか?

「舐め……るなァッ! 要は特性を用いなければいいだけのコトッ!」
手にしているのは残る一本のバルキリースカート。
これは先ほど大腿部からもぎ取った奴だ。
だから普通の武器と同じだ。特性とは無関係。
斗貴子は無銘の額、ついで胸を貫いた。
両方ともホムンクルスの急所たる章印がある場所だ。
「いかな武装錬金の使い手であろうと、創造者さえ斃せば!!」

根来はしばしの沈黙の後、こういうコトをいいだした。
「私もひとつ気づいたコトがある」
「なに?」
「奴は武装錬金を偽っている」
「忍六具だったわね。火渡君からだいたいの形状は聞いているわ。確か──…

編笠、鉤縄、三尺手拭、忍犬、打竹、薬

ね」
「矢立(筆記用具の一種。筆と墨壺から成る。キセルっぽい形)だ」
「え?」
「本来の忍六具は、編笠、鉤縄、三尺手拭、矢立、打竹、薬の六つ。忍犬などは含まれない」
「考えてみればそうね…… 他は道具なのに、それだけ生物……」

斗貴子は気づいていない。
彼女の後ろに先ほど弾き飛ばした忍犬の自動人形(オートマトン)が転がっているのを。

「ならばなぜ、奴の忍六具に忍犬が入っているのか」
「誤認識という線は?」
「他の者ならそれもあるだろう。武装錬金は人の精神より出ずるモノ。元となった知識が間
違っていれば 本来の武器形状と異なるコトも十分にありうる。が、忍びを名乗り、山田風太
郎先生の考案 された忍法を縦横に駆使するような男が忍六具の構成を誤ろうはずがない」
(どうしてそこだけ敬語?)
「おそらく奴は、自らの武装錬金を偽っている。忍六具ですらないだろうな。恐らく」

忍犬の自動人形はふしぎなコトに、腹部に断裂が生じている。
攻撃による断裂の類ではない。例えば蝉の抜け殻。中から何かが出て行ったような……

「私のにらむところ、奴の武装錬金は奴の正体に直結している」

斗貴子は茫然と無銘を見た。それは死骸になっている筈なのに。
(章印に攻撃を叩き込んだのに、消滅する気配がない)
「……古人に云う」
黒装束の口からはなおも声が漏れる。
「J9って知ってるかい?」
「フ、フザけるな!」
瞳に蛍みたいな石火を散らし、斗貴子は狂ったような手つきで黒装束を殴る。
が、死ぬ気配がない。
「昔、太陽系で粋に暴れ回ってたっていうぜ」
全身血でずぶぬれになりがら攻撃を仕掛ける斗貴子の背後。
彼女に向かって、一匹のチワワが歩いてきた。
「今も世ン中荒れ放題」
かつて総角が拾い、無銘の足元にじゃれつき、浜崎に噛みついたりしていたチワワが。
「ぼやぼやしてると後ろからバッサリだ。どっちもどっちも。どっちも! どっちも!」

「結論からいう。武装錬金は黒装束の男の方」

チワワが斗貴子に飛びかかった。
そして、外見からは想像もつかない鋭い牙を彼女の首に突き立てた。

「本体は犬だ。それが常に同伴しても怪しまれぬよう、忍六具に偽装している」
「そうね。武装錬金の一部だと吹聴してさえおけば、近くにいても怪しまれない」
「そして本当の武装錬金の種類は自動人形(オートマトン)。形状は……たとえば偕老同穴
(かいろうどうけつ)」
「偕老同穴?」
「本来は、カイロウドウケツ科の海綿類の一種を指す。が、私のいっているのは人形の一種。
なお、出典は忍法忠臣ぐ」
「その他、人間の形になりそうな武装錬金といえば」
話を遮られ、根来は鷹のような目つきをいよいよするどくした。
「影武者、変わり身……それから」

「兵馬俑(ヘイバヨウ)」

竹藪はただ静かにその光景をとりまいていた。
「総ての機構を歪める……それこそが我が兵馬俑の武装錬金・無銘なり」
瞳から光が消えて倒れ伏す斗貴子を、チワワ……いや、真の鳩尾無銘は悠然と見下ろした。
「形状ならびに特性を思わば、正々堂々・所詮は望むべくもなく……我、偽りたり」

解説:兵馬俑について

出典:百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E9%A6%AC%E4%BF%91 より。

>兵馬俑(へいばよう)は、本来は古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵
>士及び馬をかたどったものを指す。秦九代目の王穆公が死去した際に177名の家臣たち
>が殉死することになり、殉死を防ぐために兵馬俑が作られることになった。

視点は総角の作りだした地下空間に移る。
「割符は奪還したな。そして──…」
無銘がくわえてきた物をつまみあげると、総角は微苦笑を漏らした。
「こらこら無銘。核鉄まで持ってくる必要はなかったんだがな。俺たちの手にこういう希少な品
が渡ると、戦団の連中は血眼になって俺らを追ってくるぞ」
手にあるのはシリアルナンバーIVIV(44)の核鉄。斗貴子の物であるのはいうまでもない。
「……失策」
「いやいい」
女性のようにすき透った頬に楽しげな笑みを浮かべた総角は、チワワの両脇に両手を入れ
て、肩のあたりまで持ち上げた。
「安心しろ。こっちは解決済みだ。どうせこの武装錬金で潜伏している限り、俺たちが追撃を
受けるコトはまずない。なぁ貴信。香美。負けた上によく考えもせず核鉄を奪ってきた熱血飼
い主とアホ猫。まぁなんだ。そうそう。勝敗は兵家の常だから気にするな。お前たちはむしろよ
く戦った方だ。もっとも負けたのは頂けないがな。あぁ、俺は悲しいなぁ〜」
えらく楽しげにからかう総角に、名を呼ばれた二人──実質一体だが──は座りながら必
死に抗弁する。
「う……。でもあんた、核鉄のあつめるの趣味じゃん」
『ははは!! それを思ったからこそ僕は取ってきた!! それが不都合あればあらかじめ
いっておけばいいのでは!?』
いま表にいるのは香美で、衣服はボロボロ。タンクトップの肩が派手に破けて、もともと良く
見える胸元がなかなか危なげに見えている。ハーフパンツもしかりで、破れた個所から膝小
僧とか太ももの健康的な瑞々しさが覗いている。交番に駆け込んでそれらしいコトをでっち
あげれば、とある犯罪の被害者として記録してもらえるだろう。
むろん傷は癒えていない。さっきのセリフだって本当は総角を見上げていいたかったが、振
動で首とか足とか取れて傷口が開きそうなのでやめている。
ただジト目で不機嫌そうに壁をにらんで、「助けてくれたのはうれしいけどさ、もっといいかた
ってもんがあるでしょーが!」と、ふーふー唸っている。
「まー、それもそうだな。でも、俺の部下なら少しは機微も考えて欲しいがな」
「無理。あたしはね、いわれたコトすらできるかどーかわかんないし!」
「やれやれ。俺は永遠に猫派になれそうもないな。どちらかといえば犬派」
無銘を高い高いしながら総角は上機嫌だ。
「師父。我に対するこの扱いは好みにそぐわず」
柔らかな三角の顔が迷惑そうに歪み、じたばたともがいた。
「フ。犬派の道も断たれたか。まぁいい。どうせ本命はロバ派だしな」
つれないチワワは地面は置かれると、ちょこんとお座りをしてうるんだ瞳を総角めがけて持
ち上げる。可愛くはあるが、どこか神妙だ。
「閑話休題。先ほどの戦士、特に手当せず放置しましたが、不都合は如何に? 核鉄を奪う
コトが火種なれば、戦士の殺害はそれ以上に甚大。されど何ゆえ放置を命ぜられた?」
黒豆のような瞳を見る総角は、実に心地よさそうだ。
「さすがお前は物分かりがいいな。香美。お前も少しは無銘を見習え」
「……うぅ。考えとくけどさ、鳩尾のいうとーりあのおっかないのほっといていいの?」
『はーっはっは! ひどく怯えてるくせに心配はするんだな!!』
「だってさ。いきものが死ぬのって、すごくやなのよあたし。でもアイツはこわいケド」
といいながら香美は瞳孔を見開いてがくがくがくがく震えている。
猫は怖がりなのだ。例えば車に轢かれてからその道路には出たがらなくなったり、獣医
へ行く途中でケージを落としたら、ケージを見るだけで逃げ出したりするようになる。
「鐶(たまき)だ」
へ? という気の抜けた声が総角以外の三人から同時に漏れて、ヒンヤリとした地下道に
木霊した。その中で無銘だけは、ちょっと歯を剥いて軽く唸った。
「……彼奴? 彼奴が近くにいる? なれば一秒でも早く合流の是非をお教え頂きたい。合
流するのであれはさっさと退散する所存。彼奴などと同座同席するは死にも並ぶ苦痛……!」
「フ。そう露骨に嫌そうな顔をするな無銘。事後処理はあいつに任せておけばまず問題はな
いぞ。少なくてもお前たち三人が出ていくよりは話もこじれない」
「そだけどさ。あたしはあのコ苦手。話つづかないもん」
『僕は尊敬している!! 彼女ほど強く機転の利くホムンクルスはそうはいないからな! 
それに熱い歌を崇拝しているのがいい!!』
「あ、それから無銘」
「合流の是非は如何に!」
意気込む無銘に総角はくすくすと笑いをこぼし、告げた。
「少しだけだが合流するぞあいつ。良かったな」
無銘が地下道の果てまで突っ走ったのは余談として書き留めておく。

さきほどの真・蝶・成体の土台がぱくりと割れ、中から名状しがたい物体が漏れた。
基本的な形状はホムンクルスの胎児のようだが、背中のあたりからヘビのような尾が五十
センチばかり伸びており、長い体をくねらせながら地面を疾駆しはじめた。

向かうのは……血みどろで倒れている斗貴子。

レウコクロリディウム。
これは寄生虫の一種だ。主な宿主の一つは鳥。ただし寄生する手段が少々変わっている。
まずカタツムリの触覚に寄生する。寄生してから触覚をたとえば緑一色などのカラフルな模
様に変化させる。するとそれを目印に鳥がカタツムリを見つけやすくなり、捕食する。
捕食すればレウコクロリディウムはめでたく鳥に寄生できるという寸法だ。
更には鳥の糞にも彼らはおり、食べたカタツムリにまた寄生する。

結論から書く。

ホムンクルス浜崎は生きていた。
(俺はレウコクロリディウムのホムンクルス! この『本体』を寄生させた生物を操る能力の
持ち主よ! そして『本体』さえ無事なら依代が破壊されようと痛痒なし! 以前は大損壊を
受け、真・蝶・成体に寄生してその回復力を頼らざるを得なかったがなァ!)
浜崎は斗貴子のすぐ近くに到達した。物言わぬ斗貴子は、そのスレンダーな肢体をまったく
無防備なままに投げ出している。
スカートから伸びるすらりとした白い足は、傷を少々帯びてはいるが、それだけに一種の男
性的衝動をかきたてる何かがある。
(よくも真・蝶・成体を破壊してくれたなァ。まぁいい。次は貴様だァ。貴様の体さえ乗っ取れ
ばこちらは核鉄以上の戦力を得るだろう! そしてそれはァッ!)
ヘビのように長い体が、斗貴子のふくらはぎの下を潜り抜け、緩やかに巻きついた。
ぬらりとした感覚に嫌悪を催したのか、斗貴子の寝顔から軽い呻きが漏れる。
(ザ・ブレーメンタウンミュージシャンズの連中が引いた今ァ、た・や・す・いコト!)
「などというモノローグの元、浜崎どのはセーラー服美少女戦士どのの足を登っていくので
あります。その動きはらせん状、じわじわと確実に蝕まんとする意志に溢れております。あぁ、
その目をご覧ください。この血走りは果たして復讐心のみに起因するのでしょーか! ややも
すると、えぇと、その……なんでしょう。こほん。実況人として意を決して申し上げますれば、
淫靡! その一言に尽きまする。……その、どこへ侵入なさるおつもりか…… 聞きたくはあ
りますが、どうにも気恥しく……不肖はしばし口ごもるしだい……いやはや……」
立て板に水な声に、浜崎の頭が反射的にそちらを見た。
八メートルほど先、広場と竹藪の境目にいるのはシルクハットの小柄な少女。
頬に紅差し、口をもにゅもにゅした波線にしている。
「小札零かァァ〜! この戦士を斃しに来たのかァ? それとも介抱かァ〜?」
「いえいえ不肖は任務を終えてたまたまこちらを通りすぎたという次第。何の任務かは秘中の
秘ゆえ伏せたく存じますが……ただ」
小札は目を細めると、カマボコみたいな口でえへへーとはにかんだ。
「結果は大・成・功! もりもりさんも喜んでくれるコト受け合い!」
「……話にならんなァ」
「そう思われるのであれば、そうであるかも知れませぬ。されど浜崎どの!」
小さな手からロッドが現われ、浜崎をびしぃっと指し示した。
「不肖の話、実は囮だとすればそこに話の種は生まれるのではないでしょーかっ!?」
分類すれば短剣だろう。銀色の刃が斗貴子の足のそばに突き立ったのを合図に、浜崎は
素早くその場から跳躍した。同時に手近な竹(へし折られて節穴を露にしてる奴)へ潜り込
んだ。
「おお。さすが! 寄生の条件はすなわち穴への侵入なのでありますね! ……そしてっ! 
セーラー服美少女戦士どのへの寄生はとても恥ずかしいお話ですので割愛!!!!」
竹が変貌を遂げた。丸い形から六角形の柱と化し、青々とした肌は幾何学的な装甲へ。
そして穴から浜崎の顔(人間形態だったころの岩のような)がろくろ首みたいににゅらりと
覗き、小札に濁った眼光をふりまいた。
「今、短剣を投げた奴は誰だァァァ〜!!」
「私、です」
斗貴子の足の間から短剣を拾い上げた影がある。ひどく奇襲に慣れているらしく、拾う前も
拾った瞬間も拾った後も同じ速度で走り、呆れるほどの手早さで浜崎との距離を詰めると
彼の顔めがけて銀光をほとばしらせた。
浜崎は首を引っ込めすんでのところで回避した。影は返す刃で残り短い竹を逆袈裟に切り
捨てた。それが地面にせり上がった根に当たって「からん」と乾いた音が一瞬響いたのを最
後に辺りは静まり返り、月も雲にさっとけぶって無音無明の緊張に満ち満ちた。
「リーダーからの伝達事項その三。間隙を縫う者は必ず現れる。予想通り、です」
止まった影は小札よりはやや大きい。声は十代半ばだから、年齢がそれ通りとすればほぼ標
準通りの身長か。
暗がりのせいで正確な姿は分らないが、後ろ髪をリボンでくくって下に垂らしているのは分った。
「むむ。やはり鐶副長が仰せせつかっておりましたか。ならば不肖は手だしせずとも大丈夫!」
「ええ」
小札を振り返り言葉身近に応答した鐶。
その背後をしなった竹が襲った。
「なァ……?」
呆気の声を漏らしたのは、攻撃を仕掛けた方。浜崎だ。
鐶は振り返りもせず短剣で竹を二股に切り裂き、しかも鐶から見て七時方向の竹の一本へ
短剣を投げていた。
そこは浜崎の『本体』がある場所のほぼ真上。
彼は筒の中で頭上を見上げ慄然とした。短剣が突き刺さっている。避けてこうなったならま
だ良かった。しかし彼は投擲自体に気づいておらず、頭上の物音を反射的に見て事態に気
付いたにすぎない。
つまり、鐶の失敗によって命を救われた形になる。
「……遙かな大空に、光の矢を…………放ってみました。でも一撃必殺は無理でした……」
浜崎は大声を張り上げたかったが、自らの所在をバラす愚行なので必死に耐えた。
耐えて竹の茎や根の中を移動しながら(一体化しているので可能)も、恐慌をきたしはじめて
いた。
なぜ自分の本体の位置を悟られたか。
声か? いや、声を漏らしたのは短剣を投げられた後だからそれはない。
(まぁいい。分はこちらにある。奴は武器を手放したァ。しかも竹は)
「……竹は……地下でつながってます。だから一本の竹に寄生すれば……その一帯の竹す
べて、あなたの味方。囲まれて、いますね……」
影の周囲にはいうまでもなく竹が充満している。
「……あなたが私に求めているのは絶望、でしょうか。星さえ見えないほど深い、絶望……」
口調は淡々としてまったく焦燥をはらんでいない。むしろ一言も発していない浜崎が、その
無言の理由からして追い詰められているようでますます惨めだ。
彼は激高した。
寄生した竹をすべて一気に操作し、鐶めがけて撃ち放った。
尖った根が鐶の腹部を。しなった竹が頬を。刃と化した幾枚もの笹の葉が到るところを。
それぞれ狙い打つ。
筈だった。
根が縮んだ。しなった竹も同じく。
奇異なるコトに笹の葉は……飛ばなかった。
刃が入り組んだような紫の物体と化している。
「さて皆様ご存じでしょーか!! 実をいいますれば竹にも花は咲くのです!」
いつの間にやら学校の会議室にあるような長い椅子とか椅子を取り出して、小札はロッドを
マイク代わりに解説を始めた。もちろん机上には「特別解説っ! 小札零!」と下手な字が
書かれた白い紙製の三角錐。
「一般には数十年から数百年に一度の割合で咲くのであります! 地下でつながってますか
ら、咲くときは竹藪一帯これ総てお花満開!」
彼女のいうとおり、頭上では前述の紫の花がひしめきあい、自重ゆえに心持ち垂れさがって
先ほどより夜空を多く露出している。
「おお、見えざる花咲かおじーさんが来訪したかのごとくでありますね! ちなみに開花後は
実をつけて枯れますゆえに不吉な現象といいますが、しかし人間の人生とて長い目で見れば
そんな感じではないでしょーか! 漢の高祖とか豊臣秀吉とか一花咲かせてからもう一花咲
かせた方は歴史上ちょっとおりません。後はもう枯れ、時には老害とのそしりを受けたりも。
つまりは大成を秘めた人生とは不吉に近いものなのでしょーか? それはさておき浜崎ど
の。この開花は浜崎どのにとっても不吉な予感で死兆星! さぁ、さぁさぁ、退却のご用意を!
ここで引くなら鐶副長も引きますよーぉ!」
「引きません。このままごーごー。ただひたむきに……」
「え!?」
「リーダーからの伝達事項その二。禍根を残すべからず。残念ですが彼の死は……決定稿」
「むむ……もりもりさんがそうおっしゃるなら不肖には口出しのしようも……なーむー」」
(どういうコトだァッ!)
浜崎は竹の中で震えだした。彼のいる竹までもが徐々に縮み、狭くなりだしている。
(奴はふれもせず、いったいどうやって!!)
「短剣…… 別に本体へ当たらなくても良かったのです。あなたの体の一部にさえ当たって
しまえば……もうすでに私の武装錬金の特性の餌食。運命に戸惑う嘆きのロザリオ……」
影が淡々と呟いた。飛んだ。
「……所詮あなたはレウコクロリディウム。エサの気配は簡単に察知できます」
手を巨大な翼と化し、竹藪を機械的に切断しながら一直線に。
五十メートルは滑空したか。彼女の通った後の竹はことごとくなぎ払われた。
「鳥型ホムンクルスの私の敵では……ありません。『特異体質』を使うまでも、ありません」
(ああ、確かに敵ではないなァ)
影のあとをとことこ付いてきた小札は「ぬおっ!」と寄生を漏らした。
鐶の耳元に、ホムンクルスの幼態へ長い尾ひれをつけたような特異な物体が張り付いている。
浜崎だ。いつの間にやら飛んでいた彼は耳の穴から今まさに侵入しようとしている。
彼は叫ぶ。恐怖からの解放を喜び、ひきつりながら。
「油断したなァ! 倒せずとも元の生態を思わば寄生するコトこそ本懐よ! あの女戦士など
もはやどうでもいい! 貴様はおそらく奴以上の強者ァァ! おとなしく我らに!」
「あ、無駄です。ぶいあいしーてぃおーあーるわいてぃ、すりーつーわんぜろ無銘くん……♪」
鐶の声が脳内に伝達するより早く、浜崎の体一面とボコボコと膨れ上がり、弾かれるように
彼女から離れた。
(〜〜〜〜〜!!!)
意図したものではない。体が勝手に動いている。地面をのたくっている。
随意筋な意味でも不随意筋な意味でも。細かな手足がてんでばらばらな方向へとじたばたし、
しかも内側から新たな肢体を無責任に量産している。腹からは新たな口が発生し、不規則で
不細工な鋭い牙を幾重にも伸ばしながら大口をガチガチ打ち鳴らして異臭まみれの粘液を
地面に降らす。尾ひれ一面は鱗が生えては剥がれおち、生々しい肉の赤肌が異常な熱と痛み
を放ち、眼窩ときたらそれこそレウコクロリディウムに寄生されたカタツムリのようにカラフルに
肥大して、床屋さんにある回転灯のように赤とオレンジの色をぐるぐる螺旋させている。
「どうなっている! ど・う・なっているゥゥゥゥゥゥゥ〜!」
「無駄、です。あなたはすでに無銘くんの攻撃を……受けています」
影は浜崎など顧みず、先ほど刺した短剣を回収しにいった。
「彼の敵対特性は…………武装錬金だけでなくホムンクルスに及びます」
(何をいっているコイツはァ! 奴の武装錬金の発動条件は俺だって聞いている! 攻撃
を受けるコトだァァァ! が、俺はあの黒装束の人形や忍六具の攻撃などは……!)
無茶苦茶な狂騒に持って行かれそうな状態で、彼は一つの事実を思い出した。
(まて、あの時まさか。あの時、まさかァァァァ!!)
斗貴子が黒装束の自動人形を倒した直後だ。
不意打ちと共に姿を現した浜崎はチワワに遭遇した。

>その足もとにやわらかい感触が走った。
>見ればチワワがまとわりつき、浜崎の足元を噛んだりひっかいたりして遊んでいる。

チワワは無銘の本体。鳩尾無銘そのもの。
(あの時!  噛まれた時!  奴はまさかァ自動人形の一部を口に含んでいた、か!!)
「あの時……噛まれた時……彼はちゃんと自動人形の一部を口に含んでいました……
具体的にはあの鱗のような物体……です。それが足の傷から入って……こうなりました」
無慈悲な足音が浜崎の近くでした。同時に銀の刃が彼を貫いた。
「少し……可哀想な斃し方をこれからします…… だから最後に一つだけ……」
刃が突き立った浜崎はどういうワケか縮んでいく。
どころか肌の質感も若くなり、異常をきたしていた体も、元のように戻っていく。
彼はその現象に確信した。
サッカーボール大で留まったまま仮死状態になっていた幼体ども。
これだけの実力を持つ鐶が、敢えてホムンクルスを殺さずに留め置いた理由。
「お前の能力は……目論見はァァァァ!」
「私の武装錬金は──…」
叫ぶ幼体から引き抜かれた短剣の形状を記す。
全長は約三十センチ。刀身はその内二十センチメートル。
鍔はその両端を刃先に向かって小さく直角に折れ曲がっている。
特筆すべきはその直下。柄の先端部分。
小さな球状の物体が二つ、柄の両側についている。
名の由来がとかく淫靡な武器である。なぜなら二つの球と一つの柄を「男性器」に見立てて
いるのだ。そしてついた名前がボロック(睾丸)ナイフ。
別名。
「キドニーダガー。名はクロム クレイドル トゥ グレイヴ。特性は年齢のやり取り……です」
影はずいぶんと小さくなった浜崎を踏みつぶし、ぐしゃぐしゃと事務的に地面へなすりつけた。
「リーダーからの伝達事項その一。殺す者には親切に…… キドニーは『親切』なので……」

この晩の戦いはひとまずこれによって幕を閉じた。


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